表紙へ戻る

「美味しい!」が好き

最新は31日です。ここをクリックしてね。
過去の分はカレンダーの日付をクリックしてください
1999年10月
   日    月    火    水    木    金    土
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

★★★  過 去 月 分 ★★★
フレーム版   98/08   98/09   98/10   98/11   98/12
          99/01   99/02   99/03   99/04    99/05
          99/06  99/07   99/08   99/09

ノンフレーム版 
98/08   98/09   98/10   98/11   98/12 
          99/01   99/02   99/03   99/04   99/05
          99/06   99/07   99/08   99/09



1999年10月01日(金)

ラーメン


お墓参りの帰りに、インターネットで習った御徒町の「えぞ菊」という札幌ラーメンの店に家族で行った。
このお店は御徒町のアメ横と反対方向のガード下にあって、誰も入ったことがない。
場所を知っているのも当然私だけ。
「ラーメンを食べて帰ろう」と言い出しっぺの私が一番最初に店に入った。(総勢5人)
一番カウンターの奥の方の席まで進んで、座って、落ち着いてふと横を見ると、思いもかけずに隣に座っているのは甥1であった。
甥1は、どういうわけか、私と妹のWおばちゃんの間にいた。
思わず、「アラ?なんで、私の隣にこの子がいるのだろう、親がいるときには、親の隣にいる筈なのに」と思う。(親は相当離れたところにいた。)
確か、お墓参りの時は親にくっついていて、私には近寄ってこなかった筈だ。

ラーメンを専門店のカウンターで食べるときは、子供の面倒を見ながら食べたら美味しくないじゃないか、やっぱり、一心不乱に自分の世界に浸りながら食べたい。
でも、当然のように私の隣に座っている甥を見ると、そうは言えないのが辛い。

この子は、食事をするときに、おばあちゃん、おばちゃん、親がいたら、おばちゃんあたりの隣にいれば、一番自由度は高いし、融通がきくと、思っているのではないか。
もう字が読めるから、メニューを決める時には、世話は焼けない。
甥1は、当てずっぽうに、「塩」を選ぶ。
「美味しいかな?」というので、「気に入らなかったら、おばちゃんのお味噌と取り替えてあげるから」と言う。
待っている間に、メニューの中の「バター」という文字と席の前に置いてあったすりにんにくの容器に気付いたようだ。
「バターを入れると美味しいの?」というので、「うん、きっと、美味しいよ。でも、今日は、初めて塩を食べるのだから、塩だけで食べたり、にんにくを入れてみて、どっちが美味しいか比べてみたら?今度のときにバターを頼めばいい」と軽くいなす。(バターは50円増し)
甥1は、おばちゃんのアドバイスに素直に従う、納得したようだ。
(甥1は、割と素直で、どうしてもバターが食べたいとか、固執しないところが、良い)

はてさて、そんな話しをしていると、大きなどんぶりに、たっぷりの野菜を乗せたラーメンが出来上がった。
猫舌の甥1には、どんぶりから、食べるのは無理かも。
「ちいさいどんぶりありますか?」とお店の人に頼み、小さなどんぶりとスープを小分けしてあげながら、食べさせた。(だから、子供の隣はいやなのだよね)

甥1は、ときたま、小さなどんぶりにすったにんにくを入れて、味の変化を楽しんでいたようだ。
(おばちゃんの教育の成果か、味を工夫して楽しむことは身についているようだ。)
「にんにくを入れたのと、入れないのではどっちが美味しい?」との問には、「どっちも美味しい」とのことであった。

ふと離れた席に目をやると、両親に挟まれた席で、大きなどんぶりから、器用に自力でラーメンを上手に食べている幼稚園児程度の男の子が見える。
すごいな、あの年で、大きなどんぶりからラーメンを上手に食べるなんて、ラーメン好きの両親に小さい時から鍛えられたのか、遺伝子の中に、ラーメン好きがすりこまれて生まれたに違いないと思う。

そんなことを考えながら、自分の分もしっかり食べる。
私の食べた味噌ラーメンもにんにくの味がきいて美味しかったが、細かく分析する余裕がなかった。
特段美味しいというわけではないが、割とまとまっていて、難が少ないラーメンだと思った。

甥1を見ると、麺ばかり食べていて野菜を殆ど食べていない。
「甥1、野菜も食べなくてはだめよ」というと、「まりが入れないからだよ」と言われてしまい、ギャフンである。
おばちゃんは、自分が食べるのに忙しい合間に、甥1のラーメンを小さなどんぶりに移していたので、余り野菜を入れていなかったようだ。
しかし、おばちゃんも忙しいのだ、おばちゃんが野菜を入れなかったら、自分で野菜くらい取りなさいよね、と思うけれど、ま、通じないか。

甥1は、この塩ラーメンがとても気に入って、「美味しい」と言いながら良く食べた。
夜に会ったときにも、「今日食べたものの中で一番美味しかったのは、塩ラーメン」と言っていた。
おばちゃんも今度塩ラーメンを食べてみようと思う。
(家に帰って、インターネットの評価を見ると、この店の塩ラーメンは評価が高いようであった。)

世の中の子連れのお父さん、お母さんは、殆ど毎回子供と一緒にラーメン屋に行くのだから、大変ですね。
慣れれば、子連れでも味がわかるようになるのかな。





トップに戻る


1999年10月02日(土)

上野の山フラフラ 1/3


敬老の日に休みが取れた。
気分転換、運動、敬老の日の買物、全てが合致して、谷中におぼろ豆腐を買いに行くことにした。
ちょうど、そのときに、インターネットで、上野の山の中にある桃林堂というお菓子屋の栗の話しがあったので、ついでに買うことにする。

その日は、熱帯性低気圧が近くにあったのか、とても風が強かった。

御徒町からアメ横を越して、不忍池に出る。
蓮の葉はまだ青々していたが、やはり、初夏の頃の元気はない。
もう盛りは過ぎたかなという感じであった。
戦争が終わった後、不忍池を埋め立てて、野球場にしようという話しがあったそうだ。
それに対して、ものすごい反対運動が起き、その計画は潰れた。
その反対運動成功の記念が、水上音楽堂だとのこと。
しかし、こうやって自転車で回りを走っていると、野球場にならなくて本当に良かったと思う。
切り揃えられたかのような同じ高さの蓮が遠くまで続く池の上に、アメ横・御徒町あたりの情景からは信じられないような大きな空が見える。
空は大きく、高いに限ると思う。

少しして、ボート池の方に出る。
ボート池は、風が強いせいか、水面が波打っており、まるで、ちょっとした湖の風情がある。
私のような、中々日帰りでも遠くに行けないものにとって、ボート池のさざなみさえ、有難く思える。
こういうのって、本当は、山中湖くらいまで行かないと見れないものなのよねと思う。

途中、上野高校の横の坂を自転車を引っ張ってあがり、上野の山の中に入る。
上野の山の中のお気に入りは、なんて言っても、東京国立博物館の回り一周なのだ。
本当に都会の中だろうかと思うような大きい木が沢山あり、また、ところどころ、手入れしていない自然が目に入る。
もし、気が向いて、上野の山に自転車で行かれることがあったら、この東京国立博物館の回り一周は絶対のお勧めである。
またまた、風が強いせいで、頭より相当高いところで、木々、葉っぱがこすれるざわざわっと言う音がする。
これが心地よいのだ。
どこか、軽井沢なり、箱根の中の山の中にいる気分。
あーなんていいところに私は住んでいるのだろうと、ひたすら、満足に浸る。
(こうでも思わないと、疲れは取れない。)

こうやって、自分の心を自然と変な満足感で癒した後、桃林堂にお菓子を買いに行った。



トップに戻る


1999年10月03日(日)

上野の山フラフラ 2/3 桃林堂


桃林堂は、上野高校のところを曲がって、芸大の方に向かう角にある。
(上野桜木町と言って、台東区で珍しい高級住宅地)
このお店は、本店が大阪八尾市で、支店が上野の山という変わったタイプである。
外観も中も、手入れの行き届いた古いしもたやで、いかにも、「和菓子の老舗」という感じで、汚い恰好(ジーパンにTシャツ、サンダル)では似合わない気がして、入ったことがなかった。
(味は、もらい物で食べたことがある。)
桃林堂に寄ったところ、栗むしは売り切れ、栗むし羊羹はありますとのこと。
しかし、羊羹は、食感が重そうなので、栗きんとんにしてみた。
直径3CM程度の栗の裏ごしの塊が10個で、なんと、2千円。

どう見ても私が近所の人で家に持って帰るように見えたのか、お店の人が「ご自宅用だったら、お箱を代えますから」と言ってくれて、1800円になった。

帰って食べたら、上品な栗の味とまろやかな舌触り、お砂糖はきっと和三盆の甘さ、とても、美味しかった。
丁寧に少しずつ、ゆっくり、味わった。(味だけなら、私にもできるかなと思うが、形と舌触りは、やはり、プロの仕事だと思う)

栗きんとんは、愛知県の恵那というところのが美味しいらしい。
我が家の親戚で名古屋に縁のある人が、「この栗が食べたくて、1年に1回の名古屋へのお墓参りは、秋にしているの」と言っていた覚えがある。
上野の山の栗きんとんとどのくらい差があるのだろう。

余談であるが、私は大阪に勤務していたときに、会社のお客さんから、「桃林堂」のお菓子をもらったことがあり、包み紙も同じだったので、「わざわざ、東京の上野で買ってきたのかしら」と思った。
よく見ると、「八尾市」と書いてあり、上野の桃林堂は、八尾の人がわざわざ東京に出て来て開いた店なのだとわかり、変に感激した覚えがある。(八尾→上野移住は考えられるけれど、上野→八尾は余り考えられない、また、和菓子は関西が主流だから、八尾→上野と考えたほうが素直だと思う。)
いつの頃かわからないが、あの上野の山の中にお店を開くなんて、もしかして、美術の大好きな息子さんでもいたのかなと想像すると楽しい。
勝手な想像だが、芸術家になりたいと言い張る次男か三男に、それを思い止まらせるために、「芸大の近くに支店を開いてやるから」とか言ってなだめたりして、何か、テレビのドラマみたいだなと思う。
(全く、はずれていたりして...)

