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「美味しい!」が好き

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1998年11月1日(日)

築地案内 1/2


昨日は、若手の友人たちと築地に行ってきた。
集合は、午前8時、私にしては、遅い時間であり、前日、「築地に行くから」と行っておいた母から、7時頃に「築地に行くのに、まだ、出かけていないじゃないの、寝坊しているのでは」と心配の電話があった。
母と行くときは、ドア トゥ ドアで25分弱で近いし、お寿司屋が混んでいると嫌なので、家を6時半頃に出てしまうのだ。

★大和寿司

無事、築地の駅で落ち合って、場内のお寿司屋に向かう。
やはり、築地に行ったら、場内のお寿司屋はお勧めだ。
絶対的な美味しさだと思う。

大和にするか、寿司大にするか、迷うところなので、2人ずつ、両方に並び、早く食べることができた店に決めようということになった。
で、結果、大和になった。
何やかやといい、大和の方が2倍広いから、同じ行列の長さの場合は、大和が有利である。
今回、20分程度しか並ばなかったので、ラッキーである。

今日は、運良くご店主の前に座れた。
出てくるネタ、全て新鮮で美味しく、皆、満足した様子。
良かった、良かった。
白子を、追加で食べたかったけれど、一応、お任せコースを食べ終わると相当お腹が出来上がってしまったので、きっと、これ以上食べても美味しく味わえないだろうと判断、追加はしなかった。
おやじさんの席は、大和では一番良い席だ、ラッキーにもこのおやじさんの席に座れたので、皆、感じの良さに感激して、店を出た。
気分の良さも寿司の味だわよね、と思う。

そう言えば、来週の金曜日の夜8時、「クイズところ変われば」に大和寿司が出るそうで、一昨日、撮影に来たそうだ。
やはり、TVに出るのは嬉しいのかなと思うが、私としては、これ以上混まないことを祈るのみだ。
大和と寿司大の違いは、今後、エッセイに載せたいと思う。

ところで、横浜の南部市場や生麦にも大和のような寿司屋さんがあるとのことである。
ちかくの方は、探してみる価値があると思う。

★場内<野菜>

その後、場内に行った。
まず、野菜のほうだ。 皆、野菜も見たいということだった
時間が9時近いこともあり、やっちゃばのほうも仕事が一段落したようで、落ち着いた様子だった。
野菜のほうは、注文が細かいせいかと思うが、早い時間だと、シロウトを相手にする余裕がないと思う。(ま、それは、魚も同じかも知れないが)

今日は、女性4人組のせいもあり、野菜部門に入るなり、すれ違った野菜のところで働くお兄さんが、愛想良く「築地にようこそ!」なんて、言ってくれた。
やはり、感じいいほうが感じがいいわよね、と思う。

築地に行くと、シロウトに感じがいい人、邪魔だという人、無関心な人、お店の人の反応は様々だ。
感じ悪くても、余り気にしないほうがいい、全然悪気がなくて、ただ、そのときの感想を率直に言っているだけだと思えばいい。
彼らは、ちょっと、感想を言って、そして、気分転換して、次の仕事に夢中になるだけだと思う、悪気はないのだ。
そして、仕事が一段落していない人は、どの人もこの人もとにかくやたらに忙しいのだ。

それに、場内において、シロウトさんは、あくまでも、公認されていない存在なのだ。
シロウトさんは、もしかして、知らず知らずに、市場の方々のお仕事の邪魔をしているかも、というようなことを頭に置きながら、歩くべきだと思う。
私見ではあるが、「邪魔だ」といわれたら、「あら、ごめんなさいね」と、邪魔にならないようにすれば良いだけの話しだ。
今回も、感じの良い人、悪い人、色々いたが、同行した人たちが全然感じ悪い人に反応しなかったので、助かった。

野菜のほうで、私が知っている限りの店を紹介する。
今日は、どこの店も愛想がいい、やはり、女性4人組の強みだろうか?
店の名前は忘れた(今度、名前を控えて発表しますね。)が、輸入野菜に力を入れている店で、珍しそうに見ていたら、お店のお客さんが責任者を呼んで、野菜の説明をさせてくれた。

輸入野菜は、味が濃いとのこと。
それにしても知らない野菜が多いと思った。
確か、セロリ芋と言ったかな、それと、黄色いインゲン、黒い大根、西洋のゴボウ、オレンジ色のビーツ、色々あった。
少量でも売ってくれるとのことだったが、使い方がわからないので、手を出せないで終わった。
ただ、社会科見学・生物見学としては、とても良かった。

野菜売り場の皆様、良くしてもらったけれど、何も買わなくてごめんなさいね。
いつか、私が偉くなったら、築地の場内野菜売り場は感じが良いって、宣伝しますわよ、なんて、思ったが、そんな日は、きっと、来ない。(笑)

築地の場外は、日本の野菜は豊富だが、西洋野菜はやはり、場内まで行かないと買えないと思う。
8時過ぎか9時過ぎの、プロのお客が帰った後だったら、場内のお店の人は、シロウトでも相手にしてくれると思う。



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1998年11月2日(月)

築地案内 2/2


さて、その次は、場内の魚の方だ。
皆、場内ではどんな魚をどうやって、どの単位で売っているのか、想像がつかないので、何を買うかを決めてこなかったそうだ。

一人、魚は食べられるけれど、調理前の姿や生きて泳いでいるのを見るのが苦手という女性がいた。
行く前から、「場内に行ったら、絶対、目の中に魚の姿が入ってくるわよ」と言ってあった。
実際、行ってみると、本人、我慢もしていたのだろうが、とても落ち着いていた。
「でも、赤い魚は、金魚に見えて、どうも、駄目」とのことであった。
この気持ちは、東京生まれとしては、とてもわかる。
私も、大阪方面で暮らしたときに、関西のスーパーに並んでいる魚は、東京に比べて、赤い色のものが多いことを発見した。
見慣れない私は、初めの頃、やはり、「金魚みたい」と思ってしまった。
しかし、そのうち、平気になり、何も感じなくなった。
やはり、大阪の方が南国に近いから、売っている魚が赤く、東京は、北国に近いから、青い魚を主に売っているのかとも、思った。
築地は、全国から魚が集まってくるから、日頃、魚屋さんで見るときより、赤い魚が多いかも知れない。

皆、お店の人が、冷凍のまぐろの塊を千円という声に、引かれ、買うことにしたようだ。
その交渉をしているところを見ると、10個程度、かまが箱に入れて並べてあった。
「かまも、かまとろがついているし、かま焼きにしても美味しいわよ」と話すと、お店の人が、「安くするから、全部持っていってくれ」とのこと。
値段は、3千円である、全員協議の結果、数も多いし、どうしても欲しいものではなかったので、断ることにした。
そうすると、お店の人が、2千円に負けるからとのこと。
当然、この段階で、買うことを決定した。
1個200円のかまは飛び切り安い。
分けて包んでもらうのは、望み過ぎなので、後で、ファーストフードの、店員さんからよく見えない席で、分けた。

その他、ちりめんじゃこのお店で、味見をしながら、品定めをして、購入。

縦に3列くらい見物して、場内を出た。

場内の感想は、「ここは日本じゃない、バンコックだ」「目に入ってくる人の数と魚の数に圧倒された」というものであった。

日本ではないというのは、

1.信号がなく、初めて来る者には、築地の交通ルールがまるでわからず、事故に
  合わないように気をつけるしかないと諦めて歩く以外に歩きようがない。
  (そういう意味では、慣れない人は、築地の異邦人である。と書いて思い直した、
  だいたい、そもそも、場内は、シロウトが来ることを想定していない地域な
  のだ。)
  ターレットという一人用の車がそれなりのルールはあるのだろうか、右往左往
  走っている。
  これこそが、私は行ったことはないが、バンコックでドッドドッと走っているバイク
  や自転車のイメージなのである。
  (この車は場内の建物の中もスピードはのろのろだが、走っている。)

2.価格表示のある商品もあるけれど、ないものも多く、多量購入とかの条件はある
  が、ある程度、価格交渉がきく

3.見渡す限り、魚、魚、魚、それをきれいに並べるわけでもなく、オープンマー
  ケット風に売っている姿は、言われてみれば、アジアかも知れない。

その後、茂助団子をおみやげに買って、場外をちらっと見て、築地案内を終えた。

初めて、場内に行くと、密度が濃いから(目に飛び込んでくる情報が膨大)、疲れたのではと思う。
私も、お昼近くに、場内にいたのは初めての経験だったが、朝早く行くより、人は多いし、ざわざわした雰囲気であると思った。
ただ、閉店間際の出血大サービスの恩恵に預かれる可能性があるので、これは、これで、楽しいと思った。



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1998年11月3日(火)

まぐろのかま


皆で分けたかまであるが、家族3人ということで、3つもらってきた。
当日は、3つから、かまとろを抉り出して、叩いて葱と混ぜて食べたほか、大き目のを1つ、かま焼きにした。
残りの冷凍させたものは、もうちょっとしたら、かま焼きにするか、ねぎま鍋にしようと思う。

★かまとろ
かまとろは、なんと言っても見た目が美味しそうなのである。
食べると、大和のとろには、10段くらい負けるけれど、新鮮な分、それなりに美味しい。
叩くと、随分筋があることがわかり、適当に切れない筋等、除いた。
その上に、みじんに切った葱なぞを載せ、めいめいに分けた。
私はわさび醤油で和え、ご飯に海苔を敷いた上に、置いて食べた。
やはり、新鮮なまぐろが一番だと思う。

★かま焼き
かま焼きは今回が2度目である。
前回、何もわからないまま、電気オーブンのグリル機能で焼いたら、煙が出て、部屋中がマグロの匂いと煙りだらけになった経験があるので、今回は、慎重を期した。
部屋中を煙りだらけにしないで、且つ、効率良く焼くには、まず、電気オーブンで火を通しておいて、仕上げは、断煙機能のある電気魚焼き器で焼くのが一番だと考えた。
(初めから、魚焼き器でやればいいのに、と思われる方もいるかも知れないが、魚焼き器は高さがないので、すぐに焦げてしまうと思ったのだ。)
築地のおじさんたちは、「みりんと醤油に漬けて焼いた方がいいよ」と言っていたが、あんなに大きなもので、しかも包丁で切れないものを漬け汁に浸けるのは、不可能だ。
みりんと醤油も美味しいそうだけれど、ぽん酢とか、塩とレモンで行けそうな感じである。

取り敢えず、少々塩を振り、250度のオーブン機能で、様子を見ながら焼いた。
中1回ひっくり返して、20分くらいで、中まで火が通ったようである。
それを電気魚焼き器に移して、焦げ目をつけるべく頑張ったが、食事の時間になってしまったので、それ程、焦げ目はつかなかった。
用意しておいた、醤油と味醂、半々のつけじるに、粗くほぐして浸けた。
食べてみると、焦げているところは固くなって余り美味しくない。
焦げていないところは、身が柔らかくて美味しい。
かま焼きは、外では一回しか食べたことがないので、比べるのもなんだが、飲み屋で出るかま焼きのように、中はジューシー、外はこげこげを実現するのは、家庭では難しいかなと思った。
まぐろの照り焼きなぞという料理もあるが、身が薄いから、たいていは、固めの焼き上がりになってしまう。
その点、かまで作れば、骨や表皮の存在が、肉に直接火があたるのを和らげてくれるから、柔らかい仕上がりになるのかも知れない。
取り敢えず、新鮮なかまは、臭みがなく、美味しかった。

余談ではあるが、色々な事情で、サンマ一匹丸ごと乗る七輪を買ってしまった。
これで、かまを炭火で焼いたら、遠赤外線効果で、外はかりかりで、中ジューシーに焼けるかも知れない。
寒くならないうちにやってみようと思う。



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1998年11月4日(水)

米選び


先週末、スーパーのお米売り場を見たら、米の袋に「新米」のシールが貼ってあるものがあった。
なるほど、新米の季節になったら、やはり、「新米」を名乗って新米がスーパーに出回ることを理解した。
コンビニのおにぎりも今週から、「新米」のシールが貼ってある、食べたけれど、そんなに違いがわからなかった。

先月に書いたように、産地直送のお米を4種類、見本に送っていただいて、食べ比べをした。
種類は、山形産の「ひとめぼれ」「あきたこまち」「どまんなか」「はえぬき」である。
はっきり言って、最後は、どれがどれだか、良く分からなくなっていた。
品種も大事かも知れないが、水加減や、炊き立てを食べるか、冷めてから食べるかによって、味が随分変わってしまうと思う。
やはり、米の味を、4種類、名前まで覚えながら、ゆっくり味わうのは、落ち着いて生活している人のすることであり、私にはできなかった。
私は、取り敢えず、ま、どれでも口に入ったときに、「美味しい」と思えれば良いのだ。

わがままな我が家は、お米を一年間同じ種類ずっと食べるのは飽きるから、二つの種類を予約して交互に食べようなんて、考え付いてしまった。
生産者の山形の農家の方も快く応諾してくださったので、良かった、良かった。
我が家のような家には、味見させないほうが良いかも知れない。(笑)

お米評論家の母が、「あきたこまち」と「はえぬき」を選んだ。
特に、あきたこまちが気に入ったようだ。
はえぬきというのは、山形の品種で、元々は、コシヒカリ系とのこと、我が家はずっと、コシヒカリだったから、家の食べ慣れた味に近いのだなと納得。
(あきたこまちは、どんな味だか、思い出せない)
今度、定期的に、はえぬきとあきたこまちを食べるようになったら、きっと、味を表現できるようになると思う。

