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「美味しい!」が好き

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2002年09月01日(日)

緑豆


この前、鴻運で食べたバナナと緑豆のお汁粉を作ってみたくて、緑豆を買って来た。
確か1kgだと思ったが、アメ横で300円であった。

持っている料理本、インターネット、MLで聞いた知識で二度茹でてみた。
(バナナと緑豆のお汁粉は、余り出来が良くなかったので、レシピとしては書かない。)

中国料理系統の本を見ると、緑豆は、1時間水に浸すことになっている。
インド料理系の本では、水に浸さなくても良いようなのだ。
その後は、同じで、30分強火で煮て、その後1時間は弱火で煮るというもの。

初めて 中国風に、バナナのお汁粉の材料として戻す

時間がなかったので、1時間水に浸けた後、30分強火で煮た後、保温状態で翌朝まで置いておいた。
良く煮えてはいた。
しかし、これをお汁粉にしたら、浮いている皮に若干渋みがあって、美味しくなかった。
そう言えば、本に、弱火にしたら、浮き上がってくる皮を取ることとあったけ。

2度目 緑豆のカレーでも作ろうと思って

お水に浸けないで、そのまま、30分強火で煮た。
2カップに5倍のお水で煮出したのだが、30分したら、お水が殆どなくなっていた。
そして、豆も柔かくなっていれば、皮も取れている。
(別に水に浸けておかなくても大丈夫のようだ。)
水を足して、網じゃくし(打ち抜きではなくて、金網状態のもの)で、すくうと、面白いように皮が取れる。
これだったら、初めから、皮を剥いてある緑豆使った方が早いかなと思うのだが、値段のせいか、皮と実の間に美味しさがあるのか定かではないが、本には、皮付きの緑豆使用と書いてあった。
(それに、インド料理の本には、皮を取るだとか、アクを取ることも載っていなかったのだが、すっきりさせたかったので、粗方取ってしまった。)

しかし、カレーは評判悪かった。

そのカレーは、インドカレーの作り方には、緑豆・ギー(ないからバター)・香辛料・水で作るのだが、味見すると、どうも味が足りないので、チキンブイヨンの素を入れてしまった。
食べてみると、具がないので、物足りないところはあるが、私は豆の味がして美味しいと思ったが、母は「変な味がする」と言って、不味そうに食べていた。
妹も気に入らないみたい。(この二人は、舌の感覚が似ている。)
う〜ん、こんな状態では、二度と、緑豆のカレーは作れなさそうである。

それにしても、舌の感覚や美味しいと思う傾向の人が家族にいず、少数派であるということは結構辛い。

お父さん、何で、私を置いて、先に死んだの?と、つい、呟いてしまった。(笑)

さて、まだ、緑豆は残っている、どうしたものか?


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2002年09月02日 1/2(月)

甥たちとデート


甥たちの夏休みが終わりそうなある日、せめて一年に一回はおばさんらしいことをしてあげようと、映画に連れて行くことにした。

去年も、映画見て、何か美味しい物を食べさせてあげようと、千と千尋を見に行ったのだが、映画は好評だったのだが、見終わって疲れてしまったらしく、「外で食べるより、マクドナルドでハンバーガー買って家に帰って食べたい」と甥1が言い出してしまった。

だから、今年こそ、去年連れて行けなかったアメ横の「アーグラー」に甥たちを連れて行きたかったのだ。

前以て誘うと、二人とも、「行く!」と良い返事。
何でも、その日の午前中はプール教室に行きたいから(皆勤賞がかかっているそうだ)と、2時半の回の映画を見ることとし、その前に、カレー屋さんに連れて行くことにした。

この子たちの可愛いところは、おばちゃんたちが「美味しいから食べに行こう」と誘うと、絶対拒否しないで、付いて来るように、成長したことである。
小さいときから、美味しい物を色々与えていたせいか、「一応、付いて行かなくては損」と思うようになっていると思う。

3人で、家から自転車で、アメ横に向かい、自転車を適当なところに駐輪させ、さて、さて、アメ横ガード下2階のアーグラーに入った。

着いたのが、12時半頃だったので、カウンターしか空いていなかった。
このお店は、カウンターから良く見える厨房に、インド人の男性のコックさんがが3人いて、フロアは日本人の男性と女性であった。
以前このお店に来たときは、インド人たちは楽しそうにおしゃべりしていたが、その日は忙しいのか、黙々と働いていた。

カレーは、羊、鶏、キーマ(挽肉)、ほうれん草ともう1つ何かあった。
甥たちは、鶏を選び、私は、豆のカレーがなくなっていることでがっかりしながら、ほうれん草に決めた。(お店の人に、「豆のカレーはないのか?」と聞いたら、「夜はあります」とのこと。前はあったのにというと、「前からありませんでした」という返事。私がここに最後に来たのは昼のランチであったが、この店員さんはそれ以降勤め出した人かも知れない。)

辛さは、五段階で、「1.普通の辛さ 2.やや辛い 3.相当辛い 4.汗が出るくらい辛い 5.インド人もびっくり」と表示されており、甘い物好きの甥1が1、甥2が2、私が3と決めた。

カウンターで作るのを見ていると、厨房の人が私たちのナンを焼き終わっているのに、それにカレーやサラダをセットするフロア係りの人が手間取っているから、ナンが冷めていくのがわかって、ちょっと興冷め。
チョイスで、シシカバブとタンドリーチキンが付くのを選んだのだが、それらは、プラスチックの入れ物から皿に移されているのが目にはいる。
あ、焼き立てではないのね、ま、ランチだから、しょうがないかと、若干諦めの心境になった。

それでも、いざ、カレーが着たら、甥たちは、美味しそうに大人しく食べ出したので、一安心。
ほうれん草のカレーは、美味しかったけれど、やはり、豆のが食べたかったな。
甥2は、「美味しいことは美味しいけれど、やはり、2は辛いから、今度から1にする」という感想を述べながら、食べていた。

二人とも、シシカバブもタンドリーチキンも美味しそうに食べていた。
(シシカバブもタンドリーチキンも、生温かくて、美味しく食べられたが、やはり、焼き立てには劣っていた。)

そんな時、入口から、コック姿の別のインド人が入ってきた。
厨房のインド人たちの友達らしく、その人が入ってきたら、インド人4人で、何を話しているのか全くわからない言葉で、楽しそうに、話し出した。
カウンターで食べている日本人達は、皆、黙々と言葉を発しないで、カレーを食べていたから、私たちの耳に聞こえてくるのは、インドの歌謡曲と思われる女性ボーカルのバックグラウンドミュージックと、何語だかわからないインドの生の会話だけ。
甥たちは、目を白黒させるというとこまでは行かなかったけれど、ちょとびっくりした様子で、「こんな世界もあるのかな〜」という表情であった。

それにしても、この子たちは、良く食べた。
私は、ナンとライス半々タイプを、甥1はライスのみ、甥2はナンのみを取ったのだが、甥2は、私のライスも食べるくらい、食欲が旺盛だったが、ほうれん草が苦手なのか、私のカレーも食べてみたいとは言い出さなかった。

甥2は、このアーグラーのことを、「アメ横の美味しいカレー屋さん」と表現した。
甥1に、「美味しかった?」と聞くと、「ま〜ま〜」との返事。
この子は、甘い物意外に、「美味しい!」という言葉を使うことは滅多にないことはわかっていたし、おばちゃんは、甥1がサラダもご飯もカレーも何も残さず食べていたことを知っていたから、脳から「美味しい!」という言葉を発せ、という命令は出なかったけれど、それなりに満足しているのがわかった。



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2002年09月03日(火)

甥たちとデート 2/2


さて、カレーを食べ終わって、まだ、2時半まで相当時間があった。
甥1が、「スポーツ用品店に行って、野球の道具を見たい」と言い出した。
場所はわかっているとのことで、彼らがお父さんといつも買いに行くお店に案内してくれた。
アメ横のガード下の商店街を突っ切って、甥1に付いて歩く。
彼らは、そんなにアメ横詳しくなさそうだったけれど、一応、一店舗でも、私を案内して歩くのだから、本当に大きくなったものである。

ZYUENというお店で、確か昔は、「寿苑」と言っていたと思う。
甥たちについて、3階まで上がると、そこは、野球おじさん、青年、少年たちのための世界であった。
へ〜、アメ横にこういう世界があったんだ、知らなかったと、思った。
当たり前だが、お客さんに私以外の女性はいなかった。
別に女性立ち入り禁止の世界ではないけれど、この3階の野球道具売り場に、わざわざ行く女性は、殆どいないのではないかと思う。
古田モデルとか、松井モデルとか、色々並んでいた。
こういう道具というのは、調理道具と同じで、凝り出したらそれなりに味のあるものとか、見つかるのかしらねと思う。
甥たちが、今度お父さんに買ってもらいたい道具を見るのに付き合った。
今日は、甥たちとお互い、アメ横のお互いに知らない世界を紹介しあったことになった。

