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「美味しい!」が好き

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2000年08月01日(火)

下町だね〜(極めつけ)


以前にも書いたように、我が甥2人は、おばあちゃんの店で、テレビ見たり、横丁で野球をしながら、過ごすことが多いようだ。
おばあさんによると、定期的にお店に来るお客さんや配達のおじさんには、甥たちと話すのを楽しみにしている人も少なくないとのこと。
私も、何度か、横丁でキャッチボールしている二人の横で、近所のおじさんが、楽しそうに投げ方をコーチしているのを見たことがある。

で、どっちが人気があるかというと、ハキハキして、何でもすぐ答える甥2の方が受けがいいそうである。

ある日、甥たちの父親(私の弟)が、私に言った。
「まりちゃん、知っている?
僕、この前、近所の○○さんに、真顔で心配されちゃったんだ。
『お宅の二番目の子は、頭の回転は速いし、何でもすぐテキパキ答えて気持ちがいい、将来が楽しみだね〜。それに引き換え、上のお兄ちゃんは、ぼーっとしているけれど、将来、大丈夫?』」だって。」

それを聞いて大笑い。
弟もニヤニヤ笑ってその場を終えたようだった。
「甥1、近所の人にあんたの将来、心配されちゃったけれど、大丈夫?」と聞いても、甥1は、ニコニコしているだけ。
傷ついているかなと思ったが、本当に甥1は、全然気にしていないようだ。

どうも、この子は、甥2に比べて、神経の数が少なくて、同時に複数のことに神経を回すことができないタイプのようなのだ。
だから、自分がキャッチボールしていたら、頭の中にキャッチボールのことしかないので、普通だったら聞こえているのではという位置で、大人が自分ことを話していても、全く耳に入らないタイプのようなのだ。(だから、「ボーっとしている」と言われる。)

私からすると、二人とも、家族の前でくつろいでいるときより、お店で慣れていない人に話しかけられたときの方が、大分口数が少なくなる。
家族の前では普通にしゃべる甥1が、お店では殆どしゃべらなくなり、ただニコニコしているだけになり、家族の前でしゃべり過ぎる甥2は、耳障りでない量で話をすることになる。

ま、甥1の将来がどうなるかわからないけれど、この話を聞いていたら、「やっぱり、我が家は下町だね〜」と思ってしまった。(笑)
寅さんの映画の世界のような話である。
以前、寅さんの映画で描かれている下町のお節介は我が家の方にはないと書いたが、結構、まだまだ、あるのだ。
皆、ビルになって、地べたでの接触が減ったから、目立たないだけなのだ。



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2000年08月02日(水)

子供の神経の数


赤ちゃんは生まれたてのとき、神経の数が少なくて、成長するに従って色々な刺激を受けるとともに増えるということをと、何かで読んだことがあった。
だから、赤ちゃんがお座りして、おもちゃで遊んでいるときは、体中の神経が身体の前側に集中してしまい、背中をくすぐっても何も感じないそうなのである。

私はその話を実験したくて、甥たちが赤ちゃんのときから、相当大きくなるまで、おもちゃで遊んでいる後ろから背中をくすぐって、感じるかどうか、実験をしていた。
いつから、「くすぐったい」と反応するようになったかは忘れたが、2,3才頃だったような気がする。

この神経の数というのは、個人差があるようで、甥2の方が甥1より、確実に多い気がする。
その分、色々なことに気付き、口数も多い。
お兄ちゃんは、どちらかというとボヨヨンとしていて、自分の興味のあることしか、気にしていない。
性格のせいかとも思ったが、やはり、神経の数の多さの差のような気もする。

それに、同性の年の近い兄弟というのは、確実に、上の方が大人しく、下の方がきかない子に育つような気がする。
甥2は、元々神経が多く生まれた上、下だったので、上に負けじと色々工夫してきたので、益々、神経が多くなったのかも知れない。
甥1は、何はともあれ、大人ばかりの間に生まれた初めての赤ちゃんだったから、自分から何か欲しなくても、大人がちやほやしたから、殆ど神経使わずに生きていたので、神経が、増えなかったのかも知れない。

そんな甥1であるが、お客さんの中には、「お宅の上のお兄ちゃん、いつもニコニコしていて、大人しくて、とてもいいわね〜」と言ってくれる人もいるらしい。
学校の生活態度の評価で甥1は、いつも良い評価を取ってくれる。
人間、おっとり育って、ボヨヨンとして、周囲の大人の自分に対する愛情を全く疑わないで生活態度のいいのと、頭使いながら生活態度が若干悪いのと、どちらがいいのか、これは、死ぬまでわからないと思う。 


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2000年08月03日(木)

ドレッシングのかき混ぜ方


ドレッシングを作ることについて、本には、たいてい、「塩・胡椒・マスタード・酢を入れてよくかき混ぜてから少しずつ油を入れていく」とあると書いてある。
しかし、このやり方でうまく行ったことは殆どなく、(何故か、初めの頃 <=若い頃>はうまく行っていたような気がします)最近は、面倒なので、泡立て器で混ぜることすらしなくなって、瓶に材料入れてガチャガチャ作っていた。(瓶で作ろうが、泡立て器で作ろうが、分離するなら簡単な方がいいから)

この前、思いついて、マヨネーズと同じ要領でやってみたら、大成功であった。
(すなわち、マヨネーズと同じ要領=最後に酢を入れる方式)

1.塩・胡椒・マスタード全量に、酢を一滴たらして、泡立て器で良く混ぜる。

2.良く混ざったところで、油を少しずつ、泡立て器でかき混ぜながら入れてい
  く。
  (マヨネーズ程、神経質に油の量を気にすることはないです。多く入れてし
   まった場合、局部的に、乳化したところに油を少しずつ混ぜ込むような気
   持ちで混ぜていけば、うまく行く)

  マスタードが粘着剤の役目を果たすのか、とてもきれいに乳化していく。

3.最後に、混ぜながら、お酢を少しずつ入れて味見して、良い加減になったら
  出来上がり。

出来上がって、45分くらい全然分離しなかったが、1時間くらい経ったから、うっすら分離した。
でも、、いつもに比べたら、相当上出来のドレッシングであった。
何で今までこういうやり方を思いつかなかったのか不思議だ、余りに頭の中に、「ドレッシングは、酢と塩・胡椒・マスタードをまず混ぜ合わせて」と、染み込み過ぎていたのかも知れない。
私にとっては、目からウロコでした。 今回は分量を気にせず適当に作ったが、今度は、分量をちゃんと計って作ってみようと思う。



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2000年08月04日(金)

ジャガイモの青海苔まぶし


暑い、暑い、暑い、しか言いたくないような気候が続いている。
おかげさまで私は食欲が衰えていないから、元気でご飯の支度をしているけれど、暑い料理はやりたくない気分である。
それと、不思議なのだが、何故か、夕飯の献立を考えると、じゃがいもを食べたがっている自分を発見する。

で、今回は、暑い思いをしないで作れるフライドポテト風のおかずを作ってみた。
(厳密に言うと、じゃがいもはご飯のおかずというよりは、箸休め、ビールの友という感じかな?)

道具が、「圧力鍋」と「オーブン」だから、両方持っている人はすぐ作れるけれど、そうでない人は、圧力鍋=普通鍋、オーブン=フライパンに置き換えれば、できる。
(しかし、それでは、暑いのだ。)

最近、つらつら考えるに、「圧力鍋はやはり冬でないと使う気しないなと思っていたが、暑い思いをしないで済むから、結構、夏にも向いているかも知れない」と思う。

★作り方
1.ジャガイモは、まるのまま、洗って、圧力鍋の目皿に乗せて、5分圧かけて、
  ピンが下がるまで放置して、蒸す。(圧力鍋の底には、水を200cc以上
  張っておく)

2.竹串で刺して、茹で上がっていたら、ジャガイモは、皮をむいて、適当な大きさ
  に切る。
  (時間があったので、水気が切れた方がいいからと、リードクッキングペー
  パーに包んでおいた)

3.耐熱ガラスの皿に、オリーブオイルを少し流し、その上で、ジャガイモを転
  がして、ジャガイモ全体にオリーブオイルをまぶす
  (サラダオイルでも可。今、私はオリーブオイルの大きな瓶を開けてしまった
  ので、なるべくオリーブオイルを使うようにしているだけ。)

4.オーブンのグリルモードで、上段で、10分焼いてひっくり返す。
  また、5分焼く

5.所々にこんがり焦げ目がついたら、オーブンから出して、塩・胡椒少々をふり
   かけ、青海苔を沢山かけて、和えて出来上がり。

最近、暑さのせいか、ぷ〜んと良い匂いがして、鼻からにおいで食欲を刺激してくれるようなものが食べたくなり、青海苔が好きになっている。
初め、頭で考えていたときは、フライドポテトに青海苔をまぶすかな〜と思ったが、揚げ物はこの季節ちょっと暑すぎると思い、圧力鍋+オーブンになしてみた。
この方法で作ると、結構、フライドポテトに近い食感となる。

カルビーの青海苔味のポテトチップスを健康的にして、油分を減らした感じで美
味しい。
当然、この味は、子供にも大受けする。
甥2に大受けで、どこが美味しいかきいたら、「青海苔」とのことであった。
甥2が、「これ、太るんじゃない?」と気にしていたが、「ポテトチップスは、あの薄いポテトが一枚一枚、油を吸っているけれど、このじゃがいもは、大きな固まりの表面しか吸っていないから、大丈夫」言っておいた。(外れてはいないと思う。)



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2000年08月05日(土)

寿司の具を買いに夜店通り(千駄木)へ


今日は、久々、甥2人+弟が我が家でご飯を食べるとのこと。
お寿司にすることにした。
大勢で、ご飯だけ銘々に盛り、タネは、大皿に盛って食べる。
ある人は、ちらしにするし、ある人は手巻きにする、皆、てんでんばらばらの食べ方である。

