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「美味しい!」が好き

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1998年12月1日(火)

築地98年11月28日 1/3


新し物編

「築地に行ってみたい」というお料理好きの女性二人と、築地に行ってきた。
「新し物」と「楽しみ編」「私のお勧め品」に分けます。

★ 新海苔
先日、八王子の従姉妹に、「海苔にも新海苔というのがあって、美味しい」と聞いた。
そろそろ季節とのこと。
早速、海苔屋さんで聞いたら、来週からだそうだ。
新米・新蕎麦・新豆、全て美味しいのだから、新海苔もきっと美味しいと思う。
築地に行かなくても、海苔専門店ならあると思うのだが、今まで、「新海苔」なるもの
が世の中にあること自体を知らなかった。

★ 黒豆
昨年、神戸の人から、丹波の黒豆の中でも「小田垣商店」のものがブランドと習った。
築地の豆屋さんに聞いたら、これも来週からとのこと。
小田垣商店の黒豆は、築地まで来なくても、蔓藤・アメ横でも扱っている。

★ 雑誌「AMUSE」
築地場内の本屋でこの雑誌を見たら、築地・黒門市場特集だ。
きっと、この本に載っている店もいいのだろうし、載らなかった店もいいわよ、と
いうのが感想。
一番、楽しい特集は、築地の寿司屋さんについて詳しく調べてあるところだ。
「大和寿司」「寿司大」だけでなく、色々工夫を凝らしている店がありそうで、
一人で築地に行ったときに、色々試してみようと思う。
楽しみ、楽しみ。

★ 辛み大根
つい最近、「辛み大根」なるものがあることを知った。
築地場外に入った途端、八百屋さんで「辛み大根」を発見。
長さ15CM程度の小さな大根だ、帰りに買おうと思ったのが運の尽きで、今回、
買いそびれてしまった。
このほか、京都産の辛み大根というのがあったが、これは丸かった。
普通の長いのは、一本150円から200円程度であったが、京都産丸型は、小さな ものが2つで550円であった。

★ トリュフ
今回、やたらに目に付いたのは、トリュフである。
中国産と書いてあるものもあったが、茶色いゴツゴツした塊を色々な店で売っていた。
トリュフって、切っていないザーサイのような感じであった。

★ はたはた
今年ははたはたが豊漁と聞いた。
また、韓国産のものは黒いとのこと、築地の何軒かのお店で見たはたはたは、背中
の部分が黒くて、「なるほど、これが韓国産ね」と思う。
同じ日の夕方、家の近所の魚屋ではたはたを見ると、背中のところが茶色っぽい。
また、また、「この違いに納得」であった。



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1998年12月2日(火)

築地98年11月28日 2/3  楽しみ編


築地に行くと、なんやかや楽しいのである。
市場の活きの良さが自分に乗り移るときもあるし、この前は、野菜屋さんで、商品全部説明してくれたなんて、特別サービスに合うこともある。
一度、夏に、80才を過ぎたと思われるおじさんから、まぐろを買ったら、おつりに2,3円戻ってくるはずなのに、戻ってこなかった。
私も止せばいいのに、「おじさん、おつりは?」と聞いたら、照れくさそうに笑って、そこらへんにあるマグロの割と大きな塊を私の袋に入れてくれた。
これも、確実に「いい目にあった」一つである。
(帰ってから、冷凍されていたまぐろのぶつをさばいたら、割と血合いの部分が多く、血合いの部分を除いたら、おまけも含めてで、ちょうど量が足りた。)

今回は、まず、場内のトマト屋さんのおばさんが私の顔を覚えていて、色々トマトについて説明してくれた。
先日のどっちの料理ショーに出たトマトは、常には店に置いていないことや、東京の名だたるフレンチや老舗の名店は、この店でトマトを買うことを教えてくれた。
おまけに、どういうわけか、私たち3人にフルーツトマトを1つずつプレゼントしてくれた。
家に、帰って皆に自慢しながら、「普通では売っていないトマトなのだから。フレンチレストランに行ったときに、サラダに一切れだけついてくるあのトマトよ」と言って、皆にもったいぶって食べさせてあげた。
評判は、酸っぱくなく、緑色の種のところまで美味しく食べられるとのことだった。

じゃこを買いたい人がいたのだが、今日は人数が少ないので、最低購入単位が小さくて済む場外で買うことにした。
そのじゃこ屋の前に、豆の専門店がある。
この豆の専門店は、豆のお菓子を色々試食させてくれるのだ。
前回行ったときに、その試食で買った豆のお菓子が家で受けて、甥2に「また、買ってきてね」といわれていたので、また、その店に行く。
またまた、試食を3種類くらいした上で、お目当てを購入した。
その後、向かいのじゃこ屋でじゃこをつまむ。
と、豆のことで聞くことがあったので、豆屋に戻ると、また、砂糖にまぶしたお豆をくれるのだ、
(一往復半してしまった。)
「今日は沢山試食できて幸せ!」である。
その後、ふらふら見て回って、共栄会ビルの2Fのマクドナルドへ行く。
その前に1Fも案内したところ、漬物屋さんで、帆立とアサリの佃煮を串に差したものを「どうぞ」と試食させてくれた。
中々美味しい。
確か、干したたらに、練ったごまを挟んだ「ごま物語」もどこかの店で、一本食べさせてもらった記憶があるし、もう一品、何か楊枝で食べた覚えがあるが、忘れた。
マクドナルドで冷たい飲み物を飲みながら、「試食で喉が渇いて、冷たいものがとても美味しい」ということになった。

どうしても活きのいい魚が欲しいというのでなければ、場外だけでも十分楽しいと思った。 今回は、試食三昧の築地であった。




1998年12月3日(水)

築地98年11月28日 3/3 


買物は個人の裁量だ。
自分の好みとお財布と情報量と相談しながら、買って行く、これが楽しいのだ。
だから、私の築地のお勧めは、あくまで「ご参考」です。

築地で、活きのいいものも買うことはあるが、たいていは、プロが使わないはしっこのようなものばかり買っている。

ケチ編
1.吹田商店のお徳用利尻昆布
  確か、何かの本で、ここのお得用は、「赤坂や銀座の料理屋が真ん中の買って
  いった残り」と読んだのか、私がそう信じているのか、だが、とても美味しい。
  100gで800円程度である。
  品質から言ったら、相当得だと思う。
  上品で美味しい出汁が取れる。

2.伊勢啓の削り節の粉
  これも雑誌で読んだか、築地の削り粉は、料亭で使う削り節を削った粉とか。
  一度、伊勢啓のを買って美味しかったので、ずっと買っているのだが、他の店
  でも美味しいのではないかと思う。
  大袋だから、中々終わらない。買ってきた2/3は凍らせてある。
  まだ、冷凍してあるものは、使ったことがない。
  量が多いのが欠点。
  ぷ〜んと良い香りがして、良い出汁がとれる。

3.鳥藤のがら
  先日、この店で、「東京軍鶏の骨はないか」と聞いたら、骨は、ブランドで分
  けないですべてまぜこぜで売ってしまうとのこと。
  普通の鶏の3羽分の骨で、200円、しかも立派な骨で味が良かった。
  このミックス骨は、東京軍鶏・名古屋コーチン・比内鶏と普通のブロイラが
  混ざっていて、なんとなく、色々な出身地の人が集まる東京らしいと思った。

4.日山の切り落としハム
  早い時間だとある。
  ここのハムは美味しいから、切り落としも十分美味しい。

新鮮編
1.あさり
  築地場内のアサリは、ぷりぷりしていてとても美味しい。
  いつも1kg買って帰って、一応砂出ししてから、水で洗って、小分けして
  冷凍しておく。
  皆食べながら、「築地のアサリは違うわね」という。
  1kg600円〜800円程度。

2.海老
  我が家は車海老はさほど需要がない。
  高い車海老を使うより、値段気にしないで、安い海老をふんだんに使いたい。
  スーパーで特価で売っていても大した品ではないのに、割と高いのだ。
  先日、大正海老らしい海老を1尾50円で売っている店を発見、getした。
  これは洗って皮と背中の汚いのを取って、凍らせてあるから、まだ、食べていな
  い。

ぜいたく編
  たらこ
  街で買うとたらこは一腹いくら、アサリもざるでいくらと、重さに引き直した
   値段がよくわからない。
  だから、築地のものが安いかどうかよくわかっていないところもある。
  たらこは、築地で、人通りの多いところにある店を覗くと、100g400円程
  度は高いほうであった。
  私は、何故かこの店と決めてしまったお店でいつも、100g400円程度のも
  のを買っている。
  一度買ったら、皆味を覚えてしまって他のたらこが買えなくなってしまった。
  何故この店に決めたかというと、おじさんがいい人なのである。
  (今度、たらこ屋のおじさんの話しを書こうと思っている。)
  この店は「東京のてみやげ」という本で、大塚の鍋家の主人が推薦していた。
  行ったことはないけれど、鍋家というのは、江戸料理で有名で、この主人は、
  料理本も出しているから、この人の推薦するたらこを食べてみたかったのだ。
  味を覚えるとやめられなくなるから、一回だけなんて、思う人は、近寄らない方が
  いいと思う。

まだまだ、色々あるが、今日はこのへんで。



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1998年12月4日(金)

江戸っ子


インターネットをやるようになって、全国の大勢の方と知り合いになった。
その中で、「森さんは江戸っ子ね」と言われることが何回かあった。
短気でそそっかしくておっちょこちょいは、本当に江戸っ子的ではであるが、「江戸っ子ね」と言われると、私は本当に恥ずかしい。

そう言われると、まるで、秀才一家に生まれた出来の悪い子のような気分になる。
私にとって、「江戸っ子」は幻の存在で、自分が「江戸っ子」を名乗れると考えたこともない、そして、私が江戸っ子だと思う人と私のイメージは自分では重ならない。

東京人は、年を取っていれば取っている程、江戸っ子に近い。(それは「山の手」「下町」に関係なく、そう思う)
色々な本を読んだが、戦争で焼ける前までの東京庶民の暮らし方は、江戸時代のそれを引き継いでいたようだ。
戦災は、建物を焼いただけでなく、江戸の香りも生活形態も燃やしてしまったらしい。

そんな戦後に育った私に江戸っ子の雰囲気があるというのは、きっと、父と伯母の影響だと思う。
私の家は明治時代から東京なのだが、父と伯母は江戸時代の生活形態を色濃く残した東京下町に育ったのだから、二人とも江戸っ子なのだろう。
元々、江戸は、移民が作った街であり、その中で形づくられた江戸300年の暮らし方は、「江戸に住んで何代め」という歴史がなければ身につかないものではなく、「ここが故郷」と決めたら、すぐに染まることができるものなのだろう。
東京はこの気楽さがいいのだ。
以前、日本の中で、「札幌」と「東京」だけが移民が作った街だと聞いたことがある。

戦争で全てが焼けて、東京から江戸の香りがなくなり、どんなにアメリカナイズされようと、人間、そんなに簡単に変るものではない。
そうなのだ、私の父は、大人になるまで戦前の生活の中で戦前の教育を受けたのだから、戦後になっても、殆ど戦前の価値観で暮らしていた。(「長男」とか「家長」の意識がすごかった、我が家の「最後の戦前の長男」である。)
そんな父と毎日一緒に暮らし、よく伯母に会ったことが、自分では気がつかない江戸っ子的なところを作っているのだろう。

私の伯母と父の共通点を考えると、やはり、話しが軽妙で面白かった、そして、人好きで美味しいものが好きだし、楽しいことが好きなことである。
威張ることも威張る人も嫌った。
ゴミゴミとした、自然も庭もない下町で育つと自然とそうなるのかもしれない、ゴミゴミとした人工密度の高い地域ではしゃれを言い、話しを面白くしなくては人とぶつかってしょうがないのかも知れない。
また、二人ともお釈迦様を信じて信心深い、お釈迦様と祖先(含む仏壇)と家族・親戚をとても大切にしていた思い出がある。