その後、時間がなくなったので、ファーストフードのお店で、コーヒーを飲もうと思ったが、買って、映画館で並んでいる間に飲むことにした。
最近、私は、会社近くのウェンディーズの「フロスティ コーヒーゼリー」が気に入っているので、これを食べさせたかったが、上野にはウエンディーズはないようで、ファーストキッチンでアイスコーヒーを買った。

さて、映画館に着いてみると、並ぶ場所には、椅子なぞがなく、立ってコーヒーを飲むことになってしまった。
甥たちは、席についてから、飲みたいと行ったが、座席に座れるのは、30分も後のことなので、「立ったまま飲みなさい」と言ってしまい、甥たちは、それに従った。

立ちながら、アイスコーヒーを飲みながら、「もしかして、こうやって、私や妹が映画に連れて行ってあげた経験を生かして、将来、ガールフレンドをデートに誘うかも知れない。
そのときに、今回のように、『時間がないから、立ちながら、アイスコーヒーを飲もう』と言ったら、もしかして、ガールフレンドに行儀の悪い人と思われて、嫌われるかも知れないな」と思ってしまった。
(将来的には、甥たちが普通に恋愛して、結婚して、家庭を持つことが私の一番の望みなので)
こういう時は、「しょうがないでやることで、普通の時はやってはいけないこと」と伝えておいた方がいいかもとも思ったが、彼らは、持って来た漫画を夢中で読んでいるし、おばちゃんは、飲み終わったゴミを片付けるのに忙しかったので、そのままになってしまった。(こういうファーストフードの店のテイクアウトの飲み物は、蓋だ、ストローだ、氷だと、結構片付けるのが面倒である)
その内、伝えなくてはね。

さて、30分待って、ようやく入替となり、席についた。
映画は、「猫の恩返し」というアニメ、私は面白くなかったが、甥たちは、筋よりギャグが面白かったそうで、満足していた。
帰りに、パンフレットと、挿入歌である「風に乗って」というCDを買ってあげて、その日は終わった。

甥たちを遊びに連れて行って、そんなに色々考えることはないかも知れないけれど、女の子は、大きくなっても、ボーイフレンドや恋人が気を遣ってくれるし、職場に行けば、女性は上司がご馳走してくれたり、結構、楽しい目に合うことが多いと思う。
その点、男の子は、大きくなっても、誰もご馳走してくれない可能性が多い。
そう考えると、小さいときに、ちやほやして、誰かに美味しい食べ物屋さんに連れて行ってもらわないと、一生、余り、人にご馳走されないで、終わってしまうのかななんて、思ってしまった。



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2002年09月04日(水)

運動会のポスター


新学期が始まって、2,3日したある晩、甥2が、画用紙と鉛筆を持って、おばあさんの家に現れた。
何でも、今日、旧に、明日までに、運動会のポスターの下絵を書いて来いとの宿題が出たそうだ。
このポスターの優秀作品は実際に運動会に使われるとのことで、甥2は、入選をずっと狙っていたそうだ。
それなのに、先生は、前の日に言うから嫌になっちゃう、甥1ちゃんの先生はその前の日に宿題に出したんだよ、ぶつぶつと言いながら、一生懸命絵を書き始めた。

おばちゃんは、時々、甥2の後ろから、絵の進み具合をチェックしていた。
トラックは、定規を使って、真っ直ぐに引いているし、中央に、一生懸命走っている男の子二人が描かれていた。
次に見に行ったら、その周囲に、万国旗が飾られ、上の方に、座ってみている小学生の集団が描かれていた。
本人、一生懸命書いているというのがわかる良い作品であるし、小さいときに、「この子は絵が下手だ」と思っていたが、大分、進歩した様子もわかった。

しかし、「甥2ちゃん、上手だね〜、うまくなったわよ」と誉めた私は、「でも、走っている男の子は、『泣きながら』ではなく、『笑いながら』走った方がポスターとして採用される可能性高いわよ」と言ってしまったのだ。

おばさんとしては、適確なアドバイスをしたつもりであったが....。

それを聞いた甥2が、「違うよ、涙じゃなくて、汗なの!」とのこと。(笑)
だって、顔から、斜め後ろに点点と落ちる水滴だったのだもの、汗に見えないで、涙に見えてしまったのだ。
汗だったら、顔だけではなくて、身体中から、水滴が飛んで行かないと、見ている人にはわからないわよ、と思ったが、言わなかった。

その後、甥2の絵がどのように完成したか、わからない。
もう提出したとのことだが、どうか、入選しますように。



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2002年09月05日(木)

スランプ


こんばんは、お久し振りです。(笑)

実は、久々大型スランプに陥りまして、エッセイにどうしても手が伸びませんでした。
簡単な話が、どうも、私にとっては、9時−5時のパート、その後の買物と夕飯作り、夕飯というのが、結構精一杯になってきて、土日に書こうと思うのだけれど、たったの一回しか作れなかった料理とか、後で細かいこと調べようと思ったことが昔のように調べられなくて、考えも煮詰められなくて、何か内容が希薄になっていると感じていました。

そして、その上、会社を辞めて2年半が経ち、そんなに良いことも起こらず、悪いことも起こらずなので、私って、ただ、年を取っていき、このまま、何も起こらず、ただ、美味しい物を食べながら時間潰して、死ぬだけなのだと思うようになりました。
私の毎日の平凡な時間も美味しい物を食べることも効率性から行ったら、本当に無駄なことをしている気がして、別に美味しい物食べなくてもいいじゃないとか、つまらないことを色々考えておりました。
この点、まだ、結論が出ておりません。(笑)

おまけに、パートの後の買出しと夕飯作りって、本当に面倒で、献立を考えるだけでも憂鬱なのですが、それでも頑張って、買物に歩きながら、だいたいの献立を決めて、買出しをして帰る私に、母が冷たく、「今日は、違う物作るから」とか、「ちょうど他所で○○をもらったから」と言うことが何度かありました。
そうすると、嫌々だけれど、買物しながら、自分の心を高めて、ようやく思いついた献立をさて後は作るだけと思っているところを、ストップさせられることになるのです。
母も決して悪気があってそうするわけではなく、私の毎日の夕飯当番を不憫に思って、負担を軽くしてくれるために言ってくれるというのはわかるのですが、そのタイミングが余りに遅過ぎるのです。(それをどういうわけか、未だに理解してくれませんが)

簡単な話、私が買って来たものの保存を考えねばなりません、それだけではなく、母が初めから自分で作ると連絡してくれれば、私は、買物や夕食作りの時間を他のことに使えるのだし、それが沢山行われることならば、私だって他の人生が考えられるのに、それを犠牲にして、毎日、皆のために夕飯を考えているのに、それに対する感謝やねぎらいの言葉なしで遮られることがとても惨めに思えました。
いつも、母の気まぐれで、私は怒りながら、急に暇になるしかないのです。
結構、憤慨してしまいました。

これが嫌やで嫌やで、母に抗議の上、3日間、夕飯当番をさぼることにしました。

3日間、母の顔も見ず、外食をしたら、少しは気が晴れて、また、元に戻りました。(相変わらず、母は、母で夕飯を考えているらしいので、夕方電話で、「今日はどうするの?」と連絡を取ることにしました。でも、やはり、小さなトラブルは続いています。)

何ていうのかな、自分の料理に全然主導権が持てない状態が続いています。

さて、今日は、本当は10/1の午後10時30分くらい。

9月全部を埋めるのは、難しいかも知れないけれど、9月に起きたこと、食べたものなどのことをできるだけ書こうと思います。

愚痴は、今日限りとし、前向きに色々書いてみます。



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2002年09月06日(金)

運動会 その1


甥たちが運動会であった。

甥たち大好きの妹が、タイミング悪く外国出張中だったので、私に、カメラ当番が回ってきた。
甥のお母さんは、PTAの副会長さんだから、学校の用をするので何もできず、甥のお父さんはビデオ係りということは、写真を撮れる人は私しかいないのだ。

最近は面倒なので、行っていなかったけれど、今年は、カメラ番で結構長く運動会を見ることができて良かった、とても楽しかった。

運動会なのだけれど、私は大人になってから、子供の運動会、それも全校準備体操を見ると、何故か、涙がぼろぼろ出るのだ。
この日も、何故か、ぼろぼろ涙を流しながら、大勢の子供達が伸び伸びと体操をする姿を見てしまった。
私だけなのだろうか?子供の体操を見て涙を流すのは。

何故なのかと考えると、全員、無邪気で、全員明るく、伸び伸びしているのが、私にはまぶし過ぎるのかも知れないと思う。

皆、な〜んの悩みもなくて、家族が仲良しで、家族からも可愛がられ、怖い思いも全くなく、何のコンプレックスもなく、一生懸命、体操に集中することができる、そんな風に見える子供達の集団がまぶしいのだ。

