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「美味しい!」が好き

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1999年09月01日(水)

BAKへのメール 隅田川フラフラ


気が向いて、隅田川を渡って、長命寺のさくらもちを買いに行ってきました。
隅田川の橋を自転車で渡るなんて、何年ぶりでしょう。
隅田川はとても大きくて、水量豊富な川です。
一時汚染がひどくて臭かったけれど、今は、臭くないのですが、いつも隅田川にくると、「あら、臭くないわね」と思うようになってしまったのは、悲しいことです。

で、言問橋を渡って、見番通りというところを走りました。
ここは昔の花街だったのでしょう、料亭が沢山あります。
そうだ、向島芸者という言葉があるではないかと思い出しました。
木の実ナナがここいらへんの出身ですね、確か。

それに、昔ながらの古い立派なお寺や神社が沢山あるのです。
へえ、向島は、戦災に遭わなかったとはじめて知りました。
隅田川七福神巡りというのがありますが、あれは、こういうお寺を回るのでしょうね、中々良さそうです。

見番通りの電信柱の宣伝がすべて、「長命寺のさくらもち」か「言問団子」でした。
言問団子もいいし、迷うなと思っていたところ、運良く言問団子はお休みでした。
でも、サンプルが飾られていたのですが、言問団子は、一皿500円もするのです、何であんなに高いのでしょう、お休みで良かった、良かった。

長命寺のさくらもちは、ばらで180円、箱入りだと1つ200円になります。
これを買って、さくら橋を渡って帰ってきました。
墨田公園も昔は広々していたと思っていたのですが、何か狭いのですよ、そうか、私が行っていた頃は、護岸工事がされていなかった頃だったとわかりました。
上には高速道路が走っているし、さくらもち屋さんは、閉めっぱなしでしか営業できなくなっているのでしょうね。
昔は、店の中から外が見えたと記憶しています。
私が小さいときには、高速道路も護岸工事もなくて、静かで、触ろうと思えば隅田川の水にも触れたような気がします。
昔、墨田公園で遊んで、さくらもちか、言問団子を食べた記憶があります、でもきっとたまにだったのでしょうね。
私が甥たちを連れてきても、缶ジュースしか買ってあげないような気がします。
昔は、私の家に余裕があったか、さくらもちや言問団子が安かったのでしょうね。

帰ってきて、さくらもちをあけたのですが、さくらの葉の塩漬け3枚にくるまれて、中が見えません。
一枚だけ残して食べましたが、やはり、香りはいいし、餡がさっぱりしていておいしいです。
皮も柔らかくておいしいです。
甥がいて、ちょっと食べましたが、さくらの塩漬けの塩が気になるらしく、おいしくないとのことです、子供にはもったいない味だから、それでいいなと思いました。

長命寺 桜もち(これが店の名前です、そういえば、長命寺はこの近所にあるのですよね?)
住 所: 東京都 墨田区 向島5−1−4
電 話: 03−362−3266
定休日:毎週月曜日、第四日曜日

そうだ、後、おがわさんのどら焼きも食べねば、です。

思うに、東京の茂助団子とか、この桜もちの餡は本当にいい餡です。
今まで東京の餡が京都に劣ると思っておりましたが、昔乍らの団子屋さんとか桜もち屋さんの餡は、同じくらいおいしいと思います。
いわゆる練りきりとか、生菓子系統が京都にくらべて落ちるのかも知れません。
(私見です、良い店もあるかも知れません)



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1999年09月02日(木)

BAKへのメール 上野とんかつ平兵衛(へいべえ) 1/2


今日はお休みだったので、雨の中、自転車で上野のとんかつや平兵衛に行って、食べてきました。

★作り方(揚げる場所の前でずっと見ていました)
豚ヒレ一本程度の脂身のないロース肉に塩胡椒した後、小麦粉をまぶし、卵、パン粉を二回つけますが、決して押しません。
上から馴染ませようとしないで、自然についたパン粉だけを大切にする感じです。
それを、本当に低温、泡がまるで立っていない油の中で20分以上、静かに寝かせて、中まで、高温にしない状態で中まで火を通します。
仕上げ5分程度は、少し、じゅくじゅくと泡が立つ程度に温度を上げた油の中に移します。
注文してから、30分はかかりますので、その点注意です。

種類は、ロースしかありません。後は海老フライとすじこ・チーズのフライがあるようです。

★味
今までにないとんかつでした。(なんて、この店は創業70年らしいから、私が知らなかっただけです)
豚肉がジューシーです。
切り口が水々しいです。
回りの衣は、クリーム色でふわふわです。
感想は、とんかつを食べたというより、豚肉の上等な扱いの料理を食べたという感じでした。
これ程、水々しくて、柔らかい豚肉料理は食べたことないかも知れません。
茶色く揚がったばりばりの衣に、噛むと、歯ごたえのあるとんかつに馴染んでいるせいか、とんかつとして受け入れるには、ちょっと抵抗感がありました。
でも、水々しくて、豚肉自体の扱いがうまいので、ヒレ1本程度の大きさですが、食べてしまいました。
低温であげているので、揚げ油がトンカツ自体に殆どしみ込んでいないらしく、とても軽いです。
その場で、「わ、おいしい」というおいしさではありません。「これがとんかつ?」という不思議な感じでした。
パンフレットによると、豚肉の中心を75度にするのがあげあがりとのことです。
その場では、「不思議なとんかつ」と思いましたが、きっと、今後、他のとんかつを食べるときに、「平兵衛のほうがおいしいな」と思うだろうという予感はあります。





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1999年09月03日(金)

BAKへのメール 上野とんかつ平兵衛(へいべえ) 2/2


★店 きれいではありません。
食器等は清潔ですが、お店のそこいらへんに油しみ等ありますから、清潔第一の方には、向かないと思います。

★TV
その店のおばさんが言うには、明日テレビ朝日が取材に来て、23日の朝の8:00から10:00までのワイドショーに出るそうです。
9:30くらいに紹介されるとのことでした。
「取材拒否のお店と聞いたけれど?」との問いに、「お父さんが頑固でマスコミ大嫌いだけれど、今は、息子が殆どやることになったから、出るのよ。
息子は最近の子だから、平気なのよね」とのことでした。
(その息子さんは、髪の毛を金髪に染めております)

★おばさん
AさんやBさんが私に下町の情緒を感じてくださるようですが、私に下町の情緒があるというより、本当に回りが下町なのですよね。
平兵衛のおばさんも本当に下町のおばさんで、息子が奥へ引っ込んで、お客さんが、私ともう一人になったら、向こうから色々話してくれました。
もう一人の方は、4,5年前の雑誌で見てから、その切り抜きをずっと持っていて、とうとう、今日来てしまったという神戸の方でした。
出張のついでのようです、おばさんは、その切り抜きを見てとても嬉しそうでした。

おばさんは、明日、TVの撮影が来ることがとても嬉しいようです。 「この不況じゃ特色がないと潰れてしまうし、この店は目立たないところにあるから、嬉しい」
「うちは店が汚いけれど、お客さんに『味が落ちた』といわれないように、味だけは頑張っているのよ、一人のお客さんが『味が落ちた』といえば、それが10人に広がるから、こわいのよ」とのことでした。
誰もがおいしいと思うとんかつを作るのは無理だけれど、10人中8人が食べておいしいと思うものを作ることがお父さんのモットーだそうです。

