目次
1ページ試験の結果
2ページ京介の不調・ラルセの星占い
3ページ新入生歓迎式
4ページガンボレ祭前日の買い物
5ページガンボレ祭その後(一)
6ページガンボレ祭その後(二)
7ページガンボレ祭その後(三)
8ページガンボレ祭その後(四)
9ページサフラン先生の薬品占い
10ページ生徒会総選挙数日前(一)
11ページ生徒会総選挙数日前(二)
12ページ生徒会総選挙数日前(三)
13ページ厳罰棟所長の訪問(一)
14ページ厳罰棟所長の訪問(二)



 僕は意を決して生徒会本部のある建物に向かった。いくつも平行に並べて建てられた校舎の間をすり抜けて、敷地の一番奥にある体育館を目指した。その体育館の手前右手側にある、古い四階立ての灰色のコンクリート造りの建物が生徒会本部である。この学校の建物の中ではかなり古い建物で、角型で窓の数も少ないので硬質的な印象を受ける。
 僕は正面口から堂々と入り込み、一階の選挙対策本部には目もくれず、そのまま階段を駆け上がって、二階に向かった。二階には生徒会への要望や相談を受け付ける窓口があった。受付のカウンターには女生徒が一人座って待ち受けていた。選挙が近いこともあって、僕の他に選挙の方法や前日投票の仕方などを尋ねに来ている学生が幾人か見受けられた。僕は緊急の用事があって来たのだが、法を無視するわけにもいかず、それらの人の後ろに並び、自分の順番が来るのを待たなければならなかった。カウンターで他の生徒が話している声が自分のところまで届いてくるのだが、どの生徒も図書館で借りた本の背表紙が少し汚れていたとか、体育館に貼ってあった生徒会長のポスターが一枚剥がれていたことなど、どうでもいいことを伝えるためにわざわざこの本部まで足を運んでおり、もう少しマシな時間の使い方ができないのかと説教してやりたくなったのだが、自分の心のいらつきから、これ以上敵を増やすこともないなと思い止まった。
 並んでいた学生の数は次第に減っていき、やがて僕の順番が廻ってきた。カウンターの女性は明るい丁寧な人で、僕のことを確認するとすぐに、「あら、パヌッチさん、こんにちは。今日はどうされたんですか?」と、こちらの気持ちをプラスにもマイナスにも全く動かすことがないような、口調で話しかけてきた。『思想的に対立しているあなたが来ても、別に怖いことは何もないんですよ』とでも言いたげに見えるのは勘ぐりすぎだろうか。営利のためには法も無視するような、かなりの悪徳企業でも、受付の女性だけはなぜか綺麗で上品だったりするのだが、生徒会の人材配置もまさにそれに習ったものだった。
「こんにちは。率直に用件だけ申し上げますが、今日は生徒会長は来ていますかね? いなければブエナさんでもいいのですが、できれば、今すぐここへ呼んでいただけますか? とにかく、一言だけ、今すぐに言っておきたいことがありまして」
この受付の女生徒も生徒会員ではあるのだろうが、ほの暗い内部の事情には疎い人間かもしれないので、僕はなるべく語気を弱めて、とりあえずは、こちらが憤っているということを悟られないようにそう伝えた。
「生徒会長ですか? 会長は選挙の日程についての広報活動と、ご自身の当選後の政策を有権者に伝えるための宣伝に出ておられまして、今現在、校内をくまなく廻っているところだと思われますが…。会長に何か用事がありましたら、生徒会への意見書というものがありますから、その用紙に記入して頂ければ、会長が戻って来た際に、あるいは目を通して下さるかもしれません。そうなさいますか?」
「いえ、それは必要ありません。どうせ、ここで長ったらしい文章を長時間かけて書いてみたところで、署名のパヌッチの欄を読まれてしまった時点で、あなた方はそれ以上読んではくれないでしょうし、私の不快感が1%でも伝われば、それはそれで有り難いんですけど、基本的人権にも関わるような重要なことですし、やはりこちらとしては面と向かって言いたいのですがね」
多少、言葉に毒を混ぜてそう言ってみても、この受付嬢は、その清純な眼差しを真っ直ぐにこちらに向けて伸ばしたままで、顔色を変えることは全くなかった。この段階では、こちらのことを生徒会に少しの不満を持った、ちょっと変わった生徒くらいにしか思っていないのかもしれない。こちらの怒りを多少なりとも感じていながらの、この平静な顔つきはなかなか出来るものではない。よく訓練されていると感じた。
「なるほど、会長に面と向かってお話ししたいということは理解できましたけれど、残念ながら、それはかなり難しいことでして。ご存知の通り、平素から相当に忙しい方ですから、生徒会の職務に忙殺されてしまい、授業すらキャンセルしなければいけないこともたびたびあるのですが、今は選挙期間中ですし、我が校最大の行事である十年祭も迫っておりますから、それに輪をかけたような忙しさで、校内校外を問わず、日々飛び回っているような次第です。我が校の中においては、あのように高名で重要な人物ですから、どの授業に出ていらっしゃるかということも、身近な人間にすら秘密にしていらっしゃいますし、もちろん、あなた様にも、それをお伝えすることも出来ませんが、何か会長や生徒会自体にご不満があるのでしたら、私がここでご意見をお伺いしまして、後で会長にお伝えしておきますが、そうなさいますか?」
「あなたに事の次第を話したところで、果たしてそれが彼にまで伝わりますかね? 生徒会の内部事情や人間関係、それもこの学校のみならず、卒業生や地域社会も巻き込むような、複雑で深遠な人間関係の構図を、無垢なあなたに説明して聞かせたところで、あなたはそれを理解できますか? 事によると、生徒会やこの地方の保守的な組織の悪口と受け取られかねないような内容も含んでいるかもしれないですし、私が一年以上も前から感じていることをまとめた、膨大な思念を、あなたにすべて話してしまった後で、やはり意味がわからなかったから、会長が戻って来てからもう一度話してくれないか、などと言われても、こちらとしては困るのですがね」
「パヌッチさんが生徒会からなんらかの不利益を被ったことについて訴えたいとおっしゃるのでしたら、私の方でも、うけたまわることができますし、生徒会の人間関係についても、あなた様が言われている内容に沿っているかはわかりませんが、私の存じている範囲でよろしければ、お話しいたしますが、とにもかくにも、まずはあなた様の思うところを話して聞かせていただけませんか?」
「なるほど、会長の代わりにあなたが僕の話を聞いてくれると言うのですね。僕が生徒会に対して言いたいことを簡単にまとめてしまうと、自分達の思想と折り合わない特定の人間を差別しないで欲しいということなのです」
