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「美味しい!」が好き 特別第2回

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2004年02月22日(日)

「どうも有難う」と「私の近況」


エッセイを再開するときに、一番最初に書くべきだったのだが、遅くなったけれど、「読みに来て下さる皆様、本当に有難う」

昨年2月以来、エッセイを止めていたが、時折、自分のHPを見ると、エッセイを止めているにも拘らず、結構な早さでアクセス数が増えていた。
それは、とても励ましになった。

外れているかも知れないけれど、皆が「エッセイ再開されていないかな?」と覗きに来てくれるような気がしていた。(実際、従姉妹の娘が「エッセイ再開されていないか、時々覗いている」と言っていたから。)

母の病気と私がエッセイを休んだことは、直接には繋がっていない。
たまたま、去年は、父が死んで10年にあたり、甥1がその前の年の秋に健康優良児に選ばれたことで、何だか、一人で勝手に、自分の10年の家族に対する行動が結実して表彰されたように思え、10年の区切りが付いたような気がしていたのだ。
そういう時だったので、昨年初めに「10年の区切りがついたところで、今が、今まで家族中心だった私の人生の転機だ」と心の中で浮かび、「書くこと(=自分の気持ちや考えをまとめること)より、散漫になってもいいから、自分の気持ちに素直に行動することが今は大切」とエッセイを休んで、動いていた。

途中で、再開しようと思うときもあり、密かに文章を書いたこともあったが、突然、母の病気が急激に悪化してしまい、後半は看病や心配やら、その後の思いもかけない母の他界で、エッセイを再開するどころではなくなってしまった。

今年に入って2か月弱エッセイを再開し、改めて自分の書いた物を読み直しても、本当に食べ物のことばかりで、我ながら、呆れてしまう。
去年突然知り合った人に、「あんたは、過去の美味しい物を食べたときのことを話すとき、本当に嬉しそうな顔をする」と言われた。
私の本質は、本当に全身全霊「ただ美味しさの感激を人に伝えたい食いしん坊」らしい。

以前は、家族の様子なぞを織り交ぜて文章を書いていたのが、現在は、甥たちとも余り会わず、夕飯も自宅にいるときは、一人で食べているから、家族の話は中々書けないと思う。
私は今、ようやく一人で作って一人で食べる夕飯に慣れて来たところ。

今は、そういう環境だし、家族のことよりも、料理のこと、美味しい店の話が中心になってしまうと思う。

それでも良かったら、毎日は書けないけれど、次の転機まで長く書きたいと思っておりますので、是非、読みに来てくださいね。



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2004年02月23日(月)

日帰り温泉 太陽の里 1/2


おじさんフレンドは、商売用の自動車を持っているので、たまに私を日帰り温泉に連れて行ってくれる。

今まで、三回行った。
最初が、「太陽の里」という千葉県長生郡長生村にある温泉、次が、筑波の「つくば温泉センター つくば湯」、三回目は、ついこの間「伊勢原」のこまや旅館というところに行った。
日帰り温泉は、宿泊しない分、気楽で手軽。
朝8時か9時に出発して、5時には帰って来れる。
(運転手は大変かも知れない)

で、今日は、「太陽の里」について。

太陽の里は、テレビで宣伝しているということで、そのコマーシャルを見たおじさんフレンドが行きたがったのだ。
予め、インターネットなぞで情報を仕入れたら、結構、設備が整ったところで、期待できた。
結論から言うと、「良いところ半分・改善してくれたらなと思うところ半分」というところか。

でも、テレビで宣伝しているから、混んでいて、玄関に行ったら、入場制限をして、帰る客がいると新たな客を入場させるという感じであった。
しかも、ちょうどその時、はとバスが着いて、はとバスの観光客がどっと入って来た。
15分くらい待って、私達は中に入ることはできたが、何と、大広間では、どこかの大衆演劇の劇団の「歌謡ショー」が開かれていて、大広間は舞台以外はまっくらで、超満員だったのだ。

