1章 激闘の森

 

1節 消え失せた足跡






 地表の大部分を占める広大な大陸から、砂漠と蛮族国家によって仕切られた、釣り鐘のような形をしたブリガン半島と呼ばれる土地がこの物語の舞台になるのだが、その領土の北側の大部分は、文明が発達した二大大国が領地として分け合っていた。やや狭い西側が軍事国グリパニア、東側が帝国エメリアである。
 大陸の南部の大部分を占める広大な森林地帯は、大国エメリアの植民地にあたる一部の地域を除いて、ほぼすべてが古代から手付かずで残る未開の地である。特に、南郡の中央部にあたるサイズ地方で人間の姿を見ることはほとんどなく、草木や蔦が視界を塞ぐ樹海がどこまでも茫々と続き、平原は二大大国の領地では見慣れぬ野生生物の王国だった。まともな道はほとんど通っていない密林地帯である。
 南部地方の中で、大陸の二大勢力であるグリパニアにもエメリアにも属さない地域は、大きく六つの郡に分けられ、そこに生きる住民たちの記憶にも、それがいつなのか残っていないほどの遠い昔から、大きな一つの部族がこの地に住み着いていた。その族長が権力を傘にしていつからか領主を名乗り、この未開の土地を支配していた。彼の権威に脅えた近隣の住民たちが寄ってきてさらに部下が増え、膨大な年月が経過していくと、まるで森を侵食するかのように勢力範図が広がり、彼の腹心や子孫が自分の城から動けぬ王の代わりにさらに未開の森林地帯の奥へ分け入り、新たな拠点を造ってその地で部下を増やしていき、さらに長い年月をかけて南部の各地方に分裂していき、新たな領地を次々と増やしていった。やがてそれぞれの地方の族長が自分の領地に、住民が生活を営むための、身分だけに囚われない大まかな規則を作っていき、それに準じた融和な政策で、各地方の領民を永く支配していった。いとも簡単に人心を掌握できるほどの権力を持つ彼らが、あえて厳格な法や税金を設定しなかったのは、それらを備えている北方の大国の政治が、必ずしも円滑にいっていないことを、それらの国の内情を詳しく知らなくとも潜在的に理解していたからである。
 人類史では、往々にして、巨大な権力を持った王や、細かく体系化された宗教によって支配された国家、もう少し説明を加えると、大人口があり、法律や公共施設が整い、経済や風俗が発達した、そのような地域よりも、この南郡地方のように、大自然と部族特有の大まかな掟に支配された未開の地域の方が、上下関係や秩序がうまく保たれ、そのため、かえって人々はのびのびと暮らし、凶悪な犯罪やいかがわしい商売が持ち込まれない傾向にある。文明の発達は、そのまま行き過ぎた権力意識による差別や、過剰な競争意識の発達による、悪しき金策の助長にも繋がっているからである。言ってしまえば、大国の栄華はそのほぼすべてが、貴族王族にのみ、もたらされるものであり、民衆の血税によって国全体がいくら潤っていても、行動や権限を大幅に制限された下々の人間までが豊かな生活を営めるわけではないのだ。
 南郡地域の説明を続けよう。自然に育まれた南部の六つの郡の領主が、それぞれの地域の独立と自治を宣言してから、すでに百数十年にもなる。独立してからの十数年は互いに干渉無しの平和な時を楽しんだ彼らも、子孫や領地を増やし、力を蓄えていくうちに、互いの勢力を意識するようになった。次第に南部にある他の領地の経済や軍事力に対して、不快感や嫉妬を伴う敵対意識を持つようになっていった。彼らは要所に砦や検問を造るようになり、行き交う旅人や商人から通行料を取るようになっていた。つまりは、他の勢力のこれ以上の躍進を抑制するため、互いに牽制するようになっていったのだ。それでも、南郡領民の温和な気質や、軍隊の移動が難しい地勢も影響してか、大きな紛争を起こすところまではいかなかった。南部の各領地の内部においても、この間、目立った紛争や政変、また数十人数百人が同時に命を落とすような大犯罪や事故も起こっていなかった。
