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はるかな尾瀬へ                 2017/5 

  計画と準備

 「退職したら自由な時間を使って、ミズバショウを観に尾瀬に行く」と宣言していたのですが、月日の経過は早く、今年になってしまった。その、背中を押してくれたのは「歳が行くほど行きにくくなるよ」という言葉でした。
 体力が落ちてきた今、ツアーに参加することは、時間制限の中で遅れて迷惑をかけるようになってはだめだと思い、自分のペースで活動できるように個人で行くことを選んだ。しかし、行程を調べてみると、約800kmの距離があり、可能かどうか自問自答していた。(かって、若いころは、目的地へ朝に着いて観光をするように夜行運転で行っていた。)
 今回、朝早く出発して夕方ホテルで1泊し、次の日朝に尾瀬に入り、尾瀬での滞在時間を少しでも長くとり、夕方ホテルに帰る計画を立てた。休憩は約2時間で15分ほど取ることにすると、高速道路を走る時間に少なくとも1時間は加えた時間となる。車の運転時間が、時速80kmとして10時間で、11時間?も必要でした。17時にホテルに着くとすると出発は遅くても朝の6時になる。30分の余裕を見て5時30分を自宅の出発時間と決めた。
 計画したルートは、高松道から神戸淡路鳴門道、三木JCT、山陽道、神戸JCT、中国道、吹田JCT、東名高速道、小牧JCT、中央道に入り、岡谷JCTで長野道、更埴JCT、上信越道、藤岡JCT、関越道と乗り継ぎ、沼田ICで高速を降りて老神温泉のホテルへ到着する。
 コースを決めてからは、高速道路の渋滞状況を見たり、尾瀬のライブカメラで、尾瀬の雪解けの様子などをチェックしていた。 昨年は、5月25日に尾瀬に行った友人から、「すでにミズバショウは終わっていた」との情報があったので、考慮して、ミズバショウの見ごろとなる6月上旬より早い時期を選択して5月29日に尾瀬ヶ原へ入る予定にした。今年は雪が多そうで、ライブカメラで見ていても、多くの雪が解けないで残っている。
 宿泊予約をしてから、体力を補強するためにトレッキングシューズで1週間に数回の散歩を始めた。目標は、尾瀬で歩く最低で8km程度。初日は2kmからはじめて少しづつ距離を伸ばし、5kmを休みなく歩けるようになった。
 尾瀬を歩く服装などの準備として、防水効果のあるウエア、寒い時に着るセーター、カロリーのある飲み物、水分補給の水、けがの手当てのための薬品、など、リュックに詰めた。
  駐車場は満車で入れないと予定が狂ってしまうのでそんなことはないか? 片品村の観光協会に電話で問い合わせて、予備の駐車場もあるようで安心した。
 
   1日目

 当日、天気もよさそうで、予定どうり5時30分に出発した。
 日の出を過ぎ、正面に近い方向からの陽光があり、しばらくはまぶしい運転になる。大鳴門橋を渡り、淡路島を走り、混雑なく走りやすい時に走ろうと、淡路SAは通過、明石大橋を渡り、名塩SAで1回目の休憩をする。吹田や京都の混雑もなく、養老SAで2回目の休憩をして、小牧JCTを経て中央道に入る。3回目の休憩は、朝が早かったので、昼食をとるために駒ヶ岳SAにはいる(11時25分)。建物の後ろに雪の残った中央アルプス が鮮やかに目に入る。松本を過ぎ、小諸を通過して順調に走行できている。

            

       駒ヶ岳SA                  安曇野IC付近

 上信越道の碓氷軽井沢IC付近でトンネルを出た途端に大きな凝灰角礫岩?の大きな岩山が目に飛び込んできて驚いた。(帰宅後調べてみると高岩山)
 しばらくして、また、山の稜線が見たことのない不思議な、奇妙な山に驚いた。4回目の休憩のために入った横川SAからも奇妙な稜線が見えた。(妙義山で、日本三大奇勝の一つとされる山で、デイサイト溶岩・凝灰岩・堆積岩からなり、堆積層が浸食され固い溶岩の岩体が残っているという)

      

           横川SAから見た奇妙な山              沼田IC出口の案内板

 上信越道から道路案内に従って藤岡JCTで関越道に入り、新潟方面に進む。(右車線で右に進むと東京) 沼田ICで高速道を降りて、R120に入り、今日の宿泊地の老神温泉に向かう。
 ホテルではウェルカムドリンクの接待で一息ついて、部屋に案内された。(予定より一時間早く着いた)今日は、初めての上信越道と関越道のドライブを、奇岩や雪景色のアルプスなどを見ながら、また、サービスエリアにもその土地柄に興味を持って、退屈することなく、疲れをあまり感じることなく、楽しむことができた。 

