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「美味しい!」が好き

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2002年11月01日(金)

佐竹の偕楽園を試した方の感想


私のHPを見て、わざわざ、佐竹商店街を探して、偕楽園に食べに行かれた方が、感想を教えてくださった。
え〜、私の情報を正しいと信じて、家から遠いのに、わざわざ行ってくださったことをとても感謝、嬉しかった。

で、許可をいただいて、一部、エッセイに転載させていただいた。
今回は、その方ではなくて、ご主人がお友達と一緒に行ってくださったとのことで、その時の感想である。

感想を一言で言うと、「あんなに美味しい店が流行らなくて潰れたら困る」ということかな?

感想

お料理は、真理子さんの感想を参考にさせていただいて「五目ラーメン」と、あとはお店の方におすすめ料理をうかがって決めたそうです。
とにかくとても美味しかったらしくて、上機嫌で帰ってきて「美味しくて、美味しくて、笑いが止まらなくなるぐらい美味しかった」と言ってました。一緒に行った方もとても喜んでくださったそうです。

「五目ラーメン」は、いわゆるラーメン屋さんのものとは違っていて、「中華の麺料理」という感じの美味しさだったとか。麺はちぢれ麺なんですね。

「エビのチリソース」はうちのダンナの大好物なのですが、エビがプリプリしていてとても美味しかったそうです。

「にんにくの芽と豚肉の細切りの炒め物」(料理の正式名がよくわからなかったらしい)も美味しかったそうなのですが、全般的に豚肉にクセがあるみたいで、これはまずいというより好みが分かれるんじゃないかということでした。豚肉自体に臭みがあるというより、豚肉を調理する際の味にクセがあるというか……
(ちなみにうちのダンナは食べ物の匂いには敏感で、他の人は平気なのにうちのダンナは匂いが強くて食べられないということがよくあるのですが)
このお料理は豚肉がメインの素材だったので、特にそれを強く感じたのではないか……ということです。

「たかなチャーハン」には焼き豚が入っていましたが、前記の炒め物ほどには豚の味が気にならなくて、とても美味しかったそうです。

あと、飲み物は始めはビールを頼んだそうですが、お料理を口にしたとたんこの味には中国酒だと思ったとかで、紹興酒を注文したそうです。うちのダンナは紹興酒ってあまり好きではないのに、ここの紹興酒はとても美味しかったそうで、2人でボトル1本空けてしまったとか。グラスよりはボトルで注文するのがいいそうで、ボトル1本で1,500円程度だったそうです。

最後は杏仁豆腐をサービスしていただいたのがこれまた美味しくて、今まで杏仁豆腐だと思って食べていたのは何だったんだ?と思うぐらい、風味も舌ざわりも違っていたそうです。

それにしても平日の夜とはいえ、お客が3組っていうのは少ないですよね。うちのダンナも、「こんなに美味しくて値段も手頃なお店なのに……」と先行きを心配しています。
とにかく通りに人の流れが少ないので、「あそこに美味しい中華料理店がある」と知っている人しか来ないんじゃないかって。
とりあえず口コミで「美味しかったよー」というのは会社の人たちに言ってみようと思っているそうです。この日都合が悪くて一緒に行けなかった人たちが何人か、この次はぜひ、と言ってくださっているそうですし。

偕楽園
場所:大江戸線新御徒町駅下車徒歩3分くらい
   佐竹通り商店街真中よりちょっと奥右手

定休日:土曜日

営業時間: 午前11時〜午後11時



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2002年11月02日(土)

佐竹の偕楽園ランチ


で、昨日の感想をいただいて、私も人任せにしてはいけないと思い、日曜日のお昼当番を母に頼んで、二度程食べに行った。

一度目
牛肉と玉ねぎなぞの炒め物ランチを取ってみたが、普通に美味しいくらいの美味しさ。
昨日の感想と同じで、杏仁豆腐は本当に美味しかった。
軽くてさっぱりしていて、スルスル入る。
これは本当にお勧め。
他の人から、ランチのスープが美味しいと聞いていたが、これはまあまあかなという感じ。
う〜ん、ランチメニューは大して感心しない。
でも、もう一度食べに行ってから、このお店のランチがお勧めかどうか、判断しようと思った。

二度目
もしかしたら、ランチメニューは安めだから、余り美味しい物ができないのかしらと思い、おばさんに紙に「葱油拌麺」と書いて、これできる?と聞くと、大丈夫とのこと。
他に、メニューにある「はちみつトマト」を取ることとした。
で、出てきた葱油拌麺は、鴻運のものとは違い、斜め細輪切りにした葱が全く焦げていなかった。
でも、これはこれで良いと思いながら、食べてみると、とても醤油が強い。
何だ〜、こんなに塩っぽかったら、最後まで食べられないではないかと思ったが、本当に最後の方、醤油がきつ過ぎて食べるのが嫌になる程だった。

これは余りだと思い、お勘定のときに、ちょっとソフトタッチに、「葱油拌麺、美味しいことは美味しいけれど、塩っぽかった。中国のお醤油ではなくて、日本のお醤油使った?」と聞いたら、おばさん(と言っても、結構きれいで感じの良い女性)が、「う〜ん、醤油は、紹興のお醤油、お、そうだ、これ、新しい人作った。新しい人入ったよ」と一言。
ぎょ、ぎょえ〜、冗談ではない。
私は、特級厨師の腕で作ったものが食べたくてこのお店にきているのに、入ったばかりの他の人の物を食べさせるなんて、と思ってしまった。
ま、入ったばかりの人が作ったものを食べさせられても美味しければいいけれど、こんなに塩っぽい物を平気で出すなんて、全くどういう了見だろうと、「あ〜、それはとっても残念。若い人ではなくて、おじさんが作ったものを食べたかったのに」と言って出てきた。
せめて、ちゃんと、お金の取れる料理かどうか、チェックしてくれてもいいのに。

昨日の感想のご主人のときは、きっと、特級厨師のおじさんが作ったのだ、私のときは、新前だ〜、私って可哀想と思う。(笑)
でも、このお店の美味しい・不味いの極端さの謎がようやく解けたような気がした。

でも、そんなに腹は立たなかったのは、私としては、やはり、このお店を美味しい店として、我が近所に根付かせたいのだ。
私にとっては、特級厨師のお店なんて、「我が田舎町にスーパースターがやってきた」ような気がして、簡単に潰すには勿体無い。

偕楽園の人も気持ちは同じだと思うけれど、あのお店は、日本人0で、片言のできる中国人と殆どできない中国人だけでやっているお店なのだと思う。

ここで短気を起してはいけない。
私から言う「こういうお店の開拓」は、お店側からすれば「繁盛するお店にする努力」は、きっと多くの時間と沢山の試行錯誤が必要なのだと思う。
こちらは母国語を話せる有利な立場にいるのだから、お客さん側から積極的にコミュニケーションを取って、「他の店では食べられないような美味しい物を食べたいという気持ち」を伝えなければ、、向うの実力を引き出すことはできないかもと思った。
あのおじさん、もしかしたら、流行らないお店で、お客の殆どは、メニューから選んだものをもくもくと食べて、感想も言わない人ばかりで、やる気失って、新しい人に、そういう人向けの料理を任せてしまったのかしらねとも思う。
(私は違うのに、あのおじさんは、人を見る目がないかも知れない。)
取りあえず、もうちょっと気長に、あのお店に通ってみようと思う。
(次回のために、アメ横で、咸蛋(塩漬けのアヒルの卵)を買ってきた。次回は、これで、咸蛋豆腐を作ってもらうのだ、でも、注文する前に、「今日、おじさん作る?他の人作る?」」と念を押すことを忘れないことにしよう。)

次回のレポートをお楽しみに。

でもね、私のHPを見て、偕楽園に行こうと思った皆様、くれぐれも、お店に行ったら、「私は、特級厨師の腕を食べたくて来た、特級厨師が作る?」とちゃんと念を押した方がいいと思う。
フロアのおばさんは感じがいいし、日本語通じるから、大丈夫。
絶対に、そう言った方がきっと美味しい物が食べられる。(言わないと、私のような目にあう可能性ありということがわかった。)

で、できたら、感じ良く、食べた感想をちゃんと伝えると、あのお店が成長するような気がする。
あ〜、その内、そんなこと考えなくて美味しい物が出て来るお店にならないかしらね〜。(笑)



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2002年11月03日(日)

スペアリブの黒酢煮と鹿児島の豚骨


鴻運で、スペアリブの黒酢煮を食べたとき、奄美大島出身の友人から習ったとんこつに近いと思ったのだ。

で、そのとんこつは、油で揚げるように、スペアリブを揚げた後、水と焼酎と黒砂糖とお味噌で、三時間くらい煮るもの。(エッセイのどこかにレシピがある)
この料理の味噌を黒酢に変えたら黒酢煮になるかなと思った。

で、その後、安売りの料理の本を店頭でペラペラめくっていたら、豚肉の黒酢煮というのがあって、その分量が

豚バラ肉  500g
黒酢    1/2カップ
水       〃
焼酎      〃
醤油      〃
砂糖    大さじ2

であり、砂糖の量を除けば、だいたい鹿児島の豚骨と余り変わらないと思った。
きっと、味噌で煮る豚骨は、黒酢より塩っぽい関係で砂糖の分量が多くなるのだと理解した。

その後、「新・中華料理大全」総合調理という本の中で、戴國[火軍]という立教大学の名誉教授の文章を発見した。
それは、「料理をめぐる文化交流」という文章なのだが、「薩摩の豚骨とあくまき」という章で、「薩摩・奄美大島・琉球レ一頭、台湾と続く線は、言わば、大和文化と中華文化がぶつかりあった『場』であり、文化交流の交差点だったともいえよう。中国人が鹿児島料理の中でも最も『おふくろの味』と覚えるのは、豚骨料理と豚肉の角煮の2品である。」と書いてあったのだ。(あくまきという鹿児島独特のお菓子について書いてあったが、省略)

やはり、そうだったのだ。
スペアリブの黒酢煮が鹿児島の豚骨に近いのではなくて、鹿児島の豚骨が、中国のスペアリブの黒酢煮を真似して作ったものではないか?

きっと、ずっと昔に、中国のスペアリブの黒酢煮を食べた日本人が、日本に黒酢があったのかどうかわからないが、自分たちが日常使っている味噌で代用して似たようなものを作ったところ、受けて、郷土料理になったのではないかと思った。(当たっているかな?)