 そんな発展途上にある南郡にあっても、エメリアに統治されているいくつかの植民都市は豊かな財政と、多くの才能者や技術者を有しており、それはいつしか、隣接する未開の南郡地域にも自然と持ち込まれていくようになり、南部各都市の緩やかな発展を手助けしていた。大国と交易路さえ繋がっていれば、最近になって開発されたばかりの武器や発達した印刷技術、また動物に頼らない移動機具なども、商人によって持ち込まれるため、南郡といえども、大国に追従するほどに文化が発達した地域すらあった。それでも、山間部などの物品の流通の少ない僻地に住む人々は、印刷や火薬などの文明の理器に頼ることができない生活の不便さを当然感じてはいたが、出世を望む必要も、自分より優位な地位にある人間を妬む必要もない、平和な日々の暮らしに、それなりの快適さを感じているようだった。
 南部で使用される貨幣の種類はそれぞれの郡部によって異なるので、商品の売買を目的にして、各郡部から人が押し寄せる中継地点の都市では、売買の際、同じ店にも様々な貨幣が入り混じることになる。それは一見不便にも感じるが、それぞれの貨幣の細かい価値の違いを気にする商人は少なく、そもそも平穏な生活を送っているほとんどの南部の平民は、高価な装飾品や武器防具などに興味はなく、食料や外出着など、生活に必要な物しか買い入れることがないわけであるから、市場を訪れた者は皆、道端に勝手に座り込んで店を開き、物々交換も含め、損得をあまり考えない活発な取引が行われていた。こんな状況であるから、もちろん両替商は発展し、多少の数学と各国の大まかな貨幣の知識のみで簡単に始められる職業として、貧しい人々から羨望を集めていた。ただ、帝国エメリアから、旅行者や行商によって時折持ち込まれるコルトガルド貨幣は、金貨にしても銀貨にしても、真鍮ではない本物の鉱石を使って造られており、帝都に足を踏み入れたことのない地方の人々にも、別格の扱いを受けていて、それを目当てにした窃盗や偽金造りなどの犯罪は後を絶たなかったが、それは一部の悪党だけの行いであり、今日明日の生活を重んじる南部の一般の人々が、普段の生活の中でそれを目にする機会は皆無に等しかった。ただ、未発達地域に住む領民の中にも、宗主国やこの半島で最も栄える帝都への畏敬の念を、多少なりとも抱いている人間は多く、そういった高価な貨幣をお守りとして身につけたり、家族の大病や事故など、万が一の時のため、家の戸棚に大事に閉まっておく習慣はあった。
 都会には多く見られるような悪徳高利貸による市民への悪質な取り立てや暴力沙汰、また軍警察による過度な検閲なども存在せず、領主の許可さえ受ければ、他国から渡って来た者にさえ、思想信条に囚われず、自由な商売が保証されていた。南郡の多くの都市には、歳老いて病に倒れたり、怪我で働けなくなった者が、領主直属の金融機関から生活の必要に応じて金銭を借り受けられる制度すらあったのだ。
 さて、六つの郡部の中で、北の大国に住む人々からも認知されている大都市は、最も東に位置する東テムと、大陸の反対側の南西に位置するハノンである。
 まず東テムは領土の北側でエメリアの首都コルトガルドや、植民都市であり、軍事拠点でもあるトキトーなどの重要拠点と隣接していて、大国の武器や戦闘技術の影響を最も強く受けていた。軍民は少ないが、警察隊は発達していて、テム城下街を軸にして、いくつも支部を持ち、独特の剣術を発達させて、周辺の街や村の治安を助けていた。
 またテム地方は流通の要所でもあり、南部の農村部からエメリアに運び込まれる果物や野菜の運搬の、いわゆる中継地点として発達し、東テム本城の周りにいくつもの市場を抱える商人の都として知られていた。衣料の製造にも優れ、肉や穀物の加工を専門にした業者も多く、また、周辺の街は飲食店が立ち並ぶ繁華街として終日賑わいを見せていた。南郡で最も大きな人口を抱え、帝都エメリアとの密接な関係を考えれば、南部の都市でも頭一つ抜けた存在といってよかった。