昔、私の小さい頃は、親は忙しくて、平日の運動会には来てくれなかったし、本人、足も遅いし、運動神経0だったし、運動会には楽しい思い出が全然なかったからも知れない。

それにしても、最近の運動会は、かかる曲が全てポップスで、準備体操が「君の瞳に恋してる」だし、ラジオ体操第一、第二はどこに行ってしまったのだろうか?
かけっこのときも、昔のような「ちゃ〜んちゃん、ちゃかちゃかちゃかちゃか、ちゃんちゃんちゃかちゃかちゃか」なんていう、確か、「天国と地獄」という曲だと思うけれど、かからないのだ。
ミニモミとか、英語の歌ばかりだった。



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2002年09月07日(土)

運動会 その2


甥1は、今年6年生で、どういうわけか、校旗の入退場の旗手に選ばれた。
甥1は、現在165cmの背丈で、学校で一番高いというから、私は、「背が高いから選ばれたんだよね」という。
そして、甥2に、「甥2ちゃんも6年生になったとき、背が伸びていたら、きっと旗手になれるよ。でも、運動会の旗手だから、足も速くなるように練習しなくてはね」なんて、おばさん振って言ってみた。

そうしたら、甥1が横から、「違うよ、『しっかりしていると旗手に選ばれるんだ』」と言ったのだ。
ぷふ〜、我が家で、ボー、ドベーっとしている姿から「しっかり」というイメージは全く湧かなかった。
ま、しっかりしていないとは言わないけれど、甥1を色々な言葉で表現するとしたら、その「しっかりしている」という言葉は、そんなにすぐには出て来ない形容詞であることは間違いない。

ふ〜ん、甥1は、しっかりしているから、選ばれたのだと思っているのだ、とおばさんは、そのとき、思っていた。



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2002年09月08日(日)

運動会 その3


甥1は、校旗入場も、猫背の癖も直して、真面目な顔をして、姿勢も正しく、その役割を果たしていた。
他、短距離競争や組み体操も、活躍していた。

でも、おばさんが、甥1を見直したのは、棒倒しであった。
棒倒しで、棒を守る番になったら、甥1は大活躍をしていた。
回りの仲間に、「最上!あっちの方に行って!」「中田は、こっちで、皆でスクラム組んで!」とか、一生懸命、指示していた。

その様子を見ていると、棒の下の方を、比較的がっしりした体格の男の子が二人で支えて、その回りを、比較的痩せている男の子たちがスクラムを組んで、取り巻く。
背の高い甥1が棒の上の方を支える。
そして、その前には、2,3人の男の子が、敵が走ってくるのを体当たりして、止める役割のようだった。

うまい、こういうゲームというのは、作戦が大切だと初めて知った。
(だって、私は女子だから、こういうゲームはさせてくれなかった。)
根元を守る子、それをスクラムで守る子、棒の高いところを守る甥1と、棒は、要所要所を守られ、これなら、倒れ難いと、素人目にもわかった。
甥1は、すらすら指示していたから、甥1が考えた作戦なのだろうか?

試合が始まった。
敵が走ってくるが、敵の一番体格の良い男の子に体当たりした子がいて、その男の子の突進を止めるのに成功。
体当たりで突進を止められなかった敵の男の子たちは、皆、ひ弱そうな子ばかりだったので、中々棒は倒れなかった。
そして、甥1の棒が固い守りで守られているうちに、敵陣に攻め入った甥1のチームの男の子達が敵の棒を倒して、甥たちは、勝ったのだ。

甥たちの作戦勝ちであった。



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2002年09月09日(月)

運動会 その4


運動会は、無事に終わり、私たち見物人は先に家に帰った。

その後、1時間くらいしてからだろうか、私が買物から帰るときに、家に向かう甥1にばったり会った。

「ご苦労様、今日は大活躍だったね」というと、静かににこっと嬉しそうに笑い、「まり、120円ちょうだい」と言って、自動販売機から冷たい飲み物を出して、自分の家に帰って行った。

しかし、その後聞いたら、甥1は家に戻って、シャワーを浴びるとすぐに、「おばあちゃんちに行ってくる」と、自分の家の階上のおばあさんちに行ってしまったそうだ。
おばあさんちの布団に寝転び、テレビを見て、運動会で疲れた体と心を癒したみたいだ。
(後で、自分の小さいときのことを思い出したり、友人と話してみたが、「家庭」というのは、中々、憩いの場には成り難いという結論に達した。
家庭においては、時間どおりに物事を運ばないと寝る時間が遅くなるし、部屋が片付かないという制約があるから、どうしても、「いつまでもゴロゴロしていないで」とか、「あれ、買って来て」とか、のんびりしたい人間にクレームがつきやすいのは確かである。)
甥1は、おばあさんちで、2時間ゴロゴロした後、家に帰って行ったそうだ。

夜、夕飯のときに、甥のお父さんまで、嬉しそうに「今日の棒倒しの作戦は、甥1が考えたの?」と聞いた。
甥1が言うには、先生が教えてくれた作戦だったそうだ。
でも、私が見た限り、敵・味方ぜ〜んぶの選手で、先生の教えてくれた作戦を有効に実践しようとしていたのは甥1だけであった。(敵にはそういう人がいなかったから、甥1たちのチームが勝ったような気がする。)
「司令塔甥1」になれたのは、甥1が、先生の作戦の有効性を理解できて、そのフォーメーションが頭に入っていたからだったと思う。
おばさんも、思わず、「今日は、甥1ちゃん、見直しちゃった、初めて『しっかりした』とわかったよ」と言うと、甥1は、「うん」と答えた。(ようやく、わかったか!とう感じ)

子供というのは、知らない間に大きくなるものである。
甥1というのは、大人(それも相当年の人ばかり)の中に生まれた赤ちゃんだから、物心つく頃から、早く大人と同等になりたい、それにはしっかりしなくてはいけないのかなとか考えながら、生きてきて、この6年生の運動会で初めてその目標が達成したことを家族に教えたのかも知れない。



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2002年09月10日(火)

運動会 その5


おばさんからすると、甥1が、先生の言うこととその有効性を理解して、それを他の人に伝えて、一つのフォーメーションを作ったということが、とても嬉しかった。
いつの間に、そんなことができるようになったの?と思う。

そう言えば、この春のこと、甥たちが、コンサートをやるというので、10分くらい覗いてみようと、学校に行ったときのことだった。
講堂に入ると、甥1が、指揮者の横で、チェロだったか、何かの楽器を引いていた。
私との距離が近かったので、声は出さなかったけれど、おちゃらけムードで、手を大きく振って、「まりおばさんが来たぞ!」と合図したのだ。
甥1は、知らん顔していた。

しかし、その日の夜、甥1は、私を見るなり、「まり!大きく手なんか振らないで、恥ずかしいじゃないか!」と結構強い調子で言ったのだ。
え!あんたと私は仲良しだし、以前だったら、手を振ってもそんなに嫌がらなかったではという思いがあって、そう告げたら、「だって、友達にあれを見られたら、後で、僕はからかわれるんだよ」と、甥1は抗議を続けた。

え、そんな、友だちに何言われてもいいじゃないの、私は親戚なのだから、面倒をみてあげているおばさんなのだから、とそのときは思った。

でも、今回の運動会でわかったのだ、確かに、甥1は、家で見せる子供っぽい自分の他に、家の人が知らない友人たちとの世界で、「信頼される甥1」という地位を確保したから、そう言ったのかも知れないと。

友人たちが、甥1の言うことに一理ありとか一目置いてくれるような信頼感を持ち始めているのに、突然、赤ちゃんの時からの知り合いが来て、自分を、赤ちゃんや幼児のように扱うのを見られるのが嫌だったのだなと理解した。

よく、子供の反抗期と言われるけれど、きっと、そのときは、親や親戚が知らないだけで、実は子供がもう仲間の間で、大人っぽい人間関係を築き始めたときなのかも知れないと思った。

そう言えば、夏に、子供達だけの催し物で、高級ディナーを食べに行くと言ったので、「あんた、ナイフとフォーク、使えるの?」と聞いたら、表情も変えずに、私を見ることもなく、低音で、ただ、一言、「なめんじゃね〜」と言っていたっけ。(笑)



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2002年09月11日(水)

運動会 その6


それから、もう1つ、「この子は、もう子供ではないのだな」と思わされることがあった。
それは、今回、甥1は、小学校最後の運動会、リレーの選手、大玉送りの玉と一緒に走る係りにも、校旗の旗手にも選ばれたし、今年こそは、思う存分活躍したいと思ったようだ。 
私の撮ったデジカメの写真を見ながら、甥1は「短距離の写真が少ないな〜」と言う。
「あ、ごめんね、デジカメは中々シャッターチャンスが合わなくて」と言うと、「去年、みんみん(私の妹)は、デジカメで沢山撮ってくれたよ」と言う。

また、私は、出張中で運動会を見ることができない妹のために、運動会の流れがわかるように、応援団とか、甥1の友達とかも写したのだが、甥1は、「あ、他所の子も写したの?」とがっかりしたように言った。

