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■「就」の正しい字形

「就の正字について」:PDFのダウンロード (全1ページ)
・指導用の教材として利用される場合は、生徒に教材を渡しっぱなしにして済まさず、生徒にとって有効な活用法をご考慮願います。


ある日の会話
「先生、『就』の字のことなんだけど、僕の通ってる塾の国語の先生がみんな、『11画目のところを飛び出して書くほうが正しくて、飛び出さないほうが間違っている』って言うんですよ。漢字テストなんかで11画目のところを飛び出さないで書くとバツにするんだ…」
「11画目を飛び出して書く『就』の字は誤りではないけれど、正字ではなく異体字なのだから、6学年配当の字をそのように正しい字として教えられると困るよね。」
「なぜか社会の先生のほうが正しく書けるんだよな……」

6学年配当漢字である「就」の字の第11画目ですが、生徒たちの文字には、①右に一度飛び出してから下ろす書き方と、②飛び出さずに真っ直ぐ下ろす書き方と2種類の字形が見受けられます。塾講師や学校教員によってどちらか一方のみを正しい字形として生徒に指導されているようで、そのため字形に迷ってしまっている生徒がかなり多くいます。正しいのは一体どちらなのでしょうか?


結論から言えば、次の通りです。
6学年配当漢字である「就」の字は②の字形が正字である。しかし、①は同じ漢字の異体字であるので、字形として間違いとは言えない。ただし、特に教科書体の正字を習う小学生は、異体字である①ではなく②を正しい字形として覚えるべき。 (「沈」や「枕」のつくりの字形も同様に!)

私たちがある漢字について正しい字形を確かめようとする時に漢和辞典を用いますが、漢和辞典に掲載されている漢字は何を典拠としているのかというと、それは「康煕(こうき)字典」という中国の漢字辞典です。康煕字典は、中国清代、学術振興に力を入れた康煕帝の勅命によって5年がかりで編纂された「字書」で、1716年に完成しました。

「就」の字は「尢(だいのまげあし・おうにょう)」という部首に属していますが、この部首に属する漢字には二つの系統があります。手元の漢和辞典(旺文社・標準漢和辞典)を調べてみると、「尢(だいのまげあし)」という部首の項目内に、一つ目の系統として、部首文字である「尢(オウ)」という字が掲載され、一方、二つ目の系統には「尢(オウ)」の右上に「点」を打った漢字として「尤(ユウ)」、「尨(ボウ)」、「就(シュウ)」が掲載されています。(ご自身の漢和辞典でも確認してみてください)

「尢(オウ)」には「まがったすね、せむし」などの意味があり、足や体に障害を負って不自由であるさまを象(かたど)った象形文字です。一方、「尤(ユウ)」は「とがめる、もっとも、とりわけ、すぐれている」などの意味をもった指事文字です。

 康煕辞典では「尢(オウ)」の字と「尤(ユウ)」の字それぞれの第三画がどのような形になっているのかというと、第二の系統にある「尤(ユウ)」の字は上図②のように「真っ直ぐ下ろす」形となっており、第一の系統にある「尢(オウ)」の字は「少し右にずらしてから下ろす」形となっています。そのことから、「尤(ユウ)」の系統にある漢字である「就」の字もまた、「尤(ユウ)」と同様に第三画は「真っ直ぐに下ろす」ということになります。

 以上のように、「就」の字は上図②のように「真っ直ぐに下ろす」のが正しく、これが「就」の正字だということになります。

ところが、ややこしいことに康熙字典には上図①のように「少し右にずらしてから下ろす」字形の「尢(オウ)」の字が「尤(ユウ)」の異体字として別に掲載されてもいます。このことから、②の正字に対して、異体字としての①の字形でも間違いであるとは言えない、という結論になるのです。

※ ここまで、主要内容は大修館書店「漢字文化資料館Q&A #262」の記事に依拠しております。

視覚的誤認について

では、学校や塾などで、「①の字形が正しく②の字形は間違いである」と断定的に教える先生が多くいらっしゃるのはなぜでしょうか。

これは私の個人的な推測ですが、その主な理由として、①「視覚的誤認」によるもの、②「過去に『①の字形が正しく、②の字形は誤り』だと誤った教示を受けた経験」によるもの、③「毛筆感覚の有無」等が考えられます。もちろん、「就」の字を教えた側の人もまた誤認していたか、あるいは別の人から誤った教示を受けていた可能性があるということになります。

特に①の「視覚的誤認」を起こす原因として、日ごろ目に触れる機会の多い新聞や書籍、雑誌などに通常使用されている「ゴシック体」や「明朝体」等の書体デザインや、小学校教科書などで使用されている「教科書体」等の形状から受ける「視覚的印象」によるところが大きいのではないでしょうか。

ゴシック体の字形
記事や広告などの「見出し」にはゴシック体が多く用いられ、しかも文字が拡大されて使用されることが多い分、よく目立ち、字形の印象を強く残します。


ゴシック体は上図のとおり一定幅で角張り、しかもかなり太い幅の線でデザインされています。ご覧になってお分かりのとおり、実際には「第11画目の縦線は第10画目に触れているだけ」であるにもかかわらず、「線幅が太いため」に赤の矢印部分のように、右にずらして書かれたような錯覚を起こしてしまいます。

上図を少し離して見てみてください。下図のように、いっそう顕著に第11画目が「右に飛びだし」て見えるはずです。ボールド(太字)にすると、なおいっそう顕著に右に飛び出して錯覚されることと思います。



