目次
1ページ試験の結果
2ページ京介の不調・ラルセの星占い
3ページ新入生歓迎式
4ページガンボレ祭前日の買い物
5ページガンボレ祭その後(一)
6ページガンボレ祭その後(二)
7ページガンボレ祭その後(三)
8ページガンボレ祭その後(四)
9ページサフラン先生の薬品占い
10ページ生徒会総選挙数日前(一)
11ページ生徒会総選挙数日前(二)
12ページ生徒会総選挙数日前(三)
13ページ厳罰棟所長の訪問(一)
14ページ厳罰棟所長の訪問(二)



 僕は今日起きたことをなるべく時系列に並べ、事細かになるべく丁寧に警官のビヴラータさんに説明した。今日は朝から奇妙なことが多く起こったので、説明するのに少し時間がかかってしまったが、ビヴラータさんは「うんうん」とうなずきながら聞いてくれた。
「なるほど…、かなり込み入ってるが、だいたい理解できたよ。つまり…、君は今朝、喫茶店の店長から、ガンボレ祭の最終日に行われたパレードの時に、参加者の先頭にいた一部の人間が…、まあ不特定多数の人間としておこうか…、その人間たちが日頃の恨みを込めてりんごの木商店というちょっと危ないおじいさんが営んでいた店に襲いかかり、これを焼き打ちにしてしまった話を聞かされたわけだ…。そこで君はいてもたってもいられなくなり、授業時間が終わってからそれを仲間たちに伝えようとしたわけだね? ここまではあってるね? そうしたら、君は午後になって、このお祭りの事件の話をしている人間たちが生徒会という組織に見張られ、また一部の者はこの話を他人にしてしまったがために拉致されてしまい、迫害を受けていることを知ったわけだ。まあ、私は学校の関係者ではないから、この生徒会という組織がどういう規律や目的で動いているのかはわからないが、これはちょっと困った事態だね。自分のせっかく手に入れた大きな情報を他人に伝えられないことほど、人間にとって、もどかしいことはないからね。私もそこは同意するよ。私も職業柄、常に嫌な上司に見張られてるから、言いたいことも言えなくて嫌な思いをすることが多いからね。そして、君の前に立ちはだかった最大の障壁がこのブエナさんだね? えと…、こちらの女性かな? 最近の女の子としてはちょっと地味だね。冴えない子といった印象かな。それほど悪い人には見えないけどね。この女性が君の親友のラルセさんにくっついてしまい、離れようとしないから、君達の会話がすべて生徒会につつぬけ…、まあ、このブエナさんが本当に生徒会のスパイであるかどうかはこの際置いておこうか? 君達の間でそこのところの議論をしていると、話が前に進まなくなるからね。まあ、つつぬけになっているような気がしてしまったわけだね? そして、君たちがいつも密談に使っている喫茶店が突然閉店に追い込まれてしまったことで、君はこのブエナさんがスパイであるという確信をさらに深めたわけだ…」
「肝心な僕の鬱屈とした心理状態に関しての供述が抜け落ちてますけど、まあ、そこまでの話は合ってます」
僕がビヴラータさんの理解力を評価してそう言うと、彼も満足げにうなずいてから話を続けた。
「そして、君たちは意見の対立が解消できないまま、実際に事件があったサウスヘルズに乗り込んで、その商店が今どうなっているのかを確認しようとしているわけだね?」
「その通りよ! 早く私たちを救ってよ!」
ラルセがすっかり暗くなってしまった空を見上げながら、イライラした様子でそう言った。
「しかし、これは困ったな…」
「どうしたんです? りんごの木商店はすぐそこですよ」
「いや、僕は距離のことを言ってるんじゃない。時間だよ。もうすでに五時を回っている、この時間が問題なんだ」
「日が落ちてしまうと危ないと言うなら、なおさら迅速に行動しなければならないのではないですか?」
ロドリゲスが自分の苛立ちを抑えるような、そして相手をせかすような口調でそう尋ねた。