甥1は、ぽつんと言った、「今年は、僕は色々な役をもらえて、頑張って、色々な活躍する写真が欲しかったのだ」。
(他所の子写す暇があったら、もっと僕を写して欲しかったのに、という感じだったと思う。世の中のお父さん、お母さん、どうか、運動会では自分の子供の写真だけを撮ってあげてくださいね。)

だって、来年は、中学校だから、どうなるかわからない、もうこんなに役をもらえることあるかどうかわからないから、とぽつんと言った。
ごめんね、その気持ちを知っていたら、もっと熱心に写真を撮ったのに、知らなかったから....。
そうだよね、中学校になると、1学年の人数も多くなるし、甥1よりもっと背の高いしっかりした子がいるかも知れない。
甥1は、将来、ずっとこんなにいいことばかりが起きるわけではなくて、また、大勢の中の一人に扱われる覚悟もしているようだった。

甥1のいいところは、常にスターで秀才で育ったわけではなく、その時々のスターに選ばれなかった辛さも知っているし、そういうときには落ち込まない術も知っている、そして、スターになれたときは、多いにそれを楽しんでしまおうと頑張るところだと思った。
(おまけに、これからそんないいときばかりではないと覚悟している様子がいじらしい)

本当に、甥1ちゃん、大人っぽくなったねと思った。

でも、「運動会」というお祭が終わって、甥1は、また、家においては、の〜んびりした子供にも戻った。



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2002年09月12日(木)

青山の糖朝 1/6


糖朝というのは、香港の有名なデザートレストランだそうだ。
何しろ、ざっと数えてみても12年は香港に行っていない私は当然知らない。

その初めての海外店が東京にできるとのことで、7,8月は、日本の経営母体である日本橋のデパートの駐車場に、仮店舗ができて、そこで試験的に営業していたらしい。
でも、悲しいかな、私は、昔、日本橋に勤務していて、日本橋を食べ歩いた経験を持っているので、日本橋の某デパートの飲食業に対する腕に対して結構懐疑的で、一度も行かなかった。

本格的に青山にオープンした後の話を聞いたら、評判が良いようなので、これは行かなくてはと、以前、バイトしていたレストランで知り合った友人を誘って行ってみることにした。(最後、色々人数が増えて、女性4名+男性1名<4名のうちの1名の婚約者>の計5名となった。)

まだ、開店したばかりで、予約は取らないとのことなので、並ばなくてはいけないらしいが、並ぶのは嫌なので、待ち合わせを10時半にすれば、ちょっと遅れてくる人もいたりしてで、15〜20分待ちで、11時の開店時には、すんなり、お店に入れるだろうと計算した。

場所は、表参道の交差点を、外苑の方に向った左側、2分くらいのところ。
表通りに面しているのでわかりやすいけれど、看板はお上品な感じなので、見逃し易いかも知れない。

お店の前に着くと、7人分くらいは、待つ人のための木製の椅子が用意されていて、一番乗りの私たち5名は、悠々と開店まで座って待つことができた。

ふ〜む、久し振りの表参道、たまにはこういうのも良かんべ〜と思う。
(青山なんて、コジャレたところに行き着けない私は、青山にいるだけで、田舎者になってしまう<笑>)
噂では、11時開店と言いながらも、10時45分には入れてくれるらしいと聞いていたが、この日は、外から見ても、店の中の入口近辺で、お料理の写真撮影が行われていて、11時前に入ることはできなかった。



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2002年09月13日(金)

青山 糖朝 2/6


さて、開店となり、一番乗り。
で、ジャッキーチェンから送られた花なぞを見ながら、一番奥の席に通してくれたのだが、このお店、床が良くないのだ。
どう良くないかというと、通路が透明なプラスチック張りで、その下に小石なぞが見えるようになっているのだ。
なんだか、自分の歩いている下が見えるというのは、高所恐怖症のように、怖いのだ。
面白いものだ、高所恐怖症というのは、高いところにいることが怖いと思っていたのだが、そうではなくて、もしかしたら、自分の立っている下が透明で、全てが見えるということが怖いかも知れないと思った。

席に着いて、メニューを見ながら、あーでもないと言いながら、選ぶ。
ここのオーダーシステムは、メニュー一覧の用紙と使い捨てのボールペンが置いてあり、そこに書き込んで、渡すもののようだ。
(お勘定が済むと、この用紙をくれるので、自分が何を食べたかの記録にもなるし、次行ったときは、何食べようかと考える材料になるので、これはとても良い。)

何を食べれば良いのか良くわからないけれど、予め、美味しいと聞いていたものとか、なるべく、香港ぽいものを取らなくてはと、皆でわいわいがやがや選んだ。

残念ながら、この日は、飲める人が少なく、黒一点の男性もお酒不要ということで、アルコールはなしで、食い気一辺倒となった。
お茶は、ポットで持ってきてくれた。
既に最後に香港に行って12年なので、その時は忘れていたが、そうだ、中国式は、お茶がなくなったら、ぽっとの蓋をひっくり返しておけば、何も言わなくても、お茶を代えてくれるのだと、後から思い出した。
でも、そのときは、そんなこと忘れていたので、ポットのお茶がなくなる度に、店員さんを呼んでいた。(店員さんも、そのことについて、とやかく言わなかったは感じが良かったけれど)



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2002年09月14日(土)

青山 糖朝 3/6


さて、食べたものだが、

とても美味しかったもの

1.香港風蒸しカステラ

  余りに美味しい!
  ふわふわしていて、ミルクっぽくって、最高。
  せいろに入って、熱々で出てくる、本当に熱い。
  手を火傷させそうになりながら食べても美味しいが、冷めても美味しかった。
  ここに行ったら、これは絶対取らなくてはね、という感じ。

  中華の甘いものって、昔は食わず嫌いのところがあったけれど、最近は良く食
  べている。
  見かけだけで判断して食べないのは絶対損、食べた方が幸せだと思う。

2.蝦ワンタン入り香港麺

  麺は、所謂広東麺で、かん水が少なく、食べると、ぷつんぷつんと切れる香港
  に良くある麺。
  私は、やっぱ、広東麺の汁そばは、苦手だなと思う。
  汁が澄んでいて塩味で、麺が広東麺と来れば、千駄木の神名備の塩ラーメンと
  まるで同じだと思った。
  私にとっては、この麺は、価値がないが、一緒に入っている蝦ワンタンが、ぷ
  りぷりしていて、とても美味しく、他の人にも好評であった。

3.五目粥

  豚レバー粥が美味しいと言われてきたが、やはり、レバーはだめという人がい
  たので、五目にしてみたら、大正解。
  出てきた途端は、白いお粥に、皮付きのピーナッツが数個浮かんでいるだけ
  で、「どこが五目?」という感じだったが、かき回すと、蝦とか、魚団子、色
  々な野菜が出てきた。
  これを鉢に取り分けて食べると、まだピーナッツを噛んでいないのに、ピーナ
  ッツの味と香りがするのだ、きっと、ピーナッツオイルが入っているのかなと
  思う。
  熱々で、ピーナッツオイルの味と香りと塩の美味しさでいくらでも食べられて
  しまう。



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2002年09月15日(日)

青山 糖朝 4/6


もう一つ、凄く美味しかったのが、「手羽先の南乳風味揚げ」

これは、どうも、腐乳に漬け込んでおいた手羽先を唐揚げにしたもののようで、香港・中国的風味が強くて、こくがあって、とっても美味しかった。
これが、一番、「香港・中国」の味を思い出させてくれる味であったので、また、是非、食べたい。

他、特段美味しいというわけではないけれど、ま〜ま〜美味しかったもの。

1.季節の野菜炒めと、季節野菜の湯引きオイスターソースかけ

  これは、どちらかを取れば十分。
  同じ野菜で、この日は、油菜心という青菜であったが、オイスターソースかけ
  の方が断然美味しかった。

2.蝦入り腸粉と、牛肉入り腸粉

  腸粉は食べたことがなかったし、事前の噂で美味しいと評判だったので、2種
  類取ってみた。
  腸粉というのは、上新粉とか、白玉粉のようなもち米系の粉を水で溶いて、薄
  くクレープのように焼いたもののようだ。
  もっちりしているけれど、薄いので、ボリューム感がないところがとても良
  い。
  腸粉の皮は、そうだ、あの透明感のある蝦シュウマイの皮と同じだと思って間
  違いないと思う。

3.香港醤油油焼きそば

  これは、広東麺の焼きそば。
  私は、やはり、広東麺は、汁そばより、焼きそばの方が性に合う。
  葱の他に、豚肉だろうか、切れ端がそこらへんに入っていたけれど、肉は要ら
  ないと思う。
  食べているうちに、日本橋小洞天の柔かい焼きそばを思い出してしまい、ま、
  これは、ここでしか食べられる味でもないかな〜なんて、思った。(でも、私
  の場合、小洞天しか、知らないけれど)