今まで、鹿児島の豚肉料理というのは、日本の味噌を使っているので鹿児島独特のものかと思っていたが、鹿児島が沖縄経由で中国の影響を受けた上での豚肉料理だと理解できた。

こういうことが発見できるのも、食べ歩く楽しみでもある。(たまにしか、発見できないけれど。)



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2002年11月04日(月)

高田馬場の宝 古本屋


私は、夕食の支度があるので、夕方以降の高田馬場は良く知らないが、ランチで言うと、本当に結構がっかりしている。
皆、コストパフォーマンス重視で、美味しいとか、こだわっていると感じられる店に当たっていないのだ。

でも、そんな高田馬場には、他の街には少ない古本屋が沢山あるところが、料理好きにはたまらない。

勤務先には、若い子向けの古本屋が二軒と、早稲田の方に向うと多数の古本屋があるのだ。

早稲田大学の近所の古本屋になると、やはり、料理書は少ない。
で、勤務先の高田馬場近辺の若い子向けの古本屋で、先日、新中国料理大全の広東料理を格安で発見したことは書いたが、先日、もう1軒の古本屋で、「香港の家庭料理」という本を発見できた。

1997年発行で、香港在住25年の日本人主婦が監修した中華料理の本。
この本が新刊のときでも見た覚えがないものである。(その頃、そういう関心がなかったから、そうなのかも知れないが)
私には希少価値の本に見えるのだが、きっと価値のわかる人も需要も少ないのか、価格は、新刊のとき1200円だったものが500円。
本当に、ラッキー!であった。
この2冊目のお気に入りの本を手に入れることができて、結構、高田馬場が好きになりつつある。

良い中華料理の本を探しているのだが、新刊本で中々見つからない。
どれもこれも、日本で良く食べられる中華ばかりが載っていて、私のように、アメ横が近くて、結構色々な材料が手に入り、しかも、最近、鴻運なぞで、色々な料理を食べるせいか、普通の本では飽き足らなくなっていた人には、この本は、中国の乾物の戻し方も出ているし、色々な素材・調味料の説明も、普通、日本では手に入らないものまで、カバーしているところが嬉しい。(でも、これでもまだ足りないけれど)

食べ物・食材の買物という点では、ちょっと気に入らない高田馬場であったが、「古本」で、ちょっと点数を上げている。

それにしても、古本屋の料理本というのは、皆、とてもきれいである。
私の持っている料理本なんて、絶対、古本屋に出せないくらい、汚れている。
皆、買うだけ買って、使わないから、売りに出すのだろうか?



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2002年11月05日(火)

世界で一番簡単な中国料理


この前、偕楽園に行ったときに、以前から気になっていた「トマトとはちみつ」を取ってみた。

出てきたものは、大きなピンクっぽい(赤く熟していない)桃太郎の薄切りに、ハチミツがかけられ、その上に、普通の上白糖がちらちらっとアクセントにかかっていた。

おばさんに、「これは、上海のトマトの食べ方?」と聞くと、「そうよ、こうやって食べるの。日本とは違うでしょう?」とのこと。

「うん、日本とは違うけれど、私のお母さんの田舎では、トマトにお砂糖かけて食べるよ」と答えた。

さて、食べてみると、良く冷えたトマトとハチミツの甘さで結構美味しい。
これって、ご飯のおかずには無理だけれど、お酒のつまみとか、前菜風、箸休めに結構いいかも知れないと思った。

少なくとも、季節柄、サラダに使っても美味しくないようなピンクっぽい桃太郎しか手に入らないときには、とても参考になる食べた方だと思った。



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2002年11月06日(水)

チャーシューつけ麺


この前、買った古本「香港の家庭料理」の中で、比較的簡単にできて、季節柄、今が食べ頃と思って、「チャーシューつけ麺」を作ってみた。

私は土日、お昼ご飯を作っているが、もう相当寒くなって、冷やし中華は受けなくなってきたのだが、つけ麺なら、麺は冷たくても、汁を熱々にすれば、まだ、この冷やし中華の親戚のようなつけ麺は、受けるだろうと考えたのだ。
(見事、当たった)

写真を見ると、浅い鉢状のお皿の真中に麺(上に白胡麻)で、その回りに、チャーシューと錦糸玉子、胡瓜の細切りが飾られている。
これに、もやしの茹でたのをつけよう。
(良く読んだら、本では、セロリの細切りを飾っている)
写真のチャーシューは、周囲が食紅で赤く染まっており、この方がきれいだけれど、最近、こんな赤いチャーシュー売っていない物ね。
麺も、宮麺と書いてあるが、構うことはない、日本の中華麺で代用しよう。

で、汁の分量は、下記のとおり。

しょうゆ           大さじ3
酢              大さじ2
ごま油            大さじ1
チキンスープ         200cc
砂糖             小さじ2
しょうが・長葱のみじん切り  各大さじ1

熱々のお湯で、豚と鶏のスープの素を溶いて、色々な調味料を入れて実際に食べた感想だが、この分量だと、砂糖が多過ぎ、お酢も、ちょっと強過ぎる。
お砂糖をちょっと控えめにして、お酢は半分くらいにするか、各自、自分で食卓で入れる方が良いかも知れない。
(きっと、このお酢の分量は、中国のお酢を基準にしているのかな〜と思う。)
以上、4人前の分量であるが、かける場合なら、この分量でも、300cc近いからギリギリ間に合うかも知れないけれど、器に入れて、つけて食べるのなら、1.5倍作った方がいいと思う。

今まで、中華麺についてくるスープで、つけ麺は作っていたのだが、これだと、結構、油が強くてしつこいが、この「香港の家庭料理」のつけ麺のつけ汁は、さっぱりしていて、美味しい。

お昼ご飯、麺類にするとき、ラーメンよりさっぱりしていて、お勧め。
(もっと寒くなったら、きっと、作る気がしなくなるかも知れないけれど)

そう言えば、この本に、冷たいスープとも熱いスープとも書いていない。
もしかして、オリジナルは、冷たいつけ汁の料理かも知れない。(笑)



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2002年11月07日(金)

自家製柚子胡椒 1/2


夏に、インターネットでフラフラして、自家製の柚子胡椒の作り方を発見。
ちょうど、母の親戚が送ってきてくれた野菜の中に、「青唐辛子」という言葉を聞いたような気がして、これで作ろうと思ったのだが、その「青唐辛子」なるものを食べてみると、そんなに辛くはなくて、実は、これはしし唐でであったことがわかって、棚上げになってしまった。
そして、その後、中々手が出なかったが、とうとう、この前、上野の韓国人街で、青唐辛子を買ってきて、作ってしまった。

作り方は、簡単。
青唐辛子を洗って、種と白い部分を取って、フープロやミキサーで細かくした後、すり鉢でする。
そして、それに同量の粗塩を混ぜて、保存しておき、柚子の季節になったら、柚子の皮を同量混ぜれば良いとのこと。

で、今回は、青唐辛子をすって、塩と混ぜるところまで、作ってみた。

まず、青唐辛子は、上野のコリアン街で、一袋600円で、これで、だいたい90g程度が取れた。
最後、すり鉢ですりたかったが、すりこぎが見つからずに、しょうがないので、包丁二本で、とんとこ叩いて、本当に細かいみじん切りにした。
そこに、粗塩なのだろうか、多分違うと思うけれど、合羽橋道具祭のときに買った旨みの強いタイプの塩を混ぜた。

この時点で味見したら、美味しい!
青唐辛子の匂いがぷ〜んとして、舐めると、青唐辛子味の塩なのだ。(当たり前ですけれどね)
とても、気に入ってしまった。



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2002年11月08日(金)

自家製柚子胡椒 2/2


で、柚子なのだが、一つ買って来て、皮をすったら、4gしか取れないのだ。
柚子の皮のすりおろしに、10gの青唐辛子と塩を混ぜたものをあわせたが、これで、鍋物を食べると、美味しい。
家庭料理って、色々な美味しさもあるけれど、こういう調味料を自家製にして、普通では食べられない美味しさを味わえるという美味しさもあるのだと、しみじみ思ったくらい。
(でも、あくまで、「調味料」ではなくて「塩」として扱わないと、入れ過ぎて、塩っぽ過ぎる点、要注意。)

また、柚子の話だが、1個4gだと、90g取ろうと思ったら、23個くらい、必要。
今の時期だと、1個100円だとすると、これで、2300円もかかってしまう。
うへ〜、これはたまらない。

だから、柚子は、どちらにしろ、鍋物にするとき、買うことが多いし、また、これから安いものが見つかるかも知れない。
そういうときに、買っては、柚子の皮をすりおろし、二倍の青唐辛子塩を混ぜて、楽しめば良いような気がしてきた。

色々インターネットを検索してみると、青唐辛子ペーストを塩ラーメンに入れたり、カレーに、青唐辛子ペーストにすりおろしニンニクを混ぜたものを使っている例が見つかった。
う〜ん、もしかしたら、柚子を一緒に入れて、寝かせておいた方が味が馴染むかも知れないが、全部、柚子胡椒にしてしまうより、青唐辛子塩は青唐辛子塩で楽しんで、安い柚子が見つかったら、柚子胡椒にしてしまえばいいと思い出した。

で、先日、まんとうさんで売っている冷凍の「柚子胡椒」を見てきたら、90gで650円。(原材料は、柚子・青唐辛子・塩だけ)
確か、私は、このまんとうさんの冷凍の柚子胡椒が高いと思ったので、手作りしたのだと思うが、実際に、手作りしてみたら、これって、どうしてこんなに安いのかと、感じるようになってしまった。
手作りより、大量生産の方が安く作れるのだろうか?
来年から、面倒になったら、まんとうさんのを買おう。



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2002年11月09日(土)

ショーソン・ポム


母の病気で色々忙しかったので、ケーキ教室を長らく休んでいたが、9月末から、また、通い出した。
その2回目のメニューが「ショーソン・ポム」。
何かと思ったら、リンゴジャム状のものを、フィリングにした半月形のパイ。
出来上がってみると、良くパン屋でみかけるあれかととても納得した。

で、このパイを家族に食べさせたところ、お菓子好きの甥1にやたらに受けた。
受けたのはいいけれど、その誉め方が、「本当にまりが作ったの?」と言うのだ。(笑)

彼としては、市販品みたいに格好がいいし、美味しいし、おばさんがそんなもの作るの見たことがなくて、信じられない!と言いたかったみたい。

確かにね、今まで、私が作ったお菓子は、どこか、格好が悪くて、確かに市販品に比べたら、見劣りしていたものね。
今まで、私の作ったお菓子を美味しい、美味しいと食べていた甥であったが、実は、心の中で、市販品に比べて、格好悪いな〜とか、心の中で、感じていたのかしら?

