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「美味しい!」が好き

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2000年01月01日(土)

あけましておめでとう


2000年のお正月、皆様、いかがお過ごしですか?

さて、本日は、年初ということで、いつもと違って、固い話しを。(これ一回限りで、後は、「固い話しはなし」が、今年の方針です)

昨年の12月に久々買った「栄養と料理 1月号」に、曽野綾子さんと女子栄養大学の学長の香川芳子さんの対談が載っていて、それが、とても良かったので、そのことについて書きます。

曽野綾子さん曰く:
「私は、親が不仲な家に育ちましてね。家庭が円満でないと盗みをしたり、ドラッグに走ったり、悪いことをすると思われがちですが、私はそうはならなかったのは、たぶん健康だったからだと思うのです。
小さい頃は、身体の弱い子だったのですが、戦争で食べ物が少なかったときに、あるものをなんでも食べていたら丈夫になりました。(笑)
身体が健康だったおかげで、家が面白くないから本でも読んで逃げようとか、なんとか生きていけるわよとか、そういう考え方ができたのだと思います。
食べ物は精神的なものと非常に関系があるような気がします。
キレるというのは、食べ物が悪いんですよ。
私の友達の神父さんが、あるとき、家に火をつけてやるって暴れている信者の息子さんをなだめて教会に暫く置きました。
神父さんの食事は、野菜が主だったのですが、同じ物を少年が食べるうちに殆どしゃべらなかったのがしゃべるようになったんですって。
食べるものの種類が増えるほど、言語が豊富になった。」

私は上の文章がとても気に入っている。
私の経験でも、家の食事が豊かというのではなくても、「人間、取り敢えず、美味しいものを食べなくては」という食卓であると、親が不仲だろうが、家が忙しかろうが、子供は不良にならないと思うのだ。

私も以前、「どうして自分が不良にならなかったのか」と考えていたが、その結論は、「食べ物が良かったから」と思っていたのだ、そして、そう思っていたからこそ、上の曽野綾子さんの文章を読むと、「そう考えていたのは、私だけではないのだ」と嬉しくなった。
(私の家が不幸な家かというと、「絵に描いたような円満・幸せな家庭」のほうが稀れであるという程度のものです)

そして、その上を望むとすれば、できれば、料理の作り手は、子供の嗜好に関心を持つことも必要だと思う。
よく、「我が家の食卓は人並みだ」「どんなことがあっても、世間並の行事の料理はいつも作っている」ということを言う人もいる。
確かに、世間並でその季節毎のお祝いの食卓を提供することも良いかも知れないが、私としては、まず、やって欲しいことは、「子供や家族の嗜好を料理を作る人が把握していること、そしてそれを大切にしていること」だと思う。
お誕生日だからと言って、ケーキを買ってこなくても、その子供の好きな料理を作ってあげる方が、余程いいと思う。
その子供の嗜好を覚えていて、何かのときには、「○○ちゃんが好きだから」と言って、そのお料理を作ってあげることは、子供と親の大切なコミュニケーションになるのに、それを放棄したら、もったいないと思う。
(子供と食べ物で繋がるのは、一番簡単な方法だと思う)
親が自分の好きなものを覚えてくれていて、何かのときには、それを作ってくれるという安心感は、子供の親への信頼感と情緒を育てる。
そして、そういう環境で育った子供が大人になったとき、自分の子供に同じことをしてあげるようになると思う。
もし、子供の成長に「食」ということが深く関わっているのなら、「食を大切にしていない家」の子供は、「食を大切にしている家」で育つ子供に比べて、色々な面で、ハンディを負うことになるのだ、そのこと自体だって、子供にとって、とてもいい迷惑だと思う。
(そう考えると、自分の食を親身になって考えてくれる親がいない孤児の子供、成長途中で親が亡くなる子供というのは、本当に可哀相であると思う。)

「自分の食卓を大切にする人が増えますように」というのが、私の願いである。

いつもいつも、丁寧なお料理とか、手作りは、今の時代、無理だけれど、基本として、「食事は、人間にとって大切にしなくてはならないもので、栄養を補給するだけでなく、情緒を育てるもの、人間の成長や豊かに暮らすことに対して『食を大切にすること』は、なくてはならない重要なこと」という認識を忘れないで欲しいと思う。(なんて、偉そうに言ってしまいましたが、1回だけです)



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2000年01月02日(日)

牛タンの味噌漬


以前、属していたMLで牛タンの味噌漬を習った。
これがとても美味しくて、我が家の行事には欠かせなくなっていた。
これは、どちらかというと、酒のつまみとか、オードブルになる。

つまらない事故があり、その教えてくれた人と意見が合わなくなってしまったのだ。
そういう人のレシピを自分のHPで発表するのも嫌やなものだから、今まで発表しなかった。
しかし、その後、色々、料理本を見ていると、箕の作というお店のご主人や、壇晴子さんのレシピに同じようなものがあったので、私もこれは、私の作ではないということを前置きした上で、HPに載せることにした。

これは、時間はかかるけれど、手間は余りかからず、しかも美味しいから、パーティなどにお勧めの一品である。

食べる4日か5日前には、着手したい。

材料
牛タン 一塊り
味噌
味醂と酒

他にガーゼとラップが必要

作り方
 1.牛タンは、皮を剥いたものを買ってくる。
   (冷凍してあるものだったら、前日から冷蔵庫に移し、24時間くら
   いかけて解凍するのがいいと思う。急に解凍する場合、室温でもいいが、
   ある程度解凍できたら、冷蔵庫に移しておいた方がいいような気がする。)

 2.これを、かぶるくらいの鍋に水とともに入れて、3回煮こぼす。

 3.これを水で洗い、余分なものを取る(血管とか、脂肪とか膜がひらひらして
   いたら)。
   あくとか余計なものが取れたので、また、お水を入れて、ことこと3時
   間か4時間煮るのだ。
   圧力鍋だったら、圧をかけて40分、放置10分くらいで、柔らかくなり過ぎる
   ほど柔らかくなる。
   こちらは、大きさにもよるからどの位が適当かはわからない、30分圧力、放
   置10分で、様子を見て柔らかさが足りなかったら、また、圧をかけるか、普通
   に茹でるのが良いと思う。

 5.柔らかくなったら、全部が漬かるくらいの茹で汁の中に牛タンを入れて、冷める
   まで置く。(夕方なりに茹で終わって、冬だったら、そのまま、翌朝なり、翌夕
   まで、置いておけばいい、夏などの場合は、汁が冷めたら、冷蔵庫へ入れて保
   管しないと恐い)

 6.冷めたら、タンをガーゼで包む。

 7.味噌にお酒や味醂を入れて、伸びるようにして、ラップに貼り付ける。

 8.その味噌が張り付いているラップで、牛タンを包む。(まんべんなく)

 9.このままで、冷蔵庫に保存すること、3日くらいで、出来上がり。
   3日経ったところで、少し切って味見するといいと思う。
   味が足りなかったら、もう1日なり、半日なり、もう一度包んで、冷蔵庫に置
   いておけばいい。
   ちょうど良い味のときに、味噌を外し、ラップで包んで保存しておけば、4,
   5日は持つと思う。
   それ以上は冷凍すると良いと思うが、やったことはない。

10.食べるときには、薄切りにして食べる。

味噌は特段良いものでなくて十分だし、牛タンも国産和牛となると高いが、輸入物で十分美味しい。
牛タンは、鍋に入る大きさを買ってこないと、困ると思う。

これは、本当に評判が良くて、お祭りやお正月に必ず作る、そうすると、必ず誉められる。
牛タンがだめと言う人には、向かないが、お肉好きの男の人に好まれるメニューである。

今の課題は、牛タンを恰好の良い部分だけで、味噌漬を作ることである。
いつもは、買ってきたままで作っているのだが、切ったとき、タンの下の方が恰好悪いことは恰好悪いのだ。
壇晴子さんのレシピなどでは、はっきり、この部分は取ってしまうと書いてある。
取った後の使い道が決まれば、私も是非とも取ってしまいたい。

また、味噌漬の味噌だが、これは、一度牛タンに使うと、水分が移るようで柔らかくなるが、ラップで包んで、冷蔵庫に入れておけば、また、他の味噌漬、牛タンの味噌漬に利用できる。
その際には、水分を吸って柔らかくなっているので、味噌を足すことになる。



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2000年01月03日(月)

ちらし寿司


日本中どこもそうだというのではないし、どこの地域がそうだということもできないのだが、我が家の方、東京方面は、お正月にお刺し身などの盛り合わせを食べる習慣がある。
何せ、なまの握り寿司発祥の地であり、とにかく、生魚大好き地域であることは間違いない。
築地は言うに及ばず、スーパーには、お刺し身のパックが所狭しと並ぶし、お魚屋さんも書き入れ時である。

築地で魚を仕入れたいが、もう我が家が小人数であるし、会社を都合の良い日に休めそうもなかったので、今年は、諦めた。
我が家の近くの活きのいいので人気のある魚屋さんに、小口の予約をしてなまものを揃えた。
お正月は、朝から、お刺し身を、他のおせち料理と一緒に食べたのと、もう一回は、ちらしにして、食べた。
そのちらしが、とても美味しかった。

ネタは、まず、ミナミマグロの中トロである。
冷凍で買い、二つに切って、リードクッキングペーパーを巻いてビニール袋に入れて、冷凍しておいたもの。
(この方法はMLで習ったもの、プロもこうするとのことで、覚えておいたほうがいいと思う。)
夜食べるのなら、その日の朝、冷蔵庫に移して、解凍する。
今回、まだ、ちょっと凍っているというときに、冷蔵庫から出して、薄切りにしたが、全く、ドリップが出ずに、美味しく食べられた。
ミナミマグロも解凍さえ、うまく行けば、本当に美味しいと評判だった。
やはり、順序としては、本マグロ、解凍の上手なミナミマグロ、最後はメバチマグロだということになった。
今度から築地に行ったら、解凍されていないミナミマグロを探そうと思う。

他に、戻した数の子・生のタラコ・タコ・甘海老・いくらなどであった。
丼に盛ったご飯の上に、私が焼いた新海苔を揉んでかける。
この上に、本物のわさびをとかした醤油につけた具を乗せて、食べる。
本当に幸せだった。
具もいいし、新海苔・本物のわさびという小道具が勢揃いすると、「手巻きにしよう」という気がなくなる。
皆で、「いつもの手巻きより数段美味しい」と言いながら食べる。
どこが美味しいかというと、手巻きのときは、中落ちなど安いマグロであるのに、今回は中トロであることが大きいということになった。
今まで余り意識していなかったが、やっぱり、手巻きは安い材料を美味しく食べる手法であるのだ、本物の丁寧な素材で食べるのなら、お寿司は、握りか、ちらしに限ると思った。

普段、甥たちと賑やかに食べる手巻きもそれなりに美味しいが、お正月の大人だけで食べるちらしも、最高である。



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2000年01月04日(火)

干し数の子


暮れの築地オフのとき、ご一緒したご夫妻が、実家に頼まれたからと言って、「干し数の子」というものを探していた。
私は、干し数の子というものを全く知らなかったが、昔は、「数の子」と言えば、「干し数の子」が普通だったそうだ。
一緒になって、気を留めていたら、場内で2軒、場外に1軒、扱っているお店を発見した。
どんなものかというと、数の子のミイラのようなものである。
本当に干からびてやせ細った数の子なのだが、それがとても高価であった。
何gか忘れたが、場内で、6千円か、1万円であった。
その後、場外に行ったら、4千5百円という店もあった。
なんでも、この値段でも、築地の干し数の子は安いそうだ。

買う方たちにくっついてお店の人の説明を聞いていたら、食べる一週間前から、米の研ぎ汁に浸けておくそうだ。
その研き汁も、2日に一辺、取り替えるそうである。
手間はかかるけれど、歯ごたえが、普通の塩数の子より、数段上とのこと。
試してみたいが、失敗したら、泣く金額なので、手が出ない。
いつか、どこかで、一切れだけ食べてみたいとは思う素材であった。



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2000年01月05日(水)

塩数の子


我が家では、数の子大好き人間が多い。
数の子のどこが美味しいのと言われても、なんとなく、こたえにくい。
食べるとコリコリ口の中がうるさいし、味も表現するのが難しい。
噛めば噛む程、味が出てくるとでも言おうか、表現できないけれど、美味しいのだ。
しかし、数の子の美味しさは、数の子の美味しさであって、他のものでは代用できない美味しさであることだけは、間違いないと思う。

我が家では、戻して、出汁に醤油などを入れたものに浸けておき、削り節をかけて食べるか、戻した後、薄切りにして、お寿司の具にするかの食べ方しかしていない。
(安いものではないので、この2つで十分)
お正月だけではなく、他の季節にも、魚屋さんで買ってきて食べることもある。

私は、数の子の選び方なぞ、全くわかっていない。
毎年、数の子は築地に買いに行くが、いつも選び方は、適当である。
こういうものは、見る目がある人と一緒に買物に行かないと覚えられないかと思う。
MLで習ったのは、粒が小さくて揃っているものが上等で、数の子自体の大きさは美味しさには関係ないとのこと。
そう聞いても、いざ、築地に行くと、余りの数の子の量が目に飛び込んでくるので、圧倒され、結局、適当になってしまうのだ。

これを防ぐにはどうしたら良いかを考えた。

そうだ、私には、4年くらい通っているタラコ屋さんがいるではないか。
私は、このタラコ屋さん、田中商店のご主人を絶対的に信頼している。
何故かと言えば、それがこの4年の実績であり、いつも程々のものしか買わないのだが、買ったタラコについて、家族から誉められることはあっても、文句がついたことがない。
我が家では、田中商店のたらこがあるのが、当たり前になっている。
我が家は、田中商店について、タラコに関して全面的信頼している。
(考えてみれば、ここ最近、他の店でたらこを買ってみようという発想がないのだ。)