小さいときに行った「平和島温泉」とか「船橋ヘルスセンター」を思い出した。
(実際には、そういうところで、大衆演劇を見た覚えはないのだけれど)

時代は変わって、どんどん進歩して、日本人の生活様式が変わったと言っても、結局、「温泉入った後は、大広間で歌謡ショー」というのが、日本の娯楽の実態なのかしらね〜、全然進歩ないね〜と思う。
温泉から上がったら、大広間でゴロゴロしようと思っていたのに、残念。
大広間がだめなら、どこでくつろぐのだろう。

が、実際、温泉から上がったら、おじさんフレンドが二階に「仮眠室」があるのを見つけておいてくれた。
そこは、薄暗い部屋で、正面に、何個か、テレビの大きなモニターが設置されて、音は消して放映されていた。
100個くらい、リクライニングシートとベッドの中間のような物がずらりと並べられていた。
部屋の隅には、自由に使える毛布などが山積みになっていた。
おじさんフレンドとは離れ離れであったが、お互い、空いているベッドを見つけ、風呂上り、毛布に包まって、そこでゆっくり、だらりとすることができた。

太陽の里は、一人2000円くらいの入場料を取るけれど、タオル・バスタオルと風呂上りに着るウェアも貸してくれるし、入場料が高いだけのことはあった。(大衆演劇とはとバスは止めて欲しいけれど)

温泉は、結構、薬効効果があるみたいで、次の日、肌がすべすべしていた。

やはり、テレビで宣伝するだけあり、相当色々な設備を持っていて、別料金は払わなくてはいけないけれど、砂風呂・エステ・垢すりがあった。
垢すりはやってみたかったのだけれど、お風呂上りに申し込んだら、予約で一杯で、1時間半後になると言われ、諦めた。
(その後、行った日帰り温泉には、そういう施設がなく、総じて考えるに、どうせ、東京からわざわざ温泉に行くのなら、そういう施設があった方が楽しいと思った。)

後、面白かったのは、ロッカーの薄さである。
一人用のロッカーが本当に薄く、幅15cm程度しかなかったのだ。
今まで見たロッカーの中で、最薄であった。
これ以上薄かったら、使い物にならないと思うくらい、薄かった。



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2004年02月24日(火)

日帰り温泉 太陽の里 2/2


実は、太陽の里では、アイスコーヒーを飲んだだけで、食事はしなかった。
どうせ、千葉の九十九里に行くなら、温泉施設の大広間で、鰯料理を食べるのではなくて、地元のお店に行ってみたかったからだ。

で、入場してしまえば、そこで食べるしかなくなるので、太陽の里の場所を確認した後、美味しそうな店を探し始めた。
九十九里の浜辺の横に、海岸に沿うように高速道路があり、それより、内側を自動車でウロチョロした。
事前に、インターネットで調べたりもしたが、盛り場でない場所の飲食店情報は出てこなかった。

走ってみると、お店は何軒かあった。
お目当ての鰯料理と書いてあるお店も2軒くらいあったけれど、トンカツの写真と並べて鰯料理の写真が出ているお店じゃ〜ねと中々気に入らなかった。
しばし、高速道路の内陸側すぐの道を北に向って走っていると、小さな「鰯料理 浜清丸」という看板をしょっちゅう見かけるようになった。
矢印か何かで、所在地を表しているようなのだが、その通りに走っているつもりでも中々、その店が見えて来ない。
しょうがないので、携帯でお店に電話して、行き方を聞いた。
お店の人の声は、そんなに愛想がなかった。
お店の人の声に愛想がないと、店員も無愛想で古びてすたれているお店を連想してしまうから不思議。
でも、そこしかなさそうだし、美味しいのなら行ってもいいと思った。

