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■俳句の通釈:「あ」行


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■中学受験での入試問題や模試、教材等でよく扱われる俳句・短歌の通釈を掲載しています。

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『月の異名(古称)』・『旧暦と新暦』
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俳句
・俳句は「五・七・五」の十七音で詠まれる世界で最も短い定型詩です。俳句には季語(季節を表す言葉)を必ず一つ詠み込むのが作法となっています。
『季語一覧表』と『俳句の基本』

短歌
短歌は「五・七・五・七・七」の三十一音で詠まれる定型詩です。俳句には季語を必ず一つ詠み込むことが作法となっていますが、短歌にはそのような決まりはありません。短歌には一定の言葉を修飾する「枕詞(まくらことば)」が使われることがあります。

『枕詞一覧表』と『短歌の基本』

俳句の通釈
①俳句(1):あ行暫定リニューアル
②俳句(2):か~さ行暫定リニューアル
③俳句(3):た~は行暫定リニューアル
④俳句(4):ま~わ行暫定リニューアル

短歌の通釈
①短歌(1):あ行暫定リニューアル
②短歌(2):か~さ行暫定リニューアル
③短歌(3):た~は行暫定リニューアル
④短歌(4):ま~わ行暫定リニューアル

■あおあおと空を残して蝶分れ(大野林火)

・あおあおと そらをのこして ちょうわかれ

・暖かな日差しの中、二匹の蝶がどこからともなくやって来て、空中で戯(たわむ)れ舞っている。ふと、それが二手に分かれて飛び去ってゆくと、後には青くさわやかな春の大空が眼前いっぱいに広がっていたことだ。
・蝶が消え去った後に眼前いっぱいに広がった、大きな青空。活発に動く小さな対象から広大な背景へと視点が移り、穏やかな心持ちで空に見入っている作者のさわやかな気分が伝わってくる。(春・句切れなし)

※蝶(ちょう)… 春の季語。季節を夏と間違いやすいので注意。
※空を残して蝶分れ… 擬人法。蝶の意志的行為ともとれる比喩表現となっている。視点が蝶から春の大空へと移り変わった後の印象がいっそう鮮やかに強調される。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※「早桃(さもも)」(昭和21年:1946年)所収。

※大野林火(おおのりんか)… 大正・昭和期の俳人。横浜市生まれ。近現代的で叙情豊かな作風で知られる。昭和57年(1982年)没。享年78。

■青蛙おのれもペンキぬりたてか(芥川龍之介)

・あおがえる おのれもぺんき ぬりたてか

・青蛙よ、お前の体はいやに青くつややかだが、まるでペンキを塗りたてのようじゃないか。
・青蛙の体のつややかな色を見て、ペンキの塗りたてそのものじゃないかとからかっている。青蛙の皮膚(ひふ)の生々しい質感までがありありと伝わる、明るくユーモラスな句である。(夏・初句切れ)

※おのれ… お前。
※青蛙(あおがえる)… 夏の季語。ちなみに「蛙(かえる・かわず)」は春の季語である。水辺や田園などで「春の訪れとともに冬眠から覚めた蛙が姿を現し、その鳴き声が聞かれ始める」という意味の「初蛙(はつかわず)」に由来し、春の季語となった。
※青蛙、雨蛙はともに夏の季語。ただし、分類学上、アオガエルはアマガエルとは別種。
①アマガエル、アオガエル、トノサマガエルなど、緑色のカエルの俗称。
②モリアオガエルなど、アオガエル科で緑色のカエルの総称。樹上で暮らすための吸盤を持つ。
※青蛙… 呼びかけ法。青蛙よ、と親しみを込めて呼びかけている。また、「名前のとおりいかにも青い蛙であることだ」、という詠嘆も込められている。
※大正7年(1918年)の作。
※フランスの作家、ジュール・ルナール作「博物誌」の中に、「青とかげ ― ペンキ塗り立てご用心」という短詩があり、これをもじって芥川が句作したもの。以下、「博物誌」(明治29年:1896年)より。
・蛍(ほたる) ― 草に宿った月の光の一滴(ひとしずく)
・驢馬(ろば) ― 大人になった兎(うさぎ)
・蛇(へび) ― 長すぎる
・蝶(ちょう) ― 二つ折りのラブレター、花の番地を探してる
※芥川は友人から、「ルナールの『博物誌』に『青とかげ ― ペンキ塗りたてご用心』という一編がある」と指摘された際、彼は、「だから自分の作には『おのれも』があるのだ」と応じたという。

※芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)… 小説家。東京生まれ。夏目漱石に師事。歴史小説に近代的解釈を下し、新分野を拓く。昭和2年(1927年)没。享年35。

■あかあかと日は難面も秋の風(松尾芭蕉)

・あかあかと ひはつれなくも あきのかぜ

①日が暮れるのが早い秋だから、日は既に、無情にも西の山の端(は)に赤々と傾いており、旅人の私には何とも心細い思いがする。そのうえ(添加)ものさびしい秋の風が吹いてきて、いよいよ心細さが募ってくることだ。
・うら寂しい秋風の中をとぼとぼとたどる旅人の、募(つの)る心細さがしみじみと伝わる。(秋・句切れなし)
②立秋は過ぎたというのに、秋の夕日が歩き疲れた私に無情に照りつけている。それでも(逆接)、さすがに吹いてくる風は、もう秋を思わせる涼やかな風であることだ。
・残暑の暑苦しさに夏の名残を感じる中にも、わずかに涼を運んでくれる秋の風への情感がしみじみと詠われている。(秋・句切れなし)

※難面(つれなく)も… 無情にも。
※上記のとおり、主に二種の解釈がある。
①一つは、「あかあか」を「赤々とした秋の夕日の姿」ととらえ、「日が西に傾いて、それが旅人にとって心細く無情に思え、そのうえに(添加・強調のニュアンス)、うらさびしい秋の風が野末を吹きわたっている」とする解釈、
②もう一つは、「あかあか」を「夏を思わせる強烈な日」ととり、「もう秋だというのに、日はぎらぎらと無情に私を照りつけるが、しかし(逆接のニュアンス)時節はあらそわれず、涼やかな秋の風が吹いてくることだ」と、夏から秋へ移り変わる時節の微妙な季節感を詠んでいるとする解釈である。
※体言止め。
※あかあかと… 擬態語。非常に赤いさま、真っ赤なさまを表す。
※難面も… ①、②ともに「無情に・容赦無く」という意味で日を擬人化し、旅人にとっての心細さや辛さをより強く印象づけている。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※「おくのほそ道」の旅(元禄二年:1689年)秋、金沢での吟。
※前書きに、「途中吟(道すがら詠んだ句)」とある。「おくのほそ道」では金沢から小松へ至る間の章にこの句を入れてあるので、一般には小松に着く直前に詠まれたものとされているが、7月17日(新暦8月31日)、金沢の源意庵(立花北枝の立意庵か)での句会でこの句を披露していることから、芭蕉は金沢へ向かう途上で既にこの句の着想を得ていたことになる。

※松尾芭蕉(まつおばしょう)… 江戸前期の俳人。伊賀上野の人。江戸深川の芭蕉庵に移った頃から独自の蕉風(しょうふう)を開拓。各地への旅を通じて、不易流行(ふえきりゅうこう)の思想を形成し、俳諧を文芸的に高めた。「おくのほそ道」「野ざらし紀行」「更級日記」「笈の小文」など。元禄七年(1694年)十月十二日(新暦11月28日)没。享年51。
※蕉風(しょうふう)… 松尾芭蕉およびその門流の信奉する俳風。美的理念としては、幽玄、閑寂を重んじ、さび・しおり・細み・軽みを尊ぶ。
※不易流行(ふえきりゅうこう)… 蕉風俳諧の理念の一つ。俳諧には不易(時代を超えて変わらないこと)の句と流行の句とがあるが、流行の句も時代を超えて人々に訴えればそれは不易の句であり、ともに俳諧の本質を究めることから生じ、根本は一つであるという論。
※「おくのほそ道」… 松尾芭蕉の俳文紀行。元禄二年(1689年)3月末江戸を出発し、東北・北陸を巡り美濃大垣(岐阜県)に至る約150日間、およそ六百里(約2400㎞)の旅日記。洗練された俳文・俳句は芭蕉芸術の至境を示している。元禄七年(1694年)頃成立。元禄十五年(1702年)刊。芭蕉自身は「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」という表記を好んで用いていた。原文の題名もこの表記となっている。

■赤い椿白い椿と落ちにけり(河東碧梧桐)

・あかいつばき しろいつばきと おちにけり

①紅白二本の椿の木から、ぽとり、ぽとりと離れ落ちた花は、それぞれの木を囲むように、まるくなって地面に落ち広がっていることだ。
・地に落ち広がっている赤い色の花の輪と白い色の花の輪の対照的な取り合わせとその印象的な様子に、作者が新鮮な感動を覚えている。(春・句切れなし)
②赤い椿の花がぽとりと落ちていった。それに心奪われる間もなく、続いて白い椿の木からも、また花が一つ、ぽとりと落ちていった。
・花の落ちる瞬間瞬間に目に焼き付けられた赤と白との鮮やかな色彩を、生々しい感動と驚きとをもって詠われた印象的な句である。(春・句切れなし)

※上記のとおり、主に二種の解釈がある。
①一つは、既に地に落ち広がっている椿の花の静的状態を詠んだものと解釈する説(正岡子規、高浜虚子、大野林火、大岡信ら)、②もう一つは、赤い椿の花が落ちる様を見て感動する間もなく、続けざまに白い椿の花も落ちていった様への感動を、動的かつ即物的に、時間の経過も含めて印象鮮明に詠んでいるとする説(山口青邨、寺田寅彦ら)である。
※椿(つばき)… ツバキ科の常緑高木。樹高10m以上になるものもある。サザンカ(山茶花)とよく似ているが、サザンカの花は花びらが散るのに対し、ツバキの花は花ごと落ちる。また、山茶花が冬の季語であるのに対し、椿は春の季語となっているので注意。
※赤い椿白い椿と… ①赤い椿、白い椿とそれぞれに(静的叙景)、②赤い椿が落ちると、続けて白い椿も(動的叙景)、の主に二種の解釈がある。
※落ちにけり… ①落ち広がっていることだなあ(静的叙景)。または、②落ちていったことだなあ(動的叙景)、と詠嘆を表している。
※「落ちにけり」については、高浜虚子の「桐一葉日当たりながら落ちにけり」を参照のこと。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※字余り(18音)。
※明治29年(1896年)、碧梧桐24歳の時の作。「新俳句」(明治31年:1898年)所収。

※河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)… 明治・大正期の俳人。愛媛県松山生まれ。正岡子規門の高弟。高浜虚子と対立し、定型・季語を離れた新傾向俳句を提唱した。昭和12年(1937年)没。享年63。
※自由律俳句… 正岡子規の没後、自然主義の影響を受け、季語を無視し、従来の五七五の定型に制約を受けず自由な音律で制作しようとする新形式を河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)が試みた。この新傾向運動は碧梧桐の門下である荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)らによっても進められ、明治末年の口語自由律俳句の運動へと繋がる。口語自由律俳句の運動は、瞬間の印象や情緒を直接口語で表現しようとしたものであったが、形式上の変革が急であったため、尾崎放哉(おざきほうさい)、種田山頭火(たねださんとうか)らが活躍した大正~昭和初期以降、大衆化しないうちに衰退した。

■赤い羽つけらるる待つ息とめて(阿波野青畝)

・あかいはね つけらるるまつ いきとめて

・街頭で、赤い羽を付けてもらう間、気恥ずかしく思いながら、動かないように息を止めてじっとしている私だったことだ。
・緊張感や気恥ずかしさ、うれしさといった気持ちの混在がよく伝わってくる。(秋・二句切れ)

※赤い羽… 赤い羽根。民間社会福祉事業の資金集めのための共同募金運動。毎年10月~12月にかけて行われる。秋の季語。
※つけらるる… つけられるのを。
※つけらるる待つ… 赤い羽根をつけてもらうのをじっと待っていることだよ、と詠嘆を表している。
※倒置法… 普通の語順では「いきとめて、つけらるるまつ」となる。

※阿波野青畝(あわのせいほ)… 大正・昭和期の俳人。奈良県生まれ。高浜虚子門下。日常生活に見る風物や情緒を、客観的な立場で写生する句風が特徴。大正末から昭和にかけて、山口誓子、高野素十、水原秋桜子らとともに、名前の頭文字を取って「ホトトギス」の四Sと称された。平成4年(1992年)没。享年93。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。

■赤とんぼ筑波に雲もなかりけり(正岡子規)

・あかとんぼ つくばにくもも なかりけり

・晴れて澄み渡った秋空のもと、野には赤とんぼたちが静かに、ゆうゆうと飛び舞っている。はるかに望む筑波山には、一片の雲さえないことだ。
・眼前の赤とんぼの群れと、筑波山の遠景との調和が見事である。見た光景をありのままに描き出しながら、明るく静かな秋の情感をしみじみと伝えてくる。(秋・初句切れ)

※赤とんぼ… 秋の季語。ちなみに「とんぼ」も秋の季語であり、夏の季語と間違えやすいので注意。
※筑波(つくば)… 筑波山。茨城県中部、関東平野にそびえる山。標高877 m。西側に位置する男体山(なんたいさん)と、東側に位置する女体山(にょたいさん)からなる。古くは「万葉集」にも詠まれ、日本百名山の一つに挙げられている。百名山の中では最も標高が低い。
※なかりけり… 一つも無いことだなあ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※「寒山落木(かんざんらくぼく)」(明治27年:1894年)所収。

※初句で切れ、また、結句にも詠嘆が込められているので、本来は二段切れ。
※二段切れ… ①一句に切れ字を二つ用いたり、②名詞による切れ目を作ることで感動の焦点が二か所に分散、互いに相殺されることで作品として失敗する場合が多いので嫌われる。しかし、名詞による切れ目は俳句では一般に用いられているので、これを敢えて二段切れと呼ぶ意味合いは薄れている。どちらに強い詠嘆を込めるかは作者の感覚によるところが大きい。
例:
①松籟(しょうらい)や ・ 百日の夏来たりけり(中村草田男)
②赤とんぼ ・ 筑波に雲もなかりけり(正岡子規)

※正岡子規(まさおかしき)… 俳人・歌人。愛媛県松山生まれ。短歌・俳句、写生文による文章革新運動を推進、「ホトトギス」を創刊。二十代の若さより肺結核、脊椎(せきつい)カリエスに冒(おか)され、永く闘病生活を送る。明治35年(1902年)没。享年34。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。

■赤とんぼ葉末にすがり前のめり(星野立子)

・あかとんぼ はずえにすがり まえのめり

・細い葉の先に一匹の赤とんぼがとまり、前のめりになりながらも、落ちまいとして必死にしがみついているかのようだ。
・小さな生き物の営みの一つ一つを見つめる、女性らしい優しさと感性が伝わる句である。(秋・初句切れ)

※赤とんぼ… 秋の季語。ちなみに「とんぼ」も秋の季語であり、夏の季語と間違えやすいので注意。
※赤とんぼ… 赤とんぼであることだよ、と詠嘆を表している。
※葉末(はずえ)… 葉の先端。
※すがり…しがみついて。
※体言止め。
※すがり… 擬人法。葉末に必死にしがみついているかのような赤とんぼの健気な様子が印象的に表されている。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。

※星野立子(ほしのたつこ)… 高浜虚子の次女。昭和期の俳人。虚子の客観写生による花鳥諷詠(かちょうふうえい)に従い、そのうちに女性らしい繊細な感覚を見せる句風が特徴。昭和59年(1984年)没。享年80。
※花鳥諷詠(かちょうふうえい)… 昭和初期に高浜虚子が唱えたホトトギス派の主張。四季の変化によって生ずる自然界の現象およびそれに伴う人事界の現象を無心に客観的に詠むのが俳句の根本義であるとするもの。

■秋風に山羊をつないで雲遠し(富安風生)

