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 ずいひつ 「遍路宿」 に掲載されたものをご紹介します。

仁淀川の桜

  たかが花されど桜の花恋いて仁淀の流れ遡りゆく

 高知の伊野町を経て国道194号線を仁淀川に沿って北上する。白い河原を見せていた川は山を分け入っていくうちに濃いエメラルドグリーンの流れに変わり、幾つかの赤い橋やダムに出会う。岸辺には所々に桜が植えられ、その満開の姿を水に映して見事であるが、なぜか人影もない。幼いころ夢みた「山の彼方」の風景と重なるような気がして、懐かしい。
 愛媛県を間近にした秋葉口の標識がある赤い橋を渡り、細く曲がりくねった道を山に向かって登っていく。その中腹に目指す桜「中越家のしだれ桜」はある。樹高7メートル、枝張り直径12メートル、樹齢160年というデーターだけ見ればそれほど珍しいものではない。
3年前に訪れた時は4月10日であったが、暖冬のせいもあり、満開の状態であった。その姿は山を背に薄紅の唐衣を広げて立つ姫君のような風情で、姿が格別美しい。生け垣をすっぽり覆うように花の簪を垂れ、その先は地面に届かんばかりである。その幹に寄って見上げると花の間から青い空が透けて見え、無意識に両の手を一杯に広げてみたくなる。桜に抱かれていると、何だかその命まで貰えるような気がしてくるのである。二人三人と連れだって見にくる人は絶えないものの、その静けさを破るものはない。私たちは眼下に遠くの山を望み、青空にその美しい姿をいっぱいに広げた桜を見ながら、お弁当を開く。驚くほどの近さで鶯が鳴いたりするのを聞きながら、今年も桜に会えたことを喜び合うのは何にも増して贅沢なひとときである。
 今年は日程の都合で、4月7日に訪ねることになった。平地では満開であったが、山を登っていく途中の桜はまだ蕾の状態であったため、だんだん不安になった。近づくにつれ3年前にはなかった駐車場の案内板があったり、森林組合と書かれたテントが張ってあったりして、また別の不安がよぎる。
 カーブを曲がって突然視界が開ける。その目の前になだらかな緑のスロープを前景にしたあの美しい姫君の姿が現れた。前とは違って、一層若くなったように紅の色を濃くして羞じらっているかのようである。満開の時とは違った美しさがある。晴れた土曜日の真昼なのに、人影が少ないのはまだ五分咲きだからであろう。
 たまたま、この家の老夫婦が、訪ねてきた娘さんの一家を送って下の道から帰ってきたところに遭遇した。とうに八十歳は過ぎているらしいお二人であったが、とてもしかりとした話しぶりである。山深い一軒家の生活も不便は感じないと言う。また、桜を守る苦労は何もしていないと意外な答えがかえってくる。現在の当主も秋葉神社の神官であったがこの中越家は代々その職を守ってきたらしい。
 昔、佐川の領主が休憩した所であり、土佐三大祭りの一つ秋葉の練もこの庭で行われるそうであるが、そんな賑わいは想像できないほど、ひっそりと桜の下に静もっている。
 樹齢数百年以上の桜はどんなに人が押し寄せても負けない風格がある。しかし、この桜には屋台や雑踏は似合わない。青く澄んだ流れと、素朴な人情、桜を守ってひっそりと生きている人がいてこその桜である。いつまで私の桃源郷で居てくれるかわからないが、生きていれば毎年逢いにこようと思う。

      * ( 訪れたのは 平成5年4月7日 原稿執筆は6月7日 、本原稿は縦書きの三段組みに編集されているのですが横書きにしたことをご了解ください。)

   中越家のしだれ桜

           (平成30年3月27日撮影 三分咲)  
 

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