■俳句の通釈:「た」行
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■中学受験での入試問題や模試、教材等でよく扱われる俳句・短歌の通釈を掲載しています。
・俳句・短歌トップページ
・ 『月の異名(古称)』・『旧暦と新暦』
・ 旧暦・西暦の相互変換
■俳句
・俳句は「五・七・五」の十七音で詠まれる世界で最も短い定型詩です。俳句には季語(季節を表す言葉)を必ず一つ詠み込むのが作法となっています。
・『季語一覧表』と『俳句の基本』
■短歌
・短歌は「五・七・五・七・七」の三十一音で詠まれる定型詩です。俳句には季語を必ず一つ詠み込むことが作法となっていますが、短歌にはそのような決まりはありません。短歌には一定の言葉を修飾する「枕詞(まくらことば)」が使われることがあります。
■俳句の通釈
①俳句(1):あ行 (暫定リニューアル)
②俳句(2):か~さ行(暫定リニューアル)
③俳句(3):た~は行(暫定リニューアル)
④俳句(4):ま~わ行(暫定リニューアル)
■短歌の通釈
①短歌(1):あ行(暫定リニューアル)
②短歌(2):か~さ行(暫定リニューアル)
③短歌(3):た~は行(暫定リニューアル)
④短歌(4):ま~わ行(暫定リニューアル)
■大根引き大根で道を教へけり(小林一茶)
・だいこひき だいこでみちを おしえけり
・農夫が野良(のら)で大根を引き抜いていたところ、人に道を尋ねられて、今引き抜いたばかりの大根で指し示しながら道を教えたことだ。
・ほのぼのとした農村の寸景である。大根という大きな収穫物で無造作に方角を示すところにユーモアがある。(冬・句切れなし)
※大根引き(だいこひき)… 畑から大根を引き抜くこと。冬の季語。また、「大根」も冬の季語。
※教へけり… 教えたことだ、と詠嘆(えいたん)を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※文化十二年(1815年)十二月作。「七番日記」所収。
※ちなみに、明和二年(1765年)に発行された「俳風柳多留(はいふうやなぎだる)」という川柳集に、「ひん抜いた大根で道をおしへられ(農夫に道を尋ねたところ、畑からひん抜いたばかりの大根で無造作に指し示して教えられた)」がある。偶然の暗合なのか、この川柳に着想を借りたものなのか、あるいは単に川柳を俳句に直しただけなのか…
※小林一茶(こばやしいっさ)… 江戸後期の俳人。信濃国柏原の人。14歳で江戸に出て俳諧を学ぶ。方言、俗語を交えて、庶民の生活感情を平易に表現、ひがみ・自嘲・反抗心・弱者への同情心と童心の表れた、主観性の強い人生詩を多く残した。「おらが春」「七番日記」「父の終焉日記」など。文政十年(1827年)十一月十九日(新暦1月5日)没。享年64。
※「おらが春」… 一茶の没後25年経って刊行された俳句・俳文集。文政二年(1819年)、一茶57歳の元日から年末までの1年間の見聞・感想・発句などを収める。題名は「めでたさも中位なりおらが春」による。
■大仏の足もとに寝る夜寒かな(正岡子規)
・だいぶつの あしもとにねる よさむかな
・十月のある日、奈良東大寺を訪れた際に、そのすぐ傍(そば)の旅館に宿をとった。大仏様のすぐそばでこうして眠りにつくことができるのはたいそうありがたいことではあるが、時節がら、夜になれば冷え冷えとすることだ。
・古都奈良は東大寺を訪れた際に詠まれた。旅情とともに、大仏への親しみやありがたみもにじみでている句である。(秋・句切れなし)
※大仏の足もとに… 奈良東大寺の大仏拝観に際しそのそばの旅館に宿泊したことを、大仏へのありがたみや親しみを込めてたとえている。実際に大仏の足元で寝たわけではない。
※夜寒(よさむ)… 晩秋のころ、夜の寒さが感じられること。また、その時節。秋の季語。
※夜寒かな… 夜寒であることだ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※明治28年(1895年)10月、子規が奈良東大寺傍(そば)の旅館「角定(かどさだ):のち対山楼(たいざんろう)」に投宿した際に詠(よ)まれた。子規は「くだもの」に、「東大寺は自分の頭の上に当たっているくらい」の場所にあると、宿が東大寺に近接している様子を記している。
※正岡子規(まさおかしき)… 俳人・歌人。愛媛県松山生まれ。短歌・俳句、写生文による文章革新運動を推進、「ホトトギス」を創刊。二十代の若さより肺結核、脊椎(せきつい)カリエスに冒(おか)され、永く闘病生活を送る。明治35年(1902年)没。享年34。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。
■叩かれて昼の蚊を吐く木魚かな(夏目漱石)
・たたかれて ひるのかをはく もくぎょかな
・昼だというのにうす暗く静まりかえった寺の本堂で、お坊さんがお経を唱えるために、おもむろに木魚(もくぎょ)を叩(たた)き始めた。すると、木魚の中に潜(ひそ)んでいた蚊が驚いて、慌(あわ)てて木魚の「口」から飛び出し逃げていく。
・「ぽくぽく…」という音が鳴り響くと、その拍子に木魚の開けっ放した口の中から一匹の蚊がひょろひょろと逃げ出してゆく、何とも間の抜けた情景が思い浮かんで漱石らしいユーモアの感じられる句である。(夏・句切れなし)
※蚊(か)… 夏の季語。
※木魚(もくぎょ)… 僧侶が読経(どきょう)の時に叩(たた)いて鳴らす木製の仏具。魚をかたどり、中空で、表にうろこが刻んである。
※木魚かな… 木魚であることよなあ、とおかしみを込めて詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※たたかれて昼の蚊をはく… 擬人法。叩かれた拍子に、開けっぱなした口からまるで蚊を吐き出すように見えた木魚の様子を、おかしみを込めてたとえている。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※「漱石俳句集」(大正6年)所収。
※ちなみに江戸時代の句に「叩かれて蚊を吐く昼の木魚かな」(東柳)がある。
※夏目漱石(なつめそうせき)… 小説家・英文学者。江戸、牛込生まれ。日本近代文学の巨匠。俳句は正岡子規と高等学校以来の友人だったので、子規にすすめられて早くから詠み出し、その後小説を書き出しても、折に触れて句を詠み続けた。「吾輩は猫である」「坊っちゃん」「三四郎」「虞美人草」「こころ」など。大正5年(1916年)没。享年49。
■たたずめば落ち葉ささやく日向かな(高浜虚子)
・たたずめば おちばささやく ひなたかな
・冬のある日、落ち葉の散り敷く静かな木立(こだち)の中をのんびりと歩く。日の当たる場所でしばし佇(たたず)み、じっと耳を澄(す)ますと、辺りにかすかに聞こえる物音は、葉の上に葉が落ち重なったり、それがわずかな風にこすれ合ったりする音であろうか。まるで、それは落ち葉がそっとささやいているかのような、静かで微細な音である。
・何気ない自然の現象に聴覚を研ぎ澄まし、、また、目を注いでいる。作者の繊細な感覚によって描かれた、日の注ぐ静かで穏やかな冬の木立の佇まいが印象的である。(冬・句切れなし)
※落ち葉… 冬の季語。ちなみに「枯れ葉」も冬の季語であり、いずれも秋の季語と間違えやすいため、テストで頻出。
※日向(ひなた)… 日の当たる所。
※日向かな… 日向であることだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※落ち葉ささやく… 擬人法。落ち葉がかすかな音を立てている様子をたとえている。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
★季節の境目に当たる風物には特に小学生にとっては判断に迷う季語が多い。日がな一日机に向ってばかりいるのではなく、普段から季節の移り変わりやその風物にも関心を持ち、人と人との関わりを大切にし、視野を広げ、世の中の動きにも目を向け、考える姿勢が大切。
※高浜虚子(たかはまきょし)… 明治~昭和期の俳人・小説家。愛媛県松山市生まれ。正岡子規に師事。「ホトトギス」を主宰。客観写生・花鳥諷詠を主張し、定型・季語を離れた新傾向俳句を推進する河東碧梧桐と激しく対立した。昭和34年(1959年)没。
※花鳥諷詠(かちょうふうえい)… 昭和初期に高浜虚子が唱えたホトトギス派の主張。四季の変化によって生ずる自然界の現象およびそれに伴う人事界の現象を無心に客観的に詠むのが俳句の根本義であるとするもの。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。
■旅に病んで夢は枯野をかけめぐる(松尾芭蕉)
・たびにやんで ゆめはかれのを かけめぐる
・九州への旅の途中、大坂(大阪)で病床に臥(ふ)してしまった私だが、夢に見るのは、今なお旅人として寂(さび)しい枯野(かれの)の中を颯爽(さっそう)と旅し流離(さすら)う、私自身の姿であったことだ。
・芭蕉、生涯最後の作品。死の病床にあってなお句作を続け、旅を思う烈(はげ)しい情念と風雅(ふうが)への愛着によって生まれた作品である。(冬・句切れなし)
※旅に病んで… 旅の途中に病にかかって。
※枯野(かれの)… 草や木の枯れ果てた野原。冬の季語。
※かけめぐる… 動詞で言い切ることで、躍動感、生き生きした感情の動きが効果的に表されている。また、病のために元気よくかけめぐっている自分の姿を夢の中で見るしかなかった芭蕉の容態が痛ましい。
※夢は枯野をかけめぐる… 病の床にありながらも夢に浮かぶのは、寂しい枯れ野をかけめぐる自分自身の姿であったことだ、という詠嘆が込められている。
※夢は枯野をかけめぐる… 擬人法ではないので注意。「夢が枯れ野をかけめぐる」という意味ではない。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※元禄七年(1694年)十月八日吟。芭蕉、辞世(じせい)の句。
※「笈日記(おいにっき)」所収。
※元禄七年(1694年)五月、芭蕉は筑紫までの旅を思い立ち、江戸を出発。途中郷里である伊賀に帰り、その後京阪に至るも、九月二十九日夜、大坂(大阪)で激しい下痢に襲われた。御堂前の花屋仁左衛門宅に引き取られたが、十月八日深夜、病床(びょうしょう)にあってなお「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」の句を詠み、四日後の十二日夕刻、榎本其角、向井去来、内藤丈草、各務支考ら多くの門人たちに看取られながら亡(な)くなった。享年51。
※前書きに「病中吟(病気中に吟じた句)」とあるとおり、実際は吟じられた時点においては芭蕉本人はこの句が自分にとって辞世の句であるという認識はなかった。ちなみに、芭蕉が死の床に就く以前に生涯最後の吟となったのは、「秋深き隣は何をする人ぞ」である。
★季節の境目に当たる風物には特に小学生にとっては判断に迷う季語が多い。日がな一日机に向ってばかりいるのではなく、普段から季節の移り変わりやその風物にも関心を持ち、人と人との関わりを大切にし、視野を広げ、世の中の動きにも目を向け、考える姿勢が大切。
※松尾芭蕉(まつおばしょう)… 江戸前期の俳人。伊賀上野の人。江戸深川の芭蕉庵に移った頃から独自の蕉風(しょうふう)を開拓。各地への旅を通じて、不易流行(ふえきりゅうこう)の思想を形成し、俳諧を文芸的に高めた。「おくのほそ道」「野ざらし紀行」「更級日記」「笈の小文」など。元禄七年(1694年)十月十二日(新暦11月28日)没。享年51。
※蕉風(しょうふう)… 松尾芭蕉およびその門流の信奉する俳風。美的理念としては、幽玄、閑寂を重んじ、さび・しおり・細み・軽みを尊ぶ。
※不易流行(ふえきりゅうこう)… 蕉風俳諧の理念の一つ。俳諧には不易(時代を超えて変わらないこと)の句と流行の句とがあるが、流行の句も時代を超えて人々に訴えればそれは不易の句であり、ともに俳諧の本質を究めることから生じ、根本は一つであるという論。
※「おくのほそ道」… 松尾芭蕉の俳文紀行。元禄二年(1689年)3月末江戸を出発し、東北・北陸を巡り美濃大垣(岐阜県)に至る約150日間、およそ六百里(約2400㎞)の旅日記。洗練された俳文・俳句は芭蕉芸術の至境を示している。元禄七年(1694年)頃成立。元禄十五年(1702年)刊。芭蕉自身は「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」という表記を好んで用いていた。原文の題名もこの表記となっている。
■旅人と我が名呼ばれん初時雨(松尾芭蕉)
・たびびとと わがなよばれん はつしぐれ
・さあ、いよいよ旅の始まりだ。これより私は人から「旅人」の名で呼ばれてゆこうよ。風雅(ふうが)を求める旅の始まりにふさわしく、初時雨も降りだしている。
・初時雨に降られながら行く旅人のような境遇に自分も早くなりたいという、旅に際しての芭蕉の強い意欲と期待感がにじみ出ている。「野ざらし紀行」冒頭の句、「野ざらしを心に風のしむ身かな」に感じられる悲愴感はここには無く、自己の俳諧の方向性が定まりつつあることで、むしろ旅を楽しもうという心の余裕の表出と、そこから来る颯爽(さっそう)たる姿勢である。(冬・二句切れ)
※野ざらしを心に風のしむ身かな… これより私は長い旅に出るのだが、いつ白骨をさらして野山にのたれ死すようなことになるかわからない。そんな我が身を覚悟して、いざ出立しようとすると、折からの秋の風はことさら身にしみて、ひどくわびしい思いをさせられることだ。
※旅人と我が名呼ばれん… 新たな旅に際して、これから自分は人から「旅人」と呼ばれようぞ、という芭蕉の意志と詠嘆を表している。
※初時雨(はつしぐれ)…その年に降る初めての時雨(しぐれ)。時雨とは、晩秋から初冬にかけて降ったりやんだりする雨のこと。冬の季語。
※体言止め。
※前書きに「十月十一日餞別会」とある。「笈(おい)の小文(こぶみ)」の旅に際し榎本(宝井)其角宅で催された送別の宴(うたげ)の席で詠(よ)まれたものらしい。
※貞享四年(1687年)冬、芭蕉44歳の時の作。
※松尾芭蕉(まつおばしょう)… 江戸前期の俳人。伊賀上野の人。江戸深川の芭蕉庵に移った頃から独自の蕉風(しょうふう)を開拓。各地への旅を通じて、不易流行(ふえきりゅうこう)の思想を形成し、俳諧を文芸的に高めた。「おくのほそ道」「野ざらし紀行」「更級日記」「笈の小文」など。元禄七年(1694年)十月十二日(新暦11月28日)没。享年51。
※蕉風(しょうふう)… 松尾芭蕉およびその門流の信奉する俳風。美的理念としては、幽玄、閑寂を重んじ、さび・しおり・細み・軽みを尊ぶ。
※不易流行(ふえきりゅうこう)… 蕉風俳諧の理念の一つ。俳諧には不易(時代を超えて変わらないこと)の句と流行の句とがあるが、流行の句も時代を超えて人々に訴えればそれは不易の句であり、ともに俳諧の本質を究めることから生じ、根本は一つであるという論。
※「おくのほそ道」… 松尾芭蕉の俳文紀行。元禄二年(1689年)3月末江戸を出発し、東北・北陸を巡り美濃大垣(岐阜県)に至る約150日間、およそ六百里(約2400㎞)の旅日記。洗練された俳文・俳句は芭蕉芸術の至境を示している。元禄七年(1694年)頃成立。元禄十五年(1702年)刊。芭蕉自身は「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」という表記を好んで用いていた。原文の題名もこの表記となっている。
■玉のごとき小春日和を授かりし(松本たかし)
・たまのごとき こはるびよりを さずかりし
・冬を迎えてなお、このように暖かく穏(おだ)やかで、心地よく安らいだひとときを過ごせる一日を与えられ、まるで天から授(さず)かった玉(宝石)のようにありがたく貴重なことであると、私にはしみじみ思われたことだ。
・小春日和を、まるで天から授かった宝石のように尊くありがたいものであると感じ、しみじみと味わっている。(冬・句切れなし)
※玉… 球形、あるいはそれに近い形をした美しい宝石や真珠などの総称。
※玉のごとき… 宝石のような。宝石のように尊いものとしてとらえられている。
※小春日和(こはるびより)… 晩秋から初冬にかけて現れる(新暦では11月頃に当たる)、暖かく穏(おだ)やかな晴天。小春。小春日とも言う。「小春」は陰暦10月の異称。春の季語と間違える小学生が相当に多い。
※授かりし… 授かったことだ、頂いたことだと、ありがたみを感じながらの詠嘆を表している。
※字余り。
※玉のごとき・・・ 比喩(直喩)。「宝石のような」の意でたとえている。俳句・短歌・詩などの問題で、口語の「ようだ」「みたいだ」に当たる文語の助動詞「ごとし」(「ごとく」「ごとき」「ごとくに」なども同じ助動詞)の比喩(直喩)としての用法が知識として問われる場合が多いので注意。
※直喩(明喩)… 「ようだ」「みたいだ」「ごとし」など、はっきりと比喩を示す言葉を直接用いて表現する技法。
例:「もみじのような手」「お母さんは鬼みたいだ」「夢のごとき人生」
※隠喩(暗喩)… 「ようだ」「みたいだ」「ごとし」などの言葉を用いないでたとえる表現技法。
例:「疑惑の雲」「お母さんは鬼だ」「人生は旅である」
※「松本たかし句集」所収。
★季節の境目に当たる風物には特に小学生にとっては判断に迷う季語が多い。日がな一日机に向ってばかりいるのではなく、普段から季節の移り変わりやその風物にも関心を持ち、人と人との関わりを大切にし、視野を広げ、世の中の動きにも目を向け、考える姿勢が大切。
※松本たかし(まつもとたかし)… 昭和の俳人。東京生まれ。代々続いた能楽役者の家の長男に生まれたが、健康に恵まれないために家業を廃した。高浜虚子に師事、ホトトギス同人となる。伝統的なホトトギスの線を守り、洗練された、上品、高雅な句境をもつ。昭和31年(1956年)没。享年50。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。1897年(明治30年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。
■蒲公英のかたさや海の日も一輪(中村草田男)
・たんぽぽの かたさやうみの ひもいちりん
・早春の夕刻、まだ冬の気配が去りきっていない浜辺近くの寂しい道を歩いていたところ、道端(みちばた)に蒲公英(たんぽぽ)の花が一輪、ひっそりと咲いているのを見つけた。鮮やかな黄色をした小さなその花の花びらに指でそっと触れてみたところ、それはその花の健気さや可憐さとは対照的な、まさに生きる力を感じさせる意外なほどのかたさであったことだ。美しく光を放ちながら海に沈んでゆこうとしている夕陽もまた、一輪のやさしい春の花のようである。
・まだ冬の気配を残した早春、道端にひっそりと一輪咲く蒲公英を見つけ、見かけや印象とは対照的な生命力の強さを発見した感動が詠われている。また、その感動の余韻に浸りながら、海に沈む夕日の美しい姿を蒲公英の花の姿と重ね合わせ、しみじみと眺め入っている。(春・中間切れ)
※蒲公英(たんぽぽ)… 春の季語。
※かたさや… かたいことであるよ、と詠嘆を表している。
※海の日も一輪… 海の上にある太陽もまた、花が一輪さいているかのようだ。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※字余り。
※海の日も一輪… 比喩(隠喩)。海の上にある太陽もまた花が一輪さいているかのようだ、という意味でたとえている。
※直喩(明喩)… 「ようだ」「みたいだ」「ごとし」など、はっきりと比喩を示す言葉を直接用いて表現する技法。
例:「もみじのような手」「お母さんは鬼みたいだ」「夢のごとき人生」
※隠喩(暗喩)… 「ようだ」「みたいだ」「ごとし」などの言葉を用いないでたとえる表現技法。
例:「疑惑の雲」「お母さんは鬼だ」「人生は旅である」
※中間切れ… 文としての意味の流れが途切れるところを「句切れ」と言い、初句(上五)で切れる「初句切れ」、二句(中七)で切れる「二句切れ」、結句(下五)までを一つの文としてとらえる「句切れなし」がある。また、それ以外に主に二句(中七)の途中で切れる「中間切れ」がある。
例:
万緑の中や ・ 吾子の歯生え初むる(中村草田男)… 中七(二句)の中間切れ
蒲公英のかたさや ・ 海の日も一輪(中村草田男)… 中七(二句)の中間切れ
風吹けば来るや ・ 隣の鯉幟(高浜虚子)… 中七(二句)の中間切れ
木の葉ふりやまず ・ いそぐないそぐなよ(加藤楸邨)… 中七(二句)の中間切れ
跳躍台人なし ・ プール真青なり(水原秋桜子)… 中七(二句)の中間切れ
算術の少年しのび泣けり ・ 夏(西東三鬼)… 下五(結句)の中間切れ