おじさんは、マスコミ嫌いとのことですが、おじさんの熟練の技術とおばさんの気持ちと、おじさんの技術を叩き込まれた上、マスコミに抵抗感のない息子さんのトリオでこの店はこれからも繁盛するような気がします。

次にどこか別のお店でおいしいとんかつを食べたとき、私が、「平兵衛のほうがおいしい」と思うかどうか、楽しみです

<後日談>
このメールを書いたのは、食べてすぐであった。
確か、このメールを書き終わってからの数時間、胃の中に油が残っているような感じがあったのだ。
きっと、低温で揚げるから、油切りがどうしても悪いのかも知れないと思う。
でも、それが唯一欠点であるだけで、一度は食べたほうがいいと思う。
なんというのか、「お料理する人の想像力を掻き立てる」とんかつなのだ。
この油が欠点ではあるが、伝統的な高温で揚げるトンカツ屋に食べにいくと、「やっぱり、肉は、平兵衛の方が美味しい」と思ってしまう。
このトンカツ屋の影響で、私は、「低温トンカツ」を研究しだした。



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1999年09月04日(土)

BAKへのメール 子供が元気のないときのスープ


こんにちは、皆さん、森@オリンピックの開会式を見ている、です。

子供たちのセーター、可愛いですね、あんなに子供たちを可愛く見せる、国旗を アレンジしたセーターを見て、久々編み物がしたくなりました。
(アトランタの開会式のときの子供の衣装も最高でしたが、負けてませんね)
私は、実は、料理と同じくらい棒針の手編みが趣味です。

最後に編んだのが上の甥が3歳のときに、「地が紺で、前にふぁど、背中にそらおの編み込み」という豪華版だったから、4年は編んでいません。
今でも全ての太さの編み棒持っているのですが、やるべきこと多くて、(自分でやることを生み出しつつですが)編み物は当分お預けです。
人は、「趣味が編み物と料理」というと「わー、女性らしい」と言ってくれます
が、私が編み物を始めると、ごはんも食べず、他に何もせず、一心不乱に編んでしまうので、全く女性らしくない生活になってしまいます、何かを形にしようとする職人さんのようです。

で、また、前置きなのですが、あの子供たちのセーターのデザインが小沢ヴェラさんでしょ、そのお母さんの入江真樹さんの「子供が元気がないときのスープ」を書きますね。
どなたかの役に立てばいいのですが。
他に生の桃とプラムを使った例がありますが、今は季節ではないので、省略です。
プラムやアプリコットの干したものならオールシーズン作れるとのことです。
冷たくしてもおいしいとのこと。
私はこの土日に試してみようと思っています。

リンゴのスープ
材料:紅玉リンゴ1個、砂糖大5S、水3カップ、クローブ1本、
   レモン汁大1S、シナモンまたは生クリーム少量

1.リンゴの皮を剥き、4つ割にして芯を取り、賽の目に切ってから、塩水で洗ってお
  く
2.水にリンゴの皮を入れて、5分ほど煮る
3.スープにきれいな色がついたら、漉して、りんごとクローブ、砂糖を入れて柔らか
  く煮る
4.煮えたら、レモン汁とシナモンか生クリームを入れる。



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1999年09月05日(日)

BAKへのメール 雪


<雪が降っているときに、家の中から雪を見るのが好きという話題>

私も好きです、高校生のときに、窓から雪を見ながら階段下りて、足を滑らせて転げ落ちたことを、今でも家族に言われます。

私は、生まれて一年以内の小猫が、初めての雪を不思議そうにずっと見ている光景を見るのが好きです。
本当に、不思議そうな顔をして、雪が降っている空を見るのですよ。
二回目からは不思議がらないのです、つまらない。
確か、甥が1才未満のときに実験したような気がしますが、結果は忘れました。
ということは、あまり可愛くない反応だったのかも知れません。
やはり、こういうときは、成長の早い小猫が可愛いです。



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1999年09月06日(月)

BAKへのメール つばめグリル他


本日、錦糸町のつばめグリルで、ハンブルグステーキを食べた後、新松戸の親戚 に行ってきました。

●つばめグリル
 銀座のつばめグリルの錦糸町店ができたとのことで、行ってみました。
 銀座も一度しか行ったことがありません。
 銀座で食べたときは大感激、今回は、初回ではなかったので、前回ほどの感激は
 なかったけれど、相当においしいハンブルグステーキ(この店ではこう言います)
 でした。

 目玉焼きが乗っている昔タイプと、銀紙に包んである現代風がありますが、現代
 風の方がおいしいと思います。
 ステーキには、ジャガイモ一個蒸し焼きにしたものが付いてきますので、少食の方
 は、パン・ライスは不要かも知れません。

●生クリーム
 最近、生クリームが気になっていて、よく見ていますし、色々な種類を試していま
 す。
 以前のメールで書いた長期保存のできる生クリームは、実は生クリームではない
 ことがわかりました。
 雪印のが、「純乳脂肪ホイップ」(北海道生クリーム使用)、スジャータが「純乳脂
 肪40」(箱に「生クリーム使用」のラベルが貼ってあります)
 両方とも「種類別」に「乳等を主要原料とする食品」とあって、どうも、生クリーム
 を使用した製品であって、生クリームではないことがわかりました。
 ま、これはこれで使用価値はあると思います。
 その他に、雪印で、乳脂肪20%+植物脂肪20%という製品も見つけました。
 (まだ、試していません)
 生クリームは、牛乳と違って、生活必需食品ではないので、どこのスーパーに行
 っても、多くて4種類くらいしか揃えてない店が多く、全商品一同に会しての比較が
 できません。

●キティちゃん人形焼き
 もしかして、もう出た話題かもしれません。
 本日、新松戸の親戚の家に行き、帰りは常磐線で上野に出ましたところ、降りた
 場所の近くが、上野の新幹線乗り場の近くでした。
 その近所に、「キティちゃんの人形焼」の店がありました。
 Mさんはじめ、キティちゃんファンの地方へのおみやげとして、最適だと思いまし
 た。



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1999年09月07日(火)

BAKへのメール 戦前の東京の日本酒


本日、昭和13年生まれの叔父に聞いてきました。

江戸時代からだと思いますが、東京のお酒は、灘から船で運んできていたとのことです。
灘を出て、中央区は新川あたり(日本橋の近く)に着いたから、今でも酒問屋は、新川あたりに多いとのことです。
新川から、隅田川や日本橋川・神田川を上って、江戸中にお酒が配達されたのでしょうね。
「下り船」(くだりふね)といわれて、お酒が波の振動で、余計おいしくなったとのことです。
やはり、多摩のお酒だけでは、江戸時代に100万人都市であった東京のお酒をまかないきれなく、酒どころの灘から、船で運ぶのが一番、大量に運べたのではないかとのことです。



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1999年09月08日(水)

BAKへのメール つばめグリルまとめ


つばめグリル情報有難うございました。
お店の前まで行っても、つい、支店の一覧表をもらい忘れております。(笑)

新横浜店 駅の中
横浜店   ルミネの中
品川店 第一京浜沿い、京品ホテルを通り過ぎたところ
川崎店 川崎駅西口最近できたホテルの中
錦糸町店 駅の中、そごうの向かい側
二子多摩川店 二子多摩高島屋隣のビル
渋谷店 109の近くのビル
池袋 東武メトロポリタンプラザ7F
新宿 ルミネ2

