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2000年11月01日(水)

グッチ裕三


結構、グッチ裕三が人気があることは、yahooの掲示板でも知っていたし、我がMLにもファンがいた。
でも、テレビで人気がある程度では、本を買う気にならなかったのだ。

が、数週間前に、家のスーパーで250円のグッチ裕三の料理本を発見。
題名は、「グッチなごはん」と言って、出版は、女性セブンであった。
思わず、購入して、まじまじと眺めてしまった。

グッチさんと私が、すれ違うのは、この人が、めんつゆやポン酢醤油などの出来合いの調味料を多用していることであり、この点、私が、自家製のめんつゆなどに置き換えれば、結構、使えるのではないかと思った。
だいたいにおいて、この人の料理は、芸能人であるからして、知る人ぞ知る美味しい食べ物屋に行って美味しかったものを「いただき!」と、真似している料理が多いから、外れることは少ないのではないかと思う。

「簡単でおいしくないといやなんだ」という表紙の言葉は、忙しいときなど、「本当にそう」と素直にうなづける。
こういう人が一家に一人いて、「簡単・美味しい」に研究熱心で、嫌がらずにごはんを作ってくれたら、どんなに良いだろうと、忙しいときには、思ってしまう。
人気があるのもわかる。



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2000年11月02日(木)

伏高さんのまぐろの血合い抜きの削り節


スーパーで売られている小分けされている削り節のパックがある。
これで出汁を取ると悲惨で、殆ど良い出汁が取れないという認識であったが、冷奴やほうれん草のおひたしのときに、これしか手に入らなかったので、何となく買い続けていた。
ある日、築地に行って、伏高さんに寄ったときに、何も買わないのも悪いなと思い、伏高さんご推薦の「まぐろの血合い抜きの削り節」を買った。
確か、100gで600円であった。
血合い抜きの削り節で出汁を取ると美味しいと言われているが、何かもったいないし、我が家には、枯れ節の粉が沢山あるので、出汁を取ることはしなかった。

もっぱら、先程書いた冷奴やほうれん草のおひたし、おにぎりの具に使っていたのだが、我が家で大変評判がいい。
「これを使ったら、スーパーの削り節が使えなくなる、なくなったら、また、買ってきて」ということで、今は、二袋目である。
スーパーで売っている、だしを取るのには使わない小分け削り節パックは、年々品質が落ちているような気がする。(しかも、決して、安くはないのだ。)
もし、これらの削り節が嫌いな人がいたら、伏高さんのお店で、まぐろの血合い抜きの削り節を買うといいと思う。
すっきりしていて、美味しい。
保存は、切り口を洗濯バサミで留めて、冷蔵庫に入れておくだけ。



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2000年11月03日(金)

圧力鍋で茹で卵


MLで、「圧力鍋でゆで卵ができるか」という質問があった。
で、私の持っている圧力鍋の本のレシピを見たら、載っていたのだ。

時間は、圧分、放置分で、水道の下に鍋を持って行って、水をかけて圧を抜いて、卵を取り出すらしい。
でも、ここで、本当に疑問が湧いた。
圧力鍋というのは、圧がかかっている分、鍋がガタコト揺れて、水に浸かっている卵が割れてしまう心配はないのかと思ったのだ。
これだったら、圧力鍋に湯を張って、蒸し皿をセットした上に乗せて茹でた方が安全ではないかと思った。

しかし、試すには、私の圧力鍋は6リットルであり、卵1個2個茹でるのに、このお鍋を使うには余りに大袈裟、沢山の卵を茹でる必要性があるときまで、我慢しようと考えた。
到々、おでんを作る日が来て、このときなら、圧力鍋でゆで卵を作ることができると思い、試してみた。

実験の明細
 圧力鍋に蒸し皿を入れて、蒸す
 圧力2分
 自然放置 ワンダーシェフ(私の圧力鍋のメーカー名)のポッチが下がるまで
 卵6個

実験の結果
 6個中2個にひびが入った。
 うち、1個は、殻を剥いている最中に、白身がパカッと取れてしまい、使い物
 にならなかった。

感想
 蒸し皿に入れるとしても、2分圧をかけるのは、卵に負担なのかも知れないと
 思う。
 しかし、私の卵がスーパーからの運び方が乱暴で目に見えない傷があった可能
 性もあり、この点は、実験を再度行う必要あり。

自然放置の時間まで入れると、茹でる時間の短縮にはならないが、圧力鍋を沸騰させ
る時間+2分が熱源のコストですから、コスト低減にはなると思う。
(しかし、ゆで卵を作るくらいに、大きな圧力鍋を使うより、やはり、ビタクラフトの方が楽だというのが、本音。)



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2000年11月04日(土)

鯖の味噌煮


我が甥2の隠れたる大好物は、鯖の味噌煮なのだそうだ。
おかずが鯖の味噌煮だと、美味しくて、いくらでもごはんが食べられるそうである。

甥2は、おばあちゃんやおばさんと、いかに鯖の味噌煮が美味しいか、心から、「美味しいよね〜」と話したいのに、我が家は妹が嫌いで、鯖の味噌煮が作れないのだ。

しかし、今は、妹が仕事で海外に出張している。
甥2も「みんみん、いない間に、鯖の味噌煮を作って食べたら」としきりに勧める。

そうだね、今がチャンスだねと、私は鯖を買いに街に出たが、良い鯖を売っていないのだ。
御徒町駅前の魚を沢山売っているところに、少しあったが、乾いているような鯖だったので、諦めた。
2日探したけれど、「最近、鯖は入っていない」とのこと。

残念だな〜、私も鯖の味噌煮が食べたいのに、こういうチャンスのときに限って鯖が出回っていないのだ。

もうすぐ妹が帰ってきてしまうけれど、事情を話して、妹がいるときでも、鯖の味噌煮を作ることになりそうだ。(妹には、たらこを焼いてあげればいいのだ)

自分が「とても美味しい」と思う料理は、「今日、うちも鯖の味噌煮を作ったけれど、本当に美味しいよね〜、また、食べたい!」と言いながら、鯖の味噌煮がいかに美味しいか実感を込めながら話せる人がいた方が楽しいから、甥のために作ろうと思う。(なんちゃって、私も実は、鯖の味噌煮が好きなのだ。)

ま、万が一、鯖の味噌煮が一生作れなくても、妹がいた方が我が家の食卓は賑やかで良いようである。
母などは、一人かけても淋しいらしく、妹が不在な分、甥たちが来ると嬉しそうであれやこれや食べさせている。
長年、大勢の家族でごはんを食べることに慣れてしまった人には、二人だけの食事は、特段つまらないようである。



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2000年11月05日(日)

ブリ


ヴァシュラン・モンドールやピエ・ダングロワなどのチーズを味わってきたが、これらは全て「ウォッシュ系」のチーズなのだそうだ。
癖のある「ウォッシュ系」を味わうのなら、素直だと言われる「白カビ系」も食べなくては、片手落ちとのことであった。
白カビ系の代表は、カマンベールとブリだそうである。
カマンベールは、結構昔からたまに食べているし、ブリは食べたことがないということで、成城石井で「成熟ブリ」というのを買ってきて食べてみた。
ブリというのは、全く癖がなく、プロセスチーズに近い味だというのが私の素直で気取らない感想。
本当は、ブリ・ド・モー、ブリ・ド・ムランという後ろに地名がついているブリが良いそうなのだが、成城石井にも、上野松坂屋にも、残念ながら、「フランス産ブリ」というものしか売っていなかった。(成城石井では、以前、地名のついたブリがあったような気がする。)

ウォッシュ系の方が、回りの皮が気になるということだが、私の場合、ブリの回りの皮の方が美味しいと感じないようであった。
で、皮をナイフで剥がし、中味を細かく切って、サラダに混ぜてみた。
これはとても美味しい。
成熟して溶けそうなブリを小さく切って、レタスの真中に乗せて巻いて食べるのが、最近のお気に入り。
ちょっと、ドレッシングを添えてもいい。
ブリが美味しいというより、レタスの味が冴える感じがする。
今まで、イタリアンサラダなどと言って、サラミとプロセスチーズ(6P)を千切りにして乗せていたが、一度、ナチュラルなチーズを使ってしまうと、もうプロセスチーズには戻れないような気がする。