先程、インターネットで「米」で色々見ていたら、やはり、その土地にあった品種の米が一番美味しいとのことであった。
山形の土地に合うのは、「どまんなか」とのこと。
あきたこまちは、何系統なのだろう?
やはり、秋田のお米だから、ササニシキ系統なのかしら?
こういう「ひとめぼれ」「どまんなか」が売り出された頃、良く新聞に何系統のお米か、載っていたが、最近は、その手の記事は、とんと見なくなった。

取り敢えず、新米は、全て美味しかった。
また、勝手な自分のわがままを書いて申し訳ないのだが、私は、ふかし直したご飯とか、レンジでチンしたご飯が苦手なのだ。
そういうご飯が出てくると、知らず知らずにお茶漬けにしたり、ふりかけをかけたり、ご飯の味を直に味わなくていいようにごまかして、食べてしまうのだ。
小さいときから、本当に、苦手だ。
ところが、今回、家に遅く帰り、昼間新米を炊いたご飯をレンジで温め直したものが出てきたが、これは、そのまま、炊き立てと同じように食べることができた。
こんなことは滅多にない。
新米であり、しかも冷蔵庫に入れずに、置いておいたご飯だから、電子レンジにかけても美味しいのではとのことであった。
やはり、新米の威力はすごいなと思った。
紹介してくださった方のおかげで、安くて美味しいお米を1年分、確保することができて、とても嬉しい。



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1998年11月5日(木)

永谷園に負けた


先々週の日曜日に、弟と甥たちが夕食に来ることになった。
私が不在のときに、甥1が妹に「今度の日曜日の夕飯は何?」と聞くので、がっかりさせてからかおうと、「永谷園の麻婆春雨」というと、甥1は、「やった!」と、とても嬉しそうだったそうだ。

私は、低温トンカツを作る予定であったが、我が家には、揚げ物拒否の妹がいるので、もう一品何かを考える必要がある。
いつもは、納豆とか、たらこなのだが、今回は、甥に言った手前もあり、永谷園の麻婆春雨ということになった。

我が家では、永谷園の麻婆春雨は、熱狂的なファンが多い。
私も二度ほど食べたが、とても美味しい。(一度は沢山、二度目はちょっと)
ただ、私の場合、食べたときは美味しいのだが、食べ終わって30分後に、舌に強烈な化学調味料の味が戻ってくるのを経験してしまったのだ。
だから、私は食べない。
他の人たちは、舌に化学調味料の味が戻ってくるというようなことはないとのことなので、私が夕食をとらないときに、この永谷園の麻婆春雨の買い置きは大変役に立つ。


夕食のとき、妹が、麻婆春雨を出すと、甥たちは、「早くちょうだい」「もっとちょうだい」と、矢の催促である。
妹と甥2人の3人で、一人前を争って食べていた。
今回、低温トンカツの出来が良くなかったこともあり、麻婆春雨の一人勝ちとなった。
弟は、「永谷園に負けない麻婆春雨でも作ったら」というが、今のところ、そういう気もない。

ふん!そりゃ、何回か試行錯誤をすれば、きっとより美味しいのができるだろうけれど、面倒である。
(初めのうちは確実に負けるのは見えているしね)
今度から、ずっと、我が家に食べに来たときには、永谷園の麻婆春雨にしてしまおうかとも思うが、そうだ、私には、レトルトとか化学調味料でない味を甥たちに教えるという大切な役割があったことを思い出して、気を取り直した。
子供の好みなんて、成長とともに、変わるしね。

化学調味料、全てokという人は、私からすると大変羨ましい。

子供が化学調味料得意か苦手かは、海苔で判断がつくと思う。
私の小さいとき、味付け海苔なるものが、発明されたのだが、これが苦手で、いつも、けなしていた。
親は、簡単だし、珍しいので「美味しいよ」と、良く食卓に味付け海苔を出したが、私は断固拒否して、毎回、ちゃんと普通の海苔を香ばしく焼いて、醤油で食べさせてくれと、いつも、抗議していた。
その甲斐あって、我が家では、いつのまにか味付け海苔は食卓にあがらなくなった。
(昔は、焼き海苔は売っていなかった、海苔は、一丈、二丈で売られており、家で焼くのが当たり前だったのだ、味付け海苔はその点焼いてあったので、手間要らずで人気が出たのかも知れない。)
私は、食べ物に関して、育てにくい、親の先導に乗らない、嫌な子供だった。
取り敢えず、味付け海苔が苦手だという子供がいたら、これはもう、大人になっても、化学調味料の大量な使い方に合わせられない子供だと思う。
その子がわがままで化学調味料を拒否しているわけでないし、その子の好みは、健康的であるので、是非、そういう子がいたら、なるべく、自然で、美味しいものを食べさせてあげて欲しいと思う。(笑)
私は大人になって、デニーズの朝食や旅館で味付け海苔が出ると、そのときは食べられるようになった。
でも、自ら買い求めたことは未だ一回もない。韓国海苔は、それ程、化学調味料がきつくないのか、ばりばり食べている。



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1998年11月6日(金)

鯛のあらと鶏がら


余談です。
5日の朝日新聞の東京版に、11月6,7日に、「築地秋の大感謝祭」が開かれると載っていた。
場内一般開放に場外が加わって、「築地まるごと一般開放」だそうだ。

本題です。
今日は、「血」の話しですので、この手の話しが苦手な方は読まないほうがいいと思います。

ベーコンを作るようになってから、魚や肉に含まれている血液に敏感になってきた。
豚肉を塩でまぶして袋に入れて、重石を置いて一晩置くと、赤い液体が出てくる。
これは、肉に含まれている血液が、塩の加減で、出てくるのだと思う。(名づけて「血抜き」作業なのだ。)
ベーコンを作るときにこのような下処理をするということは、やはり、血というのは、味の敵かなと思うようになった。

それを応用したのが、鯛のあらの処理である。
鯛のあらは、一度、お湯でさっと茹でた後、水で、血合いとか、余分なところを取ると、たいていの本には書いてある。
鯛のあらをよく見ると、骨の中にも血管が通っており、ここまでは出せないとは思うが、今までよりは、多少長く煮て、取り敢えず、あらの見える限りの赤い血のところが固まるまで茹でるようになった。
(そんなに長くはないが、沸騰したお湯に、冷蔵庫から出したあらを入れて、再度沸騰しそうになったときまでである。)
その後、血合いとか、血管とか、茶色い部分は徹底的に水で洗ってしまう。
こうしてから、煮物に使ったり、出汁をとると、臭くないのだ。
本によっては、熱湯でゆがく前に、塩を振って置いておいた方が臭みを取る効果があると書いてある。
塩は、押し出す働きをするのだろうか?
ベーコンの経験から言うと、この方法は、有効だと思う。

あくに対しての知識が殆どない私が、経験で言ってしまうのは、危険があるが、肉や骨のあくって、結局、肉や骨の回りと中にある血液ではないかと思う。
それと、余り新しいものでなければ、酸化したところを取ってしまった方が良いと思う。
これらが混ざらなければ、味が良く、済んだ出汁やスープが取れるのではと思うが、どんなものであろう。

あくというものが良くわからない。
低温で煮たり、オーブンで煮ると、あくは出ない。
煮あがった骨等を見ると、血管は、血管の形のまま、固まっていることが多い。
だから、あくがでなくても、スープの中に、血が溶け込むことはないと思う。
血液が、スープの中に混ざり込むと、あくとなって浮かぶのではないかと思う。





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1998年11月7日(土)

テフロン加工


余談です。
多慶屋のイタリアンフェアで、買ってきたキットカットの味がいつもと違うのだ。
良く見ると、アメリカ産である、中のウェハースの食感もチョコレートも違う。
慣れの問題化も知れないが、日本の不二家の方が私の好みだと思った。
本場のイギリスのマッキントッシュのキットカットも味が違うのだろうか?

ここ数年、通販生活で買った、24cmの深い鍋にフライパンと、ふたのセットを購入、愛用していた。
大きいお鍋は大きいお鍋で役に立つし、フライパンも安物のテフロンに比べたら、きれいに肉や餃子が焼きあがるので、気に入っていた。
何しろ、蓋が兼用というのも良い、そして、この3つを組み合わせると、蒸すこともできるのだ。(でも、この機能は余りつかわなかった。)
それが、フライパン部分が調子が悪くなってしまった。
餃子を焼くと底にぴたっと張り付いてはがれなくなってしまった。
そのときは、何かやり方が悪かったと思ったが、今回、玉子焼きを焼いたら、また、同じ症状になった。
どうも、寿命が来たとしか思えないのだ。
話しには、テフロンははがれやすいとか、永久加工ではないと聞いていたが、本当に、それを経験したのは、今回が始めてである。
このフライパンはうまく焼けるので、相当がんがん高温で使っていたからと、今になって反省する。

テフロンは、確かにくっつかないので、楽で便利だけれど、寿命があるとわかったからには、それを念頭において、新しいフライパンを選びたい。
1か月前におかしくなってくれれば、合羽橋道具祭のときに重点的に探したのにと、残念である。

テフロンというか、フッソ加工は、やはり、値段の高いものはそれなりに焼き上がりがきれいでしかもこびりつかずに重宝だと思うのだ。
通販生活を見たら、8800円のが載っていた、ま、これを買えば、間違いはないけれど、今ひとつ手が伸びない。
最近のものは、どんなに進化していて寿命も延びているかも知れないとは思う。
また、フライパンを探して合羽橋や多慶屋を見て歩くかと思う。

しかし、自分の道具を良く見たら、小振りだけれど、鉄のフライパンと、大振りのビタクラフトのフライパンと目玉焼きを焼くのにちょうどいいテフロンとまだ3つも持っていた。
(なんで、こんなにフライパンばかり持っていたのであろう、きっと、若い頃は脳天気で、材質別に使い心地を比べたくて買ったのかも知れない。)
当分、これらを使いこなしてみようかという気もある、でも、ビタのフライパンはどうも私と相性が合わない。
これも使いこなしてみようかな、そのうち、嫌になってフッソ加工を買ってしまいそうな気がする。


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1998年11月8日(日)

浅草 寿 すぎ田


突然、夕食をどこかで一人で食べなくてはいけなくなった。
私は一人暮らしを10年していたし、転勤が多かったので、一人でお店に入ってご飯を食べることにそれほど抵抗はない。
(とは言っても本格的な店は一人では入れない、やはり、一品料理ですね)

さて、このチャンスにどこへ行くか。
そうだ、我が家から一番近い有名店、すぎ田に行ってみようと思った。
すぎ田は東京の美味しい店の紹介に殆ど載っているとんかつ屋さんである。
色々な雑誌の店紹介で見ていたが、勿論、トラディッショナル高温タイプである。
場所は、春日通りを御徒町から隅田川に向かって、春日通と田原町に行く道路が交差しているところにある。
御徒町から錦糸町行きのバスに乗って、6個めの寿3丁目で降りるとすぐ、もしくは都営浅草線蔵前駅から徒歩7分、銀座線の田原町からも7分程度のところである。

ご存知の方は多いと思うが、トンカツは、上野で発明された料理とのことで、上野から浅草には、トンカツの老舗とか有名店が多い。(絶対、他の地域より多い。)
すぎ田は戦前からの老舗ではなく、ここ30年、ここのご店主の腕で、栄えた店である。
私もこの店は雑誌で知った、「我が家から近いところに、雑誌に紹介される店があるの?」というのが、率直な感想であった。

すぎ田の入り口までの短い距離に植木や花が山と並べられ、中もとてもモダンで清潔できれいで、油臭くない。
細長い店で、手前は、カウンター、奥は椅子席のようだ。
6時半頃着いたが、私が一番最初のお客さんだった。

メニューは、トンカツ・ソテーがひれとロース、海老フライ、オムレツなどである。
ご飯と豚汁は、別料金。
「初めてなのですが、何が美味しいの?」と聞くと、「お好きなものを」と言われてしまった。

ソテーにも惹かれたが、100円安いトンカツにした。(変なところケチです)
私は脂身平気なので、ロースだ。
海老フライも美味しそうだが、とても高い。

ご店主が揚げるのを見ていた。
大きな胴の揚げ鍋が二つある。
きっと、低い温度で予め揚げて、最後高温で揚げるのかなと思った。
低い温度のほうは、100度ぎりぎりといった感じだ。
そちらで長く揚げるのかと思ったら、そんなでもない、どちらかというと、高温のほうが長かったが、高温と言っても160度程度かと思うが、はっきりはわからない。
ご店主は、もう、温度と、時間と、揚った感じは、頭に入っているという感じで、たまにTVを見ながら揚げていた。

このご店主のすごいところは、油に浮いたバン粉とか白い泡のぶくぶくしたものを取り去る業だ。
大きなかす揚げを油の中でぐるぐる回して、あっという間に油をきれいにしてしまう。
今まで、私はこれが余りうまくなく、いつもいい加減にやっていたが、練習すれば、あんなに油をきれいにすることができるのだと感心した。
もう一つ、油をそんなに高温にしていないから、きれいになるのではと思った。

で、待っていたら、出てきた。(だいたい、15分はかからなかったと思う)
縦5cm、横10cm、長さは良くわからないけれど、15cmくらいかしら、大きなトンカツが薄切りされて出てきた。
衣がとても薄く、かりっとしていた。

まず、普通のトンカツソースがあったので、それで食べてみる。
なんだ、大して美味しくないじゃないのと思った。
ご飯は、新米で、とても美味しかった。

この段階で、お店の人に声をかけられたので、つい、「ご飯、美味しいですね、新米ですか?」と聞いてしまった。
(ご飯は、お代わり自由だとのこと、300円です。)
また、しくじったと思ったが、遅かった。
トンカツ屋へ行ったら、まず、とんかつを誉めなくてはね。
つい、その時、一番美味しいと思っていることが口に出てしまう、私の悪い癖だ。

