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1999年11月01日(月)

合羽橋で買った圧力鍋


かっぱばし道具祭りで購入した格安の圧力鍋を使ってみた。
何せ、「値段の安さ」で購入したお鍋なので、購入時点で、細かいところを見ていなかった。(しかも、購入後も1週間は箱に入ったままであった。)

かっぱばし道具祭りの次の週に、私が圧力鍋を買った店をチェックしてみた。

そうしたら、同じ店で、次の週に売っているフィスラーの圧力鍋と私の圧力鍋ではふたの形が違っているのだ。
もちろん、私が買った圧力鍋と、定価も違う。(通常売っているものの方が値段が高い)
どうも、通常その店で販売しているのは、フィスラーの「ロイヤル」というシリーズで、かっぱばし道具祭りのときは、「フィスラービタクイック」というものを売っていたようだ。

どこが違うのかというと、ロイヤルは、ふたに圧力を調節する突起がついていて、高弱切りかえることができるのだ。
私の購入したものは、それを行おうと思ったら、調節するところがないので、ガス火の強弱で調節しなくてはならないので、実質的に無理なのだ。

う〜ん、損をした、なんて、まったく思わなかった。
私の場合、圧力鍋は、二台めであり、一台目は、フィスラーのロイヤルの古い形の2.5リットルなのだ。
その一台目は、確かに、圧力を強弱切り換えることができたが、一度も弱で使った覚えがないのだ。
私にとっては、無駄な機能が省いて、安いものが嬉しい。

だいたい、忙しいから、圧力鍋を買うのであって、2種類の機能を使いこなすことは、忙しい身では、難しいのだ。
圧力を切り換えること自体は大したことではないが、それによって、「圧をかける時間、放置する時間」など、変わってしまうのだ。
2種類も時間を覚える気はさらさらない。

それより、フィスラーが1万円で買えて、本当に嬉しい。
ちょっと重たいのが難点だが、ステンレスも取っ手のプラスチックも丈夫そうなので、大変気に入っている。



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1999年11月02日(火)

圧力鍋のレシピ本


圧力鍋で、本格的な料理はしていないが、会社の行き帰りにレシピ本を持って歩いて、よく眺めていた。
一番魅力的に見えたのが、干し貝柱や干し海老を使ったスープが簡単に作れそうなことだ。
1年前に、廉価な干し貝柱の崩れたものを買ってみたが、やはり、使いこなせず、冷蔵庫に残っているのだ、これを是非、有効に使い切りたい思いがあった。

本によると、いくら圧力鍋で煮てしまうといっても、干し貝柱は、圧力鍋にかける前1時間は水に浸けておかなければならない。
これがなければいいのにと思う。
面倒だから、今度、多量に1時間水に浸けたものを、小分けにして、冷凍してしまおうかと考えている。
その方が、頻繁に干し貝柱の出汁を使えそうな気がする。

ある日、会社から早く帰れたので、干し貝柱を水で1時間戻し、冷凍してあった牛スネ肉のスープと肉、大根の乱切りとともに、圧力鍋で10分間煮て、5分くらい置いておいた。
出来あがってから、しょうゆ・塩・日本酒で、味見しながら、味付けしたが、大変美味しかった。(初め3分で仕上げてみたが、大根が煮えなかった)
(いい加減な味付けというのを最近始めたが、これは、簡単で美味しいから、お勧め。
少な目、少な目に調味料を入れてみて味を見る、そして、自分がこの料理を一皿全部食べ切るには、何の味が足りないのかなと、考えながら、足りない物を補えばいいのである、全て自分本位からスタートしてよいと思う、慣れてくれば、他の人のことを考えながらの味付けもできるかも)

これから、冬に向かうと、一番の夕食のごちそうは、体を温めてくれるスープや汁物、お鍋かも知れない。
そのときに、活躍しそうで、嬉しい。

これから、牛スネ、バラ、タン、スジを煮て、美味しい料理をたくさん作ろうと思う。



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1999年11月03日(水)

圧力鍋のお赤飯


圧力鍋でお赤飯を作ってみた。
お赤飯を作ること自体、初めてであった。
成功だと思うけれど、ちょっと、固めにできてしまった。
立ち上る湯気から香るもち米とささげの煮えた良い香りがたまらない。

作る前にレシピを見たら、お赤飯には、「蒸しおこわ」と「炊きおこわ」があった。
通常和菓子屋さんが作るのは、「蒸し」だろうなと思ったけれど、手間がかかり、面倒な手法らしいので、「炊き」にしてしまった。

しかし、出来上がってみると、別に、「炊きおこわ」にしたから、どうのとか、まずいということはないように思う。
どちらかというと、「炊きおこわ」でも、自分で作れば、出来立てが食べられることが、「お勧めのポイント」。
本当に豆が上手に煮えた。

お赤飯に入れる豆というのは、地方で違うらしいが、東京では定番は、「ささげ」という豆だと私は信じている。
本によると、小豆は煮えると割れるので、お赤飯に使用した場合、見場が悪いので、「ささげ」を使うとあるが、赤飯以外に、ささげを使うレシピを見たことがない。

後から、考えたのだが、スーパーでささげは、「備中産」「中国産」があって、「備中産」を買ったのが成功の原因かも知れないと思う。
中国産を買って料理したことがないから、ここから推測であるが、中国産は、香りとか味がやはり、国内産より劣るのかも知れない。(価格からの推測)
もしかして、お店から買ってくるお赤飯は、価格の関係から、国内産のお豆を使えないのかも知れない。

まだ、改善の余地はありますが、以下がレシピ。

材料(4人前)
もち米 4カップ、ささぎ 1/2カップ

作り方
1.もち米は、洗って、ざるに入れて、水を切っておく
2.ささぎは、熱湯に15分浸ける。(あくが取れるらしいです)
3.ささぎのお湯を切って、3カップのお水とともに、圧力鍋に入れて、圧
  を3分かけたら、蒸気を抜いて、その煮たお湯を量り、2+1/2カッ
  プとする。
4.豆と2+1/2カップの茹で汁の中に、もち米を入れて、圧をかける
  こと3分、放置すること3分、蒸気を抜いて、蓋を取り、全体をかき混
  ぜ、蓋軽くかぶせて、10分蒸らす。

え! こんなに早くできてしまうのというくらい、簡単にできた。
量は、上の1/2にして、作ったけれど、少量で作っても何も問題なかった。

もうちょっと柔らか目がいいという声が高かったので、もうちょっと柔らかくできたら、我が家の定番になれると思う。
(胡麻塩は、お祭りにお赤飯を取り寄せた残りがまだあったので、それを使った。
ごま塩も、市販のものや、自分で混ぜたものより、お赤飯のプロがつけてくれたごま塩の方が美味しいと思うのだが、何か、作り方や材料に違いがあるのだろうか?)

国内産のささげの美味しさを味わうためにも、自分でお赤飯を作って、もっと、日常的に食べようと思う。



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1999年11月04日(木)

おがわのどら焼き


私のHPの地図にあるおがわのどら焼きを実は、私は食べたことがない。
多分、小さいとき食べたような記憶はあるが、大人になってからは皆無である。
しかし、このお店は、地元で相当人気があり、「どら焼きならやっぱり、おがわが最高」という声が高い。

全て、手作りのため、製造個数が限られているらしい。

午前中ならばら売りでどら焼きが手に入るとのことがわかり、買って来て、家で、3種類(黒餡、白餡、うぐいす餡)を半分ずつ食べてみた。
「さすが、美味しいのではないか」との味であった。
なんというか、食べている間の、皮と餡の力強さは、他店のどら焼きでは味わえないと思った。
餡は、思いの他、上品な味ではなく、甘すぎないけれど、力強い餡であった。
ま、どら焼きなのだから、余り上品な餡だと合わないかも知れない。
私にとって、一番美味しかった餡は、豆の感じが残っていた白餡であった。
お店で一緒になった人は、「うぐいす餡がたまらない」と言っていた。

食べている間は、力強くて印象が深いのに、食べ終わると、口の中がやけに爽やかなのだ。
無駄な味が口に残らない、本物だけを使った味だと思った。
蛇足ではあるが、我が甥の通っている小学校は、お菓子の出る式典では、おがわのどら焼きが定番だそうだ。(私の出た小学校はそういうものがなかった)
人から習ったのだが、このお店は、同じ町内の「初おがわ」の親戚ということで、どら焼き屋さんなのに、包み紙、箱、どら焼きの袋全てがウナギ模様である。



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1999年11月05日(金)

簡単和菓子 胡桃餅


胡桃もお菓子に使うと本当に美味しい。
胡桃餅は、半分は私の思い付きでできた作品である。
あるMLで、胡麻入りの胡桃餅のレシピが紹介されたのを見て、胡麻を引いて、黒蜜を足したら、「赤坂餅」になると、思い付いたのだ。
そうしたら、どんぴしゃりで、「赤坂餅」、いえ、いえ、自分で作った方が胡桃が沢山入って、高級赤坂餅ができあがってしまった。
(赤坂見附で売っている赤坂餅なのだが、多分これは、料亭のおみやげ用のお菓子で相当高級だと思うが、胡桃の量は少なかったような気がする)。
山梨のおみやげ品の信玄餅も同じ種類である。