こういうパイ類というのは、仕上げが肝心。
最後に焼く前に、ナイフで、パイの表面に線を描いたのだが、それがとてもきれいに焼けたせいもあると思う。

せっかくケーキ教室に通っているのだから、そして、もう中級なのだから、見栄えも考えて作らなくてはね、と、反省した私であった。



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2002年11月10日(日)

焼き豚


甥1は、どちらかというと、甥2ほど、食べ物に興味がない。
甥2は、自分の舌の良さに自信があるけれど、甥1は、そんなに、自信がない。

ある日の夕方、浅草のちんやに行ったら、ちんやの焼き豚の切れ端が、100g200円で、300gのパックになっていたので、買って来た。
(通常、まともなのは、100g270円)

買って帰ったら、甥1がいたので、「いいものあるわよ?」と、焼き豚の切れ端のパックを見せると、結構、興味がなさそうに、「あ、そういうもの」という感じであった。(お菓子だったら、ものすごく反応するくせに)
余り良い反応ではなかったので、「後で食べさせてあげようと思ったのに、興味ないなら、冷凍しちゃうからね」と言うと、このときは、きっぱりと、「だめ、焼き豚は冷凍すると味が落ちるから。僕、今晩食べるから、凍らせないでね」と言ったのだ。

のほほんと、出されるまま食べ物を食べて、その調理法や保存法に無関心な甥1が、焼き豚を冷凍させると、味が落ちるって、わかっていたのだ。
世の中、6年生の男の子だったら、そういうこと言うのが当たり前かどうかはわからない。
でも、この件は、日頃、お料理とか食べ物に無頓着な甥1でも、焼き豚を凍らせると、味が落ちて、解凍しても美味しくないということが頭に入っていることが明らかになった。
(ラーメンやチャーハンの具にするなら、冷凍しても使えるが)
あんたも、少しは、お料理に関心あるのね〜。
な〜んとなく、全然勉強できない子が勉強に関心があったことがわかった親とか先生の気分で嬉しかった。

ところで、浅草方面では、ちんやの焼き豚が一番美味しいと思う。
とても厚く切ってあって、脂身が程良くて、最高。
暮れが押し迫ると、この焼き豚を求める人で行列ができる。
ま、欠点は、たれは別売りで、70円であること。
浅草方面に遊びに来たら、試してみてね。(とくに、赤身が白いところが最高に美味しい。)



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2002年11月11日(月)

蒸しカステラ風シフォンに挑戦


糖朝の蒸しカステラは美味しいけれど、やたらに、カロリーが高くて、二度と作る気にならない。

だから、糖朝のレシピとシフォンケーキのスタンダードなレシピをにらめっこして、ミックスして、蒸しカステラ風シフォンケーキを作ろうと頑張った。
でも、糖朝の蒸しカステラは、エバミルクもバターも入るし、どちらかというと、スポンジに近いかなと思い、スポンジの配合も考慮した上で、下記レシピで、シフォンの型で、適当に作ってみた。

オーブンに入れてみると、ちゃんと膨らむし、見た目美味しそうなシフォンケーキが出来上がったが、やはり、分量の配合が中途半端なせいか、家族には殆ど受けなかった駄作で終わった。(涙)

20cmのシフォン型で、

卵       300g(5個とした)
きび砂糖    165g
薄力粉     100g
強力粉      50g
エバミルク    50cc
油        20cc

(絶対、このとおりに作らないでくださいね)

本当に、シフォンの型を使って、別立てで一生懸命卵を泡立てて、オーブンの温度さえ間違えなければ、どんな配合でも良く膨らむのではないだろうか?
そうだ、シフォンのレシピを考えるのは、結構簡単かも知れない。(美味しくなくても良いのなら)
でもね、私の考えた配合は、出来上がり、軽くも重くも、美味しくも不味くもないとカステラ風のものになってしまった。

4,5日しても半分くらい残っている我がオリジナルシフォンの姿を見て、二度とこのレシピは作るまいと心に誓ったのであった。(笑)



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2002年11月12日(火)

淋しいね


以前にも書いたが、私の母の叔母(80才)と叔父(85才)は、40代で、一大決心をして、脱サラをして、戸塚の郊外で、お豆腐屋をやっている。
(おばさん曰く、「家の夫は、『お世辞が上手な方でもなく、真面目一方だから、サラリーマンでは出世しないと思って、『真面目一方』の性格だからこそうまく行くであろう豆腐屋になったのだ」そうだ)
そのお店は、おばさんの読みが当たったのか、開店からずっととても繁盛して、お豆腐を売って、子供4人を大学まで出した。

先日、その大叔母が我が家に大量の油揚げと生揚げなどを送ってくれた。
で、姪である我が母がお礼の電話をすると、「商売が全然だめだわ。客に売るより、親戚に送る量の方が多くなってしまった。もう少ししたら、店を閉じようと思っている」とのこと。
何でも、昔からのお客さんは、皆年取ってしまい、中々、買いに来ない上に、若い人たちは、お豆腐や油揚げは、スーパーで買うものと思っているのか、お店に入って来もしないで、客が減る一方らしい。(後、素材を買わないで、お惣菜を買う人が多いのかも知れない。←料理する人が少なくなっているのだ)

親戚が言うのも何だが、そのおばさんの油揚げは本当に絶品。
親戚の間では、伝説の油揚げで、一度送ると、皆、また、欲しいものだから、大叔母さんの家に色々な贈り物を送ってくるとのこと。(笑)
でもね、本当に、このおばさんの油揚げで作ったいなり寿司は、適度に油が染みていて絶品。
我が家は、この油揚げをもらったときだけ、いなり寿司を作る。(母が)

うん、その美味しい油揚げが近所にあるというのに、お豆腐屋さんに入ってこない若い人ばかりが住んでいるって、淋しいね。
今の若い人って、皆、遠くまで働きに行っているから、忙しくて、スーパーで出来合いのものを買うのが精一杯だし、そんな生活していると、油揚げが美味しいだの、どこのお豆腐が最高なんて、こだわらないし、味を感じられない生活をしているのだと思う。

そう言えば、先日、やはり、横浜郊外に住んでいで、東京まで1時間半かけて働きに来ている主婦に、「私は、スーパーでお肉買わないから」と言ったら、「だったら、一体、どこで買うの?」と真顔で聞かれてしまった。(笑)
彼女の横浜の私鉄沿線の住居の周囲には、個人商店は何もなく、スーパーしかないらしい。
でも、そんな環境だからと言って、頭の中から、「お肉屋さん」という名詞が消えるものなのだろうか?
私には信じられないけれど....。

あ〜、淋しい、最近は、職住接近ではないことが一番大きい原因なのだろうか?
女性が働きに出ていることが原因なのだろうか?

経済的に豊かになっても、失うものも大きいと思う。
皆様、せめて、土日くらいは、手間暇かけなくても良いから、良いお豆腐屋さんのお豆腐とか油揚げを試して、楽しみましょうね。
美味しい食べ方とか知らなければ、お店で、「どういう風に食べれば美味しい?できるだけ簡単な方法で?」と聞けば、何か教えてくれるでしょう。
そして、こういう会話をお店の人とすることも、是非、楽しんでください。
(私なぞ、そういう生活ばかりしているから、6月に、母が入院していたとき、ただ買うだけのデパ地下やスーパーだけで買物が続いたとき、心がカサカサになってしまったが、最近は、カサカサにならない人が多いのだろうか?)



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2002年11月13日(水)

やはり、消えてしまったスーパースター


先月から、一人で騒いでいた佐竹の偕楽園という中華料理屋なのだが、やはり、腕の良い特級厨師のおじさんが辞めてしまったとのこと。
(11/1の感想を寄せてくださった方から、連絡があったのだ。)

で、代わりの人も特級厨師らしいのだが、先日、私に、塩っぱい葱油拌麺を作った人らしいので、(お店で食べることなしで)仲良しになったおばさん(といおうか、お姉さん)に聞きに行って来た。
何でも、新宿方面のお店に移ってしまったらしい。
また、この佐竹の偕楽園も、厨師が代わったことによって、中華しゃぶしゃぶの店として、セールスしていくことになるらしいのだ。

あのようなセンスのある味を出せる人が我が家の近所のお店にいるなんて、やはり、長続きしなかったのだ。

私としては、そのおじさんが根付き、色々な味を食べてみたかったし、あわよくば(変換できません)、2年後に控えている私の父の十三回忌がそこでできればいいなと思っていたのだ。
(でも、私のように、家族のご飯を作る係りのものは、通えても、日曜日のお昼に行くのが精一杯で、余り、良いお客にはなれなかったとも思う。)

また、後2週間残っていてくれたら、中華仲間と、ここであのおじさんの本当の実力を引き出すような宴会をやる予定だったのに.....。

所詮あのおじさん級の腕前の人が我が家の近所に残る筈がなかったのだ。
あのおじさんだったら、新宿でも新橋でも、もっと大きな繁華街の方が、自分の力を色々な人に知らしめることができるし、あのおじさんのためになることなのだと、思うしかない。
私の見果てぬ夢が当たり前に簡単に終わっただけなのだ。

でも、佐竹の偕楽園のフロア係りのおばさんと言おうかお姉さんと言おうか、そのちょうど中間くらいの年の女性なのだが、とても、清楚できれいで、感じがいい。
そのおばさんとは結構仲良くなれていたので、あのおじさんがいなくなったことにより、あのお店から自分の足が遠のくのはちょっと淋しい気がする。

腕のいいおじさんに作ってもらおうと、咸蛋を買っておいたので、そのお姉さんにあげると言ったら、「家にあるからいい。それより、自分で作りなさい」と、咸蛋豆腐の作り方を教えてくれた。
結構簡単そうだったけれど、本当にうまく作れるか、自信がないけれど、その内、やってみようと思う。(咸蛋は、半年は、腐らないとのことだから、ま、気が向いたら、やる予定)



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2002年11月14日(木)

女の子


我が甥2(小学校4年生)の同級生の女の子L子ちゃんのお母さんが、突然脳溢血で亡くなられた。
その子は、一人っ子で、小さいときから、両親に大切に育てられ、毎年毎年、お祭の時には必ず、長い髪の毛を結ってもらい、鼻筋に白粉を塗るお祭り用のお化粧をしてもらって、格好いい装束をまとう姿が目立っていた。
見るからに、「下町の箱入り娘」そのものであった。

そういう一人娘を残して旅立ったわけだから、近所の人が寄ると、「L子ちゃんが可哀想」という話になる。
可哀想とは思うが、10才で母を亡くした子供がどのような気持ちであるか、それは、体験したことのある人でなければわからず、きっと「淋しいに違いない」と想像するだけ。

