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2001年08月01日(水)

落合さんのペペロンチーニ 1回目


ラベットラ落合務さんの本を見ながら、2度、ペペロンチーニを作ってみた。
今のところ、完全に上手く行ってはいないが、確かに、落合さんの言うように作った方が美味しいと思っている。

落合さんだけの特徴ではなく、そもそも、本場のイタリアの作り方なのだが、オリーブオイルとスパゲティの茹で汁を合わせて、乳化させなくてはいけないのだ。
確か、片岡護さんの本でも同じことが書いてあったが、そのときは、イメージが沸かなかったのでやらなかった。

自己流の「茹で汁を入れないペペロンチーニ」のままでも良かったが、やはり、本場に近づいた方が良いだろうということで、やってみたのだ。

落合さんのレシピと作り方を簡単に書くと

にんにく             3片
たかのつめ            1〜2本
イタリアンパセリ         少々 エキストラバージンオリーブオイル  80cc
(以下、オリーブオイルと省略)
スパゲティ            100g

1.にんにくは、潰しておく。(刃物は使わない)
2.たかのつめは、種を取っておく。
3.フライパンにオリーブオイルを入れて、熱した中に、にんにくを入れる。
4.にんにくが程良く焦げてきたところで、火から外し、たかのつめを入れる。
5.そこに、スパゲティの茹で汁を入れて、激しく鍋を動かし、乳化させる。
6.このオリーブオイルと茹で汁を乳化させたものに、スパゲティを絡めて出来
  上がり。

以上を頭に入れ、本を時々見ながらやってみた。

1回目に、実際にやってみてわからなかったことは、
1.スパゲティを茹でるときの塩水の塩分濃度。

2.落合さんのレシピには、スパゲティを茹でる時間との兼ね合いが書いてないの
  で、スパゲティを茹でるのと、ソースを同時並行に作るタイミングがとても難
  しかった。

  ここは本当に問題が多かった。
  刃物を使わないでにんにくを潰すことを甘く見て、スパゲティを茹で始めてか
  ら、にんにくを潰したのだが、これが手間取るのなんのって、とてもではない
  けれど、スパゲティの茹で上がりに間に合わなくなってしまった。

  アルデンテなんて、夢のまた夢、しょうがないので、茹で上がり2分前に、ス
  パゲティの方の火を止めて、ソースの出来上がりまで、そのまま、置いておい
  た。(当然、柔かくなり過ぎる茹で上がりとなった。)

3.茹で汁をどの程度入れれば良いか。

4.レシピどおり、にんにくがこんがりして、たかのつめも入れて、辛みも出たか
  なというときに、沸騰している茹で汁を、熱いオリーブオイルの中に入れる。
  そうしたら、ジュワ〜ジュワジュワジュワ〜〜ブクブクと、過激に、熱い油と
  熱いお湯が反応して、フライパ中は大騒ぎ。
  鍋を揺するなんてことはしたくない程、フライパンの中は立ち上がるあぶくと
  過激な音だらけ。
  写真を見ると、落合さんは、アルミのフライパンを使っているようだが、私
  は、ステンレスの五重構造のビタクラフトを使ったのだ。
  きっと、ビタクラフトの保温力が凄くて、中々冷めなかったから、ジュワ〜ジ
  ュワ〜と反応してしまい、本の通りにできなかったのではないかと思う。

  使う道具というのも、レシピを書く人と違う素材を使うと、結構ひどい目に遭
  うと思ってしまった。

以上、よくわからないまま、作ってみたが、初めて試した感じでは、今までの自己流より相当美味しいと思った。

こんなに色々失敗しながら作ったが、やはり、レストランで食べるペペロンチーニに近づいた感があった。



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2001年08月02日(木)

落合さんのペペロンチーニ 2回目


前回の反省から、にんにくを潰すのに、ガーリックプレッサーというのか、にんにくを入れて、てこの原理で、潰す道具を使うことにした。

また、レシピのまま、オリーブオイル80ccだと、食べ終わった後、オリーブオイルの池ができるくらい残るので、50cc程度でやってみたが、これは、50cc程度でも十分のような気がした。

今度こそ、タイミング良く、ソースとスパゲティを仕上げたいと、頑張ったが、やはり、これをタイミング良くやるには、年季がいると思った。

今度は、スパゲティをお湯に放り込む前に、にんにくを潰して皮を剥いたし、唐辛子の種も取り終わった。
で、無事、スパゲティをお湯に沈めた後、フライパンにオリーブオイルを入れて、火にかけ、にんにくを入れたのだ。
こんがりしたところで、火からおろし、唐辛子も入れて、揺すって辛味を出した。
さて、そろそろいいかなと思って、スパゲティの茹で汁を入れた。
今回も、ビタクラフトを使ったのだが、2度目のせいもあって、ジュワジュワのぼるあぶくにも負けずに鍋を揺らし、結構、乳化もうまく行ったのだ。

しかし、ここで、また、問題が....。

スパゲティの茹で上がりより、1,2分早くソースが出来上がってしまい、スパゲティの茹で上がりを待っていたら、こんがりと焼けたにんにくがふやけてきたのだ。
ほんの1,2分と言っても、こんがり焼けたにんにくをお湯の中に浸けておくのは、食感的にも、味的にも、致命傷だと思った。
(実際食べてみたら、そのとおりであった。)

今回の反省としては、慣れないで、ソースとスパゲティを同時に仕上げる自信がないとき、特に、ソースが早めに出来上がってしまうときは、ソースに茹で汁を入れる前に、焼けたにんにくを取り出しておいた方がうまく行くのではということであった。

プロのレシピは、プロの腕を前提に書かれているので、プロの腕を持っていない人は、それなりの工夫をする必要があるような気がする。



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2001年08月03日(金)

炭を入れて炊いたご飯


我が母が結構通販マニアで、台湾の飲茶シリーズとか、以前取っていたのだが、今は、高知の名産物を取り始めた。

で、今月、高知の新米と、四万十の白炭のセットが送られてきた。
初日は、炭を入れて炊くなんて、気持ちが悪いと、新米だけ炊いて食べたのだが、高知の新米は、「秋に食べ慣れている新米」程は、美味しく感じられなかった。
(何でも、日本国内において、新米が取れるのは、沖縄が一番早くて、高知は2 番目とパンフに書いてあった。)

2日目は、不織布の袋に入った炭を入れて、ご飯を炊いたのだが、まるで、別のお米のように、つやつやぴかぴか、美味しそうに炊けたのだ。
炭の威力ってすごい。
能書きによると、炭から発せられるミネラルが、お米の糠臭さや(これはお 水かな?)カルキ臭さを取ってくれるとのことであるが、炭を入れて炊いたご飯は本当に、能書きどおりであった。

何でも、その炭は、2〜3か月持つということなので、これから、この新米以外 のお米(今の季節のお米って、何か古米っぽいですよね)にも使ってみる予定。

知識としては、備長炭を初めとする炭を入れてご飯を炊くとふっくら炊けるとか、お水に入れておくと、浄水されるということは聞いていたが、その効果がこんなにすごいとは思わなかった。

お米に入れる場合、面倒なのは、炊き上がった後で、(袋に入った炭の場合)、ざっと洗って、干しておかなくてはならないことなのだそうだ。

お水に使うとしたら、どんな手間がかかるか、わからないけれど、機会があったら、調べて、お水にも使ってみたいと思う。



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2001年08月04日(土)

手を合わせる子


私は小さいとき、仏壇の置いてある部屋で寝起きしていたので、寝る前には、「おじいちゃん、おばあちゃん、おやすみなさい」と仏壇に手を合わせていた。(親にそうするように言われていたのだ。)
この習慣は、自分の部屋を持つようになってから、段々薄れ、今では、完全にこの習慣がなくなってしまった。

我が甥たちは、小さいとき、我が家や親戚に不幸が多くて、葬式、法事で仏様に手を合わせることが多かったし、お父さんに、何かあると、仏壇に手を合わせることを習慣付けられていた。

が、甥たちも小学校に入り、何事もない生活が続くうちに、仏壇に手を合わせることはめっきり減ったのだが、この春に、甥たちのお母さんの実家の法事に行ったのがきっかけで、甥1が、夜、おばあさんの家から帰るときに、必ず、仏壇に手を合わせて、お祈りをし、おじいさんの写真に向かって、一礼をしてから、帰るようになった。
ひと時のことで、長続きしないのではと思って見ていたが、今日までちゃんと続いている。
毎日、続いているので、「甥1ちゃんは、偉いね〜、毎日、仏壇に手を合わせたら、ご先祖様が喜んで、甥1ちゃんを守ってくれるよ」なんて、誉めてしまった。

しかし、昨日、テレビを見ていた甥たちが、贔屓の横浜ベイスターズが負けている場面で、自分の家に帰る時間になり、慌てて、甥1が、仏壇に手を合わせる姿が目に入ったのだ。
そういう時、どうして、私って、勘がいいのだろう?
手を合わせ終わった甥1に、「もしかして、『ベイスターズが勝ちますように』とお祈りしたの?」と聞いたら、素直に、「うん」とのこと。

毎日、仏壇に手を合わせていると思ったら、そうか、ベイスターズの必勝祈願だったのかと苦笑い。

考えてみれば、甥1が仏壇に手を合わせ出したのは、プロ野球開幕の頃だったような気がする。(笑)



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2001年08月05日(日)

