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「美味しい!」が好き

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2000年10月01日(日)

ほんのちょっと秋、そしてさつまいも


とうとう、少し涼しくなり出した。
9月下旬とは言え、気候が暑くて、半袖のT−シャツという真夏と変わらない恰好で、クーラーを利かせて眠る毎日では、秋という感じがしない。

さて、秋らしい食べ物を食べたかというと、甚だ心許ない。
戻りかつおを、我が家風の粗みじんにして食べたこと。
里芋と大根とイカとがんもどきの煮たものを作ったこと。
まだ、まだ、この程度だ。

秋というと、栗だ、松茸だと思うのだが、結構、さつまいもも何故か最近、八百屋でも目につくし、スーパーの惣菜売り場でも、加工品が沢山出ているように感じる。
しかし、何度か色々料理してみたが、さつまいもというのは、甘さが勝って、どうもご飯のおかずになりにくい。
我が家でさつまいもが人気があるのは、「さつまいもの天ぷら」だけで、それ以外は、何をしても残ってしまう。
(何故か揚げ物嫌いの妹が、「さつまいもの天ぷら」だけは食べるのだ、不思議だ。)

誰か、品種改良して、甘くないさつまいもを作ってくれないか、これは不可能なことなのだろうか?

さて、今年の秋は、栗を煮て、その栗でロールケーキを作ろうと思う。
他、秋らしい料理は何ができるだろう、ちょっとまだ頭に浮かばないが、秋らしさを楽しまなくては、損だと思う。



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2000年10月02日(月)

ご飯のとき、「痩せろ」と言わないで


我が甥2は、もう体重が56kgになってしまった。
(夏休みの間に楽したのか、気がついたら、体重が相当増えていたらしい。)
おばちゃんも心の中では、「もうちょっと痩せた方が」と思いながら、中々、そうは言えない。

しかし、それはそれ、親なら、本当に心から心配してしまうし、自分が苦労して育てた子供なので、「痩せなさい」と、はっきり言うことができる。
甥2のお母さんが、その日、テレビで、「アメリカで、太り過ぎて家から出られなくなった人」の映像を見たのだそうだ。
お母さんは、心から、心配になったのか、夕食のとき、ずっと、「痩せろ、痩せろ」と言い続けて、甥2はご飯が美味しくなくて、不愉快で、とうとう切れてしまったと、おばあちゃんの家に来て、嘆いた。
「そうなんだよね、ご飯のときに食べながらお説教されるのって、本当に嫌なんだよね、おばちゃんもどのくらいそんな目にあったものか...。」と、おばあさんにあてつけがましいことを言いながら、甥2を慰める私。(笑)

でも、これは、結構、誰にでも共通の思いではないかと思う。
どんな人でも夕飯のとき、「やれ、やれ」とくつろいだ気分になって、さて、落ち着いて、美味しくご飯を食べようとするものだと思う。
そのときに、「やいの、やいの」言われるのって、本当に気分がどっと暗い方になってしまうのだ。
これだけは、やめて欲しいという甥2の希望も痛い程良くわかる。
(私と甥2は、食べ物や食事に対する姿勢が似ていると言われている。
世の中には、食事のとき文句言われても切れない子供もいるかも知れないが、私や甥2タイプに、食事のときに文句を言ったら、それは逆効果というものなのだ、なんて、威張れることではないけれど。)

甥2は、「『太れ、太れ』と言われると、『痩せようかな』という気になるけれど、『痩せろ、痩せろ』と言われると、『絶対痩せないぞ』という気になっちゃうの」と言う。
甥2は、その日の夕飯はご飯を1杯しか食べさせてもらえず、30回噛んで食べることを実行させられたそうだ。
「そうなんだよね、30回噛んでゆっくり食べた方が、少ない量で満腹になるから、確かに健康にいいのだけれど、ご飯って、30回も噛まないで食べた方が美味しいんだよね、特に炊きたては、」なんて、ろくでもないことを言ってしまう私。
「そうなの、そうなの、ご飯を噛み過ぎると、ぜ〜んぜん、美味しくないんだよね〜」と甥2。
「おばちゃんなんか、辛いカレーを食べるときなんかは、もうご飯全然噛んでいないの、カレーでご飯を食道に流しているもの!(自慢したことか)」と、(味覚が)似た者同士の会話は続く。

そうは言っても、本当にもうちょっと体重が減った方がいいに決まっているのだから、4杯食べるご飯を急に1杯にするのは無理だとしても、せめて2杯で満腹になるように何か考えなくてはいけない、と思う。
食事の前に水を沢山飲ませて、胃袋をかさ上げするとか、先に野菜とおかずを沢山食べさせて、最後にご飯を食べさせるようにするとか、こんなことでも何か手を打って行かねばなるまい。

甥2が、情緒が不安定にならずに、うまく体重を落とせる方法はないものだろうか?



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2000年10月03日(火)

包丁の刃こぼれ


いつだったか、MLで「包丁の砥ぎ方が悪くて、刃をだめにしたらどうしようと思うと、怖くて包丁が砥げない」というメールがあった。
そのときは、「そんなことないわよ〜、砥いでも大丈夫」なんて、簡単に思っていたのだが、つい最近、友人の包丁がでそうなった例を見てしまった。

包丁が軽くまな板の角にあたったりすると、ぽろっと刃がかけるような現象が起き、2,3個所、かけてしまったそうだ。
買う前から品質がおかしかったのではと、メーカーに問い合わせたら、砥ぎ方がおかしいとこのような現象が起きるとのこと。
私は直接見なかったのだが、目のところに直角に、包丁の刃を持ってきて見ると、刃の先だけが研がれた後が残っていたそうだ。
すなわち砥ぐとき、本当の刃先だけを砥ぐと、刃先が薄くなってもろくなるようなのだ。

その友人は、料理歴も長いし、包丁さばきも相当上手である。
以前、「私は研ぎ方が下手なので、人にやってもらっていた」と聞いていたが、最近は、「人を頼っていたのではいけない」と自分で砥ぐようになってまもなく、刃こぼれになってしまったとのことであった。

角度の取り方が悪いと、包丁を傷めるということがどういうものなのか、想像がつかなかったけれど、具体的にはこういうことなのかと納得した。

刃のこぼれた包丁を研ぎなおしてもらうにも、上手なところでなくてはということで、我が家の近所の坂井砥石店という砥石の問屋さんに私が持ち込んだら、何と、刃こぼれを直すには、5千円かかるとのこと。(包丁は、1万円のものであった。)
結構、高くつくものだと、驚いたが、どう考えても、この刃こぼれを直すのは大変そうなので、しょうがないかなと思った。(普通の包丁の砥ぎは、1〜2千円程度)

それにしても、包丁の砥ぎ方というのは実は難しいものだったのだ。
坂井砥石店で聞いたら、正しい包丁の砥ぎ方を知っている人は少なくて、プロでもこのお店に砥ぎ方を習いに来るそうである。
このお店では、普通の家庭の人からも、プロからも包丁の砥ぎ方を習いたいという希望が多いので、教室を開くことを検討しているそうだ。
何でも、包丁砥ぎは一回習っただけではうまくなるはずもなく、六回コースを考えているとのこと。
私は、授業料が安かったら、是非、通ってみたいと思っている。



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2000年10月04日(水)

漢字のテスト


何度も書いていることかも知れないが、我が甥たちは、全く性格が違う。
上の甥1は、大人の間にできた初めての子供で、愛情一杯で生まれ、育てられたので、やたらにおっとりしていて、依存心も強い。
2番目の甥2は、身体が頑丈な上、口も達者で、性格は、素直は素直なのだが、同性の兄弟の下の子にありがちな勝気なところがある。

学校の試験に対する勉強法も、この性格の違いが色濃く反映されていて面白いのだ。
甥2は、何せライバルはお兄ちゃんであり、「僕は頭がいいのさ」と思っているので(事実、悪くないと思う)、おばちゃんやおばあちゃんを頼って勉強することはない。

その点、甥1は、とても可愛いのだ。
半年程前であったと思うが、「明日は、漢字の書き取りテスト」という前の晩に、勉強しても自信がなかったのか、おばちゃんたちが夕食を食べているときに、国語の本とノート持参で、やってきた。
「僕、明日、テストの自信がないの。みんみん、先生みたいに問題出してくれる?」と言って、妹に国語の本を渡した。
妹は、ご飯を食べている最中だったので、右手にお箸、左手に国語の教科書を持って、「○○という漢字を書いてください」とか言いながら、ご飯を食べていた。

次の日の夜、おばあちゃんちに上がってくるなり、「みんみん、有難う、おかげで、テスト100点だった」と嬉しそうに報告したのだ。
そうなんだ、そうなんだ、人に面倒をかけたとき、このようにお礼を言うか言わないかで、その人の印象って、大きく違うのだ、と思った。

数日前、また、甥1が国語の教科書とノートを持ってあらわれて、「明日、漢字の読みのテストなの」と言ったときも、我が家の反応はとても良かった。
まだ、妹が帰宅していなかったので、私は、「家庭教師のみんみん先生がもうすぐ帰ってくるから、もうちょっと待ってね」と伝えた。
果たして、会社から帰ってきた妹に、「甥1が明日漢字のテストなんだって」と告げると、嬉しそうに、夕食の座につくことも放ったらしで、「どうら、おばちゃんが先生になってあげる」と甥1に話しかけて、問題を出し始めた。

人間、独立独歩、自分の力で生きていく人間もいいかも知れないが、このように人に依存しながら、どうにか世間の荒波(大袈裟かな?ただの漢字のテストだけれど)を越えていく子も、甘たれで人に依存する分だけ余計に可愛がられて、中々良い人生が送れるのではないかと思うのだ。

