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【1-5】目覚める国民

 【1-2】で述べたように1868年の大飢饉を契機としてフィンランドの産業構造は大転換し,産業革命の波に乗って工業化が一気に進んだ。そこへ農村の余剰人口が大都市へと流入し,工場労働者として就労した。工業というものは一定レベルに教育された人材を要求する。当然,新しく出来た学校教育制度の後ろ盾があって,充分教育された者が就労することになる。「フィンランド人自身が保守的で自らの境遇に甘んじる国民性で」ある(【1-4-1】)といったが,教育のお陰で自らの境遇を切り開くことができる新しいフィンランド人が誕生し,新しい流れが生まれた。次の一文をご覧いただきたい。

労働者の目覚め

 1800年代フィンランドの労働運動は大衆運動に育っていなかったが関心は驚くべきものがあった。1871年にパリでコミューンが設立され,無政府主義のテロ活動が人々を扇動していた。新聞報道によってフィンランドでも労働運動は無政府主義の方向に傾いたが,ユルヨ コスキネン(Yrjö Koskinen)は1874年その著述「労働者問題 Työväenseikka」の中でフィンランドにはまだ社会主義は根付いていない,と述べた。その10年後にはヘルシンキに労働組合が設立された。
 最初できたいくつかの労働組合は,教育ある人々が設立した。ヘルシンキにできた労働組合の設立について設立者であり工場主である,Julius von Wright(1856-1934)は1884年,次のように言っている。
 「我々がすべきことは経済的な生活をし,人と親しくし,よりよく生き,学校に通い,新聞を読み,演劇を観,本や会話から知識を吸収する普通の人になれるよう,いろいろの方法で労働者階級の地位向上とそれ自身を強力にすることである。これらの興味が社会生活をよりよく営めるよう国が準備した学校で国民を教育し,社会生活の場を提供することであって,今のように社会化させる以前に労働者が公的権利を享受する希望がもてないということがとても重要なことである。」
 多くの男女労働者は,善良な社会を多くの人々で満たすよう価値を高めることを約束したため,ともに歩み始めた。社会主義は充分に浸透しておらず,そして運動の現実主義の影響は,普通の市民の理想から,また国民の考えから,そして聖書の教えから来ていた。

 タムペレTampere労働組合の年報1897年版には,「労働運動こそが真の愛の仕事だ」と明言されている。労働組合は,それ自身大きな獲得した価値にまで高めた。文学,演劇,合唱などは,組合の当然の業務となった。その他の運動の初期段階では,職務上の利益を守ることであった。屋外労働者は,職業別組合が出来る前に業務毎に労働条件の下限を要求した。数百人に満たない地方労働組合では,1899年に設立されたフィンランド労働組合に合流した。
 この頃になると運動のブルジョワ階級の大部分は,脇に寄せられ,実権は労働者が握った。この人々の中に社会主義を学び,社会問題化して来た資本主義の根本を理解する者が出てきた。新たな学習が浸透し,1895年「労働者」紙が発刊された。しかしながら多くの人はその予感を持っていたが,社会主義は労働者側にまだ労働運動が彼らの生活を守ってくれるという沢山の反応が返ってこなかった。多くの都市の労働組合では1890年代,課題の最も重要なものは労働者の地方議会の選挙権と禁酒法であり,地域の議論を沸騰させた。地方では労働者の多くが住んでいたが,労組はまだなかった。
(出典:[01])

労働運動と職業組合の誕生

 工業がはじまった頃労働人口の増加とそのために起こる労働力の投売り状態の賃金とで工業労働者の生活水準,給与は,まったく最悪であった。工場主,Julius von Wright(1856-1934)は1884年)は,1884年,ヘルシンキに工場労働者半数,工場主半数の労働組合同盟を設立した。ライトは,社会主義思想がフィンランドに到来し,階級間の衝突(が起きるであろうことを予見し,これ)を防止すべきであると考えていたが,実際にそうなってしまった。工場労働者は社会主義の考えを支持した。ライトの組合の足跡の後にはいくつもの組合が各地に生まれた。
 しかしながら1890年代に入ると工場労働者は,資産家や市民階級から分離し始めた。1899年ライトの考えから離脱して労働組合代表者会議は,「フィンランド労働組合」を組織した。その4年後,組合は社会主義の道を行くことになり,「フィンランド社会民主党」と名を変えた。
 政策の統一に加え,工業の影響力が強大に育ったため,労働者の利益や給与の引き上げを要求するようになり,労働者は「フィンランド職業別組合」を1907年設立した。
(出典:[28])


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