2日目 尾瀬ケ原へ
 昨日、ホテルに着いたとき、出迎えてくれた方に、リュックと旅行バッグを見たためか、「尾瀬に行かれるのですか」と尋ねられ、「はい、明日尾瀬に行きます」と答えると、尾瀬の今年の状況や駐車場までの時間、「牛首分岐」までの時間、昼食を買う近くのコンビニの場所などを細かく教えていただき、尾瀬の地図も頂いた。それで、朝食の時間は7時30分からですが、「食事の準備が整いしだい連絡します」と少しでも早く出かけたい私たちの気持ちを汲んでの配慮をしていただいたのがうれしかった。
 朝食を素早く終わらせて出発した。尾瀬第1駐車場に着いた時には、ほとんど満車に近いくらいの車が止まっていた。シューズを履きかえて、リュックを背負い、7?8人程度のワゴンのタクシーに乗り合わせて鳩待峠に向かった。車が満員になり次第出発するシステムのようでした。
 天気は快晴で、真っ青な空の下、鳩待峠の入り口には雪が残っているのですが、長袖のアンダーウエアとシャツで十分過ごせる。
 緑のマットの上を通って靴底の土を払い、右側通行で「山の鼻」へ向けて出発した。
 芽吹いたばかりの緑の林の中を、木道や階段の道を進んで下っていく。ダケカンバだろう白い樹皮の木やブナの木が目につく。所々に雪が残っているので滑って足を取られそうになる。 雪解けの水の流れる心地よい音を聴きながら沢を渡り進む。近くで、カッコウが鳴いている。
 妻のトレッキングシューズがアクシデントにみまわれた。靴底がだんだんとはがれかけていた。タオルを縦に裂いてひもを作り、靴に巻きつけていたが・・・。ある人からは雪の滑り止めに効果があるかと尋ねられたりもした。なんとか雪に苦戦しながら歩き続ける。
 そして待望のミズバショウの花に出会った!! 雪解けの水の流れる、落ち葉や枯れ枝で黒っぽく茶色い湿地に群がって咲いている。近づいてよく観る。足早に通り過ぎる人や、上ってくる人の邪魔にならないように、立ち止まって写真を撮る。林の中は雪で覆われている。ガイドブックでは、「山の鼻」まで1時間の道を、1時間20分の時間を要していた。(雪のためと歳のため?) 妻は以前に1度訪れているので、その景色を思い出しているようでした。

    

      鳩待峠から山の鼻へ     雪のない木道       残雪の林間

          

        沢に咲くミズバショウ

 「山の鼻ビジターセンター」で展示しているクマを見たり、花の写真を見てから「植物研究見本園」の散策に出発する。登山者はみんな尾瀬ヶ原に向かったのか、見本園には不思議なくらい、私たち2人しかいない。この湿原にはミズバショウが群生して咲いているうえに、バックには雪の残った「至仏山」が青空にくっきりと見える絶景です。なんという偶然か、幸運か、この絶景を独り占めにして思うままに、たくさんの写真を撮ることができたのです!!

    
      

             植物研究見本園のミズバショウ と雪解けで茶色の湿原


、ぐるっと見本園を1廻りしてきたところで、妻の靴底は、さらに劣化していた。、鳩待峠まで壊れずに歩くことができるか心配になり、「山の鼻に残って待っている」と言ってくれたので、ここまで来て「尾瀬ヶ原を見ないで帰れない」と思い、私一人で計画通り、「牛首」までと心づもりをして尾瀬ヶ原の散策に行けるところまで行ってみようと出発する。
 尾瀬ヶ原に入ると、木道に雪はなく、湿原の行く先々でミズバショウを見ることができた。左右の木道の間でも花があったので、足を止めては写真を撮った。歩く人の姿はまばらで、ときおり、ガイドさんに案内されて歩いてくる集団とすれちがった。「こんにちは」とあいさつを交わす。年配の方、ツアーの集団、若い方、幼い子供連れの夫婦など、いろいろな人と木道ですれ違う。
 平坦な湿原の中に、まだ芽吹いていなくて、茶色い浮島とミズバショウや池塘、その中をずうっと遠くまで伸びている木道と、その木道に沿ってカラフルな色合いのリュックやジャケットで列をなしている人の小さな姿がある。そしてその後ろに、雪の残った燧ケ岳、振り返るとまた、雪の残った至仏山。この景色が春の尾瀬なんだ!!
 木道のそばに木製のベンチがあり休憩ができる。写真家の人だろうか? 水面の穏やかになるのを待って、水面に映る燧ケ岳「逆燧」の撮影をしている。そこで私も習って「逆燧」をカメラに収める。
 正午を過ぎていたので、かんたんな昼食と水分補給をする。ずっと先に多くの人のいる場所が見える。きっと牛首分岐の地点だろうと思ったが、足の疲れを考えると、ここで引き返した方がいいだろうと判断して、「山の鼻」の方向に歩き出す。鳩待峠までの登りの帰り道を考えると、山の鼻に14時前には着かなければならない。 途中、同じ要領で逆至仏山をカメラに取り込む。真っ青の空に、残雪の山の姿がくっきりと浮かびあがって見える。

     
    
    ミズバショウの花束         尾瀬ヶ原から見た至仏山 と  燧ヶ岳(逆燧)