ま、どちたにしろ、芸大の近くの住宅地に支店を出すなんて、何か風流な和菓子屋さんだと思う。

桃林堂
住所:東京都台東区上野桜木1−5−7
電話:03−3828−9826
営業時間:9:00〜17:00
定休日:無休



トップに戻る


1999年10月04日(月)

上野の山フラフラ 3/3 芋甚


桃林堂の後、朝倉彫塑館の方から谷中銀座に入って、有名なおぼろ豆腐をGET。
帰り道は、不忍通りから、1本、中に入った通りを走り抜けて、ふと気がつくと、芋甚があった。
根津の芋甚は、色々な観光ガイドにも載っている甘いもの屋さんだ。
(私の頭の中では、根津・千駄木という文京区の区域は、地図の上で、不忍通りより北というイメージがあったが、実は、不忍通りちょっと南までが、文京区だったのだ。)

お店の持ち帰りのところで、数人、並んで何か買っている様子。
ついでに、並んでみると、バニラアイスモナカが100円だったので、即GET。
不忍通りから中に一本入った細い路地を根津銀座まで食べながら自転車を引っ張った。
この不忍通りから一本台東区側に入った通りというのが、実に昔の風情なのだ。
小さな下町風の家が軒を連ね、植木がところ狭しと飾られている。
なんと言えば、ぴったりであろう、そうだ、「トーフィー」という豆腐屋さんのラッパと、自転車に乗って売り歩く豆腐屋さんが、ぴったりはまる雰囲気なのである。
アイスクリームを食べながら歩いている人は私しかいなかったが、何せ住宅地の裏通りだから、人通りも殆どなく、余り人の目を気にすることなく、アイスクリームを楽しむことができた。

アイスクリームは自家製とのことで、本当に自家製の味と冷たさがして(しかも、冷凍させていない味)、おまけに甘すぎず、とても美味しかった。
手作りのアイスというのは、舌に感じる冷たさが、メーカーものと違うのだ。
凍るときの粒子の大きさが違うのかも知れない。

アイスクリーム以上に美味しかったのが、もなかなのだ。
バリっとしていて、乾燥度100%、全く湿りっ気なし。
なにせ、100円だから、上等なモナカではないのだが、やっぱり美味しい。
こんなに美味しいモナカは、大阪の菊屋の抹茶アイス以来である。
これと冷たいアイスクリームが口の中で、マッチングする、口の中で両方とも混ざり合わずに、それでいて、調和していて本当に美味しい。
このアイスモナカで、会社の疲れがスーっと消えたような気がした。

ますます、和風アイスの作り方が知りたくなったが、今のところわかっていない。

芋甚
住   所: 東京都文京区根津2−30−4
電   話: 03−3821−5530
定 休 日: 月曜
営業時間 : 11:00〜19:00



トップに戻る


1999年10月05日(火)

玉子焼き器使い始め 1/2


実は、8年前から、銅の玉子焼き器を持っていたが、変に使ってだめにするのが恐くて今までしまい放しであった。
(材料種類:銅、表面加工:外面 焼け付け塗装 内面 錫熔手引と書いてある、簡単に言うと回りが赤っぽくて、内側が白っぽいもの)
使わないのに、何で買ったかというと、合羽橋を歩き出した初期の頃、やっぱり、プロが使うものを色々試したかったのだろうと思う。

今回、どうにかなるだろうと、久々、取り出してみた。
(しかし、使用する前日に、合羽橋に行って、銅用の磨き粉なぞを買ってしまった。というと恰好いいが、実は、銅用と錫用を間違えて買ってしまった、もうレシートは捨ててしまっているし、どうしよう)
これを買ったのはどこの店だか、もう忘れてしまっている。
その後、合羽橋で、銅のものを買おうとすると、お店の人に「銅は、シロウトには無理よ」といわれたこともあり、ずっと、使わなかったのだ。

ずっと買ったままの状態でビニール袋に入っていた。

木の取っ手と、赤銅の本体と、釘がセットになっており、自分で、木の取っ手を赤銅本体に差し込んで釘を打たなくてはいけないようだ。

ま、釘を打つのは、置いておいて、早速説明書どおりに使ってみた。

★説明書の内容
新しくご使用になるとき、鍋を少し温めて、食用油を引くことを2〜3回繰り返し、鍋に十分に油をなじませてから、お使いください。
お料理をされるときは、必ず少量の油を引いて、弱い火でゆっくり焼いてください。

とあったので、このとおりにやったら、煙が出るのだ。
何か変だと思いながら、ペーパータオルを菜箸で挟み、鍋底を拭いてみると、黒くなる。
やっぱり変だ、お料理道具で、火にかけると真っ黒なものが浮き出てくるなんて、絶対におかしい。
プロって、そんなことを避けるが如く、こんな道具を使っているのかしら、なんてことも考えた。
しょうがないので、きれいに黒いものを拭って、お水で洗い、拭いてから、弱火にかける。
今度は何も出て来ない、これまた不思議。
「低温で使えば大丈夫な道具なんだ」と非科学的にそのときは納得してしまった。

しかし、後で、MLで教えてもらったのだが、工場出荷時には、錆止めで、鍋底表面に油が塗られており、それを焼き切らなくてはいけないとのことだった。
なるほど、それなら、なんで、真っ黒い物質が出たのか、そして、今後は出ないであろうことがはっきりした。
それにしても、なんていう不親切な説明書であろうか?



トップに戻る


1999年10月06日(水)

玉子焼き器使い始め 2/2


さて、玉子焼きを焼いてみた。
技術が乏しいので、うまくは行かなかったが、この銅の玉子焼き器の使い心地は、感激ものであった。
(技術のまずいところ...焼けてきた玉子焼きを巻き込むことができずに、玉子焼き器を斜めに(坂にして)、ズズッと巻き込まずに端に寄せて、そこで、集中的に火を当てることによって、固めてしまった。本当にお粗末な技です、はい。)

なんていうか、ガス火は、勿論丸い輪状になっていて、その上に玉子焼き器を乗せるのだから、鍋底に、直接ガス火が当たる部分と当たらない部分ができているはずなのに、均等に火が通るのだ。
アッという間に、均等に薄い玉子焼きが焼きあがる。
また、話しは前後するが、卵液を落としたときの広がり具合が、他の材質の鍋と全く違うのだ。
卵液を落とすと、滑らかに周囲に伸びていくのだ。
この2つの点は、本当に感激ものであった。

今の時代でも、玉子焼きというと、プロの間で、銅が使われいてるが、この使い心地の良さは、説得力があった。
今まで、玉子焼きを焼くのは、テフロンや鉄のフライパンで十分と思っていたのだが、それはただ単に、銅を使ったことがないから、言えたことなのだとわかった。
まだ、2,3回しか使っていないので、正しい情報ではないかも知れないが、卵3個分の玉子焼きを焼くくらいだったら、磨き粉で磨く程の傷みは、ないようである。

もし、玉子焼きを沢山焼く必要があったり、玉子焼きをうまく焼きたい人には、やっぱり、銅がお勧めである。

銅でクレープとか、ホットケーキを焼いたらさぞかし、きれいにできるに違いないと思う。
(そのうち、是非とも試してみます。)

レシピは、研究中です。
東京風甘い玉子焼きと、関西風甘くない玉子焼きを両方とも作れるようになりたいと思う。
頻繁に練習を重ねればできるとは思うけれど、食べ手が回数を重ねると嫌がるような気がする。



トップに戻る


1999年10月07日(木)

自家製ブリオッシュ


参考にしたのは、山本麗子さんの101の幸せなお菓子という本。 まだ、山本麗子さんのレシピでお菓子を作るのは、2回目だから、断定はできないけれど、彼女のレシピは、私には砂糖の分量が多過ぎるように思う。

昨日は、2回目だったから、ここのところをうまく味見しながら調整をしたら、さっぱりしていて、紅茶の味のするサパランが出来上がった。

材料
小型のブリオッシュ 8個(私は大型6個)
砂糖  300G(200G弱かな?)
水   3+1/2カップ(私は500CC程度)
紅茶の葉 大さじ2杯(1+1/2とした)
レモンの皮 幅1cmを15cm程度
ラム酒  50CC(私は30CC)


生クリーム 1カップ(私は100CC)
砂糖    35G(私は適当)

レモンは国産が手に入らなかったので、お湯と洗剤でよく洗いましたが、気になるなら、使わないほうがいいかも知れない。
ブリオッシュは、上から1/4のところにナイフを中心めがけてナナメに突き刺し、上の帽子になる部分を切り取る。
で、三角に切れた部分を水平に切り取る。
(この余りを食べたら、とても美味しかった、さすがフォション、バターがやたらに利いている)
で、小鍋に水と砂糖を入れて煮溶かし、そこに紅茶の葉とレモンを入れて、2分煮る。
葉を漉してラム酒を適宜好みで入れる。

ちょっと高さのある容器にブリオッシュを並べて一つ一つに、葉を漉した紅茶を染み込ませるようにかける。
ふたの部分も余りの紅茶を染み込ませる。
で、ラップをかけて、2時間冷蔵庫に入れて冷えたら、生クリームをホイップして、切り取った穴に入れて、出来上がり。

作った晩と次の晩に食べたが、一晩置いた方が美味しいような気がした。
味がなじむのかも知れない。

ブリオッシュは、当然ながら、紅茶液を染み込ませると膨張するので、とても大きくなってしまった。
もうちょっと小型で、あれほどバターが利いていなくて良いから安いブリオッシュが欲しい。
何せ1つ150円だから、私の作るケーキの中で一番材料費がかかるケーキになってしまった。
(因みに、明治屋で出来上がりのブリオッシュを見たら、480円であった。)

この自家製のブリオッシュは、甘さとお酒の強さが好みで調整できるから、お勧め。
お酒に弱い家族のいる家では、予め、お酒が入れないシロップを作るといいと思う。
レモンも必ずしも入れなくて良いのではないかと思う、紅茶の味がとても利いていて、レモンがなくても物足らないこはないと思う。



トップに戻る


1999年10月08日(金)

キャベツとアンチョビのスパゲティ


「トスカーナのおいしいテーブル」という本を参照して、キャベツとアンチョビのスパゲティを作った。

材料 4人前
スパゲッティーニ  350〜400g(スパゲティーニは、直径1.4mm茹で時間5分)
キャベツ      200gひと口大に切る
にんにく      2片(皮をむいてみじん切りに切る)
赤とうがらし    1/2本(種を抜く)
アンチョビ     20g
EVオリーブオイル 大さじ3杯と、仕上げに少々

