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「美味しい!」が好き

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1999年06月01日(火)

日本橋茅場町みかわ −八丁堀店−


天ぷらの名店は、東京に沢山ある。
よくわからないけれど、天ぷらの本場は、やっぱり東京なのだ。
江戸前天ぷらの世界があるのだ。
たいていの店は、戦前からの老舗であり、こういうお店は大変高い。
私のお気に入りは、お店としては、新しい部類に入る「みかわ」である。
早乙女さんという名人が始めたお店らしい。

場所は、茅場町駅からすぐだが、路地裏にあって初めての人にはわかりにくいかも知れない。
人によっては、路地裏で、しもたやの前に植木が並べられている風景を、下町情緒溢れるという。

土曜日に茅場町方面に行く用があり、久々みかわでランチが食べられることになった。
余り並んでおらず。「ラッキー!」と思ったのだが、甘かった。
普段のお昼は予約は受け付けないが、土日は予約を受け付けるので、今日は満席とのこと。
それでは今日はみかわの天ぷらが食べられないかと思いきや、八丁堀支店の方に案内してくれるとのこと。

道を教えてもらって、歩いて行った。
八丁堀のお店には、行ったことがないので、楽しみであった。
八丁堀の方の大通りから入ったところは、我が家の方に似ている。
碁盤の目の通りに、新しいビルと、昔からの古い家がごちゃまぜで、私としては、落ち着く風景である。
少し迷ったが、無事八丁掘店にたどり着く、本店から、だいたい5分程度の距離であった。

支店の方は、ぎっしり家が建ち並ぶ通りの間口が狭く奥が深そうな店で、両隣とぴったりくっついているから、正面しか窓や入り口がないのではないかと思う。
一歩中に入ると、落ち着いた粋なつくりになっていた。
4人用のテーブルが2つと、カウンターに7人、中二階にもテーブル席があるようだ。

すべての調度がつりあっていて、なんとなく落ち着く。
敢えて言えば、茶室の雰囲気と同じ感じの店だと思った。
余談であるが、下町の粋な店の作りというのは、茶室に通じるところが多いと思う。

カウンターの席についたが、カウンター席は、これまた、椅子がぎっしり並べられ、隣の椅子との間が5cmもない。
だからと言って、窮屈なのかといえば、なんていうのか、ここの天ぷらが好きで食べに来たいお客さんの数の多さと、みかわのご主人のできるだけ多くの人に不快でない程度のスペースでここの天ぷらを食べて欲しいという気持ちと、下町という大きい場所がとりにくい状況のちょうど折り合ったのが「椅子と椅子との間5cm」であるような気がして、納得できるのだ。

みかわと言えば、色々な有名人が推薦するお店で、もっと、広い店を構えようとすれば、いくらでもできるような気がするが、敢えて、下町の路地裏とか、狭い家を選んでいるような気がする。
もしかして、天ぷら揚げる人が一人として、その人が、神経を集中して天ぷらを揚げることのできる人数と、お客さんがかしこまらないで、気楽に天ぷらを楽しめることを狙って、下町のしもたやを選んでいるのかも知れない。

どちらにしろ、みかわのお店の広さと天ぷらには、ご主人の、天ぷらと下町のしもたやに対する美学というものがあるような気がする。
同じ下町育ちでも、私のように、ただの美味しいもの好きで、美意識のないものには、それがとても羨ましい。



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1999年06月02日(水)

日本橋茅場町みかわ −天ぷら−


みかわの天ぷらは美味しい、しかし、魅力はそれだけではなく、ランチが安くて美味しいことがある。
ランチは、1200円で、海老が2尾、イカ、きす、あなご、茄子、ピーマンに、お新香3種としじみのお味噌汁に、ご飯である。
カウンターで、目の前で揚げてくれ、揚がると、次々にカウンターのお皿に乗せてくれる。
揚げ立てを、大根おろしに天つゆを入れた小鉢に浸して、食べる。
やはり、美味しいと思う。
1200円程度の天ぷら定食は世の中には沢山あるだろうけれど、カウンターで揚げ立てを出してくれる1200円は少ないと思う。

みかわで天ぷらを食べると、魚は、刺し身とか、寿司のように生で食べても美味しいけれど、新鮮な魚を加熱した美味しさというのが、世の中には、あるのだと、実感する。
みかわの天ぷらは、小ぶりで、大きさだけを比較すると、家庭で作る天ぷらに近いかも知れない。
世の中の天ぷら屋の天ぷらは、やたらに衣が派手で、海老を大きく見せようとしていることもあるが、そういうことが一切ない。
素材の持ち味が生きるように、それを狙った天ぷらだ。

昼は、平日と土曜日は、11:30からがランチで、日曜日が12:00からであるが、土日のみ予約可とのこと。
夜は、人気のお店であるから、前以って予約しないと無理である。
一番良い席は、夜だけ天ぷらを揚げる早乙女さんの真ん前の席だとのことだが、当然のことながら、こういう席は人気があって、取るのは至難の技ではないかと思う。
私も夜に3回予約して行ったことはあるのだが、3回とも座敷で、一度足りともカウンターに座れたことはない。



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1999年06月03日(木)

日本橋茅場町みかわ −文字−


みかわの看板、箸袋に書いてある「天ぷらみかわ」は、陶芸家で東京芸術大学の 教授だった、故浅野陽さんの書いたものだそうだ。
CEFANに、浅野陽さんの息子さんがいらっしゃるので、話しをお聞きした。

なんでも、みかわのご店主の早乙女さんの修行時代に、修行先のお客さんであっ た浅野陽さんが、その才能を認め、お互いに意気投合するようになったとのこと。
ある日、早乙女さんから、「開店しますから」という話しがあり、俺にできるこ となら、と意気込んでいたところ「みかわ」と言う字お願いできませんかと言わ れたそうな。

陶芸家だから、器をつくるのは訳ないけれど、お店の看板となる字を書くとなる と畑が違うし、いったん決めてしまえば一生その看板で商売をしていくわけだし、 その責任の重さを感じ、浅野さんは、3日3晩寝ないで考えて、今の看板の「天 ぷらみかわ」という字を書いたそうだ。
ようやく改心の作ができて、「天ぷらのふに付く○が、ちょっと離れていたところにあって、油が撥ねた後のような感じがいいだろう」とご自慢だったそうだ。

みかわの「天ぷらみかわ」の文字は、この話しのとおりの字だと思う。
考えるのに、苦労したとか、神経を使ったというのではなく、柔らかさと優しさ がにじみ出ていて、人を引き付けるような字体なのだ。
人を温かく引き付けて、しかも格調があって、私はとても好きである。
「これから、初めて、自分のお店を持って、世間に出ていこう」としている友が世間で正当な評価を受けますように、それには、まず、お客さんを沢山引きつけなくてはいけない、そのための役に立ちまようにとの願いがこもった字に見える。
お客様が沢山つくには、名人の揚げる天ぷらとは言え、その名人をあらわす店・文字にも、プライドを持った中にも、思わず人を引き付けてしまうようなにこやかさがなくてはいけないのだ。

本当に、この早乙女さんと浅野陽さんは、お互いを分かり合い、お互いを思いやっ た仲だったのだろうと、想像される字である。
こんな仲良しができるなんて、両者ともさぞ幸せだったろうと思う。



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1999年06月04日(金)

鰹節を削る


私は、鰹節削り器も、ハンドルがついた簡単鰹節削り器も持っている。
ただ、全然使っていない。

頭では、自分で、削ったほうが美味しいことはわかっているが、面倒なのである。
しかし、時々、凝り性の性格の方が勝つと、鰹節を買ってきて、削ることがある。
凝り性の性格がずっと出ないで、私のメインの性格である「怠惰」が勝ちっぱなしになると、買ってきた鰹節が干からびてしまうのだ。
干からびた鰹節を削ると、粉しかできない。