で、寿司の具を買いに行った。
私が思うに、私の活動範囲の中では、千駄木まで行くと、「リーズナブルで美味しい寿司のタネ」が手に入る。
(築地もいいけれど、色々な具を揃えるというのには、向いていない。)
我が家の方で揃えると、結構、高いのだ。
千駄木の魚屋さんは、値段が安くて、新鮮で美味しい。
きっと、これは、千駄木あたりは住人が多くて、魚屋の数があるから、競争原理が働いて、「安くて良いもの」が揃っているのだと思う。
我が家の方は過疎地帯で、魚屋も数が少ない。
だから、皆、殆ど固定客ばかりの世界なので、競争原理が働かないのではないかと思う。

我が家から千駄木までは、自転車で30分はかかるけれど、土曜日であるし、高い寿司の具をぶつぶつ言いながら食べるのは嫌だったので、行ってきた。
不忍池を突っ切ると、結構、早く着く。
不忍池は、ちょうど、蓮の花のつぼみがたくさんついたところで、池全面に広がる蓮の葉の中のピンクの色がきれいだった。

不忍通りの一本中側を自転車で走っていく。
お目当ての店は、夜店通りの千駄木の交差点近くにある山長というお店。
「このお店なら」という思いがあるので、適当に全て買ってしまった。

帰りに谷中銀座に入って、武蔵屋さんという豆腐屋さんで、おぼろ豆腐を買いがてら、ふらふらと何軒かのお店を見た。
魚屋さんが2軒かあったので、見ると、山長さんと同じで、お刺身のネタがきれいに舟に乗せられ、並べられている。
こちらもイキが良さそうで、今度から、谷中銀座の魚屋と比べてから、買おうと思った。
谷中銀座の魚屋さんには、生きたどじょうも大きなバケツに入れられて、売られていた。
生きていた方が美味しいだろうが、私には料理できない、どんな人が買っていくのだろうと思う。
谷中・千駄木あたりには、生のどじょうを自分で料理する人が大勢住んでいるのだろうか?

他、焼き鳥屋さんでも、魚屋さんでも、鰻の蒲焼が売られているし、夜店通りにも2軒くらい、鰻屋さんがあって、鰻の蒲焼も、競争原理が働いて、我が家の方より、安いような気がする。
私のお気に入りの鳥越の山ぎしというお店の姉妹店があったのだが、我が家の近所の山ぎしでは、蒲焼1枚最低1千円なのに、夜店通りのほうでは、800円であった。
谷中銀座あたりは、まだ、商店街が生きていて、競争原理が働いていて、本当に住み易そうだと思う。

無事、具を買ってきて、大皿に盛って、皆で食べたのだが、やはり、魚が新鮮で美味しいと評判が良かった。
550円のお刺身も思いの外、量も多かったし、味があった。
我が家の方でこれだけのまぐろのお刺身を買ったら、1千円くらいかかってしまう。

しょうがないので、「今日は、お寿司の日」と決まった土曜日は、千駄木に買出しに行くこととしようか。



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2000年08月06日(日)

皆で食べるお寿司


昨晩、甥たちは久々におばあちゃんの家に夕飯を食べに来て、おおはしゃぎであった。
やはり、大勢で、お客様気分で、食事するのは、楽しいのかな?

上のお兄ちゃんは、最近、むっつりしていて、おばあちゃんの家に来ても、野球のテレビばかり見て、全く愛想がなく、「子供も4年生になると口数が少なくなるのね」と言われていたが、昨日は、幼少期に戻ったように、良くしゃべり、良く食べた。
この子は、機嫌がいいと、調子がハイになるのだ。
おちゃらけを言って、沢山食べて、今にでも歌でも歌い出すではないかという感じで動く。
甥2の方は、とにかく饒舌になる。
(この子は、食べることとしゃべること、口先で勝負の子である。)

献立は、その前の日に好評だった青海苔ボテト、お寿司であった。
青海苔ポテトは、甥2が「また作って」と言うくらいだから、二人で本当に良く食べた。
ジャガイモ5個蒸したのが、あっという間になくなってしまった。
挙句の果て、「まり、僕、毎日食べたいから、うちのおかあさんに作り方おしえておいて」とのことであった。

お寿司も二人して良く食べた、ジャガイモがあるからと少なめに炊いたご飯はあっという間になくなり、大人は少々しか食べることができなかった。
どうも、ジャガイモとお寿司は、納まる胃袋が違うのかと思う程であった。

また、甥2なのであるが、完全に新海苔の味を覚えてしまったので、新海苔を焼いて出してあげたら、まるで、海苔弁当かと思う程、真っ黒にご飯の上に新海苔を乗せていた。
(この子は、普段の食事で、私が海苔を食べているのを見ると、近寄ってきて、「まり、今、海苔食べた?新海苔?」と聞くのだ。
「う〜ん、普通の海苔」と答えると、「じゃ、要らない」とそそくさと私から離れていく。
新海苔だったら、もらおうと近寄ってくるのだ。)

皆が、「新海苔は美味しい、美味しい」というものだから、甥1が普通の焼き海苔と交互に口に入れて味を比べていた。
甥1の結論は、「普通の海苔の方が美味しい」であった。
そうかい、そうかい、そう思うなら、それが本当だ、と誰も否定しなかった、好みだもの。
普通の海苔の方が海苔くさくないところが美味しいのだそうだ。(笑)
でも、甥1の出した結論は、甥2への対抗上のものという気がしないでもない。

極めつけは、特別なデザートは作っていなかったので、「デザートは桃」と告げたとき。
二人とも、「え〜、もも? ちゃんとしたデザートないの?」と、がっかりした様子だった。
と言っても、ちゃんと桃を沢山食べた上、「まり、今度の時は、杏仁豆腐がいい」と言っていた。
「おばちゃんの食事をご馳走になりに来る」ということに対する期待は、デザートまで入っていることがわかって、反省した。
この日は、その日の朝に弟から3人でご飯を食べに来る旨、連絡があり、「お寿司にしよう、千駄木まで具を買いに行って来よう」ということしか頭に浮かばなくて、デザートまで頭が回らなかったのだ。
そんなこんなで、久々の賑やかで楽しい食事は終わった。

久々、甥たちにご馳走してみて、彼らが、私の作るご飯をどんなに楽しみにしながら食べに来てくれるか、確認できて嬉しかった。



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2000年08月07日(月)

台東区竜泉 角万


MLでも何人の方が美味しいと言っていたし、私のHPを気に入ってくださった方がDMくださって、そのメールの中でも、この角万という蕎麦屋さんを推薦してくれていたので、食べに行ってきた。
「太い」「固い」と聞いていた。
DMくださった方も「田舎蕎麦を思わせる冷やし肉南蛮が美味しい」とのことであったので、これを食べてみた。

出てきた「冷やし肉なん」(こう略すみたいだ)を見た途端思ったことは、「私が打ったお蕎麦みたい」。←下手な人が打った蕎麦という意味
太くて幅が広くて、不揃いなのだ。
きしめんの半分の幅程のお蕎麦で、一見、うどんに見える。
(このお蕎麦を見た途端、「きっとこのお店は蕎麦専門でうどんはないのだろう」と確信をした。しかし、そこはそれ、浅草のお蕎麦屋さんにそんなことを聞いたら、怒られそうなので、確認はしていない)
その次に、山梨の田舎に行ったときに、出てきたお蕎麦みたいとも思った。
(田舎の蕎麦と言っても、蕎麦屋の蕎麦ではなく、おばあちゃんの家でおばあちゃんとかおばさんが打ってくれたお蕎麦であるが)
結局、このお蕎麦のシロウトっぽい打ち方が、この店の魅力なのかも知れない。
食べても、「田舎で食べたおそばの味」あった。

味はというと、お蕎麦の太さと濃いつゆの味とそこに浮かんだ脂ぽくないお肉と青葱が良い具合にマッチしていて、統一感があって美味しい。
ものすごく美味しいとか、究極ということとは別の範疇ではあるけれど、それなりに完成された味だと思った。
(どこが不味いとか、下手というのがなかったのだ)

食べている間中、調理場の奥の方から、お蕎麦を刻む音がして、「本当にお店で蕎麦を打っている」ことがわかる。
一言で言ったら、「打ちたての家庭的蕎麦の味」だと思う。

小さいとき、田舎で、不揃いの太いお蕎麦が出されると、実は心の中で、「お蕎麦というのは違うんだよね、もっと細くて揃っていなくては」なんて思っていて、実は美味しいと思っていなかったのだ。
東京の洗練された揃ったお蕎麦でなくては、「お蕎麦」という感じがしなかったのだ、不揃いの太いお蕎麦なんて、その「細くて揃ったお蕎麦」の出来損ないのような感じがしていたのだと思う。

しかし、大きくなってからは、そういう不揃いの太いお蕎麦もそれはそれなりに美味しいということがわかってきた。
ここのお蕎麦も、田舎蕎麦としては、まとまりがあって、本当に美味しいと思う。

ここは、わざわざ行くとなると、日比谷線三ノ輪の駅から歩いて15分くらいかかるかも知れない。
何かついでがあるときには、是非寄って味わうといいと思う。
冷やし肉南蛮で、800円。

冷やし肉南蛮は、「冷やし」と言っても、常温程度。
これが今の季節、人気のようで、入ってくるお客さんの殆どが、これを注文していた。

角万
(かくまんと読むのか、かどまんと読むのかさえもわからない)
03-3872-5249 東京都台東区竜泉3丁目13−6
浅草の大鳥神社の並び
定休日:日曜日



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2000年08月08日(火)

カツ代が聞く、九十一歳現役台所


MLで勧めてくれる人がいたので、題名の本を読んでみた。
この本の出版は、1996年12月だから、まだ、本屋さんで売られている本なのかも知れないが、本屋で見かけたことはなかった。
図書館を探したら、台東区にはなかったが、豊島区の池袋図書館にあった。

内容は、秋山裕徳太子という美術家の方のお母さんで、本ができたときの年齢91歳の秋山千代さんのお料理を食べながらのご本人とその息子さん・小林カツ代の対談というものである。