「まあ、落ち着いて話を聞いてくれたまえ。今はちょうど5時半になったところだ…。この夕方の時間帯というのはこのサウスヘルズ地区においては最も危険な時間帯なんだよ。なぜだかわかるかね?」
「わかりませんね。なぜです?」
「それはね、就業者たちの労働時間が終わる時間帯なんだよ。そして、ぼちぼち、このヘルズ地区に居を構えるやつらが帰路につく時間帯でもある」
「ははあ、この地区の住民が家に戻ってくる時間というわけですか? でも、仕事終わりならみんな疲れてグッタリしてるんじゃないですか? 人から物を奪おうとする元気なんてないでしょう。なぜ危険なんです?」
「やはり、わからんかね…。まあ、わからんだろうね。君たちはその…、選ばれた職業に就いているからね…。まあ、こんなことは言いたくないが、仕事上の気苦労とは無縁のエリートだからね…」
ビヴラータさんは僕の襟首についているバッジを指差してそう言った。
「僕らが占い師だからなんだって言うんですか? 占い師にだって悩みはあるんですよ!」
「悩みはあるだろうが深刻な悩みではないだろう? 例えば、好きな女の子が出来たけど、口下手だから上手く映画に誘えないとか、テストの点が悪かったから留年するかもしれないとか、せいぜいそんなところだろう?」
ピンポイントで言い当てられてしまったので、僕は思わずドキッとした。
「ここに住むような連中はね…。そんな簡単には口に出来ないような重い苦しみや、なぐさめの言葉が見つからないような深刻な悩みを抱いて日々生きているのだよ…」
「どういうこと? もうちょっとわかりやすく説明してくれない?」
ラルセがすでに半分切れているような言い方でそう尋ねた。
「じゃあ、例えば、君は五年後、自分がどういう職業に就いていると思う? 占い師になれなかった場合も、ちゃんと考慮してくれよ」
ビヴラータさんはラルセを指差してそう言った。
「そうね…、私は自国の一流学校を出て、ここの占い学校でも成績は上位を外したことはないわ…。まあ、自分で自分のことを言うのも変だけど…。うちの学校でこれまで成績が良かった先輩たちの慣例から言えば、私の将来は一流テレビのニュースキャスターか、天気予報士かな…。最悪の場合でも中堅商社の社長秘書でしょうね。仕事の自由度と報酬のバランスを見て、その中のどれを選んだら一番幸せになれるかを考慮しながら、これから1年間ぐらいで決めないといけないわね」
「僕は一応政治家も視界に入れてるんだけどね…」
ロドリゲスが少し照れながら、少し小さな声でエリート意識むき出しの野望を話してくれた。二人とも誰にそのことを尋ねられても即答できるように、普段から頭の中でその答えを準備してあるのだろう。不出来な僕が口を挟む余地は全くなかった。
「その通りだ。君たちは恵まれている。ニュースキャスターにせよ、政治家にせよ、ライバルとの厳しい競争こそあるかもしれないが、一度なってしまえば、最低限の食いぶちは確保できているわけだ。どんなテキトーに生きたとしても、明日の食料に困ることはない。だがね…、このヘルズ地区に住んでいるやつらは、その最低限の食いぶちすら確保できていない貧民がほとんどなんだ…」
「貧困層というわけですね?」
「そう、貧困層と言ってしまうのは簡単だが、その貧困層の中でも最低のEランクだ。つまり、ここが貧困という概念の到達点と言ってもいいんだ。この国ではね…、貧困は5つのランクに分けられている。ランクAは、貧しいが自分たちは幸せと認識している家庭。そしてBからDへと貧困の度合いは一気に進んでいって…、Eがここの住民が属しているランクで、まあ、彼らの境遇や生活ぶりを一言で要約してしまうと、『ふてくされ』だね。つまり、自分の意志で社会からの離脱を選んだ階層なわけだね。人間の三大欲(睡眠・性欲・食欲)はかろうじて残っているが、金銭欲や物欲が消えかかっていて、彼らは自分や家族の健康管理にも全く興味がないんだ。法律なんて知らないし、知りたくもないから守らないし、道徳観念も皆無。社会常識がないから、ルールやマナーも当然守ることはないわけだ」