「生徒会から差別を受けたというお話ですけど、あなたの学生生活の中のどんな局面でそれを感じられましたか?」
「どこでも感じますよ! 授業中、食事時、広場のベンチで昼寝をしている時にさえね」
「どのような不利益を被ったか、もう少し具体的に話していただかないと、こちらとしても対応しにくいのですが…」
「僕の行動に対する直接的な妨害工作も、あなた方の組織から、これまで何度も行われてきたんですけど、それ以外の日常的な活動の中でも、生徒会の影響力を感じることはあるんです。例えば、この間、授業の関係で第四校舎に行ったんですけど、ここの向かい側にある、あの八階立ての建物です。ええ、そうです。そこでですね。一人でエレベーターに乗ったんです。僕は七階に向かっていたんですが、四階で一人の男子生徒が後から乗って来たんです。制服が新しかったので、一学生だとすぐに分かったのですが、眼鏡をかけた、かなり真面目そうな子でした。彼は僕の方を見ると、一瞬ですが、こちらを明らかに見知っているような驚きの表情を浮かべまして、ええ、挨拶こそしませんでしたけど、僕としても新たに乗ってきた生徒に視線を集中していましたから、その様子がはっきりと分かりました。彼はきっと僕のことを知っていたんです。そして、すぐに僕の方から視線を外すと、その後は一度もこちらを見ることなく、額を壁に押し付けたまま、エレベーターの隅の方でじっとしていて、僕が降りてしまうまで身動き一つしなかったのです。その行動が少し不自然に感じたものですから、こちらで少し個人的な調査をしたんです。ええ、聞き込みや関係資料調査を含めてですね。そうしたら、案の定、その一学生は生徒会委員だということが判明したのです。お分かりですか? つまりですね。生徒会内部では、この学校の中で自分たちに刃向かう者、又は、刃向かう恐れのある者について、入学してきたばかりの一学生にまで、危険な人物であるということを教育して教え込んでいるわけです。入学して数年経って、物心ついてきてからなら、本人の道徳観や常識も育っているでしょうし、組織力を維持するための、そのような思想教育も、ある程度は必要かもしれませんが、入学してきたばかりの生徒にまで自分達のブラックリストを見せ、おまえの敵はこいつだと教えるのはいかがなものでしょう? 僕は少し行き過ぎだと思うのです。例え、社会の一部で、それに近いことがまかり通っているとしてもです」
「おっしゃっていることが少し分かりにくいのですが、要約しますと、パヌッチさんはエレベーターの中での、その一幕だけで、生徒会では内部で思想教育が行われていると思われたわけですか? 私には、それは少し先走ったお考えに思えるのですが…」
「そのことだけで判断したわけではないですよ。僕なりにこの一年半の間に様々な体験をしてきましたから、その中で一番最近に起こったことをわかりやすく紹介してあげたんです。最近起こったことの方が記憶も正確ですしね。こちらの記憶も、あなた方の記憶もね」
受付の女性は未だ顔色を変えなかったが、その笑顔は少し硬質的になり、余裕が無くなってきたように見えた。かすかな表情の変化なので、こちらの思い過ごしかもしれないのだが。
「先程、何気なく、ブラックリストとおっしゃいましたが、まあ、そのような物があるか無いかはさておきまして、とりあえず、そういうものがあると仮定しまして、そのリストにご自分の名前が載っておられると感じる理由は何ですか?」
「言うまでもないことですが、僕や僕の友人の行動が見張られていると感じるからですよ。あなたもここの幹部から聞いていて知っているとは思いますが、僕は何度か生徒会長を始めとする生徒会の執行部に煮え湯を飲ませたことがありまして、まあ、それによって、こちらも少なからず不利益は被っているのですが、その何度かの失態を機に、僕自身の行動に制限が付いたような気がするのです。制限というものを具体的に言いますと、クラス単位で喜びごとがあった時などによく行われる生徒同士の小さな集まりのような会があるときに、参加受付票が僕にだけ配られなかったりするのです。僕にだけ渡すのを忘れていたのでしょうか? でも、僕の隣や手前の席に座っていた学生も、その会について知っていたりしますし、配り忘れで片付けることはできないと思うのです。明らかに何者かの意思が働いて、僕をイベントには加えず、のけ者にして、クラスの中で孤立させようとしているのです。そういう強権を発動できる機関が生徒会以外に、もし、あるのでしたら、教えてもらいたいぐらいです」
「まあ、驚きました。と申しますのも、生徒会は内部でいくつかのグループに別れて活動いたしておりますから、私もすべての部署の活動や行動についてまで、それほど詳しく知り抜いているわけではないのですが、私自身はそのようなスパイ行為や陰謀については何一つ知りませんし、誓って生徒会はそのような事をする組織ではないと言い切れますが、もし仮に、自分の行動にパヌッチさんが今おっしゃられたような陰謀がまとわり付いて来たとしたら、とても恐ろしいことだと思いますし、あってはならないことだと思います」
「生徒会の人間は、僕にこのように問い詰められると、すぐに今のあなたのような、とぼけた態度を取って、知らない、聞いたこともない、きっとあなたの思い違いだ、病的な被害妄想だ、などと、のたまうのですが、いい加減認めてしまったらどうです? あなたもブラックリストについて知っているのでしょう?」
「ブラックリストという言葉をどのような意味で使われているのか存じませんが、私としましては知らないと申し上げるしかありません。それがなぜかと申しますと、あなたの言っておられる特定の生徒に関するリストの種類はそれこそ多岐に渡るでしょうし、百歩譲って、それが仮に存在するとしましても、あなたのおっしゃるリストはいったいどれにあたるのかということが、そもそも私にはわかりませんしね。なるほど、確かに、生徒会の一部の人間が、学内の一部の特定の生徒を警戒するために作り上げたリストというものはあるかもしれません。しかし、それが生徒会幹部からの命令で作られたものなのか、それとも個人の意志によって作られたものなのかを証明することはできませんし、そもそも、個人が趣味で作成した物でしたら、誰も罪に問うことはできませんものね。人間は好奇心の塊ですから、誰でもそのようなリストを作る可能性はありますしね」
