目次
1ページ試験の結果
2ページ京介の不調・ラルセの星占い
3ページ新入生歓迎式
4ページガンボレ祭前日の買い物
5ページガンボレ祭その後(一)
6ページガンボレ祭その後(二)
7ページガンボレ祭その後(三)
8ページガンボレ祭その後(四)
9ページサフラン先生の薬品占い
10ページ生徒会総選挙数日前(一)
11ページ生徒会総選挙数日前(二)
12ページ生徒会総選挙数日前(三)
13ページ厳罰棟所長の訪問(一)
14ページ厳罰棟所長の訪問(二)



 ようやく涼しくなり、そこかしこに秋の気配が感じられるようになったある日、学内は朝からえもいわれぬ緊張感に包まれていた。僕の部屋は二階なので、いつもの朝は外から聞こえてくる学生同士の話し声や笑い声で目が覚めることが多いのだが、今日この日だけは、朝目が覚めても窓の外から人の話し声はおろか、子犬の鳴き声すら聴こえなかった。飛び交っている小鳥の数もいつもよりなぜだろうか、少なく感じられた。占い師ではない、一般の人達にこの緊張感をわかりやすく説明するならば、誰もが子供の頃体験したであろう、運動会や遠足の日の朝の、何とも言えぬ緊張した雰囲気がそれに近いかもしれない。
 足音をたてずにベッドから静かに抜け出して窓の外を覗いてみると、広場の人影は普段の半分くらいだった。やはり、外出している人はまばらで、ほとんどの人間は家の中で息を潜めているようだった。このような独特の雰囲気を感じるのは当然だった。僕にとっては今日の行事は初めての体験になるのだから。
 実は今日は占い師候補生の第一回目の発表日なのである。自分の夢や理想が何であれ、この学校に入学したからには、誰もが占い師を目指して日々勉学と競争を重ねていくわけだが、正式な占い師になるためには占い師統一協会本部から認定証をもらわなければならない。そのためには、協会の厳正な審査を通らなければいけないのだ。この審査は協会の裁定委員自らが、占い師を目指す者たちの個々の技量はもちろん、人格や品格を考慮して、一流になれると認めた少人数の者だけに認定証を渡すのである。
 占い学校に通っていない人達が認定を受けたい場合はどうするのかというと、各々で申請の書類を協会宛てに送付して試験を受けることになるわけである。うちの学校は格式高い占い専門学校なので、学校に在籍しているだけで、自動的に占い師候補生の候補(わかりにくいが)であるから、そんな面倒くさい申請などせずとも、審査に通れば正式な占い師になるチャンスがあるのだ。具体的には、二学生の秋と冬に二回、三学生の春・秋・冬の三回の合わせて五回の審査が行われる。このうち一度でも協会から認定の通知を受けられれば、正式に占い師として認められたことになる。
 逆に言えば、この五回の審査で一度も認められなかった生徒は、学校にいる間には、占い師とは認められなかったということである。冷たい現実的な話になってしまうが、噂で聞いた話では、学生でいる間の五回の審査で占い師になれなかった、過去のほとんど生徒は、占い師になる道をあきらめ、別の職業に就いたということである。悲劇的な話ではあるが、僕にとっても無縁の話ではない。僕は過去何度か不祥事を起こしてしまってはいるが、それは学内での話で、協会本部とは何ら関係ないので、絶対に審査に受からないとは言い切れないであろうが、学校の生徒会や先生方に良く思われてないということは協会の審査のプラスにもなっていないということである。まあ、冷静に考えて、この最初の一回目の審査で僕が認定される可能性は皆無に等しいだろう。ただ、仲間のラルセやロドリゲスは二学生の他の生徒たちと比べても、優れた技量を持っており、協会が彼らの才能にどういった裁定を下すのかは興味深いところである。彼らは今どんな気持ちで通知を待っているのだろうか。
 ここで問題が一つある。僕ら二学生は今秋の協会発表で初めて占い師合格者の発表を体験するわけであるから、協会の審査を通過したという、いわば合格告知がどのように生徒個人に届けられるのか、それがわからないのである。実際にこのイベントを体験したことのある上級生の話では、通知の方法は毎回違うらしいのだが、掲示板に合格者が貼りだされることもあれば、電話で結果報告を受けることもあるらしい。また、過去の例では、各々の部屋まで、審査の結果通知が封筒に入れられて届けられたこともあるらしいのだ。  今回の告知はどのように行われるか、生徒の誰もがおそらくわかっていないから、みんなの対応も様々である。家で通知が届けられるのを、じっと息を殺して待つ者もいれば、試しに広場の掲示板まで出かけてみる者もいる。自分が審査を通過するわけがないとタカをくくって、普通に授業に出る者もいるわけだ。そういう人間の心境を深く読んでみると、家で通達を待たないという生徒は、わざと常道に反する行動を取ることでゲンをかついでいるのかもしれない。つまり、授業を終えて、疲れて家に帰ってみたら合格通知が届いていて感激しました、というようなドラマを期待しているのかもしれない。だが、僕自身は何も知らないような、とぼけた顔で授業に出るというのは、少々邪道に感じられる。他人のやり方にケチをつけるつもりはないが、やはり、人間は素直に生きたいものである。何と勘ぐられようとも、僕は授業には出ずに、素直に家で通達を待つことにしよう。僕に合格通知が届くという結果がどんなに低い可能性であってもだ。
 しかし、ただ緊張しながら待っているのも退屈である。多少偏屈ではあるが、僕も一般の人間であるから、何か手柄をたてた時は褒めてもらいたいし、ダメだった時は気のおけない友に慰めてもらいたいと思うのである。諸刃の剣となるが、やはり、友人の部屋を訪ねて、雑談でもしながら一緒に気楽に待つのがいいかもしれない。僕だけが通知を受けられないという最悪の結果になるかもしれないが、ここは寛大な態度を見せて、友人の合格を素直に喜ぶというのもいいものである。さて、誰の部屋を訪ねたものだろうか。親友の三人のうち、合格する確率が一番低いのは京介だろう。才能は飛び抜けているが、彼は僕と並ぶくらい、過去にいろいろな不祥事を積み重ねているからである。言い方は悪くなるが、彼は非常に単純でわかりやすい人間なので、もし不合格となった場合、短気を起こして、かなり荒れるかもしれない。ことによっては、大きなメガホンを持ち出して占い協会の悪口を学内で言いふらしながら練り歩くといった直接行動に出ないとも限らない。こんな気持ちのいい平和な秋の日に、そんなことに巻き込まれるのはごめんだった。
 ロドリゲスは僕の知っている人間の中では、合格する確率が一番高いだろう。性格が温厚で品があるというのがその一番の理由である。だが、やはり、身近な人間であっても自分の憧れている資格を、他の人間に先に取られてしまうというのはやりきれないものだ。一緒の部屋にいて、彼が通知を受け取って喜ぶその瞬間を素直に祝えるだろうか? 甚だ自信がないところである。彼の成功を派手に祝った後で、自分の敗北を強く噛み締めながら家路につくことになるかもしれない。