この田中商店のご主人は、いつも、「家庭使いだったら、この程度で十分、人様への進物用ならこちら」と整理してくれる、昔気質の筋の通った方である。
(強いて言えば、「品がある江戸っ子タイプ」)
しかも、タラコに目のある人なら、数の子にも目があるに違いない、あのご主人に「どこのお店で数の子を買えばいいか」聞いてから、買えば、「リーズナブルで美味しい数の子が手に入る」と考えたのだ。
で、築地に行くといつもは最後に行く田中商店に一番最初に行って、「どこで、数の子を買えばいい?」と聞いたら、「うちにあるよ」とのことであった。本当に、目の前に山積みされていた。(笑)
今まで、そのお店で、タラコの他、鮭と粕漬けを扱っていることは、目に入っていたが、数の子はまるで、目に入っていなかったのだ。

それだったら、この田中商店で買えば間違いないので、このお店で買うことにした。
田中さんでは、1kg木箱入りの贈答用から、一折れ・二折れと書いた、数の子一切れが途中で切れている半端物まで、5種類程度あった。

「家庭で食べるのなら、一折れか、二折れで十分」というご主人の言葉、この姿勢が好きなのだな〜、死んだ父親や伯母を思い出す。
やはり、家で気軽に食べるのに、「形も色もつやも味も完璧」なんていうものを買う必要がないと、父や伯母よりも呑気な私でも思う。
数の子は、粒の大小・大きさの大小もあるが、折れていないと値段が高いとのことである。
箱の中の商品を見せてくれたが、一折れも二折れもそれほど大差なさそうなので、二折れを買うことにした。
お正月になって食べたら、やはり、木目が細かくて、こりこり粒々していて、とても美味しい。
築地に行くとわかるが、これでもかという数の子の量に圧倒されることもなく、安定的に美味しい数の子を買えるのだから、来年からも、間違いなく、私はこの店で、数の子を買う。

田中商店
築地の交差点を勝鬨橋のほうに向かって歩いて、一本目(吹田商店のところ)を右に曲がり、直進、次の漬物屋の角までの間の2,3本目の路地(富士市場)を右に入って、2,3軒目



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2000年01月06日(水)

母方の大叔父


暮れに、母の叔父さんが他界した、91才だった。
この叔父さんは、山梨の山間の農家の次男に生まれ、若いときから、東京に出てきて働いていた。
山梨は、東京から近くて、しかも平地が少ないので、明治以降に鉄道が開通してからなのだと思うが、農家の跡継ぎ以外の男の人が東京に職を求めることが多かった。
また、多くの山梨に残った人も農閑期だけ、東京に物を売りに来たと、小さい頃から、母の親戚の動きを見ていた私は思っている。
山梨は、水晶の産地で印章を扱う人も多かったが、かいこを飼う農家が多いせいか、和装関係にも進出している人も多く、日本橋馬喰町・横山町あたりの繊維問屋街に、成功した山梨出身者の着物や和装小物の店も多いと聞く。

大叔父さんは、初めは、母の父の和装小物の問屋で、番頭さんをしていたそうだ。
その後、我がおじいさんが、東京の商売を止め、山梨に戻ってしまったので、その後は自分で、和装小物問屋を開いていたが、戦争で招集され、中国に連れて行かれた。

大叔父さんは、戦争が終わって日本に帰った後、山梨の農家を回って、農家が拾ってしまっておいたと思われる落下傘に使われていたひもを沢山買い集めたそうだ。
何でも、第二次世界大戦で使用された日本軍の落下傘は、大層立派な正絹で織られた巨大な布だったそうだ。
また、ひもも立派な正絹で織られた太い綱だったそうで、その落下傘のひもをほどいて、沢山の良質の糸を作ったそうだ。
落下傘本体の布地は、誰にも利用価値があると思うが、紐は、そのままでは、普通の人は余り使い道を思い浮かばないかも知れない。
その時、大叔父は、40才前だったとのことであった。

大叔父は、それまでの和装小物を扱っていた経験と軍隊にいた経験から、その当時誰も欲しがらなかったと思われる落下傘に使われているひもの価値を理解して、また、転用方法も思い付き、それを大量に買い集めて、糸にほぐして、絹糸として、売った。
全ての物資が欠乏している時代だったから、大叔父さんの絹糸は、飛ぶように売れたとのこと、また、大叔父さんはたっぷり落下傘のひもを貯えておいたので、この商売を相当長く続けることができ、財を成した。

私は、相当大人になってから、この話しを聞いて、「なんて、いい話しなのだろう」と感激した。
戦争や災害は、本当に不幸なことで、来ては欲しくないが、それにあたった場合でも、それまでに色々な知識や経験を持っていれば、実は宝の山を探し当ててしまう人がいるという例を身近に知ることができたのだ。
また、災難に遭うときに、年齢がいくつかというのも重要だとも思った。(若過ぎると、知識や経験がなく、宝の山を見逃しやすいとも思ったので、戦争のような災難に遭うなら、色々な知識・経験が整ってからがいいとも思った。
しかし、年を取り過ぎていると、気力がないかも知れない、本当に、ここいらへんが、その人の「運」かも知れないと思う。)

この話しは、また、私に、戦争や不幸な目に遭ったときに、自分の不幸を嘆いたりするのは簡単だけれど、「まず、人間としてやらなくてはいけないこと」は、泣いていないで、「皆が暮らして行けるように、頭を働かせ、行動すること」だと、教えてくれた。
また、人間、日頃、ぼけっと暮らしていてはいけない、「私も、いざという時に、私にとっての『正絹の落下傘のひも』を探し当てることができるように、常日頃色々考えながら、暮らしていなくては」と、考えるようになった。
人間、別に、災難時だけでなく、平和時だって、どこにチャンスや宝の山があるか、わからないのだ。

この大叔父さんは、財を成したが、威張りもしないで、いつも腰が低く、勤勉で、暮らし振りは質素で贅沢をしなかったが、けちではなく、山梨の本家の東京出張所として、自分や奥さんの山梨の親戚の多くの面倒を見、大切にした。
(大叔父は、できた財で東京下町に土地を買い、和装小物問屋を大きくしていった)
先程、書いたように、山梨は東京に程近いので、冬の間だけ、印章を売りに来る人もいたが、その人たちに、自分の家を宿として提供するだけでなく、商売に出かける前には、朝早くからお弁当を作って持たせたそうである。
また、多くの親戚をその店に就職させた。
その人たちに和装小物の仕事や東京での暮らし方を覚えさせ、その後、その人たちが独立したり、和装小物ではない商売を始めるときも、色々支援したらしい。

この話しを聞くと、本当に偉い一生だったと思う。

大叔父さんの本葬がもうすぐ行われる。
きっと、多くの人が大叔父さんが自分の身近に存在していたことを感謝し、お礼を言いに集まると思う。(親戚の面倒見のいい人は、きっと、他人にも優しいと思う。)
私は、とても沢山いる、大叔父さんの姪甥の子供の一人に過ぎないから、深くは、会話できなかったが、大叔父さんが、私の親戚としてこの世に存在してくれて、母の面倒をみてくれたこと、姪として可愛がってくれたこと、私のお手本の一つとなるような人生を送ってくれたことをとても感謝している。



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2000年01月07日(金)

たらこ


我が家は、たらこを築地の田中商店で買うが、北海道に縁のある人たちにとっては、北海道から直接仕入れないと満足できないようなのだ。
北海道を知っている、親戚がある人たちは、北海道で獲れた国内産の冷凍していないタラコの美味しさを知っているとのこと。
私の買うタラコを始め、東京の普通の店で売っているタラコは、確かに、輸入物のタラコで、保存料や着色料も若干は使っているようだし、きっと、アミノ酸も入っているに違いない、東京まで運ばれるときに、冷凍されてくるのが殆どである。
(でも、自分が美味しいと思って食べているものをこう分析するのって、確かに気持ちは良くない。)
普通のルートで、「国内産で、凍らせていない生」なんて言ったら、本当に高いらしい。

それでも、MLでの情報では、国内産・無添加・無着色のタラコはそれ程高くなく生協などを通して手に入るらしい。
色々話していてわかったのは、通常のタラコは、「海外で釣ったものを冷凍して北海道に運ぶ→北海道で加工して、再冷凍→東京に運ばれる」とのことである。
これが、北海道産のものだと、加工する前に冷凍されることがないところが良いところなのだと思う。
普通のタラコだったら、確かに東京に運ばれて解凍して売られて、また、家庭で冷凍したりする、こんなに、冷凍・解凍を繰り返したら、どんなものでも美味しくなくなるに違いない。

そう聞いて、確かに北海道から直接買った方がいいような気もするのだけれど、送料・宅急便代などまで、考えると、私の今のタラコの買い方でいいような気がするのだ。
だいたい、我が家で、田中商店で買ってくるタラコは、「美味しい」という評価しかないのだ。
別に不満がないのに、食べたこともない商品を高いお金払って試す必要もないと思うのだ。

しかし、このMLでのタラコについての意見やり取りで、わかったことがあった。
田中商店の場合、いつも、冷凍してあるタラコを渡してくれるのだが、私がものぐさで家に帰ってから、冷蔵庫に半日か、一日入れておいて、手の開いたというか、気が向いたときに改めて冷凍していたのだ。
これは、大きな間違いだった。
せっかく冷凍で売ってくれたのだから、さっさと家に帰って、そのまま、冷凍した方がいいのだ。
この前、お正月のタラコは、冷凍状態を冷凍庫に入れた。
そうしたら、いつもは感じない粒々感があったのだ。
タラコの敵は、冷凍・解凍の繰り返しだと思う。

今まで、買った直後のものは、生で食べて、家庭で再冷凍したものは、生では無理と言われていたが、そんなことはないのだ、再冷凍・再解凍を一つ減らせば、十分、いつでも生で食べられそうである。
我が家は、焼きたらこ(と言っても、ほぼ生状態)で食べるのが好きだが、酢の物やお寿司に生を食べるのも好きである。
この生状態で食べられる可能性が広がってとても嬉しい。



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2000年01月08日(金)

家庭の味400選と「プラムのベーコン巻き」


「四季の味」という季刊誌がある。
その中に、「素人ならではの思いつき」というコーナーがあり、読者からの投書を基にして作ったお料理とその推薦文・簡単な作り方を紹介しているページがある。
私は、このページがとても好きなのだが、つい、いつも本を買うのを忘れたり、他の特集に余り興味がなかったりで、中々買えない。
「四季の味」は、初め、「鎌倉書房」という出版社で制作されていたが、この会社が倒産したか何かで、他の出版社の発行となった。
きっと、新しく引き継いだ会社が雑誌の価値を知っていたのだろうと思う。
(鎌倉書房は、良いお料理の本を沢山出していたので、とても残念である。)

図書館で、この「素人ならではの思いつき」から、料理を抜粋した「家庭の味400選」という本を借りてきている。
気に入っているので、更新を重ね、1か月くらい手元に置いてある。(他に読みたいというリクエストがない場合、図書館は更新に応じてくれるようだ)

まだ、料理研究家でなかった頃の平野レミさんや壇晴子さんたちの特集も載っている。
眺めていると、楽しいし、良いアイディアも多く、美味しそうなので、もし、最寄りの図書館にその本があったら、是非、借りると良いと思う。
(多分、絶版で、今となっては、図書館でしか、見ることができないと思う)
明日から、それを見て、作ったお料理を紹介したい。

プラムのベーコン巻き

「家庭料理400選」の中で、「プラムのベーコン巻き」が載っていた。
作り方は、種抜き干しプラムの中にアーモンドを埋め込んだものをベーコンで巻き、楊子で留めて、オーブンで焼く料理だ。
ある日、本屋で藤野真紀子さんの料理本を見ていたら、やはり、「どこか外国でで出された料理」として、同じようなものが載っていたが、藤野さんの場合は、干しプラムをベーコンで巻いただけのものであったように記憶している。

今回、お正月の親戚向け料理として出すべく、多慶屋に買い出しに行った。
(多慶屋に買い出しに行くところが、私の良いところ)
干しプラムはなく、干しプルーンになってしまった。
アーモンドも買った。
ベーコンは、浅草松喜のベーコンを凍らせておいたもの。

作り方
1.ベーコンが冷凍だったら、解凍しておく。
  ベーコンの太さは、プラムなり、プルーンの大きさに合わせて、二つに
  切るなりしておく。
2. 種抜きプルーン・プラムの中にアーモンドを埋め込む。
  (どうも、種を抜いた後、穴の入り口のところの皮が中に巻き込まれている
  ようなので、それを外に引っ張りだすと、アーモンドがきれいに隠れると
  思う。)
3.それをベーコンで帯びをするように、巻き、ベーコンの重ねめを楊子で
  留める。
4.3を耐熱皿に並べて、グリルモードで5分焼いた。
  オリジナルレシピは、「フライパンで焼く」になっていたが、楊枝が突き刺
  さっているので、オーブングリルモードやオーブントースターが向いていると
  思う。
  本当は、もっと、ベーコンからじゅくじゅく油が出るくらいの焼き加減がいい
  のだと思うが、急いでいたので、温める程度になってしまった。

これは、ワインのおつまみに合うし、簡単だし、お勧めである。
実際に皆が食べてみて、意外だったのは、材料を知らない人は、この料理を口に入れて、プルーンの種だと思えるものが、柔らかくて食べられるので、びっくりするようである。
「この種、何?」と聞かれた。
食べたときに意外性があるらしいから、パーティやおもてなしに向いている。