「甘えて依存心が強い姿が可愛い」と、年上の人に感じさせるのは、いくつの年までであろう、良くわからない。
甥1も小学校4年生になって、最近、鼻の下の産毛が濃くなったみたいで、一瞬、「甥1、鼻の下にひげが生えたの?」と聞くような場面も出てきた。
もう、この子も第二次成長期に入りつつあるのかも知れない。
おばちゃんは、「甥1、すね毛、生えたら、見せてね」なんて予約している。(笑)
ま、当分の間、甥1の「漢字のテストわからないから、先生やって〜」なんて甘える性格は変わらないのだろうけれど、確かにひげ面で、私より背の高くなったら、「全く、甘えていないで、一人でやりなさい、もう、大きくなったのだから」と言うようになるのかなとも思う。
でも、ひげ面でも背が高くなっても、やはり、小さいときのイメージが自然に湧いて、結構、いくつになっても甘やかすかも知れないとも思う。



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2000年10月05日(木)

家庭料理技能検定3級


色々なしがらみの結果、私は今度の日曜日に、「家庭料理技能検定3級」という試験を受けるのだ。
実技は、リンゴの丸剥きと、胡瓜の斜め薄切り、それから、オムレツかハムピラ フとのこと。

練習のために、お昼にハムピラフを作ってみた。
課題は、単純で、玉ねぎのみじん切りとハムのたんざく切りを炒めて、ご飯を入 れて、トマトケチャップと塩・胡椒で味付けするだけ。

作りながら、「やっぱり、人参とかピーマンを入れた方が彩りもいいし、栄養価 も高いわよね〜」と言って追加し、「ハムの量が少ないんじゃな〜い」とウィンナソーセージを買ってきて、足してしまった。
また、味も、「トマトケッチャップだけより、トマトピューレ入れた方が美味しいし、大人の味よ」なんちゃって、結局、課題どおりの練習はできなかったのだ。
(でも美味しいトマト味の洋風焼き飯を食べることができた。)

「この単純なハムピラフをより美味しくするには、どういう工夫が考えられます か?」という問題だったら、もっとより本当の家庭料理の検定になるし、もっと勉強する気になるのにと思う。(だから、勉強していないのだ。)



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2000年10月06日(金)

ボンスター


とある機会に、雪平鍋の磨き方を習った。
糸のように細い金属がくるくる固まりになっているものに、中性洗剤をつけて、濡らしたアルミの雪平鍋をごしごしこするのだ。
一生懸命こすると、本当にきれいになって、新品同様というまでの輝きを取り戻し始めるのだ。
鍋の内側も外側もきれいになったら、ざっとゆすいだ後、普通のスポンジなどに中性洗剤を含ませて、それできれいにこすって、良くゆすいで出来上がり。

本当に新品同様になるので、びっくりしてしまった。
実は、2,3か月前、長年使っているアルミの雪平鍋が汚くなってしまい、洗剤でこすってもきれいにならないので、捨ててしまったのだ。
もし、この磨き方を知っていたら、捨てなくて済んだのにと、とても悔やまれる。

多慶屋に探しに入ったら、洗剤付きで「ボンスター」という名前で売られていた。
材質は鉄のようである。
包装紙に書いてある説明を読むと、材質が鉄なので、水につけて使うと、後で錆びるものらしい。
だから、何回も何日にもわたっては使えないものらしいが、何せ、値段が8個で180円程度のものである。

これを買ってきて、まだ捨てていない、もう一つのアルミの雪平鍋を磨いたら、本当にきれいになった。
他のステンレス鍋も、焼け焦げが付いていて、薄っすら汚くなっている面を、アルミのときより相当力を抜いて磨いたが、見事とてもきれいになった。

この「ボンスター」という製品は、以前流行ったことがあり、使った覚えはあるのだが、ずっと、忘れていたものである。
しかし、このアルミ製品を新品同様にしてしまう威力を見て、今度から、常備しようという気になっている。



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2000年10月07日(土)

ほうれん草とハムの茶碗蒸し


ある日の夕飯は、生鮭の照り焼きとサラダは決めていたのだ。
で、ほうれん草が一把あったので、それで一品作りたいと考えた。
冷蔵庫にハムが残っていたので、ほうれん草とハムと卵で炒り卵風にしようかと思ったが、我が家では、それを作ると、妹に、「給食みたい」と言われるに決まっている。(我が家は老齢家族だから、給食に良い思い出がなく、「給食みたい」というのは、けなし言 葉)
オムレツにしようかとも思ったが、メインは鮭の照り焼きだったので、副菜として のオムレツはちょっと重いような気がして、気が進まなかった。

吸い物作ってほうれん草を浮かべようかなとも思ったが、吸い物では、一把は 使い切れない。
吸い物にほうれん草というのも結構違和感なくしてほうれん草を食べられる食べ方ではあるが、入れ過ぎると、「ほうれん草を食べさせたい」という気持ちが強調され過ぎるような感じがして、押し付けがましくなってしまう。

で、考えたのが、ほうれん草の茶碗蒸し。
キッシュにだって、ほうれん草とハムと卵が入っている。(生クリーム類も入っているけれど)
かき卵汁にほうれん草の茹でたのを浮かべても違和感がないのだから、卵とほうれん草、もしくは、卵とほうれん草とハムというのは、とても良い組み合わせであるに違いないと思った。

作ったのは、下記のとおり
(一緒に入れる蛋白質がハムだったので、出汁を洋風にしたが、ご飯に添えられるおかずとして全く違和感がなかった)

分量
150cc入る器で4つの量

1.ほうれん草をゆがいて水にとってあくをとり、絞っておく
2.ハムとほうれん草は、一口で食べられる大きさなり、長さに切っておく。
3.お湯を360cc沸かして、マギーのチキンコンソメを溶く(出汁準備完了)
  (味見したら、結構しょっぱくて、塩を入れる必要性を感じなかった)
4.上記を冷やす
5.卵大2つで120cc程度、これをマギーチキンコンソメと混ぜて漉す
  (心持薄口醤油を数滴たらした)
6.容器にほうれん草とハムを適当に散らして、卵液を入れて、茶碗蒸しにする。

母と弟(4つできたので、あげたのだ)は、「美味しい」と言わないまでも、残さずに食べてくて、めでたし、めでたし。(我が母は、歯が悪いので、おひたしがもう噛み切れなっている、そのことを考えると、この茶碗蒸しは大成功といえる)
元々、妹は茶碗蒸しが嫌いとのことで、やはり、このほうれん草の茶碗蒸しも美味しくないと言っていた。
ま、新しく開発した料理が皆に受けなかったのは残念であるが、一応母に受けて、母にほうれん草を食べさせる手法が一つ増えたので、良しとしようと思う。



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2000年10月08日(日)

文京区向丘天安の天丼


向丘の天安さんというのは、知る人ぞ知る、天ぷらの有名な店らしい。
MLで推薦してくれた人がいたので、行ってみた。
場所は、都営三田線の白山か、南北線の本駒込が近い。
しかし、住宅地なので、中々近所の人やこの地域に知合いがいる人以外はわざわざ行かない場所であることが残念である。
私は山手線駒込駅からバスに乗って、4つ目の「向丘2丁目」というところで降りた。(店はバス停のまん前)←通りで言うと、本郷通りに面している。

店の前に立つと、店構えもとても平凡で、中の様子が外から全然見えないから、誰もお客がいないような感じがして、「本当に流行っているのかしら?」と疑いたくなるような雰囲気であった。
しかし、戸をがらっと開けて一歩入ると、殆ど満席の状態で、「この店は、人気があるのだ」と安心感を持てた。
着いたのが、12時45分くらいで、既に上の天丼は売り切れとのこと。
「並みの天丼か、天ぷら定食しかない」とのことだったが、周囲を見回すと、皆天丼を食べていたので、並みの天丼にしてみた。

感想を先に言うと、「1200円でも、とても丁寧で、色々なバランスがぴたっと決まった美味しい天丼、是非、お勧め」であった。
たかが1200円だから、材料だってそんなにすごくいいものを使っているわけではない。
でも、天ぷらと天汁の味、そして量、ご飯の美味しさがぴたっと決まっていて、とても美味しかったのだ。
油も、胡麻油を使っているのはわかるのだけれど、胡麻の香りがぷ〜んとするということもなく、食べている間に何となく「胡麻油を使っているのね」と感じる程度の使い方で、しつこくない。
私は元々、天丼より天ぷら定食の方が好きなのだが、今回、天安さんの天丼を食べて、「天丼というのは、こんなに美味しかったものなの?」と思ったのだ。
バランスの妙というか、天丼この道何十年の職人芸、名人芸だと思う。

天ぷらの衣が薄くて固い、食べ始めの頃、2回くらい、汁が染みていない衣が固かったことがあったが、欠点はそのくらい。
天汁も甘味がなくて私好み、というか、天汁が甘くないから、海老の甘さ、ご飯の甘さが強調されて美味しかった。
具は、芝海老のかき揚げに、海老の天ぷら二つ、キス。
見た途端、「海老ばっかり」と思ったが、芝海老の美味しさと、小さい目の普通の海老の味というのは、違っていたので、結構楽しめた。

上の天丼だと、キスではなくて、穴子だそうだ、私は、キスより、穴子やめごちが好きなので、次回は是非、上天丼を食べたいと思う。

天安
住所:文京区向丘2−29−4
電話:03−3811−3653
定休日:日曜日(多分祝日も)

