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2002年04月01日(月)

残り物料理 1/2 うどん玉利用


勤め始めて、1か月が経とうとしている。
改めて思う、あ〜、お料理って面倒だって。
何が面倒かというと、献立を考えるのが、本当に面倒だ、それから、色々やってみて、買ったものをきちんと使うことが節約のコツだと思う。
残り物で、献立を考えるのも面倒くさい。

で、2つ、残り物を利用したら、評判が良かったので、ご紹介。

1.ゆでうどんの玉が1つ残った

初めは、味噌汁に入れようかと思ったのだが、うどんはうどん、味噌汁を沢山作らないと、うどんのボリュームと釣合いが取れないかなと思った。
そうなると、味噌を沢山使わなくてはならない、ということは、勿体無い。
やはり、澄まし汁にした。

普通のお汁を作るように、かつおと昆布の出汁に、塩・みりん・薄口醤油で味付けたものに、うどんを短く切って入れた。
他には鍋物の残りのきのこ類、これを、澄まし汁として、出したら、とても評判が良かった。
3人で、澄まし汁の具としてうどんを使ったけれど、1/2玉使うのが精一杯。
でも、あまりに評判が良かったので、次の日にも、残りの1/2玉で同じ物を作った。
今回の具は、汁の中に玉子を落として、半熟にしたものと、きのこ類少々。



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2002年04月02日(火)

残り物料理 2/2 中華麺利用


その他、冷蔵庫には、中華麺の玉が2つ残っていた。
最近、一週間に一度は、ラーメンのしゃぶしゃぶをするのだが、甥たちが食後に食べるか食べないかで減り方が違うために、2つも残ってしまった。

そこで思い出したのが、「ラーメンサラダ」。
10年以上前になるけれど、そういう商品があって、我が家の前の八百屋さんでたまに買って食べていたことを思い出した。

その商品は、確か、中華麺とドレッシングのセットで、中華麺を茹でて水で洗って、絞ったものに、レタスの千切りを加えて、付属のマヨネーズ胡麻味のドレッシングで食べるものだと思う。

で、今回は、良質のハムが残っていたので、ハムとレタスと胡瓜の千切りを混ぜたものを作っておいて、それを皿の真中に盛り、回りに茹でて水で洗って絞った中華麺を配してみた。
(もちろん、レタスと胡瓜は氷水にさらした後、良く水気を切り、中華麺は、絞った後、美容師のように、少し手で掴んでは、キッチンばさみで、チョキチョキ切って、短くした。)

ドレッシングは、面倒だったので、酢:サラダ油:にんにく醤油=1:1:1を混ぜたもの。

ラーメンと野菜を混ぜても良かったのだが、何か汚そうだったので、別々に盛り、各自、お皿の上で、ラーメンと野菜をドレッシングで和えながら、混ぜて食べてもらった。

当然、これも我が家で大受け。
何か、どんな形、どんな料理で出しても、中華麺を出せば、それだけで受けるような気もする。)

ま、どちらかというと、冷やし中華と似たようなものだが、野菜の割合が多いし、これはこれで、良いアイディアだと思った。

中華麺は、サラダなのだから、サラダとなって人が口に運ぶまで、ラーメンより時間があるので、3分茹でだったら、2分程度茹でて引き上げることがコツだと思う。
そして、もし、食べるまでに時間がかかりそうだったら、胡麻油か、サラダ油を少したらして、冷えた中華麺にまぶして、時間が経っても、くっつかないようにしておくと良いと思う。

量は、特段、中華麺に目がないという人がいなければ、1玉で十分だと思う。



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2002年04月03日(水)

家族旅行 1/2


去年の暮れ、妹は会社から、○○年勤続記念に旅行券をもらった。
で、若いときに、私が彼女の大学卒業記念に、中国(桂林・広州・香港)に連れて行ってあげたお返しにと、私にプレゼントしてくれた。

急にもらった旅行券、どこに行こうか、一生懸命考えたが、やはり、病気を持っている母が心配で、2泊3日以上する気がしなかった。
(本当は、その料理に興味のあったベトナムに行きたかったのだが、4泊5日くらいから1週間くらいのツアーが多い)

最終的には、沖縄も料理に特徴があって、現地で沖縄料理が食べてみたいと思い、沖縄3泊4日の安いパック旅行に母も連れて行ってしまおうかと思ったが、観光するのに、もしかして、歩き回るかも知れない。
歩き回るようなところに行ったら、母をバスの中において、私だけ、名所旧跡を見て歩くのかなと想像したら、それも、余り気乗りがしなくなってきた。

で、最終的には、親子旅行というものをしたことがないし、私は、昔から、母の故郷である山梨の親戚以外の名所に行きたいという希望を持っていたので、母と妹と3人で、山梨に行こうと提案したら、皆に、受け入れられた。

(思い出したのだが、我が父は、家を建て直し、皆がまた一緒に暮らすようになり、これから、皆で楽しもう、旅行でもしようという矢先に死んでしまったのだ。)

実は、小さい時、小学校6年生くらいの従兄弟たちが、その子たちのお父さんに三つ峠に連れて行ってもらったと聞いたことがまだ頭に残っていたので、三つ峠かな、それに、昇仙峡もいいかななんて、思っていたのに、決まったのが、山梨県山梨市の「フルーツパークホテル」という新しいホテルになってしまった。

私の母は桃の花が好きで、いつも、「故郷の桃の花がすごい、きれいだ」と自慢していたのだが、このフルーツパークホテルは、山の上にあって、桃の花の季節に行くと、眼下に、桃の花が、ピンクの絨毯のように見えるのだそうだ。(母は、去年、母の妹の招待で、先に一泊したことがあるのだ。)

話が決まって、予約を取ったのは、1月末か2月だったと思う。

例年、桃の花は、4月第二週くらいが最高とのことで、4月13日の日曜日に宿泊をしたかったのだが、山梨の桃のきれいさは、結構有名で、この日は、早くから予約が入り、取ることができないとのこと。
で、一週間早い週にしてみたのだが、今年は暖冬だということで、大当たり。
きっと、今度の土日の方が、その次の週より、桃が盛りだと思う。



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2002年04月04日(木)

家族旅行 2/2


フルーツパークに泊まる他、何をするか相談したのだが、私としては、山梨に行くなら、長坂の翁というおそば屋さんに一度は行ってみたかったので、提案したら、すんなり受け入れられた。
2日目に、中央線の各駅停車に乗れば行けると思ったが、甲府の叔母が、長坂まで案内してくれるとのこと、おまけに、下見までしてくれたのだ。

しかし、蕎麦サイトなどを読むと、翁を作った高橋名人は、既に翁を弟子に譲り、広島で新たな店を開いたとのこと。
この点、ちょっと気掛かりだったけれど、まるで知らない人に店を譲ったのではなく、弟子が経営しているとのことだったから、親戚の好意に乗ることにした。

これが2日目として、1日目は何をするか、母は、慈光寺という塩山のお寺のしだれ桜がすごいから、それを見せたかったようだが、勝沼の桃が満開ということは、塩山の桜は既に散っている可能性が強く、この案は、×となった。

ではとのことで、MLで聞いた「勝沼に、皆吉(みなき)というほうとう専門店」の話をしたら、では、それを食べに行こうと決まった。

何か、全て、食べ物に釣られての旅行プランとなった。



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2002年04月05日(金)

春の新種を楽しむ会


去年に引き続き、常連でもない私に、お蕎麦屋さんが今年も声をかけてくれた。
本当に心から感謝した。

去年大変良い会だったけれど、その後、職場も住居も離れているとのことで、去年参加したメンバーは、その後、そのお蕎麦屋さんに中々行けないでいた。
それじゃ申し訳ないとのことで、今年は、そのお蕎麦屋さん近辺に住む知り合いを誘ってみた。

で、会が始まる。

今年のお品書き

先付  鴨の燻製・かまぼこ・天城わさび漬け

蕎麦の実焼き味噌

海老包み揚げあんかけ

太打ち辛味大根おろしそば

天ぷら 桜海老と山うど、新牛蒡、そらまめ、菜の花

若竹そば

変りそば 生姜ぎり

去年と違う趣向でと考えられたメニューで、これらも美味しかった。
一番美味しかったのは、「海老包み揚げあんかけ」で、これは、蕎麦を伸した物を細く切らないで、その生地で、ラビオリのように、海老の具を包んで揚げたものに、醤油味の和風の出汁を片栗粉などでとじたものをかけたものであった。
これは、今までに味わったことのない味で、新鮮でとても美味しかった。
きっと、小麦粉より、蕎麦の方が味があって、そこはかとない甘さがあるのか、生地の美味しさが抜群であった。
お店の妹さんが「私たちが考えたのよ」とおっしゃっていたので、本当にオリジナル。
これが、このお店のメニューに乗れば、受けるのにと思った。

他、太打ちも、噛めば噛む程味があったし、若竹そばは、今が旬かな?はしりかな?筍と若布が具として、熱いおそばに乗っていた。
やっぱり、春の筍は、とっても美味しいと思った。
昨年は、確か、熱いおそばは、牡蠣そばだったのだが、「インパクトの牡蠣そば、爽やかさの筍そば」という感じか。

最後の生姜ぎりも、爽やか。
生姜の味が前面ではなく、そこはかとなく感じられ、初夏の味という感じ。
こちらも去年は「柚子ぎり」であったが、やはり、「インパクトの柚子ぎり、爽やかさの生姜ぎり」という感じだと思う。

きっと、寒いときには、濃厚な味、強い香りが向いていて、段々暖かくなるとともに、爽やかさを加味していくのが、季節感を出すコツなのかなと思った。

でも、おそばは、3種類とも美味しくて、やはり、このお店、好きだなと改めて思った。

他、天ぷらもお品書きを見てわかるように、春の香り・味満載の材料ばかりで、美味しかった。
特に、うどが好き。

蕎麦味噌も、切って2つに割った竹に塗られたお味噌と蕎麦の実が熱々に焼かれて、熱々で出てきて、とても美味しかった。



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2002年04月06日(土)

秋田の蔵元のお酒


そのおそば屋さんの会には、去年に引き続き、秋田の蔵元3つがお酒を出品リスト付きで出してくれていた。
全部、生酒とのこと。
私はどちらかというと、辛口が好きなので、「辛口はどれですか?」と聞くと、一覧表の見方を教えてくれた。
何でも、リストの「日本酒度」というところの度数が高い程辛口なのだそうだ。
でも、皆、生酒だから、辛いというところまでは行かなく、どうしても、麹の甘さが残ってしまうとのことであった。

で、順番に、とっくりを取っ替え引っ換え、飲み比べてみた。
お酒というのは、何で味が決まるのだろう?
色々なお酒を飲み比べながら、気に入ったものを探してみた。

以下、今回、出品された問屋さんと蔵元さんのHP

「秋田の地酒 えのもと」のページ←ここをクリック

ここは、蔵元ではなく、問屋さんのようである。
実際には、ここを通して、購入することになると思う。

「まんさくの花」のページ←ここをクリック

まんさくの花では、やはり、「美し郷」(うましさと)が美味しかった。

「天の戸」のページ←ここをクリック

「亀の尾」というお酒がフルーティで美味しく、私の好み。

「天壽」のページ←ここをクリック

ここのは、「鳥海にごり」が評判が良かった。

去年に引き続き、美味しいお蕎麦を食べて、美味しいお酒を飲んで、いい気持ちになってしまうので、今年もまた、全然勉強できなかった。
ただ、お酒を飲んで、「美味しい!」「好み!」なんて、騒いで終わってしまった。