我が家は、その家の近所なので、お通夜とお葬式の手伝いに人を出すことになり、お通夜は、私、お葬式は、甥たちのお母さんが出ることになった。

お通夜のお清めの場所で、忙しく、帰る人たちの食器を片付け、次に座る人のために、新しい食器を並べたり、ビールだ、お酒だと運んで、戦場のような忙しさであった。
そして、一般の人たちが帰った後、親族は親族で固まり、私たち手伝いの人たちは手伝いの人たちで固まって、晩い夕食を取った。
食事も一段落したときに、L子ちゃんに近しい人が来て、今日はお手伝いいただき、有難うとお礼を言いながら、「L子は、驚くほどしっかりしていて、反って心配になってしまう。殆ど泣かないで、お悔やみに来てくれる人を案内したり、それは、大活躍なの。今は、人が沢山集まることが多いから、大丈夫かも知れないけれど、もっと後になって、落ち着いたら、泣かれるかと思うと....。」と、L子ちゃんの健気な様子を教えてくれた。

その内、L子ちゃん自身も、私たちの席の近くに来て、元気な様子で、「あたし、カレーは作れるの、チャーハンはちょっと無理かな」と言う。
さすが、女の子だ、お母さんが死んだら、自分がご飯を作らなくてはいけないと思うのか、頭の中で、お母さんの代わりにご飯を作る自分をイメージしているのだ。

それを聞いて、励まさなくてはと、私は、「私は、L子ちゃんと同じクラスの甥2のおばさん。甥2なんて、カレー作れないわよ、L子ちゃんは、カレー作れて、甥2より偉いね」と言ったのだ。
(私とL子ちゃんは、日常殆ど顔を合わせることがないので、お互い、知らないのだから、まず、私が誰なのかを告げたのだ。)

それを聞いて、L子ちゃんは、不思議そうな顔をして、「甥2ちゃんは、お母さんが二人いるの?」と聞き返した。
あら?私は、「おばさん」と言ったのに、聞こえ難くて、お母さんと聞こえたのかな?と思った。

近くにいた人が、「お母さんではなくて、お・ば・さ・ん。ほら、甥2ちゃんのお父さんのお姉さん」と説明してくれた。
あ、そうなのかという感じで、話は続き、そのうち、L子ちゃんは、また、親族の間に戻って行った。

次の日、会社で仕事をしながら、「今頃、お葬式なのかな」なんて考えていたら、あのL子ちゃんの「甥2ちゃんは、お母さんが二人いるの?」と言った言葉と不思議そうな表情が思い出された。
そうだ、あれは、元気そうに見えるL子ちゃんだが、やはり、実は、心の奥底では、お母さんが死んでしまったことに困っていて、お母さんがいなくなったことを元に戻す何かいい手立てはないかと探しているからこそ、発した言葉のような気がし出した。
甥2ちゃんにお母さんが2人いるなら、私だって、どこかにもう1人いるかも知れない、そうだったら、1人お母さんが死んでも、もう1人いるわけだから、突然自分が置かれてしまった「お母さんがいなくなった状況」が元に戻るかも知れない、とまで思ったかどうかは、わからない。
ただ、どうにかして、またお母さんがいる状態に戻らないかなという願望が、聞き間違いを起させたような気がした。
そう思うと、L子ちゃんの心の奥底に存在する「困っている状態」に触れたようで、とても可哀想になってしまった。

私は何もしてあげられない、でも、L子ちゃんが、お母さんに代わるL子ちゃんを包む愛情を沢山見つけられますようにと祈る。
(L子ちゃんのお家も大家族だし、近所の人も皆彼女のことを心配しているから、少し安心している。)



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2002年11月15日(金)

干し柿


9月の終わりか、10月の初めに送られてきた柿が甘くなかったのだ。
そうしたら、母は、「やってみよう」と、小さい時取得した技術を生かして、東京で、干し柿を作ってしまった。

2度作ったのだが、1度目は、まだ、気温が高く、しかも、雨の日が多い一週間で作ったせいか、色が悪かった。(絶対、食欲を起させない、青いかびが所々についているような出来上がり)
それでも、母と甥2は、「美味しい、美味しい」と食べていた。

2度目は、ちょうど寒くなり出したときの一週間で、晴れの日も多く、きれいに出来上がった。
こちらは、私も食べてみたが、ちゃんと甘くなっており、美味しかった。
(でも、渋かった柿を干すと、甘くなるというのは不思議だ。
水分が飛んで、甘さの濃度が増えるということか?う〜ん、わからない。)

作り方は、柿の皮を剥き、柿の中心部に水平に竹串を刺して、柿の両脇に竹串の端が出るようにする。
その両脇の竹串の端を、縦一列に柿が並ぶように、たこ糸で結わいたら、そのタコ糸二本の一番てっぺんを、例えば、ハンガーに結わいた形にして、外で干すのだ。
夜も干して良いようだが、雨が敵とのことだから、雨が降りそうな夜は、屋内に干していた。

母は、山梨のおじさんに、「干し柿を作った」と話したら、今度は、本当の渋柿を大量に送ってくれた。
今回、干し柿用に送られてきた柿を見ると、枝から切り落とさずに、皆、柿の幅くらいの枝がついた状態であった。
ちょうど、柿のへたの上に、T字型に枝が付いている状態とでも言おうか?

田舎で干し柿を作るときは、たこ糸ではなく、縄を使うそうなのだ。
縄は、2本以上の繊維をよってあるから、その繊維の間に、柿の枝の先を入れれば、それだけで、縄2本の間にぶら下げることができるそうだ。

これが、本当の作り方かも知れないが、都会で、干し柿を作ろうと思うときって、買って来た柿が甘くなかったというときだろうから、我が母のように、竹串を使うやり方が参考になると思う。

しかし、叔父が渋柿を送ってくれたときと同じ時期に、母のお姉さんが、自分が作った干し柿を送ってくれたのだが、この道がすっごく長い人の干し柿は、売り物になりそうなくらい、上手であった。



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2002年11月16日(土)

チャーハンに凝る週末


毎日の夕飯の献立も面倒だが、一週間で余ったご飯の処理というのも、頭が痛い。

だいたいは、オムライスや親子丼を作るか、気が向くと、カレーを作って、土日のお昼どちらかに食べて、処理している。

しかし、ある日、チャーハンを作ったら、結構、喜ばれて2度続けた。
3週続くのはしつこいかと思って、甥の家にあげると言ったら、甥2とその父で、次の日の朝、チャーハン僕が食べるからねと、取り合いするくらいに、喜ばれた。

こんなに喜ばれるのなら、今度から、毎週、日曜日にチャーハン作って、甥の家にあげても良いな〜と思うようになった。
また、私も、会社のお弁当にチャーハンを持って行ったのだが、電子レンジでチンして食べると、普通の白いご飯より、美味しいような気がした。
こうして、我が母と妹は、土日に、残り物ご飯料理を食べなくて済むようになり、月曜日の甥2とその父の朝ご飯、また、私の月曜日のお弁当にと、喜ばれて、食べられるようになりそうなのだ。

それにしても、チャーハンを作る時って、「料理をしている」という凝縮された充実感があるから、とても好き。

ご飯をどうするかで、時間はかかるが、ご飯問題を除いたら、30分もかからない間に、頭で作戦を描いて、そのとおりに身体を動かせば、結構完成度の高い物を作ることができる。
他の料理に比べて、短い時間での緊張感と醍醐味があって、好き、結構、癖になりそう。(というのは、思うように行かない点もあり、水準が高い物は出来てはいるが、まだ、本人、完璧と思うに到っていない。)

一番の問題は、ご飯のパラパラ度。
ご飯は、なるべく薄くお皿に広げて、電子レンジで、ラップをかけずに、相当熱くした後、外に出して、時々上下を入れ替えて、水分を飛ばす。
30分の一番最初にこれをやるのだが、30分では、思うように水分が飛んでいないような気がするのだ。
もうちょっと前からやって、ご飯が生温かいくらいまで冷めてもいいから、水分を相当飛ばした方が、より、パラパラの美味しいチャーハンができるような気がするのだ。

ご飯のパラパラ度は、強火で一気に炒めるのも大切だが、実は、その前の、ご飯の水分をいかに飛ばしておくかも、同じくらい、大切なような気がしている。

後は、
 1.卵は冷蔵庫から出して、常温に置いておく。

 2.チャーシューと長い葱を刻んでおく。

 3.あれば、海老やタケノコもみじん切りにするけれど、こういうものは、一旦
   油通しをして、火を通して、油を切っておく。
   (鍋を油になじませるのも、この段階でやっておく)

 4.卵を溶く。

 5.ご飯の量を、お茶碗2杯くらいに分けておく。

 6.全ての材料を手元に置く。

 7.北京鍋を強火で十分熱して、油を入れ、油を鍋全体に行き渡らせるよう、グ
   ルグル鍋を回す。
   (卵は、ご飯2膳に対して1個)

 8.4の卵を入れて、お玉で一かきしたくらいの殆ど、まだ、卵に火が通ってい
   ない状態で、ご飯を入れる。
   鍋を向こう手前に動かしながら、おたまの背を鍋底にくっつけるような感じ
   で、鍋の動きと反対の方向に動かして、ご飯と卵が混ざるようにする。

 9.どのくらい炒めるかというと、ご飯がつやつやしてきて、油が乗ったような
   感じになるまで。

10.そうなったら、具を入れる。
11.葱は、水気が出るそうなので、最後に入れて軽く混ぜると、物の本に書いて
   あるので、そのとおりにしている。
   (最後に入れても、よく混ぜると、余熱で熱が通るようである。)

12.具が全部混ざったら、薄めに、塩・胡椒を振って混ぜ、最後、醤油をほんの
   少し、鍋肌から注いで、焦がすと同時に、ご飯に混ぜ込み、風味をつけ
   る。

13.火を止めて、味見して、塩・胡椒を足して、大きく混ぜたら、出来上がり。
   (火をつけて、ほんのちょっと炒め直す)

今まで3回やったが、手順は、ちゃんと間違いなくやっているのだが、難しいのは、やはり、ご飯を電子レンジでチンした後、乾かす作業と、卵の中にご飯を混ぜるタイミングである。

ここらへんは、試行錯誤で、うまく行ったり行かなかったりなのだけれど、以上の手順で、家庭の電熱の強火で、ご飯茶碗2杯くらいの量で、一気に作れば、相当パラパラのチャーハンができることは確か。

今の30分前に、ご飯を電子レンジでチンして乾かす程度でも、相当パラパラで、「まりちゃんのチャーハンは、パラパラで軽くて美味しい」との評判は取っている。(ただ、作っている私が満足していないだけ)

甥2と甥のお父さんが私のチャーハンを楽しみにしてくれているので、これからも、毎週、日曜日の夜は、チャーハンを作り続けて、チャーハンのプロになろうと思っている。
(続けて作れそうなので、嬉しい。)