天ぷら定食 1600円
上天丼   1400円
天丼    1200円

他所で、1200〜1400円払っても、こんなに美味しい天丼には、中々当たらないと思う。

地元民しか来ないような店構えで(老舗振っていない)、各種新聞とサライが置いてあって、地味で落ち着いて気取らないお店である。
ざっと数えて、カウンター10席、椅子席4人掛け×3、奥の畳の4人掛け×3 程度の規模で、揚げる人は、おじさん一人、料理を運ぶ人が二人のこじんまりした感じであった。

お漬物がついてきて、胡瓜、白菜、沢庵です、特別美味しいというわけではないが、ちゃんとしていた。(美味しいという程でもなく、不味いという程でもなかった。)



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2000年10月09日(月)

2000年合羽橋道具祭−新しいお店発見−


今年の合羽橋道具祭の歩行者天国の日は、雨で始まってしまった。
私ももう8年以上、合羽橋道具祭に行っているが、雨は初めてのこと、お祭はどうなるのかと心配であった。
天気予報では、午後からは雨が止むとのこと、本当に止めばいいけれどと思っていた。

MLの人と午前9時半に待ち合わせして、合羽橋に向かう。
合羽橋は、殆どの店にアーケードがついているので、雨の日でも、その下にワゴンを置いて、一応は、ワゴンセールの体裁を整えることができるようであった。
しかし、歩行者天国が始まる10時になっても、人はまばら、やはり、商店街のお祭に雨は邪魔だと思った。
菊屋橋から入って左側の商店を見て行き、相当北に行ってから、Uターンして、反対の通りを歩く。

私は最近余り合羽橋に行かない。
何故なら、ほぼ必要な道具は部屋の収納能力の限界まで買い集め終わっており、収納スペースが増えない限り、これ以上、何も買えないのだ。
先日、合羽橋道具街を自転車で走り抜けたとき、松が谷側の北の方に、古道具屋さんぽい道具屋さんが新しく開店したのを見つけた。
う〜ん、こまめに通わないからこんなことが起きるのだと思った。

この合羽橋道具祭のときも、また、新しいお店を発見してしまった。
その名は、「浅草紙工」。
とうとう、このお店が合羽橋に店を開いたのかと思う。
浅草紙工が以前どんな店だったからよく知らない。
私の知っているのは、2,3年前に、浅草橋のシモジマという包装材の大手がこの会社を買収したということだけだ。
名前は浅草紙工でも、実質は、浅草橋のシモジマさんなのである。
実質シモジマのお店が合羽橋にできることは、シロウトのお客としては嬉しいけれど、合羽橋の同業者の人たちはさぞ大変だろうと思う。
時代の流れと言うのは簡単だが、合羽橋に大資本のお店が攻め入ってきたような感じではないかと思う。



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2000年10月10日(火)

2000年合羽橋道具祭−浅草紙工ー


浅草紙工のある場所は、菊屋橋の方から行って、「合羽橋」という信号を越して、2,3軒目の右側。
オープンが9/19だったとか。

このお店は、入り口はそんなに広くないけれど、奥が深く、5Fから1Fまで順番に見ていたら結構時間を取り、雨の中、余り歩き回らなくて済んだ。
ビルは新しくて、きれい。
店の感じは、浅草橋のシモジマ5号館を一回り小さくして、パーソナルな商品を減らした感じ。
包装材・文房具等、各種洗剤や各種修理商品なども揃っていて、種類豊富で結構揃っているから、合羽橋に行かれるときは、是非、寄ってみるといいと思う。
シモジマのノウハウを活かし、広くて、見やすいスペースである。

シモジマは、包装材や文房具に力を入れているけれど、結構、修理のための商品というのも多くて、東急ハンズと品揃えが似ているところがあって、面白い。
圧倒的に品数豊富な合羽橋的包装材商品に、東急ハンズの家庭修理部門+多慶屋的家庭用品・文房具の種類を加味したものが、シモジマの特徴なような気もする。

今なら、開店セールで色々な特価品を用意されているように見えた。
私が一番興味を持てたのは、個人用の電動シュレッダー4千円弱であった。
確かに、電動のシュレッダーが家にあったらいいなと思うけれど、今回は買わなかった。

浅草紙工のHP←ここをクリック




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2000年10月11日(水)

2000年合羽橋道具祭−浅草マノス本店


さて、お昼ご飯だが、いつもは近場の「ストロバヤ」「ジャルディーノ」「ラ・シェーブル」でご飯を食べるところを、私が行きたい雷門の店にしてもらった。
それは、「雷門のイタリアン」のお店で、美味しいと評判を聞いていたのだが、残念ながら、お昼は営業していないらしく、しまっていた。

そのとき、次に思いついたのは、同じく雷門にあるロシア料理のマノス。
マノスは、ご存知、浅草のロシア料理の発祥の店であるが、私は今まで入ったことがなかったのだ。

で、入ってメニューを見てびっくり、お昼だというのに、コースが高くて7、8千円、一番安いのでも、4800円もするのである。
(後で聞いたら、ランチメニューは平日にしかないとのこと。)
こんなにお金使いたくないし、これだけ食べたら、お腹一杯になってしまう〜と思い、一緒の人と相談して、アラカルトで行くことに決め、「海の幸サラダを1人前分けっこ」と、ボルシチ・ロールキャベツ2個ずつにしようと相談がまとまった。

一言で言って、ここの料理、本当に美味しかった。
流石、高いだけあるというか、使っている素材も良いものであることがわかるし、味付けもどれを食べても美味しかった。

ボルシチは、牛脂の細かいのが沢山浮かんで、一瞬ラーメン風かと思ったけれど、飲んでみると、口当たりが薄口なのに、飲んでいる最中から結構、こくと味を感じて美味しいのだ。
上品で薄味風なのに、こくと美味しさがあるというのは、どうすれば料理できるのだろう。

ロールキャベツも、十分柔かくて美味しかった。
オシャレにデザインされていて、トマトをミルク類で薄めたような色のソースが全面にかかって出てきたが、ロールキャベツの表面に、サワークリームだと思うが、1cm間隔で細くて白い線が引いてあった。

最後に、コーヒーを頼むと、リキュールグラスの淵にぐるっと、ピンクの砂糖が飾られていたのだ。
グラスの中には、熱々のコーヒーと生クリームとミルクを混ぜたようなものが二段で入っていた。
とてもオシャレできれい。
コーヒーには、トリュフタイプのチョコが1個と、小さなクッキーがついてきたので、デザートはあらためて頼む必要はなかった。
これで、パンを取って、3500円程度。
これにグラスワインを1杯つけて、4000円となった。

回りのテーブルの方々は、皆、この贅沢なコースを取られる方ばかりで、運ばれるお料理を見ていると、どれもこれもきれいにデコレートされていて、素敵なデザインばかりで、目が楽しかった。

ご一緒した方と話したのだが、このお店は、「ハレの日の料理」という感じかなという結論に達した。
「味がこってりとしていて、リッチタイプ、そして、料理のデザインがオシャレ」が、マノスの特徴かも知れない。
西浅草のストロバヤは、マノスより、もうちょっとカジュアルっぽくて、家庭的なロシア料理という感じがする。
マノスは、値段は高いけれど、高い分、それなりに美味しさがアップして、オシャレで、とてもお勧め。
高いだけのことはあると思う。(値段が高くてもそれだけ、美味しさ度、オシャレ度が釣り合って上がっているような気がした。)
このお店は、高い、高いというイメージがあるし、本当にコースで食べると高いけれど、ご馳走してくれる人がいるときは、コースで、自分のお金で食べるときは、平日のランチか、アラカルトというのが正解だと思った。

ストロバヤもお勧めだけれど、このマノス本店も、「ハレの日」にお勧め。

こちらが、「浅草マノス本店」のHP
浅草マノス本店のHP←ここをクリック




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2000年10月12日(木)

2000年合羽橋道具祭−私の買物−


ワゴンセール
宇田川商店...ナツメッグホール、ホワイトペッパーホール(以上大袋で200
        円)、イスラエル死海の塩と、イタリア・シチリア島の塩(以上
        300円)、トマトホールの缶詰(2缶で150円)、小麦粉
       (1kg100円)、紅花油(一缶200円)

        白胡椒もナッツメッグも、使用するときにカリカリ挽いた方がいい
        ことは確かなので、買ってみたが、使い切るまで何年かかるであろ
        う?