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2002年04月07日(日)

勝沼 1/4−ぶどうの丘


晴天で、初夏のような陽気の土曜日の朝、9時30分新宿発の甲斐路に乗った。
行くまでの間、時間があるようでなかったので、余り研究しなかったし、一度も山梨のガイドブックなぞを立ち読みすることもないばかりか、ガイドブックを買わないまま出かけた。
今の季節、土日だけ、甲斐路は、勝沼ぶどう郷という駅に止まる。

で、甲府の叔母のアドバイスにより、どうも、勝沼に着いたら、「ぶどうの丘」というところに行った方が良いようなので、タクシーに乗った。(町で運行しているバスは、満員で出発したばかりであった。)

ぶどうの丘って、何だろうと思ったら、宿泊施設、ワインカーブ、レストラン、天空の湯という温泉施設などを総合的に作った町営の施設であった。

「ぶどうの丘」のページ←ここをクリック

試飲できるとのことだったが、1100円のタートヴァンという試飲用の容器を買うことが前提だったし、下戸の母と妹が一緒だったので、試飲は諦めた。

まずは、眼下が一望できる展望台のようなところで、景色を見たが、これは価値がある。
晴れていたので、遠くの名もない山々の後ろに、南アルプスだろうか、雪をかぶった高い山が少し見えた。
眼下の平野は、もやっとしていたが、所々、桃の花が咲いているところが、ピンクに見えて、とてもきれいだった。

ここのレストランは、館内放送を聞いていたら、「ご予約の○○様、席が空きましたので、至急、レストランにいらしてください」と言っていたので、混んでいるようであった。

ま、ここは土産物を買うに限ると、土産物を見た。

私は、ワインを選べない。
どうしてかというと、詳しくないし、ワインって、一緒に食べる物によって、味が変わるから、何をどう選んでいいか、全然わからないのだ。
それに、小さいときから、葡萄液が好きだったけれど、小さい時余り買ってもらえなかったこともあり、葡萄液を選ぶことにした。

皆、葡萄100%と書いてあるが、中には、「濃縮果汁還元」というのもあり、こういうものは避けたいと色々探してみた。
でも、余りに色々なメーカーのものがあるので、どれを選んでいいかわからず、お店の人に聞いてみたら、「だいたい、どれも似たり寄ったり」とのこと。
余り甘くないのがいいと言ったら、「風林火山」というのを勧めてくれた。
面倒なので、買ってしまったが、家に帰って良く見たら、何と、濃縮果汁還元であった。(笑)

他、ワイン以外には、勝沼の醸造元が作ったワインビネガーがあって、村上信夫さんの書いたパンフもあったが、余り、液体ばかり買っても、重いので、諦めた。



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2002年04月08日(月)

勝沼 2/4−皆吉(みなき)


勝沼は、町営のバスが出ているが、本数が少なく、効率良く回ろうと思ったら、やはり、タクシーを頼らざるを得ない。(一番いいのは、自動車で行くことだろう)

で、駅からぶどうの丘まで乗ったタクシーの運転手に、「ほうとう、食べるとしたら、どこがいいですか?」と聞くと、「皆吉が一番だ」とのこと。
おまけに、ぶどうの丘から皆吉まで、歩いて行ける距離ではないので、皆吉を予約してあげるし、電話くれたら、迎えに来てくれるとのこと。

え!予約しないと、食べれないの?というと、そうだとのこと。

並ぶのが嫌やだったので、このタクシーの運転手さんに予約を頼んだのだ。

ぶどうの丘から、このタクシーの運転手さんの会社に電話して、迎えに来てもらったのだが、他の運転手であった。
ぶどうの丘と皆吉の間は、タクシーで5分くらいだったろうか?

勝沼には、ぶどうやワインではなく、ほうとう目当てに立ち寄っただけで、勝沼について、何の知識もなくて、ただ、ぶどうの丘に行ったら、ワインを造る工程が見れるのかしらと勝手に考えていたら、そんなものはなかった。

我が妹は、以前勝沼のメルシャンワインの工場見学をした経験があり、どこかでワイン工場見学ができるはずだと、2度目のタクシーの運転手さんに、「皆吉の周りに、ワインの工場はありますか?」と聞いたら、「ほら、そこを曲がると○○ワイン、後ろに行けば、××ワイン」と沢山の工場を教えてくれた。

で、無事、皆吉近くの等々力の交差点に到着、「そこが皆吉」と教えられて、前方を見ると、大きな昔の農家であった。
庭も、結構立派。
家の門のところから庭に、本当に、沢山の人が順番を待っていた。
お店の人がいたので、私たちの予約が入っているかどうか確認すると、入っていないとのこと。
う〜ん、運転手さんに騙されたのか、何かの手違いだったのかわからないが、こうなったら、皆吉で食べるしかないので、店の玄関の前に置かれている予約の表に名前と人数を記入した。
何時間待ちか、妹が聞いたら、「1時間から1時間半の間、でも、1時間半はかからない」とのことであった。
(勝沼に行ったら、この手のタクシー運転手の甘い言葉には気をつけましょう)
待っている人たちは、皆、庭の縁台に腰掛けたり、農家の広い縁側に腰掛けて、のんびりしていた。
(縁側にはすだれがかかっており、直射日光を遮ってくれて、居心地が良さそうだった。)

私たちは、元来た路を戻って曲がったところに、「グレイスワイン」という醸造所があると、先程、タクシーの運転手さんから習っていたので、歩いたら5分くらいだろうか、そこでも見に行こうかということになった。



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2002年04月09日(火)

勝沼 3/4−グレイスワイン


皆吉もグレイスワインも、等々力という地域の交差点の近所にあった。
グレイスワインは、3階建てに見えるがっしりした、多分、コンクリート造りの古びた洋館に、つたがからまっていた。

他、通りすがりに色々な醸造所を見たが、一番、外観が個性的なせいもあって、ここに立ち寄ってみることにしたのだ。
しかし、入口近辺に行っても、誰も人がいないし、人気がない感じであった。

一体、ここは何だろう、入口近辺に2Fがワインの売店と書いてあったので、私が試しに見てくると言って、階段を上がってみた。

階段を上がり切ると、そこは、ただただ広いワインのサロンであった。
どうもその洋館は、ワインセラーのために十数年前に建てられた洋館のようで、1Fと地下がワインセラーで、2Fがちょっとしたパーティができるような作りであった。
アンティークなテーブルや椅子、ピアノなども飾られ、結構素敵な作り。

片隅に、カウンターがあり、そこで、試飲ができるようだ。
試飲のしたかった私は、グラスをもらい、4,5種類のワインを試して、一番美味しいと思ったワインを買った。
お値段は、1200円で、オーディナリーワインと分類されていて、日常ぐいぐい飲むタイプだと思う。

その間、我が母と妹は、何をしていたかというと、下戸だから、ワインなぞには全然興味も示さず、その広いサロンの片隅に置かれたアンティークな椅子に、二人ともドデンと座って休んでいた。
そこは、ワインセラー用に建てられた建物だから、余り日光が入らず、ひんやりしていて、とても居心地が良い。
確かに、皆吉のお庭の縁側でひなたぼっこもいいけれど、長時間、外気と日光に当たると疲れてしまう。
この二人は、このひんやりしたワインセラーの2Fがとても気に入ってしまったようで、動かなくなってしまった。
でも、お店の人は嫌な顔をせずに、安いワインを1本買っただけの3人組を放っておいて、好きなだけ休ませてくれた。

お店の人に聞いたら、ワイン工場は、道路を挟んで向かい側にあるとのこと。
(その建物は、所謂工場という趣だったか、大きな楡の木だったか、樫の木が工場の真中にあって、その木のために、天井が切り抜かれているという話であった。)

また、もらったパンフレットを読んだら、このグレイスワインのワイン作りを見学するには、要予約とのこと。
また、広くて素敵なサロンでは、9〜10月には、軽い酒の肴が作られ、ワインとともに味わえるとのことであった。

「グレイスワイン」の工場見学のページ←ここをクリック

      ↑
このページの一番下の写真がサロンの写真(但し、これは夜だから、昼はここまではきれいではない)

旅の帰りに、遅まきながら、山梨のガイドブックを見て、復習していた。
ワイン工場やワインセラーには、他にもまだ、個性豊かな物があるようだ。
こういう個性豊かなワインセラーを探して歩くのも、勝沼の楽しみ方の一つなのかも知れない。



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2002年04月10日(水)

勝沼 4/4 ほうとう


グレイスワインには、30分くらいいさせてもらっただろうか?
母達の疲れが取れたところで、ほうとうの「皆吉」に向かう。
皆吉の手前奥の駐車場のところに、大きな鯉のぼりが5匹飾ってあったが、残念ながら、風がなかったので、そよいではいなかった。

予約の表を見ると、まだ、私たちの前に、5組くらい待っている人たちがいた。
まだ、待ち時間30分と踏んで、私たちも、ほうとうを待つ人たちの間に入ることにした。

縁台は満員だったが、縁側は一番奥の方が空いていたので、縁側に座る。
初夏の陽射しで、風もない昼下がり、立派な植木のお庭を見ながら、縁側に座っているのは、とても気持ちが良かった。

縁側から家の中を見ると、障子越しに、薄暗い部屋が見える。
一番奥の部屋は、商売に使わず、個人で使っているみたい。
近くに座っていた人の、「あ、あんなに大きなお雛様が飾ってある」との声で、奥を覗いてみると、本当だ、薄暗い部屋の中に、高さ30cmだろうか、50cmだろうか、とても大きくて、古いお雛様とお内裏様が2対も飾ってあるのが見えた。
そして、床の間にも、大きな兜が飾ってあった。
他に、壁に、「命名 小澤○○○」と墨で書いた立派な紙が貼ってあった。
ここの家は、小澤さんで、○○○ちゃんという女の子いるのだということがわかる。
鯉のぼりも飾られているし、この家には、幼い男女の兄弟がいるようだ。

このお家は、家や庭が立派なだけではなく、こんな大きくて、古いお雛様が飾ってあるなんて、豪農か、庄屋さんだったのかと思った。

さて、縁側に座って、母と、「今頃までお雛様を飾っているなんて、娘をお嫁にやりたくないのかな?」なんて、話しながら、ゆっくり、順番を待っていた。

ようやく、もうすぐ食べられるということになって、縁側に、お店の人がメニューを持って来て、先に注文ということになった。
この日は、天気の良いのは良かったけれど、初夏の温度だったので、私と妹は、熱いほうとうは諦めて、「冷やしうどん」にした。
セットにすると、500円増しで、「合鴨の燻製、小鉢」などが付くとのことで、私のだけ、セットにしてみた。
山梨育ちの母は、やはり、故郷の味が良いのか、「野菜のほうとう」にした。

注文して、15分くらいして、ようやく、名前を呼ばれた。
家の中に入ると、入口のところが土間で、テーブルが2つあった。
土間を座敷の方に上がると、2間ぶちぬきで、食べる場所になっていた。

私たちは、土間の椅子席とのことであった。
しかし、先に注文していたのに、ほうとうや冷やしうどんが出てくるまで、20分以上かかったと思う。
席から、厨房の入口が見えたので、見ていると、店員さんが沢山いるのだけれど、皆、ほうとうの出来上がるのを待っていた。
どうも、一辺に沢山作って、それを一斉に運ぶシステムのようだ。