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2000年01月09日(日)

家庭の味400選 ご飯のお好み焼き


好き嫌いを言って申し訳ないが、私は、ふかし直したご飯が嫌いなのである。
(電子レンジで温めたご飯も基本的にはだめである、一人暮らしのときに、ご飯を冷凍しておいて電子レンジで温めて食べせばどうにかなるわいと実行してみたが、すぐに嫌やになったという、ご飯に関しては、わがまま者である。<他でもわがままではあるが>)
ふかし直したご飯を例えばカレーと混ぜこぜにするとか、お茶漬けにしてしまうという形では食べられるが、ふかし直したご飯で、炊き立てのご飯と同じように、魚やおかずを普通に食べることが苦手である。
こういう私がいる家庭では、当然、ご飯が余ってしまう。
だから、私は、一生懸命、冷蔵庫に入れておいたご飯で美味しく食べられる料理を考えている。
クッパ、チャーハン、親子丼、オムライス、などなど。

で、「家庭の味400選」に、ご飯のお好み焼きが載っていたので、やってみたら、大成功。
毎回、毎回では飽きられるが、たまに作ると「美味しい!」と言われると思う。

材料は、余りご飯に卵、具は、お好み焼きやおにぎり・チャーハンに合うものなら、何でも良いと思う。
私の場合は、高菜漬けを細かく刻んで入れてみたが、胡麻を入れても美味しかったかなと思った。
どんぶりなり、大きな容器に冷えたご飯を入れ、ほぐした卵を入れて、良く混ぜる。
卵がからむと、固まっていたご飯がきれいにほぐれるから面白い。
固さは、卵かけご飯よりもうちょっと固めの感じ。(流れ出るか出ないかというところか)
ご飯茶碗一杯に卵1個で多いか否かという感じの分量だと思う。

これを、温めて置いて、油を引いたホットプレートに丸く流し入れる。
蓋をして、そのまま、焼く。
底が固まったら、ひっくり返して、同じく、反対側も固める。
全てはお好み焼きと同じ要領である、焼いている面がこんがり焼けて固まったら、ひっくり返せばいいのである。
(但し、大きく作り過ぎると、ひっくり返すときに割れる可能性あり)

食べてみると、ご飯が熱々で、回りがこんがり焦げていて大変美味しかった。
裏覚えで作ったので味付けしないで作り、後から、塩を振りながら食べたが、オリジナルレシピは、初めから卵ご飯に醤油とごま油を入れてあった。
卵は繋ぎに徹するようで、余り卵卵した味はしない。

食べている最中、どこかで食べた味と思って思い出したのが、モスバーガーのライスバーガーである。
あれは、確か、真ん中に焼き肉とか、きんぴらが挟まっていた。
ホットプレートが大きかったら、丸く二つ焼いて、間に、具を挟むのも美味しいと思う。
で、卵ご飯の焼け焦げがとても美味しいことで思い付いたのだが、散々苦労していた石焼きビビンバだって、全ての具とコチジャンをこの卵ご飯に混ぜて、両面焼いたら、他のお鍋で苦労するより、余程、石焼きビビンバに近いものになるではと思った。

なんと言っても、この料理方法は、色々応用できそうで面白い。
先日の「どっちの料理ショーのチャーハン」は、卵ご飯をお好み焼きのように焼いた後、ほぐしてチャーハンにしていた。
しかし、家庭でやる場合は、お好み焼きとまりで十分ではないかと思う。

ご飯には、具と混ぜた美味しさと、混ぜない美味しさがあるので、卵ご飯に、お醤油やごま油を混ぜて焼いてしまうのもいいし、塩だけで味付けするか、焼き上がった後、それぞれが味付けしながら食べるのもいいと思う。



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2000年01月10日(月)

安全性


世の中、保存料だ、着色料だ、金属変化だ、遺伝子組換作物、農薬と、コレステロールだと、食品や栄養や調理道具についての安全性が取り沙汰されることが多い。
私は、「食」「料理」に関して、殆ど教育を受けたことがなく、職歴もないし、元々鈍感だから、当然、割とわかっていないところがある。
私の安全性に対する知識が、「食」の世界の常識の水準に行っているのか、甚だ自信がない。

で、私がこのエッセイで、色々な道具を使い、レシピなどを紹介しているが、安全性について、殆ど考慮していないことを予め断っておく必要があるのかなと思い出した。

もっと、プロや食品安全性の専門家から見たら、「こんな危険なことを書いて」と思われる部分もあるかも知れないのだ。
そこまでチェックしながら、書いていたら、何も書けなくなる。

私自身、割と古くからのものには、鈍感で、新しいものには、敏感な傾向があると思う。
例えば、アルミ鍋を嫌がる人もいるけれど、「ステンレスが出てくる前には、皆アルミ鍋を使っていたのだから、大丈夫だろう」と思って、今でも一部使っている。
アルミが危険だからというのではなく、酸に弱い、それから、やはり、煮たものをそのまま保存するには、やはり、ステンレスと合羽橋で言われたので、ステンレスに移行しつつあるが、でも、まだ、アルミも使っている。(軽いし、ステレンスにない良さもある)

遺伝子組替についても、全然わかっていないが、なんとなく、わけがわからないところが気持ち悪いとは思っている。
しかし、それらを使っていると言われているお豆腐やビールも平気で食べている。
油にも使われているらしいが、安さに負けて、買ってしまうこともある。

これらのことに正しい知識を持つことは大切であり、なるべく、わけのわからないものは体内に取り込まない方がいいのかも知れない。
でも、全てが健康に良い食品を揃えると、余りに時間とコストがかかり過ぎてしまうのだ。
有機栽培のタマネギを買ったら、確かに、農薬で育てられたものより美味しかった、でも、それをいつも買うとなると、お金がかかるのである、だから、たまのたまにしか買わない。

そんなこんなで、それらのことに対して、いい加減な私が書く料理や食に対するエッセイだという前提で読んでくださいね。

唯一私がうるさいのは、化学調味料と保存料である。
これらには、私の舌は敏感で、食べ終わった後、後味が悪いと、舌から、「もう、次からは食べないでね」という司令が脳に来ることが多い。(少量の場合はわからない)
しかし、これらだって、良く考えれば、保存料を使っているウィンナを食べていたり、割といい加減と言えばいい加減である。

あー、それにしても、こんなことを一々断らないといけないなんて、やはり、嫌やな世の中だと思う。

危険だといわれている食物を取るかどうかは、やはり、個人の判断であると思う。
(知らないのに知ったかぶりもできないし、あやふやなことも書けないので、このことについては、今後とも触れませんけれど、いいですよね。というか、触れる程知識がないので、ご容赦くださいという断りが正しいかも知れない。)



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2000年01月11日(火)

ヴァシュラン・モンドール


MLで、「ヴァシュラン・モンドール」というチーズが美味しいと習った。
なんでも、11月から2月までの冬にしか売っていないチーズだそうだ。
ウォッシュタイプで、ひと塊単位でしか売っていないので、gあたりは安くても、塊で買うので、高いとのことであった。

その話しを聞いて、我が家のお正月のお客様料理に向いているかもと思った。
我が家にお正月に来てくれるのは、叔父一家で、従兄弟たちは、20代の女性と、今年大学を卒業する男の子である。
特に男の子の方が、ワインが好きだと聞いているし、これを出したら、喜ばれるかなと思ったのだ。
成城石井で売っているとのことだったのだが、そこまで行くのは面倒なので、池袋西武や上野松坂屋に行ったときに、チーズ売り場を見たり、聞いてみたりしたが、売っていないようであった。
仕方がないので、会社の帰り、成城に寄って、買ってきた。
ひと塊、2,600円であった。
買いに行ったのが、12月28日で、賞味期限が1月14日だったので、助かった。

で、叔父一家が来て、このチーズを出したのだ。
このチーズは、経木というのだろうか、高級なチーズが良く入っている木の入れ物に入っている直径15cm、高さ7cm程度のものなのだ。
全面カビに覆われ、上のカビの面を少し剥がして、そこから、チーズを取り出し、パンにつけて食べると美味しいということであった。
パンは、カンパーニュが合っているということであったので、12/31に、上野松坂屋で仕入れておいた。
このパンを5mm程度の厚さに切り、オーブンでトーストした。(というと聞こえがいいが、時間がなく、大量に焼かなくてはならなかったので、殆ど焦げ目もつかず、乾燥させただけという感じになった。)
これらを沢山用意して、スプーンを2本、チーズに入れて、「さ、どうぞ、私がインターネットで知り合った人たちが美味しいという評判のチーズ!」と、皆に勧めた。
(一応、出す前に味見してあったのだが、やっぱり、こういう紹介の仕方の方が興味わくかなと思ったのだ)

評判は、上々であった。
初めて食べるチーズだったが、奇をてらったものではなく、正統派の昔から食べているチーズを丁寧に、クリーミーという状態よりもうちょっと水っぽい感じに仕上がっていて、チーズの美味しさ(チーズ臭さ)・クリーミーさ・塩加減、全てのバランスがとても良かった。
(味としてはカマンベールに近いと思うが、もっと上品であった。)

普段はチーズは好きでなく、余り食べないという叔母まで、美味しい、美味しいと言って食べてくれた。
大成功である。

明日書く、オリーブオイルもあって、パンは売り切れてしまったので、慌てて、コンビニにクラッカーでもと買いに行ったが、我が家の方のコンビニには、クラッカーがなく、仕方がないので、ロールパンを買って来て、薄切りして、また、トーストして出した。
食べた感想は、やっぱり、甘みのないパンの方が合うと思った。

こんなことだったら、クラッカーとか、クラコットなどを予め買っておけば良かったと後悔した。

皆に大受けで、来年も出そうかなと思う。
(来年、出さなかったら、がっかりされそうな気がする)
残したら、もったいないから、割と人数のいる集まりでないと、食べ切れないし、冬限定のものらしいので、、余りクリスマスに催し物をやらない私にとっては、このチーズを毎年食べるには、「お正月のお客様料理」にするのが一番かもしれない。

美味しいから、是非、お試しを。
(小人数で食べる場合は、2,3日から4,5日毎晩食べれば終わると思う。)



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2000年01月12日(水)

パセリとにんにくとオリーブオイル


マッシュルームのオリーブオイル焼き以降、パセリとにんにくとオリーブオイルの組み合わせにはまっている。
この3つはとても相性がいいことがわかった。
先日、マッシュルームのオリーブオイル焼きを作って食べ終わったのだが、まだ、生のパセリとにんにくがあったので、追加でオリーブオイルに入れて煮て、すくって食べてしまった。

作り方は、オリーブオイルを小鍋に入れて熱し、にんにくのみじん切りを沢山入れて煮るだけ、食べてみて、にんにくが辛いようだったら、まだ、早い。
焦げてきて、食べてみても辛くなかったら、ちょうど良い頃であり、火を止め、パセリのみじん切りを入れる、塩(精製塩でない方が私の好み)を混ぜて、味見して、塩味を決める。
胡椒もした方がいいかも知れないが、どちらでも良いと思う。
これがとてもパンに合う。
昨日書いたヴァシュラン・モンドールとこのパセリとニンニクの入ったオリーブオイルがあったおかげで、今年のお正月は、本当にパンが良く売れた。

以前、日本橋のイタリアンレストランで、パンにバターではなく、オリーブオイルを添えて出す店があったが、そのときは、そんなに美味しいとは思わなかった。
やっぱり、にんにくとパセリの美味しさが移ったオリーブオイルが美味しいのだと思う。

他にも、家庭の味400選に、「ソフィアローレンのポテトサラダ」という題名で、この熱々のパセリ・にんにく・オリーブオイルを、茹でて適当に切った熱々のじゃがいもに和えて食べる食べ方が載っていた。
これも試してみたが、中々美味しい。(和え立てよりも、少し時間を置いてなじんだときがおいしかった、また、相手がじゃがいもになるので、塩加減は、強めがいいと思う。)

また、私のアイオリオ・ペペロンチーニは、今まで、にんにくと赤唐辛子、出来上がってから、パルメザンであったが、今度から、パセリも入れることに決定した。
まだ、やっていないが、楽しみである。



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2000年01月13日(木)

たらこのおにぎり


たらこは、大人ばかりの好物ではなく、夕食後遊びに来る甥たちのお気に入りでもある。
以前から、「はい、一口海苔巻き」なんて、白菜やタラコを芯にして、海苔でくるっとご飯を巻いたものを良く食べさせていたせいか、この前は、おばあちゃんの家に上がってきた甥2が、食卓のたらこを見るなり、「今日は、たらこのおにぎりが食べたい」と言った。
こういうとき、当然、食べ物好きの伯母である私は、嬉々として、自分のご飯を中断して、作ってあげてしまう。
私も小さいとき、自分が食べたいときに、父親が腰が軽く、すぐにその手のものを作ってくれると言いようもなく幸せな気分になれたことを覚えているのだ。
やっぱり、自分がそうされて幸せに感じたことは、他の人に伝えなくてはね、と思う。

お茶碗に軽く一膳、炊き立てのご飯を入れ、手を洗い、アルペンザルツを手にふりかけ、こすり、ご飯を置く。
その上にレアのたらこを一切れ乗せて、おにぎりを作った。
パリパリの海苔二枚で包み、甥2の前に、お寿司屋さんのように、「へい、お待ち、旦那!」と威勢良く差し出してあげた。
甥2は、その言葉に、恥ずかしそうに嬉しそうに、まんざらでもないという様子で受け取る。
一口食べると、「美味しい!」と心からの感嘆の言葉があった。
それを見ていた甥1からも「僕も食べる」と注文が入る。
これまた、同じように作ってあげたら、「美味しい!」という感想、おばちゃん冥利に尽きるのである。