江戸っ子は、宵越しの銭は持たないとか、初物好きという言葉があるが、けちではあるが、食べ物までケチケチ節約するより、そこに季節感や遊び心を求める人種かも知れない

父や伯母のことを考えると、立身出世や小銭を溜めることより、生活を楽しむ育ち方をしていたようだ。
回りも同じような人が多かっただろうから、戦前の東京下町に育つというのは、食べ物まで切り詰めてという生活はできないように仕込まれてしまうことかも知れない。 「私が江戸っ子と言われる」と聞いたら、父は、お墓の中で「世の中、本当に変っちゃったね、生きていなくて良かった」と苦笑するに違いない。
また、インターネットを使って、お料理のことを書いていると聞いたら、本人たちがやりたがるに違いない、私の父もお料理好きのおしゃべりだったし、伯母も書くことが好きだったから。
きっと、今ごろ、「いい時代になったね」と羨ましがっているに違いない。




1998年12月5日(土)

寿司


私の父が70才で、入院したときに、何度も、看護婦さんから、「森さんの好きな食べ物は何ですか?」と聞かれていた。
どうも、この質問は、老人向けの「ぼけているかどうか」のチェックではないかと思う。
その度に、父は、「お寿司と鰻」と答え、看護婦さんに、「森さんは、贅沢ですね」と笑われていた。

お蕎麦も好きだったから、蕎麦も入れて答えたら、「贅沢」とは言われなかったかも知れない。
(やっぱり、蕎麦を入れても「贅沢」と言われるかしら?
でも私の父は純粋江戸っ子だから、これが正直な答えだし、本人贅沢だなんて思っていないと思う。ただのごちそうである。)
まだ、他にも好物が沢山あったのに、「お寿司と鰻」しか答えられなかったのは、相当、病状が進んでいた証拠だったと、今になって思う。

私も最後、病院で同じように聞かれたら、「お寿司」は絶対答えに入ると思う。
ただ、父と違って「築地のお寿司」と言うのではないか。

築地の寿司屋は、築地周辺まで含めたら、沢山ある。
私は、築地に住んでいないし、勤め先も築地ではないので、そんなには詳しくない。
築地に通い始める前に行ったことがあったのは、築地周辺の「江戸銀」だけだった。
だから、本当に、美味しいものの本を頼りに、場内「大和寿司」に行ってみたのた。
その後、テレビで場内「寿司大」を特集していたのを見て、行ったら、ここも美味しかった。
その間に、場外「寿司清」も行ってみた。

奢ってくれるのなら、どこがいいとは言わないけれど、自分のお金で食べに行くなら、やはり、現在のところ、「大和寿司」「寿司大」が好きである。
両方とも、お任せのコースで、一番高いのを食べない限り、普通の寿司屋のものと余り変わらないような気がする。(寿司大は安い方をまだ食べていない、これからも食べないと思う。)
大和寿司で上を食べてしまった後、2回目に並を食べたのだが、やはり、上を食べてしまうと、並を美味しいとは感じない。
もし、何回か、行くことができる人なら、並→上で進んだ方がいいと思う。

      大和寿司            寿司大
お勧め   3150円           3500円
一言で   高級ネタを数少なく    高級ネタと高級でないネタを混ぜなが
                       ら数多く
主なネタ  大とろ・中とろ       大とろ・中とろ・青魚・
       赤貝・車海老等       煮いか等 
ごはん   温かめ           冷ため
                      (しかし、一回、温かったこともあった)
特徴    ご店主の前の席が     最後に一つ、好きなものを握ってく
      最高              れる
      最後の巻き物がまぐ
      ろといかといくら
量                   こちらの方が多い

以下、個人的な感想
・ 大和の方がネタが厚いような気がする。
・広く色々なものを食べたいのなら、寿司大がお勧め。
・個人的には、寿司大の煮いかが懐かしくて好き。
 また、青魚が好きだから、寿司大コースも嬉しい。
・ 味噌汁は、大和の方が圧倒的に美味しいと個人的に感じている。
 (本当に個人的感想を言うと、寿司大のだしは天然かしらと思うときがある。
 ま、寿司屋の味噌汁は枝葉末節だから、どっちでも良いが。)
・ 両方とも食べ終わった後、相当お腹がいっぱいになるので、少食の人は、
 予め「にぎりを小さめに」と言った方がいい。
・ 二、三度、大和で「巻き物は外して」と言ったら聞いてくれた。
 いつも聞いてくれるかどうかわからないが、最後の巻き物で満腹になってしまう
 ので少食の人は聞いてみるといいと思うが、数人で行って、巻き物外すひとと外さ
  ない人が混在するのは、迷惑かなと思うが、この点聞いたことがない。
巻き物を外した場合、何かにぎりに変えてくれる場合もあるし、好みで一つにぎって
たという人もあり、私の場合は、一個余計ににぎってくれた覚えがある。

父が死んで大分経った今でも、寿司が大好きで、築地に仕入に行っていた父が大和などのお寿司を食べたことがあったかどうか、家で話題になる。
皆、「きっと、食べたことあったよ、あれだけ築地に通っていたのだから」と言っている、父が美味しい寿司を味わってから死んだと信じているのだ。

やはり、店が競争している食べ物は美味しいのだ、築地の他の店も頑張っているらしい、そして、その情報が雑誌に載っていた。(競い合っていても情報が入らなかったら、わからない)
私は、父より上を行って、まだまだ、色々な築地のお寿司屋を味わってから死にたい。
死後の世界で父に再会したら、「沢山、築地の美味しいお寿司を食べてから、来たわよ」と自慢したい。
そして、甥たちにも私より沢山美味しいお寿司を味わう人生を歩んで欲しいと思う。



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1998年12月6日(日)

家庭のお寿司


お寿司なぞというものは、ずっと昔からあるものだが、やはり、時代とともに随分新種が考え出されたり、タネでも栄枯盛衰があると思う。

小さい時、出前を取ると必ず煮いかが入っていた。
煮イカは、煮たイカの上に甘いつめを塗ってあって食べやすく好きだった。
それから、卵だって、今のような玉子焼きではなく、どちらかというと伊達巻系統だった。
他に何かなくなったものはあるかな?
たこも最近、出前で取ると入ってこなくなったような気がする。

形の新型は、やはり、手巻き寿司である。
昔は、出前でにぎりを取って、家で食べるのがちらしだったように覚えている。
(たまに出前でもちらしを取ることもあるが、基本的にはにぎりが多い。)
小さいとき、近所の人が、家で作ったにぎり寿司を持ってきてくれると、「なんと、お料理の好きな人だろう」と思った。
我が家でも、ちらしはすたれて、現在、家でお寿司を食べると行ったら、手巻きになってしまった。
ただ、戦前派は手巻きを食べない、相変わらず、ちらしにして食べている。
何故かと聞けば、「ちらしのほうが美味しいから」とのことである。
言われてみれば、ちらしの美味しさというのもあるのだ。
上のタネをお醤油にちょんちょんとつけて、海苔が少し乗っている寿司飯の上に戻して一緒に食べたり、具を食べて、寿司飯を食べたり、これはこれで美味しいということを思い出した。

我が家のちらし寿司は、手巻き寿司風で、テーブルの中央に、大皿に具を並べる。
それぞれ、お皿にご飯を盛り、その上に海苔を揉んでかける。
皆、好きなタネをそれぞれ、自分のごはんの上に乗せて、仕上げる。
これは家庭において普通のちらし寿司の作り方だろうか、それとも余所の家では、ちゃんと、お寿司屋さんのように、きれいに並べて作るのだろうか?

お彼岸に必ず作っていた五目寿司もすたれてしまった。
いつすたれたかといえば、やはり、子供たちが家を出ていってからだろう。
戻ってきた今でも復活はない。
たまに野菜の五目寿司を食べたいと思うが、作るのが面倒である。

甥たちも小さいし、当面、手巻きの時代が続くかも知れない。
ただ、こう書いていて気がついたのだが、甥たちは、野菜で作ったお寿司の味を覚えないで大人になってしまうかも知れない。
そのうち、作ろうという気になってきた。

ところで、味付け海苔だが、戦後の発明品とか以前書いたが、テレビで、実は明治時代に日本橋山本屋が発明したものというのを見た。
きっと、庶民への普及が、戦後だったのだと思うが、本当のところはわからない。



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1998年12月7日(月)

晴れ晴れ、満足げの湯気


先々週の日曜日は甥1のお誕生日だった。(実際のお誕生日は、その次の週)
甥1は、1か月前から、大人に、プレゼントの割り振りを、発表していた。
「お父さん(含むお母さん)がぴかちゅうの冬休みで、おばあちゃんがローソンのおもちゃ、みんみん(若いほうのおばちゃん)がビデオ屋さんでビデオを借りて、まりが、テレビマガジンとケーキ!」だそうだ。

で、当日、朝のうちは大人しくしていたが、お昼前から順番に、おばあちゃんや若いほうのおばちゃんと別々に二回でかけ、おもちゃとビデオと雑誌を手に入れた。
どうも、買ってきてもらうより、お店に一緒に行って、自ら選び取り、お金をレジで払ってもらうほうが嬉しいようだ。

夕方に、私は、21cmのケーキを3枚に切ったものと、ホイップした生クリーム、切った苺やその他道具を持って、甥1は、カクレンジャーだのオーレンジャーのゴムの指人形を持って、おばあちゃんちに集合。
(この子のお友達は、ここ5年、変化なし、赤ちゃんのときから、カクレンジャーたちである、この部分、全然、成長しない。)
甥に生クリーム塗りたくりから、やらせてあげた。
おぼっちゃまのケーキつくりである。
おぼっちゃまが、ケーキの上に盛った生クリームにゴムベラをあてたら、ばあや(私)がターンテーブルを回してあげるのだ。
難しいところは、ばあやがやってあげて、塗りたくり終わり。
その上に乗せる苺をどう置くか、お人形さんはどこへ置くか、ローソクの位置も本人の言うことを聞いてあげた。
絞り出し袋で苺の間に生クリームをデコレートし、余った生クリームは、絞り出し袋の先から直接食べて幸せそうだった。(使い捨ての生クリームについてきた絞り出し袋である)
仕上げは、茶色と白のチョコペンである。
私が8を書いたが、うまくは行かなかった。
茶色と白で、真っ赤な苺の背に模様を付けていた。

夕食は、甥1の現在のお気に入りである永谷園の麻婆春雨である。
(この麻婆春雨づくりのときにも、怒られながらも、フライパンを奪って、自分で掻き回してした、甥1はおばあちゃんの家に来たら、結局はわがままがきくことを知っている)
皆が食べている低温トンカツも食べて、珍しく、「美味しい、もう一つ!」とのことだった。
その後、ケーキのロウソクに火をつけて、記念撮影、そして、ふーッである。

もう、彼は、自分のお誕生日を最高にするために、自分で考えた演出・企画に、大人が乗ってくれて、全部うまく行って幸せそうである。
人間として、心から晴れ晴れ、満ち足りた、良い表情をしていた。(ストレス0という表情)
表情だけではなく、口から吐く息から、出る言葉から、身体の線まで、「生き生き、晴々、満ち足りた熱気」が漂っていた。
今にも湯気が立ちそうな感じだった。
子供は身体が小さいし、頭の中にあることが少ないので、頭を支配しているその時の感情が身体全体に行き渡りやすいのかも知れない。
(余談であるが、お笑い番組を見ていて、子供たちがケタケタ、お腹を抱えて笑う様子も可愛い、もう良い年になってしまったおばちゃんは、その様子を見ると、「私も子供のときはお腹から笑っていたのだ、でも、いつから、お腹から笑えなくなってしまたのだろう」などと思ったりする。)

子供は、毎日晴れ晴れ暮らしているのかと思ったら、そうでもないようだ。
あの甥1の晴れ晴れした、満ち足りた顔は可愛い。
来年もあの表情が見たいから、来年のお誕生日も彼の考えた企画に乗ってあげようと思う。(本人は、毎月、お誕生日が欲しいそうである。)
「小さいときの楽しい記憶を沢山覚えたまま、無事大人になってね」である。



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1998年12月8日(火)

僕だって!