DR.GOODS ...アイスクリームボーラー(握り手に液体が入っていて、そこに
        手の温かさが移ることによって、アイスクリームを簡単に丸めるこ
        とができる道具)
        小さめのサイズで、なんと200円だったので、2つ買ってしまった。
        これは、普通通買ったら、1〜2千円の間だったと思った。
        後で気付いたのだが、通常お店で売っているものとメーカーが違う
        ようである。

文房具屋の前のワゴン
        真空の水筒(ステンレスボトル) 500ml 1000円
        何故か水筒が欲しくなって買ってしまったが、一番無駄な買物だっ
        たかも知れない。
        甥とデートするときの自分用という感じ。
        キッチンタイマー  400円
        400円のキッチンタイマーは安い。
        多慶屋だって、一番安いのは、980円なのだから。

野菜用保存用ジッパー袋
        10枚100円を2つ
        繰り返しつかえるということだったので。
        でも、サイズがLだから、使いこなせるか心配。

ワゴンセール以外
浅草紙工   スコッチブライト ポリシャインソフト・ハード
       今、スチールウールに凝っていて、この2つは、「スチールウール
        の不満を解消!」という振れ込みなので、それぞれ1つずつ
       買ってみた。
       台所用洗剤の除菌用ジョイが98円だったので当然get。
       他、浅草紙工では、個人用のシュレッダー(電動)が4千円
       だったので、買いたかったけれど、我慢した。

オクダ    5勺の枡
       お米の計量だけはまだ、「合」で計るのが普通である。
       母が、1.5合量るときの枡か、計量カップが欲しいとのことで、探
       したが、計量カップはどこにもなく、木の枡がオクダさんの支店にあ
       ったので、購入。(250円)

サカエ商店  中国おたま
       中華鍋をかき回すときに、いつもはお玉を使っていたのだが、やは
       り、柄が短く、使っていると熱いので、長い柄の本格的お玉を買った。

ま、こんなんで、合羽橋にいればいる程、もっと買いそうなので、後ろ髪を引かれながらも、合羽橋から出てきた。
本当は、5勺の枡と中国おたまと宇田川さんちで食材だけを買うつもりだったが、結局、安い物を色々余計に買ってしまった。
お祭気分で安い物を沢山売っていると、私は、それを拒否できないようである。



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2000年10月13日(金)

まり、有難う


昨晩、甥2は、我が家に来て、うどんすきをすすっていた。
その時に、「まりって、どこの会社に勤めていたの?」と聞く。(実は私は会社を辞めたのだ)
「え〜とね、○○信託銀行」と答えると、「僕のお母さんも、前にそこの会社に勤めていたんだよ。うちのお母さんと同じ会社だね」と甥2が答えた。
私は、「あのね、私は、あんたのお父さんより先に、あんたのお母さんを知っていて、二人が結婚すればいいなと思って、会わせたのよ。
そうしたら、気が合っちゃって、結婚して、甥1ちゃんが生まれて、甥2ちゃんが生まれたの」と答えた。

甥2は、「そうだったの!まりがお父さんにお母さんを紹介してくれたから、僕が生まれることができたんだね。まり、どうも有難う!」と、まるで、テレビのホームドラマのようなセリフを言った。
思いもかけない「有難う」の言葉に、驚いた。
(弟夫婦も、婚約した当時だけは、「お姉ちゃん有難う」という感じであった。
しかし、暫くすると、「僕たちが気が合ったからこそ、結婚したんだ」という面が強調されるようになって、この件について、お礼を言われることは全くなくなってしまったのだ。)
まさか、自分が紹介して夫婦になったところに生まれた子供から、こんなお礼を言われるなんて、想像もしていなかったのだ。

こんなセリフを自然にすら〜っと言うなんて、テレビの影響かも知れないと思いながら、甥2は、自分が生まれてきたことにとても幸せを感じているに違いないと思ったのだ。
ま、どう見ても不幸には思えない甥2の日常生活であるが、そんなに幸せを感じる程のものかなとも思い、つい、真顔で、「甥2ちゃんは、『生きていて幸せで、生まれてきて良かった!』と思っているの?」と聞いてしまった。
甥2は、とても嬉しそうな顔でうどんをすすりながら、「うん、僕、幸せ!ほら、このうどんすきのお汁、本当に美味しくって、幸せなの」と答えた。(笑)

ま〜ね、小さいときの幸せなんて、こんなものかも知れない。
揉め事も心配事もない環境で、自分を愛してくれる人が沢山いて、美味しい食べ物があれば、「生まれてきて良かった」と思えるものかも知れない。
こんな甥2の幸せを長く守ってあげたいと思う。



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2000年10月14日(土)

巣鴨地蔵通り


先週の日曜日、12時集合で、駒込で家庭料理技能検定の試験があった。
12時までに駒込なら、その前に巣鴨に行こうと思い立った。
確か、巣鴨には、古奈屋という有名なうどん屋があって、山本益博さんの本によると、「東京を代表するうどん屋」とのこと。
そして、そこの名物は、カレーうどんでミルクが入っている。
どんなものか、一度食べたいと思っていたのだ。

で、地蔵通りに着いたのが11時15分、開店は、11時半だから、余裕だ、なんて思ったら大間違い。
とげ抜き地蔵を通り越した路地を右に曲がって、古奈屋が目に入った途端、向かい側の行列も目に入ってしまった。
数えて見ると、30人である。
これは、ここで味わって試験会場に向かうと、絶対に遅刻すると思い、泣く泣く食べるのを諦めた。
「恐るべし、巣鴨、侮ってはいけない、巣鴨」と呟きながら、古奈屋を離れた。
このお店は、開店が11時半で、確か、閉店が15時45分とか、飲食業としては恵まれた労働条件なのだが、昼間でないと食べられないことになるから、今後も中々行き難い。
心から残念。

お土産の塩大福だけは買って帰ろうと考えた。
それにしても巣鴨地蔵通りは、和菓子屋だらけでものすごい。
皆、おばあさんたちがお参りに来て、帰りにお土産に買っていくのだろう。

巣鴨地蔵通りに行けば、わかるだろうと、店の名前をろくに覚えないで行ったら ば、なんと、「塩大福」を売っているお店が3軒あったのだ。
で、嗅覚を働かせて、一番老舗っぽいところで買ってみた。
(判定基準:1.売り子のおばさんが老齢化しており、けばい化粧とか衣装
        を着ていないこと
      2.売っている商品の数の中で、塩大福の占める割合が高いこと)

後で聞いてみたら、私の嗅覚は外れであり、一番有名なお店で買っていないようなのだ。

家に帰って食べてみると、結構期待外れであった。
塩大福を初めて食べる甥たちは、「美味しい、美味しい」と言っていたが、北千住でお爺さんがお客さんを待たせながら作る、「お一人様5個まで」の塩大福を味わってしまった私には、美味しいと感じられなかった。
お餅も薄いし、餡も塩くさい。

巣鴨は、いくらでも人が集まり、通りの両側には甘い物を売る店が溢れんばかりに並んでいる。
結局は、巣鴨は観光地なのかも知れないと思う。
美味しさよりも、「安くて適度に美味しいもの」が売れる地域なのかも知れない。
プラスチックの容器に入れられて、既に店頭に並んでいた塩大福は、次から次に買いに来るお客さんを待たせないように、丁寧さや美味しさよりも、手早く作ることを優先させなくてはならないのかも知れないと思った。

それにしても、北千住の吉田屋餅菓子店の塩大福が懐かしい。



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2000年10月15日(日)

家庭料理技能検定3級の実技


今回、予想に反して、実技が「豚肉のポークソテー」であった。
(過去問題を見ても、「ハムピラフ」と「オムレツ」しか載っていなかったので、この2つしか練習しなかったのだ。)

試験が終わって、会場の出口のところに、「良い例」と「悪い例」のポークソテーが並んでいた。
私の作ったものは、悪い例そっくりだったから、きっと落ちるであろうと思った。

私は、家庭料理における正しいポークソテーの作り方を実は知らないのだ。
問題は、「厚さ1cmのロース肉を筋切りして、フライパンで両面を焼く」というものだった。
家庭料理を教える料理教室にも通ったことがないし、家では、2,3cmの厚さのポークソテーをフライパンで焦げ目をつけた後、オーブンで焼いている。
一番不味かったことは、我が家は、肉屋でしか豚肉を買わないので、筋切りは、肉屋のおじさんに任せっぱなしだったことだ。
(もし、スーパーで肉を買っていたなら、少しは「筋切り」について、考えたことがあったかも知れない、でも、スーパーより肉屋の方が美味しい肉を売っているから、しょうがないのだ。しかし、この問題は、スーパーで豚肉を買う人に有利と思う。<笑>)
肉屋さんは、脂身と赤身を両方とも切ってしまうが、どうも、家庭料理としての豚肉の筋切り方法は、脂身と赤身の間の筋のみをチョンチョンと包丁を入れるようなのだ。
肉屋と家庭料理では、筋切りの方法が違うなんて、聞いたこともなかったから、私は唯一知っている筋切り法である「肉屋のおじさんの手先」を思い出して、その通りに筋を切ってしまったのだ。

今まで、肉屋風の筋切りでも、我が家の場合は、焼きあがったポークソテーを食べよい大きさに切って、皿に盛るから、問題ないのだ。
一枚ぺらっと皿に乗せることがないから、焼き上がりが無様だろうが、きれいに広がらなくても全く問題ない。(というのが、本当の家庭料理ではないだろうか?)

普通の家庭で、ポークソテーはどうやって食卓に出されているのか、色々な人に聞いてみたい気がする。
やはり、普通の家庭の殆どは、ポークソテーを切り身のまま出して、フォークとナイフをつけて、食卓に出しているのだろうか?
それだったら、この問題は意味があると思う。

私のポークソテーも家庭料理だけれど、もう既に、1cmの厚さでは美味しくないから、2,3cmの厚さにしてしまっているし、フライパンで焼くと火の通りが難しいし、固くなりやすいからとオーブンで火を通すことにしているし、切り身のまま食卓に出すことはないから、どんな筋の切り方だってOKなのだ。

落ちるとわかってちょっと嫌やだったし、ハムピラフやオムレツだったら受かっていたのにと思うけれど、言ってもしょうがないことなので、「もういいや」とすぐ思うことができた。
こういう家庭料理技能検定というのは、結局は、「家庭料理とはこのようなものが標準」とちゃんと習って実践している人の試験なのだと思う。
私のように、殆どが自己流で、すぐ他の方法を考えたり、どっちの料理ショーなどをヒントに「より美味しく、より簡単に」を目指すタイプには、初めから向かなかったのさと思う。

これから、家庭料理の先生になろうとしたら、やはり、「家庭料理の標準なるもの」を身につけた方がいいかも知れないが、その必要が生じなかったら、もう二度と受けることはないと思う。

<後日談>
落ちたと思っていたら、受かった。
豚肉の筋切りだけで、実技の合格を決めるものではないらしいことがわかって、ひと安心。



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2000年10月16日(月)

