「殺りん小説」&犬夜叉全般取扱い処

【 犬夜叉版雨月物語 】


以前ブログを使用した投稿型企画『雨月物語企画』の跡地&継続シリーズ作品置き場です。
『雨月物語』と『犬夜叉』のコラボレーションというか、まさしく『犬夜叉版雨月物語』
両作品のもつ幽玄で妖しい雰囲気が少しでもお伝えできたらと思っています。

『雨月物語』を未読な方にも楽しんでもらえるように、管理人の主観交じりぶっちゃけた原典の簡単なあらすじを作品別に付けています。拙い要約文ですが何かの参考になればと記しました。
今回この文章を纏めるのに参考にさせて頂いた文献は、ちくま学芸文庫版「雨月物語」に依ります。あらすじの横の作品タイトルから該当作品に移動できます。
それではどうぞお楽しみ下さい。


*未完の作品もそのまま掲載しています。こちらの更新は気長に待って頂けるとありがたいです。


■■ 白 峯 ■
曲 霊( まがつひ) − 翠子・桔梗  汐崎雪野様

崇徳院御霊と西行法師の話。
崇徳院は現役バリバリの時代に、当時の鳥羽上皇とその愛妃との子である僅か3歳の近衛帝(崇徳帝にとっては異母弟)に帝位を譲位させられ、その近衛帝が幼くして崩御すると今度は崇徳院の弟(…ややこしい話なのですが、この弟は異父弟^_^; と言うより、崇徳院が鳥羽上皇の子供じゃないので)に帝位を継がせる。

崇徳院親子(今でもそうですが、本来帝位は長子継承が建前です)は父帝である鳥羽上皇に冷遇され、思い余って上皇の死後間もなく弟である後白河院との間に保元の乱を起こすが、源義朝の裏切りで大敗しそのまま流刑地にて没す。
名君の誉れ高い崇徳院ではあったが、深い恨みつらみを残したまま死んだので、祟り神のような悪霊にまで成り果てている姿に言葉を尽くして諌める西行法師。

しかしその言葉はもう院の耳には届かず、その後に続く戦乱の世はこの院の【呪】なりと。実に恐ろしきものは人の【念】なり。この院の祟りが原因と言われている戦乱は、保元の乱・平治の乱・平氏滅亡の壇ノ浦まで続く。
(…いや、元寇の役から鎌倉幕府の滅亡まで、かも^_^; 弟に帝位を取られた恨みがそのまま源頼朝・義経兄弟の確執の原因だったりしたら面白いかもv)





■■ 菊花の約(ちぎり)■
身も心も−殺りん sumi様…未完です
蛇骨ものがたり − 【あやかしHP】末法様より

清貧の学者左門と軍学軍師赤穴の義兄弟、約(ちぎり)の話。
主家の滅亡を機に故郷へ戻る旅の途中で重い病に倒れた赤穴。周りの者が病の移るのを嫌がって持て余していた所を、誠心誠意真心を尽くして助けた左門。お互い話してみると、すっかり意気投合。ここに義兄弟としての約を結ぶ。(…この辺り、やの字っぽい^_^;)暫く後、赤穴は故郷での後始末を終えたら必ず戻って来るからと、戻る期日も取り決めて故郷へと旅立つ。

左門が心待ちにしていたその約束の日、なかなか着かない赤穴を待ってすでに日暮れ、ふと目をやった薄暗がりに立つ赤穴の姿。喜び勇んで家中に招き入れ様とすると、それを断る赤穴。訝しむ左門に赤穴が告げたのは、もう自分はこの世の者ではないと言う事。故郷に戻ってみたらその軍師の力が徒になり、幽閉されたまま今日という迎えてしまった。左門との約束を破り信用を失うくらいなら、魂魄だけの姿となり千里の道も駈け抜けこの身の誠実さを伝えたい。ただそれだけ伝えると、夜の闇に消えて行く赤穴。その思いを知り号泣する左門。





■■ 浅茅が宿 ■
あさきゆめみし1 (殺生丸Ver) ・ あさきゆめみし2 (りんちゃんVer) 杜
道標−みちしるべ− (犬かご)  井戸端草紙・れっかぽん様