また、我が家の話題になるが、甥1のお誕生日のときの甥2の様子が面白かった。
甥2は、おもちゃを買いに行くときもすべて甥1と一緒に行動して、同じようにプレゼントを買ってもらっていた。
ケーキのデコレートのとき、毎年、「僕も、僕も」と出てくるのに、今回は、「いい、僕はやらない」と言い出したので、「大人になったね、甥2ちゃんのお誕生日のときは、甥2ちゃんだけにやらせてあげるから」と言っておいた。

その時は知らん顔をして、関心ないように、隣の部屋でテレビを見ていた。
しかし、少し時間を置いた夕食のときになって、急に、「まり、今度、まりがケーキするとき、教えてね。僕が飾り付けするから」とのことである。
「違うわよ、今度でなくて、あんたのお誕生日のときにやらせてあげるから(甥2は4月生まれ)」と言うと、
「....」
こっちの言ったことに気づかない振りして、返事がないのである。
気に入らないことには返事をしない、大人のような反応に、思わず、笑ってしまった。
今までだったら、必死になって「そうじゃないの!今度なの!僕もやりたいの!」とむきになって返してくるのに、気に入らないことには返事をしなくなったのだ。
君も随分大人に近づいてきたのだね、と、おばちゃんは感心をし、近々、来週ケーキを作ることになってしまった。
ま、スポンジケーキ研究中のおばちゃんであるから、これは苦にならない。

数日立って聞いたら、「生クリームを塗ったり、舐めたりすることが羨ましいのではなく、ケーキの上に自分のお人形を飾れることが、羨ましい」そうだ。
今度のケーキは、お誕生日でないので、18cmとして、100円のみかんの缶詰と、栗の甘露煮の余りでお金をかけないで作るのだけれど、お人形さんを飾らせてあげよう。(この子のお友達は、ウルトラマンシリーズでいつも同じである。)



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1998年12月9日(水)

究極のスポンジケーキレシピ 1/5
下準備まで


また、大袈裟な題を書いてしまった。
私は、インターネットでお菓子つくり名人からコツを習い、中央公論者暮らしの設計シリーズ「フランス菓子」(弓田亨著)で、スポンジケーキが膨らむようになった。
これが、昨年の秋のことで、今年の秋には、自力でうまく焼けるようになった。
で、まだ、完璧ではないが、一応作り方をまとめたいと思う。
現時点では、木目が細かくて、しっとりしているスポンジである。

本当の自己流であるし、これからも改善しなくてはいけない点が多い。
私の場合、甥を始め、デコレーションケーキをいくら作っても飽きずに食べてくれる恵まれた環境がある。
他のお菓子を作るより、デコレーションケーキを毎週作ることのほうが、喜ばれる。
その環境があるからこそ、沢山作れた。

一番最初に、「フランス菓子」に載っている分量で作り方を説明し、最後に、まとめを書く予定。

「フランス菓子」の説明は写真入りでとても良い、シロウトには細かすぎるところもあるが、実際に作る作業を見ないで、一人で家でスポンジケーキを作ろうと頑張る場合は、この本くらい、数値化されているほうがわかりやすい。
書店で、見ることをお勧めします。

焼く場合の話しであるが、下記説明は、横・奥行き30cm程度、高さが20cm程度の電気オーブン使用が前提。
(ガスオーブンの場合は、わからないので、ガスオーブン使用者には、「焼く」部分の温度や時間は参考にならないと思う。)

「フランス菓子」の分量 (18cmの丸型で、3cm弱の高さ)
卵         117g   卵大2個程度
グラニュー糖   91g
薄力粉      75g
バター      20g
牛乳       30g

スポンジケーキを作る順序
1. 道具を出す
2. 下準備
      オーブンを温める
      (下火が強いオーブンの場合、餅網、金属のすのこ等を敷く)
      分量を量る
      ケーキ型に紙を張る
      電気オーブンの庫内が小さい場合は、アルミ箔をケーキ型程度に折っ
      ておく。       湯煎の準備
3. 湯煎(直火でも可→私はやったことがない)
4. 泡立て
5. タネを仕上げてケーキ型に入れる
6. 焼く
7. 冷ます


1. 道具
   デジタル秤があると、便利
   ケーキ型やケーキクーラーが必要
   (私の場合は、ケーキ型は、底が取れるタイプ、底は取れた方がいいと思う。)
   湯煎に使うお鍋(フライパンの方がやりやすいかも)

   私のレシピの場合、特に必要なもの
     温度計・タイムウォッチかキッチンタイマー、電動ミキサー

2. 下準備
(1)オーブンを180度に温め始める。
  (餅網を1枚敷いた方が安心。)
(2)湯煎にするなら、鍋に水を張り、温める
(3)砂糖を量り、ボウルの中に割った卵とともに入れておく
  (卵は必ずしも室温に戻しておく必要はないと思うが、室温に戻しておいたほ
  うがいいという説もあり、忘れなかったら、予め、冷蔵庫から出しておく。)
  <湯煎にかけてしまうのだから、別に室温に戻さなくてもいいのではないかと
   も思う。>
  (このとき、まだ、湯煎の中にボウルを置いてはいけない。)
(4)薄力粉を量り、振っておく(2回程度)
(5)小さい鍋からフライパンに、牛乳・バターを入れて、ガスコンロの上に
   置いておく
(6)ケーキの型に紙を張るのだが、私の場合は、サラダオイルとクッキングシート
    余計なお世話だが、クッキングシートのつるつるしているほうが表面で、
    つるつるしているほうが、ケーキにあたるようにする。

    底...底のだいたいの大きさに合わせて、にクッキングシートを切る。
        底にサラダオイルを薄く塗り、クッキングシートを張る。
        余分なクッキングシートを切り取る。(きっちりの大きさより5mm
        弱大きく切っておくと、焼けた後、はがしやすい。)

    側面..(側面は丁寧に作るときだけ、家庭用の場合は、サラダオイルを塗る
        だけでも、どうにかなる。)
        クッキングシートをラップを側面の高さより1,2cm高い程度
        の幅に2,3枚切る。
        側面にサラダオイルを塗り、ラップを張って行く。
        高さは揃えておいたほうが、アルミ箔をかぶせるときにやりやすい。



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1998年12月10日(木)

究極のスポンジケーキレシピ 2/5
泡立てまで


3.湯煎
(1) 卵と砂糖の入ったボウルを湯煎にかけて、温度計を入れておく
(2) 泡立て器かスイッチの入っていない電動ミキサーでゆっくりかき混ぜ、
     温度を32度(夏)から37度程度(冬)に上げる。
     (気持ちは、卵の中に砂糖を混ぜ込む感じである、湯煎にかけながら、
     ゆっくりかき混ぜると、透明感が出てくる。)
     熱源から外して、まだゆっくりかき混ぜ続けて、ボウルの余熱を卵液に伝え
     させる。
     できあがりは、夏場は35度、冬場は40度とのこと。(私は夏場、本を見
     ないで作っていたので、夏場でも40度で作っていたが、そんなに問題
     はないと思う。)
     (夏場はちょっと温度を低めで仕上げるが、エアコンの利いている部屋で
     作るのなら、余り、関係ないと思う。)
余熱の効果でどの程度の温度になるかにより、スポンジのきめこまかさが違ってくる。
神経質になることもないが、41,2度は超さないように配慮した方がいいと思う。
要は、泡立て終わったときに、生地が25度であることが理想だそうだ。

4.泡立て
タネの温度が、35度(夏)か、40度(冬)程度になったとする。
ストップウォッチを使用する場合は、スイッチオン、キッチンタイマーだったら、10分程度に合わせて、スタートさせる。

基本の分量で、電動ミキサーで、強3分30秒、中で1分30秒、弱で30秒、腕をぐるぐる回しながらかき混ぜる。(疲れない程度の早さで十分)

「強」で泡立てたときには、砂糖入り卵に必要な量の空気を送り込む作業(いわゆる「泡立て」)は終わっているのだ、「中」は、余分な空気を抜く作業、「弱」は、きめを整えるための作業だと思う。
基本の分量で基本の時間かき混ぜることを何回かやりながら、状態を目で覚えていかないと、量を変更した場合、応用がきかないと思う。

1.強   無理のない程度の大きさで、円を描きながら、腕を回して泡立てる。

  私の観察では、砂糖入り卵の状態は、下記の順序で変化する。
  (1)強で泡立て始めると、大きな気泡が沢山できる。
  (2)その状態が続いた後、空気が生地の中に取り込まれ、全体が白っぽくなり、
    小さな気泡になっていく。
  (3)そのうち、かき混ぜると筋がつくようになる
  (4)その状態が続くと、割としっかりとした筋がつくようになる。
    (卵大2個で、3分30秒、卵小5個で5分を超したくらい)

2.中に切り替える
  中の時間は、強で要した時間の半分弱(相変わらず、腕はボウルの
  大きさにグルグル)
3.弱に切り替える。
  弱の時間は、中に要した時間の1/3程度。
  (仕上げに木目を整えるのである。)

以上で、本当にきれいな、木目細かいタネが出来上がるのである。
電動ミキサーの先にタネをひっかえて持ち上げて、自然に下に落とすと、太いリボンを描く。(太さはそのときどきによって異なる場合があるが、ま、リボンだと思えたら、泡立て成功である。)



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1998年12月11日(金)

究極のスポンジケーキレシピ 3/5
焼き上がりまで


5.タネを仕上げて、ケーキ型に入れる
(1)ここで、牛乳とバターのお鍋を置いてあるガスコンロの火を付ける。
  (火力は中程度、使う前にバターが完全に溶けて、沸騰していたら、火を止
   めておく)
(2)薄力粉を混ぜる。
   ふるっておいた薄力粉をできたらで十分であるが、ボウルに均等にふるい
   入れる。
   (一個所にどーんとより、薄く広くが理想的)
(3)ゴムベラで、底から持ち上げるか、切るようにして、粉っぽさがなくなるまで、
   混ぜる。
   (ゴムベラをタネに垂直に入れ、ゴムベラを持っていない手で、ボウルを回す
   とうまく行く、と言われている。)
   「練ることなしで、完全に粉が混ざること」が理想。
(4)次に、バターが完全に溶けて沸騰している牛乳を上から入れ、また、ゴムベラ
   で切るように混ぜる。(「沸騰している」がポイント)
   水気が全部タネに吸い込まれて、均等に混ざっているのが最終形。
(5)出来上がった生地をケーキ型に入れて、とんとんと、ちょっと上から、落とし
   て空気を抜く。(私の場合、これが趣味だから、10回近くやってしまう。)

6.焼く
(1)160度に熱したオーブンに入れる。
   タイマーは10分にセット
(2)タイマーが止まったら、オーブンの中を見て、表面が茶色か白か見る。
   もし、薄い茶色がついているようなら、アルミホイルをかぶせて、焦げ色が
   付くのを防ぐ。
(3)タイマーは25分程度に合わせ、時々見に行く。
(4)5分置き程度に見て、表面が薄い茶色になっていたら、アルミ箔をかぶせる。
   (私のオーブンだと、通算で17,8分のところで、薄茶になった。)
(5)竹串で差してみて、どろっとしたタネが付かなければ焼き上がり。
   どろっとしたタネが付いてくるようだったら、また、更に5分なり焼いて、
   竹串で差してみる、を繰り返す。
ものの本によると、初めの10分は、オーブンを開けてはいけないそうである。

今まで私は1年間焼き方に失敗していた。
要は、シフォンと違って、スポンジは、出来上がりが、薄い茶色でなくてはいけないのだ。
そのためには、180度や170度で焼くのではなく、私のオーブンでは160度程度でなくてはそれが実現しないことがわかったのだ。
180度だと、程なく表面が茶色くなり始め、焼きあがることには、抹茶色になってしまうのだ。
そうではなくて、初め5分でまだ焼き色が付いていないか、ついてもほんのちょっと、そして、オーブンを開けてもいい焼き始めから、10分程度以降に、薄茶になることを狙うべきである。
料理本のカラー写真の色は余り目安にしないほうがいい。

150度で焼くと、固まらないことも発見した。
自分のオーブンで最適な温度が何度か試すといいと思う。
150度で5分程度焼いてみて、固まらないようだったら、また、160度なりに上げて続けて焼けば、問題ない。
色々なケーキの本を見たが、たいていは、「170度から180度で25〜30分」というレシピが多い。
これは全てのオーブンに当てはまらないのだ。
それに気づかなかったから、今まで、高温で焼きすぎて、割とバサバサのスポンジが出来上がっていた。
いつも、180度で25分程度にタイマーをセットしておいて、焦げ臭い匂いがしたら、温度を下げていた、これではうまく行きっこないのだ。

