目次
1ページ試験の結果
2ページ京介の不調・ラルセの星占い
3ページ新入生歓迎式
4ページガンボレ祭前日の買い物
5ページガンボレ祭その後(一)
6ページガンボレ祭その後(二)
7ページガンボレ祭その後(三)
8ページガンボレ祭その後(四)
9ページサフラン先生の薬品占い
10ページ生徒会総選挙数日前(一)
11ページ生徒会総選挙数日前(二)
12ページ生徒会総選挙数日前(三)
13ページ厳罰棟所長の訪問(一)
14ページ厳罰棟所長の訪問(二)



 アリアは天候占いを専攻している生徒だが、彼女が得意としているのは、その中でも、『雷鳴占い』と呼ばれるものである。これは、すべての占いの中でもかなり知名度の低い占いで、数千人の占い師が通っているうちの学校でも専攻している学生はわずか数人である。ほとんどの生徒は名前ぐらいは聞いたことがある程度か、そもそも全く知らない学生も多いと思われる。入学してから、どの占いを専攻するかは、それぞれの半生や性格が反映されると言われるが、この雷鳴占いを選ぶ生徒は、人間社会にうまく溶け込めない、偏屈で変わった学生が多い。なぜなら、そもそも、この占いは雷が鳴っている時にしか行うことができず、しかも、占える内容が他人の残酷な運命(突発的な事故など)に関わることが多く、前もって占いの準備することが困難であるし、その結果も甚だ不明瞭であるからである。一般人にこのような難解な占いは受け入れられないのである。申請書を持っていくときに、受付係の先生に、『本当にこの占いでいいの? 人生にはもっと歩みやすい道もあるんだよ』と言われてしまいかねない。明日の天気を占う『天候占い』や、ラルセが得意としている『占星』の方が前向きであるし、極めて一般的である。さらに言えば、この国は雷天候になることが少ない。春先のわずかな期間と、夏場に十日に一度くらいの割合で、短時間の間に起こるくらいである。それも、夏場の雷雨は数分でおさまることも多い。それが、どういうわけか、冬も近い、この時期に激しく雷が鳴っているわけだが、こんなことは年に一回あるかないかの珍事である。この期待度の低さがこの占いをマニアックにしている最も大きな原因だと思われる。なにしろ、どんなに望んだところで、雷が鳴らない日は占いが出来ないのだから、それも当然であろう。アリアは雷研究の第一人者でもあり、天候が崩れない日は図書館に篭って天気の勉強をしているらしい。もちろん、雷が発生する日にはどういう傾向があるかを調べているのであって、気持ちの良い青空には興味はないのである。アリアは水晶や易の授業にも出席はするが成績はきわめて悪く、それ以前に一般的な占いにはほとんど興味がないらしい。例え、水晶の不出来によって進級が難しくなったとしても、彼女は雷のこと以外には興味は持たないであろう。彼女の嗜好のほとんどすべては自然災害に向けられている。例えば、他の国で大きな地震が起こったりすると、そこから何かの因果を見つけようとしたり、大きな台風が発生すると、それと人間の経済活動の動向を結びつけて考えたりもする。自然災害をこれからの国の行く末や、起こりうる大事件の伏線として見たりもするらしい。無論、彼女の目に興味として映るのは、災害によって困り果て、逃げ惑う人々の姿であり、それをこれまで人類が行ってきた行為(想像になるが、絶え間無い戦争による悲劇や、独善的な生産活動による自然破壊か?)への、天からの戒めとして受けとっているのである。つまり、災害は彼女にとって心を躍らせる楽しみであって、その心に慈愛はない。災害によって死の淵に立たされた被害者に目が向けられることは一切ない。あるのは、運命という魔物が突然引き起こす災害に対する本能的な興味だけであり、彼女はそれをすべて天からの啓示であるとか、運命によって引き起こされた神秘的なものとして、必要以上に高く評価している。災害が起こった翌日からの新聞は、各社のものをすべて購入してストックしておいて、後で友人に見せびらかしたりするらしい。
 そんな彼女には数人の仲間がいる。いずれも、他のクラスの生徒である。その全員が各クラスでアリアと似たような立ち位置にいる生徒で、雷がキーポイントになって出会ったらしい。この雷鳴占いを専攻している数人の学生の生態について少し語りたいと思う。この学校に入学する動機は様々だろうが、この世界に入ったからには、水晶であるとか、トランプによる占いなどを一度は体験するか、あるいはテレビや街頭公演などで目にしたことがあるはずである。彼女達とて、そういうポピュラーな占いを一度は目にして心を動かされ、自分もいつかこの世界に入ろうと決めたはずである。ところが、彼女たちが最終的に選んだのは、この世界で最もマイナーな雷鳴占い。いったいどういう体験から、この占いに魅力を感じたのだろうか。それとも、前世で起きた事件と何か因果があるのか、あるいは、たまたま町の片隅で購入した怪しげな魔術関係の本に影響を受けたのか、それは定かではないが、彼女たちが雷鳴に心を惹かれることになったきっかけには興味のあるところである。
 僕は、例えば陸上競技などでも、100メートル走やマラソン、走り高跳びなど、わかりやすい競技には魅力を感じるのだが、砲丸投げや、三段跳びなど競技人数の少ないマイナーな競技には存在意義を見出だせない人間である。ファンの多くが誰も目を向けない競技に取り組む選手の姿勢を、『たで食う虫も好き好き』という言葉や、人間の多様性という言葉で片付けてしまえばそれまでなのだが、幼い頃から、全員が同じ競技に取り組んだ方が、陸上選手としての力関係を量る上では、遥かに効率的なのではないかと考えてしまう。喫茶店などで、僕のこういう話を聞かされると、ラルセは即座に顔を曇らせて、「相変わらず、物事を雑にしか考えられない人ね。視野が狭いわ」と、あきらめ顔で呟いたりもするが、僕は包括的に物事を考えられない体質なので、自分のこういった極端な見解をかなり気に入っていたりもする。雷鳴占いも上に挙げたマイナーな陸上競技と同じく、この世界において、マニアックであるばかりでなく、『無ければ無いで困らないのではないか?』と思わせるような種類の占いである。言ってしまえば、雷鳴占いの学科がある日突然消え失せても、僕らは平然と生活を続けることができるのである。
 それでも、彼女たち、アリアの周りの数人の女生徒は雷に惹かれ続けている。まだ、何も起きてないうちから、それは雲一つない無風の晴れた日でも、あるいは、新聞の記事がスカスカになるくらい事件日照りの平和な日でもそうなのだが、彼女達は、世間で数日間に起こった小さな自然現象、例えば、近所の交差点で猫が十数匹まとまって走り去っていったとか、月がいつもと違う色に見えるとか、地面の温度がわずかに上昇しているとか、そんなことに興味を持って図書館に篭り、それを話題にして数人で話し合っているらしいのだ。彼女らは世間一般の人がすぐ話題にするような、芸能人のスキャンダルの話とか、人気スポーツの結果のこととか、流行の服装のことなど決して話題にしない。もちろん、政治経済や有名占い師の起こした事件のことなども眼中にないのである。これだけ多くの学生がワイワイと騒ぎながら生活している校内でも、彼女達はその輪に加わることは決してないが、それは自分たちの姿を、闇夜のカラスのように、図書館の薄暗い片隅の一部屋の中で静けさに同化させて、なるべく目立たないでいたいと願っているように見える。ただ、残念なことに、世間はこのような変わった組合のような集まりを決して見逃してはくれず(それはそのはずで、いつも同じメンバーで同じ部屋に篭っているからである)、時折、この集団の様子を興味本位で見に来る学生もいる。学生は誰にも秘密を持ってはいけないと考えているような真面目な学生ほど、このような災害目当ての不謹慎な活動を嗅ぎ付けるし、そんなコソコソとした集まりを許してはおけないものなのである。