私はこの2つのお菓子が好きで、家でできそうでできないとずっと思っていたのだ。
この手のものは、自分で作った方が、安上がりで、しかもずっと美味しい。
ポイントは、純国産のきな粉を買うこと。
黒豆から作ったきな粉など、スーパーで売っているがあれで良いと思うが、使ったことがない。
私の知っている限りのベストは、上野アメ横大津屋の「純国産きな粉」である。
これは、とても美味しい。
他には、船橋屋や舟和などの葛餅を買うときな粉がついてくるが、このきな粉はとても美味しいので、しけらないように、保存しておくといいと思う。

黒蜜は、私の場合は、多慶屋で買う一般的なもので、同じものは、合羽橋でもスーパーでも売っている。

★材料
白玉粉         100g
水           250g
上白糖         100g(砂糖は色々種類を代えて実験すると面白いかも)
すり胡麻(黒)      40g
胡桃          40g
きな粉         適量

★作り方
1.きな粉をパットなど、平たい入れ物に広げておく
2.胡桃は軽く炒って、粗みじんに刻んでおく
3.小鍋に、白玉粉・水・砂糖を入れて、弱火から中火でかき混ぜながら、練ってい
  く。
4.最後、火が遠くなってくると重たくなってくるが、透明感が出るまで、焦げ付か
  ないようにかき混ぜる。
  焦げるのは、火が強いからであって、もし、焦げそうなら、弱火にするか、少し
  火から外してかき混ぜるか、クッキングガスマットを挟んで、火を調節する。
5.ここまでできたら、刻んだ胡桃を入れて、まんべんなくかき混ぜる。
6.それを、きな粉のパットの中に広げ、上からもきな粉をまぶしながら、1cm程度
  だと思うが、その程度の厚さに広げる。
7.大体冷めたら、2cm角か、1×2cm角など、一口で食べられる大きさに切る。
8.これをお菓子のお皿などに盛りつけ、きな粉を足し、上から黒蜜をかけて食べ
  る。

簡単でものすごく美味しい。(ポイントは、国産きな粉)



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1999年11月06日(土)

胡桃のチョコレートケーキ 1/2


胡桃を使った洋菓子は沢山あるけれど、トップスのチョコレートケーキが大好きである。
ただ、そんなに安くはないし、外でケーキを買うとなると、他にも試してみたい物が沢山あり、そんなには、度々買えない。
それで、インターネットで、「トップスのチョコレートケーキの作り方教えて」と聞いたら、ちゃんと答えが出てきたのである。

なんでも、朝日新聞社刊の「初めてつくるお菓子」(中条裕美著)に載っているとのことであった。
さっそく、本を買って来て作ってみようと思ったが、本当にこの本は初心者向けであること、それから、前提として、電動ミキサーを使わないレシピなせいか、スポンジを薄く焼いて、細く切って、積み上げてケーキにする手法であった。

これは、私としては面倒なので、円形の普通のケーキ型で作る場合の量を研究してみた。

分量は下記のとおり
スポンジの作り方は、私のを参考にしてください。
このスポンジの中条さんオリジナルのところは、小麦粉のほかに、コーンスターチを使用するところである。
コーンスターチを使用した分、食感が軽くなる。
(普通のスポンジで作っても十分美味しい。)
スポンジ        18cm円型     21cm円型
                     (18cmの1.36倍)
    卵             3つ       4つ
    砂糖           90g     122g
    薄力粉          50g      68g
    コーンスターチ      20g      27g
    無塩バター        30g      41g
    牛乳           10cc     14cc
    バニラエッセンス     少々      少々
チョコレートクリーム
    生クリーム       320cc    400cc
    うち温める分       70cc     88cc
    スイートチョコ      70g      88cc
    ラム酒         15cc     19cc

くるみ2つかみ




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1999年11月07日(日)

茶碗蒸し


まだ、梨を買うことはできるが、すっかり美味しくなくなり、「この季節は、やっぱり柿だ」と思える季節となった。 ある日の買い物かごの中には、銀杏と栗が入っていて、季節感が溢れていた。
本当にすっかり秋になったと思う。
秋は、コートはまだ要らないけれど、だいぶ寒くなってきて、暖かい食べ物が美味しい季節である。

銀杏を見ると、茶碗蒸しが食べたくなる。
出来たてで美味しい銀杏入りの茶碗蒸しは私の秋冬の大好物で、毎晩作って私の帰りを待っていてくれる人がいたら、どんなに幸せだろう、毎日食べても飽きないのにと思う。
(が、他の家族はそんなに美味しいと思っていないらしく、茶碗蒸しを作っても、私のような感激を示さない、本当に、人の舌とか、好物は違うもののようだ。私なぞ、こう書いているだけで、熱々の茶碗蒸しが食べたくなる)
茶碗蒸しは、美味しく出来さえすれば、出来たてを食べることができる分、外ではなく、自分で作ったものが最高だと思う。(家で人に作ってもらったほうがより美味しい)

茶碗蒸しを作るコツというのは、何だろう。
今までの経験の結果から言えることは、茶碗蒸しは、出汁に卵を混ぜて蒸しあげるが、美味しさのポイントは、この2つに、具から出る味がプラスされた美味しさと思う。
最近の料理雑誌などを見ると、卵と出汁の液体を蒸しあげて、最後、具を飾るパターンが多い。
これは、見た目が素敵だが、「美味しさ」という意味では、大したことないかなと想像している。
少なくとも、後から乗せる具を卵に混ぜる出汁で煮たほうがいいと思う。

と言いながら、卵とスープだけで蒸しあげて、最後、かに缶を乗せた中国風という茶碗蒸しを作ることはあるのだ。
しかし、やはり、椎茸・鶏肉・海老・銀杏などが入った和風の茶碗蒸しの方がはるかに美味しいと思う。

「蒸し」以外の下ごしらえのポイントでは、少なくとも、海老・干し椎茸の戻したもの・鶏肉の3つは、生で揃えることだと思う。
以前、火を通した具で茶碗蒸しを作ったことがあるが、やはり、味は半減である。
椎茸・鶏肉・海老を生から徐々に熱して行くと、美味しいエキスが出て、それが卵と出汁と混ざってとても美味しくなるのだ。
滑らかでフワフワというか、歯でかめないものが舌に乗って、口の中でとろけて行く、そのときの熱さと美味しさの広がりがたまらない。
他の熱々の料理にはない特徴である。



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1999年11月08日(月)

茶碗蒸しの下ごしらえ


卵と出汁の割合は、1:2.5とか、1:3が相場らしい。
しかし、我が家の茶碗蒸しに使っている容器が150CCしか入らないので、家族2人のときは、卵2個として、100CC、それに300CCも出汁を足した液を作っても、容器に入り切らないので、1:2程度で作ってしまうこともある。
その程度の差だったら、蒸し過ぎなければ、特段問題なく美味しく食べられるような気がする。
(反対を言えば、蒸し過ぎると美味しくない)

材料
卵と出汁の量は、作りたい量から、逆算する。
茶碗蒸しの容器8分目か、9分目程度で、何CC必要かを量り、作る数をかけて全体の液体の量を決める。
それを、4なり、3なりで割って、卵の数を決める。
卵1つ、Mで中身55CC、Lだったら、65CC程度だ。
出汁は、濃い目が美味しいと思う。

卵というのは、70度程度の温度から、固まり始めるらしい。
それを知ってから、以前は、出汁を完全に冷ましていたが、最近は、ぬるま湯程度になったら、卵と混ぜてしまう。(実害なし)

味付けは、300CCだったら、粗塩というか、精製塩でない塩をひとつまみ、みりんを2,3滴、しょうゆも2,3滴、落としてかき混ぜて味を見る。
濃すぎない味で、食べ続けることのできる塩味にできていたら、出来あがり。
そうは言っても、薄すぎても美味しくはない、塩辛くない程度で、しかも、ぼんやりしすぎない味に仕上げるのがコツか。(何て、難しいことを、私は書いているのでしょう!)
他に具は、好みで。
私は、鶏肉と、海老と椎茸、できたら銀杏を入れたい。
欲張れば、かまぼこも入れたい。しかし、かまぼこは、余っているときか、他に転用が考えられるときだけ。
外で食べると、鳴門巻きが入る、鳴門巻きが入ると、外で食べる茶碗蒸しのようになるところが素敵(?)だが、でも、わざわざは買わない。
干し椎茸を戻す。
どんこは高いから、普通の香新という種類だと思う。
先日、作ろうと予定した料理が翌日に回した関係で、24時間以上、干し椎茸を水に浸けておいたのであるが、30分くらいしか水に浸けないものとは、比べ物にならない程、弾力があり、美味しく戻っていた。(同じ干し椎茸とは思えなかった。)
今まで、安い干し椎茸を買って来ては、「美味しくない」と罵っていたが、実は戻し方が悪いのかなとも思う。(ここら辺は今後の課題)