焼き上がりの理想形は、色が薄茶(キタキツネのような色)で、しっとりなのだ。
焼きあがっているけれど、水分が内部に残っていて、型から外した段階で、ほんのちょっと湯気が出るような感じが理想だと思う。



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1998年12月12日(土)

AMUSEの記事


今週の水曜日発売のAMUSE「合羽橋・道具屋筋」の特集に私が紹介されていた。
私としては、泣きたい気持ちである。
取材した人は、以前、属していたMLで一緒だった人なのだ。
だから、会ったことはなかったけれど、まるで知らないというより、お友達だと思って取材に乗った。
でも、出来上がって読む記事は、「本当に、これが私の言ったことなの?」という気持ちでいっぱいである。

私は、「奥まで入って」とか「図々しくなんでも聞こう」なんて、言った覚えはない。
確かに、合羽橋を楽しもうと思ったら、「何かいいものはないかなと良く見なくてはいけないし、店の奥まで見た方がいい」と言ったかも知れない。
そして、「店に飾ってあるのと、サイズ違いとか、材質の違いがあるものを探しているのなら、お店の人に聞いてみたほうがいい、お店の人はプロだから」と言った。
そして、買うかどうかわからないけれど、一応知りたいものがあるときは、「今日は買わないのだけれど」とか、「友達に頼まれて調べに来た」と言って聞いたら、と言ったのだ。
値段をメモするといったのは、そういう人もいた、その人だって、店の外に出てから書いていたと私は言ったのだ。
小さな欄だから、要約しなければならないのはわかるけれど、ちょっと、ひどいと思う。
私の話したことを簡単にひとことで、言うと、「図々しく」とまとまるらしい。

人の善意と真意をちゃんと表現できないのなら、文章を書く資格はない!と私は言いたい。
私は、無償で、会社が忙しいのに、無理して間に合うように帰ってきて、一時間半もあんたに遅刻されても嫌な顔もせず、、缶ジュースだけれど、出して、一生懸命、一時間半、あなたの役に立つように細かくしゃべってあげたのだ。
あんたが帰った後、なんとなく後味が悪くて、相手に私の言うことが伝わったかどうか、つかめなくて、とても自分がむなしかった、また、記事を読んで、余計むなしかった。

私は実名と写真入りで、変な書き方されて傷ついたけれど、フリーライターの人は匿名で写真もなしで、好き勝手書けて羨ましい。
あんたは、二度と合羽橋に来なくていいかも知れないけれど、私は、これから一生、この近所で暮らす人なのだから、って、少しは人の迷惑を考えて、物を書いてね。

あのフリーライターに誤解されてもいいけれど、合羽橋の皆様、及び、私を取材したフリーライター以外の皆様、私は記事に書いてあるような人間ではありません。

どうか、私があの記事とは違う人間だと、信じてください。

私はちゃんとした会社の社員で、雑誌に載ることを会社に内緒にするわけに行かなかったので、前以って許可を取ったのだ。
だから、上司たちは、皆、あの記事を読んでいる。あれが私の言ったことだと思われたら、とても悲しい。

インタビューなんて、受けなければよかった。

もう、忘れようと思う。
人をちゃんと判断しないで、つい、嬉しくて余計にしゃべった私が馬鹿だったのだから。



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1998年12月13日(日)

究極のスポンジケーキレシピ 4/5
冷ますまで


7.型から外す
 (正しい型からの外し方はわからないので、自己流をありのままに(本人もこの
  部分は自信がない)。
  ひっくり返して外すと、せっかく膨らんだのがしぼみそうなので、ひっくり返
  さないで外している。
 (1)側面の紙をはがす。
 (2)オーブンミットを両手にはめ、ケーキ型を両手に持ったまま、両手で底を持ち
  上げる。
 (3)持ち上がったら、左腕に側面の型が宙ぶらりんになるようにする。
   (これをやるたびに、やけどする恐れがあるので、長いオーブンミットが欲しい
   と思う。やけどしないように注意が必要。)
 (4)右手でケーキを受け取り、左腕にある側面の型を腕から外す。
 (5)ケーキ型の底面と紙を外す。(型の底面に張る紙を1cm程度大きく切って
    おくと外しやすいかも知れない、明日やってみる。)
 (6)ケーキクーラーに乗せて、上から、型の底面をかぶせる。
 (7)その上に、底板をかぶせて、水分が無用に抜けない状態で、ケーキを
    冷ます。
    (6)(7)については、大き目のボウルをかぶせた方が、水分がうまく
     吸収される気もする。(私も現在、試行錯誤中)
 (8)完全に熱さが取れたら、ビニール袋に入れるなり、ラップで完全に覆うなり
    した状態にする。

取り敢えず、これでケーキが完成したことになる。
2,3日置いた方が美味しいといわれているが、これは本当。
3日程度置いた方が水分が安定して、しっとりしているけれど、さっぱりしていて、ケーキ屋のスポンジのようになる。

最低でも半日は、食べないで、置いておいた方がいいと思う。
多分であるが、冬は冷蔵庫に入れないで、室温で持つと思う。



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1998年12月14日(月)

新海苔売始候


私は新海苔の存在自体を知らなかった。
従姉妹に習って、今回初めて新海苔を築地で買ってきた。
我が家は以前築地の決まったお店で海苔を買っていたらしいが、父が死んでから、どの店で買っていたのか、わからなくなっている。
今回は、従姉妹に伯母がいつも共栄会ビルの海苔屋で新海苔を買っていたと聞いたので、ここで買った。

新海苔は、初めて見たが、自分で焼くタイプだった。
自分で焼くなら買わない!と言いたいところだが、やはり、私は言わない。
3帖で、1100円程度だったと思う。
この店の新海苔は、青海苔入りと書いてあって、お店の人に聞くと、海苔の中に点々と青海苔を混ぜてあるから、香りが良いとのことだった。(どうせなら、混ぜていないタイプが欲しかった。)

ざっと見ただけであるが、新海苔が並んでいる店は、場外で3軒しかなかった。
1軒は、私が買った共栄会ビルの中の海苔屋さんであり、もう1軒は、丸武という玉子焼き屋さんの裏手にある奥まった店(ここは10帖単位だったから、手が出ない)、もう一軒は、場所はよく覚えていないが、「初摘海苔」という名前で売っていた。

その次の週、日本橋三越の前を歩いていたら、向かいの山本屋に大きく、墨で書かれた「新海苔売始候」という文字が目に入ってきた。
さすが老舗だなと思った、「新海苔売始候」なんて、格好いいではないか。
もしかして、昔からの冬の風物詩なのかも知れない。
思わず、買う気もないのに、入ってみた。

山本屋は東京で海苔の最高ブランドだと聞いている。
何と言うか高級老舗であり、買う気もないのに入るのは勇気が要る。
お店の皆が、心から(だと思う)「いらっしゃいませ!」と言ってくれて、手ぶらで帰る時もにこやかに「有難うございました」と言ってくれる。

山本屋には、焼き海苔の新海苔もあったが、1帖600円だ、青海苔入りが650円、良いお値段ではあるが、きっと値段だけのことはあるのだと思う
(山本屋の海苔は、広い店内で、大切に扱われ、本当に高級と言う感じがする。)
私が知らなかっただけで、新海苔というのも、古くからの冬の名物なのだ。

母がデパートに行ったら、海苔屋に「新海苔入荷」と宣伝している店が多かったとか。
割と簡単に手に入ったのに、何故、今まで知らなかったのか、わからない。



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1998年12月15日(火)

海苔をあぶる


築地の新海苔を、昔、父が焼いていたしぐさと若干教えてくれた内容を思い出しながら、焼いてみた。
父も最近は焼かなくなっていたから、本当に遠い記憶だ。
確か、昔は、火鉢であぶっていた、火鉢を使わなくなってからは、ガス火で焼いていたかも知れない。
二枚を中表にして、確か、餅網を熱源において、返しながら「ひら〜、ひら〜」という感じで焼くのだ。
そして、時々、電灯にかざして、青いところが多くなったか、確かめるのである。
ただ、どうなったら、出来上がりなのか、忘れてしまった。
青いところだらけになればいいのか、若干、茶色いところが残ってもいいのか、今となってはわからない、また、今時、海苔の正しい焼き方が載っている本なんて、ありっこないとおもう。
そうだ、私が焼いた場合、父が電灯にかざしてみて「もうちょっと」とか、「もういい」と判断していたのかも知れない、だから、全然、私には判断基準がわからないのかも知れない。

今回は、ガス火にクッキングガスマットを敷いて、ガス火が直接あたらないようにした。
遠赤外線が一番いいのだろうが、海苔のために炭火を起こす気にはなれない。
ガス火は、聞いた話しでは水分を含んでいて、直接火に当てて料理するのには、適していないらしい。
遠赤外線には劣るかも知れないが、クッキングガスマットなら、ガス火の間接になるし、マット全体に均一の温度になるから、海苔を焼くのに向いていると思う。
これは、中々いい方法だと思うが、海苔を自分で焼きたいという人は、まず、いないと思うので、余り役に立つ情報ではないと思う。

でも、手で焼いた海苔は美味しいから、機会があったら、是非、食べてみるといいと思う。



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1998年12月16日(水)

新海苔の味


私は小さいときから、海苔にうるさい。
海苔にうるさいことだけは、自信がある。

別に高級品が好きというわけではないが、自分の舌に「食べるのを許せる海苔と許せない海苔の基準」があるようで、幼稚園ときから、「乾物屋の海苔を拒否して、海苔専門店の海苔を要求した」ことが、我が家の昔話として今でも、話題にのぼる。

新海苔はさすがに美味しかった。
自分であぶったこともあり、「あぶった海苔はやはり美味しい」と思った上、新海苔だから、香りが高いのだ。(青海苔効果もあるかも知れない。)
家族の中では、甥2と弟は絶賛していた。(他の女性陣は、余り興味がないようだ。)
甥2が食べながら、「ん?この海苔が美味しい」といいながらも、「味付け海苔と同じくらい、美味しい」と言ったので、笑ってしまった。(本人、誉めているつもりである。)
多分、甥2は、「海苔自体に味がある」と言いたいのだと思う。

私が思うには、食べるときに、香りと味があり、よく噛んでいるうちに、海草に戻っていくような気がするところが美味しい。

今度から、私専用に、今度から、あぶった海苔を常備しようかという気にもなってきた。
また、来年も12月には、新海苔を買うとメモをしておかなくては。
取り敢えずは、まだ、まだ、新海苔が沢山ある。

自分で焼いた海苔は、切って、缶に入れておけばいいのだ。
そう言えば、海苔を折って切るときも、「ご飯の上で、折らない」と怒られたものだった。
結局、折るときに出る屑も無駄にしないで食べるようにと、小さいとき教育された。
今は、ご飯がない、台所で焼いているのだから、それができない、ちょっと、罪悪感を感じるが、「そういう教育を受けたのも良い思い出」としておこう。

先日、関西出身の女性と話したら、関西では、「海苔というと、佃煮の海苔をまず思い浮かべる」とのことだった。
私は、海苔といえば、「焼いた海苔」を思い浮かべるから、全国的に、「海苔」といったら、焼き海苔を思い浮かべるものだとばかり、思っていた。
言われてみれば、「浅草海苔」に始まって、大森でも海苔を養殖していたとか、海苔って、もしかして、東京名物なのかも知れないと思うが、本当のところは、わからない。

多分、老舗の蕎麦屋の酒の肴に、「焼き海苔」というのがあると思う。
本当に、「多分」であるが、老舗の蕎麦屋の海苔は、自分で焼いていると信じたい。

食事の最後に、海苔に炊き立てのご飯を置いて巻き、ちょんちょんとお醤油に付けて食べる美味しさは格別だ。



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1998年12月17日(木)