彼女達も周囲の状況の変化にはいつも気を配っているから、そんなスパイの存在に気がつくと、慌てて話題を変えたり、読んでいた本を伏せてしまったりする。誰も踏み込めない、自分たちだけの世界を構築し、そこに他人が首を突っ込んでくることを著しく嫌うのである。こういう人間たちの関係を甘くみることはできない。例えば、ラルセやロドリゲスのように、思想や趣味を気にせずに誰とでも付き合える人間の方が友人の数が必然的に多くなるという理屈はわかるのだが、一人ひとりの人間と話したり交流できる時間は限られているため、しっかりとした友人関係の構築までは至らないことも多い。ラルセもある友人と出かける約束を、別の知人の誘いによってすっかり忘れてしまい、友人との関係にヒビが入り、そのことを長期間悔いていたことがあった。八方美人という言葉は言い過ぎかもしれないが、一見理想とも思える、友人の多過ぎる生徒の人間関係にも隙があるということである。それに比べると、このアリアと数人の生徒の雷鳴占いを基軸にした付き合いは、ダイアモンドよりも強固であり、簡単には打ち崩すことはできない。それは、自分の最も興味のある問題と、最も恥ずかしく、他人に容易には知られたくない問題を、この数人で共有しているからである。彼女達はある意味で親族よりも固い絆で結ばれているかもしれない。アリアは親兄弟にさえも、自分の趣味や嗜好を語っているとは思えないからである。  彼女達は普段の授業では一般の生徒と同じような無難な生活を送っているつもりなのだろうが、世間から見れば、なかなかそうはいかず、彼女達の行動には自分達のおかしな生態を隠しきれないほころびがいくつかあるようである。例えば、今年の春先に、うちの学校では珍しい平和学習の授業が行われたことがあって、自由参加の授業であったため、席順も決まっておらず、アリアと数人の仲間は教室の一番隅っこに陣取って、授業の内容には全く集中せず、何かヒソヒソと話し合っていたのだ(どうせ、内容は自然現象や雷のことだと思われる)。この授業のためにゲストとして呼ばれた先生は、平和を維持するためにはどうすればいいのかということを熱弁していたのだが、授業の終わり間近になって、生徒みんなに向かって、『ねえ? 皆さんも平和な世界を望みますよね?』と問い掛けたところ、生徒の多くからは賛同の拍手が贈られた。会場がそんな暖かい雰囲気になっても、アリアたちがキョトンとしてその正論の輪に加われなかったことは言うまでもない。ここで何事もなく授業が終わっていれば良かったのだが、教室の一角を占める生徒たちだけ拍手をしなかったことが先生の気に障ったらしく、先生は教室の一番後ろの隅っこ、アリアたちが座っているところまで歩み寄っていって、もう一度同じ質問をした。
『あなたたちも平和な世界を望むでしょう?』
すると、アリアは目立つように右手を大きく挙げて、すべての生徒にアピールするようにこう言った。『いいえ、先生、私はカオス(混沌)を望みます!』それを聞いて、平和学習の先生が驚愕したのは言うまでもない。先生は、目を吊り上げて、『カオスを望むですって? それはもう普通の考え方じゃないのよ? あなたはいったい何者なの?』と問い掛けた。アリアと数人の生徒は、先生を怒らせ、周りの生徒の注目が集まっていることを全く意に介せず、それどころか全員でにやにやとふてぶてしく笑って、自分達が奇異な存在だと思われていることを楽しんでいるかのようだった。
 僕は偶然この時の授業に出席していて、しかも、彼女達と席も近いところにいて、間近でこの場面に遭遇したから言えるのだが、彼女達は自然現象の不可解な魅力に、度を越えて取り付かれてしまっていて、平和や仲間同士の交流などといった、人間性あふれる心理への同調や協力の気持ちをすっかり無くしてしまっていた。例え、彼女達が大災害が数日後に起こることを事前に察知したとしても、それが人類への警告として発表されることは決してないと思われる。彼女達のグループが世界が終わる日を予知出来たとしても、アリアとその一味はそれを誰に教えることもなく、自分達だけの秘密として心に持ち続け、人類を滅ぼすような大災害がこの地を襲っても、彼女達は人々が大風に吹き飛ばされていても、溶岩に飲み込まれていても、そののたうち苦しむ様を満足げに見届け、この星の最期の瞬間まで笑っていると思われる。アリアとその仲間は、つまるところそういう混沌の世界を理想としたグループなのである。
 ただ、今日の講演会のような、クラスで集まるイベントのときは彼女は常に大人しくしているはずで、それは他のクラスにいる頼れる仲間(しもべ)たちがいないため、自分一人では得意のカオス理論を持ち出してひけらかすことは出来ないし(さすがに一人で異端の心理を発表するには、気恥ずかしさが先に立つのか)、クラスの中に自分の味方は絶対にいないと信じきっているからだと思われる。そのため、彼女が講演中に突然叫びだしたのは、普段から雷を待つ心情が熱く燃えたぎっているので、その幸運が突然、自分でも予期しないタイミングで訪れたことへの反応だと思われる。つまり、みんなに何か危機が訪れることを伝えようと立ち上がったのではなく、まるで起き上がり小法師のように、雷鳴に心のスイッチを入れられて、反射的に叫び声をあげたのである。彼女は講演の間中ずっと誰とも話さずに静かに座っていて、こちらから見ていた感じでは講演者の偉そうな態度や、その長話など全く意に介さず居眠りをしているようにさえ見えたのだが、今後起こ ることを期待している大きな災害のことを考えて、つい夢想していたのかもしれない。それが、この荒れ模様の天候への変化を見落とすきっかけになり、彼女は夢うつつのままに突然の雷鳴を聞き付け、それがまるで天からの宿命的な呼び声のように思われて狂乱して椅子から立ち上がったのだと思われる。彼女は叫び声を上げてから十数秒経過して、ようやく我に帰り、今はちょうど自分のしてしまったことに悔やんでいるところだと思われる。それはクラス全員の注目を集めるという今の状況が、災害時ではない普段の日常においてはなるべく目立たないでいたいという、彼女の願望からは程遠い、不本意な行動であったからだ。
「アリア、どうした? 何か感知したのか?」
会場のどこからか、そんな彼女を気遣う言葉が飛んできた。心配して声をかける者もいた。しかし、彼女が狂乱したのは、講演者の無駄に長い話に苛立ったせいだと勝手に解釈をして、彼女の行動を面白がって手を叩いている者もいた。あるいはアリアが今日の突発的なイベントに最初から乗り気ではなく、反乱を起こすのではないかという憶測を持って、多少の期待も入り混じった興味の視線で彼女を見る者もいた。今日は他にもムングという起爆剤が参加しているので、これ以上の混乱を起こさないで欲しいと心配する声もあがった。アリアはクラスメイトから何度か落ち着けと呼びかけられて、少しは正気を取り戻したらしい。辺りを見回しながら話し出すと、それは落ち着いた口調に戻っていた。
「みんな、聞いて。この雷はただの悪天候じゃないわ。これから、誰も予測していないような、とてつもないことが起こるのよ。私にはそれがはっきりと見えたの」
アリアは極めて早口に説明口調でそう言った。冷静を装っていたが、それは自分が犯してしまった過ちをごまかすために照れ隠しで発せられた言葉だと思われる。彼女のこれまでの思考や行いから判断すれば、ここでクラスメイトへの暖かい気遣いが出ることはありえないからだ。
「くそ! それなら、この場に水晶を持って来るんだったぜ!」
会場の一角からは、アリアの発言を真に受けて、そういう混乱を伴った叫び声が聞こえてきた。
「誰か、今日のことを占ってきてないの?」
そんな声もあった。自分の不作為を棚に上げて他人にすがりつく甚だ無責任な言葉である。