その後、道を習ったとおり、北に向って進み、橋の近くと言われたのに、大きな本当に大きな橋の近所に、そのお店が見えて来ない。
諦めて、太陽の里で食べるかと諦めて、Uターンして橋の近くの横道をウロチョロ見ながら走っていたら、また、浜清丸の看板があった。
もう一回だけ頑張ろうと、看板の矢印の通りに走ったら、ようやく、それらしい店が出現した。
幹線というか、九十九里の高速道路の一本中の二車線の道路が、普通の道路で幹線になるのだろうが、それより、もう一本内陸の、余所者が走らない、地元の車しか走らない道沿いにあったのだ。
確かに、そのお店の先に、小さな橋があった。

そのお店は、予想に反し、新築というか、結構きれいな店で、しかも、お店の前の駐車場には、私達の車が止められるかしらと心配になる程、お客の自動車が連なっていた。
こんなに、沢山の人がわざわざ食べに来るのなら、美味しい筈だと、期待して入った。
家族連れ、宴会しているような人たち、カップル、色々な人が楽しそうに舌鼓を打っていた。
1時過ぎだったので、ちょっと待っただけで、席に着くことができた。

メニューは豊富。
鰯料理の他、魚料理なら、何でも有りという感じ。
サザエの壷焼きも食べたいね〜とちらっと思ったけれど、初心貫徹、鰯のコースを1人前と鰯のサンガ焼きというのを取って食べたが、新鮮で美味しかった。
鰯のコースは、お刺身に塩焼きに、酢の物、天ぷらだったか唐揚げだったか、その他色々、とにかく鰯料理オンパレードで、量もたっぷりあったし、ご飯と味噌汁がついた。
(鰯の塩焼きの鰯は、「鯵じゃないの?」と疑ってしまう程の大きさだった。)
九十九里にわざわざ来た甲斐があったというくらい新鮮な鰯を沢山食べることができて、幸せであった。
それに鰯だから、安くて、余計幸せ。(笑)

帰りに、お店の人に、おじさんフレンドが「道の看板が小さくて、わかりにくいよ。大きくしたら?」と言ったら、店のおばさんが「いいんだよ、うちは、常連さんが沢山いるから」と強気の発言。
決して、飲食店の多い地域ではないし、魚料理の専門店はここしか見つからなかったから、結構、地元の人も忙しい時、家を鰯の煙で汚したくないとき、このお店に行ってしまうのかも知れない。

決して、一見さんの観光客向けの店ではないことは確か。
九十九里の方に出かける予定がある方に、お勧めです。




2004年02月25日(水)

口を閉じて食べる


一年くらい前に、甥たちが、「僕、学校や外でご飯を食べるとき、口を閉じて食べるようになったよ」と言った。
家では、リラックスして食べたいから、相変わらず、口を開けて食べているそうだ。

彼らが小さい時から、将来、甥たちが口を開いたままご飯を食べる男性になった場合、多くの女性にとっての「身近に存在して欲しくないタイプの男性」になる可能性が高い(=すなわち、将来、家族を作り難い=老後が孤独)ので、散々、私が「口を閉じて食べて」と言っていたのだ。
そう言うと、にやっと笑ってわざと口を大きく開けて物を噛んでいた幼い子たちだったが、小学校の高学年になり、段々、世の中には、口を閉じて食べる人と開けっ放しで食べる人と両方が存在し、口を閉じて食べた方がきれいだと気付いたようなのだ。

「学校じゃね、もう大きくなったのに、口を開けて食べている子もいるよ。でも、僕は閉じて食べるんだ。まりがうるさく言ってくれたから、『口を開けて食べる』と『口を閉めて食べる』の違いがわかったんだ。口を閉じて食べる方がきれいだから、外では口を閉じるの」とか言っていたかな?