4.牛肉となすの炒め物

  余り量を食べないうちに、なくなっていたので、良くわからず。

5.マンゴープリン

  マンゴーのプリンだなという感じ。
  大きくて、コストパフォーマンスが良い。

6.フルーツ入り漢方ゼリー

  真っ黒で四角くコロコロに切ったゼリーがフルーツに飾られて登場。
  その登場の仕方が、オシャレであった。

  真っ白い二重の鉢に入ってきたのだが、外側の鉢の中には、ドライアイスとお
  水が入っているらしく、白い煙とともに登場。
  これがオシャレで、皆がわ〜と盛り上がった。
  味は、好みであると思う。
  私は、「あ〜、本当だ、漢方薬っぽいゼリー」と思っただけで、美味しいとも
  不味いとも思わなかった。
  でも、乗って来た果物がフレッシュで良かった。


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2002年09月16日(月)

青山 糖朝 5/6


木桶入り豆腐花(4〜5人前用)

人数が多かったので、ここの名物である木桶入り豆腐花を取ってみた。

豆腐花は、豆花という場合もあるようで、読みは、確か、「ドーファ」だったと思う。
柔かいお豆腐のデザートで、MLの知り合いで、台湾で食べたことのある人が、「絹ごし豆腐が片足プリンに突っ込んだような食べ物」と教えてくれた。
食べてみたら、確かに、そういう感じだった。

高さ20cm、直径15cm(いい加減ですが)くらいの木桶いっぱいの熱々の柔かいお豆腐は、本当に量が多く、やはり、これは、4,5人以上いないと、取るのは止めておいた方が良いと思う。

でも、このお豆腐の良いところは、話題性がすごいということ。
この木桶のお豆腐が出てきた瞬間から、10分以上、このお豆腐の話題で、テーブルは盛り上がった。

お豆腐の他、胡麻汁粉、小豆汁粉、胡桃汁粉、シロップがついてきたのだ。
その味比べをしたり、「やはり、お豆腐はお醤油が一番、お醤油はないのか!」と盛り上がった。(残念ながら、糖朝のテーブルにはお醤油挿しが見当たらなかったが、もしかして、お醤油を置いておくと、皆、豆腐花にお醤油をかけてしまうので、わざと置いてないのかしら?なんて、思う程であった。)

この豆腐花、シロップで食べるのが一番美味しい。
他の、胡桃、小豆、胡麻のお汁粉をかけて食べると、どういうわけか、お豆腐の中のにがり成分の味が強く感じられて、美味しくないのだ。
そういう意味だったら、単品でシロップだけのものを取った方がいいけれど、何せ、テーブルが盛り上がるし、他のお汁粉類は、別に食べればいいのだから、ここに初めて多人数で行ったら、取ると良いと思う。

この豆腐花という、滑らかで柔かいお豆腐を食べているうちに、谷中銀座の武蔵屋のおぼろ豆腐を思い出した。
確か、この前、おぼろ豆腐が余ってしまい、軽く熱湯につけて、熱々にして食べたけれど、あれと同じ味・食感ではないかと思った。
家でやろうと思えば、それが一番手っ取り早いかなと思った。



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2002年09月17日(火)

青山 糖朝 6/6


このお店なのだが、何しろ、開店したばかりだから、とてもきれい。
そして、日本人向けに色々考えたのだろうか、香港のレストランに入った途端感じる色々な香辛料(漢方的)の匂いがまるでしない、味付けは、本場の味を壊さないようにしているけれど、香辛料控えめという感じか?
ちょっと物足りなさは感じるけれど、でも、コストパフォーマンスもいいし、飛びっきり美味しい物はあるはで、また、行きたいなというお店であった。

それともう1つ思ったのは、「香港のデザートレストラン」て何だろうと思いながら、そこにいたのだが、私の出した結論は、「中華料理界の居酒屋」であった。(笑) 多人数で色々な物を頼んで、つまみながら、ワイワイガヤガヤ、おしゃべりをすると楽しい場所という意味で。

さて、2時間もワイワイ言いながら食べていただろうか?
いい加減、お腹も一杯になったしで、出ることにした。
アルコールや飲み物を取らないこともあって、一人3200円で済んだ。

1時近かったと思うが、表に出ると、ざっと40人くらいの行列ができていた。
うわ〜、大変。
この糖朝、まだ、雑誌なぞに全然取り上げられないで、口コミだけでこれだけの行列ができるのだから、マスコミに取り上げられるようになったら、どうなってしまうのだろうか?

それにしても、このレストランは、某日本橋のデパートの経営なのだが、サラリーマン風のきっちりした背広を着た従業員が随所にいる。
この人たちが、満足そうに、行列を見ていた姿が印象的であった。
(良かったですね〜、プロジェクトが成功して、と思わず声をかけたくなってしまうような姿。)

私のような、青山まで40分くらいかかる人にとっては、予約制にしてくれた方が嬉しいけれど、行列ができた方が、そのお店がどんなに人気があるか、天下に示せるし、このサラリーマン風のおじさんたちがそれを見ると満足感が大きいだろうから、当分、予約制は無理かなという感じがしないでもない。

家に帰って改めてメニューを見てみると、食べ忘れたものがあった。

大根餅

カスタード餡入り蒸し(揚げ)饅頭

他、サツマイモ入り生姜湯なんていうのも、美味しそうだな〜と思う。

これらと蒸しカステラを食べにまた行くかと思っている。

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2002年09月18日(水)

あ〜ん


テレビの食に対する情報量というのは、ものすごい。
もしかして、毎日四六時中テレビを見ていたら、相当の物識りになれるのは間違いない。

私は、会社から帰ってだいたい6時半頃から、テレビをつけっぱなしにすると、ニュース番組が色々なことを教えてくれる。

この前見たのは、確か、テレビ朝日だったと思うけれど、「思い残し症候群」という特集をしていた。
何でも、小さい時、親から優しく扱われなかった子供は、嫌な思い出ばかりになってしまい、大人になって、人とうまく接触できなかったり、鬱病になったりするということなのだ。

例えば、大人になってから、海を見ても、山を見ても、小さい時、両親と一緒に行った海や山の嫌な、息苦しい思い出が思い出されるとのこと。
それを治療する専門課夫婦がいて、その子と一緒に海に行ったり、山に行ったりして、楽しく過ごし、今までの海や山に対する嫌な思い出を、楽しい思い出に入れ替えると言う。

極端な話、そのテレビに出てきた「思い残し症候群」の20才くらいの女性は、自分でおしめを縫ってきて、治療をしてくれる奥さんにおしめを取り替える真似をしてもらっていた。
きっと、その女性は、赤ちゃんのときに、お母さんに、優しく、「あら、あら、おしめが濡れているわ、可哀想に、今、取り替えてあげますよ〜」「さ〜、終わった、きれいになって気持ちいいでしょう?」とか、話し掛けられながら、扱われたかったのに、そういう思い出が全然なくて、それがどうしても思い残しとして心に残ってしまっているようだった。

その女性は、生まれたときから、お姑さんとお母さんがいがみ合っていたという。
家庭での食事に会話がまるでなかったとか。

そこで、その治療をしている専門家が言った、「子供の正常な成長にとって、大切なのは、お父さんやお母さんが『これ、美味しいよ、食べてごらん、あ〜ん』と言いながら、子供の口に食べ物を運んであげる雰囲気の食卓なのです」と言っていた。
そういう思い出がなく、冷たい環境で育った子は、大人になってから情緒が安定しないとのことであった。

そのテレビを見ながら、そうなんだ、そうなんだ、私の言っていることは正しかったと思った。
(うちの甥たちなぞ、大人5人で、次々と「あ〜ん」してあげているのだから、有難く思えよ、と思ってしまった。<笑>←そのうち、テレビつけたら、「『あ〜ん』のやり過ぎも良くないですよなんて、やっていたりして。)

食卓って、栄養やエネルギーを取るだけではないのだよね〜、愛情や人間としての気持ちを交換するところなのだよね、と改めて思った。

で、この冷たい家庭に育った人たちも大きくなってからでも遅くはない、こういう思い残しを満たしてあげれば、年数はかかるけれど、普通の精神状態になれるとのこと。
ちょっとほっとした。



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2002年09月19日(木)

美味しいサンドイッチ


糖朝を出た後、久々に会った友人たちだったので、どこか、喫茶店でまたしゃべろうということになった。
一緒した友人の一人が、最近、銀座の陶器店に勤め出したので、そのお店を紹介したいということで、銀座に行くことになったのだ。