 東テムから見ると、大陸の遥か南西に位置するハノンは森林や河川に囲まれた東方の諸郡とは打って変わり、海にほど近く、街中の建物のほとんどが白い石灰石のみを組み合わせて強固に造られ、見晴らしの良い清潔な景観を作っていて、木製の家が建ち並ぶ他の南郡都市と比べてひときわ異彩を放っていた。城下街のすぐ北東に雄大なサウスヴィクス連峰がそびえ立ち、山脈を越えた西側に南郡最大の大森林サイズが拡がっていた。ハノンのすぐ北には南郡都市の最終防衛を担うアイムール要塞があるが、そこから北へ向かって延々とサウスヴィクス峡谷の赤茶色の切り立った岩場が続き、人や馬が通行できる道はその切り立った岩場の間に細く続き、大自然の営みと悠久の歴史が人間の上に立つ、壮大な景色を築き上げていた。峡谷を越えた北方には、大国兵士の狩猟場となっている幾つかの林や北東のエルメア領内まで広がるカルニー草原を挟んで、その向こうに軍事大国グリパニアを見据えていた。
 東側に広大な山脈が立ちはだかるため、ハノンは南郡の中では、古くから他の都市との連係が少ない、孤立した存在であった。その位置関係から、南部の他の都市よりも宗教国グリパニアの影響を強く受け、ハノン周辺には多くの教会が立ち並び、古くからここに住み込む住民には、何らかの宗教を信仰している人間が多かった。グリパニアとの国境近くにある中立都市リディルは、大陸との貿易が盛んな湾岸都市で、職業や思想を問わず、多くの流入者を大陸から向かい入れていた。この未知の大陸からの流入者によってもたらされた、いくつもの新興宗教が台頭していったため、沿岸地域の街村では、常に信者の奪い合いの様相があった。ハノン近郊には様々な宗教が乱立していたが、新たにこの国に入って来たどの教えも、他人との融和と平和主義という点では、ほぼ一致しており、住民同士の意識にも宗教感による対立はそれほどなく、例え自分が信仰している教え以外の僧や司教に出会っても、住民は礼を失せず敬意を払い、自分の子供には神職に逆らうことのないよう厳しい教育を施した。住民にとっても、戒律の下に身を置いて、煩悩を捨て去り、厳しい鍛練に日々励んでいる神職の人間たちは特別の敬意の対象であった。昼間は派手な色彩の法衣やチュニックに身を包んだ僧侶が長い列を作って街中を練り歩き、人々に人道や神法を説いておふせを求めた。
 また、大陸の端にあるため、他の都市への移動には必然的に馬を必要とすることから、民衆の多くが乗馬の技術を持ち、街には発達した駅馬車の施設が多く立ち並んでいた。住民や旅行者は自分達の持ち金に合わせて馬車の質や随行者の人数を決めることができた。
 ハノンやアイムールの軍隊は、南部の都市で随一の優れた騎馬隊を持っていた。ただ、数年に一度国境付近で起こる、他国の警備兵とのつまらないいざこざを除けば、ここ百年以上に渡って大きな戦乱を体験しておらず、学業を終えたばかりの一般の若者が、剣術を磨いたり、あるいは軍隊への入隊を希望することなどはほとんどなかった。軍隊と言っても現実的な戦闘を覚悟して鍛練に励んでいるのはアイムールに所属する一部の将兵だけで、他の部隊の主任務は、街中や国境検問付近の警備だけであった。なぜなら、北方のグリパニアを意識するのなら、何万の精鋭を持っていても足りず、東方に位置する他の南郡都市に備えるなら、密林や山間部での特殊な戦闘訓練を行わねばならず、平和都市を自称するハノンにそのような余分な軍事予算や兵力があるわけもなかった。そういう理由から、これまでの数年間は必要最低限の兵力と装備しか有していなかった。ハノン周辺に住む多くの領民は自国の軍事力の実態などに興味はなく、自国に軍隊があることすら知らないで生活しているのだった。
