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2001年10月01日(月)

鹿児島県の豚肉


MLに鹿児島在住の方がいらして、その方とメールで話しているうちに、「どうして、鹿児島県の郷土料理は、豚骨なのか?」という疑問が湧いてきた。

日本というのは、江戸時代、生類憐れみの令か何かで、四足動物を食べることが禁じられたのに、どうして、鹿児島県だけ、豚肉を食べていたのか、謎であった。

で、インターネットで、「鹿児島県 豚肉 歴史」で、検索したら、ぴったりのページが見つかった。

南日本新聞「かごしま黒豚物語 450年の伝承」 のHP←ここをクリック

どうも、鹿児島県は、幕府が禁じていたことだから、公文書などには記載されていないけれど、状況証拠から推測すると、豚を食べる習慣のある沖縄との繋がりで、江戸時代から、殿様ぐるみで、養豚して、豚を食べていたようだ。
きっと、江戸幕府から余りにも遠いところにあることとか、沖縄を管轄していて、沖縄との繋がりを重視するがために、「豚肉を食べることを禁止」しないで、奨励していたらしい。

この「かごしま黒豚物語 450年の伝承」はとても面白くて、良く書けた記事である。
それにしても、ふと思いついた疑問に、インターネットで簡単に答えが見つかるところが、すごいなと思う。



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2001年10月02日(火)

沖縄の昆布


昨日の続きで、鹿児島の方と話していたら、「沖縄は昆布を食べる習慣があるが、この昆布はどこ産のものか?」も、疑問に沸いてきた。

で、yahooで「沖縄 昆布 歴史」で検索したら、下記ページで概要がわかった。

昆布と沖縄←ここをクリック

これを読むと、沖縄(=琉球)が、薩摩藩の属国で、砂糖キビが採れたこと、明朝との貿易があったことが大きく関係しているようだ。
明との貿易のために、薩摩商人は、砂糖を売ったお金で、大阪で、北海道(=蝦夷)の昆布を買って、琉球に回わしていたことがわかる。

今でも、一番上等な昆布は大阪に回ると聞いたことがあるくらい、大阪と北海道の昆布の歴史は古くて深いことは知っていたが、沖縄に北海道の昆布がそんなに古くから回っていたとは知らなかった。

大阪には「昆布を食べる習慣」(おぼろ昆布・えびすめ等)があり、勿論沖縄にもあって、東京には余りない。(あるのは、おでんの昆布、昆布巻きの昆布、佃煮の昆布くらい)

これも考えてみれば、北海道の開発と、交易の歴史の結果かも知れないと思った。

まずは、北海道の昆布が、大阪に集められるようになる。
その次が、貿易で、明からの貴重な物資を買うための輸出品として沖縄に回るようになる。
その次が、江戸で、江戸は、北海道の昆布の売り先としては、三番目であったのではないか?

そして、江戸時代の蝦夷というのは、道東というか、本州側しか開発されていなかったであろうから、道東で取れる柔かい食用になる昆布も、大阪、沖縄、東京の順番で買われて行ったのではないか? 
最初に、大阪に回ってきた昆布が道東の柔かい食用のものであったなら、それは、初めに使い始めた大阪、沖縄の順に、大量に回されて、残りが東京に行くくらいだったのではないだろうか?

そうすると、東京には、既に開発されて安定的に採れて、安定的に供給先が決まっている柔かい食用昆布は中々回って来ずに、後発のシベリア海に面した地である、利尻とか、羅臼あたりの硬い昆布が売られたのではないかと、思う。
しかし、これは、私がそう思うだけで、確たる証拠は見つかっていない。

ただ、私の記憶として、我が家では昆布の使い方が確立されていなかったし、昆布というと、銘柄なぞ選ばずに、そこらへんの乾物屋で売っているものを買って来て、湯豆腐やたらちりの鍋物程度に使っていたように記憶している。
関東では、庶民ベースで、昆布が家庭に入ったのは大変新しいか、今でも、「家庭で常用されている」ところまでは行っていないような気がする。

今回、「沖縄では江戸時代から、北海道の昆布を使っていた」ことを知り、もし、その頃、関東が明との貿易の窓口だったら、関東でも、今頃は、昆布を食べる文化が育っていたかも知れないと思った。
今、私が口にしている食糧はすべて、このような交易の歴史なぞを踏まえて、食べる習慣ができたものかなと思うと、食べ物の話は奥深いと思う。

また、沖縄が、「琉球処分」によって、日本に本格的に組み込まれ、明との貿易を一切しなくなったと聞き、もし、このような歴史がなかったら、未だに中国では、昆布料理というのがあったのかと思う。
もう、再現するのは難しいかも知れないが、昔、中国で北海道の昆布を使ってどのような料理が作られていたのか、知りたい気もする。



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2001年10月03日(水)

去年の合羽橋道具祭の反省


10月に入って、合羽橋道具祭が始まったようだ。
何でも、今年は、期間が1か月とのことで、お店の人がヒーヒー言っていた。
1か月も安売りするものがないそうである。

ま、1か月の間、各店とも何がしかを安売りしているだろうが、やはり、華は、10/8の歩行者天国の日のワゴンセールだ。
私も、9時には合羽橋に行って、下見しようと計画している。

で、去年買ったものの評価を冷静にしてみる。

1.確か400円のタイマー
  これは、音が鳴り出すと、中々止まらなかったし、冷蔵庫に貼り付けてあった
  のだが、自然と落ちて、壊れてしまった。
  私の経験からだけ言うのは正しくないかも知れないが、余りお勧めではない。

2.アイスクリームディッシャー

  安いということで、3個くらい買ったが、まだ、誰にもあげていない。
  何かのときのお礼に使えるなんていうのは、当てがない場合、買わない方が
  良い。

3.LL板の野菜保存袋

  これが、一番役に立った。
  幅50cmはあろうという大きな袋であるが、小松菜を洗って水気を切って入
  れておくのに大変役に立っている。
  他で売っているのを見ていないので、青菜を洗って保存したい人にはお勧め。
  10枚100円だったのだが、2箱買ったので、未だ1箱残っているので、今
  年は買わない予定。

4.1000円の500ミリリットルの水筒

  保冷・保温ができるタイプで1000円は安いと思って買った。 
  いざ使ってみると、二重構造なぞになっていなくて、ステンレスだけの製品で
  あった。
  夏、VAAMを溶かして氷を入れたものを保管するのに役立ったが、口が壊れ
  てしまい、捨ててしまった。
  お勧めかどうかは迷うところ。(壊れたのは、私の扱いが悪かったからかも知
  れず)

はてさて、今年は何を買おうか、とても楽しみである。



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2001年10月04日(木)

「粉だし」で極上シンプルだし宣言


三週間前程に、山本麗子さんの「粉だしで極上シンプルだし宣言」という新刊本を見つけた。

粉だしについては、「本枯れ節を粉にしている」私のこと、無視しようとも思ったが、やはり、買ってしまった。

この本の特徴は、かつお節だけではなく、煮干し、昆布、干し貝柱、干し海老、な〜んでも粉にして使ってしまうというところだ。(築地で言ったら、寿屋さんの店先みたい)
また、使い方も、汁の中に入れて漉さないタイプ、漉すタイプ、塩と混ぜて付け塩にするタイプなど、研究した幅も広いようだ。

干し貝柱や干し海老は、元々食べてしまうものだから、漉さなくても何となく抵抗はないけれど、やはり、私としては、粉を漉さないで、入れっぱなしにするのは、ちょっと抵抗を感じる。
奥薗壽子さんも、山本麗子さんも、「粉を入れても気にならない」というけれど、本当にそうかしらね、と、私は思う。

実際に、4人分の味噌汁を作るのに、昆布を粉にして小さじ1/4杯、本枯れ節大さじ1杯を使ってから、漉して、かすをまじまじと見たけれど、お水を吸って、量が増えていて、これらが混ざり込んでいる汁というのは、やはり、ざらざらした感じが否めないのではと思った。
(山本麗子さんは、味噌汁には、2人分で煮干しの粉小さじ1弱と昆布粉が小さじ1/4だから、もうちょっと、ざらざらしない感じか?)

私はやはりこれからも漉すタイプだなと思っているけれど、ここらへんは、人それぞれだし、山本麗子さんの本を見ながら、色々実験してみて、手間と番美味しさを天秤にかけてそれぞれの使い方を決めれば良いのだと思う。

まだ、買っただけで、パラパラとしか見ていないけれど、干し貝柱や干し海老の粉というのは確かに良いと思った。
私の場合は、干し海老や干し貝柱は買って置いておくと、粉が袋の底に溜まるので、それを使うことはあったけれど、初めから粉にしてしまった方が、いつでも使おうという気になる。

この本、浅草のROXの中のリブロという本屋さんで発見して1週間後に買いに行ったのだが、1週間で山積みだった本が2冊しか残っていなかった。
皆、簡単で美味しくて自然な味というのを求めているのだと思う。

この本は、私の場合、結構参考になり、今後、色々実験して、私の粉だしの取り方もグレードアップしようと考えている。

「粉だし」で極上シンプルだし宣言
山本麗子著
講談社刊
¥1700



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2001年10月05日(金)

昆布の粉 1/2


昨日書いた山本麗子さんの本で、昆布の粉が載っていたが、私はやはり、昆布は昔ながらの水につけてから、とろ火で煮て、という取り方が好きなのだ。

昆布を水に浸けておいて、乾物から少し硬めに戻ったような感じになり、火をつけて、とろ火で、段々に温めて行くと、昆布は、ピッカピッカに光ってしかも伸び伸び本当にきれいに戻るのだ。

何ていうのか、その作業というのは、昔だったら、温泉場とか、お風呂屋さんの湯炊き(本当にあった言葉かどうかはわからない。お風呂の湯加減を調節する人の意味)、今だったら、エステサロンのエステシャンのような気持ちで、作業できるから、面白いのだ。

昆布はわざわざ北海道から長旅に疲れながら来てくれたお客様で、芯から疲れていて、干からびていて、生気がまるでない状態。
それを私が、お客様にぴったり合った湯加減などを調整して、ゆったりとお風呂に入ってもらううちに、ぴっかぴっかにきれいに変身させることができるのだ。
ぴっかぴっかにきれいに戻ったときは、もしかして、海でソヨソヨしていた時よりももっと綺麗?と思えるくらいの出来で、とても自己満足する。

つい、目を離したり、他のことをして、お湯加減が熱くなり過ぎたときなぞ、「お客様、熱過ぎてごめんなさいね、大丈夫ですか?」なんて、声をかけたくなる。
まるで、私は、本当にどんなボロボロな人でも蘇らせる特殊な技術を持った湯炊きか、エステシャンのような気持ち。
私は、実は昆布を戻して出汁を取るのが大好きなのである。

忙しいときは、だめだけれど、時間があるときは、結構、料理しながら、昆布で遊べる。



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2001年10月06日(土)

昆布の粉 2/2


この前、築地の吹田商店で買い物をしていたら、若い女性が、「昆布の粉はありますか?」と聞いていた。
あの山本麗子さんの本の影響だろうか?

