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中学受験国語 選択肢の判別法について

選択肢の判定問題において、解答者を誤答に誘導するために作問者がよく用いる手法の一覧です。以下の手法を認識していることで選択問題の全てが解決するというわけではありませんが、感覚や印象ばかりに依存せず、また、十分な照合・検討の訓練を怠らずに、普段から本質的な学習を積み重ね、正確な判定ができるよう訓練しておくことが大切です。

■学習塾講師や家庭教師による国語の授業では、「選択肢に書かれてある文を二〜三の部分に分け、それぞれの部分が本文の内容に一致すれば必ず正解である」といった機械的・短絡的な判別法や、「『言い過ぎ』であったり『大げさ』であったりすると感じられるものは除外しなさい」、「残った二つのうち、『強い』と感じられるほうのものを選びなさい」、「『真面目な印象』、『明るい印象』を与える選択肢を選びなさい」といった、感覚や印象に完全依存する判別法が指導されるケースが一般です。しかし、中学受験を目指す小学生のみなさんは、初めからこのような、思考したり苦闘したりせずとも、楽に、そして簡単にあらゆる夢を叶えてくれる「魔法の杖」を手に入れることばかりを追い求めるのではなく、あくまで「設問の要求に正確に対応した、本質的かつ正当な説明内容を判定する」ための高度な論理的解析力を鍛えてゆきましょう。中学受験国語は、本質的な意味での学力、つまり、人間が生きるうえでの基本的能力を育てるという観点を忘れずに取り組むことが大切です。中学受験は、君たちが、君たち自身の人生における、その生き方を学ぶ場でもあるのですから。

ごく基本的な論理のおさらい

どちらが論理的でしょうか?

 (1) (a)クモは8本足である。(b)コガネグモはクモである。
    (c)だから、コガネグモは8本足である。

 (2) (a)クモは8本足である。(b)蝶はクモではない。
    (c)だから、蝶は8本足ではない。

■(1)について… 「前提(a)」と「前提(b)」のどちらもが正しいと認めた場合、「結論(c)」は正しく、論理的に正しい推論である。

「前提(a)」と「前提(b)」によって、クモという生き物の中にコガネグモという種類のクモが含まれていることがさらに前提となり、その結果、「コガネグモもまた8本足のクモである」とう結論が導き出せ、論理に矛盾は起きない。

 (2)について… 「前提(a)」と「前提(b)」のどちらもが正しいと認めても、「結論(c)」は正しいとは言えない。

前提(a)(b)は、「クモ以外に8本足の生き物は存在しない」ことを意味していない。つまり、クモ以外にも8本足の生き物が存在する可能性を示唆している。そうであるならば、特別な条件でも無い限りは「そこに蝶も含まれる」可能性が否定されないのだから(つまり「8本足のチョウがいる」可能性を示しているということ)、それを前提とすれば、結論(c)のように「蝶は8本足ではない」とは必ずしも言い切れないことになる。

よって(2)の場合、「結論(c)」を導くためには(a)と(b)はともに前提として不完全であり、論理は成立せず、そのためこの推論は正しいとは言えない。


選択肢の判別法

※以下の判別法によって全ての選択問題が解決するわけではありません。

(1)前提のすりかえ
前提となる事柄(大もととなる客観的事実)をわざとすり替えたうえで説明してある。前提内容が本文の内容に一致しないにもかかわらず、説明自体はいかにも正当であるかのような内容で書かれてあるため、非常に紛らわしくなる。本文の正確な内容把握が大前提となるため、本質的な読解ができるよう、しっかりと訓練しておこう

(2)飛躍
正しい筋道を飛び越えた内容の説明がされている。論理上の飛躍の度合いが低い場合や大きい場合、あるいは微妙にずれる場合など、さまざまに調整してある。本文の内容や論理構造の正確な把握を大前提としたうえで選択肢の検討が行えるよう訓練しておこう

(3)二分法
「晴れではない」という説明は、必ずしも「雨である」ことだけを意味するとは限らない。にもかからわず、そのように他の可能性を一切排除し断定的に説明してあるため、解答者の思い込みを誘発させる。(2)の「飛躍説明」の一種。

