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「美味しい!」が好き 特別編 第十回

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2005年04月28日(木)

1話 赤酒


実は、「赤酒」を購入したのは、記録によると2000年の5月。
それから、月日の経つのは早いもので、5年も未開封で置いてあった。
どう使ったら、一番良いのか良くわからず、放ったらかしになっていたものだと思う。

で、この度、味醂が切れたので、筍の煮物と卯の花に使ってみた。
(何と、賞味期限2001年5月で、賞味期限が切れて4年も経っていたが、舐めても、味醂と同じ味がして、おかしくなっていなかった。)

使ってみたら、なんともいえないまろやかな甘みと旨みがあった。

「赤酒」について簡単でわかりやすいページ←ここをクリック。

「赤酒」について詳しく書いてあるページ←ここをクリック。

「赤酒」は、味醂と殆ど同じ成分だが、発酵しているそうだ。
そう聞くと、あの「なんともいえないまろやかな甘みと旨み」は、発酵しているからかなと思うが良くわからない。

「赤酒」は、720ccで500円くらいなので、見つけたら、買ってみて損はないと思う。

何ともいえない「まろやかな旨みと甘み」の他、味醂と違って、アルカリ性なので、魚やお肉などの動物性蛋白質に使っても、蛋白質を硬くしないという特徴もあるとのこと。

欠点は、余り売っているお店が少ないこと。
私は、池袋西武のお酒売り場で購入した。



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2005年04月29日(金)

2話 筍と蕗とがんもの煮物


母が得意であった「筍と蕗とがんもの煮物」を作ってみた。
このお料理は、それ自体は簡単だけれど、筍と蕗をまず下煮しなくてはいけないことが面倒だ。

しかし、筍と蕗の味も、「春」を感じさせてくれるが、筍や蕗を茹でて、水をじゃぶじゃぶ使って、水の中に手を突っ込んだり、水でさらすなどということを楽しくできることにも「春」を感じる。

蕗を茹でるのは楽しい。
蕗をお鍋に入るくらいの長さに揃えて切り、塩をまぶして、まな板の上でゴロンゴロンするように板すりをしてから、熱湯で2,3分茹でる。
本によると、弓なりになったら、茹で上がりだそうで、茹ったら、冷水に取り、一番外の皮を剥く。
一番外の皮を剥くと、蕗は、透明感のある緑で、本当に綺麗で、春を感じさせる色。

筍と蕗の下煮は面倒だが、前日や前々日に処理して、水に浸けて、冷蔵庫に入れておけば良いみたいだ。

さて、筍と蕗の煮物だが、母はどうやって作っていたのだろう。
母の煮物はまず炒めてから煮ることが多かったし、味出しのために鶏肉が入っていたような覚えがあるので、私も筍と鶏肉を油で炒めてから、出汁と調味料を入れた。
(筍を油で炒めるのは、水っぽい材料から水を蒸発させる効果があるから、外れていない処理だと思う。)

参考にしたのは、婦人之友社の「野菜料理U」。

分量は、大体であるが、茹でた筍200g蕗150g出汁300cc、醤油大さじ1、塩小さじ1砂糖と味醂大さじ1〜1+1/2

私は、まず、筍と鶏肉を炒めて、筍の表面が乾いた感じになったら、だしを入れた。
そして、そこにがんもも入れて、10分煮る。
10分したら、食べ良い長さに切った蕗を入れて、10分煮て、最後味を見て、整えて煮るのは終わり。
そのまま置いておいて、味を含ませ、出来上がり。

結構、美味しくて、余った蕗や筍も足して、結局買って来た蕗や筍全て、この煮方で食べてしまった。
しかも再度同じ料理を作った。(二回とも、人におすそ分けというか、食べてもらったが)

筍と蕗を下茹でしたりすると、色々な料理を作ろうという気が起きないみたいだ、一種類で十分。



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2005年04月30日(土)

3話 焼きたけのこ


MLで、新鮮な筍が手に入る話をしたら、「少なくとも、掘った次の日の筍でなくては味わえない焼きたけのこ」という料理の存在を教えてくださった方がいた。
普通は、朝堀の筍が手に入った場合は、私みたいに煮物なぞにしないで、焼き筍を作るのが通のようであった。

そう聞くと、今度また浅草橋で朝掘りの筍が手に入ったら、是非、作ってみようと思う私であった。
東京の台東区に住んで、竹林を持っている親戚もない私が、これから先、朝掘りや新鮮な筍が手に入ることの方が考え難い。
入手できるときに、是非、やらねば、食べてみなくてはと思ってしまった。

焼きたけのこと言っても、焼いたものを食べるというよりは、皮ごと焼くことにより、たけのこの持っている水分で蒸し焼きになったものを、刺身のようにして食べるらしい。

そして、まずは、焼き方が良くわからなかったので、ネットで検索して研究してみた。

焼き方は色々あるが、要は、「皮を剥かないで、蒸し焼きにするのが焼き筍」で、出来上がりは、「竹串を刺して、すっと通ったら、火が通った」と言うことらしい。

そして、次の日の朝、浅草橋の野菜スタンドに行くと、また大量に筍があるではないか。
どうも、その社長さんは、サービス精神旺盛で、お客さん皆に喜ばれたのか、その日から毎朝、早起きして掘ってくるようになったようだ。

前日、だいたいこんな感じで焼いたらできるかなというイメージができていたので、ビールの中瓶くらいの筍を買ってきて、お昼休みに焼いてみた。

最初は、二重のアルミ箔に包んで、オーブントースターに入れてみた。
しかし、私のオーブントースターは、上限何度だか分からないのだが、サーモスタットが付いていて、一定高温になると、電気が切れてしまう。
どうも、これでは焼き上がりまでに時間がかかりそうだと思ったので、急遽、鍋と蓋とも厚い鋳鉄というお鍋で焼くことにした。
お鍋の中にアルミ箔に包んだたけのこを入れて、鉄の蓋をし、弱火で焼いたが、中々焼けない感じだったので、途中で、アルミ箔をはがし、火加減も中から強にした。

そうしたら、たけのこの皮が焼ける匂いがしてきて、これがまた、なんとも言えず良い匂い。
この匂いだけでも、焼きたけのこは、やってみる価値があると思うくらい、皮の焼ける匂いは、本当に香ばしい春の香り。
(そうだ、皮を焼く匂いだけなら、そんなに新鮮ではない筍の皮だけ、焼いてみたら、嗅げるかも)

たまにひっくり返したり、竹串をお尻に刺してみたりしていた。
焼けて来ると、筍の皮の中で、水分がじゅくじゅく言っているのが分かる。
熱で、筍の水分が熱せられて、出てきているのだ。
少し固めだったけれど、その段階で取り出して、粗熱が取れてから剥いた。

二つに割って、薄切りにしてみる。
余り味はしないけれど、やはり、水煮にしたものより、水っぽくない。(当たり前だが)

ちょっとえぐみを感じるけれど、朝掘りだからこそ、「えぐみを少し感じる」程度で、無理なく食べられるものなのだと思った。
本当は、香りが素晴らしいらしいが、私は鼻の機能が余り良くないので、良くわからなかった。

その日の夜、次の日の夜、薄切りしにて、わさび醤油でいただいた。
気のせいかも知れないけれど、薄いなりの味でも、二日目の方が落ち着いて美味しいような気がした。

自分で無手勝手に作った焼き筍であるが、ちゃんと筍のプロが作ったものを一度味わってみたいと思った。

来年、また、朝掘りが手に入ったら、作るかと言えば、筍の皮が焼ける匂いがかぎたくてまた作ると思う。



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2005年05月01日(日)

4話 異性観


先日、チャールズ皇太子とカミラさんの番組を見た。
以前から、どうしてチャールズ皇太子は、ダイアナ妃ではなく、カミラさんがいいのか、不思議であったが、番組を見たら、謎が解けた。

チャールズ皇太子は、エリザベス女王の第一子だけれど、国家君主であるエリザベス女王は「母親業」を行う時間もないし、貴族の通例に沿って、母親は子供を育てず、のチャールズ皇太子専門の一人の乳母がチャールズ皇太子をずっと育てたとのこと。
そして、いくつの時だったか忘れたが、エリザベス女王の夫君と乳母の間に教育方針の違いがはっきりして、その乳母は、突然、解雇され、チャールズ皇太子の元を去ったと紹介された。
結局、エリザベス女王とチャールズ皇太子は、実の親子ではあるが、チャールズ皇太子にとっての「心の母」はその乳母だけであり、その乳母が突然消えてから、彼は家庭内に自分の心の拠り所を失っていたのだ。
そして、その乳母の写真が紹介されたが、カミラさんそっくりの人であった。