「僕は一部の人間の勝手な好奇心で差別されてはたまらないと言っているんですよ。いいですか? 人間は誰しも好みを持っているんですよ。食べ物に好き嫌いがあるように、人間同士の関係においても好き嫌いがあるんです。ちょっとした事故で不利益を被ったからといって、すぐに相手側を危険人物と決めつけてしまうのは非常に危険なことなんです。自分の主観だけで他人の価値を決めることになりますからね。とにかく、生徒会委員全員に僕に対する敵意識を植え付けるのはやめて貰いたいんです」
「今、ちょっとした事故とおっしゃいましたが、あなた自身は、具体的にどのような事件がきっかけになって生徒会と敵対する羽目になったと思われていますか?」
「そんなこと僕に聞かなくてもわかるでしょう? あなたはこんな重要な部所の受付を任されるくらいだし、生徒会長から有り難い指導を受けているでしょう?」
「いいえ、私はパヌッチさんと敵対しているとは思っていませんので、あなたがどんな事件を起こされて、どのようにして、あなたの言われるような不利益を被るリストに載せられてしまったかが、全然わからないのです」
受付嬢はニコッと笑ってからそう言った。あくまで自分は中立的な立場の人間であるということを強調したいらしかった。しかしながら、生徒会の本部という保守系組織の中枢にいながら、自分はリベラルな人間に対して敵意を持っていない、どんな人間とも対等に付き合える、などとと言われても、僕にはとても信用できないのだ。
「僕は自分では、風貌も思想も取り立てて変わったところのない普通の人間だと思っていますが、精神的にはまだ未熟な若者ですから、これまで単純な思い違いから、いくらか過ちを犯してしまったことはあります。その中でも、一番大きな失態は、やはり新入生歓迎会の一件だと思います。まあ、あの事件では僕もそれなりの処分を受けましたので、すでに罪は相殺されているはずで、今更、何を言うつもりも、言われるつもりもないのですが、あの一件が僕の学校生活の大きな曲がり角だったような気はしていますね。なにしろ、会長を含めた生徒会の幹部と学長にまとめてダメージを与えてしまったわけですからね」
「なるほど、それでは、生徒会のブラックリストにご自分の名前が載ってしまったことには、自身の責任も少なからずあると理解しておられるわけですね?」
「確かに反省しなければならない点は多くありますけど、もうとっくに済んだことでしょう? あの一件で生徒会は恥をかいた。僕は禁固処分を受けた。それでイーブンでいいじゃないですか。なぜ、そこからさらに、僕の人生に負荷をかけようとするのかが、わからないのです。あの事件が僕の責任だと言うのであれば、あの日、あの場所に僕を招き入れた生徒会や先生方にも責任はあるんですよ。悪いことをしたのは僕ですけど、それを止める権利や義務はあの会場にいた全員が持っていたわけですからね」
「今、冷たいお茶でも、お出ししますから、それを飲んで頭を冷やしなさって、とりあえず落ち着いて下さいな。熱くなってしまっては議論がおかしな方向に向かってしまいますからね。そうですね、あなたのおっしゃるように、確かに校内で起きた事故の責任を、生徒一人に押し付けてしまうのは良くないことですね。例え、あなたに落ち度があったにせよ、それを止めることをできなかった生徒会を含め、周りの生徒達や、あなたをまともな人間に教育しきれなかった親御さんと先生方、不良学生をきちんと管理できなかった地域社会にも問題はあると思います。そして、生徒会の意向を無視して、あなたを勝手に壇上に上げたロドリゲスさんにもね…。しかし、私が思うところでは、やはりこの一件で一番の当事者はあなたですし、あなたの非で多くの人が不利益を被ったことは事実ですから、あなたはもっと猛省しなければならないと思います。大事件を起こしたにも関わらず、それを生徒会へのダメージだ、などと良いように解釈して開き直り、公的な機関に真っ向から盾突こうとする、あなたの態度こそが、あなたをブラックリストに載せた最大の原因だと思いますね」
「では、僕の名前がブラックリストに記載されていて、そのリストをあなた自身もご覧になったことがあるというところまでは認めるんですね? あなたは生徒会本部の受付嬢という要職にありながら、ご自分でそのリストを覗いた時に、自分はなんて卑劣な人間なんだろうという罪の意識にも似た感情は心に沸いてこなかったのですか? 生徒会が特定の人間に差別意識を持って作り出したリストを、自分で好き好んで使用するということは、あなた自身も差別に関与したことになり、引いては、生徒会の偏った思想を自分の心に受け入れてしまったことの何よりの証明になってしまうんですよ」
「私は自分の信条に関わる行動は、組織に頼らず、すべて自分で決めて行いますから、そのようなリストを信用して、人間の好き嫌いを判断するようなことはいたしません。でも、当事者を前にしてこれを言うのは辛いのですが、私自身の考えでは、そのブラックリストというものが存在することも、あなたがそのリストに載ってしまっていることも、至極当然のことだと思いますね。と申しますのも、人間関係というものは危険なもので、本来関わるはずのなかった人間と、ある日、不意に出会ってしまって付き合うようになり、その人間関係が仇になって、その数年後に、まるで落雷のような、残酷で突発的な不幸を招いてしまうということが世間では往々にしてありますものね。人を好きになるということは一見良いことにも思えますが、その実は危険なことでもあり、他の人間への信頼という愛情にも似た思いは、裏を返せば、その人に裏切られてしまったときに、嫉妬を通り越した最も醜い感情を、人間の心に呼び起こすものです。蝶と花のような、ファンタジックで清らかな関係も、一旦壊れてしまいますと、沼地の底に溜まっている粘土のような、本当に汚らしい粘着力を持った醜い争いを、人間たちに起こさせるものです。生徒会内部の人間も含め、まだ世間の恐さを知り得ない若者たちが、あなたのような、思想にかぶれて学業をおろそかにし、公権力に刃向かうような危険な人間と出会ってしまうことや、それがために大切な人生の方向を、切り立った崖の方へと向かわせてしまうようなことは、絶対に避けたいことなのです。ですから、そのリストを作成した人達の、切迫した心境は、私にはよくわかりますね」
「あなたはこの件を、まるで他人事のように言いますけど、まだ学生の身分なのにブラックリストなどを作成して、特定の人間だけを差別してしまうことを危険なことだとは思えないんですか? 残念ながら被害者は自分ですけど、僕はこれが例え他人事であったとしても、本当に非道で冷酷な処置だと思いますけどね」