(4)フェイク(見せかけ)
本文から一部をそっくり引用してあるだけで、実は設問の要求にはまったく対応していない。少し冷静に考えれば判別もさほど難しくないので、「本文に書いてあるから」という単純な理由で選択してしまわないよう注意しよう

(5)カムフラージュ(偽装)
文中語句を敢えて使用せずに、言い換えたり、あるいは一歩踏み込んだ説明をしたりすることで、正解でありながら正解に思えなくする。(20)の「論外」として除外してしまいやすいので特に注意が必要。判別難度が高く、正答率を下げるのに効果的な手法。

(6)意志表現の調整
筆者の考えや本文の内容、あるいは登場人物の気持ちや考えに沿わない「意志表現」で説明してある。「意志」の度合いを高めた「積極的意志表現」による説明や、逆に「意志」の度合いを低めた「消極的意志表現」による説明によって微妙に調整してある。「筆者(あるいは登場人物)はそこまで考えてはいない」と見抜けるよう、本文内容の把握をしっかりと行おう。(1)の「前提のすりかえ」、あるいは(2)の「飛躍説明」の一種。

(7)趣旨のねじり
微妙に意味内容を変えてある。本文のみならず、「選択肢に書かれてある説明文の読解」もしっかりできるよう訓練しておこう。

(8)因果の不成立(逆転・ねじり)
原因や理由となる内容と、結果となる内容とが逆転させてあったりねじってあったりし、説明における因果関係そのものが正当に成立していない。確認作業に手間取り、時間配分を狂わされる恐れがあるので、本文全体、および細部での論理構造の照合・確認を確実に行おう

(9)主観的説明
本文の内容に沿った客観的な説明とは別に、無関係な主観的説明を設定してある。「この説明はあくまで不特定他者の主観であり、筆者の考え(あるいは登場人物の考え)とは無関係である」というように、両者を明確に区別する視点を持とう。

(10)一般論的説明
本文の内容や主題・要旨に沿わない、無関係な一般論的な説明が書かれてある。説明内容自体は一般論的に決して間違っているわけではないため判断に迷いやすく、誘導されやすい。「これは一般論、あるいは世の常識論であって、本文内容とは無関係である」というように、両者を明確に区別する視点を持とう。

(11)展開無視
巨視的把握力・展開把握力を見る狙いがある。判断に迷いやすく、誘導されやすい。展開や変化の照合を確実に行い、一部の文脈・内容など断片的情報だけを根拠に解答を確定しないように注意しよう

(12)人物像のすり替え
登場人物や作者・筆者の人物像・性格などを微妙にすり替えたうえで説明してある。解答者側の思い込みを誘発させる狙いがあり、誘導されやすい。1)の「前提のすりかえ」の一種。「この説明は登場人物(あるいは筆者)の人物像とは異なり、別の人物像を前提にしている」と見抜けるよう、本文の内容把握をしっかりと行おう。

(13)要素欠落
説明が完結するために必要な要素が一部欠落している。欠落に気づかれないように表現や内容を微妙に調整している場合があるので注意が必要。選択肢の説明は最後までしっかりと読み、その内容を吟味する習慣を持とう。

(14)虚偽要素の添加
選択肢の説明における趣旨がほぼ正しいうえに、そこに含まれる要素の数もまた正しいが、それに加え、誤った要素を忍ばせてある。普段から速く正確な判断を行う訓練をしていないと、瞬時の全体把握だけでは気づかずに済ませてしまったり、選択肢の最終確定に手間取ったりしてしまう恐れがあるので注意しよう。

(15)線部内容の単純な言い換え
線部等、問われている箇所の表現を単純に別表現に改めてあるだけで、実は設問の要求には何も答えていない。「線部内容についての説明として正しいものを一つ選びなさい」といった「内容説明の問題」と勘違いして選んでしまいやすいので、設問の要求をしっかりと把握し、そして方向付けて考え、解決してゆく習慣を持とう。

(16)形式的説明
上辺をなぞっただけの表面的、あるいは形式的な説明がなされているのみで、設問の要求に対する本質的な説明がなされていない。「これは表面的な捉え方に過ぎず、本質には至っていない」といった判断ができるよう、新たな視点を加えよう。