以前、読んだ小説でも、異性を好きになるとき、「小さい頃や赤ちゃんのときに味わった幸福感を思い出すような出会いは、良い出会い」であると書いてあった。

人間が大人になってから、自分が幸せになれるような人を選ぶ、好きになる、受け入れるというのは、本当に小さなときに刷り込まれた記憶によるところが大きいのかも知れない。

卑近な例で申し訳ないが、私は、今、おじさんフレンドと付き合っているが、実は、彼と一緒にいるときに、ある「小さいときに味わった幸福感」を思い出すところがあるのだ。
それは、付き合い出した頃に思い出したのだ、「そうだ、おじさんフレンドと会っていると、あのときの感じに似ている」って。(本人にも話してありますが、きっともう忘れているでしょう)

それは、何かと言うと、「おじさん猫」との思い出である。

私は、幼稚園の頃、小児リウマチにかかり、幼稚園を数ヶ月休んで、家で一人で寝ていなければならなかった時期があったのだ。
その時、親はお店があって、子供に付きっ切りということは不可能だったし、一人で部屋にいなくてはいけない私が可哀想になったのだろう、直りかけの頃、私の遊び相手に子猫を一匹連れて来た。

私は、猫に夢中になって、可愛がり、話しかけ、面倒を見た。(きっといじめもしたのだろうが)
どのくらい可愛がったかというと、私は「猫語」がわかると言われていた程。
大きくなって、友人に自分の小さい頃の話をしたら、「あなたが小さいとき、家で、心を開いていたのは、猫とおじさんだけみたいに思う」と言われたこともある。(叔父は、父の弟で、家で一緒に暮らしていた)
親は忙しくて、私と本当の意味の心の交流は難しく(心の交流は、時間と心の余裕がなければ、難しいのだ)、できなかったが、猫は言葉は通じなかったが、私が親身になって可愛がれば、それなりになついてくれて、心の交流ができたのだと思う。

猫を飼うことは、その後、私が社会人になっても延々と続いた。
どういうわけか、猫は、自分の死期を悟るか、何か不満があったときなのか、わからないけれど、数年すると、忽然と消えることが多かった。
子供を生んでしまうと大変なので、もらってくるのは雄猫だけ。
猫を飼わなくなったのは、初めて、飼い猫が家で死んだからであった。

我が家で飼う猫は、所謂「可愛い猫」も、1,2度いたように覚えているが、殆どは、「可愛い」という言葉から程遠い、図体と頭が大きくて、愛想もないようなおじさん猫ばかり。
もらってきたときは、子猫でも、すぐに若者を飛び越して、皆、直に、私より先から生きているような感じのおじさん猫になってしまった。

ドテドテ歩き、ふてぶてしく、食べ物を催促する「ニャ〜」という声には、「おなか空いたよ、欲しいよ〜、早くちょうだいよ!」という可愛気よりも、「俺は欲しいんだよ、早くよこしな!」というような凄みがあり、外から帰ってくると、何も言わずに、「俺様は外で遊んで来て、疲れた、撫でろ」と言わんばかりに、私の横にドテっと音を立てて寝転ぶような猫たちであった。
そんな猫でも、私とは心が通って、私は、「あんたは偉そうね〜」と言いながら、撫でてあげたりした思い出が沢山ある。

一度、猫に向かって、「あ〜と言ってごらん、あ〜」と言ったら、本当に真似して「あ〜」と言った猫がいたのだ。
私はまさかそんなことが起きると思わなかったので、びっくりして、「本当に言った!」と言って、嬉しくなって笑ったら、その猫は気分を害したような顔をして、二度と「あ〜」と言っても答えてくれず、「ふん」とした顔をするようになった思い出もある。
でも、そのことを思い出しても、猫たちと私は、心が通っていたのだと思う。

今、付き合っているおじさんフレンドは、昔ラグビーのフォワードだったというだけあって、体が大きく、頭が丸い。(そうだ、首も太くて短いから、おじさん猫っぽいのかも)
そのおじさんが、私の隣で、私に心を開いて、自分のペースでしゃべり、居心地良さそうにしていると、ふと、「昔、私が子供の頃、こういう図体が大きいおじさん猫が、こういう風に、私の隣で、私に心を許して、ゴロゴロ気持ち良さそうにしていた」ことを思い出すのだ。

それは、もしかしたら、私の幼児のときの「最高に心を和ませた穏やかな幸せの風景」だったのかなと、おじさんフレンドが出現してから、気づいた。
私の異性観は、あの小さい頃から飼っていたおじさん猫たちとの交流で、運命付けられていたのだ、実は。

本当は、もっと格好良い人や食べ物の趣味が合う人と付き合いたい気もするのだが、結構、心のプリミティブなところで、「私の小さい頃の幸せ」を思い出させてくれるところがあるせいか、長々と付き合っている。



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2005年05月02日(月)

5話 卯の花その後


おからを煮る時に、帆立の水煮缶の汁を使ったら、うまく行った話を書いた。
そのときは、御徒町多慶屋で購入した買い置きの「帆立の割り身缶」を使っていて、価格のことを考えていなかった。
何となく、そんなに高くなかった記憶はあったものの、いくらで買ったのか、忘れていた。

で、色々なところに買い物に行ったときに、帆立の全重量70g、固型部分45gの缶の値段を見るようにしていたら、結構高いものだと気づいた。

買い置きがなくなったので、多慶屋で再び購入したのだが、3缶で410円だから、1缶140円弱。
しかし、これは本当に最安値というか、オンリーワンの最安値かも知れない。

普通のスーパーなどで見ると、だいたい割り身とかほぐし身というような缶でも、1缶380円くらいで売られているようなのだ。

そんなつもりはなかったが、多慶屋が近所にない人が私の卯の花を作ろうと思ったら、結構高い料理になることがわかった。
それも2缶も使ったら、そりゃあ、本当に高級卯の花になってしまう。

アサリ缶だったら、安く手に入るかと値段を見て歩いたが、私の見て歩いた範囲では、アサリ缶も結構高くて、帆立缶と同じような感じであった。
(御徒町多慶屋には、残念ながら、アサリ缶はなかったと思う。)

その後、2度、卯の花を作った。

一度目は、200gのおからに、帆立缶1缶入れたのだが、やはり、味が足りない。
お客様用に作っていたこともあって、もう1缶開けて、汁だけ卯の花に足し、身は、冷凍させた。

その次の我が家用に200g作るときには、やはり、これ以上、冷凍庫に、帆立の身を増やしたくないこともあり、どうにかして、一缶で美味しくできないか考えてみた。

私の頭の中に「塩の役割には、塩味をつけるということ以外に、物の味を引き立てるという役割がある」という知識が浮かんできて、塩味を感じない程度に塩を入れてみようと思いついたのだ。

本当に少しずつ、一つまみより相当少ない感じで、塩をバラっと混ぜては味見する。
それを数回繰り返して、「塩味は感じさせずに、味ははっきりさせる」ことができたと思う。

帆立缶は、安売りなぞのときに買いだめするとか、使って残った汁は捨てないで凍らせる等して、是非、安く使いまわしてください。



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2005年05月06日(金)

6話 15分間の八王子見物


おじさんフレンドがこの半年色々忙しく、日帰り温泉には行けないでいた。
そろそろ、おじさんフレンドの生活も落ち着きそうになり、連休には、久々日帰り温泉に行くことになった。

おじさんは、5月2日の月曜日、平日に八王子に行く用があるとのこと。
それに便乗して、奥多摩の温泉に行こうと言われた。
私は連休の狭間のその日は、酒屋を営業するつもりでいたが、開いたところで、余り売れないし、そんなにお客さんが来ないと想像できるので、すぐに臨時休業して温泉に行く話に乗ることにした。(嘘でも「お店、お客さんに迷惑だから休めない」と言ってみたい<笑>)

お昼過ぎに、出発して、首都高速から中央自動車道を通って、八王子インターへ。
八王子インターの出口は緑がいっぱい、とても気分が良い。

その後市街地の方に向かい、八王子の中心部なのだろう、八幡町という交差点近くで、おじさんが用を済ませるまで、10分か15分、一人でフラフラするようにと、車から降ろされ、放し飼いになった。

交差点を曲がり、商店街があるという方向を見ると、「呉服のデパート、荒井」という大きな看板が目に入り、「あ、あそこが松任谷由実の実家だ」とすぐわかった。

その前を通り過ぎると、今度は昔風の大きな陶器屋さんがあった。
色々な商品の名前を天井からぶら下げて、ただ広い店内を沢山の陶器が5客単位であろうか、縛られて、並んでいた。
飾ってあるというより、置いてある感じ。
ここもゆっくり見たら、面白そうと思う。
しかし、私の放し飼いの時間は、15分程度と聞いていたので、外から眺めただけ。