以前、お料理のMLに入っていて、昆布出汁を取るのが面倒なときは、昆布茶を使うといいと習ったことがあり、昆布の粉というのも、使用範囲が広いのかも知れない。
ただ、私は昨日書いたように、昆布を戻すことが結構趣味的に好きなので、昆布を粉にすることはこれからも考えないけれど、物好きなので、持っている昆布を少し粉にして、使ってみた。
昆布で出汁を取るときは沸騰させないで、昆布を戻し、昆布を出した後、沸騰させて、昆布臭さを飛ばすのが常道である。(沸騰させると、昆布汁から、アクが浮いてくる)
これを、少量とは言え、粉にして混ぜ込んでしまうなんて、上手く行くのかしらと疑問であったが、少量なら、沸騰させても、結構美味しく出汁が取れた。
忙しいときはこの手段が良いと思った。
(勿論、私の場合は、漉すが)



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2001年10月07日(日)

煮干し 1/2


奥薗さんや山本麗子さんの本に刺激され、しかも、上野松坂屋地下2Fの明石焼きの出汁が煮干の味でとてもおいしいので、煮干が欲しくなった。

築地に行って、色々買い込んだ後、「煮干し」を探したのだが、どこで買って良いか良くわからない。
で、何軒かのお店を診て回ると、500g1000円くらいが相場かなと思っていたのだが、某店で、「ほら、これがいいよ」と見せてくれたのが、500g1600円だったのだ。
その袋に「無添加」と書いてあった。
「え?普通の煮干しには何を添加しているのですか?」とお店の人に聞くと、「酸化防止剤」とのこと。
煮干しって、洗って使わないから、ちょっと嫌だな〜と思った。
言われてみれば、煮干しは、魚の干したもので、脂肪を含んでいるから、常温で保存していると、油が滲み出てくる。
このにじみを抑えるために、酸化防止剤がまぶされているのだ。
確かに、常温で売ることができるのは、この酸化防止剤のおかげなのかと思った。


4,5年前に、インターネットで知り合った方が、日本海の方から煮干しを売りに来るおじさんからいつも煮干を仕入れていて、それが美味しいからとくださったことがあったのだが、それは本当に美味しかった。

もしかして、あのときの煮干しは、無添加だったから美味しかったのかなと思い、500g1600円の高級品を買ってしまった。(笑)
(私の購入した物は、ちゃんと冷蔵庫で保管してあったもの)


私が気前良く、「それ、買います!」と言ったからかどうかはわからないが、おじさんは、くき若布300gをおまけにつけてくれた。
くき若布300gというのは結構な量で、こんなにおまけくれるなんて、初めから、500g1600円はちょっと高い値段だったのかなと疑ってしまった。



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2001年10月08日(月)

合羽橋道具祭2001


7日の日曜日、午後5時前に、合羽橋の方に行くと、すごい人。
ありゃ、私は歩行者天国のある8日が一番かと思ったら、その前の日でもすごいんだと感心する。
考えてみれば、去年まで、、歩行者天国の前日が休日ではなかったのだ。
なるほど、休日が2日続けば、2日とも賑やかになるのだ。

私は浅草のスーパーにくちなしの実を買いに行ったのだが、浅草にはなかったので、宇田川商店に行ってみた。
くちなしの実は、合羽橋らしく大袋があって、一生で使い切れるか切れないかくらいの量を買うことになった。(でも安いけれど)

宇田川さんに聞くと、今年は、歩行者天国の前日の日曜日から賑やかで、既に「売り切れ」の塩が出ているとのこと。
売り切れと聞くとその塩が買いたくなる。
それは、沖縄の塩、記憶しておいて、来年は、必ず買おうと思ってしまう。

来年も歩行者天国が月曜日の祭日だったら、どうしよう?
私も来年から歩行者天国の前日の日曜日から買いに行くかしらと考えたのだが、あの狭い合羽橋の歩道で、自転車を引っ張りながら、移動するのは大変で、やっぱり、私は、歩行者天国のときに行こうと思った。



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2001年10月09日(火)

合羽橋道具祭2001 2/2


今年は、一人で、道具祭に行ったのだが、途中、ケーキ教室の先生や、元職場の人に偶然遭って、楽しかった。
ケーキ教室の先生は、しょっちゅう合羽橋に買物にいらしているのだが、合羽橋道具祭は初めてとのこと、「こんなに楽しい物だと思わなかった〜」と感激してらした。

私が買ったもの
・ステンレスボトルの魔法瓶(タイガー) 1500円
  どこの店のワゴンかわからないワゴンで。
  去年は1000円があったけれど、外国製でチャチで、もう壊れてしまった
  のだ。
  今年のは、タイガーのものだから、丈夫ではないかと期待。

・アイスクラッシャー           200円
  どこの店のワゴンかわからないワゴンで。
  200円だからと思って買ったのだが、役に立つかどうかちょっと不安。
  チャチなものだが、使えなくても、200円だったね、という感じ。

・小さなクグロフ型4つ         1000円
  馬嶋屋さんで。
  (馬嶋屋さんって、お菓子道具店の中では、一番、合羽橋道具祭に協力しよ
  う、盛り上げようという感じがして、とても良かった。)
  バターケーキが好きな私としては、小さいクグロフがあると、一人暮らしや二
  人暮らしの人にちょうど良い大きさを送れるのではないかと考えて、買ってし
  まった。

・プラスチックの物相型
  どこの店だかわからないワゴンで。
  瓢箪と梅型              各300円
  一個あれば、便利かなと思い、買ってしまった。
  これは、私のおもちゃみたいなもの

・デジタル秤              1940円
  今年は、川崎商店は2500円で高かった。
  何でも、今年のは新型だからとのことですが、旧型で安い方が嬉しい。
  (確か去年までは、1000円か、1500円だったのだ。)
  で、フラフラしていたら、池田屋本店で1850円だったので、買ってし
  まった。   何でも、もう200個売れたとか。
  デジタル秤1kgタイプで、2000円以下だったら、お買い得。
  私はデジタル秤は持っているのだが、この前、2,3回、電源が入らなかった
  ことがあったのだ、どうやら、電池を抜いたり入れたりしたら、直ったが、そ
  ういうことを経験すると、使いたいときに、壊れたらどうしようと思ってしま
  い、予備に買ってしまった。

・小麦粉1kg             各100円
  これは、定番、宇田川さん。
  実は去年のがまだまだ残っているので、今年は少なめに購入。
  宇田川さんは、今年も、大々的なワゴンセールで一番お店が賑やかだった。
  例年通り、香辛料が安かったけれど、この数年合羽橋道具祭のときに買った香
  辛料がまだ使い終わらないので、今回は見送り。

・イタリア製の絞り袋           350円
  馬嶋屋さんで
  これは、ケーキ教室の先生お勧め。
  生地が柔かくて、確かに絞りやすそう。
  通常1900円が350円とのこと。

・野菜の抜き型(小)           300円
  これはどうしようか迷ったけれど、以前、多慶屋で買った(大)が100円だ
  ったから、平均すれば、200円になるかと思って買ってしまった。
  野菜の抜き型は、小さい方が使うと思ったのだ。

・18cmのマンケ型           200円
  これもどうしようかと思ったのですが、200円ならと買ってしまった。
  ケーキ教室の先生曰く、側面がなだらかに広がっているので、スポンジは無理
  だけれど、バターケーキに使えるとのことで、これもお買い上げ。

以上。

まだまだ欲しかったのは、サンライズアサヒにあったステンレスの小さ目のトレイ、これなんか、オードブル盛ったら映えるかなあと思ったけれど、ステンレスをピカピカに保つというのも結構大変かと思ってやめておいた。→380円

合羽橋に新しく出来た台東区の施設の前にも売店があったのだが、エスカルゴのトマト煮の缶詰だか、レトルトを売っていたのが、珍しかったかな?