これが2,3晩続き、甥2は、とうとう、自分でおにぎりを作れるようになりたいと言い出した。
(私が握っていると、「アルペンザルツを使った?」などと、チェックが入る、それだけこのたらこのおにぎりを楽しみにしている姿が可愛かった。
甥2によると、「たらこのおにぎりの隠し味は、アルペンザルツ」なのだそうだ。<笑>)
子供だから、ご飯を丸くすれば、おにぎりができるから、自分でもできると考えたのではと思う。
でもね、甥2ちゃん、うちのたらこのおにぎりが美味しいのは、おばちゃんが、色々な伝手を使って情報を集めた上で買ったお米、たらこ、アルペンザルツ、これらを揃えて初めて美味しいのよ、と言いたくなった。
ま、小学校1年生だから、まだ、教えるのは早いけれど、将来的には、美味しいおにぎりを作るには、技術だけではなく、仕入れが大切であることを教えなくてはね。
(私だって、仕入れがどのくらい大切かわかったのは、相当年を取ってからであるが、自分のことは棚に置いておこう)



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2000年01月14日(金)

子供のおにぎり製造法


甥2が、「自分でおにぎりを作りたい」と言い出してから、機会ある度に教えてあげている。
一緒になって、隣で握ればいいのだが、私がお腹いっぱいのときもあるので、口で教えたり、手の格好だけで教えることが多い。
だいたい、先生である私もおにぎりは上手ではなく、三角ができない、私のおにぎりは、強いて言えば、「お焼き形」である。

甥2に石鹸で手を洗わせて、軽く水気を取り、手にアルペンザルツを振ってあげる。
そこに、お茶碗に盛って、真ん中にたらこを埋めたご飯を置いてあげる。
「そう、そう、たらこが真ん中にくるように、ご飯を上にかぶせて行って」なんて、口で強調したところは、なんとなく、うまくできる。
甥2が自然に握ると、ただ、両方の手の中にあるご飯を、ただひたすら、手の甲や指で押すだけであるので、どちらかというと丸型で、しかも、指の形がくっきりついたでこぼこで、可愛い。
本人は至って満足、嬉しそうに美味しそうに出来上がりを食べている。

甥2のおにぎりを見ていると、「そうか、握る時、自然に、手の中にあるおにぎりの位置を少しずつずらしている」ことに気が付いた。
これは、子供には難しいかも知れない。
昔の子供だったら、お手玉やおはじきで遊んだから、手や指を器用に動かす訓練が少しはできていたけれど、甥2のような現代の子供は、ファミコンどまりだから、手全体を使うということは苦手なのかもと思う。(ファミコンは指先の反射神経だけだもの)
しかし、本人がやる気を起こしているので、ここのところをうまく指導してあげなくては可哀想である。
今度、教える時には、焦らせずに、ゆっくりやらせてみようと思う。
(おにぎりは、馴れている人は余り考えずにリズミカルにやってしまうけれど、リズミカルに教えるのは良くないかも知れない。)

お正月に叔父一家が来た時に、皆、出した料理で皆満腹になり、最後、炊いておいたご飯5合が余りそうになったので、急遽、たらこのおにぎりにして出すことになった。
ここで張り切るのは、当然、甥2。
皆に自分の握ったおにぎりを食べて欲しかったようだ。
こういう事態になると、甥1も「僕もやってみる」と登場する。
しかし、12人分を甥2に握らせるのは、時間的にも技術的にも無理なので、私が握り、甥1が、海苔を巻く係、甥2ができたおにぎりを届ける配送係に決まり、3人で分業した。
(甥たちは、自分で食べるおにぎりは、自分で握った。)

皆、もう食べられないと言っていたのに、炊き立てのご飯に塩がついた香りとバリっとした新海苔のいい香りのおにぎりが目の前に出されると、食欲をそそられるのか、全て食べてくれた。
3人の共同作業は、無事、「成功」で終わった。

きっと、甥2は、「来年こそは、僕が握る」と考えていると思う。鍛えなくては。(笑)



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2000年01月15日(土)

玉ねぎドレッシング


ためしてガッテンのHPを発見したら、「ご好評のの玉ねぎドレッシング」が載っていた。

ためしてガッテンの玉ねぎドレッシング←ここをクリック

2回作ったが、今のところ、お酒の量が決まらない。

      オリジナルレシピ       1回目    2回目 
玉ねぎ         1個        1個      1個
砂糖    大さじ1+1/2    *大さじ1      *0
塩          小さじ1       小さじ1   小さじ1
酢          75CC        75CC   75CC
サラダオイル    75CC       75CC   75CC
みりん       100CC      100CC  *50CC
酒         100CC      100CC   *50CC
醤油        100CC      100CC   100CC
水           0          0    *100CC

*印:オリジンルレシピより、変化させた部分

玉ねぎは、薄く切って、全てと混ぜ合わせて1日置いておくと味がまろやかになるそうであるが、我が家は切ったらすぐドレッシングにして、2、3時間置いてから食べてしまう。
3人だと半分くらい残るので、残りは自然と1日以上置いておくことになる。
また、オリジナルレシピでは1週間日持ちするそうだ。(水を使っていないからだと思う。)

作ってみると、漬けておいた玉ねぎが醤油などの色に染まり、美味しいし、玉ねぎ自体がドレッシングというよりも、具の1つとなるので、アクセントとなり、中々使いやすいと思う。
サラダを作る時は、何か特徴になるもの、そのときの目玉商品とでも言おうか、レタス+トマト+胡瓜+(たまにセロリ)に、アクセントになる蛋白質を考えてしまう。
しかし、このドレッシングのときは、玉ねぎがアクセントになるから、野菜全てみじん切りにほんのちょっとのハムのみじん切りだけでも何とか様になるサラダができると思う。

オリジナルレシピを見るとわかるように、どう考えても、砂糖と味醂の量が多く、甘いだろうと予想がついたので、砂糖の量を減らして1回目を作った。

★1回目のレシピの感想
 1.1回目では、砂糖の甘さはまあまあだったが、玉ねぎ自体が甘いのだから、
   砂糖を入れる必要はないような気がした
 2.お酒が飲めない妹から、「お酒臭い、お酒が強過ぎる」とクレームがつい
   た。
 3.私の使用している味醂は、とても高い味醂(福来純)なので、ドレッシングで
   100CCも使うのは、やたらにもったいないと思った。

それで、砂糖を0にし、味醂とお酒の量を半分にして、残りをお水にして、2回目を作ってみた。
これでも十分美味しい。
しかし、妹から、「まだ、お酒が強い」という声があがり、3回目は、お酒を0にするか、25CCにしてみようと思う。(ついでに、味醂がもったいないから、0にして、砂糖を入れてみよう)
その分、水を増やすことになるが、ドレッシングの持ちに影響はあるが、問題はないと思う。

また、最終版ができたら、UPします。
思うに、このレシピは、甘さが強くて、関西方面に好まれる味付けであると思う。
これを基に、各家庭の嗜好に合わせて、調味料の配分を変えて行くと面白いと思う。



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2000年01月16日(日)

関西の穴子寿司 下村商店


昨年秋に新宿伊勢丹地下に行ったときに、兵庫県の「下村商店」(確か、本店は明石で、神戸や大阪のデパ地下にお店がある)を発見、「わ、東京にあったのだ」と思ったのだが、そのときは、買い物の都合で買えず、今年になってから、穴子寿司を買って来た。
お店の人に聞いたら、「関東では、新宿伊勢丹のこの店しか出していません、出て来て5年経ちます」と関西弁で説明してくれた。
明石の穴子の美味しい地元の店は、沢山あるかも知れないが、私のような転勤者にはわからず、ガイドブックなどを頼りに探したところ、「下村商店が一番大きく、有名である」と思った覚えがある。
新宿伊勢丹にわざわざ出て来ているのだから、やはり、一番老舗なのではないかと思う。
但し、私の記憶によれば、下村商店は、穴子は売っていたけれど、穴子寿司を売っていなかったような気がするが、よく覚えていない。

私は東京風の柔らかい穴子も好きだけれど、関西風の焼き穴子も大好き。
東京で、また、明石のバリン・ゴワンの焼き穴子の美味しいのが食べられたのだ。
(本当に明石の穴子かどうかは、聞くのを忘れたけれど、産地はわからないが、歯ごたえ・風味等、明石風であった。)
買ったのは、穴子の押し寿司4切れと、太巻き4切れ、以上1000円。

★押し寿司
 焼き穴子の他、ご飯の中に、醤油色のフニョフニョのものが入っていたが、
 これがなんだかわからない。
 椎茸でも、かんぴょうでもないので、きくらげか若布かなと思うのだが、不確か
 である。
 このフニョフニョは、色は醤油色なのだが、さすが関西のお寿司であり、味
 は全く醤油の味がしない。
 また、このお寿司の底には、ほんのちょっと、紫蘇の葉が張り付いている。
 この紫蘇の葉の香りと、噛めば噛む程味が出てくるバリン・ゴワンの穴子の味
 と、焼いた穴子の香ばしさの組み合わせが本当に美味しい。
 脂っぽいものを食べているのに、時々、紫蘇の爽やかな香りがする。
 「ここいらへんの組み合わせのうまさが関西の繊細さなのよね、関西で食べた穴
 子寿司は、こんな感じだった」と喜んでしまった。
 (私が関西で食べたのは、神戸元町近辺の確か「青辰」というお店のもの。)

   美味しいのだが、関東人の私にとっては、余りに塩味が薄いので、醤油をつけて
 食べた。

★太巻き
 具は、穴子、出し巻き玉子、胡瓜と押し寿司に入っていた醤油色フニョフニョ。
 太巻きになると、穴子が小さくなるせいか、穴子の味というより、色々の具が口
 の中で混ざり合った美味しさで食べる。
 胡瓜が爽やかだし、こちらも美味しい。
 こちらは、色々な具からの味と海苔の味があるせいか、お醤油をつけずに食べる
 ことが可能であった。

 どちらが好きかと言われれば、やはり、焼き穴子に紫蘇の葉の押し寿司。

握りが空気を含み、ご飯の量が少なくて柔らかい江戸前の握りには、東京風ふわふわ煮穴子、押し寿司など、江戸前に比してご飯が詰まっていて固い押し寿司には、やはり、関西風焼き穴子が合うと思う。

東京には、他にも、関西風の穴子の美味しいお寿司のお店はあるかも知れないが、新宿伊勢丹の下村商店は、手軽に買えるし、美味しいからお勧め。(それにずっと伊勢丹に店を出していて欲しいと思うので、是非、お試しを。)

私が思うに、東京に出て来ても東京風になっていない「関西の味」である。
(お醤油をつけて食べることになったとしても、「関西そのまま」を売ってくれる関西の店の方が私は好き。)



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2000年01月17日(月)

子供は、食べるの大好き!


ある土曜日の昼に、甥1がおばあさんに愚痴ったそうだ。
「おばあちゃ〜ん、信じられる〜?
うちのお母さんたら、今日の夕方、子供のご飯作らないで、映画見に行っちゃうの!
僕、信じられない!」

小学校3年生ともなると、テレビの影響かも知れないが、言い方が妙に大人っぽくなったところが面白く、思わず笑ってしまった。
なんでも、甥のお母さんは、お友達とたまの気晴らしに映画を見に行くにあたり、どこかで買ってきた「煮てあるおでん」を用意しているそうだ。
甥二人ともそのおでんが気に入らないのか、お母さんには抗議、おばあちゃんには、愚痴を言っているようだった。

その話しを聞くと、子供は、本当に「食事」を楽しみにしているのだと、思う。
でもね、たまにはそういう経験もしなくてはねとも思う。

しかし、実は、おばちゃんは、心の中で、他の面で、ほくそえんでいたのであった。
おばちゃんの「甥たちには、天然出汁の美味しさを覚えさせる」計画は、着々と成果を上げていることが明らかになったからだ。
おでんに関しては、おばちゃんが甥たちの舌をよちよち歩きのときから長年にわたって、信念と計画性を持って鍛えているのだ。
我が家で、おでんが残ったときは甥の家に必ずあげているし、いつもおつゆは「美味しいよ」という言葉を添えて飲ませている。(一種、洗脳的かも知れない)
味にそんなにうるさくなくて、化学調味料平気人間の甥1でも、おばちゃんのおでんのおつゆの美味しさを覚えていて、お腹が空いていないときでも、必ず、「あ!おでんだ、おつゆちょうだい」と言う。(おばちゃんは、それが可愛い)
小鉢に入れてあげると、本当に美味しそうに飲むのだ。
口が達者な甥2に、「まりのおでんの出汁はどういうふうに美味しい?」と聞いたら、「すっきりしている」と言ってくれて、これまた、満足である。

余談だが、おでんを美味しく作るには、前回残ったおつゆを一度漉してから冷凍しておき、次回はそれに出汁を足して使うと美味しいと聞いた。
しかし、残念ながら、我が家はおでんのおつゆが残ることがない。
甥たちが来て、おつゆを飲む他に、私もおでんが残った時、次の食事の時などに、電子レンジでチンした熱々のご飯に、沸かし直したおでんのおつゆをたっぷりお茶漬け風にかけて、煮え過ぎた具などにからしをつけたものをおかずにして食べることがあるが、これは、これで、良く煮込んだおでんの美味しさと、煮返したつゆの美味しさがあり、とても美味しく気に入っている。

