平成23年(2011)東北地方太平洋沖地震               (記 2011.3.25)

 ニュースに、被災者の思いに涙し、団員も心を痛めています。被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。被災地の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。

 時をさかのぼることができるのであれば、あの地震の発生した時刻以前まで返りたい。でも今は、災害で何もかもが一変してしまった非常に厳しい現実に、立ち向かわなくてはならない。
 3/11 15:00テレビを見ようとスイッチを入れて驚いた。三陸沖で大地震が起きてM8.4(後でM8.8、さらにM9.0に修正された)、津波の予測が各地で6m、10mという。ええ!一瞬目を疑った。どのチャンネルでも14:46に発生した巨大地震の特別番組に変わっていた。 地震の揺れによる破壊、太平洋沿岸に出ている津波警報の予測通りだと津波で大変なことになると、しばらく様子を見ていたが、茨城県沖でもM7.4の地震が発生した速報が入った。えええ!誘発されたのか?(500km×200kmの広い範囲でプレートが動いた?) 東京の息子に電話をしなくてはと携帯電話を使ってみたが、何回かけても全くつながらない。 メールを送ってみた。送信はできた「地震大丈夫か?」 メールの返事が来たのは17:00をすぎていた。「大丈夫。電車が止まっているから職場で一夜を過ごすことになるかもしれない。○○とはまだ携帯で連絡がとれない。」 と携帯電話が大変混み合っているようだ。いつ着くかわからないと思いながら「落ち着いて、安全に」と祈る気持ちで短い返信メールを送った。
 テレビで見る地震の揺れや津波の映像は想像をはるかに超えたものだった。海水が家を、車を、畑を、船を、何もかも飲み込んで、破壊しながら奥へ奥へと上がっていく様子を何度も見た。 余震の地震警報が何回となく放送を中断して入ってくる。火災の発生、連絡のとれない地域、津波警報の継続、様子がだんだん明らかになり、長年に築き上げてきたであろう家や財産が一瞬にして消え去った、崩れ去った、町が壊滅するほどの、悲惨な災害を見ることになってしまった。兵庫県南部地震以上に、地震の恐ろしさを知った。
 これに加えて福島原発の緊急停止から、冷却装置の不能で危険な状態になって、20km以内は避難指示、それ以上30kmは屋内退避となり、原子炉や燃料プールの温度が上昇して安定せず、水素爆発によって建屋の破壊、放射性物質の飛散で、農作物へ、水道水へ、土壌へと放射能汚染が拡大していく様子を毎日聴いていると、どうなっているのだろうという不安と深刻さが増してきた。 スリーマイル島の原発事故のような恐れていたことが現実になってしまったのだ。
 被災地の燃料不足、食料不足に電力不足による停電は、日常生活にいろいろなところで大きな影響を与えている。自衛隊員、消防隊員、東電の技術者、作業員の方など多くの人たちが危険をくい止めようとがんばっておられることに敬意を覚えながら、早くこの危機が収束することを願い、被災された地域の復興を願わずにはいられない。
 まずは避難先でお互いに支え合いながら生活されている方達の十分な生活支援がなされるよう私自身のできることはやらなければならない。
 また、この災害で報道される内容を十分理解し、判断するために、マグニチュードM、過去の大地震、過去の津波災害、原発の構造、放射性物質、特に放射線のことやその単位 放射能ベクレル(Bq)、吸収線量グレイ(Gy)、線量等量シーベルト(Sy)、J/Kg のことについていろいろ調べた。数値や風評に惑わされないためにも理解を深めた。
 身近で、近い将来起こると予知されている東南海、南海地震についても個人レベルでできる対策をしないといけないと再認識させられた。
 20日に行われたさぬき市合唱祭では、参加者全員でこの大災害でなくなられた方々に哀悼の意を表し黙とうを捧げました。
 この災害について、ニュースや報道される情報をしばらく注視していくつもりである。
 

