目次
1ページ試験の結果
2ページ京介の不調・ラルセの星占い
3ページ新入生歓迎式
4ページガンボレ祭前日の買い物
5ページガンボレ祭その後(一)
6ページガンボレ祭その後(二)
7ページガンボレ祭その後(三)
8ページガンボレ祭その後(四)
9ページサフラン先生の薬品占い
10ページ生徒会総選挙数日前(一)
11ページ生徒会総選挙数日前(二)
12ページ生徒会総選挙数日前(三)
13ページ厳罰棟所長の訪問(一)
14ページ厳罰棟所長の訪問(二)



 ガンボレ祭が終わってから一週間が経過した。とても不愉快だったあの一連の出来事の、いったい何が幸いしたのかわからないが、京介はすっかり自分の生き方と占いに自信を取り戻したらしく、今週から自室での憑依占いの営業を再開していた。それを受けて、隣室に住むロドリゲスは京介に対し、憑依の自粛と過去の事故による損害の賠償を強く求めたのだが、京介が交渉に応じなかったため、結局どちらも受け入れられず、京介の部屋のドアには『憑依絶好調』と書かれた看板が再び掛けられ、彼自身も新入生歓迎会での憑依の成功談を、お客さんや周囲の人間に自慢げに披露するなど、早くも完全復活の様相を呈している。かく言う僕自身も昨日、京介の部屋に、占い再会祝いのバラの花束を届けたばかりだ。
 しかし、ロドリゲスの気持ちもわからないでもない。なにしろ、京介の復活劇が本物でなく、再び憑依に失敗してなんらかの事故を起こしたとしたら、一番大きな被害を被るのはおそらく隣室にいる彼だろうから。
 僕は去年の大爆発(京介事件)の際、爆風で部屋の外まで紙屑のごとく吹き飛ばされ、顔中血まみれになったロドリゲスを助け出し、救急車で病院まで連れていったことを今さらながら思い出していた。
「あのときは5日間も電気とガスが使えなかったもんなあ…」
部屋の中でイスにもたれながら瞑想し、僕は他に誰もいない部屋の中で、無意識のうちにそう声に出してしまっていた。1年前のあの大事故の直後、ものの十分もせずに、地元の警察や消防団が駆けつけてきた。
「これはガスですね? ガス爆発ですね?」
 彼らは被害状況から、直感的にガス漏れによる事故と判断して、口々にそう言いながら、行方不明者の捜索や消火活動にあたっていた。当然のことながら、消防士とは言えエスパーではない、一般人であり、なんでこのような爆発が突発的に起こったのかが瞬時には理解できなかったのだ。そのため、しばらく時間が経ってから、僕が占い師生徒の代表となり、憑依というものについて、警察関係者に詳しく説明しなければならなかった。
 つまり、憑依の最中に誤って想定外の大物を呼び出してしまい、プレッシャーでコントロールが効かなくなり、ついにはそれに身体を乗っ取られてしまった云々である。
 そして被害者や関係者からの事情聴取の結果、容疑が固まり、一年前の夏、京介は病院のベッドの上で、器物損壊と業務上過失傷害の疑いで逮捕された。しかし、警察にとって、京介に悪意があったのかどうかを証明することは、なかなか難しい問題だった。それもそのはずで、だいたい主犯格の京介自身もこの事故で重傷を負っていたし、他の被害者たちにしても、「いや、いつものことですから…」とあきらめ顔で刑事訴追する気が皆無だったからである。
 結局、この事件は刑事告訴されず、京介は数日後に釈放されて、学校側から10日間の自宅謹慎処分を受けるだけにとどまった。彼は帰宅の際、正門でファンの女生徒から花束を受け取り、出迎えた人達に手を振りながら、満面の笑みだった。
 今からちょうど一年前、あの日も今日のような蝉の鳴く暑い日だったなあと、僕は事件を感慨深く思い出していた。事件で負傷した者の中には、いまだに京介に対して、良い感情を持っていない人間も多くいるが、人の恨みというのは時と共に薄れゆくものである。京介自身は、今ではもうあの事件の大きな被害に対する罪悪感をあまり持っていないようだ。
 最近では、まわりの人間の迷惑を顧みず、ケロッとした顔で憑依の新しい技に次々と挑んでいる。そのような彼の厚顔無恥な態度が、憑依復活によって再び芽生えた隣家の人間の不安を増幅させていることも、また一つの事実である。
