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2001年10月01日(月) 鹿児島県の豚肉 MLに鹿児島在住の方がいらして、その方とメールで話しているうちに、「どうして、鹿児島県の郷土料理は、豚骨なのか?」という疑問が湧いてきた。 日本というのは、江戸時代、生類憐れみの令か何かで、四足動物を食べることが禁じられたのに、どうして、鹿児島県だけ、豚肉を食べていたのか、謎であった。 で、インターネットで、「鹿児島県 豚肉 歴史」で、検索したら、ぴったりのページが見つかった。 南日本新聞「かごしま黒豚物語 450年の伝承」 のHP←ここをクリック どうも、鹿児島県は、幕府が禁じていたことだから、公文書などには記載されていないけれど、状況証拠から推測すると、豚を食べる習慣のある沖縄との繋がりで、江戸時代から、殿様ぐるみで、養豚して、豚を食べていたようだ。 きっと、江戸幕府から余りにも遠いところにあることとか、沖縄を管轄していて、沖縄との繋がりを重視するがために、「豚肉を食べることを禁止」しないで、奨励していたらしい。 この「かごしま黒豚物語 450年の伝承」はとても面白くて、良く書けた記事である。 それにしても、ふと思いついた疑問に、インターネットで簡単に答えが見つかるところが、すごいなと思う。 |
2001年10月02日(火) 沖縄の昆布 昨日の続きで、鹿児島の方と話していたら、「沖縄は昆布を食べる習慣があるが、この昆布はどこ産のものか?」も、疑問に沸いてきた。 で、yahooで「沖縄 昆布 歴史」で検索したら、下記ページで概要がわかった。 昆布と沖縄←ここをクリック これを読むと、沖縄(=琉球)が、薩摩藩の属国で、砂糖キビが採れたこと、明朝との貿易があったことが大きく関係しているようだ。 明との貿易のために、薩摩商人は、砂糖を売ったお金で、大阪で、北海道(=蝦夷)の昆布を買って、琉球に回わしていたことがわかる。 今でも、一番上等な昆布は大阪に回ると聞いたことがあるくらい、大阪と北海道の昆布の歴史は古くて深いことは知っていたが、沖縄に北海道の昆布がそんなに古くから回っていたとは知らなかった。 大阪には「昆布を食べる習慣」(おぼろ昆布・えびすめ等)があり、勿論沖縄にもあって、東京には余りない。(あるのは、おでんの昆布、昆布巻きの昆布、佃煮の昆布くらい) これも考えてみれば、北海道の開発と、交易の歴史の結果かも知れないと思った。 まずは、北海道の昆布が、大阪に集められるようになる。 その次が、貿易で、明からの貴重な物資を買うための輸出品として沖縄に回るようになる。 その次が、江戸で、江戸は、北海道の昆布の売り先としては、三番目であったのではないか? そして、江戸時代の蝦夷というのは、道東というか、本州側しか開発されていなかったであろうから、道東で取れる柔かい食用になる昆布も、大阪、沖縄、東京の順番で買われて行ったのではないか? 最初に、大阪に回ってきた昆布が道東の柔かい食用のものであったなら、それは、初めに使い始めた大阪、沖縄の順に、大量に回されて、残りが東京に行くくらいだったのではないだろうか? そうすると、東京には、既に開発されて安定的に採れて、安定的に供給先が決まっている柔かい食用昆布は中々回って来ずに、後発のシベリア海に面した地である、利尻とか、羅臼あたりの硬い昆布が売られたのではないかと、思う。 しかし、これは、私がそう思うだけで、確たる証拠は見つかっていない。 ただ、私の記憶として、我が家では昆布の使い方が確立されていなかったし、昆布というと、銘柄なぞ選ばずに、そこらへんの乾物屋で売っているものを買って来て、湯豆腐やたらちりの鍋物程度に使っていたように記憶している。 関東では、庶民ベースで、昆布が家庭に入ったのは大変新しいか、今でも、「家庭で常用されている」ところまでは行っていないような気がする。 今回、「沖縄では江戸時代から、北海道の昆布を使っていた」ことを知り、もし、その頃、関東が明との貿易の窓口だったら、関東でも、今頃は、昆布を食べる文化が育っていたかも知れないと思った。 今、私が口にしている食糧はすべて、このような交易の歴史なぞを踏まえて、食べる習慣ができたものかなと思うと、食べ物の話は奥深いと思う。 また、沖縄が、「琉球処分」によって、日本に本格的に組み込まれ、明との貿易を一切しなくなったと聞き、もし、このような歴史がなかったら、未だに中国では、昆布料理というのがあったのかと思う。 もう、再現するのは難しいかも知れないが、昔、中国で北海道の昆布を使ってどのような料理が作られていたのか、知りたい気もする。 |