 こういう現象からも明らかなように、未来を占える占い師軍団と言えども有事には隙だらけであり、全員が普段から針ネズミのように全身をピリピリさせているわけではないから、平和なイベントの最中の突然の状況の激変などには極めて弱く、それはある意味で、未来というものを全く見ることができない一般の人間よりも、たちが悪いくらいである。一般人には少なくとも自分は無力だという自意識はあって、どんなことが起きても対応できるよう、予防措置をとっているが、占い師にはそれがない。以前にも同じようなことを述べたが、占い師のほとんどは、本来は物ぐさでがさつな性格であり、それは、その気になればいつでも未来を見ることが出来るよという、おめでたい奢りにも似た思いから来るものであるが、例えば、寝る前に深夜に地震が起きないかどうかを占ってから布団に入る占い師は稀である。そのため、この学校の付近で真夜中に大地震が起これば、一般の居住区と同じくらいの被害が出ると思われる。察知して逃げることができる者はほとんどいないか、あるいは察知していてもその予言を捨てて寝入っているかだが、それは、未来が見える占い師たちも、一般人と同じくらい強い気持ちで、『自分が住んでいる場所で地震など起こるわけがない』と思い込んでいるからであり(初めて占いを覚えて、試みた時分はさすがに明日起こることぐらいは興味を持って占っていたかもしれないが)、こういう油断が心に根強くある以上、特殊能力者といえども、ひとたび災害に出逢えば長生きすることは出来ないのである。我がクラスの生徒も、自分がこれから起こることをわざわざ占って部屋を出なくとも、他の誰かが占ってから教室に来ているわけだから、ここに全員が揃っている以上(もちろん、風邪をひいた様子もないのに、休みを取る生徒などがいれば、占い師は必要以上の詮索をしたりする)、今日は事故は起きないだろうとみんなが考えてしまえば、そこに最大の隙が生まれる。普段から災害が起きた時のことを考えている、臆病な人を馬鹿にする意見もあるだろうが、事故を防ぐのも一つの才能である。人間が自分の運命をうまく乗りこなせるかどうかは、つまるところ、未来が見えるかどうかよりも、細心の注意を常に払って生活しているかにかかっている。
 そういう僕も、アリアが予言したような、雷から派生する事故の恐怖に内心はびくびくしていたが、周りを見渡せば、少なくとも、タッサンとロドリゲスはこの騒乱の中でも、冷や汗ひとつ流さず真剣な表情をして微動だにせずにいて、動揺を見せていないから、この二人なら事前に今日起こる出来事を占っているだろうし、さらに言えば、屋内にいる以上、雷によってそうそう最悪の事態など起きようもないから、最低限の安全は得られているつもりでいた。得にラルセの先ほどの発言と余裕の表情は、これから天災によって生徒への物理的な被害が引き起こされることを予見したものではなかったはずだ。彼女は外の空気の中に、もっと別なものを見ていたはずである。
 アリアの一連の発言によって場の空気は相当に乱れてしまったが、講演者のさんもアリアが放心状態になって力無く座り込んだのを見届けると再び話し始めた。この人は何があっても自分が用意してきた発言をすべてやり遂げるまでは帰らないという強い意志を持っているはずで、このぐらいの騒ぎはなかったことにして、自分はあえて生徒同士のやり取りに関与せず、淡々と発言を続けるつもりらしかった。何があろうと、聴衆が若年層である以上、講演者の方から動揺を見せたら負けだと思っているらしい。ある意味で真のプロである。
「皆さん、大丈夫ですか? 先ほど立ち上がったお嬢さんも相当に混乱しておられたようですけど、今は大丈夫でしょうかね。それでは、私の話を続けましょうか。先ほどは厳罰棟の機構のことを少しお話しましたけど、もちろん、厳罰棟やそこに留置された人々の特徴というのは、そればかりではないんですけど、そのことばかり話していても、本題に入る前に時間が来てしまいますのでね、ここからは少し私の半生のことを話していきたいと思います。私がなぜ今のような地位に就けたかということですね。これを皆さんに話していきたいと思います。皆さんもご存知の通り、私も昔はこの学校の生徒でしたけど、在校時は正直、あまり目立つ生徒ではありませんでしたね。私は最高学年になっても、占い師の資格も取得出来ませんでした。と言いましても、当時は今とは占い師試験の仕様もそれになれる確率も、全然違いましたのでね。誰もが簡単に占い師になれる時代ではありませんでした。何をするにも、本当に運が絡んでいたんですよね。20年も前の話になりますから、当時は校舎もこんなにきれいではありませんでしたし、占いの研究もまだ発展途上で、水晶にしても占星にしても、さしたる文献もありませんでしたから、生徒自身が自分で試行錯誤しながらの勉強でしたね。先生方も自分たちもあやふなや立場にいる中での、教育というものに相当苦労されていて、教材なども全員に行き渡る数はありませんでしたのでね。その中での勉学でした。今は全員が同じ教材を持って、同じ時間だけ勉強するということが出来るようですけど、当時はもう先生へのツテが頼りでしたから、有名な先生のクラスに入ることができて、そこで気に入られて、一緒にべったりとくっついて勉強することが出来た生徒は、どんどん階段を昇っていきましたけど、私のように、媚びだとかお世辞なんてものが嫌いな生徒は、まともな授業を受けられない状況にあったんですよね。その中で追いつけ追い越せでやっていましたから、それは大変でした。当時の占い界は、エスカー宣言による騒乱の真っ只中にありましたから、学生たちも相当に荒れていて、議論するというよりも闘争している雰囲気がありました。ピリピリとしていて、校内を散策するだけでも大変だった覚えがありますね。ぼおーっとして歩いていますと、すぐに黒いマスクで顔を覆った活動家に服を掴まれて、『おい、おまえはエスカー宣言に賛成か反対かどっちだ?』なんて聞かれたりするんですよね。時には、自分の心情と逆のことも話さなければいけないような雰囲気がありましたね。エスカー宣言に賛成している派閥の方が意気は盛んでして(今ではリベラルなんて柔らかい言葉で呼ばれていますけど)、校内にバリケードを築いたりしましてね、自分達の基地なんかを造ったりしていまして、それを排除しようとする警官隊と衝突していました。『本当に未来を占える学生なら、こんなことはしないはずだろ!』なんていう警官隊の拡声器を使った呼びかけ声が校内の隅々まで響いていましてね、本当に勉強なんてしている場合なんだろうかという緊張感がありましたね。今は学生運動なんて言ってもビラを配るとか、週に一度集会をするくらいでおしとやかなものですが、当時はそういう殺伐とした雰囲気の中での学生生活でした。エスカー宣言に端を発した騒乱は結局3年半ほど続きましたが、結局保守派が勝利しまして、今でも水晶やトランプ占いなんかの主流派が幅を効かせてますけど、保守リベラル双方の発言力は当時は互角の様相でしたから、未来がどっちに転がってもおかしくないような状況でした。
 そんな殺伐とした雰囲気の中で、私は懸命になって勉学に励んでいた覚えがありますけど、どんな思い出も、残念ながら今ではすっかりモノクロームですよね。今になって、様々なことを思い起こしてみますと、先生に気に入られなくても仲間で組んでわいわいと研究を進める生徒は優秀な成果を収めたりもしていましたね。認めたくはありませんが、友人との協力というものが凡人の知性に良い影響を与え、個人では成し得ない成果を上げることが往々にしてあるようです。ところが、私は性格上、他人と協同で研究をすることが出来ませんで、何か一つ覚えるにも、自分一人で図書館に篭っての一からの勉強でしたから、大変に苦労した覚えがあります。私の性格の欠点は簡単に言うと、他人の言葉から、勝手に悪意を見つけてしまうところにあったんですよね。私はこれを知性の高い人間に有りがちな小さな欠点と思い込んでいます。なぜって、これは物事を深く考えられるから生まれる妄想なんですよね。皆さんには他人に一言言われただけでその人の心理が読めるような、そんなことは起きないと思いますが、それは俗人の思考回路が単純だからなんでしょうかね。それとも、私より直感的に近道を進みながら、災いをうまく避けて人生を渡っていけるからでしょうかね。ふふ、それはどうでもいいことですね。話を続けましょう。