やはり、削るのは、スムーズに行くと、楽しいが、スムーズに行かないと嫌になる。
確か、最後に削ったのは、2,3年前だったと思う。

鰹節を削るコツは、削り器を買う店の選び方にあると思う。
すなわち、刃の調整をしてくれるところがいいと思う。
私の場合、削り器を買ったのがデパートで、その時は、全然うまく削れなかった。
それで、諦めていたのだが、上野のアメ横の鰹節専門店で、刃の出方を直してもらったら、うまく行った。
(築地の伏高さんも削り器を扱っているようだ。)

後は、鰹節屋さんでくれるパンフレットなどを見ながら、練習すれば、すぐコツが飲み込め、割と簡単にできると思う。(そりゃあそうですよね、日本人が鰹節を削っていた期間の方が、削らなくなった期間より圧倒的に長いのだから、そう、そう、難しい筈はないのが道理です。)
私が思うには、刃のひっかかる部分にめがけて、手のひらでかつお節を押すことがポイントではないか。
ちゃんとした鰹節を削りたかったら、やっぱり、削り器のアフターサービスや使い方がわからないときに相談に乗ってくれる店で買うこととが一番だと思う。



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1999年06月05日(土)

昆布出汁と味見


先日、出汁の飲み比べというチャンスに恵まれた。
真昆布・羅臼・利尻・日高を飲み比べるなんて、できそうでできないことであり、大変、嬉しかった。

ある人は、利尻が絶対だといい、ある人は、真昆布が上等だという、はたまた、日高は出汁には向かないという人もいれば、お料理研究家の有元葉子さんは、昆布出汁は日高といい、一体何が本当なのか、昆布というのは、わけがわからない世界である。

私は利尻を使っているが、何故かといえば、色々うんちく本を読むと、日高は出汁に向いていないと書かれていることが多いし、羅臼・真昆布は、そこらへんどこでも手に入るものではなく、お値段も高めである。
ま、落ち着きどころが利尻だったから、という理由で、利尻が特段美味しいと思うからなんて、格好いいことが言えない状況で、利尻を使っている。

飲み比べてみて、一番最初に思ったのは、やっぱり、私は、料理好きではなく、美味しいもの好きなのだ、できたら、素材の時点で、飲み比べはやりたくないということだった。

余談であるが、私は小さいときから必ず、本のレシピを見て、計量スプーンで量って味付けをしていた。
これは、口にする料理が確実に美味しいことを狙っていたのだと思う。
美味しいか、美味しくないかわからないものを口にするのが好きではない、だから、味見は基本的には、嫌いなのだ。

話しはまた元に戻って、完成品の美味しいもので比べたら、きっと、楽しいだろうけれど、素材での味の評価は美味しくないものが多いし、難しかった。
美味しんぼのお父さんのように、最終段階で、いいだの悪いだの、言える身分ではないし、今後も、自力に頼らなくては美味しいものが口に入らないであろうから、この素材での味くらべにどっぷりとひたってしまおうと思う。

半年後、出汁評論家、もしくは、飲んですぐに「これは、真昆布に、薩摩本節ですね」なんて、言える私がいるかしら?(ま、無理ですが、夢を見るのは、ただですから)



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1999年06月06日(日)

祭はじまり


昨日の土曜日から、本格的に鳥越祭が始まった。
金曜日の午前中に、御酒所を作って、おみこしを倉庫から出して、きれいに飾る。
夕方からは、睦(町会役員)の団結式というか、一杯があるようである。
金曜の午後7時くらいに、街中を自転車で走ると、睦の浴衣やら、自前の浴衣を着た中年の男性が皆、嬉しそうに、そして、ちょっと照れながら歩いている風景を沢山見ることができた。
一番最初に祭が来たことの楽しさを味わえるのは、この人たちかも知れない。

どちらにしろ、祭はまた大きな音を立てて始まったのだ。
土曜日の夕方近くになり、弟が勤め先から帰ってきたので、お店番を交替し、デジカメ片手にお祭り風景を写しに行ってきた。
珍しく縁日やら、家の前の歩道や自分の家の車庫で宴会をやっているところやら、中々よい写真を撮ることができた。
面白かったのは、歩道を宴会場にして、人数も相当のものだし、炭火で焼き鳥、ガスバーナーでやきそばを焼いている家を発見したときだった。
写真を撮り、「インターネットに流してもいいですか?」と聞いた。
その宴会の責任者と思しき人が、「どこの方?」と聞くので、「○○町の森です」と答える。
そうすると、なんと、「ま、いいじゃないの、そこに座って一杯やって、食べていってよ」とのことであった。
なんて、優しい申し出であろう、思いもかけないことがとても嬉しかった。
本当に時間があったら、是非、参加して、回りの人と仲間のように振る舞いながら、炭火で焼いた焼き鳥と作りたての焼き蕎麦に冷たいビールが飲みたかったが、まだ、家は仕事しているし、もっと写真を撮りたかったので、「有難うございます、是非そうしたいけれど、ちょっと、忙しいので、」と言って、引き上げて来てしまった。
とても残念であった。
そう言えば、御輿の写真を撮っていたときも、余程おみこしが好きなふうに見えたのか、睦の人に、「写真ばかり撮ってないで、入ってかついだら」と言われた。
皆、本当に親切。(でも、ジーパンにエプロンでは、やっぱり、かつげません)

それらの写真の仕上げは、月曜日になると思う。

甥たちは、土曜日の午前は、2時限目までとのことで、早々に学校から戻り、早速、みこしだ、山車だ、縁日だと、祭気分を思う存分味わっている。
祭のときの子供って、可愛い着物や装束を着せてもらって、沢山お小遣いをもらって、縁日に何回も行ける、本当に、幸せだと思う。

余談だが、美空ひばりのお祭りの歌の歌詞を大体思い出したので、書きます。(これでもちょっと違うかも知れません)

  私の隣のおじさんは、神田の生まれで、ちゃきちゃき江戸っ子、

  お祭り騒ぎが大好きで、ねじりはちまき、揃いの浴衣

  何がこようと、ワッショイ、ワッショイ

  ソ〜レ、ソレ、ソレ、お祭りだ。



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1999年06月07日(月)

素麺を洗う


本題に入る前に、無事、今年の鳥越祭も終わりました。
無事に終わって良かったなと思います。
好天にも恵まれ、例年どおりか、例年以上に盛り上がった祭で、大勢の人が楽しそうだったので、とても良かったです。
もうちょっと時間が経ってから、祭のことはまとめたいです。

では、本題です。

素麺は出来上がりに油をまぶしてあるらしい。
だから、他の麺に比べても、茹で上がってから、ごしごし洗って油分を取ったほうが美味しい。
自己流だが、茹で上がった素麺のお湯を切り、お水を張ったボウルに入れる。
熱が取れるまで、何回かお水を取りかえるのだが、手で素麺を触れるくらいの熱さになったときから、素麺を布地に見立てて、もみ洗い、こすり洗いをする。
私はこの作業が大好きだ。

まるで、小さいとき、水遊びをしていたときのような気分になる。
今は、手で洗濯物を洗うことはないけれど、私の子供の頃には、手で洗濯することは当たり前のことだった。
小さいときの私は、夏になると、金たらいに水を張って、お人形さんの洋服を洗濯したり、空想で、沢山の洗濯物を次々と洗うことのできる有能な人になったつもりで、洗濯の真似をして遊んでいた。
(水を沢山出したり、洋服をぬらしたりして、親に怒られる遊びであったこともよく覚えている)

この素麺を洗うのは、この小さいときの洗濯遊びを思い出させてくれる。
何か、自分が一流の素麺油取り師になった気分で、ごしごし洗うのだ。
(素麺油取り師なんていうのも、架空の職業です、念のため)
茹で上がった素麺は、水で冷たくするだけでなく、「私の洗い方にかかれば、どんな素麺も美味しくなるのよ」なんて、うそぶきながら、素麺をごしごし洗うと、美味しくなると思う。



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1999年06月08日(火)

お赤飯


祭のごちそうのひとつは、お赤飯である。
出来立てや半日程度のものは、何もしなくても美味しく食べられるが、1日置くとやはり美味しくない。
蒸し直すのが一般的なやり方であるが、我が家では、油で炒めて、温め直す。
私が思うには、このやり方が一番美味しいと思う。