ようやく、料理が出てきた。
冷やしうどんは、ものすごい量。
東京の冷やしうどんの2倍はあるだろうか?
つゆも冷やしうどんもきりりと冷えていて、美味しかった。
つゆは、醤油味だったが、出汁は、煮干のようである。
煮干だしって、私が取ると下手だけれど、取り慣れた人が取ると、美味しいものだと思った。

セットについてきた合鴨のくんせいは美味しいけれど、別に取らなくても良かったかなという感じ。
しかし、合鴨のくんせいには、多めのレタスやトマトのサラダ類がついてきて、満足。

ほうとうは、母によると、「美味しいけれど、味が薄め。もうちょっと沢山お味噌を入れてくれると完璧。油揚げは、東京の方が美味しい」とのことであった。
美味しいそうで、麺を全て食べていた。
HPによると、自家製味噌を使っているとか、自家製味噌を商売に使うと、どうしても、ちびりちびりとしか使えない気持ちは良くわかる。

私や妹も、大量のうどんをつるつる食べてしまった。
食べ終わって、あんなに沢山あったうどんが全て自分のお腹に入ってしまったなんて、ちょっと恐ろしくなった。(笑)

この「皆吉」というお店の価値は、ほうとうやうどんにもあるかも知れないが、何と言っても、建物なのだ。
この昔のお金持ちの農家の家の中にいると、本当に心が落ち着くし、楽しくなる。
この建物が親戚で、夏休みに遊びに行って、この縁側ですいかが食べたい、漬物でお茶なんていうのもいいな、という感じ。

他にも美味しいほうとう屋さんは、山梨県内にあるかも知れないが、このような昔からの建物があることを考えたら、やはり、皆吉は、とってもお勧め。
でも、お店を入るにも、料理が出てくるにも、待たなくてはいけないし、その日は、午後1時頃には売り切れの札が出されたし、で、忙しい人には向かない。
そして、勝沼に着いたら、先に予約の名前を書きに行った方がいいと思う。(電話で予約を取れるかどうかは不明)

「皆吉」のページ←ここをクリック

余談であるが、山梨の親戚によると、山梨の人にとって、ほうとうとは、家で自分で作って食べるものであり、外で食べるものではないとのこと。
だから、ここのお店は、地元で評判のお店が県外の人にも受けてというお店ではなく、県外の人に山梨の農家の情緒と味を伝えたくて作られたお店だと思う。
悪く言うと、「観光客向け」になるのだろうが、良く考えれば、観光客と地元民では、自ずから求める物が違うだろうから、やはり、観光客が観光客向けのお店に行くのもいいものだなと思った。



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2002年04月11日(木)

一宮 桃源郷


さて、美味しくうどんを食べ終わりそうになったので、先程とは違うタクシー会社に電話して、皆吉まで迎えに来てもらった。

当初は、電車で、勝沼から山梨市まで行こうと考えていたのだが、甲府の叔母が、「勝沼と山梨市は近いから、タクシーに乗って、タクシーの運転手に、『桃の咲いているところを通ってください』と頼むと良い」と教えてくれた。
旅行に行く朝、マピオンで地図を探してみると、電車は、勝沼から塩山・東山梨市を通って、山梨市まで3駅なのだが、これは、電車が、塩山を通るために、遠回りしていることがわかった。
自動車で行けば、一直線に山梨市まで行けるのだ。
(電車は、三角形の2辺を通るが、自動車道は、1辺だけなのだ。)

タクシーの運転手さんに、叔母に教えられたとおりのことを伝えると、等々力の交差点で、「ここを左に曲がって直進すれば山梨市だけれど、桃の名所は、一宮だから、右側。ま、桃を見物したいとのことだから、通り道ではないけれど、一宮をぐるっと回ってから行くといい」とのことで、一宮を案内してくれた。
(皆吉のある等々力という地域は、勝沼町の中でも、一番端の方で、隣は直ぐ一宮町のようであった。)

タクシーは、右に曲がって直進した後、左側のなだらかな山の斜面に入って行った。
そこから、見る景色、見る景色、殆ど、桃の花という風景が始まり出した。

桃の花なんて、小さい時、おひな祭りに一枝が飾られているくらいしか見たことがない私には、桃畑といえばいいのだろうか、山の斜面一面に、背丈は高くない桃の木が沢山植えられて、一斉に花が咲いている風景は、圧倒的であった。

タクシーは、桃の畑の間の道をゆっくり、左に曲がったり、右に曲がったりしながら、段々斜面を降りて行く。
ほんのちょっとの斜面の角度や、方角の違いで、桃の畑が色々な表情を見せてくれる。

間近で見る桃の花の大群は、圧倒的にきれい。
後で、もう1つの桃源郷を見ることができたのだが、勝沼の桃源郷の特徴は、「なだらかな斜面にある背の低い桃の大群」という感じか?
妹が、思わず、「家庭画報のグラビアみたい!」と声をあげた。

桃の花に囲まれて、青い空とピンクの桃の花しか見えない世界にいるって、どんな感じかというと、本当に幸せな気分であった。

タクシーの窓から花も沢山見えたが、いかにも県外から来たという人たちが結構歩いていた。
世の中には、一宮の桃の花がきれいだということを知っていて、しかもハイキングコースを知っている人も沢山いるのだ。
私も東京に帰ったら、来年までに、勝沼〜一宮ハイキングコースでも研究しようっと。

意外だったのは、桃の木が皆、背が高くないことであった。
タクシーの運転手さんが言うには、収穫のときに楽なように、手を伸ばせた桃の実が取れるくらいの背丈に調整して、桃の木を育てているそうなのだ。
だから、本当に人の背丈くらいしかないのだ。

また、タクシーの運転手さんが言うには、「桃農家の場合、父ちゃんとかあちゃんの背丈が違うと、大変だよ。背丈の高い父ちゃんに合わせて、桃の木を育てると、取り入れのとき、小さいかあちゃんの作業は大変になる」とのことであった。
桃農家は、夫婦の背丈が同じくらいが一番だそうだ。

また、所々で、桃農家の夫婦が、木にはしごをかけて、作業をしている風景にであった。
タクシーの運転手さんによると、「受粉を蜂に任せておいては、間に合わないので、自分たちで、受粉しているところ」とのことであった。

ほうとうに惹かれて、降りた勝沼だったが、ほうとうの皆吉が一宮町に近かったおかげで、一宮で沢山の桃の花を見ることができて、本当に良かった。



ぶどうの丘の展望台から見た景色
左は、南アルプスの雪を抱いた山が見える。
両方の写真とも、桃畑が薄っすらピンクなのがわかるでしょう?
間近で見た桃畑は、タクシーの中からだったので、残念ながら、写真を撮ることができなかった。


2002年04月12日(金)

山梨市フルーツパーク


一宮での桃の花見物を終えて、一路、山梨市に向った。
どこをどう通ったのかは忘れたが、笛吹川を渡ると、そこが山梨市であった。
笛吹川を渡るとき、運転手さんが、「最近は、笛吹川の岸辺が整備されて、きれいな公園になったんだ。お金がかからない公園だから、地元民に人気があるのだよ」と教えてくれた。
川幅の広い笛吹川の岸辺には、背の高い新緑の木々が沢山見え、とても居心地の良さそうなところに見えた。
笛吹川というのは、昔読んだ姥捨て山の深沢七郎のイメージがあって、暗かったが、今は、明るいのだ。

駅前の通りを、「林真理子の実家はどこだ」などという話をしながら突っ切って、そのまま、フルーツパークに繋がる斜面を登り始めた。

フルーツパークと富士屋ホテルは、山の中腹にあり、中央線の山梨市駅からも見える。
何度か、その姿だけは見えたのだけれど、実際に行ってみると、桃やぶどうの畑の中を抜けると、そこに、整備されたきれいな公園が出現した。

着いてみて、一番最初に感じたのは、こんな山の中にこれだけの施設を作るなんて、お金と労力がすごかったろうなとのことだ。
この公園とホテルができるまでは、もしかして、コンクリの道もなかったようなただの山の斜面だったのではないだろうか?
それをこんなにきれいに整備するなんて、一体、どのくらいのお金と労力がかかったのだろうか?(なんちゃって、不況下ならではの感想を感じてしまった。)

フルーツパークという公園は山梨市、富士屋ホテルは国際興業のものだとのこと。

フルーツパークに着いたのが、だいたい3時頃だったので、部屋で一息入れたところで、すぐに、フルーツパーク内を見学に出た。

「フルーツ公園」のページ←ここをクリック

ここは、まだ、できて4,5年で、残念ながら、樹木がまだ大きくなり切らない感じはある。(もう10年くらいしたら、もっときれいになっていると思う。)
でも、盆地を囲む山の小高いところにあるので、遠くの正面には山々、目の前には、人が住む平地が見えて、その景色を見ながら歩いているだけでも、とても清々しくて良い気分。
一番のお勧めはやはり、「熱帯植物園」(正しくは、『トロピカル温室』)だ。
どうして、実の成っている木に、魅力を感じるのだろう。
色々な実が成っていたが、一番新鮮だったのは、「台湾バナナ」という木。
今まで、台湾でできるバナナが台湾バナナで、フィリピンでできるバナナがフィリピンバナナだと思っていたが、実は、「台湾バナナ」という木があることを、知った。

熱帯植物園には、行きは徒歩で、帰りは、「トロッコバス」というのに乗った。
行きの道々、道端に植えられている木に名前の札が見えた。
しかし、どんな色の桃にも、皆、「ハナモモ」としか、書いていなかった。
花が咲く桃は、皆一種類、ハナモモしかないのかなと思ったが、世の中、白桃だの、黄桃だのあるのだから、きっと、桃の木も色々な種類があるだろうに、この点がどうなっているのか、全然わからなかった。

他、くだもの広場に行ったら、色々な種類の柑橘類の木が沢山あった。
伊予かん、ぽんかん、ぶんたん、レモン、ネーブルなど色々な木が植えられていたが、皆、厚い緑の葉に白い花が、柑橘類の親戚としての証拠のようだった。

フルーツパークは、なだらかな山の斜面に、熱帯植物園の他にも、2つくらい色々な施設を作っていて、2,3時間は遊べる場所だと思う。
施設そのものよりも、なだらかな斜面に芝を植え、歩きやすい歩道があるので、周囲の景色を見ながら散策できるところがとても良いと思う。



どういうわけか、赤とピンクと白の花が入り乱れて咲いていた桃。
接木でもしたのか、フルーツパークにはこのような人工的な桃が結構あった。
この写真の桃は成功している方である。
中には、わざわざ混ぜなくてもいいのではと思える木もあった。





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2002年04月13日(土)

フルーツパーク富士屋ホテル


フルーツパーク富士屋ホテルは、まだ開業して、4,5年のホテルで、とてもきれいだった。
部屋数は、50程度の小さなホテルのようだ。

きれいな教会が付属していて、地元の人の結婚式場として、人気を呼んでいるようで、私の甲府の従兄弟もここで結婚式を挙げたし、ここまでのタクシーの運転手さんも、「息子の結婚式、タクシーの運転手としては厳しかったけれど、富士屋ホテルを奮発してしまった」とのことだった。

それにしても、ま、このホテルができなくても、どこかの結婚式場がそうしていたことだろうが、教会なぞができたおかげで、山梨のお父さんたちは、皆、娘の結婚式にバージンロードを歩くことになってしまったのだなと思った。

