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「美味しい!」が好き

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1999年04月01日(木)

押し寿司


宇野千代さんの「私の作ったお惣菜」(集英社文庫)の一番最初のお料理が「岩国寿司」という押し寿司であった。
色とりどりで、宇野千代さんデザインの着物のように、とてもきれいで私も作りたいと思った。
宇野さんのは、ピンクをでんぶで表現し、他に、錦糸玉子、青みの野菜を使って、規則性なしに、風景やプリント柄を描くように、押し寿司をデザインしている。
その写真が余りにきれいなので、本当は、でんぶが嫌いなのだが、築地場外で買ってしまった。
しかし、家に帰ってから、良く見たら、それは、でんぶではなく「海老おぼろ」と書いてあった。
それを見て、「そうだ、ピンクは海老でも出せる」ことに気付き、でんぶより好きな海老を表面に出すことにし、でんぶは、寿司の合間合間に入れようと方針を変えた。
前の日のお昼は、まぐろ丼にすることにし、二回分の寿司飯を作っておいて、その晩、酢蓮やさやえんどう、椎茸の煮物、錦糸玉子を作っておき、翌日の朝、仕上げた。

型の一番底に、ラップを敷き、一番てっぺんに来るものを並べた、しかし、海老を全面に使ったのは、デザイン的には失敗であった。
どうも、海老をデザインの中心においた場合、規則正しく並べるしかないのだ。
海老から順番に錦糸玉子、さやえんどうと、彩りを考えて並べてみた。
その上にご飯を詰め、その上に、椎茸と酢蓮を乗せる。
また、ご飯を詰め、海老そぼろをうっすらまぶして、さやえんどう、錦糸玉子など、残ったもの全てを並べ、また、ご飯を乗せて、押し板をあてた。
その上に、ボウルを置き、その中に、缶詰を置いて、重石としたが、待ちきれなくて、30分くらいで、外してしまった。
型から出すと、できあがりの見栄えは、まあまあだった。
海老だと、宇野千代さんの押し寿司のように、木々の間に間にピンクが見えると言うデザインは、作れないのだ。
やはり、海老おぼろで一番上を飾れば、良かったと後悔した。
海老おぼろは、味的にもお寿司の味をグレードアップしてくれたと思う。
50gで170円だったのだが、ちらし寿司にはとても良いと思った。
残りは凍らせてある、また、ちらしや、五目寿司を作る時に使ってみようと思う。



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1999年04月02日(金)

にんにく醤油


最近、思いつく料理が全部、サラダだ。
それだけ、気候が良くなったと言うことだろうか。
わかめのサラダは、トマトとレタス・さらし玉ねぎで作るのが、我が家の定番である。
ドレッシングは、にんにく醤油とお酢・サラダオイルを当分に混ぜたもの。
にんにく醤油は、市販されているが、自分で作ると簡単で美味しい。
お醤油ににんにくの味が溶け込んで美味しいし、常温で、長期保存可能だから、便利である。
わかめサラダのドレッシングに使う他は、鉄板焼きの時に使う。
甥たちがまだ、よちよち歩きで、言葉もたどたどしいとき、鉄板焼きのたれが切れると、「にんにく醤油取って」と言うのが可愛かった。
全身赤ちゃんなのに、「にんにく醤油を美味しいと思っている」部分だけが、の大人で、そのアンマッチングが可愛くて、つい、笑ってしまった。

★にんにく醤油
 作る季節は、新にんにくが出回る4〜5月がいいと思う。
 きっちり蓋のできる瓶に、にんにくを房に分け、皮・薄皮ともむいて、瓶の6〜7分
 目に詰める。
 (手がにんにく臭くなるので、後で手を良く洗わなくてはいけない)
 そこに濃口醤油を瓶9分め程度にドバドバと入れて、きっちり蓋をして置いておくと
 出来上がり。
 確か、一週間から、使えると思った。
 にんにく醤油を使い終わったら、また、足しておいておけば良い。
 1週間目に蓋を取ると、小さい音であるが、「ぽん」と言う感じで、音が出るかも知
 れない。
にんにくガスが溜まってしまうのだと思うが、一度目だけで、次からはそんな音はしな
い。
にんにくの香りはするが、そんなに濃いものではないと思う。



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1999年04月03日(土)

いい子ね


私は、忙しい家に育ったので、ちょっとひねくれているところがある。
小さい時、親が、私に「いい子ね」というと、必ず、その後に「だから、○○してね」と用を頼んだのだ。
だから、相当大きくなるまで、親以外の人に、「いい子ね」と言われると、心の中で、「この人は、私に何か頼みたいのかな」と考えてしまうところがある。
(そう思ってしまう自分が嫌やで、「いい子と言わなくても手伝うから」と何度も親に抗議したのだが、一度たりとも私の言うことを聞いてくれなかった。)

それが、我が甥1は、余所の人だろうが、家の人だろうが、「いい子ね」と言われると、にこにこと笑う。
そして、頭を撫でると、嬉しそうにする。
「本当にこの子は、素直!」と同じ家でひねくれて育ったおばちゃんは、思うのである。
今は、我が家も昔みたいに忙しい家ではないから、「いい子だから、○○してね」と言う人は誰もいない。

やっぱり、人は環境だ、環境がいいと素直で良い子が育ち、環境が悪いか、その子供には理解不可能な環境に育つと、きっと、性格の悪い子が育つに違いないと思う。
小さい子を見ていると、その子自体がいい子だ、悪い子だというより、その子の態度は、育っている環境の反映に思える。
自分が大人になって、にこにこしている子供は、下心なしに「いい子だ」と思えた。
大人が、にこにこしている子供や、静かにしている子供を見て「いい子だ」と思うのは、ごく当たり前の感想なのだと大人になってから思う。
そう思うと、それを素直に受け取れなかった子供時代を送って、損をしたような気がする。



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1999年04月04日(日)

味がわからない




このところ、異常に忙しい日が続いた。
夕食を取るのが、午後10時過ぎは当たり前で、2日続けて12時過ぎにコンビニやファミレスで夕食を済ませた。
朝ご飯は、いつも通り、駅のサンドイッチだし、昼は、社食である。
そんな中、「もう、疲れた」と一日は、早く会社を出て、大好きでいつも大感激するケーキを買って帰ったのだが、食べたら、いつものように感激しないのだ。
とおりいっぺんの味よりは上等かな、しか、感じなかった。
翌日、同じケーキを食べた妹に聞いたら、「いつもどおり、とても美味しかった」とのこと。
これは、疲れと、不規則な食事、しかもコンビニ・ファミレス系統の食事ばかりしていたので、完全に舌が麻痺してしまったと思った。

美味しい生活を続けるには、猛烈に働くことはできないと実感する。

そうは言っても、人間、「美味しい生活を送るから、残業はできません」とは中々言えない。
ときには、舌が狂うくらい忙しい生活もこなしながら、「たまに、休まないと、舌が麻痺したままになってしまい、美味しいものを美味しく味わえなくなってしまう」と、恐怖心を持ち、たまには、早く帰る、休む、休みの日は良く眠る、程度のことをするのが、分相応かとも思う。
しかし、世の中には、激務に負けない食通もいるはずだから、私も図太くならなくては。


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1999年04月05日(月)