作り方
1.鍋に湯を沸かし、塩一握りを入れる
2.フライパンに、にんにく、赤唐辛子、オリーブオイル大さじ3を入れ、中火に
  かけて、ゆっくり炒める。
  にんにくが色づいたら、アンチョビを加え、つぶしながら軽く炒めて、火から
  はずしておく
3.炒めている間に、1の湯でスパゲティーニを茹で始める。
  茹で上がる2分前にキャベツを入れて、一緒に茹でて、一緒にざるにとって、
  水気を切る。
4.2に3を入れ、火にかけずによく混ぜて絡ませる。
  仕上げにオリーブオイル少量をかけまわして、皿に盛る。

とのことでしたが、私のスパゲティは、7分茹で、しかも7分で茹らず、10分茹でたから、キャベツは、5分茹でてしまいました。
キャベツは、一口大に手で千切ったつもりだったのに、茹でたら膨張して、2口大になってしまった。
また、アンチョビは初めから一緒に炒めたけれど、どうということはなかったようだ。

食べるときは、どう見てもペペロンチーニの親戚なので、パルメザンチーズをたっぷりかけた。
本のキャッチフレーズに書いてある程、特段すごくおいしいというわけではなかったが、ペペロンチーニのアレンジ版のような感じで、中々良いと思った。
キャベツが余ったとき、アンチョビなどが残ったときのお昼に最適。

アンチョビは量さえ間違えなければ、キャベツが塩気を中和してくれるのか、そんなに辛くはないし、生臭くもなかった。



トップに戻る


1999年10月09日(土)

墨田祭 1/2


今回、墨田区在住の方が教えてくれたので、墨田祭に行ってみた。
場所は、錦糸町駅前の錦糸公園で、10/2と10/2に開催されていた。
沢山のテントが並んでおり、皆、全国の色々な地域の町単位で、お店を開いているようで、お米、お餅、野菜、果物、きのこ、漬物などが並んでいて、大変楽しかった。
売っている人たちが、皆、実際製造している人たちらしいので、余計、良い雰囲気を作っていた。

★イノシシカレー
 珍しかったのは、青森県下北半島○○町(名前を忘れた)のお店に、「イノシ
 シカレー」というレトルトパックがあったこと。
 お店の人に、「普段から、イノシシのカレー食べるのですか?」と聞いたら、
 「はい、よく食べます」という返事であった。
 そうか、青森県はイノシシを食べるのだ、知らなかった。
 ちょっと、固いけれど美味しいとのことであったが、う〜ん、元々レトルト商品は
 好きでないので、パス。

★下北半島の昆布
 下北半島で取れる「だし昆布」というのを売っており、250G600円なの
   で、買ってしまった。
 これで美味しかったら、いわゆる「めっけもの」と期待したのだ。
 真昆布は対岸の函館の産ですよね、ま、近いから美味しいかなと勝手なこと
 を考える。
 パッケージの裏を読むと、「出汁を取った後、野菜などと煮れば、佃煮
 になります」と書いてあったから、日高に近いのかも知れない。
 (私は、利尻昆布とか、後ろに説明書の書いてあるものを買ったことがないの
 で、日高昆布については、全く無知)
 ま、どちらにしろ、お吸い物を作るとか、繊細なことをしない限り、味噌汁の
 出汁だったら、この程度でも十分美味しいのではないかと考えた。

★椎茸
 天日干し椎茸があったので、お買い上げ。
 しかし、お店の人に聞くと、天日干しをするけれども、最後は機械で乾燥させな
  いとかびるので、最後は、機械で仕上げているとのこと。
 同じときに、隣にいた主婦と思しき人が、切ってあるタイプを選び、私がまるご
  とのを選んだ。
 その方が、私に「切ってあるほうがすぐに使えて便利よ」と言った。
 私が、「そうですね、でも、切ってあると、味が浸けてある水に逃げやすいか
 ら」と言ったら、お店のおじさんも、「そう、味を考えたら、まるごとが一番」と
 教えてくれた。
 これで、その主婦の方も「あら、そう?」と、まるごとを買うことにしたようだ。
 120G500円、お買い上げ!であった。

後は、また、明日。



トップに戻る


1999年10月10日(日)

墨田祭 2/2


★山形県高畠町
 ここでは、蕎麦味噌があったので、ちょっと味見をして買った。
 晩酌のお供に、小瓶で400円で、お買い上げ。

 ふと横を見ると、リンゴも沢山並んでいて、有機栽培か、無農薬か忘れたけれ
 ど、そのどちらかで、小振りで、美味しそうな紅玉ごが山積みにされているで
 はないか。
 今日、使う予定はなかったけれど、え〜い、煮て冷凍してしまえと5つ買ってし
 まった。
 紅玉という文字を見るとつい手が伸びるようになってしまったのは、ここ数年
 紅玉の生産が減っていたためについてしまった悪習である。
 (去年から、また、生産量が増えたそうである。)
 1つ100円

★味噌
 一番最初の千葉県佐原市のテントで味噌を買ってしまった。
 1年もので、匂うようなお味噌であった。
 (無添加、手作り、天然醸造、昔の味と書いてあった)
 佐原自然村の会 農産加工部会が作っているものだし、大丈夫だと思うけれど
 その場で、「その土地で取れた大豆を使っているのですか?」と聞けば良
 かったと後から思った。
 1KG500円

 味見させてくれたけれど、生のお味噌を舐めて美味しいのか美味しくないのか
 良くわからないで、買ってしまった。
 しかし、その後、色々な店で、色々なお味噌を売っていることがわかり、もう
 ちょっと回ってからでも良かったなとも思うし、そうは言っても味見してもきっと
 わからないだろうなとも思うし、ここが難しいところ。

その他、匂うような長葱、里芋を100円で手に入れてお買物を終了させた。
残念だったのは、小振りの10個100円の卵が私の前の人で終わってしまったこと。
来年は絶対手に入れようと心に誓いながら、帰途についた。



トップに戻る


1999年10月11日(月)

かっぱ橋道具祭 ’99 1/3 全体と抽選


今回のかっぱ橋道具祭に、土曜日の夕方と、日曜日1日中、行っていた。
(土曜日は1人で、日曜日はMLの人と3人で行った)

まず、混み具合のご報告から。
土曜日の4時くらいに行ったのだが、いつもより人出が多く、歩道を自転車で走れなかった。
日曜日は、朝9時に集合したのだが、今年に限って言えば、朝の9時から行くことはなく、お祭りが始まる10時で良かったような気がする。

これはひとえに、アサヒサンライズというお店の熱心さが去年と今年では違っていたからに他ならないと思う。
ま、かっぱ橋道具祭は、毎年違うところがとても良いのかも知れないが。

一般的なアドバイスとして、「かっぱ橋道具祭にいつ行くのが一番良いか」ということについては、「歩行者天国のときの午前中」だと思う。
本当に毎年色々細かく違うことは当然のこととして、「午前10時からお昼まで」が良いのではないかと思う。

午後を越すと人の数が倍以上多くなり、私は午前11時前に抽選を行って、並ばないで抽選ができたのだが、その抽選会場も午後からは長蛇の列であった。

日曜日は、午前9時から午後4時までいたのだが、合羽橋の南から来たまで何往復もして、一人の人が万歩計を持っていたので最後に見たところ、2万2千歩も歩いていた。
この7時間(うち、2時間くらいが食事)、限りない往復で同じところを見ても、その度に誰かに買いたいものが発見されて、全く飽きなかった。
(これは、一緒に行ってくれた人がいたおかげであろうが)

いつものかっぱ橋道具祭は、自転車で回っているので、歩いて回るのは初めてであったが、合羽橋道具街は、フラフラしながら散歩するのに、長過ぎず、ちょうど良い距離であることを発見した。

合羽橋の抽選会で、私は、1万1千円の圧力鍋を買ったおかげで、5千円の買物で1回の福引きを2枚持っていた。
(かっぱ橋道具祭で、高い買物を余りしたことがなく、抽選は、2、3年振りであった。)
抽選を行う前に、一等賞が10万円であったので、「どうせ、私の持っている運を使うなら、10万円よりも、宝くじの3億円の方がいいから、当たりませんように」なんて、ばちあたりな冗談を飛ばしていたが、どういうわけか、神様が味方してくれて、六等賞の1千円が当たった。
これで、圧力鍋の値段が更に割引されたような感じがして嬉しかった。

今年のかっぱ橋道具祭は、私にとって、フラフラ、気楽にのんびりと、見物と安い買物ができて、本当に良い気晴らしになった。



トップに戻る


1999年10月12日(火)

かっぱ橋道具祭 ’99 2/3 私の買物


1.圧力鍋(4.5リットル、フィスラー50%引き)
  昨年のかっぱ橋道具祭で圧力鍋を安く売っていたのを覚えていたので、その
  後、大きな圧力鍋が欲しいと思ったのだが、このかっぱ橋道具祭まで一年近
  く待ってしまった。
  今年も棚崩れ品が、割安で出ていたので、格安で買えた。
  (良かった、良かった)
  本当は、6リットルが欲しかったのだが、6リットルには、棚崩れがないらしく、
  値引き率が低いので見送った。)
  帰って開けてみたら、料理ブックが付いていなかったが、電池式ではないタイマ
  ーがおまけに入っていた。
  料理ブックが付いていないから、2台めで、ステンレス製が欲しいという人向
  きかなと思う。
  圧力鍋を買った後で、よその店で、ステンレスではない、理研の6リットルをとて
  も安く売っており、あちらの方が良かったかなとちょっと後悔した。
  (こちらの6リットルは、3時頃に見たら、売り切れであった。)

  前週に下見したときに、ステンレスの6リットルを持ってみたのだが、とても重
  い物であった。
  もし、6リットル以上を買う場合には、ステンレスでないほうがいいかも知れ
  ない。

2.銅のパエリャ鍋
  この前から、玉子焼き器で、銅の熱伝導率の良さがわかったので、直径24cm
  で1千円の「銅のパエリャ鍋」を発見、買ってしまった。
  使いこなせるかどうか、わからないけれど、色々遊べそうだと思う。
  使用目的は、勿論、パエリャではない。(我が家で、パエリャを食べてくれない
  人がいるのだ。)
  フライパンでものを焼く場合、こまめにフライパンを振らなくてはいけないも
  の(例:炒めタマネギ)と、そんなに振らなくていい料理があると思う。
  フライパンをこまめに振らなくて済む料理は、ハンバーグ、ポークソテー、薄焼
  き玉子、ホットケーキ、クレープ、こう言ったものを焼くのに、銅が向いている
  のではないかと思ったのだ。