 しかしまあ、それも他人事であり、距離的に少し離れた位置に住んでいる僕にとってはどうでもよい事だ。僕は自分の今の平和な時間がもう少し長く続くといいなあ、などとのんきに考えていた。
 ところが、空想夢想のさなか、そんな平和な部屋のドアをコンコンとノックする者がいた。誰が来たのかと考える余裕もなく、試しに返事をしてみると、「宅急便ですが〜!」などと、ドアの外からのたまっている。仕方なく椅子から立ち上がり、ドアを開けてみると、ヒョロッとした背の高いお兄さんが荷物を抱えて立っていた。
「ちわっす、お荷物で〜す。印鑑をお願いします〜!」
こちらが何か言う前に、大声で叫ばれてしまったので、印鑑を持たない僕は、あわてて彼が手に握っていた書類に直筆でサインしてやった。
「しかし、占い師さんなんかは、宅急便の荷物の中身なんて確認するまでもなくて、事前に水晶なんかで占ってあったりするんでしょうねえ? へへへ」
なんてことをヘラヘラとしゃべくってから、そのお兄さんは荷物を置いて去っていった。一般人の中には占い師に対する知識が欠けている人がかなりいるらしく、彼らの多くは、占い師という人種が、何かあるとすぐ水晶やタロットを取りだして占いを始めるものだと勘違いしているのだ。実際には、占い師の多くは相当にものぐさな人間であり、よほどの大金を積まれない限り、仕事以外で自分の技術を披露するということは滅多にない。まあ、僕らはまだ学生であるから、占い師の中でも例外的な存在であり、小銭でも貰えれば、毎日のようにお客さんに対して腕を振るってはいる。
 しかし、そんな僕らでも、教師や依頼者から命令されない限り、占いをすることは少なく、ましてや、自分にこれから届く宅急便の荷物の中身を占う者など絶対にいない。頭が悪すぎる。
 僕はそんなことをぶつぶつと独りつぶやきながら、荷物の差出人も確認しないで、上に貼ってあったガムテープをベリベリとはがした。中をのぞき込むと、ダンボールの中には包装された辛子明太子と温泉饅頭が山ほど詰め込まれていた。
 「これは京介の家族からだなあ…」
僕は箱の前で呆然と立ちすくみ、低くそう呟いた。
 この学校においては、2学生以上の者が自宅からの仕送りを受けてはならないということを以前説明したと思うが、それでも実家から物資の供給を受ける方法はある。実家の両親は自分の息子に直接荷物を送るのではなく、まず、その友人に仕送りをするのだ。そうすれば、その後に、友人から自分の子供に供給品を分けてもらえて、万々歳となる。この方法による間接的仕送りについては、学校側も黙認しており、我が校の伝統芸の一つとなっている。
 2学生に昇級してからすぐの初春頃に、京介の実家から今日と同じような荷物が僕のところへ届いた。その荷物と一緒に、『いつもうちの息子がお世話になっています。うちの地方の特産品を送ります。お楽しみいただければ幸いです。できれば、うちの息子にも分けてやって下さい』と書かれた手紙が入っていた。すぐに一口食してみたが、饅頭はともかく、この辛子明太子というものは強烈すぎて、とても食えず、吐き出してしまった。しばらくの間、味覚がおかしくなってしまい、最初は食べ物じゃないのかと思った。その後、友人らに仕送り品を少しずつ分けてやった。ロドリゲスも僕と同じような反応を示し、明太子を吐き出した後、口を両手で抑えながら部屋中を駆け回っていた。ラルセは辛い物好きなので、平然とこれをパクパク食していた。彼女はこれ以後、この明太子を好物としている。僕は我慢がならなかったので、京介にこの食物のことを厳しく問いただしてみた。すると彼は、「なんだい、君らは食えないのかい? 日本では子供でもみんな大好きなんだぜ。本当はご飯と一緒に食うのが正しいんだけど、通はそんなことしないで、丸ごとかじるんだよ、こうやって!」
 などと言って、京介は明太子にかじりついたのだが、さすがに大きくかぶりつきすぎたらしく、その後むせていた。
 それからしばらくして、僕は京介の実家にお礼の手紙を書いたものだ。
『明太子なんぞ、辛くて、とても食えないので、できれば、次は海老や蟹を送って下さい』と、そう書いてやりたかったが、そんな勇気もなく、結局『とってもおいしかったです。感激しました』と書き送った。