3切れ目から、リーペリンというイギリス製のソースをかけて食べたら、こちらの方が断然美味しかった。
ソースでトンカツの味が引き立ったのか、揚げ立てが落ち着いて、少し冷めて、豚肉の味がはっきりし出したのか、わからない。
これだったら、ここが美味しいというのはわかると思った。
豚肉の切り口は、低温の場合と違って、濡れているというほどではないけれど、相当瑞々しいほうだと思う。
中心の部分は、本当に、ごく薄くピンク色が残っていた。
美味しい豚肉を食べたなと思うけれど、豚を味わうなら、やはり、低温のほうがいいとも思う。
ただ、衣のカリカリ度まで入れると、どちらが美味しいかは好みであると思う。

ロースのとんかつ、ごはん、豚汁、ビール小瓶一本で、2700円であった。
(厚いカツは、やはり、高い)
高温とんかつとしては、最高の部類に入るのではないかと思うが、私は、トンカツの名店は、ずっと昔に、上野のぽん多に行ったのと、今年の春に、上野の平兵衛に行ったのと、すぎ田が三軒めだから、何が最高かよくわかっていない。

すぎ田のとんかつは、油の切れも良く、食べてから数時間経っても、胃の中に油が残っている感じがなく、気持ちがいい。

特撰とんかつ すぎ田
住所:台東区寿3−8−3
電話番号:3844−5529
休み:木曜日
営業時間:11:30〜14:00 17:00〜20:30



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1998年11月9日(月)

こつのこつ


今まで話題にしていた料理のこつを教えていただいた。
なるほどという、目からうろこ物のこつを。

98年11月3日
「まぐろのかま」から


   築地のおじさんたちは、「みりんと醤油に漬けて焼いた方がいい
   よ」と言っていたが、あんなに大きなもので、しかも包丁で切れない
   ものを漬け汁に浸けるのは、不可能だ。

料理の達人から教えていただいた。

「我が家では大きなカマにキッチンペーパーを巻きゴミ袋(むろん未使用の物) に入れて浸けます。
少ない浸け汁でOKです。
ゴミ袋は取り出したらそのまま本来のお役目をしてもらいます。
その他、鶏の丸ごと等もこの方法でしました、時々ひっくり返すと良いです。」

は、はっ、言われてみれば、そういう手がありましたね。

その大きいかまや鶏はどうやって焼くのか聞いてみました。

「鶏やローストビーフはオーブンレンジで焼きます、
マグロのカマは少しチンしてから(中が暖まる程度)卓上七輪で炭火焼き します。
でも大きい物はたいていスプーンで掻き出して生のまま戴きます。
煙はクリップ扇(小さい扇風機)で窓の外へ出します、気にしません。」

とのことでした。
やはり、マグロのカマは、炭火で焼いてみたくなった。

98年10月9日
「卵チャーハンの炒め方−まとめ−」より


  ごはん 茶碗の大きいので2杯
      冷や飯を平らにするか、ほぐすか、小さな塊に分けておく。
      (すなわち、鍋に入れて、直ぐに火に直にあたる面積が大きい
      ようにしておく)
      但し、冷や飯のままという説と、冷や飯を電子レンジで温めた
      ほうがいいという説と二つある。
      冷や飯そのまま説は、水分が少なくてチャーハンに向いている。
      電子レンジ説は、中華鍋の中で、ご飯の芯まで熱を通す時間が
      少なくて済むとのこと、ふ〜む、どっちがいいでしょうね。

というのに、中華の達人から答えをもらいました。

「冷やご飯を、ラップをかけないで、電子レンジにかけて温めて、水分を飛ばしてから炒める」

なるほどと、また、唸る、理に適っている。

「3〜4人分で4、5分ぐらいするかな。
普通に温め直すより長めで、かなり熱くします。」

この方法なら、家庭用の火力でも、3〜4人分を炒めるのは可能ではないかと思う。

世の中、本当に色々極めている人がいると、感心してしまった。
また、どうか、教えてくださいね。



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1998年11月10日(火)

里芋


採れたての里芋をいただいた。
今が里芋の旬なのかしら。
八王子から送ってもらったのだが、この里芋たちは、夏に見た、「里芋の大きさからは想像がつかないくらい大きな葉っぱを地上に立てて、一生懸命太陽の光と水を集めて、育った里芋」という感じである。
夏の野菜と違って、太陽の香りとかしないのだけれど、やはり、芋の美味しさは、変形太陽の香りなのだろうと思う。

採れたての里芋は、柔らかくて、すぐ茹るそうだ。
私はまだ料理はしていないが、二度ばかり食べた。
一つは、里芋と大根とイカの煮物(正しくは煮っころがし)、昨日は豚汁だったが、やはり、里芋の美味しさが群を抜いていた。
こういう煮っころがし・豚汁は、家庭・家庭で味付けが異なると思う。
ただ、どこかの家に行ってもこれを家族以外に出すことがないだろうから、自分の家と伯母のものしか食べたことがない。

伯母の方が薄味だった覚えがある。
こういった煮物は、ベテラン主婦のほうがうまく、里芋の煮っころがしや豚汁を上手に作れるようになりたいが、我が家では、母の得意技なので、私が作る出番がない。
食卓に出るときに、少々煮崩れていて、汁が濁っているくらいのが美味しい。
ただ、このくらい美味しい新鮮な里芋を使えば、私でも美味しく作れると思う。

里芋の煮っころがしや豚汁の美味しいものなら、二晩続いて食卓に出てきても、誰も文句を言わない。

「美味しいものを食べるコツなら、旬を選ぶこと」という意味で、今、里芋がお勧めかも知れない。
私はつい土の付いた野菜を買うと長持ちしそうで、すぐには使わないことが多いけれど、里芋もごぼうもきっと掘りたてが美味しいのだと思う。

私は、多分今度の日曜日に、栗原はるみさんの本にある、里芋を茹でて潰して、生クリームと市販のめんつゆを混ぜて、丸く固めたものに、あんをかけた料理にチャレンジするつもりである。
昔、栗原さんの本でこの料理を見て、美味しそうだったので作ったのだが、なぜだかうまく行かなかった。
多分、私の場合、市販のめんつゆがだめだと思うから、この点、工夫して作りたい。



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1998年11月11日(水)

ワンタン鍋


肉屋のおばさんは、色々なお料理や知識を教えてくれる。
今回は、「ワンタンと餃子の皮はどちらが美味しいか」ということだった。
おばさんが言うには、「つるっとした食感で、ワンタンの方が美味しい。人によっては、ワンタンの皮で餃子を作る人もいる」とのこと。
ワンタンの皮で餃子を作ると、一口餃子になり、お酒のおつまみには、良いかも知れない。

私は1か月ほど前に、茹でワンタンの上に、中華風のたれをかける料理を作ったばかりだった。
評判は、良かったが、食べている間に冷めてきて、皮が皆くっついてしまった。
それでも皆は、美味しいと、くっついた皮を切り離しながら食べていた。
忙しかったので、本のレシピどおりに作ったけれど、くっついている姿を見れば、そりゃ当然だと思う。
レシピにこのへんのことをちゃんと書いていないなんて、なんて、不親切なレシピだろうと思ったが、今度から、茹で上がったワンタンに胡麻油を垂らして和えれば、いいと覚えたのだし、全く残らなかったから、まあ、いいやという感じになった。

その話しをおばさんにすると、「そんなことをしたら、油っぽくなるだけで美味しくないわよ」という。
「ワンタン鍋で茹でながら食べるのが一番だ」と教えてくれた。

ワンタンのお鍋なら安上がりだし、凍らせたワンタンがあったので、祭日に、お鍋にしてみた。(冷凍庫がパンク寸前という事情もあった。)
日祭日に、急に鶏がらが欲しくなっても手に入らないので、手羽でスープを取った。
(葱の青いところと、生姜も加えた)
それをくつくつ煮た後、漉して、土鍋に入れ、水を適量加えて量を増やし、紹興酒をどばどばと、胡麻油はたらたらと入れ、白菜の堅いところを先に煮た。
(白菜の堅いところを他の具と一緒に煮出すと、中々柔らかくならないせいか、必ず、残る。
それを防ぐために時間差を持って煮出すのだ、白菜の堅いところは、良く煮えれば美味しい)

4、 5分煮たところで、塩を入れて味見する。
「ん、これは知っている味だ」、そうなのだ、まさしく、タンメンの味がした。
タンメンの味は、野菜を煮出して取ると聞いていたが、本当だ。
鶏がらスープに、白菜、紹興酒・胡麻油と塩でタンメンを作ることができそうだ。
その後、醤油を入れたら、タンメン風の味は見事に消えた。

ワンタンだけでは寂しいので、鶏の挽肉を買ってきて、生姜汁と、葱のみじん切りと、卵黄・塩を混ぜて、落としながら、食べた。
中華風と言えば、春雨を大量に入れたくらいで、後は、ねぎ・春菊・きのこ類の所謂鍋ものの野菜を入れた。
しかし、黒っぽい胡麻油を入れただけで、何となく中華風だ。
わざわざ中華風ということで、茹でたたけのこを買ってきたが、これを入れ忘れた。

薄い醤油味のスープとともに鍋の具を食べたので、ごはんのおかずには不向きという声もあった。
取り鉢にとって、辣椒醤という唐辛子味噌を溶かしながら、食べたけれど、これがとてもうまく馴染んで、鍋として美味しかったが、ワンタンよりも、鶏のつくねの方が評判が良かった。

ワンタンは冷凍してあったせいか、今一つ活き活きした感じがなかったのが、残念だ。
または、色々な味の付いているスープの中で煮ると、皮は美味しく煮あがらないのかも知れない。(これが当っているかどうかわからない。胡麻油の入った湯の中で茹でたせいかも知れない。)
そこを工夫するとしたら、予めワンタンはお湯で茹でてすぐに鍋に入れて食べてしまう、ワンタンがなくなったところで、鶏のつくねなり、肉を入れ始めたらどうだろう。

スープをタンメン風の塩味にしても美味しそうだし、スープに辣椒醤を溶かすのではなく、ポン酢や大根おろしで食べても美味しいと思う。

本当の中華風のお鍋はどうやって作るのか今後研究してみたい。
日本風お鍋に厭きた時に、安上がりだし、目先が変っていて美味しいと思う。
豚肉好きな家族のおうちだったら、豚バラとか、豚ロースの薄切りでも美味しいのではないか。



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1998年11月12日(木)

スポンジケーキ 1/3


毎年、10月から4月まで、スポンジを良く焼くことになる。
どういうわけか、我が家は、お誕生日がこの頃に集中しているのだ。
そして、去年は、始めて、スポンジが膨らんだことがあり、いつもに比して、沢山焼いた。

ケーキを作ると、皆喜ぶから嬉しい。
料理には、シビアな我が家だが、甘いものはそれ程うるさくない、ケーキならたいていのものを喜んでくれる。
(もしかして、甘いものに関する舌は良くないかも知れない。)

ケーキ大好きの極めつけは、なんと言っても、甥1である。
甥1は、赤ちゃんの時から、生クリームに目がなく、本当に口に合うらしい。
少年になった今の方がもっと、生クリームを美味しく感じられるようになったのか、最近、やたらに、「ケーキ」を欲しがる。
普段の日、遊びから帰って来るなり、おばあちゃんに、「○○屋のケーキでいいから食べたい」と言うそうだ。(○○屋とは近くの大手パンメーカーのケーキを扱っている店の名前。我が家では私のケーキの方が、お金を考えなくていいし、味はいいと言われている。みかけは、大手メーカーが勝つかも。)
甥1は、たまに買ってもらうと、本当に美味しそうに食べるとのこと。

甥1は、日曜日の夕方頃になると、いつも、母や妹に、「真理は、今日は、お菓子作った?」と聞くという。
おばちゃんは、やはり、甥のその一言に弱くて、お菓子を作っていなかったときにその言葉を言っていたと聞くと、「明日の朝までにお菓子作っておくから」と言って、やおら作る時もある。
この前は、夜中にスイートポテトを作って、母に朝渡しておいた。
学校から帰ってきた甥1にスイートポテトを渡したら、「まりがお菓子作るっていうから、こういうのかと思ったよ」と両手を広げて、いわゆるデコレーションケーキの形を作って、がっかりした様子だったそうだ。
彼にとって、お菓子=デコレーションケーキらしい。
そうなると、おばちゃんは、また、この子が可哀想になり、スポンジケーキを焼くこともある。

そのうち、お菓子の好みのバリエーションが増えるだろうけれど、今のところは、生クリームさえあれば、良いのだ。
寒い季節になって、皆のお誕生日が続いて良かったね、君、これからはケーキの季節だよ。

本人の大好物が苺のショートケーキなのだが、本人のお誕生日の11月末頃から、苺が出回るようになる。
もうちょっと、早く生まれたら、一生、お誕生日に苺のケーキが食べられなかったのに、ちゃんと神様がお誕生日に苺が食べられるように、世の中に送り出してくれたようだ。
(そりゃ、苺が八百屋にない季節にでも、ケーキ屋に苺のショートはあるかも知れない、でも、高いのだ。)

美味しさからいうと、スポンジよりシフォンの方が人気がある。
シフォンでも良いのだが、シフォンの方が、表面積が大きくて、生クリームを沢山使ってしまいそうなのと、スポンジを極めていないから、どうも、スポンジばかり作ってしまう。

それにしても、うちの甥1は、おばちゃん2人とおばあちゃんに甘やかされて、しかも生クリームばかりなめて育っているので、将来、きっと、甘ったるい人間になるに違いない。
誰が責任取るのだ!(と思うが、どうも、甘やかしてしまう)
でも、その女性の愛情に不足したことのないような表情は人を緊張させないので、割と人には好かれるかも。
今日、テレビで、子供の時に愛情を沢山受け取った子供は、大人になって愛情を分けられる人間になると言っていた。
そうなって欲しいと思う。



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1998年11月13日(金)

スポンジケーキ 2/3


スポンジケーキは、3つの段階において繊細だ。

1.分量(これはそんなに繊細ではないかも知れない)
本によって、分量が全然違う。
どれが一番美味しいかと思うが、どれもそんなに変わらない気がする、ということは、それ程、細かいことに気を遣わないで、おおざっぱに計って作っても大丈夫なような気もする。(本人、失敗すると後が面倒だし、泣く子供がいるので、常にきっちり計って作っている)
基本の材料は、小麦粉と全卵と砂糖と、バターである。
本によっては、牛乳を入れるものもある。
私の場合は、弓田亨さんの「フランス菓子」(中央公論)に載っているジェノワーズの分量をEXCELに入れて有り、卵4個なら4個なり割って重さを計り、その数字を入れれば、その卵の量に必要な小麦粉・砂糖・卵・牛乳の重さが計算されるようにしてある。 (割と芸が細かいでしょ?)