勝四郎とその妻・宮木の話。
下総の裕福な家に生まれた物事に拘らない性質の勝四郎は、家業の農業を嫌がって身を入れなかった為、家財は傾き親戚からも疎ましがられるように。そうなって、これではイカン!! と発奮し知り合いの商人を頼りに、家に残った家財のあらかたを処分して絹を仕入れ、京へ商売の旅に。妻・宮木は残される者の心細さを思いながらも夫を送り出す。

商売は上手く行ったものの戦や山賊に襲われたり病気になったりと、勝四郎は身動きが取れなくなる。宮木もいつ戦場になってもおかしくない家を、勝四郎の「秋には帰る」の言葉のみを頼りに、守っている。もともと美人の誉れ高い宮木だけに誘惑も多いがそれをガンっと跳ね除け、ひたすらに勝四郎の帰るのを待ちつづける。

病気に倒れた勝四郎は親切な家の客人としてもてなしを受けながら、七年もの間故郷を離れてしまった。その間、故郷を宮木を思わないではなかったが、噂では戦場になり焼け野原になってしまったと聞いて半ば諦めていた。だけどある時、自分のいる京でさえ至る所に死体が転がっている悲惨な有り様。こんな状態ではいつ自分が死ぬかも判らないのに、もし故郷で妻が待っていたとしたらそのままにしていてはいけない! せめて自分に出来る事を思い帰路につく。すでに妻は死んだものと思いながら。

帰りついた故郷は見るも無惨に荒れ果て、住む者も居ないような荒涼とした眺め。我が家と思うあばら家に声をかけてみると、中からなんと妻の声が。お互い再会出来た事を喜び、その夜は尽きぬ思いで睦み合う。夜が明けて勝四郎が目覚めた時には宮木の姿はなく、朽ち果てた廃屋の奥の寝所に、塚一つ。妻・宮木の弔い塚であった。





■■ 夢応の鯉魚 ■
ゆめのあとさき−弥珊  杜

画僧で高僧・興義の夢の話。
絵の名人の興義はまた慈悲の心篤い僧で、湖の漁師が取った魚を銭を払って買い取り、そのまま放してやって生き生きと遊び泳ぐのを描くと言う様であった。有る日夢の中で大小さまざまな魚たちと楽しく遊ぶ夢を見てそれを絵にしたところ、余りの見事さに欲しがる者が続出。それを「生き物を殺し鮮魚を食べる世俗の人に、法師の私が養っている魚は決してあげられない」と、冗談を言って煙に巻く。

ところがこの興義、急病で七日寝ついて急に目を閉じ、息絶えてしまった。お弟子さんたちは、まだ微かに温かみが残っているのでそのまま見守っていると、果たして三日後に息を吹き返し、不思議な夢を見たと話す。

それは興義が金色の鯉になって湖を楽しく自由に遊ぶ夢。途中でどうしてもお腹が空いて、目の前の美味しそうなものに食い付いたら、釣り上げられてしまって…。顔見知りの屋敷に連れてこられて、話しかけようとするけど、声が出ず口をぱくぱくするばかり。まな板の上で捌かれる!! と思った瞬間、息を吹き返したと。

その話を夢の中に出てきた屋敷に行って話すと、その屋敷の台所には金色の鯉の膾(なます)が有ったと言う。





■■ 仏法僧 ■
邂 逅 … 【井戸端草紙】れっかぽん様より

僧形の楽隠居・夢然と末子で石頭気味の作之治の話。
夢然は融通が利かなくてイマイチ面白みに欠ける作之治に少しは粋や風流の気風を教えようと二人連れ立って、京見物に。そのついでに高野山にも足を伸ばす。

途中思いもかけず時間がかかり着いてみたら、もう日暮れ。泊めてもらおうと声をかけるが返事はなし。通りかかった人に聞いてみるとこの寺の関係者でないと誰も泊められない決まり。仕方が無いので、霊廟でお篭りしつつお経を上げて夜更かししていると、どこからともなく仏法僧の鳴く声が。