私が、昆布や厚削りで取った出汁で、末広町の練り物屋で買ってきた揚げ物やつみれなどの味が染み込んだおでんのおつゆは絶対に美味しい。
甥1たちの両親にとっては、迷惑な話しかなとも思うが、あの甥たちは、弟夫婦の子供であると同時に、我が家の孫でもあるから、ちゃんとした味も教えておかなくてはと、つい、親の迷惑省みず、黙って、おつゆを飲ませてしまう。(笑)



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2000年01月18日(火)

葛の美味しさ


「葛の美味しさ」と言ったら、普通、お菓子なのだが、お料理に使ってもとても美味しい。
和風料理で、片栗粉を使うところを葛に変えると、何となく、葛の風味があって、料理が引き立つ気がする。
私が主に使うのは、おつゆをとろっとさせる場合と、揚げ出し豆腐である。

数年前に、合羽橋のどこかの店で、1kg買ってきて全部、粉にして、ビニールの袋に入れて、使っていた。
本葛は高いものであるが、大量に買うと、まだ、手の届く範囲である。
以前買ったものは、安かったせいか、「本葛」と書いてあったけれど、品質が余り良くなく、なんとなく、不満であったが、ずっと使い続けていた、それでも、片栗粉よりも美味しかった。
本葛は、品質がどの程度のものか表示もないし、量が多ければ安く、量が少なければ高いという売り方なので、選び方に困ってしまうところがある。

どういうわけだか、夏に部屋を大掃除した時か何かに間違って捨ててしまったのか、大切に使っていた本葛の粉が、なくなってしまったのである。
(気付いたのは、数ヶ月後で、全然捨てた憶えがないのだ)

今回、暮れのマントウさんのバーゲンで、1割引きで買ってきた。
1割引いても、1kg3600円である。
しかし、これを100g単位で買うと、数段高くなるので、「腐るものではないし、大切に使えば、ずっと持つのだから」と諦めて買ってきた。(高くても買ってきてしまうところを考えると、私は、「葛の味」が好きなのだと改めて思う。)

今回、買ったものは、品質的に満足であり、良く、卵のおつゆを作って飲んでいる。
(でも、使い切るのに、10年以上かかるような気がする。)

昆布と削り節で出汁を取り、塩・薄口醤油・味醂で味をつけ、水溶きした葛を入れてとろっとさせてから、溶き卵を入れると、薄く長く卵が散らばってくれて、美味しい上に、料理の腕が上がったような気がして嬉しい。
この卵汁、生姜のすりおろしを入れても味が変って美味しい。(身体が温まる感じ)

京都でいうたぬきうどんが、この葛で出汁をとじたあんかけの生姜味である。
しかし、我が家で、京都のたぬきうどん風を作ったら、「浅草大黒家(てんぷらとか天丼のお店)の卵汁に似た味だ」との指摘があった。
言われてみれば、そのとおり、京都のたぬきうどんと、浅草の味は同じ系統であることを発見した。



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2000年01月19日(水)

生意気


人間、「知恵が付く」ということは、利口になるのと同時に、生意気になることなのだと思う。
それを通り越すと、お世辞が言えたり、相手との人間関係を考えた上でのものが言えるようになるのかしらとも思うのだが、そこまでは、先が長そうだ。

先日、甥1が、変な顔をしながら部屋に入ってきた。
何かと聞けば、「苦い薬を飲んだばかり」と言う。
その時に、卵の美味しいおつゆを飲んでいたおばちゃんは、「だったら、このおつゆを飲んでごらん、口の中が直るよ」と親切に言ってあげたら、甥1は、ちょっと考えてから、なんと、「それは、まりがそう思うだけでしょう?」という返事を返してきた。(気分が悪そうな雰囲気ではあった)
ぎゃふん。
この前まで、おばちゃんが、「美味しいよ」というと、何でも飲んでいたくせして、3年生になったら、こんなことを言うようになってしまった。

甥1が言おうとしたことは、「そのおつゆを飲んで口が直ると言うのは、世間一般ではどう言われているかわからないことで、まりがちょっとそう思っただけでしょう。
本当に口が直るかどうかは試してみないとわからないことでは?」と言うことだと思う。(確かに知恵が進んだようである。)
今度から、「おばちゃんは、おつゆを飲んだら口が直ると思うのだけれど、試してごらん」と言わねば。

で、そんな憎まれ口を聞いた甥1だが、やはり、口の中を気持ち良くさせたかったのか、素直におばちゃんの天然出汁と本葛の卵のおつゆを飲んだ。
美味しくて、口の中の苦さが取れたのか、次に出た言葉は、「おかわり!」であった。

ま、素直に、気を許せるおばちゃんと甥の関係だから、当面は言いたいことを言わせておいてあげよう。(お世辞を言われるようになったら、それはそれで、気持ちが悪いと思う。)



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2000年01月20日(水)

澄まし汁の牡蠣鍋


牡蠣のお鍋というと、どこかの郷土料理の土手鍋で、鍋の内側に味噌を貼り付けて、それを崩しながら食べる味噌仕立てが有名だ。
料理本を読むと、世の中には、「味噌仕立ての牡蠣鍋」しかないように思えるくらい、味噌仕立ての鍋しか載っていない。
しかし、我が家の牡蠣鍋は、ずっと昔から、澄まし汁仕立てであり、これ以外は受付けてくれない。
(何故か、味噌仕立てを皆、好きでないようだ。私はどっちでもいいのだが)

材料に三つ葉と鳴門巻きが入るから、きっと、古い東京の料理だと思うが、我が家以外で、同じような鍋を食べているという話しを聞いたことがない。

似たようなもので、我が家でずっと食べ続けている鍋に、イカ鍋(ほうれん草と烏賊)、ねぎま鍋(まぐろと葱)がある。(ねぎまは、父が生きている間は、たまには食べたが、死んでからまるで食べなくなった。
どういうまぐろを買ってくればいいのか、美味しくリーズナブルにできるかがわからないことが作らない原因だと思う。
ある料理本に「ぶつか、トロが向いていますが、トロの方が美味しいです」と載っていた。
トロだったら、高いし、生で食べたいと思う。)

この中で、全国的に名前が通っているのは、ねぎま鍋だけだと思う。

澄まし汁仕立ての牡蠣鍋

★ 材料
 牡蠣.....小粒の方が、食べやすい 適宜
 鳴門巻き...はんぺんではフニョフニョすぎるし、かまぼこでは、歯ごたえが
        あり過ぎるし、やはり、鳴門巻きの薄切りが合う
 焼き豆腐...牡蠣・鳴門巻きが柔らかいせいか、堅い焼き豆腐が合う。
        やっこに切っておく
 白滝
 三つ葉

 他、きのこ類を入れることもあるし、三つ葉が少ないときは白菜を入れてしまう
 こともあるが、原則、余りごちゃごちゃ色々の材料を入れないところに特徴があ
 る。

★ 作り方

 濃い目の削り節・昆布の出汁を取っておき、土鍋に入れて煮立たせる。
 味付けは、薄口醤油と酒、適当に入れて味を見る。
 甘さが欲しい時は、味醂を少し入れる。
 この中に材料を入れて、煮えてきたら、食べる。
 おつゆに牡蠣の味が出るので、どちらかというと、おつゆとともに具を食べると
 いう感じで食べる。
 煮れば煮るほど、おつゆに牡蠣の味が移って、どんどん美味しくなるので、この
 おつゆで、 仕上げにご飯を入れておじやにすると美味しい。

 このお鍋は、さっぱりしているので、脂っこいメニューが続いた後などに持ってく
 ると喜ばれる。



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2000年01月21日(金)

にんじんのポタージュ


会社に入ったばかりの初々しいときに、有楽町の東京會舘で、フランス料理と中華料理とお菓子を習ったことがあった。
友人と一緒だったし、とても楽しかったのだ。
今考えても、実際の調理のプロに習うことができたし、色々な料理学校に首を突っ込んだことがあったけれど、東京會舘が一番良かったと思う。
ここで習った料理は、今でも、何点か、作り続けている。

そのうちの一点で、人参のポタージュは、お勧めである。
人参は、煮込んで、ミキサーにかけてしまうと、まるで、人参臭くなく、しかも、甘味がちょうどいい。
とうもろこしやかぼちゃのポタージュより、甘さが控えめなところが美味しい。

★材料
人参     適宜(いつも適当である。少ないと薄くなり、多いと濃くなる)
       強いて言えば、3〜4人前で、小さ目の人参1本から1本半
たまねぎ   ほんのちょっと
       強いて言えば、3〜4人前で、半分程度。
お米     省略可能。とろみをつけるために入れるらしいが、なくてもとろみがつく
       と思う。
コンソメの素
あれば、バター、牛乳、生クリーム適宜

★作り方
1.人参とたまねぎは薄切りしておく
2.鍋に油かバターを溶かし、1を炒める。
  油は、後で、生クリームを入れるなら、サラダオイル、何も入れない、もしくは
  牛乳だったら、バターが良いと思う。)
3.適当に炒めたら、コンソメスープの素やブイヨンの素を入れて煮る。
  この前圧力鍋で煮たときは、3分圧をかけて、3分放置で、相当柔らかくなった。
  普通のお鍋でも、20分くらいだと思う。
  人参に竹串を刺してみて、すんなり通ったら、出来上がり。
4.ミキサーだったら、水気を相当入れても、大丈夫、フードポロセサーだったら、羽
  根が回る程度に少な目のスープを入れて、粉々に砕く。
5.鍋にドロドロを戻して、好きな濃度に残りのスープや水を入れる。
6.火にかけて、ドロドロを溶かしながら、塩(精製塩以外)と胡椒を入れて、味を見
  ながら、味を調える。
  この段階で味見すると、「十分美味しいではないか」と思ったら、ここで終わり。
  「ま、牛乳でも入れてみるか、生クリームが余っていたな」と思ったら、生クリ
  ームを入れる。
  もしくは、食卓に牛乳臭いものが出ても家族が嫌がらなかったら、牛乳や生クリ
  ームを入れると良いと思う。
  また、味見をして、美味しかったら出来上がり。
  美味しくなかったら、う〜ん、塩気が濃かったら、お水を入れる、塩気が少なか
  ったら塩を足す。
  (塩を直すのは、多分難しいでしょう、でも、味見のときの味と、色々な料理の中
  で食べる味は味見のときと違う場合も往々にしてあるから、少しくらい塩辛
  くても、出してしまおう。)

さて、何年振りかで作って出したら、皆、「何のポタージュ」かわからなかった。
絶対、人参だとはわからないポタージュである。
人参は、生で食べるのと、小さく切って茹でるのと、粉々にするのでは、それぞれに味が違うから、面白い。
人参嫌いでも絶対に食べられるポタージュである。



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2000年01月22日(土)

東京吉兆 1/3 吉兆が好き


吉兆さんは言わずと知れた日本を代表する懐石料理のお店である。
私は、大阪にいるとき、高麗橋の吉兆本店の近くに勤務していたが、いかにも高級料亭の黒塀の構えと噂に聞く値段と一見さんお断りだったので、自分が食べに行けると考えたことがなかった。
どうも、お金持ちか、サラリーマンでは支店長や社長クラスでないと行けない店らしい。

最初に吉兆に興味を持ったのは、辻調理師専門学校の基礎を築いた辻静雄さんの一生を描いた「美味礼賛」を読んだ時だった。
今でもそうだが、日本料理は、料亭に奉公して、修行で覚えていくのが当たり前だったので、辻静雄さんが、プロの料理人を養成する調理師専門学校を開こうと思っても、先生の適格者はいないし、どうやって学校で日本料理を教えていいのかわからなかったそうだ。
だから、辻静雄さんは、生徒のうちで才能があると認めた若者を連れて、何度も何度も大阪高麗橋の吉兆に客として通い、味と技術を完成品から研究させたとのことであった。

大阪にいるときに、高麗橋は無理だったが、大阪梅田大丸や心斎橋の大丸の中に、「吉兆」を名乗る店を発見した。
その頃、これらのデパートへの出店は、「吉兆で修行した人で、『吉兆』を名乗るのを許された人のお店」と聞いていたが、いつだったか、大阪吉兆の関係者の名刺をもらったら、大阪吉兆の支店として、載っていた。
きっと、時代が変って、デパートへ出店を出していることを公表することについて、吉兆さん自身に抵抗がなくなったか、私が以前聞いていた話しがデマだったのかも知れないと思うが、どちらだかわからない。
ただ、老舗だから、「デパートへの出店」などという軽いことをする店に見られてたくなかったというのことは、10年以上前だったら、十分考えられると思う。

大阪梅田の大丸にある吉兆さんは、その当時、お昼のお弁当が3千円で食べられた。
どんな和食が出てくるか全く何も考えずに食べに行ったのだが、味わってみて、脳天を打たれるくらいのショックを受けた。
今まで、和食だと思い込んで食べていたものと、全く違う味だったのだ。
全てが良い材料で、丁寧な作り、出汁がものすごく美味しいのだ。
欠点がなかった。
醤油や塩味を殆ど感じさせない薄味だけれど、出汁の美味しさと素材の持ち味を活かした調理法で全てを美味しく食べさせてくれるお弁当だったのだ。
ご飯の一粒一粒までもが、余所のものとは違っていたように感じたのを覚えている。
(これだけ感激するということは、それまでに、私が東京でそんなに高級な和食を食べていなかったことも大きいとは思う。)