UP

団の紹介   団の歩み   行事予定   MW写真館  コーヒーブレイク

 早くも、去年のことになってしまったのですが、屋島の麓の「パル屋島」でのパート練習のとき、個室から屋島が黄色や赤に紅葉しているのが見えた。緑の松より、紅葉する樹木が増えたためだろうと想像できる。
 休憩時に、Tさんが京都の詩仙堂で撮った紅葉の写真を見せてくれたので、私もバインダーの表紙にしていた宮島の紅葉谷公園の写真を取り出した。その写真をSさんが見せてほしいと言うことでお渡しすると、こんな時間を持ってみたいというようなことを言われて周りの人にも紹介して頂いた。
 この会場での練習後には、昼食に「レイ」という店に行くことが多い。琴電屋島駅のちかくにある店で、玄関にはいつも季節の花が飾られていて気持ちよく迎えてくれる。先についた者が奥の予約席を確保しているし、店員さんもお馴染み客と言うことだろう、空いていればそこへ案内してくれる。そこにテーブルが3席あり、全席に団員が座るが、あふれた時には椅子を持ってきて頂いて4人掛けのテーブルに6人が座ることもある。店員さんにランチのお皿が置きにくいと言われたりもするが、離れて食事するより、窮屈でも一緒の空間にいて同じ話に入っているのを望むからだ。ランチが2皿に分かれているときには、ご飯の皿を手に持ったまま食べたこともある。ランチにコーヒーはセットされているので、食事の後、コーヒーを運んでくれると、「ウワー、ペアカップだ」ということもあったり、何からでも話題にして楽しみながら飲んでいる。奥まった一室のため、周りに話し声が大きくて迷惑をかけることがなくて気兼ねなく話せるのがいい。
 今日は、コーヒーを飲みながら紅葉の話で弾んだ。過去には団旅行で保津川下りにも行ったようで京都の紅葉の話になった。京都のお寺で紅葉を見た者は多く、誰もが一つや二つは挙げられた。
京都大原三千院、高山寺、西明寺、神護寺、詩仙堂ーーー。京都の紅葉の季節は混雑していることを覚悟で旅行しないと渋滞で車の移動がスムーズに出来なかった話をよく聞く。香川でも、栗林公園、小豆島の寒霞渓、柏原渓谷ーーー などを挙げてみる。
 今年もまだまだ先のことですが、どこかに紅葉を見に行こうかな。
       

 詩仙堂 、 相国寺 (京都)                  紅葉谷公園(宮島)

HOME
コーヒーブレイク3                  (2012. 1)

冬の味覚の牡蠣                    (記 2011.12)

 今日は練習が終わって、福祉担当の幹事さんの計らいで、「牡蠣小屋」へ牡蠣を食べに行くことになっている。練習会場からは近くて、数分で会場に着いた。海が見え、あざやかな赤や黄色のケイトウの花が目に留まる。珍しい白い馬が目に入る。そうだ、時々ニュースになる有名な馬であることに気づいた。
 牡蠣小屋に案内されて入ると、牡蠣殻の焼けたにおいが漂っている。一辺が1mほどの四角い鉄板の上にたくさんの「殻つきの牡蠣」がおかれ、薄い2つ折りに出来る鉄板で覆われて、すでに準備されていた。2カ所に分かれて、適当に8人くらいが1つの鉄板を囲んで座り、牡蠣の焼けるのを待つ。  時々焼き栗がはじけるように「ポン」「パチ」と大きな音で殻がはじけるのでびっくりして動きが一瞬止まる。
 店員さんも、合唱団が去年来たことを覚えていてくれた。(冬の味覚を味わう恒例の行事になるかな) 上のふたになっている鉄板を取り除くと、焼けてきた牡蠣が口を開けて湯気を出している。店員さんが火箸ではさんで焼けているものから皆の前に置いてくれるので、それをやけどをしないように軍手をはいた左手で押さえ、5cmくらいのナイフのような柄の着いた道具で殻をさらに開けて、貝柱の部分をはずしたりしながら牡蠣の身を取り出す。そのまま口に入れると、海の潮の香りがぱっと広がり、その塩味だけで十分においしく食べられる。殻を器にしてレモン汁をいれ、その中に取った牡蠣の身を入れて食べるとさらにおいしい。
 こぼれた牡蠣汁が丸い玉となって焼けた鉄板の上を転がる。鉄板からの熱で、顔が熱くなるので少し窓を開けて風を通す。
 牡蠣殻はどんどん横のバケツに放り込んでいく。鉄板の上の牡蠣が残り少なくなると、これが驚きだが、店員さんがスコップで牡蠣をすくって、鉄板の上に豪快に入れる。「もう十分です」と言うまで次々にスコップで牡蠣を運んできては焼いてくれる。でも食べ過ぎは禁物です。
 あと、「牡蠣ご飯」とみそ汁を頂く。作り方を聞いてみると、『お米、牡蠣の身、お揚げ、細切りのニンジンを水の段階から一緒に入れて炊く』と教えて頂いた。醤油で薄く味付けした炊き込みご飯かな。1つのバケツには2〜3人で食べた牡蠣殻で一杯になっている。
 よく食べたなあと言いながら出口で、さらに牡蠣ご飯をパックにしているものを買って帰る。(牡蠣には常にあまり摂取しない亜鉛などミネラルが多く含まれ、顔もつるつるになると言われて女の子達が喜んだのは言うまでもありません。)

