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 恩師と万博記念公園を訪ねる     2018/10/31

香川大学の合唱団OBの懇親会が終って間もなく、高校の同窓会が能勢温泉で開かれた。
近畿地方に就職をして、そこで生活をしている者が幹事を務めてくれたのです。
 梅田で集合になっていたので、そこまでは高速バスで行くことにして、東かがわ市でお住まいの恩師も参加していただけるということで、同じバスで向かうことになった。
 大阪駅に迎えに来てくれた同級生と2年ぶりのあいさつをしてみんなの集まる所へ移動した。JR大阪駅から少し離れた、初めてみる三番街(阪急の高速バス停がある)へ歩いた。食堂街で昼食をとるため入ったところは、きれいな広いスペース。、普通日であるが、周りにはたくさんの老若男女でにぎわっている。驚くばかりです。
 迎えの宿泊先のマイクロバスに乗り、高速を走り、着いたのは紅葉の進む山間の能勢温泉。
温泉と松茸づくしの料理と話とカラオケで、くつろいだ楽しい時間を過ごすことができました。
 翌日チェックアウト後、マイクロバスで梅田まで送っていただくのですが、皆さんそれぞれに、親類へ向かうもの、大阪城の見学に向かうものなどに別れる。私は吹田の万博記念公園で恩師を含め三名で、途中下車した。高速の中国道で吹田を通るとき、見ていた太陽の塔が最近リニュウアルされたことを聞いていたので、見学する計画に入れた。
 1970年に開かれた万博には2回訪れ、アポロが持ち帰った「月の石」を見ようと並んだり、いろいろな国の館をまわって展示を見た記憶がよみがえってくる。あの頃、「集団就職」ということで香川県から同じ日に阪神地方の企業に就職する生徒を引率の形で同行していたのです。恩師も、6回ほど訪れたということで、当時の思い出を話してくれました。あれから、48年の月日が流れ、あの大変なにぎわいと混雑のあった場所がどうなっているのか興味があった。
 みんなと別れて、案内所のロッカーに荷物を預け、散策することにした。大きなミスは、太陽の塔に入るためには、予約が必要で、その予約を取っていなかったために、内部の展示を見ることができなかったことです。入場してすぐに、緑の芝生に、白に赤い模様の手を広げたような太陽の塔が、まわりのメタセコイアの高い木にも負けないで存在感を持って立っていることに見入っていた。
 2人づれの青年が盛んに太陽の塔をバックに写真を撮っているので、我々も記念にと、お願いしてシャッターを押してもらった。その青年は、写真を撮りなれている感じで、レンズを回したりしながら構図を変えて3〜4枚の写真をとってくれた。韓国からの観光客?言葉は通じなかったかもしれないが、こちらの希望は達成できたことに不思議な感じを持ちながら、「サンキュー」とお礼を述べた。
 恩師の足のことも考えて、木も大きくなって、所々に「○○館跡」と書かれた銘板が見られる広い公園ですが、手入れの行き届いたその小径を少しばかり散策して帰路に着いた。あの場所が、こんな静かな公園になっていたのだ。
モノレールで中央口から「山田」駅まで乗り、そこで乗り換えるため降りた駅ビルの中で、少し遅いですが軽食を取ろうと、パン屋さんでパンを買って食べることにした。パンをセルフで選び、会計に持っていくところでコーヒーを注文して代金を払い、奥の席に運んで話しながら食べた。隣でも同じように、思い思いにしゃべったり食べたりしながら時を過ごしている。こんなシステムは「イートイン」といってスーパーマーケットでも増えているらしい。また、消費税10パーセントになるとき、軽減税率の対象になるとかならないとかの議論も行われているようで注目したい販売システムである。
 山田駅から梅田までは、各駅停車で阪急千里線の電車を利用した。途中、「関大前駅」があり、学生が多く乗り降りしている。駅に着くたびに多くの人が乗り降りをして当たり前のように電車は発車と停車を繰り返す。それさえも、大都会の生活の一部を見たような、見るものすべてが新しい場所での体験で、目を見張っていた。
 たまには、こんな都会の生活の中に溶け込んで、いろいろなことを体感したいものだと思った。