・あきかぜに やぎをつないで くもとおし

・秋風わたるのどかな農村の農道を歩いていると、山羊(やぎ)が木につながれ、静かに草を食(は)んでいる。目を移すと、白い雲が漂っているのは、この澄んだ秋空のはるか彼方であることだ。
・静かな秋のたたずまいの中での作者のもの寂しい情感が伝わってくる。また、視野の変化が空間の広がりをも感じさせている。(秋・句切れなし)

※秋風(あきかぜ)… 秋の季語。
※秋風に… 秋風の吹く中で。
※雲遠し… 雲が遠くにあることだよ、と詠嘆を表してる。

※富安風生(とみやすふうせい)… 愛知県生まれ。教養人らしく、平明温雅で淡泊軽妙な句風を特色とする。昭和54年没。享年93。

■秋風の吹きわたりけり人の顔(上島鬼貫)

・あきかぜの ふきわたりけり ひとのかお

・野道を行く私の顔にも、人の顔にも、そっとなでるように秋風が吹き過ぎていったことだ。その表情も心なしかもの寂しげである。
・野道に遊び興じている作者や連れの人々が、秋風に吹かれた折にふと見せたもの寂しい表情や様子が目に浮かぶようである。(秋・二句切れ)

※秋風(あきかぜ)… 秋の季語。
※吹きわたりけり… 吹きすぎていったことだよ、と詠嘆を表している。
※体言止め。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※ 前書きに、「つれだち出(いで)てほとりの野径(のみち)に遊ぶ」とある。

※上島鬼貫(うえじまおにつら)… 江戸中期の俳人。伊丹の人。上島は「かみじま」「うえしま」とも読む。蕉門の俳人らや松尾芭蕉とも親交を持つ。洒脱で率直な句風が特色。元文三年(1738年)八月二日(新暦9月15日)没。享年77。
※蕉門(しょうもん)… 松尾芭蕉の門人、およびその門流。

■秋空を二つに断てり椎大樹(高浜虚子)

・あきぞらを ふたつにたてり しいたいじゅ

・天高く、澄んだ秋の空を、椎(しい)のこの大樹(たいじゅ)は、まさに真二つに断ってしまっていることだ。
・天を突く勢いでそびえ立っている生命感溢れる椎の大樹の力強さ、見事さが大変印象的である。(秋・二句切れ)

※秋空(あきぞら)… 秋の季語。
※断てり… 強く言い切ることで、まさに断っていることだよ、と強い詠嘆を表している。
※椎(しい)… ブナ科の常緑高木。高さは約25mにもなる。材は建築・器具・燃料等のほか、シイタケの原木に用いられる。果実は食べられる。
※体言止め。
※断てり…擬人法により、椎の大樹の存在感、力強さを強く印象づけている。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。

※高浜虚子(たかはまきょし)… 明治~昭和期の俳人・小説家。愛媛県松山市生まれ。正岡子規に師事。「ホトトギス」を主宰。客観写生・花鳥諷詠を主張し、定型・季語を離れた新傾向俳句を推進する河東碧梧桐と激しく対立した。昭和34年(1959年)没。享年85。
※花鳥諷詠(かちょうふうえい)… 昭和初期に高浜虚子が唱えたホトトギス派の主張。四季の変化によって生ずる自然界の現象およびそれに伴う人事界の現象を無心に客観的に詠むのが俳句の根本義であるとするもの。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。

■秋たつや川瀬にまじる風の音(飯田蛇笏)

・あきたつや かわせにまじる かぜのおと

・立秋の日、まだ陽の強さは夏のままではあるが、川瀬(かわせ)から聞こえてくるせせらぎに混じって耳にしたかすかな風の音には、澄んだ秋の気配がそれとなく感じられたことだ。
・川瀬の音に風の音を聞き分ける作者の感覚の繊細さとともに、一種幽玄(ゆうげん)な趣さえ感じられる句である。(秋・初句切れ)

※秋立つ… 秋になる。秋の季語。
※秋立つや… 秋になったことであるよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。

※飯田蛇笏(いいだだこつ)… 大正・昭和期の俳人。山梨県生まれ。高浜虚子に師事。感覚的で荘重な句風が特色。昭和37年(1962年)没。享年77。

■秋晴れや宇治の大橋横たわり(富安風生)

・あきばれや うじのおおはし よこたわり

・京都宇治(うじ)の大橋が、広々とした宇治川をまたぎ、堂々と、そしてゆったりと横たわっている。空も広く、すがすがしくのどかな秋晴れである。
・歴史の長い宇治橋の堂々とした存在感を、賛嘆する思いも込めて詠んでいる。(秋・初句切れ)

※秋晴れ(あきばれ)… 秋の空が青々と澄んで晴れ渡った状態。秋の季語。
※秋晴れや… 秋晴れであることだよ、と詠嘆を表している。
※宇治の大橋… 宇治橋。大化二年(646年)に初めて架けられたという伝承のある、京都府宇治市の宇治川に架かる橋。古今和歌集や源氏物語にも登場する。
※横たわり… 横たわっていて。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※横たわり… 擬人法。大きく長い宇治橋の立派でゆかしい様子を、親しみを込めて印象づけている。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※横たわり… 連用形止め。「横たわります」「横たわりけり」などと言い切らずに動詞の連用形で止め、余情を持たせている。

※富安風生(とみやすふうせい)… 昭和期の俳人。愛知県生まれ。教養人らしく、平明温雅で淡泊軽妙な句風を特色とする。昭和54年(1979年)没。享年93。

■秋の夜や障子の穴が笛を吹く(小林一茶)

・あきのよや しょうじのあなが ふえをふく

・秋の夜、みすぼらしい我が家の破れ障子の穴から冷たい風が吹きこんできて、ヒュー…、ヒュー…と笛のような、これまた侘(わび)しい音を立ててくれるものだよ。
・秋の夜のもの寂しさとともに、暮らしの貧しさに対する開き直りともとれる、一茶の心の余裕さえ感じさせる大変ユーモラスな句である。(秋・初句切れ)

※秋の夜(あきのよ)… 秋の季語。
※秋の夜や… 秋の夜であることだよ、と詠嘆を表している。
※障子… 冬は障子を閉め切って寒さや風を防ぐことから、冬の季語としても用いられる。また、「障子貼る」であれば秋の季語であるので注意。
※元来障子は、「さえぎるもの」の意で襖(ふすま)も含めて障子と呼んでいた。扉を閉じたまま採光できる機能や防寒機能を併せ持つことにより、平安時代に明障子(あかりしょうじ)として襖(ふすま)から分離し普及した。
※障子の穴が笛を吹く… 擬人法。一茶の暮らしの貧しさに対する自嘲やユーモアがいっそう強く感じられる。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※季重なり… 一句の中に二つ以上季語が入っている場合、これを季重なりという。一句の主題が不鮮明になるので嫌うが、主旨がはっきりし一句が損なわれない時に用いられる。この場合、一句の主題となっているほうを季語とする。感動の集中を示す「切れ字」が用いられている場合は、その位置によって主題となる季語を判別することもできる。この句では感動の重点が置かれている「秋の夜」を季語ととる。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。

※小林一茶(こばやしいっさ)… 江戸後期の俳人。信濃国柏原の人。14歳で江戸に出て俳諧を学ぶ。方言、俗語を交えて、庶民の生活感情を平易に表現、ひがみ・自嘲・反抗心・弱者への同情心と童心の表れた、主観性の強い人生詩を多く残した。「おらが春」「七番日記」「父の終焉日記」など。文政十年(1827年)十一月十九日(新暦1月5日)没。享年64。
※「おらが春」… 一茶の没後25年経って刊行された俳句・俳文集。文政二年(1819年)、一茶57歳の元日から年末までの1年間の見聞・感想・発句などを収める。題名は「めでたさも中位なりおらが春」による。

■秋深き隣は何をする人ぞ(松尾芭蕉)

・あきふかき となりはなにを するひとぞ

・秋は深まり、あたりも日一日ともの寂(さび)しい風情となってくる。私の隣の部屋に宿っている人もまた、私と同じように寂しい思いをしているのだろうか。物音一つ立てずに、一体何をしているのだろう。
・人生の本質に基づく寂寥(せきりょう)感・孤独感から発せられる嘆息(たんそく)である。また、人を懐かしがる心の温かみも伝わってくる。芭蕉、亡くなる半月ほど前の吟である。(秋・初句切れ)

※秋深き… 秋の季語。「秋深し」。秋もたけなわであることだよ、と詠嘆を表している。ちなみに弟子らによる句集「六行会」には「秋深し」で掲載されている。
※隣は何をする人ぞ… 隣には一体何をしている人がいるのだろう、と詠嘆を表している。
※元禄七年(1694年)九月二十八日、大坂(大阪)での吟。翌二十九日夜、芭蕉は激しい下痢に襲われそのまま病床に就き、二週間後の十月十二日に亡くなる。この作品は芭蕉が病床に就く前としては生涯最後の作品となった
※元禄七年(1694年)五月、芭蕉は筑紫までの旅を思い立ち、江戸を出発。途中郷里である伊賀に帰り、その後京阪に至るも、九月二十九日夜、大坂(大阪)で激しい下痢に襲われた。御堂前の花屋仁左衛門宅に引き取られたが、十月八日深夜、病床(びょうしょう)にあってなお「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」の句を詠み、四日後の十二日夕刻、榎本其角、向井去来、内藤丈草、各務支考ら多くの門人たちに看取られながら亡くなった。享年51。
※「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」の句には前書きに「病中吟(病気中に吟じた句)」とあるとおり、実際は吟じられた時点においては芭蕉本人はこの句が自分にとって辞世の句であるという認識はなかった
※初句で切れ、また、結句にも詠嘆が込められているので、本来は二段切れ。
※二段切れ… ①一句に切れ字を二つ用いたり、②名詞による切れ目を作ることで感動の焦点が二か所に分散、互いに相殺されることで作品として失敗する場合が多いので嫌われる。しかし、名詞による切れ目は俳句では一般に用いられているので、これを敢えて二段切れと呼ぶ意味合いは薄れている。どちらに強い詠嘆を込めるかは作者の感覚によるところが大きい。
例:
①松籟(しょうらい)や ・ 百日の夏来たりけり(中村草田男)
②赤とんぼ ・ 筑波に雲もなかりけり(正岡子規)

※松尾芭蕉(まつおばしょう)… 江戸前期の俳人。伊賀上野の人。江戸深川の芭蕉庵に移った頃から独自の蕉風(しょうふう)を開拓。各地への旅を通じて、不易流行(ふえきりゅうこう)の思想を形成し、俳諧を文芸的に高めた。「おくのほそ道」「野ざらし紀行」「更級日記」「笈の小文」など。元禄七年(1694年)十月十二日(新暦11月28日)没。享年51。
※蕉風(しょうふう)… 松尾芭蕉およびその門流の信奉する俳風。美的理念としては、幽玄、閑寂を重んじ、さび・しおり・細み・軽みを尊ぶ。
※不易流行(ふえきりゅうこう)… 蕉風俳諧の理念の一つ。俳諧には不易(時代を超えて変わらないこと)の句と流行の句とがあるが、流行の句も時代を超えて人々に訴えればそれは不易の句であり、ともに俳諧の本質を究めることから生じ、根本は一つであるという論。
※「おくのほそ道」… 松尾芭蕉の俳文紀行。元禄二年(1689年)3月末江戸を出発し、東北・北陸を巡り美濃大垣(岐阜県)に至る約150日間、およそ六百里(約2400㎞)の旅日記。洗練された俳文・俳句は芭蕉芸術の至境を示している。元禄七年(1694年)頃成立。元禄十五年(1702年)刊。芭蕉自身は「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」という表記を好んで用いていた。原文の題名もこの表記となっている。

■朝顔につるべ取られてもらひ水(加賀千代女)

・あさがおに つるべとられて もらいみず

・朝早く、井戸に水を汲(く)みに来てみると、つるべに朝顔のつるが巻き付いていて水を汲むくとができない。つるを切ってしまうのもかわいそうな気がして、隣(とな)りの家に水をもらいに行ったことだ。
・女性らしい細やかな目線、優しさや思いやりが伝わってくる句である。(秋・句切れなし)

※朝顔… 秋の季語。旧暦七~九月は秋。季節を夏と間違えやすいのでテストで頻出。
※つるべ… 井戸の水を汲み上げるための装置で、縄や竿(さお)の先に桶(おけ)がつけてある。
※もらひ水… 人から水をもらったことであるよ、と詠嘆を表している。
※体言止め。
※取られて… 擬人法により、「取られてしまって」と、か弱い植物への女性らしい思いやりが伝わってくる。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※理智で創作したわざとらしさが嫌味であるとする批評がある。

※加賀千代女(かがのちよじょ)… 江戸中期の女流俳人。加賀国松任の人。安永四年(1775年)九月八日(新暦10月2日)没。享年73。

■朝顔や一輪深き淵の色(与謝蕪村)

・あさがおや いちりんふかき ふちのいろ

・すがすがしい秋の朝、露にしっとりと濡(ぬ)れ、咲きそろっている朝顔の花々の中で、ただ一輪、深い藍(あい)色をした花がある。それは、底知れぬ深い淵(ふち)を思わせる、幽遠(ゆうえん)な色であることだ。
・朝顔の花の美しさを淵の色に形容し、そこに無限の深みを感じ取っている。自然のもつ底知れない色彩美への驚嘆(きょうたん)である。(秋・初句切れ)

※幽遠(ゆうえん)… 奥深く、はるかなこと。
※朝顔… 秋の季語。旧暦七~九月は秋。季節を夏と間違えやすいのでテストで頻出。
※朝顔や… 朝顔であることだよ、と詠嘆を表している。
※淵(ふち)… 川などの水がよどんで深くなっている所。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※深き淵の色… 「深い淵のような色」の意で、比喩(隠喩)。
※隠喩(暗喩)… 「ようだ」「みたいだ」「ごとし」などの言葉を用いないでたとえる表現技法。
例:「疑惑の雲」「お母さんは鬼だ」「人生は旅である」
※直喩(明喩)… 「ようだ」「みたいだ」「ごとし」など、はっきりと比喩を示す言葉を直接用いて表現する技法。
例:「もみじのような手」「お母さんは鬼みたいだ」「夢のごとき人生」

※与謝蕪村(よさぶそん)… 江戸中期の俳人・画家。摂津の人。絵画的・浪漫的俳風に特色。独創性を失った当時の俳諧を憂い、「蕉風回帰」を唱え松尾芭蕉に復することを目指した。天明三年(1784年)十二月二十五日(新暦1月17日)没。享年68。
※蕉風(しょうふう)… 松尾芭蕉およびその門流の信奉する俳風。美的理念としては、幽玄、閑寂を重んじ、さび・しおり・細み・軽みを尊ぶ。

■紫陽花やきのふの誠けふの嘘(正岡子規)

・あじさいや きのうのまこと きょうのうそ

・紫陽花(あじさい)の花の色は移ろいやすい。以前の咲き色を微妙に変えて、今日はまたすました様子で咲いている。
・移ろいやすく定まらないのは、人の心もまた同じである。(夏・初句切れ)

※紫陽花(あじさい)… 花(萼=がく)の色はアントシアニンのほか、発色に影響する補助色素や土壌のpH(酸性度)、アルミニウムイオン量、開花からの日数等諸条件により様々に変化する。また、アジサイは毒性があり、摂食すると中毒を起こす。花言葉は、「移り気」「あなたは冷たい」「浮気」「自慢家」など。夏の季語。
※紫陽花や… 紫陽花であることだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※きのふの誠けふの嘘… 昨日の真実も今日には一転して嘘と変わってしまう、と紫陽花の移ろいやすく定まらない様子を擬人化している。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。

※正岡子規(まさおかしき)… 俳人・歌人。愛媛県松山生まれ。短歌・俳句、写生文による文章革新運動を推進、「ホトトギス」を創刊。二十代の若さより肺結核、脊椎(せきつい)カリエスに冒(おか)され、永く闘病生活を送る。明治35年(1902年)没。享年34。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。1897年(明治30年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。

■荒海や佐渡に横たふ天河(松尾芭蕉)