2.泡立てのときの温度管理。
これも湯煎にかけて、40度程度まで温めながら、ゆっくり砂糖を溶かすのだ。
そのとき、40度まであがってしまうと、泡のきめが粗くなってしまう。
砂糖と卵の入ったボウルも温められるのだから、湯から外した後、温められたボウルから発せられる熱も計算に入れなくてはいけない。
正しく書くと、「最高40度まで温めることを確認」が正しいと思う。
余熱効果も含めて、40度までに上げたら、電動ミキサーの強で3分30秒、中で1分30秒、弱で30秒、腕を回しながらかき混ぜると、本当に木目細かい泡になる。
人から聞いたのだが、泡立て終わったときに、生地が25度であるのが理想らしい。
だから、夏と冬では、最高温度の持って行き方も違うだろうし、ボウルの材質によっても余熱をどのくらい保持してしまうかも違うと思う。
また、湯煎の湯の温度は、余り高くない方がうまく行くと思っている。
湯を火にかけながら、湯煎をしたりすると、温度が上がるのも早いが、ボウルがとても余熱を持ってしまう。
また、初めに湯の中にボウルを置いておいて、温めておくのもやってはいけない。
これも、ボウルに熱が沢山溜まってしまうので、自分では40度まで生地を温めたつもりでも、結局、余熱で50度以上に温めてしまうので、きめの粗い生地になってしまう。
なんで、こんなことを良く知っているかというと、こういう失敗を沢山重ねているのだ。(笑)
泡立ての時間は、厳密に卵の重さで計算し直すと、さっき書いた時間の2倍程度泡立てなくてはいけないとは思う。
でも、疲れるので、卵5個程度でも、強中弱それぞれの時間数に30秒足したくらいしかかき混ぜないが、それでもきれいな泡になる。

3.オーブンの温度
本によっては、180度で30分とか、170度〜160度で30分とか書いてある。
オーブンは、持っている機種で癖があるから、本の通りには行かない。
シフォンと違って、スポンジケーキは、表面のきつね色になったところも、食べることになるから、注意しなくては行けない。
予め温めておいたオーブンで、180度で30分焼いてみたが、途中で焦げ臭い匂いがした。
あら、だめだ、焦げてはいないが、濃い茶色い色になっていた、慌てて温度を下げる。
失敗ではないが、表面が堅いスポンジができてしまった。
次は、170度で20分で焼いてみた。
焼き始めて15分くらいで、この前程ではないが、やはり、焼ける匂いがした。
茶色までは行かないけれど、深めのキツネ色になってしまった。
この前は、初め5分くらい180度で焼いて、その後、150度に落としたが、全然色付かないので、慌てて160度程度に上げた、この温度調整は中々ソフトなスポンジを作ってくれた。
今度は、初めから160度程度で焼こうか、迷っている。

しかし、我が家で、スポンジの焼き具合や柔らかさ・きめ細かさにこだわっているのは私だけで、後の人たちは、とにかく何か、カステラのようなものでありさえすればいいのだ。
「この前の、きめが粗かったでしょう?」「この前の、重くなかった?」と聞いても、返ってくる答えは、「美味しかったわよ」である。



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1998年11月14日(土)

スポンジケーキ 3/3


私のケーキの材料費はとても安い。
季節外れの苺なぞを使わなければ、だいたい、生クリームを200CCとして、上に飾るフルーツを入れて、600円程度だ。
何故安いかといえば、常日頃は、100円のみかんやパイナップルの缶詰とか、バナナとか、安いものしか使わないからである。
これで家族7人で8切れである。

ところで、スポンジを作ってデコレートするのは、手間かというと、やはり、道具が揃っていた方が楽である。
私の親なぞ、「あんたは、道具が揃っているから、ケーキを良く作のだ」と言う。
私の親にケーキの道具を揃えてあげてもきっと作らないだろうから、これは外れていると思う。
でも、道具はないより、あった方が絶対に楽だ。
私の場合、必要とする道具は、下記のとおりである。
自慢ではないが、生クリームを絞り出し袋に入れてデコレートはしない。
このひと手間が面倒だ、絞り出し袋を使ったら、見栄えは良くなるが、味は変わらないから、省略。 

ターンテーブル
木の伸し板
(以前は、大理石だったが、重いから、使わなくなってしまった)
ケーキナイフ(結婚式のケーキカットに使えそうな長いもの)
ケーキを薄く切る補助具
生クリームの表面を滑らかにするへら

方法としては、木の伸し板の上に、冷めたスポンジを乗せて、補助具を充てたナイフを滑らせて、同じ高さに、ケーキを切っていく。
直径21cmのケーキを薄くスライスすると、その両横で、補助具が動き、ナイフもギ〜コギ〜コというのは、大袈裟だが、ただ、水平に切って行くだけでなく、手前・向こうにナイフを動かしながら切るから、割と大きな面積(伸し板とか、テーブル)が必要だと思うが、私のやりかたは、不器用な人のやり方かも知れない。
世の中には、もっと、頭の良い切り方があるかも知れない。

厚いときは、3枚、薄いときは、2枚である。
一番下になるものをターンテーブルに乗せて、生クリームを塗って、適当にカットしたフルーツを乗せ、その上に、真ん中になるスポンジを乗せ、生クリーム・フルーツを乗せる。
一番上になるスポンジは、ひっくり返すと良いと聞いたので、ひっくり返して、焼けていない面を上にする。
(スポンジ3枚がきちっと揃っていて、でこぼこにならないように注意はする)
ここまでできたら、上から生クリームを割と大量に載せ、ケーキ用のへらをケーキの中心に向けて充てて生クリームに若干あたる高さで、ターンテーブルを回すと、表面きれいに生クリームが行き渡る。
余分な生クリームは横に落ちるから、その落ちたクリームで横をデコレートするのだが、足りない時は、はげて、ケーキの横から、生地が見えている。(たいていはそうだ)
その後、上に、苺とか、栗の甘露煮を8つ並べて出来上がりだ。

甥たちのお誕生日のときには、生クリームを塗りたくるのまで、私が作る。
このときは、特別に絞り出し袋に生クリームを入れて、絞らせてあげたり、チョコレートペンで、数字を書いてあげたりす。
苺の並べ方や、小さいビニールのお人形さんの並べ方も甥たちにやらせてあげる。
毎回これをやっているので、彼らにとっては、当たり前の行事になっている。
親が毎回記念写真を撮っているから、全部、保存されているのではないかと思う。

去年は、マルマインというピカチュウのキャラの一つを作らされた。
一ヶ月前くらいに、雑誌を持ってきて、「まり、これなら作れるでしょう」と、一番単純なキャラを指すではないか。
「ん、おばちゃんの実力をわかっている、なんという気遣い」と思った。
(ちゃんと作った)

ケーキを丁寧に作るか、粗雑に作るかは、性格とか環境による。
私のケーキは、「作るだけエライ!」という感じで、見た目を殆ど配慮していないが、家族はいつも大喜びで食べてくれる。
そりゃあそうだ、ケーキって買うととても高いのだ。
見てくれには問題はあるが、一応、材料が良いので、私のケーキは美味しく、これからも作り続けるであろう。



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1998年11月15日(日)

日曜日のお昼 1/2
カルビクッパ


柔らかく煮た牛スジとそのスープの使い方を気にかけていたが、ある日、「クッパがいい」と閃いた。
確か、クッパは、色々な種類があるが、牛のクッパは牛スネで作るものだと記憶している。
一度作ったが、牛スネと言ってもそんなに、滅多やたらに安いものではなく、量をけちったのか、肉がそれほどのものではなかったか、原因は不明だが、そんなには美味しくなかった。

クッパをお昼に作ろうと準備していた日曜日の朝、突然、今日のお昼は、甥2人にご飯を食べさせることになったと伝えられる。
チャンス!この機会にずんだ餅も作ってしまおうと考えた。 もう、世の中は、秋も深まり、ずんだ餅を食べるには良い季節になったので、チャンスを狙っていた。
ずんだ餅を作る時に、食べ手が多い方がいい。
(妹は、一人でタイに遊びに行ってしまった。甥1が「タイのお土産は、タイ焼きかな?」と言っていた、どうも本気でそう思っているらしい。)
ということで、ある日のお昼は、カルビクッパにデザートがずんだ餅という変な組み合わせとなった。

★スープ
前日に、牛スジとスープを解凍し、再び火にかけて、うっかり忘れたので、そのまま、相当煮てしまった。
それを、水で薄めて元も分量に戻し、漉した。

★カルビ
カルビなら、バラだから、コトコト煮ても美味しいと思い、上野の韓国人街で買ってきた。
一番安い100g280円の品である。
買ってきて、2、3時間冷蔵庫に入れておいたのだが、随分、血液がにじみ出るのである。
これは取った方が良いと思い、お湯を沸騰させた鍋に入れたが、あくが出ること、出ること、すごい。
殆ど火が通ったところで水にとって洗った。
それをスープに入れて、ちょうどすりおろしの生姜が残っていたので、それも入れて、オーブンに入れて2時間近く130度で煮た。 1時間煮た後、後1時間加熱するようにセットして眠ったが、寝ている間、相当匂っていた。
なんという肉だろう、匂うは、あくが出るは、始末が悪い。
韓国式と、日本式では、肉の処理の仕方が違うのだろうか?
★仕上げ
朝、見ると、鍋の中は、あくだらけで、しかも臭い。
オーブンに鍋を入れる煮方で、あくが出たのは始めてである。
肉は腐っていることはないようだけれど、とにかくあくだらけで、臭いのだ。

これをきれいにさらしで漉して、水を入れて、量を4人分に伸ばして、紹興酒をどばどばと入れ、塩と胡椒を入れたら、匂いは収まった。(料理本には、日本酒と書いてある、私は、韓国は、日本とは海を隔てての隣だが、中国とは地続きと思って、紹興酒にしただけだ。)
にんにくのすりおろしを入れたら、完全に匂わなくなった。
ここで塩と胡椒で味を整えた。
他に、人参と竹の子の水煮の薄切りを入れて、人参が柔らかくなるまで煮た。
仕上げに、にらを5cm程度に切ったものと、葱を斜めに切ったものを入れて、ちょっと煮て出来上がり。
これを、どんぶりに盛った炊き立てのご飯の上からかける。
忘れたが、仕上げに溶き卵を入れて、ふわふわ卵を浮かべても良かったなと思った。
子供がいたから、控えたが、唐辛子を入れた方が、より、韓国料理もどきになると思う。

母と甥1、2に食べさせたのだが、甥1以外には、大変好評だった。
(甥1はぐずぐず言っていたが、体調が悪かったようで、その後、何も食べずに、眠り込んでしまった。)
母も甥2も良く食べた。(甥2は大人並みに食べていた、自分の家に戻った後、両親に、「まりがつくったおじやが美味しかった」と言っていたそうだ。)

スープがうまく取れたかどうか、自信はなかったが、 取り敢えず、すりおろしにんにくと塩と胡椒と紹興酒以外には、調味料やブイヨンを足さなくても、味が薄いということもないようで、皆が美味しいと沢山食べたので、成功だったかなと思う。
牛の味のクッパは、熱々の牛のスープとすりおろしにんにくと、ご飯のマッチングだと思う。
和食大好きの母が沢山食べたのには、驚いた。

牛スジは、もう一袋あるので、もう一度、クッパを作ってみようと思うが、やはり、肉は、今度は、日本式の肉屋さんで買ってみようと思う。
あんなにあくが出て、匂う肉は、懲りた。
やはり、あくが余り出ない肉で作った方が美味しいと思うが、どんなものであろう。

牛スジやテールでスープを取ったら、冷麺も夢ではないかも知れないが、来年夏が来てから考えることにする。

余談ではあるが、韓国人街の牛スジは、100g80円である。
浅草松喜のスジより、相当肉が付いていた。
こっちの方が美味しいかもと思うが、どうも、処理の仕方が違うようなので、今一つ、手が伸びない。



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1998年11月16日(月)