  銅のお鍋で焼けば、表面がきれいになるだろうし、中々良いアイディアでないか
  と、自分では考えている。
  (餃子も銅のお鍋で焼いたら、焼け焦げがきれいかも)

  問題は、パエリャ鍋には、同じく金属の持つところが両側に付いているだけなの
  で、お料理の最中、どうやって、そのお鍋を手で持つかである。

  1案...平凡だが、オーブンミット
       (使った経験では、オーブンミットは、熱に対して完璧ではないと
       思う。)
  2案...パンやスパゲティをつかむ道具であるトングはどうであろう?
       私はスパゲティをつかむステンレスのトングを持っている(手で持つ
       ところはプラスチック)ので、これで、上手にパエリャ鍋を押えること
      ができれば、パエリャ鍋がフライパン代わりになるかなと思う。

  ハンバーグやポークソテーは表面に焦げ目をつけたら、パエリャ鍋ごと、オーブ
  ンに入れたいと思ったが、その直径24cmのパエリャ鍋は、耳のところまで含め
  た大きさが30cmあったので、私のオーブンには入らないと一旦、諦めかけた。
  しかし、一緒に行った人と、お店の人が、オーブンの対角線状に一番長い部分
  を置けば、使えるのではと教えてくれた。
  一番短い部分を計り直すと、26cm程度だったので、買うことにした。
  家に帰って、オーブンに入れたら、きっちり入って良かった、良かった、であ
  った。

  帰って来てから、現在持っている銅の玉子焼き器と重さを比べたら、この銅のパ
  エリャ鍋は、相当軽いので、ま、同じ銅と言っても安物かも知れない。

3.殻付ピーナッツキーホルダー
  キーホルダーの部分がとてもチャチではあったが、300円だったので、買って
  しまった。
  本当は、鉄火巻きとカッパ巻きのキーホルダーが欲しかったのだが、白だと長く
  使うと汚れが目立ちそうなので殻付きピーナッツで妥協。

4.宇田川さんの薄力粉100円8個と、200円の紅花油(7缶)
  紅花油は、300円のものもあって、きっと、300円のものの方が品物がい
  いだろうなと思ったけれど、つい、安さに引かれて、200円にしてしまった。
  薄力粉は、去年のものが、まだ、1個半残っており、初め5個しか買わなかった
  けれど、「半年くらい経って、この安い小麦粉がなくなってしまったら、高いも
  のを買うのは嫌だ」と思い、午後から、追加で、確保してしまった。



トップに戻る


1999年10月13日(水)

かっぱ橋道具祭 ’99 3/3 ラ・シェーブル


お昼は、結局ラ・シェーブルで、「帆立貝と蟹のテリーヌ、子羊の背肉のグリエ、ラタトューユ添え、チョコレートケーキブルーベリー添え+紅茶か、コーヒー」のコースに決まった。
(ラ・シェーブルのシェフは、料理王国の巻頭を飾ったこともあり、グルメ本に取り上げられること多々の有名な人なのだ。)

しかし、一緒に行った方々が、「こんな恰好(ズボンにTシャツのお買物スタイル)でも大丈夫?」と服装のことを心配していたが、こと、浅草のフレンチやイタリアンのお店に関しては、服装にうるさくないと断言できる。
(服装にうるさかったら、地元の人が気楽に食べに来れなくなってしまうから、絶対にそんなことはない、ま、限度はあるだろうが。)

残念なことに、まだ、午後もたっぷり買物をしたかったので、ワインは諦めざるを得なかった。
ま、ワインを飲んで、気持ちを晴れ晴れ開放して買物をするのも、楽しいのだけれど、買い過ぎとちょっとした忘れ物とかが心配なので、泣く泣く、諦めた。
この店は、グラスワインでも7種類くらいの中から選ばせてくれるので、このお店のワインはお勧め。

一皿めの「帆立貝と蟹のテリーヌ」は薄く切ったテリーヌの上にコロンとしたキュウリが乗って、そのキュウリを、チコリとイタリアンパセリが覆っていて、一目見たときには、サラダかなと思う盛り付けであった。
チコリとイタリアンパセリの青がとてもきれいだし、キュウリも品物が良くて、美味しかった。
白いお皿の真ん中にテリーヌ+野菜が垂直の方向に積まれており、その回りをオリーブオイルと、何か香草のソースで、ピュピュッと、ソースディスペンサーで線を描いてあった。
崩すと、ちょっと大袈裟だけれど、草原ができあがる、その葉っぱ一枚、一枚、「これは、なんていうハーブだっけ?」と、話しながら、楽しんだ。(なんて、大袈裟、結局は、チコリとイタリアンパセリだけ)

その次が、子羊の背肉のグリエであった。
付合わせのラタトュイユをたまに口に入れながら、子羊をかじる。
ソースは、多分、バジルかなと思うが、私は、ハーブ音痴なので、当てにならない。
これはこれで美味しいけれど、やっぱり、マスタードでワイルドに食べたいななんてことをチラッと思ってしまった。

最後のデザートは、そんなに満腹というわけではなかったので、チョコレートケーキにした。
それはそれで美味しかったけれど、ノリエットのチョコレートケーキの味を知っている私としては、チョコレートケーキを選んだのは、間違いだったような気がする。
どう考えても、ノリエットの永井シェフが作るチョコレートケーキに勝てるチョコレートケーキは殆どないであろうから、ノリエットのチョコレートケーキを知っている人は、やはり、他のデザートを選ぶのが良いと思う。
(他のデザートは、クレームキャラメリーゼか、ブラマンジェ、もしくは、シャーベット)

以前は、なかったのだが、今回は、サービスで、オリーブ(グリーンとブラック)が出て、美味しかった。(しかし、金属の楊枝のようなもので刺すのだが、種が大きくて中々刺さらず、苦労した。)

ラシェーブルは、このオリーブを浸けてあるオリーブオイル、お料理に使っているオリーブオイルの質と使い方が相当上等である。
(あー、これで、ワインがあったら...。)

ラ・シェーブルは、家庭的な雰囲気で落ち着いており、味も良いので、合羽橋に行った際のゆったりしたランチにお勧め。
お値段は、今回ので、2500円で、全員同じ物を食べたせいか、所要時間1時間半程度であった。
テーブル席で屈託なくおしゃべりするのもお勧めであるが、シェフが料理しているカウンターに座って、手元を見学するのも楽しいと思う。
食べ終わった感想としては、「リーズナブルで美味しい、でもワインが欲しかった」の一語であった。
(しかし、買物を考えると、ワインを飲まないのが正解ではあった。)

ラ・シェーブル
住  所 : 東京都台東区西浅草1−1−12
       銀座線田原町駅下車、上野から来る電車のホームの出口を出てまっす
       ぐ歩き、一つ目の角のふぐ屋を曲がって2,3軒目
電話番号 : 03−3845−1336
営業時間 : 確かランチは11:30〜14:00、夜が17:00から
定 休 日: 忘れましたが、土日祭日は営業しています



トップに戻る


1999年10月14日(木)

昆布の味見


日本の家庭料理の歴史の本を読んだら、戦後、日本の家庭は、母から娘に料理を教えなくなり、皆、料理本で出汁の取り方を覚えるとあった。
私もその一人であり、出汁の取り方や種類に関する知識は、本で学んだとおりのことしか知らない。
例えば、出汁昆布だったら、利尻、羅臼、真昆布あたりを使えば問題ないだろう程度の知識である。
それらの昆布の中で、どんなものが良質なのかもわからず、見る目もないまま、信用の有りそうな専門店で買ったり、ブランドに頼ったりしている。

この前、築地を案内したときに、ある乾物屋さんで、昆布の切れ端を味見用に手渡してくれたのだ。
それを食べると、味がわかるのだ。
わかってしまえば当たり前だけれど、出汁用といっても、ちゃんと口に入れて味わってみれば、どんな味が出るのかわかるものだと、変に納得した。
その昆布は、口の中で良い味を出していた。

思い出してみれば、小さい時に、都こんぶだの酢こんぶを食べたことがあり、これらの味が気に入らなかったので、ずっと、佃煮と昆布巻き以外の昆布を口に入れるということはなかったのだ。
築地場外でもらった昆布の切れ端は、小さいときに食べた昆布のお菓子と違って、食べ終わったら、口が疲れて、喉が渇いたが、味自体は、嫌みがなくて、良かった。

その後も、現在自分が持っているもの、新たに買ってきたもの、両方とも、端を切って味見してみた。
新たに買ってきたものは、初めて知った産地のもので、薄っぺらで、昆布くさく、しかも塩が強かった。
こんなに塩が強かったら、出汁を取る段階で既に塩味が付いているではないか、もし、味見しないで、料理本のレシピどおりに塩や醤油を入れたら、塩っぱくて、まずくなってしまうかも知れない。
やはり、味見は抜かしてはいけないと思った。

もう一つの方はディスカウントショップで買った利尻で、肉厚、築地で食べたものよりは塩が強かったが、そんなに気になる程ではなかった。
やはり、肉厚の方が噛めば噛む程じわっと良い味が出てきて、出汁に向いていると思った。
肉薄の方は、表面の塩味と昆布の味が出たら、それですべて終わりという感じである。

今まで、利尻・羅臼とか、そこの産地の昆布が出汁に向いていると考えていたのだが、それは間違いかも知れない。
「それらの産地の昆布が肉厚だから、出汁に向く」と考えた方が正解だと思う。
昆布は、高いものだから、今後とも、無名ブランドを買ってしまうことが多々あるかも知れないが、そのときには、まず、肉厚かどうかだけは、確かめてから買うことにする。

築地で、真昆布を製品にするときに切り落とした端を売っているのだが、これは肉薄だけれど、美味しい。
これが肉薄というのではなく、真ん中が肉厚の昆布の薄いところだから、美味しいのだということであろう。
全部肉薄の昆布はやはり、煮物向きではないだろうか。

それにしても、昆布も今まで知らなかった産地のものも出回るであろうし、天然だ、養殖だと、産地×天然・養殖×等級で、割と選択の範囲はあるものかも知れない。
ま、自己流だけれど、肉の厚さと、試しにちょっと食べることで、どうにか、割安の普段使いの昆布を増やしたいものだと思う。



トップに戻る


1999年10月15日(金)

