1999年08月01日(日)
隅田川の花火 1/2
今年は、7/31の土曜日が花火だった。
花火のときは、まず、花火の見える方角に高い建物が建たなかったことを、心の中で、神様・仏様に感謝することから、始まる。
隅田川の近くに住んでいても、花火が見えるとは限らない。
また、今まで見えていても、花火の見える方角に高い建物ができたら、もう、そのビルが壊れるまで、見ることはできなくなるのだ。
ここ10年くらい、近所もビルへの立替が進んだので、相当多くの家で花火が見えなくなったのではないかと思う。
「去年まで見えていたのに」という話しは良く聞く。
日照権問題は、官庁に気を遣ってもらえるが、花火に関しては、見えなくなっても何も言えないのだ。
そう言えば、今年、築地に行って、「花火」の話しをしたら、お店の人が、「うちは、家が箱崎だから、両国のときにはよく見えたのだけれどね」と懐かしそうに話していた。
花火が隅田川花火大会になってから、もう20年が過ぎようとしている。
江戸時代から続いた花火は、両国で、ずっと昔に、交通渋滞を理由になくなってしまった。
なんで、両国だったのか、築地のおじさんと話していて理解できた。
江戸の中心日本橋・神田の人たちから、見えるように、両国であったのだろうと思う。
そう考えると、東京が膨張して、本当に日本橋・神田に住んでいる人が少なくなった今、花火大会が、北の方に移ったのは、自然の成り行きということができる。
ということは、東京がもっと膨張したら、花火の打ち上げの場所がもっと北に移動し、我が家からは見えなくなるかも知れない。
隅田川の花火大会は打ち上げ会場が2つある。
もしかしてであるが、日本橋や両国に近い第二会場というのは、やはり、昔両国の花火が見えていた地域に気を遣って、少しでも、日本橋に近いところに、もう一つ会場を設定したのかも知れないと思う。
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