何でも、この秋山さん親子は、昭和11年にご主人と上の子を亡くしてから、ずっと二人暮しで、お母さんがご飯を作って来られた家庭だとか。
その秋山千代さんという方が、生まれつき料理が好きで、小さいときから、お母さんや叔母さんの料理を見様見真似で覚えて、自分なりに「美味しい物」を工夫してきた方なのだ。

読んでいて、この方の作る料理はきっと美味しいと思える。
やはり、料理が好きで、ずっと続けてきた人は、ただ、漫然と料理を義務としてやっていたわけではなく、楽しんで工夫して考えながら料理してきたので、その期間が長ければ長い程、美味しいはずなのだ。
こういう人は絶対にまずいものを作らないのだ、ちょっとしたお惣菜を作っても、平凡に見えても味が違うのだ、安心して食べられるだろうと想像ができる。
その感じが文章のはしばしから、にじみ出ている。

小林カツ代さんの
「味ってね、甘いとか何とか、味付けだけの問題だけじゃないんです。味が生きているの。それはお母様のながーい経験や、文化的な背景がこの味の中に入っているんですよ。なんて美味しいんでしょう。」 という言葉や、
秋山裕徳太子さんの
「下手な料理研究家というのは、自分流のマニュアルを人に押し付けるわけでしょう。これがうまいんだって、決め付けるわけでしょう。でも、料理のマニュアルって言われてもね〜。そこに作る側の精神性があるわけでしょう。年齢とか、状況、環境の絡んだ精神性。そうういう中で培われたものが料理を作るんだから。糠味噌ひとつに、その人の年齢、経験が全部は入っちゃうわけだから」という言葉。
う〜、耳が痛いけれど、本当だと思う。

読みながら、「こういう料理が食べたい、作れるようになりたい」と思う他、家庭料理の心のようなものが伝わってくる本であった。

「カツ代が聞く、九十一歳現役台所」
小林カツ代
秋山千代
千曲書房刊
1300円

昔、身近なお料理上手の人の家庭料理を食べると本当に幸せだった、また、食べたい、誰か近くにいないかと思うが、反面、もしかして、今私は、自分が作って食べさせる側の年齢だということを再認識してしまった。



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2000年08月09日(水)

岸朝子さん PartU


この前、岸朝子さんの半生を描いたテレビを見て、印象に残ったことがあった。

1.料理は、人に任すな
  岸朝子さんが、いつもお父さんに言われていた言葉だそうだ。
  「大人になったら、掃除と洗濯は人に任せていいが、料理だけは、他人に任せて
  はいけない、自分でやりなさい。命に拘ることだから」と言われながら、育った
  そうである。
  これは本当だと思った。
  食を大切にして、自ら自分と自分の家族の食事に気を配るということは、命とそ
  の人及びそれを食べる人の精神性にも大きく関係していると思う。
  それにしても、どうして今の時代、料理するのが面倒に感じることが多いのだ
  ろう、人間がやらなくてはいけないことが増えたのか、はたまた、人間が怠惰に
  なったのか、どちらだろう。

2.小さいときは、銀座のオリンピックへ
  私の父と岸朝子さんは、どうも同世代のようである。(関東大震災前後の生ま
  れ)
  岸朝子さんは、小さいとき、お金持ちのお嬢さんで、戦前、お父さんに銀座のオ
  リンピックに良く連れて行ってもらったそうだ。
  我が父も、お金持ちではなかったけれど、ハイカラなお父さんを持ったせいか、
  小さいときにご馳走というと、家族全員で銀座のオリンピックに食事に連れて行
  ってもらったことが自慢であった。
  岸朝子さんが、嬉しそうな顔をして、「小さいとき、父に、銀座のオリンピック
  に連れて行かれて、食べ方など習いましたの」と言うのを見ていたら、やはり、
  あの年代の東京の子供にとって、「銀座のオリンピックで洋食を食べる」とい
  うのはステータスだったのだなと改めて認識した。
  私の父が、私たち子供に自慢気に、「銀座のオリンピック」と言っていたとき、
  私が感じていた以上の自慢だったに違いないと思う。
  ただ、岸朝子さんの家は本当のお金持ちなようで、現在の三愛ビルにあったオリ
  ンピックよりもう一段高級な店にも連れて行ってもらったと言っていたから、、
  やはり、我が家より、相当経済的に恵まれた家だったのであろうと思った。

  岸朝子さんから発せられる「銀座のオリンピック」という自慢気な発音を聞い
  ていたら、久々父を思い出した。
  銀座のオリンピックは、今はもう閉店され、ない。
  このお店は、どうも大阪が本店のようで、大阪のお店はまだ続いているらしい。



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2000年08月10日(木)

甥1の入院


甥1は、命には関係ない小さな病気を手術しなくてはいけないのだが、この前の春休みは、手術直前に、りんご病という聞いたことのない病気になってしまい、予定が夏休みにずれている。

で、無事、今回、入院して、手術する予定が立ったのだ。

そこで、この子は、やはり可愛いと再認識した。
入院と聞いて、甥1が一番最初に考えたことが、「僕が退院してきたら、何を食べるか」なのだ。
「あのね、豚で脂身があって、みんみんの嫌いな料理、あれが食べたいから、帰ってきたら作ってね」とのことである。(もういい加減、「ポークソテー」という言葉を覚えろよな)
おばちゃんは、嬉しくなって、「沢山、作ってあげるから、帰ってきたら、お祝いしようね」と言った。

甥は、三泊四日程度の入院になるらしい。
しかし、私もお見舞いに行こうかと思っていたのだが、弟から、「お母さんが甥1に面会に行くとき、小児病等に甥2を連れていくことができないから、子守りをお願いする」と言われてしまった。
ま、私の母もいるからどうにかなると思うが、4日以上半日ずつ、甥2と面と向き合わなくてはならない。
何をさせれば、時間が潰れるか、今、色々考えている。
うち、一日は、昼ご飯も私が食べさせるとこと、お兄ちゃんが病気であることはとても可哀想だが、病気でない弟の方も、親の関心が病気の子の方にばかり行ってしまい、知らず知らず、可哀想な想いをしているかも知れないので、何かご馳走してあげようと思う。

甥1ちゃん、入院している間に、甥2だけのご馳走するけれど、病院で間違われないで、ちゃんと悪いところ直してもらって、出てきたら、あんたにもご馳走してあげるからねと思う。



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2000年08月11日(金)

雑学の本から 1/2


図書館で、食べ物に関する雑学の本を読んでいたら、面白いことがいくつかわかったので、書きます。
抜書きしてきたので、現在、その本が手元にないので、本の題名がわからないが、数年前に朝日新聞に掲載されたものを寄せ集めた本であったと思う。

1.低温殺菌牛乳
  <抜書きより>
  低温殺菌とは、62〜65℃で30分加熱。
  これにより、牛結核菌は死滅、但し、他の菌は生きている可能性あり
  強アレルギー性を持つ
  牛乳アレルギーの原因物質は主として乳精部分にある「ベータ・ラクト
  グロブリン」などの蛋白質で、それらは80℃以上で加熱すれば、消化
  し易くなり、アレルギー性は弱くなる
  以上により、乳児には低温殺菌牛乳を飲ませないこと

  以前、低温殺菌牛乳は、保存できる期間が短いと聞いたことがあったが、その
  理由が、高温で殺菌する場合より、菌が多く生き残っている可能性があるから
  だという。
  なるほど、だから、低温殺菌は、賞味期間が短いのだと納得しました。
  反対に考えると、こういう牛乳をすぐさま飲んでしまう方が、反って衛生的
  かなとか、再利用も不可能で、決して悪い面ばかりではないと思うのは、
  私が低温殺菌牛乳の味が好きだからだろうか?

  今まで知らなかったが、「乳児には、低温殺菌牛乳を飲ませない方が良い」と
  のことである。(乳児というのは、1歳以下の赤ちゃんのことだと思う。)
  こういうこともちゃんと知っておかなければ、事故に繋がると思った。



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2000年08月12日(土)

雑学の本から 2/2


2.蕎麦アレルギー
  蕎麦は、たで科で、アレルギー性の物質を含んでいるとのこと。
  これに弱い子供は多いけれど、子供はお蕎麦を余り食べないから、そ
  ういう症例が少ないと書いてあった。
  言われてみれば、幼稚園の頃、私は、お蕎麦を食べると頭が痛くなっ
  た思い出があり、な〜るほどと納得した。

3.牛乳の飲み方
  牛乳を消化できない人というのがいるそうだ。
  牛乳の蛋白質を消化する酵素がお腹にない人らしい。
  その雑学の本を本を読んでいたら、牛乳100に対してヨーグルトを25%く
  らい加えて混  ぜて飲むと、そういう人でも下痢しないで、牛乳を消化でき
  ると書いてあった。
  ヨーグルト25%加えたら、味も変わってしまうけれど、これはこれで、良い
  方法かも知れないと思うが、私は、牛乳が消化できるタイプなので、残念なが
  ら、実験できない。
  もし、これが本当なら、こういう飲み方をしたら、たいていの人でもカルシウ
  ムを牛乳から簡単に取れるかなと思った。(牛乳にアレルギーを持つ人はだめ
  だろうけれど)
  初め、25%で始めて、慣れてきたら、ヨーグルトの量を減らしていいそうだ。



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2000年08月13日(日)

オクラ


オクラをもらった。
私は、オクラを他所で食べたことはあるが、自ら料理したことはなかったのだ。

MLで食べ方を色々聞いて試してみたが、どれも美味しかった。
細く切ったオクラに、お醤油にかつお節、梅干し、味噌、なめ茸に海苔、納豆など、濃い味のものに和えて、ちょっとした小鉢風に食べるのが、長く食べ続けるコツかなと思った。
インターネットの料理HPで、「オクラ」で検索したが、このような軽い食べ方というのは出て来ず、主菜の材料の一つとして、オクラを使うようなものが多かった。
しかし、オクラというのは、MLで習ったような軽い食べ方の方が長続きしそうな気がする。
夏の夕食に、ちょっと青いものが足りないかなというようなときに、添えるのに適していると思う。