 それからというもの、毎月一度、このような荷物が僕の部屋に届くようになった。下手に褒めてしまったために、中身は毎回同じだ。そして、今月も例外なく、同様の荷物が届けられたということなのである。ため息ばかりついていても仕方ない。もうすぐ1時間目の授業が始まるのだ。僕は学舎へ向かうついでに、この食品を友人らに分けてやるべく、小分けにして、袋に詰める作業に移った。当然のことながら、ラルセと京介の袋には明太子を多めに入れた。僕のところには残らないぐらいでいい。
 僕はまず、近場のロドリゲスの部屋から訪れることにした。同じ授業を受けているので、教室まで一緒に行く口実にもなる。ドアをノックすると、彼は笑顔で迎えてくれた。
「ああ、また、京介の親御さんから荷物が届いたのかい?」
 ロドリゲスは僕の説明を聞くまでもなく、僕が手に持っていたビニール袋に目を付けて、そう言った。
「実はそうなんだよ…。僕だけじゃ、とても太刀打ちできないから、できれば手伝っておくれよ」
 僕はそう言いつつ、その袋を一つ差し出した。ロドリゲスは全く嫌な顔をせずに受け取ってくれ、「いやあ、助かるよ。最近節制してるから、こういうのは本当にありがたいんだよ」とニコニコしながら言ってくれた。その言葉はまんざら苦し紛れでもなく、最初は明太子の辛味に苦しめられていた彼も、毎月のようにこれを食しているうちに、しだいに慣れてきたらしく、現在では朝も夜も米を主食とするなど、完全な日本かぶれと化した。
「いやねえ、最近は京介に米を分けてもらってるぐらいなんだよ。この明太子というのはよく味わってみると、なかなかに奥が深い味だよ。バヌッチもどうだい? 米を分けてあげようか?」
などと、ロドリゲスは自分の立場を正当化する言葉を繰り出してきた。
「いや、僕はいいよ。しかし、あれだねえ、京介が憑依を再開すると、君もこれから大変になるんじゃないかい?」
 薮蛇にならないように、僕は話の矛先を変えてみることにした。
「そうなんだよ…。まあ、付き合いも長いし、彼も悪い男じゃないんだけどねえ…。 憑依はなるべく時と場所を選んでやってもらいたいんだよ。あれは元々見せ物じゃないし、憑依を専攻している他の学生っていうのは、金儲けのためじゃなくて、研究のためにやってると思うんだよね」
 ロドリゲスは深刻な表情でそう言った。僕も深く頷き、それに同意した。
「だよねえ、彼は真っ昼間からいきなり獣みたいな大声を出して踊り始めたりするし、それも一度に多くの観客を部屋に呼びこんで派手にやったりするから、被害もバカにならなくなるんだよねえ」
 水晶主体のロドリゲスの場合は顧客のプライバシーのことも考慮に入れ、どんなに多くの客が彼の部屋を訪れても、一度に室内に呼び入れるのは数人だけである。しかし、京介のところでは占いというよりも、もはや、エンターテイメントであり、さながら、遊園地かなんかのショーのようである。もちろん、一般の顧客を相手にするときも、京介はしょっちゅう失敗する。その度にとてつもない轟音が鳴り響き、髪を真っ黒に焦がされた人たちがゲホゲホ言いながら、彼の部屋から飛び出してくるのである。しかし、そういう事態になっても、京介は何らあわてることもなく、お客さんに占い料を返金することもなく、「いやあ、ごめん、ごめん。こりゃあ失敗だね〜」などとふざけ笑いしながら、後頭部を掻くだけである。
 そんな彼に、ひどい目に遭わされた人々はその場では文句を言ったり、頭を一発小突いたりして、一応は怒りを露わにするのだが、少し日にちが過ぎると、あろうことか、再び彼の部屋を訪れたりするのだ。
 つまり、失敗して爆発するかもしれないという、彼の危険な占いが、平和な生活に飽き飽きしている現代のやんちゃな若者心をしっかりと掴んで離さないでいるということも言えるのである。
 しばらくそのような話を続けていると、突然、隣の部屋から、「おお〜!!」とか「きゃ〜!」といったような歓声が聞こえてきた。「ああ、どうやら、京介がまた始めたらしいねえ…」と、ロドリゲスが少しうなだれながら言った。
「一時間目は薬品占いだけど…、彼はあの先生が嫌いだし、あの調子だと今日は行く気がないみたいだね…」
「そうだね…、僕らだけで行こうか?」
ロドリゲスも同意してくれたため、今日は二人だけで薬品占いの授業に参加することにした。