・あらうみや さどによことう あまのがわ

・越後は出雲崎(いずもざき)に宿をとり、目の前の荒波立つ日本海を眺めていると、黒々と潜(ひそむ)む流人(るにん)の島、佐渡の哀(かな)しい島影から打ち寄せる波の音に旅愁を誘われ、横たわるように佐渡にさえざえとかかった銀河の橋は、私の心に旅の寂しさと悲しさをいっそう募らせ、胸いっぱいになって涙が溢(あふ)れてくることだ。
・表面上は雄大な景観を詠(よ)んだ写生句のようだが、流人の島、佐渡から打ち寄せる波の音に遠島された古人への同感を抱くとともに、旅中の孤愁に襲われ、その悲しみを深く内に込めた複雑な心境が詠まれたものである。(秋・初句切れ)

※荒海や… 荒れた日本海の海であることだよ、と詠嘆を表している。
※横たふ(よことう)… 天の川が横たわるようにして大空にかかっている壮大な景観を表している。
※天河(天の川)… 銀河。秋の季語。季節を夏と間違いやすいので注意。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※横たふ… 擬人法。天の川が横たわるようにして大空にかかっている壮大な景観をたとえている。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※「おくのほそ道」の旅(元禄二年:1689年)、七夕の吟。

※「おくのほそ道」の旅の後、芭蕉は「銀河の序」で次のように書き記している。
「むべこの島は黄金(こがね)多く出でて、あまねく世の宝となれば、限りなきめでたき島にて侍(はべ)るを、大罪朝敵のたぐひ、遠流(おんる)せらるるによりて、ただおそろしき名の聞(きこ)えあるも、本意(ほい)なき事に思ひて、窓押し開きて暫時(ざんじ)の旅愁(りょしゅう)をいたはらむとするほど、日すでに海に沈んで、月ほのくらく、銀河半天にかかりて、星きらきらと冴(さ)えたるに、沖のかたより、波の音しばしば運びて、魂(たましい)けづるがごとく、腸(ちょう)ちぎれて、そぞろに悲しび来たれば、草の枕も定まらず、墨の袂(たもと)なにゆゑ(え)とはなくて、しぼるばかりになむ侍る。」
(なるほど佐渡が島は金を多く産出する、世の宝であり、ありがたい結構な島ではあるが、重罪者や朝敵のたぐいが島流しにされていることのために、ただ恐ろしい名で評判があるのも残念なことと思いながら窓を押し開けて旅の憂いを慰めようとしていると、日はすでに海に沈み、月はほの暗く、天の川が空の中ほどにかかり、星がきらきらと冴えわたり、沖の方からは波の音がしばしば響いてきて、胸が締め付けられるようで、断腸の思いがし、無性に悲しみが込み上げてくるのでなかなか寝付けず、墨染めの衣の袂は、なぜともなく涙でしぼるばかりでありました。そこで詠んだのがこの句です。『荒海や佐渡に横たふ天の川』)

※この句は芭蕉が「おくのほそ道」の旅の途上、七夕の日(新暦8月21日)、直江津(高田)の佐藤元仙宅で催された句会で吟じたものであるが、記録によれば7月7日当日は終日雨模様であり、夜には風雨ともにいっそう激しくなっていることから、芭蕉は実際にはその晩に天の川を見ていないことになる。しかし4日については、弥彦を発った朝方は快晴、夕刻に出雲崎に到着してのち、「夜中に強雨となる」と記録があるので、4日当日、天候が崩れる直前、この出雲崎で天の川を見るわずかな時間があった可能性がある。出雲崎での4日、あるいはそれ以前の数日間にその着想を得、7日に当地の句会で吟じ、披露したということなのだろうか。(諸説有り)

※参考:曾良の「随行日記」に次のような記録がある。
・7月4日(新暦8月18日)
快晴。午前7時半頃に弥彦を発ち、同日午後3時半頃、出雲崎に到着、宿をとる。夜中、強雨となる
・7月5日(新暦8月19日)
夜来の雨、朝まで続く。午前7時半頃、雨が止み、出雲崎を発つ。間もなくしてまた雨が降り出す。柏崎に至った後、…(中略)… 午後4時半頃、鉢崎に到着し宿をとる。
・7月6日(新暦8月20日)
雨、上がる。昼頃、直江津(今町)に到着。雨が強く降り、古川市左衛門宅に宿泊することに。夜、句会を催す。
・7月7日(新暦8月21日)
雨、降り続く。夜、佐藤元仙宅にて句会を催す(『荒海や佐渡に横たふ天の川』を吟ずる)。同宅に泊まる。昼のうちは少し止んでいた雨だが、夜になると風雨ともに激しくなる。
・7月8日(新暦8月22日)
雨が止む。午後2時半頃、高田に到着。

※俳人、荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)は、「天の川は出雲崎から見て、佐渡の方には横たわってはいない。したがってこの句は客観的な写生の句ではない」と述べている。一方、中野二三郎は、「天の川は西南からやや斜めに東北にかけて街を横ぎり、佐渡の方へ流れていた。この感じは確かに『佐渡に横たふ天の川』である」と述べている。
※横たふ… 「横たふ」は「何かを横にする」の意の他動詞であり、しかも連体形であれば「横たふる天の川」とすべきであるが、芭蕉はこの句では「何かが横たわる」の意の自動詞「横たはる」の代わりとして使用している文法上の約束を超えているのは、漢文訓読の影響、音数上の都合や印象に鮮明さを与えるための芭蕉の意図によるものなのかもしれない。

※松尾芭蕉(まつおばしょう)… 江戸前期の俳人。伊賀上野の人。江戸深川の芭蕉庵に移った頃から独自の蕉風(しょうふう)を開拓。各地への旅を通じて、不易流行(ふえきりゅうこう)の思想を形成し、俳諧を文芸的に高めた。「おくのほそ道」「野ざらし紀行」「更級日記」「笈の小文」など。元禄七年(1694年)十月十二日(新暦11月28日)没。享年51。
※蕉風(しょうふう)… 松尾芭蕉およびその門流の信奉する俳風。美的理念としては、幽玄、閑寂を重んじ、さび・しおり・細み・軽みを尊ぶ。
※不易流行(ふえきりゅうこう)… 蕉風俳諧の理念の一つ。俳諧には不易(時代を超えて変わらないこと)の句と流行の句とがあるが、流行の句も時代を超えて人々に訴えればそれは不易の句であり、ともに俳諧の本質を究めることから生じ、根本は一つであるという論。
※※「おくのほそ道」… 松尾芭蕉の俳文紀行。元禄二年(1689年)3月末江戸を出発し、東北・北陸を巡り美濃大垣(岐阜県)に至る約150日間、およそ六百里(約2400㎞)の旅日記。洗練された俳文・俳句は芭蕉芸術の至境を示している。元禄七年(1694年)頃成立。元禄十五年(1702年)刊。芭蕉自身は「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」という表記を好んで用いていた。原文の題名もこの表記となっている。

■あらたふと青葉若葉の日の光(松尾芭蕉)

・あらとうと あおばわかばの ひのひかり

・ああ、何と尊いことよ。東照権現(とうしょうごんげん=徳川家康)のおわす日光山(にっこうざん)に茂る青葉若葉には、初夏の陽光がさんさんと降り注ぎ、それはそれは美しく照り輝いていることだ。
・夏のまぶしいばかりの陽光が全山を包み、青葉若葉に照り輝いて、ああ、いかにも尊いことだ、という初夏の自然美を称(たた)える心情の中に、「日の光」に地名である「日光」を掛け、東照宮や徳川家の威光を賛嘆(さんたん)する思いを込めている。(夏・初句切れ)

※あら… 「ああ」「おや」など感嘆を表す。感動詞「あな」と同義だが、「あな」が雅語(和歌などで用いられる上品な言葉)として多く用いられるのに対し、「あら」には俗語的な語感が伴う。
※たふと(とうと)… 尊いことであるよ、と詠嘆を表している。
※青葉・若葉の… 青葉や若葉に照り輝く。青葉、若葉ともに夏の季語。ちなみに「新緑」も夏の季語である。
※季重なり… 一句の中に二つ以上季語が入っている場合、これを季重なりという。一句の主題が不鮮明になるので嫌うが、主旨がはっきりし一句が損なわれない時に用いられる。この場合、一句の主題となっているほうを季語とする。感動の集中を示す「切れ字」が用いられている場合は、その位置によって主題となる季語を判別することもできる。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※初夏に芽を開いた頃の黄色味を帯びた葉を「若葉」、青々とした盛夏(真夏)の葉が「青葉」である。同じ夏であっても初夏と盛夏とでは季節感が異なり、両者は厳密には同季の季語ではないが、芭蕉は初夏の自然美への感嘆と賛美の思いを、約束を超えて、それを素直に謳歌せずにはいられなかったのだろう。
※この句が夏の始まりである旧暦四月一日(新暦5月19日)に詠まれたとされるため、季語を青葉ではなく若葉とする場合が多いようであるが、青葉、若葉の両方を季語としてとる場合もある。
※「おくのほそ道」の旅(元禄二年:1689年)、四月一日(新暦5月19日)、日光東照宮参詣の折の吟。
※會良の日記によれば、この日は終日曇天(どんてん)であったという。芭蕉の心象の中には、事実を超えて、日光山および東照宮が燦然と輝いていたのだろう。

★季節の境目に当たる風物には特に小学生にとっては判断に迷う季語が多い。日がな一日机に向ってばかりいるのではなく、普段から季節の移り変わりやその風物にも関心を持ち、人と人との関わりを大切にし、視野を広げ、世の中の動きにも目を向け、考える姿勢が大切。

※松尾芭蕉(まつおばしょう)… 江戸前期の俳人。伊賀上野の人。江戸深川の芭蕉庵に移った頃から独自の蕉風(しょうふう)を開拓。各地への旅を通じて、不易流行(ふえきりゅうこう)の思想を形成し、俳諧を文芸的に高めた。「おくのほそ道」「野ざらし紀行」「更級日記」「笈の小文」など。元禄七年(1694年)十月十二日(新暦11月28日)没。享年51。
※蕉風(しょうふう)… 松尾芭蕉およびその門流の信奉する俳風。美的理念としては、幽玄、閑寂を重んじ、さび・しおり・細み・軽みを尊ぶ。
※不易流行(ふえきりゅうこう)… 蕉風俳諧の理念の一つ。俳諧には不易(時代を超えて変わらないこと)の句と流行の句とがあるが、流行の句も時代を超えて人々に訴えればそれは不易の句であり、ともに俳諧の本質を究めることから生じ、根本は一つであるという論。
※「おくのほそ道」… 松尾芭蕉の俳文紀行。元禄二年(1689年)3月末江戸を出発し、東北・北陸を巡り美濃大垣(岐阜県)に至る約150日間、およそ六百里(約2400㎞)の旅日記。洗練された俳文・俳句は芭蕉芸術の至境を示している。元禄七年(1694年)頃成立。元禄十五年(1702年)刊。芭蕉自身は「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」という表記を好んで用いていた。原文の題名もこの表記となっている。

■蟻の道雲の峰よりつづきけん(小林一茶)

・ありのみち くものみねより つづきけん

・夏の暑い日差しのもと、ふと地面を見下ろすと、無数の小さな蟻たちが長い長い行列を作って、それが延々と続いている。地平線を見やると、そこに豪壮な姿の入道雲が聳(そび)え立っている。きっとこの行列は、あの彼方の入道雲からずっと続いているのだろうよ。
・小さな蟻の生きる営みの力強さ、無限に等しい空間の広がりを感じさせる幻想(げんそう)的な味わいをも持った句である。また、大きいはずのもの(豪壮な入道雲の存在)と、小さいはずのもの(入道雲に負けず劣らぬ蟻の生命力の底知れぬ強さ)とを同一の場面の中に対照的に描いている面白さも味わいたい。(夏・初句切れ)

※蟻… 夏の季語。
※雲の峰… 入道雲。積乱雲。夏の季語。
※つづきけん… 続いているのだろうよ、と詠嘆を表している。
※季重なり… 一句の中に二つ以上季語が入っている場合、これを季重なりという。一句の主題が不鮮明になるので嫌うが、主旨がはっきりし一句が損なわれない時に用いられる。この場合、一句の主題となっているほうを季語とする。感動の集中を示す「切れ字」が用いられている場合は、その位置によって主題となる季語を判別することもできる。この句では感動の重点が置かれている「蟻」を季語ととる。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※「おらが春」(1852年)所収。
※尚、下五は、「おらが春」では「つづきけん」、「八番日記」では「つづきけり」となっている。

※小林一茶(こばやしいっさ)… 江戸後期の俳人。信濃国柏原の人。14歳で江戸に出て俳諧を学ぶ。方言、俗語を交えて、庶民の生活感情を平易に表現、ひがみ・自嘲・反抗心・弱者への同情心と童心の表れた、主観性の強い人生詩を多く残した。「おらが春」「七番日記」「父の終焉日記」など。文政十年(1827年)十一月十九日(新暦1月5日)没。享年64。
※「おらが春」… 一茶の没後25年経って刊行された俳句・俳文集。文政二年(1819年)、一茶57歳の元日から年末までの1年間の見聞・感想・発句などを収める。題名は「めでたさも中位なりおらが春」による。

■生きかはり死にかはりして打つ田かな(村上鬼城)

・いきかわり しにかわりして うつたかな

・黙々と田を打ちおこしている男がいる。彼は、その親から受け継いだであろう田を、こうして今、打ちおこす。彼の親もまた、先祖からその田を受け継ぎ、春になれば、彼と同じように田を打ちおこし、永らくそれを守ってきたことだろう。黙々と、黙々と、男は田を打ちおこす。彼自身の子や孫たちもまた、春になればこうしてその田を打ちおこし、永らくそれを守っていくにちがいない。田を打ちおこしている男がいる。ただ黙々と、田を打ちおこす男がいる。
・先祖代々の田を無心に打ち起こす人の姿。時間の流れの中を交錯(こうさく)する過去と現実を遠望し、百姓という存在の無名性を詠っている。(春・句切れなし)

※打つ田… 田打ち。春、田植えに先立ち、田の土をすき返すこと。春の季語。ちなみに「畑打ち」も春の季語であるが、「田植え」は夏の季語なので注意。
※打つ田かな… 田打ちをしていることだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。

★季節の境目に当たる風物には特に小学生にとっては判断に迷う季語が多い。日がな一日机に向ってばかりいるのではなく、普段から季節の移り変わりやその風物にも関心を持ち、人と人との関わりを大切にし、視野を広げ、世の中の動きにも目を向け、考える姿勢が大切。

※村上鬼城(むらかみきじょう)… 明治・大正・昭和時代の俳人。江戸の生まれ。正岡子規、高浜虚子に師事。重度の聴覚障害者であり、また、貧に苦しみながらも、その不幸な生活の中から自らの苦難の人生を詠んだ句、弱者や虐げられた者に同情を寄せる句を作り、独自の句風を樹立した。
「じぶんは貧乏である。社会的な地位は何もない。婚期を過ぎた娘を二人も持っている。私はそれを思うとじっとしていられない。いくらもがいたところで貧乏は依然として貧乏である。聾(つんぼ)は依然として聾である」(「村上鬼城句集」(大正15年)所収。昭和13年(1938年)没。享年73。

■いくたびも雪の深さを尋ねけり(正岡子規)

・いくたびも ゆきのふかさを たずねけり

・今、外で降っているという雪は、いったいどのくらい積もっているものだろう。自分は病の床に臥(ふ)して起き上がれないので、子どものように逸(はや)る気持ちで、折々家人に尋(たず)ねては、それを知ろうとしたことだ。
・心騒ぐのに雪の降り積もる様子を自分の目で見て確かめられない辛さよりも、子供のように無邪気に心弾ませる意外な自分自身を発見した驚きが自嘲気味に伝わってくる。ちなみに、子規が雪の深さを尋ねた家人とは、看病に当たっていた子規の妹、律である。(冬・句切れなし)