敦煌デザート


昨年の11月に、横浜中華街で飲茶を食べたときのデザートの名前が「敦煌デザート」。
丸いバニラアイス、ゆでアズキと缶詰のフルーツが冷たい牛乳に浮かんでいた。
それがとても美味しかった。
なんで、敦煌デザートという名前が付いたのかは、よくわからない。
なんとなく、小豆という東洋のものと、西洋のフルーツが出会って、それをまとめる牛乳やアイスがなんとんなく牧畜国家を思い起こさせ、また、食べている場所が中華料理屋だから、敦煌なんていう名前が付いたのかしらとも思うけれど、意味不明な名前ではないかと思う。
早く真似をしたかったのだが、何せ季節が寒かったので、やめておいた。
しかし、いろいろなスーパーに買い物に行った際には、ミックスフルーツ缶がバーゲンになっていないかチェックして5缶程度確保しておいた。

甥たちが来ることが決まっていた日にスーパーに行ったら、「ハーゲンダッツ値下げ」という文字が目に飛び込んできたの、思わず、買ってしまい、甥たちに作ってあげたというか、組み立ててあげた。
まるで、私が初めて築地大和寿司の大トロを食べたときのような反応。
二人とも口に入れた瞬間、表情がびっくりした顔に変わって、心から「美味しい!」と言った。
こういう反応が返ってくると、心から嬉しくなってしまう。
余程美味しかったのか、二人とも3杯お代わりをした。

この技術とか、腕、修行を必要としない「組み合わせの妙」のデザートは、心からのお勧め。
ゆでアズキ缶は余ったら冷凍可能だし、アイスクリームだって冷凍食品である、そして、牛乳も安価でいつでも手に入るし、お手軽で美味しい。
もしかして、フルーツ缶の残りも冷凍可能かも知れない、そのうち、やってみようと思う。

中華街で食べたときは、確かに美味しかったが、お金をかけて食べるものではないと思った。
しかし、家でのデザートを増やしてくれたので、これはこれで価値があったと思う。



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1999年04月06日(火)

給食


甥2が小学生になり、現在、ピカピカの1年生である。
甥たちは、学校から帰ってくると、おばあさんのお店でひとくさりおしゃべりをしてから、自分たちの家に戻るようである。
おばあちゃん情報によると、甥1は、いつもお店で、その日学校で習ってきたことをおばあちゃんに教え、甥2は、給食のことを語って帰ることが多いようだ。
あるときは、甥2は、「明日、給食が僕が嫌いな魚のフライと豚汁なんだよ、やんなっちゃう」と愚痴をこぼしたそうだ。
あるときは、「学校って楽しいよ、給食何杯お代わりしても『もう、食べるのをやめなさい』って言われないんだ、今日は、3杯お代わりしてしちゃった」と言ったそうだ。
甥2は、幼稚園のときに、既に体重が40kgを越したことがあり、両親から、食べ過ぎないようにいつもチェックが入っている。
それが、まだ、学校に入って1か月だから、担任の先生がそこまで気がついていないのか、幼稚園と違って小学校は勉強中心だから、体型のことまで気を遣ってくれないのか、食べ放題になったようで、甥2は幸せを感じているようだ。
おばあちゃん曰く、「甥2は、どうも給食が楽しみで学校に通っているようだ」とのこと。
ま、何はともあれ、小学校が楽しくてよかったとおばちゃんは、思っている。
おばちゃんなんか、自慢ではないが、学校も給食も嫌いだった。
特に給食は、中学校にあがって、お弁当になったので、とても嬉しかったことを覚えている。
今は、時代が豊かになったので、メニューも良いらしい。
この前は、ビビンバが出たとか、本当に時代は変わったと思う。



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1999年04月07日(水)

たこ焼きともんじゃ焼き


築地で買ったまるごとのたこの頭が冷凍してあった。
これをどうにか食べたいと思ったのだが、思いついたのは、たこ焼きだけ。
それで、合羽橋で、たこ焼き器を買ってきた。
たこ焼きは、在大阪のときに、「大阪に住んだからには、たこ焼きが焼けるようにならなくては」とか変なことを思い入れて、スーパーで型を買ってきて焼く練習をした。 確か、余りうまくならなかった覚えがある。

それにしても、大阪や関西では家庭でたこ焼きをよく焼くのだろうか。
よくわからない。
もんじゃ焼きは、東京下町名物と言われているが、私の周りには、家でもんじゃ焼きを作る家庭は見たことがない。
小さいとき、そろばん塾の近くに、子供たちから、「じじばば」と呼ばれていた駄菓子屋があり、そこの奥のこたつで焼いて食べた覚えがある。
いろいろな本を読んでも、もんじゃは駄菓子屋の副業であると書いてあるし、きっと、東京では、もんじゃを焼く厚い鉄板のある家は少なかったのかなとも思う。
その点、たこ焼きの方が、器具が小さいところが優れていると思う。
たこ焼きともんじゃ焼き、両方とも出汁や水で伸ばした小麦粉をクリーミーに焼き上げた美味しさということで共通点があると思う。



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1999年04月08日(木)

たこ焼き器


合羽橋も、気候が暖かくなると、たこ焼き器を店の前に並べている店が少なくなるような気がする。
あるとき、チェックをして、いざ、買いに行ったら、お目当ての店が休みだった。
しょうがないので、たこ焼き器を並べているのが一番最初に目に付いた店で買ってしまった。
チェックしたときの値段より、相当高かった。
でも、木の柄がついており、使いやすそうだったので、これに決めた。

買って帰り、あけてみると、南部鉄器とのこと。
そうか、南部鉄器だから高いのだと納得した。
重いし、鉄板が厚くて立派。
実際に焼いてみても、以前、スーパーで買ったものより、数段焼きやすく、焼き上がりも上であった。
結果全て良し、大満足であった。
(その次の週に、また、チェックに行ったら、同じような大きさで、1200円から、1800円程度の値段のものが多かった、私の買ったたこ焼き器は、2500円もするのだ。)

火にかけて、油をなじませ、タネを入れる。
その後、具をいろいろ、次々に入れていき、たまに、専用の金串(本当の名前を知らない)を、鉄板とタネの間に差してみて、たこ焼きの外周に膜ができたかどうかチェックする。
膜ができるまでの間、本当は、縁にあふれたタネが焼けたのを、たこ焼きのところに寄せ集めるらしいが、どうも、まだ、ふちから余りあふれないのだ。(量が足りなくなってはいけないと、知らず知らず、タネを少な目に入れてしまっているようだ) 膜ができたら、鉄板と膜の間に金串を入れて、くるっと回し、ひっくり返す。
金串の先でなんとなく、形を整えて、また、焼く。
金串の先でひっくり返すときに、自分から遠いところに手を伸ばすと、割と腕に熱があたり、熱いことに気づく。
そうだ、せっかく、木の柄がついているのだからと、木の柄を持って、たこ焼き器の向きを今までと逆にし、ひっくり返していないところを手前にしてから、ひっくり返した。
そうだ、そうだ、やっぱり、シロウトが焼く場合は、木の柄がついていて、向きが変えられるものがいいとつくづく思った。
そんなこんなで、焦げそうだったら、火を弱め、火が弱かったら強め、で、適当に焼いたが、本当に中はクリーミーで外はカリカリのたこ焼きができて、大満足。
これは、自分の腕というより、道具の良さだろうと思った。

私の買ったたこ焼き器
買ったお店:三木商店(合羽橋のユニオンの手前のお店)
値段:2500円



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1999年04月09日(金)