(17)価値要素
選択肢の説明文中に、「良い」「悪い」、あるいは「正しい」「悪い」、「すばらしい」「最低だ」、「美しい」「醜い」、「好ましい」「好ましくない」、「するべきだ」「するべきでない」などといった価値判断を伴う要素が含まれている。道徳的・倫理的・常識的に正しい事柄に対しては否定しづらく、逆に道徳的・倫理的・常識的にふさわしくない事柄に対しては肯定しづらい一般の心理的傾向を作為的に利用しているので注意が必要。本文内容をあくまで客観的かつ正確に把握する訓練を行ってゆこう。

(18)曖昧(あいまい)説明
説明内容を微妙に調整し、やや曖昧に表現することで、解答者の思考を混乱させたり、選択肢の最終確定を手間取らせる意図がある

(19)混乱術
複雑な説明や長文等によって思考整理を阻害する意図がある。本文全体、および細部での論理構造の照合・確認が確実に行われていないと確認作業に手間取り、時間配分を狂わされてしまう。また、そのために解答者に心理的動揺が生まれ、他教科の試験対応力に影響が及んでしまう恐れもあるので注意が必要。「選択肢における説明文の読解」をしっかりと訓練しておこう

(20)論外
明らかに本文の内容や設問の要求から外れるため、比較的除外しやすい。ただし、(5)の「カムフラージュ(偽装)」による正解肢を誤って「論外」として除外してしまうことのないよう注意しよう

※その他:上記手法のいくつかが複合されている場合がある。

小手先テクニック・感覚判定法の例

当方が指導を担当する生徒たちの中で、毎年少なくともその3〜4名から、国語の選択問題は以下に挙げたような方法で解決するよう塾の先生に指導されているという話を必ず聞かされます。また、保護者の方々からも、お子様が家庭教師の体験授業や指導をお受けになった際、同様の小手先テクニックや感覚判定法による指導を受けられたというご経験に関するご相談を、やはり毎年複数頂きます。

(1)「選択肢に書かれてある説明を前半と後半とに分けて検討し、そのどちらもが正しい内容であれば正解である」
(2)「短い説明のものは選んではいけない。具体的な内容で、しかも説明が長めの選択肢を選びなさい」
(3)「極端に長い説明や、極端に短い説明のものは選んではいけない」
(4)「『断定的な表現』のあるものは引っかけなので選んではいけない」
(5)「傍線部に最も近い部分の説明を利用した選択肢は選んではいけない」
(6)「『音の似た語』が使用されている二つの選択肢を探して、どちらか一つを選びなさい」
(7)「本文中のキーワードが使用されていない説明の選択肢は選んではいけない」
(8)「二つの相反する説明があったら、どちらか一方が必ず正解である」
(9)「五択であれば1番目と5番目を選んではいけない。四択であれば3番目を選びなさい(2番という説もある)」
(10)「選択肢を検討する際、『大げさ』と感じるもの、『言い過ぎ』と感じるものは選んではいけない」
(11)「選択問題で自分の直感力を最大限に発揮できるよう、普段からしっかりと鍛えておきなさい」
(12)「『暗い印象』の説明が書かれた選択肢は選んではいけない」
(13)「プラスイメージとマイナスイメージに分け、設問の方向性に合うほうを選びなさい」
(14)「選択肢の説明を本文の中に当てはめた時、『自然な印象』を与えるものを選びなさい」
(15)「作問者が一番最初に作った選択肢が正解なので、そう思えるものを探して答えなさい」
(16)「選択肢で最後に迷ったら、『比較的地味な説明』のほうを選びなさい」
(17)「選択肢で最後に迷ったら、『後のほう』の選択肢を選びなさい」
(18)「選択肢で最後に迷ったら、『正しそうに見えない説明』のほうが正解である可能性が高い」
(19)「選択肢で最後に迷ったら、必ず『強い』と感じるものを選びなさい」
(20)「選択肢で最後に迷ったら、『常識的な説明』だと感じるものを選びなさい」
(21)「選択肢で最後に迷ったら、『まじめな印象を与える説明』のものを選びなさい」
(22)「選択肢で最後に迷ったら、『まじめすぎる印象を与える説明』のものは選んではいけない」
(23)「選択肢で最後に迷ったら、『穏やかな印象を与える説明』のものを選びなさい」
(24)「選択肢で最後に迷ったら、『正解だ』と思えるほうを信じなさい」
(25)「選択肢で最後に迷ったら、最初に『正解だ』と感じたものを信じなさい」