それと共に上級の侍を従えた貴人が現れ、夜宴を始める。一体何事かと物陰から見ている夢然を指し示し、歌を詠めと言い付かる。何処のどなたかと尋ねれば、この地にて自刃して果てた殺生関白こと豊臣秀次公とその一派。さては、これは亡霊かと震え上がるも逆らえず。

生きた心地もしないまま、どうにか夜明けを迎えそうな気配。亡霊達も浮き足立ち、行き会った土産とばかり夢然親子を連れて行こうとするを、老臣が「まだ寿命の尽きてぬ者。今までのような悪行はなりませぬ!」の言に助けられ、無事高野山を下りる事が出来たというお話。





■■ 吉備津の釜 ■

身持ちの悪い夫・正太郎と貞淑な妻・磯良の話。
昔、吉備の国に正太郎と言う酒は飲むは女遊びはするわの、極道息子を持つ裕福な老夫妻がいた。この息子の行状を改めさせようと、美しく性格も良い吉備津神社の神主の娘である磯良を正太郎の嫁にする。
この結婚の際に、この縁が良い物かどうか吉備津の神様にお伺いを立てるため、【お釜祓】を執り行う。これは吉兆ならば釜は牛が吼えるが如く鳴り響き、凶兆であれはひそとして音もなし、という占い。
正太郎・磯良の縁組に釜の音は無かったのだが、執り行った者が穢れていたのだろうと、そのまま結婚させてしまう。

初めのうちこそは仲の良かった正太郎夫婦だったが、元々が遊び人の浮気者。とある遊郭の遊女・袖にすっかり入れ揚げ、挙句 家の金を持ち出して袖を身請けし、別宅を与えて囲う始末。この不行状に正太郎の両親はすっかり腹を立て、正太郎を屋敷に閉じ込めてしまう。磯良は、そんな正太郎であっても心を込めて尽くす。

そんな磯良を言葉巧みに騙し正太郎は自分の愛人の面倒を見させ、ついには愛人と縁を切るに当たって、その身が立つようにしてやりたい。都に連れていって、屋敷奉公でもさせようと思うので、その旅の支度を整えてくれと嘘をつく。
それを真に受けた磯良は自分の持ち物全て金にかえ、足りない分は実家の母にも嘘をついて工面して渡す。それを手にした正太郎・袖の二人は都へ駆け落ち。騙された事に気付いた磯良は、その恨みから重い病気になって寝ついてしまう。

一方、駆け落ちした正太郎・袖の両人は都に行く途中、袖の従兄弟の所に立ち寄り、従兄弟の勧めもあって近くに所帯を構える。ところが少し前から風邪気味だと言っていた袖の様子がどうにもおかしい。
何かに取り付かれた様に、急に泣き叫んで見たり、苦しんだり。従兄弟は、熱の所為だろうと簡単に言っていたが、ますます具合は悪くなり七日目には死んでしまう。

袖の墓参りをしていると、その横に新しい墓があり女主人の代りに墓参りに来ていた使いの女と知り合う。その女の話す【美人】な女主人に気を引かれ、親しい者を亡くした同士、話して慰めあいたいと申し出る正太郎。
が、その屋敷に出向いて見ると…、そこには死霊と化した磯良。

磯良の死霊から逃れようと、法師の教えに従い42日間の物忌みを続け…(この辺りは牡丹灯篭をイメージして下さい^_^;)、その最後の夜。夜が明けたと思い、護符の貼ってある扉を開くと、外はまだ夜。物凄い叫び声を聞いて袖の従兄弟がそこに駈け付けると、壁には夥しい血の流れと近くの松の枝に正太郎の髻(もとどり・ちょんまげ)だけが夜の風に靡いていた。





■■ 蛇性の婬 ■

学者肌で実家の居候的な豊雄と蛇神の化身・真女児(まなご)の話。
性格優しく学者肌で風流を好み見目も良い豊雄が、学問の師の下から帰って来る途中、急に雨に降られ父の知り合いの漁師の小屋で雨宿りをする。そこに十四・五歳の可愛い侍女を連れた、二十歳ばかりに見えるそれは雅やかな美しい女人・真女児に雨宿りをさせて欲しいと声をかけられる。暫らく一緒に雨宿りをして、言葉を交わしなかなか止まない雨に、知り合いの漁師から借り受けた傘を無理に持たせて濡れ無い様にして送り出す。