※雪… 冬の季語。
※尋ねけり… 尋ねたことだよ、尋ねることだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。

※正岡子規(まさおかしき)… 俳人・歌人。愛媛県松山生まれ。短歌・俳句、写生文による文章革新運動を推進、「ホトトギス」を創刊。二十代の若さより肺結核、脊椎(せきつい)カリエスに冒(おか)され、永く闘病生活を送る。明治35年(1902年)没。享年34。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。

■池さびし菖蒲の少し生ひたれど(水原秋桜子)

・いけさびし しょうぶのすこし おいたれど

・何か物足りなく、さびしい佇(たたず)まいの池であることだ。菖蒲(しょうぶ)がわずかに生えてはいるのだが。
・菖蒲の花の華やかさも、今は自分の心を満たすほどのものではないという作者の寂しさ、心細さと重なる池の情景である。(夏・初句切れ)

※池さびし… この池はさびしい風情であることだよ、と詠嘆を表している。
※菖蒲(しょうぶ)…夏の季語。
※菖蒲(しょうぶ)について
①花菖蒲(はなしょうぶ)… アヤメ科の多年草。葉は剣状。江戸時代にノハナショウブを改良した園芸種で、水辺に栽培される。初夏、花茎の頂に紫、淡紅、白、黄、ピンクなどの大型の花を開く。菖蒲湯に使われるサトイモ科のショウブとは別種で、一般にショウブというと、この「ハナショウブ」を指すことが多い。花弁の元に黄色い目型の模様があるのが特徴。
②菖蒲(しょうぶ)… サトイモ科常緑多年草。湿地に自生。葉は剣状で、初夏、淡黄色の小花が円柱状に集まってつく。池や水辺などに群生する。日本では古くから邪気を払うものとして、端午の節句に軒にさしたり、風呂に入れたりする。
※ちなみに、花菖蒲によく似た菖蒲(アヤメ)は山野の草地などに自生し、生育地は特に湿地を好むというわけではない。また、同じアヤメ科のカキツバタの場合は湿地を好むが、花弁の弁元に白い目型の模様があり、葉の主脈がハナショウブほど目立たないのが特徴。

※水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)… 大正・昭和の俳人。東京生まれ。東大医学部卒業。医学博士。高野素十、阿波野青畝、山口誓子らとともに、名前の頭文字を取って「ホトトギス」の四Sと称された。近代的な明るさと都会人風の洗練された感覚、豊かな抒情を詠うその句風は、それまでの伝統的な俳句の境地を断然抜け出したものであった。しかし、その主情的な傾向は、「ホトトギス」の写実的傾向と一致せず、高浜虚子らと対立、昭和六年、「ホトトギス」を去る。のち「馬酔木」を主宰し、新興俳句の先駆者となる。昭和56年(1981年)没。享年89。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。

■いざ子ども走りありかん玉霰(松尾芭蕉)

・いざこども はしりありかん たまあられ

・さあ、子どもたちよ、外に出て一緒に走り歩こうよ。勢いよくあられが降ってきているぞ。
・人々の驚きや浮き立つ心、愉快さがよく伝わってくる、健康的で明るい句である(冬・二句切れ)

※いざ… さあ。
※子ども… 子どもたちよ。
※走りありかん… 走り歩こうよ。
※霰(あられ)… 水蒸気が空中で急に氷結して、白色の小さな玉となって降る。直径2~5mm。雹(ひょう)は霰(あられ)が大きく成長したもの(直径5mm以上)。「玉霰」という表現には、無数に降り注ぐ小粒の美しい玉のような印象的な語感がある。冬の季語。
※体言止め。
※いざ子ども… 呼びかけ法。さあ子どもたちよ、と親しみを込めて呼びかけている。
※「子ども」とは児童を指すのではなく、句会に連なった芭蕉の若い弟子たちを指しているといわれている。当日の一座には、良品の妻智周(20歳)、土芳(34歳)、半残(37歳)、三園(年齢不詳)らがいた。芭蕉自身の年齢はこの時46歳。
※芭蕉、 「おくのほそ道」の旅を終えて二か月後、元禄二年(1689年)十一月一日(新暦12月12日)、伊賀上野の友田良品(ともだりょうぼん)宅での吟。

※松尾芭蕉(まつおばしょう)… 江戸前期の俳人。伊賀上野の人。江戸深川の芭蕉庵に移った頃から独自の蕉風(しょうふう)を開拓。各地への旅を通じて、不易流行(ふえきりゅうこう)の思想を形成し、俳諧を文芸的に高めた。「おくのほそ道」「野ざらし紀行」「更級日記」「笈の小文」など。元禄七年(1694年)十月十二日(新暦11月28日)没。享年51。
※蕉風(しょうふう)… 松尾芭蕉およびその門流の信奉する俳風。美的理念としては、幽玄、閑寂を重んじ、さび・しおり・細み・軽みを尊ぶ。
※不易流行(ふえきりゅうこう)… 蕉風俳諧の理念の一つ。俳諧には不易(時代を超えて変わらないこと)の句と流行の句とがあるが、流行の句も時代を超えて人々に訴えればそれは不易の句であり、ともに俳諧の本質を究めることから生じ、根本は一つであるという論。
※「おくのほそ道」… 松尾芭蕉の俳文紀行。元禄二年(1689年)3月末江戸を出発し、東北・北陸を巡り美濃大垣(岐阜県)に至る約150日間、およそ六百里(約2400㎞)の旅日記。洗練された俳文・俳句は芭蕉芸術の至境を示している。元禄七年(1694年)頃成立。元禄十五年(1702年)刊。芭蕉自身は「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」という表記を好んで用いていた。原文の題名もこの表記となっている。

■いざ行かむ雪見にころぶ所まで(松尾芭蕉)

・いざゆかん ゆきみに ころぶところまで

・さあ、みなさん、雪見の宴(うたげ)に行きましょう。雪に足をとられて転ぶかもしれませんが、それも一興(いっきょう)、さあ、さあ、転ぶところまで行きましょうよ。
・雪見の宴を子供のように無邪気に心踊らせる作者と、その連れの者たちの華やいだ様子が目に浮かぶ。いかにも楽しそうな、明るくはずんだ調子が印象的である。(冬・初句切れ、中七の中間切れ)

※いざ… さあ。
※行かむ(ゆかん)… 行きましょう。
※雪見(ゆきみ)… 雪景色を眺め楽しむ宴。冬の季語。
※ころぶ所まで… 雪に足をとられて転んでしまうことがあっても、それも風情の楽しみの一つだから良いではないですか。さあ、とにかく転ぶ所まで行きましょう。この表現から、いかに作者が雪見を楽しみにし、心はずませているかがわかる。
※いざ行かむ… 呼びかけ法。さあ行きましょうよ、と呼びかけ、親しみを込めて誘いかけている。また、芭蕉自身の明るくはずむ気持ちが強く表出している。
※倒置法。本来は「いざ、雪見に行かむ」「ころぶ所まで行かむ」となる。
※「笈の小文」の旅(1687年)の途中、名古屋の門弟で書籍商、風月堂孫助(俳名:夕道)邸での雪見の宴に際し詠まれた。
※初句で切れ、また、中七の途中で詠嘆が込められているので、本来は二段切れ。
※二段切れ… ①一句に切れ字を二つ用いたり、②名詞による切れ目を作ることで感動の焦点が二か所に分散、互いに相殺されることで作品として失敗する場合が多いので嫌われる。しかし、名詞による切れ目は俳句では一般に用いられているので、これを敢えて二段切れと呼ぶ意味合いは薄れている。どちらに強い詠嘆を込めるかは作者の感覚によるところが大きい。
例:
①松籟(しょうらい)や ・ 百日の夏来たりけり(中村草田男)
②赤とんぼ ・ 筑波に雲もなかりけり(正岡子規)

※「君火をたけよきもの見せん丸げ」と同様、親しい者たちとともに童心にかえって遊びに興ずる芭蕉の素朴で純真な人柄がうかがわれる。
※初案は「いざ出でむ雪見にころぶ所まで(さあ、出掛けましょうよ。楽しい雪見の宴に。老いの身に物好きと言われましょうが、それも一興。さあ、雪に足をとられて転んでしまう所まで)」、推敲案が「いざ行かむ雪見にころぶ所まで」(笈の小文)、最終決定稿が「いざさらば雪見にころぶ所まで(では行ってきます。楽しい雪見の宴に。老いの身に物好きと言われましょうが、それも一興。さあ、雪に足をとられて転んでしまう所まで)」。

※松尾芭蕉(まつおばしょう)… 江戸前期の俳人。伊賀上野の人。江戸深川の芭蕉庵に移った頃から独自の蕉風(しょうふう)を開拓。各地への旅を通じて、不易流行(ふえきりゅうこう)の思想を形成し、俳諧を文芸的に高めた。「おくのほそ道」「野ざらし紀行」「更級日記」「笈の小文」など。元禄七年(1694年)十月十二日(新暦11月28日)没。享年51。
※蕉風(しょうふう)… 松尾芭蕉およびその門流の信奉する俳風。美的理念としては、幽玄、閑寂を重んじ、さび・しおり・細み・軽みを尊ぶ。
※不易流行(ふえきりゅうこう)… 蕉風俳諧の理念の一つ。俳諧には不易(時代を超えて変わらないこと)の句と流行の句とがあるが、流行の句も時代を超えて人々に訴えればそれは不易の句であり、ともに俳諧の本質を究めることから生じ、根本は一つであるという論。
※「おくのほそ道」… 松尾芭蕉の俳文紀行。元禄二年(1689年)3月末江戸を出発し、東北・北陸を巡り美濃大垣(岐阜県)に至る約150日間、およそ六百里(約2400㎞)の旅日記。洗練された俳文・俳句は芭蕉芸術の至境を示している。元禄七年(1694年)頃成立。元禄十五年(1702年)刊。芭蕉自身は「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」という表記を好んで用いていた。原文の題名もこの表記となっている。

■石仏誰が持たせし草の花(小林一茶)

・いしぼとけ だれがもたせし くさのはな

・道端(みちばた)に鎮(しず)まっていらっしゃる石の仏様の手の上には、誰が供えたものであろう、秋の草花がのせられていた。草花を供え拝んでいった人の心を思うと、私もまたその温かな心持ちに包まれたことだ。
・作者の優しく穏やかな目線を通して、人々の日常の素朴な生活感情がほのぼのとした温もりとともに伝わってくる。(秋・初句切れ)

※石仏(いしぼとけ)… 石で作った仏像。せきぶつ。
※持たせし… 持たせた~。(連体形)
※草の花… 「草の花」「草花」は秋の季語。秋の野原に花を咲かせている草花。
※体言止め。
※「七番日記」(1811年)所収の句。

※小林一茶(こばやしいっさ)… 江戸後期の俳人。信濃国柏原の人。14歳で江戸に出て俳諧を学ぶ。方言、俗語を交えて、庶民の生活感情を平易に表現、ひがみ・自嘲・反抗心・弱者への同情心と童心の表れた、主観性の強い人生詩を多く残した。「おらが春」「七番日記」「父の終焉日記」など。文政十年(1827年)十一月十九日(新暦1月5日)没。享年64。
※「おらが春」… 一茶の没後25年経って刊行された俳句・俳文集。文政二年(1819年)、一茶57歳の元日から年末までの1年間の見聞・感想・発句などを収める。題名は「めでたさも中位なりおらが春」による。

■無花果のゆたかに実る水の上(山口誓子)

・いちじくの ゆたかにみのる みずのうえ

・池のほとりの無花果(いちじく)の木には、その赤い実がたわわに実り、
その姿を水面に映し込んでいることだ。
・無花果の実りの豊かさと池の静けさが、秋の気配に包まれた辺りの情景とともに印象的に描き出されている。(秋・二句切れ)

※無花果(いちじく)… クワ科の落葉小高木。葉や茎を傷つけると、白色の乳液を出す。葉は掌状で薬用。夏に小さな花のう(かのう)ができ、中に多くの薄紅色の花をつけ、夏から秋に熟して果実となる。果実は食用。秋の季語。
※ゆたかに実る… ゆたかに実っていることだよ、と詠嘆が込められている。
※水の上… 水の上に。
※体言止め。
※倒置法… 「水の上」は意味の上では一句目に来る。

※山口誓子(やまぐちせいし)… 大正~平成の俳人。京都市生まれ。東大在学中の大正末から昭和初頭には既に水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)、高野素十(たかのすじゅう)、阿波野青畝(あわのせいほ)らと並んでホトトギスの四S時代と呼ばれる一時期を形成した。古い伝統的な俳句世界から抜け出し、自然を即物的に、かつメカニックに描き出し、また斬新、近代的な作風が特徴。知的構成を用い、素材の範囲を現代都市生活に拡大して新興俳句運動を推進した。平成6年(1994年)没。享年92。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。

■一連の露りんりんと糸芒(川端茅舎)

・いちれんのつゆりんりんといとすすき

・糸芒(いとすすき)の細い葉に並んでついたいくつもの露(つゆ)が、はかない輝きを放って美しいことだ。
・はかない輝きをつかの間放って見せている露のしっとりとした美しさが印象的である。(秋・二句切れ)

※一連の… 茎の上に露がひと続きになって並び乗っている様子。
※露(つゆ)… 大気中の水蒸気が冷えて凝結(ぎょうけつ)し、地上の物に付着した水滴(すいてき)。夏の終わりから秋の早朝に露が降りやすい。秋の季語。テストで頻出。
※りんりんと… はかないながらもつかの間輝いて見せている露の美しく、また引き締まった様子。
※糸芒(いとすすき)… 葉が糸のように細い園芸種のススキ。草丈は約1m。秋の季語。
※露と芒(すすき)はともに秋の季語であるが、この句では感動が注がれている露を季語とする。
※季重なり… 一句の中に二つ以上季語が入っている場合、これを季重なりという。一句の主題が不鮮明になるので嫌うが、主旨がはっきりし一句が損なわれない時に用いられる。この場合、一句の主題となっているほうを季語とする。感動の集中を示す「切れ字」が用いられている場合は、その位置によって主題となる季語を判別することもできる。この句では感動の重点が置かれている「露」を季語ととる。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※りんりんと… 擬態語。

★季節の境目に当たる風物には特に小学生にとっては判断に迷う季語が多い。日がな一日机に向ってばかりいるのではなく、普段から季節の移り変わりやその風物にも関心を持ち、人と人との関わりを大切にし、視野を広げ、世の中の動きにも目を向け、考える姿勢が大切。

※川端茅舎(かわばたぼうしゃ)・・・ 大正・昭和時代の俳人。東京生まれ。ホトトギス同人。高浜虚子門下。花鳥諷詠(かちょうふうえい)の態度に徹し、きびしい写生で多くの名作を残した。病床にあって作句に励むこと二十年、昭和16年(1941年)没。享年43。
※花鳥諷詠(かちょうふうえい)… 昭和初期に高浜虚子が唱えたホトトギス派の主張。四季の変化によって生ずる自然界の現象およびそれに伴う人事界の現象を無心に客観的に詠むのが俳句の根本義であるとするもの。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。

■一軒家もすぎ落葉する風のままに行く(河東碧梧桐)

・いっけんやもすぎおちばするかぜのままにゆく

・冬の冷たい風が吹く中、村里を歩いていくと、とうとう村はずれの一軒家も通り過ぎた。人家は絶え、いよいよ辺りはうら寂(さび)しく、風が枯れ葉を落ち散らす中、風に吹かれるままに、私は歩みを進める。(自由律俳句)

※落葉(おちば)… 冬の季語。ただし、季語として用いているわけではない。
※自由律俳句。
※大正13年頃の吟。

※河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)… 明治・大正期の俳人。愛媛県松山生まれ。正岡子規門の高弟。高浜虚子と対立し、定型・季語を離れた新傾向俳句を提唱した。昭和12年没(1937年)。享年63。
※自由律俳句… 正岡子規の没後、自然主義の影響を受け、季語を無視し、従来の五七五の定型に制約を受けず自由な音律で制作しようとする新形式を河東碧梧桐が試みた。この新傾向運動は碧梧桐の門下である荻原井泉水らによっても進められ、明治末年の口語自由律俳句の運動へと繋がる。口語自由律俳句の運動は、瞬間の印象や情緒を直接口語で表現しようとしたものであったが、形式上の変革が急であったため、尾崎放哉、種田山頭火らが活躍した大正~昭和初期以降、大衆化しないうちに衰退した。