 というような、いくつかの思考を踏まえて、逆算して考えれば、ここはラルセの部屋に行くのが一番懸命だろう。万が一、彼女だけに占い師の認定証が届いたとしても、僕は素直に喜ぶことができると思う。親友だから許せるという理由ももちろんあるが、かよわき女性が男どもを出し抜いて一番に合格するというのも、気持ちいいものではないか。ラルセだけが合格したと知れたときの学内の騒然とした雰囲気を想像すると今から爽快感が沸いて来るのだ。では、出かけることにしよう。
 四階に辿り着いて、彼女の部屋のドアを叩くと、ラルセは普段着でドアまで出迎えてくれた。フロックコートを着ていないので、やはり授業に出るつもりはないらしい。話し方こそ普段通りであったが、その表情はいつもより少し緊張しているように見受けられた。
「あら、パヌッチ、ちょうどよかったわ。授業を休んだはいいけど、することがなくてね、話し相手が欲しいところだったの。これから京介とあなたを部屋に呼ぼうと思っていたのよ。いや、本当だって。ああ、そうね、そういえば今日は占い師審査の発表日だったわね。私ったら、ぼうっとしてて、あまり意識してなかったわ。あればっかりは強く念じていてもどうなるものでもないしね。いつも通りにしていましょうよ。まあ、とりあえず入ってよ」
彼女は矢継ぎ早にそこまで話すと、僕を部屋に迎え入れてくれた。部屋の内部は以前訪れた時から一変していた。薄いピンク色の小型のソファーが部屋の中央にいくつか配置されていて、ベッドの側にはペンギンの親子のぬいぐるみが置かれていて、壁には映画俳優のポスターが貼られていた。
「いやあ、いつの間にか、ずいぶん変わったねえ。いいセンスになったね。ちょっと、以前より大人しい感じもするけど」
僕はとぼけてそのような感想を述べたが、実は彼女が部屋の模様変えに踏み切ったのには理由がある。
 先月の中頃、我がクラスで流行の最先端をいくネーモ嬢が誕生会を開くということで、みんなを自分の部屋に招いたのである。しかし、彼女の部屋を訪れた際に、ラルセの顔色はずっと良くなかったのだ。無理もない。ネーモ嬢の部屋は壁紙や家具がすべてパステル調の色合いで統一されていて、一般の学生ではちょっと手の届かぬような調度品が並べられ、その配色・配置のセンスが素晴らしかった。そのため訪れた人々に女の子らしくて可愛らしいと手放しで褒められていたのだ。同じ年齢の女性であるのに、ありきたりの占い用品や、京介から預かった怪しい実験器具ばかりが置かれている自分の部屋と、現代若者の流行をふんだんに取り入れたネーモ嬢の部屋を脳内でどうしても比較してしまい、とても辛かったのだろう。ラルセがやりきれない怒りを噛み殺していたことをよく覚えている。それから彼女は客以外の友人や知人を自室に誘わないようになり、休みを見つけては遠距離の都会まで繰り出すようになった。本屋で購入した若者向けのファッション雑誌を読みあさって大量の知識を得て、それを手がかりにして、調度品や服装を整えてきたのである。
 一介の占い研究生として、勤勉ながらも色気のない学生生活で我慢するか、若い女性として華やかな道を選ぶかは難しいところであるが、彼女の現状での選択はこうなったということである。
「やだ、そんなに変わってないわよ。ただ、世間ではこういうのが流行っているみたいだからね…」
彼女は自尊心を覆い隠すようにそう言うと、僕と向き合うようにソファーに腰掛けた。左腕には青いスカーフが巻かれていた。これは青い絹布に女神像や十字架といった宗教的な紋様を銀糸で刺繍して、自分の腕に服の上から巻くというもので、今年西ヨーロッパの若者の間で流行しているそうだ。やはり、相当に彼女の頭の中の流行熱が進行しているらしい。僕のそんな考えを察して、それを打ち消そうと思ったのか、ラルセは話し始める前に僕の眼前にあるテーブルの上に自分が読んでいた新聞を置いた。
「今月の生徒会報読んだ? あなたの気になる情報が載ってたわよ」
僕は新聞を拾い上げて、ざっと目を通した。紙面の右下の区画には見たくもない生徒会長の顔写真入りのコラムが長々と三段に渡って掲載されていた。左下は占いクイズとパズルのコーナーだった。上部の大見出しには、『我が校の来年度受験希望者が昨年より1、5%増し』と書かれていた。他は各スポーツクラブの予選大会での結果だった。毎月ほぼ変わらぬ紙面構成であり、どこにも僕好みの記事はないようだった。
「そこじゃないわよ。ここよ、ここ」
ラルセはそう言って、左側の区画の片隅を指差した。そこは紙面の中で一番地味な、生徒会の議事報告の区画の最後の辺りで、先月の生徒会審議会の審査結果報告の欄だった。 『生徒会審議会は先月末の審査会で、去る先月二十三日に食堂で他の生徒に飲料を浴びせかけた三学生の男子生徒に対して、停学五日間の処分を下した』
「なんだって! たったこれだけ?」
僕はその記事を読んで憤慨し、思わず絶叫してしまった。
「落ち着いてよ、パヌッチ。気持ちはわかるけど、私の部屋で大声を出さないで」
ラルセは周囲の部屋に迷惑を及ぼさぬように僕をなだめたが、これはとても安閑としていられるような記事ではなかった。
 先月二十三日の昼休みの時間、中央校舎内地下一階にある大食堂では四十名ほどの生徒が食事をとっていた。ここは、校舎の敷地の中にある飲食店の中では一番規模の大きな食堂なので、占いの学科や思想信条を問わず、様々な生徒が呉越同舟で食事を取ることができる、最もポピュラーな食堂である。学内でどんな複雑な因縁を持つ人間同士も、この食堂に入ってしまったからには、争いの矛をおさめなければならず、どんな偏った思想の人間同士でも食堂の中にいる間は、意見のぶつけ合いなどを避けて、仲良く談笑しなければならないという暗黙のルールがあった。
 その日、この食堂の中央付近の机でオブリシャンという三学生が一人で寂しく食事をとっていた。その前日、彼は残念なことに長年恋焦がれていた女性にフラれてしまったのだ。やり場のない悲しみと怒りを心中に包み込んでいた彼は、食堂の右壁に設置してあるテレビの前のベンチに陣取っていた、同学年のカップルが、楽しそうに会話しているのを見て激しく苛立ち、自分の見ていたテレビ番組の音量が周囲の雑音で聞こえにくくなっていたこともあり、次第にその二人のことが我慢ならなくなってきた。そして、なんと、突然立ち上がると、飲んでいたキノコスープをそのカップルの頭上からぶちまけてしまったのだ。当然、カップルはスープの熱さに驚き、絶叫し、辺り一帯は騒然となり、オブリシャンは生徒会の規律委員数名に取り押さえられて、連行された。普通の生徒間同士のいさかいであれば、加害者であるオブリシャンが生徒会で相当な説教を受け、カップル両名に謝罪して事件は解決するはずである。
 ただ、話はここで終わらなかった。このオブリシャンという生徒は生徒会の書記を勤めている委員だったのだ。さらに、スープをかけられたカップルの男性も生徒会委員であったことが後に判明した。つまり、この事件は単なる昼休み中のいさかいではなく、生徒会の内部闘争劇であるとも言えるわけだ。この一件はキノコスープ事件として、思想絡みの事件好きな人々の心に記憶されることになった。
 被害者・加害者二人とも生徒会委員であったという事実が判明してからこの事件は学内で生徒会内部の不祥事として、一般生徒の注目を集めることになった。ある事情通の生徒は、オブリシャンは前々から生徒会執行部に強い不満を持っていたのであろうと、推測を交えて見解を述べた。