今回は、母が一緒だったので、和室にした。
和室もいいもので、ふかふかの布団で眠ることができた。

窓からの景色は、正面の左側に普通の山々の上に富士山が見えた。
富士山は、真っ白で、巨大で、見るからに、「私は、他の山とは別格」という風情で、神々しかった。

そして、眼下には、甲府盆地が一望できる。
うっすらとピンクの桃畑、ぶどうのビニールハウスなどが見えた。
部屋に、風景の説明の写真がついていたので、それを見ながら、「あそこが大菩薩峠、あそこが塩ノ山」などと楽しんだ。
塩ノ山は面白くて、甲府盆地の中に、ぼこっと盛り上がった山なのだ。
従兄弟に後で聞いたら、昔は、岩塩が取れたから、「塩ノ山」であり、その周辺が「塩山」(えんざん)という地名なのではとのことであった。

部屋からの景色も良かったが、同じ階のエレベーターホールの窓は、足元からガラスで、より大きく景色が見えるせいか、エレベーターホールの窓からの景色が一番きれいだった。

結構、良いお値段の宿泊であり、施設が新しくきれいだし、ホテルの従業員の人たちも皆感じが良く、露天風呂も常時入れるし、窓からの景色も良かったので、このホテルに大きな不満はなかったのだけれど、夕と朝の食事の時間と種類を予約しなくてはならないことが、どうも、私たちの動きに合わなかった。
(小さなホテルだから、しょうがないのかなという気もするが)

夕食は、和洋中華に鉄板焼きの中から選んで予約して、1,2Fにあるお店に食べに行くシステム。

夕食は、6時から、母のお勧めの懐石料理を食べた。
昼間、冷やしうどんを嫌やという程食べたから、お腹空いていないところに、ちまちまと沢山の種類の夕飯を食べて、美味しかったけれど、苦しかった。

食前酒、八寸、お椀、お造り、お凌ぎ、焼物、煮物、揚げ物、食事、汁物、香の物、水菓子、甘味、抹茶の順。
出汁もきっちりと引かれた昆布とかつおの味がきちんとした懐石だったが、お腹が空いていたら、もっと美味しいだろうにと思った。
3人ともお腹が一杯で苦しかったのか、全員、余り会話もせずに、黙々と、出てくるものをこなすという感じで、食事をしてしまった。(笑)
頑張ったが、最後は苦しくて、最後の方はちょっと残してしまった。

懐石料理のお店から、鉄板焼きのお店が見えたので、食べながら見ていたのだが、鉄板焼きも中々良さそうであった。

8時近くに食べ終わったが、お腹が苦しくて、そのまま、部屋で2時間くらい、眠ってしまった。

起きたところで、浴衣に丹前で、お風呂に行く。
お風呂は露天風呂で、朝も入ったが、とても気持ちが良かった。
毎日、朝晩、温泉に入っていたら、さぞかし、肌がきれいになるだろうなと思った。

翌朝は、富士山を見ながら露天風呂に入りたかったのだけれど、残念ながら、小雨で、富士山が見えなかった。

朝ご飯は、和洋から選ぶのだが、昨年母が泊まったときに、洋食の朝食はそんなに特にお勧めという程ではなかったとのことで、今回は、和食にしてみた。
これは、大正解で、久々の豪華な朝食に全員満足。
夕食は、それなりに美味しかったけれど、満足度は、お腹が適度に空いていた朝食の方が上だった。
ご飯にお味噌汁、煮物が里芋・ほうれん草・さやいんげん、鯖の干物の焼物・玉子焼き・わさび漬け、温泉玉子、焼き海苔、お漬物、それから、一人用の卓上コンロで、ベーコンと帆立の貝柱の焼物、これらは、本当に満足であった。

ご飯もお米が上質で炊き立ての感じだったし、お味噌汁も熱々、おかずが多いので、ご飯一膳では足りずに、お代わりしてしまった。

部屋に帰る途中、洋食のレストランの前でメニューを見たが、母の話よりは、良さそうなメニューであった。

「フルーツパーク富士屋ホテル」のページ←ここをクリック

フルーツパークや富士屋ホテル近辺のおみやげ物を覗いてわかったことがあった。
ワインなのだが、勝沼のぶどうの丘などで売っているワインのメーカーの物は、山梨市の売店では売っていないように見えた。
親戚に聞いたところ、ワインメーカーというのは、100以上あるし、山梨市にも勝沼にも沢山あるのだそうだ。
だから、山梨市の施設では、山梨市のメーカーのものを、勝沼では、勝沼のメーカーの物を売ることになるらしい。



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2002年04月14日(日)

長坂 1/2 清春白樺芸術の村の巨木の桜


さて、2日目の朝、午前10時に、甲府の叔母と従兄弟夫婦がワゴンカーでホテルまで迎えに来てくれた。
叔母とは結構会うが、従兄弟は会うのが○十年振り、従兄弟の奥さんとは、初対面であった。
ワゴンカーは、6〜7人乗れるタイプで、この自動車で案内してくれたことで、本当に助かった。

小雨がようやく上がったという天気の中、フルーツパークホテルから出発。
従兄弟や叔母に周囲の景色を解説してもらいながら、山を下って、普通の道に出て、甲府の郊外を通り甲府昭和インターまで行き、そこから、中央高速に入った。
何でも、甲府でも、郊外に、大型の小売店が大量にできて、以前栄えていた駅前のお店が皆地盤沈下しているとのこと。

中央高速は空いていて、快調に走っていった。
初対面のお嫁さんも明るくて、すぐに打ち解け、皆で、ワイワイ話しながらの楽しいドライブであった。
皆で話す話題が、「山梨県出身の有名人」のことに及ぶ。
やはり、一番人気は、サッカーの中田らしい。
中田は、この前まで、ただの甲府の目つきの悪い田舎の学生服の高校生だったのに、今ではあんなに格好が良くなって、人間、やはり、お金と環境で変るという結論に達した。

そうこう話しているうちに、長坂インターに着く。
中央高速を出て、中央線の長坂駅の近所を通って、翁に向った。
駅から翁まで、自動車で言っても、15分くらいかかるようだった。

しかし、どこからだったろうか、中央高速のある地点から、景色が変ったような気がした。
どういう言い方をすれば、正しいかわからないが、見える樹木が垢抜けてきたような気がしたのだ。
何か、すっきりしていた。
また、満開の桜が目に入って来るようになった。
決して北に進んだからではなく、後でよく考えたら、韮崎あたりから先は、段々標高が高くなって、高原地帯に入ったのかも知れない。
家に帰って来て地図を見たら、相当長野県に近いところで、諏訪湖までもうちょっとのところに来ていたのだ。
高原の木々は、皆、スマートで葉が細くて、緑色がきれいで、すっきりしている。
暖かい地域の木々は、その点、野太い感じなのかも知れない。
自動車の窓から眺める翁までの景色はとてもきれいだった。
偶然だが、標高の高いところに進んだため、今回は諦めていた桜の満開に遭遇できるかも知れないと期待ができた。

翁には、11時には着いたのだが、ここも予約で満員、従兄弟の奥さんが予約をしてきてくれたが、1時間以上待ちとのこと。
だったら、車でどこか他に見物に行こうということになったが、翁の近所に、「清春(きよはる)白樺芸術の村」という施設があるので、見ようということになった。
但し、いつもだったら、ここは、入場無料で、白樺派の絵画を見ることができるのだが、その日は、詩人の谷川俊太郎さん親子が来て、詩を朗読したり、お能だったか、狂言の舞台が予定されていたりで、有料とのこと。
お金払って入場しても、最後まで見る時間はないので、今回は、外からしかその施設を眺めなかった。

ただ、今回はラッキーなことに、この清春白樺芸術の村の桜が、殆ど散っていないで、満開だったのだ。
(それも、桜の殆どは、敷地の端の方にあったので、周囲を歩くだけで、間近に桜が堪能できた。)
いつもいい加減にしか桜見物しかしたことのない私だから、全然散っていない満開の桜の迫力に呆然、ちょっと気が遠くなりそうな美しさだった。
そのきれいさは、「もしかして、私が今まで見た桜の中で最高かも」とも思えた。

何でも、樹齢70年を越す桜の木が、群生していたのだ。
数は、50本とも言われているが、数えなかったのでわからない。
とにかく、幹が太いのだ。
で、ででで〜んと、良く言えばグラマラスな、悪く言えば、本当に太いウエストをくびれさせながら、立っている桜に見えた。
その太いウエストのくびれの迫力の凄さ....。

その思う存分太くて黒い幹から、枝を思うが侭に縦横無尽好き勝手に伸ばし、またその先には、沢山の花がこれでもかという量で咲いていた。
なんと言うか、本当に力強い桜だった。
昔の屏風に描かれた日本画でしか、見たことがない桜たちであった。
樹齢70年といえば、世間では、「うば桜」と言われるのではないかと思うが、そんなことはお構いなしに、樹齢70年でも、力強く華やかに生きているようだった。
(う〜ん、見習わねば)
この力強い桜に比べると、東京の桜って、モヤシっ子の都会っ子で、ただ、ヒョロヒョロしているように感じてしまう。

偶然とは言え、お蕎麦に惹かれて、八ヶ岳の高原地帯にある長坂に来てみたら、力強い桜の満開に遭遇できたのだ。
これは何とラッキーなことだろう。
今回の旅行で、桜を見ることは諦めていたが、思いもかけず、こんなに力強い桜を見ることができて、心から幸せだった。
勝沼と長坂は、中央高速を走れば、一時間の距離なのに、標高差があるから、「勝沼の桃の満開の季節=長坂の桜の満開の季節」なのだ。

後で山梨のガイドブックを見たら、「清春白樺芸術の村の桜は、山梨県随一の美しさ」と書いてあったが、その言葉に、嘘はないと思った。
本当に、きれいな桜であり、多くの人が見ることができたら、どんなに良いだろうと思った。

他にも、武田信玄縁の「清光寺」にも連れて行ってもらった。
こちらは、しだれ桜がきれいだった。



伸び伸びと咲いている樹齢70年以上の清春白樺芸術村の桜
このくらいの木が50本以上群生している姿は、本当に圧巻。
私が今まで見た桜の中で、ベスト1


清光寺のしだれ桜。
そそとして、力強い桜とはまた別の魅力が....。






2002年04月15日(月)

長坂 2/2 翁


清春白樺芸術の村から、山の方に5分くらい歩いて行くと、小高くなっている雑木林の中に、「翁」があった。

翁に行く道の途中、ある石碑を発見、読んでみると、「東京浅草の高橋総本店の会長高橋○○は」で始まっていた。
何だ、何だ、浅草の高橋総本店て、どう考えても、合羽橋のあの高橋総本店である。
何か、不思議だな〜、こんな合羽橋と全然関係ない土地に来てまで、合羽橋縁の物に遭遇してしまうなんて、やはり、私は、合羽橋に縁があるのだと、納得した。
何でも、高橋総本店の会長さんは、長坂の出身のようで、創立50周年を記念して、合羽橋のビルを新社屋にした他、故郷の温泉に、何かを作ったらしい。

で、話は翁に戻る。
翁の周囲には、駐車場が2つくらいあったが、どちらも、東京や横浜などの県外ナンバーの車で埋め尽くされていた。
山梨ナンバーは、全体の1〜2割というところか。
雑木林のここそこで、周囲の自然を楽しみながら、のんびり順番を待っている人たちがいた。