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2002年11月17日(日)

新大久保アジアスーパーマーケット


MLで、新大久保に「アジアスーパーマーケット」というお店があって、生の胡椒を売っていると、聞いた。
現在、高田馬場勤務の私としては、歩いて行ける場所なので、仕事が暇な日、1時間早退して歩いて行ってみた。

早稲田通りから明治通りを右に曲がって新宿方面に、向う。
歩きながら、通ったことのない東京の街を歩くって楽しいと感じる。
私が機嫌良く生きて行く上で、この「東京の街をフラフラ歩く」という行為は絶対に欠かせないとも感じた。
これがないと、私が私らしく生きていけないような気さえする。

「もり」というこの前行ったお蕎麦屋さんを過ぎると、「フォー」というベトナムのうどんの専門店がある、ここも、お昼に行ける距離なので、今度行ってみようと考える。
ずっと歩いて行くと、公園があって、「戸山公園」と書いてあった。
寄り道している時間はないので、パ〜ス。

そのまま、真っ直ぐ行くと、早稲田大学大久保キャンパス(という名前だったと思う)、あ、早稲田の理工学部はここにあるのだと初めて知る。
ここらへんになると、見覚えある街並みになってきた、確か、会社に勤務していた頃、何かの用で来たことがあった。
そのままずっと行くと、右に曲がったら、新大久保の駅というところまで来て、ここまでで、私の足で、20分以上かかってしまった。

そこを曲がらないで、まだまだ真っ直ぐ行くと、大江戸線の東新宿の駅がある通りと交差して、良く見ると「職安通り」との表示があった。
な〜んだ、高田馬場の明治通りを真っ直ぐ新宿側に進むと、大江戸線の東新宿に突き当たるのだ。
この2月末かに、新宿の伊勢丹のクイーンズの方から、東新宿まで歩いたことがあったので、ようやく、新宿・大久保方面の地理が頭に入った感じ。

多分、ここを右に曲がると、あの韓国料理のお店が沢山ある地域なのだとわかり、右に曲がると、美容家の山野愛子と書かれた門があった。
そこを越して、程なく行くと、赤札堂というスーパーがあった。
2Fへの階段のところにある2Fの案内図を見ると、そのスーパーは一番奥にあった。
スーパーというのに、マンションの2Fの一番奥にあって、そして、静かな雰囲気なビルであることがちょっと気味が悪かったけれど、入ってみた。
一番奥に突き当たると、まず、タイ式マッサージのお店があって、次が、東南アジア風の美容院で、その奥に、「アジアスーパーマーケット」の表示が見えた。
静かで活気はないけれど、このマッサージと美容院とマーケットが並んでいることこそ、アジアっぽい異国情緒を感じた。

で、そのスーパーは、小綺麗だし、さっぱりして、明るい雰囲気。
棚や冷蔵庫にずらっと商品が並んでいて、見易いし、買い易い。
でも、商品の半分以上は、タイ語の表示しかなくて、これは一体何なのだろうと思うような物も多かった。
面白いものが多いと聞いて行ったのだが、私が見つけた珍しい物は、
    フライドイナゴ

    虫義の卵(その時はわからなかったのだが、虫義って、タイ人の人が、
    「蟻」と書いたつもりなのだ。)

うへ〜、ま、イナゴは、日本でも食べる地方はあるけれど、蟻の卵か、買う気は起きなかった。(笑)

高田馬場にも、タイの食材売っているお店があるけれど、そこより、数段ディープなタイの素材屋さんで、面白かった。
タイ料理作る人には、たまらない店だ。

我が家からも行こうと思えば、大江戸線一本で、タイ料理の良い食材屋さんに行けることがわかって、良かった。(いつでも行けるからと、この日は、何も買わなかった。)



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2002年11月18日(月)

神保町の中国書店


普段の日、会社を休んで、神田方面で、家の用をこなした帰りに、神保町に行ってみた。
人から聞いたのだが、神保町の中国専門の書店には中国のお料理の本があると、聞いていたのだ。

神保町の古書店が並ぶ靖国通りを一本入ったすずらん通りの真中あたりにある、内山書店に行ってみた。
二階に、ちゃんと、料理専門書コーナーがあった。
日本語の普通の中華の本も沢山置いてある。
新刊本が次々と出てくるので、普通の本屋だったら、もう店頭に並べなくなってしまったような日本語の中華の本も揃っていた。
中でも、目を引いたのが、この前、高田馬場の古本屋で私が見つけた「香港の家庭料理」の本が、新刊本として並べてあったこと。
この本、見たことがないと思っていたけれど、もしかして、こういう中国専門店でしか買えないものかも知れないと思った。
下手な本屋さんより、豊富な中華料理の本が揃ってはいたが、そんなに目新しい物はなかった。

その次に、三省堂の方に歩いて行くと、左手(三省堂側)に、東方書店を発見。
あ、そうだ、ここも中国の専門店だと思って入ってみる。
このお店も、2Fに中華料理本のコーナーがあった。
品揃えは、内山書店と余り変わりはない。
でも、中国語で書かれた日本料理の本なぞ、あって、面白い。

東方書店は、料理の本より、入口近くに、中国語のテキストが沢山あって、わ、本当に中国語やらなくてはという気分にかられてしまった。

でも、今、何のノルマもなく、中国語をやっても、絶対挫折するのは目に見えているので、通信教育がいいかな〜と思っている。
どなたか、中国語の通信教育で、良いのがあったら、是非、教えてください。



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2002年11月19日(火)

パイ作り体制整う


また、パイの季節がやってきた。
昨年は、初級でも習って、美味しさに感激したが、作り込む程のことはできなかった。
今年は、沢山作って、パイ名人になりたい。
スポンジは、自分で焼いた方が安いという理由から飛びついたけれど、パイは、自分で作った方が、明治発酵バターを使うと、市販のパイより絶対的に美味しくできる。(ま、高級なお店のパイだったら、負けるかも知れないが)
是非ともうまくなりたいし、早く慣れて、手軽に作れるようになりたい。
(我が母が、私がケーキ教室に通うようになって、一番美味しい出来は、「パイ」だと断言していた。)

でも、私は、どちらかというと、お菓子としてのパイよりも、ミートパイ、ソーセージのパイの惣菜としてのパイに魅力を感じている。
で、今般、通っているケーキ教室で、「サーモンパイ」の特別教室があるとの張り紙があったのだが、何と、上級限定とのこと。
私は、現在中級で、上級まで後24時間も残っていて、月に1時間のペースだと、このサーモンパイに辿り着くまで、後2年もかかることがわかって、通うペースを少し早めようと思った。

秋の初めに、御茶ノ水のサラファンで食べたピロシキが美味しかった。
牛肉の挽肉と玉ねぎの他、短く切った春雨が入っており、これがスープを吸っていて、口ざわりといい、味といい、全体を引き立てていた。
ピロシキは、パンで作るのだろうけれど、この春雨入り挽肉をパイの中に入れても美味しいのだろうな、作ってみたいななんて、色々アイディアは浮かぶ。

また、今年は、もう二度程ケーキ教室で、速成折りパイのリンゴ系統のお菓子を習った。
この復習もしなくてはと考える。

で、これらをスムーズに且つ余り追加投資はしないで作る方法を色々考えたのだ。
パイは、作るのに時間がかかる、作業時間は、そんなに長くないのだが、生地を冷蔵庫でしょっちゅう休ませないとできない。
「伸ばして折って冷蔵庫で休ませる」を何度となくこなすには、まず、いつでも麺棒で伸ばせる場所の確保が必要。
プラスチックのテーブルなら、その表面を使ってもいいし、何か、パイを伸ばす場所を確保しなくては、話にならない。

その上、教室では、ものすごく大きなボウルに粉とバターを入れて混ぜるが、私は自宅にそんなに大きなボウルを持っていないし、買うのは勿体無い。

で、この2つを解決するために、90cm四方の木のテーブルをきれいに片付け、その上に、新聞紙を広げ、ずっと昔に買った大理石の板を置いた。
木の板だったら、無理だけれど、大理石の板だったら、その上で、粉とバターと水を混ぜることができる。
使った後、きれいにして、新聞紙を代えて、何かカバーをかけておけば、普段は、普通に何か他のものを置いたりできるようにすれば良い。
(で、実際にそこで作業してみたら、新聞紙は、大理石の周囲だけではなく、足元にも、敷いておけばよかったと後悔した。)

場所は確保できたが、後は、道具だ。
プラスチックのカードが2枚、麺棒、打ち粉を払うブラシ、パイの厚さを均一にするための補助の棒、パイを抜く抜き型、これらの道具が揃えるのに、2週間くらいかかってしまった。

さて、道具も場所も揃ったのだが、中々パイは作れなかった。
パイは、部屋が寒い方がいいわけで、他の料理の合間に作れそうな気もするのだが、例えば、献立の都合で、うどんなぞを茹でてしまうと、パイを作るのには、部屋の温度が高くなりすぎているような気がしたりで、中々、パイが作れなかった。

(明日書くけれど、)足りない道具を揃えて、とにかく体制だけは、できた。



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2002年11月20日(水)

パイの道具を揃える


去年は、パイの打ち粉を払うブラシを探し回って、おかしの森で手頃なのを見つけた。
また、45cmの長さの麺棒(下ごしらえ用)も見つけた。

今年は、これに加えて、30cm程度の麺棒(仕上げ用)と、4mmの厚さに伸ばす補助棒2本組が欲しかったのだ。

短めの麺棒は、合羽橋の新井さんにちょうど良い長さのものがあって、「これ、ください」と行ったら、お店の人が、「これって、1200円もするんだよ、本当に買うの?」と聞いてくれた。
値段が書いてなかったから、何も考えないで買う気になったけれど、お店の人にそう言われたら、やはり、手が引っ込んでしまう。(笑)
で、もっと安いのはないかと聞いたら、軽めで、同じ長さのものが400円だそうで、それに決めた。
(新井さんって、高い物が売れた方がいいだろうに、親切。
実は、私の合羽橋HPには新井さんは載せていないが、なぜかというと、以前大理石の板を買うときに、負けてくれと言ったら、素っ気無い言い方で負けてくれなかった思い出があるから。<笑>
でも、今回の件で、今度の改訂のときは、載せたいと思っている。)

何でも、高いのは樫の木製だそうで、ずっしりと重く、上等なもののようだった。
こういう場合、高くても良いものを買った方がいいのか、安いもので十分なのか、わからないが、現在、パートの薄給の身だから、分相応の方を買うことにした。(後で、ケーキの先生に聞いたら、麺棒は、安いもので十分なのだそうだ)