 渦中の生徒会執行部はエリートの中のエリートの集まりであり、自分達のメンバーの一員が各学科の試験で上位に入りそこねるという事態でさえ、恥ずべき失態として受け止める組織である。それなのに、恋愛絡みのこんな破廉恥な事件を起こされてしまっては、さぞかし肝を冷やしているだろうというのが、僕の身内での総意だった。この事件の審議で、生徒会自身がどこまで内部の人間関係の情報を表沙汰にするのか、また、加害者に対してどのような判決を下すのか、みんなが興味深く見守っていたところだったのである。
 しかし、ついさっきこの目で見た通り、生徒会本部は紙面の中で、こんな数行のお決まりの文句でこの事件の幕を降ろしてしまったのだ。
「仕方ないでしょ。あの政治家よりずる賢い人達が自分達の組織内部のごたごたを公にするわけがないわ…。私としても、ちょっと、残念だけどね。幹部たちの揺れる心をもう少し見ていたかったわね」
「加害者の事件に至るまでの心境の推移くらいは紙面で語るべきだと思うけどなあ。並の心理状態ではここまでできないよ。熱々のスープだから、ことによると顔に火傷を負うくらいの怪我になったかもしれないんだよ。当たりどころが悪ければね。十分に乱心と言えると思うけどなあ」
「そうね、加害者の当時の心境と被害者との詳しい交遊関係と、それと加害者の反省文くらいは掲載すべきだったかもしれないわね。でも、加害者心理に踏み込めば踏み込むほど、生徒会の複雑な内部事情や幹部優先の偏った機構が公になってしまうから、自分たちがこの一件でいささかも動じていないことを内外に示すためにこんな簡潔な文章にしたんでしょうね」
ホットココアをすすりながら、ラルセは冷静な口調で答えてくれた。
「でも、許せないよなあ。この一件だけでも、もし新聞なんかで大きく取り上げることができれば、十分に現生徒会執行部へのダメージになるし、もしかすると、今回の占い師審査に影響を及ぼす可能性だってあったんだよ」
「ああ、そうね、今日が審査の発表日なのよね。あなたと夢中になって話している間にまた忘れてしまっていたわ…。でも、あまり意識しても仕方ないものね、こればっかりは。最近になって、審査というものを一応は意識しながら粛々と学生生活を送ってきたつもりだけど、実際にその日が来てしまったらもうジタバタしてもしょうがないのよね…」
この日を意識していたという一言が気になったので、今日という日が来るまでに、どういう手だてを打ってきたのかを彼女に尋ねてみた。
「え、ああ、あまり細かくは言いたくないけどね。わかるでしょ? 真剣な試験や試合のような、こういう時には他の人間を出し抜いてしまおうという、ずるい思いが働くものなのよ。まあ、もちろん私に限らずだけどね。あなただったらわかるでしょ? こういう人間の微妙な深層心理を読むのが得意ですものね。みんながみんな、仲の良いクラスメイトだって言ってみたところで、違う言い方をすれば競争相手でしょ? 心のどこかで意識しないわけにはいかないわね。みんなで手をつないで一緒に成功の道を歩めれば、それが一番いいのでしょうけど、そうはいかないものね。歩を進めれば進めるほど、どこかで誰かが落ちこぼれるわけだし、それを気にしないわけではないけれど、でも、この学校生活に限らず、もっと先に進んでも人生は常に競争でしょ? それなら相手を蹴落とすことを気にしていたらキリがないものね」
「あーあ、他人のこれからの人生を占って、幸せな道へと導くだけの簡単な仕事なのに、なんでこんなに厳しい審査を受けなければならないんだろう?」
僕は天井をあおいで、大声でそう言った。
「大工さんや神父さんだって競争をするのよ。腕を磨いてより偉くなるためにね。どんな職業の人だってそれを否定することはできないわ。自分の技量と才能を他人に認めさせるために人間は生まれてきたとも言えるのよね」
「それで、君は具体的にはどんな手を打ったの? これと決めた人以外には誰にも言わないから教えてくれよ」
「まあ、他の人になら絶対教えないけどね。あなたならいいでしょうね。私の心の重しがそれで少しでも軽くなるなら、それもいいことですしね。他人に自分の汚い部分を見せたくないなんてそんな純朴な思いからではないけど、他の人は油断ならないものね。そんな巧妙な私の手法を見せたら次は真似されてしまうかもしれないし、真似されるのが嫌ってわけじゃないけど、気分はよくないわね。もう一つこちらの手を見せるのが嫌な理由は、相手がもしかしたら自分より進んでいるかもしれないということよね。その場合、相手は決して自分の手の内を見せなくなるし…、当然よね。心の中ではせせら笑っているわけですものね。私の身内では京介はともかくロドリゲス君は油断ならないわよね。ある意味で私より目標が高いし、私より深く考えているかもしれないですものね。彼の心の中では当然占い師の正規の資格なんて通過点でしょうけど、その後のビジョンもあるでしょうから、今回のこの勝負は落としたくないでしょうね」
「二人とも合格すればいいとは考えられないの? できればみんなで同じような結果を受けて一緒に喜びあいたいというのも、ずいぶん薄弱になってきた現代若者の代表的な心理状態だと思うんだけど…」
「それはだめね。物事をキレイに見すぎているわね。えと、そうね…、ここでどういう結果に落ち着いたとしても、占い師としての競争は続くわけだし、そもそもね、みんなが同時に喜ぶ必要なんてないのよ。学校生活でうまくいったとしても私生活までうまくいくとは限らないしね。例えば、恋愛問題とか親兄弟なんかとの家族問題があったりね。具体的には健康問題や相続問題とか、他には不倫問題とかね。つまり、この審査で全員がいい結果を受けられたとしても、それは全員が幸せになれる道とは限らないわけよ。各々が家族との共通の悩みや自分だけの友人・恋愛関係を持っているわけですからね? みんなが一緒に幸せになるっていう概念そのものが世の中の原理からずれているわけなのよ。学校で幸せになれても家庭生活の動向で自分の心はどう動くかわからないの。それなら、最初からこの一番現実的な競争で白黒をつけてしまった方がわかりやすいのよね。ありえないことだけど、仮にここで全員が一番になれたとしても、未来のどこかの競争で必ず決着をつけなければいけないのよ。わかるわよね? ここで勝った人にも次の勝負があるし、負けてしまった人には勝った人とは別の道で別の勝負が待っているの。人生はそうやって続いていくのよ」
「それはわかるけど、君はどうしたのさ? やっぱり、けっこう姑息なこともしちゃったの? ラルセは大胆な性格だから、あまり裏でコソコソするようには見えないんだけどね…」