 私が学生だった当時から、何かにつけて一言多い学生というのはいまして、私が図書館で一人机に座って一心に本を読んでいますと、通りすがりに話しかけてくるんですよね。心で思うだけでも差し支えないようなくだらないことなんですけど、その人はなぜかいつも面と向かって話しかけてくるんです。『あそこのクラスの誰それが、先日から男と付き合うようになったらしい。まったく、ふしだらだ』とか顔を近づけて、明らかに私に向けて声をかけてきますと、私にも自尊心がありますから、くだらない会話に巻き込まれるのはまっぴらだと思っていましたから、本当は他人の恋愛を嫉んで噂話を投げつけてくるような、そんなレベルの低い人と絡みたくはなかったんですが、完全に無視を決め込んでしまいますと、今度は向こうが機嫌を悪くして、こっちのありもしない悪口を他で言い触らされる可能性がありましたから(そうでなくても、私は当時から少し根暗で陰険な性質だと周囲から言われていましたのでね)、仕方なく、私も勉強の手を一時止めまして、顔をそちらに向けて作り笑いを浮かべてから、『ああ、そんなことがあったんですか。まったく、人間関係って面白いですね』などと当たり障りのない返事をしますと、特にそこから話が膨らんで盛り上がるわけでもないんですが、向こうも無口に戻って、返事を得られたことだけで、私に興味が無くなったのか、すぐに私の側から離れて他の棚に移って文献などに目を通されていまして、その程度の返事で満足出来るようなことなら、最初から話しかけないで自分の心中だけで解決して欲しいなどと思ってしまうんですね。しばらく時間が経って、私も黙々と勉強に励んでいますと、どうしても人恋しくなりまして、先ほど話しかけられた経緯もありますから、今度はこちらから、『そういえば、あの先生はなんで学校辞めることになったの?』なんて、出来るだけその人が興味持ちそうな話題を選んで話しかけてみたんですが、その人はこちらに一目もくれずに、『さあ、何でだろう?』なんて気のない返事をするだけなんですね。つまり、その人は自分の話を他人に聞かせたいだけの人間で、他人の話にはまったく気を向けない人だったんですけど、私はそういう態度を取られるたびに自分が見下されたような気がしまして、非常に不愉快になるんですね。そんな人間には最初からコンクリートの壁を相手に会話のキャッチボールをして頂きたいんです。そんな人間とは、早々に手を切ってしまうといいんですが、そういう類いの人は、次にまた自分の話したいことができますと、ツカツカとこっちに歩み寄ってきますんで、その上で愛想笑いなどされてしまいますと、こちらも完全に無視を決め込むのもマナー上良くないかな、なんて考えてしまうんですよね。いやいやですが、また無理に笑顔をつくろって応対したりもしますが、そういう自分が好きでもない人間にきちんと応対していた本当の理由というのは、自分には確固たる友人がいなかったという点でして、もし、私の身の上話を長時間親身になって聞いてくれる友人が近くにおりましたら、私もここまで自分が捻くれることはなかったと思うんですけど、とにかく、一人で勉強をしていた私には友人がいませんでしたから、他人にそのこと を知られてしまいますと、また悪い噂を立てられて、そこから妄想を働かせてしまい、人間不信の悪循環に陥ってしまいますのでね。好きでもない人間と、時には無理にでも語らうことによって、自分の社交的な一面というのを通り掛かる他のクラスの生徒などにアピールしていたようなところはあります。そんな生活を続けているうちに、私はいつ頃からか、とにかく人間不信の塊になってしまいまして、それは身近な人間、家族や他の生徒だけでなく、テレビに出てくるような、政治家や芸能人や占い師や財界人など、とにかく何も信じておりませんから、テレビや新聞などを読んでいましても、それに反発することをすぐに思いついてしまいますね。他人の偉そうな意見を聞いてしまいますと、とにかく不機嫌になるばかりで、それならいっそのこと脳みそに何も情報を入れないで生活してみたら…、なんて思いも浮かんで来ますよね。考えてみますと、人間界で常に偉いのは孤高の人間、孤独に人生を捧げた、芸術家や発明家でありまして(彼らが孤独だったのは、自分によき理解者がいなかっただけではなく、彼ら自身が、勉学のため、思索のために孤独であることを望んだからです)、彼らが新しい道を示すことによって人類は船旅を続けていられるのです。つまり、世界の舵をとっているのは、金儲けしか目のない政治家や財界人ではないわけです。私も大衆に迎合するのではなくて、マスコミにおべんちゃらを使って自分をアピールするのではなくて、誰からも目を向けられないけども、逆風に負けずにしっかり大地に根をはっているタンポポになりたい、などと学生の時分は思っていましたね。それが私の理想でした。今はそこまで理想主義者ではありませんけどね。出世するほどに、私の考えも変わってきましたけれども、その辺の核心が今日皆さんにお伝えしたいと思っている、『妥協の中にある成功』なんですよね。実は、ここからが本題なんです」
 講演者はそこまで一気に話してしまってから、一度口の動きを止めた。熱く話しているうちに、顔がすっかり紅潮してしまって暑くなってきたらしく、一つ呼吸をおいて、右手をうちわのようにしてパタパタと一度扇いでから、机の上に置かれていたコップを持ち上げて、水を一気に飲み干した。ここまで早口でまくし立てるのには、聴衆に自分の講演内容について飽きられてしまうのを防ぐ狙いがあるのだろうかと勘ぐりながら僕はその様子を見ていた。彼女自身、自分の話している内容がそれほど大衆受けするものではなく、聞いているほどに聴衆を呆れさせる内容を含んでいることを知っているのかもしれない。講演者が休憩を挟んだことで、うまく間が空いたので、僕は一度周りを見渡してみた。長いつまらない話が続いても、ムングやアリアなどの危険分子も荒れた様子はなく、今のところ真剣な表情をしていて、おとなしく話を聞いていた。始まる前には無駄話をしていた生徒たちも、今は観念したのか、それとも何も話すことが無くなったのか、無気味なほど静かにしていた。京介はさすがに長話に飽きたらしく、ラルセの肩を一度コンコンと叩いて、「チョコレート一個取って」と声をかけていた。ラルセはその要望を受けて、僕の手の中にある袋に無言で右手を突っ込んで、袋の中をまさぐっていた。会場の後ろには、生徒会の役員が二人並んで立っていたが、この二人も何も会話することもなく、それどころか微動だにすることもなく、講演者の話に聴き入っていた。二人が講演者の話についてどう思っているのか、生徒会の人間ならあのような偏屈な話も受け入れられるのか、それとも彼らでもやっぱり面白くないと思っているのかは表情からは読み取ることが出来なかったが、少なくとも、楽しそうにはしていなかった。僕が自分のことを見ていることを感じ取ると、クレモネさんはにこやかに笑みを浮かべて一度頭を下げてくれた。
 講演者のマリャベリさんは、そのナイフのように鋭い視線で一度客席を見渡して、生徒たちがおとなしくしていて、しかも寝ないで話を聞いているのを確認すると、しめしめ、今のところは自分の思い通りの展開になっているぞと思ったのかどうかは定かではないが、一度ニヤッと口元を歪ませてから、再び話を始めた。