■犬よちぎれるほど尾をふってくれる(尾崎放哉)

・いぬよちぎれるほどおをふってくれる

・犬よ、孤独な私を迎えるように、精一杯尾を振ってくれている。ちぎれるほどに、喜んでこの私のために尾を振ってくれている。
・たとえそれが犬一匹であろうとも、命あるものとの触れ合いによって得られたささやかな温もりと喜びであるが、却って作者の孤独感はいっそう募って感じられていったことだろう。(自由律俳句)

※自由律俳句。
※兵庫県の須磨寺時代(大正13~14年)の作品。「大空(たいくう)」(大正15年・没後出版)所収。

※尾崎放哉(おざきほうさい)… 大正期の俳人。鳥取生まれ。十七音の定型や季語にとらわれないで生活実感を表現しようとする、「無季自由律(むきじゆうりつ)」の俳句で独創的な世界を切り開いた。社会的地位、財産を捨て、家族とも別れて無一物で各地を転々とする生活を送り、餓死のような状態で小豆島で亡くなった。大正15年(1926年)没。享年41。
※自由律俳句… 正岡子規の没後、自然主義の影響を受け、季語を無視し、従来の五七五の定型に制約を受けず自由な音律で制作しようとする新形式を河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)が試みた。この新傾向運動は碧梧桐の門下である荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)らによっても進められ、明治末年の口語自由律俳句の運動へと繋がる。口語自由律俳句の運動は、瞬間の印象や情緒を直接口語で表現しようとしたものであったが、形式上の変革が急であったため、尾崎放哉(おざきほうさい)、種田山頭火(たねださんとうか)らが活躍した大正~昭和初期以降、大衆化しないうちに衰退した。

■妹を泣かして上がる絵双六(黛まどか)

・いもうとを なかしてあがる えすごろく

・お正月、姉と妹とが一緒に双六(すごろく)をして、初めは仲良く遊んでいたのだが、だんだん自分の負けが見えてきた姉は、妹なぞに負けまいと悔しく思って、最後はずるをして妹を泣かせて先に上がってしまったことだ。
・姉の負けん気の強さ、つかの間の優越感と後悔、そして、妹の納得のいかない悔しさ。日常の姉妹の触れ合いの一こまがほのぼのとした情感とともに伝わる。(新年・二句切れ)

※泣かして上がる… 泣かして上がったことだよ、と詠嘆を表している。
※双六(すごろく)… さいころを振り、出た目の数だけ振り出しから順々に駒を進め、上がりの速さを競う遊び。絵双六(えすごろく)。新年の季語。
※体言止め。

※黛(まゆずみ)まどか… 1962年、神奈川県生まれ。現代俳句を代表する女流俳人の一人として活躍中。
黛まどか オフィシャルWEBサイト

■芋の露連山影を正しうす(飯田蛇笏)

・いものつゆ れんざんかげを ただしゅうす

・里芋(さといも)の葉には水晶のような大きな露(つゆ)が降り、美しくきらめいている。空気の澄み切った朝の里芋畑である。遠景に目をやると、冴(さ)え冴(ざ)えとした空のはるか遠くに、南アルプスの連山が、まるで姿勢を正すかのように、格調高く、凛(りん)としてその山容(さんよう)を誇り、鮮やかに見えていることだ。
・小から大へ、近景から遠景へと広がる風姿を鮮やかに活写している。(秋・初句切れ)

※芋… 古くは山芋、里芋を指していた。江戸時代中頃からはさつま芋、末期からジャガ芋を指すようになる。ここでは蛇笏の故郷、境川村(甲府盆地)の里芋畑で栽培されていた里芋のこと。
※露(つゆ)… 大気中の水蒸気が冷えて凝結(ぎょうけつ)し、地上の物に付着した水滴(すいてき)。夏の終わりから秋の早朝に露が降りやすい。秋の季語。テストで頻出。
※連山(れんざん)… 連なり続いている山々。連峰。
※影(かげ)… ものの姿・形。
※正しうす(ただしゅうす)… 姿勢などを正しくする。連山の山容が堂々として立派に見える様子。
※芋の露… 芋の葉の上に結んだ美しい露であることだよ、と詠嘆を表している。
※連山影を正しうす… 連山がその姿を正していることだよ、と詠嘆を表している。
※連山影を正しうす… 擬人法。連山が姿勢を正している、と連山を擬人化し、くっきりと浮かび上がる勇壮な姿をたとえている。連山の山容の鮮やかさ、格調高さが印象的である。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す、比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※大正3年、蛇笏が29歳の時に郷里の山梨県境川村で詠んだ句。
※初句で切れ、また、結句にも詠嘆が込められているので、本来は二段切れ。
※二段切れ… ①一句に切れ字を二つ用いたり、②名詞による切れ目を作ることで感動の焦点が二か所に分散、互いに相殺されることで作品として失敗する場合が多いので嫌われる。しかし、名詞による切れ目は俳句では一般に用いられているので、これを敢えて二段切れと呼ぶ意味合いは薄れている。どちらに強い詠嘆を込めるかは作者の感覚によるところが大きい。

例:
①松籟(しょうらい)や ・ 百日の夏来たりけり(中村草田男)
②赤とんぼ ・ 筑波に雲もなかりけり(正岡子規)

★季節の境目に当たる風物には特に小学生にとっては判断に迷う季語が多い。日がな一日机に向ってばかりいるのではなく、普段から季節の移り変わりやその風物にも関心を持ち、人と人との関わりを大切にし、視野を広げ、世の中の動きにも目を向け、考える姿勢が大切。

※飯田蛇笏(いいだだこつ)… 大正・昭和期の俳人。山梨県生まれ。高浜虚子に師事。感覚的で荘重な句風が特色。昭和37年(1962年)没。享年77。

■入れ物がない両手で受ける(尾崎放哉)

・いれものがないりょうてでうける

・無一物(むいちぶつ)の生活に真実を得ようとしている自分には、入れ物すら無い。ほどこしものを受けるのに、両手いっぱいで受けとめたことだ。
・貧しさの中にあってこそもたらされるものの意味を考えさせてくれる句である。(自由律俳句)

※自由律俳句。
※小豆島南郷庵時代(大正十四~十五年)の作品

※尾崎放哉(おざきほうさい)… 大正期の俳人。鳥取生まれ。十七音の定型や季語にとらわれないで生活実感を表現しようとする、「無季自由律(むきじゆうりつ)」の俳句で独創的な世界を切り開いた。社会的地位、財産を捨て、家族とも別れて無一物で各地を転々とする生活を送り、餓死のような状態で小豆島で亡くなった。大正15年(1926年)没。享年41。
※自由律俳句… 正岡子規の没後、自然主義の影響を受け、季語を無視し、従来の五七五の定型に制約を受けず自由な音律で制作しようとする新形式を河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)が試みた。この新傾向運動は碧梧桐の門下である荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)らによっても進められ、明治末年の口語自由律俳句の運動へと繋がる。口語自由律俳句の運動は、瞬間の印象や情緒を直接口語で表現しようとしたものであったが、形式上の変革が急であったため、尾崎放哉(おざきほうさい)、種田山頭火(たねださんとうか)らが活躍した大正~昭和初期以降、大衆化しないうちに衰退した。

■鰯雲人に告ぐべきことならず(加藤楸邨)

・いわしぐも ひとにつぐべきことならず

・私が仰ぎ、見つめているのは、天高い秋の空に広がる美しい鰯雲(いわしぐも)である。私の胸の中を占めている深く大きな苦悩、それはただ私の心の中に秘めておけばよいものであって、人に告げるべきものではない。大空に広がる美しい鰯雲を仰ぎ、今、私はそうして自分自身と向き合っているのだ。
・自然現象と作者の私的な人事という対照的な世界を掛け合わせることで、作者の思いの深さをいっそう強く伝えている。(秋・初句切れ)

※鰯雲(いわしぐも)… 巻(絹)積雲(けんせきうん)。うろこ雲、さば雲。6~10km上空にできる。漁師はいわしの大漁の前兆とする。秋の季語。
※鰯雲… 鰯雲であることだよ、と詠嘆を表している。
※人に告ぐべきことならず… 私が心に秘めていることを人に告げるべきものではないのだ、という確信や詠嘆が込められている。
※「寒雷(かんらい)」(昭和14年所収)
※初句で切れ、また、結句にも詠嘆が込められているので、本来は二段切れ。
※二段切れ… ①一句に切れ字を二つ用いたり、②名詞による切れ目を作ることで感動の焦点が二か所に分散、互いに相殺されることで作品として失敗する場合が多いので嫌われる。しかし、名詞による切れ目は俳句では一般に用いられているので、これを敢えて二段切れと呼ぶ意味合いは薄れている。どちらに強い詠嘆を込めるかは作者の感覚によるところが大きい。
例:
①松籟(しょうらい)や ・ 百日の夏来たりけり(中村草田男)
②赤とんぼ ・ 筑波に雲もなかりけり(正岡子規)

※加藤楸邨(かとうしゅうそん)… 昭和~平成の俳人。松尾芭蕉の研究家。東京生まれ。俳句の世界を単なる趣味的なものではなく人生探究の場と主張し、実践。中村草田男、石田波郷と共に人間の内面を詠む「人間探求派」と呼ばれた。平成5年(1993年)没。享年88。

■うかうかと我門過る月夜かな(夏目漱石)

・うかうかと わがもんすぐる つきよかな

・美しい月に見とれながら歩いていて、ついうっかりと自分の家の門の前を通り過ぎてしまった、そんないい月夜であるよ。
・美しい秋の月に心奪われ、そのために決まり悪い思いをしている漱石の姿が想像される、明るくユーモラスな句である。(秋・句切れなし)

※うかうかと… 不注意なさま。うっかり。
※我門過る… 自分の家の門の前を通り過ぎてしまった。また、「われ、もんすぐる(私は目的の家の前を通り過ぎてしまった)」などと読む場合がある。
※月夜(つきよ)… 月が明るく照っている夜。つくよ。秋の季語。
※月夜かな… 月夜であることだよ、と詠嘆を表している。
※うかうかと… 擬態語。
※明治29年(1896年)1月3日、子規の根岸庵で開かれた句会での吟。

※夏目漱石(なつめそうせき)… 小説家・英文学者。江戸、牛込生まれ。日本近代文学の巨匠。俳句は正岡子規と高等学校以来の友人だったので、子規にすすめられて早くから詠み出し、その後小説を書き出しても、折に触れて句を詠み続けた。「吾輩は猫である」「坊っちゃん」「三四郎」「虞美人草」「こころ」など。大正5年(1916年)没。享年49。

■鶯の身を逆に初音かな(宝井(榎本)其角)

・うぐいすの みをさかさまに はつねかな

・春を迎え、鶯(うぐいす)が梅の木の枝々を飛び移りながら、時には枝に逆さまに掴(つか)まっては美しい声で一心にさえずっている。春を告げる鳥が聞かせてくれる、心地よい初音(はつね)であることだ。
・鶯の身軽い動き、初音の心地よさを鮮明な印象として伝える句である。(春・句切れなし)

※鶯(うぐいす)… ヒタキ科の小鳥。褐色を帯びた緑色。体長約15㎝。日本のほぼ全土に分布。食性は雑食だが、夏場は主に昆虫を補食、冬場は植物の種子なども食べる。山地のやぶの中につぼ状の巣を作って繁殖し、冬は低地に下る。オスは「ホーホケキョ」と聞こえる澄んだ声で鳴く。春告げ鳥。春の季語。テスト頻出。
※初音(はつね)… ウグイス、ホトトギスの、その年初めて鳴く声。年に二回あるものは先のものを正とする、という俳句の世界の慣例で、単に「初音」といえばウグイスの初音を指す。
※初音かな… 初音であることだよ、と詠嘆を表している。
※季重なり… 一句の中に二つ以上季語が入っている場合、これを季重なりという。一句の主題が不鮮明になるので嫌うが、主旨がはっきりし一句が損なわれない時に用いられる。この場合、一句の主題となっているほうを季語とする。感動の集中を示す「切れ字」が用いられている場合は、その位置によって主題となる季語を判別することもできる。この句では感動の重点が置かれている「初音」を季語ととる。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。

※ウグイスとメジロの混同について
日本では古くから花札や日本画などで「梅に鶯」といった取り合わせに馴染みが深いが、春を告げる鳥として親しまれているウグイスとメジロはよく混同されている。両者の違いであるが、ウグイスは警戒心が強く藪の中から出て来て姿を見せることがほとんどなく、花蜜を吸うこともめったにない。体色は灰褐色(鶯茶)で、体長は約15㎝である。それに対しメジロは比較的警戒心が緩く、早春に梅や椿の花蜜を求めて木々を渡る姿を目にする機会が多い。体色は草色(黄緑色)であり、目の周りがはっきりと白く、体長は約12㎝と日本で見られる野鳥の中では最も小さい部類に入る。
※目白(めじろ)… メジロ科。背面が草色(黄緑色)で目の周りが白い小鳥。体長約12㎝。昆虫、クモ、果実、椿の蜜などを食べる。日本全土の低山や平地の森林にすみ、冬は群生する。「チーチーキュルキュル」と美しい声で鳴き、また姿もよいので観賞用にもされる。
※向井去来は其角のこの句について、「早春に初音を聞かせる鶯はまだ幼い鶯であろうから、枝に逆さに掴まって鳴くなどといった芸当がまだできるはずがない。作句するからにはきちんとものの本性を知っておくべきである」とその虚構性を批判したが、実際には幼いウグイスでもそのような動態が観察されるとのことである。

※榎本其角(えのもときかく)… 江戸前期の俳人。はじめ榎本姓を名乗っていたが、のち自ら宝井と改める。江戸日本橋生まれ。蕉門十哲(しょうもんじってつ:松尾芭蕉の弟子の中で特に優れた高弟10人)の一人で、服部嵐雪(はっとりらんせつ)と並んで双璧。江戸っ子らしい才気ばしった軽妙な句風が特徴。宝永四年(1707年)没。享年47。
※蕉門(しょうもん)… 松尾芭蕉の門人、およびその門流。

■鶯や茶の木畑の朝月夜(内藤丈草)

・うぐいすや ちゃのきばたけの あさづくよ

・一面の茶の木畑はまだ黒い影を宿し、空にはまだ淡(あわ)い月がかかった静かな明け方である。ふと、その静けさの中に、うぐいすの鳴き声が聞こえてきた。さわやかな春の早朝であることだ。
・ひんやりとした春の清澄(せいちょう)な空気に包まれた明け方の茶の木畑に静かに響く鶯の声。心が澄み、清まるような早朝の清閑(せいかん)な情景である。(春・初句切れ)

※鶯(うぐいす)… ヒタキ科の小鳥。褐色を帯びた緑色。体長約15㎝。日本のほぼ全土に分布。食性は雑食だが、夏場は主に昆虫を補食、冬場は植物の種子なども食べる。山地のやぶの中につぼ状の巣を作って繁殖し、冬は低地に下る。オスは「ホーホケキョ」と聞こえる澄んだ声で鳴く。春告げ鳥。春の季語。テストで頻出。
※鶯や… 鶯(の鳴き声)であることだよ、と詠嘆を表している。
※茶の木畑(ちゃのきばたけ)… 茶畑。茶畑は春の季語。
※朝月夜(あさづくよ)… 明け方の月、月の光が差している夜明け方。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。

※内藤丈草(ないとうじょうそう)…江戸前期の俳人。尾張犬山藩士。のち出家し、翌年蕉門に入る。蕉門十哲(しょうもんじってつ:松尾芭蕉の弟子の中で特に優れた高弟10人)の一人。向井去来とともに関西蕉門の重鎮。禅を学び清閑な生活を送った人らしく、句風は繊細洒脱、閑寂、清澄。宝永元年(1704年)没。享年43。
※蕉門(しょうもん)… 松尾芭蕉の門人、およびその門流。