 妻が、山の鼻ビジターセンターの外の休憩所で座っているのを見つけて合流する。(携帯電話はずっと圏外で使えない) 靴の状態がさらに悪くなっていたので、なにか紐でくくろうと考え、ビジターセンターで事情をお話してナイロン紐を頂くことができた。それで、靴をしっかりとくくり、靴底のはがれをおさえて、鳩待峠に向かった。ビジターセンターの受付の方にはお世話になりました。
 歩きながら、私が尾瀬ヶ原に行っている間のことを聞いてみると、数人の近くに座った方とお話をしていて退屈はしなかったようでした。中でも、山の写真家の方と話をして、その方が持っていた写真のアルバムの中から、数枚の写真を頂いたことや、靴底のアクシデントのことで、わざわざ、ナイロン結束バンドを準備物に入れているとのことで、リュックの中を探して出してくれた親切な方もいたとのことでした。
 朝、下っていくときに比べて、天気も良かったので雪が解けていたり、ミズバショウが大きく見えたり、した。 前をふらふら歩いていた、足が疲れてきたのかなあと思われた男性が木道を覆っている雪に足を滑らせれてひっくり返った。前を歩いていた妻が近づいて背中を押して立つのを助けようとしたが、手間取っている。そこで、前から引っ張ろうとその男性の横を通って前に出ようとした瞬間、左右の木道の間に足をいれ、雪を踏み抜いてしまい、前のめりに転んでしまった。胸の前に手をやって防いだのと、雪がクッションになって怪我はなかった。手に持っていたカメラは倒れながら打ちつけないように保ったので助かった。 後ろから来ていた団体のガイドさんが急いできて、タッチの差で男性を引き起こしてくれた。早くとあわてて駆け寄るときに、「雪の下に隙間があるよ」と注意しあっていたにも関わらず雪を踏み抜いてしまったことに歳を感じざるを得なかった。(2つ目のアクシデント)
 だんだん登っていくにつれて足が重くなってくる。休憩のベンチを見つけては小休止をする。水分を補給してまた歩き出す。となりの休んでいる方と「どこまで行きましたか」と話してみたり、下ってくる方から「もうすこしですよ」と声をかけられたりしながら登る。
 1時間40分の時間をかけて鳩待峠に着いた。駐車場までのバスの中で、今日見た尾瀬の景色を繰り返し思い浮かべては、今年練習している合唱曲 「夏の思い出」( 作詩 江間章子 作曲 中田喜直)を思い出していた。
  ♪ はるかな尾瀬ーー 遠い空 ♪  
  この歌を歌うとき、きっと今日観た景色を思い浮かべるだろう。
 駐車場で靴を履きかえて、ホテルまで車を運転する。宿までの途中で「吹割の滝」によってみる。横に広い黒っぽい岩盤(溶結凝灰岩?)の上を水がカーテンのように流れ落ちている。時折飛んでくる水しぶきが心地よかった。万歩計を見ると、今日の歩いた歩数が2万歩(11kmくらい?)を越えている。今夜はゆっくりとお湯に浸かって足を休ませよう。

      

      吹割の滝                 奇妙な岩

 3日目 世界遺産の富岡製糸場を見学する


今日は3日目で、宿を出て帰路につくのですが、冨岡製糸場を見学することと、小諸の懐古園による計画を立てた。
 地図とナビを頼りに、冨岡製糸場近くの駐車用に車を止めた。製糸場の歴史や建物の構造の説明を映像で見た。木造の骨組みに、煉瓦で壁を積み上げて造る「木骨煉造」の西洋の建築方法で立てられた、長い(104m)大きな工場です。置繭所の2階では、太い柱と、トラス工法の木組がよく見えました。
 西置繭所では、保存の工事中で、屋根瓦の取り除かれた瓦下の厚い板が見え、その厚さには驚きました。また、見学者も少なかったためか、解説員の方が、丁寧に説明をしてくれました。取り除いた瓦のうち、傷みの激しい1万枚近くの瓦は使えないだろうとのことでした。
 「検査人館」 「女工館」 「鉄水溜」など見学しましたが、どれも文化財として保存され、創業の歴史や産業遺産として後世に残されていくのだろうと実感しました。

    

  東置繭所      繭置場 2階         自動製糸機 

 懐古園 藤村記念館を訪ねる 
 島崎藤村の詩では、昨年のコンサートで歌った「椰子の実」と、高校時代に、暗唱させられた「千曲川旅情のうた」を思い出す。ナビに従って懐古園の駐車場に車を止めて、懐古園の散策に出かけた。観光客も数えるほどの人数で、静かな新緑のなか、小諸城址の石垣を見ながら藤村記念館に向かう。
 千曲川旅情のうたの草笛演奏が聴ける装置があったのでスイッチを押してみる。もの悲しいような素朴な草笛がメロディを演奏する。つい、前にある詩をみながら口ずさんでいた。「♪ 小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ・・・ ♪ 」 近くに人がいないのが幸いか。少し歩くと、「椰子の実」の詩碑が立っているので写真に撮る。黒い石でピカピカに磨かれた面に書かれているので、その面に新緑の木々が映っている。(♪ 名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ・・・♪)
 藤村記念館では入り口前に、半身の銅像が設置され、迎えてくれている。館内では、藤村が小諸で過ごしたことや、住居で愛用していた茶器に灰皿セットや、著作の初版本が展示されている。藤村は明治32年4月から38年4月まで住んでいたようです。
 展望台に向かうと、藤村直筆の「千曲川旅情のうた」の詩碑があった。展望台からは千曲川の流れが見えた。千曲川からの高さはだいぶあったので、お城にとっては自然の要塞になったことは想像できる。もみじ谷の空堀の深さに驚いた。「この堀は、堀った堀でなく、浸食による地形を利用している堀だ」 とブラタモリ風に予想できる。
 天守台に登ってみる。お城はなく、枝の下がった松の木が古さを語っている。三の門を出て、大手門に着く。写真を撮って駐車場に帰る。予定より2時間遅れて、もう、15時にもなっていた。帰宅は24時近くになりそうだ。
 来るときに寄った同じサービスエリアに寄りながら高速道を走る。日が暮れて、自家用車よりトラックの走行が多くなり、、その流の中で走る。途中、鳴門付近でフューエルランプが点灯したが、後、100Km位は走れるだろうとそのまま走るが、走行可能距離を見ると3kmとなり、3つ目のアクシデントになっては大変だと不安は募った。
 津田SAのスタンドはすでに終わっていたので、志度の夜間営業のスタンドを調べてもらい、やっとの思いでたどり着いた。しかし満タンにしてみると、44リットルしか入らない?今までの不安はなんだったのだろうと、3つ目のアクシデントはなく帰り着いたのは24時前だった。見学に予定以上の時間がかかってしまっていたが、ほぼ計画どおりの旅ができたのでホッとしている。