私は、実は、新派橋の鴻運でオフすることになり、この日、予約に行きたいと思っていたので、新橋で皆と別れて、後から、合流することにした。

で、無事、鴻運を予約してから、携帯で連絡を取ると、コアの後ろの「トリコロール」の二階にいるとのこと。

私が着いたときには、皆、メニューを見ながら、ケーキを頼もうとしているところであった。
糖朝の後でケーキ!結構、驚いた。
私は甘いものはもうこれ以上食べたくないと、メニューを見ていると、「スモークサーモンとクリームチーズのサンドイッチ」というのがあった。
スモークサーモンにクリームチーズに、その上、胡桃の入っているパンだったら最高だなと思った。
何か、とてもそれを食べたくなったのだ。
中華風のものを食べた後って、何か、西洋風のものが食べたくなってしまうような気がした。
黒一点の男性に聞くと、半分食べても良いと返事してくれたので、これとアイスコーヒーに決めた。

しかし、トリコロールは高い。
コーヒー一杯が800円で、サンドイッチをつけると1200円なのだ。

で、高いからというわけでもないけれど、3〜4時間は、そのお店で、ワイワイおしゃべりをしてしまった。(笑)

話はそれるが、やはり、ここは銀座。
この高い喫茶店に、小学校3年生くらいの女の子がおじいさんとお父さんらしき人と3人で入ってきたのだが、その女の子は、ノースリーブの白いワンピース姿で、腕には、自分の身体の大きさにあったヴィトンのバッグをかけていた。
さっすが、銀座だね〜、子供までヴィトンだ、と思った。
将来、どんな女の子に育つかというと、オシャレなお嬢さんになるのだろうなと思う、ち、いいわね〜。

また、本題に戻るが、そのサンドイッチが出てきたら、スモークサーモンとクリームチーズのサンドと、野菜だけのサンドが3切れずつであった。
両方とも食べたが、絶対に野菜だけのサンドが美味しい。
久々、美味しいサンドイッチを食べてしまったという感じ。(ま、中華を沢山食べた後だったからかも知れない、違うシチュエーションで食べたら、また、違った感想を持つ可能性もあるが)

なんと言うか、パンの厚さもちょうどいいし、サンドイッチに向くパンで、胡瓜、レタス、トマトなぞの野菜が新鮮で瑞々しくて、冷たい。
マヨネーズかドレッシングの味がほんのりして、塩も適度で、本当に美味しかった。
(私からすると、スモークサーモンとクリームチーズはまあまあの出来)
黒一点の男性と2つずつ食べて、残った2つのどちらかを食べたいか聞くと、「スモークサーモンの方」とのことで、ラッキー! もう1つ野菜サンドを食べることができて、とても幸せ。

周囲の女性たちは、ケーキに大満足していた様子だったが、私は、一人で、サンドイッチに大満足であった。

そう言えば、最近、サンドイッチなぞは、出来上がって、パックに入っているものしか食べてないものね、やっぱ、オーダー聞いてから作ったもの、しかも丁寧に、店のグレードや土地のグレードに合わせて作ったものが美味しいのだよね、と思った。

3時間くらいしゃべって、お店を出たら、お店の看板に「洋食」とか書いてあったけれど、今はやっていなくて、喫茶店だけのようだった。
そう言えば、私が中学生くらいだったろうか、「トリコロール」というと、「美味しい洋食屋さん」で有名だったように覚えている。
確か、上野広小路の交差点近くに、支店ができて、喜んで行ったような気もするのだが、不確かである。

今、「トリコロール 銀座」で検索したら、結構、色々なところに、喫茶店として、お店を出しているようである。

それにしても10時半に待ち合わせて4時半に皆と別れたのだが、その若い友人の婚約者の男性は、本当にご苦労様であった。
6時間近く、女性4名の雑多なおしゃべりをただただ黙って聞いていてくれた。
(私ではできないと思う。)
性格も良いし、余程、その女性のことが好きなのに違いない。
きっと良い旦那さんになると思う。



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2002年09月20日(金)

済南賓館物語(チーナンヒンカンモノガタリ)


この前、NHKで、この物語のドキュメンタリーだったか、ドラマだったかをやったらしい。
その番組は見逃したが、そのことで、この本を知り、図書館で検索したらあったので、借りて来て読んだ。
その後、本屋を見ると、このNHKの放送により、この本は絶版だったのが、再版されているようだ。

感想は、「面白いから、読んでみたら」である。
(読み出したら、面白くて、一気に読むことができる。)

太平洋戦争の前、日本から中国に渡って、済南で成功していた日本人夫婦の間に生まれた娘の自伝である。
お父さんが物分りが良く、しかも心の広い人だったので、美味しい物が好きなその娘が、16才のときだったか、中国料理のお店に修業に入ることを許す。
そして、話を詳しくするとネタバレになるので、しないが、2年くらい厳しい修行に堪えて、一人前になろうとしていた時、、戦争が終わり、日本に帰らざるを得なくなる。

その後も紆余曲折があるが、日本で中華料理屋を始める。
それが評判になる。
折りしも、日中国交回復の時代に入り、済南に旅行した主人公は、そこで、中国も文化大革命などがあり、昔の済南の料理を伝える人間がいないことを知る。
済南市の役人達も、昔の済南の料理を知っている主人公に、若い調理人たちに昔の味を教えて欲しいと懇願するようになり、彼女は、時折、中国に渡って、中国の調理人たちを指導することになるという話。

話自体も劇的で面白いし、この主人公の結婚生活の話なぞ、そうなんだ、戦争というのは、平和の時なら何でもない育ちの違いなどが増幅されて、悲劇となるのだ、とか、色々なことを感じる。

とにかく、主人公は、野太く、力強く、逞しい。

この物語の主人公のお父さんも含めて、昔の日本には、有名でなくても、こういう人たちがいたのだと、しみじみ感じさせてくれる物語だった。



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2002年09月21日(土)

高田馬場の古本屋さん


知らなかったというか、薄々はそうだろうなと思っていたが、早稲田というのは、古本屋が沢山あるところで、「早稲田古書街」というのがあるそうなのだ。

その影響か、高田馬場の駅近くでも、裏の方に入ると、2軒程、古本屋がある。
古本屋というと、神保町の昔の木造の建物の古本屋を連想するけれど、高田馬場の古本屋は、新しいビルに、新しいシステムを導入した古本屋という感じの店である。

会社が暇なとき、何度か、覗いてみた。
どちらかというと、絶版になって価値が高くなった本なぞではなくて、若い子たちが買って一回読んでもう要らないと思った本が並んでいる感じである。
(それにしても、新しい本屋さんは、良い匂いがするのに、古本屋さんて、何か、そうではない匂いがするところは余り好きにはなれない。)

ある時、お料理の本を探そうと覗いたら、お料理のエッセイは結構あるけれど、レシピ本は余りないようであった。
レシピ関係は、入口の近い100円コーナーの近くに少しありますよ、という店員さんの返事に、言ってみると、古い栄養と料理とか、NHKの料理番組のテキストなぞが、新品同様で、100円の値段で並んでいた。
でも、所謂レシピ本は、余りない。

しっかし、しかしなのだ、私の目に、大型の本が目に留まった。
何と、小学館の「新中国料理大全 3 広東料理」というカラーのグラビアが沢山載っている豪華本があるではないか!
手に取ってみると、定価3800円のところが950円なのである。
ちょっとカバーにたるみがあったが、殆ど新品同様で、この値段。
この本は、私に買われるために、この本屋にあるのだとさえ、思えて、すぐ買ってしまった。

それにしても、売値が950円ということは、手放した人は一体いくらで売ったのだろう、可哀想になるくらい、安かったのだろうと想像した。

この本屋に行く前の週に気が向いて、神保町の古本屋で、お料理の本が多いというお店を覗いてみたが、すべからく、神保町の古本は、高いという印象があった。
それに比べ、高田馬場の古本屋は、何て安いのだ、と大感激。

この小学館の「新中国料理大全」は5巻あるのだ、1巻しかなかったけれど、誰か、順次、高田馬場の本屋に持ち込んでくれないかしらね〜。

しかし、この本を見つけて手に入れることができたことに気を良くし、今後、暇を見つけて、明治通りを渡って、早稲田の古書街にも、行ってみようという気になった。



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2002年09月22日(日)

セルフの讃岐うどん


東京は、今、讃岐うどんが流行っているみたい。
我が家から上野広小路にかけて、2,3店、讃岐うどんのお店を発見したし、急増中という感じか。

その中で、「セルフ」という人件費をかけない本場讃岐のやり方を真似たうどん屋さんが神田にあるということで行ってみた。

素うどんだと、180円とのことだし、評判を聞くと、値段から行ったらま〜ま〜という感じだったのだ。

探すのに苦労したけれど、ようやく辿り着いたお店は、できたばかりで新しくて、きれいそう。
讃岐出身の人の経営で、讃岐うどんも、本場讃岐で打ったものを冷凍して東京に運んでくるということで、期待は高まるばかり。

着いたのが、土曜日の2時くらいで、私の前には、10人くらいの行列がいた。

その最後尾についたのだが、結構、動きが悪い。
セルフと言っても、注文を受けると、お店の人が玉をお湯で温めたり、また、それを冷やしたりするし、熱い汁を張ったりで、結構客1人に対する作業時間がかかるような印象を受けた。
ようやく番が来て、夏限定メニューのぶっかけを頼み、その後で、セルフで取る天ぷらや副采を選んで、最後、レジでお勘定をする仕組みであった。
席は、立ち食いコーナーは少なくて、空いている椅子席で食べることができた。