■動くとも見えで畑打つ男かな(向井去来)

・うごくとも みえではたうつ おとこかな

・春の穏やかな日、広々とした田園のはるか遠くに目をやると、畑を耕しているらしい一人の農夫がいる。彼は動いているとも見えないが、よく見ると、やはり鍬(くわ)を上げたり下げたりして畑を耕しているのだなあ。
・ひらけた田園と、のどかな春の情景の中にとけ込んでいる一人の農夫の姿である。(春・句切れなし)

※動くとも見えで… 動いているとも見えないのに。
※畑(はた)打つ… 畑(はた)打ち。春先に鍬(くわ)などで畑を耕(たがや)すこと。春の季語。ちなみに「田打ち」も春の季語であるが、「田植え」は夏の季語であるので注意。
※男かな… 男であることだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。

※向井去来(むかいきょらい)… 江戸前期の俳人。長崎の人。松尾芭蕉の最も篤実な高弟。蕉門十哲(しょうもんじってつ:松尾芭蕉の弟子の中で特に優れた高弟10人)の一人。内藤丈草とともに関西蕉門の重鎮。句風は、篤実な性格により師風を守り、高雅清潔の品格をそなえ、平浅卑俗に陥らなかった。宝永元年(1704年)没。享年54。
※蕉門(しょうもん)… 松尾芭蕉の門人、およびその門流。

■牛の子が旅に立つなり秋の雨(小林一茶)

・うしのこが たびにたつなり あきのあめ

・しめやかに秋雨の降る中、まだ歩みたどたどしい子牛が、親牛から引き離されて売られてゆく。
・少年の日に故郷を去った時の自分自身の姿を思い重ねている。秋のわびしい情景と、そこにうち重なる一茶の静かな感情の流出が心に響く。(秋・二句切れ)

※秋の雨… 秋雨(あきさめ)。秋に降る雨。
※旅に立つなり… 旅に立つことであるよ、と詠嘆を表している。
※体言止め。
※うしの子が旅に立つなり… 擬人法。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※一茶は3歳で母と死に別れ、14歳の時には江戸へ奉公に出されている。 一茶自身の類似句に「夕時雨馬も古郷へ向いて嘶(な)く」「秋雨や乳離れ馬の関越ゆる」「馬の子の故郷はなるる秋の雨」などがある。

※小林一茶(こばやしいっさ)… 江戸後期の俳人。信濃国柏原の人。14歳で江戸に出て俳諧を学ぶ。方言、俗語を交えて、庶民の生活感情を平易に表現、ひがみ・自嘲・反抗心・弱者への同情心と童心の表れた、主観性の強い人生詩を多く残した。「おらが春」「七番日記」「父の終焉日記」など。文政十年(1827年)十一月十九日(新暦1月5日)没。享年64。
※「おらが春」… 一茶の没後25年経って刊行された俳句・俳文集。文政二年(1819年)、一茶57歳の元日から年末までの1年間の見聞・感想・発句などを収める。題名は「めでたさも中位なりおらが春」による。

■うたたねの顔へ一冊屋根にふき(江戸時代の川柳)

・うたたねの かおへいっさつ やねにふき

・転寝(うたたね)をしている者の顔の上に、悪戯(いたずら)で薄い本を一冊、広げて載(の)せ、屋根を葺(ふ)いてやった。

※川柳(せんりゅう)… 江戸時代中ごろから盛んになった、五・七・五の十七字の短詩。季語や切れ字の制約がなく、滑稽(こっけい)、機知、風刺(ふうし)を特色とする。

■江戸古川柳
・花どろぼう 蝶(ちょう)は無言でおっかける
・気の毒さ 桜の下で雨やどり
・空を睨(にら)み睨み 弁当を内で喰(く)ひ(い)
・うたたねの 枕四五冊引きぬかれ
・いい月夜 やたら知った人にあひ(い)
・あの柿売(かきうり)め と大地へ叩(たた)きつけ
・掃除する人を 木の葉が呼び戻し
・すす掃(は)きに 一人か二人 馬鹿ななり
・素人が 餅屋(もちや)になると いそがしい
・くどかれて 娘は猫に ものを云(い)ひ(い)
・仲人は 雨までほめて 帰るなり
・片隅(かたすみ)へ 朝寝の旦那(だんな) 掃(は)き残し
・大仏は 見るものにして 尊(とうと)まず
・五右衛門は 生煮(なまに)えの時 一首よみ

※石川五右衛門、辞世の句(?)
石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ

■埋火や壁には客の影法師(松尾芭蕉)

・うずみびや かべにはきゃくの かげぼうし

①火鉢(ひばち)には、いけた埋(うず)み火が赤々とおこり、その灯(あか)り(埋み火の灯り)が対座する客の影を壁にぼうっと、そして大きく黒々と映し出している。寂しい冬のこの夜長を、埋み火を囲み、二人は静かに、しみじみと語り、過ごす。
・寒く寂然(じゃくぜん)とした冬の夜のひとときである。(冬・初句切れ)
②火鉢(ひばち)には、いけた埋(うず)み火が赤々とおこり、傍(そば)の行灯(あんどん)の灯(あか)りは、対座する客の影を壁に大きく黒々と映し出ている。寂しい冬のこの夜長を、埋み火を囲み、二人は静かに、しみじみと語り、過ごす。
・寒く寂然とした冬の夜のひとときである。(冬・初句切れ)
③火鉢(ひばち)には、いけた埋(うず)み火が赤々とおこり、行灯(あんどん)の灯りが壁に黒々と自分の影法師(かげぼうし)を映し出している。その影法師を相手として寂(さび)しさを紛らわせながら、寒い冬のこの夜長を一人静かに過ごすのだ。
・寒く寂然とした冬の夜のひとときである。(冬・初句切れ)

※埋火(うづみび)… 灰の中に埋めた炭火(すみび)。冬の季語。
※埋火や… 埋火であることだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。
※元禄五年(1692年)冬の吟。

※松尾芭蕉(まつおばしょう)… 江戸前期の俳人。伊賀上野の人。江戸深川の芭蕉庵に移った頃から独自の蕉風(しょうふう)を開拓。各地への旅を通じて、不易流行(ふえきりゅうこう)の思想を形成し、俳諧を文芸的に高めた。「おくのほそ道」「野ざらし紀行」「更級日記」「笈の小文」など。元禄七年(1694年)十月十二日(新暦11月28日)没。享年51。
※蕉風(しょうふう)… 松尾芭蕉およびその門流の信奉する俳風。美的理念としては、幽玄、閑寂を重んじ、さび・しおり・細み・軽みを尊ぶ。
※不易流行(ふえきりゅうこう)… 蕉風俳諧の理念の一つ。俳諧には不易(時代を超えて変わらないこと)の句と流行の句とがあるが、流行の句も時代を超えて人々に訴えればそれは不易の句であり、ともに俳諧の本質を究めることから生じ、根本は一つであるという論。
※「おくのほそ道」… 松尾芭蕉の俳文紀行。元禄二年(1689年)3月末江戸を出発し、東北・北陸を巡り美濃大垣(岐阜県)に至る約150日間、およそ六百里(約2400㎞)の旅日記。洗練された俳文・俳句は芭蕉芸術の至境を示している。元禄七年(1694年)頃成立。元禄十五年(1702年)刊。芭蕉自身は「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」という表記を好んで用いていた。原文の題名もこの表記となっている。

■乳母車揺るる林檎を持ちつづけ(中村草田男)

・うばぐるま ゆるるりんごを もちつづけ

・押された乳母車の中で、幼子(おさなご)が両手でりんごを持っている。車が揺(ゆ)れるので、落とさないようにと、守り抱くようにして、しっかりと持ち続けていることだ。
・幼子の小さな手に抱き守られている赤く大きな林檎一つ。あどけなく愛しい我が子を見つめる父親の優しい思いが伝わる。(秋・句切れなし)

※林檎(りんご)… 秋の季語なので注意。
※林檎を持ちつづけ… りんごを持ちつづけていることだよ、と詠嘆を表している。

※中村草田男(なかむらくさたお)… 昭和時代の俳人。中国福建省生まれ。愛媛の人。ホトトギス同人。高浜虚子に師事。伝統的な季題定型を守り信じ、この中に作者の複雑な自己、体験を抒情歌しようとした。単に花鳥諷詠にとどまらず、俳句に作者の心理、思想といった内的要素を持ち込むところにきわめて近代的な意欲があり、加藤楸邨、石田波郷らとともに人間探究派と称せられた。昭和58年(1983年)没。享年82。
※花鳥諷詠(かちょうふうえい)… 昭和初期に高浜虚子が唱えたホトトギス派の主張。四季の変化によって生ずる自然界の現象およびそれに伴う人事界の現象を無心に客観的に詠むのが俳句の根本義であるとするもの。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。

■うまさうな雪がふうはりふうはりと(小林一茶)

・うまそうなゆきがふうわりふうわりと

・綿をちぎったようにやわらかそうで、手にとって食べたらいかにもうまそうな雪が、空から舞い下りてくる。ふうわり、ふうわりと。
・やわらかな雪がゆったりと舞い下りてくる様子と、それを眺めながら楽しんでいる一茶の無邪気な心境が感じられる。単純素朴ではあるが童謡調の趣があり、読む者もまた懐旧(かいきゅう)の情を誘われる。(冬・句切れなし)

※雪… 冬の季語。
※うまさうな… うまそうな。「う」と「む」は古く共通して用いられたため、「むまさうな」とも表記する。
※ふうはりふうはりと… 「ふわりふわりと」よりも、浮かびながら舞い降りるようなゆったりとした感じ、そしてやわらかな語感を伴っている。
※ふうはりふうはりと… 擬態語。
※ふうはりふうはりと… 省略法。本来は「ふうはりふうはりと降る」であるが、動詞を省略することで余情を持たせ印象を深めている。
※反復法…「ふうわり、ふうわりと、またふうわりと」と同語を重ね、軽やかに舞い降りてくる雪の様子を鮮やかに印象づけている。
※文化十年(1813年)11月の吟。

※小林一茶(こばやしいっさ)… 江戸後期の俳人。信濃国柏原の人。14歳で江戸に出て俳諧を学ぶ。方言、俗語を交えて、庶民の生活感情を平易に表現、ひがみ・自嘲・反抗心・弱者への同情心と童心の表れた、主観性の強い人生詩を多く残した。「おらが春」「七番日記」「父の終焉日記」など。文政十年(1827年)十一月十九日(新暦1月5日)没。享年64。
※「おらが春」… 一茶の没後25年経って刊行された俳句・俳文集。文政二年(1819年)、一茶57歳の元日から年末までの1年間の見聞・感想・発句などを収める。題名は「めでたさも中位なりおらが春」による。

■馬の子の故郷はなるる秋の雨(小林一茶)

・うまのこの こきょうはなるる あきのあめ

・親馬から引き離されて、まだたどたどしい歩みの子馬が、しめやかに秋雨の降る中、売られてゆく。少年の日、故郷を去った時の私の姿が思い重なることだ。
・少年の日に故郷を去った時の自分自身の姿を思い重ねている。秋のわびしい情景と、そこにうち重なる一茶の静かな感情の流出が心に響く。(秋・二句切れ)

※秋の雨… 秋雨。秋に降る雨。
※故郷はなるる… 故郷を離れていくことだよ、と詠嘆が込められている。
※体言止め。
※故郷はなるる… 擬人法。一茶自身の過去の経験と重ね合わせ、馬を擬人化し、やむなく故郷を去り離れてゆく、と馬の子を思いやる気持ちが込められている。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す、比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※一茶は3歳で母と死に別れ、14歳の時には江戸へ奉公に出されている。 一茶自身の類似句に「夕時雨馬も古郷へ向いて嘶(な)く」「秋雨や乳離れ馬の関越ゆる」「牛の子が旅に立つなり秋の雨」などがある。

※小林一茶(こばやしいっさ)… 江戸後期の俳人。信濃国柏原の人。14歳で江戸に出て俳諧を学ぶ。方言、俗語を交えて、庶民の生活感情を平易に表現、ひがみ・自嘲・反抗心・弱者への同情心と童心の表れた、主観性の強い人生詩を多く残した。「おらが春」「七番日記」「父の終焉日記」など。文政十年(1827年)十一月十九日(新暦1月5日)没。享年64。
※「おらが春」… 一茶の没後25年経って刊行された俳句・俳文集。文政二年(1819年)、一茶57歳の元日から年末までの1年間の見聞・感想・発句などを収める。題名は「めでたさも中位なりおらが春」による。

■馬ぼくぼく我を絵にみる夏野かな(松尾芭蕉)

・うまぼくぼく われをえにみる なつのかな

①夏の強い陽射しを浴びながら、ぼくぼくとだるそうな音を立てて馬は歩む。その馬にまたがり、背に揺(ゆ)られながら広い夏野を行く私の姿は、ちょうど絵の中に描かれた姿のようであろうよ。
・自分を離れてみれば、自分の姿は夏野の風景としてさぞかし絵になっていることだろうという心境を詠っている。自分自身を客観的に表現しているため、暑苦しさの中にありながら余裕のようなものを感じさせる句である。(夏・句切れなし)
②夏の強い陽射しを浴びながら、ぼくぼくとだるそうな音を立てて、駄馬は広い夏野に歩みを進める。危なっかしい乗り方で馬の背に揺られている私自身の姿を写したその絵を見て思う。人生に一体何を求めて流浪(るろう)を続けるのか知らないが、落馬して怪我などするなよ、と。
・芭蕉の姿を描いた絵を見ながら自身の生き様を一歩離れて見つめ直し、自嘲気味にその感慨を味わっている。(夏・句切れなし)

※ぼくぼく… 馬がゆっくりと歩を進める様子。のんびりとした様子や夏の暑苦しさが語感にある。
※夏野(なつの)… 夏草の茂る野原。夏野原。夏の季語。
※夏野かな… 夏野であることだよ、と詠嘆を表している。
※字余り(18音)
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※ぼくぼく… 擬音語。
※前書きには次のようにある。「笠着て馬に乗りたる坊主は、いづれの境より出でて、何をむさぼり歩くにや。このぬしの言へる、これは予が旅の姿を写せりとかや。さればこそ、三界流浪の桃尻、落ちてあやまちすることなかれ」
(この絵に描かれた)笠をかぶり馬に乗った坊主は一体どこからやって来て、何を貪欲に求め、歩いているのだろう。すると、この絵を描いた本人が、これは私の旅姿を描き写したものだと言う。なるほどそれならば、三界(欲界・色界・無色界)を妄執のままに流浪するこの危なげな馬乗り姿の私よ、落馬して怪我などせぬよう心せよ。)
※桃尻(ももじり)… (桃の実のように、すわりの悪い尻の意から)馬に乗るのが下手で、尻が落ち着かないこと。
※芭蕉(ばしょう)、天和三年(1683年)夏、甲斐(山梨)に滞在の折(おり)の吟。前年、江戸の大火で芭蕉庵が類焼し、庵が再建されるまで甲斐で過ごしていた。

※松尾芭蕉(まつおばしょう)… 江戸前期の俳人。伊賀上野の人。江戸深川の芭蕉庵に移った頃から独自の蕉風(しょうふう)を開拓。各地への旅を通じて、不易流行(ふえきりゅうこう)の思想を形成し、俳諧を文芸的に高めた。「おくのほそ道」「野ざらし紀行」「更級日記」「笈の小文」など。元禄七年(1694年)十月十二日(新暦11月28日)没。享年51。
※蕉風(しょうふう)… 松尾芭蕉およびその門流の信奉する俳風。美的理念としては、幽玄、閑寂を重んじ、さび・しおり・細み・軽みを尊ぶ。
※不易流行(ふえきりゅうこう)… 蕉風俳諧の理念の一つ。俳諧には不易(時代を超えて変わらないこと)の句と流行の句とがあるが、流行の句も時代を超えて人々に訴えればそれは不易の句であり、ともに俳諧の本質を究めることから生じ、根本は一つであるという論。
※「おくのほそ道」… 松尾芭蕉の俳文紀行。元禄二年(1689年)3月末江戸を出発し、東北・北陸を巡り美濃大垣(岐阜県)に至る約150日間、およそ六百里(約2400㎞)の旅日記。洗練された俳文・俳句は芭蕉芸術の至境を示している。元禄七年(1694年)頃成立。元禄十五年(1702年)刊。芭蕉自身は「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」という表記を好んで用いていた。原文の題名もこの表記となっている。