高いといっても、ブリは安い、1/16ピースで成城石井だったら、500円以下、2ついっぺんに買えば、1つ400円以下である。(普通のデパートで買うと700円程度)

2度目に、サラダにブリを試したが、水切り器の蓋が見つからなくて、余り、レタスの水切りをしないで、食べることになってしまった。
当たり前だが、水気が切れていないレタスにブリを乗せて食べても美味しくない。
また、ブリは、腐敗寸前、とろけるようなときが美味しいのは、言うまでもない。

ブリだったら、値段的にも安くて食べられると、嬉しい発見であった。

皆さん、成城石井の近くに行ったら、是非、ブリを買いましょう!(成城石井は、我が家の近所だと、東京駅八重洲大地下街にある。他、渋谷に映画を見に行ったときなど、東急東横店地下にあります。上野か御徒町に進出してくれると嬉しいのだけれど、ま、これは無理でしょう。)



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2000年11月06日(月)

合羽橋のブラッセリー・フレール


合羽橋の名無し信号を浅草側に曲がった1つめの角2軒目に「ブラッセリー・フレール」という店があって、以前から気になっていたのだ。
(ランチやディナーの他に、店の前には、「チーズフォンデュ」という文字がちらついている。実は、私はチーズフォンデュが好きなのだ。しかし、最近、チーズフォンデュをメニューに掲げている店は本当に少なくなった。ここが美味しかったら、めっけものという感じである。)

入ってみたいけれど、様子もわからず、このお店が美味しいという情報もなかったので、ずっと入れないでいたが、私のHPを見てくださった方が、DMで推薦してくださったので、お昼に行ってみた。

ランチが、780円で、パン+小さなサラダ+4種類の料理から一皿選ぶ。
120円プラスして、トータル900円にすると、コーヒーと小さなデザートがつく。
また、300円追加すると、オードブルとして、サーモン・マリネか、生ハムのサラダ、じゃがいものポタージュの中から一品を選ぶことができる。

初め、鶏のソテートマト味を選んで900円のコースとしたが、他のテーブルにジャガイモのポタージュが運ばれるのを見たら、食べたくなって、追加してしまった。

料理は値段に比して、美味しいと思った。
日本の洋食というより、やはり、フレンチっぽい味だと思う。
コックさん一人に、フロアの女性一人のお店だが、注文すると、すぐに手際よく料理を作ってくれて、出来立てが出てくる。
二人掛けのテーブル7つに、カウンター4つで、しめて18人のお店。
このくらいだったら、コックさん一人でもそんなに遅くならずに料理が出てくるのではないかと思う。

値段が安いから、パンが高級とか気が利いている、サラダまでシャキッとしていて美味しいというところまでは、要求できない。
しかし、合羽橋に買物に行って、千円以下でランチ食べたいなら、絶対お勧めだと思う。
料理自体、いい線行っている。
このくらいの価格帯のビストロは、是非今後も頑張って欲しい。

ブラッセリー・フレール
住所:東京都台東区西浅草2−19−2
電話:03−3842−3966
営業時間:ランチ  11:30〜14:00(ラストオーダー)
     ディナー 17:30〜21:00(ラストオーダー)
     祝日   11:30〜20:00(ラストオーダー)
定休日:日曜日



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2000年11月07日(火)

宮廷料理人ヴァテール その1


村上信夫のフレンチの会で、「宮廷料理人ヴァテール」の話題が沢山出された。
何でも、ヴァテールという人もすごい人のようで、「牛の骨髄の中にゼラチンがあること」を発見して、ゼリーというものを作ったとか、「ババロワ」というお菓子は、バーバリア地方で、よく飲まれていた卵とか牛乳を使った飲み物にこのゼラチンを入れて固まらせて今の形にしたのが、この人だと聞いた。(しかし、映画を見終わって購入したパンフレットにはこれらの逸話が載っていなかったので、この点は、もうちょっと調べる余地あり。)

で、この前の日曜日に、新聞を見ると、もうこの映画が始まっていたのだ。
ちょうど月曜日に時間があり、どうせなら、さっさと見ないと見逃してしまうと思い、渋谷にでかけた。

映画館は、渋谷のBUNKAMURAという、東急本店の裏にあるビルの中の「ル・シネマ」というところ。
一体どんな映画なのか、全く知らずに、「宮廷料理人」という題名と、ヴァテールという人は色々発明してすごい人らしいという思い込みだけで、観たら、殆ど、意外な展開であった。



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2000年11月07日(火)



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2000年11月08日(水)

宮廷料理人ヴァテール その2


この映画は、一言でいうと、「宮廷料理人ヴァテール」を描いたというより、17世紀のフランスの貴族の腐った世界を描いた映画なのだ。
ヴァテールさんの伝記を期待したけれど、きっと、記録が残っていないのだろう、フランスの17世紀の貴族が書いた書簡集に出て来る「ルイ14世を喜ばせるために行われたシャンティテイ城の三日間続いた饗宴」をただひたすら描いたものだった。

観た後、「感激した!」「元気が出る!」という映画ではなく、ひたすら、「17世紀のフランスなんかに生まれなくて良かった」という感じであった。
ルイ14世に供する料理は、そんなに具体的には描かれなくて、どちらかというと皆が忙しく働く厨房や材料の描写が多かった。
シャンティテイ城の3日間、ルイ14世のご機嫌を取ることしか考えない城主、わがままいい放題のブルボン家(我が儘は一人や二人ではない)、それを取り巻く貴族のおべっか、思惑、かけひき、それらが描かれている。

何よりも、すごかったのは、「宮廷料理人」というのは、料理だけを作る人ではなくて、舞台演出からサービスから音楽まで全部仕切る人だということであった。
この前の沖縄サミットのたった一回の晩餐会でも、浅利慶太だと思ったが、この人の演出と、田崎真也(字があっているかな?)のワインの知識とサービス、辻調理師専門学校の料理で仕切ったというのに、3日間を料理とサービス、ショーを全てヴァテール一人で全て仕切るのだ。

その3日間のヴァテールを軸に描かれる我が儘な貴族たちと、それに憤りを感じながら、言うことを聞いたり、拒否したりするヴァテールのやたらに人間性を感じさせる姿をずっと見ていたら、「何か、日本のサラリーマン社会みたい、過労死や自殺に至るサラリーマンを描いているみたいだ」と思ってしまった。
「上の命令を絶対的にこなす人間」の悲哀が良く描かれていた。(でも、見ていて疲れてしまった)
ルイ14世時代の饗宴の描写を見ていると、このような貴族の大宴会では、踊りやオペラ、大仕掛けのショーなどを見ながら、食べているようなのだ。
フランス料理も昔は、日本の歌舞伎や相撲見物のように、見せ物を観ながら食べていたというのは、一つの発見であった。

大仕掛けのショーや昔の貴族の衣装などは、大変見応えがあった。
宮廷料理人というのの仕事の範疇というのが、舞台演出まで含んでいたということがわかっただけ、見て良かったと思った。
(但し、ヴァテールという人は、城の補修の総監督も勤めたそうですから、元々、舞台を組んだり、企画能力が凄いから、ここまででききたのかも知れない。
同じ時代の宮廷料理人全員が、浅利慶太+田崎真也+辻調理師学校まで、できたかどうかは不明。)

他、世界的料理が発展したフランスや中国は、絶対専制君主の時代が長くて、専制君主におべっかを使わなければ生きていけない貴族が沢山いたから、料理が発達したのだなとしみじみと思った。

私の評価としては、「暇があったら、見たら」という感じの映画であった。



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2000年11月09日(木)

鯖の味噌煮失敗


幸運にも妹が帰ってくるまでに、鯖を魚屋で発見、無事、鯖の味噌煮を作ることができたが、評判は散々であった。
母には、「味噌の味が鯖に染み込んでいない、今日は半分だけ食べて、明日の昼、自分で手直しして食べる」とまで言われ、ちょっと味見した甥2には、「うちのより甘い!」と嫌われた。

第一の敗因は、古い土井勝の和食の本を見たことにあると思う。
故土井勝さんは、家庭料理の一人者であったとは言え、あの方の家庭料理は、あくまで「関西の家庭料理」なのだ。
面倒くさかったこともあり、土井勝さんの本の通りに作ったのだ。
結局、土井さんのレシピでは、我が家には甘過ぎたし、味も足りないことになってしまったようだ。