とても楽しめた。
雨が降ってきたので、帰ることにしたのが、これ以上長くいても、もう1回行っても、何か買ってしまうので、午後から出かける予定だった人には申し訳ないが、自分のことだけを考えると、雨が降ってきてよかったかなという感じ。



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2001年10月10日(水)

煮干 2/2


煮干を買い求めた日の午後は、半日かけて、500gの煮干しのはらわたと頭を取って過ごした。
高い煮干を買うときに、奥薗壽子さんの乾物の本に、「煮干しの頭は味が出るから取るのは勿体無い」という言葉が浮かび、「頭も使えるなら」と買うことを決心し、だからと、初めは、頭を捨てなかったのだ。

で、剥きながら、頭だけ食べてみると、はらわた程臭くないけれど、普通のフィレの部分よりは匂いがあるような感じだったので、ま、いいかと思った。
しかし、そのうち、煮干し裂きにも飽きて、煮干しの頭を潰して中身を見たら、えらが出てきたのだ。

私は昨年某所でお料理を習ったのだが、エラって、すごく汚いところだと習った。
魚が水を体内に取り入れるのに、まずエラがフィルターになっていて、雑菌などが全部エラで漉されて、きれいな海水にしてから、体内に入るとか。(取り入れられるのは酸素だけだったかな?)
ということで、エラは、汚いし美味しくない筈。
(一度、あんこう鍋で、あんこうのエラを流水にさらして、血を全部水出しして、真っ白になったエラを食べたことはある。要は、掃除していないエラは、美味しくないのだ。)
ま、煮干のエラは干してあるから、もうばい菌は死んでいるけれど、わざわざ、エラを入れることはないのではないかなと思った。

でも、奥薗さんの本に、「頭から良い出汁が出ると書いてある」からには、味的にはそんなに影響ないのかも知れないとも思う。
また、新鮮な煮干なら、丸ごと出汁にしていいとか、丸ごと食べる人の話も聞いたことがある。
(この前、申し込んで届いた某通販の雑誌に、「青口は、イワシらしい香り豊かな出汁が取れる煮干。少し苦味があるので、頭と内臓は取り除いてください。白口は上品な味の出汁が特徴で、小振りで骨も柔かくてそのまま使える高級品。そのまま食べるなら白口」と書いていあり、奥薗さんの場合は、白口かしらとも思った。)

奥薗さんは頭だから良い味が出るというし、料理の教科書的には、通常、エラはばい菌だらけで汚くて美味しくないというし、どうしようかと考えて、結局、頭を潰して中身だけを取り除き、皮の部分だけ、出汁に使うようにした。
こんなことで、半日使った自分はとても暇人だと反省してしまった、今度から、青っぽい煮干を買ってきたら、昔ながらのやり方に則って、頭は捨てることとしよう。

(処理した煮干しは、全て冷凍した。)



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2001年10月11日(木)

食べる日本史


実は、この本、一度読んで、「面白くない」と思っていたのだ。
しかし、MLで、「日本には古来『薬膳』の考え方があったのか」という疑問が投げかけられ、この観点で読み直したら、結構、面白かった。

何せ、日本の歴史は長いし、また、日本は仏教の影響で、「食べ物のことを口にするのは、自分の煩悩を語ること」と捉えられていたので、古来から何を食べていたかの文献が少なく、また、残された文学にも食べ物が中々登場しないらしい。
こちらに、「何が知りたい」からこの本を読むという視点がなければ、その少ない文献を元に、色々な時代を少しずつ語っているこの本を読んでも、面白い筈はなかったのだ。

でも、悲しい。
古来日本では、「何が食べたい」などという話をすることは、卑しいこととされていたのだ。(私なぞは、現代に生まれて本当に良かった。)
貴族は仏教の関係で、食べ物を軽んじてきたみたいだし、農民は農民で、年貢がきつかったので、食生活を楽しむどころではなかったのが、日本の食の歴史のようである。
日本人が、「食」を楽しむようになったのは、江戸時代に、町民文化が芽生えた頃からかも知れない。(その頃、農村ではやはり食べるのに精一杯の状態であったようだ。)

この本の全てを語ることはできないので、面白かったことを。

・平安時代、源氏物語には、食べ物のことが殆ど書かれていないが、これは、食欲
 を語ることが煩悩を語ることになり、卑しいことと考えられていたことと、実際
 に食べていた食べ物が、美味しくなかったからではないか?

・地方の武士が貴族を破って、政権を握ると、貴族化する。
 その貴族化した武士は、戦う必要もなくなるので、食べ物が自然界の生ものを食
 べずに、乾燥品を戻して食べるようになる。
 そうすると、身体が弱体化していく。
 (現代、「乾物」が良いとされるが、これは、バランスが問題。やはり、乾物ば
 かり食べていたら、栄養が偏るであろう。)
 そこを、地方で栄養豊富な生の食糧を食べていた武士が攻め込んで、政権を奪う。
 そうすると、また、その地方の武士が貴族化して....の繰り返しであった。

・日本の食というのは、明治の中ごろまで、「米」中心であった。
 「米」の確保が「食」の確保であり、「経済力」の確保であった。
 今の時代、「米」の地位が低くなったが、明治の中頃まで、農民の生活は米
 の生産に沿って暮らしていたのだ。
 都市部でも、「米」がお金の代わりをしていた。
 米の刈り入れのときに、妊娠2,3か月の流産の危険性のある女性が出ないよう
 に、逆算して、(秋に妊娠2,3か月になりそうな)妊娠初期の女性が自然流産
 するような食べ物上の工夫がされていたとのこと。

以上のように結構面白い話も多いけれど、やはり、古来からの日本の食生活を一冊にまとめるのは無理が大きく、突っ込みたくなるところも多い。
しかし、この本以外に、本屋で売っている本で、日本の食に関する歴史を書いた本もないようなので、一度読むと良いと思う。

「食べる日本史」
樋口清之著
朝日文庫
480円



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2001年10月12日(金)

煮込み中華そば


まかない料理の本を見て、ちょっと自分なりに工夫して煮込みラーメンを作ってみた。
味は、結構美味しかったけれど、やはり、中華蕎麦は、生のままスープに入れないで、一旦他のお湯で茹でてから、水で洗って使った方がより美味しいと思う。
スープは大成功。

材料  4人前
にんにく・生姜  1かけずつ     みじん切り
長葱       10cm程度    みじんか、小口切り
豚挽肉      150g程度
豆板醤      大さじ1
水       2000cc(干し椎茸の戻し汁を加えて)
鶏ガラスープの素 大さじ2

干し椎茸     適宜(水で戻しておく)細切り
筍の水煮     適宜         細切り
にんじん     適宜         細切り
卵        2個
にら       1把弱        ざく切り

中華麺      4つ

作り方
 1.別鍋に湯を沸かしておく。(中華そばを茹でる用)
 2.深鍋に油を引いて、にんにくと生姜、長葱を炒め、しんなりしてきたら、豚
   挽肉も入れて炒める。
 3.肉に火が通ったら、豆板醤大さじ1を入れて更に炒める。
 4.そこに水を2000cc入れて、鍋の底をこそげ取りながら、沸騰させる。
 5.沸騰したら、鶏ガラスープの素を入れて、アクを取る。
 6.干し椎茸、筍の水煮、にんじんの細切りと、調味料(醤油大さじ1、酒大さ
   じ2、塩小さじ1+1/2〜2)を入れる。(アクが出たらあくをとる)
 7.6を煮ているのと同時並行で、中華そばを茹でて、流水にさらし、ざるに上
   げて水気を切っておく。
 8.野菜にだいたい火が通ったら、中華麺を入れ、沸騰してきたら、少し火を弱
   め、溶き卵を流し入れ、かき混ぜて、卵を散らす。(味を見て、調整する)
 9.にらを最後に入れて、一混ぜして、火を通す。
10.ラーメン丼に入れて出来上がり。

次回からはこの順序で作ろうと思うが、初回、6に生の中華そばを入れたため、アク(不要な澱粉)が大量に浮いてきて、取るのが大変だったし、麺のぬめっとした感じになってしまった。
忙しいとき以外は、やはり、別鍋で中華そばを茹でた方が望ましいと思う。

これは、吉華という中華料理屋さんのまかない料理を工夫したものであるが、優れている点は、溶き卵を入れることにより、豆板醤の辛さが中和されることである。
また、この料理を作るにあたって、材料が殆ど冷蔵庫にあるものばかりなので、冷蔵庫の掃除にもってこいのメニューだと思う。
にんじんは、入れなくて良いけれど、入れると、彩りがきれいになる。(オリジナルには入っていなかった。)



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2001年10月13日(土)

右手の包丁、左手に醤油


小山裕久さんは、徳島の青柳という料亭のご主人で、確か、美味しんぼに取り上げられたことがあるように記憶している。

そして、去年だったか、朝日新聞の日曜の家庭欄の料理が、野崎洋光さんから、小山裕久さんに代わったこともあったから、「やはり、すごい人なのかな」と思っていた。
また、料理王国という月刊誌のバックナンバーを見ていたら、徳島に調理師専門学校を開いて、しかもそこの生徒を全員パリに連れて行って、ベルサイユ宮殿の前で全員がコック姿で写した写真が乗っていた。
この前は、晴海のトリトンスクエアに行ったら、小山さんの料理スタジオがあった...等々。

「すごい人なのかも知れないが、お店に行ったこともなければ、本を読んだことないし、料理本も見たことがないので、良くわからない」と思っていた。

そうしたら、ある本屋で「右手に包丁、左手に醤油」という小山さんの文庫本が目に入ってきたので、買って読んだ。

読後感は、「面白く読める」。
辻静雄以来の国際派で、フランス等に知己が多く、また、味がわかって、味を分析できて、味を言葉にできる才能がある人のように思えた。
(ここのところがとても魅力的)

ただ、その後で、インターネットで、青柳やBASARAについて、評判を調べてみたが、本人が語る程、評判が良いわけではないところが残念。

「右手に包丁、左手に醤油」
小山裕久著
文春文庫
524円



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2001年10月14日(日)

サンマの美味しさ


サンマは、カボスか、スダチかというコマーシャルがテレビで流れている。
実は、私は、サンマの塩焼きにこのような柑橘類を使うことを知らなかったのだ。
我が家では、醤油に大根おろしで、食べてしまう。

今年の秋は、既に5回サンマを食べた。
2回が我が家で塩焼き、2回が、我が家以外で塩焼き、1回が我が家以外で、煮物。

今年の我が家のサンマの塩焼きは特に美味しい。
何故なら、築地の仲卸に娘さんが嫁に行っている我が家の前の家から、大量のおすそ分けがあったのだ。(これは、飛びっきりに新鮮で美味しい)
お裾分けがないときは、私が築地場内に行って、吟味して買ってくるので、これもまあまあの水準。