それ以来、一人で行くのも嫌やだし、色々な人に吉兆の味を知って欲しくて、東京から人が来ると、案内してあげた。
しかし、全員、私程、感激しなかったような気もする。
(吉兆さんは、とにかく濃い味でないと食べた気がしない・濃い味に慣れきっているという人には、向かないと思う。)
そして、東京に帰る数ヶ月前に、大丸の吉兆さんは確か2倍くらいに値上してしまったので、ぷつっと行かなくなってしまった。
今、考えても、吉兆のお弁当を3千円で何回も食べることができたのは、ラッキーだったと思う。

吉兆さんのお弁当で、吉兆さんの「関西風の味付けのすごさ」というものにいたく感激した私だったが、だからと言って、東京の和食が劣っているとは思わなかった。
関西は、懐石料理的なものが得意であり、東京は、鰻・寿司・天ぷらの屋台料理に発する料理が得意なのだと思った。
吉兆さんのお弁当を初めとする関西の和食を沢山食べて、返って、「東京の昔からの味」というものを見直してしまった。
東京の和食というのも、分野によっては、最高であると思った。

東京で懐石を食べて、関西で江戸前握り寿司を食べるのは、例外は有るかもしれないが、間違っていると思う。
それぞれ歴史的背景があって、同じ和食といっても、得意分野が違うのだと思う。



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2000年01月23日(日)

東京吉兆2/3 ランチ 前半


さて、今回は、東京吉兆に行こうという話しが持ち上がった。
場所は、東京本店ではなく、帝国ホテルインペリアルタワー地下1階の方のお店である。
こぎれいで清潔、あっさりした造り。
BGMは、謡曲(だと思うが、本当かな?)であり、とても、落ち着いて、ゆったりできた。
回りを見ると、着物を着た女性・背広姿の男性の他に、割とカジュアルな人もいて、昼間は、労働着を連想させない洋服なら大丈夫かなという感じである。
私たちが食べていた途中で、成人のお祝いの家族10数人の会食も始まって、利用の仕方は、色々だなと思った。

今回は、お弁当ではなく、懐石のお昼のコースとした。
値段的には、8千円もあるようだったが、1万2千円にしてみた。
吉兆通は口を揃えて言う、「吉兆を味わおうと思ったら、1万円以上出すべき」だと。
私は、吉兆の味のすごさ・丁寧さは大阪時代に味わってはいたが、「吉兆らしさ」という遊びの部分まではわかっていない。
何が「吉兆らしさ」なのか、味わってみたかった。
同行してくれた人は、吉兆の通である。

まず、お店の人が「嫌いなものはないか」聞いてくれた。
余り食べたくないものもあったが、私の余り好まない素材でも吉兆さんだったら、どういう風に料理するのだろうという興味があったので、好き嫌いを言わなかった。
(私の嫌いなものは、はんぺん・こんにゃく・ふかし直したご飯だから、言ったところで、吉兆さんで出てくる心配はないのだが)

最初に、きれいな金色の模様が付いているグラスで、梅酒が食前酒として出される。
当然美味しい。

★ 八寸
お正月ということで、おせちから、何点かが盛られたものである。
まず、飾り付けがきれい。
お皿の向こうに、龍を形取った青に金の珍味入れがあり、その中には、ナマコがあった。
ナマコは今まで食べた上で避けたわけではなく、何となく避けていただけなので、食べてみる。
余り食べ慣れていないので、「ナマコとはこういうものなのだ」という感じ。
龍の珍味入れは、今年用にわざわざ作られたものだそうだ。
毎年、お正月とその年の暮れにのみ使用され、後はしまわれてしまうとのこと。
お店の入り口に、去年までの12個の干支の写真が飾られていいたが、皆、どれも可愛い。
巳はどんな形になるのかと思ったら、巳と書かれた壷の形であった。
他、珍味やおせちが数々盛られていた。
その中でも印象に残ったものを。

◇黒豆
 黒豆がアルミ箔の容器の中に5粒程度並べられ、ゼリーで寄せられていた。
 真ん中の一粒には、四角い金箔が貼られているのが、高級な感じ。
 そして、黒豆を食べると、出て来た言葉は、素直な「オ・イ・シ・イ!」であった。
 私の黒豆も相当美味しいという評判であるが、吉兆さんには、並べない。(そう思う
 方が間違っているとはわかってはいる)
 柔らかさ・すっきりした甘さ、全て、私の上、格違いと言う言葉がぴったりである。
 来年から、もう数段上の黒豆を目指そうと決心した。
 しかし、この黒豆のゼリー寄せはとてもいいアイディアであると思う。
 いつも、何となく黒い煮汁を引きずった黒豆を出していたが、黒い煮汁を思いっき
 り切って、透明なゼリーで寄せると、新鮮な感じとなる。

◇ごまめ
 ごまめも本当に美味しく、カラッとしていて香ばしい。
 こんな美味しいごまめを食べたことがない。
 こんなごまめだったら、私も作りたいと思った。

◇あん肝のゼリー寄せ
 出汁に薄く味をつけたゼリーの間に、あん肝が挟まっていた。
 口に入れると、まず、あん肝の濃厚な味が口に広がる。
 その後、時間差があって、ゼリーで固められた出汁の味がゼリーが口の中の温か
 さで溶けた瞬間、口いっぱい広がるのだ。
 料理というのは、作り方によって、こんなにも、食べ手を楽しく驚かせるものかと思
 う。
 口の中に広がる味の時間差の配慮が、心憎い。
 冬以外は、フォアグラでこの演出をしているとのことであった。

◇スモークサーモンを大根で巻いたもの
 これは、MLでお正月料理として紹介されたことがあったが、まだ、食べたことも
 作ったことがなかったが、美味しかった。
 大根は、薄くかつらむきに剥いて、甘酢に漬けてしんなりさせ、その大根で、スモ
 ークサーモンを芯にして巻くのだ。
 これは、自分でもできそうだと思うし、確か、以前MLで習ったレシピは、
 スモークサーモンの切れ端を大量に安く仕入れることが前提だった。
 これなら、できそうだと思う。

全体をまとめると、珍味は珍味で、珍しい味で美味しかったのだが、自分でもできそうなものが、これだけ圧倒的味の差を持ってさりげなく登場したので、「自分の料理との違いは一体何なのだ、私は今まで何を工夫して料理してきたのだろう?」と思わず思ってしまったが、そう思わせる料理を出すところが、吉兆さんの価値だと思い、半分諦らめた。




2000年01月24日(月)

東京吉兆 ランチ 後半


★ 汁物
花びら餅を模した具であった。
お餅の下に海老しんじょが隠れている。 お餅の一番上には、何大根と言うのか、本当に小さな大根が丸ごと飾ってある。その大根と餅の間には、薄い大根の四角いのが一切れ載っていた。
きっと、その薄い大根は、奉書とか、半紙を見立てたものであると思う。
(芸が細かい)
海老しんじょと餅の間には、細い棒に切った人参とゴボウがちょこっと顔をのぞかせていた。
内側が朱のお椀に、白を基調とした花びら餅のような具が映えて、とてもきれい。

汁を飲むと、やはり、やたらに美味しいのだ、かつおの香りと味がぷう〜んとして、「極上の出汁」という感じである。
またまた、「オ・イ・シ・イ!」と、音量は低かったけれど、叫んでしまった。
勿論、お汁も美味しかったけれど、お餅もうまく煮えていて他の野菜や海老しんじょと柔らかさに統一感があって美味しかった。
こういうお雑煮もいいなと思ったけれど、やはり、自分で真似して作るとなると、難しいと思う。
全てが程良い柔らかさであったし、お餅が煮えているのに、煮溶けていない、これは自分で作ったら、相当難しいのではないかと思う。
結構、色々なところに見えない技を隠しているなと感じさせる、欠点なしの椀物であった。

★ お造り
ひらめ・鯛・伊勢海老・烏賊・マグロのトロの盛り合わせ
伊勢海老に温泉玉子の黄身のようなものが載っていた。
ひらめだけは、醤油とお酢をつけて食べるように、その外は、お醤油でということであった。 お醤油は関西風で、醤油臭さが全くなかった。
東京のお料理は醤油臭さを活かすのが上手で、関西の料理は殺すのがうまいと思った。
どれも美味しかったが、やはり、私の関東人としての限界か、お造りを醤油臭さを殺したたれで食べるより、お刺し身と言われるものを関東風の匂うようなお醤油につけて食べる方が好きだとは思った。
しかし、「懐石」の一部なのだから、全体の流れには、この「お造り」が順当だと思う。
ここで、青魚やうに・いくらが出て来たら、確かに、全体の流れには合わないと思う。

★ 焼き物
まなかつおの西京焼き。
柔らかくて、美味しかった。

★煮物
蕗と筍、鯛の子の煮物だった。
欠点がなく、本当に美味しかった。
煮物なので、器の底に、煮汁があった。
「これを飲んでもいい?」と聞いたら、「飲むのが普通」とのことであった。
礼儀作法とか殆どわかっていない私だが、どう考えても、吉兆さんの煮汁を残す方が礼儀がないと思ったのだ。
蕗も、筍も、鯛の子も申し分なかったが、本当に汁が美味しい。
ただ、一言、「幸せ!」である。

★ 飯い蒸し2種類と汁物
お盆に、高さのある直径10cmくらいの蒸篭と、お味噌汁が運ばれて来た。
蒸篭は、二段仕立て、上の段が「勝ち栗・小豆・白胡麻のお赤飯」、下がとてもきれいな蒸し寿司(車海老・椎茸・穴子がとてもきれいに並んでいた。家庭画報で見るグラビアのようなきれいさである。)
お好きな方からどうぞと言われたが、取り敢えず、並んでいる順序で食べてみた。
お赤飯が美味しい、栗がうまく戻っていて、これまた美味しい。
我が家はササギなので、小豆のお赤飯は珍しかった。
小豆は小豆で美味しいと思うが、やはりササギの方がいいかなと思ったが、否、今は、関西の料理を味わっているのだと思い直す。
お赤飯に白胡麻は初めてだったが、中々良いものである、黒胡麻よりさっぱりした味わいであった。

さて、次は、蒸し寿司である。
穴子、車海老、錦糸玉子、さやえんどうが彩り良く並べられており、家庭画報のグラビアのような色彩で、華があり、とても素敵だった、素敵を凝縮したような蒸篭料理である。
食べてみると、 蒸されたせいか、お酢っ気が殆ど抜けているのだが、かすかに感じられる。
これが中々美味しい。
白いご飯かと思ったら、細かい、本当に細かい何かがご飯に混ぜ込まれていて繊細な味わい美味しい。
野菜ではないかと思うが、正体がわからないほど細かく、舌で、ほんのちょっと白飯以外のものを感じるだけなのだが、全体の味を柔らかく、美味しい風味をもたらしていた。
やはり、芸が細かいと思った。
穴子も柔らかく、車海老も立派なもので、とても美味しかった。

味噌汁は、生湯葉を巻いたものがまるごと具である。
赤味噌であったが、八丁ではなかった、冬は、八丁味噌を使わないとのことであった。
★ デザート
デザートは、「抹茶に椿餅」か「フルーツのゼリー寄せ」であった。
一緒してくれた人が選択権を私にくれたが、私に選ばせると、「両方とも」と言ってしまうので、選んでもらった。
彼女が選んでくれたのは、「フルーツのゼリー寄せ」
不二家のケーキより高さのあるフルーツのゼリー寄せの大きな塊が乗っているお皿が運ばれて来た。
大きく切った苺とマンゴとメロンである。(苺はアイベリーだと思う。)
ゼリーの回りには、苺とキウィとカスタードの三色のソースが敷き詰められていた。
「もし、吉兆に行くことがあったら、是非、フルーツのゼリー寄せを食べることをお勧めする」と宣伝したくなるくらい、美味しかった。
ただ、ただ、目を丸くしながら、食べている私がいた。
何せ、吉兆さんだから、フルーツ自体が高級且つ熟れ頃で(万惣か、千疋屋か?)それを甘くないゼリーで固めに固めてあるのだ。
あれだけのフルーツを揃えるのは、無理だけれど、今の世の中、最近スーパーでカットフルーツの盛り合わせを良く見掛けるので、今度、自分でやってみようかと思う。
ソースは、カスタードクリームのソースと、キウィのソースとイチゴのソースであったが、自分で作るときは、これらのソースは当然省略。

この日の吉兆は、美味しい上に、吉兆の「楽しさ」を味わえて、そして、あの極上の出汁を久々飲めて、とても幸せだった。
黒豆、ごまめ、における自分との差を感じつつも、色々なところで吉兆さんの味と芸を真似をしてみようという気持ちになれたことが良かったと思う。
毎月1回、お昼でいいから、吉兆に通えるようにならないかしら、なんて、思ってしまった。 
是非、また、行きたい。

吉兆さんは、高いから、本当に美味しいものを食べてみたいと言う人以外は、価値がないかも知れない。
ただ、美味しいもの大好きな人は、絶対に一度は行った方がいいと思う。




2000年01月25日(火)

北千住 歴史のある街


MLのオフで、南千住尾花に行くことになったときに、北千住に詳しい女性が「北千住散歩」を企画してくれ、同じMLの京都出身の女性と、東京生まれの東京育ち二人で、楽しく散歩してきた。

私にとっての北千住は、「行く理由がない地域(友人も親戚も行きたい店もない)」であり、駅に降りたことも、2、3年前に2度程度であった。
私の北千住に対するイメージや知識は、「ベッドタウンの入口・駅ビル(ルミネ)がすごい、白亜という子供服がやたらに安い店がある」ということしかなかったのだ。
私だけでなく、北千住方面に住んでいる人・縁がある人以外の北千住感は、この程度でないかと思う。