「最低人間なわけですね?」
ブエナさんが単刀直入に言った。
「簡単に言ってしまえばそうだが、文明人であることを拒否した原始人というか、南米の密林に住む人喰い人種の方がまだ話が通じると言った方がわかりやすいかな?」
「つまり、そういう原始人よりもたちの悪い連中がこの辺りに暮らしているわけですね?」
「そう…、そして、肝心の職業だが、彼らは昼間の間、何をやってると思う? なんと、ここの住民の大半はね…、郊外の巨大なみかん畑で働いているんだよ…」
「みかん畑ですって!!?」
ラルセが後ろにひっくり返りそうになるほど驚いてそう叫んだ。僕らはみかん畑で働く人々というだけで、その暗くジメジメとした陰惨な生活ぶりを想像せずにはいられなかった。この国では最下層といってよいだろう。友人や親類がもしそこで働いていたとしたら、僕はかける言葉がない。
「そう、それも途方もなく広大なみかん畑だ…。この商店街から駅へと通じる道路を歩くと、右手にどこまでも続くような長い長い木製の柵に囲まれた敷地があるだろ? あれがここの住民の働き口のボイジャー農園さ。外国人向けの観光案内書に載るくらい有名で、この地方で一番大きな農園さ…。あまりにも広大なので、大きさを広さの単位で示すのは難しいが、まあ、果実目当てで寄ってくる野鳥を追い払うために、常時2000個のカカシを配置していると言えば、その広さがわかってもらえるかな? と言っても、土地が無駄に広いだけで、採れるのはそれほど上質なみかんじゃないよ。せいぜい果物店で一袋いくらで売られる程度の庶民の果物さ。安いことだけが自慢で、皮がやたらと厚くてね。中身の果実は残念なほど甘みは薄く、とにかく酸っぱいね。アルコール臭が強かったり、表面に黒い斑点が付いているのもあるね。君たちの学校の学生食堂に並ぶような、高級なみかんはとてもじゃないが作れないだろうね。なにしろ、こんな治安の悪い地区に住んでいる人間たちが、それでなくても上質な種子や農薬を使っているわけでもないのに、その上で自分勝手に仕事をして、散々に手を抜くわけだからね。やる気もないし、態度も悪い。挨拶もろくにできない連中が、よそ見しながら面倒見たり、テキトーに農薬を撒いたり、愚痴をこぼしながら育てたみかんなんて美味しいわけないだろ? 私だって町の果物店で他に美味しい果物が手に入れば、ここのは食べたくないね」
「仕事内容はどうなんです? 天国から最も離れた場所と聞いてますが、そんなに厳しいのですか?」
「よい質問だね。まず、朝一番で農園からこの地区の入り口までトラックがやってくるんだ。そして、運転手が窓から顔を出して、大声で『今日は農薬散布です。十七人雇います! 早い者順!』ってな感じで叫ぶわけだ。すると、各家から働き手の男たちがゾロゾロと這い出してきて、すごい勢いでトラックの荷台に飛び乗るのさ。人数が集まると、乗り込んだ人間の安全など保証しないで、車は急発進する。荷台に乗った男たちは強い風を正面から受け、荷物にしがみつきながら、道行く人々に裸同然の己の姿を晒してね、そのまま農園まで運んでいかれ、たどり着いた瞬間に作業は始める。そこからは夕方までほとんど休憩時間もなく労働するわけさ。昼食は一応出るが、一本の焼きトウモロコシを六人で分けるような、重労働には見合わない貧しい食事だから、連中はいつも腹をすかしているね。市場で売れ残った出来の悪いみかんが倉庫に転がっていて、さすがにそれは好きなときに食べていいようだが、ここで働く連中にとってはこの世で一番見たくも食べたくもないような物体だから、口に入れることは絶対にないし、雇われ労働者同士で喧嘩でもしているときに遠隔武器代わりに使われる程度だろうね。家でもろくな物を食べていないわけだから、昼食にたったあれだけの粗末な食料しかもらえなかったら、身体に力が入らず、まともに働けないと、自分でも考えるわけだね。