オペラ「かぐや姫」に出演して (舞台芸術ワークショップ成果発表会)

 2010コンサートが終わり、オペラ「かぐや姫」の合唱に取り組むことになったが、予定を見ると練習期間が短くて、譜面を暗記できるかどうかという不安があった。楽譜を頂いてすぐに自己練習のために楽譜をスキャナーで取り込み、パソコンで練習ができる状態にした。その後、練習用のCDを頂いたので、自己練習はしやすくなった。
 団の練習に加えて、合唱担当全体の練習にも参加をして、とにかく覚えることに時間を使った。合唱だけの全体練習の最初、Bassは声が出ていなかったので「シャイなバス」と言われたが、実際は音取りが不十分で力一杯歌えなかったのが事実である。全体練習を重ねるうちに、十分声が出せるようになり、合唱指導の指揮者に冗談で答えることもできるようになってくると、皆の息も合って楽しく練習ができるようになった。
 歌を暗記をしなければいけない、入退場の仕方、動作をつける等いろいろの面で指導されることを覚えなければならない。そして、オーケストラと合わせる練習、田中先生のご指導、「かぐや姫」の作曲者である平井先生のご指導、振り付けの浜畑先生のご指導を頂き、練習の度に楽譜なしで歌えるようになってきた。全体練習の後は疲れがたまって、朝、目が覚めたときには声が出ないくらいだったりもした。小学生の合唱は、早い時期から歌えていたのには、皆で感心した。ソリストの美しい声には、うっとりと聞き入って、自分の歌い出すところを忘れそうなことがあった。
 12月25日から当日28日までの4日間は体調管理と共に、全体の流れの中で、自分の役割をしっかりと受け持たなければならない思いで、張りつめた気持ちが続いた。外は大変寒かったが、練習会場は汗が出るほど暖かかった。(恵まれた練習会場がありがたかった)
 「祝宴の歌」は動きながら、動作をしながら表情をつけて歌わなければならないのが大変だった。顔がこわばっているのがわかる、「祝宴の歌」は、最後まで無表情が抜けきれず、祝宴らしく、にこやかに振る舞うことを指導された。「哀悼歌」はステージに出るところから悲しみの意を表す動作を要求された。
 二幕目の始めに、香川県で初めて演奏される部分が書き加えられて上演された。この部分で、数人の職人の短いせりふがあって、「ゆっくりと大きな声で」と指導を受けていたが、発声のタイミングもなかなか思うようにいかず、冷や汗が出るほどだった
 発表会当日、衣装は前日の練習後、楽屋においていたので楽譜と使ったことのない眉ずみ(各自持参)とメイク落としを妻から借りて練習袋に入れ、のどを寒風から守るためにマスクをしてJRの駅に向かった。
 全体で手直しの練習に臨み、終わって楽屋に引き上げた。開演までは時間があった。東京から参加される方からのお菓子、かぐや姫のソリストの方から差し入れ、軽食の差し入れを頂き、ありがたく頂いた。開演までの時間を楽譜に目を通したり皆で合わせて歌ってみたり、思い思いに過ごした。
 女性のメイクができあがった頃、男性も、眉を少し太めに描き、服装を整え、わら草履を履いた。子供の時に,、学校で上履きとしてはいたわら草履の感覚がよみがえって来て懐かしい。
 舞台の裏通路で合唱団の全員で円陣を組み、「がんばるぞ」「オオッ」と気合いを入れて、今までの練習を思いながら、ほの暗いステージの袖に入って待機した。いよいよ開幕。チャイムが鳴ってアナウンスが始まる。観客席は満員との情報が入っていた。
 オーケストラの演奏が始まり、竹取の翁の歌が始まり、オペラは進展していく。
 竹取の翁に見つけられ、翁と媼に育てられた美貌のかぐや姫に、5人の貴公子たちの求婚者が現れるのである。しかし、求婚者達はかぐや姫の出した難題をクリヤすることができず、また、帝の愛も受け入れず、かぐや姫は天に帰って行く物語。 フィナーレの 「♪あ、かぐやひめよ あーかぐやひめー あーー♪ 」は ff で、ドラマチックで感動的な「かぐや姫」の幕が閉じた。
 再び幕が上がり、合唱団、ソリスト達、オーケストラが次々にスポットライトを浴びながらカーテンコールが行われた。その後、幕の裏で出演者同士で拍手を交わした。
 楽屋で簡単なメイクを落とし、懇親会に臨んだ。平井先生のスピーチに、子供達からプレゼントされた色紙を取り上げ、天竺の仏の御石の鉢や蓬莱の玉の枝を子供達が偽物と見破り、「にせものだ!」と叫ぶシーンを連想させて、「ほんものだ!」と紹介されたのが印象深かった。また、ソリストの皆さんの自己紹介もあり、それぞれの方のお人柄を垣間見ることができた。
 今日の天候は大荒れで、雷が鳴ったり、電車もストップしていたらしい情報が入っていたのでJR高松駅に向かう途中、たまたま信号待ちで一緒になった岡山から来られていた翁役の方と、「瀬戸大橋線のマリンライナーが動いているか心配だ」と話しながら行ったが、運良く、列車は動いていたので一安心。翁の方は家に着くと明日になっているのではと思いながら、私が家に帰り着いたのは、23時を回っていた。
 いろいろな反省もあるが、ひとまず、今年の活動は終わってほっとしている。明日は年末の大掃除が待っている。
 