 ゲネプロでアルファあなぶき小ホールでの練習が終わった帰り、ステージ用のスーツを2着入れたりして重いバッグを下げてJR高松駅まで、海水が取り入れられた「玉藻城」の堀を見ながら、とぼとぼと歩いて向かった。ボラの稚魚かな?群れて泳いでいる。すれ違う人の服装や荷物を見て旅行者かなと想像をめぐらしながら、『旅に出たいなあ』と思ったりもする。
 駅に着いて列車の時刻を確かめると待ち時間が40分もあるので、一瞬、ウワー!長いが仕方がないと思いながら、駅の二階にあるコーヒー店で休憩することにする。立っての練習で足が疲れていたうえに、のども渇いていた。
 入り口に立ったとき、ウエイトレスさんと目が合い、「いらっしゃいませ」と言われあわてて会釈をして入る。数回来たことがあり、いつもは「いらっしゃいませ」の声を聞きながら黙って入っていくのですが、初めての対応だなあ新入りのウエイトレスさんかなと思いながらカウンター席に座る。不思議なもので、たくさんある席の中でほぼ同じ位置の席に着いている。コーヒーのいい香りが漂っている。メニューとお水を運んできてくれたとき、「マンデリンをお願いします」と、すかさず注文して、一気に水を飲んだ。サイフォン式の器具で一人分のコーヒーが目の前で作られる。自分で淹れるコーヒーは、なかなかこの味が出ないのはなぜだろうと考えながら手際よさを眺めている。「お変わりが100円でできます」と、カウンターにコーヒーカップを置いて、目の前で淹れたコーヒーをなみなみと注いでくれる。何を考えることもなく、砂糖とミルクを加えてスプーンで数回混ぜる。このゆっくりとした時間の流れと、カップから立つコーヒーの甘いような香りが心地よく、疲れた体を癒してくれそうで和やかな気分になれほっとする。
 ゆっくりとコーヒーを飲み終え、「お水を下さい」と、もう一杯お水を飲んで店を出ましたが、今日は丁寧な対応に感謝したくなりました。40分の待ち時間を無駄と思わないで、ゆったりと過ごせたなあと自分に納得させて、下りのエスカレーターに乗る。少し元気を取り戻したかな。
 時にJRの列車に乗っている時間は25分ほどですが、ミニミニ旅の気分になれます。日常の生活でないことへの憧れかもしれない。

コーヒーブレイク2                 (記 2011.11)

四国村入口付近         異人館               わら屋の水車

 2011コンサートが盛会に終わった            (記 2011.11)