そこで、どれだけ手を抜けるか。どれだけ他の人間に自分の仕事を押し付けられるかということに知力のほとんどを使うわけさ。日が沈む頃、その日の賃料が支払われるが、一日中ほとんど誰とも口をきかなかった癖に、賃料を受け取る瞬間は、やれ俺の賃料が他のやつより少ないだの、あいつはあまり働いてなかったのにあんなに多くもらってるだのと騒ぎ出すわけさ。農園の管理者もこういう手合いは扱い慣れているから、いくら騒いだところで賃料が増えるということは絶対にないがね。しかし、それでも連中は毎日同じように騒ぐだろうね。一日の労働で使い切れなかったすべてのエネルギーをここで発散するかのように、やいのやいのと騒ぎ立てるわけさ。あまりにも汚い言葉で罵ったり、周りの人間と殴り合いを始めるような奴が出始めると、喧嘩をおさめるために農園の管理者は仕方なく交通費を免除してやったり、今日採れたみかんをいくつか土産に渡すわけさ。まあ、それでこの連中がおとなしく帰ってくれれば安いものだが、それも連中の駆け引きの一つだからね。ヘルズ地区の人間はどうすれば良民である管理人から働き以上の役得を搾り取れるかを長い底辺労働の反復から学んでいるわけさ。帰りは車で送ってもらえないから、連中は公道を歩いて戻ってくるわけだが、その途中で町の中心街に立ち寄って、若い娘にちょっかいをだしたり、果物屋に寄って、自分の不出来なみかんと高級オレンジをすり替えたりするわけさ。店側も一目でヘルズ地区の人間だとわかるから、犯罪行為を見抜いても、怖いから見て見ぬ振りだね。そうして、関係ない人達にも多大な迷惑をかけながら家路につくわけさ。まあ、心の一番奥底まで歪んでいるわけだね。農園側の対応も、労働者も、どちらもあれだけひどいと、環境が人を悪くするのか、人が環境を悪くしているのかは難しいところだが、とにかく、よくこれだけ人格の崩壊した人間たちを集めたもんだよ。逆に感心するね」
「つまり、元から悪かった人間が、そういう底辺の職場で働いているうちに、余計に悪い知恵をつけてしまったわけですね?」
「そうさ、今ここに住んでいるやつらは本当に意地汚い…。例えば、君たちのようにたまにしかここへ来ない観光客を狙って、警察官を装って近づき、『この地区は危ないから、観光が終わるまでお金を預かっておいてあげよう』などと言って財布を騙し取ろうとする小賢しい奴もいるんだ。だから、君はさっき僕のことを本物かと疑ったが、それは実に正しい感覚なんだ。僕はこの街の中央警察署に雇われている本物の警察官だが、そのことすら君たちは疑わねばならないんだ。僕の警察手帳だって本物とは限らないからね。吸血コウモリや強盗など、人間の大敵と呼べるものがこの地区には腐るほどいるが、本当に恐ろしいのは極度に人間不信になってしまう自分の精神状態なんだろうね」
「あなたは毎日ここへ来ているんでしょ? こんな地区で朝から夕方まで勤務してて、怖くないですか?」
僕は少し脅えながらそう尋ねた。
「もちろん怖いさ。恐ろしいよ。勤務していても、昼を待たずに手は汗でびっしょりになるし、見回りをする間に足も震えてくる。どこから腐ったみかんが飛んでくるかわからないからね。正義感という表面的な力だけでなんとか立ち向かいたいが、僕の正義より奴らの悪のパワーの方が何倍も強いんだ。警察官を多数配備すればいいと思うかもしれないが、何人いても無駄なんだ。奴らには社会常識が通用しないからね。威嚇も説得も通用しないんだ。上役には、どうせ警官を何百人配備しても、現実的に足りないから、あきらめろと言われ、何度上申書を出しても相方は付けてもらえず、実際に配備されているのは、いつも僕だけなんだ…」
ビヴラータさんはそこで一呼吸置いて、次に、周りにある汚い家家の庭などを指差してみせた。