■馬をさへ眺むる雪の朝かな(松尾芭蕉)

・うまをさえ ながむるゆきの あしたかな

・一夜明けて外を見やれば、昨日と打って変わって白一色の雪景色である。雪の中を行く旅人の姿がたいそう趣(おもむ)き深く感じられるが、ふだん見なれていて何の面白みも感じない馬でさえも、この雪の中を歩む姿は格別の風情をもってつくづくと眺(なが)められることだ。
・雪に覆われた冬の朝の、昨日とは一変した往来の風情に打ち興じている芭蕉の姿が思い浮かぶ。(冬・句切れなし)

※馬をさへ眺むる… 日常は風情など感じられない馬をさえ私は眺めてしまう。
※雪… 冬の季語。
※朝(あした)… 朝のこと。
※雪の朝かな… 雪景色の朝であることだなあ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※前書きに、「旅人を見る」とある。
※貞享元年(1684年)、冬の作。名古屋熱田での吟。「野ざらし紀行」所収。
※「野ざらし紀行」… 俳諧紀行。貞享(じょうきょう)元年(1684年)秋、前年に死去した母の墓参を目的に、門人苗村千里(なえむらちり)を伴い江戸から伊賀に帰郷、その後吉野・山城・美濃・尾張などに遊び、翌年四月江戸に戻るまでの道中記。蕉風樹立への意欲が見られる。「野ざらし」は、旅立ちに際して詠んだ一句「野ざらしを心に風のしむ身かな」に由来する。貞享(じょうきょう)二年(1685年)成立。

※松尾芭蕉(まつおばしょう)… 江戸前期の俳人。伊賀上野の人。江戸深川の芭蕉庵に移った頃から独自の蕉風(しょうふう)を開拓。各地への旅を通じて、不易流行(ふえきりゅうこう)の思想を形成し、俳諧を文芸的に高めた。「おくのほそ道」「野ざらし紀行」「更級日記」「笈の小文」など。元禄七年(1694年)十月十二日(新暦11月28日)没。享年51。
※蕉風(しょうふう)… 松尾芭蕉およびその門流の信奉する俳風。美的理念としては、幽玄、閑寂を重んじ、さび・しおり・細み・軽みを尊ぶ。
※不易流行(ふえきりゅうこう)… 蕉風俳諧の理念の一つ。俳諧には不易(時代を超えて変わらないこと)の句と流行の句とがあるが、流行の句も時代を超えて人々に訴えればそれは不易の句であり、ともに俳諧の本質を究めることから生じ、根本は一つであるという論。
※「おくのほそ道」… 松尾芭蕉の俳文紀行。元禄二年(1689年)3月末江戸を出発し、東北・北陸を巡り美濃大垣(岐阜県)に至る約150日間、およそ六百里(約2400㎞)の旅日記。洗練された俳文・俳句は芭蕉芸術の至境を示している。元禄七年(1694年)頃成立。元禄十五年(1702年)刊。芭蕉自身は「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」という表記を好んで用いていた。原文の題名もこの表記となっている。

■海暮れて鴨の声ほのかに白し(松尾芭蕉)

・うみくれて かものこえ ほのかにしろし

・日が暮れて暗くなった冬の海辺にいると、沖合いからほのかに鴨(かも)の鳴く声が聞こえてくる。夕闇のため姿は見えないが、じっとその声に聞き入っていると、この寒々とした海辺に響く鴨の鳴き声までがほの白く感じられることだ。
・聴覚による鴨の声を「白し」と視覚的・象徴的に表現し、また、五五七という甚(はなは)だしい破調がしっとりとした落ち着きを感じさせ、しみじみとした味わいや印象をいっそう深めている。(冬・句切れなし)

※鴨(かも)… 冬の季語。冬期、日本にはマガモ・カルガモ・コガモ・クロガモ・オシドリなど約30種が寒地から飛来する。雁(かり・がん)が秋の訪れと結びつけられるのに対して、鴨は多く冬のものとされる。
※ほのかに白し… ほのかに白く感じられることだよ、と詠嘆を表している。
※五五七の破調。
※鴨の声ほのかに白し… 「鴨の声がほんのりと白く見えるようだ」という意味で、比喩(隠喩)。
※隠喩(暗喩)… 「ようだ」「みたいだ」「ごとし」などの言葉を用いないでたとえる表現技法。
例:「疑惑の雲」「お母さんは鬼だ」「人生は旅である」
※直喩(明喩)… 「ようだ」「みたいだ」「ごとし」など、はっきりと比喩を示す言葉を直接用いて表現する技法。
例:「もみじのような手」「お母さんは鬼みたいだ」「夢のごとき人生」
※現名古屋市の熱田(あつた)の海岸へ人々と海を見に行った際の吟。「野ざらし紀行」では前書きに「海辺に日暮して」とあるが、各務支考(かがみしこう)作「笈日記(おいにっき)」や穂積東藤(ほづみとうとう)の「熱田皺筥(しわばこ)物語」などによれば、これは闇に舟を浮かべて「海上で詠んだ句」としている。
※ほのかに白し… 「水面に白く冬のもやが立ち、そのせいで鴨の声までがほのかに白く聞こえるように感じる」といった解釈もある。
※貞享元年(1684年)、冬の作。「野ざらし紀行」所収。
※「野ざらし紀行」… 俳諧紀行。貞享(じょうきょう)元年(1684年)秋、前年に死去した母の墓参を目的に、門人苗村千里(なえむらちり)を伴い江戸から伊賀に帰郷、その後吉野・山城・美濃・尾張などに遊び、翌年四月江戸に戻るまでの道中記。蕉風樹立への意欲が見られる。「野ざらし」は、旅立ちに際して詠んだ一句「野ざらしを心に風のしむ身かな」に由来する。貞享(じょうきょう)二年(1685年)成立。

★季節の境目に当たる風物には特に小学生にとっては判断に迷う季語が多い。日がな一日机に向ってばかりいるのではなく、普段から季節の移り変わりやその風物にも関心を持ち、人と人との関わりを大切にし、視野を広げ、世の中の動きにも目を向け、考える姿勢が大切。

※松尾芭蕉(まつおばしょう)… 江戸前期の俳人。伊賀上野の人。江戸深川の芭蕉庵に移った頃から独自の蕉風(しょうふう)を開拓。各地への旅を通じて、不易流行(ふえきりゅうこう)の思想を形成し、俳諧を文芸的に高めた。「おくのほそ道」「野ざらし紀行」「更級日記」「笈の小文」など。元禄七年(1694年)十月十二日(新暦11月28日)没。享年51。
※蕉風(しょうふう)… 松尾芭蕉およびその門流の信奉する俳風。美的理念としては、幽玄、閑寂を重んじ、さび・しおり・細み・軽みを尊ぶ。
※不易流行(ふえきりゅうこう)… 蕉風俳諧の理念の一つ。俳諧には不易(時代を超えて変わらないこと)の句と流行の句とがあるが、流行の句も時代を超えて人々に訴えればそれは不易の句であり、ともに俳諧の本質を究めることから生じ、根本は一つであるという論。
※「おくのほそ道」… 松尾芭蕉の俳文紀行。元禄二年(1689年)3月末江戸を出発し、東北・北陸を巡り美濃大垣(岐阜県)に至る約150日間、およそ六百里(約2400㎞)の旅日記。洗練された俳文・俳句は芭蕉芸術の至境を示している。元禄七年(1694年)頃成立。元禄十五年(1702年)刊。芭蕉自身は「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」という表記を好んで用いていた。原文の題名もこの表記となっている。

■海に出て木枯らし帰るところなし(山口誓子)

・うみにでて こがらしかえる ところなし

・野を吹き、木々の葉を落とし、地上を吹き荒れた木枯らしは、やがて海へと吹き進んで行き場を失い、二度と戻(もど)ることも出来ず、消え去るのみである。
・神風特攻隊の末路を思い詠(うた)ったものと言われている。木枯らしを擬人化し、その末路に人間の運命の哀(あわ)れさ、孤独、空(むな)しさ、さびしさを投影している。 (冬・句切れなし)

※木枯らし… 秋の終わりごろから冬にかけて強く吹く冷たい風。冬の季語。テストで頻出。
※帰るところなし… 強く言い切ることで、「帰るところが無いのだ」という強い詠嘆を表している。
※帰るところなし… 擬人法。自らの意志ではどうにもならない運命の哀れさを深く印象づけている。
※擬人法… 人間ではないものを人間がしたことのように表す、比喩表現の一種。「ヒマワリがニコニコと笑っているよ」「救急車が悲鳴を上げている」「光が舞う」などは、人間ではないものごとに人間の動作(動詞)を当てて表現している擬人法の例である。他に、「風のささやき」「山々のあでやかな秋化粧」「冬将軍」「光の舞」など、名詞で表される場合もあるので注意する。
※昭和十九年(1944年)、冬の吟。
※誓子の自句解説には「昭和17年に『虎落笛(もがりぶえ)叫びて海に出で去れり』という句を作ったことがある。もがりぶえは、冬になって、笛を吹く強い風だ。その強笛がひゅうひゅう言って、海に出て、去って行ったのだ。この句があって、これを下敷きにして『帰るところなし』の句が出来たのだ。俳句は積み重ねである。」と記している。

※山口誓子(やまぐちせいし)… 大正~平成の俳人。京都市生まれ。東大在学中の大正末から昭和初頭には既に水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)、高野素十(たかのすじゅう)、阿波野青畝(あわのせいほ)らと並んでホトトギスの四S時代と呼ばれる一時期を形成した。古い伝統的な俳句世界から抜け出し、自然を即物的に、かつメカニックに描き出し、また斬新、近代的な作風が特徴。知的構成を用い、素材の範囲を現代都市生活に拡大して新興俳句運動を推進した。平成6年(1994年)没。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。

■梅一輪一輪ほどの暖かさ(服部嵐雪)

・うめいちりん いちりんほどの あたたかさ

①寒梅(かんばい)のつぼみが一つひらいた。まだ冬の寒い最中(さなか)ではあるが、可憐(かれん)なその一輪を見つめていると、また一つ近づいてくる春の気配を感じずにはいられない。
・自然の移ろいを繊細な感覚で捉え、その喜びを詠っている。(冬・初句切れ)
②早春、庭の梅がぽつぽつと咲き始めた。梅の花が一輪咲けば、そのわずかな分だけ、春の小さな訪れを感じることだ。
・自然の移ろいを繊細な感覚で捉え、その喜びを詠っている。(春・初句切れ)

※梅… 「梅の花」の意であれば春の季語。テストで頻出。ちなみに「梅の実」は夏の季語。
※梅… この句、服部嵐雪(はっとりらんせつ)一周忌の追善集「遠のく」には「寒梅」の題がある。「寒梅」を指すのであれば冬の季語であるが、一般に中学受験の教材には特に「寒梅」である点、断りは付されないので、「梅」を春の季語としてとる場合が多い。
※体言止め。
※字余り(18音:『ん』は一音で数える)

※服部嵐雪(はっとりらんせつ)… 江戸前期の俳人。江戸湯島生まれ(淡路の生まれとも)。松尾芭蕉の高弟で、榎本(宝井)其角と並び称された。蕉門十哲(しょうもんじってつ:松尾芭蕉の弟子の中で特に優れた高弟10人)の一人。句風は平明穏雅。宝永四年(1707年)没。享年54。

■梅が香にのっと日の出る山路かな(松尾芭蕉)

・うめがかに のっとひのでる やまじかな

・早朝、山路(やまじ)を歩いていると、薄明かりの中にほのかに漂(ただよ)ってくるのは梅の花の香りだ。暫(しばら)く歩みを止めて楽しんでいると、まるでその香りに誘われるように、朝日がのっと現われた。早春の山路に暖かみを感じさせる淡(あわ)い日の光に匂う梅の香りは、また趣ひとしおである。
・「のっと」という擬態語からは、「ぬっと(突然現れるさま)」とは違い、「大きなものが突然現れる」という、重みを含んだニュアンスがある。梅の香に誘われるようにして朝日がふいに出現し、春らしい暖かみのある光に包まれる情景が思い浮かぶ。(春・句切れなし)

※梅が香(うめがか)… 梅の花の香り。春の季語。
※梅が香に… 梅の花の香りにまるで誘われるようにして。
※山路(やまじ)… 山の中の道。
※山路かな… 山路であることだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※梅が香に… まるで梅の香に誘われるようにして、と朝日を擬人化し、親しみを込めた表現となっている。
※のっと… 擬態語。
※元禄七年(1694年)、春の作。

※松尾芭蕉(まつおばしょう)… 江戸前期の俳人。伊賀上野の人。江戸深川の芭蕉庵に移った頃から独自の蕉風(しょうふう)を開拓。各地への旅を通じて、不易流行(ふえきりゅうこう)の思想を形成し、俳諧を文芸的に高めた。「おくのほそ道」「野ざらし紀行」「更級日記」「笈の小文」など。元禄七年(1694年)十月十二日(新暦11月28日)没。享年51。
※蕉風(しょうふう)… 松尾芭蕉およびその門流の信奉する俳風。美的理念としては、幽玄、閑寂を重んじ、さび・しおり・細み・軽みを尊ぶ。
※不易流行(ふえきりゅうこう)… 蕉風俳諧の理念の一つ。俳諧には不易(時代を超えて変わらないこと)の句と流行の句とがあるが、流行の句も時代を超えて人々に訴えればそれは不易の句であり、ともに俳諧の本質を究めることから生じ、根本は一つであるという論。
※「おくのほそ道」… 松尾芭蕉の俳文紀行。元禄二年(1689年)3月末江戸を出発し、東北・北陸を巡り美濃大垣(岐阜県)に至る約150日間、およそ六百里(約2400㎞)の旅日記。洗練された俳文・俳句は芭蕉芸術の至境を示している。元禄七年(1694年)頃成立。元禄十五年(1702年)刊。芭蕉自身は「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」という表記を好んで用いていた。原文の題名もこの表記となっている。

■愁ひつつ岡に登れば花いばら(与謝蕪村)

・うれいつつ おかにのぼれば はないばら

①心に愁(うれ)いを抱きながら、足のおもむくまま、とある岡に登ると、そこに花いばらがひっそりと咲いていた。無心に、そして美しく。
・自分でも説明できない漠(ばく)としたうら悲しさと、それに対比されるいばらの花の純粋な美への詠嘆(えいたん)という近代的な情感を詠(うた)った、当時としては珍しい句である。(夏・句切れなし)
②心に愁(うれ)いを抱きながら、足のおもむくまま、とある岡に登ると、そこに花いばらがが咲きにおい、いよいよ私の心はやるせないことだ。
・青春の哀愁(あいしゅう)をみずみずしく詠(よ)んだ句である。(夏・句切れなし)

※愁ひ(うれい)… 心配・不安・悩み事など。
※花いばら… 花の咲いた野ばら、ノイバラ。夏の季語。花いばらであることだよ、と詠嘆を表している。
※薔薇(ばら)… 「ばら」の名は和語で、「いばら」の転訛したもの。古くは万葉集にも詠われ、漢語では「薔薇」の字を当てる。日本はバラの自生地として世界的に知られており、品種改良に使用された原種のうち3種類は日本原産である。
※体言止め。
※水原秋桜子は、「この句、まことに線が細く、現代の若い作者が詠んだ句としても不思議ではない」と述べている。