気持ちに余裕があるときは、最後三つ葉を散らして、ちょっと蒸らす。
冬はユズの皮を少し乗せるのも好きである。



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1999年11月09日(火)

圧力鍋で作る茶碗蒸し


買って来た圧力鍋で茶碗蒸しを作ってみた。
(茶碗蒸しは圧力鍋で是非ともやってみたい料理だった。)
感想は、ひとことで言うと、「すごい威力、最高!噂どおり」であった。
圧が1分、放置が10分で、すが立たない美味しい熱々の茶碗蒸しが出来あがってしまうのである。(というか、その筈である。)

蒸気をあげる力と言ったら、やはり、オーブン、蒸し器に比べて、圧力鍋が一番ではないだろうか?
今まで、大きなお鍋に簡易蒸し皿を使って蒸したり、オーブンで蒸してみたが、そもそも、力が違うという感じである。
すなわち、もうもうと立ち上る湯気の量が違うのだ。

他のお料理で、放置10分後に、圧力を開放してからふたを開けると、まだ、煮え立ったお湯がぐつぐつ動いている。
こんなすごい水蒸気で蒸すのだから、美味しいのだと思う。

しかし、第一回目は、圧力鍋の茶碗蒸しのすごさを全ては味わえなかった。
最初の1分を、ピンが上がってから数えてしまったのだ。
そして、その後火をとめて10分蒸らしたのだが、表面しか固まっていなかった。
中側は、ドロドロであった。
それでも、固まる直前のどろどろは、相当に美味しかった。

圧力鍋によって癖があるのかも知れない。
私の圧力鍋の場合は、ピンが上がるよりも、その後に続く蒸気がシューと抜ける音が「圧が完全にかかった合図」なのだと思う。
今度は、シューっと音がしてから、1分を計りたい。

(と、書きながら、そのことには成功したのだが、タイマーをセットした後、スタートボタンを押すのを忘れ、蒸し過ぎてしまった、茶碗蒸しが作れるようになるまで、まだ、道は遠いようだ。)



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1999年11月10日(水)

カツサンド


私が思い込んでいるだけかも知れないが、我が家の方で、「カツサンド」というと、「万世」が定番である。
ここのカツサンドは、豚肉がものすごく厚くて、パンが薄い。
衣についたおソースとあいまって、大変美味しい。
そして、余り高くないのでお買い得感が強い。
たまに食べたくなり、重いおやつとして買って来ることがある。

そんなある日、MLで、「ヨシカミのカツサンドが美味しい」と聞いて、秋田祭りの帰りに買ってきた。
ヨシカミは行列のできるお店だが、「おみやげのカツサンド1つ」なら、列に並ぶ必要はないと、列を無視して、お店に入り、「おみやげでカツサンド1つ」と言ったら、2,3分で出てきた。
お値段は、他しか、960円+消費税。

家に帰って食べてみる。
万世のとは違い、パンが焼いてある、おや、キャベツの千切りも入っている、トンカツは、万世より相当薄く、家庭で作るトンカツよりも薄いかも知れない。
二枚のパンから出来ているカツサンドを、長い辺を4等分に切ってあった。

食べてみると、ちゃんとバターが塗ってあるのか、バターの味とトーストしたパンの味と豚肉の美味しさが合っていて、とても美味しい。
豚肉はロースだと思う、割りと脂身が多い。
衣は、ふわっという揚げ心地に仕上げてある。(プロの技)
ソースは、ウスターソースの薄いのか、ウスターとデミグラスを合わせたものか、上品で、他の味の邪魔をしない。
「これは、ごちそう用のカツサンドだ」と思った。
こまやかな神経を使った美味しい洋食屋さんのカツサンド。
「忙しいときの万世、じっくりゆっくり味わいたいヨシカミ」
「陣中見舞いの万世、ごちそうとして味わいたいヨシカミ」というところか。

浅草に行って、ヨシカミでご飯を食べたら、お土産にカツサンドを買ってくると、一度で二度楽しいかも知れない。(お金はかかるが)
または、ヨシカミに並ぶのが嫌やだったら、お土産のカツサンドを買って、家で楽しむのも手だなと思った。



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1999年11月11日(木)

秋田花まるっフェスタ


CEFANで、秋田の観光と食べ物のお祭りが、池袋と浅草の墨田公園で開催される情報が入った。
秋田というと、何を思い浮かべるか?
私は、大鵬のお嫁さん!(本当に古過ぎる話で、若い人は「大鵬」自体を知らないかも知れない。)
秋田おばこ、秋田美人というのか、色が真っ白で、ふっくらした美人である。
あれだけ、色が白くて、ふくよかだったら、お水が良くて、お米が美味しくて、寒いところだろいなというイメージがある。
他に、囲炉裏、かまくら、なまはげ、やっぱり、雪の多い北国のイメージだ。

江戸通りをまっすぐ走って行くと、吾妻橋の水上バスの発着所付近がお祭り会場のようである。
そうか、墨田公園というのは、ここが始まりなのだと、初めて知った。
全部で30個程度のテントがあり、1/3程度観光案内、1/3が物販、1/3程度が食べ物屋さんという感じであった。
会場の入り口で、かすりの着物を着た3人の女性が、「あきためいぶつ〜、サノッササ」という民謡に合わせて、踊りを踊っていた。
それを一生懸命カメラにおさめようとしている外人、外人さんにとっても、秋田の踊りは、異国情緒たっぷりのものであろうが、私とて、非日常的ということで、とても異国情緒を感じてしまった。、

食べ物を見ると、きりたんぽ鍋、だまこ汁、馬肉鍋、焼いたたんぽ、やまめの店があった。
(切っていないのが、「たんぽ」、切ってあるのが、「切りたんぽ」、MLの秋田の人に習ったばかり)
1軒、囲炉裏のように炭火を起こした店があり、そこでは、たんぽとやまめを太い串にさし、囲炉裏の回りに刺して焼いていた。
どうせ買うなら、こういう焼き方が美味しそうは思ったが、空腹ではなかったので、買わなかった。
他に、ワインや日本酒の販売もあり、このお祭りに来た人たちは、暖かい食べ物に美味しいワインや日本酒で楽しいひとときを過ごしているように見えた。

無事、欲しかったメーカーの比内鶏スープも安価でゲットできたし、きりたんぽも通常買うものより30%程度安かった。

その他、ある店で、3粒ぶどうが味見に手渡され、食べてみたら、美味しかったのだ。
「スチュベン」という聞きなれない種類であった。
美味しいのだけれど、一箱大きな房が7つか、8つ入っていたのが、売る単位であった。
相当迷ったが、基本的にぶどうは食べるのが面倒だと思っている私は、諦めた。
自分が面倒だと思うことは、他人にも面倒であるはずである、ということは、我が家に、7,8房買って帰っても、無駄にするのかなと思ったのだ。
しかし、夜家でこの話をすると、皆、是非買って来い、この時期にぶどうは中々売っていないのよとのことで、次の日、午後また墨田公園に行ったのだ。
しかし、残念ながら、すでに美味しいぶどうは売り切れであった。
売り子のおじさんに、秋田弁で、「来年も浅草にくっから」と慰められた。
う〜ん、1年間、食べられないとなると、是非、食べたい。



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1999年11月12日(金)

あんかけラーメン


料理研究家の藤野真紀子さんの「いつもうちの味」(かな?)を本屋でペラペラ見たら、春菊と豚肉を使ったインスタントラーメンのレシピがあった。
美味しそうだと思っていたので、家で適当にアレンジして食べたら、大正解であった。(と私は思う)
鍋の残りの春菊とえのき・長葱に豚肉を加えて、あんかけにして、インスタントラーメン(生麺タイプ)にかけたけれど、こういうラーメンというのも、家庭ならではの味でいいと思う。

★作り方
1.葱は斜めに細く切っておく、豚肉も細切り、春菊とえのきは鍋用のまま、生姜
  もあったら、細くでもミジンにでもしておく

2.出汁は、昆布・かつおの残りが冷凍してあったので、解凍。
  これを温めて少し鶏がらスープ顆粒状を加えた。
  (こうすると、ラーメン屋風になると思っただけ)

3.1を炒めて、2を加え、しょうゆと、日本酒か紹興酒を加えて味を見る。
  やっぱり甘さも必要なのかと隠し味程度に砂糖を加えて、味を見た。

4.これを片栗粉でとじて、できあがり。

5.ラーメンについてきたスープの素は、1/3から半分の量を、説明の半分の
  お湯でといで、器に入れておく

6.ラーメンを茹で上げてどんぶりに入れる

7.3を温めて上から乗せる

春菊の味が生きて美味しいラーメンとなった。
お肉類は、なんでもいいだろうし、私は忘れたのですが、あんの最後にごま油を滴らすともっと中華風になって良かったかなと思う。

生麺タイプのインスタントラーメンは、ついてくるスープを説明書より、もっと薄くのばして食べるのが美味しいと思う。



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1999年11月13日(土)