「こんな廃れた地区でも一つだけ行事があってね。毎週日曜日の朝9時から道路や公園などの大掃除をすることになってるんだ。クリーンデーとか呼んでいるけどね。ところが、実際にその日の9時になっても誰ひとりとして外へ出てこないんだ。前日の疲労で寝てるだろうって? いやいや、そんな甘っちょろいもんじゃないよ。連中はわかっててさぼっているのさ。まず、各家庭に町を綺麗にする気なんてないし、住民同士の交流も全くないから、そんなに掃除をしたいのなら、自分以外の人間がやればいいと思っているんだ。他の地区だとそんな不謹慎なことを考える輩は一割か二割くらいだろうが、このヘルズ地区では全員がそういう手合いだから、道路や公園のあちこちにゴミが山積してるし、雑草は常に伸び放題なんだ。こういう不潔さが治安をさらに悪くしている要因なんだろうね。僕は9時に出てきて、当然、誰もいないわけだが、連中に手本を見せようと思ってね。炎天下の中、独りで黙々と草むしりをしてやったんだ。しかし、そんな健気な僕の姿を見ても、ここの連中は手を貸そうとしないんだ。窓からこっちを見て、せせら笑ったり、ひどいやつになると空き缶を投げつけてきたりするね。僕もしまいには頭にきて、『おまえらふざけろよ! クリーンデーをなめてるんじゃねえ!』って怒鳴りつけてやったが、それでも連中は、一応は僕に一目置いて身を隠したりはするが、外へ出てきて手伝うということは一切ないね」
「なんとか、ここの連中に法律やルールを守らせる方法はないんですか?」
「今のところ、手の打ちようがないね。やつらは金品にそれほど執着があるわけじゃないんだ。自分たちが食っていける程度のお金があればそれ以上はいらないと言う連中だからね。お金を持っているうちは絶対に働かないし、金に困るようになってはじめて朝早く起きたり、求人情報を見たりはするが、それでも考え方は普通の人間より下だね。他の地区では…、まあ、言いづらいが、警察が住民にお金を配ってしまって、手っ取り早く揉め事を解決してしまうというやり方もあるんだが、この地区ではその手は使えないんだ。ここの連中の不信感は極まっているから、理由のないお金は絶対に受け取らないんだ。その代わり法律も守ってくれないがね。ルールやマナーを守るかどうかはある程度個人の裁量に委ねられる部分もあるが、法律ぐらいはなんとか守って欲しいんだ。法律を無視してのトラブルは生き死にの問題に発展するからね。だが、連中はそのことを持ち出しても、『俺達には生まれながらに自然法がある。だから生き方は自由だ』などと小難しくて理屈っぽい言葉を持ち出して、議論をすぐに横に逸らして、肝心のこの国の法律やルールは守ろうとしないんだ」
「彼らに何か楽しみはないんですか? 人生が楽しくなるような趣味や教養を与えれば、少しずつでも人間らしい生活を好むようになるんじゃないですか?」
すでに、真っ暗になってしまった夜空を一度見上げて、何かをあきらめたようにため息を一つついてから、ロドリゲスはそのような質問をした。
「楽しみといってもね…。まあ、連中にも楽しみはあるが、一般の人の趣味とはまるで方向性が違うからね。例えば、他の地区に遊びに行って、オシャレな服を着て道を歩く人々を眺めながら、何をするともなくぶらぶらするわけだが、『関係者以外立ち入り禁止』と書かれたドアなんかがあると、喜んで中に入っていこうとするね。法律とは無縁の世界で生きる彼らには、禁止の二文字はなんの効力も持たないわけだね。外出せずにヘルズ地区に閉じこもっているときは、自分の家のゴミをわざと隣の家のドアの前に捨てるわけだね。そして、その家の住民が出てきてどういう反応を示すかを見て楽しむわけだ。まあ、大抵はその住民も一度は動揺を見せたりもするが、すぐ気を取り直して、また隣の家の前に捨てるから、巡り巡ってそのゴミがどこへたどり着くかはわからないが、とにかく、連中はそういうことをして楽しむわけさ。他には…、ご覧の通り、ほとんどの家はドアがついていなくて出入り自由だから、他人の家に無言で入って行って、かかってきた電話を勝手にとってしまう奴もいるね。他人のプライバシーを盗むのも彼らの趣味なんだろうね。草花を育てる奴もいるが、普通の人間は綺麗な花が咲く植物や、美味しい実がなる果物や野菜を育てるだろ? でも連中はそういう一般的な好みを持ってないから、あまり有益な実や花ができないサボテンやカポックなんかを好んで育てるわけさ。自分がひどくひねくれていることをアピールしたいんだろうね」