で、今年は、久々、家の外でサンマを食べる機会があったのだが、やぱり、美味しくなかった。
別に不味くないのだが、サンマというのは、やはり新鮮さが命。
今年、外で食べたサンマは、一瞬、「美味しい」と思って食べ始めたのだが、段々、サンマの匂いが鼻につき出して、半分くらい食べ終わる頃には、口からお腹からサンマの匂いがそこはかなく感じられて、「明日は、サンマは食べたくないな」と思ったのだ。
なんと言うか、サンマの臭いがするサンマを久し振りに食べて、我が家の築地直送のサンマって、本当に新鮮で美味しいのだと、理解できた。

新鮮なサンマってどういうの?と聞かれたら、「サンマの味や臭いが薄くて、サンマを食べた後、次の食事や、明日の食事にもう1回サンマを食べても良いと思えるのが、新鮮なサンマの味なのだ」と答える。



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2001年10月15日(月)

若旦那か、御曹司か


先日、我が家に、私の叔父と従兄弟が訪ねてきてくれた。

甥2は家にいたけれど、甥1は、野球の試合で不在であった。

甥2は、いつもお兄ちゃんと一緒に扱われるのに、今日は、お兄ちゃん抜きで、親戚に応対した。
大人に囲まれて、一人だけで、話題の中心になれて、とても満足そうであった。
(顔が満ち足りた表情であった。)
考えてみれば、同性の年の近い弟や妹というのは、生まれたときから、一人でちやほやされたことがないのだ。
一番最初に生まれた甥1は、甥2が生まれるまで、否、甥2が首が座るくらいまで、大人の視線を一身に集めていたけれど、甥2は、その経験がなく、もしかして、この日が生まれて初めて、一人で大人に注目された経験かも知れない。
「待ってました」とばかりの幸せそうな表情に、「良かったね」と話しかけたくなった。

そして、叔父たちに、久々に、一緒盛りで、握り寿司を出したのだが、甥2は、それを見ても幸せそう、食べても幸せそうであった。

甥2が食べるお寿司の殆どは、回転寿司だからか、ちゃんとしたお寿司屋さんの握り寿司を1つ食べて、「いつも食べているお寿司より、握りがしっかりしている、海苔が厚い」と表したので、一同、大笑い。
親戚に相手してもらって、美味しいお寿司を食べて大満足の甥2の無邪気さや満ち足りた表情も、とても可愛い。

さて、親戚も帰り、甥1が戻ってきたので、おばあさんが、「おじさんたちが来たのよ」と言ったのだ。
私は、てっきり、「何を出したの?え、お寿司!僕も食べたかった!」と反応すると思っていたら、「僕がいなくて、おじさんに悪いことをした」と一言言ったとのこと。
全然、食べ物のことなぞに触れずに、「おばさんは、来なかったの?」とか、自分がいない間に起きた我が家の状況を聞き出そうとしたそうだ。

本当に、この子は、若旦那みたい、と思った。
(友人にこの話をしたら、「御曹司ね」と言ってくれた。)

甥2は、まだ、小学校3年生で、無邪気だから、お兄ちゃんはもう5年生だからとも思う。
また、我が家に葬式・法事が続いたときに物心ついていたから、お兄ちゃんは、誰も教えないのに、親戚が来たら、自分が出て挨拶しなくてはと覚えたのかも知れない。(甥2はそのときのことを全く記憶していないくらいの赤ちゃんだった。)

誰も、何も教えないのに、若旦那風に育った甥1は、甥1でとても可愛い。
でも我が家のように、お金のない家の若旦那に育ったことを、将来、がっかりするのではとちょっと心配。



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2001年10月16日(火)

魚の南蛮酢煮


MLで、サンマを酢で煮た話が出てきて、私もやってみたいと思った。
ベターホームの魚料理の本を見ると、サバの南蛮酢煮というのがあったので、これを真似してみた。

南蛮酢の分量
水    1/2カップ
酒    1/2カップ
味醂   大さじ3
酢    大さじ3
醤油   大さじ2+1/2
赤唐辛子 1/2本

赤唐辛子を水で湿らせて、種を取って小口に切ったものと上の調味料を鍋に入れ、沸騰させて、そこに青魚を入れて、煮るのだ。(煮るときに、落し蓋が必要。)
私としては、結構美味しく食べられたけれど、初めから青魚が苦手な私の家族は手を付けようともしなかった。
青魚は好きだけれど、生臭いのは嫌いという人には、酢が生臭さを抑えてくれるので、向いている食べ方であるが、はなから青魚嫌いには、到底相手されないのかも知れない。

それにしても、一般家庭用の料理本を見ると、「頭を落とす、内臓を抜く」まで書いてあるが、何故か、背骨にくっついている「血合いを取る」ということは書いていなかった。(もしかして、「内臓を抜く」に「血合いを取る」は含まれるのかも知れないが)
サンマの頭を落として、腹を割って、内臓を取り出したら、包丁の刃先をサンマのお腹の中に入れて、カリカリと背骨を掻くように当てると、血の塊が出てくる。
勿論、これを取った方が、より生臭くない。

血合いを取って、お腹も全身も流水で洗って、拭いて、そして、塩を振って、2,30分置いておき、浮いてきた汗のようなものを布巾やキッチンペーパーで拭き取る、これが魚を生臭くしないコツだと思う。



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2001年10月17日(水)

赤坂 伊真沁 1/2


元の職場の人たちと、赤坂の伊真沁という日本料理屋さんに行ってみた。

場所は赤坂だけれど、アークヒルズの前の大通りを挟んだ反対側の地域の路地にあって、TBS近辺の赤坂とは大分離れている。
路地の反対側が、巨大で豪華な高層マンション。
伊真沁は、芸能プロダクションであるホリプロの経営で、そのお店は、以前、ホリプロの若い歌手達の合宿所だったとか。

何でも、インターネットで集めた情報をまとめると、このお店は、社用で使う人が多くて、結構高めで、量が少ないとのこと。
(夜は、最低1万3千円とのこと。)
ただ、女性向けのレディースコースがあって、これだと、税・サービス料込みで、1万円とのことだったので、これにした。

噂どおり、量は少な目であったが、広々としたきれいな座敷で、ゆったりお酒を飲みながら、つまむのには、ちょうど良い量だったし、一品一品吟味された材料で、心をこめて作られた感じが漂っていて、器も良かったし、とても、評判が良かった。

熱いものは熱々、冷たいものは程好く冷たく、魚は新鮮、野菜の煮具合もとても良くて、満足。
(特に、青菜の煮方が良かった)

日本料理といっても、最近は、洋や中華の食材を織り交ぜて、新作のメニューを出すところもあるが、このお店は、そういう新しいやり方ではなくて、昔ながらの日本料理を丁寧に、美味しく食べさせてくれるようだ。(何かに、「京都おばんさいのお店」と書いてあったような覚えもある。)

味は、結構、はっきりした味付けだけれど、別に濃い目とか、塩辛い感じは全くなかった。
季節的に、秋に行ったので、3種類も松茸が入っているものが出てきて、お得な気分。
コリコリして、良い松茸で、多分、国産だと思うのだが、香りはそんなにしなかったような気がする。
それは、私の鼻が悪いせいかも知れないし、大体、国産松茸がどのくらい香るものなのか知らないから、なんとも言いようがない。(悲しい)

このお店は、気の置けない女性だけで、ゆっくりお酒を飲む宴会なぞに、最適。



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2001年10月18日(木)

赤坂 伊真沁 2/2


では、コースのご紹介を。

・松茸とほうれん草のおひたし
 松茸も美味しかったけれど、ほうれん草が絶品。
 茹で過ぎず、固過ぎず、歯ざわりが良くて、ほうれん草臭くなくて美味しかっ
 た。
 あのほうれん草の茹で方は、プロならではという感じ。

・カワハギの肝和え
・あじのなめろう
 あじのなめろうが評判良かったが、私は、カワハギの肝和えを先に食べてしまっ
 たので、なめろうの味噌味が全然わからなかった。
 あじの新鮮さは、良くわかった。
 (勿論、カワハギも新鮮で美味しかった。)

・松茸のけんちん汁
 蓋を開けると、ふわっと熱い湯気、柚子や野菜や出汁の良い香りが広がる。
 熱々で、出汁が良くきいていて、飲んでいるだけで幸せ。
 松茸が浮いている他、大振りのにんじん、レンコン、こんにゃく、里芋、鶏肉な
 どが入っていた。
 材料からすると、松茸を除いて、「けんちん汁」なのだが、この上品な汁を「け
 んちん汁」と読んでよいものかどうか、迷い、給仕の人に聞くと、間違いなく
 「けんちん汁」とのこと。
 「こんな上品なけんちん汁、見たことない」というくらい、上品で美味しかった。
 野菜がちょうど良い具合に煮えていて、レンコンはコリコリ、にんじんはちょう
 ど火が通ったくらいの柔かさで、美味しかった。
 「けんちん汁」だから、世帯っぽい料理とか、そういう考え方は間違いのようだ。
 作る人が作れば、どんな料理も、上品なご馳走になるものだと納得。

・向付(とろ、イカ、ハマチ)
 皆、小振りで小さかったけれど、全て、新鮮で、良い品で美味しかった。

・煮蛤のお寿司2個
 煮蛤のお寿司に少したれがかかっていて、この上に、付いてきた生姜を乗せて一
 緒に食べると、いたく美味しかった。
 私、これ、好き。

・さわらの西京焼き
 薄い切り身であったが、味は良い。
 コースの一つとして出てくる場合、余り大きい魚の切り身だと、それだけでお腹
 がいっぱいになるから、薄めがちょうどいいのかも知れない。
 渋いクリーム色のお皿に、紅葉した木の葉を一枚置き、その上に、西京焼き、谷
 中生姜の酢漬け、黄色いさつまいもを拍子切りにして、黒胡麻をまぶしたものが
 2つ彩り良く盛られていて、とても綺麗だった。