私たちが、長坂見物から戻ってくると、もう既に順番が来ていた。
だから、着いて、程なく呼ばれた。

お蕎麦は2種類しかなく、ごく普通のせいろ蕎麦と、後は、田舎蕎麦という太打ち。
皆、それぞれ、せいろを一枚ずつと、味見に田舎蕎麦を2枚取る。

ここのお店は、雑木林の中にあるから、お蕎麦を待っている間、窓から見える風景がこれまた、素敵であった。

さて、お目当てのお蕎麦が出てきて、皆で食べてみる。
結構、硬いお蕎麦で、蕎麦汁は、結構辛めであった。
翁って、一茶庵系統だから、蕎麦汁は甘めかと思っていたが、一茶庵系でも、辛い汁を出すところもあったのだという感じ。
でも、辛いと言っても、浅草の藪のような濃い醤油の味ではなかった。

お蕎麦、蕎麦汁、それぞれ美味しいことは美味しいけれど、何と言うか、両方が口に混ざり合ったときの完成度とか、マッチングは余り感じられなかった。
田舎蕎麦の太打ちの方は、蕎麦に、蕎麦の味が残っていて、こちらの方が美味しいかも知れない。
高橋名人が去った後、お店は、苦労しているのか。
是非、頑張って欲しい。

食べているとき、こういう空気も景色も全く汚れていないばかりか、開発されていない地域のお水は美味しいのではと頭に浮かんで、お店の人に、お水をコップ1杯もらって、飲んでみた。
東京の水道水より、断然素直ですっきりした味であった。

甲府の叔母の話によると、水道水で日本で一番美味しいのは、甲府の水道水で、長坂と変らないとのことであった。

総じて、お蕎麦の完成度は今一つのこのお店に行く価値がないかと言えば、やはり、周囲の環境込みなら、話の種に、一度は行く価値はあると思う。
特に、桜の季節に、5分離れたところの樹齢70年のうば桜さんたちの満開に合わせて、長坂にお蕎麦を食べに来れたら、それはそれは、絶対のお勧めである。


山梨県北巨摩郡長坂町中丸2205

長坂というのは、大手のデベロッパーなどがまだ入っていない地域で、リゾート開発なぞが行われておらず、自然が沢山残っている。
そこに価値があると思った。

また、従兄弟の車で街中を色々走り回ってもらったのだが、思いの外、商店街が長い地域であった。
(商店街というと、イメージは違う気もする。道路の両側に、たまたまお店があるという感じの地域)

昨日いた山梨市の駅前の商店街よりも相当長く商店が続いた通りがあり、お店の数が、山の中としては、意外に多い感じがした。
日曜日で閉まっているお店が多かったし、見た感じのどかな商店が多かったので、今は余り活発な町ではないのかも知れないが、あの商店の多さを見ると、ここは、ずっと昔、江戸時代から人の行き来が多くて、栄えた町なのかなと思った。
江戸時代なぞは、宿場町だったのだろうか?



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2002年04月16日(火)

新府 桃源郷と和菓子と沢庵


昨日の勝沼・一宮では、「桃はすごい、花がきれいなだけなく、実も大きくて美味しいし、本当に桃は偉い。その点、桜は、花だけではないの!」と、すっかり、桃が株を上げ、桜がへこんでいたが、この日の長坂の桜で、また、桜が優勢に立った。
桃の欠点は、桃の花を見ながら、実を味わえないことである。(当たり前か?)

お蕎麦も食べ終わり、次の目的地である叔母の家近くの甲府の山梨県立美術館に向うことになった。
帰りは、中央線の脇を通る旧甲州街道を通ってくれた。
ちょうどその頃から、太陽が顔を出し、今までの「標高の高いところの曇った空の下にいた」から、「明るい平地に降りてきた」という感じになった。
高原から降りてみて、もしかして、長坂の桜のきれいさを支えているのは、高原特有のひんやりしたきれいな空気の存在ではないかと、改めて思った。

旧甲州街道は、行き交う自動車も少なく、うららかな農村地帯で、良いところ。
程なく行くと、また、桃が爛漫に咲いている地帯になった。
叔母によると、ここは、「新府」というところで、山梨県の中では一番上等で大きな桃が取れる場所とのこと。
何でも、ここの桃は高級なので、山梨県内には出回らないで、全て東京に出荷されるらしい。
桃は、昨日のタクシーの運転手さんも「一宮が一番」と言っていたし、私もそう思っていたら、上には上があるようだった。
今度、桃の季節には、「新府の桃」を東京で探してみようっと。

ここの桃の木は、旧甲州街道という2車線くらいの道を挟んで、両側の平らな土地に、何列にも花を咲かせていた。
一宮の桃に比べて、木が大きかった。(桃の実も大きいので有名らしい。)
一宮の桃は、なだらかな山の斜面の桃だったが、ここの桃は、平野に広がる桃であった。
ちょうど新府では、花が満開のときで、この満開の花を見ると、昨日の一宮の桃は、1,2日満開を過ぎていたのかもとも思った。

それにしても、桃→桜だけでも、大満足なのに、またまた、大満開の、昨日の桃とはまたちょっと違った趣の桃の花に、再び出会えるなんて、この旅行は、本当にすご〜いと思った。
きっと、叔母達が、新府の桃も見せたいと、予め、帰り道を考えていてくれたのだと思う、感謝。

天気もすっきり晴れたし、車を止めて、皆で、しばしの間、桃の木を見物しようということになった。

新府の桃畑というのは、地元では有名なのだろうか?
満開の桃の木の元、地元の和菓子屋さんがテントを張って、色々な和菓子を売っていた。
(やはり、「花より団子」かな?「花には団子」かも知れない。)
母が、叔母に、草餅を買ってもらっていた。
(母が言うには、こういうところで売っている草餅は、本物のよもぎを使っている可能性が高くて、美味しいのだそうだ)
私は、桃見物にちょっと疲れたときに、そのテントの和菓子屋さんを見たら、串に刺したお団子が目に入った。
棒に刺さったお団子だったら、手が汚くても食べられるので、人数分買って、皆に配ろうと考えた。
草餅にあんがまぶしてあったものと、普通の団子生地に枝豆のあんがまぶしてあったものを3本ずつ買ったら、何と、売り子のおじさんが、「これ、おまけ」と言って、沢庵を切ったものが入ったパックをくれた。
これが結構量があったし、親切に、楊枝がついていた。

従兄弟のお嫁さんが、「お団子を買うと、沢庵がおまけなんて、気が利いている。後はお茶だけ」と言ったが、本当だ。
何か、お団子と沢庵の組み合わせは、のどかな田舎の縁側でおやつを食べるような感じを思い出させてくれる。

残念ながら、皆、お蕎麦屋のお蕎麦でお腹が良くて、お団子には手が伸びなかったが、おまけの沢庵は、家に帰って食べたら、とても美味しかった。
その沢庵は、黄色く漬ける前の塩漬けの段階の物に鰹節をまぶしたもののようだった。(お団子は、甥たちが食べた)

何かいいよね、桃が満開の畑の中で、結構ちゃんとした和菓子を売っている和菓子屋さんが、沢庵つけてくれるなんて、いいな〜、気取っていなくて、うららか、のどかで。



一宮の桃に比べて、健康児といおうか、伸び伸びとした新府の桃の木
この木が何百と咲いていて、本当にきれい!





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2002年04月17日(水)

甲府 山梨県立美術館


山梨県立美術館ができたのは、14,5年前で、山梨県が、世界的名画と言われるミレーの絵を買ったことで、話題になったことを覚えている。
叔母一家は、その近所に住んでいて、美術館がとても良いところという話は聞いていたが、行ったことはなかった。

着いてみると、敷地が広くて、駐車場も庭も広々していた。
叔母の話によると、庭の小高いところのてっぺんに上ると、四方に山が見えてきれいだそうだ。
叔母は、毎日、家から10分の距離のこの美術館の庭を1時間くらい散歩するそうだ。
羨ましい〜。

ちょうど新緑のきれいな季節で、ここは新緑の美しい木ばかりを集めたのか、本当に緑がきれいだった。
高い木ばかりではなく、噴水のある池、三角錐の形に切り込んだ植木、色々な時代の彫刻が飾ってあり、とても、素敵。
桃や桜とまた違う趣の「緑色の春」を味わうことができた。
こんなに広々してきれいな公園が東京にもあったらなと思うが、東京にこういうものができても、すぐに、人々で一杯になってしまうような気がした。

広い敷地の殆どは、素敵な公園で、その中に、美術館と文学館があった。
両方とも、14,5年前だから、バブル末期か、バブル時代に設計されたまま建設されたものなのか、両方とも、とても天井が高くて、豪華な造りである。

その日は時間がないので、美術館だけ見た。
常設展は、時々、作品が入れ替わるようである。
私が見たときは、山梨に縁のある日本の画家や、ミレーと同じ時代の外国の作家の作品が展示されていた。

私が気に入ったのは、明治・大正時代の日本の浮世絵の作家の作品。
この時代の浮世絵の作家の作品は余り見たことがなかったが、この美術館の作品を見ると、どうして、どうして、江戸時代の真似ではなく、自分の感じた独自の美の世界を描いたもののように見えた。
(ターナーの絵も素敵であった。)

でもね、この県立美術館は、本当にお庭がお勧め。

この後、叔母の家に行って、叔父に会い、一休みさせてもらい、親戚との楽しいひと時を過ごさせてもらった。

叔母たちは、敷地に、自分たちの家と長男の家を建て、スープの冷めない距離で、楽しそうに暮らしていた。
叔父は、昔から熱中できる趣味を持っている人で、小さい時、叔母の家に行ったら、さぼてんのコレクションが凄かったのを覚えているが、今は、山梨関係の古書の収集がすごかった。
部屋を2,3つぶすくらい、蔵書があるそうだ。

だから、山梨のことを説明してくれる言葉の端々に、「山梨をちゃんと研究した人ならではの知識」が感じられた。
その内、テレビのお宝探偵団が甲府に行ったら、出演できるかもと思った。

叔母が長年習って作った素敵なフラワーアレンジメントの花も飾ってあり、「それぞれに趣味を持って、楽しそうに暮らしていて、いいな」という感じであった。

叔父が、家の前の木に、食べ残しのリンゴを枝の間に挟んでおいたとのことで、東京では見たことのない鳥が2匹、食べに来たのが、窓から見えた。

甲府は、都会的暮らしができるし、東京にも、高原にも近くて1〜2時間で行けて、とても良い地域だと思った。

「山梨県立美術館」のページ←ここをクリック

このページには、庭のことが書いていない。



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2002年04月18日(木)

山梨一泊旅行 まとめ


叔母たちに、甲府の駅まで送ってもらい、「東京にも来てね、案内するから」と言って別れたが、私に叔母たちがしてくれたように東京が案内できるだろうか?と思えるくらい、本当に1日良くしてもらった。

帰りの電車まで1時間近くあったので、母たちと別れて、山交というデパートに行った。
地下の野菜売り場に行った。
いつも、母の下部町の親戚に行った帰り、時間があるときは、乗り換えの甲府の山交の地下で野菜を買って帰るのだ。
で、見たのだが、「茨城産」とか、「群馬産」の野菜ばかりで、地元山梨の野菜はないようなので、買うのを止めた。