次には、伊勢屋という大きな和菓子屋さんがあった。
そこは、行列はなかったが、店員さんの数もお客さんの数も多く、繁盛しているお店であることが明らかであった。
建物もケースも古く、女性の店員さんたちは、地味な上っ張りの制服を着ており、何となくレトロな感じ。
ケースの中を覗くと、おいなりさんが50円で、かんぴょうの海苔巻きが90円、「あれ?海苔巻きの方がやたらに高い」と良く見ると、海苔巻きは、一本90円であった。(これは安いと思う)
我が家の方と違うのは、おいなりさんや海苔巻きが入っている入れ物が、ほうろうのパットであったこと、我が家の方は、金のお盆に入れている店ばかりなので、何となく、「所変われば、違うものだ 」と思った。
他にも、大福や季節の柏餅が並んでいた。
古くからのお店で、今でも愛されている感じがひしひしとするお店であった。

その伊勢屋があるところの信号が八日町で、それを右前方に進むと、確か、駅に続く道であった。(昔々、その道は一度歩いたことがあった。)

で、そちらに進むとまず目に入ったのは、右側のかつお節屋さん。
このお店は、建物自体が新しくてきれいな作りで、看板に大きく江戸時代から続いているかつお節屋さんであることがわかった。
昆布、かつお節、削り節、品が良さそうな乾燥した豆類が揃っていた。
端の方に、私が築地で買う羅臼の切れ端の小さな袋詰めがあり、高級なものばかりでなく、日常心おきなく使えるようなものも売っている姿勢が好ましかった。

15分で見た八王子は、北千住と同じで、江戸時代の宿場町で、昔からの古い町であり、生活を大切にし、楽しんでいる人たちが暮らしていることが感じられる古いお店があって、好感が持てた。



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2005年05月07日(土)

7話 何故か、スーパー銭湯


予定では、八王子で用を済ませた後、山梨の丹波山村ののめこいの湯、もしくは小菅村の湯に行く筈であった。
インターネットで色々調べたが、丹波山村は八王子から青梅街道経由で62km、大月インターからだと30km強だったから、1〜1.5時間で着くのではと思っていたのだ。

それでも、我が家の方からだと遠過ぎるかもと思い、「もえぎの湯」という八王子から比較的近い東京都にある温泉のことも調べて、資料を用意していた。

しかし、八王子で、おじさんの知り合いに聞いたところ、八王子から丹波山村までは、2時間はかかると言われ、断念。
そんなに時間がかかるとは、距離的には近そうだが、山道で上っていく道だからだろうか?

運が悪いことに近場と思える「もえぎの湯」は、その日は定休だと分かり、これもだめ。

どうしよう、どうしようと、車を八王子の中心部から、インターの方に走らせていると、急に「湯楽の里 直進8km」という看板が見えた。
そうなのだ、最近、日帰り温泉はブームで、雑誌や本で探しても情報が古い、インターネットで情報を集めた方がまだ新しいが、それでも拾えない情報はある。
東京郊外では、まだまだ新しい日帰り温泉センターが続々とできているに違いない、そこは、その一つであろうと思った。

しかし、ずっと直進したのだが、「湯楽の里」は見えて来なかった。

とうとう、昭島の駅の方に出たみたいだが、「湯楽の里」という名前以外は、住所も電話番号も知らないので、相当迷ってしまった。
昭島の駅前でタクシーの運転手さんに道を聞いたら、昭島の駅から近いとのこと、道を教えてもらい、ようやく辿り着いた。

色々迷っているうちに、そこは、昭和記念公園の端の方で、玉川上水の上流らしく、降りては見なかったが、とても良い散歩コースのような風景も見え、中々良さそうなところであった。

辿り着いてみたら、そこは、温泉ではなく、スーパー銭湯「湯楽の里 昭島店」であった。
贅沢は言ってられない、設備の悪い温泉より、設備が良くて新しいのなら、銭湯の方がいい。
そこは、真新しい施設であることは、明らかであった。

でも、平日に行ったせいか、混んでいるという程ではなかったし、設備も、お風呂は、内風呂4種類に露天風呂も4種類くらいあって、楽しめた。
お風呂上りにごろ寝するところもあったし、中々良い施設という印象を持った。

セルフサービスの食堂は、午後3時近くにお昼を食べるという、おなかの空いた状態だったので、何でも美味しく感じられ、熱い物は熱く、冷たい物は冷たく、中々良かった。
そして、私設の温泉ランドにしては、公営の食堂のような品揃えで、セットにして高い値段のものより、単品で安いものが多くて、利用しやすかった。

お風呂上りに、ソフトクリームを食べて、出てきた。

私がリラックスするにはこの程度で十分なのだ、高速乗って、知らない町をウロウロして、お昼食べて、お風呂入って、ゴロンとして、ソフトクリーム食べれば、とても心と体が和やかになる。
(このスーパー銭湯は、平日一人650円だし、私のリラックスは非常に安上がり)

温泉でなくてもいい、スーパー銭湯でもいいから、もっと頻繁に、日帰りお風呂旅行できたら、嬉しい。
おじさんフレンドの生活が早く元通りになるのを祈るばかり。
(同性ではなく、おじさんとお風呂に行くと、食事は一緒だが、お風呂場では分かれるので、理想的。)

「湯楽の里 昭島店」は、新しくてとてもきれいだし、混んでなかったら、安いし、とてもリラックスできて、お勧め。(女性用のゴロ寝コーナーは7人しか横になれないので、ちょっと狭いけれど)



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2005年05月08日(月)

8話 浅草橋の立ち飲み屋


ある日、浅草橋のいつも行く、確か、津な八という名前だったと思うが、2,3度行ったことのある立ち飲み屋に行ったのだが、お休みであった。

どうしても、おじさんフレンドが、立ち飲み屋が良いとのことで、一度、どっちの料理ショーに出ていた「西口やきとん」に行ってみた。

このお店は、浅草橋西口を出て、線路沿いに秋葉原に向かうとすぐ大通りの信号があって、それを渡って、右に曲がると、1つめの角が焼き肉屋で、その路地を入ってすぐの右側。

お店は、立ち飲み屋だし、炭火で焼き鳥を焼いているせいか、戸というものがなく、全てが丸見え。
奥行きがすごく深くて、奥半分には、テーブルと椅子があり、皆、座ってお酒を楽しんでいた。
手前は、調理場と立ち飲みスペース。

値段は安くて、豚と鶏、野菜の焼き鳥が1本100円、その他殆どが100円だが、物によっては150円というものもあった。(最高は150円のようである。)

このお店の特徴は、「結構幅広い層の人が飲みに来ている感じ」だと思う。
客筋が一定ではなくて、いかにも立ち飲み屋が似合いそうなサラリーマン、似合わないと思えるサラリーマン、いかにも地元民というおじさん、若い女性2人組、デザイナー系と思われるサラリーマン風の人、そして、一人でお酒を楽しんでいる男性や、男性だけのグループではなく、女性も混ざったグループも多かった。

狭い店内でざわざわしていたが、安くて、懐の心配なしに落ち着けるのか、皆、おしゃべりして楽しそうだった。
仕事が終わって、皆と軽く一杯というのは、楽しいんだよね。

食べ物は、まあまあというところか。
値段が値段だから、そんなに美味しいという焼き鳥でもなかったし、炭火で焼いたとは言え、「 既に焼いてある焼き鳥を炭火で軽く温めた」という程度のものであった。

店員さんに、「何で、どっちの料理ショーに出たのでしたっけ?」と聞くと、「お味噌のソース」とのこと。
それを食べたいと言ったところ、お味噌のソースは、バラとかカシラの脂こい焼き物に合うから、そういうものを取れば付いてくると説明してくれたが、果たして、おじさんが脂っこいものは食べたくないというので、取らなかった。

煮込みなら、そのソースが味わえるかと思いきや、ここの煮込みは、塩味なのだそうだ。
(これは食べてみたが、150円なら、上等だと思った。)

他、ドミグラスで煮込んだもの(なんだったか忘れた)とかも、壁に貼られていた。

浅草橋の他の立ち飲み屋と違って、女性2人連れが飲んでいても、全然違和感がないし、とにかく、客筋が一定ではなく、色々な人が楽しそうにしているというところが、良い感じのお店であった。

2,3度行ったことのある東口の津な八の方が料理が美味しいように思うが、こちらは、豚だけ。

「ぶたいちろう」という立ち飲み屋さんもあるが、ここはまだ入ったことがない。



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2005年05月10日(火)