ま、家の中での食事でも、口を閉じて食べてくれれば、満点だけれど、まだ、子供だから、相変わらず、鼻の穴が小さくて、口を開けて食べた方が空気が吸えて楽なのかも知れない。

曲りなりにでも、口を閉じて食べるようになってくれたこと、とても嬉しかった。
そして、お友達が口を開けて食べていても、それをわかったような顔をして「おかしい!」とか指摘することもなく、注意もしないで、それはそのままに分をわきまえて、一緒にご飯を美味しく食べていることも良いと思った。

これで、彼らは、将来の伴侶を選べる範囲が広くなったと思う。(笑)
すぐには言うこと聞かなくても、いつか自分からわかる日が来るのだ、言い続けておいて良かった。
おばちゃんの長年の悲願の半分程度は、無事、達成したようだ。




2004年02月27日(金)

日帰り温泉 つくば温泉つくば湯 1/2


1月の中頃に、つくばに行った。
私は、筑波山に行くのは初めてだと思う。
がまがえるに遭いたくない。
冬だから冬眠中で、出会う確率が低いので安心して出かけた。

筑波山は、東京から結構近かった。
1時間ちょっとで着いて、筑波神社の近所に、駐車しようとしたが、要領を得ず、お土産物屋さんに誘導されるまま、お土産物屋さんの駐車場に車を入れて出てきた途端、確か、「3500円だったか、4000円だったかの買物をしてくれたら、駐車料金一日無料、2000円だったら、1時間だったか、2時間無料」と告げられた。
結構、世知辛いと思ったけれど、そこを出て、市営の駐車場を探すのも面倒だったので、「わかった」と言い残して、後でどうにかなるだろうと、筑波神社に向った。

筑波神社は立派な神社であった。
神社の道沿いの石に、筑波神社に寄付をした人たちの名前が書かれていたが、東京築地のお店の名前が沢山あり、「築地の人は、こんな遠く離れた筑波山にも寄贈しているのだ、さすが」と感心した。

筑波神社の後ろに、ロープウェイの駅があり、そこから、山頂のちょっと下あたりに向ったのだ。
ロープウェイの券売機で切符を買おうとしたら、前にいた人が「これ、あげます」と二人用の半額券をくれた、ラッキー!
どうも、つくばの旅館に泊まった人らしく、旅館に泊まるとサービスで半額券をくれるらしい。

ロープウェイの両側の草木は、自然のままで、木も大きく、魅力的だった。
春や秋だったら、さぞかし、きれいだろう、残念ながら、今は冬で、緑の印象はなく、茶色に見える木々であった。

で、無事山頂に行ったら、ものすごい風。
風が強いということは、景色が良く見えるということで、眼下に広がる平野もきれいだったし、遠く向うに、雪で覆われた真っ白な山が見えた。

勿論、その後、山頂まで歩く気もなく、ロープウェイに再び乗って、戻ってきた。
土産物屋で、色々見たが、欲しい物は余りなかった。
ちょっといいかなと思うと、中国産の物が多く、わざわざつくばで買わなくて良いと思えるような物が多かった。
それでも、無理して、キクラゲを買い、二人で、売店隣の食堂で、甘酒を飲んで、駐車代を勘弁してもらった。

日帰り温泉は、つくばよりもうちょっと行った「やさと温泉 ゆりの郷」というところにしようか、筑波神社の近所の「つくば湯」にしようか、迷ったのだが、事前に調べたところでは、「つくば湯」の露天風呂の方が、評点が高かったので、そちらにしてみた。

つくばの湯は、土日料金1200円(でも、みやげ物屋で幾ばくかの割引券をもらった)
できたばかりできれいで、大広間も広くて、窓から山の景色が見え、明るく、空いていて、好印象だった。

お風呂は、内風呂も露天風呂も、結構小さめで、それぞれ10人も入ったら、「混んでいる」と思ってしまうような大きさ。
1月の真冬に露天風呂に入るには、まず内風呂で身体を十分温めてから、露天風呂に向えば風邪を引かないかなと思って、その通りにしてみた。