食あたり


都内某所で、まぐろのヅケ丼を食べたら、見事に当たってしまった。

面白かったのは、まぐろのヅケ丼を食べた後、お酒を沢山飲んだ人程、食あたりにはならず、下戸の人ばかりが重症になったことだ。
(私は、その後、1合日本酒を飲んだのが幸いしたのか、軽くて済んだ。)
ものを消毒するのに、「アルコール消毒」というのがあるけれど、お腹の中に入ったアルコールも、お腹の中で悪い雑菌を消毒する効果があるのだともっぱらの評判。(笑)

それに、ヅケ丼を食べたときに、わさび醤油ではなくて、普通の醤油で食べたことも、災いを大きくしたのではないかと言われている。
わさびも消毒効果があって、やはり、生魚を食べるときは、わさびや生姜、辛子などの香辛料は必需品だと思った。
これらのものは、美味しさを補うためだけではなくて、殺菌効果もあるから、昔から、一緒に食べられてきたのだという話を、心から納得してしまう。
新鮮なものを買い求めてきても、ちょっと冷蔵庫から出しておいた、生ものを切るのに使ったまな板で野菜を切ってしまったとか、ちょっとしたことで、食あたり、食中毒が起きやすいので、十分ご注意を。

人の作ったもので、食あたりを経験してみると、本当、食べる人というのは、「食べる」という行為において、絶対的に、「作る人」の衛生観念とその実践を信じているのだ、だから、その信頼を裏切るようなことはしないようにしないと、と思う。



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2001年08月06日(月)

夏場の魚屋さん


夏場、魚屋に浅利を買いに行くと、「あいよ」と言ってから、浅利の入った氷水 の中に手を入れて袋に入れるのが速いの速くないのって、すごいスピード。

それに、一回で掴む量が、手を目一杯広げて、夏前と比較にならない量を掴めるのだ。

浅利を頼むとき、いつも、定かな量は言わずに、お店の人が、適当に入れて、「このくらいでいい?」と見せてくれて、買うのだが、夏場、お店の人が袋に入れるスピードと量は、ハンパじゃない。
入れるのを見ていて、2掴み程袋に入れたところで、そのくらいでいいかな?と 思ったときに、「そのくら...」と言っても間に合わず、目にも止まらぬスピー ドで3掴みめが袋に収まってしまう。
あ〜、あ〜、そんなに買うつもりないのに、とちょっとえっと思う私。

「お客さん、この位でいい?580円!」と言われたときには、完全に、勢いに負けてしまっている。
一回の味噌汁の具に580円の浅利を買う人などいないことくらい、わかっているでしょう!と思ったけれど、何だか、逆らってはいけないような気分になっていた。
でも、良く考えれば、別に一度に使わなくても、半分冷凍してしまえば、もう一回買いに来る必要がないから、ま、いいかと気を取り直して、OKする。

帰り道、つらつら考えるに、きっと、5,6月と違って、この真夏には、浅利が 傷み易いに違いない、だから、お店の人たちは、少しでも早く売ってしまおうと、 手を目一杯広げて、あらんかぎりの力で浅利を掴み、目にも止まらぬ早さで、袋 に入れて、お客に、うむも言わせないのかなと、頭の中でまとまったのだ。

ま、家に帰れば、皆、冷凍庫がある時代なんだから、余計めに買って、魚屋さんに損をさせない協力するのが、良いのだな〜、しょうがないなと気分を取り直した私であった。



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2001年08月07日(火)

あるある大事典の餃子の作り方 1/2


日曜日の夜、テレビを見ていたら、「誰が作ってもプロのように作れる餃子の作り方」を色々な技や味を検証しながら、やっていた。
どういうわけか、全てすっきり頭に入ったので、書く。

1.肉は、豚の二度挽きの挽肉、主な野菜は白菜

2.肉:白菜:香味野菜の割合は、3:6:1
  餃子の皮一袋に対して、肉100:白菜200:香味野菜30程度

3.白菜は刻んだら、塩を振ってしんなりさせ、水気をよく絞る

4.肉は、軽くばらしたら、調味料を先に入れて、3分間練る。
  (テレビでは、調味料だけであったが、私は、生姜の絞り汁も肉に混ぜ
   ると習った、こちらの方が正しいような気がする、生姜は、肉の
   匂い消しだから)

5.次ににらなどの香味野菜を入れて、軽く混ぜた後に、白菜を入れて、
  1分混ぜる。

6.包むあんの量は、大さじ1〜大さじ1+小さじ1、すなわち、15〜
  20gが美味しい。(大さじ、小さじは、すり切りです。)

7.皮は、ひだをつけてもつけなくても味は変わらない、要は、ぴっちり
  包んで、中の肉汁が漏れないのが良い。

8.テフロンで焼く場合
  (熱湯を沸かしておく)
  1.油を敷かないテフロン加工のフライパンを強火にかけて、加
    熱1分(鉄鍋だったら、30秒)

  2.餃子を入れて、そのまま1分焼く

  3.熱湯を100cc(餃子の高さの1/3程度)入れて、蓋をし、
    火を中弱火に落として、7分加熱すると、水分が全て蒸発して、皮が
    全部ふっくらする筈

  4.蓋を取って、水気が残っていたら、少し加熱して、水分を飛ばし、
    その後、大さじ1の油を回し入れ、強火にして、1分加熱する。

以上だったと思う。



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2001年08月08日(水)

あるある大事典の餃子の作り方 2/2


私の餃子の作り方と比較すると、

1.私は白菜派だから、この点はクリア、でも、今まで、肉150:白菜
  200 だったので、今度変えてみたい。

2.私の場合、調味料にお酒を入れるのだが、TVでは入れていたかど
  うかは定かではない。でも、今後も入れてしまうと思う。

3.肉の練り方は、完全に不足していた。
  この1年くらい、肉に調味料を入れて練ってから、野菜を入れることは
  実践していたのだが、3分も練っていなかった。
  今度は練ってみようと思う。

4.鍋は、鋳鉄を使っているが、うっすら油を含ませて鍋を火にかけてすぐ餃子を乗
  せてしまい、熱湯を注いでいる。
  鉄や鋳鉄の場合、油を引かないというか、油になじんでいないところに、物を入
  れて焼くのはちょっと「本当に大丈夫かな?」と疑問が残るので、私の場合、
  今までのやり方を変えるつもりはない。
  今のままで上手く行っているから。

餃子には、キャベツではなくて白菜の方が美味しい理屈としては、塩を振っておいておいた場合、キャベツより、白菜の方が水が沢山出て、空洞が多くできているので、焼いているうちに出てくる肉汁を取り込みやすいからと言っていた。

肉は、牛より、豚の方が旨み成分が多いとのことで、豚の方を美味しく感じる人が多いとのこと。

後は、焼き餃子の皮は薄め、水餃子のときは厚めを選ぶことくらいかな?

下手なお料理番組より、こういう実証しながらお料理を研究する番組の方が、面白い。



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2001年08月09日(木)

あるある流での餃子つくり 1/2


ということで、実際に作ってみたが、ものすご〜く評判が良かった。

一番評判が良かった点
皮がふっくらしていて、今まで食べた餃子の中で一番美味しい。
どこが美味しいかというと、皮がふっくらしているところ、あんより、皮が美味しい。(生まれて9年4か月、赤ちゃんの時から餃子を食べ続けている、味のわかる甥2の感想)

「うちんちは、あるあるをちゃんと見なかった、だから、うちのおかあさんは、このやり方わからないのだ、うちではこの焼き方ができないよ〜」ということで、「HPに乗せてあげるから安心してね」ということになった。

言葉の少ない甥1も、1つ食べると、「もう1つ食べたいから、残しておいてね」を繰り返していたし、本当に評判が良かった。
こういう何気ない料理が上手になるって、本当に嬉しい。

一番良かった点は、餃子の皮一袋の半分を茹でるのに、100ccのお湯で、7分かけて、お湯を蒸発させるところだと思う。(因みに我が家の餃子鍋は、18cm)
自分で実際やってみると、火力というのは、家庭によって違うから、7分きっちりで蒸し上げることは、無為自然にはできないと思うし、他の色々な場面でも、ちょっとした工夫が必要であることがわかった。
そんなことで、2日前に書いたあるある流の餃子の作り方に補足を加える形で、よりわかりやすくしたいと思う。

あるある流餃子の作り方の記録

1.肉は、豚の二度挽きの挽肉、主な野菜は白菜

  −−−補足なし

2.肉:白菜:香味野菜の割合は、3:6:1
  餃子の皮一袋に対して、肉100:白菜200:香味野菜30程度


  −−−補足
  香味野菜が、肉+白菜の1割というのは、本当にちょっとの量であった。
  ニラ2本と長葱10cmで既に30gになってしまった。
  でも、にんにくも入れてしまったので、正確には、1割に収まり切らなかった。

3.白菜は刻んだら、塩を振ってしんなりさせ、水気をよく絞る

  −−−補足なし

4.肉は、軽くばらしたら、調味料を先に入れて、3分間練る。
  (テレビでは、調味料だけだが、私は、生姜の絞り汁も肉に混ぜ
   ると習った、こちらの方が正しいような気がする、生姜は、肉の
   匂い消しだから)

  −−−補足
  3分も練ると、肉は粘ってきて、しかも殆ど、繊維がバラバラという感じに
  なった。
  肉が肉でなく、味付け調味料に変わってしまったような感じ。
  (酒が入ったし、空気も入るので、ふっくらとなる)
  そして、肉:白菜:香味野菜が3:6:1の野菜多めという割合と、肉の繊
  維がバラバラということで、あんの感じがすごく軽くなった。
  食べても殆ど肉を感じない。
  以前から、私は、我が家の近所のラーメン屋の餃子の方が美味しいと思ってい
  たが、その感じに近くなった。
  ラーメン屋さんの餃子というのは、殆ど肉を感じなくて、野菜が美味しいとい
  う感じがするが、本当にそんな感じのあんになった。
  軽くていくつでも食べられる感じ。

5.次ににらなどの香味野菜を入れて、軽く混ぜた後に、白菜を入れて、
  1分混ぜる。


  −−−補足
  テレビは、胡麻油をどこで入れると言っていたっけと、はたと考えたが、わか
  らなかった。
  多分、油は、全部を混ぜ終わった後に入れて、再度ざっと混ぜるのが正しいの
  ではないだろうか?