杏仁霜を溶かすコツ


MLで「杏仁霜を牛乳に混ぜて加熱すると、余りうまく溶けなくてだまになるけれど、どうしたら良いの?」という質問があった。
私の杏仁霜は、瓶にラベルが何も貼っていないものであり、今まで、正しい使い方を知らないまま適当に使っていたので、答えられなかった。
(多分、泡立て器でかき混ぜながら、沸騰しないように煮溶かしていたのだと思う。)

その質問で、私も「杏仁霜の正しい使い方」を知るべきだと思った。
きっと、蔓藤さんだったらわかるだろうと、蔓藤さんに見に行った。

蔓藤さんで、お店の人に聞かなくても、お店で販売している有紀食品の杏仁霜の瓶の後ろの方のラベルに、「牛乳に砂糖・杏仁霜・砂糖・粉寒天を入れて、混ぜ、火にかけ、かき混ぜながら、沸騰させます」と書いてあった。
(分量は、400ccの牛乳煮、杏仁霜が大さじ2杯に、砂糖大さじ1杯、粉寒天の量は覚えてこなかったので、今度覚えてくる予定)
その後、本間商店に行ったら、台湾製の杏仁霜があって、「高温状態時加入」と書いてあった。
これらから考えると、どうも、杏仁霜は、沸騰するくらいの温度の中で溶けるようなのだ。
日本の感覚だったら、牛乳を沸かすとき、牛乳を沸騰させないようにして、蛋白質の膜ができるのを防ぐのが常識だけれど、中国生まれの杏仁霜は、やはり、この日本の常識の範囲外であるようだ。

その後考えた。
寒天だったら、寒天まで入れて高温で煮ても良いけれど、今はやりのゼリーで作るフルフル杏仁霜だったら、まず、高温で杏仁霜と牛乳・砂糖を溶かして、冷まして温度下げてから、ゼリーの粉を入れることになると思う。

もう秋であり、杏仁豆腐を作ることはないけれど、また、来年の夏になったら、是非試してみたい。



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2000年10月17日(火)

鍋照り焼きのコツ


ある人から、舌びらめのムニエルを習ったときに、舌びらめを焼いた油をフライパンから出すように習った。
魚を焼いた油には、魚から溶け出た臭みなどが移っていて、美味しくないというのがその根拠であった。

照り焼きには、直火で焼く「照り焼き」とフライパンで焼く「鍋照り焼き」がある。
実際は、本当の照り焼きの焼き方では、ガス台がとても汚れるから、ごく一般的な家庭では、「鍋照り焼き」が主流であると思う。
網を使って照り焼きを焼く場合は、焼いている最中に出て来る油は全部ガス台に落ちてしまうわけであり、鍋照り焼きの場合、焼いた油を捨てない限りは、それを味わってしまうことになる。

このムニエルを習ったときの知識を踏まえて、「鍋照り焼き」を考えると、この和食風家庭料理を作る場合も、フライパンで魚を焼いた後、フライパンに残る焼いた油と魚から出た油を捨ててから、醤油と味醂を入れることは、味を良くすると思ったのだ。

「焼く30分前には、ちゃんと塩を振って冷蔵庫で寝かせた」こと、「焼く前にキッチンペーパーで表面に浮いた水分を拭いたこと」、「両面を焼いてから、フライパンに溜まった油を捨てる」をやったら、「美味しい」と言われた。
是非、お試しを。
(油は勿論流しに捨てないで、紙か何かに吸わせて、ゴミ箱に捨てるのがベストです)



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2000年10月18日(水)

毒のないふぐは人を幸せにする


知合いの人が企画してくれたので、築地の天竹へふぐを食べに行った。
ふぐを食べるのは、確か10年振りくらいである。
ふぐというのは、「冬になったら、ふぐを食べなくては」という習慣のある人が身近にいないと中々食べに行かないものである。

久し振りのふぐは、とても美味しかった。
ひれ酒を片手に、食べたものは、ふぐさし、ふぐの唐揚げ、ふぐちり、それに雑炊であった。
ふぐというのは、ぽん酢にとても良く合う。
ふぐさしもふぐちりも、ぽん酢で食べるので、飽きないかとちらっと心配になったが、大丈夫であった。

ふぐちりを頼んだら、お鍋に水を張ったものが、ガスコンロの上に乗せられた。
ふぐというのは、骨や身から良いだしが取れるので、予め他のだしを取っておく必要がないようだ。
がらだけを入れて火にかけて、だしが取れてきたら、身や野菜、豆腐などを入れる。
これもこれで美味しいが、最後に雑炊にしたのだが、これまた、美味しい。

久々に味わったふぐは、私だけでなく、一緒にふぐを食べた人たちを幸せな気持ちにしていた。
食べながら皆「美味しい、美味しい」の連発で、和気藹々と楽しい時間を過ごすことができた。

ケンカした人を仲直りや、知らない人を紹介するときなどに、ふぐ料理は向いていると思う。
(絶対向かないのは、蟹料理、こちらは、殻をむくのに忙しくて、皆、自分の世界に入ってしまうから)

天竹
住  所 : 中央区築地6−16−6
  電話番号 : 03-3541-3881
  営業時間 : 11:30〜22:00(L.O.21:30)
  定休日 : 日休(11・2月は第1・3水、10・3月は水、年末年始休)
  交通手段 : 地下鉄日比谷線築地駅本願寺口より 徒歩7分

場所は築地の交差点を勝どき橋に向かって5分程度歩いたところ。(勝どき橋に向かって左側)
歩いている途中に、場内の寿司大の支店を発見、夜10時でも営業していたから、午前中に場内にお寿司を食べに行けない人に、便利だと思った。



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2000年10月19日(木)

玉子焼き器


今年の夏、知合いの人が、合羽橋に玉子焼き器を買いに行きたいというので、付き合ったのだ。
銅製の玉子焼き器は、買った後、トンカチで柄を取り付ける必要があると、その人に、予め教えておいた。
その人は、家にトンカチがないそうで、東洋商会さんで、「柄を取り付けてもらえないか」と頼んで、その場で、柄を取り付けてもらったのだ。

「な〜るほど、そういう手があったのか」と私は関心した。
私も10年くらい前に玉子焼き器を買っているが、自分で打った釘の位置が悪くて、使う度に柄がガタガタして、不満に思っていたのだ。

最近、運良く、別の友人から、「合羽橋で玉子焼き器を買ってきて」と依頼された。
「チャンス!」と思い、日曜日に、自分の玉子焼き器を持って、東洋商会に行った。
友人のを1つ買って、柄を取り付けてもらうと同時に、私の中古品も柄を直してもらった。
やはり、プロがちゃんと釘を打って取り付けた柄は、全然ガタガタしないので、とても満足。

合羽橋で玉子焼き器を買いたいと考えている人は多いと思う。(私も合羽橋に通うようになってから、すぐ「玉子焼き器」を買ってしまった。)
玉子焼き器を買うときは、お店で、「柄の取り付け」を依頼するといいと思う。



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2000年10月20日(金)

自分より弱い人間


ある晩、私は、もう夕食の始まっている時間に、家に帰って来た。
母の部屋に入って「ただいま」と言った途端、母の布団に入ってテレビを見ていた甥1が、「まり、じゃんけんしよう?」と言ったのだ。

このじゃんけんというのは、布団に寝転がっている甥1が、氷を食べたくなるのだが、自分で取りに行くのが面倒なので、私に依頼したことから始まった。
しかし、そんな怠惰なことを許してはしつけにならないと拒否したのだが、相手がしつこくて、結局、「じゃんけん」して、私が負けたら、氷を冷凍庫から出して、甥1の寝ているところまで持って行ってあげることになったのだ。
それがず〜っと続いていて、それがまた、ず〜っと私はじゃんけんに負けっぱなしなのである。

で、この晩も、無事私はじゃんけんに負けて、甥1の口に氷を入れてあげた。

こんなに早くから、じゃんけんしようなんて、珍しいと思ったのだが、母の解説を聞いて納得した。

甥1は、その日、放課後の公園で何かのはずみで、友人にぶたれてしまったそうだ。
そして、その後、どこかに出かけるのに、弟の帽子をかぶって出かけたら、弟が怒って自転車で追いかけて、その帽子を路上で取り返したとか。
おまけに、その日は、午後から寒くて、お母さんに「出かけるなら、厚着していきなさい」と言われたのに、薄着で公園に行ってしまい、家に戻ったら、お母さんがとても怒って、甥1のお腹を1回ぶったのだそうだ。
甥1は、お母さんが怖くて、おばあちゃんのところに逃げ出し、「電話で、僕のことを怒ったり、ぶたないように言って」と頼んだとのこと。
孫に弱いおばあさんは、孫の言うとおりに行動したそうだ。
(おばあさんが甥1に結果を聞いたら、「おかあさんは、僕が家に戻ったら、怒っていたけれど、ぶちはしなかった」とのこと。(笑)
このおばあさん子は、おばあさんがいなくなったら、生きていけるか、私は心配なのである。)

そんなこんなで、この日の甥1は一日中いいことがなく、人にぶたれたり、怒られっぱなしだったらしい。
だから、自分より、確実にじゃんけんが弱い私に会った途端、うさばらしに、私にじゃんけんを挑んできたのだ。

甥1に、「この世の中で、いつも、甥1にじゃんけんで負ける人間は、私しかいないでしょう?」と聞いたら、素直に「うん」と答えた。(笑)

子供には、ある日、良くないことばかり起きる日というものがあって、これを解消するには、自分より何かで弱い人間というのが必要なのかも知れない。
(これを推し進めると、「イジメ」ということに繋がってしまうかもとも思うが)