             

         太陽の塔                      (裏側)


飛騨高山・砺波・下呂の旅           2019/1

 復興割りのついた割安のツアーに参加した。見学していない内容の多いコースだったのと、魅力的なホテルに2連泊になっていたこと、雪景色を見られる予想したからでした。
 津田SAから乗車してみると、大型バスのほとんどの席が埋まっていて、8:00には出発した。高松道も今年3月には4車線化の工事が完了するとの情報もあり、対面通行もなく、工事区間では片側1車線の通行になっていた。神戸ジャンクションから新名神に入り、混雑もなく京都南を過ぎ、多賀SAには11:20についていた。そして、一宮JCTから東海北陸道に思ったより早く入った。北に登るにつれて、雪山が見られるようになり、以前に寄ったことのある「ひるがの高原SA」(一番高い場所にあるSA)では、滑らないように用心して雪を踏みしめながら、遠く雪を冠った白山連峰などを眺めることができた。。
 添乗員さんの観光地の説明や代表的なお土産のお話が面白くて退屈することなく、今日の観光地飛騨古川の散策にも同行していただけたのです。まさにガイドさんです。
 バスの中で昼食をとるときの話ですが、添乗員さんのおすすめなども参考に、みんなはSAで思いおもいの昼食を買ってバスに帰ってくる。名物のます寿司や焼きサバ寿司の説明の後、「ふなずしだけは買ってバスの中で食べないでください」と注意された。
 バスの中にその匂いが充満するから。あるとき、2人連れのお客さんの一人が、その「ふな寿司」を開けようとしていたのを見た添乗員さんは、「バスの中では開けないでください」と止めたようです。その方は手を止めて食べなかったようですが、なぜ、鮒ずしを買ったのか? それは鮒(ふな)寿司と鯖(さば)寿司を間違って買ったということでした。その後、隣の人に昼食を分けてもらってすませたとのことでした。
 古い街並みの残る中で、「三寺まいり」のお寺のうち円光寺、本光寺の2寺を訪れたり、瀬戸川と白壁土蔵街を散策して写真を撮ることができた。彩りを添える鯉の姿はなかったのが残念。冬はほかの場所に移動させているらしい。また、和ろうそく、日本酒の蔵元も訪ねてみた。
 ツアーの散策にしては、意外にたっぷりと時間があったのが良かった。

       
     
    ひるがの高原SA     飛騨古川の街並み      白壁土蔵と円光寺

 ホテルには早く着いたので、食事まで時間があり、雪を冠った山々の景色を眺めたりして、のんびりと過ごした。
 2日目 
 今日一日は富山県での観光で、また同じホテルまで帰ってくる。
 車窓から雪景色を見ながら、飛騨高山ICから入って東海北陸道を北へと走る。トンネルの多い高速道で、下り車線は56にもなる。トンネルの入り口には南から何番目のトンネルかが表示されている。(上りは54)
 トンネルの切れたところで見る雪景色の中に、白川郷・五箇山の菅沼のかやぶきの合掌造りが見えた。観光客が増えて白川郷もライトアップ期間は予約をしなければ入れなくなっているとのことでした。 ちなみに、この旅行会社も、今年は8月に行われた抽選に外れたそうでした。
 高岡の大仏と高岡駅前のドラえもんのキャラクターたちの像を訪れた。

   
  
    ホテルから雪の乗鞍岳      ドラえもん             高岡大仏

 さらに北へ進み、新湊の「きっときと市場」で早い昼食を取り、海産物のお土産などを見た。さらに、「昼セリ」ではズワイガニのセリを見学した。並べられた中から大きなズワイガニがよりだされ、タグを付けられていた。いわゆる「タグ付きのカニ」になったのです。ズワイガニが床に10匹ずつを単位に整然と並べられ20匹ずつが競り落とされていく様子を見た。しゃべっている言葉は全くわからなかった。テレビ局も取材をしていた。、
 海王丸の係留されている港で記念写真を取り、遊覧船に乗る。船内に入らず、後ろの甲板で写真を撮るために、寒さを辛抱したので、新湊大橋などユニークな橋を写真に収められた。また、バックには雪を冠った立山連峰も写し込めた。