フライパンを熱して油を引いて、赤飯を入れる。
チャーハンのようにバラバラにならなくていいのだ。
焦げ目がつくというほどではないが、引いた油が適度に切れて、赤飯の中央部分まで温まれば出来上がり。
これにごま塩をかけて食べる。

蒸し直しより、断然美味しい。

ところで、「今年の鳥越祭の写真集」をUPしました。
わたしのHPの表紙から飛べますので、是非見てください。



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1999年06月09日(水)

昆布出汁飲み比べ


同じ時間、同じ水の量に、同じだけの昆布を入れて、味見をした。
時間が長すぎたのか、羅臼と利尻は、味が出過ぎていて、美味しいのかまずいのか、よくわからなかった。
美味しかったのは、日高の冬島と、真昆布であった。

たいていは、私は、利尻なのだが、これがいつものと同じとは言えないとは思ったが、ではどこが違うのと言っても「わからない」である。(なんか、赤ちゃんのときの甥たちのような反応しかできなかった。)

そうだ、今まで、昆布を引いた時点での味見とか、かつお節を入れた時点での味見なんてしたことなかったのだ。
まだ、一回しか、この飲み比べをしていない時点で、昆布のことを色々書くのは、気が引けるが、わかったと私が思ったことを書く。(勘違いも入っているかもしれない)

1.日高
  抽出するのに、それほど時間がかからない、そして、味が羅臼や利尻に比べて
  淡白。
  これも使いようだと思ったが、今回味見で用意された出汁類は相当上等で、普
  段私が買えないようなものばかりだったかも知れない。
  安い日高でどの程度の味が出るのかは、試してみないとわからない。

2.利尻と羅臼
  水に浸ければ、浸けるほど、味が濃くなり、しつっこくなる。
  相当、濃厚そうである。
  この特性を活かして、今度から、半分の量で、2倍の時間水に浸して使ってみよ
  うと思った。
  昆布も決して安いものではないし、かと言って、質を落としたくないので、高くて
  良いものを買い求め、プロが使う1/2の量で美味しく食べられれば、単価が半分
  に減ることになる。
  ここは、研究したいと思った。
3.真昆布
  抽出するのに、とても時間がかかった。
  何時間で味が引き出せたのかわからないが、他の3種類のように、4時間くらい
  浸けておいても、味が濃くなることはなく、あくまでも、「私は、淡白で上品」の線を
  崩さなかったのは、すごいと思うが、結局は淡白な味かも知れないとも思う。
  こうなると、一晩浸けておいたら、味はどう変わるのかとか、興味が湧く。



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1999年06月10日(木)

おいはぎ


ある日曜日の午後、私は、自分用のアイスクリームをコンビニで買い、自転車で家に戻った。
そこでやはり外から自転車で帰ってきた甥1,2とばったり会ってしまったのだ。
彼らは、「まり、喉かわいた」と私にねだる。(お菓子屋でアイスを買うお金を出せという意味)
「喉が渇いたら、自分の家でお水を飲みなさいよ、氷を浮かべたら美味しいわよ」といいたかったが、「今度ね」と言って振り切ろうとしたのだ。
しかし、しつこく、甥1が私についてくるのだ。
この子は、誰に似たのか、誰が教育したのか、そのとき食べたい食べ物を手に入れようというときに、根性がある。
とうとう、私の後ろからまとわりつきながら、人の荷物を興味深そうに見て、その中のアイスクリームを見つけ、「あ!まりがアイスを持っている」と言った後、大きな声で、ちょっと離れたところにいる弟に向かって、「甥2!まりがアイスを持っているぞ」と叫ぶのだ。

これには、参った。
黙っていると、弟が気づくまで、近所中に聞こえるような声で叫ばれてしまうし、「そんなこと言っちゃだめ」と怒るのも大人げないような気がして、思わず、「しょうがないわね」と500円渡してしまった。

まるで、やくざに絡まれた気分だった。
なんでこんなことが起きるのかというと、私をはじめ、おばさんやおばあさんは、絶対に甥たちに自分の分を分けてくれる人と知らず知らずに思い込んでもしょうがない環境で甥たちを育てたことが原因だ。
(ま、90%の割合で、正しい認識であるとは思う。)
だから、私がアイスを持っていたら、当然、自分達に分けてくれるだろうから、弟を大きな声で呼んだまでなのだ。
甥1に、全くの悪気も、何か他の狙いがないこともわかる、
でも、甥1が「甥2!まりがアイスを持っているぞ」というよく通る声を聞いたとき、チンピラが私のものを奪うために仲間を呼んでいるような感じに聞こえてしまった。
おばあちゃんの家で、おやつなぞは当然分けてあげるが、おばちゃんだって、一人で一人前のアイスを食べたいときだってあるのだ。

こんなことで文句を言ったり、お説教するのも嫌やだから、今度から、自分だけの小さなアイス1つを家に持ち帰るときには、買物袋の奥深くに入れて、絶対みつからないように、自衛しようと思う。



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1999年06月11日(金)

祭宴会色々


鳥越祭は、神田明神の地域と三社の地域の間に位置する。
神田や三社に比べたら、知名度も落ちるし、地域も狭い。
子供の頃は、三社に比べて有名でないことが嫌であったが、最近は、「有名でないから、鳥越のお祭りはいいのだ」と思うようになった。
神田や三社も基本的には、地元の人のための祭であることは間違いないのだが、多分、鳥越より、観光化されている。(場所が観光地だから)
鳥越祭の地域は、飲食店も少なく、観光客は中々来ない地域なので、お祭り参加者は、当然地元民と御神輿大好き人間が大半を占めることになる。

祭のときは、皆仕事を休み、傍目を気にせず、歩いている人から丸見えのガレージ、駐車場、仕事場を宴会場にする家が多い。
また、そういう家に知り合いのない人たちは、路上、歩道にシートを敷いて、宴会を開くことが当たり前になっている。

私が知っている中で、宴会場で抜きんでていると思うのは、「家の前の歩道にテーブルを並べ、炭火で焼き鳥を焼き、ガス火に鉄板でやきそばを焼いている」家と、「歩道で、まぐろの解体をやりながら、宴会をやっている」家である。(まぐろの解体は実際に見ていないので、本当かしらと思う。築地で見るまぐろはとても大きく、シロウトの手に負えないのではないかと思う。)
こういうことのできる家は、家の前に歩道がある家だ。

今年発見した新種は、中華料理屋の隣の日曜日でシャッターが降りているビルの前に、シートを敷いて、宴会をしていた人たちだ。
折り畳みのテーブルを2、3個置いて、宴会をしていた。
ごちそうは何かと見ると、酢豚やら何やら隣の中華料理屋の料理だった。
これだったら、出前も早いし、出来立てが食べられるし、中々良いアイディアだと思った。



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1999年06月12日(日)

祭は「賑やか」が一番


今年の鳥越は、梅雨の時期にも拘らず、土日とも晴天に恵まれた。
こんなことは滅多にない、いつもは、寒かったり、雨が降ったりする。
そんな状態のときも、絶対に賑やかなお祭りではあるが、明るい太陽の下、昼間からお酒飲んで、遊べる方が断然益々賑やかで元気で良いのだ。
祭が盛況かどうかは、好不況より、天気に関係しそうである。

祭を活気づけるものは、「太陽の光」と「祭囃子」「御輿を担ぐ声」なのだ。
来年は、音や動画をインターネットで流せたら良いと思う。

「うるさい」、「静か」という2つの価値観に、鳥越祭に発せられる音を分類するとしたら、確実に「うるさい」に分類される。
実際、祭の最中、働いている私は、「うるさ〜い」と言いたくなるときも数回ある。

我が家は、隣の町会との境に位置し、町会の中にある通りの2倍おみこしが通るのだ、また、1ブロック離れたところは、また違う町会で、御輿銀座と言いたくなる程の通りである。
祭の最中、買い物などで、鳥越祭の範囲外の地域に出ると、とても静かでほっとする。