 広場にある掲示板で今日の授業予定表を確認すると、どうやら、薬品占いの授業は学舎の三階の視聴覚室で行われるらしい。僕らは暗々たる気持ちで、校舎の大理石造りのロビーを抜け、時間をたっぷり使って階段をゆっくり上がり、一度大きくため息をついてから、三階の通路の左側一番奥にある視聴覚室へと入った。
 誰にでも好きな授業や嫌いな授業はあると思うが、薬品占いは一言で表現すれば、『不安になる授業』である。世間一般にはまだ認知されていない強力な薬品を使用する占いであり、これを純真無垢な学生達に教えて良いものかと、授業プログラムを作成する際に、学長も相当思い悩んだらしいのだが、結局、我が校の薬品占いの第一人者であるサフラン先生の、『一部の生徒が夢中になってやっている憑依とかいう科目なんて、もっと危険なことを生徒にやらせているじゃないですか!』という一言に押し切られてしまった形での導入となった。ちなみに精神力が未発達な一学生は時期尚早ということで、この授業を選択することはできず、二学生以上の学生専用の選択科目である。
 室内に入ると、視聴覚室の窓はすべてぶ厚い暗幕で閉め切られ、すでに薄暗くて息苦しかった。室内には、これまでの人生で嗅いだことのないような甘酸っぱい薬品の匂いが立ち込めており、それに加えてモワッとした湿気が充満していて、何もせずとも、入室しただけで気分が悪くなる程だった。サフラン先生は教壇の前に威風堂々と立っていて、生徒の一挙一動を見逃すまいという鋭い目付きだった。彼女はまだ三十台前半の女性なのだが、大きく釣り上がった両目の間が普通の人より大きく空いているため、『カエル先生』という愛称もある。だが、実際にその呼び名で話しかけてしまうと、ひどい目に逢わされる可能性が極めて高く、呼びかける勇気のある学生もいないのが現状だった。
 まだ、うちのホームルームの生徒が全員揃っておらず、先生も先に着いた生徒もやることがなかった。間が持たないので緊張感で息苦しくなったのか、ロドリゲスが先生に挨拶をするために教壇に近づいていった。先生の眼前にある長机の上には多数の試験管やフラスコが並び、その一つ一つが紫やピンクなどの不気味な色の液体で満たされており、そこから立ち上る蒸気が、この場の陰気な雰囲気をさらに盛り上げてくれていた。
「先生、どうもお久しぶりです。お元気そうですね。しかし、部屋を暗くすると、占いをする雰囲気が出ていいですね」
実際には、こんな不気味な雰囲気を好む学生はおらず、逃げたくて仕方がないというのが本音だろうが、ロドリゲスは先生とのコミュニケーションを無理に取りにいっているようだ。サフラン先生は彼に好印象を持ったらしく、ニコッと笑ってから、機嫌良さそうに話し始めた。
「そうよね〜、まあ、これから俗世間の慣習から遠く離れた領域の研究授業に入るわけだから、その手始めにこの空間に妖艶な雰囲気を漂わせてみたっていうのもないことはないんだけど、実際は他の学級の生徒や先生方にこれからやることを外から見られたくないのよね…。まあ、それと生徒会の役員連中に知られるとまずいからね…。金銭で解決できないこともあるし…」
先生は右手で髪を整えながら、あまり感情のこもっていない淡泊な口調でそう話した。 「先生でも生徒会は苦手なんですか?」
僕は愛想笑いをしながら、間を持たせるために仕方なく、ふざけ半分の口調でそう尋ねてみたのだが、先生は突如暗い表情に変わり、こちらの方から眼を逸らし、「う〜ん…」と一声唸ったきり黙ってしまった。僕が提示した話題にはさして興味はなかったらしい。そうかと思ったら、数秒後には、まばたきもしないで、キョロキョロと教室内を見回しはじめ、目に見えない何かを探しているようだった。まるで、狩りと食事を終えて退屈してしまい、遊び相手を探すサバンナの野生動物のようだ。
「あなたたちって、どこの先生のクラスだっけ?」
いつものように、聞き手に視線を合わせないで、腰に手を当て、天井を見上げる姿勢のまま、先生はそう尋ねてきた。
「たでま先生のホームルームですが…」
誰が聞かれたのかわからなかったが、反射的に僕がそう返事してしまった。
「やっぱりね、たでま先生か…」