「あら、おかしなことをおっしゃますね。あなたが生徒会の会長や幹部を、偏屈で意地の悪い人間だ、などと周囲に吹聴してまわるのも、私には思想的な差別だと思わずにはいられません。差別意識というのは必ずしも公的な機関や身分が上の者たちから放たれるとは限りませんものね」
僕は彼女の口からでるそれらの言葉を、社会全体から放たれる灰色の波動のように感じてしまい、イライラとしながら聞いていたが、ここへたどり着いて一時間が経過してから、ようやく自分の前に出された冷たいお茶を一気に飲み干して、心を落ち着けてから、再び反論を開始した。
「それはその通りです。確かに差別行為というものは、立場や身分に関わらず、誰にでもそれを実行することも、関与することもできるのです。しかしですね、その権利を市井の人間が行使した場合と、権力者が行使した場合では、差別を受ける側に与える影響の大きさは全く異なるはずです。例え、僕があなた方を嫌っても、それは一個人の気持ちの中にある限り、公の機関や組織に対して、それほどの傷や痛みを与えないものですが、あなた方から僕に振り下ろされた鉄槌は、僕自身の人生の歯車をあさっての方向に狂わせてしまうほどの威力があったのです。先程、占い協会の幹部の方が見えて、僕の親友に審査の合格通知を渡していったのですが、僕は合格通知を受け取るどころか、厳しい叱責の言葉を拝領する羽目になりましたよ。つまり、あなた方の行為の影響力は…」
「ちょ、ちょっとお待ちください。今、なんとおっしゃいました? あなたの親友に合格通知が来たと言うのですか? ぶしつけな質問ですが、誰が合格したのですか?」
「ラルセですよ。協会の幹部からたいそうなお褒めの言葉を受けとっていたようです」
彼女はそれを聞くと、眉間に深いシワを寄せ、今日初めて暗い考え込むような表情を見せた。
「あれ…? ラルセって…、あのうるさい子よね…? 彼女だって、たしか相当イカレてるのに…。全くノーマークだったわ…。信じられない…」
彼女は低くそうつぶやくと、さっと椅子の向きを変えて、振り返った。受付の奥にある小部屋には、眼鏡をかけた男子生徒が一人座っていて、机の上のノートに何か書き物をしていた。
「ねえ、あなた、今の話聞いてた? 占星のラルセが協会の審査に合格してたんですって…。知ってた?」
「ええ…、かなり深刻な情報でしたので、まだ幹部の皆さんにはお知らせしていなかったのです。一時間ほど前に協会から合格者の名簿が届きまして、確かにラルセの名前がありました。占星専攻での合格者は二人だけのようです。これから掲示板に合格者名簿を貼りに行く予定なのですが、彼女の件の報告だけは事実確認をしてからにしようと思いまして…」
奥の男子生徒は仕事の手は止めず、顔だけをこちらに向けて、静かな声でそのように答えると、受付嬢は再び僕の方に視線を戻した。
「信じられませんけど、事実みたいですね…。しかし、困ったことですね。彼女も生徒会の支持者ではないですし、ああいう困った性格ですから、今回は軽視していたのですが、よりによって、一回目の審査で合格とは…、予想以上に、彼女の技量への協会の評価が高かったのですね。でも、彼女が合格したことは、あなたにとって良かったんじゃありません? 少数のリベラル派にとっては願ってもない追い風になりますし、彼女を盾にすれば保守層の切り崩し工作もしやすくなります。あなたは数時間前の友人の合格発表を受けて、もっと浮かれた気分でいなくてはならないのに、今のあなたの、まるで農家に食べ物を求めて忍び込んできた野犬のような顔つきは何なんですか? 残念ながら、この件も生徒会にとっては痛いことですけど、あなたは腹の中では、ほくそ笑んでいるはずだし、あなたが差別だなんだと言って、ここに乗り込んで来た理由がますますわかりませんね」
「僕も今回の審査で自分が合格するとは露ほども思っていなかったですし、友人のラルセが合格したとわかったときは、もちろん素直に喜びました。しかしですね、協会幹部の長々とした祝辞を聞いているうちに、段々と複雑な気持ちになってきたのです。自分は書類審査の段階で、すでに落とされていたというのに、朝、目が覚めてからずっと、今日が審査結果の発表日だからと希望を胸に秘め、自分が協会幹部に審査されているという緊張感を持って待っていたのは、実はまったく恥ずかしいことだったんですよ。結果から言えば、僕は協会幹部による審査の過程まで進めていなかったわけですからね。それを知ったとき、友人が合格して嬉しいなどという、浮かれた心情は消し飛んでしまい、なぜ、自分だけはこんなに悲惨な結果を受け止めねばならないのだろうという、現実に舞い戻ってしまったわけです。そこで、あなた方が協会に対して何か卑劣な工作を仕掛けたのだろうという結論に落ち着くしか無くなってしまったのですよ。なぜかって、もし、この答えすら否定してしまったら、今回の審査で僕が落ちたことは、ただ単に、僕の占い師としての技量が基準点に全く達していないという、ひどく受け止めがたい結論にたどり着くしかなくなってしまいますからね」
「なるほど、先程から思想がどうの、ブラックリストがどうのと騒いでおられた理由がやっとわかりましたわ。しかし、まあ、お気持ちはわからないでもないですよ。何しろ、この学校も数千人規模の生徒を抱えていますから、何か試験を行う度に、あるいは今回のような協会の審査を行う度に、少数ではありますが、自分が落ちたのは生徒会の陰謀のせいだとか、先生方の教え方が悪かったのだ、などと、自分の想像だけでわざわざ相当に湾曲した考えをお創りになって、それを訴えるために目を真っ赤にしてここへ来られる、被害者意識の強い生徒さんが後を絶ちませんのでね。そういう生徒さんが尋ねて来られる度に、私は丁寧な態度でこう言って差し上げるんですよ。『あなたの頭の中でこの結果をどのように受け止めても自由ですが、自分の能力評価だけは、きちんと客観的にしたほうがよろしいですよ』ってね。占いでも学業でもスポーツでも、実は一緒なのですが、誰でも自分の技量以上に成功し、評価されてしまう瞬間はあるものです。ただ、そのときに、できないダメな人間はすぐに『自分だけができる』と思い込んでしまうものなんです。本当にできる人間は、『自分ができることは、きっと他人にもできてしまう』と考えるものなんです。そこで、そこから先の努力の仕方に違いが出てしまうのです。パヌッチさんの思い違いの根本となる出来事は何でしたか? きっと、あるはずですよ。あなたにも、勘違いの元になる、不必要な他人からの褒め言葉というものがね」