※現在、その他各種小手先テクニック、感覚や印象による「マル秘裏技」が蔓延し、大手・中小の所属を問わず相当に多くの塾講師の方々、あるいは家庭教師の方々によって指導されています。選択肢の説明が設問の要求に対応しているかどうか、また、説明の趣旨自体が正しいかどうかといったごく基本的な検討さえが一切行われず、形式的作業や感覚、印象に依るだけで誰でも簡単、確実に判定できるかのように指導されるので注意が必要です。

■作成:2010年(平成22年)11月30日


「選択肢で最後に迷ったら、必ず『強いほう』を選べ」

毎年、担当している生徒たちの数人から、選択問題の判定法を塾でそのように教わっているのだと(複数の大手塾を含む)、毎年必ず聞かされる。「強いほう」というのは、「読解に基づき、設問の要求に対して内容が正確かつ完全に対応していると判断できるもの」という意味なのか、あるいはそうでないのか、その点を生徒に問い質してみても、どうも基準がはっきりとしない。その基準がどのようなものかを、塾の先生からはっきりと教わったわけではないとも言う。「大げさなものは選ぶな」と教わることもあるそうだが、「大げさな内容」と判断するための基準もまた曖昧である。さらにまた、「最後にどうしても判定できない時は、いちばん最初に正解だと思ったほうを信じなさい」などと教わることもあるらしい。

いずれの場合でも生徒たちは、自分が『強いと感じるかどうか』、『大げさと感じるかどうか』、『正解だと思うものを信じられるかどうか』、つまり、子どもたち本人は自分で気づいているわけではないのだが、「その時の感覚」を唯一絶対の根拠として「最終判定」を行うという方法を学び、それまで実直にその実践を続けてきたということだった。

また、次の例についても、やはり毎年複数の生徒たちから塾でそのように指導されていると聞かされる「古典的かつオーソドックス」な解答技術である。(塾に勤めていた当時から現在まで、保護者の方々からもその方法の有効性については何度も相談を受けてきた。親御様にとっても、それだけ子どもの国語力についての悩みが切実だということだ)

「本文文章を通読せずとも良い。先に設問文を読み、問われている箇所の前後数行をたどり、解答を確定せよ。それによって制限時間内での解答作業は速やかに完了する」

担当講師によってそれぞれ指導方法が異なるにせよ、これほどまでに蔓延する「感覚判定法」や様々な「小手先テクニック」が中学受験国語の問題解決全般に通用しないことは以前から指摘されてきているとおりなので、私自身も今さらあれこれ論評する気も起こらない。が、何事も経験が大事。楽に国語の得点力を高めたいと願う生徒や、あるいは大人の側も、時間に余裕があれば一度こうした技術がどれだけ有効なものかを実際に試して確かめてみるとよいだろう。常識や人生経験、多角的なもののとらえ方や推理力、総合力や対応力、情緒面や精神面の発達などの点において大人と小学生との間には相当の開きがあり、こうした技術が大学受験予備校生や一般の大人にはある程度適用できたとしても、ほとんどの小学生には惨憺たる現実を目の当たりにする結果になるだけのはずだ。

(子どもたちによれば、選択問題の解決法として他に次のような「テクニック」を塾で指導されているそうだ。「選択肢の文を前半と後半の要素に分け、その両方が内容的に合っていれば正解である」「短い文の選択肢は選んではいけない。具体的な内容を含む長い文の選択肢を選びなさい」。また、記述問題の解決法として、「30字程度の記述問題では、問われている箇所の直前・直後に必ずポイントがある。それを見つけ出し、合成すれば解答となる」「約70〜100字前後の記述問題では、本文全体からポイントを探し出しなさい」。

上記いずれの指導例にも共通しているのは、「本文文章の読解、内容把握は十分である必要はない」「中学受験国語の読解問題は形式的技術によればほぼ全面解決できる」などと指導側に捉えられていることだ。つまり、「国語読解学習に地道な努力や苦労は不要である」「文章との格闘や問題との格闘は不要である」といった指導側の理念・姿勢が強く感じられる点である。

