昨年のMW2014コンサートで歌った混声合唱とピアノのための「こだまでしょうか」の作詞者の金子みすゞさんの詩に関心を持っていたことで、前々から計画していた1泊旅行を実行した。
 出発前日まで寒波により、山陽道は一部でスノウタイヤなどの装着の規制がなされていたのですが、当日は規制が解除になっていて天気も回復していたので安心して出発した。
 瀬戸大橋を渡り、山陽道を西へ走り、山口JCTで中国道に入り、美東SAで昼食をとる。美祢ICで高速道路を降りて一般道に入り、角島大橋を目指す。思ったより順調に走れたので14時頃に着いた。青い海の上に白い橋が角島に向かって延びている景色や、渡ってみると海が間近にあって、瀬戸大橋を見るのとはまた違って趣があった。そこから、長門湯本に宿泊するために長門市に向かう。
 長門市仙崎にある記念館の北側の駐車場に車を止めて、西側のJR仙崎駅につづく通りにまわると、「金子文英堂」の看板が上がったレトロな感じの2階建ての建物がすぐ目に付いた。この建物は再現されたもので、階段を上がって二階に「みすゞの部屋」が再現され、通りに向かって座り机が置かれていた。みすゞさんはこの窓から通りを眺め、執筆していたのだろうか。
 本館では、童謡詩人といわれるみすゞの作品と生涯が資料とともに紹介されていました。コンサートで歌った詩が目に留まる。小学校四年生の国語の教科書に載っている「不思議」や「こだまでしょうか」、「おさかな」などが目に留まった。その他に、歌われている音源も聴くことが出来た。
 この世のいろいろなことに、温かいまなざしをむけて、私の気づかない視点から観察し表現している詩に出会って、ハッとさせられるものがたくさんあった。
 次の日、秋芳洞に入り洞内を往復して、「百枚皿」や「黄金柱」など、石灰岩の二酸化炭素に溶かされた水がしたたり落ちる長い時間につくった造形物をたくさん見て、洞窟のできる長い年月を想像した。  外の気温が10度くらいで、洞内は17度と温かかった。また、訪れた記念に、土産物店の店先で見つけた「アンモナイト」と「さかな」の化石と、鍾乳石の切片の土産物を買ったが、レプリカでなければいいのだがとも思ったりもした。観光客はまばらで、ゆっくりと見学できてよかった。
 雪の心配もなく天気もよくなって、予定どうりに行動できた旅行でした。

          

          みすゞの部屋

        

      角島大橋            百枚皿       秋芳洞入口


  坂村真民記念館をたずねて               2015/2

    仕事が一段落をしたので、「のんびりとお湯にでもつかりたいなあ」と、道後温泉を目指した。
立春を過ぎたとはいえ、今日は冷たい風が吹いている。高松道を走りながら、風の強いところでは車が流されそうになるので、つい、ハンドルを握る手に力が入ってしまう。松山ICで高速道を降りて国道33号に入り、砥部に向かう。
 砥部焼観光センター炎の里で砥部焼を見る。記念にコーヒーカップと皿を購入した。
 そこから看板に従って国道379号に入り、5〜600mで砥部焼伝統産業会館に着いた。入場者は数名だったのでゆっくりと砥部焼を鑑賞することが出来た。
 砥部焼は18世紀に砥石くずから磁器をつくったことに始まるらしい。先ほどの観光センターで陶磁器に混じって陳列棚に、長方形に切られた石の板の砥石(流紋岩?)が有ったのが不思議だったのですが、砥部町、砥石、砥石くず、砥部焼とつながったのでした。そしてさらにその砥石から、流紋岩、火成岩、衝上断層(天然記念物) とつながりがあるのだろうと考えたのでした。たまたま、受付に置かれていた付近の地図をいただいて、衝上断層のある位置を尋ねるとマーカーで印を付けて丁寧に教えて頂けた。
 産業会館を出て、共通券となっていた坂村真民記念館を訪ねた。入り口前にある、平らな緑色の岩石に白字で刻んだ「念ずれば花ひらく」の歌碑が、すぐに目に留まった。
 『念ずれば花ひらく 苦しいとき 母がいつも口にしていた このことばを わたしもいつのころからか となえるようになった ーーー 』 何かしら親近感の沸いてくる詩だ。 2009年のコンサートで歌った曲の一つなのですから。 合唱組曲「二度とない人生だから」 坂村真民 作詞  鈴木憲夫 作曲 の中の7編の詩の1つでした。
 入館して年表を見ていると、ボランティアと思われる方がいろいろと説明を加えて下さった。明治42年生まれ、平成18年に97歳で砥部町で永眠。 親父より3歳年下と知って、同じような時代を生きていたんだと親近感を持った。詩には、弱者に寄り添うような温かさが感じられた。
 記念館を出て、お聞きしたとうり国道379号を少し南へ走ると、川沿いに衝上断層の看板が有り、公園になっていた。川原へ降りると、直径15cmくらいの礫が混じっているれき岩のなかを川は流れていた。
 案内板の説明で断層の部分を確かめ、写真に収めた。この断層は、フォッサマグナから紀伊半島を横切り、四国を横切り九州に達する長い中央構造線にある観察できる天然記念物になっている断層なのです。
 中央構造線が東西に延びるのに対して南から北に流れている砥部川によって洗い出された露頭です。東南海地震が心配されているとき、この構造線もどうなんだろうと思ったりもする。
 宿泊のため道後温泉に向かう。道後ビールを飲んで、温泉につかって、エネルギーの充填が出来そうである。明日は、石手寺を訪ねてみる予定です。 
        
