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(2019年7月15日掲載,同年8月19日,同年9月21日,同年10月1日追記)

 


 

狙撃兵運動とフィンランド内戦について

 1899年,工場労働者,農地を持たない貧農,下級ホワイトカラーが社会民主党の前身,フィンランド労働者党を立ち上げ,政治の世界に打って出ます。1906年に一院制議会が創設され,翌1907年春,普通選挙が行なわれた結果,社会民主党(1903年改称)が圧勝し,第1党に躍り出ます。それまで身分制議会を牛耳っていたブルジョワジーにしてみれば,心穏やかではありません。

 1908年から第2次抑圧の時代に入るとブルジョワジーと労働者・貧農,すなわち持てる者と持たざる者との対立が先鋭化して,1914年頃から85人,翌年には218人,翌々年には427人と倍々の殺し合いに発展します。

 警察力は信頼されず,そこで各地に,それぞれの自警団が結成され,これが後の赤衛軍,白衛軍に発展しますが,白衛軍を支持するブルジョワジー,なかんずく大学生の中からロシアに対峙できるしっかりした軍事組織をフィンランドに根付かせるため,ロシアの目をくぐって有志を募集し始めます。集めた志願者を秘密裏にドイツに送り,狙撃兵隊を組織し,ロシアからの独立を確固たるものにしようとしたのが狙撃兵運動です。

 この「狙撃兵運動」と「それに続くフィンランド内戦」について見ていきましょう。

教育庁とエイラ成人向け高校が作成した歴史教材から

高校の教科書「フィンランドの歴史の転換点」その1

高校の教科書「フィンランドの歴史の転換点」その2

「フィンランド内戦の小さな巨人」の「狙撃兵運動」について

★ 多く労働者の支持する政党SDP(Suomen sociaalidemokraattinen puolue フィンランド社会民主党)の記事から

★ 工業都市,タンペレ市にあるタンペレ大学歴史学科の学生と教員団の研究レポートから

戦争博物館の展示記事から「狙撃兵運動と内戦」(1)について

戦争博物館の展示記事から「狙撃兵運動と内戦」(2)について

★ 退役軍人会のホームページの狙撃兵運動について

★ 第27狙撃兵大隊伝承協会のホームページの狙撃兵運動について