(それでいて世の受験生たちは、実質の伴わない形式的な作業に終始するおそれが多分にあるとしても、平生から大量の課題を処理するための地道な努力、苦労は確かに強いられてはいるが)

「魔法の杖」

■文章読解問題の選択問題においては、選択肢に本文の内容に沿わないことがらを「前提」とした内容の説明が書かれてある場合がある。前提が本文の内容に沿わないにもかかわらずその説明自体は決して間違っていないという場合など、こうしたものは巧妙に設定された誘導肢として機能している場合がほとんどで、受験者は「正しい前提」を踏まえない限りその「誘導」によって解答確定に失敗してしまう恐れが多分にあるだろう。

誤答肢に誘導されやすい生徒の中には、「それなら、最後に迷ったら正解に見えないほうを選べばいいね!」などと「独自解法テクニック」を創案した者もいたが… (あ、あ、あのねえ、キミ……)

このような「前提のすりかえ」以外にも、「本文の内容に沿った客観的な説明」と、そうでない「主観的な説明」とをそれぞれの選択肢に混在させて紛らわしくしてある場合もあれば、作者や筆者、登場人物等の「意志の程度」を変化させてある場合もある。さらに、微妙に趣旨をねじって判断を惑わそうとしている場合、飛躍説明である場合、本文から一部をそっくり引用して説明の体裁をとっているだけで、実は設問の要求には全く対応していない「フェイク」である場合もあるし、逆に正解でありながら表現を裏返したり言い換えたりして正解に見えなくする「カムフラージュ」である場合もある。また、いかにも納得できる説明内容ではあるが、実は「本文の内容とは無関係なただの一般論的説明」を設置してある場合もあれば、二種の判断以外に他の判断を一切排除した「二分法」が用いられている場合もある。

単純に「強いかどうか」、あるいは「大げさかそうでないか」といった「感覚に完全依存する方法」や、読解を前提としない「技術的・形式的な処理方法」に安易に依るのではなく、さまざまなケースに当たり、その都度多角的、総合的、論理的な、そして厳密かつ的確な検証・判定ができるよう、自立心や主体性を育成しながら子どもたちの思考力を養い、地道な解決努力をする大切さを身をもって示しながら徹底させていくことは、言うまでもなく私たち指導する側に求められている姿勢の中でも大切な要素の一つだろう。

一編一編の文章との格闘、一つひとつの問題との格闘を通して、子どもたちは自身が直面する問題を解決し乗り越えていく姿勢を身につけてゆく。そうして得られた確信と自信は揺るぎないものであり、いつしか何ものにも代え難い人生の宝物になっていくことだろう。一方で、格闘を経験しないまま、格闘の意義を知らされないまま、実質の伴わない「合理的解決」という大人の理知を学び、その実践に努めている子どもたちもまた数多い。

国語が苦手だ、不得意だという子どもたちが、皆、大人たちに救いを求めている。子どもたちは純粋だ。一人一人さまざまに違った個性と能力とを備え、そして柔軟である。指導する大人の側の理念や姿勢次第で、子どもたちの人生に対する考え方や姿勢もまた如何ようにも変わってしまうだろう。「これは魔法の杖なんだよ」と、困難に立ち向かわずとも一瞬にして夢を叶えてくれる万能の方法が世の中にはあるのだという幻想を子どもたちに与え、それで善しと割り切るのか、あるいは逆に、困難や障害に直面した時にこそ、それを真摯に自身の問題として受け止め、その知力と能力とを結集し、真っ向から、そして全力で問題解決に挑む姿勢、自分自身のその力で困難や障害を乗り越えてゆく姿勢に一つの価値を見出させるのか、子どもたち一人ひとりの人生における生き方の根本にも関わってくるという意味で、私たちの仕事においてその責任は重い。

受かりさえすれば良い。どんな方法であっても、合格することにこそ最大の価値がある。そう考えて割り切るのも一つの価値観である。誰も否定することはできない。

しかしまた一方で、国語は生き方の学問である。中学受験は子どもたちにとって生きる力の土台を築く場であり、そして、生きる姿勢そのものを学ぶ場である。そう考えるのは果たして大げさだろうか。

'作成:2010年(平成22年)6月10日


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