  
      坂村真民記念館   衝上断層        からくり時計    石手寺三重塔

    

   念ずれば花ひらく 歌碑        陶石


   「あわコラリアーズ」と「欅」ジョイントコンサートを聴きに       2015/3/31

   3月の始め、大学時代の合唱団の友人からコンサートの案内が届いた。数年前に京都で開いた同窓会の時にお互いに合唱を楽しんでいることを聞いて、コンサートの案内をすることを話し合っていた。彼はミュージックウェイの2013コンサートに徳島から来てくれたのでした。今回私も2回目となる彼のコンサートを聴くために車を走らせた。
 つい2週間くらい前に高松道と徳島ICが鳴門ジャンクションでつながったのを知っていたので、そのコースを取った。1時間と少しで徳島市立文化センターに着いたのですが、開演1時間も前であるのにすでに行列が出来ていて、駐車場は満車になっていたので、仕方なく徳島駅の近くの駐車場に止めた。
 文化センターが4月から閉館になり取り壊されるようで、最後の演奏会のためか、名残を惜しむ観客で一杯になるのかもと少し驚いた。そのため、駅から歩く羽目になり、夕食をするのを諦めて、列に並んだ。
 1ステージは 「あわコラリアーズ」の男声合唱で、多田武彦作曲の「雨」。和音進行が「富士山に似ているなあと思ったり友人の声が聞こえないかなあと耳をこらしたりしながら、男声合唱の響きを楽しんでいた。無伴奏で、6曲すべて暗譜で披露されたのには、歌い込んでいる時間をかんじることができた。
 2ステージは女声コーラスの「欅」。50人を越える編成で、女声合唱名曲集として4曲 或る風に寄せて、北の海、私が死んでも、もう一度の春。
 3ステージは、80名を越える両合唱団と、ソプラノ(井上ゆかり)、メゾソプラノ(戸邉祐子)2名の特別出演で、華麗なるオペラの世界。ホフマン物語から二重唱「舟歌〜美しい夜、恋の夜〜」、ナブッコから「行け、我が思いよ、金の翼にのって」など5曲。ステージに各自譜面台を置いて、原語での合唱でした。
 4ステージは、グローリア ニ長調 RV.589 Tから]Uまで原語での合同演奏でした。バロックの音楽らしさを感じました。
 アンコールの前に、指揮者の吉森彰夫氏から、50年になる文化センターの歴史などと、名残を惜しむお話がユーモアをを交えながら語られました。また、ソリストの方とピアニスト(大井美弥子)にまで突然マイクがまわされ、生の話し声を聞くことが出来たのでした。
 (緞帳にはデザイン化されたカラフルなたくさんの鳥が渦を巻くように飛んでいる下方に、「ナショナルテレビ」の文字が! 歴史を感じさせる)
 終了して会場を出たのがもう21時を過ぎていました。徳島駅前から国道11号に出て徳島ICから高速に入り帰路についた。
徳島ICから鳴門JCTまでの新しい道は灯りがなくて暗いなと思いながら走った高速道でした。