母の話を聞いて、「甥1、あんたにじゃんけんで負けてばかりいるおばさんを大切にした方がいいわよ」、と言っておいた。


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2000年10月21日(土)

中華おたま


合羽橋道具祭のときに購入した中華おたまを使ってみた。
まず、購入するときだが、鉄製で、大中小とある。
どれにしようか迷ったが、とりあえず、北京鍋が小さい(直径28か30cm)ので、小にしておいた。
当然、おたまの直径に比例して、柄の長さも変わってくる。
小にすると、柄が短くて大丈夫かしらと、ちらっと不安に思った。
鉄製の他、ステンレス製もあったが、ま、お鍋が鉄だから鉄にしておいた。(当然、鉄の方が安い)
お値段は、鉄の小で、600円であった。

使い方もおろし方も何も書いていないが、鉄製だから、きっと錆び止めが塗ってあるだろうと思って、ガス火で焼いた。(おたま本体と、柄の一部)
それから、本当は、熱い油の中にでも入れて馴染ませればいいのだろうが、面倒なので、油を塗って、拭いて終わりとした。

実際使ってみて、柄が短いということはなかった。
何せ、このおたまを買ったのは、今までお味噌汁をよそう普通の日本のおたまで代用していたのだが、これだと、長く炒めていると、手が熱くてたまらなくないというのが理由であった。
この36cmの長さなら、北京鍋をかき混ぜる手が熱くならなくて済み、大助かりである。
こんなことなら、早く買えば良かったと後悔している。
後は、錆びないように使うことだけを心掛ければよいのだ。



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2000年10月22日(日)

酢豚


酢豚という料理は、野菜が沢山取れるし、豚肉は入っているし、栄養的にはとても良い食べ物であると思っている。
そして、酢豚こそ、料理屋で食べようが、我が家で食べようが、そんなに味が変わらないような気がする。
(だからこそ、私は、中華料理屋で余り酢豚を食べたことがない。ということは、今書いたことは余り当てにならないかも知れない。)

我が家では、以前、母も妹も酢豚が嫌いだと聞いていたので、全く作らないでいた。
しかし、ある時、母が、お昼に近所の惣菜屋で酢豚を買っていることを知って以来、たまに作るようになった。
(そうならそうと早く言えよな、と、毎日の夕飯の献立に苦労している私は心の中で呟いた。)
母は、そんなに酢豚が好きなわけではないけれど、野菜が沢山食べられるという健康上の理由で、酢豚を買うようになったとのこと。(豚肉は殆ど残す)
人間、食べ物に関する嗜好とか、ニーズは、時々変化するもののようである。
その人が昔は嫌いだと言っていたものを平気で食べるようになることはままあることなので、「○○は嫌い」と言っても、たまには、「好きになった?」と聞くことも必要かと思う。

妹も、「嫌や」とは言わずに、酢豚の野菜だけを食べる。(ということは、豚肉の揚げたものは、殆ど私が食べている。あるときは、次の日の酒の肴に取っておいたりもする。)

酢豚を他所で注文すると、パイナップルが入っていることがあり、これは好き嫌いの分かれるところであるが、私は、余り好きではない。
でも、パイナップルを入れるというのは、豚の臭みを果実の匂いや味が消す効果があるからだとは、理解できた。
だったら、今、持っているラズベリービネガーを酢豚に使ったら、どうだろうと試してみた。

熱を入れるせいか、ラズベリーの匂いとか味は全くしないような気がした。
また、豚の臭みは全く感じなかったが、これは普通のお酢で酢豚を作ったときと同じである。
元々、私があまり豚肉に臭みを感じない人だから、全く効果がわからないのだと思う。
(同じく豚肉大好き、豚の臭みなんて今まで感じたことがない弟に聞いてみたが、答えは同じであった。)
強いて言えば、パイナップルを入れたときより、甘味が少ない出来上がりだったかなという程度であった。

他人に、「酢豚にラズベリーワインを入れる」ことを勧めるかと聞かれれば、私のように、「変わった果実のビネガーは買ったはいいけれど、使い方がわからなくて持て余している人にだけ勧める」と答えるしかない。



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2000年10月23日(月)

酸度7%のビネガー


以前、マヨネーズのように、割と多めのマスタードに少量の塩・胡椒を混ぜたものに、油を加えて行くと、分離しないドレッシングができると書いた。
で、書いた時点ではうまく行っていたのだが、その後数回うまく行かなかったのだ。
やはり、マスタードには、結着力があるとはいえ、油が多くなると限界に達するのか、分離してしまうことが何回か起きた。

その後、フランスのクロビスというメーカーの高級白ワインビネガーを手に入れた。
どのくらい高級かというと、栓がコルクで、ワインオープナーで栓を開けるビネガーである。
実際にこのお酢でドレッシングを作ってみると、お酢の量を控えめにしないと、酸っぱ過ぎるドレッシングができてしまうことがわかった。
何せ、日本の普通の醸造酢だと、4.5%の酸度で、ま、通常の高級スーパーで入手できるビネガーで6%くらいが普通だと思う。
しかし、この高級クロビスは、7%の酸度である。
(酸度の表示なのだが、私の持っている日本の醸造酢とフランスのヴィルクスは、「%」表示なのだが、クロビスは、「度」表示なのである、きっと、同じ基準であると思うが、はっきりしない。)
酸度7%というと、やたらに酸っぱいイメージがあるが、この白ワインビネガーは本当のワインから作ったビネガーなので、ドライであるが、結構まろやかな味である。
(一度、酢の舐め比べをやったが、日本の4.5%の醸造酢の方が、刺激が強くて、むせてしまった。)

で、控えめなお酢の量に、マスタード・塩・胡椒を混ぜてから、そこに少しずつ油を入れて、泡立て器でかき混ぜながら、ドレッシングを作っていったら、今度こそ、何回やっても、全く失敗なしの乳化されたドレッシングができたのだ。
これは、結構驚きであった。

今まで、乳化に失敗していたのは、使用した酢の酸度が低いため、油に対して酢が多くなったためではないかと思う。

酸度が高いお酢を使えば、お酢の量が、自然と油に比して少なくなる分、乳化が楽になるのではというのが、私の現在のところの結論である。
これだと、今まで、必ず乳化されたドレッシングができている。(但し、1,2時間経ってしまうと、分離してしまうが)
私のように、「ドレッシングは自分でかき混ぜたものが好き」というこだわりを持ち、「乳化ができなくて困っている」という人がいたら、高級スーパーなどで、酸度の高いお酢をみかけたら、是非お試しください。



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2000年10月24日(火)

指を切ったら、心臓より上に上げておく


最近、忙しいこととが続き、一週間に二回、包丁で指を切ってしまった。
小さいときから見様見真似で包丁を使っているので、自慢ではないが、指を切るのには慣れている。
一度目は大したことはなかったのだが、二度目は、結構、皮を深く切ってしまったと、切った瞬間、わかってしまったのだ。

料理を止めて、キッチンペーパーで傷口をずっと押えていたのだが、20分程度経っても、血が結構どくどく流れる。
これは困った、こんなに血が止まらないのなんて、肉まで切ってしまったのかしらと不安になった。
インターネットで台東区のページで、休日診療医のページに飛ぶ。
なんだ、このページは、本当に休日の診療医のことしか載っていない。
しかし、下の方に、「平日の夜間の当番医については、下記にお電話ください」と二つ電話番号が載っていた。

一つ目に電話すると、話中。
二つ目の東京消防庁は通じて、台東区の外科の当番医を二箇所教えてもらった。

一箇所目に電話して、「指を切って血が止まらないのですが」と話すと、「今日は、外科の先生は来ません。眼科の先生で足りるような怪我なら、来てください」と言われた。
(でも、眼科の先生で足りる怪我かどうか、私にはわからなかった。
きっと、この判断は、縫うような怪我かどうかという意味だと思う。)

では、「もう一箇所に電話してみる」ということになり、もう一箇所に電話した。
こちらはこちらで、「今、外科の先生は出かけています。後30分で帰ってくると思いますが」とのことであった。
しかし、こちらは、受付の人が慣れているのか、「包丁で切った指を、心臓より高く上げておくと血は止まりますよ」と教えてくれたので、「指を心臓より高く上げても止まらなかったら、また、連絡して行きますから」ということにした。

果たして、傷をキッチンペーパーで押えながら、心臓より高く上げていたら、血は程なく止まった。
で、無事、医者に駆け込むこともしなくて済んだ。
今まで、「指を切ったら、心臓より高い位置に腕を上げておけ」ということを知らなかったか、以前聞いたけれど、忘れてしまったか、どっちだかよくわからない。

でも、取りあえず、血は止まったし、その後、傷薬をつけてばんそうこうを貼っておいたら、次の日には、傷口は塞がっていた。
何はともあれ、良かった、良かった、である。

そして、一つ知識が増えたので、良しとしよう。



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2000年10月25日(水)

制服


甥たちは、制服のある公立小学校に通っている。
9月のある土曜日、家の横の道で、学校から帰ってくる二人に偶然出会ったのだ。
そうしたら、甥2の白いシャツが、ボタンで留めているのに、はちきれそうで、いつはちきれてもおかしくない状態であった。

普段は、T−シャツを着ているので、太っている甥2が前開きのシャツを着ている姿を見たことがなかったのだ。
どうみても、体格に比して、シャツが小さ過ぎることは歴然としている。
う〜ん、夏休みの間に体重が5kg程度増えたと聞いていたが、そのことが制服のシャツで証明されていた。
思わず、甥2に「どうしたの、そのシャツ?ボタンがはじけそうよ」と言ってしまった。
甥2は、全然気にせず「いいの!」と答えた。
いいの!と言われても、親戚以外の他の人だって、この甥2の制服姿を見れば、当然、私と同じ感想を持ち、同じように「シャツがおかしい」と思うと思った。