 2011コンサートが盛会に終わり、ホッと一息入れたいところです。10月中頃からのどの調子が変だったのですが、そのまま練習も続けていました。なかなかすっきりしないので病院へ行くと、気管支炎になっていて、「放置していると肺炎になるから気が付いたら早く病院に来なさい」と叱られてしまった。コンサート前まで、体調管理に努めたのでやっと声が戻ってきた。
 1部 「青春を歌う」 6曲。できるだけ楽譜を見ないで指揮者を見て歌うようにした。懐かしい曲で、それぞれ歌っていた歌手のイメージが浮かんできた。 
 2部 日本の歌 中山晋平の曲7曲。2曲目の 「証城寺の狸囃子」 が緊張の山場だった。それは、Mさんが木魚、私が4カ所お鈴をたたくところを受け持っていたからです。「チーン」とお鈴を叩いたとき、案の定、会場から笑いがこぼれた。それでも、平然とリズムを間違えないように叩くことに集中した。
 (この手持ちのお鈴はTさんのご厚意で半年くらいずっとお借りして、練習していたものでした。)
 3部 「行け 旅に 憧れにになわれて!ーーー」 若者に返った気分で、組曲「旅」をナレーションと歌詞をかみしめながら歌った。
 アンコール 。シルバー合唱コンクールに向けて歌い込んだ曲、「あいや節幻想曲」。東北の震災とねぶた祭りのイメージが重なって、胸が詰まりながらも感動して歌っていた。後で、「アンコールの曲が一番よかった」 とコメントをいただいたりした。喜んでいいものやら??
 会場からの50名ほどの来場者に協力を得てステージに揚がって頂き歌う、恒例の「大地讃頌」はボリュウムたっぷりに歌えてよかった。
 反省会では、幹事のHさんの準備をして頂いた電子ピアノ(前日に、このために新しく購入されたものらしい)の伴奏で数曲をみんなで歌って楽しんだ。これって入団して初めての試み?ではないだろうか。
 ご来場頂いた皆さん、ご支援を頂いた皆さんありがとうございました。

懐かしい音源                      (記  2011.10)

 去年、今年と小中学校と高等学校の同窓会が続いて行われた。どちらの会も20数名の同級生が参加して楽しく行われた。話題は昔にもっどって懐かしく思う話や、仕事の話、家族の話などであり、特に、退職後の現在、何をしているかということである。趣味に取り組んでいる者、畑を耕す者、ボランティア活動をやっている者、仕事を続けている者、いろいろである。
 みんな懐かしく、40何年もの空白を埋めようと話し込んでいた。盛況で会は終わった。
そんなとき、K大学の合唱団の同学年の仲間で集まろうという打診のメールが届いた。(我が団にもその先輩方が数名在籍している。)
 その中に、「大学時代に定期演奏会で歌った曲が聴けるよ」と言う情報があった。
45年以上も前の音源である。私も当時、オープンリールのテープレコーダーでコピーして一部持っていたのであるが、もう器械を持っていなくて聴くこともできないで、あきらめていた。
 早速、HPへアクセスして驚いた。なんと! 50年くらいのK大学合唱団の定期演奏会の音源が整理されて聴くことができるようになっていた!!
 聴いてみて、また驚いた。雑音がなくて、音がはっきりしていて、誰の声かまで思い出せるのである。今となっては懐かしい出来事も。それは、
 予定のステージが終わり、アンコールで指揮者が「赤とんぼと七つの子2曲をを歌います」と説明して、音をピアノでとり、いざ歌い出した瞬間、「カラスーーーー?」 と歌い出して会場から笑いが。やり直し。ピアノの音取りをもう一度。その取り方に力が前よりこもっているのもはっきりと。こんな失敗も、はっきりと残っていた。
 言うまでもなくダウンロードして私のミュージックライブラリーに入れておこうと思っている。
 大学時代の合唱仲間で会が開けたとき、その音源を演奏して一緒に懐かしく歌えそうだなあと、心待ちにしている。ああ懐かしい!! 青春は遠くなりにけり。