   香川大学合唱団同窓会 in 小豆島            2015/5

   大学の合唱団仲間の同窓会の案内をいただいたのは1月頃でした。合唱団の11回生で、京都で集まってから早くも3年になる。他の学年もそれぞれに同窓会を開いたりしているのはお聞きしていたのですが、今回、10回生がお世話をして下さるとのことで、9回から12回生までにご案内をしているとのことでした。また、夏の合宿所の「山本旅館」(現在は営業していない)を訪れるという企画も含まれていた。
 当日、沖縄から東京までの広範囲から飛行機や高速バス・新幹線などを使って、岡山や高松・姫路から小豆島へ渡って来られたのでした。
 会場のホテルに着くと、懐かしい顔に、見覚えのある顔に出会え、ふしぎにも、すぐに大学時代に帰って挨拶をして、お話が出来るのでした。香川大学合唱団の定期演奏会で時々お会いしたりしてお話が出来ている者もいるのですが、中には約50年ぶりの者もいました。35名の参加者で、3年連続四国代表となって全日本合唱コンクールに出場した頃のメンバーなのです。
 夕方に始まった会食では、学生の当時、よく歌った大学の「学生歌」や「遙かな友に」を歌ったり、男声合唱の「波」「柳河」「12人の盗賊」などを合唱して気持ちは大学時代に帰っていた。
 1人1分間の持ち時間で近況報告が始まったのですが、退職後のいろいろな取り組みや、質問があったりで、いつのまにか2時間は超えていた。
 会食の後、カラオケと談話の2グループに別れて楽しんだ。音が外に漏れていたのか、ホテルの人から「皆さん歌がうまいので、時間の延長をしてあげます」と言われ、儲けものでした。
 翌日、空は青く、山は新緑の緑、たくさんの白いつぼみを付けたオリーブの濃い緑の葉と今年のやわらかな緑の葉と銀白色の葉裏が、そよ風に揺れている快晴のまぶしい光の心地よい日、島内観光に出発した。
 小豆島に住んで長いY氏の案内で、オリーブ公園の斜面を登りながら、オリーブと青い海、島を展望する。ウグイスの声を聞いたりしながらゆったりとした時間の流れの中に浸っている。
 野外ステージでみんなで懐かしの歌を歌う。指揮は当時指揮者だったT氏。音叉を叩いて音取りから始まる。観光客は少ないので運転手さんが聴いている。
 バスで苗羽に移動し、丸金醤油の見学をする。昨日、土庄港に着くときにはよく「かど屋」のごま油を絞るごまのにおいがしたのですが、ここでは醤油のにおいが漂っている。
 つぎに学生時代、夏の合宿でお世話になっていた「山本旅館」を訪ねる。仕出しの昼食を食べながら、当時の思い出を旅館の主から伺う。中でも、どの年代かはわからないけれども「夜中に旅館の前の道路で阿波踊りを踊っていて警察に補導されたことがありましたよ」との話には驚いた。この年代ではなさそうです。
 練習会場に使わせて頂いたことのある「苗羽小学校」の横を通って海に出ると、レクリエーションで遊んだ、「弁天島」が見える。ボートで行く者、泳いで行く者もいた。その弁天島の浜辺で泳いだりボートレースをしたりした当時を思い出させてくれて懐かしかった。古いアルバムに写っている若い自分も見つけたりした。
 バスの運転手さんの計らいで、中山の千枚田と農村歌舞伎の行われる神社を車窓から見て土庄港に向かった。平和の群像の前で最後の記念写真を撮り、解散をした。懐かしさ一杯の2日間でした。

      