「そうね…、占星の先生に頼んで、他の生徒の技量と個々の研究がどれくらい進んでいるかということは聞いたわ。占星の研究は難しいから、独りで研究を進めている人は少ないのよ。どんな大胆な推論を立てたところできちんと証明できなければ公の機関には発表できないし、短い学生生活の間にそこまできちんと研究結果を出せる人は少ないから、私の周りの人はほとんど数名でつるんで実験をしているんだけど、私からすればそれでは考えが足りないわね。仲間とは言え、他人に自分の研究の進行状況を教えれば、ライバルの人間にそれが漏れてしまう可能性も高くなるわけだしね。そこでね、私は仲良くしている先生からうまくライバルたちの研究の進行状況を聞き出して、自分の考えの方が上を行っていることを確認して、自分のそれまでのレポートにさらに手を加えた研究結果を作成して、安心して占い協会本部宛てに送付することができたってわけよ。え? 少し卑怯じゃないかって? 全然問題ないわね。例えば、あなたのように本当に心から親しい人が相手だったら、私もそこまで競争に力を入れないだろうし、手加減もするでしょうけど、普段は仲良く話しているとは言え、やはり、同じ学科のクラスメイトっていうのは友達ではなくライバルよね。相手が私に表では笑顔を見せながら裏でどんな悪口や小細工をしていたって私はなんとも思わないわね。人間関係の中ではそれが当然ですもの。自分で勝手にこの人は親しい人だと思い込んでいて、あるとき、突然足を引っかけられたからって、それを裏切り者って呼ぶのはどうかと思うわ。相手の心が見えないのに勝手に心を許してしまった自分が一番悪いと思わなければだめよね。だから、私も先手を取って相手の裏をかいたり、情報収集したりすることを悪いこととは思わないわ。はっきり言ってしまえばそれが企業や政治を含んだ人間社会の構図そのものですものね」
そう言いきってから、僕を見つめるラルセの目つきにはいつにない迫力と威厳があった。しかし、彼女の本音は別のところにあるのだと思う。今の意見は彼女の身にいつの間にか染み付いてしまったエリート意識が言わせているのだと思う。しかし、本気になってしまったラルセのオーラに押されて、紅茶の入ったカップを持つ手が奮え、この場に居づらくなってしまった。
「ちょっと、下のポストを見てくるね。ラルセの方も見てくるよ。もしかしたら、審査の通知が届いているかもしれないからね」
僕は上手く逃げ出す口実を思いつき、ラルセにそう告げた。
「お客さんに行かせるなんて、そんなの悪いわよ。私が後で自分で見に行くからいいわよ」
「いいから、そこにいて」
僕はそう言い放って、一度彼女の部屋から出た。少々、心が重くなり、息苦しくなっていたので、いい気分転換になるかもしれない。
 一階に向かう途中、僕は三階でわざと足を止め、三階フロアの廊下をのぞいてみた。三階には錬金占いや易占いの生徒の個室があるのだが、フロア全体がガランとしていて全く人気がなかった。『本日は営業していません』の札を下げている部屋が多くあり、やはり、水晶に限らず、どの占い学科の生徒も今日は活動しにくいらしい。今日の審査結果次第で学生生活はもちろん、これからの人生の進め方が変わってくるわけだから無理もないが。今日これから合格の通知が届けられれば、明日からは『祝 占い師正式内定』の札を堂々と下げて、鼻高々で営業できるわけである。逆の結果になった場合は、言うまでもなく、これまでと同じような日々か、あるいはこれまでよりもさらに時間に神経が追い詰められていくような、焦燥感を伴う現実的な日々が続くわけである。僕は今まさに部屋の中の片隅で息をひそめているであろう、同業の彼らの気持ちを思いやりながら、一階へと階段を下った。
 一階の出入口にあるポストの近くまでたどり着くと、同学年の数人の学生がその前をうろうろしているのが見えた。彼らは僕が来たことに気がつくと、不意にポストの方から目を離し、無理に態勢を変えて、側に止めてある放置自転車の籠をのぞいてみたり、広場の方を見やったりと、自分が通知を待っているということを他人にばれないようにするために必死で、まるで散歩でこの辺りを偶然通り掛かったかのような、自然な振る舞いをしているつもりなのだろう。だが、同じ目的でここへ来た僕から見れば、何人もの生徒が用事もなくここをぶらついている様子は非常に不自然である。みんな考えることは同じで、もうすぐに自分のポストに合格通知が届けられるだろうと、今か今かとその瞬間を心待ちにしているわけである。部屋に閉じこもっている人も、掲示板やポストの前で待っている人も、考えていることは一緒だが、そのうちの大多数には非情な結果が待ち受けているのだと思うと、僕は少し寂しくなった。どんな結果が出てもあまり気落ちせずに、明日からは、また、みんな揃って元気よく授業に出て来て欲しいものである。
 僕自身は自分がポストを覗きに来たということを、他人からどう思われようと一向に構わない人間なので、あまり不自然な態度は取りたくなかった。そこで、自分のポストまで一直線に近づいていって、僕がどんな目的で来たのか、他の人間にもわかるように、勢いよくポストの扉を開いてみた。すると、風圧で、中から薄っぺらい黄色の紙が一枚飛び出してきた。読んでみると、商店街の衣料品店の広告のようで、『若者向けダイエット用コルセット格安で新発売!』と書かれていた。周りにいた学生たちが不安そうな顔をして、僕に届いた紙がどんなものか確認しようと、肩越しに覗き込んできたので、審査通知でないことを証明するために、その広告を渡して見せてやった。すると、皆一様に安心したような顔を見せ、僕の肩を軽くポンポンと叩いて、引き下がっていった。周りの人間たちの様子から推察するに、まだ、どの部屋のポストにも、審査結果の通知は届いていないようだった。僕は少し残念なようで、実は半分安心したような気持ちにもなった。
 ここでこのまま待っていると、配達員が通り掛かるたびにドキドキしなければならないので、ラルセの部屋まで戻ろうと思ったのだが、そのとき、ちょうど正面口から京介が入ってきた。
「おう! パヌッチか。協会から、審査結果届いたか? まだだろ? やっぱり、ここもまだだろうな。俺は朝から掲示板の前で待ってたんだが、あっちにも、まだ何も張り出されてないぜ。掲示板の前もすごい人だかりだよ。そろそろ、待ちきれなくなってきて、みんな気持ちが熱くなってきてるよ。苛立ちから、先生や協会の悪口を言う奴らまで出てきてるぜ。みんな、自分の栄光へのイマジネーションを膨らませ過ぎているから、発表の瞬間にどんな異常な事態が起こるかと思うと、だんだん恐ろしくなってきたんだ。それにな、考えようによっては、発表は夕方かもしれないしな。これから、何時間も待ってるのかと思うと馬鹿らしくなってきたから、引き上げてきたよ」
「そうか…、やっぱり発表は掲示ではなくて、郵便通知なのかねえ。僕はどうせダメだろうけど、早く結果が知りたいんだよ。生徒会とのこともあるから、結果を見てからでないと、自分が次にどういう行動を取っていいか、わからないからね」
ラルセの部屋に戻るべく、二人並んで階段を昇りながら、会話は続いた。
「まあ、俺たちの身内ではラルセがどうなるかが一番の問題だろうな。おまえも含めて他の奴は今回の審査では難しいと思うよ。まだ、満足に資料も出揃ってない、一回目の審査だしな…」
「ロドリゲスでも厳しいかい? 彼は僕が知っている学生の中では一番優秀なんだけど」