日曜日のお昼 2/2
ずんだ餅


あると思っていたのに、和菓子の本を見ると、ずんだ餅の作り方なぞ、どこにも載っていなかった。
仕方が無いので、独力で、見よう見真似で、作ることにした。
もしかしたら、食べたことないかも知れないという気になってきた。

豆は、だだっ茶豆を茹でて薄皮をはがして凍らせたものがある。
これを解凍して、フードプロセッサーで粉々に砕いた。
これに、同量のお砂糖を、少しずつ加えながら、火にかけ、練った。
簡単に、ずんだ餅の餡ができた。

緑色が鮮やかできれいである、「良くこんなきれいな黄緑色の餡ができる」との声あり。
極めつけが、幼稚園年長の甥2だ。
「ほら、これがずんだ餅の餡」と鼻先に生温かいずんだ餅の餡を持っていったら、「ん? この香りは知っている、そうだ、枝豆の香りだ」と言ったので、皆、びっくりした。
(「幼稚園児にしては、できる。」と思った。)
鼻の性能が余り良くない私としては、驚いた。
甥2は、ただの大食いではないのだ、香りと味を、吟味しながら、脳にそれをインプットしながら食べているのが、はっきりした。(親戚として喜ばしいことだと喜ぶ。)

で、言われてみて、香りを嗅ぐと、確かに、だだっ茶豆の匂いがした。
(夏にだだっ茶豆をいただいたときに、もったいないから、甥たちには食べさせなかったから、彼は、「だだっ茶豆」という言葉を知らない。
だだっ茶豆を枝豆として売っていることがあるから、それを食べたことがあるのだろうと思う。)
「甥2ちゃんは、すごいね、よくわかるね!」と誉めたら、その日に、何回か、「僕ってすごいの?」と聞いていた。
その度、(心の中で、「我が家では」と言いながら)「うん、すごいよ」と答えておいた。

ただ、ずんだ餅の餡と、常日頃食べている餡の関係がわからないようだった。
枝豆の潰したのに、普通の餡を混ぜて作るのかと聞いていた。

餅はどうするか?
売っている切り餅をお皿に乗せ、お水を少しかけて、ラップをして、電子レンジの強にかける。
これで、お餅が溶けて、ちょうど、良い具合になると思った。

その溶けたお餅を、スプーン2つを使って丸めて、お皿に載せ、その上に、だだっ茶豆の餡をかけて出した。
母と甥2が気に入って、美味しい、美味しいと食べていた。
この二人は、カルビクッパといい、ずんだ餅といい、同じ舌を持っているのではないかと思うくらい、気が合って、食べていた。
孫とおばあさんが、同じ物をお代わりして、美味しそうに食べる姿は微笑ましい。

私は、餡がちょっと甘すぎたかなと思ったが、母と甥2は、そんなことないという。
お餅は、固めだった、こういう餡をかけるお餅だったら、もうちょっと沢山お水をかけて電子レンジにかければいいと思った。
(電子レンジでお餅を柔らかくしたのは、何年振りだろう、たまだと、失敗しやすい。)

餡は、400gできたのだが、半分余ったから、凍らせた。
次回は、甘さは、しょうがないから、母と甥2に譲って甘いままにし、お餅をもうちょっと柔らかめにして作って見ようかと思う。
どなたか、正統派ずんだ餅の作り方を知ってらっしゃる方がいらしたら、教えてくださいね。



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1998年11月17日(火)

高菜と鶏肉のあんかけやきそば


先々週の「どっちの料理ショー」を見ていたら、美味しい高菜のあんをかけたやきそばが食べたくなった。
オリジナルレシピでは、豚肉だったが、水煮した柔らかい鶏肉がやきそばに合うのではないかと思ったので、鶏肉とした。
地鶏ではなく、普通のブロイラーでも十分美味しかった。
普通のブロイラーなら、もも1本で、300円程度だし、高菜も袋の1/3も使わないし、やきそばも安いものだから、お昼にはうってつけだと思う。

★ 鶏
鶏の骨付きももを買ってきて、そのままお水にねぎと生姜とともにキャセロールに
入れて130度で1時間近く煮た。
もっと煮たかったが、時間がなかった。
煮あがった、熱々のお肉をほぐすと、関節あたりには、血液が多くて、それが回り
の肉に染み付いていた。
今後、関節のところだけ、切り開いて丁寧に掃除した方が良さそうだ。
肉は、十分柔らかく煮えていた。

★ あん 鶏肉を煮たスープに、ほぐした鶏肉と高菜の刻んだのを適当に入れて、塩・胡椒・
紹興酒を入れて、煮立てた後、火から外して片栗粉の水溶きを混ぜて、再び、火にかけ、とろっとさせた。
★ やきそば 周富徳のお料理の本に、「中華の生蕎麦をひっくり返したせいろに平たく並べ、
真ん中に穴をあけた状態で、10分蒸すと、中華料理店のやきそばの味になる」と
書いてあるのだ。
昔、これをやってみたけれど、失敗した。
今回は、大手メーカーのどこのスーパーでも売っている細めのラーメンの麺を買ってきてチャレンジした。
熱いお湯の入っている鍋に開くと蒸し皿になる道具を鍋の中に広げ、生そばを、ほぐしながら並べた。
時々、まんべんなく、蒸気があたるようにそばを入れ替えて、蒸すこと10分。
どうしても蒸気があたらなかったところもできてしまったが、薄い色だった生そばが、茶色くなった上、太くなって、蒸しあがった。
それを、熱湯に10秒漬けて、ざるに上げて、ざるを振って水気を飛ばして出来上がり。

どうみても、中華料理店の焼きそばには、見えない。
どちらかというと、縁日の焼きそば屋で作っているソース焼きそばの玉のように見える。<BR> 鳥越おかず横丁の製麺所で売っているやきそばの玉がこのタイプである。
マルちゃんや島田屋の焼きそばの黄色いのとは違う茶色い種類なのである。
中華料理屋の焼きそばの玉にはならなかったが、いわゆるソース焼きそばの麺の作り方がわかった。
永楽製麺所の中華そばを蒸せば、高級中華料理屋のようなやきそばの麺になるかも知れないので、永楽の麺を買う機会があったら、是非、再度、作ってみたい。
(目指せ、銀座アスターの柔らかい焼きそば!である。)

マルちゃんの生のラーメンを蒸さないで、マルちゃんの焼きそばで素直に焼いた方がイメージどおりのものができたかも知れないと反省。

★ 合体
その焼きそばをピーナッツオイルで焼いて、あんをかけた。
焼きそば部分はイメージと違ったが、まずくはない。
あんはとても美味しい、高菜漬け自体が美味しいのだ。
高菜の味と、鶏のスープ・肉がとても良く合っている。
ただ、高菜は少し水に浸けて絞ったのだが、元々、塩分の強いものなので、スープ に入れる塩は少な目がいいと思った。

★ 評
遊びに来ていた甥2が味見。
「美味しい、もっと」ということである。
他の大人からは、「中の上」との評価であった。
  (やっぱり、麺が失敗したのと、ほんのちょっとではあるが、塩味がきいてし
  まったからだと思う。)

あん自体はとても気に入ったので、今後は、中華麺を改良したい。
また、このあんの味見をするときは、高菜も一緒に口にしてから、塩加減を決めた方が良いと思う。
それともこの次は、あんかけチャーハンに挑戦かしら。





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1998年11月18日(木)

浅草 大黒屋 1/2
蕎麦以外


一度は行ってみたかった「大黒屋」で、お酒を軽く飲んで、お蕎麦を食べてきた。
一言で言って、大満足である。
この店が、同じ台東区とはいえ、私の家から交通の便が良くないところにあって良かった。近かったら、通ってしまいそうだ。

ざる蕎麦を夜の9時過ぎに食べたのだが、次の日ずっと、口と胃に、昨晩のお蕎麦の余韻、すなわち、ふわっとした香りが残っていた。
お蕎麦の香りって、こういう(と言っても本人にしかわからないのだが)ふわっとした香りなのだと、改めて思う。今まで知らなかった。
私は、新鮮な卵を割ったときの香りと似ていると思うが、どんなものだろう。
(私は嗅覚が絶対に悪い、「蕎麦湯の香りの濃いもの」と言った方が適切か)

午後7時半頃、大黒屋に着いた。
お店は、こぎれいな新しいしもたや風である。
店内禁煙で、本当に、蕎麦の味と香りを大切にしている店という感じだ。
(たばこは、玄関のところで吸うことになるが、暖房もない寒々とした場所であった。)
細長い店舗の3/4は、座敷、残りのスペースに2人用のテーブルが4つあった。

お客さんは、何故だか、全員、男性だ。
美味しいと、マスコミによく紹介される店に女性が全然いないのも、不思議な光景である。
本当の蕎麦好きは、男の人に多いのかなと思ったが、どんなものだろう。
先客たちは、皆、鴨すき鍋(うどん付き)でお酒を飲み、仕上げに、お蕎麦を食べるようだった。

蕎麦味噌焼き・板わさ・天ぷら・玉子焼き・そばがきを取って、ビールと日本酒を飲んだ。

★蕎麦味噌焼き
 蕎麦の実を混ぜた味噌をしゃもじに塗り付けてあぶったもの。
 香ばしくて、口の中でかりかり言う蕎麦の実が美味しい。
 白味噌にお砂糖に蕎麦の実かな?
 これを肴にお酒を飲むのは、最高である。
 自分で作りたいと思った。

★ 天ぷら

 車海老と野菜の天ぷら、これも美味しい。
天ぷら自体も美味しかったが、天つゆが、冷たい濃いそばつゆであり、これが美味 しい。
天ぷらをちょっと浸して食べる、なんか、天つゆが美味しくて、蕎麦への期待が沸 く。

★ 玉子焼き
大根おろしがたっぷり添えられた玉子焼きは、少し出汁が入っているタイプのよう、 甘さがちょうどいい。

★ そばがき
そばがきは、初めて食べた。
東京下町では、そばがきを食べる習慣があると聞いたことがあるが、私の家には、その習慣はない。
お湯で練ってある蕎麦粉を箸で取って、醤油に付けて食べる。
食べている時には、美味しいと思ったが、その後、本物のお蕎麦を食べたら、印象がぼやけてしまった。

後はまた明日。



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1998年11月19日(金)

浅草 大黒屋 2/2
蕎麦


テレビで見たのだが、このお店の二階が製粉工場になっていて、自家製粉とのこと。
(勿論、蕎麦粉は、国内産。もしかして、新蕎麦の季節だから、新蕎麦粉だったかも知れない。)
ここのお蕎麦は、本当に香りが高いのだ。(きっと、挽き立てだからであろう)
惜しいことに、すぐに、蕎麦つゆにつけて食べてしまった、つけないで味わえば良かったと思う。
お蕎麦は、固くて、本当に細い。
というか、固さにマッチングした細さなのだ。
私は、蕎麦を食べるのが早い、いつも、2、3度しか、噛まずに食べてしまうのだが、大黒屋のお蕎麦は、固くて、とても腰があったので、物心ついてから初めて割と良く噛んでしまった。
良く噛んでも、美味しさが崩れない。
味が良くなることも、悪くなることもなく、口に入れた時と同じ美味しさが持続する。

蕎麦つゆも、絶品である。
何ヶ月寝かしたら、これだけ、醤油臭くないかえしが作れるのだろうか?
強いて言えば、美々卯のそばつゆに似ている。
醤油を殺して、かつおの味を生かして、のタイプである。
が、美々卯の方が、本当にお醤油味を抑えているのに対し、大黒屋は、お蕎麦を口に入れた途端は、お醤油味がするのだけど、それは、その一瞬だけであり、二口め以降は、お醤油が自分を主張することはない。
不思議だ、なんで、こんなものが作れるのか。
一瞬の醤油味を利かすところが、江戸風であり、美々卯のは、関西風であると思う。
(ただ、一回だけ食べて、こんなことを言い切ってしまうのは間違っているかも知れない。
それと、一度お酒を飲まないで味わってみないと、正しいことは言えない。)

わさびと葱だけで食べている時は、蕎麦つゆは、美味しいことは美味しいのだけれど、全然自分を主張せずに、あくまでも、蕎麦の美味しさを生かすための脇役に徹しきっていた。
それが不思議なのだ、最後に、大根おろしも入れたら、がらっと変って、蕎麦つゆが自分を主張し出した。
絶妙のバランスが崩れた、これは好みだから、どちらがいいとは言えないが、私としては、大根おろしは入れない方が、圧倒的に美味しいと思う。
大根の汁には、醤油味を引き立たせる効果があるのだろうか?