  オリーブ発祥の地      野外ステージ            風車

  米寿記念安藤 勉テノール独唱会を聴きに明石市へ      2015/10/3

   今回は、4年前に行ったとき列車の窓から眺めるだけだった明石市立天文科学館を訪れることも含めて車で出かけた。天気にも恵まれ、秋晴れの青空に風が快く、淡路サービスエリアで小休止し、明石海峡大橋の写真を撮る。長坂ICで高速を降り市役所をめざした。
 第4回の独唱会を聴いて早くも4年が経ち、安藤さんは米寿を迎えられることを記念しての今回のコンサート開催です。その間、私たち合唱団の出演するシルバー合唱コンクールや年1回開催の合唱団ミュージックウェイコンサートには準団員として出演していただいています。また、2013年には、摂津市リトルカメリアコンクールでは35歳以上の声楽部門で金賞を受賞され、2014年3月には日本センチュリーオーケストラと共演をするという経験を積まれました。
 日々、体を鍛えたりしながら歌の練習に取り組んで来られたようです。数週間前には声が出なくなるほどの状況になったようですが、「声の調子はどうですか」と心配しながらお聞きすると十分でないようなお答えでしたが、復活出来ると信じていました。
 会場の明石市立市民会館(アワーズホール)は千数百名の座席を要する大きな会場ですが、ほぼ満席の状態で独唱会は始まりました。前回同様に、カラー印刷のプログラムには絵が入れられていたり、ステージにも明石の風景を描いたと思われる大きな絵が置かれていました。
 1部は、ふじの山、村祭り、浜千鳥、椰子の実、平城山など日本の唱歌・抒情歌をしっとりと聴かせてくれました。また、曲の創られた時代や詩の説明を合間に入れて、進行されたので歌についてよくわかりました。
 2部は会場の人たちが投票した3曲アニーローリー、琵琶湖就航の歌、荒城の月と93歳のかたから電話でリクエストいただいたという「鉾をおさめて」を歌う頃には声量も感じられるようになっていた。続いて、イタリア歌曲・カンツオーネから「帰れソレント」へや「誰も寝てはならぬ」など高音域も余裕が有るように感じられ、たっぷりと聴かせていただいた。来場された皆さんもきっと元気をいただいただろうと思われる和やかなコンサートだったと感じました。 

      

  プログラム            ステージ       ステージの絵と生花

  明石市立天文科学館は東経135度の子午線上にある天文台のため、どんな特色があるのか興味を持っていた。展示では、原子時計、子午儀、隕石、日時計など興味をもって観た。
 また、こどもの夏休みの宿題だったのだろうか、科学体験発表の展示をみた。特に、子供達がどのようなことに興味を持って取り組んでいるのか、テーマや体験したことをどのようにまとめているのかを観た。 入館したときに、プラネタリウムが始まるので観るか訪ねられたのだが、時間が50分かかると言うことで観るのは断念した。しかし、「16階で天体観測をしているので是非観てください」と案内されていたので、16階 まで上がった。屈折望遠鏡と反射望遠鏡で昼の金星を見せていただいた。今日は明けの明星で太陽の右側にある金星を観る(三日月型で左が光っている)ことが出来た。感動する体験だった。
 ちょうど正午に居合わせたので、時報(ププププーン かってはテレビの画面で時計を見ながら聴いていたが)に合わせて日時計を写真に収めた。また、眼下にはJRの列車が走りそのバックに白い明石海峡大橋が長くのびている明石では日常だろう風景に見とれていた。

        