土井勝さんのレシピ
1.二人分なら、出汁を150CC煮立てて、砂糖を大さじ一杯入れて煮溶かす。
  量は忘れたが、お酒も入れた。
  (この出汁がどんな出汁でいいのかわからなくて、昆布出汁にした)
2.そこにさばと生姜と長葱を入れて、4,5分、落し蓋をする。
  (落し蓋がなかったので、スプーンで煮汁をずっとかけていた)
3.そこに、味噌を50g入れて、煮汁で溶かして、12,3分煮る。

母は、私の鯖の味噌煮を少しつまみながら、母が独身の頃、親戚の近所にいたという「鯖の味噌煮だけはものすごくうまく作るおばさん」の話を始めた。
大工さんの奥さんで、台所の流しに足を入れて洗ってしまうような人だったけれど、どういうわけか、鯖の味噌煮だけは上手だったとのこと。
そのおばさんの鯖の味噌煮以上の鯖の味噌煮は未だ食べたことがないと、私の鯖の味噌煮を不味そうに食べながら、言った。
そのおばさんは、鯖を一匹買ってきて、おろして、それを味噌煮にしたそうだ。
(ふむ、ふむ、そりゃあ、魚屋で切り身で買ってくるより、こっちの方が美味しいに決まっている。そういえば、土井勝さんの本にも鯖の味噌煮には、鯖の筒切りを使うと書いてあったが、なかったので、切り身にしてしまったのだ。)
そのおばさんの味噌煮は、鯖の身まで、味噌味が染み込んでいたそうだ。

母は、「味噌はどのくらいの段階で入れたの? 煮始めてすぐに味噌を入れてぐつぐつ煮なくては美味しい筈ないじゃないの」と私に言う。

甥2からも「美味しい」という言葉も取れなかったことだし、今度、鯖を買ってきて、母に作ってもらって、隣で作り方を見ていようと思う。
私なぞは、鯖に味噌が染み込んでいなくても、煮汁をかけながら一緒に食べれば同じじゃないと思ってしまうが、どうもそうではないらしいのだ。
一口に「鯖の味噌煮」と言っても、皆、昔から食べ慣れた味があり、家庭料理の本の通りには行かないのだと、しみじみと思った。



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2000年11月10日(金)

隠し包丁


つきぢ田村という料亭の三代目、田村隆さんがエッセイ集を出した。

隠し包丁
2000円(本体のみ)
出版:白水社

この本の感想をわかりやすく言うと、「本当に心から料理が好きで、料理を職業として一生を送ろうとしている人の本、タイプとしては、グッチ裕三の対極になる」という感じだと思う。
グッチ裕三は、「簡単で美味しい」に情熱を燃やしている、このタイプはこのタイプで絶対、世の中の役に立つ。
でも、田村隆さんのように、おじいさん・お父さんに鍛えられ、素材と向き合って、素材の良さをどのように活かしていくか、お客様に喜んでもらえるかを、自分の人生の仕事として自覚し、丁寧に考えるタイプも絶対に必要である。

落ち着いて、じっくり読むと、味わいがあるのだ、斜め読みする本ではない。
食材を題名にした全33編のエッセイ集なのだが、食材を通した人との交流、おじいさんからの教え、食材に対する知識が、うまくまとめられている。

魚の鍋照り焼きの話も出てきて、田村隆さんによると、「フライパンに油を入れて 焼き、その後、醤油と味醂を入れる」とあった。
私は、「フライパンに油を入れて焼き、出てきた油の粗方を捨てて、その後醤油と味醂を入れる」というやり方で、異なっている。
きっと、これは、つきぢ田村では、本当に新鮮な魚しか使わないのに対し、私は、輸入物のキングサーモンを焼くことの違いかなと思った。
新鮮な魚だったら、油を捨てる必要は無いかも知れない。
安い、冷凍していたのような魚を鍋照り焼きする場合は、私のやり方がいいのかなと思った。



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2000年11月11日(土)

グルメな動物


ある日の夕方、肉屋さんで、肉を注文して、椅子に座って出来上がるのを待っていた。
すると、肉屋の入り口のところに、猫が一匹やってきて、そこに座った。
おじさんによると、野良猫なのだそうだ。
その猫は、飼い猫に見えるくらい、ふっくら太っていたし、結構きれいな猫で、野良猫には見えなかった。

肉屋のおじさんによると、この野良さんは、とても贅沢なのだそうだ。
初めて来たときに、ハムの切れ端をあげたら、美味しそうに食べたのに、一度、焼き豚の切れ端を上げたら、焼き豚が気に入ってしまい、それ以来、ハムを上げても食べなくなってしまったそうだ。
話によると、魚ではまぐろが好きだとのこと。(魚屋に行っても、我が儘を言っているらしい。)
ふ〜ん、野良なのに、結構我が儘言って、我が儘が通っているから、鳥越おかず横丁の野良猫は、幸せだと思う。
その野良さん自体も、生まれつきの野良猫というのではなく、生まれたときから長い間、飼われていたのに、どこかの時点で、野良になったのかも知れない。
その猫の態度は、とても人間を信頼している態度で、大人しく人間に接してくるから、商店街で結構可愛がられるのかなとも思う。

おじさんが、昔飼っていたうさぎの餌の話を続けた。
世の中にドッグフードがあるように、「うさぎの餌」という工場で作った餌があるのだそうだ。
おじさんの家のうさぎは、東急ハンズで買って来たうさぎの餌は食べたけれど、多慶屋のうさぎの餌は食べなかったとのこと。
何でだろう、原料が違うのかな?グレードが違ったのかなという話になったけれど、誰にもわからない。

動物は、「生きるために食べる」、人間だけが「食べることを楽しむことができる」と言われるが、結構、動物も我が儘で、好き嫌いがあって、食を楽しんでいるのかも思った。



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2000年11月12日(日)

安いキッチンタイマーその後


合羽橋道具祭で購入した400円のキッチンタイマーを使い始めた。
形は真四角で、ちゃんと後ろに磁石がついており、普通に使える。
しかし、使い出してわかったのは、セットした時間が過ぎ、「ピッ、ピッ...」と鳴る音が、「STOP」ボタンを押さない限り、鳴り続けることだ。
今までの多慶屋980円のキッチンタイマーは、ある程度の時間が過ぎると、自然に鳴り止む。
400円と980円の価格差は、このような小さな機能の違いなのだとわかった。
だいたいにおいて、キッチンタイマーが鳴るときには、台所に戻らなくてはいけないので、「自然に鳴り止む機能」がなくても、全く問題はない。



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2000年11月13日(月)

ニュージーランドのお土産


妹がニュージーランドの旅行を終え、無事帰ってきた。
甥たちは、お土産をとても楽しみに待っていたのだ。
(この甥たちは、年に2回必ず海外へ行くおばさんがいて、いつもお土産を買ってきてもらえるので、とても幸せな環境にいると思う。)

大人用のお土産は、ニュージーランドからチルド状態で持ってきたスモークサーモンと、蜂蜜がメインであった。

スミークサーモンも美味しかったが、蜂蜜が、本当に美味しかった。
食べると、花に鼻をくっつけたときの花の香りと、花の蜜の味がする。
今まで高い蜂蜜なぞ買ったことがなく、スーパーの安い蜂蜜しか味わったことのない私としては、驚きの味だった。
生まれて初めて、「蜂蜜って美味しい物だったのだ」と思った。

妹の話によると、ニュージーランドというのは本当に工業がなくて、農業・牧畜の国で自然がとてもきれいなのだそうだ。
そこに咲く花の蜜がまずい筈はない。

面白かったのは、同じようなお土産をもらった甥一家の話である。
何でも、甥一家の昨日のランチは、「もらったスモークサーモンでサンドイッチを作り、もらった蜂蜜は、レモネードにした」という話が伝わった。
「あの家にしては、随分、モダンというか、素敵なランチではないか」と私は思ったのだが、夜、祖母宅に現れた甥2に聞いてみると、「ううん、違うの」とばかりに頭を振り、「本当は、マクドナルドに行きたかったけれど、お父さんのお給料日前だったから、もらったもので、お昼を作ったの!」とのこと。 甥の家では、マクドナルドのランチの方が、スモークサーモンのサンドイッチにレモネードより、格が上のようである。