※「火の島」(昭和16年)所収。
★季節の境目に当たる風物には特に小学生にとっては判断に迷う季語が多く、テストで狙われやすいので注意。日がな一日机に向ってばかりいるのではなく、普段から季節の移り変わりやその風物にも関心を持ち、人と人との関わりを大切にし、視野を広げ、世の中の動きにも目を向け、考える姿勢が大切。
※中村草田男(なかむらくさたお)… 昭和時代の俳人。中国福建省生まれ。愛媛の人。ホトトギス同人。高浜虚子に師事。伝統的な季題定型を守り信じ、この中に作者の複雑な自己、体験を抒情歌しようとした。単に花鳥諷詠にとどまらず、俳句に作者の心理、思想といった内的要素を持ち込むところにきわめて近代的な意欲があり、加藤楸邨、石田波郷らとともに人間探究派と称せられた。昭和58年(1983年)没。享年82。
・花鳥諷詠(かちょうふうえい)… 昭和初期に高浜虚子が唱えたホトトギス派の主張。四季の変化によって生ずる自然界の現象およびそれに伴う人事界の現象を無心に客観的に詠むのが俳句の根本義であるとするもの。
・「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。
■暖炉燃え末子は父のひざにある(橋本多佳子)
・だんろもえ おとごはちちの ひざにある
・は冬の厳しい寒さであるが、居間の暖炉の火は赤々と燃えて暖かく、心地よい。ゆったりとくつろぐ父親の膝(ひざ)の上には幼い末の子がのって、すっかり安らいでいる。静かな夜更けを家族一緒に、幸せに過ごすひと時である。
・父親の膝の上で安らいでいる幼い我が子の様子を見つめる作者の母親としての温かな眼差しや愛情が伝わる。家族の幸福なひと時を感じさせる、ほのぼのとした温かみのある句である。(冬・句切れなし)
※暖炉(だんろ)… 部屋で火をたいて暖める設備。冬の季語。
※末子(おとご)… 末っ子。古語に「乙子」「弟子」(ともに「おとご」と読む)で「末っ子」の意の語がある。
※ひざにある… ひざの上にいる。「ひざにいる」とすると子どもがいかにもじっとせずにいるような落ち着きの感じられない動的な印象となるが、「ある」と表現することで、幼い子どもが父親の愛情に包まれ、すっかりそこで落ち着き安らいでいる印象が伝わる。
※ひざにある… 幼い子どもが父親の愛情に包まれ、その膝の上ですっかり落ち着き安らいでいることであるよ、と詠嘆を表している。
※橋本多佳子(はしもとたかこ)… 昭和期の女流俳人。東京本郷の生まれ。杉田久女に俳句のてほどきを受ける。「ホトトギス」「馬酔木」を経て、山口誓子に師事。女性特有の多面的な感情を繊細な感性と豊かな情感によって表現。昭和38年(1963年)没。享年64。
■頂上や殊に野菊の吹かれ居り(原石鼎)
・ちょうじょうや ことにのぎくの ふかれおり
・汗をかきかき、弾む気持ちで歩みを進め、ようやく目指す頂上へと登りつめた。心地よい疲労感と満足感に浸っていると、ふと目に止まったのは、可憐(かれん)に花を咲かせる野菊の一群である。さわやかな秋の風を受けながら静かに揺(ゆ)れるその花々に惹(ひ)かれ、じっと見入っていると、登山の疲れは癒され、いっそう私の心も澄んで、静まり安らいでくることだ。
・風に揺れる野菊のありのままの姿に心を惹かれ、秋のさわやかさをいっそうしみじみと感じ、次第に心が静まっていく作者の様子が伝わる。(秋・初句切れ)
※頂上や… 頂上であることよ、と詠嘆を表している。
※殊(こと)に… 特に。とりわけ。
※野菊… 秋の季語。野生の植物でキクに見えるものの総称。ヨメナ、ノコンギク、ノジギクなど。
※吹かれ居り… 風に吹かれて揺れている。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※大正元年(1912年)十月作。「花影(かえい)」所収。
※この句は石鼎が神武天皇の史跡を訪れた際に詠(よ)んだものと言われている。神武天皇陵は奈良県橿原(かしはら)市の畝傍山(うねびやま:標高約200m)の麓にあり、畝傍山へは登山道を使用し短時間で頂上へ登ることができる。
※原石鼎(はらせきてい)… 大正・昭和期の俳人。島根の生まれ。高浜虚子に師事。客観的な態度で対象を写生しつつ、やがて抒情的なさびの境地に到達すべきであると主張。昭和13年、病に倒れ、以後、没するまで病床にあった。昭和26年(1951年)没。享年65。
■跳躍台人なしプール真青なり(水原秋桜子)
・ちょうやくだいひとなし プールまさおなり
・飛び込み競技が開始される直前の飛び込み台には、まだ人の姿は見えず、プールの水面も静まっている。深いプールの水は、空の青ととけ合っていっそう青い。
・競技の開始される直前に漂う緊張感と静けさ、また、観戦へ作者の期待感や静かな興奮が伝わってくる。(夏・中間切れ)
※跳躍台… 飛び込み競技で使用する高い台。
※人なし… (跳躍台に)人の姿は無いことである、と詠嘆が込められている。また、強く言い切り、また、プールの静けさを描くことで、いよいよ始まろうとしている飛び込み競技直前の緊張感や観戦への期待感、静かな興奮が伝わる。
※プール… 夏の季語。
※プール真青なり… プールの水は澄んで真っ青であることだよ、と詠嘆が込められている。プールには誰も入っておらず、競技直前の緊張感や観戦への期待感、静かな興奮を伝えている。
※字余り
※中間切れ… 文としての意味の流れが途切れるところを「句切れ」と言い、初句(上五)で切れる「初句切れ」、二句(中七)で切れる「二句切れ」、結句(下五)までを一つの文としてとらえる「句切れなし」がある。また、それ以外に主に二句(中七)の途中で切れる「中間切れ」がある。
例:
万緑の中や ・ 吾子の歯生え初むる(中村草田男)… 中七(二句)の中間切れ
蒲公英のかたさや ・ 海の日も一輪(中村草田男)… 中七(二句)の中間切れ
風吹けば来るや ・ 隣の鯉幟(高浜虚子)… 中七(二句)の中間切れ
木の葉ふりやまず ・ いそぐないそぐなよ(加藤楸邨)… 中七(二句)の中間切れ
跳躍台人なし ・ プール真青なり(水原秋桜子)… 中七(二句)の中間切れ
算術の少年しのび泣けり ・ 夏(西東三鬼)… 下五(結句)の中間切れ
※「跳躍台人なしプール真青なり」の句は、本来は「中間切れの二段切れ」。
※二段切れ… ①一句に切れ字を二つ用いたり、②名詞による切れ目を作ることで感動の焦点が二か所に分散、互いに相殺されることで作品として失敗する場合が多いので嫌われる。しかし、名詞による切れ目は俳句では一般に用いられているので、これを敢えて二段切れと呼ぶ意味合いは薄れている。どちらに強い詠嘆を込めるかは作者の感覚によるところが大きい。
例:
①松籟(しょうらい)や ・ 百日の夏来たりけり(中村草田男)
②赤とんぼ ・ 筑波に雲もなかりけり(正岡子規)
※昭和13年(1938年)作。
※水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)… 大正・昭和の俳人。東京生まれ。東大医学部卒業。医学博士。高野素十、阿波野青畝、山口誓子らとともに、名前の頭文字を取って「ホトトギス」の四Sと称された。近代的な明るさと都会人風の洗練された感覚、豊かな抒情を詠うその句風は、それまでの伝統的な俳句の境地を断然抜け出したものであった。しかし、その主情的な傾向は、「ホトトギス」の写実的傾向と一致せず、高浜虚子らと対立、昭和六年、「ホトトギス」を去る。のち「馬酔木」を主宰し、新興俳句の先駆者となる。昭和56年(1981年)没。享年89。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。
■つきぬけて天上の紺曼珠沙華(山口誓子)
・つきぬけて てんじょうのこん まんじゅしゃげ
・秋の澄(す)み切った青空は突き抜けるように高い。その鮮やかな深い青色の下には、鮮やかな紅い色の花をつけた沢山の彼岸花(ひがんばな)が、やはり天を突き抜けるようにして、茎をまっすぐに伸ばして立ち咲いている。
・秋の爽やかな空気の中にひと時を過ごす作者の、明るくすがすがしい気分がよく伝わる。深く澄んだ空の濃い青色と、日に照り映える花の紅い色との鮮やかな対照が美しく印象的である。(秋・二句切れ)
※つきぬけて… ずっとずっと奥まで見えそうなほど透き通って。また、青天(青く澄みきった空)を突き抜けるようにして曼珠沙華がすっくと立ち咲いているさま。
※天上の紺… 空が高く澄み、濃い青色をしている様子。
※天上の紺… 空が高く澄み、濃い青色をしていることだ、と詠嘆が込められている。
※曼珠沙華(まんじゅしゃげ)… 彼岸花。秋の季語。「鶏頭」ほどではないが、「彼岸花」を知らない小学生がかなり多い。
※体言止め。
※つきぬけて… 比喩(隠喩)。通常、「抜けるような(青空)」の形で「ずっと奥まで見えそうに透き通る」の意で用いるが、その表現を強調することで、「まさに突き抜けているかのように空が高く澄んでいる」という作者の詠嘆が込められている。
※直喩(明喩)… 「ようだ」「みたいだ」「ごとし」など、はっきりと比喩を示す言葉を直接用いて表現する技法。
例:「もみじのような手」「お母さんは鬼みたいだ」「夢のごとき人生」
※隠喩(暗喩)… 「ようだ」「みたいだ」「ごとし」などの言葉を用いないでたとえる表現技法。
例:「疑惑の雲」「お母さんは鬼だ」「人生は旅である」
※「曼珠沙華」はもともとインド仏教神話で「天上の花」のこと。サンスクリット語で「マンジューシャカ:manjyusaka」の音写であり、「諸天(しょてん)の意のままに生ずる」と言われ、また、「色は純白であり、天から降って仏や大衆の上に散華(さんげ)し、見る者の黒悪業(こくあくごう)を除く」とされている。
★季節の境目に当たる風物には特に小学生にとっては判断に迷う季語が多い。日がな一日机に向ってばかりいるのではなく、普段から季節の移り変わりやその風物にも関心を持ち、人と人との関わりを大切にし、視野を広げ、世の中の動きにも目を向け、考える姿勢が大切。
※山口誓子(やまぐちせいし)… 大正~平成の俳人。京都市生まれ。東大在学中の大正末から昭和初頭には既に水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)、高野素十(たかのすじゅう)、阿波野青畝(あわのせいほ)らと並んでホトトギスの四S時代と呼ばれる一時期を形成した。古い伝統的な俳句世界から抜け出し、自然を即物的に、かつメカニックに描き出し、また斬新、近代的な作風が特徴。知的構成を用い、素材の範囲を現代都市生活に拡大して新興俳句運動を推進した。平成6年(1994年)没。享年92。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。
■月の夜や石に出て鳴くきりぎりす(加賀千代女)
・つきのよや いしにでてなく きりぎりす
・月が皓皓(こうこう)と照る中、静かな秋の風情をしみじみと味わいながら過ごす、この宵(よい)であることだよ。きりぎりすも石の上へとやって来て、月の光を浴びながら、寂(さび)しげな声で鳴いている。
・秋の静かな宵のひと時を、落ち着いた心持ちで過ごしているその折、まるで月の光に誘われたかのようにして、きりぎりすが庭の石の上に姿を現し、夜のしじまに寂しくその声を響かせている。きりぎりすの寂しげな声が、秋の宵の静けさにいっそうしみじみとした情趣を添えている。(初句切れ)
※月… 特に澄んだ月を言う。また、その光。秋の季語。テスト頻出。
※月の夜や… 月が清(さや)かに照る、美しい月夜であることよ、と詠嘆を表している。
※石に出て鳴く… 石の上に現れて鳴く。
※きりぎりす… 秋の季語。チョンギース、と鳴く。ただし、「きりぎりす」は現在のコオロギのことで、キリギリスは古くは「機織(はたお)り」「機織り女(め)」などと呼ばれた。
※季重なり… 一句の中に二つ以上季語が入っている場合、これを季重なりという。一句の主題が不鮮明になるので嫌うが、主旨がはっきりし一句が損なわれない時に用いられる。この場合、一句の主題となっているほうを季語とする。感動の集中を示す「切れ字」が用いられている場合は、その位置によって主題となる季語を判別することもできる。
※ただし、この句の場合、季語を「月」とする場合、「きりぎりす」とする場合、「月ときりぎりす」とする場合など、文献によって解釈が異なっている。次のような通釈も参考に、ご自身の感性と解釈で、この句の情趣を味わってみてください。
・秋の静かな宵(よい)、月が清(さや)かに地上を照らす中、きりぎりすが、石の上で月の光を浴びながら、寂(さび)しげな声で鳴いている。まるで月の光に誘われたかのようにして庭の石の上に姿を現し、夜のしじまに寂しく響くきりぎりすの声に、心静かに耳を傾けて過ごす秋の夜のひと時である。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※石に出て鳴く… 擬人法。きりぎりすが意志的に石の上に現れ出て鳴いているように見える、というたとえ。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※初句で切れ、また、結句にも詠嘆が込められているので、本来は二段切れ。
※二段切れ… ①一句に切れ字を二つ用いたり、②名詞による切れ目を作ることで感動の焦点が二か所に分散、互いに相殺されることで作品として失敗する場合が多いので嫌われる。しかし、名詞による切れ目は俳句では一般に用いられているので、これを敢えて二段切れと呼ぶ意味合いは薄れている。どちらに強い詠嘆を込めるかは作者の感覚によるところが大きい。
例:
①松籟(しょうらい)や ・ 百日の夏来たりけり(中村草田男)
②赤とんぼ ・ 筑波に雲もなかりけり(正岡子規)
※加賀千代女(かがのちよじょ)… 江戸中期の女流俳人。加賀国松任の人。安永四年(1775年)九月八日(新暦10月2日)没。享年73。
■天よりもかがやくものは蝶の翅(山口誓子)
・てんよりも かがやくものは ちょうのはね
・蝶の翅(はね)を間近でよく見てみると、鱗粉(りんぷん)が光を反射し、さまざまな色に煌めいて、それはそれは天の輝きをも越えるほどの美しさでであり、尊さであったことだ。
自然の底知れぬ美に触れた感動と、その尊さに対する畏敬の思いが率直に伝わる句である(春・句切れなし)
※蝶… 春の季語。夏の季語と間違えやすく、テストなどで狙われやすいので注意。
※蝶の翅(はね)… 見事な美しさで輝く蝶の翅であることだよ、と詠嘆が込められている。
※体言止め。
★季節の境目に当たる風物には特に小学生にとっては判断に迷う季語が多く、テストで狙われやすいので注意。日がな一日机に向ってばかりいるのではなく、普段から季節の移り変わりやその風物にも関心を持ち、人と人との関わりを大切にし、視野を広げ、世の中の動きにも目を向け、考える姿勢が大切。
※山口誓子(やまぐちせいし)… 大正~平成の俳人。京都市生まれ。東大在学中の大正末から昭和初頭には既に水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)、高野素十(たかのすじゅう)、阿波野青畝(あわのせいほ)らと並んでホトトギスの四S時代と呼ばれる一時期を形成した。古い伝統的な俳句世界から抜け出し、自然を即物的に、かつメカニックに描き出し、また斬新、近代的な作風が特徴。知的構成を用い、素材の範囲を現代都市生活に拡大して新興俳句運動を推進した。平成6年(1994年)没。享年92。
・「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。
■遠山に日の当たりたる枯野かな(高浜虚子)
・とおやまに ひのあたりたる かれのかな
・日は傾(かたむ)き、辺りはすで陰(かげ)って暗い寒々とした枯れ野原が広がっている。遥(はる)かに見える山の頂(いただき)は夕日を照り返し、ほっとするような暖かみのある赤い光を美しく放っている。
・寒々とした冬枯れの野原の寂しい情景の中、遠山にわずかに差す夕日のぬくもりに心の縁(よすが)を見つけた思いを詠っている。空間的な広がりと、明暗の対照が大変印象的である。(冬・句切れなし)
※遠山… 遠くに見える山。
※枯野… 草や木の枯れ果てた野原。冬の季語。
※枯野かな… 枯野であることだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※後年虚子はこの句について、「目の前にある姿で作ったものが本当だ。松山の御宝町(みたからまち)の家(虚子の実家)を出て,道後の方を眺めると,道後の後ろの温泉山にぽっかり冬の日が当たっているところに,何か頼りになるものがあった。それがあの句なのだ」と述べている。実際には虚子は枯れ野に立っていたわけではない。
※明治33年(1900年)11月、虚子26歳の時の作。
※高浜虚子(たかはまきょし)… 明治~昭和期の俳人・小説家。愛媛県松山市生まれ。正岡子規に師事。「ホトトギス」を主宰。客観写生・花鳥諷詠を主張し、定型・季語を離れた新傾向俳句を推進する河東碧梧桐と激しく対立した。昭和34年(1959年)没。
※花鳥諷詠(かちょうふうえい)… 昭和初期に高浜虚子が唱えたホトトギス派の主張。四季の変化によって生ずる自然界の現象およびそれに伴う人事界の現象を無心に客観的に詠むのが俳句の根本義であるとするもの。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。1897年(明治30年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。
■年玉をならべて置くや枕元(正岡子規)
・としだまを ならべておくや まくらもと
・私の枕元には、弟子たちに渡してやるお年玉の袋が並べて置いてある。正月であるというのに、私は病のために起き上がることも出来ないが、やがて年始の挨拶に私の元へとやって来る一人一人の弟子たちの顔を思い浮かべては、待ち遠しい気持ちで過ごしていたことだ。
・病の床にあって自由にならない我が身の辛さとともに、自分に会いにやって来てくれる弟子たちを思いやる子規の優しさ、静かな興奮や期待感が伝わる。(新年・二句切れ)
※年玉(としだま)… お年玉。新年の祝いの贈り物。子どもや使用人たちに与える金品。新年の季語。
※ならべて置くや… 並べて置くことだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※倒置法… 「枕元」は意味の上では一句目に来る。
※正岡子規(まさおかしき)… 俳人・歌人。愛媛県松山生まれ。短歌・俳句、写生文による文章革新運動を推進、「ホトトギス」を創刊。二十代の若さより肺結核、脊椎(せきつい)カリエスに冒(おか)され、永く闘病生活を送る。明治35年(1902年)没。享年34。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。
■とっぷりと後ろ暮れゐし焚き火かな(松本たかし)
・とっぷりと うしろくれいし たきびかな
・焚(た)き火に向かい、炎の明るさに我を忘れ過ごしていたが、ふと背後を返り見ると、つい今しがたまで明るかった黄昏(たそがれ)の空は既になく、いつしかとっぷりと暮れて闇に包まれていたことだ。
・焚き火に心を奪われている間に容赦なく流れていた時間と、それにともなう変化の意外な大きさへの驚きである。眼前の焚き火の炎の明るさと、背後に広がる闇の対照とが印象的である。(冬・句切れなし)
※とっぷりと… 完全に日が暮れるさま。
※後ろ暮れゐし(うしろくれいし)… 背後を振り返ると空がすっかり暮れて暗闇となっていた。(連体形)
※焚き火… 冬の季語。
※焚き火かな… 焚き火であることだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※とっぷりと… 擬態語。完全に日が暮れるさま。
※松本たかし(まつもとたかし)… 昭和の俳人。東京生まれ。代々続いた能楽役者の家の長男に生まれたが、健康に恵まれないために家業を廃した。高浜虚子に師事、ホトトギス同人となる。伝統的なホトトギスの線を守り、洗練された、上品、高雅な句境をもつ。昭和31年(1956年)没。享年50。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。1897年(明治30年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。
■外にも出よ触るるばかりに春の月(中村汀女)
・とにもでよ ふるるばかりに はるのつき
・春の宵(よい)、玄関に出てみると月がとても大きく鮮やかに照っている。ねえ、みんなも外に出てご覧なさいよ、手が届きそうなところに、本当に大きくて美しいお月様が見えていますよ。