9話 レバーペースト 1/2


あるところで、「パトリス・ジュリアンのレバーペースト」のレシピを見た。
特徴は、バターや生クリームを使わず、クリームチーズを使うことと、赤ワインを入れないこと。

ちょうど、レアチーズケーキを作って、残ったクリームチーズを持っていた私は、それを参考にして作ってみた。

それにしても、生クリームを使うとなると、余ったときの処理を色々考えねばならないことが面倒だし、バターと生クリームのコンビより、クリームチーズの方が、レバーペーストの味を良くするような気がして、「レバーペーストにクリームチーズ」は、中々良いアイディアのように思えた。

作ってみて、気づいたことがあったので、まずは、それをまとめる。

<鶏レバーの血抜き法>

一度目は、ちょっと血なまぐさいところが残ってしまったが、そこを除けば美味しかったので、二回目も作ってしまった。

一度目、ちょっと血なまぐさくできてしまったのは、やはり、最初の血抜きが足りなかったのだと思う。

作る前に色々なレシピで、血抜き法を検索してみた。
牛乳を使うレシピもあったけれど、基本的には、水だけで良いと思った。

そして、要は、レバーの中には、肉眼でわかる太い血管が走っているから、その血管を全て取り除けば、血の味はしなくなるのだと思った。
レシピによっては、「心臓に近い部分のレバーには、血が固まっている」と書いてあったが、どこが心臓に近い部分だかわからなかったので、無視したのが、一回目の敗因であったと思った。

二回目は、一回目と同様、目でわかる血管を取り除いたのと同時に、ところどころに、包丁を入れ、血管が隠れていないか探っては取り除きを繰り返して、完璧に太い血管を取り除き、お水に放った。
二回目はそれに加え、レバーの色を比べ、赤っぽいレバーの表面を包丁で沢山傷をつけた上で、水に放ち、血抜きをした。

10分くらいかな?水に浸けておいた。

二回目は、この赤い表面の血抜きが効を奏したのか、血なまぐさい味は全然しなかった。

<鶏レバーの炒め方>

パトリス・ジュリアンさんの本には、「レバーは少し赤いところが残る、生な感じに焼く」と載っていたのだ。
この意味は、「柔かく焼く」ということだと思ったので、今回、高温でずっと炒め続けて、火を通すやり方は避けたいと思った。
でも、赤いところが残るのもちょっと怖いような気もした。(どうしてかというと、お肉売り場のレバーの札には必ず「加熱用」と書いてあるから、ま、でも、それは「お刺身には向いていません」くらいの意味かも知れないが)

それで、高温のフライパンで油でレバーを炒め、レバー全体の表面の色が変わったら、蓋をして、火から下ろして、余熱で火を通した。
そして、少し経ってから蓋を取ると、やはり、少し赤っぽい部分が残っていたので、そういうレバーだけをフライパンに残して、火をつけ、赤い部分を重点的にささっと焼いた。
そして、再び、蓋をして、少し蒸らして、この作業は完了した。

レバーを焼いて蓋をしておくと、レバーのアクのようなものの他、透明な汁が沢山出ていることに気づいた。
これはなんだろう、脂肪ではと思うのだが、冷めても固まらなかったし、今のところ、なんだか分からない。
ただ、こういう風に炒めた場合、アクとともに出てきた汁は捨てた方が、味がすっきりするような気がした。

それは、ローストビーフなぞを焼くレシピに、焼いた後の油は全て捨てて、フライパンにこびりついた焼け焦げを使って、ソースを作る話からそう思ったのだ。
焼いた後の焼け焦げには美味しい味があるが、液体は不味いと何かで読んだ記憶があった。

それから、今までレバーペーストのレシピで、焼いたレバーだけを取り出すようなレシピを見たことがないことに気づいた。

それで改めてインターネットで色々なレバーペーストのレシピを見てみたら、殆どは、レバーを焼いたところに、赤ワインを入れて一緒に煮てしまうのだ。
浮いてきたアクは少しは取るにしろ、赤ワインを入れることによって、風味をつけ、レバーの臭みを消しているのかも知れない。

「赤ワインで風味を付けること」をしないのなら、「焼けたレバーだけを取り出し、レバーから染み出た液体は捨てる」のは正解だと思う。



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2005年05月11日(水)

10話 近場で楽しかった連休


今年は、4月28日の連休前の夕方、MLの人たちが我がお店に集まり、ワインで楽しく過ごしたのが、幕開け。

連休前は、「こういう勉強をしよう」とか「片づけをしなくては」と思っていたのに、何もせず、ボーっとしているか、遊んでいるか、料理をしているかで終わった。(この3つが私の好きなことのようだ)

30日には、その前の週から近所に張り紙があった、我が家の近所の台東デザイナーズビレッジが「オープンビレッジ」という催し物を開催していたので、そこを見てみた。
台東デザイナーズビレッジは、台東区が、主に服飾や工芸品のデザイナーに、廃校となった小学校の教室の一部を貸して活動を支援しているインキュベータのようなもので、できて1年になるそうだ。
同じ小学校には、早稲田大学の情報メディア科という大学院の一部と、東京藝術大学の美術学部は入っていて、早稲田も芸大も、そこの学生さんの研究や製作物が飾ってあり、中々楽しかった。

家の近所に早稲田と芸大の施設があるというと、知的な感じがして聞こえはいいが、どうも、早稲田は5年間の時限契約みたいだし、芸大も、建て直しの間の仮校舎のようだから、そのうち、いなくなってしまうかも知れない。

しかし、展示されているものは、デザイナー、デザインを志す人の感覚は、どれもとても新鮮で知的なものが多く、楽しめた。
来年もこの催し物があればいいのにと思うし、もっと宣伝すれば良いと思った。

他にも、退屈になると、後楽園の成城石井や両国のBOOKOFFを覗いたりしていた。
ゆっくり、フラフラ成城石井を見たり、BOOKOFFで、料理の本を探すのも楽しい。

そして、偶然ではあるが、連休のメインイベントは、高島屋のグルメフェアの服部幸應さんと辰巳芳子さんのトークショーを見に行ったことである。

5月2,3日と、NHKのきょうの料理を見たら、辰巳芳子さんが出演されていて、私は、動いて話す辰巳芳子さんを見るのが初めてであった。
その話す内容が、辰巳芳子さんの本の通りであったのは当たり前だが、その口調が、ゆっくりと柔らかで、「あ、あの本は、言葉だけ読むと理屈っぽいけれど、実は、このゆっくりと柔らかで上品な雰囲気で読むべきだったのだ」と思ったこと、また、その物腰と口調が、昔懐かしいというか、その上品な姿に、「昔の上品なおばあさんみたい、あ〜いう人って、昔はもっといた」と懐かしくなった。

その気品ある姿が、懐かしく新鮮であったと伝えたら、友人が「明日、日本橋高島屋に行けば、グルメトークショーに出る辰巳さんに会える」と教えてくれた。
それで、持っていた日本橋高島屋のチラシで日時を確認、電話して聞くと、「通常の回でしたら、30分前にいらっしゃれば、座れますし、遅くなっても立ち見も可能です」と教えてくれた。
我が家から高島屋までは自転車で30分かからないので、始まる30分前に出発、無事、見ることができた。

辰巳芳子さんの話はまた明日。



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2005年05月16日(月)

11話 きょうの料理の辰巳芳子さん


辰巳芳子さんの本は一冊持っているし、新聞雑誌や図書館から借りてきた本で良く読んでいたが、ご本人が動いて話すところを見るのは5月初めのNHKのきょうの料理が初めてであった。

一言で感想を言うと、「新鮮」そして「昔懐かしい」というものであった。
家庭を守って、料理を大切にした、一言で言えば「専業主婦」なのだろうが、その言葉が意味するイメージが、現代では、何となく「三色昼寝付き」みたいなイメージがあるが、昔は、「家庭婦人」という言葉もあったなと思い出させるような雰囲気である。
そういう精神性のある「家庭が大切」奥さんが世の中には沢山いたのだけれど、私があたふた自分の人生を慌しく生きていた間に、そして、時代がどんどん変わっていく間に、見なくなっていたことにこの時気づいた感じ。

久々、「言葉が丁寧な、ゆったりした、にこやかな女性」に接した感じがした。

時代の流れもあるのだが、「女性だからおしとやかにして、家にいて、他の人の面倒をみる」というのは旧の社会の価値観であり、「自分の能力を磨く、才能を活かす、社会で活躍する」ことの方が、十代、二十代のとき、自分の心情にピッタリ合っていた。

育った環境で、家庭を維持していくには、誰かが家事をしなくてはいけないと分かっていたし、その役割分担をしなくてはという気持ちもあったが、それ以上に、自分の能力を磨いたり、伸ばしたり、きちんと評価されたいという気持ちが強かった。
若いときは、家庭に入り、自分のためではなく、人のために生きていくということに、自分が自分でなくなるような気もしていたと思う。