・豚バラ・大根・小松菜の煮物
 大根がちょっと固めで、これが唯一、評判悪かった。
 (私は、この位固くても大丈夫と思ったのだが)
 豚バラは、醤油で煮てあったけれど、やはり、ものすごく小振り。
 小松菜の煮具合が良かった。

・松茸ご飯
 お茶碗に1/3程度、ちょっと入ってきて、見た途端、食べた途端、「物足りな
 いな〜」と思った。
 でも、友人が、給仕の人に、「お代わりよいですか?」と聞いてくれたおかげ
 で、私も、お代わりしてしまった。
 私には、お代わりして、ちょうど良い量であった。

・アサリの赤だし
 熱々で美味しい。

・香の物(柴漬け、胡瓜と大根、後もう1個)

  ・果物の盛り合わせ(柿、ナシ、巨峰)



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2001年10月19日(金)

帆立のフライ


上野松坂屋で、北海道物産展があり、午後2時から、函館直送のイカと帆立を限定で売り出すとのこと。
ちょうどお休みであった私に、母から買って来いとの指令がかかり、getしに行ってきた。

イカしか買わないつもりが、帆立も見ると、つい買いたくなってしまう。(で、買ってしまった。)

さて、帆立を何に料理しようと考えたのだが、生で食べるのは、出されれば食べるが、いつもそんなに美味しいと感じない。
バター焼きなどの焼物にすると、焼き上がった後、少し置いておくと汁が出るところが気に入らなかったので、フライにした。

大体、バブルが始まる頃までに、街には洋食屋さんが沢山あって、ホタテのフライ、牡蠣フライ、海老フライ、イカフライ、それらをミックスしたミックスフライ、結構美味しいフライを結構手軽に食べに行っていたような記憶がある。
でも、バブルや不況で、街に洋食屋さんが減ってしまい、今の時代、街中では中々美味しいフライが食べられなくなったような気がしたこともあって、フライにした。

帆立貝を外すのは、今回が初めて。
どうにかなるだろうと、帆立を見る。
薄く口が開いているので、そこに手をいれて、両側を引っ張ったら、なんと、貝柱が真っ二つに裂けてしまった。
あ、違うんだと、二つ目に柔かく手を入れたら、貝が口を閉じて、私の指を噛んだ。(正しくは、挟んだ。)
一番最初に頭に浮かんだのは、「帆立に噛まれて指を怪我したら、絶対、家族に笑われる」ということ。(笑)
で、落ち着いて、「負けないわよ〜」と意気込んではみたものの、また真っ二つは嫌だったので、ちぎれないくらいの力で、貝を開けたままにし、ちょうつがいの方に包丁を入れた。
手探りで包丁を動かすと、二枚の貝殻を繋ぐものらしきものを切ったららしく、貝は大人しくなった。
で、改めて、包丁を入れ直し、貝に沿って、包丁を動かして、貝柱を切り取った。

初めの1つが、真っ二つになったので、皆、2つにそいだ。

さあっと水をかけて、水気を拭き、小麦粉・卵・パン粉をつけた。
貝柱はちょっとしかないので、一緒に買ってきたイカも少しフライにした。

やはり、まださっきまで活きていた帆立を新しい油で揚げたフライは、レモンとソースと本のちょっとのマヨネーズで食べたのだが、とても美味しかった。
難点といえば、フライパンに油2cmくらいで揚げたので、ふっくらと揚がらなかったことだけれど、油が勿体無いから、これで良いとしよう。

今の時代、美味しいフライを食べようと思ったら、自分で材料吟味して、新しい油で揚げるのが一番だと思う。



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2001年10月13日(土)

イカの塩辛初挑戦


北海道物産展で、北海道直送朝獲れ飛行機直送のイカ、1はい100円也を5はい、買ってきた。

並んでいる最中、お店の人が「このイカは安い、何せ、航空賃が値段に入っていないのだから」と言っていた。
品質は最高かというと、「普通の魚屋より新鮮、でも、最高ではない」という感じの新鮮さであった。
(飛行機代込みのイカの方が絶対に良い品であろうと想像できた。)
しかし、1はい100円を考えれば、コストパフォーマンス的には、相当良いイカであった。

1はいは、一度作ってみたかった「イカの塩辛」にしてみた。

イカの肝を抜くのは、新鮮なときは簡単。
なんて言いながら、5個のうち、1個は、潰してしまった。
指で、背中に一本ピンと通っている骨を外し、イカの身と、足を繋いでいる筋を丁寧に 指で外した後、足を引っ張って、足と胴を外す。

次は墨袋。
肝の沿って、黒い筋のような墨が入った太い糸のような墨袋があるので、これも潰さないように、そおっと取る。
取った後に、墨が出てきて、まな板が真っ黒になる。
本当に墨だ、真っ黒、これで書道ができそうなくらい、黒い。
昔の人は、この墨を書道に利用しなかったのは何故だろうと思う。
きっと、一々イカを解体して、墨袋だけ取り出しても大した量ではなくて、面倒だったからかとか、やはり、生臭かったのかしらと考えながら、作業していた。
でも、本当に、墨汁にできそうな感じ。

ここまでは良いのだ。

その後、どこまでが肝で、どこからが足なのか、よくわからないのだ。
目のところあたりは食べないからそこは取るとして、肝と目の近所のどこらへんに包丁を入れれば、きれいに肝が取れるのか良くわからない。

ここで、ベターホームの手づくりの本の塩辛のところの写真を見る。
写真は、そんなにこだわっていなくて、相当、目に近い部分に包丁を入れて、切り取っているようだ。
ま、こんなものか、とにかく、肝を潰さなければ良いのだと、適当に切り離す。

さて、5つのうち4つは無事、肝をきれいに潰さないで取り出すことができた。
ここで、塩を適当に振る。
一度、プロが塩辛を作るのを見ていたら、真っ白になるくらいの塩を振っていたというか、塩で肝が見えないくらいにしていた。
その印象があったので、多めに塩を振った。

この後、ベターホームの本を見たら、イカの重量の5%と書いてあったが、時既に遅し、もう計らないでやってしまったので、このまま進もうという気になった。
ベターホームには、1晩塩をまぶして冷蔵庫に入れておくとあったが、私の場合、次の日、すっかり塩辛のことを忘れていたので、30時間くらい、塩にまぶしたままにしてしまった。(ボウルにザルを入れて、その上に塩まぶしの肝を置いて、ラップしておいた)

で、仕上げも本を見ながらやれば良かったのだが、忙しかったし、初めから本のとおりでは面白くないので、適当にやってみた。
一番興味があったのは、肝を包んでいる膜がきれいに取れるかである。
これは、結構うまく行って、膜を剥がして、裸になった肝を出すことができた。
で、これを潰せばうまく行くかと思ったら、そうでもなかった。
肝の中に相当筋があって、その筋を外さなければ、肝がきれいに潰れないのだ。
結構、面倒だと思いながら、適当にその筋を外した。
で、イカを細切りにしたものと合わせて出来上がり。

味はまあまあであった。

余り本を見なかったので、改めて、本をゆっくり見ると、

1.肝と、イカの細切りはイカの重量の5%の半分の塩でまぶして、ざるに入れて
  冷蔵庫に一晩置く。
  (残りの塩は、肝と和えるときに入れる)

2.塩し終わった肝は、先をちょっと切って、箸などで挟んで搾り出す。

とあり、な〜るほど、こっちの方が良い方法だと納得した。
塩辛に入れるイカも、塩して水分を取った方が味が濃くなるだろうし、絞り方は、確かに、肝自体を潰すより、搾り出した方が、中にある筋が出てこなくて良いと思った。

でも、やはり、教科書どおりに鵜呑みにして料理するのではなくて、自分勝手に、料理するからこそ、教科書の正しさがわかるような気がする。



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2001年10月21日(日)

天麩羅の歴史


インターネットのある世界において、天麩羅のことが話題になったので、調べてみた。

ものの本をまとめると、

1.そもそもの天麩羅は、東京でいう薩摩揚げ(素揚げ)のことを言う。
  (今でも、関西や四国(多分九州も)、薩摩揚げのことも、衣をつけた天麩羅
  も、両方「天麩羅」と呼ぶ。東京では、天麩羅と薩摩揚げは厳密に区分されて
  いる。)

2.江戸時代、薩摩揚げ的天麩羅が上方から江戸に移った段階で、衣がつけられ
  るようになったのではないか?
  理由は、「衣をつけた方が油の傷みが少ないため」と思われる。

3.江戸中期の頃の本では、空揚げ(ただの小麦粉をまぶす)も、衣揚げ(水溶き
  小麦粉をまぶす)も両方とも天麩羅と言っていたとのこと。

今まで、「胡麻油を入れるのが江戸前天麩羅」とか、「天つゆにつけて食べるのが江戸前」とか、勝手に思っていたが、どうも、衣をつけて揚げること自体が「江戸で発明された新種の天麩羅」らしいのだ。

そして、今のような魚丸ごと1尾に水溶き小麦粉をつけて揚げることも、幕末から明治にかけてくらいの時代に始まったことらしい。

天麩羅というと、教科書には、南蛮渡来の料理の代表のように取り上げられているので、今のような天麩羅が江戸の初期頃からあったような気がして、そんなに新しい料理だとは思わなかった。
結構意外である。

正しくは、油で揚げる調理法が、江戸の初期頃に南蛮から伝わったのであり、その「油で揚げる調理法で作られる料理」が「天麩羅」と呼ばれていたのだ。

それにしても、江戸の末期、お寿司、天麩羅、蕎麦、鰻などの料理を生み出した江戸の料理におけるパワーというのは、大したものである。



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2001年10月22日(月)