  それと、全部混ぜ終わった後、時間があったので、あんにラップをかけて、冷
  蔵庫に20分くらい置いておいたら、案の定、あんから、汁が出ていた。
  この位だったら、あんに包む前にもう一度、混ぜればどうにかなる。
  ただ、お酒の量(大さじ1)をもうちょっと減らしてもいいような気もしている。



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2001年08月10日(金)

あるある流での餃子つくり 2/2


6.包むあんの量は、大さじ1〜大さじ1+小さじ1、すなわち、15〜
  20gが美味しい。(大さじ、小さじは、すり切りです。)


  −−−補足
  つい、テレビのことだから、ごく一般的な皮を使っているだろうと思い込んで、
  普通サイズの餃子の皮(一袋24枚程度)を買ってきたが、普通サイズの皮
  では、大さじ1杯なんて、とてもではないけれど、包めない。
  せいぜい、包めて、大さじ2/3が良いところである。
  ということで、あんの量の理想を追求する場合は、大判サイズ(一袋18枚程
  度)を買うのが正しい。

7.皮は、ひだをつけてもつけなくても味は変わらない、要は、ぴっちり
  包んで、中の肉汁が漏れないのが良い。


  −−−補足なし

8.テフロンで焼く場合
  (熱湯を沸かしておく)
  1.油を敷かないテフロン加工のフライパンを強火にかけて、加
    熱1分(鉄鍋だったら、30秒)

  2.餃子を入れて、そのまま1分焼く

  3.熱湯を100cc(餃子の高さの1/3程度)入れて、蓋をし、
    火を中弱火に落として、7分加熱すると、水分が全て蒸発して、皮が
    全部ふっくらする筈

  4.蓋を取って、水気が残っていたら、少し加熱して、水分を飛ばし、
    その後、大さじ1の油を回し入れ、強火にして、1分加熱する。


  −−−補足
  私は、テフロンのお鍋を使わず、鋳物の鍋なので、鍋を温めずに、冷たいまま
  油をティッシュで鍋に染み込ませてから、火をつけて、並べて焼いてしまっ
  た。
  また、テレビでは、4の最後の焼きのときに、蓋を使ったかどうかはよく覚え
  ていないが、最後、油を入れると、鍋に残っている水とものすごく反応して、
  蓋をしなくては、台所中が汚れてしまうので、蓋を使った。

  一回目、弱火で蒸していて、5分経ったときに、蓋を開けてみると、後2分で
  蒸発しそうもなかったので、中弱火に切り替えて、だいたい、7分程度で、水
  を蒸発させた。
  二回目は、初めから中弱火で蒸したら、5分のところで、もうすぐお湯がな
  くなりそうになっていたので、少し、お湯を足して、火を弱めて、7分きっか
  りでお湯が蒸発するように調整した。

  また、最後の1分加熱は、これも、家庭の火力は様々であり、余り当てにしな
  い方がいいように思う。
  何度か焼いていると、餃子に水分が沢山あるときの焼ける音と、水分が抜けて
  きたときの焼ける音が違うことがわかる。
  最後強火で焼いて、水分が抜けたときの音になって、ちょっとしたら、蓋を開
  けて、焼き加減を確認した方が失敗が少ないと思う。

実際に作ってみて、この餃子の7分の茹で時間は、黄金タイムだと思った。
確かに、皮がふっくら良い感じになった。

餃子の中味には、色々好みがあるから、一概に、このあるある流が良いとも思わないが、この市販の皮のふっくらした戻し方というのは、試してみる価値があると思う。
(この餃子は、街のラーメン屋さんの美味しい餃子の作り方なのだと思う。)

私は、今まで、蒸して、餃子の中味が透けて見えるようになるまで、なんていう感じで蒸していたのだが、それは大きな間違いであった。
もう、私の人生、生まれてこの方、何百個の餃子を食べ、何百回と餃子を焼いたのだと思う、早くこのやり方を知っていれば....と心から思う。

考えてみれば、2,3年前に、ラーメン屋さんの餃子の皮と具の方が美味しいということで、色々な製麺所に餃子の皮を買いに行ったこともあったが、謎が解けてみたら、全く、勘違いな接近法をしていたことがわかった。
また、具も野菜が多いことは多いのだが、肉を繊維だらけにしてしまって、肉を肉として扱っていないから、野菜の味が強いのだと、わかった。
謎が解けて良かったけれど、この2つの技法は、自分では考えつけないものだったと思う。

今回は、作りたての餃子でやってみた。
そのうち、冷凍餃子ではどうかを試してみたい。



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2001年08月11日(土)

浅利の佃煮


作る機会があって、浅利の佃煮を作ってみた。
我が家の近所のスーパーで、浅利の剥き身が100gでだいたい400円であり、それを3パック買ってきた。(消費税込みで、1260円)
で、圧力鍋に、醤油とかお砂糖、細く切った針生姜とともに入れ、圧をかけて、煮詰めて、出来上がったら、何と、130gしかなかったのだ。

1260円を130gで割ったら、100gあたり969円という結果が出た。
ひえ〜、こんな高い浅利の佃煮、作るのも、今回が最初で最後だと思う。

道理で、市販の浅利の佃煮というものは、高いのだと妙に納得してしまった。
でも、一応、検証しなくてはと、近所の上野松坂屋に見に行ったら、浅利の佃煮の市販品は、100g500〜850円の間であった。
ま、我が家の近所のスーパーの浅利の剥き身の値段が高過ぎるということもあるかも知れないが、佃煮屋さんも、売れる値段を設定をしないと、全く売れなくなるので、企業努力して、この値段でも、何とか、安く売ろうと、企業努力をしているのだと思った。

材料費は高くつくけれど、自分で作る浅利の佃煮は、しつこい甘辛さではなく、さっぱりした甘辛さなので、大変美味しくできた。
しかし、やはり、二度と作らないような気がする。



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2001年08月12日(日)

栄養学者のエッセイ


図書館から借りてきて、女子栄養大学の五明紀春教授のエッセイを2冊読んだ。

<食>の記号学−ヒトは「言葉」で食べる 大修館書店刊
おからはどこへ行った? 女子栄養大学出版部刊

<食>の記号学は、大修館書店が月間で発行している「言語学」に連載されていたものとのことで、難しいところもあるが、全て理論的で、この方の博学、才気活発なところがうまく出ていていて、楽しい。
おからはどこへ行った?の方は、比較すると、一般受けするような書き方をしている。
(一部内容が重なっているところがある。)

面白さで、<食>、わかりやすさで、「おから」という感じだろうか?

何故、このような本を読むかといえば、栄養学者が話す栄養学の話が面白いからである。
川島四郎さんのサトウサンペイさんとの対談集の次くらいに、わかりやすくて、楽しくて、魅力的。
五明さんは、幅広い知識で、読んでいて飽きないように、最近の栄養学の話ができる方のようである。

で、yahooで、「五明紀春」で検索したら、何と、「おから」のエッセイの2/3程度がインターネットで読めることがわかった。

そのページからは、同じく、女子栄養大学の香川靖雄教授のエッセイにも飛べる。
両方とも、読後感は、頭脳明晰な大学教授の「授業が始まるときの導入部のような話を聞いた感じ」と言ったら、当たっているだろうか?