・春の宵、思いがけなく目にした月の大きさ、近さに驚き、家族皆と一緒に感動を分かち合いたいと願う作者のはずむ気持ちが伝わる。家族皆が集って美しい月の姿に見入り、その大きさに驚いては言葉を交わし喜び合っているほのぼのとした情景が思い浮かぶ。(春・初句切れ)
※外(と)… そと。古語では「と」と読み、「屋外」の意。
※外にも出よ… 外に出てご覧なさいよ! の意で、作者のはずむ気持ち、詠嘆が込められている。
※触るるばかりに… 月が大きく、手の届きそうなほどに近くに見えている様子。
※春の月… 春の季語。「月」単独では秋の季語となるので、この句の季語は「春の月」ととる。
※体言止め。
※外にも出よ… 呼びかけ法。外にも出てご覧なさいよと、家族に対し誘いかけながら呼びかけている。
※汀女の長女、小川濤美子(おがわなみこ:俳人)は次のように語っている。
「昭和21年に作られたことに意義があるように思われる。(中略)当時は我が家もどん底に近い状態であった。公職追放で父は職もなく、私の下にはまだ学生であった弟たちがいた。母は食物の調達に女流作家の方々と神奈川県の奥まで買い出しに行き、其の帰途、成城に住んでいらした富本憲吉(陶芸家)夫人(尾竹一枝)の家に皆で立ち寄った。しかし母は家族がいるので早々に辞さねばならず、後ろ髪を引かれる思いで外に出た。その時の月の大きさ近さに息を呑み驚いたのだった。家に残っていた方たちに「外にも出よ」と呼びかけている。この言葉は自分自身にも言い聞かせたものと察せられる。」(『俳句』平成13年)
※実際には作者が「外にも出よ」と呼びかけた相手は自身の家族ではないが、何も常に事実に沿った解釈をしなければ俳句の本質に触れられず、また、鑑賞もできないということではない。
※昭和21年春の作。「花影(かえい)」所収。
※中村汀女(なかむらていじょ)… 昭和期の女流俳人。熊本出身。大正七年頃から俳句を始め、「ホトトギス」に投稿、虚子に学んだ。女性らしい感覚で身辺の風物をとらえ、これを題材として平明な表現で詠う穏やかで落ち着いた句風が特徴。星野立子(ほしのたつこ)、橋本多佳子(はしもとたかこ)、三橋鷹女(みつはしたかじょ)らとともに4Tと呼ばれた。昭和63年(1988年)没。享年88。
・「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。
■ともかくもあなたまかせの年の暮(小林一茶)
・ともかくも あなたまかせの としのくれ
・この一年をあらためて振(ふ)り返ってみると、実にさまざまなことがあったが、苦しみは苦しみのままに、悩(なや)みは悩みのままに生き、すべて阿弥陀如来(あみだにょらい)様のお導きに従って生き、心安らかに新年を迎えたいものだ。
・哀歓の多い年の暮れ、大きなものに頼り切った安心の感情とともに、一方では投げ出すような、俗人の悟りとも言うべき心の境地が表出している。(冬・句切れなし)
※ともかくも… とにもかくにも。いずれにしても。
※あなた… 一茶は浄土真宗(じょうどしんしゅう)の門徒であり、浄土真宗では「あなた」は阿弥陀如来(あみだにょらい)を指し、「あなたまかせ」は他力本願(たりきほんがん)を意味する。他力本願とは、阿弥陀如来の力にすがって来世(らいせ)を任せること。
※年の暮(くれ)… 年末。冬の季語。
※年の暮… 年の暮れを迎えたことであるよ、と詠嘆が込められている。
※体言止め。
※この半年ほど前に、長子千太郎に続き、長女さと女をも亡くしている。「名月(めいげつ)をとってくれろと泣く子かな」「めでたさも中位なりおらが春」の項を参照のこと。
※一茶の句集「おらが春」では、巻頭に「めでたさも中位なりおらが春」を置き、巻尾に「ともかくもあなたまかせの年の暮」を置いて一年を締めくくっている。また、前文には、「…さて後生の一大事は、其の身を如来の御前に投げ出して、地獄なりとも、あなた様の御はからひ次第あそばされくださりませと、御頼み申すばかりなり。(さて、来世での一大事は、その身を阿弥陀如来様の前に投げ出して、『地獄なりとも極楽なりとも、あなたさまのお計らい次第でございます。どうぞいかようにもお受けさせて頂きます』とお任せするしかないのです)」とある。
※文政二年(1819年)十二月作。「おらが春」所収。
※小林一茶(こばやしいっさ)… 江戸後期の俳人。信濃国柏原の人。14歳で江戸に出て俳諧を学ぶ。方言、俗語を交えて、庶民の生活感情を平易に表現、ひがみ・自嘲・反抗心・弱者への同情心と童心の表れた、主観性の強い人生詩を多く残した。「おらが春」「七番日記」「父の終焉日記」など。文政十年(1827年)十一月十九日(新暦1月5日)没。享年64。
※「おらが春」… 一茶の没後25年経って刊行された俳句・俳文集。文政二年(1819年)、一茶57歳の元日から年末までの1年間の見聞・感想・発句などを収める。題名は「めでたさも中位なりおらが春」による。
■俳句の通釈:「な」行
■長き長き春暁の貨車なつかしき(加藤楸邨)
・ながきながき しゅんぎょうのかしゃ なつかしき
・春の明け方、ふと目を覚ますと、遠くから聞こえてくるのは貨物列車の走る音であろう。ゴットン、ゴットンと、静かに、ゆったりと響いてくるその音は、長く、長く続いたかと思うと、やがてゆっくり、ゆっくりとと遠ざかっていった。何とはなしに昔に引き戻されるような懐かしい心持ちがして、しばし耳を傾けていたことだ。
・春の明け方の清澄な空気の中を響いてくる貨物列車の遠い音が、まるで作者自身の遠い過去から響いてくる音であるかのようであり、懐かしく、心地よい思いでじっとそれに耳を傾けている。同じ音を用いた「長き・長き」と「なつかしき」によるゆったりとした韻律が互いに呼応し響き合って、しみじみとした余韻を醸(かも)し出している。(春・二句切れ)
※長き長き… 長い、長い。
※春暁(しゅんぎょう)… 春の明け方。春の季語。
※貨車… 貨物を輸送するための鉄道車両。
※長き長き春暁の貨車… 春の暁(あかつき)に長く長く続く貨車の音であることだよ、と詠嘆が込められている。長く長く続く貨物列車の走る音に静かにじっと耳を傾けながら、懐かしみ、しみじみとその余韻に浸っている。
※字余り。
※長き長き… 反復法。多くの貨車が長く連結されている様子を強調している。
※楸邨(しゅうそん)の父親はかつて鉄道の駅長を務めていたことがある。
※「穂高」(昭和15年)所収。
※加藤楸邨(かとうしゅうそん)… 昭和~平成の俳人。松尾芭蕉の研究家。東京生まれ。俳句の世界を単なる趣味的なものではなく人生探究の場と主張し、実践。中村草田男、石田波郷と共に人間の内面を詠む「人間探求派」と呼ばれた。平成5年(1993年)没。享年88。
■長々と川一筋や雪野原(野沢凡兆)
・ながながと かわひとすじや ゆきのはら
・一面が白一色の広々とした雪原(せつげん)に、冷たく澄(す)んだ水をたたえた川がただ一筋、遥(はる)かにうねり続いていることだ。
・ひっそりと静まる清浄で広大な雪原と、そこにくっきりと浮かび、凛として貫く一筋の川の存在との対比が大変鮮やかである。自然の雄大な景観、心静まる清浄な世界が詠われている。(冬・二句切れ)
※長々と川一筋や… 川が一筋、長々とうねり続いていることだよ、と詠嘆を表している。
※雪野原(ゆきのはら)… 降り積もった雪に覆(おお)われた野原。冬の季語。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※倒置法… 「雪野原」は意味の上では一句目に来る。
※野沢凡兆(のざわぼんちょう)… 江戸前期の俳人。加賀金沢の生まれ。蕉門の人々との交わりを経て後、元禄三年(1690年)、「おくのほそ道」の旅を終え京に来た松尾芭蕉に向井去来の紹介で会い、教えを受ける。句風は客観的で印象が鮮明、絵画的な色彩感にも富む。正徳四年(1714年)没。享年不詳。
■流れゆく大根の葉の早さかな(高浜虚子)
・ながれゆく だいこんのはの はやさかな
・野川で洗われ大根から切り捨てられた葉のくずが、青々とした鮮やかな色を放ちながら、澄んだ川の水に従って流れ去っててゆく、その速さよ。
・澄んだ小川の水の意外なほどの勢いと速さである。切り捨てられたばかりの大根の葉の青々とした色が鮮明に目に焼き付くようであり、思わぬ発見への作者の高揚した気分やすがすがしい気分が伝わってくる。(冬・句切れなし)
※大根… 冬の季語。
※早さかな… 大根の葉の、川を流れてゆくその速さであることよ、という詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※東京世田谷の九品仏(くほんぶつ)で得た吟と言われる。
※昭和3年(1928年)作。「虚子句集」所収。
※早さ・速さ… 古語では、「水流や風などの動きの速度が大きい」「動作がすばしこい。勢いがある」などの意で「速し・早し」のどちらもが使われていたことから、虚子は口語での厳密な用法にこだわらず、「速さ」ではなく「早さ」が自身の情感や意図に合った表現だったのかもしれない。古語の用いられた俳句には他に、「梨咲くと葛飾の野はとの曇り」(水原秋桜子)、「外(と)にも出よ触るるばかりに春の月」(中村汀女)、「万緑の中や吾子(あこ)の歯生え初むる」などがある。各項を参照のこと。
※高浜虚子(たかはまきょし)… 明治~昭和期の俳人・小説家。愛媛県松山市生まれ。正岡子規に師事。「ホトトギス」を主宰。客観写生・花鳥諷詠を主張し、定型・季語を離れた新傾向俳句を推進する河東碧梧桐と激しく対立した。昭和34年(1959年)没。
※花鳥諷詠(かちょうふうえい)… 昭和初期に高浜虚子が唱えたホトトギス派の主張。四季の変化によって生ずる自然界の現象およびそれに伴う人事界の現象を無心に客観的に詠むのが俳句の根本義であるとするもの。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。
■亡き母や海見る度に見る度に(小林一茶)
・なきははや うみみるたびに みるたびに
・眼前に穏(おだ)やかに広がる上総(かずさ)の海を見つめていると、遠い昔に亡くなってしまった私の母のことが思われてならない。こうして海を見つめる度に、放浪の我が身を思い、いっそう母が恋しくてならないのだ。
・悠久の時をさえそこに溶かし込み鎮まっている雄大な海の姿に亡き母の面影を追い、こみ上げてくる愛慕の情と感傷に深く浸っている。(無季語・初句切れ)
※亡き母や… 今は亡き私のお母さんが慕(した)われてならない、と詠嘆を表している。
※反復法。「見る度に」が繰り返されることで、一茶の亡き母へのあふれる思慕の情が強く胸に迫ってくる。
※無季語。
※文化九年(1812年)三月二十八日、一茶は千葉県富津(ふっつ)に入り、ここで海を見ている。一茶50歳の時の句。
※富津岬… 千葉県富津市西部の、東京湾に突き出た全長約5㎞の細長い砂州による岬。
※一茶は三歳で母親を失っている。
※「七番日記」所収。
※富津ではなく木更津(きさらづ)で詠まれたとする説もある。
◆富津岬でウインドサーフィンを楽しむ私
(08年4月19日撮影)
※小林一茶(こばやしいっさ)… 江戸後期の俳人。信濃国柏原の人。14歳で江戸に出て俳諧を学ぶ。方言、俗語を交えて、庶民の生活感情を平易に表現、ひがみ・自嘲・反抗心・弱者への同情心と童心の表れた、主観性の強い人生詩を多く残した。「おらが春」「七番日記」「父の終焉日記」など。文政十年(1827年)十一月十九日(新暦1月5日)没。享年64。
※「おらが春」… 一茶の没後25年経って刊行された俳句・俳文集。文政二年(1819年)、一茶57歳の元日から年末までの1年間の見聞・感想・発句などを収める。題名は「めでたさも中位なりおらが春」による。
■鳴く猫に赤ん目をして手毬かな(小林一茶)
・なくねこに あかんめをして てまりかな
・幼い女の子が軽やかに歌を謡(うた)いながら楽しく手毬(てまり)をついて遊んでいると、ぽんぽんはね動く手鞠に猫がじゃれついて来て邪魔をする。女の子は、猫が手毬を欲しがっていると思って、赤んべえをして、知らぬそぶりで手毬をつき続ける。そんな女の子の様子があどけなくてたいそう可愛らしいことだ。
・手鞠遊びに興じる少女のあどけない様子が目にありありと浮かぶ、大変ほほえましい印象を与える句である。(新年・句切れなし)
※赤ん目をして… あかんべえをして。
※手鞠(てまり)… 手でついて遊ぶためのまり。また、その遊び。正月の日の少女の遊びだった。新年の季語。
※手鞠かな… 手鞠遊びをしていることだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※前書きに、「小児のあどけなさを(幼い子どものあどけなさを)」とある。
※「一茶発句集」所収。
※小林一茶(こばやしいっさ)… 江戸後期の俳人。信濃国柏原の人。14歳で江戸に出て俳諧を学ぶ。方言、俗語を交えて、庶民の生活感情を平易に表現、ひがみ・自嘲・反抗心・弱者への同情心と童心の表れた、主観性の強い人生詩を多く残した。「おらが春」「七番日記」「父の終焉日記」など。文政十年(1827年)十一月十九日(新暦1月5日)没。享年64。
※「おらが春」… 一茶の没後25年経って刊行された俳句・俳文集。文政二年(1819年)、一茶57歳の元日から年末までの1年間の見聞・感想・発句などを収める。題名は「めでたさも中位なりおらが春」による。
■梨咲くと葛飾の野はとの曇り(水原秋桜子)
・なしさくと かつしかののは とのぐもり
・白く可憐(かれん)な梨(なし)の花を咲かせる季節を迎えた葛飾(かつしか)の野だが、空一面はうすぼんやりと曇り、心なしか梨の花の白までが空の色に溶け合ってしまっているようだ。
・のどかで穏(おだ)やかな葛飾の春の風情を詠っている。(春・句切れなし)
※「うすぼんやりと曇った空の下では、梨の白い花がいっそう鮮やかに映えて見える」という解釈もある。
※梨… 花は春の季語、実は秋の季語。この句では「梨咲く」を季語としてとる。
※梨咲くと… 梨の花が咲く季節を迎えたので。梨の花が咲く季節を迎える頃には。
※葛飾(かつしか)… 東京都葛飾区、千葉県市川市、埼玉県北葛飾郡などの江戸川流域。
※との曇(ぐも)り… 古語で、すっかり曇るの意。
※との曇り… すっかり曇っていることだ、という詠嘆を表している。
※体言止め。
※梨咲くと… 「梨咲くとて」の意で用いられているとされる。古語の「とて」には、「~というわけで・~というので」と原因・理由を表す用法、また、「~する際・~の時」の意がある。これらによれば、「梨さくとて」は「梨の花が咲く季節を迎えたので」「梨の花が咲く季節を迎える頃には」といった意味になる。秋桜子は自身の俳句に万葉集の技法を導入したことで知られる。古語の用いられた俳句には他に、「外(と)にも出よ触るるばかりに春の月」(中村汀女)、「万緑の中や吾子(あこ)の歯生え初むる」などがある。各項を参照のこと。
※昭和2年(1927年)、秋桜子35歳の時の作。「葛飾」(昭和5年)所収。
※水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)… 大正・昭和の俳人。東京生まれ。東大医学部卒業。医学博士。高野素十、阿波野青畝、山口誓子らとともに、名前の頭文字を取って「ホトトギス」の四Sと称された。近代的な明るさと都会人風の洗練された感覚、豊かな抒情を詠うその句風は、それまでの伝統的な俳句の境地を断然抜け出したものであった。しかし、その主情的な傾向は、「ホトトギス」の写実的傾向と一致せず、高浜虚子らと対立、昭和六年、「ホトトギス」を去る。のち「馬酔木」を主宰し、新興俳句の先駆者となる。昭和56年(1981年)没。享年89。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。
■夏河を越すうれしさよ手に草履(与謝蕪村)
・なつかわを こすうれしさよ てにぞうり
・真夏、盛んに日が照りつけるひとしおの暑さの中、涼しげなせせらぎを響かせている小川へとやって来た。戯(たわむ)れに川を越してみようと思い、着物の裾(すそ)をからげて、脱いだ草履(ぞうり)を手に持って、素足のまま川の流れに入って行った。すると、火照(ほて)った足に触れる水がひんやりとしてたいそう心地よく、子どもの頃に帰ったようで、なおうれしくなることだよ。
・童心に帰り、素足になって川に入って渡ってみようという蕪村の戯れ心やうきうきした気分、川の水の冷たい感触やその心地よさまでがよく伝わる、日常感覚の豊かな作品である。(夏・二句切れ)
※夏河(なつかわ)… 夏の川。夏の季語。
※夏河を越すうれしさよ… 夏川を越すうれしさと言ったらないよ、という詠嘆を表している。
※手に草履(ぞうり)… 草履(ぞうり)を脱いで手に持って。
※草履… わら、草、竹の皮などで編み、緒(お)をすげたはきもの。
※体言止め。
※前書きに、「細川のありてせんかんと流れければ(細い川があって、さらさらと流れているので)」とある。
※蕪村は宝暦四年(1754年)から七年まで丹後(京都北部)に滞在していたが、その間に加悦(かや)を訪れた折(おり)に詠(よ)まれた。加悦は蕪村の母の故郷と言われ、かつて蕪村が母と過ごしたことのある土地。母の面影を偲(しの)びつつ、自分の幼かった頃に思いを馳(は)せて詠んだのだろうか。「夏河」は、加悦町(2006年、合併により与謝野町となる)を流れる野田川または滝川ではないかと言われている。
※「蕪村句集」所収。
※与謝蕪村(よさぶそん)… 江戸中期の俳人・画家。摂津の人。客観的写生を重んじ、印象的、絵画的な特色を句風とし、明治になってから正岡子規の共鳴を得て生存当時よりはるかに高く評価されることになった。松尾芭蕉に復することを目指し、天明の中興俳諧の祖となった。「新花摘(しんはなつみ)」「蕪村句集(没後刊行)」など。天明三年(1783年)没。享年68。
■ 夏草に汽罐車の車輪来て止る(山口誓子)
・なつくさに きかんしゃのしゃりん きてとまる
・夏草が青々と生い茂る中の引込み線に、白い蒸気を噴(ふ)き出し、ながら、蒸気機関車が堂々とした姿で現われた。その黒光りした巨大で重厚な鉄の塊(かたまり)は徐々に速度を落とし、大きな黒い鉄の動輪を、やがてぴたりと停止させた。
・自然の静と人工物の動、あるがままに生きる植物の優しさと機関車の力強く圧倒的な存在感。クローズアップされる重厚な鉄塊(てっかい)の現実感と迫力。そして、車輪が回転を止めた後の静寂と余韻。二者の強烈な対照、また、対象に接近した低い視点がいっそうの効果を生み、まるで映画の一シーンを見ているような鮮烈な印象を与える見事な作品である。(夏・句切れなし)
※夏草… 夏に生い茂る草。夏の季語。
※汽罐車(きかんしゃ)… 機関車。
※来て止まる… 来て止まったことだ、という詠嘆を表している。
※字余り。
※誓子自身はこの句について、「機関車が駅の構内のはずれまで来て止まった。駅は大阪駅がまだ地上にあった頃だ。止まるということは車輪が止まることであった。ゆるやかに廻っていた大きな車輪がびたっと止まったのだ。その車輪を迎えるようにして夏草が茂っていた。その夏草の中で機関車は止まったのだ。夏草と車輪、この二つのものを思ってほしい」と述べている。
※昭和8年(1933年)作。「黄旗」(昭和10年)所収。
※山口誓子(やまぐちせいし)… 大正~平成の俳人。京都市生まれ。東大在学中の大正末から昭和初頭には既に水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)、高野素十(たかのすじゅう)、阿波野青畝(あわのせいほ)らと並んでホトトギスの四S時代と呼ばれる一時期を形成した。古い伝統的な俳句世界から抜け出し、自然を即物的に、かつメカニックに描き出し、また斬新、近代的な作風が特徴。知的構成を用い、素材の範囲を現代都市生活に拡大して新興俳句運動を推進した。平成6年(1994年)没。享年92。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。
■夏草や兵どもが夢の跡(松尾芭蕉)
・なつくさや つわものどもが ゆめのあと
・奥州(おうしゅう)平泉の高館(たかだち)、ここは昔、源義経の家臣の武士たちが戦い、働きや手柄(てがら)を競った場所であるが、時の経過は空しくもすべてを押し流し、今となっては武士たちの夢はすべて跡形(あとかた)もなく消え去ってしまった。ただ一面に夏草が、昔のままに深く茂っているだけである。ああ、この世は実に、夢のように儚(はかな)いものである。
・眼前の夏草の実相を通じて歴史の波を懐古し、それが今となっては夢のように儚(はかな)いことだという感慨が詠われている。(夏・初句切れ)
※夏草… 夏に生い茂る草。夏の季語。