              

     椰子の実の詩碑         藤村の銅像     千曲川旅情のうたの詩碑

        

     天守台の石垣            三の門       鏡石(山本勘助ゆかり)

  こうべ長寿祭2017全国シルバー合唱コンクールにゲスト出演        2017/9/15

 

シルバー合唱コンクール事務局からゲスト出演の依頼を頂いたのは、2月でした。昨年のコンクールで金賞を受賞したので、予想はしていましたが、披露する曲は、今年の11月のコンサートに向けて取り組んでいる青春時代のステージから、「青春時代」「亜麻色の髪の乙女」「ブルー・シャトー」の3曲約10分のステージが計画されました。タンブリンの音が加わり、楽しいステージになりそうです。タンブリンをたたくKさんは、このために専門の打楽器の先生に教えていただいたり、MYタンブリンを購入して練習をしているとのことでした。
 出演時間が16時過ぎになりますから、貸し切りバスの出発は例年より1時間遅れで10:00出発 13:30神戸文化ホール着の計画を立てた。 毎回差し入れを頂いているMさんからバナナとゆで卵をいただき、昼食のおにぎりと一緒に食べた。
 混雑もなく高松道・阪神高速を走ってホールに着いた。ホールのエントランスでは、恒例の終わった団体が記念写真を撮っている。受付を済ませ、しばらく、出演団体の合唱を聴いたり、練習場所を確認したりして出演を待った。
 「・・・ 最初のゲストは香川県高松市からお越しの合唱団ミュージックウェイです。・・・」と紹介があり、拍手を受け、歌いだす。金賞に恥じない合唱を披露したいと練習に励み、少しの緊張はありますが、よく響く会場で気持ちよく歌うことができました。
 コンクールの結果発表と表彰があり、その場で、このコンクールに20回出場の記念に賞状を受けることができました。
 懇親会では、テーブルに神戸混声合唱団のメンバー2名や胸に「くまもん」のキャラクターを付けた方などと、お話することができました。神戸混声の方に練習はどのくらいされるのかたずねてみると「週1回で、その日は1日練習をです、コンサートも年間 約200回くらい」と聞いて驚きました。
 余興では、「寂庵の祈りを」披露しました。
 初めて懇親会に参加された方に感想をお聴きすると、「椅子席が良かった」 「男声合唱が歌えるとは思わなかった」「有名な指揮者の先生と隣り合わせてお話ができた」など会を楽しまれたようでした。帰る時間が遅くなるので途中で退座したために、デザートとコーヒーが飲めなかったのですが休憩で寄った淡路サービスエリアで自販の淹れたてコーヒーを飲みながら、今年のコンクールも無事終わったなあとホッと一息ついた。 

 
 第20回記念コンサート               2017/11/3

 1年間の締めくくりとなる、コンサートが無事終了しました。
今年は、1部 「日本の四季めぐり」 編曲 名田綾子 で 「花」 「夏は来ぬ」 「夏の思い出」など5曲。なかでも、「夏の思い出」は、今年観たミズバショウの咲く尾瀬ヶ原の景色を思い浮かべながら歌うことができた。 「夏は来ぬ」のジャズのリズムが、なかなか難しく、練習に時間がかかていたのですが・・・。
 2部は、明石から参加されている安藤さんの独唱で、日本の歌2曲とオペラの曲2曲の4曲。
 安藤さんの紹介で、お歳を聞かれた会場から「エエッ!!」と驚きの声があがった。(来年には90歳を迎える)終わるとすぐに服装を着替えて第3部にも参加して、一番忙しい思いもしたようでした。
 第3部は青春時代に流行ったグループサウンズの歌 「青春時代」 「亜麻色の髪の乙女」 「出発の歌」など5曲。青春を想い、若い気持ちになって歌っていた。
 会場のお客様との全員合唱は「青春時代」で、タンバリンも加わって、楽しく、懐かしく歌えました。
 4部は千原先生をお迎えしてのステージで、「みやこわすれ」 「光の中の貨物列車よ」 昨年の委嘱曲の改訂版 「山のあなた」 そして私たち合唱団のために作曲していただいた「春の朝」の4曲。
 作曲者から曲の解説を頂き、歌により深く入ることができました。
 アンコールは、千原先生の指揮で、「寂庵の祈り」 指揮をみて一生懸命歌いました。
 例年の「大地讃頌」も会場いっぱいに響き渡りました。

 京丹後の旅          2017/12

 12月の「原こども園」への訪問演奏が終わり、今年の行事が一段落したので、湯に浸かろうと、京丹後を旅してみた。
 8時出発。東からのまぶしい光を受けながら、高松道を走り、淡路SAで一休み。淡路をすぎて
 舞鶴若狭道に入り、綾部JCTで京都縦貫道に入り、与謝天橋立ICで高速道を降りR178に入る。数回通っている道なので順調に進んだ。年末になり、物資の動きが多いのかトラックが多く走っているなあと感じた。
 天の橋立を右に見ながら通過して舟屋の写真を撮ろうと伊根に向かう。伊根の舟屋群を見ながら道の駅「舟屋の里伊根」に寄る。見晴らしがよく、伊根湾が見渡せ、舟屋の海に面している側がよく見えるので写真を撮る。軽く昼食をとって、丹後半島最北の経ケ岬へ向かう。