五明教授のエッセイ一覧←ここをクリック

URLからすると、女子栄養大学出版部の中のページのようである。



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2001年08月13日(月)

東京湾花火大会見物−築地市場


土曜日の夜、築地にある妹の勤務先の会社に、東京湾花火大会を見に、家族で出かけた。

新御徒町から大江戸線に乗ったのだが、車両には、花火を見に行く感じの人が沢山乗っていて、結構、混んでいた。
隅田川の花火大会のときも、大江戸線は利用価値があり、この電車は、大江戸花火線とでも名前変えても良いくらいである。
多くの人は、勝どきという駅で降りた。
きっと、最近できたらしい「トリトンスクエア」という高層ビルの上から見るのだろう。
我々は、築地市場で降りて、無事、妹の会社に入った。

そのビルも結構階数のあるビルで、その最上階に近い階から、花火が見える窓の外を見下ろしたら、なんと、目の前に、築地市場の全貌が見えるではないか。
築地市場を取り囲むように2階建ての2階全てに電気がついている。
それが、築地市場を守り、それ以外の世界から分断する壁のように見えた。
以前、テレビで見たときに、築地市場というのは、24時間必ず誰かが働いている場所だと言っていたが、確かに午後7時でも電気がついていた。
私がいつも行く場所のもっと奥であり、以前見た地図によると、せりが行われる場所辺りだから、きっと、仕入れ部門なのではないかと思う。

高いところから見ると、確かに、築地市場は、小さくて老朽化して、建て替えの必要性に迫られていることが良くわかる。
築地市場の全景を見た瞬間、「築地市場って、こんなに小さくて、ガタが来ているのだ」と思った。
(だからと言って、豊洲移転に賛成するかというと、やはり、頭ではわかるけれど、ちょっとねと思ってしまう。)

その小さくて老朽化している築地市場のすぐ後ろに、隅田川の河口、東京湾が見え、そして、その更に向うには、冷凍冷蔵庫や倉庫のビル群が見える。
確かに築地市場は、ちっぽけで老朽化しているけれど、その後ろの土地には、倉庫会社や漁業会社が、巨額を投じて、近代的で立派なインフラを築いてきたのがわかった。
いつもは、近視眼的に目に入る魚を初めとする商品しか見ていなかったが、築地市場というのは、荷物を容易に運べる東京湾からの水路、貯蔵する膨大な倉庫群を後ろに控えて、成り立っているということがとても良く理解できた。

そして、築地の後ろの隅田川から、すぐに東京湾に繋がっているいる感じが何とも言えず良い、世界の海から直ぐに築地に魚が届くという感じがするのだ。



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2001年08月14日(火)

東京湾花火大会見物−花火


花火が始まった。
目の前に広がる花火は、小さ過ぎずに、ちょうど良い距離に見えた。
東京湾の花火ということだが、本当に、陸地に近いところで打ち上げていた。
そして、花火が打ち上げられると、その明るさで海面が見え、沢山の屋形船が浮かんでいるのがわかった。

ただ、生憎、夕方雨が降って止んだばかりで、曇り空だったため、低くたれこめた雲が邪魔をして、高く打ち上げられる花火が開くところが見えないことが多かった。
(後で聞いたら、花火の間、3回もどしゃぶりがあったとのことであった。)

東京湾の花火と言えば、隅田川より高く打ち上げることができることが自慢なのに、雲のない晴れた夜でないと、全部は見えないことがわかった。
隅田川の花火は、ビルの谷間で打ち上げられるから、低くて面白くないと、悪口を言われることも多いけれど、ま、高く打ち上げても、天気次第で、見えないのなら、そのことはそんなに大した欠点ではないと思った。

それにしても、花火大会というのは、予行演習なしで、ぶっつけ本番で行われるけれど、全然順序などを間違えずに良く打つものだと感心する。

面白かったのは、甥2で、花火が始まった途端、目の前に広がる花火を見て、びっくりした、初めて知ったという感じで、「花火って、きれいなんだ!」と言ったことである。
これには、皆、苦笑。
甥2は、生まれてこの方、一回も欠かさず、隅田川の花火を見ているけれど、我が家から見える花火は、ビルの影に邪魔されて、中心部が見えないのだ。
甥2のこの言葉で、我が家から花火が見えると言っても、大したものではないのだな〜と改めて思ってしまった。

一番凄かったのは、やはり、最後近く。
次から次へと花火が打ち上げられる。
高いところ、低いところ、色々な花火が打ち上げられ、とてもきれい。
しかし、花火を次から次へ打ち上げると、煙が溜まうらしく、煙の巨大な幕が緩やかに移動を始めてしまった。
その煙の後ろで打ち上げられる花火は当然見えなくなってしまう。

そういう欠点はあったけれど、冷房が効いていて、混んでない安全な場所で、全体が見える花火見物は、とても楽しかった。

花火見物が終わって、皆で妹の職場を見に行った。
とても広くて近代的なオフィスに、沢山の机が並び、どの机の上も山のような書類、雑誌、新聞が積み上げられている。
甥たちの目にそのオフィスがどのように映ったか?
大人になったら、自分達もこういうところで働くようになるのかな、程度に感じてくれていたらいいけれど、花火と同様、目の前に広がる景色の一つとしてぼーっと見ていたような気がした。
今のところ、二人とも、プロ野球選手になる気でいるから、余り自分達の将来に関係ないと思ったのかも知れない。

しかし、花火も職場見学も気に入ったらしく、甥たちが「また、来年も連れて来てね」と妹に頼みながら、家路についた。



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2001年08月15日(水)

さようなら、台東図書館


我が家から歩いて3分の台東図書館が、本日で、なくなってしまった。
何でも、老朽化が激しく、合羽橋の北の外れに建築中の台東区の施設に吸収され、「台東中央図書館」になるらしい。
(私がそのことを知ったのは、つい2か月前のことで、それまで、何も知らなかった、正に寝耳に水であった。)

たまに、合羽橋の北まで行ったときに、今、建築中の新しい図書館の様子を見るけれど、最新型のビルで確かに大きくてきれいだし、我が町の台東図書館が、古ぼけてきたから、しょうがないなとは思うのだ。
(確か、できたときは、最新式の設備で、素敵な図書館に見えたことを覚えている。)

でも、でも、私がこれから、老いに向かって一直線の時期に、図書館が遠くなるなんて、あんまりだ〜と思っている。
確かに、この○十年、近くにあるからと言っても、行かなかった時期の方が多かった。
私が図書館を頻繁に利用したのは、小学校のとき、毎日一冊ずつ本を読んだときと、この1,2年だけであるから。
図書館が近くにあるのに行かない贅沢、雨の日に退屈だから図書館に雑誌を読みに行こうと思える距離に生活している贅沢、それらが今日で失われたのだ。
今度の図書館のできる場所は、我が家から、歩いたら20分弱の距離で、自転車で通うしかない。(公営の交通手段は何もない。)
私の老化が激しくなって、足腰が弱り、自転車で通えなくなったら、どうしてくれよう。

台東図書館は、現在、本の検索は、自宅でもインターネットでできるのだが、そのページで、現在、メールで、本の予約ができるようなシステムのテスト中であることがわかっている。
確かに、メールで、本を注文できるのはいいけれど、取りに行くのと、返しに行くのが、やはり面倒である。
各町のコンビニと提携して、コンビニまで本を配送し、返すのも、コンビニにしてくれたら、どんなにいいかと思う。(勿論、無料で)



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2001年08月16日(木)

上野アメ横 アーグラー


ある日、上野界隈を自転車で走っていたら、お昼になったので、前から入ってみたかったアーグラーというカレー屋に行ってみた。

場所は、御徒町駅から上野に向かう、山手線の外側のガード下。
ちょっと行くと、線路を横切って、山手線内側に行ける道がある。(角が「星野」さんという乾物屋でABABに続いている道)
そこから先は、昔は殆どお店がなかったのに、今は、若者の洋服屋で埋め尽くされ、線路のすぐ下から道路まで、今風の洋服で満艦飾の通りになっている。
その道の洋服に目を奪われないようにしながら、さらに上野に向かい、目線は、左側のガードの2階あたりを見ていくと、5,6軒目だったか、7,8軒目の二階に、突如カ レー屋が現れる。
そこがアーグラー。

夜はそれなりの値段だが、昼は、安くて、リーズナボーなようである。

A850円....お好みのカレー、ナンかライス

B900円....お好みのカレー、ナンかライス、サラダ、シシカバブ、
         タンドリーチキン、アイスティー

C950円....900円の「ナンかライス」が「ナンとライス」になった
         もの

の3種類だが、850円と900円では50円の差で、余りに内容が違い過ぎるので、皆、Bを頼むようだ。(だから、注文聞く店員さんは、初めから、水とアイスティーを持って表われる)

カレーは、鶏、マトン、キーマ、野菜、海老、ほうれん草の6種類から選び、辛さは、5段階あって、それも指定できる。

シシカバブとタンドリーチキンがついているので、肉ではないものということで、海老を選んで、ナンにしてみた
。 (後で東京レストランガイドで検索してみたら、ほうれん草のカレーが一番評判良いようだ)

来るまでの間、「海老のカレーだったら、サラサラしているから、ご飯の方が良かったかな」と思いつつ、待っていたら、やっぱり、サラサラのカレーが来たので、ナンを湿らせて食べた。
ナンは、焼き立てのようで、美味しかったし、シシカバブとタンドリーチキンも、小さいけれど、熱々で美味しかった。

サラサラで、小さな海老が4,5個浮かんでいる以外は何も入っていないカレーだったが、私の注文は「やや辛」で、ごくごく飲めるくらいの辛さ、味自体も良かった。
カレーの中に、本当に細かいみじん切りというか、粉砕された何かが入っている。
玉ねぎだろうかとも思ったが、甘くはないし、何だろう?

このお店、アメ横のガード下の二階だから、きれいではないし、空間自体狭い上に、カウンターなんて、本当に隣との間がなく、窮屈。
カウンターの中の厨房には、インド人の若い男の人が三人いて、何やら楽しそうにおしゃべりしながら、働いている。
黙って真面目そうに料理作っていれば、私からすると、インド人は全てインド料理の名手に見えるのに、あれじゃ、どう見ても、アルバイトの三人組にしか見えない、なんてことを無視して、一人で行って、さっさと美味しいカレーを食べてくるという感じでは、良いお店と思う。(サラダとアイスティーは、殆ど値打ちないけれど、ま、アイスティーは改めてドトールに行って頼んでも、お金かかるから、価値はあるかも)

味的には、結構気に入った。
アーグラーというお店は、全く重々しさはないし、具も本当に少なくて、なんと言うのか、料理の見た目が軽めだけれど、味は良いし、それなりに完成されているカレーと思う。
アメ横近辺で、ランチを食べるとしたら、このお店が、今のところ一番お勧め。



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2001年08月17日(金)

自分で自分の首を締めちゃった


我が家の方では、大葉は、結構高くて、一束、90円も100円もするのだが、一軒だけ、2束で50円というお店があったのだ。
小松菜ジュースを飲むようになって、恒常的に大葉が必要になっていた私は、当然、この安いお店を利用する。
私ばかりか、ここのお店の大葉が格安であると知っている人は、当然、このお店で大葉を買っていたと思うのだ。

しかし、しかし、その売れ行きの良さに、お店の人が疑問を持ったのか、そして、近隣のお店を調べたのか、大葉が値上がりしてしまった。
先日買いに行ったら、一束50円だったのが、昨日は、60円になっていた。
何と、数日間で、2倍以上の値上がりである。
信じられないけれど、それでも、まだ、我が家の方の最安値だから、黙って買う。

考えてみれば、そのお店は、三人で仕入れから小売からやっていて、とても忙しいので、他のお店で、大葉をどんなに高く売っているのか知らなかったのではないだろうか?