夜、甥2の父親に会ったとき、「甥2の制服のボタンがはじけそうだ」と言ったら、「そうなんだけれど、新しく大きなサイズを買っても、すぐに小さくなっちゃうでしょう?」と言う。
実際、甥2は、友人に制服のボタンでからかわれるそうなのだけれど、本人、「いいの!」と言って、無頓着なのだそうだ。(小学生の低学年の男の子が、全身の鏡を見ることはないのかも知れないから、どうして、自分が、人からそう言われるのかわからないのかも知れない)
親も経済問題を考えると、「よし、新しい制服を買ってあげよう」と決断しにくいし、本人は、友達はうるさいけれど、自分の姿が人から見てどのように見えているかわからないので、我慢している状態なのだ。

しかし、外野のおばさんやおばあさんは、「友人にからかわれる」ということを聞くと、この子が不憫でならない。
私も先日本屋で、「子供の肥満」という本を読んで、「肥満な子供は、友人たちにからかわれ、段々、その体格のおかげで、性格が暗くなって、消極的になっていく」と読み、「うちの甥2は、肥満だけれど、明るくて積極的だから、ま、いいか」と思ったばかりであった。
おばあさんが、「それは可哀想に」と、そのとき、ちょうど余分なお金が入ってきたので、新しい冬服の上着を買ってあげることにしたようだ。
(何でも、もう甥2は、一番大きいサイズでも小さくて、寸法を計って特別に作ってもらわなくては間に合わないとのことで、制服代は、決して、安くないそうである。)

制服のある学校の肥満な子とその親って、結構、精神的にも金銭的には辛いものだと思った。
甥たちの小学校に運動会を見に行ったことがあるが、我が甥2のような体型の男の子は、どの学年にも2,3人いた。
こういう親同士の組合でも作って、臨時の兄弟か親戚になって、学年の上の子の制服を下の子に回すような仕組みを作ればいいのにと思う。
これから、甥2が急に痩せることもなければ、まだまだ成長期で、人より早いスピードで大きくなっていくと思う。
中学・高校と制服を着なくてはいけない時期が続き、出費も馬鹿ならないと実感する。
でも、世の中、体格のいい子の親同士の連携なんて、個人的に親しくなければ、あり得ないのかも知れない。
しかし、ここまで、誰かが音頭を取って組織を作れば、その後の肥満児の親は助かるのにと思う。


2000年10月26日(木)

玉子焼き器の謎


とあるところで、関西風の出し巻き卵を習った。
ご存知のように出し巻き卵は、四角い玉子焼き器に出汁入りの卵液を流し込んで、四角く焼けたら、向こうから手前に巻き込んできて、それをまた向こうに送る。
そのときに、正しい玉子焼き器の位置は、玉子焼きがある向こう側が火から外れるようにすることだと習った。
玉子焼きを向こうに送った後、また、油を引いて、卵液を流し込んで焼いて、なんていうことをしているうちに、向こう側の底が火に当たっていると、焼け過ぎたり、焦げたりするからだという。
それは一理あるとものすごく納得すると同時に、玉子焼き器の形の謎が一部解けた。

玉子焼き器は、関西風は縦長であり、関東風は、真四角なのだ。
これがどうしてかわからなかったが、きっと、関西では出し巻き卵が主流だから、縦長にして、玉子焼き器を大きく動かさなくても、自然と向こうに送った卵焼きが焦げないような設計になっているのではないかしらと思ったのだ。
きっと、関西の玉子焼きは、全面に火を当てながら焼くのではなくて、手前2/3か、向こう2/3だけ火に当てながら、焼くのではなかろうか?
そうか、そうか、出し巻き玉子専用だから、関西型は、細長くて、玉子焼き器をずらさなくても、向こうに送った玉子焼きが焦げないような設計になっているのだと一人で納得。

関東にとっては、あのお寿司の玉(ぎょく−玉子焼き)こそが本来の玉子焼きであり、焦げても構わない料理なので、真四角なのではないだろうか?
横長の名古屋型は、未だ良くわからない。
多分、う巻きがうまくできるようにあの横長の形ではないかと想像はできるのだが、定かなことではない。

合羽橋に行くと、玉子焼き器を沢山売っているが、やはり、関東型の真四角が主流で、関西型の縦長も見たことはある。
名古屋型は、まるで、見たことがない。



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2000年10月27日(金)

村上信夫のフランス料理を食べる会 その1


友人に、「村上信夫のフランス料理を食べる会に行かない?」と2,3か月前に誘われた。
村上信夫さんは、長年帝国ホテルの総料理長を勤められ、本も沢山出されているし、私が小さいときは、良くテレビのお料理番組に出演されていたこともあり、親近感があった。

お値段は、22,500円と、私としては、目の玉が飛び出るような値段だったが、村上信夫さんがもう80歳以上とのことで、このチャンスに行っておいた方が良いなと判断し、参加することにした。

で、行く前の日に詳しいパンフをもらったら、「西洋料理史を辿る美食シリーズ」で、今回のテーマは、「近代フランス料理を気付いた巨匠たちの時代」であることがわかった。
何でも、「19世紀の大料理長アントナン・カレームとその高弟アドルフ・デュグレレが創作したメニューをご用意。2大シェフの贅なる美味をご堪能ください」と書いてある。

カレームの名前は聞いたことがあるが、デュグレレは知らなかった。
年表がパンフレットについていて、それを見る限り、カレームとデュグレレという人たちは、エスコフィエ直前に活躍をした人たちであることがわかった。
日本に置き換えると、江戸の末期か、明治のフレンチということになり、どんなものが出てくるのか、全く想像がつかなかった。

メニューは、下記の通りであった。

・最高のキャビア ブリニ添え モスコー風味
・カレームが創作したお野菜とトリュフ入りコンソメスープ
・デュグレレが創作した美味しいオマール海老のグラタン
・ロッシーニの歌劇の祝賀会でデュグレレが創作したトルヌード
・チーズ風味のサラダ
・カレームがロシアで創作したシャルロット



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2000年10月28日(土)

村上信夫とフランス料理の夕べ その2


で、10月27日の午後6時半からとのことで、15分程前に会場に着いた。
会場の前には、とても高いコック帽を被って、胸には、(きっとフランス政府から贈られたのだろうと思われる)勲章が光っている村上信夫さんが立っていて、お客一人ひとりに挨拶をされていた。
今まで、ものすごく大柄な人かと思っていたが、私と同じくらいの身長(163cm程度)であった。

どんな感じで会が進められるかというと、初めと最後、そして料理の合間に、司会の人と村上信夫さんが、色々説明をしてくれる感じであった。

お客様も、平日ということで、どこかの皇族かと思われるようなシックな装いの人から、会社帰りという感じの人まで、服装は様々であった。
同じテーブルの人を見ると、割と高齢で裕福な感じの人たちが多かったような気がする。
今日初めてという人もいたし、何度目かという人もいた。
一番凄かったのは、今回が253回目だとのことであったが、その殆どに出席しているという親子連れがいたことである。

グラス類は、帝国ホテルにエリザベス女王がいらしたときに使ったときのもの、全く継ぎ目がないと説明され、本当だと思った。(この程度のことしか言えないのが残念。)
テーブルクロスから、何から何まで念入りに選んだ品が使われていたようであった。

村上信夫さんの説明やいただいたメニュー表に添えられている言葉をまとめると、カレームとデュグレレは、下記のような経歴の料理人らしい。

アントナン・カレーム
ロスチャイルド家の料理人をした後、モスクワに行って、ロシア皇帝の料理人になった。
しかし、モスクワに行っても、その気候に耐え切れず、短い期間だけで、パリに戻ってきた。
ブリニ(蕎麦粉のパンケーキの小さいの)などをモスクワからパリに持ち帰った。
お菓子のシャルロットもカレームが創作したものだとのこと。

アドルフ・デュクレレ
デュグレレは、カレームの弟子で、ロスチャイルド家の料理長を勤め、フランス革命後、「カフェ・アングレ」という店を開いたとのこと。
で、このカフェ・アングレという店は、何と、映画の「パフェットの晩餐会」の中で、主人公がパリにいたとき、勤めていて、ここで料理の腕を磨いた店だとのこと。
(それを聞いて、急に親近感が湧いた)


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2000年10月29日(日)

村上信夫とフランス料理の夕べ その3


料理の感想を一言でいうと、「近代フランス料理というのは、日本の結婚式のホテルの洋式の披露宴で出される料理とほぼ同じ」なのだと言うことであった。
日本で、洋式のコースとしてうやうやしく出される料理は、カレームとデュグレレの料理あたりが基礎なのだと理解した。

一皿ずつの感想は下記のとおり。

最高のキャビア ブリニ添え モスコー風味
  モスコー風味とは何だろうと思っていたが、「モスクワ風」という意味らしい。
  お皿の真中にキャビアが盛られ、上の方に、「本当に細かくみじんにされた玉ね
  ぎとパセリ」がのっている黄色いチコリ、「ゆで卵の卵黄と卵白をそれぞれにみ
  じん切りにしたもの」が乗っている赤いチコリが添えられていた。
  このチコリと皿は、サワークリームで繋がっていた。
  手前には、ブリニという蕎麦粉の小さなパンケーキが三つあった。
  このブリニの上にキャビアと薬味を乗せて食べるものらしかった。
  勿論、あの繋ぎのサワークリームも乗せた方が美味しいだろうし、色々な薬味で
  何<通りかで食べた。
  美味しかったけれど、キャビアが最高かどうかは、私には判断つかなかった。
  (本物のキャビアを食べたのはとても久し振りだったので)
  私のキャビアに対する理解度が低いので、総合的には、まあまあという感じで
  あった。(まあまあ=特別美味しくは無い)