オクラの正しい処理というのが、良くわからないまま、食べてしまった。
「はじめての台所」的本で、オクラは、まず、塩でこすってから、熱湯で軽く茹でると読んだ覚えがあったので、その通りにした。
塩でこすっていると、表面に産毛のような細かい毛があるのがわかる。
しかし、塩でこすっても取れないようである、ま、これはおまじないかなと思いながら、一番最初に読んだ教科書の呪縛から逃れることが、塩でこすってしまう。(笑)

そして、茹であがった、これは、ほうれん草風に水に取るのが正解か、小松菜風に水に取らないのが正解なのか、ここも実はわかっていなかった。
結局、水に取って、冷やすのが正解だそうだ。
水に取らないと、余熱で余計柔かくなり、歯応えがなくなるそうだ。
オクラは、中が空洞で種が入っているだけなので、ちょっと茹でれば良いようだ。(初めての台所的本には、「緑色が冴えてきたら、茹で上がり」とあった。



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2000年08月14日(月)

オクラのルーツ


オクラは、一見日本の植物に見えるが、アフリカ原産らしい。
(MLで、アフリカ原産の植物だから、「おくら」と書くのは間違いで、常に「オクラ」と書くことが正しいという指摘があった。)
アフリカで何て呼ばれているのかわからない。
日本語のオクラは、英語のokraから来たものらしい。
アメリカ南部には、gumboというオクラ料理があるという。
フランス語の辞書を引いてみたら、オクラは、gomboだそうだ。
そして、その辞書には、「英語では、gumbo」と出ていた。

オクラは、英語では、二つ言い方があるらしい。
(英語のgumboには、オクラという意味の他、《米》ガンボーシチューを指すとあった。)
きっと、ヨーロッパでは、ガンボ、ゴンボと呼ばれて、アメリカに行って、オクラという名前が付いたのかなと想像するが、本当のところはわからない。
それにしても、オクラは、アフリカから、どのルートを渡ってアメリカに行きつき、そこから日本に来たのだろう。

オクラは、目立たないけれど、インターナショナルな野菜であると驚く。
オクラのどこにインターナショナルな要素があるかと考えると、味がひっそりしていて、濃い味となじむところ、それから、切ると、星型で可愛いところかなと思う。
日本に来たら、味噌、醤油、納豆、なめ茸といった日本ならではの食材に馴染んで、外人の「オクラ」さんではなく、帰化して、「おくら」さんという苗字になったようなところだろうと思う。



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2000年08月15日(火)

スモークサーモンのマリネ


ベターホームの家庭料理の中に、鮭のマリネのレシピがある。
これは、塩鮭から作るのであるが、「鮭はアニキサスなどの幼虫を持っていることもあるが、2日間以上冷凍すると死ぬ」とある。

生鮭からマリネを作れば、スモークサーモンから作る場合より安上がりだ、いつか作りたいと思いながら、買ってきてその日のうちに食べることのできない料理の材料というのは、中々買えないもので、いつも忘れ、未だに作っていない。

御徒町吉池の魚の新館に、スモークサーモンの切れ端が安く売られているので、それを買ってきて、マリネにしてみた。
野菜を切って、冷蔵庫で30分馴染ませたら、出来上がりだから、料理の時間としては、45分、しかも手を動かすのは、15分くらいか。
前の日に作っておいてもいい。
暑い夏に作ったら、冷たくて、家族に大受け、しかも、受けたのがどちらかというと、サーモンではなく、野菜であった。
今度、作るときには、野菜大目で作ろうと思う。(その方が安上がり)

この料理の良いところは、「塩・胡椒」を使わないことである、オリジナルレシピの塩鮭も私のスモークサーモンもある程度塩気を含んでいるから、必要ないのかも知れない。
食べてみて、塩気が足りているかどうか、確認する必要はある。

★一応の分量
スモークサーモンの切れ端 適当
レモン1個
玉ねぎ  中1/2〜1個
セロリ  1本
マリネ液
レモン汁+白ワインビネガー  大さじ2杯
サラダオイル         大さじ4杯
あれば、ローリエ       1枚

★作り方
1.レモンを絞って、汁を取る。
2.マリネ液を作っておく。(ただ混ぜ合わせるだけ)
3.スモークサーモンは、一枚一枚剥がしておく。
  スモークサーモンの量が少なかったら、小さめに切っておく。
4.スモークサーモンに、レモン汁を大さじ1杯振り掛ける。
5.セロリは、筋を取って薄切り、玉ねぎも薄切りにしておく。
6.セロリと玉ねぎの半分を混ぜて、お皿に敷き、その上にサーモンを並べる。
  その上から、残りのセロリと玉ねぎを乗せて、ラップをかけて冷蔵庫へ
7.30分で味がなじむとのこと、30分経つ間に、一、二度、上下を反対にする。

今、オリーブオイルが沢山あるので、オリーブオイルで作ってみたが、美味しかった。
本当は、レモンを絞る前に、輪切りの薄切りレモンを3枚切り取って、それを半月にして、玉ねぎなどに散らすとか、ケッパーとか、書いてあるのだが、え〜い、面倒くさい、どうせ、家庭のお惣菜よ、という風で、上に書いた以上のことはやっていない。
レモンの半月切りを入れるときれいだから入れたいと思うのだが、いつも忘れている。

お酢は、ワインビネガーでなくても普通のお酢でも大丈夫とのこと。
普通のお酢を使った場合は、白ワインを入れることが常道のように、料理本に書かれている、私はやったことがないが、これも味がマイルドになっていいかも知れない。



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2000年08月16日(水)

赤ピーマンのムース


四季の料理に、石井好子さんの「赤ピーマンのムース」の作り方が出ており、結構、簡単で美味しそうだったので作ってみた。
食べた感想は、「それなりに美味しい、でも、食事には合わない」であった。
これは、純然たるフランス料理らしいので、ご飯には合わないけれど、目先変わっているので、目先を変えたい、モダンなものをたまには作ってみたいというときに良いと思う。
但し、子供には向かないようで、甥1に少しなめさせたら、「うぇ〜」と言った、多分、ピーマンの味がだめなのではと思う。
しかし、味に保守的な大人たちは、結構、美味しいといいながら、食べていた。

味は、ベースがブイヨンの素を使っているので、ブイヨンの素と赤ピーマンの味と生クリームの混ざった味である。
塩も入れないが、コンソメに塩が入っているし、赤ピーマンは甘いので、味付けしなくても大丈夫なようだ。
ゼリーは、30分では固まってくれないので、半日とか1日前に作っておいた方が無難だと思う。
(本には、1時間で固まると書いてあるので、そんなに前に作らなくても良いようだ。
しかし、ご飯を作るのに、1時間半以上前に作り出すのはちょっと辛いので、現実的には、お昼にピーマンを煮ておくとか、前日に作り上げてしまう方が、楽だと思う。)
お菓子で生クリームを半分作って残ってしまったときにもいいと思う。

必要な道具  ミキサー

材料
4人前(130ccのグラスに90cc程度入れたのが、4つくらいできる)
赤ピーマン   大なら1個、小なら2個
コンソメの素  1個半程度
ゼラチン    3g
生クリーム   100cc

作り方

1.100ccのお湯にコンソメの素1個を溶く
2.ピーマンは4つ割にして茹でて薄皮を剥く。
  (と、簡単に書いてあるが、ちょっと茹でたくらいではピーマンの薄皮は剥が
  れない)
3.1で2を、水分がなくなるまで、煮て、冷ます。
  (この辞典で剥いたら、薄皮が剥けた)
4.別の鍋でコンソメスープを75cc作り、ゼラチン3gを熱で溶かしてから、
  冷ます。
5.赤ピーマンとコンソメスープを一緒にミキサーに入れて粉々にする。
6.生クリームを角が立つまで泡立てる。
7.5と6をまんべんなく混ぜる。(本にはシノワを使うと書いてあるので、網目
  のザルか何かで赤ピーマンを漉した方がいいかも知れない)
8.容器に入れて、ラップして冷蔵庫で冷やすと出来上がり。

私は忘れたが、3の段階で、飾り用にピーマンを千切りにしたものなどを切り取っておくと、格好がつくと思う。



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2000年08月17日(木)

甥1の入院前


甥1の入院前日の昼間、どうも家には、大人は私しかいなかったようだ。
甥1から電話がかかってきて、「まり、今、遊べる?」とのこと、入院前日だから付き合ってあげようと、おばあちゃんの家で一緒に遊ぶことにした。

甥1、甥2のやりたい遊びは、「お金持ちゲーム」という双六である。
このゲーム中に感じたのは、甥2も明日からお兄ちゃんが入院と思うとつい優しくなるようで、いつもより、寛容な態度であったことだ。
この子も、お兄ちゃんが不在となるのが淋しいのかと思う。
その前の日まで、全然心配していなかったのにね。

ゲームをやりながら、甥1がぽつんと呟く。
「今日、一杯の人いる?」と聞く。(今日、夜、お酒を飲みに出かけて、いつも通り帰って来ない人いる?という意味)
「いないわよ、おばあちゃんも田舎から8時半に帰ってくる予定だし、みんみんも真っ直ぐ帰ってくるから」と答えた。
「良かった、ほら、僕、明日、入院でしょう。だから、今日、皆の顔を見たかったんだ」と、おばちゃん泣かせのセリフをたどたどしく言うのだ。
誰が教えたわけでもなく、そうしろと言ったわけでもなく、自発的に、入院前日に、おばあちゃん・おばちゃんの顔を見たいなんて、本当に、この子はいい子だと、感激する。
(後で、母と妹にこれを伝えたら、同じように、「やっぱり、あの子はいい子ね〜」と感激していた。)
「でも、もし、今日帰って来ない人がいても、明日の7時半の出発には皆絶対起きて、送りに行くから」と付け加えた。
甥1は安心したようだった。