何週間か前にも、別の案件で、これと同じような出来事に直面した記憶があるのだが、基本的に生徒会の窓口になっているような人間は、百科事典よりも分厚いマニュアルによって、どんなに意地の悪い人間が訪ねてきたとしても、冷静に対応できるように仕込まれており、この受付嬢はそういう意味で、下っ端の方にいるブエナなどより、よっぽど手強い相手だと感じた。確かに時間はある。僕は生徒会の選挙とは全く無関係だし、今はラルセや京介と顔を合わせて雑談する気もしない。それに審査に落ちた直後で授業に出る気もしないのだから、今の僕に時間は有り余っているわけだが、この受付嬢と長時間に渡って討論していても、意味のある結果にたどり着くことはないだろうし、ことによると、この無駄に長い話を延々と聞かされているうちに、脳の中枢がおかしくなってしまい、相手の思い通りに洗脳されて、生徒会の主張を丸呑みして自室に戻ることになりかねないので、僕は結論を急ぐことにした。
「わかりました。もう、いいです。あなたとこれ以上話し合うつもりはないです。あなたの話していることが一部正しい内容を含んでいることも認めます。その代わりに生徒会上層部へと自分の意見を届けるための上申書みたいなものがありましたら、それを出して下さい。今ここで書きますから」
僕が強い口調でそれを言うと、受付嬢はあからさまに不満そうな顔を見せた。きちんと対応できていたはずなのに、突然、自分が予期していない方向に事が進んでしまったことを後悔するよう表情だった。
「えー…、それは、会長への言づけではなく、生徒会執行部への直接の不満書を提出なさるという意味ですか? えーと、それは何と申しますか、大変大それた行為になると思いますが、お覚悟の方は大丈夫でしょうか?」
「ええ、僕は正気ですよ。どうせ、言づけなぞ、頼んだところで、僕が帰ってしまった後に、あなたにグチャッと揉み潰されてしまえばそれまでだし、きちんと会長に伝わっていないじゃないかと、後日、僕がここに踏み込んで来たとしても、この席にあなた以外の人間が座っていて、『何を言ってるんですか? そんなことをうけたまわった覚えはありません』などと、すっとぼけられてしまったら、この一件もまた闇に葬られ、僕の泣き寝入りで終わってしまいますからね。ここはもう、直接行動に出たいと思います」
「ですが、もう少しよく考えてみて下さい。あなたが生徒会への不満書などをお出しになりますと、ことによると、あなたにその書類を渡した私まで非難の対象になりかねないのですよ。あなたは、あなた自身でも認められているように、目下、生徒会にとっての最重要人物です。もちろん、悪い意味でね。そういう意味では、これ以上、あなたの評価が下がることはないと思うのですが、上申書となりますと、どんなに偏屈で内容に乏しい意見でも、一応は審議会にかけなくてはならなくなりますから、ただでさえ、お忙しい幹部の方々に相当な迷惑がかかりますし、あなたの乱心を止められなかった私にまで火の粉が降りかかるのです。これを提出してしまいますと、あなたは学校生活において、いよいよ抜き差しならない、後戻りの出来ない厳しい道に入ることになりますが、それでもよろしいんですか? 希望は無くても地道に生きていける今の生活の方がよろしいんじゃありませんか?」
「ここまで僕を追い詰めたのはあなたたちじゃないですか! いいから、早く書類を出して下さいよ。こんなときのために、僕はいつでも実印を持ち歩くようにしてるんですよ!」
「わかりました…。それでは…」
受付嬢は達観したのか、一度眼を閉じてしばらく瞑想した後、思わせぶりに机の脇にある引き出しの中から、一枚の薄茶色の書類を取り出して、僕の眼前に置いた。その用紙の一番上には、大見出しで『生徒会意志決定不満書』と記してあった。そのすぐ下には、血のように真っ赤な金赤で、『この書類を提出するということは、あなたの人生において、最も大きな分岐点になりかねません。今のご自分の考えは、客観的に見て、本当に正しいですか? 誰か近しい人に何度も相談してから、この書類にご記入下さい。一時の気まぐれでこれを提出してしまいますと、人生で最も大きな後悔という情念に、昼夜悩まされることになるでしょう』と書かれていた。僕はそれを一読した後で、全く迷わずに記名欄にパヌッチと太い文字で書き込み、力強く押印した。記名欄の下には大きな括弧があり、『ここへ、生徒会がこれまで行ってきた議事や行為に対しての、あなたの不満事項を簡潔にお書き下さい。※この項目は生徒会執行部が目を通しますので、できるだけ丁寧な言葉を用いて、無礼が無いように、わかりやすく書いて下さい』と説明文が添えられていた。
『私はあなた方の強権によって、日夜苦しめられている者です。たった数回の些細な失態によって、他の生徒と明らかに違う扱いを受けることを、これ以上我慢するつもりはありません。大勢の意見のみならず、羽虫のような、小さな意見までも取り込んで行事をつかさどることは難しいことかもしれませんが、あなた方はそれができると見込まれたからこそ、生徒会の重職に就いているのではないですか? 一刻も早い、偏見による差別の解消を求めて上申します。審議を願います』
僕はそこまで一気に書いてしまうと、ふぅと息を吐いてからペンを置いた。
「本当にこの内容で提出してしまって、よろしいんですか? 自分には失うものは無いと、本当に言い切れるのは死人だけなんですよ?」
「ええ、それで結構です。淑女を気取ったあなたの丁寧な態度を駆使して、執行部に渡しておいて下さい」
僕が冷たい声でそう告げて席を立とうとしたとき、部屋の奥の扉が静かに開いた。僕は必然的に視線をそちらに向けた。
「ずいぶん長く話してるみたいだけど、大丈夫か?」
そう言いながら入ってきたのは、僕と同じホームルームのタッサンだった。彼が生徒会委員であることは知っていたが、今日、この場にいるとは思っていなかった。彼は受け付けに座っている僕の姿を確認すると、すぐに真剣な顔になり、こちらに歩み寄ってきた。 「なに? いったい、こいつは何しに来たの?」
真後ろからそう尋ねられて、受付嬢は少しの狼狽を見せ、間を置いて、考えてから返答した。
「ええ…、こちらのお客様がパヌッチさんとおっしゃいまして…、ご存知ですよね? すでに一時間ほど、お話を伺っているのですが、生徒会の理念や機構について、何か、もやもやとした霧のような、つかみどころのない不満があるということでして、ずいぶん頭が熱くなっていらっしゃるようなので、私も彼が生徒会に対して、何らかの威圧的な行動に出る前に説得して差し上げたいと思ったのですが、なかなか聞き入れていただけないのです。こちらの再三の呼びかけにも応じずに、ついには不満書を提出したいなどと言いだしてしまいまして…、いえ、それが、実はもうお書きになった後なのですが…」