ある演奏会                         (記 2011.7)

 昨年末にオペラ「かぐや姫」の合唱に出演して、その記録DVDをあらためて観た。舞台の袖で、少ししか観られていなかったのであるが観客の視線で観ることができ、ストーリーとして理解することができた。オーケストラの音、舞台装置、照明、ソリストの衣装や化粧、合唱やソロや二重唱、かぐや姫のストーリーを自分なりに全感覚で理解することができた。前にDVDとTVを赤・白・黄色のビデオコードで接続して観ていたが、今回HDMIケーブルで再生してみると映像が明るくシャープに見えたので端子によってこんなにも違うのだと改めて気づかされた。 (いろいろなAV機器がデジタルに変わっているのに、私の頭の中もAV機器も、まだまだアナログの世界が混在している。) また、団員のTさんから頂いた、以前、団員が出演したというオペラ「ウイーン気質」のDVDを観た。ダンスの大会で優勝したことがあるというTさんの華麗な舞台を感嘆しながら観て、イタリア語などのため言葉がわからないと思っていたオペラに、興味も出てきたのである。身近な人の出演しているオペラは親近感を持ってみられるのである。
 合唱団員になってから、いろいろなコンサートの情報が入手できるようになった。8月に公演されるオペラのチラシが回ってきた。見ると、オペラ「かぐや姫」にソリストとして出演されていた方が数名出演されることで、観に行こうと思っている。何十年ぶりのことだろう。    
                                                


身近になったオペラ                     (記 2011.6)

団の親睦旅行                           (記 2011.5)

 指揮者のSさんから、「演奏会のDVDの校歌を歌っているところから校歌をCDにしてほしい」と依頼を受け、DVDをお預かりした。「第2回たつの子の会」という2005年に企画された演奏会の記録であった。そこで、DVDプレーヤーの音声出力からをICレコーダーの外部入力端子に接続して録音し、そのファイルをパソコンに取り込み、CDに焼いた。合唱をしている中に幾人かの知っている顔を見つけた。(みんなY中学校の卒業生なのだろう)と想像できた。私も3年間聴いた歌なのに、情けないかな、全く思い出せないのである。
 CDのラベルを作るために持っていた数十年前のアルバムを利用しようと開いた。懐かしい写真である。歌詞と風景をスキャナーで取り込んで利用した。 
 その後、興味もあり、この演奏会のDVDを全部観た。Sさんの教え子達の独唱あり、中学生の合唱あり、合唱部OBと思われる合唱ありで、もちろんミュージックウエイも出演して「こきりこ」と「むぎや」を、「太鼓」と「こきりこ」と「ささら」の楽器入りで歌っているのを、楽しんで聴かせて頂いた。 合唱を通じた人のつながりの広さと、脈々と続く時間の流れをを感じるとともに、合唱の楽しさと、すばらしさをあらためて認識したのである。
 余談であるが、この歌っている「むぎや」の合唱は2004年に全国シルバー合唱コンクール(神戸)で金賞に輝いたときの曲であり、またこの年東京町田市の男声合唱団マルベリーの演奏会に賛助出演した時にも演奏した曲である。昨年の2010コンサートには男声合唱団マルベリーに賛助出演して頂いたのであるが、そのとき、「東京の演奏会で太鼓をたたかれたのはどの人ですか」と尋ねられた者が、「Tさんだ」と紹介しても「いや違う、プロの人でしょう」と、なかなか信用してもらえなかったというエピソードも聞いた。Tさんの太鼓さばきがプロ級なのである。
 先日には、香川県合唱祭に参加して、少年少女合唱団、中学生、高校生の合唱団、一般の合唱団など、さまざまな年齢層や男声、女声、混声の合唱団の合唱を聴くことができた.。このステージで我団が歌った「あいや節幻想曲」の時のステージ衣装が、その由緒ある衣装だったのである。 また、発表の合間に、発声練習を兼ねているようだが、「夏の思い出」をみんなで会場いっぱいに響かせた。これも素晴らしい合唱だった。新鮮な体感をした一日だった。