次の日の朝、7時半の甥1の病院への出発の時間になると、やはり、全員起きていた。
朝早かったから近所の人には全然会わなくて済んだけれど、143cmの男の子の回りを5人の大人と一人の子供が囲んで、バス停まで歩いて行った。
「みんな、待ってるからね、頑張ってね」と口々に言った。
甥1は、緊張した感じだった。
行かなくてはいけないとわかるから行くけど、本当は行きたくないんだよねという感じか。

すぐにバスが来て、甥1は、走り去るバスの中で、手を振っていた。

無事に手術が終わればと思う。
最近、医療ミスの記事が新聞に載っているが、良くなろうと入院して手術するのに、違うところを手術されたり、間違った注射されたら、本当に頭に来るだろうと思った。

命には関係ない入院でも、入院となると皆、淋しくなるし、色々心配になる。
本当に重い病気の家族は、心から心配であろうと思ったし、戦争のとき、召集される兵隊さんの家族は、軍隊なんかに行かないで、家でのんびり暮らさせてあげたいという思いで一杯になっただろうなんて、考えてしまった。

甥1、あんたは、命には関係ないのだし、ミスされないようにして、無事、早く帰ってきてねと思ったのだ。



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2000年08月18日(金)

ばあやの日記−食べ物編−


甥1が入院し、甥たちのお母さんが病院へ行っている間の甥2の子守りが始まった。
ちょうどお盆休みで母も手が空いていたし、ま、楽と言えば楽な子守りであったが、新しい発見も多かった。

私としては、甥2の味わったことのない味を教えてあげたいと思っていたが、お兄ちゃんが入院で、父母とも忙しい状況の中で、甥2が求めていたのは、新しい味より、いつもの味であったような気がする。
いつもは喧嘩ばかりしている兄弟でもいざ離れ離れになると心配なようで、甥2は、ずっと「甥1ちゃん、今頃、病院でどうしているかな」と気にしていた。
こういうときは、私の思う通りに行動するより、まずは、甥2の欲求を満たしてあげようと、彼が行きたいという店に行こうと方針を決めた。

食べ物の話だが、まず、不忍池にボートに乗りに行ったときのことであった。
いつもボートに乗りに行く前には、コンビニに行って、アヒル用のポップコーンを買うとのこと。
「僕んちはね、いつも、醤油バター味を買うんだよ」と言ったが、アヒル用だったら、まだ、塩味の方がアヒルの健康にいいと思い、「塩味にしよう」と提案して受け入れられた。
(それにしても不忍池のアヒルは、自然界のものを食べないで、人間が買ってくるバター醤油味なんていうものを食べ続けていたら、塩分と脂肪で、成人病になってしまうのではないかと思ってしまったのだ)
そのとき、「まりって、人間以外の健康にも気を使うんだね」と甥2が言うので、誉め言葉かと聞いていたら、後で、それはそうではないことがわかった。

また、甥2とは、2回二人でお昼を食べに行った。
一日目は、「普通のお寿司屋さんで、食べさせてあげたい」と思ったが、甥2は、回転寿司がいいという。
甥2お気に入りの回転寿司屋に行ったら、一皿均一130円のお店であった。
おばちゃんは、鰯とサバばかり食べていた、だって、普通の寿司屋でも安めのものを食べた方が、落差が少ないだろうと考えたのだ。
甥2のお気に入りは、赤身のマグロ、しかし、これをベルトコンベヤから取ると、お皿の底に冷凍マグロを解凍したときのドリップが溜まっている、甥2が気持ち悪いと言う。
で、マグロを握ってと注文した。
が、今度は、マグロが凍っていたのだ。
甥2は仕方がないから、凍ったマグロを食べていた。
しかし、とにかく、いつもお父さんとお母さんと一緒のときのお店に来れて嬉しかったようだ。

次回は、普通の安いお寿司屋さんに連れて行ってカウンターに座らせてあげようとたくらんでいるおばちゃんも、そのときの誘い文句は、「凍っていないマグロが出てくるお寿司屋さんに行こう」と言えばいいと思った。
ま、そんなに美味しくない回転寿司であったが、今度甥2を誘うときの殺し文句を思いついたので、良しとしよう。

もう一度は、「今まで行ったことのあるラーメン屋で二番目に好きな店に行きたい」というので鳥越の方に行ったが、お店がわからなかったので、末広町の「玄」という結構通には知られた店に行ってみた。
1時近かったけれど、5,6人の行列ができていた。
食べたのは、甥2がチャーシュー麺で、私が豚バラの煮たものが入ったもの。
全てが天然素材とのことで、さっぱりしていて美味しかったが、何か物足りないのだ。
もう一回来たい、ここでしか食べられないという特徴が感じられなかった。
しかし、結構、美味しくて、さっさか食べることができたし、おつゆは飲もうという気になる味であった。
甥2も結構満足だったが、彼の近所のラーメン屋ベスト3に入ることはできないそうで、ベスト4になるそうだ。
でも、「結構美味しい、悪くないんじゃない、行列ができるのもわかる」とう評価であった。



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2000年08月19日(土)

ばあやの日記−遊び編・浅草−


さて、甥2と家にいても、やることが少ないので、自転車で連れまわすことした。
一日目は、田原町の回転寿司屋に行くついでに、観音様にお参りして、「お兄ちゃんが早く退院しますように」とお祈りした。
観音様の境内は、鳩が沢山いて、皆、餌をあげている。
甥2に、「こうやると、鳩は飛ぶんだよ」と、自分の持っているバッグを上に振るように持ち上げることを見せた。
バッグを振り上げてもいい、手に持っている本とかハンカチを上に放ってもいい、どちらにしろ、上昇気流が起きると、近くにいる鳩は一斉に飛ぶ。(と言っても、上昇気流の強さによって、地上5〜60cmしか飛ばないときもあるが、皆、一応は、地面から離れる)
甥2はこれが気に入ったようで、鳩の真中に行っては、持っている袋を振り上げていた。
また、翌日、上野の山に行ったのだが、ここでも、鳩を飛ばして喜んでいた。
その次に、工芸館というところに展示を見に行ったが、ここは昔ながらの工芸品を展示してあるだけで、子守りには向いていなかった。
しかし、きれいな手絞りの帯あげがあって、私としては、「昔は、こういうものが家のたんすに有ったのだよね」なんて思い出して懐かしかったが、甥2にすると、「ここは昔作った物を展示してある場所?」という感じであった。
見るもの全て、日常の生活では見たことないものばかりのようであった。
甥2からすると、工芸館は、「骨董品の展示場」にしか見えないのかも知れない、「昔良く使っていたものだけれど、今でも作られているものの展示」と教えておいた。
他人のことは言えないが、日本人の暮らしというのは、ここ30年くらいで、本当に様変わりして、衣食住とも全て道具が総入替されたも同然だと思った。



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2000年08月20日(月)

ばあやの日記−遊び編・上野の山−1/2


次の日は、不忍池でボートに乗りたいという甥2に、「その後、上野の山に行って、下町風俗資料館と、国立博物館のエジプト展を見よう」と提案して、出かけた。

選んだボートは、昔式の手漕ぎではなくて、屋根とハンドルが付いていて、足で漕ぐタイプであった。
甥2はまだ子供で足が短くてどうにか、足のペタルに足が届くかどうかという状態。
私一人で大丈夫かしらと心配になった。
しかし、ボート代が高いのだ、30分で600円である、こりゃあ、何が何でも時間を超過しないように帰って来なくては、頑張ろうと心に誓ったのだ。
あてどもなく、そして、目的地を決めてもそちらの方向にうまく行くはずもなく、私が一生懸命漕ぐボートは池をさまよう。
アヒルは中々近寄ってこない。(というか、甥2のハンドル、私の足漕ぎでは、中々、目的のアヒルのところに辿り着かないのである)
え〜い、面倒くさい、とばかりに、遠くにいるアヒルに見えるように餌を撒いていたら、大分寄ってきた。
アヒルは、何を以って、餌が撒かれていると感ずるのであろう、匂いか、風の動きか、遠くの物まで見ることのできる視力があるのか、何だろう?
甥2は、寄って来るアヒルに餌をあげるのが面白くてたまらないという風に、餌を撒いたり、自分でも食べたりしていた。
子供とアヒルを見たり、からかったりしながら、漕ぎもせず、池の真中でボートを留めていると、涼しくて、静かでとても気持ちがいい。
私も甥2も満足な時間であった。
最後、後、5分となり、二人で一生懸命漕いで、どうにか時間内にボートから降りることができた。

その後、一休み。
この日は、出かけるにあたって、甥1の水筒にお水と氷を詰めてきたのが大正解。
ボート乗り場の休憩場で、甥1に冷たい水を飲ませて休ませる。(お水を持ってこなければ、120円ずつ、私のお金が減っていくところであった。)

さて、その次は上野の山だと、五條天神の横の急な坂を自転車を降りて登り、上野の山に入る。
上野広小路の方から上野の山の噴水のところまで続く桜並木が続いている。
葉が沢山付いている枝が道一杯に広がっていて、自転車で走り抜けると、顔に葉がくっつきそうになって気持ちがいい。
噴水の横を通って、奏楽堂の横を抜ける道を選んだ。
両脇の草むらには、ホームレスの人たちの青いテントが沢山あるのは、美観的にはいただけないが、噴水のところから奏楽堂の方に抜ける道は、他の場所に比べて自然が沢山残っているし、木が心なしか高いように感じられる。
高い木の上の方に付いている葉が太陽光線を遮ってくれるので、ひんやりとした軽井沢的空間のような感じがする、これはこれでとても気持ちがいい。
自転車で走り抜けるには、最高である。



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2000年08月21日(月)

ばあやの日記−遊び編・上野の山−2/2


下町風俗資料館の別館の吉田酒店に行ったら、ここは、殆ど展示物がないのだ。
ちょっと見て、全てが終わり、な〜んだ、主な展示物は、不忍池の方かとがっかりする。

だったらと、その近所にある愛玉子(オーギョーチー)という店に行ってみた。
愛玉子は、割とマスコミに取り上げられることの多い店で、ある場所はずっと以前からわかっていたのだが、一人で入る気がしなかったのだ。
今回は、良い連れがいたので、入ることができる。
外観も内装も本当にレトロ、昭和30年代に戻れる雰囲気の店である。