天ぷらは、冷めていたし、おいなりさんも、大して美味しくなかった。
(値段から言って、仕方ないけれど)
でも、何にもまして、うどんがもう全然だめであった。
何と言うか、硬いのと、茹っていないのは違うのよ!と、そのうどんを茹でる担当の男性に言ってやりたかったっくらい、うどんが茹っていなかった。
本場讃岐のうどんは、腰があって硬いから有名と言われるかも知れないけれど、やっぱ、どう考えても、ちゃんと火が芯まで通ってから、そのことは言っていただきたいと思ってしまった。
(私は、讃岐は行ったことがないが、ちゃんと東京で一番美味しいと言われる東十条のすみただって、言っているのだから、うどんの茹で加減について、それ程、的を外れていないと思う。)

でもね、考えてみれば、一玉180円を売り物にするということは、どこかに無理があるということだし、所詮、美味しさを期待した私が馬鹿だったのかも知れない。(でも、「茹っていない」というのは、美味しい、不味いの前の段階だとも思う。)

きっと、茹でる担当の男性は、どのくらい茹でたら、食べられる柔かさになるのかとか、全然訓練を受けていない東京育ちの讃岐に行ったことのないバイトの男性ではないかと思った。
そういう人に茹でさせても、美味しい物なぞ、できっこないのだ。

本場讃岐の人が始めた商売、讃岐から取寄せたうどんというキャッチフレーズで、初めは人が寄ってくるだろうけれど、あれでは、きっと、そのうち、流行らなくなるだろうなと思った。(でも、安いから、受け続ける可能性はある)
少し値段を上げても、ちゃんと、茹でる人を、讃岐で少しは修行させるとかしてから、こういう店は開いて欲しいなと思った。



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2002年09月23日(月)

広東料理の豪華本


さて、高田馬場で手に入れた広東料理の豪華本を、家に帰って、まじまじと見た。

さすが、豪華本だけあって、メニューも豪華なものばかりで、実際には家では作れない料理ばかり。

この本を買ったおかげで、私は、子豚の丸焼きも仏跳牆(山海の珍味の蒸しスープでおいしんぼでも取り上げられた)も、作り方だけはわかるようになった。(笑)
他に、私の嫌いなヘビとかカエルの料理も載っているし、極めつけは、ハクビシンという果物を食べて育てた狸料理までが、原材料の写真とともに、載っている。
(ヘビやカエルは、相変わらず食べたくないけれど、果物を食べて育った狸は、何となく美味しそうだと思ったけれど、どんなものだろう。)

食在広州というけれど、こんなに何から何まで食べるのは確か、広州だけではなかったっけ?

私がもう20年も前になるのか、広州に旅行に行ったときに、「ここは高級」と言って連れて行ってもらった料理店で、出てきたような料理は何もなかった。
そして、広州では、米粉(ビーフン)が有名と沢山色々な種類が出てきたけれど、そんなものはどこにも載っていない。

ここまで高級な料理本は、見ている分には楽しいが、実際には役に立たない(だから、950円で良かったと思う。)
例えば、マコモダケの下処理の仕方とか、中華のお粥は、ジャポニカ米ではなくて、インディカ米で作るとか、本当にところどころは役に立ちそう。

私は、本当は上海料理の本が欲しいのだ。
インターネットで色々検索してみたけれど、日本では、上海料理の本は、この小学館の「新中華料理大全」のシリーズしかないようである。
ま、このシリーズの上海料理が手に入っても、私が欲しいような上海の家庭料理が載っていないだろうなと思う。

それにしても、その内、日本は、上海料理が流行ったり、料理研究家でも、上海の家庭料理を知っている人の人気が上がるような気がする。

近くて遠くて、ものすごい大都市である上海、行ってみたい。



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2002年09月24日(火)

香港風蒸しカステラに挑戦


青山の糖朝で食べた蒸しカステラが余りに美味しく、自分でも作りたいと、糖朝の人が出している甜品のレシピ本を買って来て、作ってみた。

しかし、しかし、この蒸しカステラは、西洋菓子で言ったら、「バターケーキ」のようなハイカロリー。
糖朝に行って、これを取ってパクパク食べたら、絶対に太ります、一人1個なぞ取ったら自殺行為、1個取って、皆で分けながら食べるのが正しいと思う。

材料

16cm角型で

ブラウンシュガー  220g
エバミルク     420cc
重曹          2g
無塩バター      40g
サラダ油       70cc
薄力粉        180g
強力粉        60g
BP         10g
カスタードパウダー  20g
卵           5個
松の実        10g

この材料表を見ただけで、唖然とする程のボリュームだとわかるでしょう?
(余りに多量なエバミルク、そして、粉+砂糖、おまけに、油脂もたっぷり)

それに、重曹2gにBP10g、カスタードパウダーが20gと食品添加物がや たらに多いのも特徴。

糖朝の料理は、「ヘルシー」を謳い文句にしているけれど、この蒸しカステラに 関しては、ちょっと、看板に偽りあり的な感じがする。
(でも、ヘルシーより、ハイカロリーのものの方が美味しいのだけれどね)

私の型は、13×15cmだったので、卵4個で計算し直して作ったが、卵3個分で十分だった。

レシピより小型だったので、蒸し時間25分と書いてあったのを短縮して20分にした。
そして、竹串を刺したら、何もついてこなかったので、出来上がりと判断したが、ちょっと蒸しが足りなかったようであった。
また、出来上がりは、糖朝のようにふわっとは行かなかったが、味は皆(母と甥た ち)には美味しいと評判良かった。(そりゃ、そうだよね、これだけの材料だ、不味い筈はない。)

私は、その日は、冷静なせいか、結構、BPの味なぞが隠れていないなとは思ったが、全体は、エバミルクの味で美味しかった。

私は、蒸しカステラとか蒸しパンを作ったことがないので、この材料で少し練り直して、シフォンにした方が作りやすいし、美味しいし、添加物を減らせるという発想になってしまう。

近々、同じ材料で、配合変えて、シフォンを作ってみようと考えている、乞うご期待。



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2002年09月25日(水)

イースター島とタヒチのおみやげ


2,3か月前から、妹が会社の出張で、イースター島に行く話が進んでいると話していたが、飛行機がうまく取れないということで、伸び々となっていた。
7月だめで、8月もだめ、でも、9月の末には、本当に行くことになりそうだとのこと。
その上、イースター島に行くには、チリ経由とタヒチ経由があるのだけれど、タヒチ経由に決まったとのこと。

イースター島だけでも中々行けないところなのに、タヒチまで行けるなんて、何て良い出張なのだろうと、羨ましいけれど、何でも、東京からイースター島まで40時間もかかるのだそうだ。
往復80時間で、8泊9日は、ちときついな〜とシロウト目にも明らかだ。
おまけに、出張中の仕事を片付けてからでないと出発できないのか、連日、午前様で働いていた。
(わたしゃ、もうそういうハードな世界には戻れないと素直に思う。)

イースター島をインターネットで検索したら、現在は、チリに属しているらしい、イースター島というと、モアイ像で有名だけれど、他には何があるのか?産業はあるのかとか、色々興味は尽きない。

イースター島のおみやげは、きっと、モアイのT−シャツだな、甥たちは、モアイのキーホルダーが欲しいと言っていた。

しかし、タヒチにも寄って来ると聞けば、タヒチの方がお土産の種類が多いというのは、簡単に想像がついた。
でも、いざとなると、タヒチで何をお土産に買って来てもらえばいいのか、わからなかったのだ。
そんな時、ケーキ教室に久々に行ったら、先生が「タヒチと言えば、バニラビーンズの名産地として有名」と教えてくれた。
家に帰って、「タヒチ みやげ」で検索すると、確かに、タヒチのバニラビーンズは、タヒチの喜ばれるお土産ベスト10に入っていた。

「タヒチのコミュニティ『ごくらくボラボラ』」のページ←ここをクリック
ここのお土産ランキングを見てみてください。

そして、合羽橋に行ったついでに、最近のバニラビーンズの値段を調べると、日本では、10本入りで2600円なのだ、やはり、日本で買うと、やたらに高い。
原産地で買えば、どのくらい安いのだろう?
そこに興味があったので、「2000円で何本買えるか?」という観点で、バニラビーンズを頼んだのであった。

後、つまらない話なのだが、映画で見て以来、フレンチの高級料理である「海亀のスープ」を飲んでみたいと思っていた私は、チリ領のイースター島では無理かも知れないけれど、元フランス領タヒチでは、もしかしたら、海亀のスープが安く飲めるかな〜と想像していたが、忙しい妹には、言えなかった。



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2002年09月26日(木)