「えー、話はどこからでしたかね。そうそう、私が学生の時分から何者も信じない人間不信の塊だったというところでしたね。それは、その通りなんです。世の中には、政治家を信じない人なんてたくさんいらっしゃいまして、ありふれていますけど、中には、それを自慢話にして、酒のつまみにするだけでは飽き足らず、周囲に対して強気に話して出ることで商売にしてらっしゃる方までいますけどね。私から見れば、政治に盲目的に騙されてどんな政策にでも同調してしまうような単純な人も、それを全く信じないで世の中を見限って、すねてばかりいる人も、どっちもどっちというような気もしますね。私のはまるで違いますのでね、政治や経済への無関心というのではなくて、人間の限界を骨身にしみて知っていると言いますか、人間がやることの限界がわかっているんですね。政治の限界、金儲けの限界、宗教の限界ってやつですね。それが理解できているんです。ええ、人々を欺こうとする汚い人間も、それを嫌う人も好いている人も、私には皆同じように見えます。最近の国際情勢なんて、様々な思惑が絡んで複雑だなんて言われていますけど、私に言わせればまるで人形劇ですからね。とにかく、何も信じません。ええ、信じていませんとも。無信教なんて人もいますけど、神なんていうのもいい加減なものですよね。その国によって、創造主が違うなんて笑ってしまいますよね。ドストエフスキーの小説に宗教が国家の位置までのぼる、なんていう言葉が出てきますけど、ああいうのも、私に言わせるとよく出来たお芝居で、神様も人間の作ったもので、そこまでの力はないんですよってことですね。とにかく、聖書だか法典だか知りませんが、神格化してしまったもの勝ちみたいなところがありますけれども、信じない自由というのもありますのでね。とにかく、私は神社や教会にも行ったことはありませんで、神に祈ったことなんてありませんから、とにかく頼れるのは自分だけという信念で生きてきましたね。他人に自分の信仰を委ねるなんて私にはまっぴらごめんですのでね。そして、学生の頃から神も信じないとなりますと、成人して数年も経つ頃には、私の世俗嫌いはどんどんと加速していきまして、とにかく何も信じません。かごの中のハムスターも信じません。着飾った女性が男に見せつけるカチューシャやリボンも信じません。飲食店にこれみよがしに出来た行列も信じません。マスクを付けた人の風邪を信じません。デパートの大安売りも信じません。目の前で起きている車の渋滞も信じません。ボタンを縫い付けてくれるクリーニング店の店長の技量も信じません。そういう人間不信の極みの状態で生きてきたわけですね。
 そうそう、ここで言っておきますが、私は宇宙も信じませんからね。火星に宇宙人ですって? 月の裏側に地球侵略の秘密基地がある? もちろん、それも信じません。高性能天体望遠鏡による新星の発見も信じません。夜空に浮かぶ北極星も信じません。そもそも、優秀な科学者が何人集まっても、それがいつ出来たのかがわかっていないものなんて、どうやって信じろと言うのでしょう? 私だったら、ブラックホールがなぜ生まれたかなんて知りたくもないですわ。もし、明日地球がそれに飲み込まれたって私はおかしくないと思ってますよ。我々の存在のなんてあやふやなことでしょう! 地球も太陽も銀河系も、明日もう一度ビッグバンビッグバン(彼女はなぜか二回発声した)が起きて、消滅してしまうかもと思っておりますね。宇宙といえども、同じ性質や体系を何十億年も維持できるとは思えませんものね。何かの拍子に宇宙ごと爆発して、丸ごと消えてしまってもおかしくないですわ。今の話、ちゃんと聞いていましたか? 私は明日この星が消滅するかもと言っているのですよ? 心が動じなくては嘘ですよ。皆さんは怖くありませんか? なんて聞きながら、私はちっとも怖くありませんよってことを言いたいんですよね。何しろ、自分の恐怖心さえ信じておりませんのでね。そう、明日、自分の存在が完全に消滅したとしても、私は平気です。この世さえ信じておりませんですのでね。
 よく人から聞かれるのですが、私が信じているものと言えば…、そうですね…、歯医者! あれは信じていますね。あの治療中の恐怖と痛みは本物ですものね。あの先の尖ったドリルでガガガガってね、貫通するような痛みが脳の神経まで響きますよね。いっそ殺してくれと言いたくなる痛みです。まあ、この辺は自業自得なんですけれども。それから最近何かと話題になっている『ヤドカリ論』。あれは面白いですね。信じてみてもいいかもしれません」
 ヤドカリ論の話が出たところで、会場のあちこちから失笑が漏れた。それもそのはずで、神も宇宙も信じないと言い張った女性が、一介の人間が書いた本を信じるというのだから、その矛盾した理屈を笑われても仕方ないところだろう。最初はひそやかだった会場の笑い声は、人から人へと伝わっていくうちに次第に大きくなった。ゲラゲラとした笑い声が隅々まではっきりと届くようになった。講演者もそこで一度話を中断した。このままのペースで話を続けるよりも、一度ここで皆の反応をうかがい、反論があればそれを聞いておくのも悪くないと思ったのかもしれない。そのタイミングでアリアが大きく手を挙げて、質問を催促した。講演者もすぐにそれに反応した。
「何か、ありますか? 質問があるならどうぞ」
マリャベリさんは冷静さを保ったまま、アリアに発言を促した。アリアは待ってましたとばかりに、ガバッと椅子から立ち上がった。その髪の毛はすっかり逆立っていて、視線は定まっておらず、離れたこの位置から見ていても、彼女が正気でないことはすぐにわかった。先ほどの失態による動揺をいまだに引きずっているようだった。彼女のような自分のミスを許さないような人間が、先ほど感じた羞恥心から簡単に立ち直れるとは思えないからだ。とにかく、彼女はしどろもどろとしながらも、自分の中の何者かの勢いに任せるように話し始めた。
「あの…、話が飛躍するところがあって、わかりにくいところが多いんですけど…、私は理解力がないんで、あまり感情的にならずに、もう少しゆっくり話して頂けると助かります…。それで、宇宙を信じない…、存在すらもってことですよね? それは私も賛成なんです。小さい頃から不思議に思ってました。寝る前に点けられた微かな電灯の下で、いつも同じことを考えていました。宇宙ってどこまで何だろう? って。だって、宇宙ってあんなに大きいって言われてますよね…。銀河系だって、宇宙の端から見れば、まるで…、目に見えないような、ちっぽけなものだって…。それなのに、星が生まれるところも、星同士がぶつかって消滅するところも、私たちの目では見えなくて…、ねえ? みんなも学校の帰りに火星と金星がぶつかっているのを見たなんて言わないでしょ? それって、やっぱりおかしいですよね。星たちがみんな自由に動き回っているって言うのであれば、どれかとどれかがいつかは激突するってことですもんね。いえ、それが怖いっていうことじゃありません。あんまり、先回りしないで…、みんなが興味の視線でこっちを見てるから…。そうじゃなくて、私の考えから言えば、近くで惑星同士がぶつかったり、地球に大きな隕石がぶつかったりってことが…、はあ……、実際に起こらないっていうのが不思議なんです。いつも発表される天文関係の情報っていうのは、何百光年離れた向こうの世界で起きていて…、じゃあ、私たちがそれを知ったからどうなの? って聞きたくなるし、さっきの話に戻ると、隕石が地球に降って来ないっていうのが不思議なんです。というか、私の考えではダメなんです。大気圏で消滅とか、運よく逸れたとか、大人の言うことは地球に都合の良いことばかりで…、この地球を守ることにそこまでの意味が…。人類?(何かを思い出したように) それは余計に小さくて…。銀河の話しているときに…、人が安全とか不安とか、ちっぽけすぎて…。日々、小さな事件ばかり聞かされていて…、叔父が病気になったとか、叔母が退職したとか…。私はどんな細かいことを言われても、いちいちそれに反応しなければいけないんです。『はい』だとか『うん、聞いてるよ』とかですね…。だから、私も日常の雑事に追われていて、簡単には宇宙に意志を向けたり出来ないんです。じゃあ、数百光年離れた銀河が消滅したって話は悲しくないのって聞きたくなるんです。学者たちは地球中心に物事を考えすぎだと思います。だから、私は宇宙って嘘なのかな?って思いました。そこまではマリャベリさんと考えは一緒です。でも、私は神様はいると思います。だって、雷のことがありますもの。雷は本物でしょ? 私はまだ5歳くらいの時でしたけど…、電車に乗っている時に、真上から雷が落ちてきたことが…、ズシンと大きな地響きです。とにかく電車全体が大きく揺れて…、そのうち真っ暗になって、電車は動かなくなりました。電線から電気を供給してもらっている機器に直接雷が落ちたらしくて…。私も怖かったんですけど、周りには泣いている女性もいました。それから、私は神様の存在を信じるようになりました。とにかく、あれだけ大きな力を起こせるものは、人間より上の存在でなくてはなりませんもの…」