最後、「美味しい、美味しい」と食べ終わって、帰ろうとしたら、調理場から、ご主人であろうか、嬉しそうな顔をして、「有難うございました」と言って、見送ってくれた。

きれいで清潔で、気さくな雰囲気でお客がゆったりお蕎麦を味わえる店である、ただ、丁寧に作るのか、人手が足りないのか、注文してから出てくるまで時間は割とかかる。
その他のことについては、いたるところに、地味で目立たないこだわりがさりげなく感じられて、本当に「粋」という言葉がぴったりの店だと思った。

熱燗も美味しいというより、飲んだ瞬間、「上等!」と感じる味だった。
お店で、銘柄を聞いたが、家に辿り着いたら、すっかり忘れてしまっていた、確か、新潟のお酒だった。
それと、お蕎麦を食べたら、すぐお茶が出てきたので、蕎麦湯を飲むのを忘れてしまった。
この2つが心残りであるが、頭を明晰に働かせて何もやり残しを残さないように考えながら美味しいものを食べるよりは、二三忘れ物するくらいの方が美味しく楽しく食べられるのだ。

神田まつやのお蕎麦は、普段着の逸品(それでも相当上等です)、浅草大黒屋のお蕎麦は、よそゆきの特選素材のこだわりの絶品だと思う。
(価格が二倍程度違うから、同じ土俵で比べないことが正しいと思う。)

浅草に行く機会があったら、是非、一度はこの店のお蕎麦を食べるべきである。
「極めている」味だと思う。
私が今まで食べたうちで最高のお蕎麦だ。
好みがあるから絶対とは言えないが、大袈裟に言えば、1100円で、「究極」が味わえるかも知れないと書けば、期待できるでしょ。(大根おろしは入れないことが前提)

価格は、お蕎麦としては高いが、次の日まで余韻が残ることを考えれば、安いものだと思う。
それに蕎麦が高いと言ってもたかが知れている。

一番楽な行き方は、上野広小路から、「南千住汐入行き」のバスに乗って、浅草4丁目で降りる行き方だ。
銀座線浅草駅からも、田原町駅からも、歩いたら、20分近くかかると思うので、タクシーに乗って「千束通りの浅草4丁目の交差点まで」乗ると良いと思う。
合羽橋の中央あたりからタクシーに乗っても、ワンメーター出るくらいかな。

浅草4丁目の交差点から、一角戻って、左側にある酒屋さんのところを曲がって1分弱、左側の看板を見ながら歩いていれば、店はすぐ見つかる。

朝、築地場内でお寿司を食べて、築地見学、地下鉄で田原町に行って、合羽橋をふらふら見た後、タクシーで、大黒屋に行き、お蕎麦を食べて、徳太桜で予約しておいた金つば買って、また、タクシーに乗って、長命寺の桜餅を食べに行く、これが、私のお勧め江戸の味コースだ。
または、大黒屋→徳太桜→梅村の豆かんの近所コースも、良いかも知れない。
または、徳太桜ではなく、言問団子のおみやげでも、魅力的。
余力があったら、夜は、飯田屋で、どじょうかな?

やはり、浅草は、やはり、江戸の味が大得意な地域であると改めて思った。

大黒屋
住所:台東区浅草4−39−2
電話:03−3874−2986
営業時間:12:00〜14:00 17:00〜22:00
休み:日曜、月曜



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1998年11月20日(金)

ああ言えばこう食う


檀ふみ・阿川佐和子著
集英社 1575円

現在、ベストセラー第三位くらいにいるこの本を買ってしまった。
何となく物入りなので、この本を見ないように、2、3日は、本屋に寄らなかったが、どうも題名が気になるし、面白そうなので、買ってしまった。
私の場合、本と食べ物は歯止めがかかりにくい。
一生懸命我慢したって、結局は、買ってしまうのだから、さっさと買った方が得というものだ。

本当にこの本は、面白い。
途中で、何度吹き出し笑いをしたことか。
1575円は高いが、お腹から笑える本だ。
こんなに面白い本、久しぶりである。
ベストセラーだから回りの人で持っている人がいるかも知れない。
そうしたら、絶対借りて読むべきである。
内容をここで話したら、興冷めなので、言わない。
立ち読みでもいいから、ちょっと、読んでみたら、と思う。
売れるだけのことはある、お金の取れるエッセイ集だ。
私もあのくらいあけすけに書けたら、面白いと思うが、彼女たちは、プロ、私は、シロウトだから、今後もシロウト風に書こうっと。

私は、阿川さんのお父さんの本は読んだことがないが、檀ふみさんの家の家庭事情に詳しい。
何故なら、お父さんが、私小説を書く作家だったからだ。
「火宅の人」という小説がベストセラーになり、昔、それを読んだ。
檀一雄さんは、作家という職業の他に、グルメというのではなく、お料理が趣味で、元祖男の料理のような人だった。
何でも人にごちそうを作って振る舞うのが趣味だったとか。
文庫で「檀流クッキング」というのを読んだ覚えがある。
また、檀ふみさんのお兄さん夫婦も、「檀流おかず190選」(中央公論社 暮らしの設計シリーズ)という本を出して、お父さんの料理を発展させている。
私は、檀一雄さんの料理の本は昔持っていたし、お兄ちゃんの本は今でも持っていてときたま参考に見ている。
< こちらの本は、本屋でよく見かけるから、見れば内容がすぐわかるけれど、とにかく、好き嫌いなしに、何でも美味しく料理して食べてしまう家のようである。
でも、これだけ手作りしてしまうということは、本当に、食べること・作ることで遊べるし、暮らしの中で、「作る」「食べる」が大きなウェイトを占める家系なのだと思う。

昔から、檀ふみがお料理が上手か下手か、興味があった。
お料理はともかく、舌ができていると思っていた、環境が環境だものね、と思う。
とにもかくにも、お父さん・お兄ちゃんに次いで、料理本を出すなんて、相当以上のオリジナリティが必要だ、普通ではできないことだと思う。

人は誰でも暗くなってしまうようなことに直面する。
そのときの対応方法は性格や育った環境によって異なる。
この檀ふみさんや阿川佐和子さんも、きっと長い人生色々あったのだろうけれど、美味しいもの沢山食べて、冗談言ってキャッキャ生きているって、素敵だと思う。
明るいよね。
何のために、美味しいものを探して、選んで、作って食べているかと言えば、「口で味わいたからだけではなく、人生を楽しく生きたいがためだもの」と思う。
精神にも美味しいもの好きが及んでいる理想的な姿というのは、考え過ぎだろうか。



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1998年11月21日(金)

目指せ!お菓子屋のスポンジケーキ


先週の日曜日に、作ったスポンジが初めて満足の行くものとなった。
まだ、欠点はあるものの、しっとりふわふわである。
普通の洋菓子店以上のスポンジである。
洋菓子屋のスポンジを焼くことのできる人に、「目指せ!お菓子屋のスポンジ」と言われたが、何度やってもうまく行かず、心の中で、「そんなの無理」と思っていた。
しかし、やればできるとわかった。

今まで、共立てで、レシピのとおりにやっているのに、なぜか出来上がると、ケーキ屋のスポンジとはちと違うという状態が1年続いた。
でも、取り敢えずは、膨らんだし、食べられるので、進歩しなかった。
原因は、泡立てだと思い、泡立ての改善に力を入れていたのだ。

今までのケーキのどこがお菓子屋のと違うかと言えば、「きめは細かいが重い」か、「きめが粗い」かで、しかも、乾いた感じだったのである。
その原因が、オーブンの温度調節だったのだ。
それに気付いて改良したら、今回は、自分で、「私はオーブンの魔術師」なんて言いたくなる程、うまく、焼けた。

今回は、卵3個に対して、180度に熱したオーブンに3分入れて、その後、160度に下げて、15分焼いた。
180度で3分熱した段階で、ケーキの表面は、まだ、白い。
ただ、ふわふわしたタネが少し乾いたような気がしたので、思い切って温度を160度に下げた。
(今まで、表面が焼けて薄茶になったり、こげ茶になった段階で、温度を下げていたのだ、これが敗因だった。)
15分か20分経って経って見ると、表面がうっすら薄茶色になっていい感じなのだ。(正しく何分だったか忘れてしまった)
竹串を指してみると、まだ、少しタネがついてきたので、150度に下げて、5分焼いた。 5分後に竹串でチェックすると、出来上がりだ。

今までと、焼き上がり時のケーキに含まれている水分量が違った。
型から外した途端、湯気が出ているという感じであった。
本当に、しっとりきめ細やかなスポンジだ。
スポンジが柔らかい出来だっただけに、途中で、焼けたかどうだか試した竹串の後が無残だったが、デコレートしてしまえば、わからない。

今までは、180度で焼いていた時間が長かったので、殆ど水分が蒸発していたのだ。
だから、固かったのだ。
スポンジは、初め高温の中にほんのちょっと入れて、表面を乾かし、色づく前に、中温程度に下げて、じっくり、熱を加えて、水分をケーキの中に閉じ込めつつ、色づかないよう焼き、結果として最後に表面が薄茶になってしまうという感じで、火を通すのが良さそうだ。
最初に180度で焼く目的が、「焼く」ことではなく、「表面を早く乾かして、水分が逃げないようにする」ことだったのだ。
「ケーキを焼く」という日本語が良くないと思う。
簡単に書けば、「ケーキのタネを、水分が逃げないように、しぼまない程度の熱を通す、結果、薄茶色になることもある」という感じだと思う。
どうも、きめの細かさは、泡立てる時の温度と泡立ての時間で決まり、ケーキの柔らかさとしっとり感は、焼く時の温度管理で決まると、初めて理解した。

ここいらへんを丁寧に解説した本はないと思う。
また、使うオーブンの種類や大きさによって、違うから、書き切れないのかも知れない。
それにしても、180度程度の高温で長く焼き続けるレシピが多いのはどうしてだろうと、不思議である。

パーフェクトになるには、もうひとつ改善しなくてはいけない点がある。
スポンジの下の方がどうも焼け過ぎてしまうらしく、ふわっとしていないのだ。
天板2枚持っていれば、2枚敷いて、下からの熱を弱めるのが、常道なのだろうが、天板は二枚持っていないし、第一、私の場合は、電子レンジ用のターンテーブルに乗せて焼くのだ。
多分、餅網を天板と型の間に挟むか、ケーキクーラーなどの、足の低い台をターンテーブルの上に型を置いて焼けば、出来上がると思う。

これで、この部分が成功したら、スポンジケーキのレシピを書いてみようと思う。
ようやく、教える側に回れそうだ。

この前のは、底に近い部分以外、食べても美味しいし、柔らかいのにしっかりしている。
スポンジがパーフェクトになったら、後はデコレートがうまくなれば良いのだと思うけれど、これは進歩しないかも知れない。
だって、味には関係ないもの。



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1998年11月22日(日)

生わさび・削り節・海苔


産地直送でお米を送ってもらうようになってから、我が家の夕食は、満たされている、というか、貧しくなりつつある。
というのは、基本的に、美味しいごはんと美味しい味噌汁、美味しい漬物があれば、後は、めざしだけでも満足なのだ。
最近は、昭和30年代の食事が流行と聞いたことがあるが、昭和30年代とか20年代の食事というのは、ごはん・味噌汁・漬物に、化学調味料が加わっていないで、天然自然の味で美味しいことが基本ではないかと思う。

で、今日は、古い、古い、ご飯の友のお話を。

これは、我が家に長く伝わるおかずで、名前がない、「わさびに海苔と削り節を混ぜたもの」とか、言っているものである。(「生わさびのあれ」と言われるときもある)。
何でも、私のおばあさんが嫁に来た時に、お舅さんから習ったものを、母が習ったそうだ。
(こういういわれのある料理はこれだけです。)
ということは、明治時代の食べ物かなと思う。

作り方
生わさびを擦る
小鉢に盛る
海苔を契って同量程度入れる
削り節を同量程度入れる
醤油を入れて混ぜる

これがとても美味しい、海苔や削り節の成分で、わさびの辛さが抑えられるのか、食べると甘いのだ。
甥たちも「美味しい」と食べることから、このおかずが「甘い」ということがわかるだろう。
我が家は、これを作るために、生のわさびをたまに買う。
ただ、これだけ食べるのではなく、ごはんにちょこっと乗せて食べる。
(炊き立てのご飯がベストであることは、言うまでもない。)
これがあると、ご飯が進む。

おかずはおかずで楽しみ、仕上げがご飯というメニューのときにもお勧め。



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1998年11月23日(月)

下町の子供製造法


昨日の「生わさび・削り節・海苔」について、親戚に聞いたら、「生わさびはすった後、まな板に広げて包丁で叩く」と言っていました。
私もそれが正解のような気がしてきましたので、訂正します。

では、本題です。

甥たちの昼間の生態を母から聞くと面白い。
甥たちは、勤め人の親を持って、我が家の一部に住んでいるので、半分、勤め人の子、昼間放し飼いになったときは、おばあさんと一緒にいることが多いらしいので、商売家の子である。
私は、完全商売家の子であるので、育つ環境に若干の違いや時代の違いはあるものの、甥たちの昼間の生態を聞くと、自分がどうやって色々な食べ物を好きになったかわかるようで、面白い。

おやつ系統大好きの甥1の方が、楽しい下町生活を満喫しているようだし、また、満喫すべくそれなりに努力しているように見える。
学校から帰ってきて時間があるときは、どうも、おばあさんのお店に張り付いていて、物売りが来ることやおばあさんからお小遣いもらって何かお菓子を買うことを楽しみに店番しているようだ。

家の近所に、和菓子屋1軒、パン屋兼ケーキ屋1軒、駄菓子屋1軒ある他、週に一、二度、大学堂という車がアイスクリームを売りに来る。
冬になると焼き芋屋も回ってくる。
また、「げんまいぱ〜んのほ〜や、ほ〜や」という叔父さんもくるらしい。
(玄米パンは、妹も好きで、末っ子と孫が可愛い母は、良く買ってあげるらしい、私は多分食べたことがない)

甥1は、自分の家がある5階にいるときも、「げんまいぱ〜んのほ〜や、ほ〜や」という声に、一生懸命、階段を飛び降りてくるという話しも聞いた。
どうも、こういう物売りも含めて、色々な店で、色々なものを味わう楽しさを覚えてしまったらしい。
親は買い食いは禁止しているらしいが、おばあさんあたりが甘いようだ。
私は、過度にならなければいいかなと、外野に徹している。
(せっかく、下町の商売家の子孫に生まれたからには、その特権も少し味わった方が幸せ、なんて、思ってしまう私は甘いおばさんである。)