「一応、当落線上にはいると思うけど、まあ、あいつも難しいだろうな。水晶は層が厚いんだよ。一番簡単に考えれば、水晶で飯を食っていこうと思ってる奴が、世の中には一番多いからな。あいつ以外にも優秀なやつがいっぱいいるんだよ。ロドリゲスは学内では有名だが、この地方全体で見ればまだまだ無名だし、自分の技術をアピールする力が弱いと思うんだよな。恋愛系の占いを専門にしてて、若くて技術がある占い師は腐るほどいるからな。奴が受かるのは来期以降じゃないかな」
 僕らはそんな話をしながら、ラルセの部屋まで戻ってきた。彼女は京介が来てくれたことに驚き、手放しで喜びを表したが、僕らが手に何も持っていないのを見て取ると、まだ通知が届いていないことを悟り、同時に残念そうな顔もした。
「そう…、やっぱり発表はまだなのね…。もしかしたら、夕方近くなるかもしれないわね。三人でショパンでも聴いて、安らかな気持ちで待っていましょう。いい知らせが来るといいわね」
僕らは居間のソファーに腰掛け、紅茶を炒れてもらって、それを飲みながら雑談を続けた。
「ちくしょう、広場まで行ったのは無駄足だったよ。ずっと、掲示板の前で押し合いへし合いだったから疲れちまった…。まあ、俺が合格してるとは思ってないけどな。実は、発表された瞬間の周りの奴らの表情が見たかったんだよ。きっと、すごい顔するぜ。見に来ている奴は全員自分が合格すると信じて疑わないからな。まったく、占い学生ってのは図々しい生き物だよ。たいして勉強もしてないくせに…」
「仕方ないでしょ。人間っていうのは自分が夢中になっていることに関しては、自分の良いようにしか考えられないし、とにかく上を見たがるのよね。例えば、雑誌や新聞に占いの新しい高度な技法が発表されると、我先にとそれに注目して、他の人を差し置いてまで取り組もうとするけど、肝心な基本をおろそかにして、応用だけを得ようとしても、どんどん足元がスカスカになっていって、想像力を膨らませる力ばかりがついてしまうのよね。そして、ある日、突然、ふらふらになった足元をバシンと蹴られて転んでしまうのよ。そこで初めて、自分の技量が足りなかったことに気がつくんでしょうけど、人生ってどの道を進んでもそんなもんよね。占いでも学問でもスポーツでも、さほど変わらないわね。頂上付近までは多くの人が(見かけだけは)たどり着けるけど、頂上まで完全に登りきれる人は、それはもう、相当に足元がしっかりしてる人なんでしょうね。どの山も、見せかけだけの技術や、薄っぺらい知識では踏破できないわね」
「そんな小難しい話はどこで仕入れたの?」
僕はすごい早さで動く、彼女の口の動きを手で押し止めてから、そう尋ねた。
「フランポーゼの店長がよくそういう話をしてくれるわ。とにかく、善の道も悪の道も基本を大事にしろって…」
「そうかあ、店長も元気を取り戻したのかなあ。あの一件以来、喫茶店には怖くて近づいてないんだよ。何を言われるかわからないからね…」
「生徒会との一件のことなら、店長はもうさほど気にしていないわよ…。『パヌッチはどうしたんだ? 最近顔を見せないな。俺が何も知らないとでも思ってるのか? 怒らないからと言って連れて来てくれ』なんて冗談めかして…、何を考えているのかわからない、ほの暗い形相で言ってたけど、今度会いに行ってみるといいわ。ただ、何をされても私のせいにはしないで欲しいんだけど…」
「君の話を疑うわけではないけど、店長はあのとき、生徒会に二度と反抗はしないっていう誓約書を書かされたっていう噂を聞いたんだよね。そのときの店長の屈辱感は想像するに難くないからね…」
 そんな話を続けているうちに、時計の針はお昼の十二時まで進んでしまっていた。まだ、通知は届かなかったし、どこかに張り出されたという連絡もなかった。窓の外を眺めても人の流れはそれほど変わらず、何かが起こったようには見えなかった。
「ちょっと腹が減ったな…。どうせ、発表は夕方頃だろうし、外へ何か食いに行かないか?」
京介がそんなことを言い出した。彼はまだ発表は掲示によって行われると信じて疑わないようだった。
「そうね…、ここにはあまり食べるものはないから、外へ行きましょうか? 帰りに掲示板を見てくれば、気晴らしになってちょうどいいかもね」
ラルセも京介の意見に同意したため、僕らは出かける準備を始めた。実は僕自身はそれほどお腹はすいていないのだ。ただ、京介は普段はあれほど無軌道な生活をしているくせに、食事の時間だけはやたらと正確な男で、以前、胃腸が敏感なんだとか吹聴していたことがあって、実際にそれが関係あるのかは、さっぱりわからないのだが、食事のことに関しては一度言い出したらきかないので、場の空気を悪くしないためにも僕も同意することにした。
 全員コートを羽織って身支度を終え、玄関前に揃った時、突然、呼び鈴が鳴り響いた。僕はこのとき、外食するということにすっかり気を取られていたので、ロドリゲスや他のラルセの友人が尋ねてきたのだろうと、そのくらいの想像しか働かなかったのである。
 ドアを開けてみると、外には黒い覆面をした、表現し難いほど無気味な雰囲気を醸した、黒ずくめの男が立っていたのである。黒い三角形のとんがり帽子から始まり、黒い長靴で終わり、大きな黒いバッグを肩から下げていた。僕らの驚愕した顔を見て、男は慌てて、「私は怪しい者ではありませんよ」と述べた。もちろん信ずるに足りず、仮に、僕が突然地上に舞い降りた天使のような心を持ったとして、その水晶玉のように透き通った目で、世界中のすべての人間の外見を怪しくないと判断できたとしても、この男だけは怪しまずにはいられなかった。
「あなたは誰ですか? ここには金目の物は一切ないですよ。早く帰らないと警察に知らせますよ」
僕はそう警告しつつ、先日、中央警察と揉めてしまったことを思い出して、実際には警察に頼るわけにはいかないと思い直して暗い気持ちになった。黒ずくめの男は脅えながら話す僕らを見て、さらに慌てたようで、どもりながらまた言い訳をした。
「だ、だから、私は怪しい者ではないですって! ラルセさんに用事があって来たんです。あなたがラルセさん? 違うよね? 本部ではたしか女性と聞いたんですけどね」
最近は女性占い師に憧れて、それに出会うために校内に侵入してくる、にわかファンが多くなり、その一部が落書きや不法侵入など、迷惑行為を働くことも多くなってきたので、学校側も警戒を強化しているのだが、それでもこういうわけのわからない輩が侵入してきてしまうのだ。これも熱狂する占いブームの功罪である。
「だから、ラルセに何の用事です? 悪さをしに来たとしか思えないんですけど…」
「私も子供の使いじゃないので、用事は本人にしか話せませんね」
「私がラルセですけど…」
僕を押しのけるようにして、彼女が前に進み出た。男は彼女の姿を視認すると、せわしない仕草でバッグから書類を取り出して、それに貼られている写真と彼女の顔とをしばらく見比べていた。
「もしかして…、あなたは占い師協会の方ですか…?」
ラルセが不思議の世界にたどり着いたような、呆然とした表情のままで、そうつぶやいた。
「君がラルセさん? 本当に? お顔がちょっと違うな…。今日は化粧でもしてる? ああ、これからお出かけなんですね…。では、お出かけの前に数分間だけ、私の話を聴いていただけますかね? 例え、嫌だと言われてもこちらは勝手に話をしますけどね」