でも、この「うるさ〜い」と言いたくなる程の賑やかさが祭そのものだと思う。
働いていも、遊んでも、買い物をしても、お料理を作っても、何をやっても、「お祭り騒ぎ」的に、賑やかになってしまうから、お祭りなのだ。
近所のおばさんが、「数年前まで、お祭りというと、2、30人も人が訪ねてくれたのだけれど、お父さんが入院したので、一度、断ったのよ。お父さんはおかげさまでまた元気になったけれど、もう、誰も来なくなってしまって、とても淋しい」と言っていた。
そうなのだ、祭に大勢の人が訪ねてきて、賑やかだというのは、家族が全員丈夫で、多少のことはあっても、家内安全商売繁盛の家が多い証拠なのだ。

来年も多くの人が、鳥越祭に来てくれますように。



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1999年06月13日(日)

たこ焼きの焼き方


祭のごちそうとして、たこ焼きの用意をして、皆で、焼いた。
前にも書いたが、たこ焼きと言えども、ちゃんと出汁を取った方が美味しい。
よくテレビのドキュメント番組で、大阪の屋台のたこ焼き屋の仕込み風景を映しては、「ここから先は企業秘密です」と、何を混ぜるか教えてくれないこともある。
屋台のたこ焼きは、屋台のたこ焼きであり、ムードで食べるものだから、決して、どこで食べてもとても美味しいというものではないと、私は思う。
屋台で食べるたこ焼きなら、別に、ちゃんと出汁を取らなくても、水に削り粉や昆布粉を入れてもきっと、商品になると思う。(実際どうやってタネを作っているのかはわからないが)

家で落ち着いて食べるたこ焼きは、お金をかけてもたかが知れている料理なので、究極を目指すのにもってこいの料理だと思う。
こういう料理こそ、研究して、美味しいものを作れるようになった方がいいと、私は思う。(また、忙しいときの手の抜き方、ここらへんもついでに考えておくといいと思う。)

出汁をきちんと取って、揚げ玉は、この前、日本橋茅場町天ぷらみかわでもらってきた大袋を凍らせてあったのを解凍し、万能葱、細切りの紅しょうがを刻んで、用意しておいた。
タコも茹でてあるし、常温で置いておいても大丈夫なものばかりで、有り難いと実感する。

さて、親戚も揃い、たこ焼き大会が始まった。
まず、タイプとして、2通りに別れた。
屋台のたこ焼きを見ると、「どうやって焼くのかしら」とつい見入ってしまうタイプだと自認している人は、やはり、うまかった。
たこ焼き屋を見ても、そういう興味が湧かない人もいて、その人は、やはり、「どうやってやるのかしら?」というイメージトレーニングができていないことが判明した。
やはり、お料理が好きな人は、自然と、「自分が焼くときには、どうやってやればいいかしら」と、つい、たこ焼き屋さんの手元を見てしまうのではないだろうか?

従姉妹の一人が大変上手であった。
見事に、真ん丸く焼き上げるのである。
このコツは、何かしらと、じっと見てしまった。
私の場合は、どちらかというと、半分まともな球体で、残りはいい加減であった。
よく見ると、私より、たこ焼きをひっくり返すタイミングが早いのだ。
鉄板に接しているところに、膜ができたくらいでひっくり返すのだ。
なるほど、タネが余り固まらないうちにひっくり返せば、後から焼く面にも、どろどろのタネが沢山あるから、うまく球体になってくれるということを発見した。
私の場合は、念には、念を入れて、膜が割りと固くできるまで、焼いてしまっていたから、ひっくり返す頃には、どろどろの部分が少なく、ひっくり返した時点でタネが下に落ちないので、真ん丸にならなかったことが判明した。

もう一人、従姉妹の子供も上手であった。
「私は、こういうはみ出したところが気になるの」ということで、千枚通しをこまめに動かし、鉄板のへり(窪んでいないところ)についたタネの残りを、真ん丸のたこ焼きの中に入れていく。
なるほどね、彼女が作ったたこ焼きも上手だったけれど、焼きあがった後、鉄板が妙にきれいなのだ。
今までの自分の怠惰を反省する。

そうこうするうちに、たこ焼きは、全て焼きあがり、大変好評であった。
たこのほかに、6Pチーズをコロコロに切ったものと、ベーコンの細切りを入れて出したが、チーズとベーコンも好評であった。

ポイントは、小麦粉:出汁が1:4であることだと思う。
外はカリカリ、中はトロトロのたこ焼きに、大満足で、全員、「たこ焼きは、自分の家で焼くのが一番美味しい」という結論に至った。

もう一つ新しい発見もあった。
世の中には、たこ焼きに、マヨネーズをかけない方が好きという人がいるのだ。
マヨネーズは、お好みで、使うようにした方が良さそうである。

たまに、色々な人と料理をすると、新しい発見があって、楽しい。
また、近々、たこ焼きを焼いてみようと思う。



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1999年06月14日(月)

祭買い出し独り言


この前の祭の土曜日、朝早起きして、築地に行った。
築地を歩きながら、つらつら、宴会の料理を考える。
できたら、美味しいものを出したい、だから、築地を歩いている。
美味しいものを短時間で作るには、一度は、作ったことのある料理の方が安全だ。
宴会料理となれば、量も異なるし、大量に初めての料理を作るのは、無理が大きい。
また、今まで、作った中で、自分が美味しかったものを作りたいと思った。

築地を歩きながら、この「自分が美味しいと思ったものを、あるタイミングで再作成すること」というのは、思いの他、難しいと悟った。
何故なら、日本には、四季があり、旬があるのだ。

私が皆に食べさせたいなと思う料理、例えば、焼きがきだ、これは冬だから可能なのだ。
場内を見渡すと、6月初めには、「岩がき」というものは出ているが、大人数に出せる値段ではない。(それに、私自身、食べたことがない食材である)

春先に、赤目を白煮したら、とてもうまく行って、これも出したいと思ったが、この季節、赤目は、ないようである。
今の季節だったら、鮎がいいかも知れないが、やはり、全員がバラバラにやってくる祭に、どのタイミングで鮎を焼けばいいかも難しい。
冷めた鮎なんて、会社の宴会で食べれば、十分だ。
鮎だって、落ち着いて焼かなければ、せっかくの素材を台無しにする可能性も大きい。

ま、祭の宴会は、熱いものを熱く、冷たいものを冷たくして出すこと自体が無理だから、そこまで考えなくてもいいのかも知れないけれど、やっぱり、焼きがきなぞ、皆に食べさせたかった。

なるほどね、日本料理の板前さんというのは、日本料理を作ると言っても、四季折々、調達できる素材で、季節に合った料理を作っているのだと、実感する。

シロウトがこれを真似できるかといえば、毎日、家で料理をしている人ならできるかも知れないが、私のように、土日料理人では、その道のりは、遠い。

もし、「お料理が得意」と言いきりたいのだったら、四季それぞれでの得意料理を持ち、また、季節に左右されないメニューも仕込んでおかなければね、と思った。
日本料理の本で、四季別に出されているものがあるが、あれは、あれで、絶対的に価値がある行為だと、また、納得する。

そうなると、やはり、魚・野菜は中々難しく、肉になってしまうのだ。
焼き鳥、から揚げ、ソーセージやハムの盛り合わせ、チーズなどがいいのかも知れない。

来年は、この線で行こうかなと思いながら、築地から帰ってきた。
または、思い切って、鉄板を出して、上野のコリアンビレッジで焼き肉用の肉を出してしまおうかな、とも思う。
常温で置きっぱなしの料理より、出来立ての方が絶対に美味しいから。
ま、これから先は、せっかくお祭りが終わったのだから、来年になってから、考えることにしよう。



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1999年06月15日(火)

絞り出し袋


最近、生クリームを買うと、使い捨てのビニールの袋と絞り口が付いてくることが多かった。
これらを付けてくれるより、安くしてくれたほうが嬉しいと思うのは、私だけだろうか?
私のデコレートするケーキは、絞り出し袋を使うようなことがなかったので、溜まってしまった。
それで、シューを絞るときに、このペラペラビニールを使ったら、やはり、やりにくいのである。
ビニールの袋だから、こしがない。
重たいシュー生地を入れると、へな〜となって、入れにくいのである。
生クリームと違って、重いし、フードプロセサーからゴムべらで移すのは、割と時間がかかり、片手で制御している絞り出し袋がしっかりしていないので、シューのタネをかき集めている間に、袋がヘナ〜となり、やりにくいのだ。