味噌を仕込む前準備 −麹−


もうすぐ、お味噌を仕込もうと思うので、神田明神の前の天野屋さんで、麹について聞いてきた。
天野屋さんの麹は、230gで400円。(米・麦とも)
米麹は、いつでもあるけれど、麦麹は、天野屋さんが自分のお店で仕込むときまでに予約を受けておいて一緒に作るそうです。
今年は、11月下旬に麦麹を作る予定で、予約受付中とのことだった。

ご興味ある方は、下記に連絡を。

天野屋
東京都千代田区外神田2−18−5
電話:03−3251−7911
ファックス:03−3258−8959

別に天野屋さんの麹にこだわらなくてもいいような気がするが、ここの麹を買うこと自体が、おまじないというか、その心がけから、お味噌が美味しくなるような気がする。
どうして、天野屋さんで麹を買うようになったかというと、昔、朝日新聞の家庭欄か、投書欄に、鎌倉に住む年金生活のご夫婦が、一年に一回神田に出て、麹を買い求め、二人で一年分のお味噌を仕込むという記事を読んでからだ。
そのご夫婦の健康の秘密は、天野屋さんの麹で仕込んだ手作り味噌の味噌汁を毎日飲むことだと書いてあった。
昔の人が、そんなに遠くからわざわざ買いに行くというのは、相当、美味しいに違いないと思ったのだ。
(化学調味料のない時代の人たちの舌の感覚は、正しいと、私は信じている。)
しかし、私には、味の違いが良くわかっていない。

そう言えば、何故、味噌を仕込むようになったかと言えば、私の母親が山梨県出身にも拘わらず、ほうとうを我が家で一度も作ってくれたことがなかったからだ。
母曰く、「ほうとうは、手作りのお味噌でなくては美味しくない」とのことであった。
しかし、お味噌を作るようになっても、ほうとうを作ったのは、数えるほどである。

今、発売中のNHK出版「男の色彩」に麦味噌の作り方が載っていて、それを読んだら、麦味噌を作りたくなった。
記事の中に、「全国的に麦麹を作る店が減って入手困難」とあったけれど、我が家の場合、手に入る場所にあるので、「う〜ん、珍しいほうを作ってみるか」という気にもなった。
しかし、今年は、忙しそうなので、米味噌にして、来年は麦味噌を仕込むことになりそうだ。



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1999年11月14日(日)

しあわせ!しあわせ!


我が家は私がいて幸せだ。
(と私は固く信じているが、皆、それぞれに私と同じように自分の欠点は全て忘れ、自分の長所を思い浮かべ、、「私がいるおかげで我が家は幸せだ」と思っていると思う。)

なんといっても、我が家には、食べ物に自分の興味とエネルギーを集中させている私がいて、常日頃、「何を食べたら美味しいか」と考えたり、土曜日となると築地などに買い物に行き、インターネットで美味しいもの情報を集めている。
そんなことばかりしているので、美味しいものは見過ごすことは少ないし、不慣れなところに行った場合でも、「あそこではあれが美味しいはず」とおみやげを買ってくる性格に磨きがかかっている。
しかも、ときたま、自分だけのときもないことはないが、殆ど、家族の分もちゃんと買ってくるエライおばちゃんなのだ。
一家に一人、私のような人間がいる家族は、やっぱり、食べ物に関しては恵まれていると思っている。

私が、洋菓子のお店で一番気に入っているのは、やはり、下高井戸のノリエットである。
(というか、ノリエット以外のケーキをわざわざ買いに行く気がしない。)
ある日の夕方、買いに行ったら、主だったケーキはほぼ売り切れ状態だった。
残っているのは、焼き菓子とパン類であった。
直径18cm程度の大きさのアプリコットタルトを選んだ。
フィナンシェは買ったことがあるが、大きいタルトを買うのは初めてであった。
(フィナンシェも当然、ものすご〜く美味しい。)

その晩、夕食を済ませておばあちゃんの家に来た甥2に食べさせたのだが、その反応が思いもかけず、面白かった。
夕食後なので、ほんのちょっと薄く切ってあげたのだが、口に入れて、ちょっと噛んだだけで、目をまん丸くしながら、びっくりしたように「まり!このケーキ、どこで買ってきたの?オ〜イシイ〜!」と、感激して言うのだ。
当然、もうひとつをねだってきた。
それを食べながら、今度は、「口の中が、『しあわせ!しあわせ!』と言っている!」と言う。
その言葉に、つい苦笑い。
よく、こんな表現を小学校1年生ながら、思いつくと思う。
この子は、子供ながら、舌が大人並みだという評判を我が家で取っている。
本当に、甥2の舌が「おいしい、おいしい、しあわせ、しあわせ、もっと、もっと口に入れて」という合図を甥2の頭脳に伝えたのだろう。
そう言えば、甥1も、生クリームをなめると、至福感を感じたようにトロっとした顔になる。
美味しい=舌で感じる幸せ、なのだなと改めて思った。

この小学校1年生の男の子の素直な反応を、ノリエットのお店の人に伝えたいと思った。
きっと、この反応を見たら、ノリエットの人たちも「作る人の幸せ」を感じると思う。

アプリコットタルトなのだが、タルトの味も、アプリコットの味もバランスが取れていて、「さすが!」という感じであった。
アプリコットは、さわやかではあるが、酸っぱみをまったく感じさせない、タルトもバターの味は感じるけれど、バターくさくない、甘さもすっきりしている、全てが調和が取れている、ということで、大変美味しかったが、私は至福感までは感じなかった。
(でも、今まで食べたタルトの中で、「最高」と思う。)
きっと、私は、おばさんになり過ぎて、甥2ほど、舌がピュアではないのかも知れないと思う。

ノリエットのアプリコットタルトは、1台1200円で、家族全員にケーキを買うより、相当安上がりで美味しい。

ノリエットのケーキは確かに美味しいけれど、子供にはもったいない。
街場のチェーン店のケーキ屋のケーキでも、子供たちは美味しく食べてくれるから、もうノリエットを子供たちに買ってくるのはやめようかなと思い始めていた時期であったが、やはり、こういう脳内モルヒネが分泌されたかのような「ノリエットのお菓子を食べられて、とても幸せ」的反応を見てしまうと、やはり、できるだけ買って来てあげようかなと思う。

甥1は、アプリコットケーキには、余り反応しなかったが、ノリエットのプチケーキセットを買ってきたときは、甥2より反応が良い。
「本物の味を追求する」甥2、「ケーキは、見た目のきれいさ・楽しさも大事だし、なんといってもケーキは生クリームがなくちゃ始まらない」の甥1である。
同じ親から生まれ、同じ環境で育ったのに、個性が違って面白い。



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1999年11月15日(月)

仲良し


下高井戸に行ったついでに、Iというお肉屋さんでお惣菜を買う。
ここのお惣菜は、中々お料理のセンスがあると、私は思っている。
世の中、同じような味で、種類が豊富なチェーン店の惣菜屋さんもあるが、やっぱり、私は置いてある種類が少なくとも、味のセンスのある個人商店の方に足が向く。
ハンバーグが少ししかなかったので、肉団子に変更、そうだ、ここのシュウマイは美味しいのだとシュウマイ、母が健康のためにレバーを食べたいと言っていたから、レバーのしぐれ煮を選んだ。

いつもは、相手してくれるのが、奥さんか、ご主人なのに、今日の売り子は、20才くらいの大きな耳にはピアス、髪の毛は茶色の現代風のニコニコとした若い男の子だった。
その子は、私の注文を受けながらも、ふろふき大根風の大きな大根の輪切り2つの煮物のパックを指差して、「その大根美味しいですよ」と教えてくれた。
「ふ〜ん、買ってみようかな?」というと、その子が、嬉しそうに、「僕のお母さんが作ったんです」と言うのだ。
僕のおかあさん?
この子は、お店でアルバイトで売り子をし、お母さんは、パートでこの店で惣菜を作っているのかしら?と勝手な想像が浮かぶ。
「お母さんは、料理が得意なの?」と聞くと、「まあまあです、そこにいますけれど」とその子の後ろ側にいる女性の方を見る。
と、その人は、いつもの肉屋の奥さんであった。
なんだ、なんだ、この子はこのお肉屋さんの息子さんではないのか。
この奥さんに、こんな大きな息子さんがいるとは思わなかった、まだ、十分若いのだ。

そのお母さんも話しに入ってきた。
「この大根は美味しいわよ。お店で売るために勝ってきた大根じゃないの。
この前、那須に遊びに行ったとき美味しそうだから買って来たの。水々しくって美味しいのよ。
この子は、野菜が嫌いなのだけれど、『この大根の料理は美味しい』って食べてくれるのよ。
私も、うちの子に野菜を沢山食べさせたいと思って、いつも野菜はがんばって料理しちゃうの。
この料理は、子供への愛情の料理かしらね、それをお客さんにおすそわけ」と、子供が可愛くて可愛くてという感じで話す。
その話を息子さんはお母さんの隣に並んで「僕、こんなに愛されているのです」とばかりに嬉しそうにニコニコして聞いていた。
本当に美味しいばかりでなく、家族が仲良しで、楽しそうな雰囲気を漂わせた店である。