たこ焼きのたね


今まで、都合3回、たこ焼きを焼いた。
1回目
オタフクソースという会社のお好み焼きミックスを買ってきた。
そのお好み焼きミックスには、山芋の粉(粉末)と天かすなどが一緒にセットされていたので、楽だと思ったのだ。 お好み焼きミックス200gに対して、水を800cc加えた。
(この割合はどっちの料理ショーのレシピを参考にした。)
そこに卵を1個入れて、山芋の粉を混ぜた。
初回だったせいか、焼き上がりに満足。
中は、とろとろ、外はかりかりで、売り物になると思ったくらいの出来だった。
ただ、私は、化学的な調味料に敏感なせいか、食べ終わった後、やはり、舌に化学的な味が残ったのが残念。
こういうことが気にならない人にはお勧め。
簡単だから、私も今後ともこういうミックス粉を使い続けると思う。

2回目
今度は、自分で出汁をとることにした。
普通の昆布をゆっくり煮て出汁を取ったものを沸騰させて、その後、削り粉を入れた、ごく普通のかつお昆布出汁。 これを水で、冷やしておく。
今度は、小麦粉100gに出汁400cc、卵は残るともったいないので、丸ごと1個入れてしまった。
これに山芋の粉を適当に入れ、海老の粉を混ぜた。(海老の粉は、去年、築地で買い求めてあったもの。)
これで焼いたら、半分うまく焼けたが、くるっと、ひっくり返すと、タネが半円になってしまい、生煮えの部分が鉄板のくぼんだ部分に落ちてこないのだ。
ここで、「そうだ、ベーキングパウダーを入れなくてはいけなかったのだ」ということに、気づいた。
ま、余り丸くならなかったけれど、やはり、中はトロトロ、外はかりかりとした美味しいたこ焼きができあがった。
食べ終わったとき、やはり、天然素材で作ったたこ焼きは口に何も残らなくて気持ちが良かったけれど、もうちょっと、出汁の味があっても良かったなと思った。

3回目
普通の昆布かつお出汁に、つめ昆布というもので取った出汁を少し加えてみた。
そこに、海老の粉とけずり粉も入れてみた。
(山芋の粉と、ベーキングパウダーも適当に混ぜてみた。<卵は1つ>)
そして、粉:出汁を1:5(200g:1000cc)にしてみた。
焼くのに、1:5は、まとまらないわけではないが、固まるまでに、1:4より時間がかかるような気がした。
時間がかかった割には、トロトロ加減は増したが、それが美味しさにはつながらなかったような気がする。
やっぱり、粉:出汁が1:4に卵1つ程度が、私の好みでゴールデンプロポーションかとも思った。
天然素材の味だから、味が舌に残っても不愉快ではないのだが、昆布の味がいつまでも舌に残った。
昆布は使いすぎない方が美味しいかも知れない。

先日、従姉妹にあったら、6月初めの我が家のお祭りの時には、たこ焼きでも焼いて遊びましょうということになり、とうとう、量産体制ができるように、もう一つたこ焼き器を買ってしまった。



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1999年04月10日(土)

たこ焼きの飾り付け


若人向けの居酒屋で一緒に行った人がたこ焼きを注文した。
さすが、飾り付けが上手。
焼き加減・味は私の方が上手とはっきり言えるところが悲しい。
トロットロッ感がまるでないたこ焼きであった。
一緒に行った人が、その人もたまにたこ焼きを焼くとのこと。
トロットロ感が出ないと言うので、「水:出汁は、1:4に山芋の粉を入れること」と教えてあげたが、山芋と聞こえたのか、「山芋は高いから」との返事が返ってきた。
「スーパーで売っているフリーズドライの山芋の粉で十分」と言ったが、聞こえたかどうか。
飾り付けなのだが、細長い木の板に一直線にたこ焼きを並べ、ソースをかけた上に、一直線に青海苔を乗せ、それに垂直にマヨネーズをジグザクに細い線で絞ってあった。
青海苔は、半紙か何かに乗せて、口を細くし、動かしながら、かければ真似できるかも知れないと思った。
マヨネーズは、ソースディスペンサーで絞れば、あのような形になるなと、合羽橋で一番小さいものを買ってきた。
実際にやってみると、市販のマヨネーズだと濃度が濃いのか、それほどはうまく行かなかったが、近い線で飾り付けができた。
それでも、居酒屋やいろいろなお店に行くと、思いもかけずに、お料理がきれいに飾り付けられていることがあって、とても参考になる。
たこ焼きがまんまるに焼けるようになったら、飾り付けに凝ってみようと思う。



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1999年04月11日(日)

ソースディスペンサー


2,3か月前の雑誌の合羽橋特集で初めてこの道具を意識した。
簡単に言うと、ホットドッグ屋さんに置いてあるマスタードやケチャップの容器で、寸胴の細長入れ物の上に円錐状のふたがついているものである。
口が細くて、マスタードなどを細く一直線に絞り出せる容器なのだ。
その後、プロ用の料理本で名前を知った。
その本では、デザートの場合は、チョコレート、サラダの場合には、マヨネーズが、細くジグザグに線を描いてあった。
MLでは、実際に使っている方が、「サラダオイルをソースディスペンサーに詰め替えて、炒め物などを炒めるときに使えば、瓶や市販の容器のままで出す婆煮比べたら、思い通りの分量の油が出てくる」と教えてくれた。
上記のように、この道具はとても使いやすそうだと思ったので、雑誌に出ていた川崎商店に買いに行った。
お店の人の説明によると、先が切っていないので、円錐の三角形を好きな太さのところで、切れば、どんな太さの線も描けるとのこと。
なるほど、なるほどである。
しかも価格が安くて、180円である。

まずは、油の使い方を真似することにした。
初めは、新しい油を入れていたが、揚げ物をした際に、揚げた油をきれいに漉して、この容器に入れておけば、炒め物に油が回せることに気づいた。
また、次回揚げ物をするときに、この油を使えるので、使いながら保存にもなると思い、実践してみた。
我が家は少人数なので、揚げ物をすると言っても油はそれほど余らない。
一番大きいソースディスペンサーに合うくらいの量であることを発見した。
何度か、炒め物をするときに使った後、再び、揚げ物に使ってみた。
使い残しの油を入れておいた容器の底には、少し、細かい揚げかすが残っていたが、洗剤を入れて洗ったら、簡単に取れた。

ソースディスペンサーに入れた油は、若干は、空気に触れている状態であるが、ま、油こしに保存しているよりは、細長い容器なので、空気に触れる面積が少なく、いいかも知れないとも思う。
他にも、マヨネーズやチョコレートの絞り出しにも向いているので、お勧め。
お誕生日に、ケーキを作る暇がなかったときなど、ケチャップやマヨネーズで、お料理の上に、ソースディスペンサーで字を書いてあげれば、子供が喜ぶと思う。




1999年04月12日(月)