プロフィットロールを作るときには、一昨年の合羽橋道具祭で、川崎さんで、5枚500円で買ったしっかりした布の袋が残っていたので、それを使ってみたら、やはり、やりやすかった。
袋の太いほうから半分くらいを中表にして、少しずつタネを入れるのだが、入れている途中で、袋の開き具合などが、タネの重さの影響を受けないのだ。
そして、入れ終わって、使うまでの間、タネを入れてきた口を洗濯ばさみで留め、ひっくり返して、そこらへんに置いておくということもできた。
やはり、料理するには、ちゃんとした道具を使わなくてはと思う。

余談であるが、春頃から作るスポンジケーキは、ことごとく、粗くできてしまった。
料理本に書いてあるように、卵を泡立てるときの温度を、夏は35度程度(冬は40度)にしないと、泡立てが粗くなってしまうようだ。
まだ、夏ではないとたかをくくって、40度まで、温めていたことが敗因であった。
まだ、暑くない季節に35度だったら、真夏は、何度なのだろう。



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1999年06月16日(水)

プロフィットロール


お祭りの準備をしているときに、手軽に食べられて、人数の増減に対応できるお菓子を作りたいと思った。
スポンジは、落ち着いて作らないと、うまくできない。
シフォンは、去年出してしまった。

それで、いつもは、見ないイタリア菓子の本2冊を見てみると、同じお菓子が載っていたのだ。その名は、「プロフィットロール」。

簡単に言うと、プチシューを焼いておいて、カスタードを詰めて、冷やしておき、最後チョコレートソースをかけるのだ。
これが、「ザ・イタリア菓子」なんて、全然思わなかった。
ま、チョコレートをかけてあるものは、食べたことないけれど、確かに、「プチシュー」で、日本にだって、沢山ある。
きっと、ヨーロッパ中プチシューはあるのだけれど、きっと、イタリアでは、どこにでもある定番おやつなのかも知れないと思う。

一見、面倒くさそうで、実は面倒なのだが、分けて作ることができるところが気に入った。

1.2,3日前
  シューを焼いておく。
  これは、フードプロセサーを使って作ると、失敗がなく、「私って天才」なんていう
  調子でできる。
  2回に分けて焼いたのだが、難しいのは、皆、同じ大きさに絞ることである。
  慣れないとできないことなので、それは諦めて、色々な大きさがあった方が、皆
  のニーズに合うとでも考えたほうが幸せかも知れない。
  焼きあがって、冷めたら、ビニール袋に入れ、口を固く縛り、湿気を帯びないよう
  にしておく。(なんだったら、この段階で、切れ目を入れておいたほうがいい)

2.前日夜   カスタードクリームを作る。
  私の場合、久々作って失敗し、だまができてしまった。
  しかし、漉したので、どうにか、まあまあ滑らかになった。
  これに、生クリームを6分立てしたものと同量合わせるのだ。
  できたカスタードは、どうみても、ふわっとしていない。

3.当日のお客さんが来る前   カスタードと生クリームを和えて、絞り出し袋に入れ
  て、シューに詰める。
  詰め終わったら、お皿に山盛りにして、ラップをかけて、冷蔵庫に入れておく。

4.出す前   スイートチョコを削っておく(これはいつやっておいても良いことである)
  チョコと同じ量の生クリームを小鍋にかけて、温め、沸騰直前まで持っていく。
  チョコを入れてかき混ぜて溶かす。
  全部溶けたら、プチシューの上からかけて、できあがり。

フォークも何も出さず、手でつまんで食べてもらった。
「美味しい」と言ってくれたので、助かった。
ただ、子供たちは、お腹がいっぱいなのか、欲しがらなかった。
もし、見てくれの問題だとしたら、かかったチョコレートの色が黒っぽいので、美味しそうに見えなかったのかもしれないと思う
今度は、もうちょっと研究して、プチエクレアにしてしまおうかと思う。
この方が食べよいと思う。

また、このプロフィットロールのプチシューだが、焼く時間が30分で、通常のシューより長く、割と濃い目に焼ける。
そのせいかどうか、カルピスバターの味が生きて、とても美味しかった。
細かい作り方は、また、今度。



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1999年06月17日(木)



初夏の鮎は、美味しい。
聞いたところによると、鮎には、現在、養殖・天然仕上げ・天然の三種類があるそうだ。
天然仕上げは、養殖で育てていた鮎を、出荷の前のある期間、天然環境に移して、天然の感じを出すやり方らしい。(妹に話したら、「また、野生に戻って伸び伸びと暮らせると思ったら、すぐに食べられて可哀相」と言っていた。深く考えると本当にそのとおりだけれど、美味しいほうがいいから、気にしない。)
色などでも見分けられるらしいが、頭が大きいのが天然で、頭が小さいのが養殖だと覚えても大きな間違いはないと思う。

去年から、築地場内で、鮎を買うようになった。
魚屋さんで買ってもいいのだが、高いし、一度築地でまとめ買いをして冷凍もしてみたが、冷凍しても十分美味しかったのだ。

今年も買ってきたが、買っった後、食べるまでが心配である。
何故なら、築地場内は、全てが高級品であるわけもなく、買い手がそこらへんの事情を知らなかったり、品物を見る目がない状態で、買物をした場合、思っていたより、グレードの低いものを買ってしまうことは、十分に有り得るのだ。
いっぺんに11匹買ったのだから、外れたら、当分、「外れた」と思いながら、毎回、鮎を食べなくてはいけない。
(ということは、毎週食べるわけではないので、今年の鮎のシーズンずっと、外れた鮎を食べることになる、これは、辛い。)

夕方、一回分を焼いて、残りは凍らせた。
母に焼いてもらって食べたら、ちょっと、はらわたが苦かったが、全て新鮮で、全部(頭と背骨と尻尾を除いて)食べられて美味しかった。
純粋養殖物だと、はらわたを食べる気がしない、美味しくないのだ。
(そう言えば、築地で鮎を買った後に、「四十万川の天然鮎」を売っている店を発見してしまった。
値段は、天然仕上げの倍はしなかった、先にこちらを見ていたら、買ったのにと残念である。)

今年初めてだったので、食べ方を忘れており、塩焼きをそのままムシャムシャ食べてしまった。
途中で、「そうだ、酢醤油だ」と思い出して、酢醤油で食べたが、酢醤油をつけない美味しさもあることを発見した。

当分、美味しい鮎があって、嬉しい。



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1999年06月18日(金)

東京駅八重洲北口 中華料理 天山


MLの人たちと、夏に食べたい食べ物の話しをしていたら、突然、回鍋肉片(ホイコーロ)が食べたくなってしまった。
あのお味噌の味でまとめられた甘いキャベツと豚肉が食欲をそそるのだと、思ったら、早く食べたくなった。

ちょうど、日本橋にいく用があり、天山に行った。

普通、ターミナル駅の回りの食べ物屋は、美味しくないのだが、(と、決め付けるのは危険ですね、知らないだけかも知れませんが)東京駅周辺は、駅が巨大過ぎて、いわゆる旅の途中の人が慌ただしく食事をする店は、駅や地下街が吸収しており、また、東京駅周辺が観光地というより、ビジネス街であるため、そして、すぐに日本橋という昔からの商業地があるため、ちゃんとした美味しいものの店が多い。

天山もその一つである。
夜は高いけれど、昼のランチがお勧めである。

1000円、1300円、1600円、2000円という価格帯に、それぞれ、4種類くらいの中華料理が用意されている。
ランチだけでも16種類というのは、ほんとうに、店の大きさを示していると思う。
季節が合えば、ランチに、渡り蟹もブラックビーンズ炒めなどもあり、昼から豪勢だわねと言いながら、本格的中華が食べられるのだ。