売れ行きの良さに、大葉の世間水準の値段に気づいてしまったらしいのだ。

う〜ん、買物って難しい。
切れている場合も多かったので、しょっちゅう、「大葉、入りました?」なんて、聞きに寄った私の行為が、自分で自分の首を締めたようなものかも知れないと思う。
ま、そこでしか安く手に入らないから、やむを得ない行為であったが、今度から、安い品を見ても、クールに買いに行くことにしようと思う。



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2001年08月18日(土)

日本陸海軍の兵糧食


五明紀春さんの「<食>の記号学」を読んでいたら、戦前の日本軍の兵糧食に関する話が載っていて、興味深かった。

何でも、日本は、明治時代に、富国強兵を目指して軍隊を作ったものの、脚気にかかる兵隊さんが多くて、困っていたそうだ。
それを打開すべく、陸海軍とも、軍医が研究するわけだが、一向に原因がわからない。
しかし、海軍の高木さんという軍医は、イギリス留学の経験があり、イギリス軍には脚気患者がいないことから、原因がわからないまま、海軍の食事を洋食にすることを提案、受け入れられて、実施したとのこと。
それは、絶大な効果があり、海軍から、脚気という病気がなくなったとのこと。

一方、陸軍は、海軍の10倍の兵隊を抱える上、主な食糧調達先が国内であることなどから、洋食化も検討したけれど、実施に踏み切れないでいた。
海軍に遅れること30年経って、脚気の原因が、ビタミンB1の欠乏症ということがわかり、白米を止め、胚芽米か何かに切り替えることによって、ようやく、陸軍からも脚気患者がいなくなったとのこと。
この陸軍の軍医というのが、有名な森鴎外であったのだが、海軍の高木さんという軍医と同じく、ヨーロッパ留学(ドイツ)経験がありながら、白米を排除することをしなかったのだ。
海軍から遅れること30年の間の森鴎外の苦悩、思考経路等が、栄養学者の目から、こんな風であったのではないかと語られており、とても、面白い読み物であった。

この読み物を読んで、「海軍の洋食化」というのはどんなものだろうと興味が湧いた。
インターネットなどで調べるうち、どうも海軍の洋食化というのは、白米を止めて主食をパンにしたこと、食事の一部に洋食メニューを入れた程度のものであったことがわかった。
(有名な話だが、海軍の洋食であるカレーと肉じゃがは、日本国中に普及していった。)

今の時代、洋食化といえば、勿論主食がパンになることも指すが、おかずが皆洋風になりなることを意味すると思う。
(本当の洋食化というと、ナイフとフォークを使うことも含まれるような気もするが、おかずが洋風になることを「洋食化」と言っても、すっと頭の中に入るので、最低は、おかずが洋風になることを指すと思う。)

しかし、明治の時代には、白米を捨ててパンに走って、おかずがちょっと日本古来のものでなくなっただけで、これを「洋食化」と呼んだようである。
(今の概念でいくと、「洋風化」の方が、正しくその実体が伝わるような気がする。)
時代の流れとともに、言葉が指す範疇は変わるのだと思った。



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2001年08月19日(日)

けちな人の病気


白米ばかり食べていると脚気になるそうである。
決して白米が悪いとか、白米に悪い栄養素があるというわけではなく、白米などの炭水化物を分解して吸収するには、ビタミンB1が必要なのだが、白米だけを食べていると、ビタミンB1が欠乏し、分解しきれないでできた中間物質が身体に蓄積され、脚気になるとのこと。

だから、白米を食べても、他にビタミンB1を含む食物(動物性蛋白質)を食べていれば、大丈夫なわけである。

反対に、白米を沢山食べて、動物性蛋白質を余り食べないのなら、白米は止めて、玄米や胚芽精米を食べないと、どうしても脚気になりやすいのだ。

この話で、実話だったのか、ただのたとえ話だったのかは、忘れてしまったが、小さいとき、伯母から、ご飯を食べながら聞いた例え話を思い出した。
「昔、けちな人がいて、お金を溜めようと、ご飯を食べるときには、箸の先につけたお醤油を舐めてはご飯を食べていた人がいたの。でもその内、そのお醤油を買うのさえ勿体無くなって、お醤油を見ながら、味を思い出し、口に唾液が沸いたところで、ご飯を食べるようになったの。
それを毎食毎食続けていたから、おかず代が節約できたでしょう?
だから、その人は、お金が溜まったけれど、鳥目になって、目が見えなくなってしまったの。」(もしかして、お醤油ではなくて、おかずは梅干しだったような気もしていて、どちらだか、定かに特定できない。)

という話であり、伯母はご飯を食べながら、面白おかしくこの話を何回か語ってくれたように記憶している。

きっと、昔からの子供に「おかずもちゃんと食べないと病気になるから、好き嫌いを言わずに、ふりかけなどでご飯を食べたり、お茶漬けばかり食べないで、栄養になるおかずも食べなさい」と教えるための話だったのではないか。

森鴎外の苦悩の話を読んでいたら、こんな昔に聞いたことを思い出した。
でも、何故か脚気ではなくて、鳥目だったように覚えている。
(きっと、その話に出てくるけちな人は、白米ではなく、玄米を食べていたのかも。)



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2001年08月20日(月)

圧力鍋冷麺大成功


韓国焼肉の店で食べる麺も汁もきりりと冷えて、シコシコの冷麺が大好きである。
こんな料理を発明してくれた朝鮮の人は偉大であるとさえ思うし、夏になると、最低1回は、食べたいと思う。
しかし、我が家は、女家族になってから、夏場に焼肉屋に行くことも少なくなり、中々食べられない。

で、自分で作ってみたら、やたらに美味しい物ができて、びっくり。
家族にも大好評で、甥2は、私の作った冷麺のスープを飲んだ途端、びっくりした顔になるし、妹も、思いつめたように、「もう一度作って欲しい」と言ってきた。
どうも、私は一年に一度くらいヒットを飛ばすが、今年のヒットは、この冷麺のスープに決まったような感じである。

でも、こういうヒットはとても快感である反面、偶然の成功なので、次回作っても同じ味になるかどうか、ちょっと不安がある。
韓国料理の本を参考にしながら、自分でアレンジして作ったのだが、成功の原因は、買ってきた牛すねの品質がとても良かったか、料理本には、牛すね200gと書いてあったけれど、500gの塊があったので、残ったら他のものに使えばいいのだからと、500gそのまま使ってスープを作ったから美味しいのか?
肉屋のおじさんに聞いたら、「牛すねは、沢山使えば使う程美味しいスープが取れる」とのことだったので、きっと、この両方が良かったのだろうというしかない。

冷麺は、焼肉屋や韓国料理の店で食べる以外、自分の家で食べるとしたら、インスタントしかないような気がしていたが、自分で作ってみて、「なんだ、自分の家でも、焼肉屋の冷麺と同じくらいか、それ以上美味しい物作れるのだ」とも思った。

圧力鍋があって、美味しいものを食べたいという情熱というか、食べ物に気持ちと時間をかけられる環境にあれば、成功間違いなしである。

でも、やはり、ポイントは、良い牛すねと美味しいキムチを手に入れることが必要である。
私の場合、牛すねは、築地の共栄会ビルの中の日山で買った。

作るには、前日の夜から作り始めて、翌日のお昼に食べるとしたら、明日書くようなスケジュールとなるが、別に、特段難しい技術も必要ではないし、時間がかかるわけではないので、本当にお勧め。
2日連続してお休みのときの最後の日の昼食にぴったり。

でも、原価計算したら、一杯結構高くつくことも確かである。



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2001年08月21日(火)

圧力鍋冷麺の作り方


夕方
1.こういうやり方がいいのかどうかわからないが、ちょろちょろの流水に肉をさ
  らして、1時間くらい血抜きすればいいと思う。(煮ている間のアクの出方が
  少なくなるので)
  色々本を見てみたが、妥当なところは、「水から茹でて10分沸騰させ、アク
  を出し切る」という感じか?
  どちらの方法がより良いか、現在研究中なので、どちらかでアクを取ってみて。

2.圧力鍋に、牛すね肉の塊2〜300g(できたら、500gの方が美味しいと
  思う)に水1400ccと鶏ガラスープの素小さじ2、長葱の青いところ、粗
  く切った生姜、潰したにんにくを入れて、煮立たせ、浮いてくるアクを取っ
  てから、蓋をして、圧をかけて、30分して消火、その後、翌朝まで自然放置。