  天文台    天体望遠鏡    日時計       明石市街と明石海峡大橋


  高千穂峡と夜神楽          2015/12

   九州の東を南に延びる高速道路が宮崎につながったのを機に、高千穂神楽を見ようと八幡浜港から臼杵港へフェリーで渡った。東九州道は一部無料区間のようで、まだ周辺の工事をしているところもあり、緊張して運転した。延岡JCTで九州中央道に入り、五ヶ瀬川の上流方向に登っていく。
 最初に訪れたのは、天照大神が隠れたと伝えられている「天岩戸」をご神体としてお祀りする天岩戸神社。ここでフェリーで一緒だった夫婦と再び会った。(別府から帰るフェリーでも一緒になってわかったのですが、旅の行程がよく似ていた徳島の方でした。こんな偶然もあるのかと。)
 川縁の細道を少し歩いて、天照大神が天岩戸へお隠れになったとき、八百万の神が集まって相談したと伝えられる天安川原まで行った。その前には、石を積んだ小塔がたくさんあった。ここに来られた人が願い事をして積んだのだろう。うっそうとした木の下を歩き、止むことのないそばの谷川の流れる音を聞きながら、神秘的な空気と、子どもの頃に読んだ神話の世界を感じていた。
 続いて、高千穂峡に向かう。30万年くらい前から9万年前の間に4回の巨大カルデラ噴火をした阿蘇山の火砕流が、五ヶ瀬川に沿って帯状に流れ、たい積したものが固まるときにできたという柱状節理と、長い年月に五ヶ瀬川によって浸食されて出来た峡谷と、「真名井の滝」の美しさにしばらく見とれていた。 (よく写真で見ていたとおりの景色が目の前にあった)
 日も落ちて来たので、宿に向かう。
 夕食の後、宿の計らいで、高千穂神社まで送り迎えをして頂けると言うことで、観光の「夜神楽」を観に出かけた。薄暗い中に、灯籠のろうそくの火が小径を照らしている中を登って受付に行く。 着いた時間が早く、受付の方が「かぶりつきでみられますよ」と案内してくれたので一番前の席に座ることになった。写真もばっちりとれる位置でした。
 神楽についての説明があったのと、パンフレットのおかげで、笛、太鼓の音楽に合わせて、お面を付けて舞う舞の意味しているところを読み取ることが出きた。演じられた4番の舞の中でも、天岩戸を開ける「戸取の舞」は圧巻でした。

      

    高千穂峡     柱状節理           夜神楽


  室戸ジオパーク             2016/2

   興味があって四国の地質を調べているときに、室戸が世界のジオパークに登録されたことがわかったので、訪れてみようと思い立った。
 徳島まで高松道を使わないでR11を選んだ。それは、鳴門に寄って、おいしい「どら焼き」を買うためでした。また、一般道の旅も景色が楽しめていいかと思ったのです。
 R11に続いてR55では薬王寺に寄ったり、南阿波サンラインを走って千羽海岸などの海岸線の景色を楽しむことが出来た。
 途中、宍喰の天然記念物になっている化石漣根を観るために立ち寄った。その地層の傾きに驚いた。(60度以上もありそう、どんな力が働いたのか想像もしてみた)
 室戸岬に行く途中で、「室戸ジオパークセンター」に立ち寄り、展示物を観て、観るべき場所を確認したり、パンフレットをいただいた。
 室戸岬の東海岸を走るR55は山が海岸まで迫り、太平洋を観ながらの単調なコースです。夫婦岩や弘法大師が修行したという御厨人窟、ビシャゴ岩などを観て岬南端の月見が浜に着いた。黒っぽい立ったりゆがんだりした地層のわかる奇妙な形の岩が立っている間を巡って太平洋の荒波が削って出来たであろう岬の光景を見て回った。海岸には大小様々な大きさと色の岩石と白い珊瑚のかけらが混じっていて、津田の松原の花崗岩の風化した白い砂浜とは違っていた。
 なぜこのように地層が傾いているのか?ジオパークの新しい看板の丁寧な説明をみて納得した。
南の海底で砂や泥が堆積してして出来た地層が、海洋プレートの動きによって北上し、南海トラフで沈み込むときに水平だった地層が傾いて四国側にくっついて隆起して現在の地形になったらしい。「室戸の大地は海底でつくられた」というテーマが理解できる。
 また、海成段丘、波の形が地層に残って化石になった化石漣根をみて、南海地震や何千万年もの時間の流れを想像してみた。カラフルな看板でわかりやすい説明が要所にあるので大変参考になった。まだまだ十分ではないが、旅の目的を一応果たして南国ICからは高速道で帰路についた。

   

宍喰の化石漣根とその側面 行当−黒耳海岸の化石漣根  立ち上がった地層

        