      

   海王丸と新湊大橋   ズワイガニ 「昼セリ」  屋根付き・歩行者専用 東橋
            
 ホテルに帰る途中、井波で散策の時間があり、瑞泉寺と池波正太郎ふれあい館を訪ねた。
井波彫刻の粋を集めて建築された瑞泉寺の山門や勅使門の獅子の子落とし、太子堂の彫刻は素晴らしかった。また、住職さんの寺についての説明は、落語の口調で、楽しく拝聴できました。
 池波正太郎ふれあい館では、テレビドラマで見ている「鬼平犯科帳」や「剣客商売」等の小説や愛用のぼうし、万年筆、和服などが展示されていた。
 新湊から南に帰るにつれてだんだんと山の中に入り、雪が深くなり、景色が変わってきた。ホテルに着く頃にはもう真っ暗になっていた。
 あすは高山の朝市見学と下呂温泉散策をして帰路に着く。

     

   瑞泉寺の山門と勅使門の彫刻    飛騨高山街並        高山陣屋
 
 3日目
 朝 8:00 雪のちらつく中、雨具の用意をしてバスに乗る。雪の中、宮川朝市、旧高山町役場、、高山陣屋、など写真に撮る。 添乗員さんから説明のあった「いわき 早蕨」をお土産に買ってみた。
 バスは高山から国道41号線を南下し、下呂駅で駐車。下呂温泉の散策に出かける。下呂大橋を、上流からの冷たい風に吹かれながら、露天風呂、白っぽい石の河原を眺めて渡る。さるぼぼ神社、チャップリン像などをめぐり、一時、足湯でゆったり、ほっこりとした時間も取れた。
 その後、バスは41号線をしばらく飛騨川と高山本線にほぼ沿って走る。途中、「中山七里」と呼ばれる峡谷を見ることができた。バスはどんどん走るが、窓ガラス越しに飛騨川の写真も撮った。途中で256号線に入り郡上八幡に向かう。添乗員さんがふと口にした「飛騨の石はどうして白いのかな?」 という問いに、私も下呂大橋から河原を見ながら、白っぽい石が多いなあ?何の石だろうかと興味を持っていた。白い石と言えば、よく見ている花崗岩か、流紋岩か、石灰岩(途中に鍾乳洞の看板を見たので)かなと疑問に思っていたので帰ってから調べてみた。 
 「濃飛流紋岩」と呼ばれる、流紋岩質の火山灰が火砕流となり何層かに重なり、その時の熱で溶けて、それが冷やされて固まってできた溶結凝灰岩らしい。
                                             