パイ生地やタルト生地を伸ばすとき、厚さ2mm、3mm、4mmなぞの厚さの細長い棒状の板を両脇において、その上に麺棒を跨がせて、その間で生地を伸ばすと均一に、同じ厚さに伸ばせるのだ。
しかし、これを合羽橋で買うと、プラスチック製や金製のものが結構良いお値段。
私は、以前金持ちだったときに、2mm、3mmを買ってあったのだが、4mmは持っていなかった。
で、聞いたところによると、浅草橋のシモジマの文房具売り場で、厚さ4mmとか、2mmの工作用の木材の棒(1mくらいの長さ)を売っているそうなのだ。
これを買って来て、2本に切って使えば、安く上がるとのこと。
実際買いに行ったら、62円だかで買えてしまった。
切るのが面倒な人は、合羽橋で高いのを買えばいいけれど、安く上げたい人はこの方法がお勧め。←これもケーキ教室で習った知恵。



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2002年11月21日(木)

正宗


今の季節、アメ横センタービルの地下街に行くと、主役は何て言っても、「上海蟹」。
上海蟹を売っているお店を見てみると、上海蟹にも2種類あって、「上海大閘蟹」とだけ書いてあるものは結構廉価で(100g480円程度)で、「正宗陽澄湖産」とその前に付くものは、その5割程度高い値段であった。
以前、上海の湖で取れる蟹を上海蟹と呼んでいたものが、大量に需要が増えて、モクズ蟹全て上海蟹と呼ぶようになったようなことを聞いたことがあるけれど、正宗陽澄湖というのが、上海の湖なのかと疑問であった。

で、ある日、妹に撮ってもらったNHKの中国料理の番組を見ていたら、中国語で、「正宗」(せいしゅう)というのは、「本場の」「生粋の」という意味だと言っていた。
そうなのだ、だったら、正宗陽澄湖というのがあるわけではなくて、陽澄湖というのが、地名で、本場陽澄湖産という意味なのだと納得した。

また、中国料理の本を読んだら、陽澄湖は水がきれいで、そこで取れた蟹は、青っぽく、足に生えている毛は、金色。
他の湖の蟹は、黒ずんでいて毛も黒いと書いてあった。
(陽澄湖は、水がきれいだから、味も良いらしい。)

で、物好きに、また、アメ横に見に行ったが、確かに、陽澄湖産と書いてあるものの方が、こころなしか、黒が薄くて、青っぽく見えないことはない。
ただ、高い陽澄湖産の蟹は、赤いリボンで結わかれていて、安い普通の上海蟹は、縄のような味気ないもので縛られていた。
毛の色は、言われてみれば、陽澄湖産の方が金色っぽく見える気もするが、普通の上海蟹の毛も、金色のようにも見える。
(何か、じっと見ていると、赤いリボンの方が、毛の色をより金色に見せているような気がする。)

ところで、小さいときから、刀の名前に「○○正宗」とか、灘の清酒で、「桜正宗」「菊正宗」と言った言葉には馴染んでいたが、正しい意味がわからなかった。

辞書を引いてみると、刀の方は、正宗さんという人がいたから、正宗らしい。
でも、灘の酒の方は、中国語の意味をそのまま含んで、日本語読みにして、使っているのではないかと思ったが、本当のところは良くわからない。



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2002年11月22日(金)

キャベツのスープ


ロシア料理店のボルシチって、とても美味しい。
ビーツと牛肉とそして、キャベツの美味しさなのだが、店によって美味しさが色々なような気がする。(その店独自の味というか)

この前、9月中旬に、御茶ノ水のサラファンで食べたボルシチがとても美味しかった。
自分でも作りたいと記憶してきたのが、牛肉が少ないこと、それから、キャベツが口に含むと、一瞬にして溶けてしまうというか、崩れてしまう柔かさが美味しさの秘密かと思った。

で、ちょうど同じ時期に、我が家では、どういうわけか、私が細く切るキャベツの千切りサラダが受けて、良く食べていたので、中の方の余り生食には向かない部分が常に冷蔵庫でゴロゴロしていた。
これらをどうにか捨てずに使いたいとも考えていた。

色々考えたのだが、やはり、どう考えても、ホロホロ感は、保温鍋クッキングかな、それから、キャベツは、一度炒めた方が青臭さが抜けるというから、この2つのポイントを重視して作ったらうまく行くのではと考え、実践してみた。

お肉は、神楽坂のスーパーでバラ肉の切り落としの小さいパックが安かったとき、冷凍したものがあったので、それを使うことにした。

お肉を解凍し過ぎない程度に解凍し、塩・胡椒して炒め、その後、ざくっと芯ごと切ったキャベツ、薄切りした玉ねぎと人参を少し加えて炒めた。
(じゃがいもはどうしようかと迷ったが、キャベツが甘い素材なので、今回はパスした。
でも保温鍋で静かに煮れば、じゃがいもの甘味も抑えられるから、入れても良いと思う。)
保温鍋の内側の鍋にそれらを入れて、水とチキンブイヨンを加えて、4,5分グツグツ強火で煮て、アクを取ったた後、保温鍋の外側にセットした。
20分経って、出してみると、まだ、キャベツは柔かくなっていなさそうだった。(キャベツって、火が通って柔かくなると、葉が透き通るのだが、まだ、全然透き通っていなかった。)
再び内鍋をガスにかけて、沸騰させ、再度、保温外鍋の中にセットして、後20分、保温状態にしておいた。

最後味を見て、塩・胡椒をして、醤油をたらした。

出来上がっていざ食べるとき、私はお腹が一杯で食べなかったのだが、妹と弟が美味しそうにキャベツを食べていた。
二人とも、スープの中の大量のキャベツを除けないで、ごく普通にキャベツを口に入れていた。
これは、結構、美味しく煮えているに違いないと、翌日、温め直して食べてみたら、サラファンにはちょっと及ばないけれど、口の中でほろっととろけるような食感で、うまく煮えていた。
このキャベツをところどころ焦げ目がつくまで、キャベツを炒めて、保温鍋で煮るのって、キャベツの美味しい食べ方だと思う。
(今度、20分を三回でやってみます。)



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2002年11月23日(土)

明るいということ 1/3


「暗い女なんて、心外」というメールが来た。
そんな風に言ったつもりはないのに....。

実は、この2,3か月、私は問題を抱えた女性に悩まされている。
彼女は、30代前半で、春に結婚をし、初めて親元を離れ、初めて共働きをし出して半年が経ったところで、疲れが溜まってしまったように見えた。
彼女のその疲れの症状は、「周囲の人が聞こえよがしに私の悪口を言っているのが聞こえる」というものだった。
仕事中、人気のない部屋に呼び出されたり、一緒にお昼ご飯を食べに行くとき、それを1対1で、私に訴えていた。
色々慰めた。
私も、彼女が彼女の悪口を言っているという人たちと常日頃接することもあるけれど、確かに、中には癖の強い人もいる。
でも、そういう人を含めても、彼女のいう大勢の女性が、「人の悪口をその本人に聞こえるように言う」程、非常識な人とは思えなかった。
特定の一人がそういうことをしていると言われれば、少しは信じたかも知れないが、彼女の愚痴を聞く度、彼女の指摘する「聞こえよがしに彼女の悪口を言う人」が入れ替わっているので、段々、「これは、彼女の心理状態から、そう聞こえてしまうのかな」と思うようになった。

ちょっとした聞き間違え程度で、すぐに収まるだろうと思っていたのに、2,3か月したら、私に涙ながらに、自分の悪口を言われて悔しいと訴えるようになった。
こんな経験、初めてだったけれど、女性に涙を流されながら、私の目には見えない他人のひどい行動を訴えられると、本当にオロオロしてしまう私を発見してしまった。

そして、彼女は私の友人であるし、一生懸命慰めた。

人が悪口を言っているとしても、それは、何かを誤解しているからだわよ。
もし、その誤解が解けたら、悪口はなくなるわけだから、それまでの我慢よ。
それに、その誤解からの悪口だって、「ちょっとした」ことで「重大なことではない」と考えられない?

「そんなに暗いことばかり考えないで、もっと明るいことを考えるとか、好きなこと習ったりしたら?
傍で見ていても、会社と家事で、毎日大変そうだから、週に一度は、『夕飯を作らない日』を決めて、好きなこと習いに行ったり、友達と遊びに行ったら?そうでなかったら、誰だって疲れ切ってしまう。あなたの中に、好きなこととかが少ないから、それを作ったら」と言ったのだ。

その「そんなに暗いことばかり」と言ったことを彼女は気に入らなかったのか、「暗い女なんて、心外」というメールが入っていたのだ。

これには、本当に呆れた。
私は、「自分の悪口を言っているのが聞こえる」と泣いているのを見て、「暗い」と言ったのであって、別に彼女の根っからの性格を暗いと言ったわけではない。
それに、足りないかも知れないけれど、私は私なりに、一生懸命気を遣って、彼女を傷つけないように話していたつもりだったのに、はっきり、文句を言われたことはショックだった。(メールの最初に「今日は有難う」の言葉はあったけれど)
このことで、彼女は、ちょっとした自分に対する批判的な言葉を拡大解釈する癖があるのではないかということに気付いた。

今回の件では、「私はそんなことは言っていない」と答えても、また、何か、私の言葉尻を捉えて、悪い風に解釈されそうなので、黙っていることにした。
そう、私は、やはり、自分の前でオロオロ泣く女性を慰める行為だけで、精一杯で、それ以上のこと、すなわち、彼女の気に入るような受け答えをする能力はないと思った。

このとき、もう会社に行くのが怖いような気がし出した。
今まで、2回彼女に呼び出されて泣かれたのだが、それが両方とも木曜日の午後であることに気付いた。
そうだ、彼女は、往復3時間以上の通勤時間と会社の仕事(でも残業はない)と家事で疲れ切るのが、木曜日で、その日になると、自分の悪口が聞こえる出すのだと、思えた。

正直、今度、彼女に、二人っきりになることを強いられたら、私は、ヒステリーを起こしてしまうかも知れない。
彼女の涙を慰めるだけでも私にはとても負担だというのに、しかも、私が一生懸命言葉を選んで気を遣っているのに、慰める言葉を悪く解釈する彼女を責めないで、話すことは、私にはとても難しいことのように思えた。

そう、私は、あなたの思うように慰める能力がないから、止めて、と言いたかったのだ。



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2002年11月24日(日)

明るいということ 2/3


彼女は、「暗い女なんて心外」と書いてきたが、私を人気のないところに呼び出し、涙ながらに「自分の悪口が聞こえる」と訴える行為を、どうして「暗い行為」と考えないのが不思議であった。