2001年10月23日(火) ブリジットジョーンズの日記 先週、ちょっとした都合で、5連休の休みがあった。 ちょうど、妹が、ブリジットジョーンズのただ券をくれたので、観に行った。 妹は、初め、「一人で映画に行くのは嫌かも」と気を利かして、2枚くれたのだが、平日に暇な友人を探して、また、日程を合わせるという作業が面倒なので、一人で観に行くことにした。 それにしても、「映画を一人で観に行くことに抵抗が強い人」は、結婚するような気がする。 実は、インターネットを通じて知り合った昔からの友人(数回会ったことがある)から、下記話を聞いた。 「森さんが、「観た方がいいわよ、あなたにぴったりの映画だから」とメールで教えてくれた「ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブ」を女性の友人と観に行ったら、本当に良かったんです。(もう一人の子は、そんなでもなかった様子) で、もう1回観たいけれど、一人で行くのは嫌だったので、同じ職場の男の人で、やはり、この映画を気に入るだろうなと思った人に、声をかけたのです。 そして、この映画を一緒に観に行ったのがきっかけで、交際が始まり、結婚することになりました」とのこと。 え〜、いいわね〜と羨ましくも思ったけれど、「一人で映画を平気で観に行く」自分のライフスタイルが間違っているのだから、しょうがない。(笑) で、平日の2時からの会に行ったのだ。 きっと空いているだろうと、15分前に着いたら、何と長蛇の列。 映画館の人に聞いたら、今から並んでも、前の方になるが、座れるとのことで、列の最後尾に付く。 どうも、平日の夕方以外の会では、学割をやっていて、それも、1000円とのことで、女子学生が沢山来ているようだった。 おばさんは、「映画なんか観たりしないで、平日の午後は図書館でも行ったら」と言いたくなった程、回りは、若い女子学生で一杯であった。 映画は、面白かった。 ローティーン向きの少女漫画とか、一昔前のアメリカの高校青春物みたいな感じ。 でも、平均寿命が延びたせいか、現代は、30をちょっと過ぎた女性が主人公である。 別に特段感銘を受けるとかは全くないけれど、漫画みたいで、とても笑わせてくれるし、最後ハッピーエンドで、見終わった後、結構幸せになれる。 西洋人の普通の、別に美人でもなくて、ダイエットにも禁酒にも失敗している主人公の平凡な顔の大写しを見ていたら、「西洋人の平凡な女の子っていいうのは、こういうものか」と思え、この平凡さは、確か、小さいとき、テレビで見ていた「パティ・デューク・ショー」のパティと共通すると想い出した。 (あのテレビも楽しかった。) 食べ物の話は、この映画には、そんなには出て来ない。 最初の始まりが、クリスマスの「ターキー・カレー・パーティ」だった。 西洋人も、ターキーを焼いて食べるのに飽きて、クリスマスにカレーパーティなのか? 他、主人公のブリジットジョーンズが友人を招いて、ホームパーティを開くときに、お料理をするのだが、その不器用さと、その不味い料理を食べるときに、友人達が、イギリス風に色々に評価しているところも笑わせる。 このような場面は、全然美味しそうではないけれど、ブリジットジョーンズ嬢がホームパーティのために買物をするシーンだったか、ロンドンの普通の八百屋さんが集まるようなところが映り、回りのロンドンの古ぼけた風景の中で、やたらに野菜がきれいに見えた。 この映画は、一言で言えば、元気になりたいとき、はちゃめちゃに笑いたくて、ハッピーな気分になりたいときに観ると良い映画だと思う。 ブリジットジョーンズの日記←ここをクリック |