             
  下呂温泉 さるぼぼ神社    下呂駅前        中山七里




  親睦旅行      モネの庭・安芸市の旅          2019/5/20 

 今年の親睦旅行は福祉部の皆さんが、旅行先、昼食場所、貸し切りバスの手配などを考えて、手づくり感のある、一味違った旅にできたことでした。
 5月20日 私は、最初の高松駅から乗車のためJRで駅へ向かう。駅で列車を待っているとき、外国の旅行者かなと思われる若者の集団が来た。世話役の方だろう者が私に、英語で尋ねてきた。少し焦った。尋ねられたのは、「高松方面に行きたいのですが、ここで待っていいか?」ということだった。私はとっさに列車の時刻表を指差して、「髙松 49分」と言っていた。列車が来て乗るときに、彼らはThank you」と言って乗り込んでいった。英語の話せないことがすこし残念だった。高松方面の列車が通学・通勤時間帯と重なったため、列車は混雑していた。
 貸し切りバスは市内を回って、いつものように、団員の皆を拾っていく。バスは団員20名を載せて高松道を高知に向けて走る。高知道に入りトンネルをぬけ、高知南国ICで降りてR55号に入り、昼食場所の太平洋に突き出たガラス窓の大きなレストラン 「シーハウス」 に到着。雨がぽろぽろして灰色の空。波長の長い太平洋の波が、鼠色の砂浜に砕けて白い列を作っている。今年練習している「城ケ島の雨」に出てくる 「利休鼠の雨がふる」 の雨の色ってこんな色だろうか?と想像する。
 席に着く前に、皆は、太平洋の波が、足の下で砕けているのと、水平線をながめて、「ワー!!」と声をだしていた。  「注文したメニューははなんだったっけ?」 幹事さんが、各自の注文したメニューをプリントアウトしてきたリボンを渡す。ご配慮ありがとうございます。今回、事前に個々に注文していた料理が各テーブルに運ばれてくる。ウエイターが料理名を言っても、なかなか手があがらない。そこで、幹事さん、ウエイターにHPからプリントアウトしていた写真付きのメニュー番号を呼んでくれるように頼んだ。おかげでスムーズに料理がそれぞれのテーブルに運ばれる。
 みなさん大満足の昼食でした。

       
             
            太平洋をまじかに見ながらシーハウスにて

 R55号を南に走り、モネの庭に着く頃には、雨も大きくなってきていた。カッパや傘を差しながら見学に出発。緑の中に睡蓮の池。シャッターを切った。

     

          睡蓮の池                メタセコイアの並木

 雨が大きくなり、記念写真も取りにくくなった。バラ園も少し眺めて、コーヒーで一休み。
 R55号を帰り、安芸市の野良時計、岩崎弥太郎の生家を見学した。事前に、童謡作家の弘田龍太郎の生誕地であり、3歳まで生活をしていたというこのゆかりの地に、童謡の里として整備が行われていることも、曲碑があることも確かめていたので、迷わず曲碑を前にして記念写真を撮った。
 そして、野良時計の駐車場にある曲碑の前で、みんなで歌った。
 「 ♪ 甍の波と雲の波 重なる波の 中空を ・・・・」   こいのぼり。
 さらに岩崎弥太郎の生家の入り口付近でお店があり、その隣に、「春よ来い」の曲碑があった。
お店の人が「ボックスのボタンをおすと歌が聴けるのですが、調子が悪いので・・・」というので、すかさず、「歌ってもいいですか?」と尋ねた。「どうぞ どうぞ」。 許可も下りたので、誰かが音を取り、みんなで歌った。「♪ 春よ来い 早く来い 歩きはじめた みいちゃんが ・・・・・・」 雨の中、傘をさしてですが、歌声がボックスの歌の代わりに庭に響いた。
 皆は岩崎弥太郎の生家の見学に入っていったが、しばらく店員さんと話していると、「歌碑めぐりをしているのですか? 同じ趣味の方で旅行もいいですねえ」 「いいえ、今日は、モネの庭の見学がメインで、ついでにですが見学です。プライベイトでまた歌碑めぐりや城址公園を訪れたいので、きっと来ますから」 と。「高校生とコラボで製作したなしのプリンがある」ということで買ってみた。なんでここに「ナシ」が?と思っていたのですが、自宅にかえってふたを開けると、「なし」ではなく、「なすのプリン」だった? どうも聞き間違えてしまったようで、苦笑いするしかなかった。でも、勧めるだけあっておいしかった。
 帰る途中、南国の道の駅「ふらり」で小休止。豊浜SAで小休止して高松駅に着いたのは20時ころでした。ピアノがないと歌わないと思っていた合唱団が、野外で、みんなで歌ったのには驚き、変化を感じた日でした。

     

  「 こいのぼり」曲碑    「春よ来い」曲碑    岩崎弥太郎氏 生家

 *曲碑 楽譜を刻んだ碑  *詩碑 詩を刻んだ碑  *歌碑 和歌・短歌や歌の歌詞を刻んだ碑


    
    団の紹介   団の歩み  演奏会プログラム  行事予定   MW写真館  コーヒーブレイク

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