3.多分、冷麺を作るのは、真夏の暑い時期なので、翌朝になっても、脂が固まっ
  ていないと思う。
  だから、脂はそのままにして、塩小さじ2、薄口醤油大さじ2、酒大さじ1、
  砂糖小さじ1を入れて、溶かした後、冷蔵庫で冷やす。

翌朝
1.鍋の中の肉は、ビニール袋に入れ、鍋の中のスープは、冷蔵庫に入るボウルに
  移す。(中の野菜は捨てる。)
  ラップをスープの表面にぴたっと貼っておくと、脂が固まったとき、ラップに
  くっついてくるので、楽。

2.ゆで卵を作っておく。

3.胡瓜を皮剥き器で長方形の薄切りにして、塩を振り、しんなりしたら、お酢と
  砂糖同量を振りかけて、冷蔵庫に入れておく。

お昼
1.牛スネ肉を、薄く切っておく。

2.冷えたスープの表面に浮かんだ脂と、スープの中に浮いている脂や野菜屑を
  取る。
  キムチの漬け汁が、キムチの容器の下に溜まっているようだったら、これをス
  ープに混ぜる。
  (少量なら味を見る必要はないが、沢山あったら、味を見ながら、足してい
  く。)

3.冷麺を茹でて、洗って、水気を切っておく。(袋の指示どおり)
  冷水か、角氷を浮かべたお水で最後に洗うと、冷たくて良い。

4.お皿に冷麺を乗せて、甘酢漬けの胡瓜、スイカ、牛すね肉、キムチ、ゆで卵を
  上に飾り、スープを張って、出来上がり。

お酢を添える。

冷麺は、色々なものを売っているが、細めの方が美味しい。
スーパーのセット物の冷麺の冷麺より、韓国食材店の冷麺の方が美味しいと思う。

実は、まだ、一度しか作っておらず、牛スネ500gの味しか知らないのだ。
2〜300gでも美味しくできるか、近々試す予定。

また、牛すねを茹でるときに、にんにくを入れた方が美味しいと思うが、煮ている間、匂うので、それが嫌な人は省略するしかない。



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2001年08月22日(水)

神宮球場


切符をくださった方がいて、甥たちを神宮球場に、ヤクルトー横浜戦を見に連れて行った。

これから、映画も連れて行く約束もしているので、お弁当は、ケチして、前以て松坂屋の崎陽軒で、シュウマイ弁当を買って行った。(横浜の応援だから、これが一番合っているような気もする。)

球場に向かう道すがら、甥達と話すと、甥たちは、「これで、東京ドーム、横浜球場、神宮球場と、東京のセリーグの球場ぜ〜んぶ行ったことになるから、嬉しい」とのことであった。

ここで、よせばいいのに、私が自慢気に話したことが、また、自分の首を締めることになる。
「おばちゃんなんか、阪神の甲子園球場に行ったことあるんだから。
それから、知っている?
新幹線で名古屋に向かうと、駅の手前に名古屋球場が見えて、野球やっているときなら、新幹線の中から、見えるのよ。
おばちゃん、新幹線の中から、試合を見たことあるんだから」と、名古屋や大阪に行ったことのない甥たちに、自慢気にいうと、甥たちは、クールに、「今は、名古屋は、ドームになって、そこは壊されたんじゃない?」と言う。

がくっと来る自分を立ち直らせながら、これだったら、絶対、あの子たちには負けないだろうと、続けて、「ね、近鉄の藤井寺球場、知っている?おばちゃんは、入ったことないけれど、前を通ったことあるよ。大阪からも遠いところにあるのよ」と言ったのだ。
「近鉄? 藤井寺球場? あ、そこ、もう壊されたんだよ、知らないの?今は、近鉄は、大阪ドームなの」とのこと、あ、そう。

何か、私は、一人で、自分の野球界における化石度を明らかにしてしまったようなので、流石の私も、ここで止めておいた。(実は、阪急の西宮球場の近所に住んでいて、良く見ていたのだけれど....。)

なんていう話をしているうちに、球場についたけれど、神宮球場というのは、どこが経営しているのか、国なのか、都なのか、よくわからないが、物売りの人の数も少ないし、だいたい、普通のプロ野球の球場なら、広告で一杯なのに、広告も少ないのだ。
さっぱりした球場という感じであった。

試合の途中から、我々の後ろに、横浜にえげつない野次を良く通る声で飛ばすヤクルトファンのおじさんが座った。
でも、このおじさんが変なところで、役に立ったのだ。

物売りのお兄さんやお姉さんの数が少ないので、甥が「アイス食べたい」と言っても、中々、アイスクリーム売りのお姉さんが見つからなかったのに、このおじさんも、野次の飛ばし過ぎで、アイスが食べたくなったらしく、めざとく、ちょっと離れたところにいたアイスクリーム売りのお姉さんを見つけるや、本当に良く通る声で、「アイスクリーム売りのおね〜さ〜ん、こっち〜〜!」と怒鳴ったのだ。
びっくりしたような顔をこちらに向けるアイスクリーム売りのおねえさんの顔が視界に入って来た。
このおじさんのおかげで、我々も、ようやく、アイスクリームを買うことができたのだ。
甥たちは、このおじさんの野次が嫌だったようで、試合中は知らん顔をしていたものの、帰り道、「僕、あのおじさん、本当に頭に来ていた」と愚痴っていた。
でも私は、「あのおじさんがいたから、アイス買えたのよ、人間どこかで役に立つことあるから」なんて、大人振って、言ってしまった。(笑)

野球は投手戦だったが、結構、見応えがあった。

神宮球場で、面白かったのは、ヤクルトのラッキー7の応援で、皆で、「東京音頭」を歌うことである。
「花の都の真中で、さ〜となれ、ヨイヨイヨイ」と、東京都民には、害にも薬にもならない歌詞で、調子が良く、誰でも抵抗なく歌える。
だいたい、これは、皆で歌う歌ではなくて、盆踊りの歌なのだけれど、球場の半分以上の人たちによる「東京音頭」の合唱は、中々迫力があって良かった。
この東京音頭の合唱は、神宮球場でしか聞くことができない。

私たちは、ネット裏のヤクルト側で、ヤクルトファンに囲まれながら、横浜を応援していた。
筋金入りの横浜ファンである甥たちは、絶対に、「東京音頭」を歌わなかったが、おばちゃんは、つられて歌ってしまった。(家に帰ってから、お父さんに、「まりったら、東京音頭歌ったんだよ〜」と人が歌う真似して、まりはヤクルトの応援に加わったと言いつけていた。)
本当にこの歌は、調子が良くて、とてもいい歌だけれど、歌っていて、「どこが、野球チームの応援歌なのか?」ととても不思議であった。



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2001年08月23日(木)

自分でまぜまぜパーティ冷麺


我が家の近所の佐竹通り商店街というところに、パンガという韓国料理と食材のお店があることは、以前に書いた。
このお店、大阪鶴橋の徳山物産という食材の会社がわざわざ東京に開いたお店であるせいか、とても意欲的。
買い易いということでは、東上野のコリアン街より、良いと思う。

現在、冷麺は、ここの「細麺業務用」を買って来ている。
冷麺というのは、1人前150〜160円もして、結構、麺としては高価なものである。
他にも、どんぐり冷麺とか、ひじきの冷麺が置いてある。
どんぐりはお店で食べたことがあるが、私は普通の冷麺が好きだと思った。
ひじきは、まだ食べたことがないが、う〜ん、せっかく普通の細麺タイプが美味しいので、当分買わないと思う。

この食材のお店には、いつもきれいな韓国料理の写真入りのレシピなどが置いてある。
そのレシピの中に「自分でまぜまぜパーティ冷麺」というのがあった。
どういうものかというと、大皿に敷いた平たいざるに冷麺を盛り蕎麦のように一緒盛りし、ところどころに氷を置く。(詳しく書くと、大皿の際にずらっと大葉を並べて、真中に冷麺を乗せる。大葉が飾りになっているところがパーティ風。)
それにつけ汁は、各々分用意する。
具は、牛肉、ゆで豚、海老、イカ、貝割れ大根、錦糸玉子、胡瓜、キムチ、果物などをこれまたきれいに大皿に並べる。

これはとても良いアイディアだと思う。
目先が変わっていて、人が来たときのごちそうとしてのお昼になるなと思った。
ま、面倒なら、汁もインスタントでも良いかも知れない。



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2001年08月24日(金)

江戸東京博物館−建物・施設


妹がポンペイ展が良さそうだと教えてくれたので、江戸東京博物館に午前中だけの予定で行ってみた。
もうこの建物は、10年くらい前にできたのだろうけれど、一度も行ったことがなかった。
以前は、我が家の屋上から見えていたのだ。
(気が付けば、今は見えない)
我が家の方から見ると、軍艦のように見える建物で、できたとき、一体、あれは何だろうと思っていた。(巨大な場外馬券売り場か、新手の競馬場と想像した。)

暑いから、自転車で行くのは止めて、大江戸線に乗ることにした。
両国の駅に降りると、「江戸東京博物館はこちら」という表示があり、それに従って、歩いた。
しかし、その表示は遠回りなのだ。
大江戸線の両国駅の改札を出たところに、エレベーターがあるので、それに乗って、地上に出た方が、江戸東京博物館に近いことが後でわかった。