勿論、後、銀座本店と、全部で、10店もあるのですね。
しかも、私の殆ど、1年に一回も行かないところばかりにあります。
(どこへいつも行くかというと、合羽橋と築地、アメ横です、私が単に変わったところにしか行かないだけかも知れませんね)
でも、おかげさまで、慣れないところへ行ったとき、つばめグリルの場所さえ、抑えておけば、安心です。
どうも有難うございました、頭にインプットいたしました。

東京・神奈川以外にお住まいの皆様、東京に来たとき、つばめグリルお勧めですから、寄ってみてくださいね。
後、聞かれもしないのに、何ですが、東京にしかないチェーン店でお勧めは、サクソンのカレーです。(銀座と赤坂にあったと思いますが、何せ、両方とも10年くらい行っていないのでわかりません)
サクソンは、チョコレートケーキで有名なトップスと同系列のお店です、おいしいですよ。



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1999年09月09日(木)

BAKへのメール 東上野 関矢健二酒店


こんにちは、森です。

先日、碑文谷の従姉妹の家で、「関矢健二酒店」を知りました。
我が家から自転車で5分の、銀座線稲荷町駅近くにある酒屋です。

なんでも、この方は、自分で日本酒を設計して米を作る、選ぶ、杜氏を選ぶをして、オリジナルブランドを80種類作っているそうです。

パンフレットをもらってきたのですが、「日本でただ一人の日本酒プロデューサーで日本酒党のカリスマ的存在」と書いてあります。

日本酒が大好きで、研究すること10数年、サラリーマンを止めて3年醸造学を学んだそうです。

(熊本出身とありましたから、台東区の人ではなさそうです、この酒屋さんを買い取ったのかな?よくわかりません)

お店においてある殆どは、オリジナルブランドですが、2割くらい、地酒も置いてありました。
日本中の蔵元を歩き回って、おいしいお酒は自分で作るしかないと思ったそうです。

名前:セキヤ酒店
住所:東京都台東区東上野5−10−2
電話:3841−8384

お店で、そのご主人が店番をしていまして、お客さんの相談に乗ってくれるようです。

合羽橋から歩いたら、10分ちょっとかな、おついでの際に寄ると面白いと思います。



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1999年09月10日(金)

BAKへのメール わらび粉・葛粉


こんにちは、森です。
今、合羽橋に行ってきました。
蔓藤と本間商店を見てきました。

まず、片栗粉ですが、私は生まれてからずっと澱粉の片栗粉を使っていたものですから、Iさんに、「片栗の粉でないのに、片栗粉」と言われたとき、全然ぴんと来ませんでした。

<蕨粉>
売っている商品は、すべて「わらびもちの粉」であり、「わらび粉」ではありませんでした。
全て馬鈴薯澱粉製です、わらび粉単独もしくは、混ざっているものは置いていないようです。
(馬鈴薯でんぷんをわらび粉と言っているわけではないので、嘘はないようです)

<葛粉>
「吉野本葛」と書いてあるものの裏には、「原材料:本葛根」とありましたから、多分これは本物でしょう。
150g750円、1kg4000円、2kg7000円でした。

<葛切り>
葛切りは、「馬鈴薯澱粉・葛粉」とそれに増粘剤が加わったものか、馬鈴薯澱粉に増粘剤が加わったものがありました。

以前、Fさんに、お菓子の材料屋さんにも、良いものを扱っている店とそうでない店があると聞いたことがあります、最上級のものを扱っているお店に行けば、わらび粉も手に入るかなと思いました。

それと、葛粉なのですが、「吉野本葛」と書いてあっても、やはり、色々品質があるような気がします。
以前、小袋で買ったときおいしかったのに、大袋で買ったらちょっと品質が違うなと思ったことがあります。(まだ、大袋が残っております、涙、涙)

和菓子屋さんのホームページを見たら、わらび粉でわらびもちをつくると、日持ちがしないとありました。
日持ちのために、昔から混ぜ物をしていたことは十分に考えられますね。

<後日談>
その後、合羽橋の蔓藤さんで、ほんもののわらび粉を売っているのを発見、買ってしまった。
とても高かったです、そして、まだ、使っておりません。



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1999年09月11日(土)

BAKへのメール 浅草での土曜日


こんばんは、森です。
本日、TさんとYさんと3人で、上野の森美術館にIさんのご主人の絵を見に行ってきました。

で、その後の行動について。

 (1)アメ横センタービルの地下見学
    アメ横歩いていたら、お腹が空いてきて、浅草から歩いて言問団子に行く
    ことは諦めました。

 (2)浅草からタクシーに乗って、言問団子を食べる
    好評

 (3)隣の長命寺のさくらもちを食べる
    こちらも好評

 (4)弘福寺を訪ねる。
    長命寺も行ってみたが、鉄筋のお寺でした、弘福寺は、きっと江戸時代から
    の建物だと思います、とても素敵です。

 (5)隅田公園の水面を散歩、アサヒビール本社を眺めながら浅草に戻る
    今日は天気が良くとても気持ち良かったです。

 (6)浅草寺でお参り
    浅草寺の天井に注目してもらいました。(絵が沢山あるのですよ)

 (7)入山せんべいでおみやげを買う(おせんべいを焼くところを見る)

    私が思うには、浅草に手焼きせんぺいの店は多数あるけれど、ここが一番だ
    と思い、ここで買ってもらいました。

 (8)浅草をふらふら、牛肉のちんやなどを見学(牛肉も食べたいねということに
    なる)
    よそにもあるのでしょうけれど、浅草のちんや・まつきという牛肉屋さんの
    お肉はおいしいです、クーラーボックスがあったら、おみやげにできたのに
    ね。

 (9)ミスドに入って、コーヒーを飲みながら夕食を何にしようか考える
    ぴあランキンググルメ下町編と、ダイブルを見ながら、どこにしようか相談
    しました。

(10)尾張屋の天ぷらそばが食べたいということになり、尾張屋に行く
    尾張屋の天ぷらって、本当に海老がまっすぐに揚がっていて、おいしそう
    なのですよ。
    お蕎麦もおいしかったです。

(11)まだ、話したりないということになり、「ムルソーダブレ」というケーキ屋に
    行きました。
    「え、浅草にこんな素敵なケーキ屋があったの?」と地元民驚きのお店でし
    た。
    窓から隅田川が見え、店内は、原宿とか目黒といってもおかしくないインテリ
    アで、びっくりしました。
    ケーキは安かったのですが、コーヒーが一杯800円です、ま、コーヒーの
    値段は、店のムードに比例と言ったところでしょうか?
    ゆったりした気分になれるところです、今度から、生活に疲れたら、ここ
    に来て、素敵なインテリアに囲まれながら、隅田川でもボケっと見ることに
    しようかな。

私も久々言問団子を食べたのですが、私には、甘過ぎるのだと思いました。
でも、他のお二人は、餡にあるお豆の味がおいしいとのことです、私はそこまでわかりませんでした(涙、涙)。
あれほど、私が「おいしい」と騒いでいた長命寺の桜餅が好評で良かったです。
(私の話しを信じて墨田公園までいらした方たちが、おいしくないと言ったらどうしようと思いました。)
お二人の感想では、「どちらも個性が違うので、どちらがおいしいということはできない、両方ともおいしい。でも続けて食べるなら、先に言問団子を食べたほうが良い」とのことでした。
Yさん、初めて関東風桜餅を食べたとのことですが、初めて食べた関東風桜餅が元祖長命寺というのは、相当、恵まれていると思います。
(私が思うには、ここのは、やはり、東京の桜餅の中でも、最高級に属すると思います)