※与謝蕪村(よさぶそん)… 江戸中期の俳人・画家。摂津の人。客観的写生を重んじ、印象的、絵画的な特色を句風とし、明治になってから正岡子規の共鳴を得て生存当時よりはるかに高く評価されることになった。松尾芭蕉に復することを目指し、天明の中興俳諧の祖となった。「新花摘(しんはなつみ)」「蕪村句集(没後刊行)」など。天明三年(1783年)没。享年68。

■遠足のおくれ走りてつながりし(高浜虚子)

・えんそくの おくれはしりて つながりし

・遠足の子どもたちの列を眺(なが)めている。子どもたちの列は、おしゃべりをしたり、はしゃいだりしているうちに、つい二つ、三つの固まりとなって途切れてしまったが、遅れを取り戻そうと慌(あわ)てて走り出したかと思うと、すぐに列はもとの一つになってつながったことだ。
・楽しそうでほのぼのとした子どもたちの様子をほほえましく眺めている作者の様子が目に浮かぶ。(春・句切れなし)

※遠足… 春の季語。
※おくれ走りて… 遅れていた者たちが走って追いついて。
※つながりし… (列が)一つになってつながったことだよ、と詠嘆を表している。

※高浜虚子(たかはまきょし)… 明治~昭和期の俳人・小説家。愛媛県松山市生まれ。正岡子規に師事。「ホトトギス」を主宰。客観写生・花鳥諷詠を主張し、定型・季語を離れた新傾向俳句を推進する河東碧梧桐と激しく対立した。昭和34年(1959年)没。享年85。
※花鳥諷詠(かちょうふうえい)… 昭和初期に高浜虚子が唱えたホトトギス派の主張。四季の変化によって生ずる自然界の現象およびそれに伴う人事界の現象を無心に客観的に詠むのが俳句の根本義であるとするもの。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。

■負うた子に髪なぶらるる暑さかな(斯波園女)

・おうたこに かみなぶらるる あつさかな

・自分が背負った幼子(おさなご)が、私の髪の毛を無心にいじる。ただでさえ蒸し暑い真夏に子どもを背負って大変であるのに、そのうえ後ろから髪をいじられては、いよいよ暑苦しく、たまらないことだ。
・いかにも女性らしい生活実感を伴った句である。(夏・句切れなし)

※負うた子… 自分が背負った子。
※なぶらるる… いじって遊ばれる。
※暑さ… 「暑し」とともに夏の季語。ちなみに「涼し」「涼風(すずかぜ)」なども夏の季語である。
※暑さかな… 暑さであることだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。

※斯波園女(しばそのめ)… 江戸前期の女流俳人。元禄三年(1690年)、松尾芭蕉に師事。伊勢山田(三重県伊勢市)の人。句風は平弱だが素直。享保十一年(1726年)没。享年63。

■大空に羽子の白妙とどまれり(高浜虚子)

・おおぞらに はねのしろたえ とどまれり

・羽子板で突き上げられた羽子(はね)が、新春の大空高くに止まって、鮮やかな白をくっきりと浮かび上がらせている。
・どこまでも青く広い大空に、真っ白な羽子が高く上りつめたその一瞬をとらえている。羽子が空中で静止した時の一瞬の充足が、青と白との鮮やかな対照とともに印象的に詠われている。(新年・句切れなし)

※羽子(はね)… 羽子板でつく羽根。新年の季語。
※白妙(しろたえ)… ①白いこと。白い色。 ②コウゾ類の皮の繊維で織った白い布。また、それで作った衣服。祭祀・儀礼の時の物忌みの服だが、のちに衣服一般を指すようになった。
※とどまれり… 空中高くで一瞬静止したことだよ、と詠嘆を表している。
※昭和十年頃の吟。

※高浜虚子(たかはまきょし)… 明治~昭和期の俳人・小説家。愛媛県松山市生まれ。正岡子規に師事。「ホトトギス」を主宰。客観写生・花鳥諷詠を主張し、定型・季語を離れた新傾向俳句を推進する河東碧梧桐と激しく対立した。昭和34年(1959年)没。享年85。
※花鳥諷詠(かちょうふうえい)… 昭和初期に高浜虚子が唱えたホトトギス派の主張。四季の変化によって生ずる自然界の現象およびそれに伴う人事界の現象を無心に客観的に詠むのが俳句の根本義であるとするもの。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。

■大空にまたわき出でし小鳥かな(高浜虚子)

・おおぞらに またわきいでし ことりかな

・群れをなしたたくさんの小鳥たちが、旋回(せんかい)したり、急降下したりして、天高く澄(す)んだ大空を縦横(じゅうおう)に飛び回っている。ふと視界から消えたかと思うと、また再び湧(わ)き出すかのように現われては、思いのままに飛び回っている。
・大きな空とそれに対比される小さな鳥たちの群れであるが、思いのまま、自由に、そして力強く群れ飛んでいる生命感溢れる小鳥たちの躍動感が生き生きと印象的に描かれている。(秋・句切れなし)

※わき出(い)でし… わき出た。
※小鳥… 雀などの小型の鳥。秋の季語。
※小鳥かな… 小鳥たちであることだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。

※高浜虚子(たかはまきょし)… 明治~昭和期の俳人・小説家。愛媛県松山市生まれ。正岡子規に師事。「ホトトギス」を主宰。客観写生・花鳥諷詠を主張し、定型・季語を離れた新傾向俳句を推進する河東碧梧桐と激しく対立した。昭和34年(1959年)没。享年85。
※花鳥諷詠(かちょうふうえい)… 昭和初期に高浜虚子が唱えたホトトギス派の主張。四季の変化によって生ずる自然界の現象およびそれに伴う人事界の現象を無心に客観的に詠むのが俳句の根本義であるとするもの。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。

■大ぼたるゆらりゆらりと通りけり(小林一茶)

・おおぼたる ゆらりゆらりと とおりけり

・暗闇の中からふいに現われた蛍(ほたる)は、大きく美しい、それでいて儚(はかな)い光を明滅(めいめつ)させながら、悠々(ゆうゆう)と飛んで、そして消えていったことだ。
・無造作な詠みぶりのようであるが、大蛍の鷹揚(おうよう)な様子と、一方でその命の儚(はかな)さとが同時に心にしみて感じられる叙情的な趣のある句である。(夏・句切れなし)

※大ぼたる… 大きなホタル。「ほたる」は夏の季語。
※通りけり… 通っていったことだよ、通り過ぎていったことだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※ゆらりゆらりと… 擬態語、および反復法。大きな光を放ちながら蛍がゆっくり、悠々と飛び去ってゆく様子を印象づけている。
※初句で切れ、また、結句にも詠嘆が込められているので、本来は二段切れ。
※二段切れ… ①一句に切れ字を二つ用いたり、②名詞による切れ目を作ることで感動の焦点が二か所に分散、互いに相殺されることで作品として失敗する場合が多いので嫌われる。しかし、名詞による切れ目は俳句では一般に用いられているので、これを敢えて二段切れと呼ぶ意味合いは薄れている。どちらに強い詠嘆を込めるかは作者の感覚によるところが大きい。
例:
①松籟(しょうらい)や ・ 百日の夏来たりけり(中村草田男)
②赤とんぼ ・ 筑波に雲もなかりけり(正岡子規)

※小林一茶(こばやしいっさ)… 江戸後期の俳人。信濃国柏原の人。14歳で江戸に出て俳諧を学ぶ。方言、俗語を交えて、庶民の生活感情を平易に表現、ひがみ・自嘲・反抗心・弱者への同情心と童心の表れた、主観性の強い人生詩を多く残した。「おらが春」「七番日記」「父の終焉日記」など。文政十年(1827年)十一月十九日(新暦1月5日)没。享年64。
※「おらが春」… 一茶の没後25年経って刊行された俳句・俳文集。文政二年(1819年)、一茶57歳の元日から年末までの1年間の見聞・感想・発句などを収める。題名は「めでたさも中位なりおらが春」による。

■落ち葉焚くけむりまとひて人きたる(水原秋桜子)

・おちばたく けむりまといて ひときたる

①冬のある日、地面に散り敷(し)いた庭の落ち葉をかき集めて燃やしていると、庭中に濛々(もうもう)と広がる煙の向こうから、まるでその煙を身にまとうかのようにして、ふいに来訪者の姿が現われたことだ。
・来訪者が煙の向こうから出現する様子をユーモラスに詠っている。冬の寒気やもの寂しさと対照される、どこかほのぼのとした温もりを感じさせる句である。(冬・句切れなし)
②冬のある日、私を訪ねて来てくれた友人がある。言葉を交わしているその間にも、まるで今庭先で落ち葉を焚く煙を身にまとってやって来たのではと思わせるように、友人は、ほんのりと煙の香を漂わせている
・季節感とともに作者の生活感がにじみ出た句である。冬のもの寂しさと対照される、どこかほのぼのとした温もりをも感じさせる。(冬・句切れなし)

※落ち葉焚く… かき集めた落ち葉を燃やす。「落ち葉焚き」と同様、冬の季語。
※落ち葉… 散り落ちた木の葉。冬の季語。季節を秋と間違えやすいので、テストで頻出。ちなみに、「枯れ葉」も冬の季語であり、やはり秋の季語と間違えやすいので注意。
※まとひて(まといて)… まとって。「纏(まと)う」は、巻きつく、絡みつく、まといつく、の意。また、「ドレスをまとう」のように、「身につける」の意でも使われる。
※人きたる… 人がやって来たことだよ、と詠嘆を表している。

★季節の境目に当たる風物には特に小学生にとっては判断に迷う季語が多い。日がな一日机に向ってばかりいるのではなく、普段から季節の移り変わりやその風物にも関心を持ち、人と人との関わりを大切にし、視野を広げ、世の中の動きにも目を向け、考える姿勢が大切。

※水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)… 大正・昭和の俳人。東京生まれ。東大医学部卒業。医学博士。高野素十、阿波野青畝、山口誓子らとともに、名前の頭文字を取って「ホトトギス」の四Sと称された。近代的な明るさと都会人風の洗練された感覚、豊かな抒情を詠うその句風は、それまでの伝統的な俳句の境地を断然抜け出したものであった。しかし、その主情的な傾向は、「ホトトギス」の写実的傾向と一致せず、高浜虚子らと対立、昭和六年、「ホトトギス」を去る。のち「馬酔木」を主宰し、新興俳句の先駆者となる。昭和56年(1981年)没。享年89。
※「ホトトギス」… 俳句雑誌。明治30年(1897年)創刊。正岡子規、高浜虚子らが主催。写生を主唱として今日に至る。夏目漱石の小説も掲載され、また、写生文の発達にも貢献した。

■斧入れて香に驚くや冬木立(与謝蕪村)

・おのいれて かにおどろくや ふゆこだち

・葉をすっかり落としきって、枯れ木のようになった冬木立の中の一本の木に、勢いよく斧(おの)を打ち込んだところ、思いがけなく切り口から生々しい木の香りが漂った。木の秘めた生命力に驚かされたことだ。
・思いがけなく生き物の命に触れた時の驚きをとらえた感覚の鋭い句である。(冬・ニ句切れ)

※香(か)… 香り。良いにおい。
※おどろくや… 驚いたことだなあ、と詠嘆を表している。
※冬木立(ふゆこだち)… 冬枯れの木立。冬の季語。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※体言止め。

※与謝蕪村(よさぶそん)… 江戸中期の俳人・画家。摂津の人。客観的写生を重んじ、印象的、絵画的な特色を句風とし、明治になってから正岡子規の共鳴を得て生存当時よりはるかに高く評価されることになった。松尾芭蕉に復することを目指し、天明の中興俳諧の祖となった。「新花摘(しんはなつみ)」「蕪村句集(没後刊行)」など。天明三年(1783年)没。享年68。

■おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな(松尾芭蕉)

・おもしろうて やがてかなしき うぶねかな

・初めて鵜飼(うかい)なるものを見たが、多くの舟を出し、かがり火を焚(た)いて、河水にはその赤い炎が美しく映り、にぎやかに漁が行われるので、初めはもの珍しくもあって面白く見物していたのであるが、それも終わって舟も見物人も去った後には、今までが華(はな)やかであっただけに、いっそう寂(さび)しくもの悲しいたたずまいとなり、私の心にも言いしれぬわびしさが襲ってきたことだ。思い返すに、飲み込んだ魚を鵜(う)に吐(は)かせるというのも、何か罪深くあさましい所業に思われてくるものだ。
・華やかな鵜飼が終わった後の静寂の中、ふいに襲ってきた侘(わ)びしさと鵜の哀れを詠っている。(夏・句切れなし)

※鵜舟(うぶね)… 飼い馴(な)らした鳥の鵜(う)を使い、鮎(あゆ)などをとらせる漁をするために乗る小舟。特に岐阜県長良川(ながらがわ)の鵜飼(うかい)が有名。鵜舟の舳先(へさき)に焚(た)いたかがり火が水に映った様子が幻想的(げんそうてき)で美しい。夏の季語。
※鵜舟かな… 鵜舟であることだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※字余り(18音)。
※貞享五年(1688年)、夏、現岐阜県の長良川(ながらがわ)で鵜飼(うかい)を見た折の句。
※長良川の鵜飼… 毎年五月から十月にかけて行われる。1300年ほど前から古典漁法として行われてきたが、現在は観光行事としてのものである。鵜飼に使用する鵜は川鵜よりも体が大きく丈夫な海鵜である。
※ 鵜飼(うかい)漁では、鵜匠(うしょう)が鵜の首を締(し)めて魚を吐(は)き出させているわけではなく、また、鵜の首に付けられた紐(ひも)を鵜匠が引いても鵜の首を締(し)めて苦しませることがないような工夫がされているとのこと。

※松尾芭蕉(まつおばしょう)… 江戸前期の俳人。伊賀上野の人。江戸深川の芭蕉庵に移った頃から独自の蕉風(しょうふう)を開拓。各地への旅を通じて、不易流行(ふえきりゅうこう)の思想を形成し、俳諧を文芸的に高めた。「おくのほそ道」「野ざらし紀行」「更級日記」「笈の小文」など。元禄七年(1694年)十月十二日(新暦11月28日)没。享年51。
※蕉風(しょうふう)… 松尾芭蕉およびその門流の信奉する俳風。美的理念としては、幽玄、閑寂を重んじ、さび・しおり・細み・軽みを尊ぶ。
※不易流行(ふえきりゅうこう)… 蕉風俳諧の理念の一つ。俳諧には不易(時代を超えて変わらないこと)の句と流行の句とがあるが、流行の句も時代を超えて人々に訴えればそれは不易の句であり、ともに俳諧の本質を究めることから生じ、根本は一つであるという論。
※「おくのほそ道」… 松尾芭蕉の俳文紀行。元禄二年(1689年)3月末江戸を出発し、東北・北陸を巡り美濃大垣(岐阜県)に至る約150日間、およそ六百里(約2400㎞)の旅日記。洗練された俳文・俳句は芭蕉芸術の至境を示している。元禄七年(1694年)頃成立。元禄十五年(1702年)刊。芭蕉自身は「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」という表記を好んで用いていた。原文の題名もこの表記となっている。

■折りとりてはらりとおもき芒かな(飯田蛇笏)

・おりとりて はらりとおもき すすきかな

・風に吹かれるままなびくのを見たりするといかにも身軽そうなすすきだが、一本折(お)りとって手にすると、はらりとなだれるように穂(ほ)が垂れ、思いがけずその重みに驚かされたことだ。
・見た目には感じない生命の重みに感動している。(秋・句切れなし)

※折りとりて… 折りとって。
※芒(すすき)… イネ科。カヤ。秋の七草の一つ。秋の季語。テストで頻出。ちなみに「枯れすすき」「枯れ尾花」は冬の季語なので注意。
※芒かな… すすきであることだよ、と詠嘆を表している。
※切れ字… 「かな・けり・や」などの語で、①句切れ(文としての意味の切れ目)、②作者の感動の中心を表す。
※はらりと… 擬態語。

※飯田蛇笏(いいだだこつ)… 大正・昭和期の俳人。山梨県生まれ。高浜虚子に師事。感覚的で荘重な句風が特色。昭和37年(1962年)没。享年77。