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2000年11月14日(火)

最近のフレンチ 1/3


最近でも、洋食という言葉は生きているが、私の小さいときに食べる西洋料理は、全て、日本ナイズされた洋食であった。
フランス料理というのは、結婚の披露宴くらいでないと食べられなかったのかも知れない。
その後、海外へ旅行するのも自由化されて、フランスに留学するコックさんも増えたせいか、普通の街のレストランの西洋料理は、フランス料理と、日本風洋食に別れていったと思う。
だから、昔は、「洋食を食べに行こう」と誘われたら、「日本風洋食?それともフレンチ?」という点さえチェックしておけば、フレンチで外れることはなかった。
そして、私には、今は無いが、日本橋のブール・エンブレスという、安くて美味しいフレンチの店が身近にあり、美味しいフレンチを沢山味わっていたという歴史がある。

しかし、今年に入って、3回程、フレンチで大外れをしてしまった。
このエッセイにネガティブな批評は載せたくなくて今まで書かなかったが、店の名前を伏して、私の経験を語りたい。

1回目の期待外れ

4月に、大塚にあるフレンチの店にランチに行った。
私が選んだのは、確かメインが「沖縄豚の網焼き」だったと思う。(だいたい、これがフレンチっぽくないから、これを選んだ私がいけなかったのかも知れない。)

このお店で嫌だったことは、オードブルがサラダ風のものであったのだが、その野菜と、メインに添えられた野菜がほぼ同じ素材であったことである。
こんなの初めての体験である。

食べた感想は、「オードブルとメインで同じ野菜が出たら、同じ味に感じてしまう」というものだった。
そのお店は、感じも良かったし、味も結構評価できると思ったが、何せ、オードブルとメインで同じ野菜が同じように出てきたら、私は、興ざめしてしまう。
知合いで、このお店のことを「店員さんは親切だし、味はいいし、最高!」という人がいたので、「でも、オードブルとメインで同じ野菜が出ないかった?」と聞いたら、「確かにその通り」という。
こういうことが気にならない人には、とてもいい店だと思うが、私はだめ。

また、沖縄豚の網焼きなるものも、メインのサラダも本当に味が軽かった。
結局沖縄豚の網焼きには、ソースがかかっていなくて、素材の美味しさや塩の美味しさで食べたような印象がある。
「この軽さがヌーベルか、本当に軽い」と思った最初の経験であった。

この経験があったので、「村上信夫とフレンチの夕べ」に行ったとき、隣になった品の良い老婦人に、「私は、ヌーベルなフレンチなんて、大嫌いなの。やっぱり、フレンチは、バターの使い過ぎだと言われようと、重くなくちゃ、美味しくないわ」と言われたとき、こころから、「うん」とうなずいてしまった。



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2000年11月15日(水)

最近のフレンチ 2/3


次なる経験は、夏であった。
以前、有名店を開いていたフレンチのシェフが、ビストロを開いたというので、行ってみたのだ。
一番だめだったのが、フォアグラを取ったら、苦かったことだ。
フランス料理に詳しい人に聞いたら、「鳥(フォアグラは何の肝臓か忘れてしまった、ガチョウか)をしめるときに、苦しませたから胆汁が回ったのだ」とのこと。
(この胆汁が回るというのは、魚でも肉でも同じ現象が起きると習った。)
昔一流シェフだった人なら、フォアグラが苦いか苦くないかは見ればわかるとのことでとてもがっかりしてしまった。

しかし、がっかりしたのはそれだけではない、お気楽な、フレンチとは言えない居酒屋メニューばかりで、そこから何品か頼んだのだが、どれも食べると、それはまさしく正統派のフレンチの味付けだったのである。
それはそれなりに美味しかったけれど、食べれば食べるほど、割と欲求不満になってしまった。
「この人の本当にフレンチを食べてみたい」という気持ちが湧いてくる。

フォアグラの件もあるけれど、腕のいいフレンチシェフの居酒屋風メニューは、私に欲求不満を起こさせるので、それ以来行っていない。
料理の腕や技術というのは、結構一方通行なのだと思った。
フレンチの達人は、何を作ってもフレンチの味や自分の味でしか、料理を作れないのかと思った。
人間は器用ではない、一流であった人が、一流フレンチの味を押えて、「居酒屋メニューにしては、フレンチっぽくて美味しい」という線が狙えないような気がした。
その人のビストロ風酒の肴の味は、全て、「僕がフレンチを作ったら、腕がいいのがわかるでしょう」と語りかけているような気がした。

以上、美味しくなかったというわけではないけれど、ここも私にとっては、行ったことが失敗の店だったと思う。



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2000年11月16日(木)

最近のフレンチ 3/3


三度目の経験は、ごく最近であった。
人に誘われて、フレンチでディナーということになった。
お店自体は、今風で、道路に面している面が総ガラス張り、外から見えると、丸見えで、皆が楽しく食事をしているのが良くわかる感じで、素敵であった。
店員の態度にも難はない。

席に着くと、オリーブのオリーブオイル漬けを小鉢に入れて出してくれた。
これがやたらに美味しい。(これは絶対に美味しかった。)
アミューズとして、さよりか何かを粉々にして油で和えたものが沢山出た。
(ここで、気が付いてもおかしくなかったかも知れない、オリーブの次が魚のフレークの油漬け→これがフレンチだろうか?)
スープは、サーモンと野菜のスープであり、これは美味しかった。
煮込んだ魚のスープの上にスモークサーモンが一切れ乗っていた、記憶は定かではないが、サワークリームのようなものの味で食べるものだったと思う。
でも、野菜ゴロンゴロンのスープというのは、所謂フレンチでは余り見かけないスタイルだと今にして思う。

自分以外のオードブルも分けてもらって、2,3種類味見をした。
この時点では、「軽いな」と思ったくらいであった。

メインは、豚の背ロースのグリエと、地鶏のグリエだったと思う。(皆で分けて食べようとしたのだ。)
メインが登場して、取り分けて食べたけれど、「イタリアンみたい」と思ってしまった。
豚は油(多分オリーブオイル)で炒めて、蜂蜜か、マスタードで食べさせるのだ。
鶏肉は、香草をまぶして焼いてあった。
どちらも全くソースというものがついていなかった。
付け合せも、赤ピーマンとかじゃがいも、玉ねぎだったと思う。

私は鈍いので、この段階になって、「これはフレンチではない」と思ったのだ。

人から、最近のフレンチは、イタリアンと区別がつかなくなって来ている」と聞いていたが、本当にそういう店があるのだと実感した。
初めてフレンチを食べる人だったら、「フレンチというのは、こういうものか」と美味しく食べることができると思うが、私のようなおばさんで、「フレンチとはソースの美味しさがメイン」なんていう頭の人間には、反対に、「ソースがないフレンチをフレンチと言ってもいいものだろうか」なんていうことが頭に浮かんで来てしまう。

これじゃあ、メニューにスパゲティ類が入っているからイタリアン、スパゲティ類がないからフレンチなんていうだけの話なのだ。
何で、フレンチがイタリア系統に近づかなくてはいけないのかと思う。
ここずっと世の中イタリア料理が幅を聞かせて、フレンチの店は客が少なくなってきているという話を聞いていたから、生き延びる便法なのかも知れない。
最近の若い子たちというのは、イタリアンがおしゃれで、フレンチが古いと考えているのかも知れない。
どちらにしろ、スーパーや高級食材店で、胡桃油やピーナッツオイルを余り置いていないで、オリーブオイル一辺倒であるのが何故かがわかったような気がする。

早く落ち着いて、安価で美味しいフレンチらしいフレンチが食べられる時代に戻らないかと思う。

今度から、「フレンチを食べに行こう」と誘われたら、「軽いフレンチ?重いフレンチ?イタリアンっぽいフレンチ?」とチェックしてから、行くか行かないか決めようと思う。
そして、軽いか、イタリアンぽいフレンチの店に入ってしまったら、「豚の何とか焼き」なぞ取らずに、「煮込み物」を取るように心掛ければ、どうにか、がっかりしないで済むかも知れないと思った。



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2000年11月17日(金)

日本茶 1/2


夏から週に一回、習字塾に通っている。
家から近いということで選んだのだが、通い始めたら、先生が、毎回、お菓子だの、果物、缶ジュース、お茶を出してくれるので、びっくりした。(月謝は結構安いと思うのだ)