レトロなメニューを見ながら、私は愛玉子を、甥2はアイスクリームを頼んだ。
透明のガラスの器に、黄色いシロップの中にフニョフニョの寒天ぽいものが浮かんで出てきた。
食べて見ると、確かに寒天の食感ともゼリーの食感とも違う感じだということはわかる。
シロップはレモン味で、レトロな風味。
美味しいかと言われれば、う〜ん、別にそれ程でもないし、また、食べたいとも思わない、話のタネに一回食べれば十分と思ってしまった。
だいたい、ついてきたスプーンのメッキがちょっとはげていたのも何となく不愉快。
出されたお水も全然冷えていなかったのだ。
(そのお水は、甥2の水筒の中に補充してしまった。)

さて、休憩、終わり、上野の山を突っ切って、不忍池のところにある下町風俗資料館に向かった。

下町風俗資料館は、入場料が大人300円で、子供100円である。
お金を取るだけあって、今回は、色々展示物が沢山あった。
一階は、昔の長屋(駄菓子屋付き)と商家の建物があって、見学することができた。
甥2は、駄菓子屋に並んで展示されている駄菓子、食べても大丈夫かしらと気になったようである。
展示物だから、食べない方がいいと答えておいた。
(本当に子供がその気になって、大人の目を盗んで食べたとしても、人気がなければ、それがわからないと思った。
どうせなら、この駄菓子屋では展示だけではなく、買物ができて食べることができる方がいいと思う。)

二階は、色々な細かい展示物と、昔のカフェかな?所謂喫茶店を模した場所があった。
カフェでは実際に座ることができるのだが、皆既に人が座って遊んでいたので、座れなかった。

エノケンの写真など、懐かしいものが沢山あった。
「エノケンだ〜」というと、甥2が「エノケンって、だ〜れ?」と聞く。
「お笑いの人で、今でいうと、志村けんかな?」と答えた後、そうだ、そうだ、エノケンはお笑いだけではなく、歌も歌えたし、志村けんより、芸幅が広かったし、やはり、一緒にするのはちょっと違うかなと、「ううん、志村けんとはちょっと違って、歌も歌えて、面白かった人」と訂正した。
(今、考えてみると、エノケンの写真はあったけれど、金語楼の写真はなかったとか思う、結構、展示物に偏りがあるかなとも思うが、江戸から昭和30年代くらいまでの有名人とか流行ったものを展示したら、いくらスペースがあっても足りないであろうから、しょうがないかも知れない)
昔懐かしいものや、私も知らない昔の色々な展示物を甥2と話しながら見て回った。

この資料館には、昔の子供のおもちゃが置いてあり、おもちゃは、実際に使って遊ぶことができる。
あ、こんなおもちゃ、昔持っていたなんて、懐かしいものも相当ある。
甥2も気に入って、輪投げをしたり、色々なおもちゃで遊んでいた。(実は私も)

甥2曰く、「ここは気に入った」とのことである。
この資料館は、子守りに向いている場所である。

しかし、この日のヒットは、上野の山から不忍池に戻るときに、急な坂道をスピード出して自転車で降りたことである、甥2も私もこれが一番楽しかった。
甥2にこの日の感想を聞いたら、「今日は、つまらなかったことが一つもなかった」とのこと。
それは良かった、良かったと、子守り2日目も無事終わった。

書き切れないから省略したが、自転車で走りながら、甥2と色々な話をした。
一番難しかった質問は、「上野の山って、どこからどこまでなの?」というものであった。
「ほら、上野の山の回りには坂道が沢山あるでしょう?その坂道から上が上野の山」とか、適当に答えておいたが、実は私もわからないのだ。
不忍池とか、千駄木方面だと、坂があって、坂を上がれば上野の山だとわかりやすい、しかし、もっと北の方に行くと、果たして、上野の山の終わりはあるのか、わからないのだ。
誰に聞けば、正解がわかるのかもわからない。
どなたか、わかる方、教えてください。



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2000年08月22日(火)

家付き息子のお兄ちゃん


入院3日目に、病院に見舞いに行った。
お見舞いは何にしようかと思ったが、趣味の押し付けで、私が小学校の頃読んで面白かった「十五少年漂流記」を買って行った。
(女の子だったら、赤毛のアンか、若草物語をプレゼントしたのに、男の子には、この本とケストナーしかレパートリーがないのだ。) ま〜、読書にまるで関心のない甥1のことだから、10中8、9読まないとは思うのだが、万が一気が向いて、手に取って読んでみたら面白かった、読書が好きになるかも知れないという可能性も全くないわけではない、なんて、おばちゃんは期待してしまった。

食事制限も何もないお兄ちゃんはやたらに元気で、「早くうちに帰りたい、早くうちに帰りたい」しか言わず、やはり、入院のときには、「行かねばならぬ」ことが子供心にも理解できて無理矢理自分を励ましながら病院に行ったのだ、と思う。
頑張りはどうもそこまでだったようである。

また、入院前に「そんなに元気で入院したら、若さ持て余しちゃうね?」と心配していたが、本当に彼は、若さを持て余していた。

どうも病室を掃除に来たおじさんが、「坊やは、明後日には退院だ」と言ったらしく、「掃除のおじさんがそう言っていたから、僕、明後日には退院できる」と言って、お母さんに、「掃除のおじさんがそう言っても退院できないの、お医者さんがいいと言わなくてはだめ」とたしなめられていた。

甥1の期待通りには事が運ばず、予定通りには退院できなかった。
退院できないとわかったとき、甥1は、病院で思わず泣いてしまったそうだ。
(その姿を見て、他の子の付き添いのお母さんまでもがもらい泣きをしていたと後から聞いたから、結構、悲しそうに泣いたと思われる。)
甥1は、皆に頑張って来いと言われたのに泣いてしまったことを、約束違反だと感じたようで、私の妹がその後見舞いに言ったら、「僕、一回だけ泣いちゃった」と自ら打ち明けたとのこと。
そんなこと、言わなければ家の人にはばれないのに、この子は本当に素直で正直だね、隠し事ができない子なのだと、我が家ではその正直さを感心するやら、う〜ん、でも、もうちょっと世慣れて欲しいなんて、色々評判が立ってしまった。
彼の心の中では、「家にいるときの居心地の良さ」が絶対的で、それを維持するためには、「真面目に素直に家の皆に何でも話さなくてはいけない」と思っているのかも知れない。
もう「家に帰りたい、家に帰りたい」しか、甥1の頭の中には浮かばないようであった。
どうして家に帰りたいのか、と妹が聞いたら、「だって、家には、おもちゃが沢山あるでしょう、それから、みんながいるから」と答えたという。

甥1が余りに帰りたがっていたせいかどうかわからないが、無事、予定より2日遅くなっただけで、ようやく退院の許可が下りた。
退院の当日、勿論、甥1は喜び一杯で、上機嫌でピンピンして帰ってきた。
帰ってきてから、顔が甘ったるくなり、目がたれ目でトローンとして、しまりがなくなってしまったともっぱらの評判。
(ねじが一本はずれているのではないかと思う。)
どうも、残りの夏休みは、おばあちゃんにくっついて、呆けて暮らすつもりのようである。
何をしても楽しそうに行動している。

甥2もようやく、キャッチボールの相手、同じテレビ番組を見て同じ場面を見て一緒に笑い転げる仲間が帰ってきて、嬉しそうである。

しかし、1週間にも満たない入院であったが、ずっとベッドの上で暮らしていたので、どうも体が鈍ってしまったらしく、帰ってすぐに町内会のビンゴ大会に参加したのだが、すぐ疲れて帰ってきてしまったという。
(病院には、簡単な遊びならできる場所もあったのに、甥1は一度も行かず、友人も作らず、ずっとベッドの上にいたようだ、ただ、ただ、頭の中には、「家に帰りたい」という思いしかなかったのだ。)
人間は、身体を毎日適度に動かさないと、体力が落ちるのだと、改めて感じた。

さて、お兄ちゃんは元気で戻ってきたし、これからは、落ち着いた生活が送れるわいと喜ぶ我が家であった。



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2000年08月23日(水)

パルミジャーノの冷凍


休みの期間中、お昼を母と一緒に食べることも考えたが、短期間であれ、二人でご飯というと、お互いのペースを壊してしまうようなので、別々に食べることにした。
そこで、思いつくのは、家族と一緒では作ることのできない料理である。
簡単で美味しくて、私が食べたいと思うのは、アーリオ・オリオ・ペペロンチーニである。
前にも書いたが、これは、とても美味しい。
にんにくの風味、トウガラシの辛さ、オリーブオイル、そして、ナチュラルなパルメザン・チーズを振れば、もう、天下一品のご馳走になる。

ただ、ナチュラルのパルミジャーノは、一人で一食分使ったとしても余ってしまうし、その保存方法が良くわからなかったのだ。

チーズの本などを見ても、チーズの食べ方は出ているが、長期の保存法など載っている本はないと思う。

で、かつお節だって、粉にして冷凍してしまえば、酸化されることなく保存できるのだから、パルミジャーノだって、同じではないかと実験してみた。

ぜ〜んぶおろして、残った分をビニール袋に入れて、冷凍したのだ。
冷凍4日目で、使ってみた。(冷凍庫から出して、すぐ、スパゲティに振りかけた)
微妙なところで、冷凍していないものに、風味が劣るとは思う。
が、それが大きな違いかというと、結構、食べられると思うのだ。
少なくとも、粉チーズとして売られているものよりは、断然美味しいし、フレッシュな味に近い。



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2000年08月24日(木)

参鶏湯(サムゲタン)


最近、母が誰かの自転車に置き忘れているお財布に気がついて、持ち主に届けたことがあった。
そうしたら、その自転車の持ち主が韓国料理店経営者だったので、我が家に参鶏湯が届けられた、ラッキー!である。
そして、届けてくださったときに、「何分煮て」とか、教えてくださったようなのだが、私が不在で、また聞きだったので、どうやって食べればいいのか、よくわからなかった。
その後、料理本を見たり、MLに聞いたりして、どうにか食べた。