関東以外の人に「北千住」「南千住」といっても、どこだかわからないかも知れない。
東京の北の方(上野より北側で、その先は埼玉県となる)にある街で、地下鉄やJRの駅がある。

しかし、北千住について良くわかっている人に案内してもらったら、私のイメージとは全く違った街であることがわかった。
「歴史散歩」と銘打つのは、ちょっと大袈裟かも知れないが、1、2時間、北千住をフラフラするのは、とても楽しかった。

北千住全体は、「商店街の街」と言い切れる程、商店が沢山あった。
(誰かが気付いたのだが、「コンビニ」が少ない地域なのだ。)
その中のところどころに、江戸時代、宿場町で街であったこと、第二次世界大戦で戦災に遭わなかったことで、古い立派な建物がまだ残っているのだ。

明治時代の大きな紙問屋の立派な和風木造建築や、明治か大正に建築されたものであろうが、大橋眼科というレトロな洋風の建物があった。
紙問屋さんは、商家で、戸を開けるとすぐ畳になっていて、商品を畳の上に広げて、品物を選ばせたのかな、どんな感じだったのだろうと想像すると楽しい。
明治時代の建物とはいえ、江戸時代の様式だと思うから、ちょんまげの着物姿の人たちがここでどんな暮らしをしていたのかと想像してしまう。

大橋眼科という洋風の建物は、ディズニーの「メリーポピンズ」に出て来そうなレトロな洋風の素敵な建物のミニチュア版のような感じであった。
否、この建物は、ずっと昔は大きく見えたのに、メインストリートにあるせいか、両隣が近代的ビルになったせいで、どうしても小さく見えてしまうのだ。
こんな建物を戦前に建てるなんて、この大橋さんの先祖が、医者の勉強で、欧米に留学して、その思い出に建てたのかしらと思える。
戦前にこのような洋風建築を建てるなんて、設計家や技術者が日本にいたのかも不思議である。
きっと、戦前から、モダンな生活をしていた一族なのだろうと思う。
戦前の洋風な生活とはどんなものか、見てみたい気がする。

他にも、普通の家で、木造の商家が何軒か残っており、郷愁を感じさせてくれる。
我が家の方では人口が減ってしまって商売が成り立たなくなってしまって、無くなってしまった荒物屋や呉服屋さんが沢山あって、昔懐かしかった。

絵馬屋さんがあって、入り口のガラス戸の奥の畳で、中年の女性が畳に座って、畳の上に絵馬の板を置いて、絵を描いていた。
絵馬屋さんというお店は始めて見た。
神社に飾ってある絵馬の一枚一枚は、手書きなのだと、改めて思った。

他に楽しかったのは、足立の卸し売り市場に向かう通りである。
市場に近くなったら、家の前に、木の板に説明が書かれたプラカードのようなものが突き刺さっている家並になっていた。
それぞれの板には、「元川魚問屋」「元青果問屋」「元車茶屋」「元○○茶屋」(○○は忘れてしまった)と書いてあり、市場が、公営の大きな施設に囲い込まれる前は、この通りの両側に、沢山の食物の問屋が並んでいたことを物語っている。
足立公営卸し売り市場がいつできたのか、私は知らない。
しかし、鰻の登亭(のぼりてい)という東京の鰻の持ち帰りのお店のHPには、登亭は、江戸時代、北千住で川魚問屋だったと書いてあったから、江戸時代から、利根川の鰻などが、隅田川などを通って、北千住に運ばれ、この場所に市場が出来たと思われる。
江戸時代、時代劇に出てくるような町人や人夫の人が、大八車を引いて、ここに野菜や川魚を買いに来ていたのだ。
大八車で食糧を運ぶ仕事はきつかっただろう、そしてこの通りは、大八車と人間でごった返していたんだ、なんて、考えながら、歩くと楽しい。

足立の公営卸し売り市場を通り越すと、そこは千住大橋、これを渡ると南千住に入って、北千住散歩は終わった。



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2000年01月26日(水)

北千住 和菓子の街


北千住に行く前から、詳しい人から、「北千住には、やたらに団子のお店がある」と言われていたが、行ってみたら、本当にそのとおりだった。
和菓子というと、練り切りなど、高級なイメージがあるが、北千住のお菓子屋さんは、みたらし団子・餡団子・いなり寿司・かんぴょうの海苔巻き・おにぎりなどを、ショウウィンドウに並べている庶民的タイプであった。
私にとっては、「甘い物屋」というと、あんみつ屋を指すようなイメージがあるが、店の奥で、甘いもの屋を併設している店ばかりでなく、店売りだけの店もあった。
こういうお店を何て呼べばいいのかわからない。

私が「関西にいるとき、関西の和菓子屋では、お団子やいなり寿司を売っていなかったと思う」と話したら、ご一緒した京都出身の女性が、「京都では、『和菓子屋』と『お団子屋』は厳しく分かれていて、和菓子屋では、絶対に団子を売らないの。
和菓子屋さんに行って、『お団子ありますか?』と聞いたら、絶対、『うちは、団子屋さんではおまへん』と言われる」と教えてくれた。(純粋京都弁で『うちは、団子屋さんではおまへん』と説明してくれたので、本当に関西の和菓子屋さんに行ったような臨場感があった。)
その点、関東は気楽であり、高級とか老舗の和菓子屋は別だが、街の和菓子屋なら、みたらし団子を当たり前のように売っている。
(我が家の方では、おいなりさんを売っているかいないかで、「和菓子屋」「甘い物屋」が分かれているような気がするが、定かではない。自慢ではないが、我が家の方には、「稲荷寿司屋」単独もあったのだ。)

話しを北千住に戻すと、北千住は駅前からずっと縦横に続く商店街のいたるところに、甘い物屋さんに近い和菓子屋さんの店先に、手作りのおいなりさんやお団子が並んでいるのだ。
それが店によって、稲荷寿司の油揚げ(薄揚げ)の煮しめた色合いが違って、どれもこれも美味しそうに見える。
思わず、「食べ比べたい!」と思ったが、何せ、その後、尾花で天然鰻を食べるスケジュールだったので、泣く泣く諦らめた。
私は浅草の子だ!おいなりさんにはちとうるさい。(おまけに、親戚にお豆腐屋さんがいて、日頃は、ここの油揚げをもらったときにしか、おいなりさんは作らないのだ、だって、他のお豆腐屋さんのものと、全然味が違うから)
今はなくなってしまった、小さい時に食べた稲荷寿司屋さんのおいなりさんと同じ味を見つけられたら嬉しいなと思う。
結構、街場で売られているお稲荷さんに美味しいものはないものだと、思っている私であった。

しかし、これだけ、いなり寿司やお団子を毎日大量に作っていて、よく全て売れるものだと呆れてしまうくらい、いなり寿司・お団子だらけの街であった。
(ケーキ屋は、歩いて見物した範囲では一軒しかなかった。)
職住合体で、生活している家の1階で商売している店が多いから成り立つのかも知れない。

お土産に買ったお団子についての感想を

★槍かけ団子(やりかけだんご)
北千住には、他にも「槍かけ最中」というお店もあった。
「槍かけ」とは、宿場町なので、お侍さんたちが、団子などを食べるときに、槍を立てかけたことから来た言葉らしい。
(お侍さんが、槍を立てかけて食べたくらい、美味しいという意味だろうか?)

槍かけ団子というお団子かと思ったら、普通のみたらし団子と餡の団子であった。
お店で、男の人が、手でお餅をちぎって丸めていたから、きっと、先祖代々の作り方を守って作っているのかと思う。
餡3本とみたらし団子を4本お土産に買って帰った。
餅は美味しかったけれど、餡はそこそこ、みたらしは、特にこれと言った特徴はなく、我が家の方と同じかなと思った。

★ 塩大福
初めから私はこれを誤解していた。
上野から虎ノ門の間に、「岡埜栄泉」という和菓子屋さんが私が知っているだけで4軒あり、ここの名物が「豆大福」というものなのだ。
これは、大福の皮の中に、塩豆が埋まっていて、美味しく、私の好物であり、たまに、上野広小路で買ってしまう。
これと同じもので、「塩豆の入った大福」を「豆大福」と呼ぶか、「塩大福」と呼ぶかの違いだろうと勝手に考えていたら、全く違うものであった。
普通の大福なのだが、大福の中の餡に入っている塩が通常より相当多くて、美味しいから、「塩大福」という名前がついたそうだ。

お店は、駅の東口というところを出て直ぐのところにあり、間口が狭く、奥が深い小さな店で、どちらかというと店の外装にお金をかけていない店(地元民御用達という感じ)であり、本当に美味しい店なのかしらという感じであった。
2時頃行ったら、「塩大福は、3時から」と言われ、先に色々見物して、3時前にまた、そのお店に戻ってきたら、既に、5、6人、行列ができていた。
並んでいてわかったのだが、「3時から」というのは、「3時に品物が出来上がっている」ではなく、「3時から丸め始める」ということであったのだ。

行列の後ろに並んで、お店の奥の方の様子を見ると、遠くに見えたのではっきりわからないのだが、腰が曲がっているおじいさんがテーブルの前に座り、テーブルに顔をこすりつけんばかりの姿勢で、大福を丸めているようだった。
箱を開けて餅を取り出し、餡子を詰めて一生懸命丸めている様子であった。
もう相当老齢の方のようだった。
このおじいさん一人で大福を丸めているのだ。
どうもこのおじいさんでなくては、丸められないもののようである。

この大福が5個できると、店先の人がおじいさんの近くまで取りに行って、最後、餅粉をつけて成形して持ってくる。
だから、お一人様5個までが、この店のルールのようであった。
近くでこの大福を見ると大きいのなんのって、直径10cmくらいある。
直径10cmで、130円だから、本当に安いと思う。

帰ってから、食べたら、この大福は大きいだけでなく、本当に美味しかった。
しつこめの餡の回りにつきたてのお餅がたっぷりあった。
母なぞ、「本物のつきたてのお餅の味!」とやたらに感激していた。
お餅も美味しいのだが、餡も味があってとても美味。
もったいないので、一人半分ずつしか買わなかったが、一人一個でもきっと食べられたと思う。

吉田屋餅菓子店
東京都足立区千住旭町41−16
電話:3888−1076
塩大福は、午後3時から、お一人様5つまで



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2000年01月27日(木)

南千住 尾花 1/2


南千住の尾花は、有名な鰻の店だそうだ。
「通の尾花、金持ちの前川、貧乏人のなんとか」という言葉をMLの人に習ったが、通が通う鰻屋さんとして名高いらしいのだが、私は行ったことがなかった。
南千住自体、子供のときに東京スタジアムという野球場があって、冬になるとそこがアイススケート場になったので、一度行った切り、行ったことがない。
(それにしても、東京スタジアムというプロの球団のフライチャンズであった球場がどこにあったのか、地図を見ても、南千住に行っても良くわからない。)

また、尾花は、色々なグルメ本に絶対に名前が載っているし、去年出版された「ザガット・サーベイ・東京レストランガイド」によると、味のランキングで第二位の店である。
そんな評判もあったり、MLで尾花に行ったことのある人は皆誉めるしで、尾花に行ってみようということになった。

尾花は、注文を聞いてから、鰻を「裂いて、蒸して、焼く」ため、注文から食べるまで30〜40分待たされるそうである。
だから、一人で行くと手持ち無沙汰でつまらないから、集団で行ってお酒を飲みながら世間話でもするのがいいそうだ。
合羽橋の人に、「南千住は、自転車で行ける」と聞いていたので、ある日、自転車で下見に行ったら、本当に近くて、私の家から、自転車で20分くらいの距離である。
また、我が家からひたすら北上すると、そこが三ノ輪で、右に曲がると南千住だという位置関係が初めてわかった。(我が家から北の方は、殆ど行く用がないので、行ったことがなかったのだ。)
家から自転車で20分なのに、一人で行く店でないのが、とても残念である。

尾花は、南千住の駅近辺の線路沿いの住宅街の中にあり、回りにお店は一軒もない。(南千住の日比谷線の上野寄り出口に近いのだが、駅の回りも何もないところである。)
店は、大きな木造の日本家屋であり、風情があるこぎれいな外観であった。
門の前に建つと、ちょっと奥の店の入り口に青い暖簾に、「天然うなぎ 尾花」と書いてあるのが見え、ここで食べるのは、全部天然鰻かなという安心感がある。
店の前には、並ぶ人用の椅子が置いてある。

中に入ると、下足の人がいて、靴を預け、札をもらう。
上がるとそこはぶっ通しの大広間で、小さな和風の昔風のテーブルが並んでいる。(四人掛け)
仲居さんが10人以上いることで、広間の大きさがわかると思う。
また、とても適度に活気があって、適度に江戸を感じさせてくれる良い雰囲気のお店だと思う。
鴨居に2、30の羽子板が飾ってあるところも風情があった。

行ったのは、4時半だったから、空いていた。

ご一緒したのは、北千住から流れてきた女性3名と南千住で待ち合わせた男性1人の計4人であった。
そのうち、二人が、関西出身の方だったが、のっけから、二人とも、「鰻は、東京に限る」とエールを送ってくれたので、いい気分であった。
全員、飲めるということで、お料理と美味しいもの好きならではの、楽しい宴会が始まった。
(関東外の皆様、東京に来たら、鰻を食べてね、予め「安くて美味しい」情報を集めた方がベターですが)

1.厚焼き玉子
  これは、裏メニューでメニューに載っていない。
  私がこの作り方を持っていたので、実際どんな味か食べてみたかったので、
  取ってもらった。
  (1人前で大きな厚焼き2つ。これで4人で味見にちょうど良い量。)
  出来たての熱々の美味しさはあったものの、味は甘め。
  ここまで甘くすることはないのではと思うのだが、焼き上がりのきれいさとか、プ
  ルンプルン度とか、一度は試すといいと思う。
  (「料理の参考になるから」と言ったら負け惜しみか、とにかく甘い!)