 ハノンは大陸有数の学術都市でもある。特に医療や地学の研究が盛んであり、領主からの多額の援助を受けて、多くの研究施設や学校が存在していた。エメリアの名のある学者や教授が交流を持ちたいと考える学術施設は、国境を挟んで接するグリパニアよりも、大陸最南端の、このハノンに多くあった。それはもちろん、複雑な政治機構によって支配された、グリパニアの密閉された学術機関の門が、他国の研究者に対して開かれていなかったことも要因の一つである。
 この都市に住む、多くの住民が北方にある二つの大国を常に意識して生活していた。最大の人口と領土を持ち、近代的な法と秩序が整っている帝国エメリアは南部の民の憧れの対象であったが、それと比べて、十数万人にも及ぶ巨大な軍隊を抱え、しかも、政治自体が宗教という不確定要因に支配されているグリパニアは、南郡に限らず、大陸全土の民衆から見ても、平和に対する最も大きな不安要素であった。事実、この大陸でこの数十年内に起きた幾つかの大きな紛争は、いずれも、このグリパニアを主軸にしたものだった。数ヶ月前に突然起こったグリパニアの国境侵犯とその後の南部侵略は、平和な暮らしに慣れていた民衆の心に暗い影を落としていた。
 グリパニア国境からの遠近に関わらず、ハノンやその周辺の各町村では早売りの新聞が多く売られるようになった。それは、新聞業者が売り子をいくら増員しても間に合わないほどの凄まじい売れ行きだった。普段は政治や社会経済に目を向けない家庭の主婦や学生たちも、先を争ってこれを購入し、皆不安そうに眺めていた。新聞発行所もそれを意識し、工員を大量動員して交代制を敷き、昼夜工場を動かして普段の何倍もの量を刷るようになった。それでも手が足りないほど、新聞の部数は日増しに増えていった。印刷業の経営者だけは手放しで喜んだが、もちろん、これは不吉な予兆である。それまでは、宗教の大家による大きな災害の予言があった時にしか、このような現象は見られなかったからだ。紙面には、攻め入ってきたグリパニア軍の兵力や現在の進軍状況、また、有力な指揮官の名前がずらりと掲載された。それらは、南郡の軍事に興味を持たない人間でも聞いたことのある勇名轟く軍人たちであり、そのような一騎当千の軍将たちが、ほとんど軍隊を持たない南郡になぜ攻め込んできたのか、大国との外交や貿易を日々勉強しているはずの学者たちにもその理由がわからず、多くの市民が顔を不安の色に曇らせ首を傾げていた。
 戦乱はまだ遥か彼方だが、ハノンの街中でも、最近になって盗みや暴力行為などの軽犯罪が目につくようになった。警察沙汰になり、暴力行為を咎められたのは、いずれも、これまで犯罪などに手を染めたことがない定職持ちの一般人だった。人が多く集まる通りや広場でも、いつの間にか、楽しげな明るい音楽は聞かれなくなった。太陽が陰り、薄暗くなると人々は先を争って家路につき、扉に厳重な鍵をかけて閉じこもるようになり、夜間の人通りも途絶えてしまった。親たちは仕事がうまくいかなくなると、すぐに苛立って子供を殴りつけるようになった。昼間の商店街では、金に余裕のないはずの市民が、先を争って商店に駆け込み、食料を買い込む光景も見られた。迫りくる戦争という現実により、住民の心に不安感が急速に広まっていた。グリパニアがハノンに迫れば、百年以上続いてきた人々の当たり前の生活が粉々に崩される可能性があったからだ。人々は毎朝目が覚めると、家事に手をつける前に、まず戸外に出て、不安そうに北方の空を眺めるようになった。グリパニアの進撃は、南部の民衆の心を大きく揺さぶっていたのだ。