※夏草や… 夏草であることだ、と詠嘆を表している。ここでは、合戦場の生々しさや膨大な空白の時間の流れ、空しい歴史の推移などといったものへの詠嘆が込められている。
※兵(つわもの)ども… 武士たち。兵士たち。ここでは、源義経やその家来たち、そして当地で栄達を誇った藤原氏一族を指す。
※兵どもが… 武士たちの。兵士たちの。
※夢の跡… ここでは、兵どもの功名(こうみょう)への夢とその失敗の空虚、人間の栄華(えいが)の夢の空しさなどを意味する。
※体言止め。
※前書きには次のようにある。[さても義臣すぐってこの城にたてこもり、功名一時の叢となる。国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠うち敷きて時のうつるまで涙を落とし侍りぬ」(さて、思うに義経は忠義の家臣をえらんでこの城に立てこもっていたのだが、その人々の功名、手柄も一瞬の露とはかなく消えてしまい、今はただ草が生い茂るばかりである。杜甫の、『国破れて山河あり、城春にして草青みたり』という「春望」の詩を思い出しながら、笠をうち敷いて、長い間懐旧の涙にむせんでいたことである。)
※元禄二年(1689年)夏、芭蕉、「おくのほそ道」の旅の途上、奥州平泉での吟。
※松尾芭蕉(まつおばしょう)… 江戸前期の俳人。伊賀上野の人。江戸深川の芭蕉庵に移った頃から独自の蕉風(しょうふう)を開拓。各地への旅を通じて、不易流行(ふえきりゅうこう)の思想を形成し、俳諧を文芸的に高めた。「おくのほそ道」「野ざらし紀行」「更級日記」「笈の小文」など。元禄七年(1694年)十月十二日(新暦11月28日)没。享年51。
※蕉風(しょうふう)… 松尾芭蕉およびその門流の信奉する俳風。美的理念としては、幽玄、閑寂を重んじ、さび・しおり・細み・軽みを尊ぶ。
※不易流行(ふえきりゅうこう)… 蕉風俳諧の理念の一つ。俳諧には不易(時代を超えて変わらないこと)の句と流行の句とがあるが、流行の句も時代を超えて人々に訴えればそれは不易の句であり、ともに俳諧の本質を究めることから生じ、根本は一つであるという論。
※「おくのほそ道」… 松尾芭蕉の俳文紀行。元禄二年(1689年)3月末江戸を出発し、東北・北陸を巡り美濃大垣(岐阜県)に至る約150日間、およそ六百里(約2400㎞)の旅日記。洗練された俳文・俳句は芭蕉芸術の至境を示している。元禄七年(1694年)頃成立。元禄十五年(1702年)刊。芭蕉自身は「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」という表記を好んで用いていた。原文の題名もこの表記となっている。
■夏山や一足づつに海見ゆる(小林一茶)
・なつやまや ひとあしずつに うみみゆる
・草木が青々と茂る夏の山路(やまじ)を辿(たど)り、汗をかきかき一歩一歩と登ってゆくと、やがて一足ごとに視界が開け、青々と澄んだ広大な海が眼下に見えてくる。
・夏山の緑の生彩と対照される壮大な海の眺望、一茶の明るく弾む気分がよく伝わってくる。「一足づつに」という表現が海の眺望の動的変化だけでなく、それとともに高まっていく一茶自身の感情をも生き生きと描き出しており、夏山を楽しみ、海を眺めながらさわやかな気分を満喫している一茶の、明るく健康的な笑顔がありありと思い浮かぶ句である。(夏・初句切れ)
※夏山… 夏の山。夏草や木が繁茂(はんも)した山。また、夏に登る山、夏の登山の意。夏の季語。
※夏山や… 夏山であることだよ、と詠嘆を表している。
※一足づつに… 一歩一歩と登るごとに。
※享和三年(1803年)五月、一茶が木更津(きさらづ:千葉県)に滞在した折の句。
※「享和句帖」(享和3年)所収。
※小林一茶(こばやしいっさ)… 江戸後期の俳人。信濃国柏原の人。14歳で江戸に出て俳諧を学ぶ。方言、俗語を交えて、庶民の生活感情を平易に表現、ひがみ・自嘲・反抗心・弱者への同情心と童心の表れた、主観性の強い人生詩を多く残した。「おらが春」「七番日記」「父の終焉日記」など。文政十年(1827年)十一月十九日(新暦1月5日)没。享年64。
※「おらが春」… 一茶の没後25年経って刊行された俳句・俳文集。文政二年(1819年)、一茶57歳の元日から年末までの1年間の見聞・感想・発句などを収める。題名は「めでたさも中位なりおらが春」による。
■菜の花の中へ大きな入日かな(夏目漱石)
・なのはなの なかへおおきな いりひかな
・菜の花畑に広っている黄色い花々を鮮やかに照りわたしながら、赤く大きな太陽が、今、ゆっくりと沈んでゆこうとしていることだ。
・静かで広々とした菜の花畑にゆっくりと沈もうとしている大きな夕日が温もりを感じさせ、また、夕日の色に染まり、いっそう美しく照り映える菜の花の黄色が大変美しく鮮やかな印象を与える。「な」の音の多用も声調に柔らかな響きを与えており、春の夕景の穏やかな気分がよく伝わる句である。(春・句切れなし)
※菜の花… 春の季語。テスト頻出。
※入日(いりひ)… 入り日。沈みかけている太陽。夕日。落日。
※入日かな… 夕日であることだよ、と詠嘆を表している。
※夏目漱石(なつめそうせき)… 小説家・英文学者。江戸、牛込生まれ。日本近代文学の巨匠。俳句は正岡子規と高等学校以来の友人だったので、子規にすすめられて早くから詠み出し、その後小説を書き出しても、折に触れて句を詠み続けた。「吾輩は猫である」「坊っちゃん」「三四郎」「虞美人草」「こころ」など。大正5年(1916年)没。享年49。
■菜の花や月は東に日は西に(与謝蕪村)
・なのはなや つきはひがしに ひはにしに
・春の穏やかな一日が終わろうとしている。東の地平には赤味を帯びた大きな夕月が昇り始め、西の空には夕日が残光をひときわ輝かせながら没(ぼっ)しようとしている。見晴るかす平野に菜の花畑はどこまでも続き、鮮やかなその黄色の花々が、黄昏(たそがれ)の中に美しく浮かび上がって見えている。
・静かな夕暮れ時の美しい春景である。色彩に富み、雄大な光景を絵画的に描いている。(春・初句切れ)
※菜の花… 春の季語。テスト頻出。
※菜の花や… 菜の花であることだよ、と詠嘆を表している。
※月… 秋の季語。
※季重なり… 一句の中に二つ以上季語が入っている場合、これを季重なりという。一句の主題が不鮮明になるので嫌うが、主旨がはっきりし一句が損なわれない時に用いられる。この場合、一句の主題となっているほうを季語とする。感動の集中を示す「切れ字」が用いられている場合は、その位置によって主題となる季語を判別することもできる。この句では感動の重点が置かれている「菜の花」を季語ととる。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※省略法… 「月は東の空にあり(昇りはじめ)、夕日は西の空にあり(沈もうとしている)」という意味だが、動詞を省略することで夕暮れの春景にふさわしいゆったりとした余情が生まれている。
※「月は東に日は西に」… 対句法。「月は東に」と「日は西に」が対(つい)をなす表現となっており、両者の対比によって印象がより鮮明となっている。
※対句法… 内容の対立する言葉や似た言葉を並べて調子を整え、意味を強調し印象を深める。この句ではこの対句法の知識を問われるので要注意。
※蕪村は漢詩文を愛好しており、この句は陶淵明(とうえんめい:4~5世紀に活躍した中国の詩人)による次の詩を踏まえているとされる。
「白日(はくじつ)西阿(せいあ)に淪(しづ)み、素月(そげつ)東嶺(とうれい)に出(い)づ。遙々(ようよう)たり萬里(ばんり)の暉(ひか)り、蕩々(とうとう)たり空中の景(太陽が西の山に沈み、白い月が東の峰から昇った。月光は遙か遠くにまで照りわたり、夜空一杯にその光を広げている)」
※また、万葉集における柿本人麻呂作、「東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」にも影響を受けていると考えられる。
※安永三年(1774年)春、蕪村が神戸六甲山脈の摩耶山(まやさん:標高約700m)を訪れた際の、即興での吟と言われる。俳人高井几董(たかいきとう)編、「続明烏(ぞくあけがらす)」(安永五年)所収。
※与謝蕪村(よさぶそん)… 江戸中期の俳人・画家。摂津の人。客観的写生を重んじ、印象的、絵画的な特色を句風とし、明治になってから正岡子規の共鳴を得て生存当時よりはるかに高く評価されることになった。松尾芭蕉に復することを目指し、天明の中興俳諧の祖となった。「新花摘(しんはなつみ)」「蕪村句集(没後刊行)」など。天明三年(1783年)没。享年68。
■寝返りをするぞそこのけきりぎりす(小林一茶)
・ねがえりをするぞ そこのけ きりぎりす
・おい、いつの間にか私の寝床(ねどこ)に居座(いすわ)って悠然と鳴いているいるきりぎりすよ、さあ、私は寝返りをするから、そこを退(の)いておくれよ。でないと、お前がつぶれてしまうから。
・「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」「やせ蛙負けるな一茶これにあり」「やれ打つな蠅が手をする足をする」「我と来て遊べや親のない雀」などの句と同様、一茶の小さな生き物に対する優しさや愛情のあふれた句である。親しみを込めて対象に呼びかけることで、温かな眼差しや思いやりがいっそう強く感じられる。(秋・中間切れ)
※きりぎりす… 秋の季語。チョンギース、と鳴く。ただし、「きりぎりす」は現在のコオロギのことで、キリギリスは古くは「機織(はたお)り」「機織り女(め)」などと呼ばれた。
※体言止め。
※呼びかけ法… 「寝返りをするぞ」「そこを退(の)けよ」「きりぎりすよ」と、きりぎりすを思いやり、親しみを込めて呼びかけている。
※「寝返りをするぞ ・ そこのけ ・ きりぎりす」と、中七(二句)の途中で切れているとともに、意味上の切れは二か所ある。
※中間切れ… 文としての意味の流れが途切れるところを「句切れ」と言い、初句(上五)で切れる「初句切れ」、二句(中七)で切れる「二句切れ」、結句(下五)までを一つの文としてとらえる「句切れなし」がある。また、それ以外に主に二句(中七)の途中で切れる「中間切れ」がある。
例:
万緑の中や ・ 吾子の歯生え初むる(中村草田男)… 中七(二句)の中間切れ
蒲公英のかたさや ・ 海の日も一輪(中村草田男)… 中七(二句)の中間切れ
風吹けば来るや ・ 隣の鯉幟(高浜虚子)… 中七(二句)の中間切れ
木の葉ふりやまず ・ いそぐないそぐなよ(加藤楸邨)… 中七(二句)の中間切れ
跳躍台人なし ・ プール真青なり(水原秋桜子)… 中七(二句)の中間切れ
算術の少年しのび泣けり ・ 夏(西東三鬼)… 下五(結句)の中間切れ
※「一茶発句集」では、「寝返りをするぞ脇よれきりぎりす」となっている。
※文化十三年(1816年)七月、一茶54歳の時の句。「七番日記」所収。
※小林一茶(こばやしいっさ)… 江戸後期の俳人。信濃国柏原の人。14歳で江戸に出て俳諧を学ぶ。方言、俗語を交えて、庶民の生活感情を平易に表現、ひがみ・自嘲・反抗心・弱者への同情心と童心の表れた、主観性の強い人生詩を多く残した。「おらが春」「七番日記」「父の終焉日記」など。文政十年(1827年)十一月十九日(新暦1月5日)没。享年64。
※「おらが春」… 一茶の没後25年経って刊行された俳句・俳文集。文政二年(1819年)、一茶57歳の元日から年末までの1年間の見聞・感想・発句などを収める。題名は「めでたさも中位なりおらが春」による。
■葱白く洗ひたてたる寒さかな(松尾芭蕉)
・ねぶかしろく あらいたてたる さむさかな
・すっかり洗いあげて真っ白になったこのねぎを見ていると、冬の寒さがそこに凝縮(ぎょうしゅく)しているかのように感じられ、寒さがいっそう身にしみることだ。
・冬の烈々たる寒さを、ねぎの鮮烈な白さという色彩によって表現している。寒さという感覚を視覚的に表現したところに芭蕉の独創性、繊細で鋭敏な感覚が感じ取れる。(冬・句切れなし)
※葱(ねぶか)… ネギ。根が深いところから「根深(ねぶか)」とも書く。冬の季語。ちなみに「大根」「白菜」「みかん」も冬の季語。
※洗ひたてたる… 「洗いあげた」の意で、洗う動作を強調した表現。
※寒さ… 冬の季語。
※寒さかな… 寒さであることだ、と詠嘆を表している。
※季重なり… 一句の中に二つ以上季語が入っている場合、これを季重なりという。一句の主題が不鮮明になるので嫌うが、主旨がはっきりし一句が損なわれない時に用いられる。この場合、一句の主題となっているほうを季語とする。感動の集中を示す「切れ字」が用いられている場合は、その位置によって主題となる季語を判別することもできる。この句では感動の重点が置かれている「寒さ」を季語ととる。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※字余り。
※聴覚による感受を視覚的に表現した芭蕉の作品に「海暮れて鴨の声ほのかに白し」があるので参照のこと。
※小学生への出題の都合、「ねぎ白く洗ひたてたる寒さかな」と、「葱(ねぶか)」を「ねぎ」と表記する場合がある。
※「葱白く洗いあげたる白さかな」は誤伝によるもの。
※元禄四年(1691年)冬、芭蕉、上方から江戸への帰途、美濃国垂井の本龍寺での作。
※松尾芭蕉(まつおばしょう)… 江戸前期の俳人。伊賀上野の人。江戸深川の芭蕉庵に移った頃から独自の蕉風(しょうふう)を開拓。各地への旅を通じて、不易流行(ふえきりゅうこう)の思想を形成し、俳諧を文芸的に高めた。「おくのほそ道」「野ざらし紀行」「更級日記」「笈の小文」など。元禄七年(1694年)十月十二日(新暦11月28日)没。享年51。
※蕉風(しょうふう)… 松尾芭蕉およびその門流の信奉する俳風。美的理念としては、幽玄、閑寂を重んじ、さび・しおり・細み・軽みを尊ぶ。
※不易流行(ふえきりゅうこう)… 蕉風俳諧の理念の一つ。俳諧には不易(時代を超えて変わらないこと)の句と流行の句とがあるが、流行の句も時代を超えて人々に訴えればそれは不易の句であり、ともに俳諧の本質を究めることから生じ、根本は一つであるという論。
※「おくのほそ道」… 松尾芭蕉の俳文紀行。元禄二年(1689年)3月末江戸を出発し、東北・北陸を巡り美濃大垣(岐阜県)に至る約150日間、およそ六百里(約2400㎞)の旅日記。洗練された俳文・俳句は芭蕉芸術の至境を示している。元禄七年(1694年)頃成立。元禄十五年(1702年)刊。芭蕉自身は「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」という表記を好んで用いていた。原文の題名もこの表記となっている。
■野ざらしを心に風のしむ身かな(松尾芭蕉)
・のざらしを こころにかぜの しむみかな
・これより私は長い旅に出るのだが、いつ白骨をさらして野山にのたれ死すようなことになるかわからない。そんな我が身を覚悟して、いざ出立しようとすると、折からの秋の風はことさら身にしみて、ひどくわびしい思いをさせられることだ。
・芭蕉にとって芸術上の新天地開拓のための新たな旅であるが、いつまた無事に戻れるか知れない。芭蕉の心に交錯する悲愴感、そして旅への並々ならぬ決意、覚悟が表れている。(秋・句切れなし)
※野ざらし… 山野で風雨にさらされること。また、白骨だけになったもの。
※心… ①「野ざらしを心に(覚悟して)」、②「心に風のしむ身であることだ」と二つの意味を持たせてある。正岡子規の短歌、「くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨の降る」を参照のこと。
※身にしむ… 秋の季語。秋も次第に深まり、寒さがしみじみと身にしみる、の意。語順を変え、「しむ身」としている。
※心に風のしむ身かな… 心に風のしむ身であることだ、と詠嘆を表している。
※「野ざらし紀行」の旅に出る折の芭蕉の並々ならぬ決意と悲愴感が表れた句である。この旅の後、「笈(おい)の小文」の旅立ちに際して詠まれた「旅人と我が名呼ばれん初時雨」では、初時雨に降られながら行く旅人のような境遇に自分も早くなりたいという、颯爽(さっそう)とした芭蕉の強い意欲と期待感がにじみ出ている。テストでは両作品の対照的な心情について問われる場合があるので注意しよう。
※「野ざらし紀行」… 俳諧紀行。貞享(じょうきょう)元年(1684年)秋、前年に死去した母の墓参を目的に、門人苗村千里(なえむらちり)を伴い江戸から伊賀に帰郷、その後吉野・山城・美濃・尾張などに遊び、翌年四月江戸に戻るまでの道中記。蕉風樹立への意欲が見られる。「野ざらし」は、旅立ちに際して詠んだ一句「野ざらしを心に風のしむ身かな」に由来する。貞享(じょうきょう)二年(1685年)成立。
※貞享元年(1684年)秋八月、芭蕉41歳の時の吟。
※松尾芭蕉(まつおばしょう)… 江戸前期の俳人。伊賀上野の人。江戸深川の芭蕉庵に移った頃から独自の蕉風(しょうふう)を開拓。各地への旅を通じて、不易流行(ふえきりゅうこう)の思想を形成し、俳諧を文芸的に高めた。「おくのほそ道」「野ざらし紀行」「更級日記」「笈の小文」など。元禄七年(1694年)十月十二日(新暦11月28日)没。享年51。
※蕉風(しょうふう)… 松尾芭蕉およびその門流の信奉する俳風。美的理念としては、幽玄、閑寂を重んじ、さび・しおり・細み・軽みを尊ぶ。
※不易流行(ふえきりゅうこう)… 蕉風俳諧の理念の一つ。俳諧には不易(時代を超えて変わらないこと)の句と流行の句とがあるが、流行の句も時代を超えて人々に訴えればそれは不易の句であり、ともに俳諧の本質を究めることから生じ、根本は一つであるという論。
※「おくのほそ道」… 松尾芭蕉の俳文紀行。元禄二年(1689年)3月末江戸を出発し、東北・北陸を巡り美濃大垣(岐阜県)に至る約150日間、およそ六百里(約2400㎞)の旅日記。洗練された俳文・俳句は芭蕉芸術の至境を示している。元禄七年(1694年)頃成立。元禄十五年(1702年)刊。芭蕉自身は「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」という表記を好んで用いていた。原文の題名もこの表記となっている。
■俳句の通釈:「は」行
■麦秋の中なるが悲し聖廃墟(水原秋桜子)
・ばくしゅうの なかなるがかなし せいはいきょ
・麦が豊かに実り、その収穫を迎えようとしている初夏、原爆で廃墟(はいきょ)となった長崎の浦上天主堂(うらかみてんしゅどう)を訪れた。一部の壁を残したのみで、あとはことごとく瓦礫(がれき)と化してしまったその教会の無残な姿を目の当たりにした私は、言い知れぬ空(むな)しさと悲しみに襲われ、ただただ黙ってそれを見つめているしかなかったことだ。
・麦の豊かな実り、初夏の美しさと対照されることで、原爆によって破壊された教会の無残な姿がいっそう生々しく、そして空しい。作者の心に深く刻まれた悲しみ、怒り、空しさ、やりきれない思いがひしひしと伝わってくる。(夏・二句切れ)
※麦秋(ばくしゅう)… 麦が熟し、刈り入れをする初夏のころ。麦秋(むぎあき)。麦の秋。夏の季語。秋の季語と間違える小学生が圧倒的に多いので、テストで頻出。
※麦秋の中なるが… 麦が豊かに実る美しい初夏であるのに。
※麦秋の中なるが悲し… 麦が豊かに実る美しい初夏であるというのにこの悲しさよ、と詠嘆が表されている。
※聖廃墟(せいはいきょ)… ここでは、廃墟となったキリスト教会のこと。戦後間もなく、秋桜子(しゅうおうし)は長崎の浦上天主堂を訪れ、被爆した惨状を目の当たりにしてこの句を詠んだ。
※体言止め。
※字余り。
※浦上天主堂… 浦上教会。キリスト教のカトリック教会堂。1945年8月9日、長崎への原爆投下により、爆心地から約500mの場所にあった浦上天主堂は、ほぼ原形をとどめないまでに破壊された。この時、天主堂の中にいた司祭や多くの信徒たちは崩れてきた瓦礫の下敷きとなり、全員が死亡。廃墟(はいきょ)となった浦上天主堂はその後、昭和34年(1959年)に同じ場所に再建され、廃墟の中から取り出された大鐘(おおがね)は現在も天主堂から浦上の町に毎日その音を響かせている。
※水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)… 大正・昭和の俳人。東京生まれ。東大医学部卒業。医学博士。高野素十、阿波野青畝、山口誓子らとともに、名前の頭文字を取って「ホトトギス」の四Sと称された。近代的な明るさと都会人風の洗練された感覚、豊かな抒情を詠うその句風は、それまでの伝統的な俳句の境地を断然抜け出したものであった。しかし、その主情的な傾向は、「ホトトギス」の写実的傾向と一致せず、高浜虚子らと対立、昭和六年、「ホトトギス」を去る。のち「馬酔木」を主宰し、新興俳句の先駆者となる。昭和56年(1981年)没。享年89。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。1897年(明治30年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。