つめ昆布


私の好きな料理の本に、分け得山野崎洋光の「美味しい方程式」という本がある。
この本どおりに作ってもうまく行かないときもあるのだが、基本的なところをわかりやすくしかも覚えやすく説明してあるので、とても好きである。
この前、本屋に行ったら、その続編で、「さらに美味しい方程式」が出版されていた。
思わず、買ってしまった。
この本は、前編より、さらに詳しくプロの手口を教えてくれる。
そうは言っても、まだまだ、語られていないところも多い。
例えば、今回は煮物に加える雑味のことが詳しく載っているが、煮物の味の含ませ方などは、載っていない。)
そして、今回は、雑味のひとつとして、「つめ昆布」なるものが紹介されている。
つめ昆布は、とろろ昆布を手で削った場合に、手で持っていた昆布の先にあたるそうだ。
これを入れて煮物にすると、味が良くなるとか。
最近販売している店も少ないと書いてある。
そういうときは築地に行くに限る。
築地に行って手に入れた。
500gで1200円、思ったより高かったが、昆布としては安い方と思う。
きっととろろ昆布でも同じ味は出るのだろうが、やはり、端の商品価値のない安いところを使うところが、プロっぽいのかも知れない。
粉を吹いた昆布の先の切れ端が沢山袋に入っている。
量は、一生かかって使い切れるかしらというくらいの量である。
里芋の赤目が家にあったので、普通の昆布けずり粉の出汁で煮るときに加えてみた。
家人にとても評判が良かった。
なんというのか、甘さが活きるのである。
里芋の甘さ、みりんの甘さが活きて、お砂糖を入れなくてもほのかに甘いのである。
もっと、いろいろなものにつかってみようと思う。



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1999年04月13日(火)

疲れを取るもの


私の情報を頼りに、築地大和寿司に行った方から、「本当に美味しかった」というメールをいただき、私も食べたくなって、行ってきた。
食べて感激、「そうなんだよね、真に活きが良くて美味しいものを口に入れると疲れが取れるというか、気分が一新するのだ」と改めて思った。
その後、築地場内へ。
買ったものは、ないけれど、目に入る「白ではなくて、透き通っているイカ」や「鮎のきれいな肌」が目に入る度に、疲れが取れるような気がした。
「自然天然、しかも、それが新鮮で、見るからにきれい」、そういうものに直に触れたり、目に飛び込んできたりすることが疲れを取るのだと思う。
時間のある人や歩く習慣のある人は、山や海に行くかも知れない。
時間がなく、しかも面倒くさがり屋の私にとって、築地に行くというのは、自然との出会いなのだ。
自然を味わい、自然に触れる、本当に築地は良いところである。
築地での散歩は、私をリフレッシュさせてくれる、どうか、魚河岸が、豊洲に引っ越さないで、いつまでも、築地にありますようにと祈るのみである。

他には、木々の若葉も私の疲れを取ってくれる。
今の季節、若葉が芽を吹き出し、生えている葉の色が違う。
目に入ってくる葉っぱは、「まだ、できたばかりの新しい葉っぱ」という感じがする。
夜遅く会社帰りの駅までの道づたいに生えている葉をさわりながら、歩いている。
男性が女性を断りなしにさわったら、セクハラだけれど、木々や葉を触りながら歩いても誰にも文句を言われないから、いいな」なんて、変なことを考えながら歩いている。
なんで、新鮮な葉を触ると、気持ちがいいのかよくわからないが、とにかく気持ちが良い。

以上まとめると、どこか自然のある場所に旅行に行けばいいのかも知れないが、忙しいから、築地と道沿いの植木があれば、生きていけると思う。



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1999年04月14日(水)

料理好きの集まるところ


東京の料理好きの集まるところの第一位は、やはり、「築地」だと思う。
私はお料理が好きだし、お料理に関して人に自慢ができることは、その行動力だと思っている。
しかし、築地に行くと、「私のお料理に関する行動力は、並の行動力であり、別に自慢することではない」と思うことが何回かあった。
築地場外の松村という削り節屋で、本枯れ節から作ったという削り粉1kg3,800円という高級品があったのだ。
余りに高いので、「どうしようかな」とか考えているうちに、近くにいた主婦とおぼしき人たちが、1kgお買いあげである。
(私は、200gしか買わなかった。)
また、その先にある昆布や乾物のお店で、「つめ昆布」を聞いたら、今朝は、もうシロウトさんが二人も買っていったとのこと。
これを聞いても、皆、野崎洋光の「さらに美味しい方程式」をgetして、この「つめ昆布」なるクロウトさんが主に使う材料の知識を得、築地に来て入手したのではないかと思う。
こういうことを体験すると、私のお料理好きなんて、ま、標準程度かしらねと思う。

次にお料理好きが集まるのは、やはり合羽橋だと思う。
合羽橋も最近は、雑誌や地図を片手にグループで歩いている人とか、ベターホームの道具の本を片手に歩いている人を沢山見かける。
服装でジモティかどうかはっきりしている。
台東区ってやはり、私を初めおしゃれではないのだなとつくづく思う。
私は、地図を片手のおしゃれな集団を「楽しそうだな」と見物しながら、自転車で追い抜いて行く。
合羽橋は、やはり、数が揃っていてしかも安いが魅力なのであろう。
残念ながら、私のHPをプリントアウトしてそれを見ながら歩いている人を見たことがない。
そういう人を見かけたら、すり寄って行ってしまいそうだ。


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1999年04月15日(木)

あたりたこ焼き


私が小さいとき、日曜日の午後のおやつの時間頃に、父がよくお好み焼きやたこ焼きを焼いてくれた。
自己流で東京風だったが、焼きたては美味しかった。
我が家は、もんじゃを家で焼いたことがない。
きっと、たこ焼きの方が我が家にとって、異国情緒があって、珍しく、作ってみようという気になるものであったに違いない。
関西の家庭でも、たこ焼きを家で焼く家庭は割と少ないかも知れない。
ありふれて、家の近所でいつでも安価に手に入れられるものをわざわざ家で作らないかも。

先日、久々私がたこ焼きを作ったら、家族が皆、父のたこ焼きを思い出したようだ。
弟曰く、「お父さんは、子供がおなかを空かしていると、たこ焼きやお好み焼きを作ってくれていいお父さんだった。」とのこと。
それを聞いて、小姑の私は、「今は、あなたがそれをやる立場にいるのではないの?」と畳みかける。
弟は、「僕はいいんだ、お姉ちゃんがいるから」
「あー、うらやましい、私も私にご飯を作ってくれるお姉ちゃんが欲しい」と聞こえよがしにつぶやく。

ま、私はお料理好きだから、やってあげることはやぶさかではないが、甥たちが大きくなって、「昔、お父さんが作ってくれたあの料理が美味しかった」という思い出を作ってあげればいいのにと思う。

甥たちは、お料理にすぐ遊びを入れたがる。
たこ焼きも初めの二回はおとなしく「美味しい、美味しい」と食べていたが、三回目に注文が入った。
「たこ焼き焼くときに、1つだけ、なにか違うものを入れて、「あたり」たこ焼きを作ってくれ」とのこと。
なるほど、それはいいかも知れない。
中国では、お正月に食べる餃子の中の1つだけに、硬貨を入れておき、それを食べた人は、その年に幸運が来るという遊びがあると聞いたことがある。
う〜ん、それでは何を入れようか。
梅干しが面白いかとも思うのだが、ちょうど、梅干しが手元になかったので、一つだけ、たこを入れないたこ焼きを作ってみた。
甥たちは、たこのないたこ焼きに当たりたくて、一生懸命食べるであろう(こんなことしなくてもよく食べるのではあるが)。
「たこのないたこ焼きに当たった人には、商品は出ませんが、明日1日、良い日であることが約束されましたよ」とか適当なことを言って、たこ焼きを出してあげた。
この遊びは、当分続きそうである。



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1999年04月16日(金)