カレームが創作したお野菜とトリュフ入りのコンソメスープ
  牛すじ肉から丁寧にとったコンソメに、トリュフとささみと人参、(多分)
  レタスの本当に細い千切りが浮かんでいた。
  アーティスティックインプレッションは、結構高得点であった。
  村上信夫さん曰く「牛スネ肉で、とても丁寧に取ったコンソメ」とのことであ
  ったが、それ程、すご〜いという味ではなかったと感じた。
  結構香り高いコンソメであったが、牛肉の匂いがしたという印象があって、
  トリュフの匂いはよくわからなかった。
  (しかし、回りの人たちも「牛肉のスープの匂いが良い」と言っていたから、私
  だけわからなかったわけではなさそうである。)
  つまらない話だが、給仕の人が回ってきて、スープを銘々に注いでくれたのだ
  が、隣の席の友人の皿にはトリュフの千切りが6切れ入っているのに、私の皿に
  は2切れだけ、「チッ」という感じであった。(笑)

デュクレレが創作した美味しいオマール海老のグラタン
   出てきた瞬間、「あ、なんだ、このお料理か」と思ってしまった。
   結婚式の魚料理として、よく伊勢海老の半身にホワイトソースがかかって焼か
   れたものが出る(と言っても、この料理が出るコースは値段が高いので、必ず
   とは限らず)けれど、そのオマール海老版だったのだ。
。    味もまあまあだけれど、「そうか、古典的フレンチというのは、日本の洋式の
   結婚式の披露宴に出される料理と思えば、理解が早いのだ」と妙に納得しな
    がら、食べてしまった。
   それにこれは、結構生ぬるい温度で出されたところがちょっと不満。

ロッシーニの歌劇の祝賀会でデュクレレが創作したトルヌード
   これも、出た瞬間、「なんだ、これか」と思った。
   私が今まで招かれた洋式の宴会で、ステーキの上に大きなフォアグラが乗っ
   ていたものが出た記憶はないから、これは食べるのは初めての料理であ
   る。
   しかし、2,3週間前に、ある新しくオープンするフレンチのレストラン
   の内覧会で見せられたお値段8千円のコースの肉料理がこれだったのだ。
   簡単に言うと、「ステーキの上に大きなフォアグラが乗っている料理」で
   ある。
   実は、この料理を見て、「今時、レストランに、フレンチのコースを食べに行
   って、このようなステーキにフォアグラという取り合わせを出しても、喜ぶ人
   は少ないのでは?」と思ったのだが、まさしく、そのお料理こそが、「デュグ
   レレさんのトルヌード」であった。
   でもこのお料理は本当に美味しかった。
   最高のフィレ肉の焼き具合がとても良かったし、フォアグラもとろけるようだ
   った。
   フォアグラは、フランスのルーディエ社という会社のフォアグラで、チルド冷
   蔵でフランスから運ばれてきたものとのこと。
   今まで食べたフォアグラの中で一番美味しかった。
   他、ソースにはトリュフのみじん切りが入っていた。

   この料理には、本当に満足。
   素材の良さ、焼き具合の素晴らしさ、本当に最高。
   更に、100人分以上を一度に作るのに、この美味しさを出せたこと
   に拍手という感じであった。

チーズ風味のサラダ
   これは、フルーツトマトを真横に半分に切った上に、ドロドロのチー
   ズを乗せたものを真中に置いて、回りにデトロイトだのなんだのの香味野
   菜を置いたものであった。
   フルーツトマトが美味しかった。

カレームがロシアで創作したシャルロット
   これは、ババロワとアイスとフルーツとアイスクリーム・シャルロットをきれ
   いに並べたもの。
   素材は結構有り来たりのリンゴとかキーウィなどで、目新しさを感じ
   るものはなかったですが、並べ方がとにかくきれいで、アーティスティックイ
   ンプレッション10.0という感じであった。

フォアグラとステーキの美味しさ、最後のデザートのデザインの美しさに、バフェットの晩餐会の最後の場面のように、参加者の舌と胃と心が優雅な満足感で満たされ、和気藹々として会が終わった。

22500円の価値はあったと思う。
しかし、また同じ料理を食べたいかというと、今度は、もっと超モダーンで、しかも、軽過ぎない、違う傾向のフレンチが食べたいと思った。
取り合えず、何品かはとても満足だったし、色々ためになることを教えていただいて、とても良い会だったと思った。



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2000年10月30日(月)

村上信夫とフランス料理の夕べ その4


この会は、和気藹々という雰囲気のうちに終わった。
これも帝国ホテルのサービスが良いのと、村上信夫さんの人柄によるものであろう。

料理に関して言えば、とても驚いたのが、「現代の日本において、ホテルの結婚式の披露宴で食べるフランス料理が、日本で言えば、江戸時代末期か、明治時代の料理であることがわかった」ことだ。
今まで、私には、フランス料理に関する何の知識がなかったので、「ホテルで洋式のコースを食べる」という嬉しさで、うやうやしく出される料理を全て、私は「これこそが、フランスの高級料理」と信じて有難く食べていたのだ。

とても変な感じがした。
外国人が、江戸末期や明治時代の日本の懐石や会席を食べると聞いたら、私はやはり、「それは余りに古いから、現代の懐石を食べてみて」と言ってしまうだろうと思う。
江戸末期や明治時代の料理なんて、現代の日本人が殆ど口にすることのないものであることを考えると、やはり、フランス人が「日本人が現代ではなく、近代のフランス料理を高級料理として食べている」と聞いたら、奇異に感じるだろうなと思った。

何でこんなことが起きるか考えてみたが、やはり、日本は明治の初めに西欧化が国策だったら、政府が必要に迫られて、フランスから料理人を招いたりして、どうにか、日本でもフランス料理を作れるようにしたのだろう。
その後は、フランスへ留学できる料理人なんて、本当に少なかっただろうと思う。(自由に外国に行ける時代でなかったこと、日本が戦争で忙しかったことなどを考えると)
初めの外国人に料理を習った日本人がその弟子に習った技術を教え、また、その弟子がまたまたその弟子に教えという形で、「日本における高級なフランス料理」が広まり、しかも、殆ど誰もフランスに修行に行かない時代が長く続いたし、日本のフランス料理を食べるのが日本人ばかりであったことから、こんなになってしまったのかなと思う。
それと、結婚式の披露宴というのは、色々な世代の人が集うものであり、「昔と変わりないフランス料理を出す」ことで、その高級感が昔の人にわかりやすいということもあるだろうと思う。(なんというか、誰が見ても、「海老を出し、フォアグラに牛肉のステーキ」には高級感を感じるであろうから)

日本で未だにホテルの洋式の宴会コース料理が「江戸時代末期か明治時代のもの」であることを考えると、辻静雄さんのような人物が現れたり、日本でも、結婚式の披露宴は、「レストラン・ウェディング」が流行ることは、当然と言えば当然なのかも知れない。
また、こういう発展というのは、国が戦争などしていないで、結構裕福な国になって、しかも、民間人が自由にフランスへ留学できるようになったから、可能になったことかも知れないと考えた。
お金のことを考えると、そんなに色々食べ歩けないが、日本のフランス料理は、今の時代からが面白いのだろうと思う。



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2000年10月31日(火)

茹でたほうれん草


緑黄色野菜を取るのが下手なので、味噌汁や吸い物に、茹でたほうれん草を浮かべてみた。
それにしても、ほうれん草というのは、少し入れただけのつもりでも、汁に入れると本当に広がって、汁物を全て覆ってしまう。
汁物に入れる量を程良くすると、余り、緑黄色野菜が取れないなと思った。

★じゃがいものお味噌汁
 これは、はっきり言って美味しくなかった。
 じゃがいも単独のお味噌汁の方が、絶対的に美味しい。
 少し食べてから、「じゃがいもだけのお味噌汁の方が美味しかったわね」という
 と、食べ終わっていた母が、はっきり肯定した。
 我が家で、もう二度と、ジャガイモにほうれん草の味噌汁が食卓に上ることはな
 い。

★すじとほうれん草の吸い物
 スーパーに行ったら、もう今の季節、卵豆腐は売っていないようであった。
 代わりに見つかったのが、「すじの団子」である。
 関東ですじと言えば、魚のすじであり、他の地方では売っていないものかも知れな
 い。
 魚の身ではなく、筋をすって、通常は、円柱のような形に固めたものをで売ってい
 るが、紀文では、これをお団子にしたものを売り始めたようだった。
 これは、吸い物の種になると思って、これを買い求め、作った吸い物の最後に、ほ
 うれん草を浮かべてみた。
 飲んでみると、味噌汁のときより、吸い物の方が、ほうれん草が美味しい、少なく
 とも「不味い」とか、「ほうれん草がない方がいいのに」とは思わなかった。
 まだ結論を出すのは、早過ぎるかも知れないが、昆布とかつお節の出汁そのもの
 の方が、昆布+かつお節+味噌より、合うような気がする。

以上のように、吸い物の方が、ほうれん草をうまく受け止めてくれるような気がするが、ほうれん草の入った吸い物を口に入れると、焼いたお餅が入っていた方が美味しいのに、と思ってしまう。
すなわち、私にとっては、ほうれん草や小松菜の入った吸い物というのは、我が家のお雑煮の味なのである。
あ〜、やはり、駄目だ、やはり、この方法では、我が家に緑黄色野菜が根付くとは思えない、もうちょっと、考えねばと思う。



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