TOPへ
コーヒーブレイク

ページ | |

コーヒーブレイク1                  (記 2011.11)

こうべ2011全国シルバー合唱コンクールで入賞       ( 記 2011.9)

 9月16日(金) 神戸文化ホールで行われたコンクールに今年も参加した。このコンクールも20回目の節目を迎えたことになるという。私自身は団員となって2年が過ぎ、3回目の参加である(団としては14回目)。1回目のステージは、入団間がなくて歌うことに不安があり、緊張があった。2回目は十分な時間があったのだが、曲への慣れが不十分、がんばらなければと言うプレッシャーからやはり平常心でなく、落ち着かなくてはならないと思うのと裏腹に、足が緊張で震えていたのを覚えている。 今回の歌った「あいや節幻想曲」はどういうことか落ち着いて平常心で歌えたのである。ステージでは、指揮者のうごきはもちろんのこと、ピアノの音も冷静に聞こえて、観客席の様子も見えていた。
 歌の途中で、フォルテシモで「 ドーン ドロシコ」と切れるところがあるのだが、その1秒くらいの間があるときに会場からやまびこのように音が残って聞こえてくるのを聞いて、「おお!!」と心の中で思うだけの余裕があった。この響きは忘れられない感動だった。
 思うに、この「あいや節幻想曲」は練習を始めてもう9ヶ月にもなるだろうか。パートの音取りも皆が早いのでなかなかついて行けない。自宅での自主練習を助けてくれるのが「スコアメーカー」というパソコンソフトである(楽譜の読み込みがスキャナーでできるようになっていて便利)。音のとれないところは何回もその部分だけ繰り返し練習した。「ドンドンドンドロシコドンドン」のフレーズが12回もあるが、その出だしのタイミングがなかなか難しかった。
 暗譜してやっと指揮者の指揮が十分見られ、速さの変化や、強弱の指示について行けるようになってくる。週1〜2時間の練習、パート特別練習、集中練習やステージ練習を経てこのコンクールを迎えたのである。この練習時間も平常心でいられたもとであろう。
 このコンクールの私の楽しみにしている審査結果の発表前に演奏される神戸市混声合唱団の演奏は素晴らしく、じっくりうっとりと聴いていた。
 結果発表 銀賞!!! 拍手をしながら、心の中では『やった!!』と叫んでいた。
 懇親会では、ほろ酔い気分で「太陽がくれた季節」を合唱した。コンクールの事務局の方がテーブルに回ってこられて、ご挨拶を頂いたので、スムーズな運営に御礼を述べた。
 当日は台風15号の影響もあって練習会場からホールまで歩く間に雨が降っていたし、帰路では高速道路が鳴門IC〜津田東IC間が通行止めになり、一般道を走ることになったうえに、大雨洪水警報が発令されていて、バスが波を切って走ることがあったりして、帰宅時間が少し遅れ大変だった(家に着いたのが1時頃になった者もいた)。団員の皆さんお疲れ様でした。また、会場まで来られてご声援下さった皆様に心から御礼申し上げます。
 
 