丸ゴシック体でも同様です。



明朝体
明朝体は「見出し」より主に本文に用いられる書体ですが、横線を細く水平に、縦線を太く垂直に、さらにハネやハライが顕著にデザインされた活字です。



上図の、例えば第2画目の横線の右端に三角形の飾りが付けてあります。これは活字のデザインにメリハリをつけるための「うろこ」と呼ばれるもので、細い横線であっても文字の認識をしやすくする機能も併せ持っています。第4画目の右上端にあるのは「角うろこ」と呼ばれています。

縦線の太さを考慮してこの活字を見直してみると、第11画目は決して第10画目から「右に飛び出し」てデザインされていないということがわかります。第11画目の入筆部分には「うろこ」がありますが、この部分にのみ着目すると、第11画が右に飛び出しているように錯覚される場合があるかもしれません。

教科書体の字形
「教科書体」は小学校の教科書で用いられ、子どもたちが文字を教わる際にその字形に倣って覚えるための書体です。明朝体が「読むための書体」であるのに対し、「手書き文字」に近い字形をもとにデザインされている「書く学習のための書体」が教科書体です。


上図を見てわかるとおり、教科書体は毛筆の筆さばきを採り入れたデザインとなっており、問題の第11画目の入筆部はやはり「右に飛び出し」て書かれているようにも見えます。しかも、この書体の文字もまた、ゴシック体や明朝体と同様にサイズが小さいほど第11画目が「大きく右に飛び出し」ているように錯覚を起こします。


冒頭の、「①の字形が正しく②の字形は間違い」であると生徒たちに断定的に教えていらっしゃる先生方、特に中学受験の指導に携わる先生方の多くは、恐らくこの「教科書体」による「就」の字の視覚的印象を最大の根拠にされていると思われます。

実際、第11画目の入筆部について生徒たちに文字を見せ、尋ねてみても、「明らかに飛び出している」と断定的に答える子、「決して飛び出してはいない」と断定的に答える子の二種に分かれてしまいます。厳密な調査は行っておらず、あくまで個人的な推測の域を出ませんが、このような二種の捉え方の違いの現れは主として「毛筆の感覚の多少による影響」ではないかと思われます。

さて、この第11画を毛筆で文字を書く際の腕や手、筆への力の入れ方、筆の返し方などを念頭に見直してみましょう。①まず入筆時に第10画に触れるように斜めに筆を置いて一瞬止め、②次に手首をわずかに返し(筆をわずかに右に回し)、③滑らかな曲線を描きながらほぼ真下に下ろし、④力の入れ具合を加減しながら「まげあし」を書き、⑤最後にまた一瞬筆を止め、力を抜きながらハネを入れる、と、そのようにして書かれたようなメリハリのあるデザインの線となっています。一定の力で変化無くベタ塗りしたような線とは対照的な形状となっているのはそのためです。

そして、この要領で「就」の字を実際に「毛筆で」書いてみると、第11画目はわざわざ右に大きく飛び出させなくても、筆を斜めに一点置いただけで、自然に上図「教科書体」のような形になり、むしろ第11画を右に飛び出すように「線」として書くと、文字としての形自体も崩れ、不自然になってしまうことがわかります。

教科書体や毛筆体などの活字で第11画目の入筆部が「線」のように長く見える部分は、毛筆では筆を斜めに一点置いた際の毛足の跡、特にその上辺部分に相当し、横方向に伸びた「線」として書かれたものではありません。鉛筆やペンなどの筆先の細い筆記具では毛筆のような「毛足」の跡が残りませんから、「第11画を入筆する際に、わざわざ長く横方向に伸びた線を書くのは不自然であり、字形も崩れてしまいます

実験

下図は、まず「就」の字から第11画を消去した後、「就」の字の第11画と形のよく似た「乙=おつにょう」を「乳」の字から取り出し、さらに縦横の縮小比率のみを調整し「就」の字に合成したものです。下図右端の「就」の字の赤い字画が、「乳」の「おつにょう」を合成した部分です。


ワープロフォントを操作したものなのであくまで参考程度にご覧頂きたいのですが、「乳」の字を見てわかるとおり、「乳」の「おつにょう」は「乙」の元字のように「右に線として飛び出し」、その後縦線を下ろしていくといった形をしているわけではありません。にもかかわらず、合成された「就」の字形は、「太い線幅」による視覚的誤認を生じやすい先述のゴシック体文字とほぼ同じになり、また、教科書体と同様毛筆の筆さばきのデザインを採り入れた正楷書体でも、字形が先述の教科書体とほぼ同じになります。下図は上図の合成した部分の色を黒にし縮小表示したものです。



次は教科書体での合成例です。やはりドット構成によるワープロ用の書体なので縮小すると形が歪んでしまいますが、視覚的誤認について認識するための参考にはなるでしょう。




結論

「就」の字の第11画目の入筆部は、第10画に触れるようにして斜めに筆を置いて止め置いた時の「筆あと」に相当するものであり、決して「右斜め下に線として飛び出し」ているのではありません。「斜め下に伸びる線」として見える部分は、毛筆での形として見ると、実はその「筆あと」の「上辺」部分に当たるのです


ペンや鉛筆などで書かれる細い線の文字とは違い、ある程度の「幅」をもつ線でデザインされた文字であること、毛筆の筆さばき、筆跡を採り入れたデザインであることを念頭に、この教科書体の「就」の字形を見るとよいでしょう。「沈」や「枕」のつくりの字形もまた、「就」の字形と同様の見方ができるはずです。


■記事作成:2007年3月21日(水)