荒尾東遺跡

大垣市桧町を通る21号線の北、東海道本線の南側に位置する
「荒尾南遺跡」の発掘が始まって6ヶ月
2006年11月18日に現地視察会がありました

17万u(ナゴヤドーム2個分)という県下第一の大きな遺跡です
国道21号線が通るときに、第1回目(1994年)の発掘がありました

「東海環状線のジャンクションがこの地域を通るため
工事が始まる前に」ということで今回は2回目(2006年)の発掘です

遺跡の発掘現場を訪れるのは初めてですので
私は心弾ませて出かけました

現地説明図 現地の説明図

弥生時代の古墳や生活分布図(一部)

「荒尾南遺跡」は弥生時代の遺跡なのです

弥生前期〜中期に方形周溝墓があったところに
(ボタン色の場所)
弥生末期〜古墳前期には
住居を建てて住んでいる様子がわかります
(青い場所)


完全な形で発掘された方形周溝墓の写真 隣り合わせの4軒の竪穴住居 共同の井戸
完全な形で発掘された方形周溝墓
縦 6.5m、横 6m
方形の周りを掘った溝の土を盛り上げて
お墓を作りました
3世代くらいで使ったそうです
これで4軒の竪穴住居です
2〜4m 四方の住居には
一家族4〜5人が生活しました

完全な核家族です
親家族はお隣に住んでいたのかもしれません
井戸
50cm四方位の「炉」は各家の中央にありますが
井戸は共同でした
洗濯等は川で、したのでしょう
気温は今より低めですので
冬には雪が降り、寒かったことでしょう

発掘作業をする人




発掘に使われる道具類




発掘作業をする人 発掘途中の土器
遺物を傷つけるといけないので
「しゃもじ」や「シャベル」など小さな道具を使って
2〜3mmずつ丁寧に土を削っていきます
とても根気の要る作業です


弥生中期の大きな壷が
全形のまま見つかりました
縦 30cm、 横 30cm
壷の中には土が詰まっています
壷はとても柔らかいので
どうやって取り上げるのかが
課題だそうです


現在の地面の高さと弥生時代の人が生活していた地面の高さはあまり変わりませんね 時代の流れがわかります 竪穴住居跡
この地域、発掘前は水田でした
稲作をしていた場所を30〜50cm掘るだけで
弥生時代の人々の
生活の跡やお墓の跡が出てくるなんて
すごいなと思いました
(人が立っているあぜ道と比べてみてください)
方形周溝墓(左奥)や土器棺(真ん中)
(土器を二つ合わせて葬ったお棺)
の横には、竪穴住居跡があります

弥生前期〜中期に、方形周溝墓があった場所に
弥生後期〜古墳前期の人々が
竪穴住居を建てました

竪穴住居跡
4m四方位の大きさでした
4本の柱の位置がわかります


中央に炉があり
一家4〜5人が生活しました
ていねいに、丁寧に発掘された遺跡ですが
写真に撮ったり計測したり、記録が終わると、埋め尽くされるのだそうです
完全な形で発掘された方形周溝墓だけでも
どこかに保存されると良いのになあと思いました


出土された土器類・遺物展示場の展示品より
弥生中期の土器




砥石




第一期工事で発掘された土器の写真




壷の一部




弥生土器・壷・中期。方形周溝墓から出土しました
土抗墓から出土した茶碗2個(古墳前期) 弥生土器の一部(甕・中期)。煮炊きに使用されたと推定されます 弥生土器・壷・中期

模様のライン

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