タッサンはそれを聞くと、これは重大事だとすぐに悟ったようで、受付カウンターを飛び越えて、僕の側に来ると、まず、カウンターの上に乗っていた上申書を手に取り、それをグシャグシャに折り畳んで、自分のポケットに乱暴に突っ込んだ。次に、僕のコートをつかみ、無理矢理立たせようとした。
「何をするんだ! 制止するのはやめてくれ! もうとっくに覚悟はできているんだ!」
そう叫んで抵抗する僕の身体を、引きずるようにして、タッサンはそのまま出口の方へと向かった。
「うるさい! 黙れ! おまえは初犯じゃないんだぞ! これを提出したら、どんなことになるか、わかってるのか!」
怒鳴り声でそう言うと、タッサンは僕の身体を部屋の外の通路にまで投げ飛ばして、ドアが閉められた。中から受付嬢の、
「お気が向きましたら、またどうぞ、おいでくださいませ〜」
という声が響いてきた。タッサンは廊下の隅で、茫然自失でうずくまる僕の肩をとって立ち上がらせ、そのまま肩を組みながら、二人で階段を昇った。ガヤガヤとした声が響いてきて、上から幾人かの生徒会委員が降りてきて、いったい何事かと、僕らに心配そうな声をかけた。今のただならぬ騒音を聞き付けたらしい。
「大丈夫だ! 年に数回くらい、こういう路頭に迷った人間が来るんだよ。おまえらもそろそろ慣れないとダメだぞ」
タッサンはそう言って駆け付けてきた後輩達を叱り付け、彼らを追い返すと、再び僕の肩を支え持ったまま階段を昇り、四階にある喫茶室まで連れ込んだ。生徒会本部ビルの中にあるが、ここは一般の生徒にも開放されており、店内には保守層以外の生徒の顔もちらほら見受けられた。
「大物ぶって仲裁しようというのか? 君には悪いが、僕は何と言われても改心するつもりはないぞ。もう、誰に怒りをぶつけていいかわからないけど、とりあえず、文句をつけるなら、ここと決めて来たんだ。どんなに立派な文言で説教されようとも、引き返すつもりはない」
一番窓際の椅子に腰掛けてから僕はそう告げた。窓の外にはすっかり紅葉したイチョウの木々が見えたが、その美しい色合いも、落葉という必然の現実によって、すぐに淋しい景色に移り変わってしまうのかと思うと、余計に寂寥たる気持ちになった。
「まあ、落ち着け。今日は審査の発表日だし、おまえの身にどんな出来事が起こったのか、だいたいの想像はつくが、たった一回悪い結果が出たくらいで短気を起こすな」
タッサンはそう返事をしてから、奥のレジに向かって、紅茶を二つ注文した。清楚な雰囲気のウエイトレスが足早にそれを運んでくると、タッサンは小声で、
「これから俺らが話すことは、聞かなかったことにしておいてくれ。他言されると困るんでね」と、真剣な顔で告げた。
「了解いたしました。ここのスタッフは皆、思想的には中立であるようにと申し渡されており、お客様のプライベートな情報は口外しないように教育されておりますから、大丈夫です。どんな熱い議論もお止めしませんので、安心してご歓談下さい」
ウエイトレスは、かしこまった態度でそう答えてから引き下がっていった。
「なんで、僕は生徒会から睨まれるようになったのか、その理由を知りたいだけなんだよ。それをすんなりと答えてくれたら、すぐにでも帰るさ」
タッサンは僕の言葉を聞くと、微笑みながらゆっくりうなずいた。
 生徒会の委員と言っても、その忠誠度は人によって様々であり、ブエナや、先ほどの受付嬢のように、すっかり洗脳されて、組織にベッタリと張り付いている人間もいれば、今、眼前にいるタッサンのように、幹部や組織の中枢から、少し間を置いている人間もいる。まあ、生徒会の幹部からすれば、タッサンのような、多少リベラルに寄った人間もいてくれた方が、組織の裾野を伸ばすときに何かと便利ではあるらしい。一般の生徒に近い人間の存在が、生徒会が年中執り行っている、一般の生徒にはわからないような小難しくて珍妙な議事や、それによる決定事項への認知を高めていると言えるのかもしれない。つまり、彼は思想に凝り固まった生徒会中枢の人間と、あまり政治的な知識のない一般の人間を結ぶ役目を担っているのだ。僕のような批判精神旺盛な人間が日常生活を送る上で、タッサンのような、思想的にどちらにでも取れるような人間と、どう接するかは非常に難しいところで、授業中や休み時間の雑談などでは、彼のグループに加わって、先生方のちょっとした失態や昨日のテレビ番組の話題などで、一緒に笑うこともあるが、お互いに相手がどういう思想の人間であるかは、重々承知しているので、第三者から小難しい話を振られると、意見が下手に割れないように、不意に何か他のものを見つけたような、ごく自然な態度で気づかれぬようにその輪から離れたり、咄嗟に何か新しい話題を思いついたように振る舞って、再び、他愛のない話へと舵を切ってしまうこともある。お互いを捻じ曲がった信条の持ち主と認識しつつ、それでも互いの派閥を軽視はしにくい厄介な関係だが、今日のような切迫した状況にならない限りは、自分の心中を簡単には明かさない、初冬に湖に張った薄い氷の上を、細心の注意を払いながら、割れないように慎重に歩くような人間関係だった。
「別に、全校生徒の中で、おまえらだけが生徒会のお偉方から特別に恨まれているってことはないのさ。ただ、過去の遺恨があるから、おまえが起こした、目も当てられない事件の数々を知っている一部の人間には、必要以上に警戒されてしまっているのは事実だろうな」
「怖いことを淡々と言わないでくれよ。その一部の人間の偏見に満ちた思想教育が、生徒会の下位にいる者たちまで巻き込んでいて、僕の正当な意見に、この学校の一般の生徒が惑わされないように、僕と、特定の思想を持たない中立的な層の生徒を分断しようとしているんだ。反論は許さないぞ。さっき、受付嬢からもこれを肯定する意見を聞いたんだ」
「おまえの妄想癖については、資料を見て、以前から知ってたが、それは余りにも被害妄想を拡げすぎだ。生徒会の人間とうまく折り合いをつけられるかどうかは、あくまでもおまえの側の問題なんだぞ。生徒会が公的な機関として、一般の生徒に対して、社会の模範となれるような思想教育を施すのは当然のことだ。それを保守的だ閉鎖的だと勝手に解釈して逆らうのはそっちの自由だが、その結果として起こり得るペナルティーやハンデについては、自分たちで責任を取るべきだ。つまり、生徒会がおまえらを見張ったり、他の生徒と分断しようとしているのは、取りも直さず、おまえらが身勝手に起こした過去の事件の直接の結果であって、執拗な差別を受けたくなければ、おまえたちが自分の行動を反省して心を入れ替えることが必要だな」