 やがてハノンの街頭に領主直筆の軍兵募集の立て札が掲げられると、事態はそこまで進んでいるのかと、多くの市民の目を引いた。人々はそれを読んでグリパニア軍の接近が、一部の人間の妄言ではなく、現実のものであることを知った。立て札の文言は軍事経験者のみの募集であったが、使命感に背中を押されたのか、剣も持ったことのない学生たちも、振り回したこともないこん棒を携えて数多く応募してきた。アイムール要塞では、応募してきた人間の適正試験や基本的な訓練などが日夜行われ、興味本位で応募してきた者たちは、ふるいにかけられると、すぐに根を上げて逃げ去っていった。兵士として正式に採用された者は、退職した元兵士や、金や名声を目当てに他の郡から駆け付けてきた傭兵が多かった。
 さらに幾日かの時が経過し、グリパニア国境に近い北方の村々が襲撃され、多くの犠牲者が出ているという情報が伝わると、ハノンの市民の緊張や不安はさらに大きくなった。移住を考える者も出始めたが、それほど事は簡単ではなかった。家財道具を抱えて、東方に位置する他の都市まで逃げるにしても、東側にそびえる山脈を乗り越えるか、あるいは南東に位置する貧民集落カレンドを家族を守りつつ徒歩で越える必要があり、武器を持たない一般人には危険が大きかった。
 他の都市に助けを求めるにしても、半ば帝都の植民地である南部の諸郡に大国グリパニアと互角に戦えるだけの戦力を有する都市はなく、事実、ハノンへのグリパニア襲撃の話が伝わっていっても、他の郡は一向に援軍や支援物資をよこさなかった。今のところ、大国と勝ち目のない紛争の戦端を開いてしまった都市と連携を持ちたくないというのが、他の領主の本音だったのかもしれない。唯一、東テムの城主だけが、グリパニアの進撃を憂慮する手紙をハノン領主宛てに送り、その中で、条件付きで支援はするが、このような事態に至った原因を詳しく説明するようにと書き付けてきたが、ハノンの首脳部にもそんなことはわからなかった。
 いよいよ戦争の足音が聞こえるようになると、街中では自暴自棄になった市民たちが、自国の軍隊の強弱やグリパニア人の気質の話題で飯を食い、有り金をはたいて酒を飲んだ。ごく少数の人々は、グリパニアと並ぶ大国エメリアがこの事件の拡大を恐れて、いずれ調停に乗り出し、事態はいい方向に進むだろうという楽観論を語ったが、それ以外の多くの人間は、戦争がもう避けられないことを覚悟していて、近々アイムール付近で大規模な戦闘が起こることを予感していた。
 一般人が徴兵に応じるようになったことは先程も書いたが、このような状況になると、平時は争いごととは無縁のはずの商人や教師・学者の中にも、危機意識に駆られ、軍隊に加わりたいと希望する者が多く現れた。学術の発達したハノンには軍人や職人よりも、こういう職に就いている知識層の人間が多かったので、応募者はかなりの数にのぼった。だが、ハノンには戦闘に慣れていない者にまで装備や食料を与えるような余分な財源はなかったため、彼らは兵士としてアイムール要塞に入ることはできなかった。軍への入隊を断られると、愛国心に燃える一部の人間は徒党を組み、雑軍として戦争への参加を決意するようになった。もちろん、実際の殺し合いを見たこともない人間たちであり、命を賭けた決意からなのか、好奇心や、単純な大国への敵対心から来たものなのかは、この時点ではわからなかった。
 進攻開始から一ヶ月が経過すると、峡谷や山間部に潜んでいた少数部族の抵抗や、先攻している部隊に対する食料運搬の遅れなどにより、当初は順調であったグリパニア軍の進撃は思ったように進まなくなっていた。また、先行した部隊に所属する、一部の意気盛んな兵士たちによって起こされた、北方の各村での略奪や虐殺が、南部住民たちの思わぬ抵抗を生むようになっていた。グリパニア軍が近づいてきたことを知ると、付近の住民は自分の村の建物すべてに火を放ち、持ち切れない農作物や穀物は油をかけて念入りに焼却し、さらに井戸に汚物を放り込んでから村を脱出するようになっていった。矢弾や、将校が食す最低限の食料は現地で調達するという、グリパニア軍の当初の目論みはすでに崩れ去っていた。中軍以降の部隊が峡谷の岩場の隙間に潜む敵軍の帰討や、敵の仕掛けた罠や障害物の撤去に多くの時間を取られるようになり、卑劣な罠や少数部隊の待ち伏せを怖れて、岩場の細い通路では特に進軍が困難になった。武器や装備を持った部隊ですら、進行が困難になると、後続の食料輸送部隊は峡谷への進撃を見合わせるようになった。だが、優れた武器防具や馬を持ち、少々の食料不足くらいで根をあげない精鋭部隊のみで構成された、第一師団長バルガスの本隊だけは、速度をまったく落とさずに数千の軍勢で峡谷を南下し、徐々にアイムールに迫っていた。