今日、弟が言っていましたが、両国の江戸博物館では、この2つがおみやげとして売られているとのことです、
墨田公園まで行くのが面倒なときは、江戸博物館がいいですね、でも、入場料払うことになるのかな。

3人で、午後1時に待ち合わせ、別れたのが、午後7時40分くらいだったから、6時間40分、素敵な絵を見て、おしゃべりしながら、食べ続け、大変楽しかったです。

それに、私も、観光客がいる時間の仲見世に行くのは、本当に○十年ぶりでしたし、ガイドブック見ながら、浅草歩けて、楽しかったです。(いつも、自転車で行って、必要なところだけ、行ってさっさと帰ってきてしまいます)

今日は、大満足の土曜日でした、一週間の疲れが取れた気分でした。



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1999年09月12日(日)

BAKへのメール 外人の東京見物


この前の日曜日、我が妹が、在関西の友人のだんな様がアメリカ人を東京案内するのにつきあったそうです。(その関西の方は東京を全然知らないとのこと)
で、出掛けに、妹が「そのアメリカ人が築地のセリを見たいというのだけれど、どうしたらいい?」とのことでしたので、本を見て教えてあげました。
セリは、早起きさえすれば、誰でも見られそうです。(私もいつか行ってみようかな、でも5時頃に築地に行くのって、決心いりますね)

そのアメリカ人はミネソタの方で初めての東京観光ということですが、築地のセリって外人に人気があるようですね。
外国にはないのかしら?(妹曰く、少なくともミネソタにはないだろうとのこと)

で、その方は、日曜日は銀ブラでサクソンでカレーを食べ、月曜日は、両国国技館で相撲見物、火曜日は、絶対に築地のセリを見に行くとのことでした。
何でも、新宿の京王プラザに泊まって、築地のセリを見に行くとのことですから、午前5時過ぎに築地に行くためにはきっとタクシーでしょうね、思わず「リッチ!」です。

で、余談ですが、案内を頼んだ在大阪の妹の友人のだんな様は、銀座で食べるものを探すときに、和食については、「京都で食べるから東京は違うものが良い」とのことだったそうです。
ま、関西の方からすれば、東京の懐石や和食の殆どが、食べるに値しないものかも知れないけれど、天ぷら・寿司・鰻・お蕎麦は東京かなと思いました。

東京の赤坂に外人に人気の炉端焼き屋があります。
田舎家というのですが、ここは注文すると、店員同士、威勢良く、掛け声のようにして、注文を掛け合いで復唱します。それがいいのかなと思います。
外人さんをアテンドするときにお勧めの店です。(なんて言って、10年くらい行っていませんが)でも、高いです。



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1999年09月13日(月)

BAKへのメール 玉子焼き器


<玉子焼き器は、「関東型」(正方形)「関西型」(縦長)「名古屋型」(横長)があるという話題を受けて>

昨日、一昨日のちらちらっと、合羽橋に行ってみたのですが、合羽橋に、名古屋型の玉子焼き器はないようです。
余り、長くいなかったので、全部は見ていませんが、

関東型だけの店...1軒
関東が主流だけれど、関西型も置いてある店...2軒

どちらにしろ、大きさ各種揃っているのは、関東型だけで、関西型は小さ目のが、二三種類あるだけのところが多いようです。
行って、直ぐに好きなサイズが買えるのは、関東型だけですね、関西のは、大きいのが欲しい場合は取り寄せになります。
やはり、関東のプロは、関東型で玉子焼きを関東風に焼くのかなと思いました。

名古屋型は、やはり、名古屋近辺でしか売っていないのでしょうか?
う巻き用だとすると、お隣の浜松にもありそうですね(これは私の全くの推測です)
名古屋型の用途は、名古屋の方に調べてもらうしか方法はないようです。



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1999年09月14日(火)

BAKへのメール 和菓子の本


こんばんは、森です。 Cさんだけが持っていた中央公論社の暮らしの設計シリーズ No.196「京都末富 山口富蔵の京菓子読本」を到々手に入れました。
2、3年探していたのですが、本屋で見たらなかったのですが、先週、秋葉原の書泉で見つけました。
出版が1990年とあります、売り切れと聞いていたのですが、どういうわけだか、一冊だけ売っていましたので、即getです。

和菓子というのは、洋菓子に比べて地域性が強いし、昔からの老舗で修業しないとわからない作り方とかまだまだあると思います。
また、洋菓子に比して、それほど、本が出ていません。
京菓子の作り方と言ったら、やはり、この本しかないと思います。

なんと、京都の栗餅が載っているではないですか?
これって、別に老舗のものを買わなくても、京都の街中のそこらへんの和菓子屋さんのものを買ってもおいしいのです。
東京で行ったら大福のようで、餡と栗の甘露煮が、大福の皮のようなもので包まれているだけのお菓子です。
どうして、東京で栗餅を売っていないのでしょうね?少なくとも私は見たことありません。
作り方は簡単なようです。

材料を見ると、餅粉で作るようです。
今日、合羽橋で、餅粉を買ってきましたので、近々作ってみようと思っています。
餡は、できたら、築地の茂助団子の餡がいいですね。
先日、塚Pさんたちと築地に行ったときに、衣美さんが茂助団子で、「餡だけ欲しい」と注文したら、買えました。
何でも聞いてみるものです。
私も今度、茂助で餡を買ってこようと思います。(ま、そこまで凝らない可能性もあります)
なんて言ってもここの餡は、有機栽培、十勝産「かほり豆」使用ですから、おいしくないはずありません。(というか、おいしいと感じる→材料を見る→その材料だからおいしいに違いないと思いました)
かほり豆というのは、どこでも売っているものなのでしょうか?



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1999年09月15日(水)

BAKへのメール 江戸のファーストフード


こんにちは、森@今日からお祭り準備モードです。
泣いても笑っても後1週間、何をしても何もしなくても、お祭りは向こうからやってきて、あっという間に私の住んでいる環境をお祭りモードにします。
(正しくは、お祭りモードにする町内会の役員の皆さんたちが頑張っているのですが、昼間台東区にいない私にとっては一夜にしてお祭りモードになってしまう感じがします)

人はお祭りがある地域でいいわねと言います。ま、ないよりあったほうがいいかな、これで来年からなくなったら淋しいなとは思います。

本題ですが、「江戸のファーストフード」という本を買って読んでいます。
江戸という街は、何もないところに作った都市なので、男性の労働力が必要だったとのことで、男性の数が圧倒的に多かったそうです。
それがあるので、そういう単身赴任の男性たちが仕事の後で簡単に食事ができる屋台が発達したと書いてありました。
屋台と言っても江戸時代の屋台は、引いて歩く屋台ではなく、参勤交代の行列等が来たとに、移動可能なものだったとのことです。

寿司、そば、てんぷら、うなぎ、団子、しるこ、大福

天ぷらも江戸時代は串に差して揚げたそうです。
なんでも、火事が恐いので、家の中で天ぷらを揚げることは禁止されていたとのことで、天ぷらこそ、屋台でしか料理できなかったものだそうです。

まだ、しもじものところしか読んでいません。武家のほうに行って面白いところがあったら、また、メールしますね。



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1999年09月16日(木)