辰巳芳子さんは、「女性は、家庭を守る、家にいる」という価値観の中で育ち、暮らした女性だが、オーラがあるというか、アナウンサーが「辰巳さんのところに料理を習いに来る人は、料理だけではなく、他のことも吸収しようとして来ている感じがする」と言っていたが、生き方そのもののきれいさが全身に行き渡っている感じがした。

言葉がきちんとしていて、丁寧でゆったり話す。

何度かビデオを見て気づいたのだが、80歳という高齢なのに、というか、高齢だからかも知れないが、ちゃんと「有難うございます」「宜しくお願いいたします」ということをまずおっしゃるところが素敵だった。

二回のきょうの料理を見て、何か爽やかというのか、家庭に対する姿勢・他人に対する姿勢(習おうとする人)が、しっかりしていて、媚びず、威張らず、とても素敵な方なのだと思った。

料理を作る姿勢が、私の好きな「おいしい関係」の百恵ちゃん、食べたことも会ったこともないがないが、材料を料理しながら、材料に「気持ちいい?」と聞きながら、料理を作るという孤野芙実子さんと同じ感銘を受けた。



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2005年05月17日(火)

12話 グルメトークショーの辰巳芳子さん 2/2


グルメトークショーは、服部幸應さんに紹介された辰巳芳子さんが立ったまま、客席の方に「皆様、よくお出でくださいました。是非、楽しいひと時にいたしましょう」とにこやかにゆっくり挨拶されて、始まった。
その声音、抑揚、表情に心がこもっていて、とても感じが良かった。
親しい友人を招いてのホームパーティの席上のような感じであった。

見に来ていた人は、「ずっと辰巳さんのファン」とか「昨日のテレビを見て興味が湧いた」という感じの人ばかりで、会場は立ち見まで満員ながら、初めから和やかな雰囲気ではあったが、辰巳芳子さんの挨拶で、もっと和やかな雰囲気になったのがわかった。
司会の人が、「辰巳先生は、本当に人気がある」と言っていた。
観客は、辰巳芳子さんが出てくると、それだけで、嬉しそうな顔をする人ばかりであり、若い主婦のカリスマが「栗原はるみ」さんなら、シニア主婦のカリスマ「辰巳芳子」さんという感じか。

辰巳芳子さんは、テレビで見るのと同じで、とても素敵であった。
80歳の素敵なおばあさんなのだが、元々美人で上品の人がたまたまそのままおばあさんになったという風情だと思う。(耳にはイアリング、指には指輪、ブラウスは真っ赤だったが、良く似合っていた)
年を取ってから、急に素敵なおばあさんになろうと思ってもなれるわけではない。
私も80で素敵なおばあさんになりたかったら、今から心掛けなくてはいけない。
髪の毛も白髪、身体も若いときに比べたら少し縮んでしまったかしらという体型ではあったが、すっと立った姿勢と肩から腕の線に、若さが感じられた。

トークショーは、1時間くらいであったが、内容充実。

辰巳芳子さんがシロウトっぽいというか、普通の良家の奥様風で、おっとりしゃべられる感じがとても良かった。
始まる前に、司会の女性や助手の女性らしい人が、辰巳芳子さんがデザインしたという道具を並べ始め、「トークの中でも紹介させていただきます」と言っていたので、何となく、辰巳芳子さんを中心に「道具販売産業」ができているのかな、それもやむを得ないなと思っていた。

しかし、トークショーの最後の方で、並んでいる道具の紹介に移ったのだが、辰巳芳子さんは、「実は道具なんて、何でもいいのです、あの道具がなくては何が作れないなんてことは全然ないのです。何とか工夫してお料理してください」とおっしゃって、その後の話も、そこに並んでいる商品ではなく、昔からのご自分の道具の歴史の話が主であった。

一番最初に紹介されたのが、70年使い込んだというアルマイトのお鍋。
これは、お母さんの辰巳浜子さんが使っていた、フットボールみたいな玉子焼きを焼くという有名なお鍋。
真っ黒で、戦争中は、自分たちで栽培した小麦粉を粗くしか挽いてくれないので、このお鍋に、すり鉢で蓋をして、パン・ド・カンパーニュを焼いたとのことであった。
このお鍋にはとても興味があったので、トークショーが終わった後、近寄って、係の人の許可をもらって、持たせてもらったのだが、とても軽かった。
私は、新聞に載っていたこのおなべの写真を見て、似た外形の鋳物の鍋を買ったのだが、外見は似て いるが、重さは似て非なるものであった。(笑)
アルマイト製とのことだが、現在は、厚手のアルマイトを作る人がいなくて、できないそうだ。

商品化されている中では、すり鉢とすりこぎが優れものだとの印象を受けた。
昔から、お母さんにすり鉢をあてるように言われ、ずっとすり鉢ですっていたけれど、何かすっていても幸せを感じることがなかったとのこと。
で、原因を色々分析したら、普通のすり鉢とすりこぎでは、すり潰すためにその二つが接するところは、1cm四方くらいだということがわかり、どうにか、当たる部分が大きいすり鉢はできないかと考えて、考案したすり鉢だそうだ。

そのすりこぎがとても良さそうなのだが、何と、このデザインを考えたときに、「こけしを作っている人に作ってもらえたら」ということで、こけし職人に依頼したそうだ。
そうしたら、とても喜ばれたとのこと。
今では、こけしは既に売れなくなっており、こけし職人廃業を考えていた人に、このすりこぎを作る話が来たものだから、とても感謝されたそうだ。

そして、すり鉢も大分の、名前は忘れましたが、焼き物に模様をつけるのに、「描く」ではなく「削って模様をつける」地方があって、そこに依頼したら、うまく行って、また、喜ばれたとの話であった。
通常のすり鉢より、よく潰れるように、ちょっと開いた鉢で、中のギザギザも工夫されているとのことであったし、そのまま、食卓に置いても素敵なデザインであった。
(一つ欲しいと思った。)

すり鉢でするのと、フープロで潰すのでは、全く味が違う、違うと、服部幸應さんともども強調していた。
すり鉢だから、「する」ことができるだけで、フープロだと「粉砕」だとのことであった。
(私なら、そうは言っても、すり鉢だけでするのは面倒だから、一旦、フープロで粉砕してから、すり鉢でするなと思った。)

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2005年05月18日(水)

13話 グルメトークショーの辰巳芳子さん 2/2


本物の辰巳芳子さんのお話はとても良かったし、とても素敵な人だったので、皆様も、是非、機会があったら、辰巳芳子さんが参加される催し物に行かれることをお勧めします。

では、私が聞いたお話の内容です。

1.何で、スープにこだわるか?

何でも、若い頃、辰巳芳子さんは、13年間、宮中の御膳にいたコックさんから、フランス料理を毎回毎回コースで作ること習っていたとのこと。
そのコックさんは、秋山徳蔵さんと同じときに宮中の御膳で働いていた人で、昭和の初期だと思うが、その時代は、現代と違って、料理を4,5年修行して、すぐに店を持つみたいな職業感覚はなかったそうで、加藤正之さんという辰巳さんの先生は、何と、スープと野菜だけを14年間ずっと担当していたとのこと。
その方の口癖が「スープが基本」とのことで、スープを丁寧に作ることを習ったそうだ。
その人から「スープが基本」と叩き込まれたから、「スープ、スープ」というようになったとか。

2.愛するということ

辰巳芳子さんのお話を聞いていて、不確かだが、多分、フロムの「愛するということ」を読んで、感銘を受けている方だと思った。

「愛と愛することは違いますし、愛することと、好きだ、嫌いだということは全く違うことなのです」
「愛することというのは、自分が生きていて触れ合う人間、事象、全てに対して、善を実行することなのです」
「一口に常に善を実行するということは難しく、祈る気持ちが必要です」

フロムの「愛するということ」を読んで感銘を受けてその通りに生きようとしている人と初めて出会った。(読んでいるけれど、その通りに動いていない人は一人出会ったことがある)
私と宗教は同じなのだが、辰巳芳子さんの方が遥かに上品、私はまだ修行が足らないなと思った。(笑)
辰巳芳子さんは、ご自分の人生を愛し、家族に対して善を実行することの一環として「料理」を捉えていると思う。
この方の本当に言いたいことは、「全ての物や人を愛することが大切」ということだと思った。

3.食育について

私は知らなかったのだが、6月にも、「食育基本法」という法律が成立するようだ。

辰巳芳子さんの意見では、「人間は、自分が信じられて、希望が持てる人でないと、『愛すること』ができないのでは?」とのことでした。
子どものとき、ちゃんとした食生活を送っていれば、自然と、めげた時、疲れた時、ご飯を食べて眠れば、次の朝には心身ともに元気が戻っている自分を経験する。
その経験が薄紙を重ねるように自分の中に蓄積され、自分という人間を信じることができ、自分を信じることができるから、自分の未来に希望が持てるようになるのではないかとのこと。
それはそうかも知れないと思う。