 アリアの発言は本人が場の空気にのまれて混乱しているせいもあって、相当に錯綜していた。先ほどまで話していた講演者以上に何を言いたいのかわからず、聞いていてイライラするほどだった。京介もさすがに苛立ったらしく、前の人が座っている椅子をガンガンと二回蹴っ飛ばした。前のほうの席のどこからか、アリアを嘲笑するような笑い声も聞こえてきた。
「もういいから、アリアは座れよ!」
「神と雷の因果関係って、それは原始人の考えだろ!」
 会場のあちこちから罵声が飛んできた。みんな、アリアを席につかせようとしていた。アリアは不安そうな顔になって、みんなの顔を見回したが、どれも自分に味方をしてくれそうではなかった。しかし、このクラスに味方がいないということは、前もってわかっていたことなので、彼女は気を持ち直して発言を続けた。先ほどまでの自信なさげな態度は捨て去っており、今度は会場中を威圧するかのような、大きな声で話し始めた。
「みんなに聞いて欲しいことがあるの!」
アリアは訴えかけるようにそう言った。しかし、会場の生徒のほとんどは、先ほどの講演者のヤドカリ論についての発言に異議があり、何らかの質問をしたいと考えており、混乱したアリアの発言を聞きたいとは誰も思っていなかった。
「いいから、関係ない話は後回しにしろよ」
ついに、京介までがそんな大声を張り上げた。ただでさえ長い講演がこれ以上つっかえるのを見ていられなくなったらしい。会場のあちこちからも、アリアを制止しようとする発言が多く聞かれた。
「早く、あいつを座らせろ!」
そんな乱暴な声も聞かれた。数人の女生徒が、「とりあえず、彼女に最後まで話させてあげれば?」と囁くように主張したが、大勢の反論にあって、その声はすぐに掻き消されてしまった。
「ちょっと! お願い、みんな聞いて! 大事なことなの!」
アリアは再びそう言った。しかしながら、張り裂けんばかりのその言葉はさらに大きな混乱を引き起こしただけだった。みんなは、特に男子生徒は、アリアの引き下がらない態度にすっかり逆上してしまい、「黙れ! 座れ!」という怒号があちこちから響いてきた。僕は一度後ろを振り返って、生徒会役員の動向を伺ってみたが、エンフォード二世は講演が再びストップしてしまったことで、相当にあたふたとしていた。このままでは時間通りに終わらないどころか、徹夜で講演を続けることになりかねなかった。額から脂汗が滲んでいて、それを黄色いハンカチでしきりに拭っていた。クレモネさんは冷静にこの様子を見ていたが、彼女自身も今の状況が好ましいとはちっとも思っていないようで、不安げな様子が見て取れた。どの辺りで介入すればよいのか、そのタイミングを計っているように見えた。
「みんな、ちょっと落ち着いて! これから大事なこと話すから!」
ついにアリアの涙混じりの叫び声が発せられるに至り、そのぐらいでひるむような男子生徒はいないのだが、一応は何を言うのか聞いてみようかという空気になり、一瞬の静寂が訪れた。

「私、昨日、生まれて初めてナンパされたの!」
アリアはマイクを使わなくても会場中に響き渡るような大声でそう言った。もちろん、彼女の混乱が極まって出てきた一言であり、これだけでは何の意味も持たないのだが、みんなの唖然とした表情を見れば、その効果は絶大だった。彼女が男子に声をかけられるような生徒でないことは全員が知っており、それだけで彼女の発言が嘘であることは誰もがわかったのだが、このタイミングで何でそのことを訴えなければならなかったのかが誰にもわからず、みんなの思考は停止したのだと思われる。少なくとも、しばらくの間、発言しようとする生徒はいなかった。モーセが大波を二つに割った時のように、みんなはただ驚愕するばかりで、大きく口を開けたままでアリアの方を見た。ラルセが心配そうに立ち上がってアリアの方へと向かった。
「アリア…、よかったわね…。でも、今はそういう話をするときではないから、一度席に着いたら?」
優しい言葉をかけられたことで、アリアは混乱状態から覚めたようで、いつものような冷静な顔に戻っていた。
「ごめんなさい…。今のは嘘です…」
アリアは涙ぐみながらそう言って席に腰を降ろした。その涙が会場の騒がしい雰囲気をひと飲みにしてしまっていて、もはや、彼女を罵倒する者はいなかった。会場がしんと静まったところで講演者が話を引き取った。

「ええ、たくさんの疑問と質問を受けとったようなので、少し答えたいと思います。まず、雷についてですが、私は雷も信じません。と申しますのは、いくつかエピソードがありまして、その一つを皆さんに紹介したいと思うのです。
 私がまだ学生の頃、実家の近辺で大嵐がありまして、今でもその日のことは鮮明に覚えておりますけれど、それはもう、耳をつんざくような雷鳴が数時間に渡って続いたような感じです。空からは雨粒がザザザーと滝のような勢いで落ちてきまして、それはもう、バケツどころか風呂桶をひっくり返したような大雨でした。視界はすべて霧がかかったようになって、どんなに目を凝らしても、自分の靴先の三歩前だって見えやしませんでした。町全体が水に飲まれてしまったかのようでした。私はちょうど、授業を終えて学校からの帰り道だったんですけれども、ちょうど、そのような嵐に遭遇いたしまして、生涯数回も出合ったことがないような、そんな悪天候に戸惑いもしましたけれども、とりあえずは、いつものようにバス停でバスを待つことにしたんですけれど、田舎でしたから、薄っぺらいトタンの屋根しかついていないような質素なバス停でして、ドーン! ドーン! とまるで爆発音のような凄まじい雷鳴が轟く中で、私を含めて8名くらいの乗客がバスを待っていたんです。けれども、普通の人間にとって、それはもう言語を絶するような恐怖の体験だったらしく、上空で雷鳴が轟くたびに、バス待ち人たちは身を大きく震わせまして、顔は恐怖に引き攣りまして、天地の成せる業にただ脅えるばかりでした。言うまでもないでしょうが、私は平気でしたけどね。周りの乗客たちが恐れおののくたびに、私はなぜだか自然と薄ら笑いなど浮かべてしまいまして…、ただ…、ふふ、さすがにあまりの騒がしさにうっとうしくなりまして、バスが早く来ると良いなと思いながら立ちすくんでいましたけどね。ところが、バスは他の停留所での客乗せで遅れているのか、予定時間を30分過ぎても一向に来ませんでした。その間に、バスを待つことをあきらめて公衆電話でタクシーを呼んできて、それに乗り込んで帰ってしまう人もいました。私から見れば、そのような妥協した態度はちゃんちゃら可笑しいですね。なぜって、このような悪天候で視界がきかない日に、タクシーの運転手が操作を誤って事故を起こす確率は、上空から雷が落ちてきてそれが自分に直撃する確率よりも遥かに大きいからです。私は学生の頃から、そのような人生における確率計算は簡単にこなせましたから、タクシーに余計なお金を取られることなく、逃げ延びていった人をせせら笑いながらバスを待っていました。