塩卵入り月餅


この前、柏の知味斎に行ったときに、注文した「塩卵入り月餅」が届いた。

中国では、中秋の名月ときに、塩卵入りの月餅を食べる習慣があるとか。
中華街でも、9月中旬からは塩卵入りの月餅を売るという話は聞いたことはあったが、見たことも食べたこともなかった。
(わざわざ中華街に買いに行くのは絶対的に面倒。)
塩卵がどんなものか、それがあんの中に入って美味しいのか食べてみたかった。

何でも、今年は、知味斎の月餅がNHKで取り上げられたとのことで、全国から注文が殺到したとのこと。
人気好評につき、第二回目を仕込み中(塩卵を作っている最中だったらしい)で、「余ったら、送るから」という約束で住所を教えて来たのが、無事余ったようで、到着。

値段はやたらに高い。
直径10cm程度の月餅4つで、送料込みで、4800円であった。
(1つは、友人が買ってくれたので、3つで3600円が私の持分となった。)

家の人も「これが1個、1200円〜!」と呆れていたが、「来年は、買わないかも知れないから、一生に一度のものだと思って、食べて!」というと、皆嬉しそうであった。
(何と言っても、ふところが痛いのは、私だけ。
他の人は、「あら、じゃ、ご相伴に預かろうかしら」てなもので、ただ嬉しそうなだけ。)

塩卵から手作りだから、高いのだろう。
(塩卵はどうやって作るのだろう。卵黄の味噌漬のように、塩に穴を開けて、ガーゼを敷き、そこに卵黄を落として、潰さないように上からも塩をかけて、何日間か、置いておくのであろうか。)

で、食べてみたら、高いだけのことはあった。
全体的な印象は、「こんなにソフトで、穏やかな美味しさの月餅もあるのだ」というもの。
きっと、塩卵だけでなく、あんから、皮から、全て手作りで、受注生産で、丁寧に作られているからだと思う。
今まで食べた月餅は、そんなに有名店のものではなく、そこらへんで売っている機械で作ったものであり、保存を考えて砂糖も多めに入り、油も古くなり、保存料なぞも入っていたのか、くどい味であったような気がする。
(だいたい、月餅のあんというのは、固いのが当たり前かと思っていた。)

さて、塩卵だが、包丁で切ってみると、オレンジがかった黄色い卵黄が夜空に浮かんだお月様のよう。
これだったら、中秋の名月に食べるものだととても納得できる。
ソフトな甘さのあんや皮を食べながら、時々、この卵黄の塩漬けを食べると、適度な塩気と卵の豊潤な味と香りがして、より一層美味しい。
でも、ここのところは、好みで、母なぞは、卵がない方が美味しいという。
私はあってもいいなと思う。
日本だって、黄身しぐれという和菓子で卵を使っているし、抵抗はない。

私としては、十五夜のお団子より、塩卵入り月餅の方が、来年も食べたいという気持ちになる。
来年、お金に余裕があったら、是非、また、買おう。



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2001年10月23日(火)

ブリジットジョーンズの日記


先週、ちょっとした都合で、5連休の休みがあった。
ちょうど、妹が、ブリジットジョーンズのただ券をくれたので、観に行った。

妹は、初め、「一人で映画に行くのは嫌かも」と気を利かして、2枚くれたのだが、平日に暇な友人を探して、また、日程を合わせるという作業が面倒なので、一人で観に行くことにした。

それにしても、「映画を一人で観に行くことに抵抗が強い人」は、結婚するような気がする。
実は、インターネットを通じて知り合った昔からの友人(数回会ったことがある)から、下記話を聞いた。
「森さんが、「観た方がいいわよ、あなたにぴったりの映画だから」とメールで教えてくれた「ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブ」を女性の友人と観に行ったら、本当に良かったんです。(もう一人の子は、そんなでもなかった様子)
で、もう1回観たいけれど、一人で行くのは嫌だったので、同じ職場の男の人で、やはり、この映画を気に入るだろうなと思った人に、声をかけたのです。
そして、この映画を一緒に観に行ったのがきっかけで、交際が始まり、結婚することになりました」とのこと。

え〜、いいわね〜と羨ましくも思ったけれど、「一人で映画を平気で観に行く」自分のライフスタイルが間違っているのだから、しょうがない。(笑)

で、平日の2時からの会に行ったのだ。
きっと空いているだろうと、15分前に着いたら、何と長蛇の列。
映画館の人に聞いたら、今から並んでも、前の方になるが、座れるとのことで、列の最後尾に付く。
どうも、平日の夕方以外の会では、学割をやっていて、それも、1000円とのことで、女子学生が沢山来ているようだった。
おばさんは、「映画なんか観たりしないで、平日の午後は図書館でも行ったら」と言いたくなった程、回りは、若い女子学生で一杯であった。

映画は、面白かった。
ローティーン向きの少女漫画とか、一昔前のアメリカの高校青春物みたいな感じ。
でも、平均寿命が延びたせいか、現代は、30をちょっと過ぎた女性が主人公である。
別に特段感銘を受けるとかは全くないけれど、漫画みたいで、とても笑わせてくれるし、最後ハッピーエンドで、見終わった後、結構幸せになれる。

西洋人の普通の、別に美人でもなくて、ダイエットにも禁酒にも失敗している主人公の平凡な顔の大写しを見ていたら、「西洋人の平凡な女の子っていいうのは、こういうものか」と思え、この平凡さは、確か、小さいとき、テレビで見ていた「パティ・デューク・ショー」のパティと共通すると想い出した。
(あのテレビも楽しかった。)

食べ物の話は、この映画には、そんなには出て来ない。
最初の始まりが、クリスマスの「ターキー・カレー・パーティ」だった。
西洋人も、ターキーを焼いて食べるのに飽きて、クリスマスにカレーパーティなのか?

他、主人公のブリジットジョーンズが友人を招いて、ホームパーティを開くときに、お料理をするのだが、その不器用さと、その不味い料理を食べるときに、友人達が、イギリス風に色々に評価しているところも笑わせる。
このような場面は、全然美味しそうではないけれど、ブリジットジョーンズ嬢がホームパーティのために買物をするシーンだったか、ロンドンの普通の八百屋さんが集まるようなところが映り、回りのロンドンの古ぼけた風景の中で、やたらに野菜がきれいに見えた。

この映画は、一言で言えば、元気になりたいとき、はちゃめちゃに笑いたくて、ハッピーな気分になりたいときに観ると良い映画だと思う。

ブリジットジョーンズの日記←ここをクリック



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2001年10月24日(水)

キハチさんのカニとライスの熱々スフレ


まかない料理(廣済堂出版)に、載っていた熊谷喜八さんの「カニとライスの熱々スフレ」を作ってみた。

レシピを読んでも、写真を見ても、とても美味しそう。

作り方は、要は、ホワイトソースを作り、カニの身と冷やしご飯を加えて、塩・胡椒・ナツメッグを加えて、冷ます。
さましたところに、卵黄とグリエールチーズの卸したものを混ぜ、更に、卵白のメレンゲを混ぜ、バターをこすりつけた容器に入れて、中火のオーブンで30〜40分、表面がこんがりとして、キツネ色になるまで、焼くのだ。

分量は、本のレシピどおりとしたが、卵が、「大きさにより数を加減、2,3個」と書いてあったのが、曲者だったのかも知れない。
予想に反して、美味しくなかったのだ。

敗因は、色々考えられる。

1.卵の量が多過ぎた。
2.30分くらい焼いて、こんがりしたので、オーブンから出して食べ始めたのだ
  が、中には、まだ、ドロドロの部分があった。
3.塩と卵とホワイトソースとご飯が全然馴染んでいなかった。

何と言うか、卵のおじやをオーブンで焼いたような感じになってしまい、これだったら、「卵のおじやか、ドリアにした方が絶対に美味しい」と思った。
卵白のメレンゲが入るので膨らむから、見かけは、格好良くて、美味しそうなのだが、私の腕に問題があるのか、美味しくなかったのだ。

どう考えても、例えば、冷やしご飯をそのままホワイトソースで和えるのではなくて、例えば、油やバターで炒めて、水気を飛ばしてから和えた方が美味しいのではないかと思う。
卵おじやのようになったのは、卵の入れ過ぎに決まっている。

こうつらつらと敗因を探っているうちに、もう1つ、敗因を思いついた。
ホワイトソースに少量のカニの身、そして、ご飯の組み合わせでは、そもそも味がないのだ。
ホワイトソースの中に、ブイヨンキューブでも入れれば、美味しくなったかなと思う。
でも、ホワイトソースも卵白で膨らませない方が美味しいような気もするし、色々分析はできるのだけれど、もう二度と作らないと思う。



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2001年10月25日(木)

あるある流餃子その後


8月に、あるある大事典で餃子を見て以来、あるある流で何回も餃子を作った。

この餃子の作り方で作る餃子は、焼き餃子の中国名「鍋貼餃子」(発音は不明)そのもの。
蒸して、油を入れて、また、蓋をして、焼き上がって蓋を外すと、餃子は、しっかり鍋底に貼り付いている。
へらをちょっと突っ込んでみて、前からが安全か、後ろからが安全かを確認して、安全な方向から一気にへらを入れて、鍋から剥がす。
(これを見極めないと、破ける場合もある。)

8月に書いた時点の後わかったこと

1.餃子の皮は、普通判の方が上手く行く。
  大判で作るなら、蒸し時間は、7分では足りないと思う。

2.冷凍させた生餃子はやはり味が落ちる。
  最近、時間があったので、一辺に2回分餃子を作って、1回はその日に食べ、
  残りを凍らせている。
  作り立ての餃子を食べると、甥2が「美味しい、美味しい、こんな美味しい餃
  子は食べたことがない」とムシャムシャ食べてくれる。
  しかも、「どこが美味しいの?」と聞くと、「中も焼き方も最高」とのこと。
  こういうときは、本当に、「やった!」と嬉しい。