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新しくなったテレビ                            ( 記 2011.2)

 長い間(15年は越える)使っていたブラウン管のテレビに見切りを付け、エコポイントのある間に液晶テレビに買い換えた。アナログテレビが終了する間近まで使っていようと思っていたのであるが(接続端子がたくさんあり、いろいろな外部機器が接続できる利点があった)、妻が買いたいと言っていた頃に比べると半値ぐらいになっているので我慢できなかったようだ。
 このアナログテレビも、リモコンが利かなくなり、不便だったが、しばらくは、リモコンの利くDVDのチューナーを利用してテレビをモニターとして利用していたのである。
 「まあいいか」とテレビの裏側の接続端子に元通り機器を接続しようとした。、テレビもどんどん高機能になっていることに端子を観て驚く。いろいろな外部機器が接続できる端子があり、大変便利になっている。前のテレビになかったHDMI端子,D端子、LAN端子、光デジタル音声出力端子が付いている。
  早速、HDMIケーブルで、ノートパソコンを接続してみた。パソコンで観る画像がそっくりテレビで見られることがわかった。それでは今までのように音声をステレオに入力してみようとしたが、赤と白の音声のジャックが見つからない。電気屋さんが「ステレオにもつないでおきましょうか」と言ってくれたのに「自分でやってみます」とそのままにしていたのである。あれ?電気屋さんはどのようにつなぐつもりだったのかと考えてみた。光デジタル音声出力端子しかないのである。30数年前のステレオ(もちろんレコードプレーヤーでレコードも聴ける)をずっと使ってきているのでその端子がなくて、接続できない。(テレビの機種によるかも)マニュアルを観る。
 救いの手は、イヤホーン端子のみである。仕方がないので、聴きたい音楽番組のときは、その出力をステレオに接続することにした。接続すると、テレビの音声は出なくなるので、接続したままにはできない。不便だが仕方がない。
 LAN端子の使い方もマニュアルに書いてあるが、何ができるのかまだわからない。LANケーブルを買っててきて接続してみるしかないなあと好奇心が沸いてくる。
 民放のBSチャンネルが観られるようになったのが幸いして、日本の歌をピアノ伴奏で、合唱で聴かせてくれるBS日テレの番組(日本の歌や日本語を大切にしようとしている我が合唱団にぴったり来るような番組)を偶然に見つけた。捜し物が見つかったような感激で、透き通るような透明感のある声で、心洗われて、心豊かになる一時である。
 


兵士 ・ 村人達     メイク完了                  開演前 楽屋で待機中

(記 2010.12)

ポイントカード                                (記 2010.11)