残念ながら、我が家では、名前は知っているものの、参鶏湯を食べたことのある人は誰もいず、妹がテレビのスマスマで最近見たとのことであった。
(私も韓国グルメツアーか何かを紹介する番組をずっと前に見たことがあったような気がする。)
料理屋さんで食べるのなら、食べ方を聞きながら食べることもできる。
我が家は、誰も見たこともない、食べたことのない料理を温めて食べるのに、結構苦労してしまった。

しかし、大変美味しくて、また、食べたいと思ったのだ。
どんな味かというと、意外とさっぱりしているが、高麗人参の味がして、「薬膳の効果」が期待できて、身体の中が芯からきれいになり、元気が出そうな味であった。
(薬臭いという程の匂いも味もなく、どちらかというと、美味しさが全面に立って、後ろ側に薬膳の効果が期待できるという味であった。)
参鶏湯は、鶏のお腹の中に、もち米、高麗人参、ナツメなどを詰めて、お湯で3〜4時間煮たものだと本に書いてあった。
もらったものは、大きなビニール袋に丸ごとの鶏一羽とスープであった。
鶏に頭とか、足先がついていたら、どうしようと思ったが、頭も足先も付いていないのでほっとした。
頭はなかったが、首つるは、ついていた。(食べてみると、この首つるについているお肉がとても美味しかった。)

直径21cmのお鍋に両方をあけると、鶏はお鍋から足がちょっとはみ出しそうな大きさで、スープは横にした鶏の高さの1/2しかなかった。
下手にお水を入れると、味が薄くなってしまい、本来の味が変わってしまうような気がしたので、お水を足すことはしないで、ひっくり返しながら、10〜15分程度煮て全体を温めた。
母が再度、料理店の人に聞いたもののメモがあり、「お腹を切って、更に5分煮る」と教えてくれたようなので、お鍋の中にある鶏のお中に、ペティナイフを入れて切ってみた。
初めは骨に当たって中々切れない、そうか、ここが肋骨かしらなんて思う。
下の方にナイフを運んだら、無事、お腹を切ることができて、中から、もち米が出てきた。
詰め物をしてあるといっても、鶏全体の大きさから言ったら、結構、お腹に詰まっている詰め物はそんなに多くはないのだと、感じた。
もち米は固まっていたので、ほぐしてみると、中から高麗人参が出てきた。
高麗人参を芯にして、もち米を詰めたのかなと思った。
もち米が固まっているということは、もち米が温まっていないから起きる現象のような気がして、箸であらかたほぐしてしまった。

さて、食卓に出して、母と分けて食べた。
スープに塩味はついていず、自分で食卓で塩を振って好みの塩加減で食べるものだそうだ。
とっても美味しい、高麗人参の香りと味、鶏肉の味があいまって、さっぱりしているのだけれど、栄養のありそうな味と香りなのだ。
しかし、食べているうちに、丸ごとの鶏だから、ローストチキンの場合と同じで、大勢で食べる場合、ももが当たる人と手羽が当たる人が出来てしまうし、首つるは一本しかないし、結構、大勢で食べるには気を遣う料理ではないかと思った。
MLで聞いたところによると、本場韓国では、ひな鶏を使い、一人で一羽を食べるのが普通なのだそうだ。

韓国料理の本などには、骨を外して食べるとあったが、骨にしゃぶりついて食べた方が美味しかった。
環境が許すなら、この料理は、骨にしゃぶりついて、食べる料理だと思う。



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2000年08月25日(金)

参鶏湯の残り物のおじや


我が家は、鶏肉を好きな人が少ないので、1/3程度の参鶏湯が残った。
翌日のお昼にこれに水を足して、冷やご飯・塩を入れて、おじやとした。
二回目の煮直しということもあって、昨晩のような高麗人参の香りなどはしなかったが、鶏肉のふくよかな味のおじやとなって、これはこれで美味しかった。
もうすっかり肉は骨から自然に離れるくらいまで煮あがっており、我が家で食べなかったところは、骨とちょっとお腹に残っていた内臓、大きな皮くらいで、本当に鶏一羽、きれいに食べてしまった。
スープも一滴も無駄にしなかった。

参鶏湯は、日本で食べると、一羽3千円くらいするという。
韓国料理の店に食べに行ったときに、持ち帰りで買ってきて、家で2回に分けた方がお得な料理だとつくづく思った。
(外では食べたことはないが、きっと、外で食べると、骨に肉が残ったり、スープをすくい切れなかったり、結構、残すのではないかと思うが、そんなことはないのかな?)

食べ終わった翌日、気が向いて、調理学事典で、参鶏湯を引いてみたら、この料理は、烏骨鶏(ウコッケイ)という鶏で作るとあった。
我が家でいただいた鶏は、多分普通の鶏だったのではないかと思う。(私は、烏骨鶏を食べたことないので、よくわからないが)
高麗人参、ナツメなどでも、十分薬膳の風味で美味しいのに、烏骨鶏が加わったら、どんな味だろう、是非、いつか、食べてみたいと思う。



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2000年08月26日(土)

かぼちゃの甘煮と甘辛煮


親戚から大きなかぼちゃを送ってきてくれたので、かぼちゃの甘煮を作ることにした。
参考にしたのは、ベターホームの「かあさんの味」である。
かぼちゃの煮物としては、いとこ煮というあずきと一緒に煮る料理があるのが、私がいとこ煮を最初に食べたのが、相当年を取ってからであったせいか、どうも好きになれない。
ベターホームの煮方を参考にして、ビタクラフト鍋で、保温効果を利用して煮たら、大成功。
今まで色々保温効果を利用した煮物を作ったけれど、かぼちゃが一番保温料理に適しているような気がする。
初め、出汁と砂糖とかぼちゃを入れて沸騰してから5分くらい弱火で煮て、火を止め10分くらい蓋をしてそのままにしておく。
その後、塩と醤油を足して、また、火にかけて、全体に塩分が行き渡るように、2,3分煮てからまた火を止め、食べるまで蓋をして置いておいた。 
かぼちゃを煮るのに、まず砂糖で煮含めて、その後、塩味をつける煮方、そして、保温効果のあるお鍋で煮ることは大正解であった。
母から絶賛され、今度から、カボチャを煮るのは私の仕事になりそうである。

材料
かぼちゃ 300g
出汁   200cc
砂糖   大さじ1/2
醤油   小さじ1弱
塩    少々

かぼちゃの皮はところどころ剥いて、縞々な感じが良い。
砂糖の量は、このとおりでいいが、醤油の量は好みである。
甘煮といいながら、この醤油の量では我が家には不向きなので、小さじ3杯くらい入れてしまった。



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2000年08月27日(日)

浅草橋シモジマラッピング講習会−初級参加−


夏休みだったので、前から行ってみたいと思っていたシモジマのラッピング講習会に参加してみた。
思いついたのが家だったので、シモジマのHPで日程・費用等を確認して、電話して申し込んだ。
参加申込書をファックスで送ってきたので、それに必要事項を書いて、ファックスで送り返した。
費用は、講習会の前日までに、シモジマのどこの売り場でもいいから、前払いするよう言われた。
で、五号館に行ってお金をレジで払おうとしたのだが、どうもレジ係りと講習会係りの連携が良くなく、レジの人が電話で本部に電話してどうしたらいいのか聞いたり、私がちゃんと申し込みをしているかどうか確認したり、結構時間がかかってしまった。
実際の講習会は結構丁寧にキチンと教えてくれて好印象があるだけに、ここらへんの不手際が残念である。

会場は、浅草橋西口から歩いて5分くらいのところにある台東区の施設で、新しくてきれい。
講習の時間は、2時間で、3種類の包み方とリボンのかけ方を教えてくれた。

包み方
・斜め包み
・合わせ包み
・ふろしき包み

リボンのかけ方
・普通のちょうちょ結び(十字)
・   〃       (リボンが右上と左下に斜めにかかる)
・ちょうちょ結びのリボンが全て表になる結び方

講習に使う道具とリボンと包装紙は用意されているし、手ぶらで行けば良い。
(帰りには、出来上がったラッピングの見本を入れる紙袋と、練習用にと何枚か包装紙をくれた。)

先生が、前でホワイトボードに包装紙を磁石で止めて、その上で、生徒の向きと 同じ向きで包み方を教えてくれるのでわかりやすかった。
欠点といえば、これで3千円は高いか、高くないかギリギリのところという 感じのところ。(2千円だったら、文句なしだと思う。)

他、中級が3種類あって、もっと複雑でオシャレな包み方も教えてくれるようだが、初級を習った感想としては、「この3種類を知っていれば、ま、実生活で必要なラッピングの殆どは網羅できる」。

今までわからなかったことも少しわかったし、
例えば、
・日本の習慣では、祝儀不祝儀では、包むときの箱の置き方が異なる
・裏表のあるリボンの場合の全てが表側が出るちょうちょ結びのやり方
・ラッピングでは実はこれが大切なのですが、包装紙の大きさの割り出し方
など、な〜るほどと、感心して習ってきた。

あの講習会で、ラッピングが上手になったかというと、それはない。
基礎はわかったけれど、上手になるためには、自分で練習しないとだめだと確信した。

やっている最中、要所要所で先生と助手さんが生徒の間を回ってくれて、正しい かどうか見てくれるので、その2時間で出来上がった3点の作品が、今後の役に立ちそうである。
商売で毎日包む人は今後も練習できるからすぐに上手になるだろうけれど、たま にしかやらない私は、きっと、その3点の作品を見ながら、思い出しながらやる ことになるだろうと思う。
他、包み方のマニュアルもくれた。

1ヶ月に1回、平日の午前中ですが、初級の講習会を行っているようだ。
講習会の内容等、下記ページに載っている。

http://www.shimojima.co.jp/wrapping/wrap04.htm←ここをクリック




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2000年08月28日(月)