中華つけ麺


私のオリジナルではなく、弟の考え付いたお料理をご紹介します。

★材料
 つゆ付のインスタントラーメン(生麺の方がいいのではと思う。)
 キュウリ(千切り)
 もやし 茹でて冷ましておく
 焼き豚  千切り
 錦糸玉子
 他にお酢

★作り方
(1)インスタントラーメンを買って来て、ラーメンはラーメンで茹でて、柔らかくなったら、水で良く洗って、冷やし、水気を切る。
(2)スープはお湯で濃く溶く。(つけ汁程度)
   食べるときに、お酢を入れるが、量はお好みで。

弟は、私がいるせいか、実家では何も料理しない。
しかし、あるとき、甥たちから、「お父さんは、おうちでは、つけ麺を作る」と聞いてしまったのだ。
それ以来、一年に一回程度、我が家でも作ってもらうこととした。
これは割と美味しいと思う。
弟の作る場合、乾麺だからか、茹でて水を絞っておいておくと、麺同士くっついてしまう感じがする。
この点、まだ、創意工夫が必要だけれど、簡単お勧めレシピである。



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1999年04月17日(土)

一口海苔巻き


食欲のないとき、一番美味しいものは、私の場合、外食である。
それなりに美味しい店に行くと、なかった食欲が復活し、食べられてしまう。
ゆったりとした時間、自分が動かなくても出してくれるは、片づけてくれるは、極楽、極楽である。
私の食欲のなさなんて、結局は、ただのわがままのものぐさかしらと思う。(わがままには自信がある。)

外食の次は、やはり、炊き立てのご飯で、海苔巻きを作って食べることだ。
手のひらに、8枚に切った海苔を置き、お箸で、お茶碗からご飯を取って乗せる。
芯は、いろいろ。
昔は、白菜漬けを細く切ったものが多かったが、梅干しの実も美味しい。
最近は、キムチを白菜の部分は、細く切って、その他の大根や人参の細切りと一緒にお醤油にほんのちょっと浸してから、芯にすることが多い。
できれば、新海苔が美味しい。
パリっと焼いた新海苔に湯気が出ている炊き立てごはん、そして、細切りキムチ、この組み合わせは、本当に美味しくて、「よくぞ、日本人に生まれけり」と思う。
(キムチは、日本のものではないけれど、日本が韓国の隣だからこそ、キムチをこんなによく食べるわけで、...なんて、言い訳がましいが、言っていることに間違いはないと思う。)
特に新海苔だと、海苔の甘さとご飯の甘さが、キムチによって、とてもよく引き立つ。
甥たちもこれが好物で、私が作って食べているのを発見すると、大変である。
二人で、「僕ももう1個」「僕も」「おにいちゃんは、いくつ食べた?僕より、多く食べた?」と寄ってくるので、おばちゃんの口にはいるのは、3つに1つになってしまう。
この食べ方が、私にとって一番美味しいキムチの食べ方である。



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1999年04月18日(日)

ミネストローネスープ


ミネストローネスープは野菜のスープであるが、缶詰を初め、2種類の系統があると思う。
あっさり味と、濃厚な味とに分かれる。
濃厚なのは、ほとんどトマト味で、豆が入っており、仕上げにパルメザンチーズを振って、熱々を食べる、そんなイメージがある。
私が初めてミネストローネスープを食べたのは、東京會舘のお料理学校であった。
それは、あっさりタイプであり、家で作ったら受けてしまい、その後、濃厚タイプを作っても誰も食べてくれない。
私は両方とも好きで、できたら、気の向くまま、両方食べていたいと思う。

あっさりタイプのミネストローネスープの作り方

★材料(4人前 700cc程度)
鶏がらスープ 700cc(本当の鶏がらスープでもインスタントと半々でも、もろインスタントでもとりあえず、時間と予算で決めてください。)
ベーコン 1〜1.5枚程度
にんにく  一かけ
必須野菜  人参少々、タマネギ半分程度、ジャガイモ小1個
あれば入れると美味しい野菜  セロリ・かぶ
完熟トマト(缶詰でも可能、小振り1つを適当に1cm角に切っておく)
スパゲティ(7分茹で程度を4,5本)
塩・胡椒

★作り方
1.野菜は、1cm角で厚さのあるものは、2,3mm程度の厚さに切っておく。
  (確か、この切り方を「ペイザン」というと、習った記憶があるが、不確かである。)
  ジャガイモは、水にさらしてから、水を切っておく。
2.ベーコンとニンニクはみじん切りにする、別々にみじん切りをするのだが、途中
  合体させ、一緒にみじん切りをすると、まとまって、扱いやすい。
3.深めの鍋にバターかサラダオイルを熱し、にんにく、ベーコンを入れて炒め、香り
  と油を出す。
4.そこに、にんじん、セロリ、かぶなぞを入れて一緒に炒める。
5.スープを入れて5〜10分程煮る。
6.その後、ジャガイモとタマネギを入れて、5分程煮る。
7.最後にトマトと4〜5cm程度に折った細目のスパゲティを入れて煮る。
8.スパゲティが柔らかくなったら、塩・胡椒で味を調えてできあがり。




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1999年04月19日(月)

アクリル


MLで食器洗い製品でお役立ち商品を聞いたところ、色々解答があった中で、アクリルの毛糸で編んだ布が優れているとのことだった。
障害者の作品として売っている場所もあるとのことだったが、我が台東区ではどこで売っているのかわからなかった。
言われてみれば、以前、大手スーパーでアクリル毛糸をレジのところで売っているのを見かけたことがあり、「あれは何だろう」とずっと思っていた。
アクリルの毛糸は、確か昔のものが余っていたので、編んでみることにした。
アクリル100%だと思って引き出しの奥から昔の毛糸を出してきたら、アクリル70%羊毛30%であったが、ま、気にすることはない、やってしまえと、編んでしまった。

お休みの日に何枚か編んで使ってみたが、本当によく汚れが取れる。
食器洗いだけではなく、窓拭き、お風呂場の掃除によく汚れが取れるとのことだったが、本当にすごい。
特に感激したのが、風呂場のタイルと目地洗い、それから油汚れを取ることだ。

今まで、掃除をしても取れなかった汚れが、いとも簡単に取れてしまうのだ、感激する。
これで、私もきれい好きの仲間入りができるかも知れない。(笑)

なんというか、拭き掃除にかけた体力がそのままストレートに活きる感じである。
力を入れてこすれば、こすっただけ、沈み込んでいた汚れを布に吸い取ってくれるのだ。
これは、絶対に病みつきになると思う。
家人にも一枚編んで渡したら、ちょっとした、例えば、電話台の汚れが簡単に取れると感激していた。
「どこで習ってきたの?」という返事に、「インターネットのお友達よ」と答える。

私のように昼間は勤めていて、友人を作る暇のいない者にとって、インターネットは本当に有り難い。


棒針なら、ガーター編み(ずっと表目を続ける編み方)、かぎ針なら、細編みとのこと。
目は細かくきつく編んだ方が使いやすいと思う。



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1999年04月20日(火)