 いつものように練習が終わって十数人で行きつけの店に昼食に行った時のこと。しばらくして店が閉店になると書いてあったので、もうこの店に来られないかとウエイトレスさんに確かめてみると、オーナーが変わるのでしばらくするとまた開店し、従業員の皆もそのまま再雇用されるとのことだった。昼食を食べに行くところがなくなるとこまるなあと思ったが、一安心。
 あれにしようこれにしようと言いながらウエイトレスさんをしばらく待たせながら注文が終わって話しをしていると、Tさんが、店が閉店になる前に、サービスのポイントがたまっているので、それを使うからと言って、カードを出してきた。Tさんは、皆でこの店に来るたびに代表してカードに印を押してもらって皆のためにポイントをこつこつためていたのである。なんと!こまめに、どのくらいの月がかかったのか?恐れ入りました。しかし、カードが人数分ないので思案をして、「すまんで」と言いながら「女の子は化粧代がいるから、男の子は辛抱してね」と言うので、「はい」と了解した。しかし、何という偶然か、結局、カードは人数分ぴったりと有ったのである。
 おかげで、今日は昼食代がほぼ半分になったのである。もちろんみんなで御礼を言いました。

団の紹介   団の歩み   行事予定   MW写真館  コーヒーブレイク

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シイタケ                            (記 2011.2)

 庭の片隅に数年前に竹藪から切り出した、長さ1m、直径15cmほどのアベマキの丸太が5,6本立てかけてある。竹藪で成長したためか、竹と競争して、あまり横枝を出さずに、上へと伸びたのであろうか意外とまっすぐにひょろ長かった。。それに、シイタケの菌をドリルで穴を開けて埋め込んだ木である。昨年の秋の終わり頃に、ビニールシートで水槽を作り、2,3日その水に浸けて水分を含ませた後、また立てかけていたのであるが、しばらくして待望のシイタケが出てきた。一ヶ月ほどで1kgを越えるほどの収穫ができた。菌を埋める作業をした甲斐があった。早速、うどんや、鍋物に使ったり、焼いて食べてみた。菌床シイタケよりもずっと歯ごたえがあり、おいしいと、皆に喜ばれた。
 そして、このところ暖かくなったせいか、2月中頃に、雪が降ったり、降水が続いて、木に水が与えられたからだろうか、そのままにしていた原木からまた、シイタケが出てきたのには驚いた。今回も原木が乾燥しすぎないように、毎日水をかけて観察しながら育てようと思う。

メジロ                                    (記 2011.1)

 寒い冬の朝、庭の木に毎年メジロがやってくる。からだは鶯色の雀くらいの大きさで、名前の通り、つぶらな目の周りが白い鳥である。 寒いと家に閉じこもりがちになり、目を休めようと、何となく外を眺めるのであるが、半分に切った温州ミカンを庭の木の枝に取り付けておくと、それを食べにメジロがやってくるので観察ができる。
 どのようにしてミカンに気が付くのか、ミカンを木の枝に付けてからしばらくするとやってくる。キョロキョロチチチと鳴いているように聞こえてくる。1個のミカンもほぼ一日でなくなっていることが多い。よく見ていると、灰色のヒヨドリも、ピッーピッ−とけたたましい鳴き声でやってきてそのミカンを食べる。ヒヨドリがやってくるとメジロはすぐに飛んでいってしまうし、ミカンはあっという間になくなって、オレンジ色の皮だけが枝に残っている状態になる。鶯色の警戒心の強いメジロをそっとガラス越しに観るのが毎年の冬の間の一つの楽しみでもある。
 子供の頃、友達の間では、メジロを捕獲して、竹かごで飼ったりして鳴き比べをさせて楽しんだものだった。その鳥かごは、竹を切って、削って竹ひごなどを作り、自作したものであったし、メジロを捕まえるにも、松の木に宿るヤドリギの緑色の小さな実を何粒も噛んではとりもちを作って、木の枝に仕掛けてとらえたものだった。そのために1日費やして野山を駆け回っていたことも思い出されて懐かしい。 今は、もう許可なく「飼うことができない」と聞いている。 
 今日もミカンを半分に切って、庭の木に取り付けてみよう。