牡蠣フライと低温トンカツ


冬に美味しい物の一つに牡蠣フライがある。
牡蠣フライは大好きである。
10月の終わりに一度作ってみたが、余り美味しくなかった。
11月の終わりの牡蠣フライは満足の味であり、やはり、牡蠣は寒い季節に味が良くなるものかと思った。
なるべく新鮮な油で、新鮮な牡蠣を揚げ、マヨネーズとソース(多分中濃程度)で食べる、本当に、揚げ立ては、心から美味しい。
最近は、マヨネーズにソースに加えて、芥子も美味しいなと思う。
牡蠣フライは、ごはんと食べるのが最高、やはり、日本の食べ物かとも思う。

本によると、牡蠣フライは180度で揚げるとのこと。
180度で揚げると、油は完全に傷む。
だから、その前の週から、計画を立てた。
まず、新しい油でフライドポテトを揚げる、二度揚げで、二度目はそれなりに温度を揚げるが、相手が野菜なので、油はそれほど傷まない、それを漉して取っておいた。
次の週の日曜日、低温トンカツを揚げる、これは完全に80度程度までしか温度を上げないから、油が傷まない、その後、最後に牡蠣フライを揚げた。
この使い方は中々良かったと思う。

両方とも熱熱を食べたかったので、
(1)お昼頃、低温トンカツを揚げて、冷ましておいた。

(2)食事の直前に牡蠣フライを揚げる。

(3)まずは、牡蠣フライを大皿に盛って食べ始めた。

(4)食卓の近くにオーブントースターがあるので、それで、残りの牡蠣フライと
   低温トンカツは、なくなる頃を見計らって、オーブントースターで、表面にじゅ
   わっと油が浮いてくるのを見計らいながら、熱した。

フライは、食卓に出すとき、和紙なり、半紙をお皿に敷いて、更に衣に付いた油を吸い込ませると、尚、美味しくなると思う。
一家6人分の揚げ物をするとなると、一度に全部を温かくして出すのは、無理なので、工夫しなくてはならない。

揚げ立てをどうやって出し続けるか?
やはり、オーブントースターがあれば、できる、と思う。



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1998年12月18日(金)

海老芋


高尾のうかい鳥山で、海老芋の大きな煮物が出た。
とても美味しいので、築地で海老芋を買い求め、煮てみた。
海老芋は、里芋の親戚だろうから、里芋風に下処理をした。
(1)皮むき器でさっさと剥き、二口程度の大きさに切る。
(2)水から15分程度下茹でする。
(3)水に取って、ぬめりを取ったら、薄い紫色になってしまった。
(4)これを確か、分とく山野崎洋光の「美味しい方程式」では、煮物の基礎は
   8:1:1だから、真似しようと思ったが、私の使っている味醂は高いので、
   味醂とお酒で1にした。
(5)これで、クッキングガスマットの上で、ことこと煮含める。
   そこで、魚柄仁之助さんが言うには、煮物に味が染み込むのは冷める過程に
   おいてであることを思い出し、火を消したが、相変わらず、クッキングガ
   スマットの上に鍋を置いたままとした。
(6)程なく味見すると、とっても美味しい、私の作った煮物とは思えない出来である。

ここで、他の料理とともに、食べ手のところに出した。
お酒を飲みながら、食べたのだが、先程より、美味しくない。
冷めすぎていたのである。
お料理を出すタイミングって難しいと思った。
やはり、温かいものは、温かく出さなくてはいけないのだ。

海老芋さんは、残念ながら、我が家では受けなかった。
何でも、里芋の子芋に味が負けるそうである、里芋の親芋程度の味とか言われてしまった。
「あんたは、関西にいたことがあるから、海老芋が美味しいと思うのではないの?」だそうだ。
次の日、残りを食べてみたが、やはり、私の下には、滑らかな海老芋の食感と、穏やかなねっとりした感じが美味しいのだが、これは好みがあるのだろう。
里芋のねっとりの方が華やかな気がするが、地味には地味の美味しさがあると思う。



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1998年12月19日(土)

究極のスポンジケーキレシピ 5/5
まとめ


          型の直径   18cm   18cm   21cm   21cm
            高さ      3cm    5cm    3cm    5cm
                                      (単位:g)
          卵の量の   卵大     卵中   卵大    卵中
                    2個     4個    3個     5個
  全卵               120    200    180    250
  グラニュー糖  77.7%   93    156    140    194
  薄力粉      63.7%   77    128    115    160
  バター      17.3%    21     34     31     43
  牛乳       25.7%    31     51     46     64
  泡立て全部で(約)     5分30秒  7分10秒  7分10秒  9分30秒
       強(約)       3分30秒  4分30秒  4分30秒  5分30秒
       中(約)       1分30秒  2分00秒  2分00秒  3分00秒
       弱(約)         30秒    40秒    40秒  1分00秒

以上がだいたいの分量と時間であり、かっちり上の通りでなくてもうまく行くと思う。
今回、書いてみて、頭の中に入ったのが、卵の重さが、全卵で、大で60g、中で50gということと、私の電気オーブンでスポンジを焼くことの適温が160度であることだ。

以上が、18cmと21cmの型を使った場合の分量であるが、おおざっぱでも 大丈夫だと思う。
私の場合、5g狂うというようなことはざらだし、今後は、卵は、割って重さを計ることなく、卵の大きさにより、50(中)か、60(大)×個数で卵の分量を計算してしまおうと考えている。
何回か、やってみたが、計ろうが、計算で分量を決めようが、それ程大きな違いはない。

さて、私の問題点は、後、デコレートであるが、何かの拍子にデコレートまでうまくなるかも知れないが、当面は無理そうである。
デコレートを人から誉められるようなケーキを作りたいと自然に思うまで、当分、お預けにしようと思う。
それにしても、デパートなどに行くと、本当におしゃれで素敵なケーキが沢山ある。 見た瞬間、「私もあーいうのが作りたい」と思うが、時間が割けないから、やはり、無理だ。

スポンジが上手に焼けるかどうかは、お菓子のレパートリーの幅が広がるから、もし、作る機会があったら、積極的に、覚えると良いと思う。
(スポンジができないからと言って、スポンジ以外のケーキやお菓子作りがうまくなるかも知れない、でも、やはり、お菓子の王道というか、基本は、スポンジだという気がしないでもない。)
それに、うまく泡立て終わった生地というのは、本当にきれいなものだ。
それに、うまく焼けたときの水気の含み方も実際に見ると気持ちの良いものだ。

まだ、やり方とか、材料の配分が変わる可能性はあるが、取り敢えずは、今まで、4回に分けて、書いたのが、私の「究極のスポンジケーキ・レシピ」である。

最後に、生クリームは、粉砂糖控えめのほうが絶対に美味しい、200ccで、粉砂糖30gでも多いくらいである。
では、皆様の成功を祈って。(なんちゃって、これ、見て作ろうと思う人がいるかどうか、心配です。)



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1998年12月20日(日)

甥と私のどっちの料理ショー


「ま〜り〜、草薙君、どっちを選ぶと思う?」と甥1が聞く。
最近、甥1は、どうやらこうやら、どっちの料理ショーを見るようになったのだ。
勿論、お料理に興味があるわけではなく、草薙剛のファンだからである。
きっと、踊ったり、歌ったり、演技しているのではない、普通の美味しいもの食べるのが好きな男の子としての草薙くんを見ることができるのもこの番組の魅力なのだろうと思う。

「甥1ちゃんは、どっちがいいの?」と聞くと、「草薙くんが選んだ方」と答える。
全く!このまま大人になって、結婚したら、嫁さんにべったりで、嫁さんの実家ばかりに入り浸る人間になるのは、目に見えている、困ったものだと、苦笑する。

以前は、どっちの料理ショーが始まる数分前の、どっちの料理ショーのコマーシャルを見て、帰って行った。
9時には、自宅に帰ってお風呂に入らなくてはいけないのだ。
このごろは、「後、5分!」とか粘って、番組最初の、ゲストとレギュラーがどちらを選んだかまで見てから、すっ飛んで、家に帰るようになった。
その後、お風呂からあがって、パジャマに着替える時間がちょうど、中間ジャッジの時間のようだ。
きっと、その後もぐずぐず言って、草薙君が最終的に食べられたかどうかまで見てから、布団に入るようで、最近は、結果も知っている。

いつも始まる前に、「まりは、草薙くん、どっちを選ぶと思う?」と聞く。
肉まん対たこ焼きのときは、「草薙くんは、男の子で、お腹が膨れるような食べ物が好きだから、肉まん」と答えて、果たして、草薙くんは、肉まんを選んだ。(最後は、たこ焼きに寝返ったけれど)
クリームシチュウ対豚汁のときに、「草薙くんは、パンよりご飯が好きだから、ご飯がついてきそうな豚汁!」と答えて、またまた、当たりだった。
おばちゃんとしては、考え方の順序を教育しているつもりである。彼がどっちを選ぶかは、占いや数当てゲームではないのだから、当てずっぽうに言うのではなく、その前段をどう考えるのか、教えているつもりなのだ。
通じているかどうかはわからない。

実際に、番組を見ていなかった頃、おばちゃんは、面白がって、大袈裟に、「草薙くん、また、裏切ったわよ」と話していた。(途中で、選択を変えること)
そう言うと、甥1は、嬉しそうな顔をして、「え〜、また、草薙くんはそんなことしたの?全くだめなんだから」と、まるで、そんなことしてしまうことあるけれど、でも、いい奴なんだよな、という感じである。

番組を見るようになってから、「草薙くんは、ちゃんと味を見たから、裏切ったんだよ」と、私に弁解するようになったのだ。
彼が裏切るには、裏切るだけの正当な理由を僕は見たよ、まりも見た?という感じである。
本当に草薙くんが大好きなのだ。

最近、金曜日か、土曜日の夜に、母の家で甥1と会ったときに、ふたりで、「昨日のどっちの料理ショー見た?」「あのときの草薙くん、可愛かったね」などと、楽しそうに話すことが多くなり、回りに笑われてしまった。
いい年をした大人と、小学校2年生が同じテレビ番組に、同じ熱中度で熱心なのが面白いそうである。
でも、我が家で、私と甥1しか、この番組を見る人がいないのだ、放っておいてくれと思う。

甥1も私と、どっちの料理ショーについて話すのが楽しいらしく、水曜日の夜に会うと、「まり、明日は、早く帰ってくる?」と聞くようになった。
ビデオでは、どちらかが先に結果を知っていることになるので、やはり、別の場所とはいえ、同じ日、同じ時間に同じ番組を見た方が、次の日に会った時に、楽しくお話しできるのだ。

せっかく甥1と共通の話題ができたのに、どっちの料理ショーは年末年始にかけてお休みになってしまう。
きっと、甥1は、他に楽しいことが多いから、この番組のことを忘れてしまうだろう。
また、再開したら、思い出させようと思う。



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1998年12月21日(月)

フライド・ポテト


私は、フライド・ポテトが好きである。
それも、自分で揚げたフライド・ポテトが一番美味しいと思っている。

先日、甥たちが夕食を食べに来た時、作って出したら、甥と弟に絶賛された。
甥2は、新海苔のときは、「味付け海苔と同じくらい美味しい」と言って、おばちゃんをがっかりさせたが、フライド・ポテトのときは、はっきりと、「マクドナルドより美味しい」と断言をした。(当たり前だわよ、である。)
弟は、「今まで食べたフライドポテトの中で、一番美味しい」とまで言ってくれた。(可愛い奴、ウフフ、である)

今までも、フライドポテトを作りたかったのだが、フライドポテトは付け合わせであり、メインも同時に作らなくてはいけなかったので、揚げたてを作るのが難しく、最近は余り作っていなかった。
父が生きている頃は、父がお肉を焼いて、私がフライドポテトを揚げれば、良かったので、良く揚げたてが食べられたのだ。
今は、私以外に、「メインを作る」と言っていくれる人がいない。

それが、ハンバーグをオーブンで仕上げる方法を人から習ったので、同時並行で、フライドポテトを揚げることができるようになった。

フライドポテトを美味しく食べるには、食べ手への教育・宣伝も大切だ。
「さ、できた、揚げたてを食べよう」というときに、のろのろ、「あ、あそこに電話をするのを忘れた」とか、「あ、ソースがないわ、下に取りに行こう」なんて、やおら席を外す人間がいると、途端に美味しさが半減する。
また、このときに、私が「ムッ」とするのも、美味しさを壊す。 (ということは、フライドポテトを揚げるときには、「作り手の言うことを聞いて、揚げ立てが到着する前から、ちゃんと、席について、作り手の指示に従うよう」に、予め、教育するしかない。)