秋になって、缶の飲み物が減り、熱い日本茶を出してくれるようになったのだが、これがとてもいい。
習字を練習している途中、手を休めて熱いお茶を飲むと、とても美味しいと思うし、心が落ち着く。
そのときに、ついでに甘いものも食べてしまったりする。

我が家でも、こういうふうに、自分が何かに夢中になっているとき、3時頃になると「お茶飲まない〜」と声がかかったことを思い出した。
昔は、何かにつけてお茶だった。
3時になると、お団子やおいなりさんを買ってきて、皆でお茶を飲んだ。
お客さんが来ても、帳場に「お茶」を運んだ。

我が家からお茶が消えたのは、父が死んでからだ。
皆、忙しくなって、お茶を皆で飲む、誰かに「お疲れ様」と言って、日本茶を出す習慣は簡単に消えてしまった。

以前、従姉妹と話したとき、「え!」と思うようなことがあった。
私の従姉妹はお嫁に行ったばかりのとき、旦那様が会社から帰ってきたとき、どうしていいかわからず、「そうだ、お母さんは、そういうとき、お父さんにまずはお茶を出して、それから、夕飯の仕上げをしたっけ」と思い出して、旦那様にお茶を出すようにしたとのこと。
伯母が、伯父が会社から帰って来たら、必ずお茶を出していたのかということは、結構新鮮な驚きであった。
ふ〜ん、昔のサラリーマンの家の奥さんというのは、ご主人が帰ってきたら、「お茶」を出すものかとそのとき、初めて知った。
今の時代では、きっと、サラリーマンでも、ご主人が会社から帰ってきたらまずお茶が出る家は少なくなってきているとは思うが、わからない。

従姉妹のお母さんは、私の父の姉だから、きっと我が家でも、おばあさんは、おじいさんが外から帰ってきたら、まずは、「ご苦労様」とお茶を出していたのだろうと思った。
我が家を振り返ってみると、父が外に行ったり帰ってきたりが多い仕事だったので、一々のお茶は出なかったかも知れないが、あらためて、背広に着替えて電車でどこかに行かなくてはならない用から帰って来たときには、お茶が出たような記憶がある。
そう考えていると、世間はどんどん慌しくなってきて、どこからも、「まずはお茶」「お疲れ様と言いながらのお茶なんていうことが、減る一方ではないかと思う。
年を取ってきたせいか、ほっとしたいとき、日本茶が出るような環境に身を起きたいと、時々思う。(自分で入れればいいのかも知れないが、やはり、忙しいし、人がいれてくれたお茶の方が断然美味しいと思う。)



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2000年11月18日(土)

日本茶 2/2


母が医者の検診の結果、鉄分が少ないと言われた。
この人は昔から動物性蛋白質を食べない人で、私は手を焼いている。
どう考えても、私の献立に問題があるのではなく、母の食べ方に問題があるのだ。
(私なぞ、自分で言うのも変だが、動物性蛋白質過多ではないかと思っている。)

私がいない間の母の食生活を聞く。
お店番をしながら、お腹が空くとお店のおつまみを食べ、喉が渇くと、缶ジュースを毎日一本飲むという。

そのとき、わけもわからず、「缶ジュースなんか飲むから、鉄分が減るのよ」と言ってしまった。
その後、栄養学に詳しい友人に聞いたら、「缶ジュースを飲んでも、鉄分には関係ないけれど、相当、砂糖が入っているから、缶ジュース一本飲むということは、それだけで一日に必要な糖分を摂ってしまっていることになる」とのこと。
変な八つ当たりだったが、当たらずとも遠からじ、やはり、缶ジュースを毎日一本飲むということは、身体にはよくないようだ。(新陳代謝の激しい若い人ならともかく、老人の場合は、他にも甘いものを食べてしかも動かないから、きっと、糖分過多で、糖尿病になってしまうに違いない。)

改善策として、ちょうど合羽橋道具祭で購入した500mlの魔法瓶の水筒があったので、それを母のお誕生日プレゼントとして与え、「店で喉が乾いたら飲むように、毎朝、日本茶を詰めて、店に持って行って」と頼んだ。
実際に実行してみると、店には、水道はあるものの、ガスもないし、電熱器を置く場所もないので、この魔法瓶の水筒の日本茶はとてもいいそうである。
魔法瓶の日本茶を母も気に入って、缶ジュースを恋しがらないので、助かった。

人間、やはり、水分は取らなくてはいけないし、あの状態なら、手近にある缶ジュースを飲むに違いないと、早くに気づけば良かったと思った。
鉄分が足りないと医者に言われたのがきっかけだったが、人が快適な食生活や水分補給ができているかという問題は、結構さりげない問題で見落としやすいので、難しいと思ったのだ。

他にも色々問題はあるが、一点片付いたので良しとしよう。
(おつまみ問題は、また明日。)



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2000年11月19日(日)

間食


お腹が空いたとき、私も良く間食をしてしまう。
我が母もそうで、甘いものが好きだから、甘いものを食べ過ぎて、「さっき、お腹が空いたからお菓子食べちゃったの。ごはんはちょっとでいい」と言うことがたまにあった。

そのときは、これはこれでいいかとも思っていたが、「鉄分不足」と聞くと、お菓子などでお腹が一杯になって、ちゃんとした食事をしないということは、それでも少ない動物性蛋白質摂取の機会が減ることになり、これはこれで、立派な鉄分不足の原因だと思った。

私が、もっと手際良く母がお菓子を食べたくなる頃にご飯を支度すれば良いようなものだが、これはこれで難しい。
で、夏に、栄養士の資格を持つ友人に習ったように、「お腹が空いたら、何か食べてもいいけれど、必ずお水かお茶を一緒に飲んで、水分でお腹を膨らませてね」と頼んでいる。
これだったら、お腹が適度に膨れて、すぐにお腹が空くそうである。
(本人も、これが結構できそうでできないでいるが、私は今のところ異常はないから、人には言ってしまった。)
鉄分不足と聞いたときから、「これは大変!」と結構しゃかり気になって、あーでもないこうでもないと試行錯誤を繰り返している娘が怖いのか、母は言うことを聞いてくれている。

母の鉄分不足の件で感じたのは、我が家の食事は、「息抜き」だったり、「憩いの場」であることが、栄養関係是正には辛いということだ。
もし、薬で治るものなら、我が家のような家には、食事で直すより、薬で治す方が絶対に良い。
「これは薬だから」と飲ませるのは簡単だが、毎回の食事で、体質が改善するように好きでもないものを食べさせるのは結構困難である。
(残念ながら、鉄分不足を薬で治すとなると、胃が荒れる心配があるそうなのだ。)
でも、私は結構頑張っている。
そのうち、鉄分多い食事成功というエッセイが書ける日が来るまで、黙って頑張ろうと思う。



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2000年11月20日(月)

原材料表示


先々週のアド街ック天国「秋葉原特集」に、私の好きな練り物屋の「構」がランクインした。
で、番組で、「冷凍のすり身は一切使わないお店」と紹介され、「だから、この店の練り物は美味しいのだ」と理解したのであった。
その後「構」さんに、買物に行って、「テレビみましたよ」と話したら、嬉しそうは嬉しそうだったのだが、「どっちのテレビ番組ですか?」という意外な答えが返ってきた。
何でも、アド街ックで紹介された前日は、NHKの番組でも紹介されたのだそうだ。

こういう地味な店がテレビで何回も紹介されるのは嬉しい。
このお店に実際に行ってみるとわかるが、練り物を作る人、お店で販売する人、誰も彼も、若くないのだ。
こういうお店がテレビで紹介されて、もっと繁盛すれば、後継者もできるのではと思ってしまう。

私が思うには、このお店は決してこだわりのお店ではないと思うのだ。
例えば、頑固者のこだわりではなく、昔から自分たちが作っていたさつま揚げの味を大切にしていたら、自然と冷凍物のすり身は使わなかったということだけだろうと思う。
古いことは古いけれど、決して老舗でも敷居の高いお店でもないのだ。

