良寛の修行した曹洞宗円通寺を訪ねて(岡山県倉敷市) (記 2010.8) | |||
良寛堂 本堂 良寛像 | |||
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「良寛相聞」の良寛さんを少しでも知るために、玉島の円通寺を訪ねました。お寺は瀬戸内海の見える高台で、静寂な中に在りました。、自然の岩を利用した庭があり、中に山頭火の句碑を見つけました。 境内では、お寺の方に快く記念写真を撮って頂いたり、お堂の中でお寺のことや、良寛さんのお話を聞くことができました。良寛さんは、22歳の時に円通寺住職国仙和尚に従って得度して僧になり、十数年ここで修行をしたようです。良寛さんといえば、子供とまりをついて遊んでいるイメージがありましたが、それは小さい頃に聞いた♪良寛様はお坊さん 子供の好きな−−−♪の歌のせいだと思う。 大きな手まりが、ガラスケースの中に納められて置かれていました。また、おみやげとして購入した日本手ぬぐいには 「手毬つきつつ この日 暮らしつ」 の歌が印刷されてありました。額縁に入れて架けておこう。 |
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先日、千原氏ご夫妻のコンサートに、兵庫県立芸術文化センター(ピカピカの木の床で、木の暖かみが感じられるアリーナ風の素晴らしい会場)へ行ったときのこと。
コンサートの、開場は18:30だったが、車で早く着いたので物珍しさもあって、少し近くを歩いてみることにした。小休止と思い、コーヒー店を見つけたのに駅中のため入れない。仕方ないのであきらめ、暑い日だったので、ほんの駅まで行くのに汗も出てきたので引き返し、夕食を兼ねようと、軽食のレストランに入った。ピザを数枚注文してみんなで切り分けて食べることになった。
ピザを運んできた店員さんが若い男性だったので(?)、誰かがすかさず、「店員さんイケメンですね−」と声をかけた。すると、笑いながらも、「私は店長です。31歳です。」と、誇らしげな返事が返ってきた。(若いのに店長さんなのだと驚く) イケメンの店長さんと言うことで 「店員(ウエイトレス)さんもきれいですねえ。店長さんの好みで採用?」 などと話が弾んだ。ピザを運んできたウエイトレスさんもやりとりを笑って聞いていた。
エビやアボガドやキノコがのった彩りのよいピザだった。それぞれ1枚を8個に切り分けて、つまんで皆で食べた。大変おいしいので、さらに追加で、マルゲリータとか数品を注文して切り分けて食べた。 代金を支払って帰り際、イケメンの店長さんは見送ってくれて、「高松にもチエーン店があるのでよろしくお願いします」と、宣伝を忘れなかった。数人は店長さんと握手をしながら 「神戸に来たらまた寄るからね。」と店を後にした。 ここまで、サービスをしてくれた店長さんありがとう。
なにか動けば人とのふれあいも生まれる。
もちろん、コンサートは素晴らしかったし、時間を忘れてうっとりと聴いていた。終わって、車で高松に帰り着いたのは24時近くになっていた。
握手をしたレストランの店長
12時に練習が終わると、数人〜十数人で昼食に行くのが常になっている。日により練習会場が高松市内いろいろとあるため、その練習会場の近くで、レストラン、うどん店、割烹料理店、中華料理店、などいろいろであるが、よく、決まった店になる。
食事をしながら、いろいろな話題で、いつの間にか1時間ほどが過ぎている。合唱の話はもちろんのこと、家庭のことや、健康のこと、料理のこと、ニュースのことなどいろいろである。練習中にはほとんどしゃべれないので、この時が情報交換の場ともなる。この団員のコミニュケーションも合唱のハーモニーを支え、団員を支えているエネルギーの一部と思っている。
(活動のエネルギー) = f(合唱の楽しさ,昼食のおしゃべり,c,---,n)+α
練習後の昼食 (記 2010.9)
吉井 勇 記念館 南大王の福寿草 | |||||
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記念館は、山間の静かな里にありました。吉井勇氏の作品がたくさん展示されていました。展示にある 「ゴンドラの唄」 を見ていると、誰かが口ずさむ唄が聞こえてきます。 庭にはミツマタの木があったり、ツクシが顔をを出していたり、八重の椿の赤い花が一輪こけむした岩の上に落ちていたり、本当にのどかなところでした。誰かさんが雨上がりの石段でつるっと滑って−−−。 茅葺きの屋根の茅の一本一本に雨の滴がまるい玉になって光っているのが印象的でした。 昼食は香美市の町役場近くの割烹料理店(Sさんが旅行案内書で調べていた)にて、魚料理を満喫。 帰る途中、大豊町の福寿草の里へ寄り道をしました。急な坂道を上りながら福寿草を堪能して帰り道、前を歩いていた(地元の人と思った)旅のおじさんが、近道をしていたので、ついて行くと、なんと、急勾配の林の中、滑りそうなのをこらえながら、やっとの思いで駐車場へたどり着きましたが、みんなでぼやきました。「誰が後についてーーーー。」 教訓 「知らない人について行ってはいけません。」 |
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吉井 勇 記念館を訪ねて(高知県香美市)
白いゴーヤ
団員のTさんからいただいた坂本龍馬さんの手紙のコピー。
ええ!!そんなすごいものが有るのですか? 龍馬博で見たものを意訳したそうです。
練習の合間に、この資料で、話が弾む。Tさんは古文書の解読にも取り組んでいるので、そのTさんの意訳で内容がわかる。
この手紙は、龍馬さんが姉に近況を伝える手紙らしい。 一部に、
「私なんどは運が強く何度も死ぬような場に出ていても死なれず−−−。
今は日本第一の人物である勝燐太郎殿という人の弟子になり、日頃思っていたことに取り組んでいます。−−−
私は年齢が40歳になるころまでは、家に帰らないように致すつもりに−−−。」 とある。
龍馬の考えがよく伝わってくる手紙だった。
「龍馬伝」にさらに興味が沸いてきた。龍馬博にも行ってみたくなった。
坂本龍馬の手紙 (29歳の時、姉の乙女に出した手紙)
タクシー
時に、タクシーにお世話になるが、乗っている間何もしゃべらないでいるときが多い。
運転手さんが話しかけてきたりすると、話すことで車の中の嫌な空気がほぐれたりる。
Oさんが、練習前に、お話しされたことを要約して書き留めておこう。
それは、Oさんが、オペラの鑑賞の帰りに乗ったタクシーのこと。
「お客さん今日は何があったのですか?」 「オペラを聴いた帰りです。」 運転手さんも楽器を吹いていたそうで、それから音楽のことや、歌手の歌や声のことで話が弾み、家の前でおりるころに、「お客さん、もうしばらく乗っていませんか。」 といわれたが、体よくお断りして降りたそうです。
Oさんはずっと前にも目的地に着いたのに、「お客さん、もう少し乗っていませんか」と言われたことがあるそうです。このまれなことが、一度といわず二度もあるということは、Oさんのお話の魅力でしょうか。
またいつか、このようなお話の弾むタクシーに、誰かが乗り合わすことがあるかも。
吹屋ふるさと村を訪ねて(岡山県高梁市)