駅を出て、左に進んで、一つ目を左に曲がって、少し行ったところが入口。
江戸東京博物館の隣は、日大一高であった。
博物館と日大一高の間の道は広いし、博物館も日大一高も敷地面積が広くて、ゆったりとしていて、今まで、両国というと、我が家の方に負けじとゴミゴミしているというイメージがあったが、こういうところもあるのかなというくらい、広々した空間であった。

日大一高側に、亀に乗った徳川家康公の銅像があり、それもまた大きく、実は、両国って、土地が余っているのかしらとも思えるくらいの印象を与える。

おみやげものショップから、博物館に入った。
おみげやものショップの隣に、東京各地を描いた浮世絵と、その現在の写真が対比して飾られていて、これは面白かった。(これらは無料)
御茶ノ水の湯島聖堂のところの塀は、今でも、江戸時代の面影があるのがわかった。
東京というのは、江戸時代、とてもきれいな都市であったと思う。
人家が描かれているのは、日本橋、神田、上野広小路、浅草くらいで、他の町は、殆ど、自然だらけだったようである。
これは、見る価値があると思う。

さて、ここを見終わってから、ホールの方に向かった。
ホールに向かう途中の売店に、噂どおり、「言問団子」や「長命寺桜餅」が並んでいた。

江戸東京博物館というのは、やはり、バブルの頃に立てられただけあって、本当に豪華に広々作られており、天井は高いしで、気持ちがいい。
ホールの高い天井から、英語でポンペイと書かれた旗が垂れ下がっていて、ニューヨークの近代美術館風で、格好が良い。
博物館というと、「古めかしい」イメージがあるけれど、やはり、近代的な方が気持ちは良いとおもう。

その後、展示物を見たのだが、それは、明日書く。

見終わってから、「確か、八百善がお店を出していたはずだけど」と、一番上の階に行ってみたら、八百善はなく、ニュートーキョーの和食のお店があった。
最近は、新宿のどこかのデパートの八百善で何を食べたという話を良く読むけれど、やはり、10時から5時で終わってしまう博物館の中では、採算が合わなかったのか、移ってしまったようだ。
一番上の階には、他にも喫茶コーナーもあるし、無料の休憩場所(4人掛けの椅子とテーブルが沢山並んでいる)が、広く取られているようであった。
一番上だから、窓から見える風景も気持ち良く、空も広がって見えるのに、この無料休憩所を使う人は殆どいないようであった。
行ったら、人の少ない今は、ここが穴場だと思う。

図書館もあったが、そんなに蔵書は多くない。



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2001年08月25日(土)

江戸東京博物館−ポンペイ展


10時過ぎに着いたのだが、結構、人気で、大勢の人が見に来ていた。
大人の入場料が1300円のところを、インターネットの割引券を持っていくと、1200円になる。
江戸東京博物館の常設展も一緒に見る券は、1570円もして、何て高いのだろうと思った。
今日は時間がないからと、ポンペイ展だけにした。

見始めると、こんな壊れ易い遺跡の石などを多量に遥々イタリアから日本まで運んできたのだから、安全に運ぶための梱包、船賃、保険料などを考えると、高い入場料は、致し方ないと思った。

内容は充実、見る価値はあると思う。
所々に、ビデオが用意されていて、イタリアの現地の様子を見ることができる。
これもまた良い。
見ていると、本物のポンペイに行きたくなる。

昔、ヨーロッパに行ったとき、美術館や博物館に行ったとき、美術品を見ると、ただ、きれいだ〜と感激できたのに、今回のポンペイ展を見ていたら、「私がこの時代に生まれたら、市民に生まれることができたか、奴隷だったか」なんていう視点で、見ている自分に気づいた。
若いときに、こういうものを見たら、自分は市民だと即座に思い込めたのに、私も苦労したのだろうか(笑)、必ずしも、市民ではなかったかも知れない、それだったら、嫌やだったななんて、思ってしまう。
また、もし市民だったとしても、そんなに楽しくもなく、やはり、家族のことや自分の財産をどうやって守り、どうやって増やそうか、結構、気苦労の多い人生を送らねばならなかったかなと想像した。
(でも、美味しい物を食べられるから、やはり、市民がいいなと思った。)

色々な遺跡や遺留品から、豊かだった市民生活が偲ばれる外、色々科学的調査も進んでいて、下記の数字が紹介されていた。

ポンペイ市民の平均身長、体重、寿命

     平均身長   平均体重  平均寿命
男性   166cm   65kg     41歳
女性   153cm   49kg     39歳

(「女性は、15歳から3年ごとに子供を産んでいた」と書かれており、何でも良くわかるのだと感心する。)

2000年前の人間の身長がどのくらいが妥当かわからないが、火山の近くの都市ということで、日本と同じアルカリ土壌だから、農作物にカルシウムが余り含まれていないので、そんなに背は高くないと、思った。
(でも、ある本を読んだら、気候が温暖だと背が伸びると書いてあったから、ここの点は、全くわからない。)

平均寿命は、確か日本で言えば、織田信長の時代で人生40年ということだから、2000年前としては、寿命の長い地域であったのではないかと思った。
きっと市民は美味しい物を食べていたのだろうし、お風呂や水道が完備されていたから、衛生状態も悪くなかったのだろうと想像した。

今回、お昼は家に用意してあったので、行かなかったが、博物館の二階の喫茶店で、この当時の「アビキウスの料理書」のレシピに基づいたランチというのが980円で食べられるようであった。

とても人気のある展示だったので、ここはというところは、ちゃんと並んで真ん前で見たが、後は、人の頭越しに見ることになった。
10時過ぎに入って、11時半頃に、展示を離れたのだが、この時間には、入場制限が行われていて、45分待ちであった。
行くなら、朝一番で入った方が良いと思う。

東京の展示が終わったら、神戸、鹿児島、島根、名古屋で展示されるらしい。

yahooで、「ポンペイ展」で検索すると、詳細がわかる筈。



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2001年08月26日(日)

グレープフルーツジュース


去年の真夏は、暑いと、良く冷えた低温殺菌牛乳をガブ飲みをして太ってしまった。
今年は、これに懲りて、極力牛乳に手を伸ばさないようにしている。

今年のヒットは、やはり、クラッシュ氷入りのグレープフルーツジュースかな?
毎朝、小松菜ジュースを飲んでいるおかげで、台所に常にグレープフルーツがゴロゴロしているので、その1つを包丁でくるくると剥いて、2つに切って種を取り、ミキサーに入れ、冷凍庫から、角氷を取り出して、4,5個入れて、ガーっと回して出来上がり。

酸っぱすぎず、甘過ぎずで、冷たくて、爽やか。
細かく砕けた冷たさとビタミンCが身体の隅々までに行き渡るような感じで、気持ちが良い。
グレープフルーツだけだって、こんなに美味しいジュースなのだから、小松菜ジュースが不味いはずないと納得する味。
私の現在良く買っているグレープフルーツは1個50円だから、50円の幸せなのだが、それ以上に気持ちが良い。

ミキサーを出しっぱなしにしているからこその幸せの味。



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2001年08月27日(月)

千と千尋の神隠し


私が見に行くと言ったら、甥たちが「僕たちも見たい」と言うので、「千と千尋の神隠し」という映画に連れて行ってあげた。

最近、この子たちをどこかに連れて行くときは、勿体無いので、必ず、クーラーボックスに保冷剤とダイエットコークを入れて持って行く。
コーラを飲むとき、一気に飲むのではないので、いつも、「これ、どうしたらいい?」と、私に飲みかけの缶を差し出すのだ。
しょうがないので、私が持っていてあげるのだが、この前の神宮球場でも、上野の映画館でも、おばちゃんは、缶をずっと持ったままの見物となった。(多いときは、3缶)
子供というのは、手は小さいし、神経の数が少ないから、手に何か持っていると、画面に集中できないのかも知れない。
自分のお財布入りのかばんをひざに乗せて、缶を手に持ったまま、画面に集中するというのは、結構、大人にならないとできないことなのか?
確か横浜球場には、椅子に缶を置くところがついていたのと思ったのだが、そういう設備がないところも多いのだ。
是非、つけて欲しいと思う。
(これがないと、私は、金づる兼荷物持ちのばあやになってしまうのだ。)

さて、本題の千と千尋の神隠しだが、前作の「もののけ姫」よりずっと面白かった。
深遠なテーマも見え隠れするが、前面に押し出されることはなく、それらを匂わせながら、子供にとって、もっと身近な「働くこと」、「どうやって大人と接すればいいの」というようなことをわかりやすく、楽しく、ハラハラさせながら、描いていたと思う。
甥たちは、じっと見入るように静かに見ていたし、終わった後、「面白かった?」と聞くと、「うん」と頷いていた。
思うに、映画は、2〜3時間の長さだから、見た直後は、それだけで疲れていて、画面からのメッセージを受け止めるのに精一杯なのかも知れないと思う。

映画に行った日の夜、甥2がお父さんに、「千と千尋がビデオになったら、借りて来て、もう一回見たいから」と頼んでいた。
改めて、「どこが良かったの?」と聞くと、「わかんない、でも、全部面白かったの」と言っていた。
出だし、お父さんとお母さんが豚にされて、残された千尋は、迷い込んだ国で、どうにか暮らさなくてはいけないのだ。
普通の女の子で、両親が急に大豚になってしまった子の一人になったときの驚きと苦労が、我がことのように思えたのか?
千尋の行動に、自分を重ねるところが沢山あったのだと思う。