しじみのコンソメ


先日、しじみのお吸い物を作ったら、程良い味付けにできて、大変美味しかった。
甥たちが食後に来たので、しじみは省いておつゆだけ小皿に入れて味見させたところ、「このコンソメ、昆布の味がして美味しい!お代わり!」と言われてしまった。

しじみのお吸い物など、わざわざ、書く必要もないかも知れないが、たまには良いものなので、書きます。

材料(3人前程度)
お水        500cc〜600cc
昆布        適当 5cm×7cmもあれば良いのではないか
しじみ       手で二握り程度
塩         小匙1/2程度(海水塩−今回の成功は、フランスの海水塩
           を使ったからかなとちらっと思った。
          やっぱり、海のものには、海水塩、山のものには、岩塩とい
          うが、本当かも知れない。)
日本酒       小匙1/2〜1
  薄口醤油      1〜3滴

道具
クッキングガスマット
お鍋

所要時間 15分程度

作り方
1.お鍋に水と昆布を入れて、クッキングガスマットを置いたガス火に乗せ、弱火
  にかける。

2.しじみは真水の中でこすり洗いをし、ゆすいでざるにあげておく。

3.1からだいたい15分程度経つと、なんとなくお湯が温まり、昆布が広がってい
  るので、昆布
  を取り出し、クッキングガスマットを外して、強火にし、沸騰させる。
  (これは、肉厚の昆布の場合で、肉薄だったら、余り長くつけておかなくても良
  いと思う。)

4.昆布のあくが白く出てくるので、取る。

5.この段階で、味見をするのだが、しじみから味が出るので、昆布出汁は、薄めで
  ほんのりという感じで十分である。

6.沸騰したところに、しじみを入れて、強火で煮る、殆ど口が開いたら、火を弱
  める。

7.さて、味付けだ、塩をだいたい くらい入れて、日本酒をその3倍程度、薄口醤油
  をほんの一滴、二滴垂らして、かき混ぜて味を見る。
  塩味が足りなかったら、お塩かお醤油を足し、味を調える。

  塩はつまんで入れるからそんなに心配はないのだが、私のように、酒・醤油を
  大きな瓶(両方とも1リットル入り)から直接入れる場合は、大きい瓶から直接だ
  と、つい入れ過ぎてしまうことが多いので、そこだけは注意すれば、必ずし
  や美味しくできると思う。

昆布、海水塩といった海のものと、真水に生息しているしじみの調和の取れたお吸い物は、安上がりで簡単で美味しいので、お勧め。

結局、こういう簡単なお吸い物ですら、気持ちに余裕がないと中々作らないものだが、子供に天然自然の味を覚えさせようと思ったら、この料理は、本当に、手軽で簡単・安価で、作るべきだと思う。



トップに戻る


1999年10月16日(土)

銅のパエリア鍋 1/2


かっぱ橋道具祭で買った1千円の銅のパエリア鍋の使い心地が大変良い。
本当に良いものを買ってしまったと、喜んでいる今日この頃なのだ。

ネックは、パエリア鍋なので、フライパンのように使うとなると、持ちにくいことである。
初めは、オーブンミトンで掴もうか、トングでやろうか考えていたが、MLで「ペンチがいい」との話しがあったので、私もそれに乗ることにした。
しかし、家にペンチがないので、「合羽橋なら、料理用のペンチがあるに違いない」と、銅のお鍋の価格調査がてら、買いに行った。

東洋商会(おかしの森の1F)で、聞いたら、すぐに出てきた。
そうだ、これは、「やっとこ」という名前ではなかったかなと思い出す。
ぼうずという名前だと思ったが、雪平鍋に取っ手がついていないものをプロは使い、それを火からおろすときに「やっとこ」で掴んで、おろすのだ。
(収納を考えたら、これは合理的だと思う。)
材質が、ステンレスだと2千円程度で、鉄だと1千円程度であった。
余り使わないので、安いほうにした。
何か、料理用のやっとこまで揃えると、気分はプロという感じがする。

銅のお鍋を色々探してみたが、高級品が揃っているのが、やはり、Dr.Goodsであろう。
きっと、川崎商店も揃っていると思うが、2階に銅製品があるので、見るのは省略してしまった。
(二階にあがると、必ず店員さんがついてきてくれるので、買う気がないときは、なんとなく気が引けるのだ。それに、Dr.Goodsは川崎さんの支店だから、同じような品揃えだと思う。)
また、意外に揃っていると思ったのは、東洋商会である。
他、ニイミより数軒先の店(多分、斎藤さんだと思う)も揃っていたが、どちらかというと和風の品揃えであった。

見ている最中に気づいたのだが、「パエリア鍋」というものを置いてある店が減っているような気がする。
鉄だと、一番揃っているのが、東洋商会の隣の池田屋さんであった。
私が見過ごしているのかも知れないが、他の店には殆ど置いていないようであった。
銅ならば、大きさ2,3種類がDr.Goodsにあった。
品物は、見るからに私の1千円のパエリア鍋と比較にならない程良いものである。(値段も10倍以上)

このときに合羽橋に行ったのは、あわよくば、1千円の銅のパエリア鍋をもうひとつ買うことであったが、お祭りでこれを売っていたヨコヤマさんがお休みで買えなかった、残念。
あの1千円のパエリア鍋は、誰か料理好きにプレゼントしてもきっと喜ばれるだろうし、2,3個買っておけば良かったと後悔している。



トップに戻る


1999年10月17日(日)

銅のパエリア鍋 2/2


まだ、買って一週間だが、色々、パエリア鍋で遊んでいる。

★ハンバーグ
ハンバーグを銅のお鍋で焼いて、そのまま、200度のオーブンに入れた。
私のオーブンは、電気だから、立ち上がりが遅いのだが、そのぬるいオーブンでも、すぐジュクジュク焼ける音がし出した。
本当に熱伝導率が良いのだ、鋳物のお鍋に入れたときより反応が良く、短い時間で焼きあがった。
しかも、直火で焼いてもオーブンで焼いても、深い焦げ色がつかないで、美味しそうなキツネ色にできあがった。

★餃子
餃子も焼いてみた。
まだ、不慣れなせいというか、餃子は割と長時間煮たり、焼いたりするものなので、他の料理に比べると、熟練を要するかもしれない。
自分の台所でないところで焼いたせいもあり、苦労したが、焼き上がりはパーフェクトであった。
プロが餃子を焼くときのコツとして、「最後に小麦粉を溶いた水をお鍋に入れるときれいに出来上がる」と教えることがあるが、それが、そんなことをしなくても、プロが焼いたように、きれいに焼けるのだ。
これも全面こんがりキツネ色に仕上がった。
私が焼いたとは思えない仕上がりであった。

★目玉焼き
私は目玉焼きを焼くことはできるが、いつもフライパンから出すときに黄身を潰して失敗することが多い。
それが、銅でやったら、全面均一に焼けている上に、はがれやすいので、無事、お皿にきれいに移すことができた。

★スクランブルドエッグ
これは、牛乳を入れないただの卵焼きなのだが、スパゲティに入れようと、卵に塩・胡椒をして、できるだけふわふわに焼きたかったのだが、その通りとなった。

★薄焼き卵
これも、均一に卵があっという間に焼けるので、いつもより、手早く、きれいに焼けてしまった。

何かを焼くということに関しては、銅製品は、テフロン以上にはがれやすくて、使いやすいというのが感想である。
では、なんで、流行らないかというと、普通の製品は、価格がものすごく高いのである。
値段を考えたら、人には進められないが、誰かにプレゼントされた、景品に当たった、私のように安い銅鍋を手に入れた、などというお金のかからない方法で、銅鍋を手に入れることができたら、是非、使ってみて欲しい。

銅製品は、「熱伝導率が最高で、ハンバーグなどふんわり焼ける。但し、手入れが必要で、高価、本格派向き」と本に書いてあった。
手入れがどの程度必要かは、これから、研究してみるけれど、ま、人前に出せる程度に素敵な外観(きれいな銅の赤)を維持できなくても、実用的には、本当に良い材質であると思う。



トップに戻る


1999年10月18日(月)

甥と私の散歩


甥というのは面白い。
甥1は、小学校3年生になって相当大きくなったけれど、近くのスーパーに買い物に行く私についてくるというのだ。
(狙いは、お菓子か、漫画なのだが、私のスーパーへの買い出しに、ついて行きたいという人がいること自体が不思議な現象である。)

私は自転車で、彼は歩きだ。
「おばちゃんは荷物があるから、自転車を引っ張っりながら、歩いて行くから、甥1ちゃんも歩いて行こう」と言うと、そうではないとのこと。
どうするのかと思いきや、甥1が自転車に乗って、私がそれを引っ張って行くのだと言う。
甥1は、「僕がペダルを漕ぐから、楽だよ、いつもお父さんは、こうしてくれるの」と言い張る。
実際に甥が乗っている自転車を引っ張ると、重くはないし、大変ではないのだが、なんとなく、らくだに乗った王子様のらくだのひもを持って歩く召使になったの気分になる。
気分が悪いので、「もし、自転車がこけたら、甥1のせいだからね」と憎まれ口をきくと、ニコニコしながらも、負けずに「そうなったら、絶対、まりのせいだよ」と言う。
甥1は、「僕は王子様気分でご機嫌、だから、ちゃんと僕の安全を考えて道先を案内してね」てなふうに考えているのかな。
本人としては、ペタルを漕ぐのに、協力しているのだし、年がすごく離れた子供としては、大人に迷惑にならないように、ちょっとは気を遣いながら甘えているのだぞと思っているのかも知れない。

帰り道は、らくだ使いの召使は嫌やなので、交替を申し出た。
嫌やだというので、じゃんけんで決めたら、私が負けた。
「まりがじゃんけんに弱いからいけないんだよ」と言われてしまった。
昔、彼が赤ちゃんのときに、よくじゃんけんをして、私ばかり勝っていた。
(当り前だ、赤ちゃん卒業したばかりの甥のじゃんけんは、何回か見ていると、どの順序で出すか、予想がついたのだから。
今では、忙しくてそんなことを考えるひまのないおばちゃんは、知恵のついてしまった甥たちに手口を読まれ続け、負けが続いている。)