それから、「揚げたてのフライドポテトは美味しい」とわかっていて、揚げたてが出てくるのを心待ちにしてくれる人が、食べ手に最低一人はいないと、美味しくないのだ。
揚げたてを、熱いと思いつつも、口にほお張って、「おいひい!」(熱いと、「し」が発音できない)と言いながら、食べるのが、美味しいのだ。

また、世の中の傾向としては、ファーストフードのメニューにフライドポテトが当たり前になってしまったので、敢えて、家庭で作る人は少ないかも知れない。
また、冷凍食品のフライドポテトというのも人気があるようだ。
でも、フライドポテトも確実に、外で食べたり、冷凍食品より、自分で一から作った方が美味しい食べ物である。
気が向いたときに、試してくださいね。



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1998年12月22日(火)

フライドポテトの作り方


フライドポテトレシピなぞは、平凡過ぎるかも知れないけれど、書きます。

材料
じゃがいも(男爵でも、メイクイーンでも)、新しい油、塩

道具
揚げる鍋、フライを受ける網、新聞紙(嫌なら、何か、油を吸い取る紙)

1. ジャガイモを、拍子切りにして、水にさらす。
  太さは好みである。(余り、細過ぎない方がいいと思う)
2.さらしたジャガイモの水気を切って、布巾やクッキングペーパーで水気を完全に
  取る。
3. 揚げ物用の鍋に新しい油を入れて、中火で温める。
4. ジャガイモを一つ入れてみて、泡が立つようだったら、お鍋にあった量を入れ
  る。
5. ぶくぶく泡が立った状態で、ジャガイモに火を通すのだ。
6. たまにかき混ぜながら、ジャガイモが柔らかくなって、しかも、表面が少し、固
  まってきた段階で、引き上げる。
  (生のじゃがいもに火を通すのは、割と時間がかかる作業であることを、頭にお
  いておいてね)   量が多かったら、6を繰り返す。
7. ガス火を強くして、ジャガイモを入れてみて、勢いよく泡が立って、ジュッと音
  がするようになったら、また、適量を入れる。
8. 絶えずでもないが、菜箸で、かき混ぜながら揚げる。
  (均等に色が付くようにである。)
9. 表面がキツネ色になったら、揚げあがりである。
10. これを金ざるに受けて、ちょっと、油を切る。
11. その後、新聞紙等を広げて、ジャガイモを広げ、塩を振り、新聞紙の端と端を
  持って、トランポリンのように、ジャガイモを数回宙に浮かせる。
  (この作業は、塩が全体に回り、且つ、余分な油が、ジャガイモから離れるとい
  う、大切な作業である。)
  二回分なり、三回分の量があるときは、8から11を繰り返す。
  (勿論新聞紙は取り替えた方がいいし、出来上がったフライドポテトはどこかにま
  とめておく)
  8から11は、手慣れてくれば作業時間が短いので、一度繰り返しても、一度目
  のフライドポテトの味に変化はない。
  (これは、実証済みであるが、二度繰り返したことはないので、わからない。)
12. 火を止める。(これが重要)
13. これで、出来上がり、さ、急いで、食べ手のところに持っていかなくては。

  一度揚げは、全て行っておく。
一度目の揚げは、割と時間を食うので、多量に作る場合は、予め、揚げておいても大丈夫だと思うが、ま、せいぜい、2、3時間前までではないかと思う。
(半日前に一度揚げしたものを二度揚げしたことないので、わからない)
この段階で、一旦冷めても何しても大丈夫だと思う。

一度目は、ポテトに火を通すことが目的だから、柔らかくなって、回りが少し固くなればいいのだ。
これは、じっくりゆっくりで揚げる。
二度目は、香ばしく揚げることが目的であるから、二番目は、強火で短時間で行う。

一度目の揚げが足りないと、二度目の時に、色を付けるのに、時間がかかってしまう。
生のまま色がつくことはなく、ジャガイモに熱を与えると、まず、柔らかくする作業に回るようである。



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1998年12月23日(水)

グールメ・グールマン・グールマンディーズ


獅子文六という作家を知っている人はどのくらいいるだろう。
私の小さい時に、人気作家で、獅子文六の「娘と私」や、「箱根山」「大番」という小説を書いたと記憶している。

ある日、本屋で、獅子文六の「食味歳時記」という本を見つけた。
私が獅子文六の本を読むのは、多分、これが初めてだ。
もう、亡くなってから、相当経つから、私は、彼が、食べ物に詳しい人だと知らなかった。
格調が高くて、納得が行って、とても気持ちの良いエッセイが綴られている。

最近、食べ物に関する本やエッセイをよく読むが、ひいきの引き倒しだったり、割と万人が納得しない理由で、食べ物に甲乙をつけているものも少なくない。
そういう不愉快さがなくて、、読んでいると、美味しそうで、書かれいてる食べ物を食べたくなるエッセイが一番である。

獅子文六の食物に関する文章は、ひいきの引き倒しの不愉快さや心につっかかるところが全くなく、「私も食べてみたい」と思えるのだ。
無理な比較やこじつけが全くない、そうか、「格調が高い」ということは、「読んでいる人の頭に、?マークやマイナスの感情を生じさせないことかも知れないと思った。
やはり、優れた食に関するエッセイだと思った。

話しを本題に戻すと、その獅子文六の本に、食に関心ある人間の分類が載っていた。

グールメ........美食家 (味の鑑定家)
グールマン.......食いしん坊 (大食家)
グールマンディーズ...食い道楽

そして、食味歳時記の解説に、『ブリア・サヴァランの「味覚の生理学」(美味礼賛)では、グールマンディーズを「味覚を喜ばすものを、情熱的に、理知的に、学習的に愛する心」と定義している』とあった。

これを読んだ途端、私は、「グルマンディーズ」の心を持っていると思った。
(ま、私に限らず、食べることと料理が好きな人がこの言葉を聞いたら、皆、「は〜い、それは私のことです」と答えるに違いない。)
但し、その後で、日本の文壇で言ったら、村井弦齋、木下謙次郎、本山荻舟、北大路魯山人、辻嘉一、小島政二郎、谷崎潤一郎、獅子文六と具体的氏名が列挙されていた。
私がグールマンディーズと言い切るのは、大袈裟かも知れない。
でも、良い言葉を覚えた。

ちょうど同じ時期に、本屋で「魯山人の食卓」という小さな本をみつけ、読んでいる。
(北大路魯山人は、「美味しん坊」のお父さんのモデルと考えると、割と親しみやすい。)
この本は、角川春樹事務所の「ランティエ叢書 グルメシリーズ」の一冊で、他に、下記本がある。

池波正太郎 江戸前食物誌
村井弦齋  食道楽の献立
谷崎潤一郎 東西味くらべ

順番に読んでいこうと思う。

ところで、「魯山人の食卓」の中にも、ブリア・サヴァランなる人物が登場し、名前からして、これはフランスの料理の歴史に残る人物に違いなく、「味覚の生理学」なる本をインターネットで探したら、岩波文庫にありそうである。
この本は是非読んでみようと思う。

本当に食べ物に関する本は、とても多い。
読む本は、本屋で偶然出会ったか、雑誌や本の紹介や知り合いから情報を得られたものに限られてしまう。(食べ物の本こそ、『縁があったから読む』典型である。)
しかし、食べ物に関する本は量も多いが、あたりはずれも大きいというのが、私の感想である。



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1998年12月24日(木)

天皇誕生日


暮れの天皇誕生日も今回で10回目である。
師走の一日、お休みがあるのはとても有り難いと思う反面、お休みがなければ、やらないことまで、やってしまうような気もする。
私の小さいときは、家の商売が忙しかったから、クリスマスもいい加減、日曜日も休まず営業して、31日は午後11時まで店を開け、それから、がたがた掃除して、元旦を迎える。
仮に、昔、暮れに祝日があっても、我が家は、店を開けただろうなと思う。

お正月は、暮れに働いていた大人たちは、眠りたがり、暮れに退屈していた子供たちは、遊びたがる。皆の調子が合うのは、日曜日のお昼頃であった。
今は時代が変わり、個人商店も流行らなくなり、暮れと言ってもそんなに忙しくない。
淋しいけれど、有り難い。

若い頃、クリスマス、忘年会、学校・会社の友人たちは心から楽しそうに楽しんでいるのに、私は楽しめなかった。
楽しんで家に帰れば、「親が忙しいのに」という嫌味が2,3言返ってくる。
「あー、なんで、こんなに忙しい商売家に生まれてしまったのだろう」と思った。
絶対的に、心から楽しめないのだ。
親が忙しいのに遊び歩いている自分は悪い子なのか、親が忙しくない子は、そんなことを全く考えなくていいのだ。
絶対に不公平だと思った。

今でも繁華街で店を開いている家の子供はきっと、つまらないクリスマス、お正月を迎えていることだろう。

昔、暮れに楽しかったことは、前の鍛冶屋さんが、おもちつきをしたこと、それから、私の家や八百屋さんが、商品を入れてあった段ボールや木箱を、石油の空缶に火を起こして、一日中燃やしたことだ。(ゴミ屋さんを待ってられないのだ。)
その中に、サツマイモを入れてみたりした。
大人たちは、サツマイモに気を配る暇もなく、子供ができ加減を見ていたので、いつも、出来上がりは真っ黒だった。

他には、夕食は、全て店屋物になる、たいていは、日本蕎麦屋やラーメン屋のものだった。
きつねにするか、たぬきにするか、大晦日は、鍋焼きを頼んでもいいか、ラーメンにするか、タンメンにするか、ワンタンメンもいいな、とか、それはそれなりに楽しかった。

早い時間に麺類の夕食を取った大人たちは、子供たちが寝静まった頃、寿司屋から、寿司を買ってきて、夜食にしていたようだ。
朝、起きると、寿司折りと湯飲み茶碗がちゃぶ台に残っていたりした。
それを見つけると、「今度は、私も起こして」と言って、たまに起こしてもらった。
ねぼけまなこで食べる寿司は、大人の味がしたが、でも眠たかった覚えがある。

私の小さい頃は、お正月に新日本髪というのを結ってもらって、着物で元旦を迎える子が多かった。
普通の家では、お母さんが全部用意して、子供を美容院に送り込む。
我が家はそれは期待できないので、自分で去年のかんざしを探して美容院に行った。
忙しい親には、「お願いだから、前開きの下着や洋服を着せてくれ」と頼んだ。
日本髪ができあがったとき、頭から脱ぐセーターなぞ着ていたら、日本髪が台無しになってしまう。
普通の女の子に混じって、かんざしを膝に乗せ、髪結いさんの順番を待つのは、晴れがましくて楽しかった。
できあがると、自分が別人になったようでとても嬉しかった。
でも、家に帰ると、誉めてくれる人もいたが、元旦、ちゃんとした着物を着せてくれと要求すると、呑気者扱いされて、段々やらなくなってしまった。
そういう昔の悲喜こもごもの暮れや正月もなくなってしまった。

我が家の方は、皆、商売はやめていっているが、引っ越していく家は少なく、結局、子供のうち、誰かが、親の家に戻ってくるようだ。
(今年は、隣の家に長女がご主人と二人の小さい女の子を連れて、暮れに引っ越してきた。
余談だが、小さい女の子のいる家の物干場は、赤やピンクのものが多くて、干してあるものをみるだけで、華やかである。)

な〜んとなく、昔の暮れの感じを知っている人はいるのだけれど、今の下町は、昔と違い、静かな暮れでしかなくなってしまった。

暮れは静かなほうが有り難いと思うが、でも、淋しい。



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1998年12月25日(金)