最近、青少年の殺伐とした事件が多いが、そういう事件は、「子供の頃に食生活や家族団らんがない家で育ち、自然と自分が回復する経験がない人が起こすのでは」とのことであった。(自分が信じられないで、希望が持てない人=絶望的なことしかできない人が増えている)

辰巳芳子さん曰く「最近は料理をする人が少なくなったそうです。何で料理が嫌われるというと、どうしてもルールを覚えなくてはいけないからかも知れません、でも、味を引き出すには、それ相応のやり方というものがあるから、どうしてもそれだけは覚えてもらわなくてはね」とのことであった。(発言の細かいところは違うかも知れないが、趣旨はこの通りだと思う。)

4.NHKのテレビ

昨日までのNHKのきょうの料理、とても良い出来だと思ったが、辰巳さんは、「テレビは、一番上の部分(出来上がり)を描かなくてはいけないから、あのようなつくりになってしまった」とちょっと不満そうであった。

本当に言いたかったことは、「スープをどうやって美味しく作るか」ではなくて、「家庭に、昔の囲炉裏端のようなものを取り戻して欲しい」ということだそうだ。

昔の日本の家には、囲炉裏があって、食事の支度となると、忙しいお母さんが、囲炉裏に水の入った鍋をかけ、残った野菜だのちょっと味の出るものなどを入れておいて、皆が好きなだけ食べられる美味しい汁物を作っておいた。そこに家族が集まり、皆でご飯を食べた。そういう食卓を家庭に取り戻して欲しい」とのことであった。
(しかし、これを聞いて、囲炉裏的なものは、日本の家庭からコンビニに移ってしまったような気がした。(セブンイレブンのおでん))

結局、辰巳芳子さんという方は、「個人」というレベルの人間ではなく、何代にもわたって、「人を大切にし、丁寧に暮らすことを重んじた家庭」で育った人という感じ。(うまく表現できないが、辰巳芳子さんの中には、一人の人格ではなくて、人間と物を大切に扱った辰巳家の何代にも亘る先祖の人格全てが存在しているような風格がある。すなわち、一代で辰巳芳子さんの人となりは有り得ないと思う。)
辰巳芳子さんの特質は、「個性」ではなく、「何代にもわたって、人間と物を大切に考えた家庭の格」そのものだと思った。

そして、謙虚さと感謝の気持ちがある。
口癖のように発せられる「有難うございます」「宜しくお願いいたします」の言葉が素敵。
本当に、辰巳芳子さんのファンになってしまった。

辰巳芳子さんは、料理法を第一に教えようとしているのではなくて、「人間と素材を、丁寧に大切に扱う」という姿勢で料理を続けると、結果的に、辰巳芳子さんのような料理になり、辰巳芳子さんのような人柄になることを示しているのだと思う。

辰巳芳子さんのような料理を作ろうと思ったら、材料を揃えるのも手間だし、長く物を選んで来ないと良いものを見分ける力も備わらないし、作り方も丁寧だから、時間がないときには作れない。
だから、時間があるとき以外は、辰巳芳子さんの料理をそのまま真似しようと思わなくて良いと思う。

日常、簡単に料理を作ればいいと思う、ただ、辰巳芳子さんが大切にしている「人に対して、素材に対して、大切にする、丁寧に扱う」を心掛けて、料理に相対することが大切なのだと思った。
その心掛けの積み重ねで、辰巳芳子さんのような料理が作れるようになると思う。

できれば、辰巳芳子さんの本を時々読んで、「昔の主婦の心がけや気遣い」に触れながら、料理をしていくといいかも知れない。



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2005年05月19日(木)

14話 冷凍バゲットの焼き戻し


先日、松戸の叔父夫妻が家に来たとき、北小金のZOPFのパンと、ZOPFで配布していたというパンの小冊子を持ってきてくれた。

その本は、ZOPFの経営者の奥さんが作ったB5の45ページにわたる小冊子で、内容も充実、是非各家庭に1冊は欲しいという感じの本。

で、その中に、「パンは、老化を考えたら、冷蔵より冷凍」ということと、解凍法が出ていたのだ。

今まで、食パンは冷凍させていたけれど、バゲットは、うまく戻せないような気がして、冷凍なんて、考えたことがなかった。
でも、その本で、本当は色々なパンを冷凍できることがわかった。

バゲットの解凍は「霧吹きで水気を表面に行き渡らせることがポイント」と思って、実行したら、ものすごく上手に行った。

ZOPFの本では、解凍したバゲットに、霧吹きで水分を表面に補給した後、アルミ箔に包んで蒸し焼きしてから、アルミ箔を外して、再び焼くと書いてあるが、アルミ箔を省略しても十分美味しかったし、相当厚切りでもうまく行った。

私のバゲットの焼き戻し法

1.バゲットは、4,5cmくらいの長さに切って、冷凍しておく。

2.電子レンジの弱で、熱を持たない程度に解凍。(真ん中が完全に解凍されていな
  くても大丈夫)

3.バゲットの皮に霧吹きで水をしとらす。(たれる程ではないが、相当びっしょり)

4.オーブントースターに入れて、加熱。
  時々様子を見たり、触ってみて、バリッとするまで焼く。(ちょっと焦げ目がつく
  ところができるくらい)
  だいたい、ひっくり返して5分程度だと思う。

外はバリバリ、中はふわ〜っ、そして、熱々のバゲットは、焼き立てに近いのではないかと思うくらい美味しい。

一度間違えて、霧吹きを忘れて、オーブントースターで焼いたが、それでも食べられる。
ただ、本当に「バリッ」という感じにするには、霧吹きで表面を湿らせて、急激に焼くのが効果があると思った。

私は、バゲットがずっと好きだったが、残ると、翌日以降美味しくないし、冷凍もうまく行かないという先入観があって、ずっと買うのを控えていた。

何か損した気がした、もっと早く知っていればって。

それを取り返すつもりというわけではないけれど、最近は、美味しい店のバゲットを良く買って凍らせるようになった。

是非、お試しを。



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2005年05月20日(金)

15話 レバーペースト 2/2


分量

鶏レバー         250g
玉ねぎの薄切り       80g(レバーの1/3程度)
(もしくは、長葱、青いところでも可)
クリームチーズ  100〜120g(レバーの1/2程度)
オリーブオイル       25g
塩・胡椒
香辛料(タイム)...タイムでなくてもローズマリーなどでも大丈夫だと思う。
          (ナツメッグを入れると、レバー臭さが取れると気がするので、
          削ったナツメッグも入れることが多い。好みで少し試してください。)

多分、この分量を足すと、455〜475gだから、玉ねぎの水分を考慮すると、400〜450g程度ができると思う。多かったら、半量で。

作り方

 1.新鮮な鶏レバーの表面や中に潜っている血管を全てきれいに取る。
   脂肪も取る。
   表面が赤っぽいレバーは、ところどころに包丁で切れ目を入れる。
   全てを冷水に入れるのだが、どういうやり方が良いのか良くわからない。

   レバーが新鮮なら、血管をきれいに取ったレバーは、水で洗うくらいでも大丈
   夫だし、表面が赤っぽいレバーは、少し水に浸けておいて、血を抜いた方が
   良いと思う。
   こういうやり方は、レバーの新鮮さによると思うので、各自、色々やってみて
   ください。

 2.レバーの水気をキッチンペーパーなどできちんと取る。

 3.フライパンに油を引いて、熱し、レバーを入れ、炒める。
   菜箸で、表面の色が変わったら、ひっくり返し、表面全体を熱する。
   大体表面全体の色が変わったら、蓋をして、火を消し、ガスから外して、蒸す。
   (ガス台から外さなくても大丈夫かも知れないが、熱の通し過ぎがこわいので、
   ガスから外すことにした。)

 4.少し置いておいて、蓋を開けて、レバーの中まで火が通っているかチェック
   する。
   火が通っているところは、フードプロセサーに入れる。
   火が通っていないで、まだ赤いところは、再び3のやり方で炒めて蒸す。
   (フライパンに残る液体は、捨てること)

 5.玉ねぎは、きれいなフライパンで炒める。
   どのくらい炒めるかは好みだが、「結構炒めて、シンナリ、少し茶色くなるまで)
   玉ねぎも、レバーと同じように、「炒めては、火を止めて蒸し」を繰り返すと
   良い。

 6.フードプロセサーのスイッチを入れ、レバーを粉々にしてから、玉ねぎを
   入れて、更に粉砕する。

 7.オリーブオイルを入れて、また、フープロを回す。

 8.クリームチーズを入れて更にかき回す。

 9.味を見ながら、塩・胡椒と香辛料を入れて、フープロを回し、味を決めて、
   出来上がり。

二三度作ったが、オリーブオイルは忘れたこともあり、省略可。

また、フードプロセサーは、最初、レバーを砕くときは、「ガ〜」という通常モードで行い、その後は、野菜カットモードのような「ガ、ガ」と動くモードを使うと、やりやすいと思う。