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1999年11月16日(火)

午前5時半の築地 ―全体―


11月初旬の土曜日の朝、4時頃に目が覚めてしまった。
このまままた眠ると、築地に行きそこなってしまうので、起きて、築地にでかけた。
仲御徒町から乗った日比谷線は、始発の次であった。
電車は、座れるけれど、空いているという程でない。
サラリーマン少なく商業関係の人が多いという感じか。

6駅目の築地に着くと、老若男女、思いもかけず、多くの人が降りて、皆、築地の方に向かって歩く。
一瞬、皆、私のように買い物とお寿司が狙いかと思ったが、きっと、朝早くから、市場で働くのだろう。
築地でアルバイトできる人の住む地域は限られていると聞いたことがある。
(朝、5時なり、6時なりに築地に通える人のみである)

場外を左に見ながら、場内のお寿司屋を目指す。
場内は、もう商売を始めている店、準備中の店、まだ閉まっている店、さまざまであった。

場内の中に入ると、さすが、5時半なので、大和も寿司大も行列はない、しかし、席は殆ど埋まっている様子だった。
それを横目に、私のお気に入りの龍寿司を目指す。
龍寿司の手前に「牛丼の吉野屋」があるのだが、そのオレンジ色の看板が、まだ暗い景色の中で、やけに目立つ。
昼間は、それほど目立たない吉野屋の看板であるが、築地でネオンの看板を付けているのは、吉野屋だけであり、真っ暗な中でとても目立ち、人を吸い寄せる感じを与えていた。
しかし、残念、無念、龍寿司は、電気はついているものの、準備中で、冷蔵ケースには何も並んでいなかった。
久々の築地、是非、龍寿司で食べたかったが、泣く泣く、大和寿司に入った。
(なんと贅沢な)
大和寿司でいつもの上を食べて、さて、場内へと向かう。
朝が早いと行っても、土曜日だからか、そんなには混んでいない。
しかし、外人観光客がやたらに目に付く。
皆、カメラをぶら下げて、楽しそうだ。
多分であるが、5時のまぐろのセリの後、場内を見学しているのだと思う。
(私も今回は、まぐろのセリを見に行こうかなと思ったより、セリよりお寿司の方が魅力的に思えて、行かなかった。)

皆、友人や家族と観光に日本に来ているのか、楽しそうに見物している。
外国に行ったら、市場を見るのが楽しい。
あるまぐろ屋さんでは、大きなまぐろを二人がかりで動かないように抑え、また、別の二人で、長い刀のような包丁で、ブロックに切り分けようとしていた。
それを一生懸命写真に撮ろうと構えている外人の女性。
この構図なら、母国に帰って、「築地って、こういうところよ」と、皆に説明できることであろう。
本当にこんな大きい魚が海を泳いでいるの?と言いたくなるような大きなまぐろ、それを押さえて切ろうとしている日本人、日本人でも普段の生活では中々見ることができない風景であり、西洋の人にとっては、本当に「エキゾチック」な構図であろう。
でも、このマグロが最後人間の口に入る頃には、どんなに小さな切れ端になっているかの写真も撮って帰れたらいいと思う。

場内では珍しく何も買わずに、見学した。
ヤリイカ・牡蛎・芝海老が目に付いた。
今、私の冷凍庫の中は、パンク寸前、早く中のものを食べ終わらないと、築地で何も買えないのだ。

さて、場外だ。



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1999年11月17日(水)

午前5時半の築地―玉子焼き―


今日の場外へ行く第一の目的は、玉子焼きのお店で玉子焼きのひっくり返し方を見ることだ。。
丸武さんというお店があり、売り場は表通りに面しているのだが、裏の方に行くと狭い通路を挟んだ奥の部分が、玉子焼き製造所になっており、狭い通路を歩きながら、玉子焼きを約様子を見ることができる。
(以前は、表通りに面したところで、焼いているお店が多かったが、最近は、殆ど、お店の奥で焼くようになったようだ。)

立ち止まって見ては悪いような気がして、一往復して二回見た。
厚い玉子焼きをひっくり返すときは、斜め下に傾けた玉子焼き器を90度くらい、手のグリップを利用して、上の方向にひるがえすのだ。
そうすると、玉子焼きは静かに上下がさかさまになって、元の玉子焼き器に戻る。

見ていると簡単そうだが、実際は、熟練がいるだろうなと思う。
だいたい、私の台所で、私がこのグリップを利かせた玉子焼きひっくり返しの技を実行するスペースがないと思う。
やっぱり、ガス火で焼いていて、ひっくり返したくなったら、後ずさりをして、空間を確保してから、玉子焼きを空中に飛ばしたい。

残念ながら、真似ができそうもない。

最後に本願寺の向かいのブロックにある宮川さんという鶏肉屋さんに行ったのだが、その近くで、新聞片手にパジャマで歩いているおじさんを発見、やっぱり、ここは下町だなと思う。
営業は9時からということで何も買えなかった。
やっぱり、築地は、どんなに早く行っても、最後築地を離れるのが9時くらいでないと、色々なものが買えないのかなと思った。



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1999年11月18日(木)

あるお店のオムレツの作り方


ある日の昼ご飯に、家の近所の割りと有名なお店に行った。
私より先客は、台湾からの観光旅行の3人の女性たちだった。
(ご主人と色々話をしているのが聞こえてきて、わかった)
台湾から東京に観光に来て、浅草でトンカツ、ふ〜ん、トンカツというのは、そんなに有名なものなのだろうか?
職場の中国人に聞いたら、やぱり、日本料理の中で、トンカツは、食べやすくて美味しいとのことであった。

その女性たちは、トンカツ、海老フライ、オムレツなどを注文していた。

私の席は、料理するご主人の真前だったので、全ての手順を見ることができた。
その中でも、オムレツの作り方は、とても勉強になった。
残念ながら卵を割るところは見ることができなかったので、量がよくわからない。
卵4つくらいだと思う。
そのお店のご主人の作るオムレツは、焼け色がひとつもなくとてもきれいなオムレツであった。

見たままを書くと

★作り方
1.卵は、菜箸で入念に混ぜる。
  ときどき、箸で持ち上げてみて、卵白がよく切れていることを確認する。
2.フライパンを強火にかけ、温めた後、油をたっぷり入れて、引き続き、強火
  で熱する。
3.油が十分熱せられたら(時間にして、3〜4分程度のような気がする)、油を
  別の容器に開け、再び、たっぷりめの油をフライパンに入れて熱する。
4.これも2〜3分熱してから、油を敷くという感じの3倍くらいの量(何せ、卵が
  3つか4つであるので)を残して、残りを別の容器に移す。
5.そこまで準備が出来たら、一気に溶いだ卵液をフライパンに入れる。
6.菜箸でところどころかき混ぜ、均等に焼けるように焼けた面と卵液を入れ替えて
  行く。
  感じとしては、菜箸をフライパンに垂直にあて、フライパンを前後左右に振る
  ことにより、焼けた面と卵液の位置が変わる感じである。
  かき混ぜ方は最初は割りとこまめだが、最後の方はゆっくりになる。
  (ひっくり返すのに必要な面を作るため)
7.最後は、菜箸を手前からそっと入れて、半分くらいを折るようにして、向こう側
  に折る。
8.その後は、菜箸を手から離し、フライパンを持ち上げる。
  フライパンを、心持ち斜め下向きに持って、右手でこぶしを作って、手の付け
  根か、フライパンの取っ手の先をトントンたたく。
  オムレツがゆっくり回転する。
  何回叩いたのか、途中でわからなくなったが、20回程度だと思う。

さて、フィニッシュだ、私だったら、表になる面を火にあてて、美味しそうな焦げ色つけて、なんて、考えていたけれど、そのシェフは、そのままお皿に移した。
できたのは、きれいなきれいな薄い黄色の、焼け色ひとつないオムレツ、見ていると簡単そうだけれど、実際真似したら難しいのだろうなと思った。
真似した話しはまた今度。



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1999年11月19日(金)

オーストラリアみやげ


妹がオーストラリア12日の旅を終えて、おみやげを沢山持って帰ってきた。
おみやげというのは、子供にとって、とても魅力的なもののようで、甥たちは、妹がおみやげを持って帰る日を指折り数えて待っていた。

食べ物関係のおみやげは、「ナチュラル風味のビーフジャーキー」と「タスマニアで捕れる鮭で作ったスモークサーモン」であった。
ビーフジャーキーは、スパイスがまったくなく、食べた感じもソフトで、歯の悪い人や香辛料が嫌いな人でも食べられる味であった。
秀逸だったのは、思いもかけずにスモークサーモンである。

オーストラリアのおみやげにスモークサーモンがあるとは想像もしていなかった。
しかし、タスマニアというのは、オーストラリア大陸の南極側にある島だとのことで、南極に近いところだったら、鮭も泳いでいるかもと思う。