で、この件で、もう一つ面白いことを聞いた。
魚にも、練り物に向くものと向かない魚があるそうなのだ。
練り物に向く魚を使ったすり身を使えば、高級で他に何も入れなくても、コシはあるし、粘りも適度で天然の味になる。
向かなくて安い魚をすり身にした場合は、増粘剤とか、色々科学的なものを入れて、コシや粘りを出しているとのこと。

これらの増粘剤を使った場合、すり身段階では、原材料に、「増粘剤」と記載しなくてはいけないそうなのだが、このすり身を使って、かまぼこやさつま揚げを作った場合は、原材料に「すり身」とだけ表示すればいいそうだ。
これを聞いて唖然、そうか、そうだったのか、大量生産のさつま揚げを買ったところで、どうして美味しくないのか、原材料を見ただけではわからなかったけれど、「こういうからくりだったのか」と、はっきりと理解してしまった。

今、私としては、神田の末広町に構があるから、美味しいおでんを作ることができる、このお店がなくなったら、私のおでんは絶対に美味しくできないと思う。
時間がなくて、末広町まで練り物を買いに行けなくて、結構値段は高い大手メーカーのおでん種を使うことも年に1度くらいあるが、いつもそれらを使ったおでんを食べて後悔している。
あー、昔からの味に忠実なメーカーが増えないかと心から思ってしまう。



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2000年11月21日(火)

家庭料理をおいしくしたい 1/2


一年程前に図書館で、「家庭料理をおいしくしたい」という本を見つけ、何だろうと読んでみた。
この本は、1988年の出版だから、もう絶版になっていると思う。
多分、図書館で探せばあるのではないか。

「家庭料理をおいしくしたい」
江原恵著
草思社刊

この本で一番面白かったのは、出汁を取るときに、「昆布は固く絞った濡れ布巾で表面を拭く」「かつお節は一番出汁を取った後、二番出汁を取る」ということががどの家庭料理の本にも載っていて、これが何故かという謎解きであった。

答えは明日に書くとして、興味深いのは、今のかつお節を薄削りにして出汁を引くという方法は、明治末期以降に考えられた手法であることだ。
(かつお節削り器が考案されたとのこと。)
それより以前は、包丁で、黒い部分を取った後、削って煮出していたとのこと。

言われてみれば、私が子供のときの我が家の出汁の取り方は、煮出し法であったような気がする。
(我が家だけではなく、横浜の友人の家に泊まりに行ったときも、その家のお母さんも出汁を煮出して取っていた。)
煮干しは良く使っていて、味噌汁に浮いている煮干しを「身体に良いから食べなさい」と父親に強要されたことを覚えている。

昆布も、使うことは少なく、昆布が入るときは、「今日は上等だから」と父が言っていたような覚えがある。
我が家の出汁の取り方が、昆布とかつお節を使った一番出汁、二番出汁というようになったのは、私からかも知れない。
これは、それこそ、「家庭料理をおいしくしたい」と考えていた私が料理本を買ってきたか、どこかのお料理教室で習ったのを、真似し始めたのではないかと思う。
その頃、一緒にお料理教室に通っていた友人と、「どうして、お母さんたちはちゃんとした出汁の取り方をしないのかしらね」と話した記憶がある。



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2000年11月22日(水)

家庭料理をおいしくしたい 2/2


日本の家庭料理に関する記述を抜粋すると

1.江戸時代まで、農村は地域で取れるものを食べていた、都市は、町民
  階級は、豊かであったが、長屋に住む人たちも大したものを食べて
  いなかった。

2.武士階級も、幕末中級旗本クラスの食卓も、「おみおつけ・ごまめ・
  きりぼし・おから・椎茸・豆腐・大根・たくあん・味噌漬け・梅干し・
  干物・鮭・ごまみそ・てっかみそ」程度であった。
  但し、一家の主には、動物性タンパクと銚子の添え膳がついた。

3.かつお節や昆布が日本の出汁といわれているが、江戸時代、これらが
  出回ったのは、都市部だけで、農村には行かなかった。
  また、かつお節の出汁の取り方も、現在のような薄削りになったのは、
  少なくとも、明治末以降ではなかったか。
  (今のような鰹節削り器は、せいぜい100年のものとのこと)
  それまでは、包丁で、表面の黒い部分を落とした後、削って、それを
  煎じていたようだ。

4.明治30年頃、東海道線も通ったが、神奈川県の村々ですら、豆腐も
  中々買えなかった。
  また、鵠沼海岸から一里離れると、生魚が買えなかった。

というように、江戸や明治までというのは、とても貧しかったし、蛋白質が行き渡らない食生活だったようである。

明治14年に、新興中産階級の婦女向けにオープンされた赤堀料理教場が、毎日料理を教えるにあたって、選んだのは、料亭の料理の初歩だったとのこと。
(西洋料理は今までの食卓と異質なものだったので、無理だったのだ。)
都市の中産階級以上は、それまで、客のもてなしには、料亭に案内するか、仕出しを取っていて、家で作ることは無かったらしい。
結局、新しく台頭してきた「家でもてなし料理を作りたい」という層に教えたのは、珍しい魚鳥料理(山海の珍味)を基本形とする料亭料理の初歩だったとのこと。

出汁の取り方も、料亭で普通にやっていたやり方が、このような学校から一般に普及して行ったものだと思われる。
「一番出汁を取った後、二番出汁を取る」というのは、毎日大量に料理を作る料亭で生まれた知恵であり、庶民が自然発生的に始めたやり方ではないようだ。
(私も実際に出汁を取るとき、一番出汁を取った後、二番出汁を取ったりすることもあるが、実際、それを使って煮物をすることなんて、殆どない。
忙しい毎日、そして、出汁を使う料理ばかり作らないので、そこまでやってられないのである。この一番出汁とか、二番出汁というのは、生活感覚としては、ぴったりと来ない。
それよりも一回こっきりで、簡単で美味しい一番出汁の取り方とか、一番出汁の残り殻でない普通のかつお出汁で取る二番出汁の取り方を知りたい。)

また、話は、日本の家庭料理全体に戻す。
戦後のことは、以前読んだ香川綾さんの伝記に、以下のようなことが書いてあった。

栄養教育を普及させるにあたって、料理が美味しくないと誰も栄養のことを考えない だろうから、栄養を行き渡らせるために、一流の料理人・シェフに協力を求め、料理法を紹介してきた。

以上のように、日本の古来からの食事というのは、動物性蛋白質が少な過ぎる貧しい食事だった(というか、一部の人しか満足に動物性蛋白質を取ることができなかった)し、ケとハレはあったものの、人を気楽にもてなしたり、家族団欒で食事を楽しむようなものではなかったので、「伝統的な家庭の食事」いうことを守ることができなかったのではないかと思う。
常に、明治以降、美味しい料理や新しい食材の使い方の見本を外食産業に頼らざるを得なかったようだ。

また、韓国のように、牛を余すことなく食べる国だったら、自国の料理だけで済んでいるのかも知れないが、日本の場合、国民全体に物性蛋白質が行き渡るような食形態ではなかったから、こんなにも、西洋料理や中華料理が家庭まで入って来たのだと思う。

時々、自分の台所の道具を見回し、「どうして、和洋中華全てに対応するような品揃えをしなくちゃいけないんだろう?」と考えることがあったけれど、この本を読んだら、「成る程」と思えた。



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2000年11月23日(木)

ビタクラフトを買うなら


私は、ビタクラフトを3点持っている。
買ったのは、彼これ20年くらい前になるのかも知れない。
丸元淑夫さんの本を読んで、お勧めの三点セットを買ったのだ。
ずっと使い続けていたわけではなく、途中、「値段程でもない」と思って使わなかったが、最近は、その保温鍋としての機能の良さがわかって、結構使っている。

20年程前に私が購入したビタクラフト
1.片手鍋 内径 14cm 深さ5.5cm
2.中フライパン 内径24.5cm 深さ5.5cm
3.両手鍋 4.5リットル 内径24cm 深さ9.5cm

で、現在は、3の両手鍋は、仕舞ってしまい、使っていない。(圧力鍋で足りるので)
2の中フライパンは、煮魚のときや、玉ねぎをじっくり炒めるときに使う程度。
1のミルクパンのような片手鍋は、結構出番が多い。(茹で卵を作ったり、ちょっとしたものに火を通すこととか)