先生は重たい口調でそうつぶやくと、また、しばらく黙り込んでしまった。できの悪いクラスに当たってしまったことを悔いているように見えた。その間にも生徒がぞろぞろと室内に入ってきていて、授業開始五分前にして、全体の九割くらいの席が埋まろうとしていた。
「たでま先生もね…」
サフラン先生は今度は下を向いて、低い声でそうつぶやくと、全く身動きをしなくなった。こんな暗くて不気味な室内で担当の先生に黙られてしまうと、こっちは余計に不安になるので、仕方なく、またこちらから話題を提供することにした。
「先生は教師として、たでま先生のことをどう思います?」
僕はおどけた口調で教壇の方にそういう質問を飛ばしてみた。
「たでま先生について? 私がどう思うかって…?」
先生は今日始めて興味あることを聞かれたようで、嬉しそうにほくそ笑んでから話しはじめた。
「そうね…、あの人はいい人かもね…。まあ、教員室で強烈な修羅場を見せられても、ジメジメした人間関係に遭遇しても、自分を見失わないで…、見たものを自分の心の中で悪くない方向に加工して、そのまま体外に出さず、長期間閉まっておけるところとかね…。女性の立場から言わせてもらうと、ああいう人は便利に使えるんですよ。戦友としてはいいですね…。ストイックすぎるから、友達にはなりたくないですけど…」
それを聞いて、ロドリゲスが眉間にシワを寄せ、教壇に詰め寄った。
「先生、大人同士の複雑な人間関係に関する話題は、生徒の前では言わない方が良いと思うのですが…。なにしろ、僕らはまだ子供ですからね。先生同士の親交やトラブルについては知らないほうがいいことの方が多いと思います」
どんな大物にでも自分の意見を曲げることなく、きちんとぶつけられるところは彼の凄いところだ。しかし、先生はまた瞬時に不機嫌になり、鼻を一度フンと鳴らしてからロドリゲスを睨みつけた。
「あなただって今は無邪気で純粋な目を持って生きているから、世界のすべてが綺麗なものに見えてるでしょうけど、もう少し大人になれば私の言ってることがわかるようになるわ…。人間社会っていうのは、それはもう表現しがたいほど汚い世界なのよ…。占いの世界も、教員たちの世界も例外じゃないの…。私はあなたがたより十年以上も長くこの世界で生きてきたっていう自負があるのよ。だから、この部屋の中できれいごとは絶対言わないでちょうだい! 道徳観念を語りたいんだったら、他の授業の先生と話すといいわ!」
授業開始前から担当の先生にそのように凄まれてしまっては、さすがのロドリゲスも反論することはできなかった。彼は、「くそ!」と低い声で捨てぜりふを地面に向かって吐き捨て、自分の席に戻っていった。
「そろそろ全員揃ったかな? 来てないのはあと何人? 三人だけ? そのくらいなら始めちゃいましょうか。余分な時間も無いしね…」
サフラン先生はそう言いながら、機嫌直しに口笛を吹きはじめ、半ば上の空で机の上の名簿と生徒の顔を見比べながら、出席を取りはじめた。
「なになに…、来てないのは京介とラルセとタッサンの三人かな…。サボタージュの常連じゃないか…。あいつら、ふざけてるな…」
先生は念仏のように全く感情がこもってない声でそう呟くと、出席者の欄にチェックを付けてから名簿を閉じた。
「はい、では授業を始めますよ〜。先生はね、あまりにも楽しみで、昨夜は心臓がドキドキして眠れませんでした! 今日、みんなと遊べるからだね!」
 先生はそう叫ぶと、教壇の上に設置してあるいくつかの試験管を自慢げに指差した。
「今日はここぞという時のために取っておいた、ちょっと危ない薬品を使いますからね〜。みんなで勇気を振り絞って飲んでみようね」
僕らに危機感を与えないためか、先生はにこやかにそう話してくれたが、その言葉を聞いて、室内のあちこちから「え〜…」という不安そうな顔をした生徒たちのため息混じりの声が響いてきた。
「そんな嫌そうな顔しても無駄ですよ! 実験台になるのはこの中の一人や二人じゃないの! 責任と秘密を共有するために、同じことを全員にやってもらいますからね」
「今後の人格形成に関わるような、かなり危険なこともするんですか?」