内容は、値段が上がるに連れて、食材が良いものになっていく。
私が食べたかったホイコーローは、勿論、一番安いもの。
それに、ご飯(おひつ)とスープ、ザーサイとミニコーヒーがつく。

ここのランチの一皿は、大食漢の男性でも多いくらいの量なのだ。
以前、この近辺に勤務していたときは、4,5人から10人で連れ立って行き、好きなものを取り合って、お皿を回して食べた。
まるで、中華の宴会のような感じになる。
きっと、お店もその線を狙って、一皿の量を多くしているのだと思う。
大勢で行けば、ランチで、色々な中華料理が食べられるから、大勢で行くのがお勧め。

住所を控えてくるのを忘れたが、東京駅八重洲北口を出て真っ直ぐ進み、国際観光会館の前の信号を渡って、左に曲がり、直進。
駅からすぐです。
右手のビルの看板を見ていると、数軒目に、「天山」の文字が見えてくる。(三井信託銀行の入っているビルの地下だが、三井信託銀行は、1Fから、撤退したようだ)
そのビルの地下にあります。



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1999年06月19日(土)

知的発言


「まり、僕ね、テレビマガジンとテレビくんもほしいのだけれど、漢字辞典も欲しいの。
買ってくれる?
学校の先生が持っている漢字辞典て、どうしてその漢字になったのかが書いてあるんだ。
面白そうだから、僕も漢字辞典が欲しいと思ったの。」と甥1が言った。

これを聞いて、おばちゃんは、心の中で大喜び。
この甥の発言の中には、赤ちゃんではできない「知」に繋がる部分が二つ含まれているのだ。

1.既得権は確保しながらも、新しいものをねだる。
  「毎月、弟と一緒に買ってもらっている雑誌類を買わない代わりに、辞典を買っ
  てあげる」なんて、おばちゃんから、言われないように、防御をすることを忘れ
  ていない。→大人っぽくなったね。

2.初めて、漢字のような抽象的なものに対する興味を示した。
  今まで、甥1が関心を示したのは、ヒーローもの、うりなりに代表されるお笑い
  物、どっちの料理ショー的食べ物である。
  それが、生まれて初めて、誰に強制されたわけでもなく、自分から、学校の勉強
  関係で、しかも、抽象的なものに対して「面白そう」と言ったのだ。

「買ってあげる、買ってあげる。おばちゃんはもうすぐボーナスだから、買って来てあげるよ」と即座に喜んで答えた。

一緒に、神保町に買いに行こうよ、学校の先生に「なんていう出版社から出ているなんていう漢字辞典か聞いておいで」という申し出は、直ぐに断られてしまった。
なんでもいいから、漢字の謂れが書いてある小学生用の漢字辞典を買ってきてくれとのことである。
(まあ、この際だから、ものぐさには、目をつぶろう。)
甥たちが帰ってから、「やっぱり、勉強の嫌いな子でも、諦めずに学校に通わせておくものだ、いつの日か、勉強に興味を持つようになるものだ、良かった、良かった」と皆で喜んだ。

言われてみれば、私も小さいとき、小学生用の漢字辞典を持っていて、それを眺めるのが大好きだった。
その他に、我が家には、おじさんがいて、おじさんが小さいときに買ってもらって、その後使わなくなった毎日小学生年鑑という古い百科事典的な本があったので、暇なときに、それを眺めているのが好きだったことを思い出した。
それを思い出し、次にあったときに、甥に、「植物図鑑とか、動物図鑑も欲しくない?」と聞いたら、即座に「いらない」と断られてしまった。
とにかく、小学校3年生でも読める漢字辞典を買って来いとのこと。

隠れ教育おばさんとしては、やっぱり、甥たちが、やることなくて、暇というときに、なんとなく眺められる子供用の図鑑とか百科事典があるといいかなと思うので、やっぱり、断られても、面白そうなものを探しておこうと思う。



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1999年06月20日(日)



「ウェ〜ン、ヒク、ヒク」と甥1が泣く。
日曜日の夜、父親に急に「明日から、柔道に通え」と言われたのだ。
甥1は、月曜日の放課後、公園で友人と遊ぶつもりであったのに、その予定を変更するのが、嫌で泣き出した。

野次馬の回りは、どう考えても、習い事を優先させた方がいいかなと、甥の父親の見方をする。
「一回くらい公園で遊ばなくても、死なないわよ」との声が飛ぶ。
「僕は、だめなの!」と甥1。
私も、つい、「お父さんの言うこときいて、柔道に行ったら?」と、つい、口走ってしまったのだ。
甥1は、泣きながら、語気を強めて、「まりまで、そんなことを言ってはいけないの!」と言う。
(ぼくに命令をしてもいいのは、お父さんとお母さんだけで、他の人は、皆、僕の見方をしなくてはいけないの!という感じだ。)
その言葉に、オロオロする私。

そうか、そこまで、公園で友達と遊ぶことを楽しみにしているのなら、お父さんとの関係を大切にしながら、見方してあげなくてはと、思った。

あくまでも、甥の親は、「柔道に行け」と言う。
なきじゃくる甥1。

「柔道習うのが嫌やと言っているわけではないのよね? 木曜日からは行くわよね?」と、甥1の背中を撫でながら、私が加勢する。
甥1は、ヒクヒクしながら、うなずく。
そんなことが続き、ようやく、甥1の父が譲った。
思わず、「甥1、いいお父さんだね、甥1がどうしても嫌だということはやらなくていいって言ってくれたわよ。だから、甥1も、どうしても嫌やでないことは、我慢してやりなさいよ。世の中、ぜ〜んぶ、甥1の思う通りに行くことはないのだから」と、言う。
相変わらず、ヒクヒク言いながら、うなずく。

そのとき、すかさず、妹が、甥1の口に氷を投げ込んだ。
甥1のヒクヒクが止む。
氷の効果は、不思議なのだ、甥が赤ちゃんのときから、何かの拍子に泣き出した時に、氷を口に入れてあげると、落ち着いて泣き止むのだ。
妹が甥1の口に入れた氷は、小学校3年生になっても、精神を安定させることに有効であることを教えてくれた。

きっと、甥1は、甘ったれで、これからも、おばあちゃんの家で泣くであろう。
その度に、口に氷を入れて、何歳まで、有効か、実験してみようと思う。



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1999年06月21日(月)

苺のへた取り


私のお気に入りの一つに「苺のへた取り」がある。
値段も400円程度と手頃。
私は便利だと思い、合羽橋オフのときなぞに、人に勧めるのだが、未だかって、私の勧めに乗った人はいない。

苺のへた取りというネーミングが良くないのかも知れない、「料理用ピンセット兼鋏」というイメージが湧く名前にすれば良いと思う。

どこが便利かというと、まず第一に、苺のへたを取るとき、手で取ると、爪が真っ黒になってしまう、包丁で切ると、完全には取りきれないという欠点を補ってくれるところだ。
他にプチトマトのへたを取る時も役に立つし、この前なぞ、さくらんぼの種を取るときも役に立つ。

どうやって種を取るかといえば、尖っている先で、さくらんぼに十字に切れ目を入れた後、ピンセット部分で、種を挟み、引っ張り出すのだ。

平たい先が、鈍い刃で斜めになっている、しかも先が尖っているので、何かと便利。
網の上で茄子を焼いた場合も、刃先で、筋を入れた後、ピンセットとして、皮をつまめば、熱い思いをしないで、皮をはがすことができる。

なんで、これが流行らないのかよくわからないけれど、お勧めです。
合羽橋おかしの森で売っています。
そのうち、「私のお気に入りの道具たち」という写真集を作るまで、写真は待っていてください。



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1999年06月22日(火)

ポテトチップス


甥2が、突然、「僕が遠足で採ってきたじゃがいもで、ポテトチップスを作ってくれ」と言い出した、それも、のり塩味がお気に入りとか。

言われてみれば、今まで、ポテトチップスを作ろうとか、自分で作りたいなんて、考えたこともなかった。
あの薄さ、どう見たって、家庭向きではないのだ。
実際、レシピを見たことがない。

しかし、甥2のたっての願いだから、CEFANで、作り方を聞いて、やってみた。
私の浅薄なところで、詳しく聞けばいいのに、あまり詳しく聞かないで作ったら、やっぱり失敗した。

