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【 0 】スウェーデンの統治時代 (1155〜1809年)

 スウェーデンのフィンランド統治は,1155〜1808の約650年間に及んだ。その間フィンランドはスウェーデンの1州としてスウェーデン議会へ代議員を送る地位を約束されていたが,恩恵を受けたのはスウェーデン人と一部のスウェーデン系フィンランド人ばかりで,フィンランド人にとって実態は植民地として扱われていた思いに変わりはない。
 スウェーデンは隣国ロシアと領土問題で互いに争い,フィンランドは,その領土争いの場となり,フィンランド人はスウェーデン兵として徴用されてきた。

 フィンランドがスウェーデンとロシアの狭間でロシア領になったり,スウェーデン領になったりした状況は国境線の前進・後退からもはっきり読み取れる。☆ご参照ください。☆

写真:jussih
切手になったミカエル・アグリコラとABC読本

 このような時代だったからフィンランド文化は大きく発展することはなく,ゆったりと進展する。例えば,ミカエル・アグリコラ(Mikael Agricola, 1508〜1557年頃)が1548年に「新約聖書」をフィン語訳し,出版した。同時に「ABC kirja(ABC読本)」を刊行した。これはそれまで文字をもたないフィンランド語の表記法を確立したこと,話し言葉ではなく書き言葉を確立したことでも画期的なことであった。 その後,時代は下って1770年,最初のスウェーデン語新聞が発刊され,その6年後,1776年には最初のフィンランド語新聞が発刊された。しかし,新聞が読める人は教育のある社会の上層階級であり,国民全体からすれば,貴族や僧侶,官吏などのごく一部の限られた人に止まっていた。

 スウェーデンの統治時代を通してフィンランドの基本産業は,農林業である。農業は寒冷地でありながら土地は氷河期に堆積した肥沃な土で割合良い農地を提供した。それでも農地の下の岩盤の位置や形状によって農業に適さない農地もあり,陽の当り具合でまったく収穫を得ない農地もあった。このような農地を持った農家は飢えることになるため,「農地計画利用配分制」(Sarkajako)でこのようなリスクを最小限に抑えるようにした。

松を蒸し焼きにしてタールを採取する

 大型帆船時代,ヨーロッパではフィンランドの木材が船建材として尊重された。木造船時代を過ぎた今,家屋建築材として輸出されている。  同様に,フィンランドの豊富な松からは,木造船の防腐・防水材として植物性タールが採取され,輸出された。黒船が黒かったのはこのためである。植物性タールは,鉱物性タールにとって代わるまでフィンランドの外貨の稼ぎ頭であった。
こちらにカイヌー地方のタール産業の様子(フィンランド語)があります。

Tervanpolttoの要約

写真:jussih
海運で巨万の富を築いた船主の家 Rauma市

ヨーロッパに近いフィンランド西部の港町では,木材やタールの運搬など,海運業で財をなすものも現れた。(左の写真)


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