            
      
        伊根湾           舟屋                経ケ岬灯台

 駐車場には1台の自家用車が止まっていて、そばに望遠を付けたカメラをセットして遠くを見ている人がいたので、何を見ているのかたずねてみる。その先の木に、ハヤブサが止まっていて、それを観察しているとのことで、私も、双眼鏡を取り出して観る。ハヤブサが1羽、木の枝に止まってじっと休んでいる。
 灯台を見ようと、400mとの案内板に安心して向かった。ところが、急な斜面を登る山道で、運動不足の私にはきつい山道でした。見晴らしはよく、灯台をみて駐車場におりてくると、まだ、ハヤブサはじっとし止まっていて、おじさんもカメラを向けたままでした。
 R178を海岸を眺めながら西に向かうが、北側の影になる部分では、数日前に降った雪が、残っていたが通行には差支えなかった。
 「丹後松島」、凝灰岩の海食崖と屏風のように岩脈がそそり立つ「屏風岩」など、展望台のあるところでは車を止めて、海岸線の景色を眺める。道の駅「てんきてんき丹後」に入り、「立岩」をみようと「竹野川」にそって歩く。砂浜に打ちあがった小枝の中を通って海岸に出ると河口をふさぐような位置に、大きな黒い、安山岩の柱状節理が垂直に近い方向に、どっしりと立っている。竹野川はこの岩にぶつかって東に流れている。高さは約20m位で水平方向は百m足らず。まわりの砂浜の砂は白いのに、この部分だけが突出して黒い。数百m東の海岸にも陸から海岸に突き出た部分(大成古墳群のある)が柱状節理になっているのが見える。対岸の「間人(はしうど)皇后・聖徳太子母子像」が日本海を眺めている。 間人を「たいざ」と読むのは難しいが、聖徳大使の御母が身を寄せた伝説のある土地にまつわる地名らしい。
 R178を西に進んで、琴引浜に寄るが、「今日は砂は鳴きません」の看板を見て、海岸を眺めて帰る。つぎに、1927年の丹後地震でできた断層をみようと「郷村断層」に寄ってみた。
断層を建物の中に保存しているが、隣の畑で作業していた住人が、「小屋には管理人さんもいなくてカギがかかっているのでガラス越しに眺めるしかない」と教えてくれたので、窓越しにのぞくが、運悪く窓ガラスには水滴がついていて、はっきりと断層を見ることができなかった。 ガラス越しに撮った写真も、満足できるものではなかった。 ざんねん!!
 今日の宿の久美浜に向かう。 宿の部屋から眺める久美浜湾は静かで、その後ろの山は雪景色で、露天風呂からも雪景色を楽しめた。明日は牟礼町生まれで、「寛政の三博士」と言われている柴野栗山が立ち寄って命名した「玄武洞」の写真を撮るために訪れる予定です。


     

屏風岩(海岸段丘上の展望台より) 立岩(安山岩の柱状節理) 郷村断層の保存している建物

       

  玄武洞 (玄武岩の柱状節理)    青龍洞        北朱雀洞 
 

  ミステリーツアーに参加して     2018/3/18〜19

  誕生日プレゼントを兼ねて、誕生日の月が1〜3月の人が1人いれば参加できる、見学地の伏せられたミステリーツアーに参加した。数か月前から申し込みをして、宿泊場所が、早太郎温泉(駒ヶ根市)と明かされていたので、駒ヶ岳ロープウェイで雪景色でも見られるかなと予想したり、他の見学地を想像したりして、当日を待った。
 出発は乗車場所が7:50ですから、長野県まで行くツアーとしては遅いような感じですが、大型バスに、38名の団体になっていた。おはようございますと挨拶をして指定された席に着く。参加者は、60歳を超えるだろう人が多いと思った。早く申し込んだためか、前から2番目の席で、写真を撮ったり、案内標識を観たりして、バス旅を楽しめる位置は、ラッキーでした。
 明石大橋を渡り、三木JCT、神戸JCT、吹田JCTと進み、名神高速道を走る。昼食は各自で準備するようになっていたので、淡河PAで「焼きサバ寿司」を購入、車中で食事をした。小牧JCTから中央道に入り、飯田山本ICで高速道をおりて、着いたのは「旧山本中学校杵原校舎」でした。 
 昭和60年に統合されて廃校になった後を、地元の人たちが保存し、いろいろな企画をしたり、予約で校舎内も公開しているようです。 教室には、2人掛の机と椅子が並べられ、昔の教室を観るようで懐かしかった。席に着くと、前の黒板には、白いチョークで、「フジノ山」の歌詞と十二月八日の日付が書かれている。なんで今日の日付でないのか? 
 当番が団体の中から選ばれ、カネを鳴らして、「起立・礼」の号令の後、体験入学の、一時間目の模擬授業(社会)が始まる。それで、この学校の歴史や山田洋次監督の映画で吉永小百合さんが主演の「母べえ」のロケが行われた場所であることがわかった。そのため。使った黒板の字はそのまま消さないで残しているとのこと。 2校時は音楽。音楽の先生が現れて、「大きな声で歌わないと卒業できません」と言われたりしながら、オルガンの伴奏で「フジノ山」を皆で歌う。つぎに、トライアングルやタンバリン、カスタネットなどの打楽器が10名ほどに渡されて、打つ練習の後、「ふるさと」高野辰之作詩・岡野貞一作曲をみんなで歌った。皆もしっかりと大きな声で歌った。もちろん私も、Bassパートを歌ってハモリを楽しんだ。誰もがいつでも歌える唱歌の素晴らしさに触れた瞬間でした。めでたく卒業証書(絵ハガキ大で、裏には、この校庭のしだれ桜の写真がプリントされたもの)を頂いた。楽しい趣向でした。
 校庭に出てしだれ桜を観た。蕾が膨らんではいるが、開花、見ごろはまだ1~2週間後にはなりそうな感じで、少し残念。
 添乗員さんにシャッターを押してもらって、玄関先で記念写真を撮る。