何故、細かく聞かなかったというと、じゃがいもを薄くスライスする道具が一つしかなく、手で薄く切るつもりがなかったので、その道具でこなせないようなことを教えられても困ってしまうからだったかも知れない。
で、その手動の機械で、1.5mmの薄さに切り揃えて、下処理をして、低温で揚げたのだが、何か、紙のように揚がってしまうのだ。
市販のポテトチップスだって、もうちょっと、デコボコしていて、美味しそうな揚げ上がりなのに、私のは、まるで、ワンタンの皮を揚げたような感じの薄っぺらになってしまった。

かじってみると、ポテトの味がしない、ただ、何かを揚げたという感じだけしか、舌に残らなかった。

いつも何気なく食べている市販のポテトチップスではあるが、あれは、あれで、メーカーの万人に受ける味だの、かじった場合ポテトの味が残る薄さは、何mmなのか、油は何が美味しくて、酸化しないのか、なんて、研究の成果なのだなと、しみじみ思った。

ポテトチップスを大量に揚げるには、相当時間がかかりそうなので、再チャレンジはしない予定。



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1999年06月23日(水)

ハンバーガー 1/2


ペリカンのバーンズが美味しいのは、定評がある。
浅草ジローというところのハンバーガーは、ペリカンのバーンズだから、美味しいといわれている。
DMで、自宅で食べてもバーンズが美味しいという話しをいただいた。

土曜日に買いに行ったら、バーンズは、午後からとのことで、予約しておいて、後から、取りに行った。
バーンズは、普段、お店の棚には出ていないようで、「ありますか?」と聞くと「あるだの、ないだの」応える裏メニューのようだった。
お店の人に、バーンズが欲しいというと、「あ、『まる』ですね」という。
このまるという直接的なあだながとても可愛い。

作り方
  1.適当にハンバーグのタネを作っておく。(6個作るとして、合挽200
    gで十分)
  2.デミグラスソースの缶詰を少量を水同量を入れて温めておく
    (ここが改善の余地あり)
  3.レタスとトマトとタマネギを適宜切っておく
    (レタスは、水にさらして、手でちぎる、トマトは、皮を剥いて輪切り
     して、種を取る。タマネギは薄くスライスして、新でない場合は、さ
     らす)
  4.バーンズに切れ目を入れておく
  5.ホットプレートを温め(ま、高温)、バーンズを180度に開いて鉄板に置く。
    ハンバーグのタネの6等分も平べったく伸して、ホットプレートに置く
    我が家のホットプレートでは、半分で、バーンズ3つ、半分でハンバー
    グ3つが焼けて丁度良かったです。
  6.バーンズもハンバーグも焼けたらひっくり返す
  7.やきあがったバーンズの上に、デミグラスソースを塗ってタマネギを置
    き、ハンバーグ・レタス・トマトを置いて、お好みでトマトケチャップ
   ・マヨネーズなどを塗って、出来上がり。
  8.かぶりつく

はっきり言って成功。
焼き立て・ペリカンのバーンズの勝利だと思うが、他のバーンズでは作ったことがないので、よくわからない。



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1999年06月24日(木)

ハンバーガー 2/2


「ハンバーガーを自分の家で作る」ことは、世間一般、割と発想しないことかも知れない。
家で作らなくても、マクドナルドだ、モスだ、なんだらで、世の中、ハンバーガーは、簡単に手に入る。
また、バーンズを普通に売っているパン屋も余り見たことがない。
実際に作ってみて、家で作った方が美味しいし、思ったよりも手間がかからないから、「お勧め」と思ったが、やはり、バーンズの良いものが手に入るかどうかが一番大きい問題だ。

その他、小さい問題では、缶詰のデミグラスがある。
2倍に薄めて温めたけれど、あまりにおいしくなく、イカリのお好み焼きソースを足してみた。
それで、まあまあとなったが、やっぱり、物足りないのだ。
自分でデミグラスを作るのは、とてもとても大変だし、美味しくて手軽なテミグラスはないのだろうかと思うけれど、この問題というのは、デミグラスの缶詰が出てからずっと、解決しない問題であるように覚えている。

モスのように出来合いのミートソース缶を使うのも手かも知れない。

妹は、生野菜が多くて、ウェンディーズのハンバーガーのようだと、はじめ、1つで十分だと言っていたくせに、実際に食べたら美味しくて、2つ食べた。

この前、浅草ジローに行って有名なハンバーガーを食べて、美味しかったけれど、ハンバーガーの中のマカロニと普通のウスターソースは、改良した方がいいなとずっと思っていた。
(営業方針だし、その方が美味しいという方が沢山いらっしゃるから、あの形に なっているのだから、あれはあれでいいと思うし、けちをつけているのではない)

私の好みは、やはり、デミグラス系統のソースと生野菜たっぷりだ。
ジローで、ハンバーグがチリチリ焼ける音を聞いたり、御徒町ライフで、ドッグ パンをオーブントースターで温めるのを見ているうちに、ホットプレートで作っ たら、簡単かもと思っていたらしい。
それが、ペリカンのバーンズが美味しいという情報に反応して、その考えを実践してしまった。

ハンバーグもバーンズも焼くのにそんなに時間がかからない割にはとても美味しいから、小人数のときの、楽しいランチに良いと思う。(チーズも用意して、チーズバーガーも美味しいと思う。)



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1999年06月25日(金)

デロンギ


去年の夏、合羽橋吉田菓子道具店で、デロンギのアイスクリームメーカーを購入した。
購入時には、「きっと、真冬に暖かい部屋でアイスを食べても美味しい」と思ったのだが、いざ、冬になると、冷たいものを作ろうという気が起きなかった。
半年近く、置きっぱなしだったのだ。

6月の初めに、出してみたら、なんと、内側にぽっかり小さな穴が空いて、保冷液が漏れているではないか。
購入時にパンフレットを読んだ時に、保冷液は、身体に有害と書いてあったのだ。

「確か1万5千円したのだ、これが、ひと夏で終わりなんて...」と思うと、目の前が真っ暗になる。

確かに掃除をして、ビニール袋に入れて、台所の片隅に置いておいただけだ。
物知りによると、アルミならば、酸や汚れで、金属に穴が空くことはあるが、アルマイトの場合はないそうだ。
しかし、アルマイトに穴が空いてしまった。
しょうがないので、Yahooで、「デロンギ」で検索してみた。
ラッキーなことに、デロンギは、ホームページを持っており、修理のページもあった。
そこに、症状を書いてメールした。

次の日には、返事が来て、取り替えてくれることになった。
私のように、普段働いており、職場から私用の電話も中々かけられないものにとって、HPがあり、メールで連絡を取り合えるメーカーは、どんなに有り難いか。



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1999年06月26日(金)

レジ


我が家は、商売を行っているから、レジがある。
甥たちは、赤ちゃんの時から、大人たちがレジを打っているのを見ていた。
赤ちゃんや子供は、反応する機械が大好きであるから、当然、レジにも興味を持っていた。

甥1は、最近、おばあちゃんがちょっと外出する間、お店番のアルバイトをするようになった。

そのときに、お客さんが来ると、甥1は、レジを打たなくてはいけない。
1種類1個の物を買ってくれれば、甥1でも、レジを打つことができる。
多種類複数の物になると、○×△+●×◆+...をレジでこなさなければならない。
最初の頃、これができなくて、レジのところで、お客さんに検算してもらいながら、たどたどしい字で、紙に120×3=360、360+100=460と書きながら、お金をもらっていたようだ。

それでも、商売ができたと、皆誉めた。
しかし、本人は、満足していない。
静かに落ち着いた、しかも遊びではないという表情で、「どうしたら、レジが使えるようになるの?」と、おばあちゃんにきいていた。
その後、おばあちゃんに習ったのか、回数を重ねたのか、2か月後には、大人がレジを打つのと同じくらい、上手になり、お客さんに手伝ってもらわなくても、計算ができるようになったようだ。