辺り一面に漂う不安に耐え切れず、誰かが勇気を振り絞ってそんな質問を投げかけた。 「薬品占いを行った際の精神的ダメージがどのくらいになるかはわかりませんけどね。なにしろ人間の可能性を突き詰める占いですからね。私なんてもういい歳だからありきたりの凡庸な結果しか出せないでしょうけど、あなたたちはまだ未成年ですからね。可能性は宇宙のごとく大きいはずですよ。その可能性を大きく拡げるために危険なことはしますよ。ただ、失敗するなと言って緊張させると、あなたたちみたいな未熟者は余計わからないことをするから、詳しいことはまだ伏せておきますけどね〜」
先生がそう説明したときだった。視聴覚室の一番前の窓ガラスから、コツコツと外から叩かれたような音がした。明らかに室内の前半分くらいの位置にいる生徒には聞こえたはずなのだが、先生は何も聞こえていない振りをして、話を続けた。
「人間は誰しも第六感っていうのを持ってるでしょ? 知ってる? 先生は化学者とは言え一般人だから、そういう能力は持ってないけど、みんなは占い師ですもの、知ってますよね? 自分の部屋に一人でいるときに、心がソワソワしてふと誰かが尋ねて来るような気がしたり、空は晴れているのになぜか傘を持って出かけてみたりとか、そういう直感のことよね。薬品占いはね、そういう第六感を強い薬品の力を借りて引き出す占いです」
先生がそこまで話したとき、今度はコツコツコツと三回窓が叩かれた。
「先生! 窓が外から叩かれてます。誰か外にいます!」
「ちょっと、よく考えなさいよ。ここは三階よ? 誰もいるわけないでしょ? 私には何も聞こえないわ…。頼むから、説明しているときは黙っててね…」
不機嫌そうに発言者をにらみつけると、平静を装って、先生は説明を続けようとした。しかし、今度はドンドンドンと拳でおもいっきり叩いたような大きな音がした。
「うるさいわね! なんだって言うのよ!」
先生は激昂して、窓に駆け寄り、カーテンを力強く引き開けた。もちろん、窓の外には何者もいなかった。バルコニーの手摺りにカラスが一羽留まっていただけだった。
「これって、ひょっとして念波じゃない? 誰かが離れた位置から念波を飛ばしてきてるんじゃ?」
後ろの方の席に座っていた生徒の一人がみんなにそう呼びかけ、生徒たちもようやくそのことに気づかされたようだ。
「そう言えば、念波占いのタッサンがまだ来てないな。彼はどうしたのだろうか?」
「タッサンの身に何か異変が起こって、彼がそのことを念波で僕らに伝えようとしているんじゃないか?」
他の生徒がガヤガヤと騒ぎ出し、そんなことを言いだした。僕も同じ意見だった。タッサンはこの年齢の男性には珍しく低血圧なので、朝早く起きるのが苦手で一時間目の授業などは遅刻することも多いが、薬品占いのような休んで出遅れてしまうと、後々身に危険が及ぶ授業についてはこれまで休んだことはなかった。
「これはきっとタッサンからの伝言だよ。タッサンの身に何か悪いことが起きたんだ。僕らはタッサンからの伝言を読み解かなければならない。誰かこの信号を解読できる人いないかい?」
ロドリゲスが立ち上がって大声で全員に呼びかけた。
「私がやってみます。一学生の頃、半年間だけ念波占いの授業に出ていたんです。同じ境遇で学んできたタッサンの身に突然の災いがふりかかったのかと思うと胸が痛みます!」
そう言って窓際に走り寄っていったのは、我がクラスで京介の次に霊感が強いと言われているネーモ嬢だった。京介のように自分の霊感の強さを周囲にむやみにアピールしたりはしないが、彼女が時々見せる、何か目に見えないものを探そうとする視線は一流の霊能者でさえ侮れないものがあった。彼女は窓に耳を押し当てて目を閉じて呼吸を押し殺し、念波を読み取る準備をした。
「ふん、所詮は数十人しか受講していないような授業でしょ? そのマイノリティーな念波占いなんかに何が出来るのかじっくりと見せてもらうわ」
サフラン先生は腕組みをして冷酷な口調で独り言のようにそう言い切った。しかし、もはやこの場の主導権は彼女の手を離れていた。生徒のほとんどはネーモ嬢を注視していた。二分ほど静寂の中で時計の針だけが進み、室内の緊張感が高まりきったとき、窓ガラスがコツコツコツと小さく早く七回叩かれた。ネーモ嬢はガラスが振動するたびに金魚のように口をパクパク動かして、信号を人語に変換しようとしているようだった。成功か、はたまた失敗か、周囲の生徒は我が事のように緊張感を持って注目していた。
「わかりました!」