     

     長い廊下              教室内の展示

    

      玄関                校庭のしだれ桜(つぼみ)

  

駒ヶ根橋のそばの宿について夕食まで時間があったので、散策をするため外に出た。駐車場の隅には雪かきをして積み上げていた雪だろうか、塊になって解けずに残っている。温度は低いのか、少し寒い。赤い欄干の「駒ヶ根橋」から、雪解けの水が流れていく下流(天竜川に入る)を観ると、この付近はもう日が沈んで暗くなりかけているのですが、その奥には高い山がパノラマのように広がり、雪をかぶった高い山だけが、日に照らされて白く浮かび上がって、はっきりと見える絶景です。南アルプスの山々かな。また、振り返って上流側を観ると、駒ヶ岳の千畳敷カールが、ま近に、白く輝いて見えていた。


    

   南アルプスの山々            千畳敷カールを望む

  2日目 天気は昨日と打って変わって雨。7:00からバイキングの朝食を取り、急いで部屋を出る。チェックアウトを待っている間にサービスの煎茶を頂き、バスに乗った時には最後になっていたらしく、間もなく、予定の時刻 8:30 少し前に出発した。何処へ行くのかな?
バスは、期待むなしく、駒ヶ根ICから帰路に着く。残念! 予想は外れて、駒ヶ岳ロープウェイはなくなった。ヒントは「1時間くらい走って、とある古い街並みの散策」。? 馬篭or妻籠 ? 
 中津川ICで高速を降り、どんどん山の中へ進む。「木曽路はすべて山の中である」 予想は当たって、馬篭の散策に訪れる。皆 おもいおもいに、お店に入ったり写真を撮ったりしながら追いついたり離れたりしながら坂道を下る。 外国からの観光客も増えているとのことや、店主が年を取ったり、若いものが他で働くために、土日しか店を開けないところもあるとの話も、ある店主から聞いたりした。以前に一度訪れているのですが、昨年5月に、小諸で「藤村記念館」を訪ねたことに加えて、今回は思いがけずも、藤村の生誕地を訪ねることになった。
 「若菜集」発刊120周年の期間中で、入館料が50円の割引になっていた。ラッキー! 展示物の撮影は禁止になっているので、建物や庭の写真を撮る。庭の片隅に、「初恋のうた」の詩碑があった。 
「まだあげ初めし前髪の リンゴのもとに見えしとき ---」
 雨は小降りではあるが降り続いている。傘をさして、濡れた石畳の坂道を滑らないように注意して写真を取りながら下の駐車場まで下る。

   

 藤村記念館         展示室への石段        初恋のうた詩碑

   

      石畳の街並み                  新しくなっている水車

 
 昼食はツアーーのなかに予定されていた春日井市の「はんなり」でおいしく頂きました。3つ目の見学地のヒントは「とある城下町の見学」です。 ? 犬山城、名古屋城、大阪城 ?  正解は彦根城でした。彦根城、夢京橋キャッスルロード、4番町スクエア散策の、3案のパンフレットを頂いたのですが、以前に訪れた時、天守閣まで行っていなかったので、お城の見学をすることにした。信号でお城の方へ曲がるものと、4番町スクエアに向かうものと半分くらいに分かれた。
 入場券を購入して、天守閣へ登り始めたが、坂のきついのには息が切れた。昨年訪れた松山城を思い出させた。道の曲がりが似ていると感じたのです。井伊氏14代の居城で、「約410年前に大津城を解体してここに再構築したお城です」「ブラタモリにでた」、「中山道の要所にある」など各階に配置されている「ひこにゃん」のマークが入った上着を着たスタッフの方が説明してくれました。階段の角度は60度くらいあり、厳しい階段でした。天守閣を下ってバス駐車場に帰る途中で、「ひこにゃん」のショウータイムにちょうど出あったので、観客の間に入って写真を撮りました。彦根城と高松城は 彦根藩第13代藩主井伊直弼の二女・弥千代姫が、高松藩主・松平頼聡に輿入れした縁から姉妹縁組をしている間柄だと知りました。
 3つの観光地を訪れたミステリーの旅も終わり、彦根IICから高速に乗り、帰路に着いた。
 ところが、おまけがあった。それは。昨日3月18日15時に開通した「新名神高速道路」を走ってみみたいですね」ということで、開通して1日の新しい道路を高槻JCTから神戸JCTまで走ることになった。雨の中、見える景色は山で、高いところを走っている。途中の「宝塚北SA」に寄ってみると、なんと!満車に近い状態で大変混雑していた。ショッピングモールのようなたたずまいで、大きく広そうだった。買いたかった夕食の弁当も、コーヒーも、あまりにも多くの人が並んでいるので買うのをあきらめてバスに戻った。新しい記念スタンプは押すことができた。しかし、吹田や中国道の宝塚での渋滞に巻き込まれなくてスムーズに予定どうりに帰ることができたと思う。

         

   彦根城と ひこにゃん

       

  宝塚北SA と   ?キャラクター?