バス待ちの乗客は一向に止む気配のない雷雨の恐怖に耐え兼ねまして、一人また一人とバスをあきらめて消え去って行きました。それでも私は最後まで一人でバス停に残っていました。雷の恐怖など、自分は微塵も感じていないことを周囲に見せたかったからです。ただ、周囲を見回しましても、人影などどこにもありませんでしたけどね。雨粒がトタンの屋根と道路をたたき付ける轟音が響くだけでした。その後2時間が経過してもバスは来ませんでした。それでも、自分の身に降り懸かった不幸を鼻で笑い飛ばしながら、私が一人でバスを待っていますと、そのうちに一台のタクシーが通りがかりまして、その運転手が窓を開けまして、私に告げますには、今日はこの悪天候だからバスはすべて運休になったというのです。その運転手はこんな天候の日に一人でバスを待っている私を不憫に思ったのでしょう。もちろん、同情など大きなお世話です。こんなご時世に味方はいりませんからね。私は普段は赤の他人の言葉など露ほども信じませんが、その時はなぜだかその運転手の現実的な報告を信じました。なぜって、実際にバスは来ないんですものね。自分の目で見た通りです。自分の推測だけは信じないわけにはいきますまい。きっと、何時間待っても来やしません。それに、この特異な状況下で、通りすがりのタクシー運転手がわざわざ車を止めてまで嘘をつくとも思えませんでした。私はそれを聞いて高笑ってやりました。『そうでしょう。そうでしょうよ!』と天に向かってそう言ってやりました。そのタクシーの運転手は私の言葉を聞いて、奇人を見たような顔をして、恐ろしくなったのか、すぐに走り去って行きました。仕方なく、私もその日はトボトボと歩いて家に帰りまして、翌朝起きてみますと、ひどい風邪を引いていたと、そういう話なんですよね。その日も、そう、ちょうど今日のような、こんな嵐の日でした…」
 講演者が一度話を中断すると、途端にグリーンという学生が立ち上がった。彼は持ち前の鋭い視線を講演者に向けた。顔は蒸気が出ているのではないかと錯覚するほどに真っ赤だった。先ほども少し紹介したが、この生徒は父親がクロアチア人ということで、白人の割にはやたらと血の気が多く、普段はおとなしいのだが、自分にとって納得がいかないことが起こると、すぐに気分を悪くして他人に食ってかかる癖があった。それは、相手が先生だろうが、先輩だろうがお構いなしだった。そういうときはただ、相手と議論するというよりも、熱の篭った声で自分の主張を延々と繰り返すだけだった。相手の話す内容はどうでもいいみたいだった。この生徒も、アリアほどではないが、勢いに乗ってしまうと止めにくい生徒の一人だった。みんなは息を呑んで彼の主張を聞いた。
「そうじゃないでしょうよ! 今は雷が本題じゃないんです。あなたは先ほども天候など露ほども信じないと、あれほど強くおっしゃったじゃないですか。雷という存在に信憑性があると言ったのはアリア一人だけで、あなたがそれを信じていないのは明白だったんです。そうじゃなくて、今論じられなければならないのは、あなたがヤドカリ論などを信仰しているという点です。なぜって、あれは僕のような文学に興味のない学生から見ても、何と言うか、非常に薄っぺらい大衆化された小説であって、決して人生の真実を描いたものではありませんからね。僕らのクラスで話し合っていても、あの小説を信用していないという生徒は十指に余るんですよ(この小説の話題が飛び出すたびに、クラスではなぜだか熱い議論が取り交わされますけどね)。なぜ、あんなものを信用出来る人が、僕らに偉そうな態度で人生を語ることが出来るのか、そこをまずおっしゃってくださいよ!」
グリーンは猛烈な勢いでそこまで話しきると、顔に熱を持ったまますぐに席に座った。会場のあちこちから彼に同調するパラパラとした拍手が鳴り響いた。彼の発言が必ずしも聴衆の心を捉えたわけではないのだろうが、講演者のどうでもいい話をとりあえずは遮ってくれたので、そのことへの感謝の拍手かもしれなかった。
 さて、ヤドカリ論の話題が出たので、ここでこの小説のことを説明しなければならないと思う。このことは占いとは直接関係のないことなのだが、近年、我が国で一番ヒットした商品なので、後々のことを考えると、やはり紹介しておいた方が良いと思われる。

 ドイツにハインケン=トレバサシという30代の作家がいた。作家と一口にいっても、この人物は近年までそれほど高名な人物ではなかった。本人は自分を生まれながらの小説家だと思い込んで暮らしていたようだが、二年前までは、この人の本が出版社に取り上げられたことは一度もなく、いわゆる思い込みで作家を演じていただけだった。夢想家といった方が正しいのだろうか。とは言え、想像の作家では暮らしていけないので、彼は小さな工場に働きに出ていて、安い賃金で朝から夕方まで働かされていた。いつ倒産してもおかしくないような、孫請けの小さな工場だったので、給料は遅配になることも多く(現物支給になることさえたびたびあった)、彼も夕飯を食べないで過ごさねばならない日も多かった。空想好きな性格が災いしてか友人も少なく(そもそも、他人との会話を彼は執拗に拒む傾向があった)、両親も遠く離れた場所に住んでいたから、ほとんど自分一人の収入が頼りの生活を続けていた。彼はそんな恵まれない生活の中でも、周囲の人間には、常に自分は小説家だから幸せだと言い張っていた。彼は現実の自分の境遇などに興味はなく、空想の中に住んでいる、売れて売れて仕方がない自分の姿に満足していた。そして、その空想の自分の優雅な暮らしぶりを、時折職場の仲間に自慢げに話して聞かせることもあった。当然、彼の知人に、その言葉を信じている者はいなかった。彼自身、朝から晩まで隙間なく働いているわけであるし、どこにも小説を書けるような時間を見いだせなかったからだ。もちろん、彼の服装も食べている物も質素極まりないものだった。しかも、文学系の大学も出ていない彼に、売れっ子作家になるような才能があるとは誰も信じていなかった。トレバサシは年末になると、毎年こう言っていた。
『ああ、もうすぐたくさんの税金を納めなきゃならんな。この国は税金が高くてたまらんぜ』
 もちろん、彼は工場で働いていたから、税金は給料から自動的に引かれていて、自分から払いにいく必要はまったくなかった。彼がこの台詞をよく使ったのは、自分は作家であるから、その年に売り出した本の税金を払わねば、という思い込みだったのである。決して言葉だけではなく、彼は実際に税務署を訪れることもあった。彼の想像の中では、自分は売れっ子作家であるから、一般の市民よりもたくさんの税金を払わなければという意識が進行してしまっていたのである。もちろん、財布の中には、いつも胡桃入りパンも買えないような、わずかなお金しか入っていなかった。税務署員も困り果て(税務署という立場上、おかしな客が訪問することには慣れていたようではあるが)、彼の空想話が長くなってくると、還付金があるからと言って、逆にお金を持たせて帰らせるくらいなのである。彼は自分が書こうとしている作品に絶対の自信を持っていた。想像の中の自分だけでは満足出来なくなり、彼は実際に休日や仕事の休憩時間を利用して少しずつ作品を書き溜めるようになっていった。それが後にヤドカリ論と呼ばれる奇怪な文章だった。