また、勤務時間中、どうにか、目立たないように彼女と二人だけになることを避けながら、彼女のことを気にしていた。
その後、彼女が、ごく普通に、ニコニコと周囲の女性と世間話をする光景を何度か見た。

その光景を見て、「彼女にとって、『明るい』ということは、にこやかに人と話すことでしかないのだ」と理解した。
そういう価値観の彼女にとって、やはり、彼女は自分から見れば、「明るい女性」であることは間違いない。

私のこれから書くことは、私の推測にしか過ぎないから、真実とは違うかも知れない。

彼女は、きっと、ずっと、とても厳しく育てられていて、いつも秩序正しいこと、倹約とか我慢を強いられて、良い子でいたのかも知れないと思った。
親に何かを買ってもらって嬉しそうな顔をすると親も喜んでくれたなんていう思い出が何もないのかも知れない。

他所の人と仲良くすることよりも、例えば、成績やお行儀で、他の子に勝つことを強いられ、負けそうになると、「あんな大したこともない子達に、どうしてあなたが負けるの?頑張りなさい。あんたは、そこらへんの馬鹿な子とは違うのだから」とか、お母さんから吹き込まれて、叱咤激励されて育った子供時代だったのかなと思った。

そういう子は、大きくなってから、偶然自分と同じ環境で同じ時間を過ごすことになる他人を、どう捉えていいのかわからないのかも知れない。
「弱点もあるけれど、良いところも沢山あり、人から誉められたり、親切にされたり、理解されると喜ぶ、その反対は悲しい気分になる」自分の心と同じ心を持った人間と捉えることもできないで、周囲の人の気持ちが全然読めないか、無理して読もうとすると、昔からの経験で、「自分より大したことのない人間、お行儀が悪い人間」としか考えられずに、ちょっとしたことから、他人を悪く思ってしまう思考回路になっているのかも知れない。
普通、人間は、誰でも信用していいというわけではないけれど、学校や職場の周囲の人をごく普通の常識がある人と思って、付き合い出すと思う。
中には変な人がいて、うんざりすることもあるけれど、それでも、どうにか、うまく付き合わなくては、とか、いいところを大きく見るようにするとか、この場限りの付き合いだと割り切るかができると思うのだけれど、もしかして、それは、小さいときからの訓練の結果なのかも知れないと思った。

どちらにしろ、今の彼女にとって、明るいということは、「にこやかな顔で人と話せること」にしか、過ぎないのだ。
でも、このことで、本当の明るさって、周囲を信頼することができて、人と気持ちを交わすことができて、その気持ちが自然に現れて、にこやかな、そして穏やかな表情になることなのだと、反対にはっきりわかってしまった。

また、それまで、私は、べたべたした女性たちの自分の仲間だけの利益を考えているように見える付き合い方が嫌いだった。
でも、このことがあってから、私からすると気持ちの悪いベタベタした女性同士の関係だって、それは小さな世界のことを大事にし過ぎるという欠点はあるかもも知れないけれど、「この人には好かれたい、この人には快適に過ごして欲しい」という優しい気持ちの交流があるからこその関係に思えるようになった。



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2002年11月25日(月)

明るいということ 3/3


そんなことで思い出したのが、春に読んだルース・ライクルの「大切なことはすべて食卓が教えてくれた」の中の「大人になる準備」という言葉だ。

このことが何を意味するのか、この本の中で、具体的な説明は載っていない。

その言葉は、お父さんの最初の奥さんが、精神を患って、若くして死んでしまったのだが、その原因として、お父さんが「彼女は、子供の頃、『大人になる準備』がされなかったのだ」と語る中として、使われる。
そして、ルース・ライクルのお母さんも躁鬱病で、ルース・ライクルは、ずっと心の中で、「いつか、私も母のように、躁鬱病になるのでは」という不安を持ちながら、育つことが描かれている。

このルース・ライクルのお父さんの二人の奥さんの共通点は、「インテリ」であることだ。
両方とも、豊かな家庭に生まれて、家で料理や家事の手伝いをすることもなく、自分の才能を磨くことに小さいときから専念していた。
でも、結果として、一人は若くして精神病で他界し、もう一人は、ずっと躁鬱病で、周囲を悩ませることになる。

ルース・ライクルは、幸運なことに、自分を磨くことはさておいて、母親以外の愛情に溢れる数人の女性たちに、料理をしたり、食事をしながら、色々なことを教えてもらい、可愛がられながら、大きくなることができたので、自分では怯えてはいたが、ある程度、大人になったときに、「自分は精神病にならなくて済む」と確信できたのだ。

私の人生を振り返っても、世間の人が好意的に見てくれて、そして、人に勝ったり、自分を一生懸命、磨くのに熱中し、また、それらを評価される時期は、20代くらいまでではないのだろうか?と思う。
そこから先は、幸運な人はずっと注目されているだろうけれど、大方の人は、平凡な生活に埋没していき、自分が注目されなくなり、反対に若い子を励ましたり、好意的に見る方に回ることになるし、自分が勝ち続けることより、自分の置かれた会社とか家の周囲の人と仲良くやっていくことが、快適に暮らす重要なポイントになっていく。
そういう時期が来たとき、小さいときから、周囲の人が自分と同じ「弱いところもあり、人から認められたがっている人間、ちょっと時間はかかるかも知れないが、探せば、長所が見つかる人間」と考える習慣のない人、そして、「他人が『この人を良く解釈しよう』と考える習慣があるから、自分が世間とうまく行っているのだ」と感謝できない人が、ノイローゼになっていくのかも知れないと思った。

人間、美や才能を競うなんて、20代くらいまでの話で、それから先の話、ノイローゼにならないで、周囲に迷惑をかけないで、一生を全うしようと思ったら、小さい時から、温かい人間関係の中で、疲れたら休ませてもらい、困っていたら助けてもらいという中で生活をし、それらが身について、他人にも返せることが大切なのだと思った。
そして、自分も、周囲から、好意的に見られていることに感謝する気持ちも必要。

今回のことがあって、「大人になる準備」というのは、きっと、大人になって、その先年老いて行くときに、周囲の人を信頼でき、しかも自分と同じ心を持った人たちと定義付け、自分と他人を優しく見ることができる訓練を小さいときから知らず知らずに行うことかも知れないと思った。
(後、自分が疲れたら、何もかも放り出す習慣と逃げ込む場所もあれば、完璧)

よく「人は、支え合って生きている」とか、言うけれど、大きな意味で人を支えることをしていなくても、例え、それが「他人を好意的に見ることができる」だけのことだとしても、それは、「人を支える行為」の中に入る行為だと思う。
もし、ある人が、他人のことを悪い方向にしか考えられないとしたら、その行為は、周囲の人を害し、その人自体も精神的に孤立させる行為なのだから。

ただ、誰だって、百点満点の環境で育つわけではない、多かれ少なかれ、どこかにいびつなところを抱えながら、大人になるのが一般的だ。
自分のいびつさに気付いたら、それは、もう自分で直していくしかない。

私は、漫画の「やさしい関係」が大好きなのだが、実際に、こういう心に問題を抱えた人と接触してみて、私は分析はできるのだけれど、百恵ちゃんのような正義感から、その人を立ち直らせるようなことを言うことはできないのだなと今回のことで思った。
やはり、私の一言がその人に与える影響を予想できないので、何も言えなくなってしまう....。

それから、もう一つ頭に浮かんだのが、松任谷由実の「優しさに包まれたなら」という歌。
あの歌は、松任谷由実が23歳頃に作った歌で、そんなに若くしてあのような歌詞が思いつくような育ち方をしたから、松任谷由実は成功したのかな?なんて、思ってしまった。

あの歌のとおりで、「小さい頃は神様がいて、不思議に夢を叶えてくれた〜」という優しさに包まれた環境で育ち、その価値がわかって育てば、きっと、一生、気持ちが切羽詰って、変な方向に行かないに違いないと思う。

多くの人がそのような優しさに包まれた環境で育ちますように。
(でも、周囲のせいだけではなく、本人の気質のせいというのもあるかも知れないが)



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2002年11月26日(火)

落ち込んだときは料理を作ろう


夕方、浅草方面に買物に行ったついでに、リブロに寄ったら、ルース・ライクルの本があったのだ。
この前の「大切なことはすべて食卓が教えてくれた」も、ROXの中にあるリブロで、一冊だけあるのを発見して買ったが、今回も、一冊だけあるのを発見した。
これは、買うしかない、浅草方面でリブロでこの本を見たからと買う気になるのは、私以外いないような気さえする。

この本が日本で大きく話題になることもなく、ベストセラーにならなかった。(アメリカではベストセラーにはなったけれど、映画化はなかった。)
だから、日本で続編の日本語訳が出ることは期待していなかったのだが、ちゃんと評価する人はしているようで、続編が出たみたい。(前と違う出版社からだけれど)

今度の本は、自伝の二巻目ということで、前の話(生まれてから結婚くらいまで)より、相当大胆に自分の私生活を語っている。
内容は、ネタばれになるから、書かないけれど、ルース・ライクルさんが本格的に料理評論家として活躍し出したときから、相当な地位を掴み、しかも、子供が宿るまでの話で、こちらはこちらで大胆で、大人で、面白い。

筋の他に、アメリカのロスアンジェルスあたりでの、外食産業の話が沢山書かれて興味深い。
以前、日本のしょっちゅうテレビに出るような有名な料理人の人が、「アメリカに行くと、ビジネスが参考になる」と語っていたが、この本を読むと彼らの活躍が「本当だ、アメリカの真似だったのだ」と思える。
フレンチのシェフが、中華料理のお店を出したり、素材にこだわったり、ヨーロッパに行って、ヨーロッパの食材でアメリカのシェフが料理してみせたりと、皆、どこかで聞いたことのあるような話が多かった。
世界的傾向かも知れないけれど、日本で、有名と言われるお金持ちシェフたちがやっていることは、これらを真似たのだろうと思えて、面白い。

この本の中の一章に、「中国のアルマジロ」という章があった。
私も、桂林に行ったとき、アルマジロかアリクイだったかを食べたことがあって、「私と同じ」と興味深く読んだ。
(でも、アメリカに帰って、友人に「中国でアルマジロを食べて来た」というと、「中国にアルマジロはいない」と言われる。そうなんだ、中国ではアルマジロと言われて食べるのだけれど、実は、アリクイのことを中国の人は、「アルマジロ」と説明していてくれたような覚えがあるのだ。ここらへんがその中国側の説明のせいか、こんがらがっていて、自分がアルマジロを食べたのかアリクイを食べたのか、ずっとわからないままなのだ。)