最近のお菓子


我が家は、私が余り甘い物を欲しないだけで、残り全員、お菓子が大好き。
以前は、良く作っていたが、最近は、全然作っていない。
時間がないのと、やはり、暑いと作る気がしないのだ。
だから、夕食の予算などが余ったとき、お菓子屋やスーパーで安いお菓子を買うことが多くなった。

今、ケーキというと、どうしてあ〜馬鹿高いのだろう。
プチケーキだと物足りないしで、色々探していた中で、気に入っているものをご紹介。

コロンバンのワッフル

チョコレートクリームやジャムのワッフルだと1つ80円。
果物が乗っているタイプは、160円。 
80円だと、スーパーで売っているカップタイプのヨーグルトよりちょっと高めなだけなので、買い易い。
200円前後のケーキというのは、中々ないので、200円くらいの予算があるときは、160円のワッフルを買っている。

コージーコーナーのモンブランシュークリームの長いタイプ

一人250円で、4人分のケーキが買いたかった。
コージーコーナーを見ると、プチケーキが160円で、その上の大きなケーキは、1つ380円なのだ。
その中間はないのだ、プチじゃ物足りないし、大きいのは予算オーバーなんて、考えながら、ショーウィンドーを見ていると、モンブランシューのホールが1000円であった。
これなら、切り様によっては、5,6個にも切れるし、予算にピッタリ。
買って来たら、大変評判が良かった。
1000円くらいの予算だったら、このケーキがお勧め。

ミカワヤのロールケーキ

これは、ちょっとローカルで、浅草にしかない店なのだ。
ここもデフレの波に乗ったのか、400円のロールケーキをいつの頃からか置くようになった。
チョコレートクリームと抹茶と普通のクリームだったか、三種類ある。
全部試してみて、全部美味しかったので、どれかしかなくても、買っている。
(抹茶は、小豆の粒も入っているし、クリームも入っていて、意外に美味しかった。)

スーパーを見ても、ロールケーキは沢山並んでいる。
デフレの時代、安くて美味しいお菓子というのは、「ワッフル」「シュークリーム」「ロールケーキ」に間違いないと思う。



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2002年09月27日(木)

おつりのお札


去年は、2か所のレストランや割烹屋さんの経理で、働く機会があった。
両方とも、中より上の食べ物屋さんであったので、結構、おつりのお札に気を遣っていた。
新札を用意しておくのは当たり前、古いお札を使うときでも、きれいなものだけを残し、汚いものや切れているものは銀行に持って行くのが当たり前だった。

この前、ケーキを買ったときに、あるお店で、1万円札を出したら、2ヶ所も切れている5千円札で返してきたのだ。
これは、結構、びっくり。
記憶のある限り、こんな二ヶ所も切れているお札でおつりを渡されたのは、初めてだったかも知れない。

確かに、普通より汚かったり、切れているお札で、おつりを返されると、暗に「あんたはもう来なくていいわよ」とお店から言われているような気がするから不思議。
(ただ単に、お店のバイトに対する教育が悪いから、こういうことが起きるとは思うのだ。)
例えば、レジの中にあった一番汚いお札を、この人に渡しても失礼ではないと、レジの子が判断したような気分がするのだ。
5千円札が一枚しかなかったとしても、「生憎、5千円札がないので、千円札でも宜しいでしょうか?」と一言言って、千円札で返せばいいのにね。
でも、多分、本当に、レジの女の子が、汚い切れたお札でおつりを返すのが失礼なことだと知らずにやったことだと思うことにした。

で、その汚い五千円札は、次に行ったスーパーですぐに使ってしまった。
スーパーのレジ係りは、嫌な顔もしないで、受け取ってくれた。

きっと、チェーン店のケーキ屋は、個人経営のケーキ屋というより、機械的なスーパーに近いのだろうと思った。



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2002年09月28日(金)

豚しゃぶの麺


さて、そろそろ、暑さもおさまり、また、鍋物の季節がやってきた。
鍋物って、本当に作るのが楽で、皆が食べてくれるから、いいよね、これがない夏の献立がいかに辛い物か....。

で、ずっと書き忘れていたのだが、我が家で豚しゃぶをやるときには、別途中華麺を茹でて、お鍋で食べているのだが、それに一番向く麺をご紹介。

シマダヤの「名人おすすめのラーメン」(とろコクしょうゆ)

色々試してみたが、これが確実に合うし、美味しい。

まず最初に、麺を茹でるために沸かしたお湯の中に、添付のスープの素を入れて温めて取り出し、器に入れて、醤油だれと混ぜておく。
次に硬めに茹でて(表示では3分茹でなのだが、2分半程度か)、水に取って洗って、水気を切る。

で、お鍋を食べるときに、適量を入れて、温まったところで、小鉢に、醤油ベースのスープの素を入れ、お鍋のお湯で、好みの濃さに薄めて、お鍋の麺を食べるのだ。
(つけ麺の濃さでもいいし、ラーメンの濃さでも良い。)

予め、長葱を小口に刻んでおくのも良いし、このラーメン汁に、おろしにんにくや練白胡麻を入れても美味しい。

好みはあるだろうけれど、中華麺は茹で過ぎは評判悪い。
小さいときは、「茹だり過ぎて不味い、誰か食べて!」と我が儘を言っていたのは私であったが、現在では、甥2が食べた途端、「茹り過ぎ、不味い、誰か食べちゃって」と言い、私が、鍋に残っている茹り過ぎの麺を集めて食べている。

美味しくないけれど、う〜ん、私も大人になったものだと思う。(笑)



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2002年09月29日(土)

おっとりご長男様


我が家の甥1君は、本当におっとりしている。

おばあさんの家に夜上がってきて、食卓ですぐにその存在を認識できるのは、赤いお刺身だけではないかと思うのだ。
それと、肉を焼いていると、その匂いで肉の存在を知ることができるみたい。
この2つについては、入ってきたなりに認識をし、「僕、食べるからね」と言う。

その他のものに関しては、何も認識しないまま、奥の部屋で寝そべりながら、テレビを見出して、それに夢中になり、おばあさんや私の存在や食べ物に関して、全く注意が行かなくなるらしい。

その点、甥2は、元々食いしんぼだから、来たなり、食卓を眺め、その時々、何を食べるか決めるのだ。

甥2は、食べ物1番でテレビが2番目。
甥1は、疲れが1番でテレビが2番、最後に食べ物が行動の動機になるみたい。
甥1は、甥2に比べたら、食べ物に対してとても淡白で、余り、自ら、「何が食べたい」と言うことは少ない子供である。

ある時、もう自分の家に帰らなくてはいけない時間になってから、「何かある?」と聞くので、「○○があったけれど、食べてなくなったわよ」と言うと、「嘘言っちゃいけないよ、僕が食べるものかどうか、わかるでしょ?」と言ったのだ。

あ、彼は、おばあちゃんたちは、僕の好きな物は必ず声をかけてくれたり、取っておいてくれることに何の疑いも持っていないことがわかった。
そのときも、おばあちゃんたちは、僕が好きな○○を取っておいてくれたのに、からかって、「もうないよ」と言ったと思っていたらしい。

そりゃあ、小さくて、背がまだ足りなくて、言葉も足りなかったときは、確かに、「甥1ちゃん、今日は○○食べる?」とか、こちらから先回りして言っていた記憶はある。
背が私を超した今でも、甥1には、この時代の記憶が残っているらしい。
反対に私たちは、「甥1はもう既に背が大人並みで、部屋に入ってくるときに、食卓を見た、そして、何も欲しなかった」と思うようになってきていたのだ。

このお互いの認識の差が面白かった。
このまま、おっとりしたまま育てるか、もっと欲しい物には食いついて行くように育てるのか、難しいところである。(笑)
でも、甥1は全体的におっとりしているものの、学校なぞでは結構頑張っているみたいだし、甥1の憩いの場所−おばあさんの家では今までどおりにしてあげようと思う。



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2002年09月30日(日)

ありがとう


今日は、本当は、10月13日です。
何人かの方から、励ましのメールをいただき、再び、やる気を起して、どうにか、9月を全て埋めることができまして、本当に有難うございました。
それにしても、私のつたない文章を待っていてくださる方が沢山いらっしゃるということは、私の人生の大変な励みであると、再認識しました。

以前は、前の週の土日に、それから続く1週間分くらい書き溜めることができて、毎日、1つずつアップロードすることができたのですが、どういうわけか、最近は、それができなくなってしまいました。

でも、どうにか早く本当の日付に追いついて、そして、追い越すくらいに書き溜めたいです。
できるだけ、頑張りますが、たまに休むことがあるかも知れません。
そのときにはどうぞ、大目に見てやってください。

それと、以前は、昔に書いたものと重複がないかとチェックしていたのですが、最近、余りに過去の量が膨大になり、一々チェックしなくなりました。
これも困ったものは困ったものなのであります。
もし、重複に気付かれた方は、ご一報いただけると有難いです。



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