■白牡丹といふといへども紅ほのか(高浜虚子)
・はくぼたんと いうといえども こうほのか
・白牡丹(はくぼたん)と呼ばれる花ではあるが、よく見ればほのかに紅(べに)が差していて、それがいっそう清楚で気品のある美しさであることだ。
・大ぶりで豪華な白牡丹の花ではあるが、そこに淡い紅色を発見した作者の驚きが感じられる。たゆとうようなゆったりとした調子の中に、白牡丹の気品と色香が美しく詠まれている句である。(夏・句切れなし)
※白牡丹(はくぼたん)… 白い花の牡丹。夏の季語。
※牡丹(ぼたん)… キンポウゲ科の落葉低木。5月頃、赤、白、桃色などの大きな花をつける。古来、花の王として尊ばれる。中国原産。夏の季語。
※といふといへども… ~と呼ばれるとは言っても。
※紅(こう)ほのか… うっすらと紅色が差しているさま。
※紅ほのか… うっすらと紅色を差していることだ、という詠嘆を表している。
※字余り。
※実際は虚子(きょし)自身が眼前の白牡丹を写生したわけではなく、句会の席題(せきだい)として予め決められていた「牡丹」という題に基づいて、虚子が牡丹の印象を観念的に描き出した句だった。
※大正14年(1925年)5月17日作。句集「五百句」所収。
※高浜虚子(たかはまきょし)… 明治~昭和期の俳人・小説家。愛媛県松山市生まれ。正岡子規に師事。「ホトトギス」を主宰。客観写生・花鳥諷詠を主張し、定型・季語を離れた新傾向俳句を推進する河東碧梧桐と激しく対立した。昭和34年(1959年)没。
※花鳥諷詠(かちょうふうえい)… 昭和初期に高浜虚子が唱えたホトトギス派の主張。四季の変化によって生ずる自然界の現象およびそれに伴う人事界の現象を無心に客観的に詠むのが俳句の根本義であるとするもの。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。
■箱根こす人もあるらし今朝の雪(松尾芭蕉)
・はこねこす ひともあるらし けさのゆき
・朝、起きがけに戸を開けて外を見ると、一面の雪景色である。今、私はこの家の主に厚いもてなしを受けて安息しているが、先ごろ私も越えてきたあの険しい箱根(はこね)の峠(とうげ)を思うと、今も雪道にさぞ難渋(なんじゅう)しながら越える旅人もあることだろうよ。
・自分自身もが先頃越えてきた箱根に思いを馳せ、「ただでさえ険しい箱根峠を、今ごろ雪に難渋しながら越えている旅人もきっとあることだろうよ」と、その旅人を思いやり、しみじみと共感を寄せている。(冬・二句切れ)
※箱根… 箱根峠。神奈川県と静岡県の境に位置する東海道の要衝(ようしょう:軍事や交通の面での重要な場所)で、地形の険しいことで知られる。
※あるらし… いるらしい。あるらしい。
※あるらし… あるらしいことだよ、という詠嘆を表している。
※雪… 冬の季語。ちなみに、「残雪」「雪崩(なだれ)」は「春になっても残っている雪」の意であるから春の季語。
※体言止め。
※貞享四年(1687年)十二月四日(新暦1月6日)、「笈(おい)の小文」の旅の途上、名古屋での吟。芭蕉、この時44歳。
※松尾芭蕉(まつおばしょう)… 江戸前期の俳人。伊賀上野の人。江戸深川の芭蕉庵に移った頃から独自の蕉風(しょうふう)を開拓。各地への旅を通じて、不易流行(ふえきりゅうこう)の思想を形成し、俳諧を文芸的に高めた。「おくのほそ道」「野ざらし紀行」「更級日記」「笈の小文」など。元禄七年(1694年)十月十二日(新暦11月28日)没。享年51。
※蕉風(しょうふう)… 松尾芭蕉およびその門流の信奉する俳風。美的理念としては、幽玄、閑寂を重んじ、さび・しおり・細み・軽みを尊ぶ。
※不易流行(ふえきりゅうこう)… 蕉風俳諧の理念の一つ。俳諧には不易(時代を超えて変わらないこと)の句と流行の句とがあるが、流行の句も時代を超えて人々に訴えればそれは不易の句であり、ともに俳諧の本質を究めることから生じ、根本は一つであるという論。
※「おくのほそ道」… 松尾芭蕉の俳文紀行。元禄二年(1689年)3月末江戸を出発し、東北・北陸を巡り美濃大垣(岐阜県)に至る約150日間、およそ六百里(約2400㎞)の旅日記。洗練された俳文・俳句は芭蕉芸術の至境を示している。元禄七年(1694年)頃成立。元禄十五年(1702年)刊。芭蕉自身は「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」という表記を好んで用いていた。原文の題名もこの表記となっている。
■葉桜の中の無数の空さわぐ(篠原梵)
・はざくらのなかの むすうのそらさわぐ
・青嵐(あおあらし・せいらん)が吹くこの日、葉桜の木の下に立ち、見上げると、あれほど絢爛(けんらん)と咲き誇(ほこ)っていた花は、いつしか散り果てている。しかし、替わって茂り始めた若葉の緑の、何とみずみずしいことだろう。底知れぬ生命の息吹を感じさせる葉桜の梢(こずえ)はすがすがしい風に揺れ、戦(そよ)ぐ葉の間からは、初夏の明るい空が、無数の断片となって見え隠(かく)れしている。
・心地よい初夏の風を受けながら戦ぐ若葉のみずみずしさと、若葉の鮮やかな緑の間に無数に見え隠れする空の自由なきらめき。生命感のあふれた美しい初夏を迎え、作者の心もまたすがすがしく明るい。(夏・句切れなし)
※青嵐(あおあらし・せいらん)… 青葉の茂るころに吹くやや強い風。夏の季語。
※絢爛(けんらん)… きらびやかで美しいさま。
※葉桜(はざくら)… 花が散って若葉が出始めた頃から新緑で覆われる時期までの桜。それ以降の、単に葉を茂らせた状態の桜は葉桜とは呼ばれない。夏の季語。春の季語と間違えやすいので注意。
※空さわぐ… 吹きわたる風に枝葉が戦ぎ、その間から明るい空がせわしなく断片的に見え隠れして、まるで空がさわいでいるようであることだよ、という詠嘆を表している。
※空さわぐ… 擬人法。吹きわたる風に枝葉が戦ぎ、その間から明るい空がせわしなく断片的に見え隠れしている様子をたとえている。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※句集「皿」(昭和16年)所収。
★季節の境目に当たる風物には特に小学生にとっては判断に迷う季語が多い。日がな一日机に向ってばかりいるのではなく、普段から季節の移り変わりやその風物にも関心を持ち、人と人との関わりを大切にし、視野を広げ、世の中の動きにも目を向け、考える姿勢が大切。
※篠原梵(しのはらぼん)… 昭和期の俳人。愛媛県松山市生まれ。日常生活に取材した知的かつ正確な表現の作風で注目された。中村草田男、加藤楸邨、石田波郷と並んで人間探求派の一人と目され、晩年は口語調の俳句も志向した。
※口語体の俳句について篠原は次のように述べている。「俳壇人というもの、文章を書くときはかなり普通のことばで書くのに、俳句作品となると時代ばなれ、あるいは日常ばなれをする。お互いに変だとも気づかず 、または思わず、そうしてあやしまない。俳句結社が反社会的集団ではないのに、歳月が経てば経つほど、世間ばなれをしてゆく文語体で物事をあらわそうとするこの創作活動をどう考えているのであろうか。これはおかしいのではないかと疑ってみたりしないのだろうか。日常普段のことばであらわすのでないと、把握することのできない、言いあらわすことのできない何物かを逃がすことになるのではなかろうか。新しい感覚や角度が見えて来ないのではないか。(中略)平常のことばで作らないといけない。口語体でつくるのがほんとうである。」 昭和50年(1975年)没。享年65。
■橋落ちて人岸にあり夏の月(炭太祇)
・はしおちて ひときしにあり なつのつき
・夏の豪雨のために大水(おおみず)が出、橋が流されてしまったという。川はなお水かさを増したまま、音を立てて渦巻(うずま)き、速く激しく流れている。どちらの岸にも人々が集まって、そんなありさまを見つめながら、皆、なすすべもなく佇(たたず)んでいる。人々の上からは、美しく澄(す)んだ月が、何事も無かったかのように、煌煌(こうこう)とその光を照らしているばかりだ。
・自然の猛威を目の当たりにしても、なすすべもなく見守っているしかない人間の弱さ、小ささ。そして、すべてのありさまを、何事もなかったかのように、あるいは冷徹に、あまねく照らす夏の月。両者の対比が効果的に生かされ、川の流れの音や人々の囁き合う声までが聞こえてきそうである。人々の胸に去来するさまざまな思いまでも一枚の絵の中に封じ込めてしまっているかのような絵画的な印象があり、不穏な空気を漂わせながらも、これもまた静かな夏の晩の一風景である。(夏・二句切れ)
※煌煌(こうこう)と… きらきらと光り輝くさま。
※橋落ちて… (大水などのため)橋が流されて。
※人岸にあり… 人々が岸辺にいることだ、という詠嘆を表している。
※夏の月… 夏の季語。「月」の一語単独では秋の季語。
※「五月雨や大河を前に家二軒」(与謝蕪村)を参照のこと。
※「太祇句選」所収。
※炭太祇(たんたいぎ・すみたいぎ)… 江戸中期の俳人。江戸の人。40歳を過ぎて京都に上り、紫野大覚寺の僧となったが、間もなくして島原遊廓(ゆうかく)内に不夜庵を結び、与謝蕪村らと交わる。句風は人事句を得意とし、叙景句にも佳句が多い。俳句の題材を広げた功績は大きく、俳諧史上独自の地歩を築いた。明和八年(1771年)八月九日没。享年63。
■初時雨猿も小蓑をほしげなり(松尾芭蕉)
・はつしぐれ さるもこみのを ほしげなり
・寂(さび)しい山中の道をたどっていると、この冬初めての時雨(しぐれ)が降ってきた。ふと樹上を見ると、猿がぽつんと雨に濡(ぬ)れそぼっている。寂しい思いで旅をしている私は、そのしょんぼりとした猿の姿に哀れを誘われ、猿もきっとこの雨に困って、小さな蓑(みの)を欲しがっているのだろうよ、と思ったことだった。
・寂しい山中で遭(あ)った生き物への懐かしさや親愛感が伝わり、また、猿の悲しい境遇、哀(あわ)れさを芭蕉自身の姿に重ね合わせて詠んでいる。(冬・初句切れ)
※初時雨(はつしぐれ)… 冬になって初めて降る時雨。冬の季語。
※初時雨… 初時雨であることだ、という詠嘆を表している。
※時雨(しぐれ)… 晩秋から初冬にかけて、ぱらぱらと降ったりやんだりする雨。冬の季語。テスト頻出。
※小蓑(こみの)… 藁(わら)・かや・すげ・しゅろなどで編んで作った、肩から羽織る雨具が「蓑(みの)」だが、これを羽織るのが猿と見立てているため、「小」を付けてある。
※ほしげなり… 欲しそうにしている様子だ。
※元禄二年(1689年)冬、芭蕉46歳の時の作。芭蕉が「おくのほそ道」の旅を終えた後、伊勢(いせ:伊勢神宮)の遷宮(せんぐう)を拝み、故郷である伊賀(現三重県中西部)へ帰る山中での吟。
※伊勢の遷宮… 伊勢神宮で二十年ごとに本殿を改築し、神霊を移す儀式。
※「猿蓑(さるみの)」所収。
※この句については別の解釈がある。
・寂(さび)しい山中の道をたどっていると、この冬初めての時雨(しぐれ)が降ってきた。冷たい雨ではあるが、もうこの季節初めての時雨に遭(あ)ったのかと思うと、妙に気持ちが高ぶってくる。樹上にいて雨に濡(ぬ)れそぼっているお猿さんよ、お前も小さな蓑を着て、この初時雨の風情を楽しみたいのかいと、何とはなしに弾(はず)んだ気持ちで猿に呼びかけたことだった。
・初句「初時雨」にある「初」に読めるのは、その年初めての時雨に遭(あ)った芭蕉の軽い興奮、また、その風情を楽しみたいという弾んだ気持ちであるとし、単なる猿への同情心からではなく「お猿さんよ、お前も小蓑をつけてこの初時雨の風情を楽しみたいのかい」と呼びかけているとするとらえ方である。
※初句で切れ、また、結句にも詠嘆が込められているので、本来は二段切れ。
※二段切れ… ①一句に切れ字を二つ用いたり、②名詞による切れ目を作ることで感動の焦点が二か所に分散、互いに相殺されることで作品として失敗する場合が多いので嫌われる。しかし、名詞による切れ目は俳句では一般に用いられているので、これを敢えて二段切れと呼ぶ意味合いは薄れている。どちらに強い詠嘆を込めるかは作者の感覚によるところが大きい。
例:
①松籟(しょうらい)や ・ 百日の夏来たりけり(中村草田男)
②赤とんぼ ・ 筑波に雲もなかりけり(正岡子規)
※松尾芭蕉(まつおばしょう)… 江戸前期の俳人。伊賀上野の人。江戸深川の芭蕉庵に移った頃から独自の蕉風(しょうふう)を開拓。各地への旅を通じて、不易流行(ふえきりゅうこう)の思想を形成し、俳諧を文芸的に高めた。「おくのほそ道」「野ざらし紀行」「更級日記」「笈の小文」など。元禄七年(1694年)十月十二日(新暦11月28日)没。享年51。
※蕉風(しょうふう)… 松尾芭蕉およびその門流の信奉する俳風。美的理念としては、幽玄、閑寂を重んじ、さび・しおり・細み・軽みを尊ぶ。
※不易流行(ふえきりゅうこう)… 蕉風俳諧の理念の一つ。俳諧には不易(時代を超えて変わらないこと)の句と流行の句とがあるが、流行の句も時代を超えて人々に訴えればそれは不易の句であり、ともに俳諧の本質を究めることから生じ、根本は一つであるという論。
※「おくのほそ道」… 松尾芭蕉の俳文紀行。元禄二年(1689年)3月末江戸を出発し、東北・北陸を巡り美濃大垣(岐阜県)に至る約150日間、およそ六百里(約2400㎞)の旅日記。洗練された俳文・俳句は芭蕉芸術の至境を示している。元禄七年(1694年)頃成立。元禄十五年(1702年)刊。芭蕉自身は「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」という表記を好んで用いていた。原文の題名もこの表記となっている。
■初つばめ父子に友の来てゐる日(加藤楸邨)
・はつつばめ おやこにともの きているひ
・穏(おだ)やかに晴れた晩春のある日、家の周りを勢いよく飛び回っているのは、今年初めて目にした燕(つばめ)たちである。そんな燕たちの飛ぶ様子は、いかにものびのびとして、見ているだけで気持ちがよく爽(さわ)やかである。折(おり)から父と子にはそれぞれ、親しみ合う良き友人が訪ねて来てくれており、この一日を爽やかに、楽しく過ごせそうだ。
・燕の初飛来を目にした感動が詠(うた)われている。親しい友と過ごす時間は、子供にとっても大人にとっても楽しいものである。燕ののびやかな様子、季節の推移への実感、親しい友と過ごす楽しさといったものがうち重なり合い、大変明るくすがすがしい印象を与えている。(春・初句切れ)
※初つばめ… その年初めて目にしたつばめ。
※初つばめ… 初つばめであることだなあ、という詠嘆を表している。
※燕(つばめ)… 日本には春に飛来、人家などに巣を作り、秋に南方へ渡る夏鳥。古名は「つばくらめ」。つばくら、つばくろ。春の季語。夏の季語と間違えやすいので注意。
※体言止め。
※「雪後(ゆきご)の天」(昭和18年)所収。
★季節の境目に当たる風物には特に小学生にとっては判断に迷う季語が多い。日がな一日机に向ってばかりいるのではなく、普段から季節の移り変わりやその風物にも関心を持ち、人と人との関わりを大切にし、視野を広げ、世の中の動きにも目を向け、考える姿勢が大切。
※加藤楸邨(かとうしゅうそん)… 昭和~平成の俳人。松尾芭蕉の研究家。東京生まれ。俳句の世界を単なる趣味的なものではなく人生探究の場と主張し、実践。中村草田男、石田波郷と共に人間の内面を詠む「人間探求派」と呼ばれた。平成5年(1993年)没。享年88。
■花散るや耳ふって馬のおとなしさ(村上鬼城)
・はなちるや みみふって うまのおとなしさ
・絢爛(けんらん)と咲き誇(ほこ)っていた桜の花は、今はもう、花びらを一枚、また一枚と静かに散らせはじめている。木の下には一頭の馬が繋(つな)がれ、澄(す)んだ優しい目をして、じっと大人しく佇(たたず)んでいる。はらりと舞い散った桜の花びらが一枚、その片耳に降りかかると、馬は一度、ぴくりと耳を振った。穏やかな春の、静かに流れる時間の中で、馬は心地よさそうに、やはりじっと大人しく佇んでいる。
・春ののどかさを、主に視覚を通し写実的に描いている。春ののどかさに浸る作者の穏やかな心持ちが伝わってくる。(春・初句切れ)
※花… 花の代表として桜の花を指す。平安前期以前は特に梅を指した。春の季語。「花」は花全般を指すと考えたり、夏の花であると思い込んでいたりする小学生が多く、テストで狙われやすいので注意しよう。
※花散る… 桜の花が散る。春の季語。
※花散るや… 桜の花びらが散っていくことであるよ、という詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※字余り。
※「鬼城句集」(大正6年)所収。
※村上鬼城(むらかみきじょう)… 明治・大正・昭和時代の俳人。江戸の生まれ。正岡子規、高浜虚子に師事。重度の聴覚障害者であり、また、貧に苦しみながらも、その不幸な生活の中から自らの苦難の人生を詠んだ句、弱者や虐げられた者に同情を寄せる句を作り、独自の句風を樹立した。
「じぶんは貧乏である。社会的な地位は何もない。婚期を過ぎた娘を二人も持っている。私はそれを思うとじっとしていられない。いくらもがいたところで貧乏は依然として貧乏である。聾(つんぼ)は依然として聾である」(「村上鬼城句集」(大正15年)所収。昭和13年(1938年)没。享年73。
■花の雲鐘は上野か浅草か(松尾芭蕉)
・はなのくも かねはうえのか あさくさか
・明るくのどかな春の日中、私の住む家から望んで上野、浅草方面に、雲がたなびくように桜が咲いて見えている。その花霞(はながすみ)の中、時を知らせる鐘(かね)の音がどこからともなく、ゴーン、とゆったりと響いてくる。あれは上野の寛永寺(かんえいじ)の鐘の音だろうか、それとも浅草の浅草寺(せんそうじ)の鐘の音だろうか。
・花の雲の中にとけ込むようなのどかな春の趣きや、太平の世を謳歌する作者の感慨が伝わる。(春・初句切れ)
※花の雲… 雲がたなびいているかのように桜の花が咲いている様子。春の季語。
※花… 花の代表として特に桜の花を指すため、春の季語。平安前期以前は梅を指した。春の季語。「花」は花全般を指すわけではないので注意しよう。
※現東京都江東区深川(ふかがわ)にあった芭蕉庵(ばしょうあん)で詠(よ)まれた。
※芭蕉庵から浅草寺(せんそうじ)までは3km余り、寛永寺(かんえいじ)までは4km余りある。実際に当時「時の鐘」の音が届いた距離は3㎞程度までであろうと考えられており、上野寛永寺の鐘の音が芭蕉の耳に届いていた可能性はあるが、深川により近い日本橋石町や本所横川にも当時「時の鐘」が置かれていた。
※時の鐘… 江戸市中に時を知らせていた梵鐘(ぼんしょう)、また、その音。当初江戸城内でたたかれていたが、寛永三年(1626年)、日本橋石町に移され、江戸市民に時を告げるようになった。元禄以後、江戸の町の拡大に伴い、上野山内・浅草寺のほか、本所横川・芝切通し・市谷八幡・目白不動・目黒円通寺・四谷天竜寺などにも置かれた。
※貞享四年(1687年)、芭蕉44歳の時の句。
※松尾芭蕉(まつおばしょう)… 江戸前期の俳人。伊賀上野の人。江戸深川の芭蕉庵に移った頃から独自の蕉風(しょうふう)を開拓。各地への旅を通じて、不易流行(ふえきりゅうこう)の思想を形成し、俳諧を文芸的に高めた。「おくのほそ道」「野ざらし紀行」「更級日記」「笈の小文」など。元禄七年(1694年)十月十二日(新暦11月28日)没。享年51。
※蕉風(しょうふう)… 松尾芭蕉およびその門流の信奉する俳風。美的理念としては、幽玄、閑寂を重んじ、さび・しおり・細み・軽みを尊ぶ。
※不易流行(ふえきりゅうこう)… 蕉風俳諧の理念の一つ。俳諧には不易(時代を超えて変わらないこと)の句と流行の句とがあるが、流行の句も時代を超えて人々に訴えればそれは不易の句であり、ともに俳諧の本質を究めることから生じ、根本は一つであるという論。
※「おくのほそ道」… 松尾芭蕉の俳文紀行。元禄二年(1689年)3月末江戸を出発し、東北・北陸を巡り美濃大垣(岐阜県)に至る約150日間、およそ六百里(約2400㎞)の旅日記。洗練された俳文・俳句は芭蕉芸術の至境を示している。元禄七年(1694年)頃成立。元禄十五年(1702年)刊。芭蕉自身は「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」という表記を好んで用いていた。原文の題名もこの表記となっている。
■春風や闘志いだきて丘に立つ(高浜虚子)
・はるかぜや とうしいだきて おかにたつ