「だから、そのセリフは、さっき受付でも聞いたよ。それで、過去のどの事件が問題なんだよ? 大きく取り沙汰されたのは新入生歓迎会での一件だろうけど、あれなら、きちんと処分を受けたはずだぞ」
「まあ、言うなれば、周囲の人間を全く意に介さないようなおまえの普段からのふてぶてしい態度や、生徒会を必要以上に敵視する姿勢が一番の問題なんだが、最近、生徒会内部の密議で一番問題になったのは、今年の夏の幽霊ホテルの一件だな」
幽霊ホテルというキーワードを聞かされて、僕の頭にぼんやりと思い出されたのは、森の奥地に在って、外壁に大量の蔦の絡まって、元の色がわからなくなってしまった廃墟のようなホテルの姿であり、うだるような暑さの中、その館の中で繰り広げられた、とても効果的とは言い難い除霊イベントの数々であり、最後は、『人間たちに見捨てられ、幽霊たちに好かれて住み込まれてしまった以上は、もはやどうしようもない』という悲惨な結論にたどり着くしかなかった自分と仲間の疲労感たっぷりの暗い表情だった。
「幽霊ホテル…? ああ、あの一件か…。言っておくけど、あれはホテルの支配人が直々に出向いてきて、ロドリゲスに依頼した事件だからな。元々は観光客向けに造られた私立のホテルだから、支配人も生徒会には縁もゆかりもない人だし、仲間を呼んで最終的には四人で解決した事件だけど、クラス単位で取り組んだわけじゃなくて、あくまでも個人の業務の範疇だから、生徒会への報告義務はないはずだぞ?」
「いちいち屁理屈をこねるんじゃないよ。おまえ、あの時、いくら受け取った? なんて率直に尋ねても、素直に答えてくれるような性格じゃないから、こちらで勝手に調べさせてもらったが、たしか、報酬は100万だろ? 一般人から依頼を受ける場合は、生徒規約上は50万以上は高額報酬にあたるから、生徒会への報告義務があるんだ。おまえたち四人は、あの事件すら無かったことにして、報酬は素知らぬ顔で懐に入れたらしいが…」
これはあくまでもクラスメイトとの雑談であるから、まさか、あの一件のことを突かれるとは夢にも思ってもいなかった。瞬間的に頭が真っ白になるくらい焦ったが、この件については弱みはこっちにあり、これ以上攻め込まれるとまずいので、僕はすぐに彼の目の前で右手を大きく振って見せて、彼の言葉を遮った。
「だから、待ってくれよ。確かにあのとき受け取った金額は全部で100万だけど、ホテル内にひしめいている大量の亡霊を残らず排除してくれという、支配人の無理な依頼を、丸一日かけて四人で協力して遂行したんだ。もちろん、報酬も四人で山分けしたから、懐に入れたのは、一人当たり25万ほどなんだ。だから、規約上は報告する義務はないはずだ」
タッサンは僕のそんなグズグズとした言い訳を聞くと、まるで小学校の教師が、聞き分けのない子供を相手にしているかのような、つまらなそうな顔をして大きくため息をついた。
「それは結果論だろ。生徒規約を細部までちゃんと読んでくれよ。依頼を受けたときに提示された報酬額が問題なんだ。その事件自体の報告が一切なかったから、生徒会本部でも最初は本当にそんな事件があったのかさえ、わからなかったが、大きな金が動くと、本人たちが、いくらしらばっくれても、自然と不穏な匂いがたつものなんだ。とある生徒から、自分の身近に、不正に金銭を得た生徒がいると密告があってな。生徒会でも、直近の密偵グループに頼んで、数週間に渡っておまえらの後をつけて購入品などの情報を集め、四人の羽振りが以前と比べて飛躍的に良くなったことを確認して、ようやくおまえらが不当に大金を得たことを知ったんだ。まあ、現在も調査は継続してるから覚悟しておけよ。いずれ証拠が揃い次第、返金命令が出るからな」
「僕もあの一件で金銭を得たのは事実だから、百歩譲って、三人の罪状は認めるとしても、ラルセだけは違うんだ。彼女はあの事件で腰を痛めてしまったんだよ。ホテルの入口で、出会い頭に会った幽霊に驚いて後方に倒れた際に、背中を地面に強く打ちつけてね…。その治療費で25万のほとんどが消えたらしいから、それについては免除してやってくれよ」
「彼女だって、仲間意識よりも金に目が眩んで、自分から望んであそこへ行ったんだろう? そんなことを酌量する必要はないと思うが、それはこれからの審議で決まることだ。おまえらの勝手な行動への詰問もそれから開始されるだろうよ」
ちょうどその時、新たに店内に侵入してきた一人の生徒が僕らのテーブルの横を通り過ぎていったため、タッサンは一度会話を止め、さりげなくグラスを持ち上げて、刺さっているストローを口へ運んだ。その後、さっきの生徒が僕らの声が届かない位置まで移動したのを油断なく確認してから、彼は再び話を始めた。
「しかし、ひどい事件だったらしいな…。霊媒士の京介を頼みにして散々暴れまくった後で、ホテルのメインホールにあるシャンデリアの上で白骨化した遺体を見つけたんだって? おまえはそれだって、警察にも通報しないで、自分で勝手に全容を解明したことにして、学校まで帰って来たんだろう? まあ、あのホテル自体が事件直後に潰れてしまって、支配人も雲隠れしたから、幽霊ホテルの内情が実際にはどんな状態だったのか、今では知れないし、これから再調査をしたところで、もう事件の全容はわからないだろうけどな…」
「そうか…、あのホテルでの一件が生徒会にばれてたのか…。それで夏以降、僕に対する弾圧が強化されたんだな…。でも、誰にも大金を得た話をしなかったのは、大金を独り占めしようと思ったわけじゃなくて、他の生徒に妬まれるのが嫌だっただけなんだけどな…。あの頃は商売道具を買い替える必要があったりして、出費がかさんでお金が必要な時期だったしね…。この学校は何もしなくても、ただ、学内にいるだけでお金がどんどん出ていくシステムになってるだろ…? 金持ち連中はどんなに浪費しても、何食わぬ顔してるけど、ジリジリと資産を削られている僕にはかなり厳しい世界だよ」