朝、6時貸し切りバスは出発し、高松駅など高松市内を数ヶ所めぐって団員を乗せ、しまなみ海道へと高速道路を走った。流ちょうなガイドさんの話に引き込まれ、楽しく聴いていた。ぽつぽつと雨が降り出したが、亀老山展望台に寄って、来島海峡大橋を展望した。少し雨で霞んでいたが島から島へと橋でつながってのびる道や、点々と島の浮かぶ瀬戸内海を眺めることができた。
 姫路から参加の2名と昼食を取る尾道市内で合流し、豪華な食事をした。尾道のアーケード街を通り、少しであるが初めての尾道の空気を感じた。NHKの朝ドラの「てっぱん」のポスターが目に留まった。お土産にも魚(カレイ?)が1匹丸ごと入ったせんべいを買ってみた。
 国道を少し走った後、少し登って千光寺公園に到着した。桜の花が満開をすぎたくらいでまだ見ることができた。雨にぬれて滑りそうな「文学のこみち」を下りながら、大きな石に刻まれた歌などを写真を撮りながらつぎつぎに見ていった。代表的なものは、尾道とゆかりのある「放浪記」、「暗夜行路」と聴いていたのでじっくりとシャッターを切った。
 千光寺では巨大な石に刻まれた梵字、鏡岩、玉の石等の奇岩や、鐘楼に目を奪われた。また、鼓岩が目に留まり、そこに用意されている石の鎚で自分の乗っている大きな岩(花崗岩?)をそっと注意深くたたいてみた。たたくところによって音の変わるところが見つかった。その部分を打つと少し低い鼓のような音になって響くのである。サヌカイトをたたく音が鉄琴ならばまさしくこの音は鼓である。この岩が冷えて固まるときに内部に空洞できたのだなあと想像できた。雨で滑りそうだなと思いながらも、体感して確かめずにはいられなかったのである。
 また、市街の建物の背に尾道水道と向島を眼下に展望することができた。
 世羅高原へと向かう。数年前に訪れたことがあったので2回目になるが、一部高速道路が整備されて、ずいぶんと短い時間で到着した。雨の中、入園したのであるが、目的のチューリップの花はほとんど咲いていなかった。ムスカリと水仙が帯のように長く満開に咲いていたので、ぬかるみそうな赤土の小径を、写真を撮るために入っていった。そのため靴の底から数cmは赤土だらけになってしまった。ああーー。(ここでいただいたヒマワリの種をプランタに植えた。数本芽が出て、20cm位に育っている。花が咲くのを楽しみにしている。)
 帰りのバスで、ガイドさん(よく観光している地方の歌も紹介してくれる)が今日は歌を歌わなかった。その訳をわざわざ話題にした。合唱団のみんなの前では意識して、あえて歌わなかったのではないかと思った。かといって、みんなで歌おうとすることもなかったのであるが。
 楽しい一日でした。 

      千光寺 玉の岩                  世羅高原農場 ムスカリとスイセン

 練習が終わり、団員十数人でおいしい魚料理を食べようと道の駅に向かった。団体のバスが止まっていたりして席は混雑していた。それぞれ好きな品をセルフで取って、空いた席に分かれて座って食事をとった。後、コーヒーを飲もうと、四国村の「異人館」に行こうということになった。
 何回か訪れたことのある喫茶店で、T先生にご指導を受けたときにもご一緒できた店であった。入ると空いていたので、窓際の席に着いた。三々五々に集まってくると、一つのテーブルでは座りきれないので、アンティーク調の机と椅子を寄せてみんなで周りを取り囲むように座る。(習性と言っていいほど、同じパターンである。)テーブルには赤や白のバラの花が生けて飾ってあったのでウエイトレスさんにたずねてみると、四国村のバラ園から切ってきたものらしい。部屋の雰囲気が明るくゴージャスな感じで和む。
 ここでは私の好きな「エスプレッソコーヒー」があるのですが、今日は気分で、「ブレンドコーヒー」をオーダーした。女の子達?はブランデー入りの密をかけるコーヒーゼリーがお好みのようだ。コーヒーの香りと味をゆっくりと味わいながら、いろいろと話が弾んだ。イラクの話から、イスラム教の話や日本の宗教の話になってきた。聞き役に回るが、どうも「証城寺の狸囃子」に出てくるお経も連想できる。お経の唱えられる団員は数人はいるので、「御文章」の話にまでなってきた。誰かが「何でこんな話になってきたの」と切り上げることにした。コーヒーの香りとバラの花を脳裏に焼き付けて、秋を感じながら店を出た。
 この異人館は、神戸から移築されたもので由緒ある建物のようだ。脇には皇帝ダリアが屋根まで届きそうにのびて、ピンクの豪華な花を咲かせていた。となりの讃岐うどんのお店「わら屋」の藁屋根とゆっくり回る水車を眺めて四国村を後にした。