窓ガラスからの音が鳴り止んだとき、ネーモ嬢がみんなの方を振り返った。たちまち教室内が歓喜の声で充満した。
「タッサンは風邪をこじらせてしまって咳が止まらず、今日は来れないそうです!」
ドラマチックな事件には発展しなかったため、教室内には軽い失望を伴うような微妙な空気も流れたが、多くの生徒はその無難な答えに満足したようだった。しかし、その報告を聞いて、先生だけは激怒した。
「ダメよ! そんなこと認められるわけないでしょ! 遠く離れたところにいる人間に、電話も手紙も使わずに自分の意志を伝えようだなんて、あまりに非科学的だわ! 例え、それが実現できるとしても、本当にそれを実行する人間は考え方が堕落し過ぎているわ。それは、ただのサボりでしかないでしょ? いちいちそんなものを信じて病欠扱いにしていたら、私は教師としても化学者としても失格になるのよ!」
ネーモ嬢はそれを聞いて顔を真っ赤にして憤慨した。
「これは本当です! 私は嘘なんてついていません! タッサンは本当に風邪で寝込んでしまったんです! 先生みたいに、数式で証明できるもの以外は信じられないような、化学一辺倒の人間には信じられないのかもしれませんが、念波占いではこのぐらいのやりとりは授業で普通に行われているんです。上級者に至っては、三百メートル先にいるニワトリを自分の思い通りのタイミングで鳴かしたり、遠くから波動で小突いて驚かせたり出来るそうです。先生、お願いです。信じてください」
「だまらっしゃい! これ以上教師を愚弄するのは許しませんよ! 念波のことをそんなに語りたいのなら、念波の授業でやりなさい!」
怒鳴られると、ネーモ嬢は冷水で打たれたようにおとなしくなり、それ以上何も言い返せずに自分の席に戻っていった。彼女の失望に満ちた表情がみんなの共感を呼び、しばらくの間、他の生徒からの慰めの声が飛び交っていた。先生はそうした生徒たちの連携を鼻で笑うと、カーテンを元通りに閉めて、みんなの心が再び念波へと傾かないようにしていた。そこには、自分のやっていることこそが正しいのだという、一般の低俗な教師に有りがちな、月並みな姿勢がかいま見られるのだった。優れた教師というのは自分の受け持った学問のみならず、いつしか生徒の心にまで介入し、彼らが学業をすっかり終えた後にまで影響を深く残すものだが、このサフラン先生のような俗物は決して他人の心を読もうとはせず、結果だけを重視して、自分の研究のみに邁進するので教師として正しい一面なのかもしれないが、生涯に渡って子供たちの心に影響を残す先生とはお世辞にも言えなかった。
 生徒たちの関心が窓から離れてしまっても、窓ガラスを叩くコツコツという音はなかなか止まなかった。タッサンは今病床にいながら、どんな思いで聴き入れられない念波を飛ばし続けているのだろうか。このクラスには彼の他に遠くまで念を飛ばす技術を持った人間はおらず、彼がいくら念波を送り続けたところで、もはや返事を受けて安心感を得る術は全くなかった。
「タッサンが授業に参加できないのであれば、今日の予定は少し変更して、できるだけ授業が前に進まないようにしてあげて下さい。あなたがまっとうな教師であるならば、彼が風邪が治って復帰してきたときに気持ち良く授業に参加できる雰囲気を作ってあげて欲しいんです」
ロドリゲスは再び先生に詰め寄って、そんな強気なことを言い出した。また獰猛な生物同士の罵りあいを見せられるのかと思うと僕は怖くなって同じ場所にいるのが辛くなった。彼は自分が気に喰わない人間に対しては、その人が持論を訂正するか撤回するまで言い寄っていくタイプなので、それが正しいことなのはわかるが、周りにいる人達のモチベーションのことも少しは考えて欲しいところだった。
「だまらっしゃい! 実験で爆発事故に巻き込まれたのならともかく、風邪程度でこの授業を欠席するような生徒は許しません! しかも、窓に何かを飛ばして、布団の中にいながらにして、他人を困惑させてまで意志を伝えようだなんて、そんな図々しい生徒は金輪際来なくてけっこう!」
先生とロドリゲスは数分の間そのまま睨み合いを続けていたが、これ以上、生徒たちに緊迫感を与えては授業を妨げることになると思ったのか、ロドリゲスの方が折れて、彼は大人しく席についた。先生はそれを見届けて、「ふん!」と鼻を鳴らしてから教本を取り出した。