  夫婦岩                御厨人窟               看板

  「こきりこの里」五箇山へ                   2016/4

   砺波市で開かれている「2016チューリップフェア」のチューリップをみることがメインの旅行で、途中、五箇山にも寄ってみようと早朝出発した。そのために、砺波へは、東海北陸道を通るコースを選んだ。朝7時出発。連休前であるためか、道は渋滞もなく、予定以上によく車を走らせることが出来た。
 ひるがの高原SAで昼食にする。ここからの展望は素晴らしく、雪を頂いた白山や、もう雪はないのだが、スキー場であろう高原が見えた。そこに置かれたチラシをふと見ると、「荘川桜」が見頃の情報があった。ダム湖の底に沈むのを、現在の場所に移植した樹齢数百年の桜である話を、最近のテレビ番組で聞いていたので、4月下旬に花見が出来るかな?と思いながら、いい機会だから葉桜になっていても見てみようと、荘川ICで高速道を降りてR158号、R156号で白川郷まで進むことにした。
 しばらく進むと、道路脇に立派な桜が見えたので、混雑している駐車場から出てくる車と入れ替わりに駐車した。白に近いうす桃色の花(アズマヒガンザクラ)が、満開で、何百年も生きてきた桜の生命力の強さを感じさせられ、そのパワーをいただいた様な錯覚さえ覚えた。
 この桜は、初代電源開発総裁 高碕達之助氏のはからいで光輪寺、照蓮寺の庭から移植されたもので、その高碕氏が光輪寺を訪れたときに語った「進歩の名のもとに、古きよき姿は次第に失われてゆく。だが、人の力で救えるものは残してゆきたい。古きものは古きがゆえに尊いのである。」ということばが碑に刻まれていたが重みのある言葉だと感じた。
 R156号で「御母衣湖(みほろこ)」の湖畔をしばらく北上していくのですが数kmの間、ずっと桜の花が満開でした。何本植えられているのか? そして、御母衣ダムが石積みであることに驚いた。
 上梨の「村上家」住宅を訪れる。小学校の音楽教材に取り入れられていた「こきりこ」と「ささら」を観ようとまだ、五箇山に高速道路が通っていない頃に、一度訪ねたことがあったのですが、こきりこを鳴らしながら「こきりこ」を歌って頂けるのを思いだし、また、今年練習している合唱曲が「こきりこ」であることで、再度聞いてみようと訪れた。
 合掌造りの家は、煙ですすけて黒くなった太い柱で支えられている。いろりには火が入り、その上には真っ黒な茶釜がつるされている。その中には湯が入れてあって、係の人が「薬草のお茶です。飲んでみてください」と言われるので、ひしゃくでそばに置いてあった湯飲みにいれ、いろり端に座ってお茶をいただいた。ほうじ茶のような味がした。
 係の人の情報では、予約の団体客が来ると五箇山の話と演奏をしますが一緒に観てもかまわないと言うことで、すこし待つことにした。ところが、団体客の到着が遅れているとのことで、我々2人だったのですが、特別であろうか、いろり端で火を絶やさないように、ときどき木をたしながらお話しする当主から、「こきりこ節」の演奏と五箇山の話を、いろりの火に当たりながら、贅沢にも対面で、聞けたのでした。(お土産を買ったサービスかも?)。
 数百年前、この五箇山では火薬の原料である「塩硝」硝酸カリウム(kNO3)が製造され、加賀藩に納めていたことや、武士の罪を犯した者がこの人里離れた地に流されて、流刑地になっていたとの話を聞いた。 「こきりこ」の歌は西条八十氏が採譜してから脚光を浴びるようになったとのことでした。
 こきりこの歌詞もいただいて、お礼を述べ、相倉の集落に向かう。「ーー窓のサンサもデデレコデン はれのサンサもデデレコデン--」 と、はやしの部分が耳に残る。
 「麦屋節の里」の看板をみて、世界文化遺産に登録された碑のある相倉合掌造り集落の駐車場に入る。写真を撮りながら散策をする。水芭蕉の花が咲いている!! 人形山の雪は残っているのだろうか?展望所に行くが、今日は、黄砂のためか遠くが霞んでいる。その山の斜面にすこし雪が残っているのが見える。人形の形はしていない。残念。すこし時期が遅かったようです。
 集落全体が見渡せる撮影ポイントに向かう。集落の合掌づくりの家々があり、その奥に山の稜線が重なるそのまた奥に人形山がうっすらと見えている。写真を撮ると、かろうじて山と雪が写る。
 合唱曲の「むぎや」に歌われる「ーー紋弥じいさんが、人形山に向かって呼びかけるーー」 のイメージそのもので、もんやじいさんに会えそうな気配すらするのでした。
 宿に着く時間も考えて、砺波に向かう。明日はチューリップフェアにいって、チューリップの花の写真をたくさん撮る予定です。 

      

     荘川桜              人形山(加工した写真)

      相倉合唱つくり集落




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金子みすゞ記念館を訪ねる              2015/1/5