ブリスベンの空港で注文すると、保冷材をつけてくれるとのことで、チルド状態で我が家に運ばれてきた。
袋にも「Never Frozen」とあった。
(学校を離れてうん十年の私は、これを勘違いして、「『凍らせるな』と書いてある」と言ったら、妹に、『「一度も冷凍していない」と書いてあるの』と教えられた。)
やっぱり、スモークサーモンとて、冷凍しないものの方が美味しいのかなと思うが、冷凍するほど、スモークサーモンを買うことはないので、わからない。

3人で、500gをペロっと食べてしまった。(もっと量があれば、まだ、食べられたと思う。)
厚みがある(日本のものより、1.5倍から2倍の厚さ)、味がある、脂が乗っている(でも、しつこくない)で、オーストラリアのスモークサーモンは、大変美味しかった。

小さいとき、生まれて初めて食べたスモークサーモンは、本当に美味しくて「世の中にこんなに美味しいものがあるのだろうか」と感激をした覚えがある。
それから、たまに、ごちそうというと、王子のスモークサーモンを買うようになった。
しかし、いつの頃からか、昔ほど、スモークサーモンが美味しくなくなったような気がする。
勝手な憶測で、何か確証を持っているわけではないが、鮭は、養殖ものになり、出来上がり品も、冷凍して保存されるようになったのではないかなと思う。
(鮭の養殖に成功ということは、王子のHPで見た覚えがある。)

その点、オーストラリアのサーモンは、ワイルドな味で食べ応えがあった。
安いものではないらしいが、おみやげにお勧め。



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1999年11月20日(土)

女子栄養大学の餡パン


この前、駒込の女子栄養大学の売店の「胡桃餡パン」を食べたが、本当に美味しかった。
どのくらい美味しいかというと、「こんなパンを毎日作るパン屋さんになりたいな」というセリフが頭に浮かんだくらい美味しかった。
私はパンに詳しくないので、いい加減な説明になってしまうかも知れないが、一応、説明を。
パン生地が、白いのではなく、茶色、きっと、漂白していない小麦粉を使っているのかしらと思うが、定かではない。
そして、イーストは使わずに、きっと天然酵母を使っているではないかと思う。
そして、そのパンは、香ばしく焼けている上に、適度に塩気がある。
また、胡桃はどこに入っているのか、餡の中かしらなんて思って食べたら、パンの中に粗く刻んだ胡桃が散らばっている。
これらが、餡の甘さと口の中で一体になると、大変美味しかった。
え〜、こんなに美味しいパンを住宅地の大学の地下のお店で売なんて何てもったいないことかと思った。
駒込に住んでいる人がうらやましくなる。

プランタンという売店なのだが、製菓学校の生徒さんが練習で作ったケーキとパンを売っている。
ケーキは、シュークリームしか買ってこなかったので、なんとも言えないが、全て300円より安かったし、なんというか、プロが作ったものと変わらない。

近くに行ったときには、是非、買いに寄ると幸せだと思う。
女子栄養大学の門を入って、すぐ左手の建物の地下に入るところに看板がある。
営業時間はよくわからないが、お昼くらいから学校が開いている間はあるのではないかと思う。

女子栄養大学
東京都豊島区駒込3−24−3



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1999年11月21日(土)

繊細


甥2が、父母面接で、「身体に似合わず、神経質なところがあるので、びっくりした」と言われたそうだ、
その話を大人がしていると、甥2が私に「神経質って、どういうこと?」と聞く。
おばちゃんは、落ち着いて、「それはね、普通の人より、神経がこまやかで、きれいなものを見ると他の人より、余計にきれいに見える性格だっていうこと」と答える。

なんで、先生にそう言われたのだろうと、考えた。
そうだ、そうだ、2,3週間前に、小学校の予防注射のときに、注射が嫌で嫌で、泣いて暴れて抵抗したそうで、大人が5人掛かりで押さえつけて、注射されたそうだ。
きっと、先生にはそのことの印象が強かったのだろう。(ちなみにクラスでここまで抵抗したのは甥2だけだったようだ。)

甥2は、前の晩から、「明日、学校休もうかな、注射なんだ」と言っていた。
しかし、翌朝になると、そんな理由で学校を休ませてもらえるわけもなく、学校に行った。
その晩、甥2にあったので、「注射、大丈夫だった?」と聞くと、すました顔して、「うん、やってきた」と何事もなかったように答える。

しかし、そのそばから、一日中家にいて、甥一家の動向に詳しいおばあちゃんが、「甥2は、注射打つときに、抵抗したらしくて、5人掛かりで押さえつけられたらしいよ」と実態をばらす。
すかさず、甥をからかうことが趣味の私は、「この中で、小学校のときに、『注射が嫌で、泣いて押さえつけられたことのある人、手を挙げて!』」と言ったら、甥2は、全く悪びれた様子もなく、てへへと笑いながら、素直に手を挙げた。

「どうして泣いたの?」と聞くと、「だって、痛いのだもの」と答える。
「おばちゃんだったら、平気だわよ、どうやるかというと、こうやって<両目を片手でふさぎ、左腕を突き出す恰好をする>、心の中で、『ワ・タ・シ・ハ・イ・タ・ク・ナ〜イ、ワ・タ・シ・ハ・イ・タ・ク・ナ〜イ』とつぶやいているの。そして、注射がささったら、心の中で、痛さに合わせて、『イ・テ・テ・テ・テ、ス・グ・ニ・オ・ワ・ル、ス・グ・ニ・オ・ワ・ル』とつぶやいていると、すぐに終わっちゃうわよ」と教えてあげた。
これだって、注射は痛いけれど、「痛いんだ、痛いんだ、僕は注射が嫌いなのだ!」と思っているときよりは、痛くないと思う。

神経質といわれてしまったが、大人の誘導でどうにかなるのではと思った。

注射を打たれているときの痛さより、ちょっと我慢すればすぐに終わってしまうことに目を向けさせねばと思った。
甥2は、割と頭のいい子で、記憶力がいいのだ、一度痛かったことはちゃんとはっきり覚えているだけである、この記憶力の良さを誉めながら、「痛いのは、一瞬、終わってしまえば、また元通り痛くない世界に戻れること」を繰り返し教えてあげるのが、大人の役目かなと思う。



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1999年11月22日(月)

フライパン


半年前に、テフロンのフライパンがだめになってから、ずっと、意地で(?)鉄のフライパンを使っている。
テフロンのフライパンがだめになると、油を敷いても何しても、物を焼くと、鍋底にこびりつくようになる。
(このだめになったテフロンは、割りと深めの鍋なので、捨てないで、揚げ物用の鍋として使い続けている。)
テフロンは、便利だが、鉄に比べて高くて寿命があるところが気に入らない。

最近は、合羽橋道具祭りで購入した銅のパエリア鍋も良く使う。
どちらも使い心地に問題はない。
きれいな焦げ目をつけたいか、もしくは、まるで焦げ目をつけたくないときは、銅、炒めものは鉄(小さいものは、フライパン、大きなものは北京鍋)という感じである。
それぞれの癖を研究するのも面白い。

鉄も手入れが大変かと思ったが、使い終わって、冷めてからでも、水かお湯と洗剤で洗って、食器を受ける器に入れておけば、自然乾燥して、錆びることなく、使うことができることがわかった。
たまに、親のところにあるテフロンを使うと、つい、火加減が強い割には、テフロンのフライパンが思ったとおりに、熱くならないような気がしてきた。
元々、テフロンは、強い火力で使ってはいけない鍋なのだ。
それなのに、私がついテフロンを強火で使ってしまうから、今まで、数台だめにしていたのだと反省する。

やっぱり、気が短くて乱暴者の私には、テフロンは似合わないような気がする。
テフロンは、火力を強くすると、その火力の強さがストレートに焼き加減に反映せず、且つ、じわ〜んとお鍋が傷む暗い性格なのだ。
鉄なら、一生使えるが、テフロンは、3,4年に一度買い換えねばならず、経済的にも勿体ないと思う。
でも、これは、あくまでも私の理屈で、鍋の材質は、その人の性格や生活と相性があると思う。
(私は、ビタクラフトと相性が良くないが、世の中、「ビタでなくては」という人も沢山いるのだ)

初め、テフロンでスタートしても、買い替えの時期になったら、他の材質を使ってみると面白いと思う。
テフロンは、便利・簡単そうに見えて、意外に繊細な材質なのかも知れない。



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1999年11月23日(火)

圧力鍋のロールキャベツ


先日、親戚から新鮮なキャベツをもらったので、「ロールキャベツを作れ」との命令が出た。
我が家は、基本的にロールキャベツを食べない家なのだが、珍しい。
やはり、外圧で我が家の食卓に、新しいものが加わることは良いことだと思う。
ロールキャベツは、作っておけば、次の日でも美味しいか、もしくは、次の日の方が美味しいものだろうと思い、夕方、夕食を作るついでに、キャベツを巻き、眠る前に圧力鍋で煮てみた。

ロールキャベツの作り方は、何の変哲もない平凡なものだったので、省略する。
圧力鍋に、ベーコン2枚と玉ねぎの薄切りを半個キャベツの下に敷き、ブイヨンの素で煮た。(このベーコンと玉ねぎは大成功だと思う。)
圧をかけて5分、放置が10分で、キャベツがトロットロになった。
本当に柔らかかった。(柔ければいいというものでもないなと思うが、まだ、圧力鍋初心者なので、「柔らかい」ということだけで、感激してしまう。)