  しだれ桜ひょうたん桜を訪ねる旅              2018/3/27

 3年ぶりになるだろうか、合唱団仲間で高知県の桜を訪ねる旅の話がまとまった。
 インターネット上で高知県仁淀川町のひょうたん桜としだれ桜の開花情報や場所や特徴を調べて、今年の桜の開花は例年より早いだろうと考え、旅の日程は3月27日と決まった。
 当日2台の車に7名の参加者で、高松中央ICに近いSさん宅を集合場所にしたが、通勤時間と重なり、20分くらいのところを35分もかかってしまい、私が遅刻してしまったので、打ち合わせなく急いで出発になった。天気は良く気温も上がりそうで、ドライブには申し分のない日和です。
 高松中央ICから高速に入り、高松道、高知道と進む。なぜかいつもより走っている車の数が多そうで、混雑気味です。いろいろな話をしながら1時間も走ると南国SAに着く。朝のコーヒーを飲もうと自販機から淹れたてのコーヒーを取り出す。ホッとする一時です。伊野ICで高速を降り33号バイパス(ナビには入っていない新しい道)に入る。越智町、佐川町を通過、仁淀川町に入る。
 道沿いの桜が咲いている!!と感激しながら眺めながら走る。山のあちらこちらに桜のうす桃色が見える。そのうち案内板を見落として右折するところを通過してしまい、少し引き返すハプニングもあった。ひょうたん桜への道が狭い一方通行となっているので、混雑すると嫌だなあと、思いつつ、ここまで来て観ないでは帰れないと、意を決して向かう。 しかし対向車はなく、山道をスイスイ進んで視界が開けたところで、ピンクの桜がぱっと目に飛び込んできた。500年の樹齢を納得させる大きな枝に七分咲きくらいかな見事な花をつけている。そして、まわりにも子や孫になる木だろう元気な花をつけている、皆で記念写真を撮ったり、近寄ってひょうたんの形を確かめたり、ピンクに染まりそうなくらいの空気感が漂っている。桜の精気をもらって元気が出そうと深呼吸をする。
 ここで、滞在時間を延ばすこともかねて、売店のうどんを昼食にしようと席に着く。みんなで、おでんやうどんをたべながら桜を眺める。名残惜しいが記念写真を撮って出発する。

        

   ひょうたん桜

車窓より引地橋ドライブイン近くの花桃の満開を観る、大渡ダム公園の川沿いの桜を眺めたり、山や道路端やいたるところに桜が花ひらき素晴しい眺めのドライブは続く。
 愛媛県久万高原町に入り、秋葉神社の案内板を見て仁淀川にかかる赤い休坊橋を渡り、R33号と別れ、少し走って秋葉トンネルを抜けると別枝地区の駐車場につく。車は少ない。いつも合唱コンクールでお世話になっている東交バスが止まっている。大石家のしだれ桜はまだつぼみのようです。中越家のしだれを見るため、さらに山道を登る。三分咲きくらいだろうか。斜面に若いしだれさくらがあり、中越家の庭の一角に樹齢200年のしだれ桜が見事な枝を見せている。畑の中の小道を登って近くに寄ってみる.。太い幹から細い枝が長くたれ、それに花がたくさんついている。また、みんなで記念写真を撮る、

    しだれ桜  
  

 最終目的地の久礼大正市場に向かう。今度は案内標識を見落とさないように須崎を目指す。
 「日本人は「なぜ桜がこんなにも好きなのか?」 
 古くは秀吉の時代から花見をする習慣があったとか、桜のつく歌の多いこと。「さくらーさくらー 弥生の空はーーー」 最近こども園へ訪問した時に歌った「ーーさくらの花が咲いたら僕らは小学生ーーー」 「ーーさくら さくら 今咲き誇る 刹那に散りゆく運命と知ってーーー」など。食べ物にも、桜餅、桜エビ、桜鯛、ーーー。
 日本各地の桜の名所の多いこと。そして、仁淀川町には、本当に桜は多いと感じた。
 途中、すこしの休憩で寄った道の駅「カワウソの里すざき」では、皆さん、「ソフトクリーム」で一息をついたようでした。
 大正市場では、「久礼てん」、開いた魚、うるめイワシ、そして、カツオのたたき。少しばかり買い込んで冷凍のパックを入れて包装していただいた。また、この時期に、車で来たとき、高知でよく見かけて買いたいと思っていた「土佐文旦」を、今年もゲットすることができた。なんと1袋で10kg位の重さで、車まで、もう一つの荷物は持っていただいて、運ぶくらいでした。
 帰りの車はメンバー交代で、またいろいろな話をしながらドライブをしていた。あるとき、きれいなしだれ桜が見えた。思わず「きれいなしだれさくら」といったら、もう一人が同調してくれた。ところがもう少し近づくと!なんと! 夕日に照らされる白いスクリーンのような大きな岩だった。??なんで? 今日は桜の映像が脳裏に鮮明に焼き付いていたためかも? と狐に騙されたように少し不思議だった。大笑い!!
 こうして、楽しい春の一日が終わり、素晴らしい夢のような、思い出がまた一つできた。
 
  
   (*  指揮者の佐々木さんの随筆、 「仁淀川の桜」  を掲載しています。 ) 