帰り道、何の話からか、「いつから、この町に住んでいるの?」という話題になった。
「昭和?」と甥1が聞く。
「昭和の前の前の時代の「明治」に、まりのひいおじいちゃんがこの町に住み始めたの」と教えてあげる。
そこにまりのひいおばあちゃんがお嫁さんがきて、まりのおじいちゃんが生まれて、そこにまりのおばあちゃんがお嫁さんがきて、あんたのおじいちゃんが生まれて、そこにまたおばあちゃんがお嫁さんがきて、まりとあんたのお父さんとみんみん(妹)が生まれて、あんたのお父さんにお嫁さんがきて、あんたが生まれたのよ、なんて、話したけれど、そんな話が面白いのかな、甥1は、真面目にその話を聞いていた。

こういう日常の中ののどかさって、いいのだよね、と思う。
あくせくもせずに、のんびり必要なものだけを買って、甥とよもやま話をしながら、仲良く家に向かう秋の夕暮れ。

もう甥1は、私の肩まで背が伸びた。
こんなふうに、甥を自転車に乗せて引っ張ってあげながら、時代も風景も関係ないのどかな話しをしながら散歩をするのも、もうすぐできなくなるかも知れない。





トップに戻る


1999年10月19日(火)

石焼きでない焼きビビンバ 1/2


石焼きビビンバが流行っている。
2,3度食べて大変おいしかった。
ビビンバ自体美味しいから、私の頭には、「ビビンバはビビンバでしかない」と思っていたが、世の中にはそれをもっと工夫してもっと美味しいバージョンを作り上げる人がいるからすごい。
熱々の焦げ混ぜご飯は大のお気に入りであるが、一人前の量が多いので、一人で焼肉を食べに行くときには、注文できないところがとても残念である。

自分の家でも作りたいが、石焼きビビンバの石の器は、3〜4千円もして高価な割には、単機能しか持たないので、買いそびれている。
(MLで、韓国で買えば、1千円と聞いた、但し、持って帰るのが重くて大変そうだ。)

原理は簡単であり、オーブンでできるのではと、頭の中では、まとまったので、作ってみた。

石焼きに限らず、ビビンバに大切なものはナムルであるが、市販のナムルで美味しいものは中々ないのだ。
だいたい、皆、化学調味料の味が強くて、後味がたまらなく悪いというのが、私の市販のナムル感である。
ちょうど、そのときに、上野のコリアン街のアリラン亭という食材のお店で、秋冬限定、しかも土日祭日だけというナムルを作り始める時期と聞いたので、それを買ってみた。
ご飯は、前日までの残りで、冷蔵庫で冷たく冷えたもの。
ごちそうとしての石焼きビビンバだったら、絶対に炊きたてのご飯ははずせない。
でも、悲しいことに、一週間が終わると、必ず、ご飯が余っている。
これを美味しく食べることも考えなくては、である。

まず、このご飯を電子レンジで温める。
その後、電子レンジをオーブンに切り替えて、温度を上げ始めた。
何も良い知恵が浮かばなかったので、お鍋はアルミの寸胴とした。
この中の内側にごま油を塗って、ご飯を詰める。
本当は、ふわふわがいいのだろうが、どうも、余ったご飯を片付けるとなると、つい、入れ過ぎてしまう、ここで理性が働けばいいのにと思うが、それができそうでできない。
ご飯の上に買ってきたナムルを適当に並べ、カルビを焼肉のたれにちょっと漬けてから焼いて細かく切ったものを中央に乗せて、いざ、オーブンへ。

オーブンの温め方は足りないは、もう、お腹を空かせた家族が待っているはで、ちょっと温め方が足りなくなってしまった。

オーブンで焼くなら、やっぱりちゃんと適温(180度から200度くらいかしら、とドテ感で考えている)まで、オーブンをちゃんと温めて、チリチリ音がしたら、出してみて、中までちゃんと温まっているか確認するくらいの余裕がほしい。

最後、オーブンの中でチリチリ言っていたが、やはり、ご飯の入れ過ぎで、どうも真中まで熱々になっていないようなので、最後、直火にかけてちょっと焼いたりもした。



トップに戻る


1999年10月20日(水)

石焼きでない焼きビビンバ 2/2


さて、出来上がってから、卵の黄身を2つ置いた上でかき混ぜた。
卵黄の味は、濃厚だから、とても卵黄くさくなってしまい、ひとつでも良かったなと反省する。
(3人前であり、ごはんもたっぷりだったので、2つ使った。)

温め方も足りず、卵黄のにおいが強いビビンバであったが、妹はとても美味しいと食べてくれた、この自分が余りうまく行かなかったときに、「美味しい!」と言いながら食べてくれる人は、本当に有難い。
作り過ぎて余ってしまったが、次の日に甥2が来て、おばあちゃんに温めなおしてもらい、全て食べて帰ったとのこと。
後で感想を聞いたら、「あのチャーハンは、おしょうゆが足りなかったけれど、美味しかった」とのことであった。

その後、MLで、峠の釜飯の容器で直火で成功しているという話も聞いた。
オーブンにこだわることはないのかも知れない。
壊れたり、焦げたりしても惜しくない土鍋も良いと思う。
私は、今度は、グラタンを作るキャセロールで直火+オーブンで作ってみようと思う。
どうにかして、余りものの冷たいご飯を美味しく食べることができる水準までに研究してみたいと思う。

その研究のために、美味しい石焼きビビンバを食べ歩きたいものだ。



トップに戻る


1999年10月21日(木)

鳥越・蔵前 1/2


テレビ東京のアド街ックで、我が家の方が紹介された。
色々な近所の名物が放映された後、付いた街のキャッチフレーズが「頑固親父問屋街」だそうである。
う〜ん、ついてみれば、中々言い得て妙かなと思う。
小売の商店街ではなく、卸売りの街だから、愛想がいいより、頑固かも知れない。
テレビだから、特に下町っぽい人、江戸っ子ぽい人ばかり登場した。
でも、確かにそういう下町っぽい人、下町を殆ど出たことのない人が楽しく暮らせる町なのである。
(余談だが、ある日、肉屋さんで、「今日は目黒に行くの」と言ったら、おばさんが、「目黒って、どんなところ? あたし、まだ、目黒に降りたことがないの」と言っていた。下町にとって、「目黒」とは、親戚でもなければ、一生行かないところかも知れない。)

私の回りで一番下町・江戸っ子ぽかったのは、我が父であった。
我が父は、一生の99%を我が町で24時間どっぷりと暮らして死んだ。
我が家の方の商家では、住宅街や繁華街でのお店と、店のつくりが違うのだ。
お店には、「帳場」というものがあって、主人が帳面を付けたり、訪れてくる問屋やお客さん、友人と話す場所があるのだ。
事務スペース兼応接間というところか。
我が父も帳場で、友達や仕事仲間、問屋と良く話していた。
お店が開いているとき、色々な似通った下町育ちの下町気風の人が尋ねて来て色々な話しをするから、「下町風の人」が出来上がるのだと思う。

他にも、私の中学の同級生の家、甥2人のそれぞれの小学校の同級生の家が登場した。
私の友達の家は、お兄さんが結婚したところまでは知っていたが、今や、そこに生まれた子供が成人して跡を継ぐことになったと紹介されていた。
もう20年もその子に会っていないことを思い出す。
お兄さんとその息子だけ紹介されたので、そのお父さん、お母さんはどうしたかなと心配する。
あそこの家で、夕飯をごちそうになって、美味しかったけと思い出す。
こういう近所の様子を放送してくれる番組は中々いいなと思う。



トップに戻る


1999年10月22日(金)

鳥越・蔵前 2/2


鳥越・蔵前という題名から、我が町は紹介されないかと思いきや、いつも、鳥越・蔵前程、名前が通っていない我が町も入っていた。
でも、私の中では、鳥越は鳥越だし、蔵前は蔵前であり、三筋は三筋、小島は小島であって、異質なものである。
少なくとも、鳥越・三筋・小島は同じ鳥越祭りのテリトリーだが、蔵前は異なるので、なんとなく、違う地域と感じてしまう。(私が蔵前の子供が通う小学校に入学しなかったためでもある)

私の住んでいる町の名前は、「三筋」と言って、住人が言うのもなんだが、本当に特徴のない町である。
近くには、御徒町の宝石屋街・上野のコリアンビレッジ・おもちゃ問屋街の蔵前、料理道具の合羽橋、日本橋の繊維問屋街、浅草橋の文房具・お人形屋さん街・秋葉原の電気街があるのに、我が家の地区はなんとも形容できない地域である。
それらのごちゃまぜの地域なのだ。
全ての端にあたるのが、小島・三筋なのだと思う。
金属小物のお店の集まっているところが紹介されていたが、この通りだって、この先、ちょっと行けば、神田の金物通りという通りに繋がっており、その端なのだと思う。
だから、問屋街には間違いないのだが、宝石屋・おもちゃの卸売り屋・袋物屋・かばん屋・糸屋・製帽・ボタン屋・洋服屋・バックル屋・テント屋・理美容器惧・コーヒー屋・はがね屋さん、木工を行っている家、家具の問屋、色々な家がある。
これらは、全て、我が家より都心地区と浅草の産業の延長なのかと思う。

それにしても、テレビの最後に登場した、鳥越祭の氏子総代のおじいさんが恰好が良かった。
そのおじいさんは、毎年、御輿について、一日中、歩き回るのだ。
その姿を知っているからかもしれないが、「オヤジもやっていたことだし、人間、年に一度か二度馬鹿にならなくちゃね」という言葉が、素敵だった。
そうか、「馬鹿になる」というのは、自分の損得を考えずに、また、回りの言葉も気にせず、「自分が皆のために役立っている」と思うことをやることなのだと思った。
おじいさん、江戸っ子だね、という感じであった。



トップに戻る


1999年10月23日(土)

焦げていて凍った魚


甥2が夕食を食べ終わっておばあちゃんの部屋に来るなり、「今日はおばあちゃんちの夕飯のおかず、な〜に?僕の分もある?」ときいた。
甥2の話によると、甥2の家の夕飯のおかずは、魚でしかも焦げているかと思えば、凍っているところもあって、とても美味しくないので、ご飯が進まなかったとのことだった。
甥2は、自分のお腹を指指して、「ほら、いつもより、『すごく』ないでしょう?」と言う。
本当に、いつもの膨らみ方に比べたら、3割減といったところか。
夕飯を終えておばあちゃんちに来る時の甥2のお腹は、いつもパンパンに膨れ上がって、お相撲さんのようなお腹になっている。
いつも、これを、「すご〜いお腹!」と私が言うものだから、本人、結構、誉められていると思っているのかも知れない。

