2000年09月01日(金)
横浜球場ナイター見物 その1
8月の20日頃、野球の切符をいただいたので、甥2と横浜球場に行ってきた。
実は、我が家は昔からアンチ巨人の横浜ファンであり、MLでこのことを書いたら、何と、シーズンシートを持っている方が近所にいたのであった。
そして、その方が、横浜ファンの坊やたちが応援してくれるのならと、切符が余っているときには、有り難いことに我が家に回してくれたので、甥たちは、今シーズン、既に親に連れられて、何回か見に行ったことがあったのだ。
(勿論、甥たちは、大喜びである。)
このような形で切符をいただけることは、甥たちの教育上とても良いことだと思う。 甥たちが大きくなって、シーズンシートを買える財力がある人になるかどうかは疑問だが、やはり、小さいときにこういう、人から優しくされた経験をしておくと、自分の切符が余ったときには、同じチームを応援してくれる子供たちに回すように気を配る人間になれるような気がする。
で、そのときは、甥1が入院中で、私が甥2のばあやをやっていたので、私が連れて行くこととなった。
しかし、甥2は、「まりが連れて行ってあげる」ということに難色を示す。
「どうしてまりだと嫌やなのか」聞くと、「頼りないから」とまで言われてしまった。
どうも甥2のばあやをやっているときに、慣れていないから、結構コミュニケーションがうまく行かず、甥2の思うように動けなかったところも多かったのかと反省する。
まず、思い当たるのが、上野の不忍池のアヒルにあげるポップコーンの味選びだった。
甥2が、「いつも僕んちは、醤油・バター味を買って行って、アヒルにあげる」というので、私は、アヒルの健康を考えて、「塩味」を買うことに決めてしまったのだ。
どうも、これが気に入らなかったようなのである。
甥2も段々知恵がついてきて、ストレートに「僕、醤油・バター味がいい」というような子供っぽい言い方をしなくなってきているのかも知れない。
自分が好き、食べたいとは言わずに、「いつもは○○を選ぶ」と言い、「アヒルにあげる」と言いながらも、本当は、アヒルに餌をあげながら、自分もつまみ食いをするのを楽しみにしていたのだ。
「僕の家ではいつも○○する」とか「アヒルにあげる」とか言って、「自分は自分がしたいことをわがままに主張する人間ではなく、第三者のことを配慮しているし、第三者の言うとおりに動く人間だ」ということを匂わす言い方が身についているようである。
おばちゃんからすると、まだ、小学校2年生だから、まだ「自分が○○したい」という言い方をした方が子供らしくていいような気がするが、ま〜、こういう言い回しを覚えて使えるようになるというのも、人間の成長、もしくは、知恵が付くというものかも知れないと思った。
甥1は、不忍池のボートの上で、アヒルにあげる「まりがアヒルの健康を考えて選んだ塩味」のポップコーンをつまみ食いしながら、「醤油・バター味の方が良かったな」と考えていたに違いない。
う〜ん、ちょっと反省する。
この子が、「いつもは○○する」と言ったら、それは、「僕は、○○したい」と言っていると考えなくてはいけないのだ。
しかし、「まりじゃ頼りない」と言ってから、2,3時間後で、甥2も、今は、お兄ちゃんの入院時で、いつも一緒に行く親と行くのは無理だし、一人では到底行けないということで、おばちゃんと行くことを了承した。
おばちゃんも、「まりじゃ頼りない」と言われたときに、浅草だの上野だの、暑い最中、この子が可哀想だと思って遊んであげたのにと、ちょっと頭に来たが、甥2が折れたので、許すことにした。
そのときに、「いつもは、駅で崎陽軒のシュウマイ弁当を買ってから、球場に行く」と言ったので、心の中で、「僕は、崎陽軒のシウマイ弁当を買ってから野球場に行くのが好き」と置き換えて、「お弁当を駅で買ってから行こうね」と折れた。(本当は、中華街で何か食べてから、野球場に行こうかなと思ったのである。)
毎日30分くらいは顔を合わせて慣れ親しんでいる甥とおばであるが、本当には一緒に暮らしていないから、いざ、二人でどこかへ行くとなると、お互いが快適に楽しめるようになるまでには、結構、慣れとか相手の癖を飲み込まねば行けないものだと、再認識した。
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