一人になった千尋は、知らない人の間で働くことになるので、あらゆる場面で、大人たちから「お礼を言うこと」などを注意される。
甥たちも、しょっちゅう、大人に「有難うは?」と強いられているが、これが一般的なことなのだと、この映画で理解したかなと思った。

トトロ程メルヘンチックではないけれど、小学生の心の琴線に触れる作品であるようだ。



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2001年08月28日(火)

やっぱりイタリア


MLで「面白い」と推薦してくださった方がいて、図書館にあったので、「やっぱり、イタリア」という本を読んでみた。

確かに面白いし、元気が出る良い本である。
何でも、フランス人と結婚した日本人女性が、イタリアでイタリア人に混ざってイタリア料理を作りながら、専業主婦して暮らす話なのだが、この女性の語り口がチャーミング、且つ元気良く、面白おかしく、イタリアでの暮らしを描いており、一気に読むことができる。

作者は、イタリア料理が大好きで、本の中にも、いくつものレシピが載っている。

読んでいると、自分がフランス人と結婚してイタリアで暮らしている気分になってくる。
人懐っこい近所の人からおよばれして食べる食事、イタリアの肉屋に行くと、頭のついた兎しか売っていなくて、それを切るときに、死にそうになる話とか、とても面白い。(因みに、兎は兎の肉であることを証明するために、お頭付きで売るのが、イタリアの法律で決められているとのこと。)

これを読んでいると、イタリアで暮らすのに向いている人というのは、人懐っこいこと、大食漢であること、好奇心が強いこと、イタリアが大好きなことなのかなと思う。
一度はイタリアに是非行ってみたいと思わせる本。

とても良い本なので、文庫版を買おうと考えて本屋に行ったら、同じ作者のイタリア物が3冊くらい文庫になっていることがわかった。
私が知らなかっただけで、この作者は、一時売れっ子だったようだ。

やっぱりイタリア
タカコ・H・メロジー著
集英社文庫



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2001年08月29日(水)

赤だし八丁味噌


以前にも、書いたが、我が家は、親戚からもらった「まるや赤だし八丁味噌ゴールド」というのがいたく気に入っている。
で、MLで赤だし味噌について、話していて、ある事実に気づいたのだ。
ご存知のように、「八丁味噌」というのは、登録商標で、カクキュウという会社と、まるやさんしか名乗れないのである。
赤だしというのは、どうも、八丁味噌に、米麹味噌を加えてマイルドにしたものらしい。
商品名に、「赤だし八丁」という名前を付けられるのは、やはり、カクキュウさんとまるやさんだけであろう。
それで、はたと気づいた。
今まで、カクキュウの普通の八丁味噌より、まるやの赤だし八丁味噌の方が美味しいと言っていたのは、比べる相手を間違えているのだと。
カクキュウの普通の八丁味噌と比べるなら、まるやも八丁味噌で比べなくては、比較にはならないのだ。
そして、まるやに「赤だし八丁」があるのなら、カクキュウにもある筈であると。

カクキュウさんの商品は相当東京に来ているから、きっとあると思って、上野松坂屋の味噌売り場に行ったら、果たしてあった。
赤だし八丁の黄金カップというのを買って来て、食べてみた。
我が家では、それはそれなりの美味しいが、「やはり、まるやの方がコクがある」ということになり、そのうち、通販で買おうかと話していたのだ。
(これは、本当に好みで、カクキュウもそれなりに美味しいと思うし、カクキュウの方が好きという人がいても、不思議ではない。)

先週、ちょっと用があって、日本橋に行ったついでに、三越の地下の味噌売り場を覗いたら、なんと、「まるや赤だし八丁味噌」があるではないか?
そのお味噌を買いながら、お店の人に、「このお味噌、東京では売っていないと諦めていたのです」と話すと、「東京だったら、このお店でしか扱っていないかも知れない」とのことであった。
いつでも、常時置いてありますから、とのことであった。

通販で買うと、4個とか、6個単位で買わねばならず、しかも送料がかかるから、どうしようと思っていたのだ。
日本橋三越なら、元気なときなら、自転車で行けるので、良かった、良かった。

でも、家に帰って、インターネットの通販のページを見たら、三越の価格は、通販の送料込みの値段とだいたい同じとわかった。
常時、東京に移出されていないものを東京で手に入れるのに、安い手段はないようである。



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2001年08月30日(木)

晴海アイランド トリトンスクエア 1/2


最近、「トリトンスクエア」という言葉を頻繁に聞いたり、見ることが多かった。
「何、それ?」と聞くと、大江戸線の勝どき近くに作られたビル群で、お台場のようなイメージの場所とのこと。
狙いも、東京の東半分にお台場的な観光スポットを作るということだと聞いた。
そう言えば、東京湾の花火を見に行ったとき、花火見物の人が皆勝どきで降りたし、築地のずっと後方に、光輝く高層ビルが「トリトンスクエア」と聞いた。

で、大江戸線に乗って、てこてこ行ってみた。
意外だったのは、駅から繋がっていないで、一旦表に出て歩いて行く場所であったことだ。
そんなには離れていないし、すぐに、歩く歩道があるので、遠いという感じはしなかった。

「トリトンスクエア」というのは、言うなれば、オフィス・マンション・店舗の大集合体であった。
店舗部分は、お台場のビーナスフォートを小さくしたような感じだが、お台場より、広々していて、程良い大きさで、歩き良かった。(平日の午後ということもあるのだが)

3Fのレストラン街から見始めた。
色々な食べ物屋が沢山あったけれど、有名どころでは、クイーンアリス、トゥーランドット、BASARAと行った店があった。

こういう観光スポットにある有名店の味って、どんなのだろう?
やはり、赤坂とか銀座にあるお店の方が味にこだわっていて、こういう観光名所にあるお店というのは、観光目的で一回しかこないお客向け、すなわち万人向けになりやすいのではないかと思ってしまう。
また、有名でも無名でもいいから、そのお店の味に責任を持つシェフ自らの料理が食べたいけれど、このように有名シェフのお店の何店かある支店のうちの一つでは、それが味わえないわけだから、ちょっとつまらないような気がする。
外れているかも知れないけれど、こういうマスコミで有名になった人が複数の店舗を持っていくって、味的には難しいことなのだはないかと思う。

何軒か、テラスに席を張り出しているお店があり、テラスで食べたら気持ちいいだろうなと思える。
(普通の道路に張り出すと、通行人や車が通る度に、道路のチリが入ってきそうだが、このトリトンスクエアの中の道に張り出す分には、車も人も通らないので、清潔そうに見える。)
でも、きっと、全てが味より、こういう若者が喜びそうな演出に重点が置かれているように見えてしまう。

この中で、BASARAは誰の経営だか思い出せなかったのだが、下の階に行たら、クッキングステージHARUというのがあって、そこを見たら、「青柳」の小山裕久さん経営の料理学校だったのだ。
そうだ、BASARAは、小山裕久さんの創作日本料理部門だったか、何かだったと思い出した。
クッキングステージHARUは設備が良さそう。
(全面ガラス張りなので、中が良く見える。)
あーいう近代的ビルの中の料理学校としては珍しく、ガスを使っている。
外から丸見えだから、習っているとき、恥ずかしいなと思った。
少数精鋭の料理教室だから、高いかも。
小山裕久さんというブランドで、創作的な料理を教えるのだろうか?
最近、小山裕久さんは、四国に調理師専門学校も開いているし、今度は東京に進出でとても元気。(辻調よりも)



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2001年08月31日(金)

晴海アイランド トリトンスクエア 2/2


今風の洋服やバッグのお店の多い2Fのショッピングセンターの中には、食器や雑貨のお店が一軒と紅茶のお店でマドレーヌというのがあったのと、212Kというキッチングッズのお店があった。
212Kは、やたらに高かった。
多慶屋で100円で買った野菜の型抜きが500円、合羽橋道具祭で2〜300 円で買ったアイスクリームサーバーが800円。
(多慶屋に行ったら、野菜の型抜きはまだ売れ残りが100円で売られていた。)
電子秤も多慶屋の2倍の値段。
きれいだったけれど、余り目新しいものが置いてなく、どうも、「何て高いの!」というところにばかり、目が行ってしまった。(悲しい私〜)

ショッピングセンターから外に出て、花の庭園を歩くととても気持ちが良い。
庭園を下りていくと、一階のレストラン街と思われるところがあった。
入っていくと、「アリスセレクション」というところで、真中に、テーブルと椅子が並び、回りに、小さな屋台風のお店が沢山並んでいて、和洋中華、エスニック、お酒にチーズ、何でも好みのものを買ってから、好きな場所で、食べる仕掛けのようであった。
食べなかったので、味はわからないが、値段は、手頃な感じであった。
こういう場所、どこかで見たことがあると思って思い出したのが、昔、関西に住んでいたときに見た阪神地区にあった大きなダイエーの地下のファーストフードのコーナーである。
発想としては、大きなスーパーの無料休憩所の周りに、ハンバーガー屋やら、たこ焼き屋が並んでいるのと、大差ない。
それを、アリスを名乗っているのだから、鉄人石鍋さんたちが、オシャレに今風に格好良くアレンジしてみました、という感じか。

トリトンスクエアは、お台場よりこじんまりしているし、花と草を沢山植えている庭が近かったりで、お台場より人工的な感じがしないので、空いているときに、散歩するのに向いていると思った。

私は、ジーンズにTシャツで行ったけれど、全体の雰囲気は、もう一段くらいオシャレな感じの人が多かったかな?(2,3段上のオシャレな人は余りいなかったと思うが、夜はわからない。)



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