その後、この楽しかった2日間、途中で、山梨県のガイドブックが欲しくなったのだが、ホテルなどで売っていなかったので、本売り場に走って、一冊を選んだ。

で、帰りの電車が動き出す。
行きは、勝沼で降りてしまったのでわからなかったが、甲府と勝沼の間は、中央線も桃の花を間を通るようで、結構長い間、車窓から、桃の花を改めて、楽しむことができた。

窓から見える桃の花に気を奪われながらも、遅まきながら買った山梨のガイドブックを広げて、皆で、楽しかった旅行の復習をした。
地図をこの2日間で移動した順路で追ってみたり、行った場所の解説を読んだりした。
行く前にガイドブックを見るより、一度行った後、ガイドブックを見た方が頭に入ると思う。

でも、ガイドブックというのは、結構一面しか書いていないと思った。
どういう基準で、店や場所を載せているのだろう。
私が行って良かったと思う「グレイスワイン」はワインの紹介だけ、「新府」についての特別の記事はなかった。
何か、ガイドブックを見ていたら、ガイドブックに大きく取り上げられている場所だけがいいのかというと、当たり外れがあるような気がするし、やはり、旅行というのは、ガイドブックだけを頼らずに、色々な人から情報を得て、自分の足で、色々歩いてみなくてはわからないものだと思った。

それにしても、今回の旅行は、本当に当たった。
例年なら満開という時期にホテルが取れなくて、予想では満開には早い時期だったのだが、今年は暖冬だったから、早かったことが大当たりであったし、甲府の叔母一家が大歓迎してくれて、1日中、私たちが楽しいように、心残りがないようにと、心を込めて案内してくれたおかげで、沢山の思いもつかないようなきれいな物と叔母たちの温かい心に沢山巡り合えた。
10年分くらいの桜と桃をいっぺんに見た感じ。
清春白樺芸術の村の桜も、最高の桜だったけれど、この今回の一泊旅行自体、私が今まで旅した旅行の中で、最高に充実した旅であった気がする。

山梨旅行は、無事、新宿駅に降り立ったときに、思わず、「東京の空気って、本当に汚い」という言葉が、思わず口から出て、終わった。(笑)



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2002年04月19日(金)

山梨旅行 みやげ


みやげの評価を。

ベストスリー

ぶどう液
旅行に行った3人は、それぞれ自分用に、母が赤の普通の甘さ、私が赤の甘さ抑え目タイプ、妹が白の糖分が入っていない物を買ったが、一番評価が高かったのが、ごく普通の甘さのものだ。
ぶどう液は、濃いから、一度に沢山飲むことはなく、100CC程度飲めば満足感があるので、普通の甘さのものでも、糖分取り過ぎることもないので、ごく普通の甘さの赤がよいと思った。
甥たちに一番人気であった。(今度からは、甥たちのおみやげに買ってきて欲しいそうだ)

面白かったのは、私がぶどう液を開けてから、要冷蔵なのに、10日くらい、室温に置いておいたのだ。(わざとではなく、しまうのを忘れていたのだ)
そうしたら、10日目くらいに飲もうと、栓をひねったら、シュワシュワシュワッ〜と音がして、炭酸が噴出した。
何だか、ただのぶどう液がぶどうソーダになってしまったようだった。
恐るべきは、自然の力である。
ちょっと酸っぱくなったけれど、そのソーダは美味しく飲めた。
あのまま、ずっと室温に置いておいたら、ワインになったのだろうか、酢になったのだろうか、興味のあるところだったが、勿体ないので、冷蔵庫に入れて、それ以上酸化が進まないようにした。

草餅
新府で買った草餅は、我が家で、超人気であった。
「いつものとは違う」「噛むと、もちっとした感触がして美味しい」なぞという評価であった。
甥たちが草餅の殆どを食べ尽くしてしまったが、この子たち、本物の味がわかるのねと株を上げた。

信玄餅
これは、甥たちの好物で、いつも評判が良い。
今や、山梨のお土産の定番である。

評判が悪かったものは、煮貝。
山梨名物といわれる煮貝を、私が食べたことがないと言ったら、母が買ってくれたのだ。
買う際に見たら、オーストラリア産とフィリピン産があって、オーストラリア産の方が高い。
これは、どうも、あわびの大きさで、値段が違うようだった。
母が小粒のフィリピン産を買ってくれて、家で食べてみたが、どうも美味しくなかった。
煮貝が山梨名物なぞと言われていた時代には、静岡あたりから運んできたアワビで作ったのだろうし、今の時代、それは高価過ぎて、作っていないのだろう。
煮貝は、私としては、余りお勧めではない。



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2002年04月20日(土)

上野の山の「花村」


この前の日曜日、ケーキ教室の人たちと、上野の山の花村に行った。

花村は、辻留で修行した後、鎌倉に開いたお店を、どういうわけか、上野の山に移転してきたとのこと。
上野には、本格的懐石の店がないことから、皆で行ってみようということになった。

お昼は、1800円のお弁当と、懐石のコースは、3千円、5千円。
実は、皆が満足できる水準というのが、和食ほど違うものもないので、真中の3千円くらいが無難ということになって、3千円で予約した。

上野駅の公園口で11:40に待ち合わせて、総勢11人で、食べに行ったのだ。
全員初めてのお店であった。

お店の前は良く通っていたが、ドアを開けてみると、そこは、入口のところに4人用の席が2つ、奥に入ると、料理場の前にカウンターが5〜6席、カウンターの先が、靴を脱いで上がる畳になっていて、そこに4人用のテーブルが2つ、計22人のお店であった。

私たちは、お店の構造もわからず、予約したのだが、まとまって食べようと思ったら、8名が最適かも知れない。
今回は、座敷になっているところに8名、カウンターに3名となったが、席が近かったので、分離された感じはなかったが、話しにくいことは話し難かった。

お店は、清潔で素敵な中に家庭的な感じがあった。
作るのは、花村さんで、給仕や助手を奥さんともう1人の女性で、頑張っている感じ。
一人の料理人で、一時に作れる料理は20人前と聞いたことがあるが、本当に店の作りといい、花村さん一人で頑張れるように設計してあると思った。

料理は、一言で言って、とても美味しかった。
何せ、3千円だから、びっくりするようなとか、高価な珍味は出てこなかったが、季節の素材を活かしたお料理ばかりで、目にもきれいだし、腕も確かだし、料理法で珍しい物が出たので、皆、満足であった。



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2002年04月21日(日)

上野の山の花村 2/2


ここの懐石は、まず、お茶から始まるようであった。
出てきたお茶を飲むと、いぶしたか、煙のような香りと味がした。
うえ〜、変な味!というのが、最初の率直な感想。
でも、何度か口に運んだら、舌と鼻が慣れたのか、違和感なく飲めるようになったから、不思議。
これは、京都特有のお茶で、いり番茶というものらしい。
店に、一保堂の説明書きが置いてあった。

その後は、実は、もう10日以上前に食べに行ったので、順序なぞは定かではないので、覚えている限りを書く。

さて、料理は、食前酒の梅酒で始まり、八寸が出てきた。
八寸は、イカ、海老などの魚介類と、卵、季節の野菜、山菜なぞがきれいに盛られて、目にも美しかったし、量的にも適量であった。
汁は、真っ白いものが出てきた。
誰かがお店の人に聞いたら、お豆腐をミキサーにかけた後、裏ごししたものを汁で伸ばしたものだそうだ。
これは考えつきそうで考えつかない料理で、初めてだったけれど、美味しかった。
余り、かつおなぞの出汁の味はしないで、お豆腐の味で食べさせる汁だから、そもそものお豆腐が良質でないと美味しくないだろう、家庭で真似するのは、無理かな?

他に、何かの胡麻よごし(忘れてしまった)、鯛のお刺身、大振りの筍と若布の煮物、筍ご飯が出た。
どれもこれも、美味しかった。
筍ご飯は、先に食べ終わった人に、お代わりを聞いてくれた。
最後は、小玉のすいかが出て、終わり。

皆、これで、3千円、安い、安いと、大満足であった。

食べ終わった後、ご主人が皆に話し掛けてくれて、実は、花村さんは、暮らしの手帖の偶数号に、料理を紹介しているとのこと。
私たちが、ケーキ教室の先生と生徒だとわかると、料理を色々教えてくれた。
八寸の中に、小さな器に入った鰹節の粉和えがあったのだが、それは実は、蕗の葉を刻んで、茹でこぼしてから、お酒や醤油で、煮たものなのだそうだ。
そして、まぶしてあるかつお節は、毎日、かつお節を削っているので、その時に出た粉を溜めたり、足りなかったら、削ったかつお節を炒ってから粉にしているのだと、粉の溜まった瓶を見せてくださった。
皆、にわか料理教室にも大満足。

このお店の価値は、もしかしたら、小さいところなのだと思う。
美味しいと言われる料理屋さんは、ご主人の名前だけで、実は、別の人が作っていることが多い。
これで、当たればいいけれど、外れることも多い。
でも、このお店は、確実に、花村さんが、確実な腕と知識で作った料理が出る。

上野界隈では、やはり、トップの懐石の店だと思う。

花村

住所:東京都台東区上野桜木1−10−26
電話:03−3828−9800
   0120−31−1877
営業時間: 12:00〜14:00
      17:30〜20:30頃まで
休業日: 月曜日と料理出張日
お値段: 昼  季節のご飯膳  1800円
        懐石膳     3千円、5千円
     夜  懐石膳     5千円、8千円

場所は、わかりにくいかも知れない。
桃林堂の横の道を入って、不忍通りに向って、すぐ左側。

ふらっと言っても、少人数なら入れる可能性はなくはないが、予約した方が無難。



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2002年04月22日(月)

学級委員


この4月に、甥1が学級委員になった。

私は、学級委員になったことはないし、甥たちが学級委員になる、ならないについて、全く関心はなかったのだが、実は、甥1が学級委員になったことについては、ちょっと感慨があった。

甥1が4年生のときだったか、夜におばあちゃんの家に来て、いつものように、おばあちゃんの布団に寝転びながらテレビを見始めたのだが、何か、いつもより、だるそうな、みなの間に入りたくないような雰囲気であった。

ぼつ、ぼつっと語るところによると、お昼に学校で、学級委員選出があったそうなのだ。
甥1の席の近所の子が、「森くん、学級委員になったら?」と話し掛けたので、恥ずかしかったので、「え、いいよ」と言ったのだそうだ。
そうしたら、本当になりたくないから発した言葉だと思われたらしく、実際に、「学級委員に推薦したい人がいますか?」と先生が言った後には、甥1の名前は挙がらず、どんどん、他の人の名前が挙がって、結局他の人に決まったそうだ。

おばちゃんが見るところによると、甥1が照れて「いいよ、ぼく」と言ったけれど、それは照れ隠しだったのに、本当は、誰かが推薦してくれたら、学級委員やってもいいなと思っていたのに、自分が照れから発した一言で、事態は、全然自分の思っていたのと反対の方向にあれよあれよという間に進んでしまったのに、ショックを受けたようだ。
また、他の女の子も、学級委員の選出が終わった後に、「私、甥1くんがなると思っていたのに」と言ったとのことであり、色々な人にとって、甥1の名前すら挙がらなかったことは意外なことだったらしい。

そのとき、「また、チャンスがあるよ」とか言って慰めたのかも知れない。

で、おばちゃんが見るところによると、甥1は、この日から、口数が減って、変におちゃらけなくなった。
甥1が、自分の一言で、思いもしない状況になって、自分の思惑はぐっと諦めなくてはいけないという大人っぽい経験を初めて味わった日かも知れない。
甥1が無口になったことで、傍のおばちゃんは、「本当にこの子は、ショックを受けた」ことが感じられて、心を痛めていた。