  香川大学合唱団OB懇親会 in 犬山市           2018/10/21~22

 10回卒団のメンバーが中心で、その前後9回と11回卒団に案内を出されたという、毎年企画されている香川大学合唱団OBの懇親会が犬山市で開かれるので参加をしました。集合がJR名古屋駅「銀の時計」付近。旅行にはバスや自家用が多くて、JRの列車を利用するのは何年振りだろうか? それに旅費を少しでも安くするために、高速バスを京都まで利用し、そこから名古屋まで新幹線「のぞみ」を利用することにした。
 切符の窓口で自由席券を買った。京都から名古屋まで約30分くらいだから、混雑して席がなければ立っていようと考えていた。運よく、満席に近い状態ですが、空いた席に座ることができた。
 「愛地球博」で「マンモス」を見るために名古屋を訪れてからもう何年になるだろう? 名古屋駅は初めて降りるので、少し戸惑ったが、食堂街で昼食を取った。集合場所の「銀の時計」に着くと、まだ早いと思ったのですが、17名の参加者の最後になっていた。 
 幹事さんの案内で、「名鉄犬山線」に乗る。
 「犬山遊園駅」で下車。ゆったりとした流れの木曽川にかかる「犬山橋」をみて川沿いの遊歩道を犬山城に向かって歩く。木曽川はこの付近は西に向かって流れていて、鴨が泳いでいたり、川面から出た岩の上で休んだり、のどかな景色です。少し先に「ライン大橋」が見える。桜の並木道になっていて、春には見栄えがするだろうその桜はすっかり葉を落として冬支度を終わっているようだ。隣り合わせで歩くOBとあいさつや言葉を交わしながら打ち解けて話ができるのも、学生時代を同じキャンパスで過ごした仲間の懐かしさであろうか。
 ホテルに荷物を預けて、犬山城の見学に向かう。

          
       犬山橋       ライン大橋      犬山市のキャラクター「わん丸」

休日のためか、観光客が天守に登るため列をなしている。3月に見た彦根城と比べている。
 1537年織田信長の祖父の織田信康が木之下城を移築して築城したと伝えられているそうですが、明治維新の廃城、濃尾震災、伊勢湾台風などの被害を受け、解体工事が行われたようです。1935年には国宝にしていされ、現存している天守では一番古いと言われているようです。

          

   犬山城     小牧・長久手合戦図      天守より展望の木曽川

 夕食では、現在の自分について語ることになり、順番に話すことになりましたが、合唱に関係する話も多いので、私も合唱団のコンサートやシルバー合唱コンクールなどの話で宣伝をしていました。
 みんなの話が終わるとほぼ2時間が経って、一次会は終了、二次会はカラオケルームを借り切ることになった。飲み物を注文して、幹事さんの準備した楽譜で合唱を始めた。どれも学生時代に歌った心に残る混声・男声・女声合唱の数々。 天井につるされたカラオケのディスプレイには流行歌などの題名が流れているのですが、だれも歌うことなく、合唱に終わったのでした。あれから50年、皆さんよく覚えて歌えるものです。明日は明治村を訪ねるのですが、その村内の教会で歌おうという話が復活した。

 2日目
、皆は、朝食後30分~1時間くらいの散歩を楽しむために木曽川の遊歩道をライン大橋あたりまで散策したのですが、運動不足の私は、明治村の見学も長い距離であることも考えて歩くのをやめてホテルに残った。「写真映えする場所もあったよ」と言われて残念に思った。
 ホテルの車で、明治村まで送っていただき、ボランティアガイドさんについて見学を始める。山の中というか丘というか「森の小道」を登ったり下ったりしながらガイドさんの説明を聞いて見学する。
 森鴎外・夏目漱石邸では「吾輩は猫である」と言わんばかりのポーズをした猫の置物が出迎えてくれる。縁側に座って森の静けさに浸ることができた。
 聖ヨハネ教会ではステンドグラスの窓の光を見ながら、みんなで「遥かな友に」を合唱した。聞いているのはガイドさんと数人のみですが目的は達成できた。
 西園寺公望別邸は内部も案内の人から説明を受けながら見て回った。庭も同じように造園したとのこと。部屋ごとに通じるアナログなブザーがついているのが古さを感じさせるし、政界を去ってからも、警戒が厳しくなければならなかったことがうかがえた。
 1丁目から3丁目まで見学したところで昼食をとることになった。 カレー、ハイカラご飯などを注文した。「ハイカラ」というのがいかにも明治らしいのでそれを注文した。出てきたものはどんぶりに、ご飯が入れられ、その上にキャベツがのせられ、ハンバーグと目玉焼がのっている。味はハヤシライスの味でした。??どこかでたべたような? そう、千原先生のコンサートを聴きに行った西宮で食べたハワイの料理「ロコモコ」と同じような具材です。
 1時間ほど休んだので足の疲れも少し取れたのでガイドさんと4~5丁目を見学した。
 「呉服座」では歌舞伎舞台を見学できた。升席・花道・奈落など見て回った。琴平にある「金丸座」は現在も歌舞伎が上演されているが、この舞台は、ときに演芸が行われるそうでした。
 帝国ホテル中央玄関では 大谷石をふんだんに使い、それに細工を施した、がっちりとした、贅沢な造りや照明を見た。喫茶ではたくさんの人がお茶を楽しんでいた。
 たくさん見て回った印象に残ったものを取り上げてみた。主な建築物は見て、帰る時間もせまり、幹事さんに名古屋駅まで送っていただき、帰路に着いた。「また、来年も会おうね」と皆で言い合った。
 JR京都駅で降り、1時間ほどですが、駅の中で土産を買ったりしてから高速バスに乗った。楽しい2日間でした。また、10日後には、高校の同窓会が恩師も参加で、大阪で行われるので、また出かける予定です。

              

       聖ヨハネ教会堂    呉服座

           

    帝国ホテル中央玄関    森鴎外・夏目漱石宅 


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