私の小さい時は、公園に行けば、紙芝居屋さんはいたし、吉備団子を売りにきたおじさんもいた、駄菓子屋だって、もっと数が多かった。
ちょっと具合が悪くて、学校休んで部屋でぼけっと寝ている時に、吉備団子のおじさんが回ってくるのを楽しみにしていた憶えがある。
吉備団子は、小さな団子を串にさしたものを、熱湯に浸けて温め、きな粉にまぶしてくれる、受け取ったとき、熱々なのである、あれも美味しかった。
(岡山のお土産品で「吉備団子」というものがあるが、あれとは別物である。確か、墨田区の北のほうに今でも、私の言うような吉備団子屋が一軒あると聞いている。)
もんじゃ焼きの店というか、普通の家の居間でもんじゃ焼きを焼いて食べさせてくれるところがあったし、高校の時は、美味しいたこ焼き屋もあった。
いなり寿司だって、専門店があって、あそこのいなり寿司とのり巻きは普通のパン屋や甘いもの屋のそれより美味しかったなと思う。
確か、海苔巻きは、注文すると、巻いてくれたと思う。
当たり前だが、海苔巻きは、巻きたてのほうが美味しい。
そうだ、お風呂屋の前におでん屋もあったし、そこが店をたたんでから、屋台のおでん屋が来ていた。
公園のところにも、おでん屋の屋台がいた。
夏は金魚釣りで、冬は、焼き芋屋という店もあって、確か冬になると、焼き芋屋に椅子が並べられて、そこに大人たちが並んで買っていたように覚えている。
甥たちの時代は、私の子供の頃の1/5程度もその手のものが残っていないような気がする。
しかし、今は子供相手の食べ物屋が何もないとか、コンビニしかないと思っていたが、甥を観察している限り、それなりに色々あるようだ。

現在、私は郊外の勤務先に通っているが、子供向けの店といっても高校生がたむろしている焼き鳥屋が一軒あるだけだし、みたらし団子を売っているお店や駄菓子屋がない環境である。
店が少なくなったといっても、まだ、下町の方が子供向けの食べ物が沢山あって楽しいところかも知れない。
買い食いは良くないかも知れないけれど、おばちゃんだって、そうやって育ったし、我が家の近くに家のあった池波正太郎や山本益博の子供の頃の話しを読むと、皆、同じように育ったようである。
私も買い食いなぞしないでお行儀良く育ったら、もっと人生違っていたかも知れないが、ま、いいや、である。
(しかし、他で聞いたら、買い食い禁止の一番大きな理由は「虫歯予防」という説もあった。)

もうちょっと大きくなったら、カレーパンはどこが美味しいとか、甘いもの屋のお雑煮の味を教えてあげようと思っている。
それこそ、それが下町に住む楽しさなのだから。





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1998年11月24日(木)

豆腐屋の大叔母さん


私には親戚が沢山いる。
卑近な例で言えば、私には、従兄弟が21人いるのである。
母方の親戚には、従兄弟が47人いる人もいるから、私は少ない方かと思ったが、やはり、多い方かも知れない。(うちの甥たちの従兄弟はたった一人だ)
母方が子沢山で長生きなのだ、母には、まだ、おじさんとおばさんが一人ずつ現存している。
その大叔母さん夫婦が、戸塚でお豆腐屋を営んでいる。(私は今までたずねたことがない)
大叔母さん76才、大叔父さん80才である。
この大叔母さんが、浅草方面に来た時、他の親戚の分とともに、姪にまで油揚げを持ってきてくれるので、我が家は、それをもらったときだけ、いなり寿司を作るのだ。
他の店の油揚げでは、同じ味が出ないということで、このときにしか、作ってくれない。
お豆腐が店によって味が違うように、油揚げも店によって味が随分違う。

この大叔母さんは、自分の姪は生まれた時から知っているし、小さい時から、「自分は叔母さん」という自覚があったから、年は4才しか違わないのに、とても、母を可愛がる。
(本人は1才のときから「叔母さん」を張っていた。<私のおばあさんの20才年が離れた妹である。>)
で、その娘についてどうかというと、法事などで会った時「真理子です」と挨拶しても、「あー」で終わってしまう。
そもそも、小さい時から全然会わない姪の娘に関心がないのだ。
この前、初めて電話をかけたのだが、ちゃんと名乗っても、「○○子(母の名)の娘から電話!」と取次いでいるのが聞こえる。
あの大叔母さんたちにとっては、「○○子の娘だろうが、孫だろうが、猫だろうが、ただ、○○子の付随するもの」程度の認識だ。
人を一人の人間として認識する第一歩は、「名前を覚えること」と習ったが、本当にそうだなと思う。(笑)

で、横浜に遊びに行くついでに、横浜の方に案内してもらって、大叔母さんの家に寄って、お豆腐や油揚げを仕入れてきた。
我が家は、大叔母さんの家の商品は、油揚げ以外食べたことがないので、なんでも買ってくるように、特に豆腐を買ってくるようにと、発泡スチロールの箱を渡され、出かけた。
大叔母さんは元気で、歓迎してくれた。
お豆腐や油揚げを作っているだけでなく、毎年味噌や梅干し・らっきょうを作ること。
私が食べ物にマメなのは、父親の方の系統かと思ったら、母の方にもそういう系統があるのだと認識したが、昔は、そういう保存食を家で作るのは、当たり前だったのだとも思う。

全て「○○子は、らっきょうは好きか?」と母の嗜好を確認の上、分けてくれた。
本当に、うちの母は、こんなに姪思いの叔母さんを持って幸せだと思う。

面白かったのは、「おまえの家は、お味噌は仕込むか?」と聞かれたときである。
私   : 私がたまに作るの。
大叔母 : 麹はどこのだ?
私   : (胸張って)神田明神天野屋、家が近所でしょ。
大叔母 : (大叔母も同じくらい胸張って)うちは、甲府の富士麹店から、毎年
      取り寄せる。

この勝負、引き分けかなと思った。
可愛く「うちは、スーパーで売っている麹で、大したことなくて」と答えてもいいなと、一瞬思ったが、むくむくと、「姪の嫁ぎ先代表として、我が家に恥をかかせてはいけない、私は、東京台東区の森さん代表なんだ」なんていう考えが頭に浮かび、正直に答えた。
いざとなると、人間、張り合うものだなと思う。
大叔母さんに張り合えるブランド店から麹を買っていて良かった。
でも、今度、甲府の麹の値段を聞いて、宅急便込みでこちらが安かったら、乗り換えてもいいなと思う。

絶品の手作り梅干しを少しわけてもらってきた。
本当に美味しい、分けてくれるときに、「市販品と味が違う」と言っていたが、本当に違っていた。
さっぱりして、ねちょねちょしていないのだ。
塩もきつくない、後から聞いたら、塩を少なめに漬けるが、かびないように、焼酎を沢山入れるとのこと。
作ると言ったら、作り方を教えてくれるだろうが、私に、梅干しは、何日も干さなくてはいけないから、絶対無理だ。 当分、大叔母さんを頼ろうと思う。
毎年、可愛い姪を大叔母の家まで、遊びに行かせることにしよう。



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1998年11月25日(木)

高尾 うかい鳥山


連休の真ん中の日に、初孫のお祝いに親戚に行ったら、思いもかけず、高尾のうかい鳥山に連れていってくれた。(超ラッキーである)

八王子から高尾までの間、景色がとてもいい。
高尾に来るのは本当に久し振りであったが、こんなにきれいなところだったのだと改めて認識した。
今、確かに季節も良いのだ、いちょうは、本当に黄色いし、山々の木々は紅葉しているし、どこを見てもきれいである。
ただ、今年の秋は、気温が高かったので、色は余り鮮やかではない。
これで色がきれいだったら、「わ、奈良みたい」とか叫べたのに、残念である。
車で案内してもらったので、どうやってうかい鳥山にたどり着いたのかわからないのだが、道沿いに、東京都の桜の木の試験場の山を教えてもらった。
春になると、山一面、様々な桜で覆われてきれいだとのこと。
一度見てみたい。

うかい鳥山は、小学校のとき、叔父が、山梨か長野の帰りに連れていってくれたことであった。
小学校のとき、うかい鳥山で、すずめとかうずらを炭火で焼いて食べて、大人の気分というか、何か日常では食べられないものを食べて嬉しかった思い出がある。
度胸を決めて、すずめの丸ごとを囲炉裏で焼いたものを目をつぶって食べた覚えがあるが、味は覚えていない。

今回、うかい鳥山に行ったら、昔と全然違っていた。
パンフレットによると、「奥高尾の山水をそのまま生かしたたたずまい」「六千坪の敷地に三十八棟の客室。五箇山の合掌造りをはじめ、加賀前田候の茶室などそれぞれ日本建築お粋を集めた」そうだ。
昔の素朴な野鳥料理の店ではなく、(もしかして、名前からすると、川魚もやっていたのかしら)一大リゾートというか、和風の自然を生かした庭園の中で、もう、日本には余りない藁葺き屋根で大きな柱の立派な木造家屋を集めた料理屋になったようだ。
料理屋というと、家が一軒というイメージだが、何家屋あるのだろう、相当の数の家屋があった。
その中には、離れ風の小さいものから、大きな座敷がある家から、色々な種類がある。
連休の中日でなければ、5人なら、大きな座敷ではなく、小さな個室を用意してくれるとのことである。

例としてあげるのは適切かどうか良くわからないが、ディズニーランドとか、ピューロランドのようなテーマパークのように、綿密に、計算・設計された「自然の中の日本」である。

本当に、山のすそ野にあるその敷地にいると、緑・木々・昔乍らの建築しか目に入らないのだ。
これは、価値があると思う。
日常から切り離された、昔乍らの日本が味わえるのだ。

美しい日本的自然の中の、古い藁葺き屋根の大きな家々、夕方になるとその全てに灯がともり、どの窓からも、人々が楽しそうにお酒を飲んでいる姿が見える。
絵に描いたような風景である。
でも、確かに絵なのだ、現代で、こういう風景はここでしか見られないだろうし、昔だったら、このような藁葺き屋根の家々が揃っている地域はあったであろうが、全部に灯がともり、皆が楽しそうにしている村などなかったと思う。
それだけ、日本人が「こういう風景っていいな」と思う線を追求した美しさなのだ。

ただ、そのせいでかどうかはわからないが、とにかく、連休の中日で、混んでいた。
原宿とか、横浜駅の混み具合よりは少ないけれど、なんとなく、回りの景色に合わない人混みであった。
待合室など、人だらけである。
「こんなに大勢の人にすずめやうずらを出すなんて大変だ、できるのかしら」と待っている間に心配していたが、お料理を食べる段になったら、今では、うずらとかすずめは扱っていないらしいことがわかった。

全て、経営方針が昔と変わったのだ。
昔は、野鳥を囲炉裏端で焼いて食べさせてくれる野趣溢れる店だったが、今は、薩摩地鶏とか、牛肉、他には、岩魚とか鱒のような川魚が出るお店になったようだ。
それに収容人数が多分、2,3百人の店なのだと思う。

で、下記料理をいただいた。
お通し:柿やキウィを豆腐の白衣で和えたものが柚子釜に入っていた。
    フルーツを和えたところが目新しかったし、美味しかった。
煮物:大きな海老芋の煮たもの
   ほくほくしていて、それで粘りがあった。
焼き物:地鶏とししとう、ねぎをテーブルの真ん中の炭火で焼きながら食べる
    席で焼きながら食べるのは、絶対に美味しい。
    野菜も良かったが、地鶏がしっかりしたものだった。
吸い物:これは、人参と大根が入っていたのは覚えているが、細かいこと忘れてしまった。
焼き魚:岩魚
ごはん:麦とろごはん
デザート:小さな焼きもちに、胡桃をすったものに味噌が和えられたものがかけられていた、甘くなく美味しい。

澄んだ空気・美しい自然・昔乍らの天井が高い木造の座敷の中で、全て美味しかったが、惜しむらくは、冷めた岩魚が出てきたことである。
あれだけの人数の魚を焼いて出すのだから、観光旅館のように、焼き立てが出せないのかも知れない。
その他は、柚子釜も海老芋も麦とろも美味しかった。
海老芋は、今度、自分で煮てみようと思う。(私には、オーブンという強い味方があるから、できそうな気がする。)

うかい鳥山
東京都八王子市浅川町
電話:0426−61−0739

帰りは6時頃になったのだが、最寄りの高尾山口という駅まで、車で1時間半もかかるという渋滞だった。
私は八王子の親戚の人たちが、それなら、相模湖の方から帰ったほうが早いということで案内してもらって、渋滞に巻き込まれず帰ることができた。
連休などの中央高速が混むときは避けた方が無難かも知れないが、一度、行ってみる価値がある店だと思う。



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1998年11月26日(木)

オーブンの研究 1/3


ためしてガテンのオーブンの使い方のビデオを見た。
とても面白かった。
オーブンの達人の主婦は、大したものだと思う。
結局、オーブンは道具なのだから、使い手次第なのだ。

但し、あそこまで使い切るには、やはり、年季が必要だろうし、頭で考えて、スケジュールを組むことが苦痛でない人でないと、あれだけ、色々なものを時間と温度を計算して、いっぺんに料理するのは、無理だと思う。
たらたら、ガスで余計なことを色々考えながら、料理するのも、違う意味で楽は楽で、楽しいし、捨て難い。