・ああ、さわやかな春風が吹き渡っていく。私は丘に立ち、その風を全身に受けながら、希望に胸をふくらませ、闘志(とうし)を漲(みなぎ)らせることだ。
・我が道を信じ、そして貫いてゆこうという作者の並々ならぬ信念と決意が詠われている。対決を覚悟した、燃えるような作者の闘志である。(春・初句切れ)
※春風… 春の季語。
※春風や… 春風であることよ、と詠嘆を表している。
※闘志… 闘おうとする強い意気込み。
※大正2年(1913年)2月作。「五百句」(昭和12年)所収。
※正岡子規の没した明治35年(1902年)、虚子は俳句の創作をやめ、その後小説の創作に没頭するも、河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)らによる季語にとらわれず定型を破壊する新傾向の俳句が主流になりつつある事態に反発し俳壇に復帰。定型と季語による俳句の伝統を固く守る立場を主張して自ら守旧派と称し、これに対抗する決意を表明した折(おり)の句。虚子は自ら次のように語っている。
「余は闘はうと思ってをる。闘志を抱いて春風の丘に立つ、句意は多言を要さぬことである。(私は闘おうと思っている。闘志を抱いて春風の丘に立つ。その句意は説明するまでもない。)」
※高浜虚子(たかはまきょし)… 明治~昭和期の俳人・小説家。愛媛県松山市生まれ。正岡子規に師事。「ホトトギス」を主宰。客観写生・花鳥諷詠を主張し、定型・季語を離れた新傾向俳句を推進する河東碧梧桐と激しく対立した。昭和34年(1959年)没。
※花鳥諷詠(かちょうふうえい)… 昭和初期に高浜虚子が唱えたホトトギス派の主張。四季の変化によって生ずる自然界の現象およびそれに伴う人事界の現象を無心に客観的に詠むのが俳句の根本義であるとするもの。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。
■春雨や喰はれ残りの鴨が鳴く(小林一茶)
・はるさめや くわれのこりの かもがなく
・春雨がしとしとと静かに降り続く薄暗いある日のこと、冬の間に仲間は人に捕らえらてしまったことであろうに、うまく逃れ、人に食われずに済んだ鴨の鳴き声が水辺のほうから聞こえてくる。失った仲間を恋い慕(した)っているのだろうか、春雨に打たれながら鳴くその声の、何ともものわびしく感じられたことであるよ。
・人の手から逃れたにせよ、春雨に打たれる中、もの悲しい声で鳴く鴨への同情や憐(あわ)れみが感じられる。(春・初句切れ)
※春雨… 春、静かに降る細かい雨。春の季語。
※春雨や… 春雨が降っていることだよ、と詠嘆を表している。
※喰はれ残り… 冬季、鴨猟によって人間の捕獲を逃れ生き残った鴨。
※鴨(かも)… ガンカモ科の小型の水鳥の総称。初冬に飛来し、春に北へ帰るものが多い。冬の季語。ただし、この句では「春先に取り残された鴨」という意味なので、主題の季語は「春雨」となる。
※季重なり… 一句の中に二つ以上季語が入っている場合、これを季重なりという。一句の主題が不鮮明になるので嫌うが、主旨がはっきりし一句が損なわれない時に用いられる。この場合、一句の主題となっているほうを季語とする。感動の集中を示す「切れ字」が用いられている場合は、その位置によって主題となる季語を判別することもできる。この句では感動の重点が置かれている「春雨」を季語ととる。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※「七番日記」所収。
※文化十年(1813年)一月、一茶51歳の時の句。
※小林一茶(こばやしいっさ)… 江戸後期の俳人。信濃国柏原の人。14歳で江戸に出て俳諧を学ぶ。方言、俗語を交えて、庶民の生活感情を平易に表現、ひがみ・自嘲・反抗心・弱者への同情心と童心の表れた、主観性の強い人生詩を多く残した。「おらが春」「七番日記」「父の終焉日記」など。文政十年(1827年)十一月十九日(新暦1月5日)没。享年64。
※「おらが春」… 一茶の没後25年経って刊行された俳句・俳文集。文政二年(1819年)、一茶57歳の元日から年末までの1年間の見聞・感想・発句などを収める。題名は「めでたさも中位なりおらが春」による。
■春雨やものがたりゆく蓑と傘(与謝蕪村)
・はるさめや ものがたりゆく みのとかさ
・しとしとと春雨が静かに降り注ぐ中、蓑(みの)を着た人と傘(かさ)を差した人とが隣り合って、何やら語り合いながら、往来をゆっくりと歩いていく。
・人物を蓑と傘に置き換え象徴的に描くことで、いたわるように静かに降る春雨の風情をいっそう印象深いものとしている。(春・初句切れ)
※春雨… 春、静かに降る細かい雨。春の季語。
※ものがたりゆく… 語り合いながら歩いていく。
※蓑(みの)… 藁(わら)・かや・すげ・しゅろなどで編んで作った、肩から羽織る雨具。
※体言止め
※比喩(換喩)… 換喩(かんゆ)とは比喩の一種で、言い表そうとするものごとを、それと関係の深いもので言い換えて表現する技法。「ペンは剣よりも強し」が、「思想や言論は武力よりも強い影響力を持つ」ことを意味し、また、「漱石を読む」が「漱石の作品を読む」、「永田町」が「国会」、「赤頭巾」が「赤頭巾を被った少女」を意味することなどがその例である。この句では、蓑を着、傘を被る人間その人を、「蓑」や「傘」といった物に言い換え、「蓑」が「蓑を着た人」、「傘」が「傘を差した人」を意味している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※蕪村自筆の絵には蓑を着た人物と傘を差す人物の二人が描かれており、傘を差す人物には刀のようなものが見える。
※「蕪村句集」所収。
※天明二年(1782年)、蕪村67歳の時の句。
※与謝蕪村(よさぶそん)… 江戸中期の俳人・画家。摂津の人。客観的写生を重んじ、印象的、絵画的な特色を句風とし、明治になってから正岡子規の共鳴を得て生存当時よりはるかに高く評価されることになった。松尾芭蕉に復することを目指し、天明の中興俳諧の祖となった。「新花摘(しんはなつみ)」「蕪村句集(没後刊行)」など。天明三年(1783年)没。享年68。
■春の海終日のたりのたりかな(与謝蕪村)
・はるのうみ ひねもすのたり のたりかな
・風もなくうららかな春の日に、浜辺に佇(たたず)んでのんびりと海を眺(なが)めている。白い波頭(なみがしら)も見えず、岸辺には終日こうして、もの憂(う)い調子でのたり、のたりと波が寄せては返していることであるよ。
・単調に寄せ返し、また、悠長な波の様子が、のどかな春の海の趣(おもむ)きをいっそう味わい深くしている。(春・句切れなし)
※春の海… 春の季語。「春の海は」という意味で主語になっている。
※終日(ひねもす)… 一日中。当時は「ひめもす」と読むことが多かった。
※のたりのたりかな… 波がゆるやかに寄せたり引いたりしていることだよ、という詠嘆を表している。
※のたりのたり… 擬態語。波がゆるやかに寄せたり引いたりしている様子を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※蕪村は「俳諧金花伝(はいかいきんかでん)」の前書きに「須磨(すま)の浦にて」と記(しる)している。須磨は現兵庫県神戸市にある。
※宝暦十二年(1762年)、蕪村47歳の時の句。
※与謝蕪村(よさぶそん)… 江戸中期の俳人・画家。摂津の人。客観的写生を重んじ、印象的、絵画的な特色を句風とし、明治になってから正岡子規の共鳴を得て生存当時よりはるかに高く評価されることになった。松尾芭蕉に復することを目指し、天明の中興俳諧の祖となった。「新花摘(しんはなつみ)」「蕪村句集(没後刊行)」など。天明三年(1783年)没。享年68。
■万緑の中や吾子の歯生え初むる(中村草田男)
・ばんりょくのなかや あこのははえそむる
・見渡す限り、みずみずしく生命力に満ちた新緑の季節である。そのすがすがしい空気の中で、にっこりと微笑んだ私の子どもの口の中には、初めての歯が生え始め、白く鮮やかに輝いている。
・我が子の成長への、そして生命力の証しを発見した喜びと、自然の生命力を称(たた)える思いを、鮮やかな木々の緑と歯の白さを対照的に描くことで、印象をよりいっそう深めている。(夏・中間切れ)
※万緑(ばんりょく)… あたり一面、草木の緑に覆(おお)われていること。夏の季語。
※万緑の中や… あたり一面が夏の草木に覆われている中であることだよ、という詠嘆を表している。
※吾子(あこ)… 古語で「我が子」。
※生え初(そ)むる… 生え始める。
※中間切れ… 文としての意味の流れが途切れるところを「句切れ」と言い、初句(上五)で切れる「初句切れ」、二句(中七)で切れる「二句切れ」、結句(下五)までを一つの文としてとらえる「句切れなし」がある。また、それ以外に主に二句(中七)の途中で切れる「中間切れ」がある。
例:
万緑の中や ・ 吾子の歯生え初むる(中村草田男)… 中七(二句)の中間切れ
蒲公英のかたさや ・ 海の日も一輪(中村草田男)… 中七(二句)の中間切れ
風吹けば来るや ・ 隣の鯉幟(高浜虚子)… 中七(二句)の中間切れ
木の葉ふりやまず ・ いそぐないそぐなよ(加藤楸邨)… 中七(二句)の中間切れ
跳躍台人なし ・ プール真青なり(水原秋桜子)… 中七(二句)の中間切れ
算術の少年しのび泣けり ・ 夏(西東三鬼)… 下五(結句)の中間切れ
※「万緑」は、宋(そう)の時代の詩人王安石(おうあんせき)の「石榴(ざくろ)の詩」の一節、「万緑(ばんりょく)叢中(そうちゅう)に紅一点(こういってん)あり…」に用いられていたもので、草田男のこの句によって初めて夏の季語として認められた。「吾子(あこ=古語で「我が子」の意)」とは草田男の娘である。
★季節の境目に当たる風物には特に小学生にとっては判断に迷う季語が多い。日がな一日机に向ってばかりいるのではなく、普段から季節の移り変わりやその風物にも関心を持ち、人と人との関わりを大切にし、視野を広げ、世の中の動きにも目を向け、考える姿勢が大切。
※中村草田男(なかむらくさたお)… 昭和時代の俳人。中国福建省生まれ。愛媛の人。ホトトギス同人。高浜虚子に師事。伝統的な季題定型を守り信じ、この中に作者の複雑な自己、体験を抒情歌しようとした。単に花鳥諷詠にとどまらず、俳句に作者の心理、思想といった内的要素を持ち込むところにきわめて近代的な意欲があり、加藤楸邨、石田波郷らとともに人間探究派と称せられた。昭和58年(1983年)没。享年82。
※花鳥諷詠(かちょうふうえい)… 昭和初期に高浜虚子が唱えたホトトギス派の主張。四季の変化によって生ずる自然界の現象およびそれに伴う人事界の現象を無心に客観的に詠むのが俳句の根本義であるとするもの。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。1897年(明治30年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。
■東西南北より吹雪かな(夏目漱石)
・ひがしにし みなみきたより ふぶきかな
・激しい吹雪(ふぶき)である。右からも左からもなく、前方からも後方からもなく、容赦なく吹きつける。渦(うず)を巻くように吹きすさぶ吹雪の激しさである。
・吹雪の激しさと、その率直な驚嘆を漱石らしいユーモラスな調子で詠(うた)っている。(冬・句切れなし)
※吹雪… 冬の季語。
※吹雪かな… 吹雪であることだよ、と詠嘆が込められている。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※東西南北を「とうざいなんぼく」と読むとすると字足らずとなり、また、吹雪のすさまじさを現に体感しているような実感も伝わって来ず、単に事実を傍観者として記しただけの、味も素っ気もない印象を与える。「ひがしにしみなみきた」と読むとすると五七五の定型句となり、自然の猛威に為す術無く、困り果てながらも、それを黙って受け入れざるを得ないかのような、漱石流の自虐的なユーモアが感じられる。
※字余り… 十七音に満たない音数で詠(うた)われた句。
※定型句… 俳句の詠み方の決まりにしたがい、初句を五音、二句を七音、結句を五音で詠む句。
※明治28年(1895年)、12月4日の作。「漱石俳句集」所収。
※夏目漱石(なつめそうせき)… 小説家・英文学者。江戸、牛込生まれ。日本近代文学の巨匠。俳句は正岡子規と高等学校以来の友人だったので、子規にすすめられて早くから詠み出し、その後小説を書き出しても、折に触れて句を詠み続けた。「吾輩は猫である」「坊っちゃん」「三四郎」「虞美人草」「こころ」など。大正5年(1916年)没。享年49。
■曳かれる牛が辻でずっと見廻した秋空だ(河東碧梧桐)
・ひかれるうしがつじでずっとみまわしたあきぞらだ
・市場か屠殺場(とさつば)へと曳(ひ)かれてゆく牛であろうか、さしかかった四辻(よつつじ)で、己(おのれ)の運命を悟ったのか、牛は何かもの悲しげな色を浮かべた目で、高く澄(す)み切った秋空を、まるで見収めるようにして、ずうっと見渡したことだ。
牛の悲しみとも諦(あきら)めともつかない、ため息のようなものが伝わってくるようだ。(自由律俳句)
※曳(ひ)かれる… 引かれる。
※ずっと… ずうっと。
※ずっと見廻した… 牛がまるで未収めるかのようにゆっくりと秋空を見回すように見えた様子。
※辻(つじ)… 道が十字形に交差する所。十字路。四つ辻。また、道端(みちばた)。路上。
※秋空… 秋の季語。ただし、季語として意図して用いているわけではない。
※ずっと見廻(まわ)した… 擬人法。牛が意志的に秋空を見渡したように見える、というたとえ。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※「八年間」所収。
※大正7年(1918年)の作。
※河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)… 明治・大正期の俳人。愛媛県松山生まれ。正岡子規門の高弟。高浜虚子と対立し、定型・季語を離れた新傾向俳句を提唱した。昭和12年(1937年)没。享年63。
※自由律俳句… 正岡子規の没後、自然主義の影響を受け、季語を無視し、従来の五七五の定型に制約を受けず自由な音律で制作しようとする新形式を河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)が試みた。この新傾向運動は碧梧桐の門下である荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)らによっても進められ、明治末年の口語自由律俳句の運動へと繋がる。口語自由律俳句の運動は、瞬間の印象や情緒を直接口語で表現しようとしたものであったが、形式上の変革が急であったため、尾崎放哉(おざきほうさい)、種田山頭火(たねださんとうか)らが活躍した大正~昭和初期以降、大衆化しないうちに衰退した。
■ピストルがプールの硬き面にひびき(山口誓子)
・ぴすとるが ぷうるのかたき もにひびき
・競泳の会場である。泳者(えいしゃ)たちは、飛び込み姿勢のままスタートの合図を今か今かと待っている。観衆もまた、息をのんでその時を待ち、見守っている。と、スタートを告げるピストルの音が、「パーン!」と大きく会場に鳴り響き、それを合図に泳者たちは一斉に水に飛び込んだ。
・一点に凝縮された時間の描き方が非常に印象的である。プールの固い水面に弾(はじ)き返され、いっそう鋭(するど)く大きな音で響き渡ったピストルの音と、それによって会場に包まれていた静けさと緊張した空気が一気に破られた瞬間を見事に詠っている。(夏・句切れなし)
※ピストル… 競技などで合図用に音を発する仕組みのピストル。
※プール… 夏の季語。
※面(も)… 古語で、「表面、おもて」の意。ここでは水面の意。
※「炎昼(えんちゅう)」所収。
※昭和11年(1936年)作。
※山口誓子(やまぐちせいし)… 大正~平成の俳人。京都市生まれ。東大在学中の大正末から昭和初頭には既に水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)、高野素十(たかのすじゅう)、阿波野青畝(あわのせいほ)らと並んでホトトギスの四S時代と呼ばれる一時期を形成した。古い伝統的な俳句世界から抜け出し、自然を即物的に、かつメカニックに描き出し、また斬新、近代的な作風が特徴。知的構成を用い、素材の範囲を現代都市生活に拡大して新興俳句運動を推進した。平成6年(1994年)没。享年92。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。
■ひっぱれる糸まっすぐや甲虫(高野素十)
・ひっぱれる いとまっすぐや かぶとむし
・かぶと虫の角に糸をつなぎ、その糸の一方の端(はし)を固定したところ、かぶと虫が這(は)い歩くとともに、糸はやがて強く一直線に、ぴんと張り渡ったことだ。
・強く張り渡った糸の様子から、かぶと虫の生き生きとした様子や生命力の強さがよく伝わってくる。(夏・二句切れ)
※ひっぱれる… 引っ張っている。
※糸まっすぐや… 糸がまっすぐに張り渡ったことだよ、と詠嘆を表している。
※甲虫(かぶとむし)… 夏の季語。
※体言止め。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※昭和13年(1938年)初出。
※「初鴉(はつがらす)」(昭和22年(1947年))所収。
◆2008年(平成20年)7月23日撮影
・この句に詠われているようなカブトムシの力強さ、生命力を直に感じてみたいと、オスの小さな角のほうに糸をかけ、その糸の一方の端を指でつまんで支えてみました。カブトムシの激しい抵抗に合い、糸を角に掛けるだけでも一苦労です。オガクズの中に潜って静かに休んでいたところを突然掘り出されたためか、ちょっと気が立っている様子。そして、物陰を探して隠れようと、エッサエッサとよく這(は)い歩きます。糸が張り渡ると、体を立ち上げてまで前へ進もうとします。前がダメなら今度は横へ回り込みます。そしてまた、強く糸が張り渡ります。若く元気なカブトムシの力強さは想像以上のものでした。(08年7月25日)
※高野素十(たかのすじゅう)… 昭和期の俳人。医学博士。明治26年(1893年)、茨城県生まれ。大正12年(1923年)より高浜虚子に師事し、虚子の花鳥諷詠(かちょうふうえい)の教えを忠実に守って、穏やかな客観写生のうちに「自己の天地」を見出そうとした。山口誓子、阿波野青畝(あわのせいほ)、水原秋桜子らとともに名前の頭文字を取って「ホトトギス」の「四S」と称された。昭和51年(1976年)没。享年83。
※花鳥諷詠(かちょうふうえい)… 昭和初期に高浜虚子が唱えたホトトギス派の主張。四季の変化によって生ずる自然界の現象およびそれに伴う人事界の現象を無心に客観的に詠むのが俳句の根本義であるとするもの。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。
■灯ともせば雛に影あり一つづつ(正岡子規)
・ひともせば ひなにかげあり ひとつずつ
・うららかな春のある日、部屋に飾った雛壇(ひなだん)のぼんぼりに灯(あか)りを灯(とも)すと、華(はな)やかに浮かび上がった雛たちには、くっきりとした影が一つ一つ出来、静かに揺(ゆ)れていたことだ。
・ひな人形の一体一体に温かな視線を注ぎ、華やかな雛飾りの情趣を味わっている。(春・二句切れ)
※灯ともせば… ぼんぼりの灯りを灯すと。
※雛(ひな)… ひな人形。春の季語。
※雛に影あり… ひな人形に影があることだよ、と詠嘆を表している。
※一つづつ… ひな人形の一体ずつに。
※倒置法… 本来の「一つづつ影あり」の語順を変えてある。一体一体の人形に視線が注がれている様子を効果的に描いている。
※明治32年(1899年)作。
★季節の境目に当たる風物には特に小学生にとっては判断に迷う季語が多い。日がな一日机に向ってばかりいるのではなく、普段から季節の移り変わりやその風物にも関心を持ち、人と人との関わりを大切にし、視野を広げ、世の中の動きにも目を向け、考える姿勢が大切。
※正岡子規(まさおかしき)… 俳人・歌人。愛媛県松山生まれ。短歌・俳句、写生文による文章革新運動を推進、「ホトトギス」を創刊。二十代の若さより肺結核、脊椎(せきつい)カリエスに冒(おか)され、永く闘病生活を送る。明治35年(1902年)没。享年34。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。
■ひばりより上にやすらふ峠かな(松尾芭蕉)
・ひばりより うえにやすろう とうげかな