法事のおみやげ


今度、我が父の七回忌があり、その準備で我が家は、浮き足たっている。
私は、普段、家の仕事を他の兄弟より相当多めに引き受けているし、6月になったら、お祭りを引き受けなくてはならないので、今回は、お客さん気分であった。
皆で会食をした後に何を持って帰ってもらうか、それが問題だ。
生前、父の好きだったものがいいとか、下町らしいものがいいとか、いろいろな意見が出る。
やはり、我が家の方の名物で日持ちするものと言えば、佃煮。
父も昔佃煮が好きだった。
では、どこの佃煮がいいかとなると、また、もめる。
浅草から浅草橋にかけての隅田川の両側に佃煮屋が山程あるのだ。
私は全ての佃煮屋の佃煮を食べたことはないが、やはり、浅草橋の鮒佐が一番だと思う。
あそこの味は、浅草橋の鮒佐でしか買えないし、絶対に喜ばれると、ひいきなのだが、他の人たちは、「あんなしょっぱいもの、あげても喜ばれない」と言う。
私としては、高いけれど、少量生産で、デパートに支店を出さないあのお店の姿勢も好きである。
昔ながらの美味しさを守ろうと思ったら、少量しか作れないと思う。
私の知る限り、やはり、鮒佐の佃煮は絶対に喜ばれる。(と言っても、我が家ではそんなことはないと通らなかったが)
鮒佐に反対する者は、「第一、死んだ父親は、鮒佐ではなく、厩橋を渡ったところにある佃煮屋がひいきだった」と言う。
「そりゃあ、生きているときはそのお店がひいきだったかも知れないけれど、あのお父さんは、鮒佐は、高いからもったいないと、そちらを買っていたのではないか。お父さんは、コストパーフォーマンスを大切にしたから」と、私は、反論する。
あそこの佃煮でお茶漬けすると美味しいんだから、いいもん、いいもん、今度、行って自分の分だけ買ってきて食べることにしようと思う。

そうこうしているうちに、やはり、皆、親戚も年を取ってきたので、塩分控えめでお菓子にしましょうということになってしまった。
結局決まったのが、父親とは縁もゆかりもないアンリシャルパンティエの焼き菓子の詰め合わせになった。
うちの父さんは、羊羹が好きだったけれど、羊羹一竿贈られても、困るかも知れない、ま、順当かも知れないと納得した。

妹が銀座のデパートに行って、地下のお菓子屋さんから、片っ端からパンフレットをもらってきて、見比べて、自分たちが食べたことのあるお菓子の中から一番美味しかったものを選んだようである。

ま、色々考えても無駄が多いけれど、この無駄がない限り、家の決めごとは何も決まらないと思った方が間違いない。
天国のお父さんは、皆が仲良く暮らしている限り、どんなものに決まろうと不満はないだろうと思う。



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1999年04月21日(水)

グラハムクラッカー 1/2


数ヶ月前、MLで「チーズケーキ」の話題が出た。
それ以来、チーズケーキを作ろうと心に決めて、作れるように心がけていた。
色々なレシピを見ると、たいてい、「グラハムクラッカー」なるものが載っている。
しかし、グラハムクラッカーなるものを売っているのを見かけたことがない。
心してありそうな場所を探してみたが、やはり、なかった。
なんで、こんなに一般的に売られていないものをレシピに堂々と載せるのだ、と思う。
私は、明治屋や紀ノ国屋は本当にたまにしか行かないが、合羽橋・築地・日本橋高島屋などにしょっちゅう行っているから、割と、東京の中でも、食材を探すのに恵まれた場所にいると思うが、それでも、見かけないのだ。
合羽橋マントウで聞いたら、「今は切れているけれど、夏場は必ずありますから」と言われていたが、この前行ったら、とうとう、あったので、getしてきた。

グラハムクラッカーは、「GRAHAMS」とだけ書かれている。
買ってきてから気づいたのだが、私の買ったのは、「HONEY」と書いてあり、どうもほんのり蜂蜜味を買ってしまったらしい。
料理本には、ただのグラハムクラッカーと書いてあり、たぶん、一番プレーンなものを使うのが本当だと思うが、買ってしまったので、まあ、いいや、である。
味の種類としては、「オリジナル」「チョコレート」「ハニー」「シナモン」があって、その上、ハニーとシナモンには、ローファットタイプがあるようだ。
箱の説明に「全粒粉のクラッカー」と書いてあったが、材料のところには、「グラハム粉」とあった。
「グラハム粉」とは、全粒粉のことであろうか?
もし、近所にグラハムクラッカーを売っていない場合は、全粒粉入りのクラッカーで代用するといいと思う。

それにしても、どうして、お菓子研究家たちは、これほど、「グラハムクラッカー」にこだわるのかと思う。
とりあえず、そのことでも考えながら、第一回目のチーズケーキを作ってみよう。

ただ、チーズケーキは、カロリーが高そうだから、余り回数はこなせないと思ってしまうところが残念である。



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1999年04月22日(木)

グラハムクラッカー その2


初めて、チーズケーキを作ってみた。
分量は、直径16cmの型だったが、持っていないので、18cmの小振りのものを使うことにした。
グラハムクラッカーをフードプロセサーで砕いて、溶かしバターを入れ、また、フープロで練る。
それを型の底に敷き詰めて行くわけだが、そのときに、はたと迷った。
「底紙は敷くものかしら」と。
スポンジは、底紙を敷くが、シフォンは敷かない、では、チーズケーキは?
折悪しく、コンピュータを修理に出していて、インターネットに繋げない環境であった。
しょうがないから、頭を使って、「グラハムクラッカーに溶かしバターは、油っぽいから、底紙なし!」と決めた。
で、無事色々こねくり回して、オーブンに入れて、無事焼き上がる。
そこでまた、疑問である。
「チーズケーキは、いつ、型から外すの?」
これもわからない、いつ、型から外すのがベストであろうか?
しょうがないので、粗熱が取れた段階で外してみた。
底は、ナイフを差込み、グリグリと、底板とケーキの間に空気を入れる感じで切って行った。
切り終わって、そこに2本のナイフを差込み、「エイ!」とばかりに、ケーキをナイフの上に載せて、お皿に移す。
その段階で、ドジを発見した。
なんと、私の横が取れるタイプの型の底は、平らではなく、窪んでいたのであった。
だから、ナイフを入れたところは、グラハムクラッカー台の一番底ではなく、中間くらいだったので、ほとんど、グラハムクラッカーがケーキではなく、型の底に残っているのが見えてしまった。
確かに初めて新しいものを作るのは、難しいものだと、痛感する。
また、インターネットに繋げるようになったら、お菓子のオーソリティたちに色々質問して、チーズケーキを上手に作れるようになりたいと思う。
今回できあがったのは、味は、良いが、先ほど書いたように、グラハムクラッカーがほとんど、生きなかったのと、本より大きめの型で作ったので、高さが2cmにしかならなかったことはあるが、味は確かに良い。
 
それが、せめてもの慰めである。



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1999年04月23日(金)