特撰素材の素麺 吉井素麺 −1分茹での素麺−


2,3週間前のどっちの料理ショーで素麺が勝った。
で、その次の日に合羽橋の蔓藤さんへ行ったら、なんとその素麺がレジのところに後4つ「昨日、どっちの料理ショーで買った素麺です」という札ととも並んでいたので、つい300gで500円を2袋買ってしまった。

で、食べてみたが、思いの外、茹で方が難しかった。
どこが難しいかといえば、「茹で時間が1分」であるということだった。
茹で時間が1分ということは、勿論、麺は細くて繊細、そして、1分を少し超しただけで、茹で過ぎになってしまうのだ。
(10秒茹で過ぎたとしても、茹で時間3分の素麺に対する影響よりも、1分の素麺に対する影響の方が大きい)

一回目は、余り何も考えないで、いつもどおりに茹で始めのときに適当にかき混ぜただけで、後はかき混ぜずに茹でたら、麺が固まったところが何箇所か出来てしまった。
また、時間ギリギリのところで、一本取り出して、固さを見ていたら、時間は1分をちょっと超過してしまい、柔か過ぎて茹で上がってしまった。
「本当にこれが特撰素材?」と疑うような仕上がりであった。
確か、蔓藤さんの人も、「この素麺は、油を全然使っていなくて、本当に美味しいですよ」と言っていたのに、全然美味しくないのだ。
しかし、それはそれ、どっちの料理ショーを仕切る辻調理師専門学校の腕と食材を見極める眼を信じる私は、「そうだ、自分の茹で方が悪いのだ」と、素直に反省した。

二回目は、心して茹でてみた。
普通3〜4分茹での素麺だったら、「茹ったかな」と鍋から一本取り出して食べてみるが、1分茹での場合、こんなことしていたら、伸びて茹ってしまうのだ。
固かろうが、柔らかろうが、とにかく、きっちり1分経ったら、火を消して、素早く冷やす作業に移らねばと心する。

お湯が沸騰した頃に、大き目のボウル2つに、普通の温度のお水と氷水を用意し、キッチンタイマーを1分に合わせておく。
さ〜、お湯も沸騰したし、勝負だと、素麺を入れて、箸でかき混ぜながら、キッチンタイマーのスタートボタンを押す。
この素麺は細くて繊細だから、1分茹でている間、ずっとかき回しておいた方がいいと、ずっとかき混ぜていた。(素麺の数本固まったものというのは、不味いから)
あっという間に一分が経つ。
さて、ここで素早く冷やさないと、すぐに余熱で伸びてしまう。
流しでざるに麺を空けてお湯を切り、普通の温度のお水が張ってあるボウルにざるごと一旦入れた後、ぐるぐるっとざるを回した後、その熱くなったお水を捨て、水道のお水をじゃーじゃーかける。
手で麺をほぐしながら、まんべんなくお水が当たるようにして、余熱と取り、熱いところがなくなったので、ごしごし洗って、氷水の中に入れて、ひと呼吸置いて冷やして取り出し、ざるに押し付けて水を切る。
ふ〜ッ。
今回は成功、ちゃんとこしのある値段どおりの、こしのある美味しい素麺を食べることができた。
しかし、こんなに1分茹での素麺の茹で方が難しいとは思わなかった。

余談であるが、親戚から、素麺を食べるときに、ちょっとゆがいたオクラの刻んだものを添えると美味しいと聞いたので、真似してみたら、本当に美味しかった。
素麺にオクラ、今後我が家の定番になると思う。



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2000年08月29日(火)

美味しい黒蜜


それは偶然であった。
野崎洋光さんの野菜料理の本を借りてきて、見ていたら、かぼちゃを使った「氷室羹」というお菓子が美味しそうだったのた。

で、その中の氷室羹というかぼちゃの料理を作りたくなったのだが、最後に黒蜜が必要だったのだ。
勿論、本には黒蜜の作り方も載っていたのだが、面倒なので、黒蜜のできあいを安く売っている御徒町の多慶屋に行ったのだが、残念なことに売り切れであった。
自分で作るのは面倒だが、他の店で高いお金を払って、多慶屋で買うより高く黒蜜を買うのが嫌やだったので、売り場にあった沖縄産の黒砂糖を買ってきて、自分で作ってみたら、これが、絶品でものすごく美味しかったのだ。

野崎洋光さんの本に載っていた黒蜜のレシピ

材料
   黒砂糖 150g
   上白糖 130g
   水   200cc
   酢   大さじ1杯
   水あめ 大さじ2杯

作り方
全てをお鍋に入れて、煮溶かす、そして、アクを取れば出来上がり

黒砂糖以外の材料は家に揃っていたし、黒砂糖だって250円であったし、こんなに簡単でいいのかというくらい、簡単に出来上がった。(煮詰めることもしなくていいようだから)

で、出来上がって、味見したら、やたらに美味しいのだ。
高級な甘い物屋の黒蜜の味、これを食べたら、もう多慶屋で黒蜜の出来合い品は買えないと思う位、上品で美味しい味であった。

これを使って色々な和菓子を作ろうと思う。

MLで聞いたら、野崎さんのレシピのように「上白糖やお酢」を使うレシピというのは珍しいそうである。
黒蜜は、「黒砂糖に水を入れて煮溶かす」作り方が一般的なレシピであるとのこと。

何か、こんなに在り来たりのどこにでもある食材で、こんなに簡単で、こんなに安上がりで、こんなに繊細で上等な味のものが作れて「私って、もしかしたら、お料理上手?」なんて思えて本当に幸せな気分、野崎洋光様、様である。

もしかして、和菓子屋さんや甘い物屋さんだったら、絶対にシロウトには教えないレシピではないかと想像するのだ。
(だって、あんなに簡単に、老舗の味が作れるなんて、絶対に公表できないと思う。)
野崎さんは、和食の人だから、載せたのかなとも思うし、野崎さんのオリジナルとも思えるし、よくわからない。
でも、お値打ちレシピであることは間違いない。

実際にこの黒蜜を使ったお菓子については、また、明日。



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2000年08月30日(水)

あんみつと豆かん


野崎洋光さんの黒蜜を実際にあんみつなどに使ってみた。
トータルで評価すると、野崎さんの黒蜜は、豆かんというのか、「寒天+赤えんどう豆+黒蜜」という組み合わせで食べた方が、アイス・餡入りのあんみつより、マッチしていて、美味しかった。

まずは、使ったパーツについて

 餡
   安物の業務用の大きな缶詰。
   これは失敗、美味しくないのだ。
   餡は、小豆が命だから、やはり、質の高いものを買うべきであったと反省
 アイスクリーム
   これは、自分で作った方が簡単で安いと作ってしまった。
   しかし、自家製のアイスは、美味しいけれど、粒子が粗いので、溶け易く、蜜
   の味を濁してしまった。
   但し、アイス自体は美味しいので、お代わりを所望する声が多かった。
 赤えんどう豆・寒天
   これは、MLで習って合羽橋道具街から2,3分行ったところにある「会場
   (あいば)商店」というところで仕入れてきた。
   120gで160円、これは美味しかった。
   また、ついでに寒天も買ってきてしまったが、ここの寒天は、天草から作って
   いるとのことで、美味しい。
   会場商店
   住所 東京都台東区松が谷4−27−15
   電話 03-3844-5442

野崎さんの黒蜜は、単独で舐めたときが一番美味しい。
次が、豆かんというもの。(実は、私は豆かんを見たこともなければ食べたこともないから、どうも、「寒天+赤えんどう豆+黒蜜」を豆かんと言っていいものか、自信がない)
豆かんにするととても美味しくて、2,3日続けて食べてしまった。
黒蜜も、冷蔵庫に保管しておいたのだが、日にちが経つと、お酢臭さが抜けて、まろやかな味になることがわかった。
(と言っても、出来たばかりも決してお酢の匂いが強いわけではない。ただ、アイスと合わせるとお酢の匂いが若干気になるような気がした。)

出来たても美味しいし、数日経ってまろやかになったのも美味しい。
これだから、一回作って一回だけ食べたのでは、新しいレシピの評価はできないと思う。



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2000年08月31日(木)

東京駅八重洲大地下街 成城石井


台東区南地方には、アメ横と合羽橋があって、築地にも都心にも近くて、結構満足なのだが、高級スーパーがないことだけが不満なのである。
高級スーパーというのは、高級住宅地にできるようなもので、商業地域の台東区に住む私が望むことの方が間違っているとは思う。
しかし、できたら、紀ノ国屋か、成城石井が近所にあればと思う。
一番近い紀ノ国屋や青山だし、成城石井は、恵比寿であり、そうそう行けるものではなく、指を加えているのだ。

しかし、先日、インターネットで知り合った人から、東京駅の八重洲大地下街に成城石井がオープンしていると聞いて、大喜び。
先日、実際に行って見て来た。(何も買わなかった)
広さはまあまあ、渋谷東急の成城石井よりちょっと大きい感じかな?

私は、MLにチーズに詳しい人がいて、その人の指導の下、徐々に「チーズの美味しさ」に目覚めているので、高級スーパーに何を求めているかというと、安くて種類豊富なナチュラル・チーズなのである。

チーズ売り場を見たら、「ピエ・ダングロワが格安だ」とびっくりしてしまった。
私が上野のデパートで1200円で買ったのとまるで同じ品物が、何と、630円!
え〜、信じられないとショックを受ける。
その前に日本橋高島屋も見たけれど、八重洲地下街と500mも離れていない高島屋でも1180円であった。
どうして、こんなに安いのだろう、チーズなら、成城石井がお買い得と思った。
冬になったら、ヴァシュラン・モンドールはここに買いに行くことを心に誓ったのだ。

場所は、東京駅から行くとして、八重洲北口を出ると、国際観光会館の隣に地下街に入る階段があるので、これを降りて、まっすぐ進む。
上を見ていると、いろいろな掲示板があって、北4という文字が見えたら(左側が栄松堂という本屋のところ)、そこを右に曲がってちょっと行った右側。



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