 このトレバサシという男は、我々の住んでいるこの地上に、いや、もっと広く言えば宇宙全体に、エーテルと呼ばれる何者かの意志が常に流れ込んでいると、そう考えていた。この世を作り、そして歴史を思いのままに進行させているのは決して人や神ではなく、このエーテルと呼ばれる気体が原因なのだという。このエーテルが人類を、引いては宇宙全体を自分の思いのままに動かし、進化させていき、ある最終型を目指しているのだという。ただ、その最終型がどういうものなのか、人類の発展や進化が、今後この星や宇宙全体にどのような影響を与えるのかについては、このトレバサシにもわからないらしい。少なくとも、彼はこのヤドカリ論の中では、そのことを明言していない。彼がその神の意志ともいえるエーテルを証明するために使ったのがヤドカリである。ヤドカリは元々蟹の一種であり、生まれ落ちた時は裸であるが、成長するに従って自分の身体に合うサイズの巻き貝を探して、その中で生活をすることは誰でも知っていることと思う。トレバサシの主張の第一は、『ヤドカリには脳みそがない』ということであり、脳みそがないのに、なぜ、他の生物の身体(貝)を利用する術を知っているのだろうという点にあった。脳みそのないヤドカリには親から子へと自分の生き方を伝えることは出来ないため、ヤドカリの全てが他人の巻き貝を利用して生きる術を知っていることは、不自然だというのである。そこから、彼はエーテルの存在を導き出したのである。つまり、エーテルというものが我々の住むこの星の大気には含まれており、それが人間やヤドカリや他の生物の知性に作用して、その生物の進化の手助けをしていると彼は主張したのである。簡単に説明すると、これが『ヤドカリ論』である。どこから読んでも、子供にも笑われそうな理論だが、彼はこの主張を頑なに信じていて、この本の中にそれをしたためた。
 次に、この本が爆発的に売れることになった理由を説明しなければならない。まず、このヤドカリ論の全容が、きわめて煩雑な体系で描かれているということである。このトレバサシという男、自分は小説家だと主張していた割には文章が非常に下手で、しかも、長文をまとめ上げるだけの構成能力もなく、それを理解しようにも、わざと読者に理解させない、遠ざける目的で書かれたのではないかと勘繰りたくなるほど読みにくい文体で書かれていた。しかし、この事が後に思いもかけないような効果を上げた。彼はまずこの原稿を自信ありげな態度で小さな出版社に持ち込んだのだが、『内容が意味不明である上に、無理に理解したとしても面白い読み物ではない。その上、作者はおそらく精神疾患である』と断じられてしまい、原稿は突っ返された。彼はめげずに、その後いくつかの出版社にも持ち込んだのだが、そこの編集者からも似たような反応を示され、まるで相手にしてもらえなかった。そこで、彼はこれを印刷所に持ち込み、自費で出版することにした。もちろん、手持ちのない彼には、僅かな数を出版することしか出来ないはずだった。ところが、ここで手違いが起こった。印刷所の営業課の社員がこの本の部数を二桁間違えてしまい、この呪われた本は百倍の部数世に出回ることになった。印刷所も、これは自分たちのミスであるから、トレバサシの注文分以外は、泣く泣く自費で引き取り、大幅な赤字を計上してから、それを各地の本屋に売り込むことにした。各地の本屋では、なぜか予定外に大量の本が持ち込まれ、しかも、『ヤドカリ論』という意味不明のタイトルであったため、店長以下、大変に戸惑ってしまい、その扱いに苦慮してしまった。最初は当然海洋生物のコーナーに置かれたのだが、内容を一目見た店員が真っ青な顔をして、『いや、これは違う。これは生物学などではなく、もっと決定的に恐ろしい、まがまがしい何かを含んでいる』とコメントして、他のコーナーへの展示が検討されることになった。そして、最終的にはそれを心霊コーナー(怪奇現象も含まれる)、に展示した。さて、これを最初に手にしたのは、世の中の日常的な出来事にはすでに飽き飽きしている心霊マニアたちであった。彼らは日々の生活に退屈していて、(そもそも、こういうものを喜ぶ人種というのは、社会や親や教師を偉大なものだと認めようとしていないものである)政治や経済の動向などにまったく興味を持たず、ただ、自分の興味をくすぐってくれる面白い出来事を探していた。彼らは、この本を読み進めるなり、その極めて読みにくい文体と、なかなか趣旨を理解させてくれない古文書のような内容の虜になり、これが何かの人類史上の秘密(例えば、NASAがすでにUFOの存在を知っているのではないかとか、アメリカのある町で道を歩いていた少年が突然空に開いた穴に吸い込まれた、といった話の真相など)の暴露本ではないかとの憶測が働くようになり、本はにわかに完売することとなった。この本が馬鹿に売れているというニュースが伝わっていくと、最初はこの本を出版することに難渋していた出版関係者も、いよいよ、これを取り上げなければならなくなり、正式にトレバサシと出版契約を交わすと(この時点では彼の才能を認めたわけではなかった。渋々である)、『世紀末怪奇理論白書ついに発売!』と銘打って、この本を大々的に宣伝するに至った。出版社はこの本を売り込むために、これは半ば狂人が書いたものだと宣伝したが、トレバサシはそのような悪口まがいの宣伝文句をまったく気にしなかった。彼はどんな理由であれ、この本を多くの人が読んでくれることだけが嬉しかった。折しも、世は怪奇現象ブームであり、マスコミも各社競って、世の中に転がっている怪しげな現象や文献を探していたので、この広告文句に一斉に飛びついた。それから、本は霊魂や精神科の専門家や怪奇文章マニアに煽られて売れに売れた。初版本は大量に刷られたが、それでも、大量の怪奇本マニアを満足させることはできず、本屋の店頭からあっという間に消え去った。客の中には、後でプレミアがつくことを見越して、一人で何冊も購入していく人間までいた(心霊マニアというのは、例え、他人に理解できないような物でも、自分の持ち物にプレミアが付くことを一番喜ぶ人種であるし、日常的に何か後で高価になりそうな物は転がっていないかと探している人種と大抵の場合リンクしているものである)。その凄まじい売れ行きが、さらに噂と憶測を呼び、新聞やテレビでも連日取り上げられる一大ブームとなった。ここまで来ると、彼を非難することは、多くの読者(例え、それが常識すら理解出来ないような心霊信者であっても)を自分の敵に回すことになると考え、評論家たちもなし崩し的に彼を賞賛するしかなくなった。事実、発売から数ヶ月後には、ドイツ国内の圧倒的多数の世論は、トレバサシの主張を支持するようになった。ただ、彼らはヤドカリ論を完全に理解したわけではなく、トレバサシの奇々怪々たる性格を理解し許したのであった。それには、このような恵まれない半生を歩んできた彼への同情の念も強くあったと思われる。シンデレラストーリーというのは、いつの世でも、どんな種類の人間であっても喜ばれるものである。凄まじい売れ行きはドイツ国内だけにとどまらず、あっという間にヨーロッパ各地に飛び火した。今の世に絶望しているような一部の人間は、彼は偉大な教主として崇められるようにさえなった。
 それから一年も経つと、翻訳されたヤドカリ論がこの国にも持ち込まれるようになり、各地の書店で大々的に販売された。そうは言っても、この国はまともな思想人、それは、マスコミの大袈裟な宣伝文句や、政府の虚言には簡単に騙されない思考を持った人のことだが、そういった常識人が多いので、導火線に火がついた状態のこの本といえども、簡単にはベストセラーにならなかった。本屋で手にとっても、内容に興味を示さず、顔をしかめる客が多かったという。それはそのはずで、元々がそのような偶然が重なったような経緯で売れた本なので、まともな思考を持った人がまともに評価をすれば、それほど高い評価になるはずがないのである。しかし、西洋で空前絶後の大ヒットになっているという宣伝文句はやはり強烈であり、堅物が多いはずのこの国でも、若い層を中心に徐々に話題になり始めた。テレビゲーム好きな単純な思考回路を持った層には、次第に受け入れられるようになっていった。しかし、知識層を取り込むまでには至らず、いまだ我が国での評価は定まっていないが、現在のところ、オカルト本の域を出ていないようである。
(まだまだ続きます)

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