 このような情報が伝わると、ハノンの市民もついにグリパニアとの戦争の覚悟を固め、街中でも打倒バルガスの合唱が聞こえるようになった。グリパニアは大国でもあり、当然、南部の軍隊とは比べものにならぬほどの精鋭揃いの軍団であるから、唯一の要害といえるアイムールまでは、兵を損じることなく一気に進軍してくると思われていただけに、戦争序盤でのグリパニア軍の思わぬ躓きは、ハノン市民に活気と希望を与えた。市民の間には、この状況で、もし敵将を倒せれば、グリパニア兵士の士気はさらに落ち、その上で大陸有数の要害であるアイムールに閉じこもれば、長期戦に持ち込めるのではないかという期待があった。長期戦に持ち込んで、敵を食糧難に陥らせることが、戦争に勝利する唯一の道であることは多くの南部民が知っていた。
 ここに至っての情報の隠微は、かえって住民の不安を煽ることになると考えたのか、ハノンの上層部は自分達が集めていたグリパニアや他の南部都市の軍隊の動向に関する幾つかの情報を市民に公開するようになった。その中で、南部の他の都市やエメリアに援助を求める書簡を何度も送っていること、また、エメリアが事態を憂慮してグリパニア国境付近を封鎖し、グリパニア民の移動を制限し、国境の警備を強化していることなどである。ハノンの南東にある都市キヌトとは十数年に渡って友好関係を保っており、この領主と援軍や食糧援助の具体的な相談も行っていることも民衆に知らされた。
 襲来から二ヶ月が経過した211年の2月には、軍備を再編成し、南部への領土の拡張を推し進めるグリパニアに警戒感を募らせたエメリアの将軍レンドリッチとグリパニアの進攻に早くから懸念を表明していた、東テムの領主による直接の会談がトキトー城内で行われ、この情報はそれまで有効な情報が少なかったハノンの住民にかつてない勇気と希望を与えた。エメリアがグリパニアを威圧してくれれば、大戦回避の可能性はさらに高くなるからである。すでに民衆の結束力はかつてないほどに高まっていた。
 そうなると、徴兵に漏れた者たちの中で義勇軍を結成して、打倒バルガスを目論む男たちも出始めた。彼らは息のあった者同士で徒党を組むようになり、ハノンの郊外にいくつかの少数部隊を結成するに至っていた。そして互いに食糧や装備を援助しあいながら、アイムールを背後から援護し、さらに北方の峡谷や山間部にまで偵察に出る者たちも出始めた。当初は軍備が遅れていた南軍だが、こうした者たちの小さな偵察活動がやがて戦況を大きく変えることになっていくのである。
 そんな雑軍の中の一部隊に、裁縫の職工の一人息子であり、ハノンでは珍しい無信教の学徒であったアンドレア=ホーチスの姿があった。彼はハノン市街の路上で檄文を受け取り、他国との戦闘には反対であった父親の制止を振り切る形でこの戦争への参加を決意した。軍隊には所属したこともなく、金物屋で手に入れた安物の片手剣一本を握りしめての参戦であった。ここからは、決して武勇にも知性にも長けていない、愛国心旺盛なこの男の足どりを追ってみることにしよう。

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第1節 10
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