苺 その1


今は、苺が美味しくて安い季節だ。
知り合いが言っていたが、今年の冬は雨が少なかったから、今年の苺は甘いとのこと。
それにしても、我が家の近所のスーパーで売られている苺はどれもこれも似たよったりで美味しくないし、きれいではない。
過去に1度か2度程度しか、ちょうど食べ頃の苺に当たったことがある。
裏返して言えば、いつも食べ頃ではないものを売っている。
普段のときは良いが、苺のショートケーキを作って人にプレゼントしたいときなど、割と困る。
先日は、碑文谷の従姉妹の家に苺のショートケーキを持っていったのだが、良い苺が見あたらず、スーパーで買ったごく普通の食べ頃でない苺を載せて持っていった。
従姉妹たちは、それでも美味しいと食べてくれた。
しかし、その後で、従姉妹がデザートにと出してくれた苺がとても良い苺だったのだ。(涙)
つるがついており、赤もきれいだし、切っても食べ頃という色をしている。
私のケーキの苺は、切った面を表にして飾り付けして持っていったのだが、白いところが多く、全然、美味しそうではなかった。
碑文谷ではあんなに良い苺が手にはいるのに、台東区では、どこを探しても見た目に良いと思われる苺を売っていないのだ。
昔、果物屋さんがたくさんあって、果物を買いに行って、「今日食べるの」と言えば、今日食べたら美味しいものを教えてくれたし、お使いものの用のものはお使いもの用と教えてくれたような気がする。
現在の我が家の近所では、果物屋さんが、皆廃業しており、スーパーで買うしかないのだ。
果物屋がたくさんあって、高級品を扱う店もあれば、安いものばかり扱う店もある、そんな環境で暮らしたいと思う。
そんなある日、母親が、上野松坂屋で「アイベリー」を買ってきた。
とても美味しい。
アイベリーは、秋葉原のフルーフデゥセゾンというフルーツパーラーで、フルーツパフェを注文すると、乗ってくる苺である。
いつも、食べ頃の苺が乗ってきて、さすが、もとやっちゃばのフルーツパーラーは目が利くと思っていた。
そうか、松坂屋まで行けば、高いけれど高級で美味しい苺があるのかも知れない。
ここまで書いて思い出したが、青木玉さんの「小石川の家」という本にも、玉さんが上野松坂屋で苺を買って帰って、お母さんの幸田文さんにほめられる箇所がある。
こじつけかも知れないが、苺は、松坂屋が良いかも知れない。



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1999年04月24日(土)

苺 その2


余談であるが、苺を買ってから、御徒町多慶屋に行き、苺を袋に入れたまま、自転車の後部に置きっぱなしにしたら、見事、なくなっていた。
話には聞いていたけれど、多慶屋の近くに自転車を停めておいて、ものを取られたのは初めてである。
ま、安い苺だったから、損害は少ないけれど、苺くらい、自分のお金で買って食べましょうね、と、盗んだ人には、言いたい。

苺は、ジャムやプリザードのような保存食品がよく本に載っている。
しかし、我が家は余りパンを食べないし、何度か、苺の保存食品を作ったが、使い切れた試しがない。
苺の季節が終わったら、その次に美味しい果物が出てくるし、秋になったら秋になったで、栗が出てくるから、苺の季節でないときまで、苺を味わいたいとは思わないのかも知れない。
今までで、一番役に立った苺の冷凍食品は、まるのまま凍らせておいた苺であった。
それを砂糖を入れて煮て、アイスクリームに混ぜて、ストロベリーアイスを作ったのだ。
ソースにしてケーキやデザートにかけても気が利いていると思う。
ジャム・プリザードのようなものではなく、フローズン苺がいいかも知れない。
ただ、苺の形のままだと、冷凍庫の場所をとるから、軽く砂糖で煮て縮ませた方がいいかも知れない。
もうちょっと暑くなると、アイスクリームの季節である、そのために、小粒で安い苺を買ってきて、軽く煮て凍らせておくことにしよう。

苺でない季節に苺がなくても寂しくないが、真夏のアイスクリームの季節に、やっぱり、ストロベリーアイスがないのは、とても寂しいから。



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1999年04月25日(日)

あらのおみそ汁


お寿司屋で、味噌汁が出てくると、ちょっと違うのではと、一瞬思う。
お寿司にお味噌のような香り高いものは合わないと思うのだ。
しかし、よくしたもので、寿司屋で出てくる味噌汁は、本当に薄くて、お寿司のじゃまをしない。
築地の大和寿司は、初めの50食程度が、魚のあらの味噌汁で、それが終わるとしじみに変わる。
やはり、あらのおみそ汁の方が美味しい。

近所の魚屋で鯛のあらがよく出るので、買い求めてきた。
いつも、あらに塩を振るのを忘れてしまうのだが、その日も、忘れてしまった。
お湯をお鍋に沸かして、その中にあらを入れる。
また沸騰するまで、上下ひっくり返したりして、まんべんなく、熱が行き渡るようにする。
ぐらっときたので、あらをお水に取り、引き上げる。
今まで鶏がらとか、魚のあらを扱った経験で言わせてもらえば、生臭さは血管だと思うのだ。
だから、先程の霜降りで、ゆっくり熱を行き渡らせたのは、骨の中の血管も固めて簡単に掃除がしやすいようにとの配慮だった。
その後、切り身、骨、一つひとつを手にとり、血管を探しては、取った。
血管を切らないように取るには、やはり、手や指より、竹串が役に立つようである。
これで、親の敵とばかり(表現が古いですが)、太い骨に潜む血管までも全部きれいに取ってしまった。
ちょっと血がにじんだようなところは水洗い。
こうして、掃除した鯛のあらで作ったおみそ汁は、「生臭みが全くない」と評判だった。

ここからが、私のシロウトのシロウトたるゆえんなのだが、残り半分を凍らせてしまった。
きれいに掃除して、凍らせたあらも美味しく食べられるか、実験してみた。
私は美味しいと思ったが、私より、魚の生臭さにうるさい家人がやはり、生臭いと言う。
「信じられない、私は生臭くないと思うのに」と言っても愚痴にしかならない。
どうして冷凍して解凍すると、生臭さが増すのか、理屈はわからないが、舌が敏感な人には、やはり、生臭く感じられるということだけがわかった。
それだったら、煮物に使ったり、味を濃くすればどうにかなるかも知れない。
この人は、魚の味噌汁は苦手と言いながらも、築地では美味しそうに味噌汁を飲んでいるのだから、本当に、生臭さに敏感なのだと思う。
もっと、もっと、実験してみようと思う。



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1999年04月26日(月)

番重


2,3年前に、あるお料理MLに属していて、お料理のことを習いながら、楽しく過ごしていた。
そのときに、お菓子屋さんで働いたことのある女性から、「番重」という言葉を習った。
お菓子を作ったときに、並べる箱で、積み重ね可能だし、和洋菓子どちらも、お菓子ができあがると、番重に入れて運ぶとのこと。
早速、合羽橋に見に行った。
あるは、あるは、そうか、この商品の名前が番重なのねと納得した。
一番平凡なのは、プラスチックのクリーム色の箱に、薄く足がついたものである。
別料金を払えば、ふたもあるようだった。

お菓子屋さんだけではなく、民宿でご飯を食べるときもおかずを持ったお皿が、こういう容器に並べられて運ばれるのを見たことがあった。
プロが出来上がり品を運ぶ容器と考えればいい。

その後、デパートの裏側などを通ると、色々な洋菓子屋の名前の入った番重が積み重なっているのを見た。

私は、家の食事を自分の部屋で作り、親の部屋まで運ぶことが多いので、この番重が便利そうで買ってしまった。
普通のお盆より、大量に運べるし、お盆だと両手がふさがって、エレベータのボタンなどを押せないのだが、番重だと、壁とお腹の間に番重を挟めば、片手が空くのである。
これはとても便利。
使用しないとき、立てておくとはいえども、場所は必要、これが欠点ではあるが、大変役に立つプログッズだと思う。
合羽橋に行くと色々な大きさが揃っている。
一番揃っているのは、浅井菓子道具店だと思う。



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1999年04月27日(火)