その次の学期の初めには、甥2が学級委員になって帰って来た。
「誰かが推薦してくれたの?」と聞くと、甥2は、「う〜ん、先生が『学級委員になりたい人?』と言うから、手を挙げたの。で、なりたい人が沢山いたので、じゃんけんしたら、僕が勝ったの!」と、天真爛漫なクラスで、天真爛漫に学級委員になったらしい。

そのときも、甥1は、嬉しそうな甥2の様子に、無関心を装っていたような気がする。
その後、ず〜っと、甥1の無口が変ることはなかった。

でも、とうとう、今回、甥1は、本当はやってみたかった学級委員に、他の人の推薦でなれたそうで、本当に良かった。
どうも、我が家の近所に住む同級生の男の子が、甥1を推薦してくれたそうだ。

それを聞いて、「何ていい子なの!今度会ったら、チューしてあげる!」と言ったが、セクハラになるし、顔見知りとは言え、向うからやってきた友だちのおばさんが、本人にはそれなりの理由があるとは言え、急に道端で、「有難う!」と言いながら、頬っぺたにチューしてきたら、怖がるのは、見えているから、やめておこう。(笑)
その後、何度か、その男の子と、道で会うことがあったのだが、私はその子を見ると、とてもニコニコして、心からの挨拶を送ってしまう。



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2002年04月23日(火)

五目並べ


甥2が囲碁クラブに入ったそうで、最近、おばあさんちにくつろぎに来るのに、碁の道具を持って来るようになった。

ある晩、甥2がやりたがらないので、甥1が、「まり、五目並べやろう?」と言ったので、付き合ってあげた。
勝負は、私の5勝1敗で終わった。

それを見ていた甥2が、「お兄ちゃんに1敗するなんて、まりは、自分にも勝機がある相手だ」と踏んだようで、「まり、今度は僕とやろう?」と言う。
でも、その気持ちを鋭く感じた私は、甥2に、「もしかして、あなたは、私のこと、馬鹿だと思っている?」と聞いたら、素直に、「うん」と答えた。(笑)

え〜、あんたたち、私は今はパートしてご飯作っているけれど、18歳時点では、あんたのお父さんやみんみんより、難しい大学受かったんだよ、知らないの〜?
どうも、甥たちは、私の過去なんかどうでも良いみたいで、お父さんは高校の先生だし、みんみんは、いつも、「あの子は、普通では絶対入れないアメリカの大学院を出ている」と言われているものだから、どうも、私が、ペケみたいなのだ。(笑)
(その他、あのお兄ちゃんに、一回でも負けるなんて、絶対だめな奴と思われたようだ。(笑)→甥1も、自分が一回勝てたことにより、「まりは、僕に一敗するなんて、本当は強くない」と思い込んでいるみたい。(笑))

で、その日の甥2との勝負は、私の2勝で終わった。

また、2,3日して、勝負を挑まれたが、やはり、私の6勝1敗だった。

甥2は、私の強さに感服して、今度から師匠と呼んでくれることになった。

それを見ていた妹が、「亀の甲より、年の功」と古臭い格言を呟く。
今度は、みんみんとやったらと言うが、妹は、昼間仕事で頭脳を使っているので、夜にゲームをやりたいと思わないそうなのだ。

私は、小さい時、弟、おじさん、従兄弟たちとしょっちゅう五目並べをやっていたから、本当に年の功というか、小さいときの経験で勝てるのだ。(ま、10才の子供に勝てるのは、自慢できることではないが。)

今は、甥2に、「ほら、34を作ることを考えて、相手に34を作らせないようにすれば勝てるわよ」と教えながら、五目並べを教えている。
(甥2は、34を作ることも知らないで、私に勝てると思っていたというところが、子供っぽくて可愛い。)
後、なるべく、碁盤に並んでいる碁石を離れてみて、全体を見ることを教えなくては。(全体を見るのに、大人の方が座高が高いから有利な気がする。)

互角の勝負になるのに、そんなに時間はかからないと思う。



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2002年04月24日(水)

根津神社のつつじ祭り


4月半ばから、家の用で、根津界隈をうろちょろする機会が増えた。
ちょうどその頃から、つつじの季節。
2度根津神社を通ってみたが、つつじの量が凄いのだ。

一度目は、三分咲き、二度目は、5〜7分咲きという感じであった。
どうも、根津近辺の不忍通りというのは、馬の背の反対で、谷沿いの道であり、そこから、両側が小高くなっている。(東側の山は、上野の山)
根津神社は、谷の上野の山の反対側の部分にあって、神社のすぐ裏手が小高くなっており、その急斜面一面につつじを植えてある。
目の前に、どどっとつつじの赤が迫ってきて、確かに有名なだけはある、すごいと思った。
どどっという赤いつつじを見るのは無料だが、その中を歩くには、200円かかるようだ。
ま、これだけのつつじを保持するには、お金もかかるのだろう。

今まで、山手線駒込駅のつつじが立派だと思っていたが、規模が違った。

また、つつじが咲いただけで、何でお祭りかと思ったが、境内に出ている沢山の屋台と見物客の多さを見ると、確かに「お祭り」のイメージであった。
つつじで、こんなに人が集まるものだとは、想像もしていなかった。
毎年、根津神社のつつじの開花を楽しみにしている人も多いのだろう。

また、周囲の商店も、張り切っているし、屋台ではない露天のお店も、道に商品を広げていた。(それが、上野の酒悦だったりして)
初めて、根津神社のつつじ祭りに接してみたら、結構規模が大きいので、びっくりした。

もし、元気だったら、「上野駅公園口を出て、東京国立博物館→芸大→不忍通りに出て、根津方面に歩く→大名時計博物館の近くの坂を降りる→根津神社到着」が、お勧めコース。

大名時計博物館あたりは、道が狭くて、自動車が入り難い地域で古い建物が沢山残っているし、風情があって、歩いていて楽しい。
このあたりは、観光客も余りいないし、ゆっくり散歩が楽しめる。

「根津神社」のページ←ここをクリック



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2002年04月25日(木)

宇多田ヒカルのビデオクリップ


最近、テレビで、宇多田ヒカルの新曲のビデオクリップを何度か見た。

実は、一番最初に自分の部屋で一人で見たときに、驚いたのだ。
マンションの台所と思われるところで、宇多田ヒカルが皿洗いしながら、新曲を歌っている画面が流れた。
その皿洗いのやり方が「え!」と思われるような洗い方だった。

「どんなときでも、どんなときでも〜」と歌いながら、洗剤のついたスポンジで、お皿の料理を盛る方しか、洗わないのだ。
で、たまに、お皿の裏側の底だけちょっと洗ったりして、ゆすぐときも、表側だけゆすいでいた。

あれじゃあ、きれいにならない、そもそも、ビデオを作るには、大人の製作者スタッフがいる筈なのに、その人たちも、あの洗い方をひどいと思わなかったのかと思うと、日本の行く末が、心配になった。

あのビデオは、普通の家庭的な女の子の日常を描こうという主旨だと思うが、ある一定年齢以上の人や家事をこなしている人から見ると、「全然、皿洗いをしたことのない子が、皿洗いをしている」様子に見えてしまう。

2度目は、家族が一緒だったので、「あれ、ひどいと思わない!」と色々欠点を指摘しながら見たら、小学生の甥たちまでもが、「あれはひどい」と言っていたし、3度目も、家族全員で観たのだが、甥たちは、けらけら笑いながら見るようになった。(どうも、あれではどうしてお皿がきれいにならないかという観点で見ると、とても面白いビデオなのだ。)
甥2は、「僕の方が、皿洗いうまいよ」とまで、言っていた。

こう書くと、私が、宇多田ヒカル及びそのスタッフの衛生観念について、ひどいと思っているように思えるだろうが、そうではないのだ。
「最近、女性が家事をしなくなった、ご飯を作らなくなった」と言われているが、あのビデオがそれを象徴するものに見えてしまうのだ。
家で、プライベートでどんな皿の洗い方をしても、私も丁寧ではないから、人のことを言うつもりはない。
ただ、公の、多くの人が見るテレビで、当たり前のように、あのひどい洗い方が放映されることには、本当にびっくりした。

皿をきれいに洗うって、習うということもあるけれど、回数をこなせば、自然に身につくことだと思う。
でも、宇多田ヒカルもそのスタッフも、皿洗いの経験が殆どない人ばかりのように見えて、「本当に、最近の女性は、皿洗いをしないのだ」と思えてしまうのだ。

10〜20年前のテレビに映される「皿洗いの場面」は、どんな人が作っても、もっと丁寧に洗うシーンができたと思う。
(その時代でも、それを見た私のような年寄りは、「もっと丁寧に」と思うと思うが)

ま、あれは、「皿洗いのやり方」をレクチャーしようとするビデオではないのだからとか、若い人は気にならないという意見もあったけれど、やはり、私は気になってしまう。

やはり、日本全体、家事をやらない人、自動皿洗い機で皿を洗う人が増えて、手で洗った場合、どうすれば、次に使える程度に仕上げられるか、知らない人が増えたというのも、本当だと思う。



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2002年04月26日(金)

甥2の五目並べ その後


甥2は、先日、甥2より五目並べの強い私のことを、「師匠」と呼んでくれると約束したが、実は、その後ろには、野心が潜んでいたことがわかった。(笑)
甥2は、「まりのことを師匠と呼ぶ」と言ったときに、心の中で、「すぐに、僕のことを師匠と呼ぶようにさせてやる」と思ったそうだ。(笑)

そして、その後、自分のお父さんに相手されたりして、以前より、素早く私の置く石に対して、防御するようになった。
おかげで、全然、お互いに5が作れなくて、引き分けになるようになった。
甥2は、それにすごく満足。
「前より、強くなったでしょう?」とご満悦なのだ。
引き分けでも何でも、自分が負けなくなったのが、嬉しいみたい。

でも、この前まで狭い将棋磐で勝負したから、互角まで行ったけれど、広い囲碁磐になったら、やはり、彼は負ける。
でも、これって、まだ、広い範囲に目が届かないということなのだろう。
それでも、練習していないと、いつまで経っても広い範囲を読めなくなってしまうだろうから、負け続けても練習しないとね。(その根性があるかどうか、心配)
考えてみれば、遠くから、碁盤全体を見ろ、見ろと言っているけれど、碁盤全体を4つくらいに分けて、自分の手と相手の手で、目がくっついているところを重点的に見ろというのが正しいかも知れない。
早期にうまくなるように教えるというのも、結構難しい。

その他、わかったのは、贔屓である横浜ベイスターズが勝っていて、テレビで放映される日は、忙しいので、五目並べはお休みになることだ。(負けていると試合を挑んでくる。)



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2002年04月27日(日)

ホームレス


私が住んでいる台東区は、上野の山や隅田川公園を初め、ホームレスの人がいる地域だ。
我が家の周囲でも、たまに見かけることがある。
でも、私の知る限り、口を聞くこともないし、騒動が起きることもないし、お互い、住み分けていると思っている。

台東区の図書館だと、閲覧室で、ホームレスかなと思う人もいたりするが、ちょっと都心から離れた区立の図書館に行ったとき、「服装の汚い方の入場はお断りいたします」という張り紙を見たことがあって、区によって、ホームレスの人への対応が違うのだなと思ったこともあった。
台東区は、どちらかというと、心が広い区だと思う。