BAKへのメール 和菓子の宮内庁御用達


以前、宮内庁御用達は、虎屋か塩瀬総本家かという話題がありました。

江戸のファーストフードに下記が載っていました。

「歴応年間(1338−1342)に、帰化人の林浄因が奈良で蒸し饅頭を伝え、塩瀬姓を名乗ったと記録される」

また、今週のCAZに
「歴応4年(1341年)に初めて作った饅頭を宮中に献上して以来、「日本一の饅頭所」の看板を掲げている名店。」とありました。

もしかして、現在でも残っている和菓子屋さんの中で一番古いのかも知れませんね。(虎屋とどちらが古いのでしょうね)

天皇について、きっと、本店が京都になり、東京になり、したのでしょうね。

また、何かの雑誌で読んだのですが、東京の亀家万年堂(ナボナで有名と言ってわかる人は年かな?)も、明治維新で、天皇家に付いて、東京に出てきたのですって。

明治維新の頃の京都のお菓子屋さんは、天皇についていくべきか、残るべきか、きっと悩んだでしょうね。



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1999年09月17日(金)

BAKへのメール 甥たちとお菓子づくり


こんばんは、森です。 お料理ネタが少ないので、お料理ネタを書きたいのですが、本日、冷蔵庫が壊れてしまい何もできずです。
それで、甥との会話が面白かったので、一席、お笑いを。
(先週の日曜日、甥2人と私はそれぞれに思い思いアイスクリームを作りました)

先週の作品
おばちゃん:オレンジグラッセ(本格派)

甥1:卵と牛乳を混ぜて固めたものに黒蜜を最後にかけて固める

甥2:卵と牛乳と砂糖とヨーグルトを混ぜて固める

注:二人とも味見なぞしないで作る。おばちゃんは、レシピどおり分量を計って作る

一週間後の会話(()の中は私の解説及び私の本音)

甥2:真理は、僕のと甥1のと、真理のと、どのアイスが一番おいしかった?
   (何を馬鹿なことを聞くの、あたしのに決まっているでしょ、でも、この子
   は誉められたがっているのかな?あんただって、まりのはおいしいって食べて
   いたはずなのに。)
私 :私のが一番(あったりまえでしょ!)
甥2:じゃ、甥1のとぼくのでは?
   (さすが、一番は取れないことには納得した様子)
   (生まれたときから、おにいちゃんにライバル意識があったんだよね、この子
   は)
私 :両方とも(他に答えようがないでしょ)
   初め、材料聞いたら、甥2ちゃんのほうがおいしそうかなと思ったんだよ。
   でも、食べてみたら、甘いだけで、ヨーグルトの味がしなかったから、おにい
   ちゃんと引き分け。
   あんた、ちゃんと、味見してから、凍らせた?

甥2:(メラメラ)(ライバル意識が燃える音)
    よし!明日、また、作ってあげるから。(この言い方、環境遺伝です、
  反省しています。甥2のアイス、私本当は食べたくないのだけれどな)

で、今日、また、幼稚園から帰ってくるなり、「ヨーグルトは?」です。
(一晩寝たら、忘れろよな)
それで、凝りもせず、また、作りました。
(ともは、おばに似ず、どうも粘着質タイプかも知れません)

今日のは、昨日より、ヨーグルトの味がしておいしかったです、ちゃんと砂糖の味を味見したとのこと。
でも、本人満足していないようなので、つい、「生クリームを加えたら、もっとおいしくなるわよ」と言ったら、明日買ってこいとのことです。
また、墓穴を掘ってしまいました。



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1999年09月18日(土)

BAKへのメール 目抜け


魚屋さんで、「目抜け」という魚の切り身を売っていました。
中年のおじさんのお客さんと魚屋さんの間で、「これ、煮付けると本当においしいんだよね、最近、目抜けの味を知っている人が少なくなって、売れないんだよ」とお話しておりました。
(は−−い、私こそが、「目抜け」という言葉を今日、初めて知った者です)

築地の魚図鑑によると

目抜けとは、かさご目ふさかさご類の魚で、「サンコウメヌケ」「バラメヌケ」「アコウダイ」等の総称であるとのこと。
(アコウダイと言ってくれりゃ、聞いたことがあるから、買ったのに、「目抜け」なんて言われるとなんだかわからなくて、買いそびれてしまいました)
B 深海魚で、釣り上げると、目が飛び出たり、胃が口から飛び出ることがあるので、「目抜け」と呼ばれるそうです。
中でも、サンコウメヌケが最高級で、北海道や東北では、鯛の代わりに祝儀物として使われるとのことです。

ちなみに、「アコウダイ」は漢字で「赤魚鯛」と書きます。(今日まで、私は、勝手に「赤穂鯛」(赤穂のほうで取れる鯛)かと、勝手に思っておりました)
来週、売っていたら試してみようと思います。



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1999年09月19日(日)

BAKへのメール 甥たちと餃子づくり


聞かれもしないのに、何ですが、詳細レポートです。
小2と年長にやらせてみました。
2年の差は大きいです。
お兄ちゃんのほうは、すぐ要領を飲み込んで、怪獣型とか犬型餃子を作っていました。
(まともな餃子らしい餃子はほぼ0です)
弟の方は、お水で湿らした餃子を2つ折りするところまではできるのですが、しわを寄せながら、上下をひっつけるということができないようでした。
どうしてもひつけてからしわを寄せようとして、皮がぐちゃぐちゃになったことが2、3回ありました。(成功したときは、おばちゃんの口と手が動いたときです)

Kさんのお子さんも確か下の甥くらいだと思いましたが、ここのところを重点的に初めに教えるといいかも知れません。

それと、ケーキ用の木の伸し板(くださった方有難う)をテーブルの真ん中において、手に乗せて折るというより、板の上に置いて折るようにやらせました。(気の向くままにやらせましたが)

上のお兄ちゃんのほうは、餃子を包むのがまだましなだけあって、焼くこととか、切ること(包む前)にも興味を持ってやりたがっていました。(これはちょっと時期尚早な気がしました)
できた餃子を冷凍して次の日食べたのですが、おばあちゃんが「おいしい」と言ったら、余りうまく行かなかった甥2のほうが、「また、作ってあげるよ」と言ったとか。
(1,2か月して、我が家で餃子を見かけたとき、甥に「僕に黙って作った!」とわめかれないか冷や冷やものです)
遊び気分でやるといいですよ。



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1999年09月20日(月)

BAKへのメール 魚柄仁之助


こんばんは、森です。
皆様は、魚柄仁之助ってご存知ですか?

「台所リストラ術」という本を初め、3冊くらい出版した台所研究家です。
私は先日退屈だったので、本屋でふらっとこの人の「清貧の食卓」を買いました。
それ以外は何も知らない人です。(本当にこの人有名人?なのですか?)

なんでも、大正7年から続く福岡の古典料理屋さんの生まれ育ちということで、料理は親を手伝って覚えたとのことです。
その人が東京で一人暮らしを始めた経験の積み重ねの毎日の食事の作り方です。

言っていることは理にかなっているけれど、別に真似しようとは思いません。
割と丸元淑生さんと似た部分がありますので、それ程、新鮮ではありませんでした、というのが、本当のところです。

大きく言って
・料理屋と家庭では選ぶ食材が異なる部分がある。(料理屋は見栄えまで
     考えた仕入をするが、家庭はその必要がない)
・はかせ鍋を使って低温調理(BAK、ogでもよく話がでますが、食物を加熱
 する場合、やはり、100度以下で調理する方がおいしい味が引き出せるそ
 うです,野菜で75度、肉で95度程度がベストのようです)
・乾物を使う
・魚はいわし・あじの大衆魚を食べる、肉はほんのちょっと食べる
・揚げ物は極力食べない

こんな感じでしょうか?