・うららかな春の日差しの下、ようやく辿(たど)りついた峠で休んでいると、空高く上がり囀(さえず)るあの雲雀(ひばり)の声が、今は眼下から聞こえてくる。私も随分高くまで登ったのだと、自ら感興(かんきょう)を抱いたことだ。
・芭蕉のちょっとした驚きや感興、また、苦労してようやく峠へと到達した際の爽快感や充足感が伝わる。(春・句切れなし)
※ひばり… 春の季語。ひばりを知らない小学生がかなり多く、テストで狙われやすいので注意。
※ひばりより上に… 地上でははるか上空でさえずるひばりが、今はそのひばりより高い場所で。
※やすらふ… 休んでいる。
※峠かな… 峠であることよ、という詠嘆が込められている。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※現奈良県の細峠(ほそとうげ)で詠まれた。
※「曠野(あらの)」所収。
※「笈の小文」では中七が「空にやすらふ」となっている。
※松尾芭蕉(まつおばしょう)… 江戸前期の俳人。伊賀上野の人。江戸深川の芭蕉庵に移った頃から独自の蕉風(しょうふう)を開拓。各地への旅を通じて、不易流行(ふえきりゅうこう)の思想を形成し、俳諧を文芸的に高めた。「おくのほそ道」「野ざらし紀行」「更級日記」「笈の小文」など。元禄七年(1694年)十月十二日(新暦11月28日)没。享年51。
※蕉風(しょうふう)… 松尾芭蕉およびその門流の信奉する俳風。美的理念としては、幽玄、閑寂を重んじ、さび・しおり・細み・軽みを尊ぶ。
※不易流行(ふえきりゅうこう)… 蕉風俳諧の理念の一つ。俳諧には不易(時代を超えて変わらないこと)の句と流行の句とがあるが、流行の句も時代を超えて人々に訴えればそれは不易の句であり、ともに俳諧の本質を究めることから生じ、根本は一つであるという論。
※「おくのほそ道」… 松尾芭蕉の俳文紀行。元禄二年(1689年)3月末江戸を出発し、東北・北陸を巡り美濃大垣(岐阜県)に至る約150日間、およそ六百里(約2400㎞)の旅日記。洗練された俳文・俳句は芭蕉芸術の至境を示している。元禄七年(1694年)頃成立。元禄十五年(1702年)刊。芭蕉自身は「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」という表記を好んで用いていた。原文の題名もこの表記となっている。
■日焼け顔見合ひてうまし氷水(水原秋桜子)
・ひやけがお みあいてうまし こおりみず
・照りつける太陽、白く雄壮に聳(そび)える入道雲、蝉時雨(せみしぐれ)、わき出る汗、うだるような暑さ。日射を避けて、日焼けした互いの顔をつき合わせて食べる、冷たく甘い氷水のおいしいこと、爽(さわ)やかなこと。
・いかにも和やかで楽しそうなその場の雰囲気が伝わり、また、互いの涼(すず)やかな笑顔までが思い浮かぶ、大変爽やかな印象を与える句である。(夏・二句切れ)
※日焼け顔… 夏の季語。また、「日焼け」も夏の季語。
※氷水(こおりみず)… かき氷。夏の季語。
※体言止め。
※倒置法。「氷水うまし」の語順を変えてある。
※季重なり… 一句の中に二つ以上季語が入っている場合、これを季重なりという。一句の主題が不鮮明になるので嫌うが、主旨がはっきりし一句が損なわれない時に用いられる。この場合、一句の主題となっているほうを季語とする。感動の集中を示す「切れ字」が用いられている場合は、その位置によって主題となる季語を判別することもできる。この句では感動の重点がある「氷水」を季語ととる。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)… 大正・昭和の俳人。東京生まれ。東大医学部卒業。医学博士。高野素十、阿波野青畝、山口誓子らとともに、名前の頭文字を取って「ホトトギス」の四Sと称された。近代的な明るさと都会人風の洗練された感覚、豊かな抒情を詠うその句風は、それまでの伝統的な俳句の境地を断然抜け出したものであった。しかし、その主情的な傾向は、「ホトトギス」の写実的傾向と一致せず、高浜虚子らと対立、昭和六年、「ホトトギス」を去る。のち「馬酔木」を主宰し、新興俳句の先駆者となる。昭和56年(1981年)没。享年89。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。
■吹きおこる秋風鶴を歩ましむ(石田波郷)
・ふきおこる あきかぜつるを あゆましむ
・どこからともなく吹き起こった秋風が、静かに佇(たたず)んでいた鶴(つる)を、つと、後ろから押すようにして、一歩、二歩と歩ませた。風のように軽く、しなやかで優美な鶴の、その姿である。
・秋風の吹くものわびしい情景を描くとともに、そこに生じた一瞬の変化をとらえ、作品に生彩を与えている。鶴の歩む姿の優美さが秋の風情に彩りを添え、大変印象的である。(秋・句切れなし)
※秋風… 秋の季語。
※鶴… 冬の季語。
※歩ましむ… 歩かせる。
※季重なり… 一句の中に二つ以上季語が入っている場合、これを季重なりという。一句の主題が不鮮明になるので嫌うが、主旨がはっきりし一句が損なわれない時に用いられる。この場合、一句の主題となっているほうを季語とする。感動の集中を示す「切れ字」が用いられている場合は、その位置によって主題となる季語を判別することもできる。この句では感動の重点がある「秋風」を季語ととる。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※石田波郷(いしだはきょう)… 昭和期の俳人。愛媛松山生まれ。水原秋桜子に師事。昭和18年(1943年)、華北(中国北部)に出征、病にかかり、以後、死去するまで長く療養を続けた。「ホトトギス」の「花鳥諷詠(かちょうふうえい)」に対し、「人間探求の」俳句を追求、中村草田男、加藤楸邨らとともに人間探究派と称せられた。昭和44年(1969年)没。享年56。
※花鳥諷詠(かちょうふうえい)… 昭和初期に高浜虚子が唱えたホトトギス派の主張。四季の変化によって生ずる自然界の現象およびそれに伴う人事界の現象を無心に客観的に詠むのが俳句の根本義であるとするもの。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。
■吹きとばす石は浅間の野分かな(松尾芭蕉)
・ふきとばす いしはあさまの のわきかな
・雄壮(ゆうそう)にそびえる浅間山(あさまやま)の麓(ふもと)の原、草や枝切れどころか、小石や軽石までもが吹き飛んできては体に当たる。浅間で出くわした台風の、何と凄(すさ)まじい風であることだ。
・「吹きとばす」という詠(うた)い出しに浅間の風の力強さ、凄まじさが実感を伴(ともな)って伝わってくるようだ。そして、ああ、これがこの勇壮な浅間に吹き荒れる風なのだと認識を強めた芭蕉の思いも、余情をもって感じられてくる。(秋・句切れなし)
※吹き飛ばす… 強く激しい風によって吹き飛ばす。
※浅間(あさま)… 浅間山。長野・群馬県境の中部にある活火山。有史以来、三十数回の大爆発を記録。特に天明3年(1783年)には1,151人の死者と家屋・山林・耕地の被害をもたらした。標高2,568m。
※野分(のわき)… 秋から冬にかけて吹く激しい風。特に台風。野の草を吹き分ける風の意。「のわけ」とも言う。秋の季語。テストで頻出。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※元禄元年(1688年)、芭蕉45歳の時の句。
※「更級紀行」所収。
※松尾芭蕉(まつおばしょう)… 江戸前期の俳人。伊賀上野の人。江戸深川の芭蕉庵に移った頃から独自の蕉風(しょうふう)を開拓。各地への旅を通じて、不易流行(ふえきりゅうこう)の思想を形成し、俳諧を文芸的に高めた。「おくのほそ道」「野ざらし紀行」「更級日記」「笈の小文」など。元禄七年(1694年)十月十二日(新暦11月28日)没。享年51。
※蕉風(しょうふう)… 松尾芭蕉およびその門流の信奉する俳風。美的理念としては、幽玄、閑寂を重んじ、さび・しおり・細み・軽みを尊ぶ。
※不易流行(ふえきりゅうこう)… 蕉風俳諧の理念の一つ。俳諧には不易(時代を超えて変わらないこと)の句と流行の句とがあるが、流行の句も時代を超えて人々に訴えればそれは不易の句であり、ともに俳諧の本質を究めることから生じ、根本は一つであるという論。
※「おくのほそ道」… 松尾芭蕉の俳文紀行。元禄二年(1689年)3月末江戸を出発し、東北・北陸を巡り美濃大垣(岐阜県)に至る約150日間、およそ六百里(約2400㎞)の旅日記。洗練された俳文・俳句は芭蕉芸術の至境を示している。元禄七年(1694年)頃成立。元禄十五年(1702年)刊。芭蕉自身は「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」という表記を好んで用いていた。原文の題名もこの表記となっている。
■不二ひとつうづみ残して若葉かな(与謝蕪村)
・ふじひとつ うずみのこして わかばかな
・見渡す限り、地上のすべてがみずみずしい若葉で溢(あふ)れんばかりに埋(うず)め尽(つ)くされている中、残雪を白く頂いた富士山だけが、ひときわ高く聳(そび)えている。
・初夏の明るく雄大な光景を、色彩鮮明に生き生きと描いている。視覚的・絵画的ではあるが、初夏の明るさや清涼感もまた豊かに感じさせる。(夏・句切れなし)
※不二(ふじ)… 富士山(ふじさん)。
※うづみ残して… うずめ残して。一面にあふれる若葉の中に富士山だけが抜きん出ている様子である。
※若葉… 生え出て間もない、若く新鮮な葉。夏の季語。春の季語と間違いやすい。
※若葉かな… 若葉であることよ、と詠嘆を表している。
※初夏に芽を開いた頃の黄色味を帯びた葉を「若葉」、青々とした盛夏(真夏)の葉が「青葉」である。同じ夏であっても初夏と盛夏とでは季節感が異なり、両者は厳密には同季の季語ではない。ちなみに同じ夏の季語に「新緑」や「万緑」もあるので注意しよう。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※安永二年(1774年)、蕪村58歳の時の句。
※「蕪村句集」所収。
※与謝蕪村(よさぶそん)… 江戸中期の俳人・画家。摂津の人。客観的写生を重んじ、印象的、絵画的な特色を句風とし、明治になってから正岡子規の共鳴を得て生存当時よりはるかに高く評価されることになった。松尾芭蕉に復することを目指し、天明の中興俳諧の祖となった。「新花摘(しんはなつみ)」「蕪村句集(没後刊行)」など。天明三年(1783年)没。享年68。
■ぶつぶつと大なるたにしの不平かな(夏目漱石)
・ぶつぶつと だいなるたにしの ふへいかな
・大きな田螺(たにし)が水の中で、ぶつぶつ、ぶつぶつと小さな泡(あわ)を吹いている。何か気に入らないことでもあるのだろうか、ぶつぶつ、ぶつぶつといつまでも不平が止まらない。
・体は大きく立派だが、その堂々たる容姿に似合わず、小さな泡を吹きながら、いつまでも何か不平をこぼしてやめない田螺を皮肉な目で見やる漱石の面もちまでが目に浮かぶ、ユーモラスな作品である。(春・句切れなし)
※ぶつぶつと… 田螺(たにし)が水中で小さな泡を吹いている様子を、不平・不満をもらすさまにかけて表している。
※大なる… 大きな。
※たにし(田螺)… タニシ科の巻き貝の総称。多く水田や池沼(ちしょう)にすみ、暗緑色で丸みがある。食用。春の季語。
※不平かな… 不平であることだ、と詠嘆が込められている。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※ぶつぶつと… 実際にそれらしい音声として聞こえる場合は擬声語(擬音語)だが、田螺が水中でぶつぶつと泡を吹いている様子を、擬人化して「ぶつぶつ言いながら不平・不満をもらしている」様子に見立てており、当然音声は一切聞こえないので擬態語と考えてよいだろう。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように擬人化して表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※夏目漱石(なつめそうせき)… 小説家・英文学者。江戸、牛込生まれ。日本近代文学の巨匠。俳句は正岡子規と高等学校以来の友人だったので、子規にすすめられて早くから詠み出し、その後小説を書き出しても、折に触れて句を詠み続けた。「吾輩は猫である」「坊っちゃん」「三四郎」「虞美人草」「こころ」など。大正5年(1916年)没。享年49。
■蒲団着て寝たる姿や東山(服部嵐雪)
・ふとんきて ねたるすがたや ひがしやま
・京都東山(ひがしやま)の、低くなだらかな稜線(りょうせん)が続くその姿は、まるで蒲団(ふとん)をかけて寝ている人の姿のようである。
・東山を眺望(ちょうぼう)し、その低くなだらかな山々の景観を詠(うた)ったものである。布団を着て寝ている人の姿にたとえることで、穏(おだ)やかで温かみのある印象を与えている。(冬・二句切れ)
※蒲団(ふとん)… 布団。冬の季語。
※寝たる… 寝ている。
※布団着て寝たる姿や… 布団をかけて人がゆったりと寝ている姿のようであることだ、と詠嘆が込められている。
※東山… 京都の中心部から見て東側に見えるなだらかな山々。山麓に銀閣寺、南禅寺、知恩院、清水寺などがある。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※倒置法… 「東山」は意味の上では一句目に来る。
※布団着て寝たる姿… 比喩(隠喩)。山々が低くなだらかに続いているさまを、まるで布団をかけて人がゆったりと寝ている姿であるようだ、とたとえている。「東山が布団を着て寝ている」という意味ではないので、擬人法ではない。
※直喩(明喩)… 「ようだ」「みたいだ」「ごとし」など、はっきりと比喩を示す言葉を直接用いて表現する技法。
例:「もみじのような手」「お母さんは鬼みたいだ」「夢のごとき人生」
※隠喩(暗喩)… 「ようだ」「みたいだ」「ごとし」などの言葉を用いないでたとえる表現技法。
例:「疑惑の雲」「お母さんは鬼だ」「人生は旅である」
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※「枕屏風」所収。
※服部嵐雪(はっとりらんせつ)… 江戸前期の俳人。江戸湯島生まれ(淡路の生まれとも)。松尾芭蕉の高弟で、榎本(宝井)其角と並び称された。蕉門十哲(しょうもんじってつ:松尾芭蕉の弟子の中で特に優れた高弟10人)の一人。句風は平明穏雅。宝永四年(1707年)没。享年54。
■船の名の月に読まるる港かな(日野草城)
・ふねのなの つきによまるる みなとかな
・静かな秋の月夜に、潮の香る港を歩く。係留(けいりゅう)された船に目をやると、清(さや)かに照る月の光が海面に反射して、船体に書かれた船の名をも照らして見せている。
・夜の静寂と、清澄な空気に包まれた港の風情が趣深い。作者もまた落ち着いた心持ちでその情緒を味わっている。(秋・句切れなし)
※船の名の… 船体に書かれた船名が。
※月に読まるる… 月明かりが海面に反射し、船体に書かれた船名を読み取ることができる。
※月… 月。または月光。特に澄んだ月を言う。秋の季語。テストで頻出なので注意。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※「草城句集 花氷(はなごおり)」(昭和2年・1927年)所収。
※日野草城(ひのそうじょう)… 昭和期の俳人。東京生まれ。自由主義の立場から無季俳句・連作俳句の新興運動を実践。昭和10年(1935年)、「旗艦」を創刊し、翌年「ホトトギス」を除名される。昭和21年、肺結核を発症し、以後十数年は病床にあって句作。昭和31年(1956年)没。享年54。
■冬蜂の死にどころなく歩きけり(村上鬼城)
・ふゆばちの しにどころなく あるきけり
・夏には勢いよく飛び回っていた蜂(はち)が、今は自分の死に場所を探してでもいるかのように、力なくおろおろと地面をさまよい歩いている。寂(さび)しく痛ましいその姿はまた、私自身の姿を見るようである。
・自らの余命を悟り、生と死の狭間(はざま)を力なく彷徨する冬蜂の姿に、作者自身の寂しい境涯を映し出している。(冬・句切れなし)
※冬蜂(ふゆばち)… 冬季、日当たりのよい場所などに見かける動作の鈍くなった蜂。「冬の蜂」とともに冬の季語。
※死にどころなく… 自分の死に場所がなく。自分の死に場所を探しているように見える様子をたとえている。
※歩きけり… 歩いていることだ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※死にどころなく歩きけり… 擬人法。自分の死に場所を探しておろおろと歩いているようだ、とたとえている。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※大正4年(1915年)頃の作品。
※「鬼城句集」(大正6年:1917年)所収。
※村上鬼城(むらかみきじょう)… 明治・大正・昭和時代の俳人。江戸の生まれ。正岡子規、高浜虚子に師事。重度の聴覚障害者であり、また、貧に苦しみながらも、その不幸な生活の中から自らの苦難の人生を詠んだ句、弱者や虐げられた者に同情を寄せる句を作り、独自の句風を樹立した。
「じぶんは貧乏である。社会的な地位は何もない。婚期を過ぎた娘を二人も持っている。私はそれを思うとじっとしていられない。いくらもがいたところで貧乏は依然として貧乏である。聾(つんぼ)は依然として聾である」(「村上鬼城句集」(大正15年)所収。昭和13年(1938年)没。享年73。
■冬の浅間は胸を張れよと父のごと(加藤楸邨)
・ふゆのあさまは むねをはれよと ちちのごと
・寒風(かんぷう)吹きすさぶ中、雄大に、そして毅然(きぜん)と立ち聳(そび)える冬の浅間山(あさまやま)は、たくましくあれ、胸を張って生きよと、私を励(はげ)ましてくれる。まるで父親のように。
・冬の浅間山の力強く堂々とした姿を眼前にして、その圧倒的な存在感に感動している。大きな自信を与えられるような思いを抱くほどに、その姿は勇壮であり、雄大である。(冬・句切れなし)
※冬… 冬の季語。
※浅間(あさま)… 浅間山(あさまやま)。群馬・長野両県にまたがる活火山(かっかざん)。
※父のごと… まるで父親のように。
※七七五の破調。
※父のごと… 比喩(直喩)。「まるで父のように」の意でたとえている。俳句・短歌・詩などの問題で、口語の「ようだ」「みたいだ」に当たる文語の助動詞「ごとし」(「ごとく」「ごとき」「ごとくに」なども同じ助動詞)の比喩(直喩)としての用法が知識として問われる場合が多いので注意。
※加藤楸邨(かとうしゅうそん)… 昭和~平成の俳人。松尾芭蕉の研究家。東京生まれ。俳句の世界を単なる趣味的なものではなく人生探究の場と主張し、実践。中村草田男、石田波郷と共に人間の内面を詠む「人間探求派」と呼ばれた。平成5年(1993年)没。享年88。
■古池やかはづ飛びこむ水の音(松尾芭蕉)
・ふるいけや かわずとびこむ みずのおと
・静かな、ひっそりとした古池に佇(たたず)んでいると、突然一匹の蛙(かえる)が池に飛び込んだ。一瞬、辺りの静けさを破ったその小さな水音がした後だが、以前にもまして深い静けさが感じられたことだ。
・古池と辺りの静寂を突如破る、蛙が水に飛び込む小さな水音。そして、直後に支配するいっそう深い静寂。静中の動、動中の静という微妙な世界を見事にとらえ、巧みに表現している。この句は、幽玄、閑寂を理念とする蕉風(しょうふう)を体現した最初の句として知られる。(春・初句切れ)
※古池や… 静かで古い池であることよ、と詠嘆が込められている。
※かはづ(かわず)… 蛙(かえる)。春の季語。水辺や田園などで「春の訪れとともに冬眠から覚めた蛙が姿を現し、その鳴き声が聞かれ始める」という意味の「初蛙(はつかわず)」に由来し、春の季語となった。夏の季語と間違える小学生が圧倒的に多いため、テストで頻出。要注意。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※現東京都江東区深川(ふかがわ)にあった芭蕉庵(ばしょうあん)で詠(よ)まれたといわれている。
※貞享三年(1686年)春、芭蕉43歳の時の作。
※「俳諧七部集:春の日」所収。
★季節の境目に当たる風物には特に小学生にとっては判断に迷う季語が多い。日がな一日机に向ってばかりいるのではなく、普段から季節の移り変わりやその風物にも関心を持ち、人と人との関わりを大切にし、視野を広げ、世の中の動きにも目を向け、考える姿勢が大切。
※松尾芭蕉(まつおばしょう)… 江戸前期の俳人。伊賀上野の人。江戸深川の芭蕉庵に移った頃から独自の蕉風(しょうふう)を開拓。各地への旅を通じて、不易流行(ふえきりゅうこう)の思想を形成し、俳諧を文芸的に高めた。「おくのほそ道」「野ざらし紀行」「更級日記」「笈の小文」など。元禄七年(1694年)十月十二日(新暦11月28日)没。享年51。