眠る前15分で、こんなに簡単にロールキャベツが煮えてしまうなんて、本当に感激である。
どうやって味付けをするか、そうだ、冷凍庫には、冷凍したカルピスバターを使ったホワイトソースがある、それを入れてしまえばいいと、凍らせたまま、ロールキャベツの中に入れて、弱火で温める。
だいたい、溶けたところで味を見て、塩で味を整えたけれど、う〜ん、やっぱり、ちょっと物足りないかな、冷凍してある生クリームも入れたほうがこくが出るかな、と、100cc弱を凍らせた生クリームも放りこんで、上蓋だけ、普通のものに代えて、床についた。
翌夕、温めて食べたのだが、「柔らかくて美味しい」と評判であった。
食べてみると、キャベツが本当に柔らかく煮えており、殆ど紙のようになっていた。
これだったら、今度から、二枚のキャベツの葉で巻いたほうがいいかも知れない。
一枚だと、殆どキャベツの味がわからないなと思う。
家のお気に入りメニューになりそうなので、今後は、「柔らかいだけでなく、キャベツの味のわかるロールキャベツ」を目指そうと思う。



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1999年11月24日(水)

痩せた子供は熱に弱い


現在、私は珍しく余録が入ったので、にわか成り金として、先日、家中にごちそうをした。
(「実は、私は淀川長春の姪の子供なんです」なんてことはありません。<笑>)
初め、「大多福」という浅草千束のおでんやに皆を連れて行こうと思ったが、「近所の新規開店の焼き肉屋の方が行ってみたい」との声があり、変更に応じた。
(変更に応じて正解だと後でわかった、大多福は予約したら、一人5千円だとのこと、そこまで、私は気前は良くないのだ)
行く日になって、「実はお寿司の方がいい」という声もあり、全く、たまのおごりに対する反応に、我が家はもしかして、貧困家庭なのかしらと一瞬思ってしまった。(笑)
父親という金づるがいなくなって以来、「家族全員を外へ食べに連れて行く」という気概のある人がいなくなったわけで、「誰かのおごりで家族全員で外食」というのは、本当に珍しくなってしまったのだ。

さて、皆が揃ったところで、近所の新規開店の焼き肉屋に行く。
この新しい店は、席が広々としていて、掘りごたつ式のテーブルで大勢でわいわい食べるのにちょうど良さそうである。
さて、席へ着く。
沢山食べさせてあげようと、私は、甥2人を、赤々と熱を発する炭火の真ん前に座るように指示した。
(甥2は、「おばあちゃんの隣がいい」と、席を替わった)

そして、注文、「さ、たんと食べてね、大船に乗ったつもりで」(一度言ってみたかった)と皆でわいわい食べ始めたのだが、食べ始めて、10分も経たずに、甥1が、「僕、熱があるみたい、ほら」と、おでこに手を当てながら、言うのだ。
触ってみると、確かに熱い、でも、その回りの皮膚も熱いのだ。
あ、そうか、背は伸びたとは言え、まだ、身体が薄っぺらな甥1は、炭火の熱にもろ当たり、熱が体中に行き渡ってのぼせてしまったらしい。
ごはんを半分くらい食べて、ダウン、「もう帰りたい」と言い出したので、隣に座っていた私のひざを貸してあげて、膝枕で寝かせておいた。
熱が来ないところで寝ていたので、その後、おでこを触ったら、普通の温度に下がり、気分が悪いのも落ち着いたようだった。

皆の食事もそろそろ終わる頃になり、先に食べ終わったおばあちゃんと一緒に、甥1は、一足先に家に帰ることになった。
後で、おばあちゃんに聞いたところによると、帰り道、「僕を火の前に座らせたまりが悪いんだ」と言いつけていたそうだ。
(まりの前で、言わなかったのは、「おごってもらっているのに文句を言ったら悪い」という遠慮があったのか、そこは、分からない)
確かにそうだわよね、まりが座れと言ったところに座ったら、熱くてのぼせたのだ、確かに私の配慮が足りなかった。
本当に、人間難しいわよね、と思った。
これは、経験してみないとわからない、まさか、そんなことは想像だにもしなかった。
背も伸びて、口も達者になったのでつい「沢山食べて欲しい」という気しか遣わなかったけれど、やっぱり、もっと、色々な面で配慮しなくてはいけなかったようである。
焼き肉屋に子供を連れていった経験が今までなかったので、わからなかったのだ。
赤ちゃんのときの方が、「この子は赤ちゃんだから、全面的に保護してあげなくては」とわかりやすいが、これから、甥たちは、中途半端に大人に近づいているだけで、まだ、身体が完全に大人になっていないので、それなりの保護や配慮が当面は必要なのだと反省した。



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1999年11月25日(木)

セクハラ


そもそもの始まりは、何がきっかけか覚えていないのだが、この2週間くらい、私は、甥1にセクハラもどきの行為をしている。
我が甥たちは、夜、おばあちゃんの家から帰る時に、おばあちゃんと若い方のおばちゃんのほっぺたにほっぺたを軽くつけて「大好き!」と言うあいさつをする習慣を赤ちゃんのときからしつけられている。
我がトリオ・ザ・後家さんズ(母親・私・妹)の中で、一番硬派の私だけその習慣がない。
何かの拍子に、おばあちゃんたちのほっぺたにほっぺたをくっつけて挨拶している置いたたちに、「おばちゃんも!」と言って、ほっぺたを突き出したら、甥1がとても可愛い反応をしたのだ。
「え、いやだ〜」といって、後ずさりしそうになって、はにかみながら照れているのだ。
それがとても可愛いので、つい、いつも、「おばちゃんにも!」と言って、自分のほっぺたを指で大きくつついてみせる。
そうされると、甥1は、本当に「うわ、そんなことできない、僕、恥ずかしい」という感じで、照れてニタニタしながら、私から離れようとするのだ。
それがとても初々しい。

しかし、これは、もしかして、「セクハラ?」と思った。
伯母という地位を利用して、時には、「『大好き』やらないと、おもちゃ買ってあげないわよ!」と脅しをかけつつ、相手の嫌がることをして、その反応を楽しんでいる、もしかしたら、私はいけないことをやっているのかなと、思った。
ま、大げさに考えると、セクハラもどきだけれど、ま、そこは家庭の中である程度節度を保った冗談の範囲ということで、甥に嫌われない程度にこれからもからかおうと思う。



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1999年11月26日(金)

オムレツと卵


私の持っている料理の本で「オムレツのレシピ」を探したら3つあった。
それら全部が「一人あたり卵3個」の作り方である。
卵3個のオムレツなんて、コレステロールを考えたら、家庭では中々作れないと思う。
家庭用は、2つか、1つにすべきだと思う。
(卵3個で作って半分ずつに切ることも頭では考えられるが、余りきれいではない。)

我が家では、オムレツは余り食べない、オムライスのときに、いつも卵2個か1個半で、なるべくふわふわに焼こうとしているものがオムレツに近いかも知れない。
この前、底の大きさ直径16cmで、プレーンなオムレツを焼き、オムライスのケチャップライスの上に置いた。
その話は後日するとして、卵2個で底の大きさ16cmのフライパンは、やはりちと大き過ぎる感じがする。
割合で計算したら、卵2個だったら、底の大きさ14cmのフライパンがいいのかも知れない。
買うかどうか、迷ってしまう。
合羽橋で、鉄のフライパンはとても安い。
買おうかどうか迷いながら、見に行った。
その話は、明日。



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1999年11月27日(土)

フライパンの大きさ


合羽橋で鉄のフライパンを見た。
今まで気がつかなかったのだが、鉄のフライパンというのは、底の大きさではなく、上の大きいほうの円の大きさで表示されているものなのだ。 この前、「たいめい軒の洋食の本」に、「卵3個のオムレツを焼くのに22〜24cmのフライパンが良い」と書いてあったのを見て、「本当かしら、これでは大き過ぎる」と思ったのだが、この「22〜24cm」というのは、底の大きさではなく、一番上の直径だということがわかった。 自分のフライパンを計ってみると、これが、上の方が22cmで、底が16cmで、たいめい軒の本でいうところのオムレツ3個タイプだ。
ま、見れば、すぐわかると思うけれど、22〜24cmのフライパンを買いに行ったとき、メジャーでも持って行かないと納得行かないかも知れない。
テフロンは、底と上が余り大きさが変わらないけれど、鉄の場合は、相当差があるから要注意である。
また、鉄のフライパンは、小さいものは、鉄の厚さが1.2mm程度だけれど、大きくなればなるほど、鉄の厚さが厚くなるようで、一番大きいのは、3mmか、4mmあった。
小さいフライパンで厚さ3mm程度のものは合羽橋に売っていないようだ。(そもそも存在するかどうかもわからないが)



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1999年11月28日(日)