  お醤油をつけて食べたかったけれど、テーブルにお醤油が出てなくて残念。
  大根おろしにお醤油をたらしたものがついてきたので、それで食べたが、やは
  り、お菓子のような甘さは打ち消せなかった。
  東京の玉子焼きは、こんなに甘いのが本当なのかなとも思うが、よくわから
  ない。

2.焼き鳥2本ずつ
  これは、一本にぎっしり鶏肉がつめられていて、量と味とも問題なく美味しかっ
  た。
  強いて表現するなら、蔵前や両国の国技館で相撲見物に出てくる焼き鳥の味と
  似ていて美味しい。

3.白焼き
  これは、1人前取って4人で分けた。
  個人的には、白焼きをわさび醤油で食べるのには、養殖の方が美味しい気がし
  た。(勿論、個人の好みであるが)
  鰻を白焼きは、脂っぽい鰻をさっぱり食べさせるのにいい手法なのだ、もともと
  脂分が少ないさっぱりした鰻を焼くともっとさっぱりしてしまうと思ったけれど、
  これも好みであるから、一回は自分で食べて自分なりに評価した方がいいと思
  った。



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2000年01月28日(金)

南千住 尾花 2/2 うな重


4.漬物
  漬物も私の好みで取ってもらったが、味的には、合羽橋の飯田屋に負けている
  と思ってしまった。
  (合羽橋の飯田屋に行ったら、裏メニューの漬物は食べた方がいい)
  後で、うな重にも漬物がついてきましたので、わざわざとることもなかった。
  (ご一緒した皆様、ごめんなさいね)

5.うな重
  これは、噂にたがわず、絶品。
  割いたばかりの天然鰻って、本当に美味しいのだ、鰻臭いのとは違ういい匂いと
  味があった、そして、脂があっさりしていて、柔らかくてふわふわのとろけんば
  かりの美味しさ!
  食べ終わった後の後味の良さも最高だし、ご飯も上等で文句なし。
  鰻の身に、鰻臭いのとは違う、何か独特のいい香りと味があるようで、食べ終わっ
  た後の後味がそのせいでいいのかなと思った。
  普通の鰻屋さんは、予め「裂く→蒸す」までを行っておき、お客の注文で焼くそ
  うなのだが、これは、味を悪くしていることがわかった。
  客の注文を聞いてから「裂く→蒸す→焼く」の鰻の美味しさに、もう、おなかが苦
  しくて苦しくてという感じであったが、中を全て食べてしまった。

この日食べた中ではうな重が最高のお勧め。

値段別に3種類あったけれど、大きさによる違いとのことである。
他、色々食べたので、小さいのでも良かった気がする。

総じた感想は、「尾花の鰻重は最高だけれど、たれ及び味付けは、少し甘め」である。
そして、ザガットサーベイ東京レストランガイドの味の部で2位であるが、全てが
美味しいわけではないと思った。(これは好みの問題も大きいと思うが)

タレの甘味は、鰻の美味しさに合っていて、問題ないのだけれど、食べている間
に、「浅草駒形の前川のたれで尾花の鰻を食べてみたい」なんて思ってしまった。
これは、浅草大黒屋というお蕎麦屋のお蕎麦を食べると美味しいのだけれど、
辛口好みの人は、「並木の藪の辛汁で食べてみたい」と思うとのこと。
それに似ている。
「私の好みのたれは前川だな」としみじみ思いながら、帰ってきた。
(家の近所にある「山ぎし」という鰻屋のたれも甘くなく私の好み)
今度、前川で天然鰻を食べてみよう。
尾花は、中のうな重で2800円、前川の天然鰻は、5000円だから、尾花は
本当に安いなと思った。
前川は、前もって電話しておけば、蒸しておいてくれるようだけれど、どちらに
しろ、前川は、高過ぎる。(でも、尾花の天然鰻を食べてみて、前川のたれで天
然鰻を食べてみたくなってしまった。)

以上、冷酒とビールを取ってお一人様6千円程度で、鰻重に大満足の大宴会であった。
(他に肝すいも取ったけれど、肝は大きかったけれど、汁は月並みかなと思ったというと、きつい評価かな?)
尾花は、江戸前のお店としては、割と味付けが甘い方だけれど、天然鰻の鰻重の美味しさと安さ、そして焼き鳥の美味しさは格別なので、一度は食べた方がいいと絶対のお勧め。
私は、一年に一度も無理かも知れないが、今後とも通うと思う。

尾花
東京都荒川区南千住5-33-1
電話:03-3801-4670
月曜日が定休日
営業時間: 平日   11:30〜13:30 16:00〜19:30
      土日祭日 11:30〜19:30
(日比谷線南千住駅の上野寄り改札を出て、真っ直ぐ進み、線路をくぐって、
駅を背にして線路に沿って歩くと2分くらいのところ、建物等きれい、但し内部は大広間)

お店の人の話では、5時過ぎは混んでいるとのこと、また、遅くなると焼き鳥がなくなることもあるらしい、そして、予約で部屋を取る場合には、お一人様一万円とのことであった。



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2000年01月29日(土)

商売家の子供


我が家は、父が死んでから、母が細々と商売を続けており、店売りが主である。
私が小さい頃は、配達はあるは、店売りはあるは、人を雇っていたはで、忙しいし、入れ替わり立ち替り、人が出入りしていたので、「手伝う以外は、お店に出てきてはだめ」と厳しく言われていた。
「お店で遊ぶ」など、もっての外であった。

しかし、今は暇だし、お客さんも少ないので、甥たちは、お店で遊ぶことを許されており、殆ど手伝いをしないまま、お店でいたずらしながら、お客さんの相手をしているおばあちゃんを見て育っている。(おばあちゃんも甥たちが余り長くお店にいると疲れるそうであるが、適度なら、良い暇つぶしの相手になるようである)

ある日、甥1たちの学校の社会科見学で、近所の製麺工場を見学することがあったそうだ。
その日の朝、学校に行きがてら、甥1は、おばあちゃんに、「お店で、お正月に配っていたお年賀のタオルは余ってない?」と聞いたそうだ。
一本も残っていなかったので、渡せなかったそうだが、「何に使うのか」を聞いたら、「今日、社会見学で、近所の工場に行ってお世話になるから、タオルを持って行きたかった」のだそうだ。

これを聞いて、皆、大笑い。(タオルが余っていなくて良かった)
小学校の社会科見学で、生徒が熨斗のついたタオルを持って行って、工場の人に「お世話になります、これ、気持ちだけですが」なんて、渡したら、工場の人も先生もさぞびっくりしてしまうだろう。
しかし、甥1は本気であったようだ。
誰が教えたということもないのだが、どうも、「誰か余所の人に世話になるときは、ちゃんとお礼をしなくてはいけない」と思ったようだ。

家族皆、「甥たちは、お店で遊んでいるだけでなく、ちゃんと、おばあちゃんのやることを見ているのだ」ということになった。
手伝いをしないけれど、気持ちだけは、商売家の子供風に育っているようだ。
皆、笑いながら、「甥1は、気持ちだけは偉い!」と誉めた。



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2000年01月30日(日)

甥2のおにぎり修行 その後


甥2は、年末以来、自分でおにぎりを作るのが面白くて、毎晩握っていた。
握る甥2の横で、おばちゃんが「そこで、おにぎりを手から離して放る!」という掛け声をかけると、おにぎりが手から離れるようになった。
おっかなびっくり放ろうとするので、ほんのちょっとしか手から離れない、それがちょうど良い具合に手からおにぎりが離れることになるようである。
段々、出来上がりのおにぎりの表面が平らになり、指の跡がつかなくなった。
(甥1も握りたがるようになった。甥1の場合は、手の指が長く、指と指の間が開いてしまうためにご飯がこぼれやすいという欠点があった。
その点、手がぽっちゃりむちむちしている甥2は、ご飯をこぼすことがなかった。)

しかし、握り出して、10日くらい経った頃だろうか、甥2が「手が切れたみたい、しみる」というようになったのだ。
手を見ても全然、切れていないから、「切れていないよ」と言っておいた。
しかし、それから程なく、手が荒れてしまい、おにぎりを握れなくなってしまった。
確かに今までツルツルだった甥2の手の甲がしわしわになっていたのだ。

熱いご飯と塩、水が甥2の手を荒らしてしまったようだ。
それにしても、「なんていうやわな手なのだろう」と呆れた。
考えてみれば、赤ちゃんのときから、家事らしい家事など、何もしたことのない子であり、もうすぐ生まれてから8年になろうとしているところだ、そんな温室育ちで親掛かりの手にとって、毎日熱いご飯でおにぎりを握る作業は、過酷なことだったようだ。
いくつになったら、荒れないようになるのかはわからないが、人間、「家事をする、ご飯を作る」というのは、手の美しさを失いながら行なわれる作業なのだと改めて思う。
(おにぎりなどを握った後は、きれいに洗って、ハンドクリームでも塗っておかなくてはねと、もう相当荒れている手であるおばちゃんは、反省した。)

甥2は、自分で作れなくなったので、たいていは、私におにぎりを頼むようになった。
ある日、甥2が元気がなかったので、「今日はサービス!」と言って、いつもは、8枚切りの海苔2枚でおにぎりを巻くところを、もう1枚を半分に切って、白いご飯が全て隠れるようにしてあげたのだ。(私としては、「特別大サービス」のつもりだったのだ)
そうしたら、最近は、握る私の隣で、甥2が海苔3枚持って、待ち構えているようになってしまった。(笑)

でも、この気持ちはとてもわかる。
海苔が大好きな私も小さいとき、白いご飯が見えない海苔だらけのおにぎりがとても嬉しかった。
親に「海苔で真っ黒く」と注文していたような憶えがある。(いつも言うことを聞いてくれたという記憶はない)
白いご飯の見えるおにぎりでもそれなりに美味しいし、それが普通のものだと思うようになれたのは、相当大きくなってからであり、私もあくまでも、「おにぎりの海苔は全面が最高」派なのだ。
本当は、「だめ、普段は2枚」と言いたいところだが、嬉しそうな顔して手に海苔3枚持って出来上がりを待っている甥2を見ると、小さい時の自分を見るようで、これが言えない。
今のあの子は、「おにぎりは、海苔で真っ黒でなくっちゃ美味しくない」と思っているに違いない。
変なことを教えてしまった。



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2000年01月31日(月)

最近の浅草橋


先週、浅草橋に行って、今まで気づかないものに気づいたので、載せます。

★貸自転車
 浅草橋の西口と東口の中間で浅草側に、「福井中学」というところがあって、今
 は、廃校になってしまい、プール跡が台東区が経営する自転車置き場になってい
 ることは知っていたが、貸自転車も行っていることを発見。
 価  格: 看板によって値段が違うのだが、一日100円か、200円。
 休  み: 日祭日はお休み
 営業時間: 朝7時〜夜7時までだったと思った。

 この自転車を借りれば、浅草橋シモジマ、合羽橋、御徒町多慶屋、アメ横を回って
 買い物が可能だが、平日は、自動車だらけの地域だから、土曜日以外は道を
 選ばないとちょっと怖いかなと思う。
 大通り以外は走らないほうがいいかも知れない。(土曜日は大丈夫)
 自転車に籠がついているかどうかまではわからないが、私としては、この貸
 し自転車、中々いいアイディアだと思う。
 しかし、区の経営だから、下手に「買い物地図」などを作れないのではないかと
 思う。(地図に、特定の店だけ載せたら、やはり、住民からクレームがつくと
 想像される。)

 奈良のどこだったか忘れたけれど、おみやげ物屋さんがやっている貸し自転車屋
 があって、自転車を借りると、サイクリングマップをくれたと思う。
 こういうものを、安価で一緒に売っていたら、人気が出るのではと思う。

 地図は必須だけれど、あちこち値段を比べて買い物したい場合は、役に立つと思
 う。
 大きい荷物を運ぶ可能性がある場合は、大きな袋と、それを荷台に結わきつ
 けるロープも必要かも知れない。

★浅草橋シモジマ5号館
 5階の料理道具のところを見たら、250円均一で鍋とか、フライパン、便利
 そうな道具を売り始めていた。
 「せいかつきほん」というブランド。
 100円ショップよりはちょっと高級そうだし、安いもので道具を揃えたい人には
 要チェック

★柳橋美家古鮨立食部
 浅草橋駅近辺に、柳橋美家古鮨というお店が三軒ある。
 (聞いた話では、浅草弁天山美家古とは無関係とのことであるが、定かではない)
 一番立派なのは、住所が柳橋の美家古鮨。
 古い日本家屋で風情がある。(ということはいかにも高そうな店構え)
 もう1つは、浅草橋駅のゴミゴミしたところにある店で、これは、普通の値段で食べ
 られそうであるが、まだ、食べたことがない。
 最後の1つは、立食鮨である。
 場所は、浅草橋の東口の改札を出て、左に行く(日本橋に向かう)と、ガードが
 あっ、そのガードをくぐって曲がったところのガード下。
 昼間見たせいか、余りきれいな店はないけれど、1つ75円からと書いてあり、
 魅力的。
 私が若い男の子だったら、お昼に食べに行けるのにと思う。
 果たして、私はここに試しに行くだろうか?
 一人ではちょっとね?という感じだから、誰か連れを探そうと思う。



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