【 あさきゆめみし −殺生丸− 】



……晩秋の風は、すでに冬の匂い。

命枯れ果てた草原に垂れ込める霧か靄に視界を遮られ、しばし足を留める。
長らく続いていたような宵闇は、本当の夜闇に変わった様だ。
感覚を研ぎ澄まし、己以外の気配を探る。

もう随分と、己 一人。

どのくらいこの地を流離っている事か。
すでに定かではない。

ふと、鼻先を過ぎる微かな花の匂い。
懐かしい、野の花の……。

その花の香りに混じって ――――

「 ――― !! ――― 」

忘れ様のない、この匂い!
その懐かしく、甘い匂いに導かれ闇に覆われし枯れ野を歩む。
やがて、行く手に倹(つま)しき庵(いおり)。
入り口と思われる板戸が引き開けられ、中の明かりがまろび出る。
そして ――――

「お帰りなさいませ! 殺生丸様!!」

満面に笑みを浮かべた、りんの姿。

ああ…、そうか。
私は随分と長い間、旅をしていたのだな。

「いつお帰りになっても良いように、整えて待っておりました」

私を奥にあげ上座に据えると、かいがいしく庵の中を行き来する。
りんの、独楽鼠のようにくるくる動く様を見るのも随分久しい。
充分女になった今でさえ、拾った頃の面影を残してくるくると。
幼かったあの頃を、思い出させる様に、くるくると。

「殺生丸様、どうぞ」

私の手に杯を持たせ、その杯に酒を注ぐりん。
透ける様に白い、その細い手首。
酒の味など判らなかった。

……どのくらい、私はここを離れていたのだろう?

りんの姿を見れば、然程の長さではないようだ。
歳より若く見られるりんだが、それでも十八までは行くまい。
今を盛りと咲き誇る、匂やかな花のようなりん。
派手やかさの代りに、今だ無垢を纏う娘。

私の腕の中で、女になった娘。

幼き時よりこの手の中で、私だけを ――――

「何か他に欲しいものはありませんか? 殺生丸様」

知らぬうちに酒が切れたのか。
空いた銚子を盆に乗せ、腰を浮かせかけている。
盆を持つ、細くたおやかな手首が私の眸に焼き付く。

「りん―― 」

その手首を引き寄せ ――――

盆の上の空の銚子の砕ける音が、遠くで響く。


「お前が……」

「殺生丸様……」

「欲しい」


そのまま抱き取り、華奢な首筋に顔を埋める。
甘い、甘い血の香り。

私の乾きを癒すのは、酒などではなくりん、お前。
酔いたいのは、お前そのもの。

白く滑らかな首筋に沿って唇を這わせ、衣を肌蹴させる。
細木細工のような肩口を軽く噛み、痕を残し ――――

「あ、ああぁ、せっ、殺生… 丸…… さ…ま……」

艶めくりんの声。
なんと艶かしくなった事だろう。鳴き初めのりんの声は……

……無理もないか。

鳴く事など叶わぬ雛を、無理に鳴かせたのはこの私。
夜毎、日毎に情を注ぎ。
その身を拓き、私だけを与え続け。

そうして咲かせた、私だけの『花』。

帯を解き、肌蹴た衣をりんの肢体(からだ)から滑り落とす。
肩口から胸元へ、そして柔らかな膨らみの上に実る冬の野苺を口に含む。
なんと美味しものである事か。
りんの花芯より溢れ出る蜜の香りが私の乾きをいや増し、その渇きを癒すのもまたその蜜なり。

「ずっと、ずっと、待ってました」

喘ぎで掠れる、りんの声。
その言葉通りに、りんの身体は私を待ちわびている。
熱を孕み、蜜で蕩け、妖しく蠢く。

「せめて、一夜の夢でもと」

儚い言の葉を洩らすその罪な唇を己のそれで塞ぎ、私を待ちわびている花芯を刺し貫く。

辺り一面に、甘い甘い、血の香り。
その強い香りにしたたかに酔わされて。

「もう、手放さぬ。もう、二度と!」

繰り返し、繰り返し、そんな睦言をりんの耳に囁き続け。
より強く、より深く、りんの身を己の身でもって繋ぎ止める。

そう、もう二度と手放す事のないように!!


( ……もう、二度、と…? )


私の記憶の何処かで、何かの警鐘が鳴っている。






―――― 夜が、明けたらしい。

久方ぶりの目合(まぐあ)いに、我を忘れたか。
不覚にも、僅かな間でも寝入ったようだ。
明け染めし、曙光の箭(や)に起こされるとは。

私の頬を濡らす、これはりんの涙か?

「りん?」

声をかけ、抱いて眠った筈の愛妻を抱き寄せ様として、空を抱く。

「りん!!」

その事実に、私の五感が覚醒す。



そこは ――――


朽ちて、永き年月を経たと思われし庵の跡。
屋根は落ち、床はなかば野の草に埋もれている。
その中に、私 一人。

ああ!! そうだ……

遥か、昔。
醒めて一睡の夢のような時を、ここで、りんと過ごした。

『妖』と『人の子』。
もとより流れる『時』の早さは異なり。
加えてこの身を満たす妖気と毒気は、私と交わるりんの身を蝕み――――

私の、この腕の中で。
身体中の血を吐いて―――

それでも、幸せだったと笑っていた娘。




それから……

どれだけの【時】が経ったのか。
お前を亡くした後、ここを立ち去り……

旅の途中で、邪見を、阿吽も亡くし……

お前が死んだ事も、忘れるほどの永い時を過ごし……



私、一人で

私、独り

孤独 −ひとり−


指先に触れる、硬く冷たいもの。
そっと視線を投げかけると、そこには小さな髑髏(しゃれこうべ)

それは ――――


「りん! りんっっ!! りんっっ ―――― !!!!」



夜明けの枯れ野に響き渡る、獣の咆哮を耳にした者は誰もいなかった。


【完】




= あとがき =

あっはは〜 ^_^;
これだから、突発の勢いって…。
ええ、この話。ご存知の方はご存知のそう『浅茅が宿』の殺りん変換バージョンです。
切っ掛けが「ああ、そーいや今度の犬映画、小道具に【鳴動の釜】って吉凶を指し示すお釜が出てくるよねぇ…、あれって、『吉備津の釜』みたいだよねぇ」と。

怪異譚なんですけど、私『雨月物語』って好きなんですよねv
で、あ〜そう言えば…、と思っているうちに無性に書きたくなったのがこの話です。
元ネタに添わせたので、かなり殺生丸がヘタレ気味ですね^_^;



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