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「東郷ビール」なんてありませんで紹介したように,
フィンランドは,
・ロシアの圧政に苦しんでいた(藤岡信勝氏)
・ロシアに押さえつけられていた(青葉出版株式会社 社会科資料集)
・ロシアの圧迫に苦しんでいた(古川清行氏)
・ロシアの進出に苦しめられていた(小学館編集部)
であったり,
作家五木寛之氏が「霧のカレリア」(昭和42年)の中で「長い間帝政ロシアに支配され苦しみ続けてきたフィンランド人は,日露戦争に勝利しフィンランドの独立に寄与した日本人に親密な友情を感じている(筆者要約)」と言うように,果たしてフィンランドは本当にロシアの圧政に苦しんでいたり,圧迫に苦しんでいたのでしょうか?,それも109年間の長期にわたって。
結論から言えば必ずしもそうとは言い切れません。
ヘルシンキの元老院広場(Senaatintori)や朝市の広場(Kauppatori)に立った時,なんとなくロシア風の町並みを感じます。また,東京の銀座通りに匹敵するヘルシンキの目抜き通りアレクサンテリンカトゥ(Aleksanterinkatu,アレクサンドル通り)は,アレクサンドル1世の名を冠していますし,元老院広場の中央に立つ銅像は,アレクサンドル2世像です。これらの例はほんの一部です。
政権が崩壊すると権力者の銅像が引き倒される現実世界で,なぜフィンランドではロシア風の町並みがあり,ロシア皇帝が尊敬され,通りの名や銅像として今でも残っているのでしょう。
そこには東西大国に挟まったフィンランドの地理的条件と歴史的条件,これらを克服しようとするフィンランド人達の知恵が複雑に絡み合っています。
まず初めにフィンランド史の概略をご覧ください。
1155〜1809年
スウェーデン王エーリックが十字軍と称しフィンランドに進攻し,フィンランドをその支配下におきました。ここから約650年の間,フィンランドはスウェーデンの1州として政治的抑圧,経済的搾取の中で統治されてきました。スウェーデンの覇権とロシアの西進がフィンランドでぶつかり合いフィンランド人の生活は両国に蹂躙されてきました。
1809〜1899年
フィンランド戦争によってロシアはスウェーデンからフィンランドを奪い取り,フィンランドをロシア皇帝の大公国としました。
ロシア大公アレクサンドル1世は,フィンランド人によるフィンランド統治を認め,宥和政策を採りました(認められなかったのは外交権など対外政策のみです)。このためフィンランド人はロシア皇帝に忠誠を誓い,これによって初めてフィンランドに天下泰平の世が訪れ,それが約90年に及びました。この間にフィンランド人は独立に向けた知恵を蓄え,国づくりの基礎を着実に積み上げました。
1899〜1917年
19世紀中頃からヨーロッパ情勢が急激に変化し,それに伴って1899年ニコライ2世はフィンランドに対して宥和政策を中止しようとしました。この頃から1917年の独立まで,フィンランド人たちは90年間培った政治的知識と国民の団結力で大公の圧力をはねのけました。
1917年〜
ロシア国内の政治的動揺に乗じてフィンランドは一方的に独立を宣言しました。その後フィンランド国内でフィンランド人同士が血を流す内戦が勃発しましたが数ヶ月で終わり,国際的承認を得て現在につながる国家建設が始まりました。
1809年から1917年のロシア統治時代を,現在フィンランドの高等学校で使われている歴史教科書を中心にその他若干の資料を交えてお届けします。
【1-0】
ロシア皇帝の庇護のもと大公国として独立に向けた知恵と力を蓄えた時代(1809-1899年代)
【1-1】政治の面から
【1-2】社会の面から
【1-3】アイデンティティーの醸成
【1-4】国民教育の充実
【1-5】目覚める国民
【1-6】政党の誕生
【2-0】建国の戦い(1899-1917年代)
【2-1】第1次抑圧時代
【2-2】フィンランド議会改革
【2-3】第2次抑圧時代へ
【3-0】独立そして内戦(1917-1919年代)
【3-1】高次元の問題
【3-2】独立とその承認
【3-3】赤白内戦
【3-4】終戦の春
【3-5】67日間の王制
文中の青文字は,訳出並びに引用部分で出典は次のとおりです。黒文字は筆者のもので文責は私にあります。また,本ディレクトリー内の「参考図書・参考Web一覧」以外の著作物著作権は筆者にあります。
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