ベーコン 1/2


今日はクリスマスだから、ベーコンの話しを。
(クリスマスとベーコンは直接は関係ないが、クリスマスには、やはり、洋風の話しのほうがいいかと思っただけです。)
ベーコンを作り初めて、かれこれ1年半が経つ。
1回目から成功し、止められなくなっている。
だから、やることは必ずしも勧めない、臭いし、部屋も汚れると思う。
近所に手作りのベーコンのお店があれば、そして安かったら、手作りしないと思う。
下高井戸に手作りベーコンのお店があって、買って食べてみた、肉質は今一だが、それなりに美味しかった。

また、自慢のようだが、私のベーコンは絶対に美味しい。
何故かというと、肉がいいのだ。
肉がいいから、胡椒以外のスパイスを使わず、セロリとパセリを煮出した塩水に漬け込むだけの味である。

それと、二回目以降、常に2kgで、いつも同じ分量で同じ肉屋の肉を同じ製法で作っているので、失敗がない。
ベーコンに関しては、ま、作り方が単純なせいもあるが、頭に記憶している。
食べ続けている人たちで、ベーコンに敏感な人が適切なアドバイスをしてくれることも連続成功の一因である。(連続で食べ続けているベーコン好き=肉屋のおじさんと私の弟、皆、近所の地の利だ。)

行きつけのお肉屋に一週間前に注文しておくと、ベーコンに向いたバラを見繕っておいてくれる。
詳しくは、わからないけれど、肉にも仕入れルートというのがあるようなのだ。
私のお店は、豚肉に強く、昔は、ベーコン屋さんにバラ肉を卸していたそうだ。
ふ〜ん、小売りの肉屋さんがベーコン屋に肉を卸すなんて、そんなこともあるのかと思った。
物識りの話しでは、良い肉の流通ルートは決まっており、新参者が、急に良い肉を手に入れようとしても、ルートの末端にしか行けないのではないかとのことだ、本当かどうかはわからないけれど。

そのベーコン屋に卸していたおじさんが選んだお肉を、下記スケジュールで仕込む。
1.土曜日夕方 肉を手に入れて、塩漬して、血抜きする。
  (2kgの肉にカップいっぱいの塩を入れた袋の中で揉んで、冷蔵庫に一晩入れておく)
2.日曜日、ピクルス液を作って、袋に入れ、塩を洗ったお肉を入れて、空気を抜
  き、口を縛って、冷蔵庫に保存する。上に缶詰の重石等をする。
3.水曜日くらい、上下を反対に返す。
4.土曜日の夜か、日曜日の朝、ピクルス液から肉を出して、桶に入れ、水をちょろ
  ちょろ出した状態で、最低は6時間くらい、塩出しをする。
5.その後、肉に凧糸を通して、ぶら下げるところを、上下に作り、水を軽く拭いて、
  物干しに吊るし、水気を乾かす。
  海水浴に行って泳いだ後、太陽を浴びていると、自分の肌がベトベトになるのが
  わかる、そういう状態にする。(2,3時間ですね)
6.そうしたら、燻煙だ。
それはまた明日。



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1998年12月26日(土)

ベーコン 2/2


燻製の燻し方について、物の本によると、熱燻・温燻・冷燻があるそうだ。
熱燻は、100度程度、温燻が70度から80度、冷燻がそれ以下である。
ベーコンは、温燻で、じわじわと温めて、中に火が通る温度の状態に、肉を置いておくのだ。

燻製を冬場に行うのが、割と大変である。
私の燻製は、去年の春先、電熱器を使って始め、今年のお正月に、夏と同じ調子で作ったら、全然温度が上がらず、ガスの卓上コンロに変えるまで、出来上がらなかった。
お正月用を作り終えたら、春まで休んだほうがいいと思う。
北海道の人は、冬場は絶対にできないとのこと。

私の燻製は、夜、作る。
道でやりたいが、家が建て込んでいるところであり、全て、公道か、誰かの私有地であるから、仮に駐車場など、空いているスペースがあったとしても、そこで、火を焚くのは、なんとなく気が引ける。
それに、地面で燻製をしていたら、猫と犬と人間が寄ってくるに違いない。
だから、ずっと、自分の猫のひたいのベランダで作っている。
始めは、昼間に作っていたが、煙があがるのが見えてしまうし、道を挟んだ隣の物干場に人が出てきて、匂いとか、燻製をしていることに気づく恐れがあるので、段々、夜にやるようになった。
確かに夕方燻製をしていた頃は、上の階に住んでいる妹から、「すごい匂いがした」と言われたが、夜、行うようになってからは、何も言われなくなった。
それに、夜になれば、隣の洗濯物の取り込まれ、窓も閉められる。(窓がきちんと閉まるのは、夏場、クーラーの関係でも行われるので助かる。)
だいたい、8時か9時くらいから、始める。
使う道具は、段ボール2つを組み立てたものと、電熱器かガスコンロ、温度計、金の箸(段ボールに突き刺して、ベーコンをぶら下げる。)
アルミのお菓子のふたをひっくり返したものにチップを入れて、コンロの上に置く。
火をつけて、温度計で70度に上がるのを確認して、火を弱めて、70度を維持する。
その後、自分の家のベランダの戸を締め切って、しかもカーテンは引かないで、様子が見えるようにして、部屋で違うことをしている。
キッチンタイマーを15分にセットして、15分に一度、様子を見ながら、チップを足しにいく。
だいたい燻すのは、3〜4時間で十分なようだ。
燻している間に、火のほうに向いている面を1度は反対にする。
中心まで完全に火を通したいので、チップを入れない状態で、2時間くらい余計に吊るしておく。
都合5〜6時間は、かかるので、どうしても、2〜3日間、分けてやることになる。
2,3時間70度程度の熱い空気の中でぶら下げられていたばら肉からは、油が滴り落ちるし、相当表面は、焼けている状態になっている。
これを、油を落とさないように台所まで持っていき、上の吊り戸棚の取っ手にひっかけて、冷ましてから、冷蔵庫に保管しておく。
次の日、会社から返ってきたらすぐ、冷蔵庫から出して、また、上の吊り戸棚の取っ手にひっかけておいて、なるべく室温に戻しておく。
そして、時間になったら、また、続きをやることになる。
一旦、一日冷蔵庫に入れておくと、肉から水分が浮き出てくるようで、割とうまく行くような気がする。
今回、新しいコンロを買ってきて使ってみたところ、温度は問題なかったが、どうも、熱源から、チップまでの距離が近過ぎて、チップがいい香りを出す前に、焦げてしまったようである。
余り、燻煙の香りのしないベーコンができてしまった。
この熱源とチップのお皿までの距離を調整する工夫するのが、これからの課題である。
足つきの台でもあればいいだろうが、それが見つからない場合は、石綿を何枚か重ねる工夫が必要かも知れない。

自分の家のベランダで燻製をする人の話しは余り聞かない。
多分、部屋とか窓ガラスが汚れるからであろう。
私は、6年前にある事情で、自分の部屋の壁紙を汚くしてしまったから、これ以上汚くなってもそのうちリフォームするからいいやと思っている。
窓は、隣の家と近接している窓で殆ど、カーテンを引いている戸なので、これまた、ま、いいやと思っている。
だから、自分の家のベランダで燻製作るのは、余り、勧めない。

また、春になって、再開したら、書きます。



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1998年12月27日(日)

ドミグラスソース 1/2


もしも、手間暇を考えなかったら、ドミグラスソースは手作りしたいと思う。
色々なレシピを見ると大変な作業なのだ。
でも、気が向いて、久々作ってみたら、割と成功した。
成功と言い切るのは、「すっきりした味」にできたからである。
あの缶詰のドミグラスの後味の悪さは一体どこからきているのだろう。
天然自然の材料で作れば、絶対に美味しいのにと思った。

昔、若い頃に一度作ったことがあったが、失敗した。
骨を焼かなくてはいけないのだ、で、骨の焼き方なのだが、こんがりキツネ色がいいのだと思う。
焼け過ぎても、焼け焦げが少な過ぎても良くないのだ。
昔の失敗の経験と、長年の道具の研究を合体させたら(大袈裟?)、割と簡単にできた。
やはり、時間がかかる作業だし、つきっきりで料理するのは面倒だったので、オーブンと圧力鍋とクッキングガスマットを使用した。
時間はかかったが、神経質にならずに作れたのが良かった。

今度使用したのは、辻調理師専門学校の「西洋料理の本」のレシピである。
鶏のガラ2羽と、牛スジ800gが主な材料で、出来上がり1リットルのドミグラスソースだ。
牛スジは、私の行きつけの肉屋さんで、100g40円なのだ。
ガラとスジという文字を見た途端、また、チャレンジしようという気になった。
鶏がらと合わせても、520円程度の肉・骨代で1リットルできれば、安い物だと思う。
ガラもスジもこんがり焼くのが面倒だったので、別別にオーブンの天板に広げ、油をかけ、上段において、250度で焼いた。
ちりちり音がし出してからは、オーブンから取り出し、天板を直火にかけて、仕上げた。
で、適当に焼け焦げがついた段階で、油毎、圧力鍋に移し、水を入れ、20分ほど、圧をかけて、15分程度置いておく。
他に、玉ねぎ・セロリ・人参を細かく切って、フライパンで炒め、ここで、小麦粉を振り入れて茶色くなるまで炒め、そして、トマトペーストを入れた。
(余談であるが、久久にトマトペーストを買ったら、大さじ1杯毎の袋入りになっており、使いやすく工夫されていたのに、感激した。)
これもお肉のお鍋に入れて、水を都合2リットルに増やし、ブーケガルニーを入れて煮続けた。
レシピでは、水ではなくブイヨンなのだが、そこまではできないので、鶏がらスープの素を加える。
2、3日に分けて煮続けた。
あくは、クッキングガスマットを敷いた弱火で煮続けると、油とともに上のほうに浮いている状態なので、気がつくと、取ったという程度である。
相当、粉々に煮えたので、ざるで漉す。
ざるで漉した残りにも相当、美味しそうなソースの部分が残っていたので、それをまた、鍋に戻し、水を加えて、火にかけ、ゆすぐ感じで、ガラなどについたソースを水のほうに移し、ざるで漉す、これを2回やって、ガラ等を捨てた。
本当に、ガラもスジも粉々に近くなっていた。
この漉し取ったソースに再び煮詰め、都合1リットルになった段階で出来上がりと判断した。
塩・胡椒を入れて、出来上がり。

まあまあ、ドミグラスの色に近かったし、味もそんなに薄くはないが、濃いというほどでもないが、天然自然の材料だけ使った美味しさはある。
プロのものと比べたら、それは、数段落ちるが、缶詰より数段上という感じである。
その後、雑誌でプロのドミグラスの作り方を読んだが、1か月は煮詰めるそうである。
きっと、ずっと煮詰めるのではなく、毎日火を入れて、冷ましを繰り返すのだと思う。
それを真似しようかなと思うが、煮るたびにあくが出るので、それを取り続けたら、ソースがなくなってしまいそうな気もする。
それでも、お正月までは毎日火を入れて、コクを出してみようかと思う。



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1998年12月28日(月)

万惣


東京は、盛り場毎に有名な果物屋がある。
というと大袈裟だが、銀座には千疋屋、渋谷に西村、新宿に高野がある。
(昔は上野にも鈴代という果物屋があったが、最近は見ない)

万惣は、「盛り場の有名な果物屋」とは、ちょっとイメージが違うが、神田須田町交差点にある。(確か、宮内庁御用達だと思った。)
テレビで覚えたのだが、やっちゃばは、今、大田、昔、秋葉原だと思っていたら、秋葉原の前は、神田須田町にあったそうである。
万惣という名高い果物屋が神田須田町にあるのは、その関係かとわかった。

会社に入って数年、何やかやと友人を連れて、万惣にホットケーキを食べに行っていた。
会社帰りの夕飯までの間に、おしゃべりするのに、ホットケーキは、夕飯の邪魔をせず、ちょうどいいのだ。
しかし、ここ10年以上確実に食べていない。

万惣は、ビル自体は大きいが、売り場やフルーツパーラーは広くない。
一階では、高い、高い(=とても質の良い)果物と、ジャム等を売っている。
万惣に行く前に、日本橋室町の千疋屋にも寄ってみた。
日本橋室町の千疋屋は広くて、花もケーキも売っていて、多角経営である。
万惣は、頑なに果物屋さんで、その道一筋という感じ。