出来上がったレバーペーストは、冷めたら、ビニール袋に入れて、薄くして、冷凍させ、適当な大きさに割って、保存している。
食べるときに、電子レンジ弱で、解凍する。



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2005年05月21日(土)

16話 残りキャベツの一口ロールキャベツ


最近、ロールキャベツを良く作る。
キャベツを煮込んだ料理としては、ひき肉とピタッとくっついたロールキャベツ、特に、トマトソース味をものすごく美味しいと感じている。

何でロールキャベツを作るようになったかというと、浅草橋で、キャベツを1個単位で買うようになり、全てを使い切ろうと色々やったけれど、それにも飽きて、「芯に近い部分でロールキャベツを作ったら、簡単にキャベツが消費できる」と思ったからだ。

キャベツは、外側から中間くらいまでは、緑に近い色だが、中間から芯までは、黄色い葉になってしまう。
緑は、刻んで食べる気がするが、黄色いのは煮込んだり、炒めた方が良さそう。

でも、普通の料理の本のロールキャベツは、キャベツを丸ごとお湯で茹でて、緑の立派な葉の方を使うように書いてある。
そうではなくて、真ん中の小さめの黄色い葉でロールキャベツは作れないか、考えた。

葉が小さいのだから、海苔巻きを作るときの巻き簾を使って細長く海苔巻き状にすればどうにかなりそうだ、それをタコ糸で縛って煮ればうまくできそうだと、やってみたら、うまく行った。
でも、実際やってみたら、巻き簾はなくても大丈夫そうだ。

どんと大きいロールキャベツも良いかも知れないが、海苔巻きみたいに一口大に切ったロールキャベツの方がお箸で食べ良いし、ロールキャベツが酒のつまみになり、中々グッドアイディアだと思った。

材料は、キャベツの黄色い葉の塊1つで、長さ15cm程度のロールキャベツ巻きが2本くらいできる。
挽肉は、合挽きで、量ったことがないから、いい加減だが、100g強あれば十分だと思う。

お湯を沸かして、真ん中の黄色い葉の塊を茹でて、取り出し、少し水をかけて冷ます。

これはまだ決定的ノウハウかわからないけれど、一度軽く水気を絞った後、完全に冷めてから、もしくは、冷蔵庫に少し置いておいてから、水気を再度絞ると、よく水気が取れるような気がしている。

で、水気を絞った葉の芯をこそげ取って、数枚を少しずらして重ね置きして、海苔のような長方形を作る気持ちで並べる。

挽肉と玉ねぎとパン粉で作った具を細長くして、キャベツの上に置き、両端も織り込んで、くるくるに巻き、タコ糸で縛る。
(自慢ではないが、具は適当。普通だったら、牛乳入れるかなと思いながら、牛乳がなければ入れないで済ます。卵はいつもあるから、必ず入れる。調味料は、塩・胡椒・ナツメッグくらい)

タコ糸の巻き方なのだが、適当である。
ロールキャベツを、真一文字に置き、長い辺にぐるっと糸をかけ、一箇所で交差させた後、円周をぐるぐるに巻く。
きっちり巻けなくても、ゆるゆるでも、とにかく、はずれなければ良い程度の感じで十分。

これを、油を敷いて熱したフライパンで、上下とも焦げ目が少し付くくらいにじっくり焼いてから、蓋のできるお鍋に移し、トマトソースとひたひたになるくらいの水を加えて、ブイヨンキューブなぞを入れて煮る。

どのくらい煮るのだろう、良くわからない。
私の場合は、5分くらい沸騰させて煮たら、保温鍋に移して、1,2時間置いておくと出来上がっている。

出来上がったら、タコ糸を外し、適当な大きさに切って、お皿に切り口を上にして並べ、トマトソースごと温め、味を調えて出来上がり。

ロールキャベツの大きいものも良いが、一口ロールキャベツは食べよいし、中々良いアイディアだと思う。

一度、外の大きくて硬い葉で作ってみたが、中の柔かい小さい葉の方が美味しいと思った。
欠点は、量ができないこと。
ロールキャベツを作ろうというときではなくて、キャベツの中側の葉の上手な利用法としてのアイディアだと思う。



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2005年05月22日(日)

17話 一口ロールキャベツのグラタン


細長いロールキャベツは、キャベツの真ん中の黄色い葉で、2本くらいできる。
私は基本的には一人でご飯を食べているので、1本食べて、1本は冷蔵庫に数日保管することになる。

それを温め直して食べるときに、上に、とろけるチーズを置いて、オーブントースターで焼くと美味しいかもと思い、やってみたら、大成功。

やり方は、お皿に、一口に切ったロールキャベツを切り口を上にして並べ、トマトソースをかける。

電子レンジでチンして、中まで熱くする。

レンジから取り出して、とろけるチーズやパルメザンチーズを上に置いたり、かけたりして、オーブントースターで、チーズが溶けたり、少し焦げたりするまで焼く。
(とろけるチーズの上に、パルミジャーノ・レッジャーノの粉を少し振って焼いたときが一番美味しかったと思う。)
(また、最初、ロールキャベツだけで焼いて、その後、チーズを乗せて焼くと、より美味しいかも)

残り物料理の更に残り物料理だけれど、これが本当に美味しく、お勧め。
ただの熱々のロールキャベツより、こちらの方が美味しいと思う。

余談であるが、私は、溶けるチーズとかスライスチーズを今まで余り買ったことがなかった。
多慶屋に行ったら、16枚入りのスライスチーズが安かったので、これを買ってしまったのだが、これは溶けないタイプだと、使ってみてから、わかった。

スライスされている四角いチーズでも、「スライスチーズ」と書いてあったら、サンドイッチにそのまま挟むタイプで、「とろけるチーズ」と書いてあったら、ピザパンに使うように、加熱で溶けるチーズなのだ。

こんな失敗をしたら、確かに、「慣れるまで、料理をすると失敗が多くて、料理が好きになれないわ」という人の気持ちもわかる気がした。



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2005年05月23日(月)

18話 浅草橋の無人野菜スタンドは楽し 1/2


2月に浅草橋の無人野菜スタンドを発見してから、私の食生活は大分変わってきた。

まず、野菜を沢山食べるようになったことが一番大きな変化。

二番目は、余っている野菜を工夫して、おかずを作るようになったこと。(無駄にしたり、捨てる野菜が殆どなくなった。)

三番目は、一人分を作ることが多いので、何か料理を作ると必ず余るので、その余り物や、浅草橋の無人スタンドのお漬物、買って来たほうれん草を茹でた物など、冷蔵庫に何かおかずになるものや後ほんのちょっと工夫すれば食べられるが入っていることが多くなったこと。

だから、一度に一品、二品作れば、私の夕食の食卓は、4品ぐらいが並び、結構、賑やか。

新鮮で美味しくて安い野菜が冷蔵庫にあれば、「献立を考えるのも料理も簡単で、しかも自然に野菜が取れる食生活を送ることになる」と実感している。

最近の私の献立は、「今ある野菜をどうやって食べるか」で決まるのだが、それが不思議と辛くないのだ。
料理と言うほどもない簡単な料理ばかりだが、家庭料理というのは実はこういうものが良いのだろうなと思っている。
新鮮な野菜を数種、煮たり焼いたり、炒めたりするだけで、十分なものだと感じる。

買ってきた野菜を切ると、ピーマンはピーマンの香りが、胡瓜は胡瓜の香りが、切った途端にする。
ピーマンとか胡瓜って、こんなに香りがするものだったのだと改めて感激する。

そして、大根を切ったら、「あれ?大根って、こんなに柔かいものだったっけ?」と感じる程、瑞々しくて柔かかった。

この浅草橋の野菜は、数日冷蔵庫に入れておいたとしても、我が家の近所のスーパーで買って来たばかりの野菜より、新鮮な気がする。

都会のスーパーに並べられている「食べ頃になる前に収穫して、収穫してから何日も経っている野菜」で、美味しいお料理を作れという方が間違っているし、難しいことだと思う。
(先日、ニュースで、どこかの小学校で、給食が不人気で残る量が多かったので、その原因を探したら、「野菜が不味い」という結論に達したと報道していた。)