「ひどい…、野菜や果物には豊富なビタミンがあるのに…」
ラルセは疲れた表情を見せながらも、なんとか話に食いついているようだった。他の人間はすでに聞き疲れていて、もう誰も彼の話に反応しなかった。
「予備知識は大丈夫かね? 襲われて嫌な思いをしても、すぐあきらめがつくぐらいのサッパリとした気持ちになれたかい?」
僕らが虚ろな目でうなずいたため、ビヴラータさんもベルトを締め直し、靴の紐を結び直し、ヘルズ地区を進む準備を整えた。今日は朝からスパイに追い回され、町に降りてくると、おかしなおばさんたちに小ばかにされ、あげくの果てに謎の保安官に無駄話を聞かされるという過酷な一日になってしまい、あまりの疲労で、僕の意識はすでに朦朧としていた。ここへ来た目的もすでに頭から消えかかっていた。ここから先、目的地に着くまでの間に、もし何か理解できないものが出てきても、もう相手にしないで前に進もうと堅く心に決めた。
 街灯のランプはとうの昔に性格が歪んだ住民たちによって破壊されていて、光を放っておらず、使い物にならなかった。そこで、全く舗装されていない石と砂利だらけの不安定な道を、ほのかな月明かりを頼りにして、夜暗の中、進むほかなかった。中央道路に沿って少し歩くと、右側に小さな集会所が見えてきたのだが、僕らが眼を向けると、その屋根の上を黒いものがガサガサと動き回っていた。暗がりの中でわかりにくかったが、それは屋根の上で餌をついばんでいるカラスの群れだった。ラルセやブエナは、我々の中でも最もエリート意識が強いので、この貧しい地区特有のそういう寂れた光景を目にすると脅え、顔を強張らせた。
 保安官だから、暴漢が現れても、まさか自分だけは襲われまいという自負があるのか、それとも自己犠牲の精神からか、ビヴラータさんは中腰になり、懐中電灯で道端の暗がりの辺りを何度も照らしながら先導してくれた。普段は夕方までの勤務のはずだが、夜の出歩きにも慣れているようだった。
「ここの連中は怖がっている旅行者などを一番のカモだと思っているから、決して『怖い』とか『帰りたい』とか口に出してはだめだよ。自分に自信を持って歩いてくれよ」
自分も怖いくせに言っているからか、彼は顔を真っ青にして、時折身を震わせながらも、そのようなアドバイスをくれた。
「時間は遅くなっちまったが、かえって良かったんじゃないか? 事件当日の状況に似てきているじゃないか。真実にたどり着きやすくなってきたぜ。パレードの隊列も、あの夜、この道を通ったんだよ」
京介はまだ元気があるのか、それともあまりの恐怖で開き直ったのかわからないが、必要以上に楽観的だった。
「今、気がついたんだけど、ガンボレ祭のパレードの道順に毎年ヘルズ地区は入ってたっけ? 去年までは町の北部の大きな通りだけでやっていたような気がするんだけど」
僕は半狂乱の中で思い付いたことを口にした。
「おじいさんの家を襲うために今年に限って道順を変えたというのかい? もし、それが本当なら、誰が意図したことなのか、警察も動かないといけないだろうね」
「その陰謀に警察関係者も絡んでなければいいけどね…」
ブエナは無気味に笑いながら、小声で言った。
彼女に言われるまでもなく、事件が起きた直後だって警察は全く動いてくれなかったのに、いまさらこの事実を伝えたところで調査をしてくれるとは思えなかった。
「じゃあ、それも後で調べてみようね」