ホームレスの人を見ることはあっても、口をきくことはなかった私だが、、この前、その候補者とおぼしき人との接触を経験した。

母達とお墓参りに行くためのバスの乗り換えで、大塚車庫前のベンチに座っていたら、私の隣に、中年のジャンパー姿の2人男の人が座った。
別に、とてもきれいという程でもなかったが、髪の毛は普通程度の汚れ方だったし、血色も良く、汚くはなく、普通のブルーカラーの人かな程度にしか感じなかった。
私のすぐ横に座った人が、「奥さん!」と私に話し掛けた。
バス停で知らない男の人に話し掛けられることは少ないし、ちょっとビクっとしたけれど、怖がったり、嫌っている風に感じられたら、怖いので、普通に応対した。

質問は、「ここのバス停から上野までどのくらい停留所があるか?」という質問であった。
確かには覚えていないけれど、確か、10個くらいあると思うと答えると、相棒に、「後、10個だとよ」と、伝えていた。
「歩いたら、どのくらいかかるのか」とも聞かれたので、「1時間程度」とも答えた。

その後、結構にこにこしながら、「今まで、競輪の京王閣から、横浜までも歩いたことがあるんだ、競輪やってよ〜、すったから、しょうがなかったんだ」とのこと。(これは、私の地理の知識の範囲外だから、それがどの程度大変なことか、ピンと来なかったので、「そうですか?」程度に相槌を打った。)

「後ね、俺って、故郷が秩父だから、池袋から秩父までも歩いたことがあるんだ」とのこと。
これは、地理感覚があるので、「それはすごいですね、1日くらいかかります?」と聞くと、「いや、1日では無理、二日かかった。でも、お金がなかったから、歩くしかなかったんだ」と、にこにこ答えた。

ちょっと、間があって、そうだ、この人たちは、上野に行くのに、大塚方面行きのバス停にいるのだということに気付いて、「上野方面に行くなら、通りの反対側の停留所の方ですよ」と教えた。
そうすると、「うん、大丈夫だよ、だって、お金ないから、歩いて行くから、こっちの方にいても大丈夫」と答えた。
そのとき、私は、にこにこしながらも、全然裕福そうではない男の人に話し掛けられたことで、緊張していたのか、「そうなんですか?大変ですね」程度にしか、受け答えができなかった。

ちょっと離れた歩道に、いかにもこれから遊びに行くという親子連れがいたのだが、その人がその親子連れを見て、「今日は連休だし、皆、遊びに行くのかな?奥さん達もこれから遊びに行くの?」と聞いた。
うう〜ん、私たちは、これから、お墓参りに行くのです、お墓はここをもうちょっと行ったところなのだけれど、ここでバスを乗り換えないといけないのです、と、私が言う。
その人たちは、池袋方面から来たのか、「あ〜、もうちょっと行ったところに、お墓あるね」と答えた。

少しして、相棒の男の人が「じゃ、出発しよう」と言って、二人とも立ち上がったので、「頑張ってくださいね」と見送った。

その二人がいなくなった後、私の反対側の隣に座っていた母と妹には、その人と私の会話が全然聞こえていなかったとのことで、何を話したか説明していくうちに、ふと、ある考えが頭に浮かんだ。
「お金がなくて、バスに乗れなくて、歩いて上野に行く人たち。もしかして、あの二人は、上野の山のホームレスになるために、上野に行くのかな?」と。
そうだよね、一人200円のお金がないということは、それしかないのだ、遊びや友だちに会いに上野に行くのではないのだ、何で、話している最中にそのことに気付かなかったのかと思った。

明るく話し掛けてきた人たちだけれど、実は、泣きたい気持ちで、「自分たちが実はこれからホームレスになるしかないのだ」って、誰かにわかって欲しいけれど、相手に怖がられたら通じないから、私に、怖がらないように少しずつそのことを訴えたのかも知れないと、気付いたのだ。

バス停のベンチに急に座ったから、頭からバスを待っている人と思ったけれど、実は、池袋の方から歩いてきて、途中途中のベンチで休みながら、上野に向っている人たちだったのだ。
もしかして、私たちも遊びに行く途中と答えたら、「いいな〜、俺なんか、ホームレスになりに行くんだよ。」と言えたかも知れない。
でも、私たちがお墓参りと聞いて、それが言えなかったのかも知れない。
ホームレスになるしかない人の気持ちって、友だち連れとは言え、どんなに淋しいことだろう。

多分、私に話し掛けて来た男の人が、人なつっこい性格で、にこにこ明るかったから、そして、煙草は吸っていたし、貧しそうには見えたけれど、そんなに汚れていなかったし、200円のお金もないような人たちには見えなかったから、そして、私が知らないおじさんに色々話し掛けられて緊張してしまったから、その気持ちに気付けなかったのかも知れない。

急に、あの男の人たちが、新参者として、上野の山に行って、ホームレス初心者として、古い人たちにいじめられないかと心配になってきた。

何か、ほんのちょっとの接触だったけれど、私には何もできないけれど、どうか、あの人たちが大きな嫌な目に合わないで、無事、生き延びて、また普通の生活ができるようになって欲しいと、別れてから思った。

何か、その人たちは、裕福には見えないけれど、決してホームレスになる人たちとも見えなかった、もしかして、普通の人とホームレスの差って、思ったより小さいのかも知れないと思う。
早く不況が終わって、ホームレスにならなくてはいけない人が減りますように。



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2002年04月28日(日)

その後の私のお弁当


私は、ついこの前まで、毎日お弁当を持って会社に通っていた。
今は、家がごたごたしているので、小休止。
そろそろ、また、お弁当を持って行こうかなと考えている。

で、この2か月近くの反省を。

お弁当の本を読んで、何か真似しようと思っていたが、時間がないから、本はぼーっと眺める程度にしか見ていない。
時間もなく、慣れないお弁当を作る、というと、偉そうだけれど、ただ、夕飯のおかずに、お弁当にも向きそうなものを入れておいて、それをラップして、お弁当箱に入れるだけ、という感じなのである。
(そうでないと、長続きしない。)

ご飯やおかずがないときは、朝食べるイギリスパンを二枚トーストして、冷まして、バターを塗り、ハムとレタスとか、前夜マヨネーズで和えたシーチキンなどを挟んで、2つに切って、ジップロックの角型に入れて持って行ったりしている。

その中で、結構、ヒットだと思えるのは、保冷剤の使い方。
これなんか、私のお弁当の本には載っていなかったけれど、お弁当の達人たちは、既にやっていることかも知れない。

お菓子屋さんんで、ケーキにつけてくれる小さな保冷剤を2,3個、凍らせておく。
(1個では、平にならない。)
それをラップに包んで、平らに、ジップロックコンテナ角型の大の底に敷く。
その上に、再度、ラップを敷いて、レタス、サラダ菜、胡瓜の切ったものや苺などを置くのだ。

そして、その上には、通常のご飯のおかずをラップや銀紙に包んだものを置いて蓋をして、おかずの部出来上がり。
(苺の上には、何も乗せない)
それから、ご飯は、一膳用のジップロック丸型に入れて行く。

私は、7時に保冷剤を冷凍庫から出して、お弁当を詰めるとして、5時間後の12時にお弁当を開けるのだが、保冷剤2〜3個は、まだ、冷たく、十分役目を果たしている。
持ち歩いている間に、お弁当箱が平になっているとは限らないので、野菜全部が全部保冷剤に接して、全部冷たいわけではないけれど、相当いい線行ったサラダが食べられるのだ。

また、上記のやり方では、野菜が少し潰れてしまう。
これを防ごうと思ったら、ジップロックコンテナーの大の底に、ラップを包んだ保冷剤を置いて、その上に、野菜と苺、そして、その上に、ジップロックコンテナーの中をはめ込んで、そこにおかずを並べて、蓋をしたら、良い。
でも、このやり方だと、物を入れる場所が広いので、全てを埋めるのが大変だという欠点がある。

ドレッシングは面倒なので、キューピーのお弁当用のマヨネーズを使っている。
苺には、ヨーグルトに付いてくるお砂糖を使い、使い終わったら、事務用の頭が黒いクリップで留めてある。

この野菜だって、昨晩のおかずで余ったものをラップに包んで冷蔵庫に入れておいたものだが、次の日のお昼くらいなら、冷やしておけば、十分美味しく食べられる。
お弁当というのは、煮てから常温に冷ましたものばかりが多いけれど、フレッシュな冷たいサラダや果物というのは、お弁当の中で、一番、ほっとする感じがしている。

このサラダの最大の欠点は、ジップロックコンテナー角型大が大きいので、会社に持って行く荷物が大きくなることである。
私は、今の通勤、全く満員電車に乗らないから、できる技かなとも思う。

また、私のお弁当なのだが、「きれいに並べる」ということは、たまにしかなくて、たいていは、全ておかずが、ラップでぐるぐるっと包んである。
見た目に全然きれいではないし、捨てるラップが多いというのも欠点かも知れない。(笑)

私が、見た目にもきれいで、資源に優しいお弁当を作るようなるには、もうちょっと、色々試行錯誤をしてからではないと、できないと思う。



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2002年04月29日(月)

豆腐の裏ごし


先日、上野の花村さんで、豆腐を裏ごししたもののお汁が出てきたので、真似をして、豚しゃぶの汁に、絹ごし豆腐の裏ごしを入れてみた。
ミキサーにお豆腐を入れて、粉々にしたものを水で伸ばしたのだ。

お鍋の初めはうまく行って、豆腐は全く分離しなかった。
しかし、鍋が熱くなって、沸騰したら、もうだめだった。
液体状だったどろどろのお豆腐の汁が、はっきり、水と分離して、豆腐の成分だけが凝固しだし、鍋の中は、粉々の豆腐の固体が沢山浮いている汚い鍋になってしまった。

もし、豆腐の裏ごしを熱いままで、汁にしたり、鍋にする場合は、沸騰させてはいけないことがわかった。(笑)



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2002年04月30日(火)

だし


甥2は、面白い。
この前、夕飯のときに、「お味噌汁の汁だけ、ちょっと飲ませて」というので、小皿に少し入れてあげた。

「美味しい?」と聞くと、「美味しいよ」と言う。
「でも、今日のは、お味噌が美味しいというのではなくて、お味噌と出汁がうまく合っている感じ。『お味噌が美味しい』というのは、あの黒いお味噌。
今日のは、お味噌自体は、そんなに美味しくない」とのことであった。

今日のお味噌は、おばちゃん手作りなんだけどな〜(できはよくないけれど)

我が家では、やはり、岡崎のまるや八丁ゴールドだけが、「お味噌」としての高い評価をもらえるようだ。(でも、今仕込んでいるのが成功すれば、来年は私のお味噌も高い評価をもらえるだろう)

この子に、「あんたんちのだし、給食のだし、色々飲むだろうけれど、まりのが一番美味しいでしょう?」というと、素直に、「うん」と言った。

甥1も、出汁には無関心なのだけれど、この前、汁がおいしくできたので、ちょっとだけ飲ませたのだが、甥1は、美味しいでも、不味いでもないのだけれど、独り言のように、「うん?これは何の味だ、かつお節だな」とか、言っていた。
甥1は、その味を楽しむと言うほどは、出汁に興味ないようだが、一応、本枯れ節の出汁を飲ませれば、それはかつお節だと言うようになったことは、評価すべきだと思った。(教育の評価)



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