他にも、料理評論家として、フランス・中国・タイを旅行する話が丁寧に語られ、その全てがとても美味しそうなのだ。

でもね、この本の良いところは、そういう派手な部分ではなくて、ルース・ライクルとその仲間が、心から、「外の食事だけではなく、家庭で料理して食べることも、両方を愛していること、食材も愛している」ことを感じられること。

2千円と高いけれど、図書館で借りても良いから、「大切なことはすべて食卓で学んだ」と「落ち込んだときは料理を作ろう」は、是非、読んでみてください。 落ち込んだときは料理を作ろう
ルース・ライクル著
はまの出版刊



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2002年11月27日(水)

自分のためのお誕生日のケーキ 


11月初めに、甥1から、「お誕生日に、井上陽水の『少年時代』のCDと、なんとかきゅうの『見上げてごらん、夜の星を』というCD、買って。両方とも僕の好きな歌だから」との申し出があった。
井上陽水の方は、売っているかも知れないけれど、坂本九のCDはちょっと無理かもね。

私は毎年ケーキを作ってあげるので、「ケーキは要らないの?」と聞くと、はっきりきっぱりと、「うん、ケーキより、CDがいい」と言われてしまった。
え〜、そんな、もう、生まれてから今までずっと、ケーキ作ってあげると言うと喜んだし、毎年、自分のお誕生日のケーキの飾り付けを楽しみにしている子だったのに.....。
結構、ショックを受けた私は、「本当に要らないの?」と念を押すと、甥1は、「やっぱり、要る」とは言ってくれたものの、もう昔程、お誕生日のケーキに興味がないことがわかった。

やはり、今年も私は、甥のお誕生日にケーキを焼くと思う。
でも、今年からのケーキは、甥のためというより、止めちゃうと淋しい気持ちになる私のためになってしまった。
う〜ん、色々考えるけれど、やはり、止めるのは淋しい。
きっと、来年からも、甥1が独立するまで、ずっと焼いてしまうと思う、自分のために。<笑>


2002年11月28日(木)

香港飯(ほんこんはん?)


インターネットのレストラン書評を読んでいたら、高田馬場の「香港飯」を売り物にしている中華料理屋が結構人気があるのがわかって、お昼休みに食べに行ってみた。
高田馬場の駅を早稲田の方に向うと、右側に映画館があるのだが、その通りを挟んで反対側にある中華屋。
何でも、豚肉とキャベツを炒めたものをご飯にかけて、目玉焼きが乗っているものが「香港飯」のようである。
アツアツで美味しい。
ハンバーグだって、麻婆豆腐だって、豚肉とキャベツの甜麺醤炒めだって、上に、焼いたばかりのアツアツの目玉焼きを乗せると、卵黄の味をまとめる力のせいだろうか、何でも美味しい。
美味しい、美味しいと食べた。
これが香港で良く食べる料理にも思えなくて、何で、香港飯という名前がついたのだろうと思ったが、これを見て、昔、桂林に行ったときに、お昼くらいにバスで移動していたときに、街の風景を見ていたら、多くの人が、鉢状の皿に盛られたご飯を持って給食のときのように並び、順番に、おかずをその上にかけてもらっていた。
中国人のごくありふれたお昼って、こういうものなのかななんて、その時に思ったことを思い出した。
きっと、中国のそのようなお昼ご飯を真似て作ったから、香港飯なのかしら?

香港飯と名付けられたものを食べながら、周囲を見回すと、隣のテーブルにかに玉が運ばれてきた。
これが、ふわふわに焼けていて、見るからに美味しそう、こんなにふわふわに焼くなんて物凄い技術、次はこれを頼みたいね、なんて、楽しく食事をして、店を出た。

でも、食べてから30分したら、急に舌が気持ち悪くなってきた。
うへ〜、食べているときは気付かなかったけれど、このお店、化学調味料使い過ぎだとわかった。
あのかに玉が食べられなくて残念だけれど、もうあのお店に私は二度と行けない。

化学調味料に強い人には、このお店は絶対のお勧め。



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2002年11月29日(金)

リンゴジャムの思い出


ケーキ教室で、「ショーソン・ポム」というお菓子を習ったときに、リンゴジャムを作った。

リンゴジャムを作るのなんて、何十年振りだろう。

小学校の低学年のとき、私は、ぼーっとしていたし、どう振舞っていいか良くわからず、先生に怒られることが多かった。
低学年の時の担任は、女性で、結構厳しい人であった。
どういうことで、私が学校に馴染めなかったかというと(他にも沢山理由はあるのだが)、例えば、私が学校休んだ日にテストがあったりすると、先生に、「放課後、教員室にいらっしゃい、テストをしますから」とか言われるのだが、そのこと自体、人事のように聞いている自分であったし、いつ行っていいのかもわからず、教員室に一人で入るのは怖そうだし、先生と一対一でどう話をすれば良いかわからず、中々行けないうちに、そのことを忘れたりしていた。
そうすると、先生は、「あなたは来いというのに来なかった、○子ちゃんとか×子ちゃんは来たのに」と皆の前で私を怒ったりして、またまた嫌な目にあい、小学校に良い思い出が少ない。
(今考えると、その他の子たちに、「一緒に連れて行って」と言えば良かったのに、そんなことも頭に浮かなかったのだ。こう書いていくと、私は小さいとき、放ったらかしで育ったので、他人とどう接していいか全くわからないまま、幼稚園や小学校という集団生活に放り込まれて、困っていたのだ。)

そういう厳しい先生と一つだけ楽しい思い出がある。
小学校4年生で、家庭科で、料理を習い始めるのだろうか?
その頃、その先生は担任を外れて、家庭科だけの先生となっていた。
「来週から、料理を教えるけれど、試しに作ってみたいので、放課後手伝ってくれる人?」と募集がかかり、私を含めて、2,3人が手を挙げたような覚えがあるのだが、実際、その手伝いに行くと、私しか来なかったようだった。
(料理が絡むと、一人でも行くのだな〜、私は。<笑>)

で、その時、先生が、「リンゴのサンドイッチを作ろうと思う」と言った。
リンゴのサンドイッチというと、リンゴをマヨネーズで和えたものしか、頭に浮かばず、気持ち悪かったが、今回は、違っていた。

先生は、私に色々優しく指示をして、二人で、リンゴの皮を剥き、4個に切って、芯を取り、塩水につけて薄く切って、お鍋に砂糖とリンゴを入れて、煮詰めて、リンゴジャムを作ったのだ。
それをサンドイッチのパンに塗って、食べ良く切って、出来上がり。

リンゴジャム自体、初めて食べるもので、珍しくて美味しかった。
生で食べるしか家庭では料理できないと思っていたリンゴから、ジャムが簡単にできることがわかったことも新鮮な驚きであり、嬉しかった。
学校で習った後、家で作って、家族に食べさせたら、皆が喜んだ覚えがある。
(その当時、ジャムといえば、苺、リンゴジャム自体も市販されていなくて、珍しかったのだ。)

その先生と二人で、リンゴジャムを作ったとき、今まで怖くて嫌いだった先生の楽しそうに熱心料理をする姿に接することができて、初めて好感を感じた。

そ〜んなことを思い出しながら、家で、ショーソン・ポムを作るときに、リンゴジャムを作っている。
久し振りの手作りのリンゴジャムはとても美味しい。

コツは、ゆっくり、水分を飛ばしていくこと。
私の場合は、ビタクラフト(底の厚いお鍋)にリンゴと砂糖を入れて、最初強火で、リンゴの水分を沢山出して、砂糖とリンゴの水分で蜜を作った後、クッキングガスマットをガス台の間にかませて、弱火で煮ている。
これだと、リンゴ3個で、1時間くらい、時々かき混ぜると、水分が飛んでくれて、うまく煮える。

今、紅玉リンゴの旬で、今作るのが一番美味しいと思う。
紅玉は、冬中、売られているが、年を越すと、スカスカになりやすいとのこと。



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2002年11月30日(土)

甥1、12回目のお誕生日


今日は、甥1の12回目のお誕生日。

この子の場合、6年生になって、急に大人びてきた。
身長は、既に168cm、顔も縦に伸びて、小さいときと随分違ってきたし、完全に声変わりも終わった。(でも、乳歯が二三本残っているらしい)

軽い反抗期みたいなときもあったし、無口になったことは無口になったのだけれど、聞けば素直に何でも答えるし、友だちとばかり遊んで、家の人を省みなくなるということは全くない。
一番楽しいことは、「家族皆でご飯を食べに行くこと」と言ってくれるし、「その家族には、おばあちゃんやおばさんたちも入っているの?」と聞くと、「うん」と答えてくれる。(餌付けの効果か?)

疲れると、自分の家ではなくて、おばあちゃんちに眠りに来るので、「自分をリラックスさせて心身を休ませる方法も身についている」と言われているし、未だにおばあちゃんを頼っているところなぞ、まだ、「可愛いところは十分ある」との評判。

色々甥1の行動を見ていると、人間の行動は、持って生まれた性質と、その後の環境の複合物でしかないのだなと感じる。
甥1は、どういうわけか、この2年くらい、毎晩、おばあちゃんの家から帰るときに、仏壇に手を合わせて、きちんとした姿勢で、ご先祖さまを拝んで帰るのだ。
「そうしなさい」と勧めた人は誰もいないというのに。
本人に聞いても、「どうしてかわからない、何となく」と言う。
(私も、小学校6年生まで、父に言われて、ずっと眠る前に仏壇に手を合わせていたが、中学校に入って、自分の部屋を持つようになって、この習慣はいつの間にかなくなった。
甥1は、まだまだ続きそうな気がする。)

そして、今、一番好きな歌が「大きな古時計」の歌だそうだ。
甥1は、3歳まで、甥1を目の中に入れても痛くないというおじいさんのひざの上にちょこんと座って可愛がられたけれど、そのことを、はっきりというのは無理だけれど、漠然と覚えているから、この歌が好きなのかなと思わないでもない。
あの歌を聴くと、おじいさんのように年を重ねた老人だけが与えられる「大きな愛情の空気」の中でぬくぬくとしていた幼い頃の自分の気持ちの雰囲気を思い出すのだろうかとも思う。
(1歳でおじいさんと別れた甥2は、全くこの歌に反応しないから。)

甥1くん、皆、君が好きで可愛くて、あんたを、促成栽培しないで、伸び伸びと、ゆっくりでいいから、自分の持って生まれた力が自然に出てくるよう、死んだおじいちゃんから、まだ生きている私たちまで、ず〜っと、あんたを温かく見守っていたのだよ。
これからは、私たちに保護される時期から、自分の頭で考えて自分の考えで判断する時期に移るんだよね。
これからも、あんたのバックには、ご先祖様と今の家族が付いていると無意識に感じながら、落ち着いて、丁寧に判断して、生きて行ってね。



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