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【1-0】ロシア皇帝の庇護のもと大公国として独立に向けた知恵と力を蓄えた時代(1809-1899年代)

 東西の大国の狭間にあっていつ占領統治されてもおかしくない時代に国力の弱いフィンランドがロシアの傘下に入ったことは多くのフィンランド人にとって幸せであった。フィンランド人がスウェーデンの支配から解放され,ロシアのフィンランド併合をどのように受け止めたか,フィンランド人1少佐の回顧録では次のように言っている。

 スウェーデン王国の下でフィンランドは何か得るものがあったのだろうか。単に何百年にもわたって戦場としてのみあった。およそ20年毎に畑やふるさとに自らの血を流し続けてきた。毎回何千人もの多くの人の命を失い,取り返しのつかない被害を受けてきた。だからいまだに国土の3分の1が荒廃のままである。20年毎にやっと立ち直り,再び人口が元に戻り財産が元通りになると,いつも破壊しつくす戦いと平和になっても税が加算され,税によっては本国スウェーデンよりも重く課税された。このようなことがこの国の運命だと何百年にもわたり続いてきた。
 スウェーデン国内では百年に1つでも戦争があっただろうか。スウェーデン人は自らの畑に血を流したことはあっただろうか。人々は殺されることもなく,そのため富はスウェーデンの側に富んだ。スウェーデンの一地方でいることがフィンランドにとって諸悪の根源であった。
 私の見るところでは,フィンランドはロシアを後ろ盾に置いていれば,ロシア帝国がある限り,今後戦場となることは決してないだろう。
(出典:[01])

 この回顧録は,多くのフィンランド人の気持ちを代弁していた。

 フィンランド戦争の惨敗の結果スウェーデンがフィンランド州をロシアに割譲した。ロシア統治が始まった1809年から独立(1917年)までの109年間のうち,最初の90年間は歴代ロシア皇帝の庇護のもと平和と自由な社会活動が許され,その陰で独立に向けた体力と知力を着々と蓄えた貴重な時間であった。
 この90年間を特徴的に捉えれば,
政治面では形だけの統治者がいたが実質的にはフィンランド人自身が自由に国内運営(政治)を企画決定して実行できたこと(【1-1】参照),
平和がやってきて生産が伸び経済的にゆとりが生まれたこと(【1-2】参照),
フィンランド人としての自覚が生まれアイデンティティーの醸成にリーダーシップを発揮した人々がいたこと(【1-3】参照),
国民の知的レベルを底上げする教育制度の充実が図られたこと(【1-4】参照),
産業革命の波が押し寄せ工場労働者の人権向上が労働者の手で図られたこと(【1-5】参照),
政治に参加する人があらゆる階層で増え党活動が活発化したこと(【1-6】参照
などが融合しあって,続いてくる弾圧の時代に耐え,これを跳ね除ける知恵を培った,といえる。


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