「あなたは本当に占い協会本部に属する方なんですか? そんなに偉い人が、なんでそんなに疑わしげな格好で現れたんですか? あなたの姿を見て、校内にいる一般の人が驚かなかったですか?」
僕は目の前の現実がいまだ信じられず、黒装束の男性を疑いの目で見ながらそう尋ねた。
「うんうん、昨今の占い師ブームとやらにはまいったよね。世間の人はすっかりマスメディアに騙されて…、うーん、なんというか、占い師を神懸かった存在と勘違いしてしまっているからね。私のような協会内部の人間は、町を歩いていると、当然ながら、必要以上に羨望の眼差しで見られてしまうわけなんだよね。そういうこともあって、自分からわざわざ市民を惑わすのが嫌だから、最近は自室に閉じこもったきりで、外出もままならんというわけなのだが…、まあ、占い師と言ったって、所詮、やれることは一般人と同じだから、今ブームの映画やテレビ番組のような神懸かったことを、道端で突然やれと言われてもできないし…、まあ、言うなればあれはお芝居だからね。しかしまあ、占いに夢を見ている人達にそんな現実的な説明をするわけにいかないし、そういう世間の興味深い目には耐えられないから、外出するときはこういう格好をしなくてはならないわけだね。市街をこの格好で出歩くのはさすがに勇気がいるから、当然、学校の正門の外までは暖房付きの乗用車で送ってもらったけどね」
「そんなこととは知らず、先ほど、ここにいるパヌッチが色々と失礼なことを言ってしまってごめんなさいね。彼には少し足りないところがあるんですけど、先走ってしまった原因はそれだけではないんです。実を言いますと、私たちも協会の方にお会いするのは今日が初めてなんです」
ラルセはそう言って深々と頭を下げた。僕も頭の熱が引いてきて、急に居心地が悪くなり、彼女につられて会釈した。さっきまで怪人だと思っていた黒ずくめの男は、いまや、すっかりこの場の空気を支配してしまっていたのだ。
「いやいや、私も皆さんの団欒の時間に突然現れてしまったから、その点は悪かったね。おまけにこんな不愉快な格好だしね。疑われても仕方がないのだが、一つわかってもらいたいのは、えーと…、私ぐらいの立場になると、世間の目があまりにも厳しくて、満足に外出もできないわけだからね。おまけにここは占い師養成学校でしょ? 学徒さんたちが本場の占い師たる私に興味を持たないわけはないからね。きっと、大勢の見習いさんに取り囲まれてしまうことになるだろうね。興味津々の目で見つめられ、占い師協会が抱えるいろんな諸問題について質問され、衣服をベタベタと触られたりもするだろうね。まあ、それほど嫌なことではないし、考えてみれば当然のことですがね。みんな私のようになりたくて日々勉強しているわけだからね。そういうわけで、こんな目立たない格好で来てみたわけだが、やはり、このやり方でよかったようだね。ここに来るまでに、生徒にも警備員にも、あまり声をかけられなかったよ。一回犬に吠えられたくらいだね」
「それで…、私に何か用事があって、ここまでわざわざ出向いて下さったんですか? とても光栄なことですわ。協会内部の方が私などにどんな用事があるのでしょう?」
ラルセは彼の話を一刻も早く前に進めさせようと、当たり障りなく、彼の機嫌を損ねないように言葉を選びながらそう尋ねた。
「うんうん、そろそろ話を本題に戻そうか。占い協会ではね、一年に数回占い師を新規に任免する審査会を開いているのだがね。それでこの時期になると、各都市から有望だと思われる若者の履歴書が大量に送られてくるんだよ。まあ、どの占い養成機関も自分の生徒を売り込もうと必死だからね。自分のところの生徒が一人でも多く占い師になれれば、学校としての評判も上がるわけだから、その気持ちもわかるがね。当然、審査がどのように行われるかや、どういう性質の人間が合格しやすいかということについては、協会は秘密主義を貫いているけどね。それでも協会内部の人間とそうした養成機関との間で機密情報のやり取りがあるんじゃないかとか、ひどい話になると、金品の受領があったのではないかという噂すらあるわけだね。私としても、そういうことは絶対にないと言い切りたいところだが、実際にはどうなんだろうね。私は恐妻に誓って言うが、絶対に銀貨一枚たりとも賄賂なんて受けとったことはないけどね。ただ、まあ、そういう汚い人間がいたところで全然不思議ではないよね。所詮、占い師も人間だし、善人と悪人の比率っていうのはどの職業もさほど変わらないと思うんだよね。よくテレビで弁護士や教師が犯罪を犯して逮捕されたとかいうニュースがあって、それを見て必要以上に驚く人間もいるけど、どんな聖職だろうと実際に勤めているのは生身の人間だからね。同じ人間に聖母のような道徳観を期待する方が間違っているわけだね」
「まあ、ずいぶん現実的なお話をなさるのですね。あなたのようなご身分のお方が、そのような人目をはばかる格好でここに現れなさって、北極海の底に沈んでいたような、冷たい凍てつくお話をされてしまいますと、私たちもどのように応対してよいやらと困り果ててしまいますわ。占い協会の中心にいらっしゃる方ですから、もし出会えたなら、どんなに夢のある話をしてくださるだろうかと、私たちのような一般の人間はそう思い込んで身構えてしまいますものね。でも、あなたのおっしゃる通りだと思いますわ。私も占い師は聖職だと思い込んでいますから、もし不祥事が起これば心底ショックを受けると思いますし、自分でもそういう曲がったことをする人間にならないよう日々努力しているつもりです」
「うんうん、それは当然そうなんだが、まあ、人間大人になる過程でも、大人になった後も様々な運命的な体験をするわけだからね。そして、人間関係の破綻や別れを何度も体験して成長していくわけだね。大人になってからの方がそういうことを体験する機会は多いと思うが、その人自身も自分がこれからどういう体験をして、どういうふうに変わっていくかは事前に予知できないわけなんだよね。まだ、学生の時分には、自分は善人にしかならないと思い込んでいるだろうけど、その後の人間や組織との出会いで人生は大きく変わるからね。悪人になってしまった人でさえ、自分がそんな大人に成長するとは思っていなかったわけなんだろうね。恋愛でも友情でも、人間関係の構築と別れを一つ体験するたびに、一つ人生の分かれ道を体験するたびに、自分でも気づかないほど少しずつ人間の心は動いているんだろうね。そんな本人でも気づかない自分の未来像を、他人である我々が予見して審査しなければならないわけだから、これは本当に難しいことだよね。まだ学生の皆さんに占い師の免状を配ってしまうなんて、そんな大それたことを天に成り代わってやってしまって良いのかという疑念すら浮かぶけど、もう一つ考えなければならないのは、当人に対する期待感だよね。一つの栄誉に授かることによって大きく成長する人間もいるからね。それまで社会で大した働きができていなかった人が、小さな栄誉をきっかけに大人物に成長していくことなんかは、世間ではざらだし、小さな賞や他人からの褒め言葉から得た現実的な自信というのは、何物にも勝る心の栄養剤なのかもしれないね」
「それでわかりましたわ。あなたのような方が、学徒である私にわざわざ会いに来てくださった理由は、占い師の審査に通ったことを知らせに来てくださったのですね」