ロドリゲスが僕の肩を揺すり、一歩ずつ真実に近づいていることを印象づけるように力強くそう言ってくれた。
 足音もたてないようにそろりそろりと進んでいくと、左側はるか前方にようやくりんごの木商店が見えてきた。距離があるためぼんやりとしか見えないが、ここからは屋根も壁もしっかり見え、焼き打ちの惨事があったようには見えなかった。
「おい、ちょっと待て!」
みんなが商店に視線を向けていたとき、突然、そんなどす黒い声が左側の道路脇の家の中から聞こえた。
「ちょっと、下がって!」
その声の主がこの地区の住民の声だとわかると、ビヴラータさんがそう叫んで僕らを後退させた。やがて、ぼろぼろの家の中から半裸の男性が姿を現した。右手に配給品のビール瓶を持っていた。ラベルもまともに張られていないような、これでもかというくらい安い製品だった。上半身は褐色に日焼けしていて、頭髪は少なく、腰にバスタオルを巻いていた。足元を見ると、カラカラと安っぽい音をたてるサンダルを履いていた。この格好では都会には行けないだろう。いかにもヘルズ在住民というスタイルだった。
「ビヴラータさんよ、その子たちはひょっとして占い師さんかい?」
その男はかなり酔っているようで、ヘラヘラと笑いながら、僕らを指差してそう尋ねてきた。
「確かにそうだが、この子たちは、まだ見習いさんだよ。公演に来たわけではないし、おまえたちには関係ないから家に戻りなさい」
「いいよなぁ〜、占い師は…。うまくいけば将来は庭のあるでっかい家に住めるんだぜ…。かわいい嫁さんと結婚してさ…。俺も小さな頃は占い師に憧れてたし、何度か占ってもらったこともあるんだ…。『人生はそんなに思い通りには進まない』って言われたのを覚えてるよ。子供の頃は良かったよなあ…。何を空想しても自由だった…。今はもう、思ったことを口に出しただけで叩かれる世の中だ…」
男はそう言いながら、酔っ払い特有の怪しい動きでさらにヨタヨタと近づいてきた。男の口からはとめどないアルコール臭がして、嫌な予感しか感じない状況だった。
 危険を察したのか、ビヴラータさんが僕らと男の間に身体を割り込ませ、男の胸をドンと突いて制止させた。完全にこの地区を支配しているかのような威厳のある態度だった。僕らは恐ろしさのあまり身を寄せ合って座り込んで、ことの成り行きを見守るしかなかった。
「ビヴラータさん、俺がこの地区の住民だからって邪険にするなよ。あなたが見張っている限り、何も悪いことはしねーよ。ただ、ちょっとその子たちとお話ししたいだけだ」
「だめだ、家に戻りなさい。この子たちはりんごの木商店に用事があるんだ。君には関係ない」
「りんごの木商店だって? あのじじいに用があるなら無駄足だぜ。ガンボレ祭の日に官憲に捕まっちまってな。太い縄で縛られて、どこかへ連れて行かれちまったよ…。あの商店は燃やされたし、今は多分無人だぜ」
「じいさんを捕まえたのは本当に警察だったのかね? 私はそんな話は聞いていないが…」
ビヴラータさんは警察の立場からそう聞き直した。
「警察だったかって…? そんなこと言ったって、あんたもよく知っている通り、こんな地区だから、実際に事件を見た奴も本当のことは言わないだろうし…。そのぐらいわかるだろ? 昨日は正しいこと言っていた人間が、翌日は平気で嘘をつく世界だ。本当のことを言い続けなければならない義務はここにはない。この地区に一台しかないラジオが情報源だから、それを持ってる隣の家との境界の壁に耳を押し付けて、どんなにそばだてても曖昧にしか情報はわからないし…、どんな偉そうに正論っぽく語られる噂話だってみんな話半分で聞いているのさ。それに…、だいたいあんたは…」
酔っ払いはそこで話を止め、警官からとっさに視線を逸らした。長い話の間にビヴラータさんの視線がきつくなってきたので話を終わらせたらしかった。彼は、『あんたは…』と言っていた。その言葉のあと果たして何を言いたかったのだろうか? 僕はビヴラータさんの顔を一度仰ぎ見た。
