太陽が沈もうとしている。夜が迫っている。光のない日々が訪れようとしている。
子どもたちは黄昏の中を歩く。足を引きずりながら、光と闇の境界に揺らぐ危うい道を懸命に進む。誰も彼らを助けてはくれない。
夜が迫る。ミリテリエルとザイネリアルは歩く。静謐な希望を唯一の明かりにして。
「水の祝祭」の続編です。「祝祭」三部の二部目に当たる作品になる・・・はずだと思います。
ある秋の早朝、中学三年生の石神真一はいつもより少し早めに家を出た。向かう先は学校。先生の頭を撃ち抜くために。
手に手に凶器を携えて、ごく普通の中学生たちが立ち上がる。彼らが主張する<授業>とは何か。それは殺戮の始まりに過ぎないのか、それとも。
ある日突然学校を襲った恐怖と狂気の一時間の中で、何かが軋み、ねじれ、崩壊してゆく。
大学三年の夏休みを建設現場のアルバイトで過ごすために、的場豊は群馬県喜多野庄町安威鞍にある廃校へとやってきた。少なくとも過去最高の夏休みにはなりそうもなかった。廃校には想像を絶する闇が満ちていた。その漆黒の中で、豊は自分自身の闇を見つめる。俺は喰われたんじゃないのか。ある種の化け物に。ああ、もう眠りたい。
ある日突然世界の終わりはやって来る。心地良い5月の昼寝から目覚めてみると自分の町が断末魔に身悶えしているというような方法で。そうして始めて、俺は自分が飼い馴らしていると信じていた日常が、どんなに獰猛な獣だったかを知った―――。
砲撃され炎上する街に、蓬莱城太郎は一人取り残される。
余りにも呆気ない日常の決壊に直面した恐怖と絶望の中で、現実と狂気の危うい均衡が、次第に崩壊してゆく。
第147回東京優駿は、明石標準時にして2080年6月2日15時35分、府中競馬場において開催される。
TOKYOはレースのゴールだ。西からは労働政府軍が、東からは自由日本義勇軍が怒涛の勢いで迫り来る。帝国との闘争に明け暮れた戦乱の一世紀に、ようやく終止符が打たれようとしていた。
<帝国の最後の一週間>は、ダービーへの熱狂と、TOKYOを巡る思惑とが交錯する、奇妙な雰囲気の下でその幕を開いた。
ボルジア帝国に正統な帝系が絶えて久しい。重篤な内紛に喘ぐ帝国で急速に力を伸ばした第三位皇位継承権者であり背徳卿の異名を持つギレディアは、帝都入城を睨んで交通の要衝ロベルト市へ兵を進めた。
ロベルトを領有する公爵デザルマクは一度も剣を交えることなくギレディアの前に膝を屈する。
しかしそれは、デザルマクの若き参謀アリエーニレンが企んだ偽りの投降であった。
戦乱の世に覇業を遂げんとする姦雄英傑達の武勇謀略が、真っ向からぶつかり合う。
ヨブが自分の前で、くどくどくどくどと不平不満をぶちまけるのを聞いていた神様は、最後に何と言ったのだったか。そうだ、確か、ただ一言「糞ったれ」。
博愛も慈愛も、今となっては遠い話だ。けれど、私にも誰かを愛し、また誰かに愛されていた、そんな時代があったのだ。
あの頃の私と、今の私は別人だろうか。そんな気もする。
それを誰かの責任にするつもりはない。今の私があるのは、私が今まで生きてきたことの証しであり、それは私の誇りでもある。だから、それを誰かにとやかく言われる筋合いはない。私が神様に向かって、涙ながらに自分の家畜が死んだことを愚痴る筋合いがないのと同じように。
戦争は終わった。わが国は敗れ、国家は解体した。どうやら、政府にとっては<私>もお役御免であるらしい。
私は故郷のミルヘンに帰るため、イェルゲンを夜半に出てゼーレンボイムの駅舎に向かった。
街のそこかしこに敗戦を見て取ることができた。戦争は悲劇だった。その結末は、最も悲惨な形でやって来た。
私は10:27ゼーレンボイム発ノイレンレイス経由アハットゥング行列車の一等切符を買うと、うつむいてホームへ急いだ。
アンテルネラは自転車を押す。背後には昼下がりの街並みがけだるげに広がり、目の前の坂の遥か向こうには青い空がどこまでも続いている。
水の祝祭の日は今年もまたやって来た。再会と追憶の祝祭の別名を持つこの一日に訪れる、小さな奇跡が持つ意味は。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』への賛辞です。