今日、また、退屈だったので「台所リストラ術」を買いました。(途中まで読みましたが、こちらの方が面白いです)
買うなら、台所リストラ術が最初の本だから、この本から買った方がいいと思います。



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1999年09月21日(火)

七輪


昨年は、七輪で大変苦労した。
家にある七輪は、丸型で、サンマを焼く時に半身しか、乗らないので、時間がかかる。
合羽橋でみたら、バーベキューコンロという名前の長方形の七輪があり、これだったら、サンマが乗るけれど、値段が6〜7千円で、「もったいない」と思い、ずっと買うことができなかった。
それが、合羽橋祭で、長方形の私の欲しい形の七輪で、ひびの入ったものを安価で売っていたので、買ったのだ。
ひびが入っていてもお店が売るからには使い物になるのかしらねなんて、気楽に考えて買ってみたのだが、やはり、全く使い物にならなかったのだ。

七輪というのは、周囲が塗り壁のようになっており、それが空気を遮断することにより、炭に火がついている状態を保つのに、役に立っているようだ。
ひびの入った七輪は、保温効果がないらしく、火を起こした炭を入れておくと、自然と火が消えてしまうのだ。

2回試していつも火が消えた。
粘土でも買ってきて、ひびを埋めるかとも思ったが、手頃な粘土を売っているところも知らなかったので、お店に電話して、事情を説明、差額を払うから、まともなものと取り替えてくれと交渉し、了承された。
だいたい、七輪のひびは、見た目わからないところに入っている可能性もあり、粘土のようなものがみつかっても、完全にひびを埋めるのは無理だと思う。

七輪は、買うときにひびが入っていないことを確かめ、持って帰るときも丁寧に大切に振動を与えないようにして帰ることが大切。
使い始めた後も、ドシンとどこかにぶつけないように大切に使うしかないことが、骨身にしみて、わかった。



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1999年09月22日(水)

ポークソテー


いつぞやのどっちの料理ショーでポークソテーを作るのを見てたら、無性に、ポークソテーが食べたくなった。
肉厚で、ナイフで切ると、ジュワーっと汁が出てくるのだ。
頭の中で、ポークソテーを作ることを思い描く。

お肉は、この際だから、東京エックスを使いたい。
できれば、骨付きがいいな、個人の台所で、骨付きなり、肉厚の肉を4、5枚焼くとなると、フライパンで同時に焼けないだろうから、一枚一枚、フライパンで両面・側面に焦げ目をつけた後、天板に、アルミホイルを敷いたものの上に並べ、オーブンで200度くらいで焼けば、いっぺんにできるかな、なんて、段々、頭の中で、組み立てができていく。

会社の行き帰りに、たいめいけんの方が書いた洋食の本を持ち歩き、つい、勉強をしてしまう。
その本で役に立ったのは、表面に焦げ目を付けるときに、脂身は、箸なり、フライ返しで、フライパンの底に押し付けるように押して、深く火を通すようにすることだ。

おソースは何にしよう。
そもそも、焼くのに使う塩は、天然塩がいい、できたら、岩塩だ。(おいしい関係という漫画で、海のものには、海水塩、山のものには、岩塩と読んだばかりである。)

どっちの料理ショーでは、ドミグラスソースを使っていたけれど、これは、缶詰は美味しくないし、自分ではうまく作れないし、諦らめることとした。
まずは、ディジョンのマスタードが美味しいかも知れないと思う。
子羊のローストとか、ビーフステーキをマスタードで食べるのは美味しいから、豚だって、絶対仁美味しい筈である。
子供たちには、ポルトガル風として、缶詰のドミグラスソースと、トマトソースをかけてあげよう。
(もし、甘いのが良いということになったら、トマトケッチャップを使わせてあげる。)
他、弟が、沖縄でステーキを食べた時のソースで、「昔のソースの味がした」という兵庫県明石市で作られているソースをお土産に買ってきた
他にいつものにんにく醤油を用意して、4種類の味で楽しもうと決めた。

実際に作って食べたことについては、また、後日。



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1999年09月23日(木)

オムノッケカレー


たいめいけんの洋食の本を見ていたら、サフランライスの上に、オムレツを乗せて、簡単なカレーをかけるお料理が載っていた。
これは、家庭にぴったりかも知れない。
カレーを多めに作って、中の具は除いて凍らせておけば良いかも。(と言う私は、凍らせたことがない、念のため)
オムノッケカレーを作る日になったら、カレーを解凍して、その中にほんのちょっとのお肉でも野菜でも入れて温め直し、軽めのカレーにしておくといいと思う。
ライスは、温かいものだったら、ガーリックライス、サフランライス、白いご飯でもなんでも良いと思う。
炒めたらと思うが、ご飯を炒めると、全体的に油ぽくなってしまうかも知れない。

問題は、小さなプレーンオムレツである。
これが割と簡単に手軽に作れるようだったらいいなと思う。

先日から、2回程、いいかげんなオムレツを作ったら、ものの見事に変なオムレツができてしまった。
まず、バターを熱したフライパンに入れるとすぐ焦げてしまい、その中に卵液を入れても茶色くなってしまって、美味しそうなオムレツにならないのだ。
たいめいけんの本など、色々あたったが、正しいオムレツの作り方は下記のとおりである。
(1)フライパンを熱する。
(2)サラダオイルをフライパンに入れてなじませ、フライパンの外に出す。
(3)そこにバターを入れて溶かし、卵液を入れる。

熱したフライパンに直にバターを落として溶かすより、このやり方の方がバターが焦げなくて、上手にオムレツが焼けそうな気がする。
そのうち、やってみてレポートします。



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1999年09月24日(金)

東京で手に入るもの


ある日、日本橋高島屋に行った。
こういう大きなデパートは、トレンドを見る場合、たまにチェックしておいた方が良い。
行く度に、「地方の名店が店を出している」「テレビで紹介していた商品を売っている」ことを発見している。

テレビで見て、買いたいと思ったのは、「ムーンソルト」である。
これは築地場内の塩屋さんにもなかったが、高島屋地下で発見、やっぱり、高島屋だと思う。

この前、高島屋に行ったら、京都のはれまというお店のちりめん山椒が山積みにされ、その隣の店は、村上重だった。
両方とも、京都でしか買えない美味しいものの店として有名だったのだ。
MLで習ったのだが、はれまというのは、普通の家の主婦が、ちりめん山椒を作るのが得意で、京都で一番好まれている味だとのことだった。

それすらも、東京で買うことができるようになってしまい、便利になったというか、またまた、情緒がなくなってしまった。

と、ここまで書いたところで、新宿の伊勢丹に行ったら、今度は、神戸だか、明石だかの「下村商店」を発見。
はっきり言って絶句である。
確か、この店は、阪神地区の穴子の最高のお店だと覚えている。
今、不況で、現地で商売しているだけでは売上が落ちる一方なのかも知れない。
それにしても、こんなに、東京にいて、関西の有名なものが食べられるのは、良いことなのか、余り良くないのか、よくわからない。
少しは、旅行の楽しみを取っておいて、と、言いたい気持ちもする。



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1999年09月25日(金)