27文安


おばあちゃんは、甥1が本当に可愛いようだ。
ある日、我が弟が「近所の人が、甥1ちゃんは、まりちゃんそっくりと言っていた」というので、私は、すかさず、「え、私の方が、甥1より可愛くて、いい子で、素敵よ」と言う。(勿論、冗談である、念のため)
甥1は、眠たいのか何も気にせず知らん顔をしているのに、おばあさんが、すかさず、「そんなことない、甥1の方が絶対に可愛い」と本気で言葉を返してきた。

また、ある日曜日のお昼頃、おばあちゃんちに、甥1が上がってきて、「お父さんが僕をからかって、しつこくてやめないんだ、おばあちゃん、今度怒ってくれる?」と言いつけに来たそうだ。
それを聞いていて、「全く!困ったことがあると、すぐに、おばあちゃんに加勢を求めてきて、困ったものだ」と思ったのに、夕方、弟に会った私は、即座に、手を腰にあてて、「ちょっと、うちの甥1ちゃん、いじめないでくれる?」と言ってしまった。
自分でも思いがけない行為だった。(笑)
弟はにやにやしていたが、家で遊んでいて甥1をしつこくからかったら、「よし、おばあちゃんに言いつけてやる」と、おばあちゃんの家に飛び出して行ったそうだ。

この調子で、おばあちゃんとおばちゃん二人で、加勢したり、助人をやってしまうから、この子は、今までの予想以上で、おばあちゃん子の3文安の3乗で、27文安に育つに違いない。

そう言えば、知り合いの若い男の子で、先輩に仕事のことで、「それじゃだめじゃないか!」と言われると胃が痛くなるという子がいる。
その話しを聞いて、思わず、「あなたは、おばあさんやおばさんが回りに沢山いる環境で育ったのでしょう?」と聞いたら、素直に、「うん」とのこと。(笑)
うちの甥1の将来を見るようであった。



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1999年11月29日(月)

負けない


甥たちは、今、柔道を習っている。
(甥2は、体型的に向いているのか、柔道が気に入っている、痩せの甥1は、「友達と遊ぶ時間が減ってしまう」から、余り乗り気ではない、親の命令で習いに行っている感じである。)
そこの塾が、全国大会に出るとのことで、甥2に、「行ってみないか?」と声がかかった。
甥2の学年では、強い子がいないので、体格を見込まれて、甥2に声が掛かったようだ。
(甥2は、本当に、柔道着が似合いそうな体型で、柔道着を着たら、柔道を始めて半年には見えない。)

そのお声掛かりに、甥一家は、大喜び。
「家族4人で、長野県に行こう!」ということになったそうだ。
しかし、「家族4人で、長野県!」と言った途端、甥1が、すかさず、「僕は行かない、僕は残っておばあちゃんちで留守番している」と言ったそうだ。
(おばあちゃんちで、好き勝手して、おもちゃ買ってもらって、お友達と遊んでいる方がいいそうだ。)
これを聞いて、おばあちゃん・おばちゃん一家は、やんややんやで「やはり、甥1は、いい子だ」と上機嫌となった。
結局は、色々な事情で、甥2と甥2のお父さん2人で行くことになった。

以前だったら、弟だけに何かのチャンスが来る、兄だけに良いことが起きると、「僕も」とぐずったものだが、甥2が小学校に入ってから、そういうことはなくなった。
相手の幸運を聞いて、「うぇ〜ん」ということはないのだ。

甥たちが来ているときに、甥2が「僕、お父さんと旅行に行くの」と嬉しそうに言った。
お父さん子の甥1がやきもち焼くかなと思ったら、甥1は、やおら、私の方を向きを変えて、「まり!甥2ちゃんたちが出かけたら、三ツ星のバーゲンに行こうね」とわざとらしく私に言った。
(甥2が長野県に行く日は、ちょうど、三ツ星のバーゲンの日なのだ。)

そうだ、そうだ、その調子、弟ばかりにチャンスが来たとしても、やきもち焼いたり、泣かないで、その調子で、「自分には良いことがこない状況」に負けないでね。
弟の自慢を聞いても、それにぶつからず、自分なりに他に楽しいことを探す甥1を見て、だいぶ大人っぽくなったことが嬉しくて、「いいわよ、おもちゃ欲しいの?なんでも買ってあげる、それに、帰りにはラーメン食べに連れて行ってあげる。何ラーメンがいい?」と聞いた。
今度は、これを聞いた甥2が、ぶうっと膨れて、「いいな、いいな、僕もおもちゃもラーメンも欲しい」と言いだす。
しょうがないので、試合から帰ってきたら、今度は、頑張ってきた甥2とおもちゃ屋に行くこととするか。
甥たちと話すのは楽しいが、結局は、自分の首を絞めているだけという面もある。(笑)



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1999年11月30日(火)

こ〜ら〜


今日の題名は、「コーラの売り子」の話ではない。

蔵前に「三ツ星商店」というおもちゃやプラスチックモデルの大きな問屋さんがある。
あっても迷惑ではないのだが、最近、不況のせいか、毎月第4土曜日は、一般客向けにバーゲンを始めたのだ。
以前は、年に二回だけだったと思う。
甥たちは喜び、おばちゃんは、ただ、ただ、涙である。
(でも、そんなにしょちゅうは買ってあげないのだ)

11月は甥1のお誕生日ということでもあり、甥2がお父さんと長野県に行ってしまい、甥1は留守番だったので、バーゲンの日に、おもちゃを買いに行った。
バーゲンと言っても、毎月のことなので、そんなに混んでいない、その点はとても良い。

甥1は、買い物を楽しむというか、自分がほしいものをとてもとても丁寧に吟味するタイプで、「もう一回、4階に行ってもいい」とか言いながら、一階と四階を4回も往復した。
欲しいものが決まった、「クランキーベース」というおもちゃである。
お店の人に聞いたら、今は売り切れとのこと。

だったら、クランキーベースの付属品の小さなプラスチックのお人形が欲しいとのこと。
これが7つあった。
7つとも欲しいというから、「7つ買うなら、クランキーベースは、来週買って上げないわよ」と念を押す。
「いいよ、来週買ってくれなくていい」というので、「指切りげんまんしよう」と、慎重なおばちゃんは、言う。
「うう〜ん、指切りはしないの」と下を向きながら、首を横に振り、甥1は言う。(なんと、正直な嘘のつけない子であろう)
ほら、見たことか、おばちゃんの勘は、正しかったのだ。
甥たちとのお約束には、「指切りげんまんしたお約束」と、「そうでないお約束」の2種類があり、守らなくてはいけないかどうかの重さが違うのだ。
ちゃんとここのところをチェックしておかないと、お金は出て行くばかりである。(笑)

しかし、さすがバーゲン、値段を聞いたら安かったので、3つ買ってあげることにした。(甥1は甥1で、後4つは、お父さんが2つで、おばあちゃんが2つだと、算段を考えついたようだった。)
しかし、甥1は、7つの中から3つ選ぶのに、迷いに迷って、中々決まらない。
手に3つ持っているのに、他のお人形から目が離せない状態になっていた。
売っている場所が、レジの前なので、私は、普通の口調で、号令をかけるように、「こ〜ら〜、早くしなさい、レジの方向け〜!レジ!」と、言ったのだ。
そうしたら、そばで、「クスッ」という笑い声が聞こえた。
そちらを振り返ったら、お店の店員のおじさんがニコニコ笑っていた。
そして、そのおじさんは、近くにいたお母さんたちに、「何でもないのですよ、中々決めないお子さんに、早くしなさいとお母さんが言っただけですよ」と説明するのだ。

あら?
私は怒ったわけではなく、つい、家にいる調子で、甥1に、「早く決めるように」号令をかけただけなのに。
本当に、怒りの感情など混じらず、声も小さかったのだ。
その証拠に、そう言われた甥1は、その言葉をてんで無視して、まだ、おもちゃを見ていた。
(「慣れ」から来る無視かも知れないが)

帰り道つらつら考えるに、「こら!」なんていう言葉自体が死語で、現代の人には、その言葉を使っただけで、「ひどい言葉」に聞こえるかも知れないなと思った。
今、おもちゃ屋に夢中の年頃の子供を持ったお母さんたちは、日本が豊かでリッチな時代に育った人なのだ。
今度から、若いお母さんたちの前では、言葉遣いに気をつけなくては。
私とは、お育ちが違うのだ。

私の子供の時代には、大人の怒りがこもった「こら!」は下品だし、怖かったが、「こらこら」くらいの「こら」は、日常茶飯事の言葉であった。(「こらこら」よりは、「これこれ」の方が上品かも知れない。)
今度から、甥1を人前で、催促するときは、よそゆきの顔と声で、やさしく、「甥1ちゃん、早くしてね、おばちゃんはね、忙しいのよ、早くレジに行きましょうね」と言わなくてはいけないのかしら。
私もこういう言い回しが自然と出てくる生活をしたいが、きっと、一生できないであろう。
何せ、私は、下町生まれの下町育ち、生まれも育ちもちゃきちゃきだから、一生忙しく、言葉もどちらかというと乱暴気味で暮らしてしまいそうな気がする。



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