プロの農家ではないけれど、副業として、千葉で野菜を作って浅草橋に運んできている社長さんとお客さんの関係は最高。

お客さんたちは、農地から遥か離れた街に住んで、今まで簡単には手に入らなかった、「畑で熟した新鮮で安い野菜」が買えて、嬉しくて仕方がない。

社長の方も、皆に喜ばれて嬉しいのか、張り合いがあるみたいで、手作りのぬか漬け、高菜漬け、胡瓜のもみ漬け、大根の浅漬け、苺ジャムも並ぶし、朝掘りの筍が並ぶだけでも十分なのに、ついには、茹でたものを売り出されたのだ。
「筍を並べていたら、売れるには売れたのだけれど、お客さんで『面倒だ』という人が多いから」とのこと。
値段は大して生と変わらなかった。

また、この連休は、4/29〜5/5まで、野菜スタンドはお休みだったのだが、社長さんは、5/6に商売を再開したとき、沢山の矢車草を千葉のお庭から持ってきて、野菜を買った人に、プレゼントしてくれた。
その次の日も、また矢車草をくれたので、「昨日、もらったから」と言ったが、「いいんですよ、持って行ってください」とのこと。
だから、私のお店には矢車草が長い間沢山飾ってあった。

買う方も売る方も嬉しくてお互いに感謝しているというとても良い関係である。



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2005年05月25日(水)

19話 苺とそら豆の写真


昨日の続きを書いていたのだが、この数日、浅草橋で、美味しい苺とそら豆が手に入り、そちらの方を先に紹介したく、まとめました。

テレビを見ながら、文章を考えていたら、結構乗ってしまいました。
是非、見てやってください。

新鮮な野菜・果物に夢中!←ここをクリック。

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2005年05月27日(金)

20話 浅草橋の無人野菜スタンドは楽し 2/2


二三週間前のある日、いつものように浅草橋の野菜スタンドに行くと、カップに入った苺ジャムが並んでいた。
それを見た途端、このスタンドの社長さんの奥さんの手作りに違いない→自分の畑で苺が採れるに違いないと、ピンと来た。

ここは無人スタンドではあるが、社長さんが手隙のときは、本業の事務所から出てきて、色々説明してくれる。(だから、私の場合は、殆ど対面販売で買っている。)
社長さんに聞いてみると、「苺畑は持っているけれど、小粒ばかりだから、皆ジャムにしてしまう」とのこと。
「苺って、スーパーで売っているのは、まだ完全に熟していない段階で収穫したものだから、美味しくない。畑で完全に熟れた苺は美味しいわよね」とか、「去年の今頃、秩父でそういう中まで真っ赤の苺を食べたのだけれど、本当に美味しかった」「畑で完熟した苺が食べたい!」と言うと、「普段の日は無理だけれど、日曜日に収穫して月曜日なら、持ってきてあげる」と約束してくれた。

それからも、行く度に、苺の話題を出し、それとなくヒアリングした感じでは、社長さんの家庭菜園には、ハウスもあるけれど、苺は、外で育てているとのこと、期待できる。
露地物の苺は、調布に勤務していたときに、手に入れて以来だ。

私は嬉しくなって、本当に持ってきてくれたら、いつもお世話になっているし、お礼に、「苺のヘタ取り」をプレゼントしようとか、誰に食べさせようとか、色々頭に浮かぶし、月曜日に苺を持ってきてくれるということは、収穫は、日曜日の午後か月曜日の朝だから、その時に雨が降らないように、祈らなくちゃと思っていたのだ。

ただ、どのくらい採れるかもわからないし、先方の都合や雨で持って来れないかも知れないので、前以て、「どのくらい欲しい」ということは言わないでおいた。
でも、心の中では、多めに手に入ったら、甥たちやおじさんフレンドにも食べさせたいと思っていたのだ。

そして、日曜日にも雨が降らず、いよいよ苺が手に入る晴れた月曜日の朝が来た。
いつも通りに、家を出発したのだが、さっさと行けばいいのに、新しいデジカメを買ったばかりなので、途中、目に付いた花なぞを撮影しながら、到着したら、どうも遅くなってしまったみたいで、先客が二人もいて、苺を買っているところだった。
自転車を止め終わって、近寄ってみると、一人が買い終わり、もう一人も買いそうになっていた。
社長さんは、その人に、「一箱だけだったらどうぞ」と渡していた。
その二人のお客さんは、私なぞ目に入らないような様子で、「美味しそうな、良く熟れた苺!こういう苺は今日中に食べなくてはね」と言いながら、上機嫌で帰って行った。
社長さんは、私のために、一箱15粒だけは取っておいてくれた。(涙)
小粒ばかりという話だったが、どうしてどうして、大きな苺ばかりであった。

どのくらい欲しいか予め伝えていなかったこと、途中、写真なぞを撮りながら遅刻した私が悪いわけなのだが、5分でも10分でも早く着いていたら、3箱とも手に入ったのにと思うと、何か、がっかりしてしまった、
社長さんに思わず、「あの二人の人は、私が社長さんに『生の苺を食べたい』とお願いしたから、苺を買えたのだ。私が言わなかったら、苺を買うことはなかった人たちだ」と言ってしまった。
本当に、「苺が食べたい」と交渉したのは私だけだったらしくて、社長さんは、笑いながら頷いて、もう一度くらいなら、苺を持ってきてくれるとのこと。
お願いしますと頼んで、帰途に着いた。

数はともかく、私の希望通りの苺を持ってきてくれたので、帰りに合羽橋に回って、社長さんの奥さんへのプレゼント用に苺のヘタ取りを買った。

家に戻って、苺を洗って、食べてみるが、「う〜ん、それ程でも。秩父より劣るかな?」というのが素直な感想だった。
しかし、二つに切った苺を冷蔵庫に入れておいて、よく冷やしてから再度食べたら、本当に美味しい。
甘くて、ジューシー、苺の味と香りがぷんぷんする新鮮な味。
「そうなんだ、こういう苺が食べたかった」と思う。
苺は冷やして食べた方が絶対に美味しい、私は、苺狩りに行ったことはないのだが、ハウスで収穫したばかりの苺は美味しいのだろうか?

夜、眠るときに、「今日の私は、心が狭かった。もっと気持ちを大きく持たなくては。鷹揚にならなくては」と反省した。
仮に私に苺が沢山手に入ったら、日持ちするものではないから、家族や友人に食べさせる筈だったのだ、結局、私が沢山買えたとしても買えなかったとしても、私以外の人が食べるしかなかったのだから、他人が買ってもいいじゃないかと思えた。
それにしても、私は友人たちに、今まで「真理子さんの近くにいると、自然と美味しいものが口に入る」と言われることが何度かあったが、本当に、私の近くにいる他人様にも、「美味しいもの」を与える行動をするのだなと思ったら、おかしくなり、楽しい気持ちで、「今度から心を広く持とう」と思いながら、眠った。

しかし、次の日の朝、浅草橋の野菜スタンドの社長さんに、苺のヘタ取りを渡しながら、「今度、苺を持って来てくれるときには、私が到着するまで、他のお客さんに売らないでおいてください」と頼んでいる私がいた。(笑)
私は、「食べ物に関して心が狭くて、欲張り」が本質のようだ。(笑)



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2005年05月31日(火)

21話 リンガーハットのソース


長崎に縁のあった人と、リンガーハットというチェーン店に初めて食事に行った。

私は、リンガーハットという名前は知っていて、ごく普通のファミレスか何かと思っていたら、長崎チャンポンと皿うどんがメインメニューの全国展開のチェーン店だそうだ。

で、長崎通曰く、「東京では普通、皿うどんに何かをかけるとしたら、殆どの人がお酢をかけるだろうが、長崎では、皿うどんにソースをかけるのが普通だ」とのこと。

「え〜!?」と半信半疑だったが、本当に、リンガーハットという、メニューが「チャンポン」「皿うどん」「餃子」のみというお店のテーブルに醤油やお酢と並んで、ソースが置いてあるのだ。
騙されたと思って、皿うどんにおソースを少しだけかけて食べてみた。
悪くない、食べられると思った。
そして、そのソースは、通常私が慣れ親しんでいるソースより、お酢っぽい味だと感じた。

家に帰ってから、インターネットで調べたら、「長崎では皿うどんにソースをかけるのが標準」と出ていた他、長崎で皿うどんにかけられるソースは、金蝶ソースという地場のソースだということがわかった。

ブルドッグソースやイカリソースをかけた場合は、きっと、美味しくないと思う。



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2005年06月02日(木)

22話 ブログへ移行しました


こんばんは、いつもエッセイを読んでくださって有難うございます。
この度、ブログへ移行しました。
このページをブックマークされている方は、今後は、excite blogの方をお願いします。

「美味しい!」が好き(ブログ版)←ここをクリック。

できたら、私のホームページから入っていただけると、ホームページのカウンターも上がるので、嬉しいのですが...、でも、これはただの欲張りですね。
今後とも宜しくお願いいたします。

ブログに移れば、写真をもっと載せるようになるのではと思います。



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