愛新覚羅 浩 1/2


こういうエッセイで、人に尊称をつけて書くべきかよくわからないので、一応、なんの尊称もつけないで書きます。
昔、この人の「流転の王妃」を読んだことがある。
この人は、中国清朝のラストエンペラーである溥儀の弟の溥傑の夫人である。
なんでも、天皇家に近い嵯峨公爵の令嬢で、昭和の初め、大日本帝国の戦略の一環として、中国清朝に嫁ぐことになった人なのだ。
このような政略結婚であったが、お互いにお見合いの席で相手を気に入り、「結婚」という面では、とても幸せであったらしい。
ただ、時代が、清朝及び満州帝国が滅亡し、中華人民共和国に変化するときで、元王族ということで大変苦労した話しが「流浪の王妃」であった。
溥儀とその奥さん(すなわち皇后)のことは、以前、「ラストエンペラー」という映画に描かれた。
その映画は、幼くして清朝の皇帝にされた溥儀の歪んだ生立ちから始まる。
幼くして皇帝にされたため、家族とは切り離された独特の世界で育ってしまったように描かれていた。
溥儀と皇后の関係は、当時の世相や清朝が滅亡する時期であり、皇帝とは言えど、日本陸軍の操り人形であったためか、溥儀が愛情のない世界で大人になったせいか、とても悲しい関係であり、皇后はその宮廷や不幸な結婚生活から逃れるかのように、阿片に走り、最後は、精神がおかしくなったまま、敗戦の中、解放軍に捉えられたまま死んでしまうのだ。
清朝溥儀と溥傑は、ロシアかどこかにずっと抑留されたままであった。
その間溥儀と溥傑と離れ離れであった王妃に付き添っていた日本人の弟嫁は、解放軍に何年も抑留されている間、ずっと、この阿片中毒で精神がおかしくなっていた皇后の面倒を、ずっと変わらない尊敬と敬意を持って見るのだ。
皇后が亡くなった後、チャンスが訪れ、主人公は、日本人であることから、日本に送還されるのである。
その後、生き別れになった夫と再開するのに、16年もかかっている。
この流転の王妃を読んでいると、貴族なり皇族なりでも、苦労はあるのだと思う。

この愛新覚羅浩さんの本を読んでいると、やっぱり、得るところが大きいと思う。
人間としていかに生きるべきか、嫁いでその家の一員に成りきる覚悟、貴族としての誇りがあり、義務を全うしようとする姿勢には、心に響く。




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1999年09月26日(日)

愛新覚羅 浩 2/2


清朝が専制国家であったために、民衆がどのくらい苦労したか、不幸であったかの話しは取り敢えず置いておいて、書く。

図書館で、愛新覚羅浩さんの「食在宮廷」という本を借りてきた。
まだ、初めの方しか読んでいないが、面白そうである。
(料理そのものよりも、内部から見た清朝の暮らし振りの記述が面白い。)

専制君主300年の歴史にピリオドが打たれ、共産主義国家に移ってしまう時代に、皇帝の弟に日本人の聡明で気高く、しかもお料理の好きな女性が嫁いだことは、何か、神様が、「宮廷の中から見た清朝の生活と食事の記録」を残すために、仕向けたことのようにも思える。
仮に、清朝一族が全員中国人であったらば、亡命でもしない限り、清朝について、自由な気持ちで、文章にすることなど、到底不可能であったのではと思う。

この愛新覚羅浩さんは、嫁いでから、北京の自宅で、清朝の宮廷料理人から、週に2、3回料理を習ったそうだ。
これらを全て文章に書き留めておいたが、清朝崩壊時に中国各地を流浪したときに、なくしてしまったそうだ。
それで、日本に帰ってから、昔日本に送った手紙をもとにこの本を書いたそうである。

ただ、内容的には、やはり、写真があるわけでもないし、分量も作り方も文章だけではわからない部分が多いと思う。
その点残念である。

つい数ヶ月前、テレビの「料理の鉄人」で、北京宮廷料理の達人である中国女性が挑戦者として登場したことがある。
その人の料理は、批評者誰もが、「完成度が高くて美味しい」と言っていたような気がする。(勿論、勝った。)
その中国人女性が料理をしているお店にも一度は行ってみたい気がする。
日本と同じように、民衆の中国料理と、皇帝のための中国料理はまるで別物だとのことである。



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1999年09月27日(月)

かんぴょう巻き


この前から、無性に美味しいかんぴょうの海苔巻きが食べたい。
江戸前のお寿司の本を何冊か読んだせいかもしれない。
かんぴょうの海苔巻きは江戸前のお寿司の標準なのだそうだ。

読んだ本に載っていたのは、わさびの利いたかんぴょう巻きがおいしいという文章であった。
何か、わさびの利いたかんぴょう巻きなんて、ほんとうに食べたら、気に入ってしまうような気がする。
まだ食べたことがない、今度、築地に行ったら、注文してみることにする。 
最近はお寿司の出前を頼んでも、かんぴょうの海苔巻きはなかなか入って来なくなった。

私の近所に何年前までだろう、海苔巻きとおいなりさんの梅沢さんというお店があったのだ。
そこは、おいなりさんも、海苔巻きも、注文すると作ってくれた。(作り置きはなし)
その出来立てがおいしかったことは今でもはっきり覚えている。
ここのお寿司の特徴は不必要に甘くないことであった。
醤油の使い方がうまいのだ。
特に海苔巻きが好きであった。
パリっとした海苔と、寿司飯と、甘辛く煮たかんぴょうが口の中でマッチングする。
私の今までの最高の海苔巻きは、梅沢さんの海苔巻きで、これを越える海苔巻きをまだ食べたことがない。(これは、不幸なのか、幸せなのか、よくわからない、でも、きっと幸せだと思う、最高の海苔巻きを知っているのだから。
たかが、かんぴょう巻きと言っても、技と味を知っている人が作らなくては、美味しくない物なのだ、と思う。)

夕方おやつ代わりによく買いに行った。
いなり寿司や海苔巻きは、もっと近所の和菓子屋やパン屋でも売っていたが、全然美味しさが違ったので、自然と梅沢さんにしか、買いに行かなかった。

あのいなり寿司屋の海苔巻きがまた食べたいと思うが、もう絶対に無理だと思う。
昔、日本が豊かでない時代で、美味しい物が少ない時代だったからこそ、海苔巻き・いなり寿司のお店というのは成り立ったであろうが、今後の復活は、難しいような気がする。
日本の庶民がクーラーもなく、木造の家に住み、海外旅行なんて夢のまた夢という時代だからいなり寿司屋が成り立っていたのだろう。
梅沢さんもバブルの初期の頃か、店を畳んでどこかへ引っ越してしまった。

まだ、探せば、いなり寿司と海苔巻きだけの店があるが、あの「梅沢」さんのような作り置きもしない店はないようだ。

弟と、梅沢さんのお寿司の美味しい思い出話しをしていると、甥2が、隣で聞いていて、「お父さんは、美味しい物をずっと沢山食べてきたんだね」と言う。
「うん、あんたは、生まれるのがちょっと遅かったんだよね」と答えていた。

余談だが、関西の太巻きは、焼かない海苔で巻き、関東の海苔巻きは、あぶった海苔で巻くそうである。
関西の太巻きの方が合理的に見えるが、実は、関東の海苔巻きは、できばなを食べることを前提にしているのだと思った。



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1999年09月28日(火)