「焦げているところもあり、しかも凍っているところもある魚」とは、一体何なのだと、甥2の親に聞いたところ、「スーパーで買ってきたかつおのたたき」だそうである。
それだったら、あり得る話である。

季節のいい間は、窓を開けていると、おばあちゃんの家で甥たちの様子が少しわかるのだ。
この前の夕方、甥2のいばる声が聞こえたので、後でわけを聞いてみると、「僕が夕飯を楽しみにしているのに、お母さんたら、2日続けて、おかずを僕の嫌いな魚にしたんだ」とのこと。
お母さんも大変だ、でも、夕飯のおかずを楽しみにしている子供がいるのって、お料理をする張り合いになるのではないかと思う。
友人が、「まずい料理を出しても、夫なら、我慢して食べてくれるけれど、子供は我慢してくれないから、料理が上手になった」と言っていた。



トップに戻る


1999年10月24日(日)

イギリスカレー 1/2


NHKの「男の食彩」9月号のキハチさんと生徒で作る記事を参考にして、イギリスカレーを試してから、割と回数多く、イギリスカレーを作っている。
作り方は手数がかかるが、確実に美味しくできることと、ビーフを柔らかく煮たカレーであるところが気に入っている。

また、夏から秋にかけて、献立に困って、保存のきくカレーを作ることにならざるを得なかったこともある。

手間暇は、よく考えると大変なものがあるが、別に1日で作ろうとしないで、2,3日に分けて作っているから、私にはどうということはない。

1.まず、4,5cm角の牛肉を炒めて、周囲に壁を作ってから、チキンブイヨ
  ンで1時間半煮るのだ。
  私の場合、コトコト煮るのは嫌いなので、オーブン180度に入れてしまう。
  これからは、圧力鍋を買ったから、今までより、時間も電気代も節約できる
  かも知れない。

2.玉ねぎは、たまに大量にスライスして茶色くなるまで炒めて凍らせてあるの
  で、それを使う。
  私は、日曜日など、連続2時間料理をすることが多いので、そんなとき、6つ
  くらいの玉ねぎをフードプロセサーでスライスして、大量に炒めるのだ。

3.小麦粉をバターとサラダオイルで、足が切れるまで炒める。
  これが一番面倒かも知れない。
  中火のフライパンで、油類を熱して小麦粉を木べらでかき混ぜていくと、
  はじめ液体状であったものが、ふっと、バラバラになる瞬間がある。
  この状態にまでなったら、出来上がり、と本には書いてある。

  が、私が思うには、この後、しつこく炒めて、小麦粉を炒めた香ばしさを小
  麦粉に移して行った方が断然美味しいと思う。
  しつこく炒めると、段々キツネ色・茶色・焦茶色と変化していく。
  茶色までは良いのだが、あっという間に焦茶色になったら、失敗なのだ。
  こんなものを料理に使ったら、「香ばしい」どころか、「焦げ臭く」なって
  しまう。
  このいつになったら、焦げ茶になるかわからないので、少しキツネ色になって
  からは、おっかなびっくり炒めている。

ホワイトソースに使うのなら、「足が切れた」程度の方が色もきれいだと思うし、「小麦粉を炒めた香ばしさ」は不要かも知れない。
イギリスカレーの場合も、茶色まで炒めた玉ねぎがサポートしてくれるので、これも適当でいいかも知れないと思うが、つい、「もっと美味しくな〜れ」と、長く炒めてしまう。



トップに戻る


1999年10月25日(月)

イギリスカレー 2/2


ここまできたら、後は組み合わせるだけである。
火にかけながら、小麦粉の炒めあげた中に、牛肉を煮たチキンブイヨンを少しずつ入れてはかき混ぜ、だまができないように、伸ばしていく。
最初は、丁寧だが、大体だまができていないかなと思ったときから、丁寧でなくなる。
フライパンにブイヨンを入れながら、いっぱいになりそうになったら、底をこそげとるようにして、大鍋に移す。
そこに、炒め玉ねぎを入れ、トマトケチャップ・チャツネ・りんごのすりおろしをいれる。
本には、ウスターソースも入れよと書いてあるが、私の部屋にないので、省略する。

また、本では、にんじん・玉ねぎ・ジャガイモは入れないのが本格的と書いてあるが、やはり、家庭で作るカレーだと、ビーフだけでは寂しいので、炒めて入れてしまう。
う〜ん、そうではないのだ、にんじん・ジャガイモなど入っていないカレーなら、おかずというか主食として寂しいから、もう一品作らないとバランスが悪くなるのだ。
それが面倒なだけかも知れない。

ここで、本に書いてあるにんにくとしょうがのみじん切りを入れるのを忘れていたことを思い出す。
慌てて、みじん切りにして、油で炒めて、鍋に入れる。
この後は、焦げないように、にんじんが柔らかくなるまで煮て、出来上がり。

これだけ色々なものを入れれば、美味しいだろうと味見すると、そうでもないのだ。
何かが足りない、そうだ、塩を入れるのを忘れていると、味見しながら、塩加減を調整すると、本当に美味しく出来上がる。

だいたい、この段階が日曜日の夜遅くであり、そのまま、ガス台の上で、冷まして、翌朝冷蔵庫にしまう。
月曜日の夜に食べることもあれば、1,2日遅れてしまうこともある。
どちらにしろ、カレーは寝かせた方が美味しいので、家族が「カレーでもいい」という時を待って出す。

このカレーなら、ご飯にぴったりだし、牛肉が柔らかいので、家族にも好評である。

今、忙しいので、小麦粉を炒めるのに集中できずに、このような手間はかかるけれど、作業を2,3日に分けることができて、色々な味が補い合うイギリスカレーばかり作っている。

日本風小麦粉カレーを作るときは大変だ、この小麦粉の炒め方=味になるので、真剣である。
私にとって、その意味では、日本風カレーの方がイギリスカレーより、作るのが難しい。



トップに戻る


1999年10月26日(火)

栗・栗・栗 その1


MLで、栗の渋皮煮を教えてくれた人がいた。
「生の栗から作った美味しいお菓子」というのは、何故か心引かれる、短い季節のものだからだろうか。
「渋皮煮は美味しい」というメールが続いたので、作ってみることにした。

まずは、栗を買わなくてはいけない。
私には、栗の品定めなど、できないのだ。
秋に栗を売っていれば、それだけで、新鮮そうに見えてしまう。(なんて言ったって、八百屋に並んでいるだけで、「旬のもの」なのだから)
栗を自分で料理するようになったのは、ここ2,3年である。
2,3年で、毎年1,2回しか、買わないので、まったく見る目がない。

昔より、「買って損をした」「虫が入っていた」「傷んで食べられなかった」という野菜や果物の種類は少なくなったと思う。
その中で、栗ではずれることは、確率が高いように思える。
(他に、りんごもみかけではわからず、きれいなりんごと思って買うと、中が真っ黒だったりすることがある)

今回も、つい安さにつられて、2kg600円の栗を買ったのだが、剥いたときから、変だった。
渋皮煮だから、渋皮をはがさないように、鬼皮をはがすのだが、その買ってきた栗の渋皮は、茶色だったり、黒かったりした。
それでも、そのまま25分間茹でてみた。
それをお水に取って、また、茹でるのだが、気になるので、一回目に水に漬けたときから、手にとって、手と目で観察してみた。
手に取ると、張りのあるもの、柔らかすぎるもの、硬いもの、色々である。
やっぱり、渋皮の段階で、色が色々ということは、ひどい栗だと言うことかも知れないと実感する。
割と数多く、触ると、腐っているような感じがするものがあり、それを割ってみると、中が虫食状態というか、ひどいので、捨ててしまった。

それでも、もったいないから、水で2回茹でて、最後仕上げに砂糖を入れたお湯の中に漬けて、一番置いておいた。

しかし、出来上がってから、中を割ってみると、まともなものが本当に少なかった。
この段階で嫌になり、全て捨ててしまった。
ここで、安さに引かれて栗を選んでしまった自分に、「本当に栗の選び方を覚えないのだから」と呆れる。(毎年、同じことをやっている気がする。)

今まで私の栗は、全て鬼皮ごと茹でて、二つに割り、スプーンでかき出すやり方であった。
これだったら、少しくらい悪い栗でも、悪いところを取りながら、どうにか料理はできる。
しかし、丸ごとの栗を料理するとなると、やっぱり、初めから、「大きくて、新鮮な栗」を選ぶことが必須なのだと思った。
良い栗を求めて、1個、1個、吟味しながら、料理しなければ、最終出来上がったときに、ひどい結果になる。



トップに戻る


1999年10月27日(水)

栗・栗・栗 その2


私は、料理に関しては、割としぶとい。
また、良く売れると思われる八百屋で、この前の倍の値段で栗を1kg買い求めて、再チャレンジしたら、うまく行って、とても美味しかった。
「栗の風味が残る」ということでは、渋皮煮が一番かも知れない。
習ったとおりに、栗を10分くらい、熱湯につけて、包丁で傷を付けて、剥いていたが、どうしても、渋皮を数ミリ切ってしまうのだ。
その後で、朝日新聞に、野崎洋光さんが「渋皮煮を作るときは、栗にカッターで傷をつけるといい」と書いてあり、なるほどと感心した。
カッターで切り傷程度に、薄く傷をつければうまく行くような気がする。
栗の鬼皮に傷をつけた後は、包丁を刃物として使わず、皮をめくるもの程度に考えて、皮をはがすといいと思う。
剥いてみると、今度は、どれもこれもきれいな薄い栗色の渋皮に包まれた栗ばかりで、ほっとした。

その後の作り方
1.1600CCのお水の中に重曹15Gも入れた中に栗を入れて一晩置いた。

2.3回、25分ずつ煮たが、これは、タイマーがあるから、手間ではない。

3.お水に取って、渋皮についた余計なものを指で擦り取る。

4.栗をお鍋に入れて、かぶるくらいのお水に、砂糖150G程度入れて15分煮る。

5.それを冷まして、再度火にかけ、砂糖150Gを更に加えて、15分煮て、冷ます。

6.最後塩を少し入れて、また、少し煮る。

7.これを一晩置いておいてできあがり。

最後の方はいい加減になったし、4,5時間で食べてしまったが、美味しかった。

渋皮煮の味付けには、お砂糖+しょうゆのものと、お砂糖だけのものがあるようだ。
私の場合は、料理・お菓子両方に使えるように、MLで教えてもらったように、お砂糖だけの味付けにした。
ちょうど、母のお誕生日ケーキに合わせてこの渋皮煮を作ったのだ。
普通の生クリームのショートケーキだったが、真中には、栗ご飯の残りの栗(まるで味付けなし)を細かく切って、生クリームの上にまいた。
ケーキのトップは、渋皮煮だ。
体裁としては、地味だったけれど、味は良かった。
次にお誕生日の来る甥1は、「僕のときも栗のケーキがいい」とのことであった。

