対馬海戦  Tsushiman meritaistelu

 1809年からロシア帝国に組み入れられたフィンランドは,本筋においてロシアに対して忠誠を尽くし,約110年にわたる蜜月時代を過ごしてきました。
 1906年に一院制議会制度が創設され,翌1907年春普通選挙が行われた頃からフィン・露関係は怪しくなってきます。従って”日露戦争(1904−05年)におけるロシアの敗北がフィンランド国家独立の誘因となった”という明確な論拠を見出すことはできません。むしろ、フィンランド人は日露戦争で、ロシア側の兵士として参戦し、日本軍と交戦しています
(フィンランド大使館)
 バルチック艦隊には多くのフィンランド人が従軍していた(例えば巡洋艦オレークのエンクヴィスト司令長官(Oskar Enkvist),とのことであるが果たして本当か,その辺が気になって,現在でも発刊されているフィンランドの朝刊紙「ヘルシンギン サノマト紙,Helsingin sanomat」の日本海海戦に関係する記事,そしてフィンランド語版ウィキペディアの日本海海戦を読んでみました。
 読んでみて壁に当たったのは,軍隊の用語(階級とか艦船の用語)や地名,例えばShanghaiやTsintauが分かってもその他は皆目わからないので原文通りにしてあります。また原文ではeskaaderi(艦隊)であるべきところlaivasto(海軍)になっているところが多々あります。前後関係を見て訳してあります。

ヘルシンギン サノマト紙,Helsingin sanomat 1905年
5月28日(日)

5月29日(月)休刊日

5月30日(火)

5月31日(水)

6月 1日(木)

6月 2日(金)休刊日

6月 3日(土)

6月 4日(日)

6月 5日(月)休刊日

6月 6日(火)

6月 7日(水)

6月 8日(木)

6月 9日(金)

6月10日(土)

 対馬海戦の記事は海戦のあった5月27日の翌日から報道されています。ニュース源は

Sähkösanomia
 Kaikki sähkösanomamme saamme Pietarin sähkösanomatoimiston wälityksellä.
電報
 すべての電報はピエタリの電信局を介して得ている。

というように,ロシアの首都ピエタリ(Pietari, 注:サンクト・ペテルブルグのこと)の電信局から配信されたもので,ロシア国内の記事とほぼ同等と推測されます。
 新聞はフラクタル(亀の甲文字)といわれる活字で組まれています。これでは読みにくいので通常我々が使うローマ字に直しました。ただ「v」の文字は当時の表記法である「w」をそのままとしてあります。

Kuva:Jussih

東郷の絵の下はAmiraali Togo. ロシェストヴェンスキーの絵の下はAmiraali Roshestwenski.と書いてあります。

フィンランド語版ウィキペディアの記事

 フィンランド語版ウィキペディアにはこんなことが書かれています。→ → → ウィキペディアの対馬海戦