露天風呂は、確かに、周囲の山の景色が見え、遠くにロープウェイまで見えて、気持ちが良かった。(太陽の里は、空しか見えなかった)
露天風呂に浸かりながら、身体はお湯の中で温かいのに、顔と頭だけ涼しくて、やはり、1月の露天風呂は無理がちょっとあるなと思った。

お風呂から出てから、脱衣場や洗面台の設備が小規模だから、髪の毛を乾かす鏡の前の場所が空くのを待たなくてはならなかったのだ。
面倒なので、少し濡れた髪の毛を乾かすことなく、大広間に向った。
でも、これが良くなかったみたいで、頭が少し痛くなってしまい、大広間で横たわって、おじさんフレンドが出てくるのを待っていた。
(真冬の露天風呂が良くないのではなく、その前日まで結構忙しくて身体が疲れていたことが大きいと思う。)




2004年02月28日(土)

日帰り温泉 つくば温泉つくば湯 1/2


おじさんフレンドの男風呂も、女風呂と同じくらいの規模だったらしいが、子連れが多くて、混んでいたそうな。(男の子だけではなく、女の子もいたそうだ)
男の子が多かったから、お父さんについて男風呂に行った子供が多かったのかなとも思うし、毎日子供の世話をみているお母さんが、温泉に行ったときくらいはゆっくりしたいと、夫に子供を押し付けたのかも知れない、どっちだろう?と思ったが、わからない。

私は、この時、珍しく、結構丁寧にお弁当を作って行ったのに、この「つくばの湯」は、大広間に食べ物・飲み物持込禁止と書いてあったのだ。

持ち込み禁止ということは、ここで何か頼まなくてはいけない。
風邪の引き始めで頭が少し痛かったせいもあり、メニュー見ても、残念ながら、余り食べたい物もなかったので、お豆腐サラダともう1品何か取っただけ。(その前のドライブの途中でお蕎麦食べておいて良かった)
こういう温泉センターみたいなものを作って、低料金で温泉に入れてくれるのは嬉しいけれど、でも、やはり、経営側としては、その低料金だけではやっていけないのだろう。
それにしても、持込禁止なら、そう事前に宣伝しておいてくれればいいのにね。

実は、去年の夏に、名前も忘れてしまったが、長野の日帰り温泉に行ったのだ。
そこが持ち込み禁止だったかどうか覚えていない、でも、近隣の人たちが、おにぎりとかお漬物を大きなタッパに入れて持ち込み、皆、大広間で、楽しそうにそれらを広げていた。
何も持って来ていない人は、食券を買って、料理を注文する仕組みになっていた。
で、お弁当を持っていない私達は、その場でお蕎麦だのお豆腐を頼んだのだが、周囲の人の持込のお漬物やおにぎりの方が美味しそうであった。(笑)
それを覚えていたので、まさか、つくば湯が食べ物・飲み物持込禁止だとは思わなかったのだ。
そして、その禁を破って、お弁当を広げている人もいなかった、残念。

でも、私達の周りに陣取っていた人たちは、皆、この温泉の近所の人たちなのだろう、日曜日の午後、知り合いが集まって色々な料理を取寄せて宴会みたいに楽しんでいるグループもいれば、子連れで温泉の後の食事を楽しんでいる人たちがいたり、皆、楽しそうだった。

どちらかというと、「つくば湯」は「東京からわざわざ」ではなく、「地元の人がくつろぐ」温泉だと思う。(ま、この近くまで行くことがあったら、寄っても良いかな〜という感じか)

何か、つくば湯ではついていなかったので、つくばでは食べ物に恵まれなかった印象があるかも知れないが、ちゃんと私には食べ物の神様が後ろについているのだ。(なんちゃって)

帰り道、土浦のインターの近くのJAに寄ったら、とても広くて、色々な新鮮な野菜が安価で売られていた。
JAの売店って、近隣のお百姓さんが持ち込んだ物に、全て生産者の名前を付けて売っている、それも好印象。