甥1の場合、そんなに勉強の好きな子ではないし、算数は苦手なのだ。
算数は嫌いだけれど、回りの大人が普通にできることを自分ができないことは、もっと嫌いなようである。
かけて足して、かけて足して、が、できるようになって、おばちゃんもひと安心だ。
1年生のときに、「学校で何が楽しい?」と聞くと、「休み時間と、給食当番と、図画工作」と答えていた子が、かける足すが、まあまあのスピードでできるようになって、良かった。



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1999年06月27日(日)

冷やし中華 1/2


冷やし中華の季節がやってきた。
我が家の冷やし中華には、2つの食べ方がある。

一番オリジナリティが高いのは、父親風である。
これも生きているうちに、ちゃんと習えば良かったと思う。
特徴は、調味料を予め火にかけて混ぜるということをせずに、お皿の上で混ぜるところと、豚挽肉を使うところにある。

★冷やし中華父親風

具は、キュウリ・ハム・卵焼きの千切り
他に、豚挽肉をお醤油とお水(もしくはスープの素を入れる)と少々のお砂糖、お酒を入れて、炒って、冷やしておく。(ここの味加減・水分の残し方が良くわからない)
食べるときに、皿の上に乗せた中華麺の上に、砂糖を振りまき、お酢をかけ、この醤油味の挽肉の炒ったもの+その煮汁をかけて、麺をかき混ぜてから、具を乗せる。
これは実際にやってみないと理解されないかも知れないが、砂糖と酢には、火を通さない美味しさ(常温の美味しさと言ったほうがいいかも知れない)というものがあるのだ。
今のところ、お醤油の濃さとか、どの程度スープが残った方が美味しいのかがよくわかっていないが、この生のお砂糖とお酢の美味しさが味わえるので、冷やし中華を食べる2回に一回は、悩みながらもこの作り方になる。

何故、豚挽肉を使うようになったかについては、我が父は、戦争が終わったときに、24歳で、家と父親を亡くし、弟2人とおばあちゃんを抱えて、長男として頑張らなくてはならなければならなかったことが背景にあると思う。
その後、結婚、子供も産まれ、人も雇っていた。
その環境で、大人数のお昼に冷やし中華を作るときに、わざわざ、焼き豚を買うのがもったいなかったのではないかと思う。
ある日、思い付いて、焼き豚を買わなくても、安い挽肉でも同じような味になるようにと工夫して、この挽肉入りの冷やし中華を完成させたのだと思う。
今ではハムを乗せているが、小さいときは、ハムも乗せていなかったような気がする。



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1999年06月28日(月)

日本橋の朝食


ある日、前の晩は遅く、次の日は日本橋に行かねばならないときがあった。
昔、日本橋に長く勤務していたので、あの店ならモーニングサービスを行っているだろうと目星を立てて、朝8時過ぎに、日本橋に着いた。
その店の前には、「am7:30」と書いてあり、「やっぱりやっていた」と喜んだが、窓の布のブラインドは半分までしか上げておらず、何か変だなとは、思ったのだ。
しかし、店のドアを開けて入ると、4,5人の男性客がカウンターに座っており、カウンターの中にも従業員がいた。
安心して、座ると、「まだ、お店やっていないのですよ、看板出ていなかったでしょう?」と、水を差し出しながら、従業員が言う。
そうは言ってもお客がいるではないのと、いいたげな私の様子を察してか、「朝早くはお得意さんに限って、開いているのです」という。

心の中で、変なの、変なの、と思ったが、黙っていた。
取り敢えず、トーストくらいしかないけれど、それで良ければとのことだったので、店を出ても行くあてがないので、そこで食べることにした。

世の中、こういう店もあるのだ。
毎日必ず来てくれるお客さんのために朝7時半から、従業員が一人出て来て、お客さんの世話をする。
お客さん達は、ゆったりと、新聞を読んだり、その従業員の人と世間話をしているようだ。
だいたい、10人くらいの中年の男性たちがお得意さんで、毎日、ここで朝ご飯を食べているようだ。(皆、家族持ちに見えたが)
やっぱり、日本橋って、古い地域で、お金や商売という価値観だけでは割り切らないところのある地域なのだと、実感する。
毎日来てくれて、そこでくつろぐのが当たり前になっている人たちに、儲からないからと言って、止めるとは言えないのかも知れない。

その後、小さなサラダとトーストが出てきた。
これにアイスコーヒーで、食べていたら、「良かったらどうぞ」と、ゆで卵を一つ付けてくれた。
初っ端は、何か、場違いのところに入ってしまったような居心地の悪さがあったが、その後は、決して、そんなことがなく、常連さんと同じように扱ってくれた。
私も淡々と、朝ご飯を食べていた。
そして、お代は、たったの340円だったのだ。
浮世離れした、おじさんたちの朝のオアシスに偶然迷い込んで、そういうものが世の中にあることを発見してしまった気分だ。
この先も、朝ご飯抜きで日本橋に行かなくてはならないときに、素知らぬ顔をしてまたこの店に行ってしまいそうだ。



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1999年06月29日(火)

切りイカの冷奴


先日、珍しく、居酒屋に飲みに行った。
そこで、美味しい冷奴を食べたので、家で早速試してみたら、大成功であった。

★材料 3〜4人前
 切りイカ(乾燥品) お豆腐の表面が全部埋まる程度の量
 じゃこ       少々
 長葱        少々をみじん切りにしておく

 たれ
  しょうゆ 何CCか量らなかったが、20CC程度でいいと思う。   お酢も同量。
  ごま油少々、以上を混ぜておく。
  甘口が好みなら、お砂糖か味醂を追加すれば良い。

★作り方
1.小さなフライパンに多目の油を入れ、火にかけ、温度を上げる。
2.ほぐした切りイカとじゃこを入れて、ジャーっと揚げる。
  切りイカは、パリっとした程度で良い。
  余り茶色が濃くなると、味が飛ぶ。
  新聞紙でも、油切り用の器にでも入れて、油を切っておく。
3.銘々でも、一緒でも、お皿に切った豆腐を置き、その上に、みじんの長葱を
  引き、切りイカとジャコの揚げたのを乗せる。
4.回りから、タレを入れて、出来上がり。

崩しながら、食べる。
揚げた切りイカが香ばしくて美味しい、じゃこもアクセントになるから、入れたほうがいいと思うが、絶対ではない。

これは、安価で、簡単だから、とてもお勧めです。



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1999年06月30日(水)

生成り完熟


トマトの料理がしたくなった。
「四季の料理」の夏号にトマトの美味しそうな料理が2つも載っていたからだ。
で、行きつけの八百屋さんで、「熟れ過ぎたトマトはない?」と聞いたのだ。
返ってきた答えは、「最近のトマトは、生成り完熟だから、八百屋に来てから、熟れ過ぎることはないのです」とのものだった。
赤くなって完熟というのは、過去の話しらしい。
今は、赤くならなくても、どうも、完熟であるという状態が実現されているらしい。
だから、最近のトマトは、美味しくないのだと、即座に思った。
全て売り手の都合だ、ま、生物を扱うからしょうがないと言えば言えるけれど、魚屋さんだって毎日、生の魚を売っているのだ。
売れ残っても、2,3日なり、一週間は傷まないようなトマトなのだろうか?
消費者だって、トマトを買って1週間以上冷蔵庫に入れておくこともあるから、しょうがないと言えばしょうがないのかな、とも思うが、何か淋しい。

きっと、苺も同じなのだと思う。
赤くならないうちに、出荷されてしまうのではなかろうか。

お祭りのとき、八王子の従姉妹が農家と契約しているとかで、熟れている採れたての苺を持って来てくれた。
「苺は、普通、こうだわよね」(もしくは、「昔食べた苺はこうだったわよね」)という感じで、瑞々しく、甘くて美味しかった。
熟している苺・トマトなど、もう、普通の末端が八百屋さんの流通ルートでは手に入らないのかも知れない。
とても残念。

そう言えば、お祭りのとき、奮発して築地でフルーツトマトを一箱買ってきた。
フルーツトマトは、日持ちがするとのことで、2週間で使いきったが、2週間は日持ちをするようだ。



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