「とにかく、授業を始めましょう。教科書を開いて下さい。今日使う教本は、20世紀の後期にマクマナマン教授が書いた『正しい薬品占い』ですよ。早速実験に入りたいので、最初の方は飛ばして、今日は24ページから行きましょう。では、ラルセさん、読んで下さい〜。…え? ああ…、休みだったっけ…、あいつめ…。では、パヌッチさん一行目から息が持つまで一気に読んでみて下さい」
僕は何の脈絡もなく、いきなり自分がさされたことにドキッとしたが、考えてみれば、授業が核心まで進んでから、とんでもない局面でさされるよりはマシかと思い直して心を落ち着け、教科書を慌てて開いた。
「は、はい、では読みます…。第2章、薬品占いの応用…、諸君には薬品占いの基礎を学んでもらったわけだが、本題はこれからである。薬品占いが危険だと言われるゆえんは他人の身体を利用するのではなく、自分自身の身体を薬品の合成によって通常と異なる状態にもっていき、その状態で占う点にある。第1章では一つの薬品だけを用いて占ってみたが、ここからは2種類以上の薬品を合成して、それを利用して様々なことを占ってみよう…。最初に言っておかねばならないのは、私自身も自分の生涯の間に、この占いを完成させることができなかったという点である。私も自分の家の実験室で、長時間に渡ってこの占いに興じることによって、ある種の狂乱状態に陥ってしまい、我が目を疑うような結果を得ることができたのだが、その代償として、家族や親類に多大な迷惑をかけることになってしまった。危険な薬品を体内に吸い上げることによって、未知の心理状態を引き出すのが狙いだったが、その結果は私自身が錯乱状態に陥り、周囲にいる人間が全て敵に見えてきて暴れ狂ったり、何日間も眠りから覚めないような昏睡状態に陥ったり、自分が過去の偉大な政治家になった気分になって、延々と意味不明な演説を繰り返したり、もし、救急隊員が駆け付けてきて説得して止めてくれなかったら、私の身体はとうの昔に廃人になっていたかもしれない。実験によって得られたはずの想念も、強すぎる薬品の力によって細かく寸断され、長い入院生活の中で記憶から完全に抜け落ちてしまった。よって、私の生きている間はこの占いの真価を見ることはできなかったが、ぜひ未来に生きる皆さんの手で、この未知の占いを完成させて欲しいと願っている…。では、本題に入ろう。最初の薬品はアフロカミチンナトリウムというものである。これは強い幻覚作用をもたらす薬で、液体のまま口に含んでしまうと、強い副作用によって生命にまで危険が及ぶと思われる。もちろん、子供に嗅がせたり飲ませたりするのはご法度である。そこで気体化して鼻から吸い上げることをお勧めする。これと、インプロサチメントという薬品を混合して用いることをお勧めする。これは脳内に現れた想像の断片を固定化して、強く印象づけるための薬品で、アフロカミチンによって作られた幻覚を強く意識させることに役立つと思われる。ただし、これは副作用の非常に強い薬で、体質との相性が悪いと、少々口に含んだだけで、目眩、吐き気、幻覚、幻聴、錯乱、などの症状が明瞭に出ると思われる。よって、複数の人間が集まってこの研究を行うことはあまり好ましくない。大人数で混乱状態になり、相方と殴り合うような、止めようのない騒乱状態に発展する可能性があるからである。しかし、私が思うところでは薬品占いというのは、つまるところ、こうした副作用がもたらす事故との絶え間ない戦いであり、これを乗り越えずして、人類史に残るような、偉大な予知を得ることは不可能と思われる。多くの研究者が挑んでは頓挫したこの偉大な占いに、若い諸君が大いに挑戦して結果を出して欲しいと願っている」
「はい! そこまでで結構です。今、読んでもらった通り、マクマナマン教授は自分の人生をかけて、この偉大な研究に取り組んだわけです。この方は現役の間にこの占いの研究を完成させることはできませんでしたが、そこは後に残された我々が受け継がなくてはなりません。わかりますね? 私は皆さんに期待しています。では、さっそく取り掛かりましょう」
(まだまだ続きます)

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