初めて会ったのに夢で見るほど惹き付けられて傘を返してもらうのを口実に、昨日聞いていた住所を訪ね立派な屋敷に招かれる。真女児の話では、既に身より・縁者も自分にはなく、唯一頼みとしていた夫にも先立たれ、寂しい身の上。どうか自分と結婚してもらえないかと、持ちかけられた。
豊雄にすれば、願っても無い話。しかし自分には妻を迎えるだけの財はなく、実家に居候している身だから親兄の許しを得てからと言えば、真女児は自分の気持ちだと立派な宝剣を豊雄に与える。

が、その宝剣は熊野の宝物蔵から盗まれた神宝の一つ。あらぬ疑いで国司に捕まる豊雄。真女児は盗人の一味と、その屋敷に向かえばそこは豊雄が見たのとは比べ物もないようなあばら家。その座敷の奥に真女児が控え、雷鳴ともども姿を消し、後には盗まれた宝物が。その事で豊雄が妖怪に誑かされたのだろうと罪を減ぜられ、豊雄は療養も兼ねて大和の姉の所に身を寄せる。

そこへも真女児主従は現れ、豊雄の姉夫婦に事の経緯は話して聞かせる。曰く、女人の身で何故、盗人など出来ようか? 妖怪変化の類であれば昼日中、人通りの多いこんな街中にどうして現れようか? と(えっと、この本での妖怪の見分け方って項目があったんですけど、着物に縫い目がなくて、太陽に向かって影が出来ないのがそうだそうです。笑)自分の身を守るため、そんな芝居を打っただけですと姉夫婦を説得し、とうとう豊雄と本当の夫婦になる。

年明けて吉野の花見物に出掛けた折、真女児は大和神社に仕える神人の老人にその正体を見破られ、豊雄の前を去る。その神人の老人は真女児のようなモノに憑かれたのは豊雄の自立しないその性格のせいだと説かれ、いつまでも姉夫婦の居候でいた自分を反省し故郷に戻り親兄に孝行しようと誓う。
その豊雄の心根を受け取り、親兄はそんなモノがもう憑かないように身を固めさせようと決め、都帰りの才女の婿とする。

しかし、ここでもその才女・富子に真女児が取り憑き、豊雄から離れようとしない。これ以上自分のせいで、周りの者に害が及ぶのは忍び難い。己の身一つですむものならと、決心を固めその旨を伝えると、義父が「道成寺の前住職である法海和尚に、ご祈祷をお願いしてみよう」と。 この僧の力で真女児主従は鉄の鉢に閉じ込められ、道成寺の境内に埋められ封印された。こうして豊雄は一命を取りとめたが、真女児に憑かれた富子は間もなく死んでしまったと言う。





■■ 青頭巾 ■
鬼蜘蛛 −月の夜 雨の夜−  鬼蜘蛛×桔梗  末法様(あやかしHP管理人様)
聖 餐 − 殺りん 杜

快庵妙慶禅師と愛童食肉の阿闍梨の話。
諸国行脚の旅を続けていた快慶禅師が日暮れある村に立ち寄ったところ、いきなり村人たちが「鬼が来た!」と口々に叫んで襲いかかってきた。言われない事なので、その中の主人と思われる者に、「こんなやせ法師に何が出来よう。一晩の宿を頼みたく…」と声をかけると、たちまちに誤解は解け、その主人の家に泊めてもらう。

主人が言うには、禅師を鬼と間違えたのは実はこの地に死肉を喰らう鬼が夜になると出てくるからで…、と。その鬼、もとはこの村里の山の上にある由緒正しい寺院の住職のなれの果て。学高く修業も積んだ徳の高い住職であったが、客僧として呼ばれた先の寺にいた寺小姓のあまりの美童ぶりに連れ帰り、その寺小姓にすっかり溺れて日々の修業もお勤めの疎かになってしまった。