2階がフルーツパーラーで、3階が、フレンチレストランである。
今回行ったのは、フルーツパーラー。
フルーツパーラーは、狭いけれど、落ち着ける雰囲気である。
上品だけれど、温かさがあるというか、温かさがあるけれど、上品というか、どちらがあたっているかわからないが、下町のモダンな老舗という感じがする。
調理場のところに、透明な冷蔵庫があり、その中に盛られたフルーツの色と新鮮さが目に優しい。

お客さんは、中年の夫婦とか、会社帰りの若い女の子に混じって、割と男性同士で来ている人も多かった。
ここが近所の会社に勤めていて、早い時間に会社を出ることができる環境にいたら、幸せよね、とも思うが、いざ、近かったら、「高いから」とか言って結構行かないかも知れない。

若い女の子がとても美味しそうなものをナイフとフォークで食べていた。
大皿からはみ出しそうな膨れて柔らかそうなケーキ色の物体である。
メニューの写真で確かめると、「フルーツオムレツ」。
内容は、スフレをクレープで包んだものとのこと、これに、カットフルーツとか、生クリームがつくようだ。
(生クリームがついたかどうだかは忘れたが、生クリームか何がしかのソースはつくと思う。)
美味しそうで食べたかったが、量が多そうなので、今度は是非、お腹を空かせてここに来て、フルーツオムレツを食べると決心して、ホットケーキとコーヒーにした。
メニューで見る限り、フルーツサンドも美味しそうだ。
フルーツパーラーに来たら、フルーツを食べたいけれど、万惣のホットケーキは本当に有名な名物で、回りのお客さんの殆どが、ホットケーキを注文していた。
地下鉄の駅にある万惣の広告写真だって、フルーツではなく、ホットケーキの大きな写真である。

数分待つと、焼き立てのホットケーキが登場する。
切る。
いつも、ホットケーキを食べるときに、切り方に迷う。
第一、放射線状に切るのが、正しいのか、それとも、四角に切るのが正しいのか。
二枚、通しで切ってしまうのが正しいのか、一枚切って食べ終わった後、二枚目を切ればいいのか、
何が正しいのか、よくわかっていない。
やはり、ホットケーキの正しい食べ方というのもきっと、あるのだろうなと思いながら、昔、ここに来たときにはどうやって切ったのかも覚えていないことに気づく。
ホットケーキを食べるなんて、本当に久し振りである。
良くわからなかったので、こうしたら、私向きかなと思いながら、切った。
まず、上のホットケーキにバターを塗り、放射線状に、上だけ切って、シロップをかける。
(何故、放射線かというと、私の口が大きいから、小さく真四角に切る必要がないのだ、放射線に切って、一口で食べられるのだ。)
フォークを右手に持ち替えて、食べる。
温かくて、軽くて飽きない味なのである。
自分で作ってもこの味は出ないわよねと思う。
焼くのだって、相当厚い鉄板に違いない、そうでなかったら、こんなにきれいなキツネ色はつかないと思う。
上を食べ終わってから、下にバターを塗る段になって、バターナイフが別についてきているわけではないから、バターについては、初めから、下のにも塗っておいたほうが良さそうだったと思う。
また、放射線状に切って、蜜をかけ、順番に口に入れて行く。
ちょうど、良い量である。

聞くところによると、ホットケーキは、戦前から、万惣の名物とのこと。
ホットケーキにかけるシロップは、シロップというより、蜜と言ったほうが適切かも知れない。
決してメープルシロップでないと思う、万惣オリジナルと思うけれど、このシロップもさっぱりしていてとても美味しい。
久々に食べて「大満足のホットケーキ」であった。
ホットケーキとコーヒーで850円。

また、先日、知人から、万惣の苺ジャムをいただいた。
ジャムも、甘さがくどくなく、飽きない甘さで、とても美味しく、お勧めだ。
(お店で値段を見たら、ジャムとは思えない値段であった。)



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1998年12月29日(火)

スペアリブの味噌煮込み


大学生の時に、奄美大島出身の友人に奄美大島の郷土料理として、教えてもらった料理だ。
本を見たら、これに、ごぼうと人参が加わったものが、鹿児島の郷土料理として、載っていた。

アレンジ版を考えて、一人暮らしの時に人が来ると、良く作り、何人かに振舞ったことがある。
それから、ずっと経ってから、「あのお料理、我が家の定番になったわよ」と言われることが何回かあった。
作り方
豚のスペアリブか、豚骨と書いてあるもの(箸でつまんで食べるので、そうできる大きさがいい、ということは、スーパーで売っている小さい切れ端ので十分ということになる、この点も中々良い)適宜
(でも、食べているうちに、手も使ったり、いいかげんな食べ方をしてしまいます。)


調味料
味噌(どちらかというと白以外の味噌が良い)
砂糖(オリジナルレシピは黒砂糖、あれば、黒砂糖か三温糖がいいと思う)
お酒(オリジナルは、確か焼酎であった)
お水

作り方
1.スペアリブを多めのサラダオイルでしっかり焦げ目がつく程度に炒め、油を
  切っておく。
2.お肉を鍋に入れ、お水とお砂糖とお味噌とお酒をかぶる程度に入れる。
  味噌は、味噌汁程度の濃さで、水とお酒は2:1程度かな?
  味を見て、砂糖は入れたお水とお酒の量の5%程度から始めて、甘さを確かめ
  る。
  塩気がたりなかったら、お醤油をぐるっと回しかけると良い。
  コトコトと煮詰める感じで、豚骨だったら1時間程度、スペアリブの肉厚だっ
  たら、1時間半程度煮る。

串で差してみて、もしくは、食べてみて、柔らかくなったら出来上がり。

このお料理の良いところは、スペアリブ料理と言っても、オーブンを使わず、オーブンを汚さないところである。
フライパンで肉を炒めるときに若干油は飛ぶが、スペアリブ料理としては、台所を汚さない方であると思う。
(でも、味噌煮込みなので、鍋は汚す)

若い人の集まりに向いている。
友達の家でも、中学生・高校生になった男の子の好物となったと聞いている。
高齢家族となってしまった我が家では現在、作れません。
でも、我が家の二人だけの若人である甥たちもそろそろ歯がしっかりしてきたので、今度、甥たちが来た時に久々作ってみようと思う。



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1998年12月30日(火)

呼び込み


呼び込みで有名なのは、アメ横である。
歩いていると、「そこの奥さん、千円だよ!」とか、だみ声の大きな声が飛ぶ。
皆、声が潰れてだみ声になって、「呼び込みのプロ」という感じだ。

築地場外も呼び込みの名人の女の子がいる。
共栄会ビルの浅田水産の女の子である。

顔やスタイルは、普通の現代の若い女性風ですらっとしていて、可愛い。
ただ、一旦、お店で口を開くと、ちゃんと、プロのだみ声である。
それもこの子のいうセリフがとても面白い。
私は気に入っていて、いつも、浅田水産で買物をするようがなくても、つい、わざと前を通るようにしている。
最近の傑作は、

「お客さん、そっち見ても、いいものはない! いいもの欲しければ、こっち見て歩かなくちゃ!」
「お客さん、幸せは欲しくないのかい?」

思わず、ブハっと吹き出して、振り向いてしまうようなことを、真剣な顔で言うのだ。
この女性は、本当に真面目に業務をこなしているのだが、天性のユーモアの才能があるのだろうと思う。

私はこの女性の隠れファンである。

人によって、上品・下品の基準が違う。
よく、「下町は下品」といわれることがある。
もしかして、このような呼び込みを下品と思う人がいるかも知れない。
私は、呼び込みのセリフが下品と思わない。
何故なら、呼び込みをしている人は自分の業務のプロとしてやっているだけのことだからだ。

山の手のお嬢様風に振る舞って、大人しく涼やかな顔をしていたほうが上品に決まっている。
ただ、山の手のお嬢様風の中には、本当のお嬢様で人間教育を受けて、周囲に対する思いやりを持っている女性もいるが、たまに、「私はお嬢様なのだから、お嬢様として扱うように」と、暗黙の態度で、周囲に強制する女性もいる。
私からすると、そういう女性のほうが下品だと思う。
上品・下品の基準は、お嬢様かどうかではないと思う。

浅田水産の女の子が、今後とも、つまらないことは気にしないで、プロとして、育つことを願っています。



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1998年12月31日(水)

大晦日


私は、31日が休みだったので、場外に行ってみた。(場内は見事全部お休み)
場外も全ての店が開いているわけではない。
お寿司屋も一軒しか開いていず、いつもは行列のできない店なのに、大晦日ばかりは、列を成していた。
大晦日、買い出し、慌ただしい、安い物を買いたい、以上の雰囲気にぴったりなのが、どうもラーメンのようで、ラーメン屋はいつもにも増して、人だかりであった。
営業していない店の前にも、台を並べて、ものを売っている人たちがいた。

私は、買いたい物が野菜だけだったが、レタス・キュウリ・トマトなどは、なかった。
それでも、どんなものが売れているのかとか、見て回り、師走の雰囲気を楽しんできた。

いくらには、特撰という金のマークがついたものとつかないものがあることを発見した。

うにを売っている店があった。
「お客さん、このうには、半端物で、壊れているのではなく、運んでいる途中で、トラックが交通事故を起こしちゃって、くずれただけのもの、美味しいよ」ということ。
「本当かしらね、でも、交通事故にあって崩れたって、よく聞くセリフ」だと思い、思わず、ニヤニヤっと笑ってしまった。

海老を売っている店に行く。
初老の夫婦が、海老を指差して、「これ、3本ください」と言った。
お店の店員が答えて曰く、「お客さん、築地に来たら、3本と言わないの。凍らせれば持つのだから、10本って言ってね、10本買っても無駄にならないから」という。
場所の雰囲気とものの言い方がうまいから、きつく聞こえない。
1本いくらと表示してあるのだから、3本買いたいと言い張っても、「あら、そうなの?でも、今日は3本にしてね、今度から、10本にするから」とかなんとか、返せば、3本でも買えると思う。(試したことはないから、そう言ったから、成功するかどうかは保証できないが、一応、聞いた方がいいと思う。)
相手が折れなくて、そして、「ま、10本でもどうにかなる」と思ったら、「仕方がないわね〜」と言って、手を打てばいいのだ。
お互い、店員と客、相対で、取引をしているのだ。
相手のいうことそのままを絶対聞かなくてはいけないなんて、思わなくていいのだと私は思う。
ここいらへんは、対等に穏やかに渡り合う楽しみと考えたほうがいいと思う。(丁々発止のやり取りは上級コースである。)
スーパーやデパートの定価販売とか、いわゆるお行儀の良い買物とは、ちょっと違うのだ。
私も若いときはスーパーでの買物の方が好きだったが、今は、個人商店で、店員さんとやり取りしながらの買物の方が好きになった。
個人商店のほうが、色々教えてくれて楽しい、但し、買物に時間はかかる。

ふらふら歩いていると、大きな四角いホーローの容器にいっぱいの小振りの海老(ブラックタイガー)を、「千円」と言っている。(品物は一つしかなかった)
思わずgetして、店員さんが袋に入れた途端、同じ容器に海老が乗せられ、新しいものが奥から出てきた。
店員の人が「おっ!」と言う。
私も心の中で、「今度のほうが量が多い気がする」と思った。
それが通じたのか、私の分と新しい海老と交互に持って、「お客さんのほうが重いですよ」というのだが、私は、「そうかしらね」という目つきであった。(そうしようと思ったわけでなく、自然と疑わしい目つきになってしまったのだ。)
私は声に出して、「代えて」と言ったわけではないのだが、私の疑わしい目つきが続いているのを見た隣の売り子のお兄さんが、「こうすりゃいいんだ」と言って、新しいほうの海老を数匹つまんで、私の袋に入れてくれた。
私の目つきは普通に戻り、心の中の「妥協成立」が顔に出て、無事取引は円満に成立した。
家に戻って、この海老の背わたと殻を取りながら、数えたら、なんと、74匹もあった。
当分、茶碗蒸しにも、うどんすきにも海老を買う必要はない。
なんて良い買物をしたのだろう、来年も大晦日に場外に行くのだと思った。



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