  しかし、同じときに作った餃子だというのに、冷凍したものについては、ムシ
  ャムシャ食べてはくれるが、無言になってしまうのだ。
  ここらへん、本当に子供は正直だと思う。

  以前、MLで、餃子は、生で冷凍させずに、焼いてから冷凍させた方が美味しい
  と習ったことがある。
  しかし、餃子というのは、蒸して焼いて冷ますと、相当膨張してしまうのだ。
  膨張して大きくなった餃子は、私の冷凍庫にはちょっと大き過ぎる気がしたの
  で、冷凍は諦めて、食べてしまった。

話をあるある流の餃子作りに戻す。
現在は、もうすっかりあるある流に慣れて、ふっくら蒸し上がった餃子の状態を見分けられるようになったので、テレビで「100ccのお湯で7分かけて茹でる」なぞということはやっていない。
適当にお湯を入れて、5〜6分したところで、蓋を開けて、様子を見て、まだふっくらが足りなかったら、お湯をちょっと足して蓋をし直して、2,3分蒸し続ける。

もう一度、作り方を書き直したいくらい、あるある流の餃子の作り方は、お勧め。



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2001年10月26日(金)

あるある大事典のオムライス トマトライス編


この前の日曜日に、あるある大辞典のオムライスを作り方をやっていた。
夏場に見た「餃子の作り方」のおかげで、餃子作りには、自信と定評ができた私としては、見逃すわけには行かない。

ポイントは色々あったが、目からウロコであったのは、「トマトケチャップを先に炒めてから、ご飯を入れる」という点であった。

覚えている限りを書くと

1.冷えたご飯は、電子レンジでチンしてから、器に出して、5〜10分くらい置
  いておいて、蒸気を出し切る。

  私の場合、電子レンジでチンするときに、元々、ラップをかけないで、1分か
  ら1分30秒加熱して、少し出しておく程度。(ご飯は200gで1分か1分
  半程度)
  チャーハンで習った技だけれど、ご飯を炒めるときには、ラップをかけない
  で、加熱した方が良いと思う。

2.炒める順序
  玉ねぎと鶏肉を先に炒めて、だいたい、火が通ったら、ご飯100gに対し
  て、大さじ1杯のトマトケチャップを入れて、水分を飛ばすように炒める。
  そこにご飯を入れて、色をつけるように炒める。
  (その後、塩・胡椒)

  この方法は知らなかった。
  ご飯100gに大さじ1のケチャップでは少ないのではと思いながら、実際に
  やってみたのだが、大さじ1のケチャップというのは結構量が多いのか、美味
  しくできた。
  炒めたケチャップで色付けしたご飯は、オレンジ色、炒めないケチャップで色
  付けしたご飯は、ケチャップ色の違いはある。
  でも、味的には、炒めたケチャップというのは、結局水分が抜けて濃くなって
  いるので、味が濃いのだ。
  だから、少量でも大丈夫なのかと思う。
  炒めないケチャップだと、水分が多いから、トマトライス自体の味を濃くしよ
  うと思うと、つい入れ過ぎになってしまうのではないかと思う。

  良く言えば「しっとり」悪く言えば「べちゃっ」としたトマトライスも美味し
  いが、このトマトケチャップを炒めたどちらかというとドライタイプのトマト
  ライスも美味しかった。
  (家人には、炒めたトマトケチャップの方が評判が良いみたい)

ということで、オムライスを作る時、ご飯の前にケチャップを炒める方法は、やってみる価値があると思う。

  


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2001年10月27日(土)

あるある大事典のオムライス 卵焼き編


卵を焼く方は、実際にこの方法を参考にしてやってみたが、別にこのやり方でなくても良いのではというのが正直な感想。

作り方
1.使うフライパンは、22cm程度の大きさがベスト。
2.ご飯100gに対して、卵は、LLを2つ。(ちょっと多過ぎるのではと思う。)
3.卵の白身を20秒間泡立てから、黄身を入れ軽く混ぜる。
4.強火でフライパンを15秒間加熱して、15秒たったら水滴を垂らし、蒸発しなが
  ら転がるくらいになったら、濡れ布巾の上で30秒間冷ます。
5.火力を最弱火にして、油を入れ、溶いた卵をかき混ぜながら1分半焼く。

というのだが、まず、どう考えても卵の量がすごい。
確かに2つくらい使って焼けば、ふわっとした美味しさがより味わえるのかも知れないが、我が家なぞ、卵2個というと、美味しいより何より、精神的抵抗が大きいようなので、2個は試さなかった。
卵=コレステロールのイメージが浸透していて、家人に、「オムライス焼くのだけれど、卵いくつにする?」と聞くと、皆「1つ」と答える。
味的にも、一つでも十分美味しいと思うし、精神的抵抗が大きいのに、2個使う必要はあるまい。

実際に、卵1つ、ご飯100gで作ってみたが、十分きれいに、巻けた。

卵の混ぜ方だけれど、卵白と卵黄に分けなくても、全卵のまま混ぜて、混ざらなかった白身のところを箸で持ち上げて自然と落とせば、卵白が切れて、結構混ざる。
こういう方法で十分ではないかと思った。

また、一つのオムライスを焼く場合に、濡れ布巾に30秒、卵を焼くのに1分半もかかっていたら、3,4個焼くのに、時間がかかり過ぎるのではと思う。
強火で鍋を焼いて、濡れ布巾にじゅっとつけた後、火を弱めにして、鍋に油を入れて、菜箸の先に卵液をつけて、鍋底に線を描いて、じゅっと長く伸びる線になることを確認して、それで卵液を入れて、鍋を軽く揺すりながら、卵液を広げながら、かき混ぜれば、十分ではないか。
この方が、早く焼けるし、十分ふわっとすると思う。
ただ、この場合、だいたい半熟になったら、火を完全に消して、それから、ご飯を入れると良いと思う。
だいたいは、火をつけたまま、卵焼きをご飯にかぶせようとして、まごまごしている間に、火が通り過ぎるのではないだろうか?
火を止めても、余熱で、少しは、卵に熱が通るみたいである。

6.チキンライスを卵の上に、フライパンの柄に対して縦に置く。
7.卵の片側を押しつける様に被せ、フライパンを滑らせる。

これもやってみたが、この方法も良いのではないかと思うけれど、私の場合、やはり、チキンライスをフライパンの柄に対して横において、卵焼を上から被せた後、フライパンを右手で柄を下から持ち上げて、左手にお皿を持って、お皿とフライパンを120度くらいの角度を作って、そこを軸として、お皿の方にエイ!っとフライパンを回せば、ころっとお皿に乗って、うまく行く。

ライスをフライパンの柄に対して縦に置いた場合も、結局、料理するときには、フライパンを左手で持っていたのを右手に持ち替えるのだし、う〜ん、これはどちらが良いのかわからない。
両方やってみて、自分がやりやすいやり方を探すのが良いと思った。



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2001年10月28日(日)

バナナチョコレートパイ


ケーキ教室で、バナナチョコレートパイを習って、持って帰ったところ、老若男女を問わず、「美味しい!美味しい!」と大評判。

外側は、練りパイ、その中に、輪切りしたバナナを敷き詰め、卵黄の中に、沸騰した牛乳・生クリームを入れ、その後チョコレートを入れて、溶かしたものを混ぜたパイ。

そこに、ホイップした生クリームとメレンゲを混ぜて、冷やしてとろとろになったら、バナナを敷き詰めたパイに流し込んで、最後、ホイップした生クリームで被って出来上がり。

見たところ、アンナミラーズのパイのよう。
こんなアンミラ風のパイが皆の好みだとは、今の今まで気づかなかった。
そんなに好きだと知っていたら、もっと前に買ってきたのにと言いたくなる程の大人気に家で作ることにした。

練りパイは、教室では、手で、バターを刻みながら、粉チーズ状にしたが、私はフープロに粉と小さく刻んだバターを入れてでやってみた。
私のフープロには、「野菜キー」なるものがついていて、そっちのモードにして、蓋を押さえていると、フープロが、「ガッ、ガッ」と、断続的に回ってくれる。
2つ分をいっぺんに作り、量が多かったせいで、時間がかかった。
ずっと、手で蓋を押さえているのが結構大変で、これだったら、手にカードを持って切り刻んだ方が飽きないかもと思った。
そして、出来上がったパイの素とのなる小麦粉とバターが粉チーズ状になったものだが、量が多かったせいか、ところどころ、バターの粒が大きいままのものが残ってしまった。
でも、気にしない、気にしない。
私のナショナルのスピードカッターなるフープロだったら、パイ皿1つ分なら、きれいに全て粉チーズ状になったかも知れないと思った。

その後、ボウルに移し代えて、真中にくぼみを作って、冷水を入れて、水となじませていく。
この作業は、うどんやお蕎麦を打つときの水回しに似ていると思う。
水と粉を完全に混ぜないで、水滴の回りを小麦粉が囲んでいる感じ。

これをまとめて、2つに切っては重ねるを2,3回繰り返し、ラップに包んで、冷蔵庫に寝かせた。
このパイ生地は、冷蔵庫に入れて寝かせる時間が長かったせいか、本当にうまく行った。(冷蔵庫にパイ生地を入れて、浅草に買物に出かけてしまった。)
冷蔵庫から出したパイ生地を長方形に伸ばしては、三つに折り、また伸ばすを数度繰り返してから、薄く伸した。
伸して、パイ生地に引き込んだら、フォークで底に穴をあけて、また、冷蔵庫に入れておいた。