その小姓がこの春先、ちょっとした風邪をこじらせあっと言う間に死んでしまった。阿闍梨の嘆き・悲しみの程は尽くし難く、余りに想いが深い為、その遺体を焼く事も土に埋める事もできなかった。生きていた頃と同じ様に愛で続け、遺体が腐敗して行くのを惜しみ、ついにはその遺体を骨も残さず食べてしまいとうとう鬼になってしまったと、話して聞かせる。

禅師は、それは村の人もお困りだろうと。またその鬼になった阿闍梨も、前世での決まり事であったのかも知れないが、それでも徳の高い立派な僧であったのだから、その小姓を引き取らねば道を踏み外す事もなかっただろう。よくよく説き聞かせもとの立派な僧に立ち戻らせるのが、今夜泊めてもらったお礼になるでしょう、と言って翌日の夕暮れ間際その山寺を訪れる。

訪ねてみると、ぼろぼろに痩せこけた老僧が一人。泊める事は出来ぬと言うのを無理に押し切り、禅師はその夜そこに泊まる。夜が更け月が光を増す頃、阿闍梨は狂った様に禅師の姿を探しまわるが、禅師の法力の前にその姿は見つけられず夜明け前、力尽きて倒れ伏してしまう。
禅師曰く

「お前は愛欲の心の為、生きながらに餓鬼畜生に堕落してしまった。その為に里人がどれだけ迷惑している事か。しかし、私はお前を見捨てる事は出来ない。お前は私の教えを聞いてもとのお前に立ち戻りたいか」

戻りたいと訴える阿闍梨に、禅師は自分の被っていた青頭巾を被せ、二句の証道歌を与え、この歌の真意をじっくりと求めよ、と。真意が読めた時、己のうちの仏心に出会うだろうと教えた。

それから一年後、またその村の近くを通りかかった禅師は、あれから鬼が出なくなった事を聞き、またあの阿闍梨がどうなったかが気になり、山寺に足を運ぶと影のようになった青頭巾の人型がぶつぶつと証道歌を唱えている。それを見た禅師は、「以下に。何の所為か」と一声発して禅杖にて阿闍梨の頭を打ち下ろすと、そこでようやく執念が解けたのか、禅師の杖の下にはあの青頭巾と白骨だけが残っていた。





■■ 貧福論 ■

安土・桃山時代の節約・蓄財の名人岡野左内と金(きん)の精霊との話。
この話は今までの話と趣が異なり、怪異譚・妖精譚のようなニュアンスがありますが、その実 【お金】と言うものをどう生かすか、という精神的エコノミックな話のように感じました。

左内は文武に秀で、それに加え倹約・蓄財の才にも恵まれていたので、その家は大変富み栄えていました。世の人は、左内を守銭奴のように見ている者もありましたが、例え自分の家の下人でも、その者が己の才でまっとうな手段で分不相応な財を手にした時には多いに誉め称え、その褒美にその者が手にした財の十倍にも当たる金を与え、士分に取りたてるなどしていました。

ある夜の事、左内が寝ようとするとにこにこと笑顔を称えた小さな翁が現れ、左内の昼間の言行が嬉しかったと告げます。左内は、お前は誰だと聞くと【金】の精だ、と言う。p …ここから、いろいろ問答が続くのですが要約します。

【お金】が集まる者には二種類ある。天分を知り利を読む事ができ、それを行う事で周りにも富みをもたらす事の出来るものと、人の金まで欲しがり手元の金は絶対出したくないような守銭奴と。前者のように【金】の徳を知っている者の所には、金は回りまわって尽きる事はないが、後者のように金の価値は知っていても、徳を知らない者の所からはいずれ流れ出してしまう。

武士の思想とする所の「清貧思想」と、秋成達町人の望む所の「富貴思想」の比較対象論が続きます。

やがて左内はこの精霊の語る「富貴思想」、周りをよく見、必要であれば大金を動かす事も躊躇せず、助けるべきは助け心はいつも豊かにという考えは誠に持って自分の考えとも一致すると、満足し朝を迎えます。何時の間にか翁の姿は消えていました。