「それは仕方ないだろ。この学校だけに限らず、世の中は才能のある者、権力の座に在る者には、何もしなくても自然と金銭が巡ってくる仕組みになっているんだ。財産のある者と無い者が明確に分かれて存在してくれないと、経済社会のピラミッドが形成できないからな。例えば、法律だって、各組織の中に在る規約だって、上にいる人間が、現役の間も引退した後でも有利になるように上手く作られているんだ。富める者の家系はずっと裕福だし、使われる側の貧しい者は、その子供や孫だってほぼ例外なく底辺の生活を強いられるんだ。おまえのような不幸慣れしたダメな人間から見れば、それは一見不公平に感じられるかもしれないが、実は社会経済を滑らかに動かすために、一番効率の良くなる仕組みなんだ。貧しい者は貧しいままでいてもらう方が、世の中全体から見れば、素晴らしいことなんだ。もちろん、一部には、才能や運を駆使して、想定以上に階段を駆け上がる人間もいるが、そんな人間は全体から見れば極めて小数だし、それだって、上層部の人間の計算の範疇だ。そういう幸運な人間を看板代わりにして、庶民に微かな夢を見せるのは決して悪いことじゃないからな。だが、時折、努力することも、組織に従ってまっとうに生きることも否定して、ずる賢い知恵を発揮して、法律に抜け道を発見して、悪事を働く人間が出てくる。他の人間は貧しくても我慢して、上役が作ったしきたりに騙された振りをして、生活しているのにな。法に抜け道を作る者。それがおまえらなんだ。おまえらみたいな無法者を取り締まるために厳格な法律が必要なんだ。その上で厳しい刑罰が必要なんだ。世の中の人間が全員、おとなしく社会や組織の仕組みに従ってくれていたら、本当は残酷な刑罰や陰惨な差別なんて存在しないはずなんだ。わかるか? おまえは何かあると、すぐに上空を睨みつけるが、こっちが厳しく取り締まっているわけじゃないぞ。良識と道徳という、社会全体に張り巡らされた透明な網が、それを学習をしないおまえたちには見えないから、親とはぐれた小鳥のように、好き勝手に飛び回っているうちに、その網に捕まってしまい、もがいているだけなんだ」
「夏の一件については、その説明で痛いほどわかったよ。どうやら、こっちが悪かったようだ。でも、僕の気持ちもわかるだろ? 僕は生まれも良くないし、この学校に入らず、普通に生きていたら、どんなに苦労しても、最後は必然的にトウモロコシ畑で働くことになってしまうんだ。貂のマフラーやタフタのコートなんて、他人の物を羨ましく見るだけで、一生身にはつけられないんだぞ。だいぶ色彩が薄くなってしまったけど、実は僕にも夢があるんだ。売れっ子の占い師になって大金持ちになったら、ペテルブルクに小さな別荘を持つという夢がね」
タッサンはそれを聞くと、一度、口をあんぐりと開いて、たいそう驚いた表情を見せたが、そこは生徒会のやり手窓口委員である。すぐに冷静な態度に戻って、お説教を再開した。
「おまえの仲間は、思想はともかく、性格は純朴でいいやつばかりだから、おまえを甘やかすばかりで、現実的な意見を言うことはないと思うが、俺はおまえのことを本当に助けてやりたいと思うから、冷たいことも言わせてもらう。悪いが、それは絶対無理だ。おまえは生まれも悪いし、性格も良くない。それに判断力も悪けりゃ、才能も全くない。これから奇跡のような努力をしたところで、偉い人間になんかなれるわけがない。こんなこと、トランプや水晶がなくたってわかるさ。まあ、考えてみろよ。俺が言うのもなんだが、凡人として生まれてきてしまった以上、無理に上を見て、羽根もついてないのに飛ぼうとしたり、買えもしない海外の別荘を夢見て、かえって悶々と悩み苦しむより、ただ食べ、ただ寝るという生活自体を、つまり、生きていること自体を喜んでみたらどうだ? まあ、これも地を這う蟻の考えだが、農園や工事現場で一日中汗を流して働いて、バターも付いていないパンとコーンスープだけの食事を楽しむ。そんな一生でもいいじゃないか。上にいる貴族たちのことさえ考えなかったら、世の中は案外楽しいもんだぞ」
「生徒会に怒鳴り込んできた生徒たちを、いつもそういう安っぽいセリフで説得して、丸め込んでいるのかい?」
「まあ、そういうことだ。いつもは俺が出て来た以上、相談料をとるんだが、友達のよしみで、おまえは無料でいいよ。ただ、ここの紅茶代金だけは払っておいてくれ」
タッサンはそれだけ言って立ち上がると、屈辱感にのしかかられて、身体が重くなってしまい、身動きが出来ない僕を置いて、さっさと店から出ていってしまった。
 タッサンが出ていってしまうと、途端に喫茶室の他の客の視線が、すべて僕に向けられているように思えてきて、耐え難く感じられるようになってきた。壁には『ここで逃げ出すな 友を論破するまで語れ』と書かれた生徒会のポスターが貼られていたが、ここにお茶を飲みにくるほとんどの客は、何の思想も持たない一般の生徒なので、その多くは、隣のクラスで目についた可愛い女生徒のこと、あるいは、次の技能テストのこと、授業で出された課題のことなどで話し合っており、忽然と人生の岐路に立たされた僕のように、思想論を熱く語っている人間が物珍しく思えるのは当然のことだった。僕はその冷たい視線たちを避けるために席を立つと、飲み終わったならとっとと代金を払って帰ってくれと言いたげな、レジスタッフの方に向かってゆっくりと動き出した。
「ご討論、お疲れ様でした。どうでしたか? お相手に対して、自分の思いをはっきりと主張できましたか?」
ウエイトレスは僕の顔を覗き込んで、そんなことを尋ねてきたので、完全に言い負けたことを上手くごまかそうと、サバサバとした顔で紅茶代金を払ってやり、「いや、今日はそんな深刻な話をしにきたわけじゃないから…。今度、生徒会長や役員を連れて来ることがあったら、その時こそは大勝負だから、応援よろしく頼むよ」と、自虐的な笑顔でそう答えつつ、自分はいったい何を言ってるんだろうと、一度首を傾げてから、僕は喫茶室を出た。
 重々しい足取りで再び階段を下って一階まで戻って来ると、一階のフロアでは紺色の制服を着込んだ、複数の生徒会委員が待ち受けていて、反思想を持った不審者が乱入してきたらしいから、今、動員をかけているところだ、変わった人間は見なかったか、などと真剣な顔で話しかけてきたので、僕はさすがにこれはまずいと思い、顔をあわせないように適度にうつむいたまま、「ずっと四階にいたが、周りには安っぽい考えを持った、俗物っぽい生徒しかいなかった」と答えて、うまく彼らの横をすり抜けた。
 そこからは逃げるように小走りで動いた。時々後ろを振り返りながら、校舎の間の小道を辿って数分かけて広場まで戻ってきたのだが、そこまで来て、ようやく、まだ食事を取っていなかったことを思い出した。だが、わざわざ第三校舎まで引き返して食べるのも億劫に感じられたので、今日は正門の外でいつも店を出しているホットドックの移動屋台で食事を済ませることにした。そこの主人は昼間のこの時間しか店を開いていないため、珍しいものが好きな学生たちにもかなり人気があり、少し並んでいるかもしれないが、その待ち時間でさえ、このいらいらした気持ちを沈めるのにちょうどいいかと思えるのだった。

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