「あの商店が祭りのパレードの時に焼き打ちにされてしまって、店主のじいさんはどこかへ連れていかれたという目撃証言があるから、この子たちが学校を代表して調べに来ているんだよ。もし、本当だったとしたら大事件だからね。この子らの認識はあっているかね?」
「あのじじいはやりすぎたんだよ…。いくらヘルズ住民だからって、すべての勢力を敵にまわしちまったら、さすがに無事に生きてはいけねーよ。この町にはそれこそいいも悪いもたくさんの勢力がある。警察や生徒会みたいに表向きだけは真面目に活動する勢力や、ヘルズの一部の連中が作る団体みたいに根っこから腐ってるのもある。だけど、眼には見えないが、もっととんでもない人間の集まりだってあるんだ。休日はスポーツで汗を流し、夕食には家族で手づくりのカレーを食べるのが習慣になっているような一般の人間だったら、一生目にする機会がないような、とんでもない理不尽な勢力だ。ビヴラータさん、あんたには説明する必要はないだろうがね。そして、各勢力にはバランスってものがあるからな。この地区のルールやしきたりにだって、それぞれの組織のテリトリーによって細かく決められている。まあ、ヘルズの住民なら法律は無視してもいいだろうが、この地区にだって仲間内の約束事や細かい規則が山ほどあるからな。どれを守って、どれを無視するかの判断は人によってそれぞれさ。俺だって、商店街の連中には唾を吐いても、警察にだけは逆らわないようにするとか、各自でそういう区分けをしているからな…。ところが、あのじいさんはこの町のありとあらゆる勢力に背を向けていた。まあ、そのけれんの無さを尊敬していた奴も少なからずいたようだが、あれじゃあだめだよ。長生きはできない。この辺に住んでいるほとんどの奴が、彼はああいう最後を迎えると思っていたんだ」
「おまえは商店が焼かれる瞬間を見ていたかね?」
「大酒を飲んで寝ていたから、炎が上がったところは見なかったが、今年の祭りはやたら騒がしかったから、壁や床がギシギシと揺れて寝心地が悪かった。それに悪い夢を見ちまって眠れなくてな。起き上がってみたら、部屋の中が少し焦げ臭かったから、外へ出てみたんだよ。するとどうだ、あの商店はすでに黒焦げだったよ。中央の柱だけが残されていたが、その商店の燃えカスを何人かの男がノコギリで解体していたのを窓から見たよ…。さすがにやりすぎだとは思ったがね…」
「では、おまえ自身は誰が火を放ったかは見なかったわけだね?」
「見なかったよ。かなり酒を飲んでいたから、視界が定まらなくて…、どんなやつがいたかも全然おぼえてないよ。ただ、店を取り囲んでいたのは、この町の住民のやつらだけじゃなかったな。これ以上は言わない方がいいだろ? 多分、この会話もあいつらに聞かれてるし、こんな俺でも日々の労働を終えた後の寝酒を楽しみに生きているんだ。まだ、じいさんみたいにはなりたくないね」
「わかった。聞きたいことはそれだけだ。さあさあ、家に帰ってもう寝なさい。明日も仕事で早いんだろ?」
「待ってくれよ。俺の未来を見てもらおうと思って声をかけたんだ。そこの占い師さんと話をさせてくれよ…」
「おまえさんの未来なんて見ても無駄だよ。見ないほうがいい。十年後の自分の姿なんて見てしまったら、楽しく生きられなくなるぞ」
ビヴラータさんは最後にそう言って、男の背中を支えながら元の家まで送っていった。酔っ払いは未練があるようで、何度もこちらを振り返っていた。
 他にも何人かの住民が家の中からこちらを覗き見ていて、家の外へ出てきたいようだったが、ビヴラータさんがいるためか躊躇しているようだった。彼と出会えたことは僕らにとって良かった。もし、彼がいなかったらああいう手合いを何十人も相手にしなければならなかっただろう。

10
11 12 13 14 15 16 17 18 19 20


アラブ系千葉文庫へ戻る