これに、重石を敷き詰めて、焼いて、出来上がり。

このパイ、工程で分けると、パイを作って焼く、チョコレートムースを作る、生クリームをホイップするの三工程で面倒なので、前日、パイは焼いておいた。

面倒くさかったけれど、皆、美味しいと、喜んで食べてくれた。



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2001年10月29日(月)

幸せ


私はこの3週間、とある高級割烹のお店の経理の見習いに入っていた。

実はこの話、7月に成立したのだが、私が前のバイトが終わらないので、私以外の人が雇われたのだが、2週間で、辞めてしまったとのこと。
理由は、「細か過ぎて、できない」と聞いた。

それを聞いて、きっとその教える人が大変な人で、細かいのかなと想像していたので、その点は、予め覚悟できていた。

で、いざ、私が入るときには、当初の話と異なり、まずは、手で現状のままの帳簿がつけられることをこなしてから、機械化を考えるとのことになった。
手で帳簿をつけるのは、大変だけれど、どうにかなるかなとも思ったし、その内、機械化してしまうので、期間はそんなに長くないだろうと考えて、頑張ってみた。

条件が良かったので、つられて、頑張ったけれど、この道20年パソコン大嫌いで、手と算盤での経理至上主義おばさんが、私のずぼらを気に入らなかった上に、事務所にもう1人意地悪な若い女性がいたのが災いして、3週間弱で辞めることになってしまった。

そのこの道20年のおばさんが大変そうなは覚悟していたけれど、この若い女性が曲者で、結局大変な女性×2に負けてしまった。(笑)

その若い女性は、初めからツンツンしていたけれど、直ぐに、この人は今までベテランのおばさんに甘えながら仕事をしてきたわけで、このおばさんがいなくなって、新入りが入ったら、甘えられる環境でなくなることが嫌やなのだろうと、想像がついた。

私としては、怒鳴られても、ツンツンされても、平気な顔で頑張っていたのだ。

で、最終的には、この若い女性が社長の友人の娘で、赤ちゃんのときから社長が知っていて可愛がっている女の子らしく、その子が、社長に、私の失敗を並べて「あの人と一緒に働くのは嫌だ」と言いつけたとかで、「この子が嫌がるから」と断られてしまった。

言われたときは、流石に、ちょっとこれがショックであった。
しかし、我が家で、家族に事情を話すと、「そんな、針のむしろに座らされて、怒ったり、無視する人が2人もいる職場なんて、辞めた方がいいわよ」と、皆、私に同情してくれた。(事務所は、私をいれて3人、私以外の2人が怒鳴るタイプ)
これに、結構、幸せ感を感じてしまった。

我が母は、生まれ持った気性が「心配性」で、いつも私が窮地に追い込まれると、私以上に深読みして、私以上に先回りして先の先まで心配して、それを回避すべく方策を私に押し付けるものだから、私は、これまでいつも、自分が心配な状態に、もう1つ母の心配を背負わねばならなかった。
それにまた、私のことより、「世間様」を大切にするタイプ。
しかし、今回は、見事に、母は落ち着いて、「そんなところに長く勤められても、不幸になるだけだし、そんな馬鹿な社長の下にいない方がいいわ!」と平然と言い切りった。

あ〜、私は、母がこうなるのを何十年待っていたことだろう。
ようやく、母と友達になれた、仲良しになれた、という感じ。
私にも温かい家庭ができたんだ、という感じがして、じわんと嬉しかった。

実は、私の方は、長年にわたり深く、母の心配性で傷つけられたというわだかまりがあった。
そして、一生、母とは仲良くなれないまま、終わるのかなと想像していた。
でも、そんなことはなかった。
母と仲良くなれたことを、父が生きていたら、喜んでくれたであろう。

然るに、これは、私が、この10年くらい、家族の食事の内容と楽しさに努力した成果かなと、勝手に想像している。(笑)
我が母は、どういうわけか、年取って、この2,3年、随分明るくなったのがわかる。
人間の性格って、何かの拍子に変わるのだ。
暗い性格の家族を持ってる皆さん、何かの拍子に変わるかも知れないから、見捨てないで頑張ってください。(笑)



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2001年10月30日(火)

リポビタンDとカップヌードル


その見習先の、意地悪な若い女性は、他の人との会話を聞いていたら、「リポビタンDとカップヌードルが美味しい、大好きで良く食べている!」と言っていた。
一人暮らしで、リポビタンDとカップヌードルの食生活の人と、私のように、やたらに手作りの食事ばかり食べて、カップヌードルなぞ食べたことのない者が、友人になれることは少ないかな〜と思うのは偏見だろうか?
(因みに、「カップヌードル」と「リポビタンD」がひどい食品というつもりは全くない。あくまでも、こういう食品の取り過ぎに問題があるというだけ)

カップヌードルとリポビタンDを沢山飲んでいるということは、野菜とカルシウムと蛋白質を余り取っていないということで、怒りっぽくなるし、やはり、性格に問題が色々出てくるような気がする。

ま〜、どちらにしろ、知り合わなくて良い人と接してしまった、知らなくて良い世界に足を踏み入ってしまったのだな、という感じ。
ここで、抜けるのは、いいことだと思う。

でも、現代の世の中、まともな食事をしている人の方が少ないように報道されることが多く、切れる若者と食生活の問題がクローズアップされることも多い。
しかし、この問題は、その食事をしている当人だけの問題ではなくて、回りにも影響がある問題なのだと、今回実感した。
事件を起こせば、大きく報道され、「ひどいこと」と皆認識するが、実は、事件までいたらないけれど、切れる若者から、小さな暴力を受けている人は多いのではないだろうか?
今後とも、生きて、正常な社会生活を送っていれば、まともな食事をしていないで、荒れっぽくなっている若者と接しないわけに行かないのだ。
彼らとどう付き合えばいいのか、頭が痛い。



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2001年10月31日(水)

生き甲斐


今回、つくづく、生き甲斐について、考えてしまった。

私に怒鳴りっぱなしのおばさんは、当初「そろそろ年だから、仕事を辞めたい」と自分から言い出したという話であったが、実情は全く違っていた。

仕事を引き継ぐように、習うように雇われた者を見ると、どういうわけか、ライバル心が生まれてしまうようで、「私がいなくなったら、大変よ〜」「こんなにきちんとあんたにできるの?」という感じで、自分がいなくなった後もうまく回るように教えるという態度ではなく、自分がいかにキチンとやっていて、どんなに偉いかを、私ばかりか、経営者にもそのことを強調していた。

何かおかしいなと思いながらも、ご機嫌を損なわないように、色々習わなくてはいけないので、逆らわずに我慢した。
しかし、やはり、どこかがおかしいのだ。

仕事の合間に、個人的な話をする。
そうすると、このおばさんは、現在、ご主人と30過ぎた末っ子と3人暮らし。
でも、末っ子は、夕飯を外で食べてくることが多いとのこと。
上の方の子供達はすべて結婚し、孫もいるけれど、一緒や近所で暮らしているわけではないので、なついていないとのこと。
普通、孫の話をすると、皆顔をほころばすのに、この人は、「私になつかないで、お母さんの方にいっちゃうのよ」と面白くなさそうに一言言った。
20年間、一日も休まず勤め続けたとのことで、9時−5時とは言え、仕事優先の生活で、家族や親戚とゆっくり接する時間はなかったのかなと思ったが、ここらへんは良くわからない。

仕事中に接する態度は、この職場で、自分がいかにすごいかを強調することが多かった。
これと個人的な家庭生活の実体を照らし合わせると、確かに以前より仕事がきつく感じるようになって「もうそろそろ引退してもいい」とは思ったけれど、いざ、引退を口にしてみたら、そして、いざ、自分の引継ぎ候補者が目の前に現れると、もし、家に納まった場合、「家庭に生き甲斐が何もない」ことが怖くなって、仕事を奪われまいと行動してしまうのかなと想像した。
20年も、平日は毎日お勤めをしていたら、いざ、家庭に入っても、何をしていいのかわからないのかも知れない。
器用な人や時間に余裕のある人なら、予め老後の趣味になりそうなことを習ったりするだろうけれど、このおばさんは、きっと無趣味だし、家には、夫しか面倒を見る人がいなくて、家庭に戻るのが実は嫌やだということに気づいてしまったのかも知れないと想像した。
(年老いた夫って、結構、生き甲斐にならないという話も聞いたことがある。)

それが、意地悪というか、体系的に物を教えるという態度にならなかった原因であったような気がしている。
(「教える」というからには、「教える」けれど、「相手が失敗しないようにという配慮」は全くなく、「自分の仕事を奪われまい」「他人が失敗することにより、自分の価値を再確認している」態度であった。)

でも、このことは、人事ではない。
自分がいい年になって、いざ引退というとき、実は人って悲しいんだなと気づいた。
どんなつまらない職場でも、行けば、仕事があって、責任がある。
その人がいることで、回りの仕事も回っていく。
でも、それがなくなったら、毎日、家庭以外に居場所がなくて、どうやって時間を潰せばいいのかわからない人が沢山いるのだと思った。(私もそのうちの一人)

人間って、悲しい。
誰も彼も、自分の老いを受け入れなくてはいけないことはわかっているけれど、どう受け入れたら快適なのか、誰も予めわからないものだし、また、予め計算しておいてもそのとおりに行くとは限らないものなのだ。
思ったより、社会引退後の老後というのは難しいものだと思った。
本当に身体が自由が利かなくなったら、その時はそれを受け入れざるを得ないけれど、身体が自由なうちの引退というのは、本当に難しいものだと思う。

あのおばさんは、今日もまた、私という威張る相手がいなくなった職場で、一人もくもくと算盤をはじいているだろう。
私が引き継ぎ損なったあのおばさんの仕事は、私のような新参者に対して威張りながら働く分には、楽しい仕事だけれど、張り合う相手がいなくて、誰も誉めてくれる人がいなくて、一人でもくもくと働くには、きっとつまらない仕事だろうと、想像している。



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