私の場合は、オーブンで作った方が絶対美味しいものだけは、今後ともオーブンでやりたいと思う。
それから、オーブンで作った方が楽なものもある、時間をセットしておけばいいから、「あ、見るのを忘れた」ということが少ない、入れっぱなし料理もまた捨て難いと思う。
つまらない話しだが、私は自分で揚げたフライドポテトが好きなのだが、例えば、ハンバーグやステーキと同時に揚げたてのフライドポテトを作るのは不可能だった。
しかし、ハンバーグを焼くことをオーブンに任せることができたら、揚げたてのフライドポテトを作ることも可能になる。
また、反対に、ステーキをガス火で焼きながら、付合わせのじゃがいもなどをオーブンで焼いても同時に熱熱のものができそうである。

基本は、どうしても作りたい料理と楽な料理をオーブンで作る、しかし、それだけでは無駄だから、空いている空間で、何か他のものが調理できないか考える、実行する、この繰り返しがあのオーブンへの達人の道だと思うし、NHKの番組を見た収穫である。

パソコンと同じで、生活の中で合理化できるものは全てパソコンで合理化すると決心できる人は、紆余曲折はあるものの、パソコンを使いこなしていく。
自分が、現状のままでは、ちょっと不便なところだけ、パソコンが補ってくれたら程度の使い方だと、そこから進歩しないのと、似ていると思う。

あの番組の欠点は、オーブン庫内の汚れとか掃除までに言及していないことだ。
オーブンの中に手を突っ込んで掃除するというのは、案外、面倒だ。
(昔より、汚れにくい材質でできているとは、聞いている。)
それに熱いうちに掃除なんて、食べる方が優先するし、他にやらなくてはいけないことがあるから、タイミング良く出来た試しがない。

オーブンの使い方の研究は遅れている。
料理本でも、オーブンを駆使した本というのは全くないのだ。
皆、料理をする人がオーブンを持っていないことを前提として、編集されている。
噂によると、中央公論社暮らしの設計シリーズでオーブンの使いこなしの本があると聞いたが、売り切れ後、刷り直していないから、結局ないも同然である。
一番頼るのは、オーブンを買った時についてくるメーカーが作った付録の料理本となる。

私だって、オーブンのある生活は、とてもとても長いが、ずっと長い間、簡単なお菓子を作ることと、グラタンに焦げ目をつけることくらいか、使っていなかった。
最近、(少なくとも私にとっては)難しいスポンジケーキと、鍋をオーブンに入れる煮込みに凝っているせいか、以前よりは少し詳しくなった。
この2つの使い方は、私としては珍しく試行錯誤して温度を変えてみたり、時間を変えてみたりして使っている。
温度の感覚が意識して頭にインプットしていかないと、オーブンは使いこなせないと思う。




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1998年11月27日(金)

オーブンの研究 2/3


ためしてガテンのオーブンの達人のオーブンはとても大きかった。
天板が二枚入るタイプだし、庫内悠々である、あれは、5、6万円するタイプだと思う。

今度買うとしたら、どんなものがいいか、良く考える。
今のはもう10年以上前のものである。
早く壊れないかな、このオーブンなら壊れてもいいなと思っているが、中々壊れない。

オーブンを選ぶ前に、電子レンジ・オーブントースターとの関係をどうするか、決めなくてはいけない。
(そんなに料理をしない人だったら、悩まないかも知れないが、料理が好きで道具が好きな人にとっては、これはとても悩みなのだ。)
色々な組み合わせが考えられる。
今持っているものがいっぺんに壊れる可能性は少ないので、初めに構想を考えてから順次買い替えて行くことになるだろう。
また、オーブンには、ガスと電気がある。
昨年知ったのだが、ガスオーブンにも最近電子レンジ機能が付いているとのこと。
ガスの方がいいとはわかっていても、ガスオーブンは家を建てるときから、ガスを引いておかないと無理なので諦らめる。
電気は、グリル機能が良くないのだ、少なくとも私の安物オーブンでまともなグラタンができたことはない、もう、その手のお料理に使うのは諦めている。
ガスの火力が持てない電気オーブンの最近の高級バージョンは、中の熱風を対流させる仕組みを兼ね備えている。
それがどのくらいの効果があるのか良くわからない。

今度買うとしたら、一人暮らしが基本で週に一回色々な料理をしたり、保存食を作り、年に一二度大人数の料理をする私としては、下記組み合わせがいいかなと考えている。
ただ、実際そのときに、本気で電器店を見に行ったり、パンフレットを集めた段階でこの組み合わせでなくなる可能性は大きい。

オーブン  できたら、デロンギがいい
      今、日本製で、オーブンだけの電気製品は売っていないのではないか。
      通販生活で説明を読んだり、合羽橋の吉田菓子道具店で本物を見ると、
      いつかは欲しいなと思う。
      日本の電気オーブンにこりごりしている私としては、食大国イタリアの
      ものに走りたいとつい思ってしまう。(でも、通販生活の影響が大かも知
      れないとは思う。)

      一般的な条件としては、

      火力の強いものがいい。
      シフォンが焼けるように、高さのあることが必須条件。
      二段使用ができるものがいい。
      今度買う時には、天板を一枚余分に買いたい。
      ためしてガッテンのオーブンの達人が持っていた、オーブン用の焼き網も       欲しい。

電子レンジオーブントースター 
     オーブントースターはパンや餅を焼く程度だし、電子レンジはそれ程多量
     この2つを寄せた方が、合理的ではと思っているが、そうでもないのかしら。

どういう組み合わせで買っても、絶対何かの不満が残るであろう道具だからこそ、悩んでしまう。



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1998年11月28日(土)

高さのあるスポンジケーキ


私の作るスポンジケーキの大きさは、直系18cmか、21cmで作るのは普通であるが、高さ5cm以上にするところに特徴がある。
だから、18cmで卵3つ、21cmで卵5つ程度を使い、とにかく高くするのだ。
なぜかと言えば、これは、「不二家コンプレックス」というものではないかと思う。
不二家のケーキは、誰が見ても一番最初に感じるのが、「美味しそう!」ということだけだと思う。
「わ、上品なデザイン!」「美しい!」「繊細!」なんてことは全然感じず、ただ、ただ、「美味しそう、食べたら幸せだろうな」しか感じないのである。
それは、高さから来るものではないかと思う。

「どんなケーキが食べたい?」と聞くと、我が家では、「不二家のショートケーキのようなのがいい」とか言われることが多かったし、「不二家のショートケーキのようだ」というのは、誉め言葉である。(不二家のショートケーキの味は、長い間食べていないので忘れてしまったが、不二家に行くと色々なバリエーションのショートケーキがあったと思う。)

美味しさだけを求めるのではなく、美しさも求める感性の方が高級ではあるとは思うが、我が家の場合は、低級な感性のままそこから成長しないので、今のところ、高さのあるスポンジが受けているのが実態である。
また、5cm以上に焼いておいて、1/3程度切り離して、凍らせておけば、何かと役に立つのだ。

まず、タルトを作った場合、焼きあがったタルト生地の中に敷いて、クリームとフルーツを並べると、美味しいし、クリームが多過ぎないで、タルトとスポンジとクリーム・フルーツが合いまった美味しさとなる。(ケーキっぽくなる)
また、この前は、ココナッツミルクが余ったので、ココナッツヨーグルトゼリーを直径18cmの型で少なめに作り、だいたい固まったところで、薄いスポンジを型に入れ、馴染ませて冷やしておいた。
これをちょっとお湯につけ、逆さまに外すと、スポンジ付きのゼリーとなる。
スポンジとゼリーを一緒に食べるのが美味しいく、寒い季節に向いている。
私はやったことはないが、スポンジをちぎって器に入れ、その上にフルーツを並べて、生クリーム・カスタードクリーム等をかけるデザートも世の中にはあるようだ。
高さを高く焼けば、不二家のケーキ風や二度美味しい楽しめ方ができる。

それにしても、苺のショートケーキの人気は、絶大かつ永遠であるような気がする。
甥1にしろ、そろそろ苺が出回ってきたので、親戚に持っていく分と自分の家の分を苺で作ったところ、ケーキを見た途端、「そうだよ、これが食べたかったのだ」と独り言を言っていた。(こういうセリフって自然と出てくるものだろうか、テレビの影響だろうか?)
近々21cmの高さ5cm以上に挑戦する予定である。



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1998年11月29日(日)

台東区の達人


以下、私の勝手な感想である。

もし、「誰でもお望みの方に台東区を案内をさせますよ」、と言うようなTV番組があったら、私は、故林家三平師匠の息子のこぶ平さんを指名したい。
彼は、よく上野・浅草の食べ物屋のレポーターをやっているけれど、本当にうってつけだと思う。
彼の家はずっと根岸で、何代めか知らないが本当に土着である。
しかも、私の世代以上の人だったら、彼のお父さんを知らない人はいないし、皆、口を揃えて「お父さんのファンでしたよ」と言って、彼に親切にしてしまうだろう。
それだけで、どの店に行っても楽しそうである。

落語家というのは、粋を大切にするから、遊びやお店も詳しいだろう。
しかも、こぶ平のお母さんの本を読むと、彼は、小さい時から、普通の子供は行けないような有名な店に、お父さんに連れていってもらった話しが載っている。
(海老名香葉子さんの本はそんなことを書きたいがための本ではないのだが、ジモティとしてはそういうところをチェックしてしまう、「いいわね〜」である。)
小さい時から筋金入りで、台東区を根城に美味しいものを食べて育っている人は、他にもいるかも知れないが、育った環境と言い、この人が一番だと思う。
林家こぶ平は台東区を代表するお坊ちゃまで、台東区の達人だと思う。
彼に、好きなように、台東区の楽しみ方の紹介番組を作らせたら、面白いし、見てみたいと思う。





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1998年11月30日(月)

餃子の中味


私の数少ない得意料理の一つが焼き餃子である。

大学生の時、「栄養と料理」を見て、干し椎茸を入れたところ、評判良く、それ以来、干し椎茸が入ることと、割とお酒がたっぷり入ることが、我が家の餃子の特徴となった。(ということを私はすっかり忘れていたが、弟が覚えていた)

甥2人も私の餃子が好きであるが、誉め方若干に問題がある。
「まりの餃子は、○○軒と、××屋の餃子と同じくらい美味しい」と言うのだ。

○ ○軒も××屋も近所の普通のラーメン屋である。
彼らとしては、誉めたつもりだろうが、おばちゃんには、誉め言葉に聞こえない。
そうは言っても、こういうラーメン屋の野菜ばかりの餃子というのも確かに美味しい。
皮もお肉屋さんで売っているものより美味しいかも知れない。
あーいう野菜餃子も作れるようになりたい。

2年程前から、ある料理本の表紙に、「美味しい餃子は、野菜:肉が2:1」とあるのが気にはなっていたのだが、そのためにだけ、この本を買う気になれずにいた。
先日、立ち読みしたら、「お肉が多いと固くなって美味しくない」と書いてあったが、「お酒を入れれば大丈夫だね」と私は思う。

今、私の餃子は、野菜:肉が1.1〜1.2:1程度なのだ。
今度、思い切って、2:1で作ってみようと考えている。
そして、主な野菜がキャベツである、私は白菜派なのであるが、これも試してみるか。
失敗すると、まずい餃子を食べなくてはいけないことになるが、たまには新しいものに、チャレンジしようかな。

私の餃子レシピ

一人暮らしを10年近くしたもので、元々のレシピはなくなってしまった。
似たようなレシピを探して(探すポイントはお酒をどの程度入れるか)、アレンジしたのが、下のものです。

餃子の皮2つ分
豚肉   300g
白菜   300g程度
にら   1/2〜1/3束
ねぎ   太いので10cm程度
にんにく 2かけ
しょうが ひとかけをおろして、生姜汁
干し椎茸 4枚くらい(いつも適当です)←戻しておく

調味料
酒  大さじ 2はい
しょうゆ 大さじ 1はい
ごま油  大さじ 1はい強
塩    小さじ 1/3程度
(塩加減は各自工夫してみてください、私の場合は、白菜に塩を振って水を絞るから、この時の塩が残ってしまいますので、少な目にしています)
胡椒   少々

作り方

注意:フードプロセサーを使って切ると味が落ちる、やはり、包丁で切るのが一番。

<作り方>
1. にら、ねぎ、にんにく、干し椎茸は、みじん切りして、ボウルにいれておく
2. 白菜もみじん切りにして、塩を振り、水が出たら、きつく絞ってボウルに入れる
(葉は葉で、芯は芯で、分けて切ると楽)
3. そこに肉も入れて、生姜汁を絞って入れる
4. 調味料を加えて手で肉と野菜がまんべんなく混ざるように混ぜる。
5. 包んで焼く

私にとって、いつもネックは、干し椎茸を戻すのを忘れることである。
今回初めて、戻して凍らせておいたのを解凍して使ってみた。
それを使って作った餃子をまた冷凍するのだが、うまく行くかどうか。

餃子は、作りたてを焼くか、冷凍にするしかないと思う。
作って2、3時間冷蔵庫に入れてから焼いたら、べちゃべちゃになって美味しくなかった。
私の餃子はお酒を入れるので、水気が多いせいかも知れない。
でも、挽肉をふっくらさせたかったら、お酒は欠かせない、お水でもという説もあるけれど、お酒の方が味が良くなると思う。(お水は入れたことがないので、確かなことではないですが)

よく、餃子屋さん、ラーメン屋さんの餃子は室温で焼かないまま、置いてあるけれど、あれはプロが、一定時間置いておいても大丈夫な計算しつくして作っているのかなと思う。
昨日は、分とく山野崎洋光の「美味しい方程式」を見て作った赤玉味噌をお酢で溶いで、ラー油を加えたタレで食べたが、これはこれで美味しかった。




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