栗の渋皮煮の色は、プラムと言った感じの色か、色的には、ラズベリーの赤や、キウィやベパーミントの緑と合うと思うが、味的には、どうであろうか。



トップに戻る


1999年10月28日(木)

栗・栗・栗 その3


9月に、上野の桃林堂の栗きんとんを食べてから、「自分でも作れる」と思った。(もちろん味だけであるが)
ちょうど、そのときに、MLで栗きんとんというか、栗茶きんの作り方を教えてくれる人がいて、やってみた。

今回は、栗を一晩、お水に浸けておいた。

教えてくれた方が言うには、一番のコツは、栗を茹でないで、蒸すことだそうだ。
試してみたら、本当だった。
今まで茹でた栗を2つに割ってかい出したことはあったが、茹でた場合と、蒸した場合でどうしてこんなにホクホク度が違うのだろうと思った。

これをまっぷたつに切って、小さいスプーンで中身をかき出す。
たまった栗の実をフードプロサーで潰して、量ってみたら、 600gであった。
買ってきた栗が確か1kgだから、6割が実という計算になる。

ここで、お砂糖を入れるのだが、その人によると、蜜にして入れるとのこと。
分量がわからず、ま〜、こんなものかと和三盆糖50gを小鍋に入れてほんのちょとのお水も加えて、煮溶かす程度の火で少し煮た。
それを栗の裏濃しにかけて、手で混ぜる。
面白いように、ばらばらだった栗の粉々が、集まって行く。

ここで、味見をすると、栗の味が生きていて美味しいのだが、お菓子の甘さとしては、弱いと思ったので、後25gの和三盆糖を煮溶かして追加した。
また、味見をする。
今度は、甘過ぎたような気がしたが、それでも、すっかり冷めてから食べたら、そんなに甘くはなかった。
まとまった栗の粒々を30gずつ量って、お団子にして、最後ラップできゅっとしめて、形を作ったが、形はご愛嬌だ。
全部で25個できて、原価を計算したら、栗と和三盆糖で、1つあたり、38円でできた。

味は、私でもこんなに上品な和菓子ができるのかしらねと、言う出来であった。
栗の実をかき出すのは、面倒だが、絶対のお勧め。
我が甥2に食べさせて、感想を言わせたら、「美味しい、でも、大人の味ね」とのことであった。
(でも、1、2日置いたら余り甘くなかった、もっとお砂糖を入れたほうが良いかも知れない。)

私は、和菓子の作り方の本を三冊持っているが、三冊とも、このような蜜を使う方法ではなく、白餡と上白糖でつくるやり方であった。
どっちが美味しいかは、わからないが、和三盆糖で作ると上品だと思う。
来年は、白餡で作ってみようかな。
きっと、私は、来年もこのお菓子を作ると思う。



トップに戻る


1999年10月29日(金)

銅のお鍋 正しい使い方


昔の別冊NHKきょうの料理「暮らしを楽しむキッチングッズ」という本を見ていたら、銅鍋のことが細かく出ていたので、大筋を紹介します。

★銅の特製と手入れ法
銅ぶきの屋根が年月を経るとみごとな緑青色に変わるように、銅は空気中の湿気と炭酸ガスに反応して緑青が生じます。
この緑青、人体には無害なのですが、古くは有毒と信じられていたために、食品衛生法では、現在も食品が直接触れる面には、錫やニッケルを張ることが義務づけられています。

★使い方
銅製品は決して空炊きをしないこと。
内張りされている錫の融点は焼く230度、弱火でも十分熱を通します。
一方の銅の融点は約1000度ですから、銅に変化がなくとも、錫が溶け出してしまいます。

★手入れ法
使用後は汚れを切れに落として、銅や錫を傷付けないよう、中性洗剤と柔らか目のスポンジで洗います。
油を使う玉子焼き器は毎日使うなら、洗わずに熱いうちに油を拭き取るとよいでしょう。
表面に緑青が生じたら、クレンザーで磨いて落とし、ぬるま湯で洗い、よく拭き上げておきます。
外側のつやのある輝きをいつまでも保ちたいなら、研磨剤や酸化剤の入っている専用の銅磨きを求めると良いでしょう。
内張りの錫を傷めないためには、へらは、木製やフッソ樹脂加工がよく、はげた場合は、メーカーに相談して、できれば、張り直しましょう。

私の場合、1千円の安物ですから、メーカーに相談することはできないので、大切に使います。



トップに戻る


1999年10月30日(土)

炭火焼き


今まで苦労してサンマを焼いていたが、今回、炭火で焼くコツがようやくわかり、得心の行く焼き方ができた。
今年は、サンマの腸もしっかりしていないサンマを買ってしまったと、サンマをののしっていたが、実は、私の焼き方が悪くて、腸が崩れていたことがわかってしまった。
今回のサンマは、この前までと同じサンマなのに、腸はしっかりしていて、同じサンマとは思えなかった。

炭火で焼くコツは「火をちゃんと起すこと」なのだ。
否、これはわかっていたのだが、どうやったら、ちゃんとした火で焼けるのか、ちゃんとした火を作るコツがわからなかったのだ。

私の場合、ガスで、火を起して、もういいかなと、バーベキューコンロに移す。
バーベキューコンロの側面の空気穴が小さいのだ。
それでも、「空気穴」という言葉に引かれて、ここを一生懸命団扇で扇いで、火を起そうとしていたのだが、いつも、火は、段々消えていく、網は温まらない、時間が経つ、サンマを乗せてしまう、と、サンマは、網にくっついてしまった上に焼けない、網を取る、火を起し直すの悪循環を起していたのだ。

今回は、バーベキューコンロに炭を移してから、バーベキューコンロの側面ではなく、火の上から、扇いだら、見事に火が赤々と起こったのだ。
そして、その時既に、網も乗せていたのだが、網もちゃんと熱くなっていることを確認して、、サンマを乗せたところ、サンマの皮もはがれず、とても、うまくサンマが焼けてしまった。

コツをまとめると、「七輪に炭を移してからは、一番空気が大きく取れる面を扇いで火を起す」、これにつきる。
上から扇ぐと、炭は、メラメラと赤くなる。

なんで、こんなことが今までわからなかったのだろう。

母に話したら、「鰻屋さんは、七輪の上で、団扇を扇いでいるわよ」とのこと。
(知っているのなら、早く言えよな、です)



トップに戻る


1999年10月31日(日)

24時間生鮮スーパー


我が家の近所(歩いて5分以内、自転車で1分程度)に、大きな24時間営業の生鮮食品スーパーができて2か月が経った。
最初の頃は、この近所の八百屋・魚屋・肉屋さんのお客ががたっと減って、まるで、開店休業のような状態だった。
この大きなスーパーができた影響は、ごく近所に止まらず、徒歩30分圏内の地域全てに影響を与えた。

我が家の方では、大きいスーパーというと、ちょっと離れた浅草の外れか御徒町の方まで行かなくてはならなかったのが、徒歩圏内にできたので、大変な人気であった。
お客さんの中には、「大きなスーパーに歩いて買い物に来れるなんて夢見たい!」と言っていた人もいたそうで、う〜ん、やっぱり、我が家の方は、世の中の発展から取り残されている地域かと思う。
(何せ、バブル時代の地上げで、人口が1/3に減ってしまった上に、大きい空き地が殆どない地域)

どこの店も1か月程度、目に見えてお客が減っていたが、1か月以上経ったら、皆、新しいスーパーに好奇心を失ったのか、だいぶ、以前の状態に戻った。
そして、その新しいスーパーもまずまずの混み具合である。(聞いた話しだが、大手スーパーは、ちゃんと、利用人数がどの程度いるのか全て計算してから開店するので、そんなに大きく予想を外さないということである。)

そのことが不思議なのだが、自分のことを考えても、いつも通っている個人商店に行かなくなることはないけれど、買い物に行くスーパーは、簡単に変わってしまった。
やはり、スーパーのライバルはスーパーではないかと思う。
さて、24時間いつでも買い物ができることになったわけだが、私に限って言えば、夜はまるで行かない。
確かに理屈の上では夜でも買い物ができるのは便利であるが、やっぱり、長年の習慣で買い物は、夕方までにしてしまうし、夜は、買い物のことなど、考えたり、行動したりするよりは、ゆっくりしたいと思う。
買物は、土曜日にまとめれば、どうにかなるので、これ以上、こまこま、買物などしたくないのだ。
(私が夜中にできたら便利だと思うのは、平日の昼間しかできない銀行の送金とか、金融関係のことが多い。)

しかし、世の中、全ての人が、夕方までに家に帰れるわけではなく、土日も暇とは限らず、夜中に買い物をせざるを得ない人も多いのだろうから、24時間開いているお店は誰かの役に立っているようである。
我が家の方の商店は、たいていは、7時には閉まってしまうが、やはり、9時くらいまで開いていると便利かなと思うことも多い。

私も、初めは、新しくできたばかりのスーパーにお客を取られた回りの商店が可哀想で、このスーパーが嫌いだったが、ひとつメリットを見つけ、最近はよく買い物をしている。
そのメリットは、「キュウリやトマトを1個単位で選んで買える」ことだ。
今まで買いに行っていた八百屋さんは、我が家から自転車で3分くらいで、毎日買いに行く気がしなかったし、5本とか、7,8本単位でしか売ってくれなかったので、使い切れないこともあったし、だいたい、冷蔵庫にキュウリを入れておくとまずくなってしまう。
実際やってみると、自転車で1分以内に、いつでも、キュウリ1本をえりすぐって買える店があるというのは、とても助かる。
じっと見て、柔らかそうなキュウリを1本選ぶのだが、それでは余りなので、ついでに必要なものをそのスーパーで買ってはいるが、ま、本当に義理程度である。
本当に、キュウリをまとめ買いしないで、1本ずつ選んで買えることは、とても良いことである。



トップに戻る