しかし、つい最近ミルクパンのような片手鍋の異変に気づいてしまった。
柄の鍋に近い部分の下が焦げて、ガタガタ言うようになってしまったのだ。
この鍋は内径14cmと小さいし、深さ5.5cmだから、ガスのつけ始めなど、強火で点火した場合、知らず知らずに、柄まで火が当たっていたのであった。
確か、ビタクラフトではこのような修理はしてくれないのではないかと思う。
柄の先の方の実際に手が当たって持つところだけではなく、結構、鍋本体に近いところまで、柄の殆どがプラスチックなのだ。
(だから、焦げた。)

う〜ん、20年近く持った鍋だから、寿命が来たと思えば思えるけれど、中フライパン鍋なぞ、まるで、無傷でこのような問題が起きていないから、何だか悔しい。
もし、この部分が焦げなかったら、本当に一生使えたのにと思う。
私の使い方が粗かったという言い方もできるが、やはり、内径14cmという小さなお鍋で、しかも深さが5.5cm、で、火に近い、火に当たりそうな部分もプラスチックの柄というのは、結構、デザイン的に間違っているような気がする。(な〜んちゃって、それに気づくのに、20年かかったが。)

ま、この柄が取れたら、今度は、内径14cm、深さ8cmという片手鍋があるので、こちらにしようと思う。(8cmの深さなら、柄の位置も高いし、強火にかけても、火が届かない位置に柄がある。)
皆様も、それ程注意深い性格でなかったら、ビタクラフトを購入する場合、内径14cm、深さ5.5cmのものは、やめて、深さ8cmの方が無難ですよ、とお勧めしたい。



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2000年11月24日(金)

紅葉の六義園


この日、時間があったので、六義園に行って来た。

六義園散歩HP←ここをクリック

昔むか〜し、この中に入った覚えがある。
都心から程遠いので、広くて満足の行くお庭であった。
なんと言うか、土地が広いのが魅力の場所である。
また、国が管理して、入場料を取る場所であるから、安心して、散歩できる。

紅葉には残念ながら、1週間早かったそうだ。
見頃は、11月末から、12月初めの1週間だそうだ。
静かで広々としていて、木が多いから、本当にほっとする庭園であり、お勧め。

パンフレットによると

五大将軍徳川綱吉の信任が厚かった川越藩主・柳沢吉保が、元禄15年(1702年)に築園した「回遊式築山泉水公園」
明治に入って、三菱の創業者岩崎弥太郎氏の庭園となったが、その後昭和13年に、岩崎久弥氏により、東京市に寄贈され、昭和28年に、国の特別名勝にも指定されている大変な文化財。

駒込駅南口すぐ右前方に見えるのだが、入り口が、駅から遠いので、10分くらいかかる。
本郷通りを本郷の方に直進して、六義園の塀が終わるところを右に曲がると、入り口。

六義園
住 所: 東京都文京区本駒込6丁目16番3号
面 積: 87,809.41u(26,608坪)
開 園: 午前9時〜午後5時(入園は4時半まで)
休園日: 12/29〜1/3
入場料: 300円(65歳以上及び小学生以下及び都内在住・在学の中学生は無料)



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2000年11月25日(土)

甥2の泣き所


私が外から帰って来るなり、母から、「甥たちが二人で放課後公園に遊びに行ったのだけれど、甥2が、甥1のグラブを取りに戻ってきた、信じられない」という報告があった。

甥2は、同性の下の子に有り勝ちな勝気なところがあって、お兄ちゃんに絶対に負けないし、絶対に譲らない。
未だかって「お兄ちゃん」と言ったことはなく、いつも「甥1ちゃん」とお兄ちゃんを呼んでいる。
「僕の方が頭もいいし、性格もいいし、体力も優れているのに、どうして、先に生まれただけのあいつを『お兄ちゃん』と呼ばなくてはいけないの?」と、生まれてからずっと思っているようなのだ。

それが、どうして、急に、「甥1が忘れたグラブを甥2が取りに家に戻る」ようになったのか。
実は、甥1も甥2も、野球が大好き。
何せ、筋金入りの横浜ベイスターズファンであり、野球カード集めるのと、キャッチボール、子供たちでよくわからない野球の試合をするのが、大好きなのだ。
実は、ここに甥2の泣き所がある。

甥2は小学校2年生なのだが、2年生の同級生の中には、まだ、野球が好きとか、キャッチボールが好きという友人がいなくて、甥2が野球したいと思ったら、普段の日は、お兄ちゃんを頼って、お兄ちゃんの友人の仲間に入れてもらえないと、野球ができないらしいのだ。
それで、放課後、お兄ちゃんに付いて公園に行くときは、ものすごく低姿勢になって、お兄ちゃんの言うことを聞かざるを得ないようである。

私としては、甥2が、甥1の命令を聞いたというのを始めて聞いたので、びっくりした。
どんな頑固な子でも、時間が経てば(8年かかったが)、泣き所ができて、お兄ちゃんを頼らざるを得なくなって、ちょっとは譲るようになるものだと思った。



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2000年11月26日(月)

卵を割る


甥たちは、卵ご飯(熱々のご飯に、醤油を混ぜた卵をかけるもの)が大好きである。
どうも、おばあちゃんが、小さいときに食べさせたのが気に入ったらしい。

小さい頃は、おばあちゃんが卵を割って、醤油を入れてかき混ぜてと、全部やってあげたのだが、この半年くらい前から、自分たちで卵を割りたがるようになった。
しかし、うまくできないのだ。
彼らのやることを見ていると、コンコンと、固いところに卵をぶつけて、ひびを入れるところまではいいのだが、そのひびに指を突っ込んで、そのまま力を入れるものだから、グチャッと潰して、失敗してしまう。
こんなやり方だと、手が卵だらけになってしまい、気持ち悪いそうだ。


私のやり方が正しいかどうかわからないが、自分でも卵を割ってみて、観察して、甥たちに「こうしたら、うまく行くよ」と実演付きで教えてあげた。
卵にひびを入れたら、ひびの入った面を上の方に向けて、改めて、指が両側の裂け目に指がかかっているかどうか確認してから、再びひびの面を下に戻しながら、両側の殻を外に円を描くように持ち上げているようだ。
すなわち、クス玉が割れるときのような感じで、卵の殻を両側に持ち上げ、卵の中味を落とすのだ。

「指に卵がついて気持ち悪い!」(このやり方でも確かに、ほんのちょっとではあるが、指に卵がついてしまう)、「やっぱり、嫌やだ、できない!」ということをなだめすかして、自分でやらせるようにした。(だって、このまま、卵の割れない人になったら、困るから)

確かに、食卓で大人が卵を割っても、ほんのチョットではあるが、卵の中味が指についてしまうと思う、普通の大人の人はどうしているのだろう?
(おしぼりとか、用意しているか、予め、割った卵を食べるようにしているのだろうか?)
私は、台所では、良く卵を割っているが、卵を割った後は、きっと無意識に、水で手を洗っているに違いないと思った。(卵が手について気持ち悪いという記憶がないのである。)

甥1の方は、2,3日前に、初めて、自分一人できれいに卵を割れるようになった。
甥1の方が、卵ご飯が好きだから、嫌々ながらも、卵を割らざるを得ないので、何回も何回もやっているうちに、コツを掴んだようだ。
私も、改めて卵を割る割り方を人に教えられるように、分析できて良かった。(こんな必要性はないかも知れないが。)
今後は、手に卵の中味がつかない割り方でも研究しようと思う。(笑)



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2000年11月27日(月)

チーズを買いに東京駅へ


一度、成城石井で、熟成ブリを買ったら、病み付きになってしまった。
サラダに混ぜて、3回食べてなくなったら、淋しくなって、日曜日に東京駅に買いに行った。
ここで電車賃を使うと勿体無いと、自転車で行った。

ルートは、浅草橋から、日本橋の繊維街を抜ける道もあるのだが、清洲橋通りから、靖国通りにぶつかったら、神田金物通りに出て、神田駅に突き当たったら、ガード沿いに左折。
こうすると、外堀通りに出ることができるのだ。
このルートは、昔むか〜し、私が、日本橋に勤務しているとき、朝面倒なので、良くタクシーで会社に行ったのだが、そのときに、タクシーの運転手さんに教えてもらったルート。
この道が一番近いかな〜と思いながら、自転車を走らせたら、何と、20分で東京駅に着いてしまった。
まさか、こんなに近いと思わなかった。
この道でなかったら、やはり、東京駅まで30分近くかかってしまうと思う。
しかし、今まで、東京駅まで自転車で行くという発想がなかったので、損をしてしまったと思う。
これで、我が家から、交通費もかからず、一番近い高級スーパーは、東京駅の成城石井になったし、帰りに日本橋高島屋に寄れるから嬉しい。(日曜日でなかったら、京橋の明治屋にも)