※蕉風(しょうふう)… 松尾芭蕉およびその門流の信奉する俳風。美的理念としては、幽玄、閑寂を重んじ、さび・しおり・細み・軽みを尊ぶ。
※不易流行(ふえきりゅうこう)… 蕉風俳諧の理念の一つ。俳諧には不易(時代を超えて変わらないこと)の句と流行の句とがあるが、流行の句も時代を超えて人々に訴えればそれは不易の句であり、ともに俳諧の本質を究めることから生じ、根本は一つであるという論。
※「おくのほそ道」… 松尾芭蕉の俳文紀行。元禄二年(1689年)3月末江戸を出発し、東北・北陸を巡り美濃大垣(岐阜県)に至る約150日間、およそ六百里(約2400㎞)の旅日記。洗練された俳文・俳句は芭蕉芸術の至境を示している。元禄七年(1694年)頃成立。元禄十五年(1702年)刊。芭蕉自身は「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」という表記を好んで用いていた。原文の題名もこの表記となっている。
■ふるさとや臍の緒に泣く年の暮(松尾芭蕉)
・ふるさとや ほぞのおになく としのくれ
・まもなく年も暮れようとするころ、懐(なつ)かしい故郷に帰りふと見出したのは、大切に取り置かれていた自分の臍(へそ)の緒(お)である。それにつけても、今は亡(な)き父や母の深い愛情をあらためて思い、偲(しの)んではしみじみと涙にくれたことだ。
・年の暮れの慌(あわ)ただしさの中、故郷で静かに両親を思慕しつつ懐旧に浸っている芭蕉の孤独な思いが伝わってくる句である。(冬・初句切れ)
※ふるさと… 芭蕉の生地は伊賀上野(三重県)である。
※ふるさとや… 私のふるさとであることよ、と詠嘆を表している。
※臍(ほぞ)の緒(お)… へその緒(お)。子どもの誕生後、へその緒を桐の箱に収めて保存する風習が日本にある。へその緒は母子の絆を象徴するものであり、また、魔除けやお守りになるという言い伝えもあるが、正確な由来はわかっていない。
※年の暮(くれ)… 冬の季語。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※「笈の小文」の旅で、芭蕉が故郷である伊賀上野に帰った際に詠まれた。
※貞享四年(1687年)暮れ、芭蕉44歳の時の作。
※「笈の小文」所収。
※松尾芭蕉(まつおばしょう)… 江戸前期の俳人。伊賀上野の人。江戸深川の芭蕉庵に移った頃から独自の蕉風(しょうふう)を開拓。各地への旅を通じて、不易流行(ふえきりゅうこう)の思想を形成し、俳諧を文芸的に高めた。「おくのほそ道」「野ざらし紀行」「更級日記」「笈の小文」など。元禄七年(1694年)十月十二日(新暦11月28日)没。享年51。
※蕉風(しょうふう)… 松尾芭蕉およびその門流の信奉する俳風。美的理念としては、幽玄、閑寂を重んじ、さび・しおり・細み・軽みを尊ぶ。
※不易流行(ふえきりゅうこう)… 蕉風俳諧の理念の一つ。俳諧には不易(時代を超えて変わらないこと)の句と流行の句とがあるが、流行の句も時代を超えて人々に訴えればそれは不易の句であり、ともに俳諧の本質を究めることから生じ、根本は一つであるという論。
※「おくのほそ道」… 松尾芭蕉の俳文紀行。元禄二年(1689年)3月末江戸を出発し、東北・北陸を巡り美濃大垣(岐阜県)に至る約150日間、およそ六百里(約2400㎞)の旅日記。洗練された俳文・俳句は芭蕉芸術の至境を示している。元禄七年(1694年)頃成立。元禄十五年(1702年)刊。芭蕉自身は「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」という表記を好んで用いていた。原文の題名もこの表記となっている。
■降る雪や明治は遠くなりにけり(中村草田男)
・ふるゆきや めいじはとおく なりにけり
・しきりに雪の降る中を、久しぶりに母校の小学校を目指して歩いている。降る雪の向こうに見えてきた校舎の姿を見ていると、あの頃と変わらない情景にふいに過去に引き戻される錯覚を抱き、自分が幼かった頃の明治という時代も既に永久に過ぎ去ったのだと、懐かしい思いとともにしみじみとした感慨(かんがい)を抱いたことである。
・時間という大河に容赦なく流されてゆき、永久に戻ることのない明治という時代への感懐(かんかい)が詠われている。(冬・二段切れ)
※切れ字が「や」「けり」と二語使用されている。切れ字を二語使用するのは「二段切れ」といい、俳句の作法として禁じられているが、草田男のこの句は成功した例として有名。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※初句で切れ、また、結句にも詠嘆が込められているので、本来は二段切れ。
※二段切れ… ①一句に切れ字を二つ用いたり、②名詞による切れ目を作ることで感動の焦点が二か所に分散、互いに相殺されることで作品として失敗する場合が多いので嫌われる。しかし、名詞による切れ目は俳句では一般に用いられているので、これを敢えて二段切れと呼ぶ意味合いは薄れている。どちらに強い詠嘆を込めるかは作者の感覚によるところが大きい。
例:
①松籟(しょうらい)や ・ 百日の夏来たりけり(中村草田男)
②赤とんぼ ・ 筑波に雲もなかりけり(正岡子規)
※草田男(くさたお)が昭和6年、東大の学生時代に母校である東京青山南町の青南(せいなん)小学校を訪れた際に得た感懐(かんかい)を詠(うた)った句。
※「長子」(昭和11年)所収。
※中村草田男(なかむらくさたお)… 昭和時代の俳人。中国福建省生まれ。愛媛の人。ホトトギス同人。高浜虚子に師事。伝統的な季題定型を守り信じ、この中に作者の複雑な自己、体験を抒情歌しようとした。単に花鳥諷詠にとどまらず、俳句に作者の心理、思想といった内的要素を持ち込むところにきわめて近代的な意欲があり、加藤楸邨、石田波郷らとともに人間探究派と称せられた。昭和58年(1983年)没。享年82。
※花鳥諷詠(かちょうふうえい)… 昭和初期に高浜虚子が唱えたホトトギス派の主張。四季の変化によって生ずる自然界の現象およびそれに伴う人事界の現象を無心に客観的に詠むのが俳句の根本義であるとするもの。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。
■糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな(正岡子規)
・へちまさいて たんのつまりし ほとけかな
・庭の糸瓜棚(へちまだな)の糸瓜が、黄色く鮮やかな花を咲かせた。病重く、ひどい痰(たん)で窒息(ちっそく)寸前の我が身はと言えば、もういよいよ仏(死人)も同然であることだ。
・変わらぬ姿で色鮮やかに咲かせてみせた糸瓜の花の生とは対照的に、病にあえぎ苦しみつつ、ついに絶命しようとしている子規の、死の覚悟が切実である。(夏・句切れなし)
※別の解釈… 病にあえぎ苦しみながら、今まさに絶命しようとしている自分自身を冷静に客観視し、おかしがっている。(夏・句切れなし)
※糸瓜(へちま)… ウリ科の一年生つる草。夏から秋にかけて黄色い花を開く。実は30~60cmの円筒状。茎(くき)からとれる水は化粧用、薬用、また、実の繊維は浴用のあかすりに用いられる。糸瓜の水は痰(たん)切りの妙薬(みょうやく)とされ、子規は庭に植えた糸瓜の水を痰の治療に使っていた。秋の季語。
※糸瓜咲いて… 糸瓜(の実)は秋の季語だが、「糸瓜咲いて」「糸瓜の花」は夏の季語。
※痰(たん)のつまりし… 肺結核に冒され、痰がのど(気管)につまった、という意味。
※仏… ここでは死人のこと。
※仏かな… 死人(も同然)であることだよ、と詠嘆が込められている。
※季節について… 子規はこの句を亡くなる前日、明治35年(1902年)9月18日に詠んでおり、実際に句が詠まれた季節は秋である。また、糸瓜の花も実をつけながら季節外れに咲かすことがあるため、季語を「糸瓜」ととり、季節を秋とする場合がある。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※比喩(隠喩)… 自分は窒息寸前で苦しんでおり、仏(死人)も同然である、とたとえている。
※正岡子規(まさおかしき)は二十台の若さから肺結核、脊椎(せきつい)カリエスに冒(おか)され、永く闘病生活を送る。この句は子規が明治35年(1902年)、34歳で亡くなる前日に詠(よ)まれた三句の中の一句。
※絶筆三句の他の二句
・をととひのへちまの水も取らざりき(名月の晩に採った糸瓜の水は薬効が著しいというが、名月だった二日前の糸瓜の水さえ採らせることが出来なかった)
・痰一斗糸瓜の水も間にあはず(私のひどい痰には、もう糸瓜の水どころでは間に合わないのだ)
※正岡子規… 俳人・歌人。愛媛県松山生まれ。短歌・俳句、写生文による文章革新運動を推進、「ホトトギス」を創刊。二十代の若さより肺結核、脊椎(せきつい)カリエスに冒(おか)され、永く闘病生活を送る。明治35年(1902年)没。享年34。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。
■ 法師ぜみ鳴く新学期始まれり(水原秋桜子)
・ほうしぜみなく しんがっきはじまれり
・ツクツクボウシが盛んに鳴いている。子どもたちにとって楽しかった夏休みはとうとう終わり、にわかに秋の風情も感じさせる時節となる中、学校では新学期が始まった。
・
楽しかった夏休みの思い出を胸に、その余韻(よいん)に浸(ひた)りながらも、子供たちは新学期の学校生活へと新たに気持ちを向けていることだろう。(秋・中間切れ)
※法師ぜみ… つくつく法師(ぼうし)。晩夏から秋に「オーシーツクツク」と鳴く。秋の季語。ちなみに「せみ」は夏の季語、「ひぐらし」は秋の季語であり、それぞれ季節を間違えやすいので注意。
※新学期… 春の季語。
※季重なり… 一句の中に二つ以上季語が入っている場合、これを季重なりという。一句の主題が不鮮明になるので嫌うが、主旨がはっきりし一句が損なわれない時に用いられる。この場合、一句の主題となっているほうを季語とする。感動の集中を示す「切れ字」が用いられている場合は、その位置によって主題となる季語を判別することもできる。この句では新学期とは秋の新学期のことであり、感動の重点がある「法師ぜみ」を季語ととる。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※「法師ぜみ鳴く ・ 新学期始まれり」で中七の中間切れ。
※中間切れ… 文としての意味の流れが途切れるところを「句切れ」と言い、初句(上五)で切れる「初句切れ」、二句(中七)で切れる「二句切れ」、結句(下五)までを一つの文としてとらえる「句切れなし」がある。また、それ以外に主に二句(中七)の途中で切れる「中間切れ」がある。
例:
万緑の中や ・ 吾子の歯生え初むる(中村草田男)… 中七(二句)の中間切れ
蒲公英のかたさや ・ 海の日も一輪(中村草田男)… 中七(二句)の中間切れ
風吹けば来るや ・ 隣の鯉幟(高浜虚子)… 中七(二句)の中間切れ
木の葉ふりやまず ・ いそぐないそぐなよ(加藤楸邨)… 中七(二句)の中間切れ
跳躍台人なし ・ プール真青なり(水原秋桜子)… 中七(二句)の中間切れ
算術の少年しのび泣けり ・ 夏(西東三鬼)… 下五(結句)の中間切れ
※水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)… 大正・昭和の俳人。東京生まれ。東大医学部卒業。医学博士。高野素十、阿波野青畝、山口誓子らとともに、名前の頭文字を取って「ホトトギス」の四Sと称された。近代的な明るさと都会人風の洗練された感覚、豊かな抒情を詠うその句風は、それまでの伝統的な俳句の境地を断然抜け出したものであった。しかし、その主情的な傾向は、「ホトトギス」の写実的傾向と一致せず、高浜虚子らと対立、昭和六年、「ホトトギス」を去る。のち「馬酔木」を主宰し、新興俳句の先駆者となる。昭和56年(1981年)没。享年89。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。
■方丈の大庇より春の蝶(高野素十)
・ほうじょうの おおびさしより はるのちょう
・京都の、龍安寺(りょうあんじ)方丈(ほうじょう)の間の長く大きな庇(ひさし)の陰(かげ)から、ふいに小さな蝶(ちょう)がこぼれるように舞い下りてきた。庇の下で白砂(はくさ・はくしゃ)の石庭(せきてい)を眺(なが)めていた私は、明るい日差しを浴びながら軽やかに舞い現われたその蝶に、春そのものを見たことだ。
・本堂の大きな庇と小さな春の蝶という対比、石庭という静的景物の中にふいに出現した蝶の動といった対比による印象が鮮やかである。(春・句切れなし)
※方丈… 京都龍安寺(りょうあんじ)の本堂のこと。重要文化財。世界遺産。
※大庇(おおひさし)… 龍安寺本堂の大きな庇(ひさし)。
※蝶… 春の季語。夏の季語と間違えやすいので注意。
※体言止め。
※昭和2年(1927年)4月、京都龍安寺(りょうあんじ)を訪れた際の句。
※龍安寺(りょうあんじ・りゅうあんじ)… 京都市右京区にある臨済宗妙心寺派の寺。宝徳二年(1450年)、細川勝元の創建。白砂を敷き大小15個の石を配置した石庭は、俗に「虎の子渡しの庭」として知られる。
※虎の子渡し… 虎は三匹の子を産むと、そのうちの一頭は必ず獰猛(どうもう)であり、他の二頭を襲って喰おうとする。そこで、母虎が子虎たちを連れて大河を渡る際には、まず獰猛な子虎だけを連れて対岸に渡し、自分は引き返す。次に、残った二頭のうち一頭だけを連れて対岸に渡ると、獰猛な子虎だけを連れて岸に戻る。そして、三頭目の子虎を対岸に渡した後、また岸に戻り、最後に残った獰猛な子虎を連れて対岸へ渡る。龍安寺の石庭はこの様子を表したものだといわれている。
※高野素十(たかのすじゅう)… 昭和期の俳人。医学博士。明治26年(1893年)、茨城県生まれ。大正12年(1923年)より高浜虚子に師事し、虚子の花鳥諷詠(かちょうふうえい)の教えを忠実に守って、穏やかな客観写生のうちに「自己の天地」を見出そうとした。山口誓子、阿波野青畝(あわのせいほ)、水原秋桜子らとともに名前の頭文字を取って「ホトトギス」の「四S」と称された。昭和51年(1976年)没。享年83。
※花鳥諷詠(かちょうふうえい)… 昭和初期に高浜虚子が唱えたホトトギス派の主張。四季の変化によって生ずる自然界の現象およびそれに伴う人事界の現象を無心に客観的に詠むのが俳句の根本義であるとするもの。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。
■星空へ店よりりんごあふれをり(橋本多佳子)
・ほしぞらへ みせよりりんご あふれおり
・秋の日もとっぷりと暮れ、澄(す)みきった夜空には一面に星が美しく煌(きら)めいている。果物屋の前を通りかかると、店先には林檎(りんご)が堆(うずたか)く積まれ、それが電球の明るい光を浴びていっそう鮮やかに赤く照り輝き、この美しい星空へといっぱいに溢(あふ)れていることだ。
・終戦直後の作品である。日本が敗戦の痛手から立ち直ろうとする時代にあって、美しい星空にあふれるりんごは人々の希望や未来を象徴するかのようである。充実した、幸福感に満ちた世界を感じさせてくれる作品である。(秋・句切れなし)
※林檎(りんご)… 秋の季語。ちなみに林檎の花は春の季語。
※あふれをり… あふれている。
※りんごあふれをり… りんごがあふれていることだ、と詠嘆が込められている。
※比喩(隠喩)… 「星空にりんごがあふれている」は、りんごが赤く鮮やかに照り輝いて、作者の心いっぱいに満ちて充足感を与えている様子をたとえている。
※「紅糸(こうし)」(昭和26年:1951年)所収。
※橋本多佳子(はしもとたかこ)… 昭和期の女流俳人。東京本郷の生まれ。杉田久女に俳句のてほどきを受ける。「ホトトギス」「馬酔木」を経て、山口誓子に師事。女性特有の多面的な感情を繊細な感性と豊かな情感によって表現。昭和38年(1963年)没。享年64。
■牡丹散ってうち重なりぬニ三片(与謝蕪村)
・ぼたんちって うちかさなりぬ にさんぺん
・夏の庭に美しく咲きほこっていた牡丹(ぼたん)の花が、今はひそかに散り始めている。土の上にこぼれていた花びらの上に、美しく大きな花びらがまた一片(ひとひら)、はらりと落ち、そうしてひっそりとニ、三片(ぺん)が重なり合ったことだ。
・優雅な牡丹の風姿、その花びらの大きな感じが、絵画的な趣の中に優美に描かれている。(夏・二句切れ)
※牡丹(ぼたん)… キンポウゲ科の落葉低木。5月頃、赤、白、桃色などの大きな花をつける。古来、花の王として尊ばれる。中国原産。夏の季語。
※うち重なりぬ… 重なったことだ、と詠嘆が込められている。「うち」は意味を強める接頭語。また、「ぬ」は切れ字。
※二三片(にさんぺん)… (花びらが)二、三片。
※体言止め。
※字余り。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※蕪村(ぶそん)の書簡(しょかん)に自ら「ちりて」と仮名書きしてあることから、「牡丹散りて」と表記される場合がある。
※与謝蕪村(よさぶそん)… 江戸中期の俳人・画家。摂津の人。客観的写生を重んじ、印象的、絵画的な特色を句風とし、明治になってから正岡子規の共鳴を得て生存当時よりはるかに高く評価されることになった。松尾芭蕉に復することを目指し、天明の中興俳諧の祖となった。「新花摘(しんはなつみ)」「蕪村句集(没後刊行)」など。天明三年(1783年)没。享年68。
■ほろほろと山吹散るか滝の音(松尾芭蕉)
・ほろほろと やまぶきちるか たきのおと
・どうどうと音を立てて流れ落ちている滝(たき)のほとりに咲いた、美しい山吹(やまぶき)の黄金色(こがねいろ)の花びらが、その川音とともに、風もないのにほろり、ほろりと静かにこぼれ散ってゆくことであるよ。
※別の解釈… 吉野川の水がどうどうとすさまじい勢いで流れている。そのほとりに咲く黄金色をした山吹の美しい花は、川の音とともに、風もないのにほろり、ほろりと静かにこぼれ散ってゆくことであるよ。
・滝(または早瀬)のすさまじい音と対比される、山吹の花の清楚な美しさとその散りよう。晩春の深山(しんざん)の静けさがしみじみと感じられる。(春・二句切れ)
※ほろほろと… 花びらや木の葉などがはらはらと散る様子を表す擬態語。
※山吹(やまぶき)… バラ科の落葉低木。高さ約1m。晩春に一重または八重の鮮やかな黄金色の花を枝の頂につける。春の季語。
※散るか… 散ることであろうよ、と詠嘆が込められている。「か」は切れ字で、「やはり~なのだろうか」と疑問と詠嘆との両方の意味が含まれている。
※滝(たき)… 今日のものとは違い、早瀬(はやせ)や激流の意味で用いられた。今日の滝に当たるのは「垂水(たるみ)」。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※「笈の小文」所収。
※「笈の小文」の旅の途上、奈良吉野山の西河(にしこう)での作。西河は吉野川上流の早瀬の地である。
※貞享五年(1688年)春、芭蕉44歳の時の作。
※松尾芭蕉(まつおばしょう)… 江戸前期の俳人。伊賀上野の人。江戸深川の芭蕉庵に移った頃から独自の蕉風(しょうふう)を開拓。各地への旅を通じて、不易流行(ふえきりゅうこう)の思想を形成し、俳諧を文芸的に高めた。「おくのほそ道」「野ざらし紀行」「更級日記」「笈の小文」など。元禄七年(1694年)十月十二日(新暦11月28日)没。享年51。
※蕉風(しょうふう)… 松尾芭蕉およびその門流の信奉する俳風。美的理念としては、幽玄、閑寂を重んじ、さび・しおり・細み・軽みを尊ぶ。
※不易流行(ふえきりゅうこう)… 蕉風俳諧の理念の一つ。俳諧には不易(時代を超えて変わらないこと)の句と流行の句とがあるが、流行の句も時代を超えて人々に訴えればそれは不易の句であり、ともに俳諧の本質を究めることから生じ、根本は一つであるという論。
※「おくのほそ道」… 松尾芭蕉の俳文紀行。元禄二年(1689年)3月末江戸を出発し、東北・北陸を巡り美濃大垣(岐阜県)に至る約150日間、およそ六百里(約2400㎞)の旅日記。洗練された俳文・俳句は芭蕉芸術の至境を示している。元禄七年(1694年)頃成立。元禄十五年(1702年)刊。芭蕉自身は「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」という表記を好んで用いていた。原文の題名もこの表記となっている。