「うむ、実はそうなんだ…。こればかりは郵便局の配達員や協会の一般の占い師に任せるわけにはいかないんだよ。渡しに行く途中で無くしました、なんて言われてもどうしようもないからね。もう一度免状を作成するということは、もう一度審査を受けてもらうしかなくなるわけだからね。そうならないためにも、私のような責任ある高貴な人間が自分で届けねばならないのだがね。それと、これから新しく占い師になる生徒さんをこの目で見ておきたいということも当然あるんだよ。君たちのような若い占い師が、幻想と幻覚に満ちてしまった今の占い世界を元の現実的な道に戻す役目を担っているわけだからね」
「慎んで拝領いたしますわ。協会の皆さんのご期待に沿えるよう、これからも邁進するつもりでおります」
「うん、それはいいが、あまり頑張りすぎないようにね。身体も大事だから。ただ、これで君も特別な人間として、一般の人とは異なる道を歩んでいくわけだから、プレッシャーをかけるつもりはないけど、その覚悟はしっかり持っていてね」
 黒ずくめの協会関係者はラルセをそう言って励ますと、おもむろにバッグの中から赤い大きな封筒を取り出して彼女に手渡した。
「この中に、占い師登録申請用紙と内定通知が入っているからね。申請期間は審査の日から二週間だから、そこだけ気をつけてね」
「はい、本日はわざわざお出でくださってありがとうございました」
僕はそのやり取りを羨ましく思い、眺めていたのだが、不意に隣にいた京介と目が合い、彼が涙ぐんでいたのが見えた。その涙が感動から流れ出したものなのか、それとも自分は届かなかったという悲しみと嫉妬から流れたものなのかは容易に判断出来なかった。
「では、私はこれで帰るからね。貴重な休暇の時間を、長い説明に使わせてしまって済まなかったね」
協会幹部はそう言ってドアノブに手を伸ばし、帰ろうとしたのだが、まだ肝心なことを聞いていなかったので、僕は慌てて声をかけ、呼び止めた。
「うん、なんだね。君はラルセさんのご友人かな?」
「紹介するのが遅れてごめんなさい。実はこっちにいる二人も占い師なんです。おそらく、協会にも履歴書が届いていると思うんですが…」
ラルセが慌てて、付け足すようにそう説明した。この様子だと、感動のあまり、僕らの存在をしばらく忘れていたらしい。幹部の男は先程も説明した通り、全身黒ずくめで、黒いとんがり帽子に目と口の部分しか隙間が空いていない、黒覆面をつけているのだが、その小さな隙間から見える瞳がようやく僕の方を見やった。
「ふむ、そうか、君も候補生だったのか…。それは失礼したね。それで名前は何と言うのかね?」
「は、はい、パヌッチと申します。水晶を専攻しています」
「ほう…、水晶をやっているのかね…。私も一番得意にしているのは水晶だから好感が持てるのだが…、はて、パヌッチという名前は聞いたことがないな…。一次の書類審査を通ったのであれば、審査会のメンバーである私も必ず目を通しているはずなのだが…」
「書類審査なんてものがあるんですか? 占い師候補生の履歴書や紹介状は必ず本審査の対象となると思っていました」 
「いやいや、そういうわけにもいかないよ。この国の全土から集まってくる履歴書や紹介状・推薦状の数は途方もない数に昇るからね。審査会は選ばれた幹部だけの少人数でやっているから、とてもすべての書類をチェックすることはできないんだよ。だから、協会所属の見習いの占い師を多く集めて、彼らに送られてきた書類をすべて見てもらい、不備のあるものや、何かいわく付きの人間、例えば、前科があったりとか、反体制的な思想を持っている人間、それと大きな不祥事を起こしたことのある人間はそこで除外させてもらっているんだよ」
「待ってください。それはどうかと思います。本職の占い師さんとは言え、まだ若い経験の浅い人ではそこまで人を見る目が育っているかは疑問ですし、書類審査では審査する人間の主観が強く反映されてしまい、公平な審査ができない恐れがあります。例えば、過去に養成学校で生徒会などの保守的な組織に属していた人間の視点は、それはもう偏見に満ちているんです。占い師にとって大切なのは真摯に人を導こうとする意志だと思うのです」
僕は自分の理解できない高い知性を持った人間と話していると、つい熱くなってしまうたちなので、彼が占い師協会の重鎮であることも忘れて強く反論してしまった。
「それは違うね。占い師にとって一番大切なのは厳正な倫理感と何物にも囚われない中立性だよ。生徒会の人間は偏向しているから嫌いだと言ったが、例えば、君は自分の嫌いな思想を持った人間が客となって、占ってくれと頼んできたらどうする気かね? 横柄な態度をとったり、占いという自分の仕事自体を拒否するつもりかね? それでは了見が狭すぎるんだよ。自分と同じ思想の人間としか生活を営めない人間は、持っている世界が狭すぎるんだ。エリート職にとって必要な要素は、自己主張の強さではなく、どんな人間とも嫌な顔せずに付き合える、広い度量だからね」
覆面のせいで表情は読み取りにくいが、幹部はほとんど声色を変えずに淡々と反論してきた。夢のある職業であるはずの占い師から手厳しい現実を突き付けられ、僕は返す言葉が無くなってしまった。
「ちょっと待って下さい」
自室での、他人同士による熱いやり取りを見ていられなくなったらしく、ラルセが間に入ってきた。
「パヌッチの言っていることが理に合わないことは、彼は自分でもよくわかっているんです。ただ、彼はひとたび自分の考えに反する意見を述べる人や、自分を非難する人間に出会ってしまうと、すぐに頭に血が上ってしまって、自分が本当には理解していない問題についてまで、自分でも何を言っているのかわからないような狂乱した状態で反論を作り上げてしまう人なんです。そうですわ。例えば、自分の家の近くで路上工事が行われている時などに、うるさくて邪魔だから工事を止めろと工事関係者に詰め寄っていく人が稀にいますけれども、あれに近い状態なんです。つまり、心の深い部分では多くの住民の生活のために工事は必要だと理解していても、うるさくて気に障ったという発作的な感情だけで行動してしまうんです。こういう人は、例えば、平然と賄賂を受け取る政治家や遊ぶ金欲しさに強盗に入る人間に比べて罪の意識が薄いものなんです。包み隠さず申し上げますと、あなた様に悪意があって反論を述べているのではなく、彼特有の感情の高ぶりがなせる技なのです。血統や育ちの悪さが、時として人の感情を常人とは違う方向へと導いてしまうことがあるのです。どうか、寛大な心で彼と接してあげてくださいませ」
「彼の性質のことを言っているのなら、それはよくわかるが、一般の職業に就くならともかく、占い師になりたい者がそれでは困るんだよ。突発的に起こる小さな事件ですぐに感情を高ぶらせてしまうような人間は、一時の気まぐれでどんな行動を起こすかわからないからね。彼はおそらく書類審査の段階で不適格と判断されてしまったのだろうが、私としてもその判断を支持するね。こういう人間は目先の金に目が眩んで間違いを犯したり、ろくでもない金儲けを企んで顧客の期待を裏切り、占い師への信頼を失墜させることになるだろう。残念ながら占い師という神に近い聖職に就いていながら、不祥事を起こしてしまう不届き者が、一年の内に何人かは出てしまうが、そういう事例が起こるたびに、それぞれの監督機関では、彼がそんな人間であったとは知らなかったなどと言い訳するのだよ。だが、私に言わせればそんな認識は甘いね。人間の心の深くに潜む悪意や幼稚な知性を見抜けぬようでは、人を管理しているとは言えないね。私ぐらいの人間なら、自分の管轄下の、どの人間が道徳観念の足りない男か、一瞬の会話のやり取りですぐに見抜けるだろうからね。現に今、世の道理に逆らう不届きな人間を一人見つけたわけだしね」