ポークソテー実践編


トウキョウXというお肉を高島屋に見に行ったら、作る日には入荷がないことがわかり、断念した。
そうなったら、いつものおかず横丁のお肉屋さんを頼るしかない。
ただ、その頃、私は忙しくて、買いに行かなくては行けない日に、地元にいそうもなかったので、予め電話で注文しておいた。
電話で、「厚さ3CMの豚のロース」と言ったら、「ポークソテーなら、そんなに厚くては、真ん中まで火が通らないからだめ」とのことで、2CMを切ってくれることになった。
休み時間中の会社からの電話で、自分の思ったとおりを相手にやらせようとしても、きっとうまく行かないだろうと考え、折れてしまった。
(我が家の方は、客の言うとおりに売ってくれないことがたまにある地域である。)
今度行ったときに、「最後、オーブンで仕上げるから、3CMでも4CMでも大丈夫」ということをゆっくり伝えて、次回は必ずしや、肉厚のポークソテーを実現させると心に誓った。

で、時間になったので、豚肉を冷蔵庫から取り出して、一枚、一枚広げ、室温にさらすこと20分程度。
天板に、アルミホイルを張る。(相当いい加減)
その次にオーブンの火をつけて、200度に準備を始める。

20分して、豚肉に塩・胡椒して、24CMの鉄の熱したフライパンに油を入れて、一枚ずつ焼き始めた。
一枚目より、二枚目、二枚目より三枚目の方が、当たり前だが、油が増えるせいか、簡単に焦げがつく。
脂身の高さの部分もじゅっとフライパンの底に押し付けて、焼け焦げをつける準備は完了した。
これらを、アルミを敷いた天板に乗せ、オーブンに入れる。
果てさて、これをグリルモードで焼けばいいのか、オーブンモードで焼けばいいのかわからない。
ま、なんでもいいやと、グリルモードで5分間焼いて、天板ごと取り出す。
ちょっと、包丁を当てて、切ってみるが、中はまだ、ほんのり赤かったので、そのまま、オーブンに戻す。
この後は、気まぐれで、オーブンモードにして3分。
また、取り出して切ってみると、もう赤いところはない、ちょうど良いようだ。

それにしても、肉汁が出ないように、焼け焦げをまんべんなくつけたはずなのに、天板には透明な液体が溜まっている。
ありゃ、肉汁が出てしまったのか、不安になる。

これらを食べる場所に持っていき、まな板の上で、食べ良い大きさに切った。
やっぱり、厚さが足りないのか、肉汁がジュっと出るというところまで行かなかったが、相当、柔らかくて、火が通ったばかりというポークソテーが出来上がり、大満足であった。

片付けるときにわかったのだが、天板に溜まっていた透明な液体は、豚肉の脂であったらしく、全て白く固まっていた。
決して、肉汁がこぼれ出したのではないことがわかり、安心する。
(たいめいけんの本によると、ポークソテーを焼いたときに出る汁は、あくであるから、捨てるようにとのこと。
あくではなく、脂であるような気がするが、捨てたほうがいいことだけは間違いない。)

料理の本を見ると、焼いた最後に、ジュッとお酒をかけたりして、豚臭さを飛ばすようである。
今回はこれをしなくても全く問題なく美味しかった。



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1999年09月29日(水)

無視


「まり、昨日の10時頃、僕を無視したでしょう?」と、久々に会った甥1が開口一番に言う。
「ん〜?」と私は全く理解できない。
甥の話しをまとめると、昨日の朝の10時に、お友達の家近くを歩いていた甥1が、自転車で走っていく私を見つけて、「まり!」と呼んだのに、無視して走り去って行ったそうだ。
確かにその時間、甥が言った時間と場所で私は自転車に乗っていた憶えがあるが、呼び止められた記憶は全くない。
急いでいたので、30分で図書館に行って、借りる本を決めて、会社に行かなくてはと、自分で立てた計画に沿って行動している最中だったのだ。
だから、ボケっと自転車に乗ってフラフラしていたわけではないので、誰かに声かけられたとか、道に、猫とか子供がいたなんて、全然記憶にないのだ。
「おばちゃんは、忙しかったから、気が付かなかっただけで、無視したわけではないのよ」
甥1にそう話しても、私のT−シャツの背中の柄を指差しながら、「ほら、この背中のお人形の顔が昨日と同じだ、僕はまりだと思って呼んだのに、まりったら、全然知らん顔をして行っちゃったんだ」と面白くなかったと言う風に話す。

甥1は、昨日から、私に無視されたことに、軽いショックを受けて、おばあちゃんにも、何回も、プリプリしながら「まりが僕を無視した」と話していたそうだ。

言われてみれば、甥1は、今回、生まれて初めて私に気付かれなかったのかも知れない。
今まで、私は、家の中で甥に会えば、必ずニコっと話し掛けるは、外で会っても必ず、「甥1!」と声をかけていた。
そんなことが続いているから、甥1の中では、「まりは自分の家族で、どこで会ってもいつでも自分の存在に気が付いてくれる人」という印象があるようである。
そう認識しているからこそ、家の外で一人で歩いている甥1に会ったときなぞ、私が声をかけると、表情が無表情から笑顔に変りニコニコっとしながら、走り寄ってくるのだ。
その姿を見ると、「飼い主を見つけたときの犬と同じ反応だ、違いは、犬は、ニコニコではなく、ワンワンと吠えながらしっぽを振って走り寄ってくることだけだ」と思った。
犬と一緒にして申し訳ないが、それはとても可愛い。

甥たちがどんどん大きくなって、行動範囲が広くなっていく、私は今後近所を自転車で走り回る時、甥たちがいるかも知れないと気をつけるべきだろうか?
ま、程度問題だけれど、将来私がおばあさんになって、忙しい甥1に無視されることも有り得ようから、やっぱり、いつも、お互いを無視しない心遣いをする関係を作っておこうと思う。



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1999年09月30日(木)

甥2と食欲


甥たちが来たときに、ポークソテーを焼いてあげた。
甥たちは、「ポークソテー」という言葉を知らなかったが、「美味しいから食べてごらん」というと、素直に口に入れ、「おいしい!」というなり、パクパク食べてしまい、大人の口には、余り入らなかった。(今度から、大皿盛りはやめようと思う。)

夕食前から、甥2は、「お腹が空いた」とは言っていたそうだが、それにしても、ものすごい食べっ振りであった。
ものすごいスピードでお皿を舐めんがばかりに、(否、実際舐めていた)ポークソテーを味わい、ごはんを掻き込んでいた。
若乃花とか、出島、それからどっちの料理ショーにたまに出てくる元巨人の大久保のの小学生のときって、こんな感じだったのかしらと思う。
コロコロした男の子が夢中になってご飯を食べている姿は、とても可愛い。

ご飯を数膳おかわりした後、ようやく満足したようである。

落ち着いたところで、「今度のときは、大きなお皿に、半分がトンカツで、半分がポークソテーがいい」という。(笑)
どっちが美味しいか比べてみたいそうである。

甥2を見ていると、肥るのは、神様がくれた身体の機能が全て肥るのに向いているからだと思う。
まず、舌が大人並である。
甥2の料理に対する評価は、大人顔負けの場合が多く、我が家では、「甥2は、味がわかった上で沢山食べるのだ」と評判である。
次に食道が太い。
痩せのお兄ちゃんに比べても食道が太く、お茶漬けをかきこんだりしても、むせることがない。
胃も丈夫。
甥2は、神様が、「沢山食べることができるように」と配慮してくれた身体に生まれついているような気がする。
だから、もうしょうがないと思う。
小児成人病と大人になってからの成人病にだけ気をつけて、一生懸命運動して、(その分きっとまた余計に食べるのだ)太って暮らすしかないのだ。
おばちゃんは、おばちゃんの料理をおいしい、おいしいと言って食べてくれる子が可愛いから、一生懸命美味しい物を作るからね。



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