スマッシュブラザース


甥たちも大きくなって、とうとう、テレビゲームにはまる年頃になってしまった。
甥2は4月のお誕生日にスマッシュブラザースを買ってもらい、おばあちゃんの家まで持ち込んで遊んでいる。
初め、物珍しく見物していた私だが、「なんだ、これ、知っている、スーパーマリオと同じではないか」と気がついた。
おばあちゃんまでも、「昔のに比べたら、随分、進歩して」と言い出した。
なんだか複雑になってはいるけれど、基本的には、スーパーマリオではないか。
音楽だって、ところどころ、「あ、その曲知っている!」というものが流れる。
それで、やってみることにした。
「まり、どのキャラクターがいい?」と甥が聞く。
「まりのお友達は、マリオだけ」と答えると、「ぴかちゅうも知っているでしょう?」と甥。
「ぴかちゅうは、甥2ちゃんたちのお友達として知っているだけで、まりのお友達ではないのよ。まりの昔からのお友達は、マリオだけ」と答えると、「それなら、マリオの弟のルイジも知っているはずだ」と理屈っぽい。
さて、マリオを選んだスーパーマリコは、頑張ったが、昔よりボタンが増えていて、全然うまくできない。
甥たちは、自分たちより下手なおばちゃんが入って大喜びだ。
おばちゃんとやれば、自分が負けることはなくなるのだ、おおはしゃぎの大笑いで、おばちゃんとのゲームは、人気の的となった。
あまりの下手さ加減に、今度、マニュアルを借りて、会社の行き帰りに、ボタンを覚えることにした。
今に見ておれ、おばちゃんの方がそのゲームは昔からやっているのだから、と思うが、きっと、一週間に一回では、うまくなれずに、甥たちに笑われっぱなしになるだろうと思う。
ま、一週間に一回くらい、余裕で遊んであげようっと。



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1999年04月28日(水)

墓参り


父の七回忌の朝がやってきた。
我が家は、お墓とお寺が離れているので、家族だけで、お墓参りを済ませて、お寺でお経をあげてもらうことになっている。
墓参りは、どのような形が標準形であろうか。
よそのお墓を参ることがないのでよくわからない。
我が家は、日本酒とウイスキーと煙草を用意していく。
皆がお参りした後、墓石に日本酒とウィスキーをかける。
そして、「死んだおばあちゃんが煙草が好きだったから」と言って、一本、火をつけた煙草を墓石に置いてくる。

以前、弟の友人の日系二世の男性が、父が死んだときに、「お葬式に行けなかったから」ということで、墓参りをしてくれたことがある。
弟は我が家の風習どおり、日本酒をかけ、ウィスキーをかけ、煙草に火をつけたら、その日系二世が、やたらに感激して、「仏教って、なんて良い宗教だ!」と叫んだそうである。
キリスト教では、墓場でお酒や煙草は厳禁らしい。

この習慣が日本全国のものか、わからないが、我が家では、欠かせない墓参りの作法である。
七回忌の朝、母は、色々忙しかったのか、お酒とウィスキーを持っていくのを忘れたことを、「とんでもないことををした」と反省、本当の命日に、一人で、お酒とウィスキーを持って、墓参りに行ったくらいである。
しかし、よく考えてみれば、お坊さんが一緒の時は、お酒やウィスキーをかけないから、やっぱり、我が家だけの習慣かも知れない。


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1999年04月29日(木)

法事


七回忌の法要が始まった。
親族から、焼香ということになる。
今回から、3年生になった甥1と1年生になった甥2が両親から独立して一人で焼香をした。
二人とも形が決まって、親は嬉しそうだった。
また、二人とも、もう小学生だから当たり前と言えば、当たり前だが、お経の間、とても大人しくしていた。
甥1は、3歳から、おじいちゃんに始まり、お父さんの伯父、伯母と立て続けにお葬式が続いたので、とても、お葬式や法事に詳しい。
お経が終わりそうになったとき、私の後ろで、小声で、「次はお話?」と母親に聞く甥1の声が聞こえ、笑いそうになってしまった。
この子は、法事の段取りが全部、わかっているのだ。
そう、そう、お経が終わったらね、お坊さんが皆にお話をしてくれて、それが終わったら、食事に行くタクシーに乗るのよ、と答えてあげたかった。

甥1が3歳のときに、おじいさんが死んだ。
そのお葬式や法事の折り、皆、黒い洋服で、悲しそうにしている中で、お坊さんは、紫の装束に金色の袈裟などの衣装で、とてもきれいだった。
また、堂々として、皆の中心に座り、よく通る声でお経を上げ、皆に、お話をする。
これを何回か見た3歳の甥1は、お坊さんに憧れるようになった。

「甥1は、大きくなったら、何になるの?」と聞くと、「お坊さん」と答えるようになった。
その頃、甥1は、よく画用紙と色鉛筆を私のところに持ってきて、お葬式の絵を描いてくれと頼んだ。
私は、悲しそうにしている人たちの中央に、きれいな着物を着てお経を上げているお坊さんの後ろ姿を沢山描いてあげた。
また、4歳の頃、甥1に、「来年は、七五三の着物着るのね?」と聞くと、赤ちゃん言葉で、「七五三 ない!お・ぼ・う・さ・ん」と言った。
七五三とお坊さん、いわれてみれば、音が似ている。
「七五三にお坊さんの格好をして、鳥越神社にお参りしたら、神主さんが困ってしまうわよ」と、笑った覚えがある。
そうこうしているうちに、何回か続いたお葬式、法事も一段落するとともに、甥1のお坊さんへの憧れも薄らいでいったようだった。
甥1は、普通の紋付き袴で、七五三を行った。

赤ちゃんというのは、自分が赤ちゃんであると思っていないようである。
まるで、いつかは、大人と同じように振る舞えるようにならなくてはと思っていたかのように、お葬式や法事の大人の振舞いを見て、甥1は段取りや振る舞いを全て覚えてしまったようだ。
甥2は、お兄ちゃんに負けじと同じように振る舞う。
今回の法事では、二人とも、教えもしないのに、お寺に親戚が到着すると、ちゃんと、正座をして頭を下げ、一人で、お焼香もこなした。
本当に赤ちゃんの時期が終わって、これから、大人になるのだ、と思う。
法事が終わって、「おじいちゃんに、何を、拝んだの?」と聞くと、甥1は、「覚えていない」とのこと。
どうも大人と同じ形で拝むだけで精一杯だったようだ、形ができたのだから、今度からは、心を入れていくだけ。



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1999年04月30日(金)

パリの美味しい話


この本は、中公文庫で、価格は621円である。
著者は、戸塚真弓さん
この本は、フランス人と結婚した日本人女性のパリでの暮らしを食を中心に描いた本である。
この筆者と私はお友達になれるなと思うのは、エッセイの色々なところにちりばめられた美味しいものへのこだわりとそれに対する時間を惜しいと思わない姿勢である。
例えば、この筆者は、時間のかかるポ・ト・フーを良く作るのだが、「ポ・ト・フを作るのに、私は二日がかりであるが、時間や手間が美味しいと思ったことは一度もない。たかが料理にそんなに時間を費やすなんて、あなたには他にもっと大切なことはないのですかと、言いたげな人が時にいる。けれども、おいしいものを作ったり食べたりするのは、とても大切なことだと私は考えているので、そんな皮肉もあまり気にならない」と言い切る。
こういう姿勢の人の感性を通して描かれるパリの食生活の話しは、とても、深くて、且つ楽しい。
食べること、料理することの好きな人なら、楽しく読める本である。



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