1999年02月01日(月)
東京 日本橋
昨日で、日本橋東急が閉店となった。
今の人が東京の「日本橋」という地名を聞いて、何をイメージするだろう。
オフィス街程度のイメージしかないかも知れない。
日本橋は、銀座線沿線だけれど、東京駅からも徒歩5分である。
きっと、東京の観光ガイドに日本橋は載らないに違いない、オフィス街だから。
でも、古い東京を知るためには、日本橋は、絶対に外せない。
私も、小さいとき、日本橋が何たるか、知らなかった。
一番最初の日本橋との出会いは、コンタクトレンズ屋さんだった。
乱視がひどく、コンタクトレンズでないということで、近所の目医者さんに紹介されたのが、日本橋のコンタクトレンズ屋だった。
道順は、家の裏側(蔵前)の方から、都電を乗り継いで江戸通りを行くと、日本橋に行けるとならった。
父親たちに、「コンタクトレンズを日本橋まで作りに行かねばならない」と言ったら、慣れた口調で、「日本橋は近いよ」と言われ、父は知っているのに、一度も連れていってもらったことないなと思ったことを覚えている。
日本橋と我が家は、私からすると、地続きの関係にある。
以前、第二次世界大戦終了直後の、我が家の方の焼け野原の写真を見たことがあるが、焼け野原の先には、日本橋東急の建物が載っていた。
江戸通りという古い通りを通って、日本橋に向かうと、自転車で20分から25分で、日本橋に着いてしまう。
私の住んでいるところは、浅草の、日本橋との端境に近いのだ。
でも、小さいときはまるで、縁がなかった。
その次の出会いは、大学を出て、就職した勤務地が、日本橋だったことだ。
私の頭にある「日本橋」は、大手町と並ぶ、会社の多いところ程度のイメージしかなかった。
オフィス街自体がどんなものかも知らない私は、デパートは3つもあるは、小さい個人経営の美味しい食事ができる店や老舗はあるは、丸善はあるはで、大変便利なところだと思った。
大手町に勤めた同級生に聞いたところ、大手町のサラリーマンは麻雀をするために、線路を超して、日本橋に来るとのことだった。
個人経営の店、雑多な飲食店、老舗、3つの大きなデパートが雑居する日本橋は、サラリーマン生活を送る上でとても魅力的な街だ。(除く土日)
とにかく美味しいといわれる飲食店が多く、私は、会社の食堂で食事をせずに、どのくらい、外の店に通ったことか。
私のような、美味しいもの好きな人にとって、とても楽しいところであったと同時に、どのくらい、日本橋の街に、昼食費を落としたのだろうかと思う。
(もし、別にどうしてもなりたい職業とか、入りたい会社がない美味しいもの好きだったら、勤務地を日本橋・神田・銀座で選ぶと良いと思う。)
日本橋の本当の価値がわかるようになったのは、最近のことかも知れない。
とにかく、日本橋は、江戸時代の中心地だったのだ。
今もその面影や、江戸時代から続いている店が残っている。
それは、それは、とても価値のあるものだと思う。
良く、人間が計画的に作った都市は面白味にかけるという。
日本橋は、基盤が、江戸の中心地だから、どんなに、人工的なものが増えようとも、街の色々なところに、しゃれた老舗が残って頑張っており、楽しい。
そんな街は、中々、人工的には作れないのだ。
何か、それは、人間が、儲けよう、無駄を省こう、人間の頭で考えたゆとりはこのようなものとか、頭で考えて作った街の反対で、暮らしていけるお金は稼げるにしろ、先祖が大切にしていたものを受け継ぎ、大切にすることにより、営みを立てている人たちの気持ちが入っているからかも知れない。
ゴミゴミしていても、東急が閉店しても、何しても、日本橋は日本橋だ。
日本橋が日本橋でなくなるのは、デパートがなくなることではなく、老舗を初めとする個人商店が、頑張れなくなるときである、と私は思う。
個人商店が頑張れるためには、お客がいなくてはいけない、お客が少なくなって利益が上がらなくなったということで閉店する東急に次がないように、早く景気が回復しますように。
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