頭ごなしに一方的に非難されたままでは、今後の審査でも差別的な扱いを受けてしまいかねないので、僕はもう少し反論を続けることにした。後から考えると、頭に血が昇ってしまって、後戻りできなくなっただけなのかもしれないが。
「お待ちください。確かに僕は自分の感情を上手くコントロールできずに、これまでいくつかの致命的な不祥事を起こしてしまいました。でも、それは能力の足りないところからくる単なるミスではなく、この学校や、あるいは社会そのものの仕組みが僕の理想とするところとあまりにも掛け離れているからなのです。資産家や成功者や才能に優れている者だけを優遇する今の社会制度では、一時落ちこぼれてしまった者や才能に恵まれなかった者は、何十年と努力しても、自分が希望する職業に就けないということなのでしょうか? 人間の成長する可能性は無限のはずです。僕が今から改心して勉学に励み、ボランティアなどに取り組んで道徳観念を身につけ、やがて、エリートとして成功する可能性は少なからずあるはずです。せめて、能力を伸ばし、性格を矯正したあかつきには書類審査なしで本審査に挑ませてくれることを約束していただけませんか?」
「それはできないね。性格や思想というのはその人間の核にこびりついて一体となっているものだからね。そんなに簡単に拭い去ることができないことは、過去の大犯罪者や偉人たちが人類史を作りながら証明しているし、私はそこまで人間の可能性を信じていないよ。才能が劣っているために自分の地位が他人よりも下であったのであれば、それはきちんと受け入れなければならないし、思想や哲学にかぶれて反社会的な行動を取り、権力や行政組織に逆らうような人間は、少なくとも占い師には不適格だね。人の上に立つ職である占い師になれる人は、優れた才能人かひたむきな努力家かのどちらかでないといけないからね」
僕はついに何も言えなくなってしまい、身体を震わせて下を向いた。京介も青ざめた表情のままでうつむいていて、僕をかばうようなことは何一つ言ってくれなかった。後日談によると、彼もこの時は協会幹部の強い言葉の圧力に押されて、心底畏怖してしまい、例え、僕を助けるような言動で訴えたところで誰のプラスにもならないばかりか、自分の立場さえも危なくなってしまうと直感的に感じてしまい、何も言えなかったのだという。
「もう、言いたいことはないかね? では、私はこれで帰らせてもらうよ。ラルセさん、ごきげんよう」
幹部はそう告げてから去っていった。テレビにゲストで呼ばれた評論家のように、言いたいことをすべてしゃべっていったが、自分の脳から自然に溢れてきた言葉を述べただけのようで、彼の言葉は最後まで熱を帯びていなかった。部屋の窓から広場を横断して正門へと向かっていく、協会幹部の真っ黒な背中を見つめながら三人揃って深いため息をついた。
「パヌッチ、大丈夫よ。あの方も今日はお忍びで来られたわけだから、本心であんなことをおっしゃったわけじゃないと思うわ。ちょっと厳しい忠告として受け止めればいいのよ」
「心がすっかり重くなって、今は何も考えられないけど、後で気持ちを整理してみるよ…」
僕がそう言うと、京介が肩に手を置いて語りかけてきた。
「おまえ、気持ちはわかるけど、誰にでも問答無用で突っ掛かっていくその性格は何とかした方がいいぞ。どんなに世界が広くても、ライオンに唾を吐きかける小鹿なんていないわけだし、人間社会を動物の食物連鎖と比較するわけじゃないが、世の中の仕組みってのは、ある程度、上の人間には逆らえないようになってるわけだからな」
「それはわかってるけど、僕も書類審査くらいはすんなりと通るだろうと期待していただけに、幹部に名前も知らないと言われたときにカチンときちゃったんだよ。いくらなんでも書類だけで省かれることはないと思うんだ。きっと、生徒会が裏で僕の書類に悪さをして、協会にあることないことを伝えたに決まってるよ」
僕のその言葉を聞くと京介は眉間にしわを寄せ、難しい顔をした。
「うーん、でも、ラルセは生徒会と折り合いが悪くても、この通り審査に受かっているわけだしな。何でも生徒会のせいにするのは無理があるんじゃないか?」
「ラルセはこの学校でも随一の占い師だし、きっと、生徒会も工作がしづらかったんだよ。この学校から、一人でも多く占い師に合格してくれれば学校全体の名誉にもなるわけだしね。でも、僕の場合は違うんだ。実力通りに評価されたとしても絶対に合格できないことを見越した上で、さらに僕のプライドを傷つけるために、協会に悪い印象を持たせるような工作をしたに決まっているんだ。単に僕に恥をかかせるためにね。あいつらはそういう奴らさ!」
「お願いだから、そんなこと言わないで…。生徒会にも少なからずまともな人もいるし、考え方は保守的だけど、彼らも普通の人間なのよ。そこまで汚いことはしないと思うわ」
優しい言葉遣いで上手く言いくるめようとするラルセを僕は睨みつけた。
「君はいいよな。もう成功のゴールまで続くエスカレーターに乗れたわけだからね。これからは僕なんかと遊ばないで生徒会と仲良くしたほうがいいと思うぜ」
「おい、ちょっと言い過ぎだぞ。ラルセはおまえのことを考えて言ってくれているんだぞ」
「もう、お出かけは中止だろ? ラルセはこれから協会に送る書類を書かなきゃいけないわけだし。僕はもう帰るから」
呼び止めようとする京介を振り切って、僕は部屋の外へ飛び出した。人間関係において、いつもこの短気な性格が余計なことをするのだが、また面白くないことになってしまった。広場に出て外の空気を存分に吸っても胸の重みは取れず、なぜか、道行く人が全て自分の敵に見えてきた。みんながさっき起こったばかりの事件を知っていて、自分のことを笑っているように思えてきたのだ。こういうイライラした気分のときはフランポーゼに行くのがセオリーだが、この間の事件のことがあったので、店長と顔を合わせてしまうと、薮蛇になりかねず、あの喫茶店にも行きにくかった。広場のベンチに腰掛けて、先程、協会幹部から言われたことや、今までの生徒会とのやり取りなどを頭の中で総括してみたのだが、考えれば考えるほど、冷静になどなれず、頭に熱がこもってしまい、昼寝をしたり、食事を取るといった人間的な普通の行動が取りにくい心理状態になっていた。うっぷんを晴らすためには、やはり、究極的な手段を取らなくてはならないのだろうか。どんなに思考を重ねてみても、この危険な手段を取ること以外に僕の胸の中のつかえを取り除くことはできないように感じられた。

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