で、成城石井で、ブリを見たら、「一つ475円、2つだと920円」だったのだ。
この前、渋谷の成城石井で見たら、確か「2つだと700円」だったような気がして、ちょっとがっかりする。
ま、それでも、普通のデパートで買うより全然安いのだからと気を取り直して、一番熟していそうなのと、まだ固いのを選んで買ってきた。

夕飯のとき、甥2に「試してみて!」と口に入れてあげたら、「クリーミー!」と感激して、可愛いことに、自分の感激を人にも伝えたくなったのか、「うちのお父さんにも食べさせてあげて」とのことだった。

当分、ブリが冷蔵庫にあるので、幸せ。



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2000年11月28日(火)

今年のヴァシュラン・モンドール


日曜日に、成城石井に行ったとき、ヴァシュラン・モンドールが全くなかったので、まだ、売っていないのだと思った。
去年は、12月末に買って、賞味期限が2月初めのものをお正月に食べたから、もし、お正月用にちょうど賞味期限が切れる(すなわち、一番食べ頃)ようにするとなると、そろそろ、買っておいた方がいいかなと思ったのだ。
一応、「ヴァシュラン・モンドールはないのですか?」と店員さんに聞こうかなと思いながら、色々他の商品を見ていたら、つい、忘れて帰ってきてしまった。

そのことをMLで書いたら、今年のヴァシュラン・モンドール事情を教えてくださった方がいた。
どうも、今年の成城石井のヴァシュラン・モンドールは、去年より安くて、1つ1500円程度だとのこと。(去年は、2400円程度だったと思う。)
そのせいかどうか、入荷が少なく、教えてくださった方も、予約して買ったとのこと。
おまけに、成城石井以外で買うと、2〜3千円とのこと。

これを聞いたら、私も予約した方がいいと思い、外出したときに東京駅まで足を伸ばした。
今度の入荷日を聞いたら、12/3(日)とのこと。
値段は、1600円で、MLで聞いたときよりちょっと高いが、ま、いいやと予約してしまった。
でも、去年の2/3程度の値段となると、つい、2個も予約してまって、返って散財となってしまった。(笑)
予約で買うと賞味期限がいつだかわからないが、多分1か月程度先だろうと思う。
クリスマスに食べてもいいし、誰かにプレゼントしてもいいし、まあ、いいやである。



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2000年11月29日(水)

鶏と松の実の炒め物


酢豚も色々な食材が入っていて、栄養バランスがいいと思うのだが、鶏とカシュウナッツの炒め物の中々いいと思う。
ピーマンが緑黄色野菜で、鶏が動物性蛋白質、カシュウナッツが油分と鉄分を持っていて、鉄分を摂りたい我が家にぴったりではないかと思ったのだ。

カシュウナッツを使って作ってみたが、カシュウナッツを油で揚げるのを省いたら、カシュウナッツがからっとしていなくて、湿った感じで美味しくなかった。
しかも、歯の悪い母が「食べにくい」とのこと。
カシュウナッツは、我が家に不向きであることとなった。

気を取り直して、松の実で作ってみたら、これは、油で予め揚げなくても美味しく料理に馴染むし、母も満足してくれた。
(しかし、この好き嫌いが多くて、クリームシチュウでご飯を食べるなんていうことを拒否している人が、良く木の実が入ったおかずでご飯を食べると不思議である。
食べ物に関しては、だめで元々で、まずは試してみることが大切だと思ったのだ。)

作り方は、ちゃんと載っている本がなかったので、NHKの昔の中華料理の本にあった「鶏肉と胡桃の炒め物」を参考にして作った。
材料は、適当で残っているもので十分。(ピーマンが4個余っていたら、4個入れてしまうという感じ。)
何でも適当で大丈夫。

材料
鶏モモ肉(部位は木の実で) 適当
              (3人で、1枚の半分程度)
松の実           適当(少しで良い)
ピーマン          適当
長葱            適当
タケノコの水煮       適当

下準備
鶏肉
1.鶏肉は1cm角に切って、お酒少々と生姜汁をかえて、下味をつけておく。

2.少し経ったら、溶いた卵白(少しでよい)に、鶏肉を入れて、かき混ぜ、片栗
  粉を大さじ1杯くらい入れて、鶏肉にまぶす。

野菜
1.野菜も1cm角に切っておく(水気を切っておく)

2.水気を切っておく

油通し
1.私の場合は、直径18cmの寸胴鍋の上にジャーレンを置いて、油切りの用意
  をする。(このやり方でなくても油切りができるなら、何でも良い)

2.中華鍋に、油を入れて熱くする。(140℃程度)
  油の量は、かき混ぜれば野菜が全部ひたる程度でいいと思う。
  油を何度も使える人ならいいけれど、面倒な場合は、そのまま、固めて捨てるの
  で、量は少なくした方がいい。
  野菜を二回に分けて油通しをしても良いのだから。

3.野菜を入れてかき混ぜながら、火を通し、油を切っておく。

4.鶏肉を入れて、かき混ぜながら、火を通して油を切っておく。
  (ピーマンがくたくたにならないように)

仕上げ
1.醤油大さじ2杯、酒大さじ2杯、砂糖小さじ1/2杯を用意しておく。
  片栗粉も小さじ1杯程度を同量の水で混ぜて用意しておく。

2.中華鍋を熱して、油を大さじ3杯程度入れて、熱する。

3.鶏肉を入れてジャーとかき混ぜ、その後、野菜を入れてかき混ぜる。

4.そこに合わせた調味料を入れて全体に行き渡るように混ぜて、片栗粉の水溶き
  を入れて、更に混ぜたて、火を止める。
5.そこに松の実を振り入れて、混ぜたら、出来上がり

油通しが面倒だが、美味しい。



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2000年11月30日(木)

おかげさまで、10周年


この日、お誕生日だった甥1に、「皆に『おかげさまで10周年』と言ったら?」と教えたが、笑いながら嫌がって言わなかった。
「甥1君、10歳の抱負は?」と聞くと、「抱負って何?」である。
「ホウフというのは、トウフの親戚じゃないのよ。
抱負というのは、これからどうしたい、こうなったらいいなという希望」と教えてあげたが、やはり、甥1の口から出た答えは、「わかんない」であった。
この子は、生まれて初めて私に発した言葉が「わかんない」だったし、そういう意味では全然成長していないなと思う。(笑)

背は、伸びて、最近縮み気味のおばあちゃんを追い越し、この前は、我が妹と取っ組み合いをして、負けなかったそうだ。
妹が私に、「もう、甥1とは取っ組み合いしない方がいいわよ、負けそうだった。」「 あの子も伊達に講道館に通っているわけではない」と教えてくれた。

図体は大きくなり、力もついたし、反抗もするようになって、ちゃんと育っているようだ。(顔は全く甘ったるくてしまっていないけれど)

ま、どちらにしろ、大きな病気もせずに、無事10年を迎えてくれて良かったと思う。
何かあったら、我が家のメンバーは耐えられなかったと想像する。

こちらの「甥1に対する今後10年の希望」を言い出したら、切りが無いけれど、これからの10年も無事、元気で、普通の子で育って行って欲しいと思う。
考えてみれば、生まれてから10年というのは、結構暇でのんびりしていて、10歳から20歳というのは、新しい上の学校に3回も入らなくてはいけないので、結構忙しい10年だなと思う。
老婆心から、妹と二人で、「10歳から30歳はあっという間だからね」と甥1に教えてあげたけれど、当たり前だが、甥1は「何言ってるのかしら?」という感じで返事もしないでテレビを見ていた。

こんな甥1だが、一つだけはっきり「大人になったな」と思うことがあった。
今までお誕生日のケーキには、必ず、オーレンジャーなどのお人形を乗せていたが、今年はもう乗せないとのこと、ようやく幼児期を抜けたようだ。



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