お正月に近所の茨城の霞ヶ浦近辺出身の人に、「茨城の蓮根」をもらったのだが、それが本当に新鮮で真っ白できれいだったのだが、この土浦のJAに並べられている蓮根も、アクが全然出ておらず、どれもこれも真っ白できれいだった。
残念ながら、蓮根はその時家の冷蔵庫にあったので、買えなかった。
私が買ったのは、白菜1株100円と、春菊(いくらだったかは忘れた)

白菜一株が100円は、大特価だったが、また、我が家に戻ってから、兄弟におすそ分けするのに、切ったところ、「いつも食べている東京で売っている白菜は、一体、収穫して何日経ったものなのだろう」と思うくらい、瑞々しくて新鮮であった。
あれが、100円は信じられない。

それから数日経って、テレビで、「小学生地理王選手権」なる番組を見ていた。
それでわかったのだが、蓮根と白菜は、収穫高日本一は茨城県なのだそうだ、だから、白菜と蓮根は、「茨城の特産物」に入ると思う。

おじさんフレンドは、そこで友人へのおみやげに、お土産価格ではない「藁に包まれた水戸納豆」を10個も買っていたし、東京へのお土産を買うのに、JAって本当に良いと思った。

東京近郊にドライブに行くと、つい、JAを探すようになった私である。(笑)




2004年02月29日(日)

母がいなくなってから


昨年7月の母の入院以来、私は会社帰りに病院に寄っていたし、その後、母の他界したしで、甥たちも私も、夜、母の部屋に集まる習慣が自然と途切れてしまった。
ごく自然に行われていたことでも、いつか、終わりはあるのね、という感じか。
私は、今まで母中心の生活から、徐々に、自分中心の生活に移行しつつあるが、それでも、やはり、死んだ父や母の大切にしてきたことは、できるだけ、守り続けてあげたいという気持ちがある。

母の死は、娘にとって、「可哀想」という言葉でしか表せない。
最近、何故だか、心の中に、「お母さん、死ぬ必要なかったのに、どうして、死んでしまったのだろう。生きてればいいのに。」という言葉が良く浮かぶ。
我が母に限らず、世の中には、「死ぬ必要のある人」なぞ一人もいないのだ、それなのに、死ぬから、「死」というのは可哀想なのだと、実感している。

母が死んでから、無理なことは無理だし、単純なことしかできないけれど、母が喜んだり、望んでいたことのうち、私ができると思えることは、やり続けてあげたいという気持ちがある。
(我が母はがむしゃらで、理解不可能な面もあったが、真面目過ぎるくらい、我が家のこととか、家族のことを考えて、動いていた人だったからだと思う。やはり、「真面目」というのは、最後に勝つと思う。)

妹と話した時に、我が母は、C型肝炎で最初に入院する直前に、忙しい子供達に頼むのは無理だと思ったのか、子供達には何も言わず、ちょうど仏壇の中に花を飾る花瓶のような物に大きさがぴったりの香港フラワーというのか、プラスチックの造花を買って来て、黙って、仏壇に生けて入院した。
二度目も、母が入院してから、ふと仏壇を見ると、香港フラワーが飾られていた。

母が残念ながら「生きて」はできなかったけれど、我が家に帰って来たときも、仏壇には、その香港フラワーが飾られていた。
「それが不憫だったね」と妹と同じ思いであったので、現在は、私が週に一回、仏壇用の花を買って来て生け、妹が一日置きくらいにお水を取り替えている。
(本当は、朝起きたら、毎日、ちゃんと仏壇に手を合わせに母の部屋に行ければいいのだが、これができそうでできない。)

また、甥や妹のお誕生日には、母が生きている頃と同じように、ケーキを作り、甥たちと妹と4人で、仏壇のあるおばあさんの部屋に集合して、母の写真や仏壇の前で、ケーキにろうそくをつけて、ふ〜と消して、「おめでとう!」とお祝いをしたりしている。
この習慣は、甥たちが相当大人になるまでずっと続けたい。
母は、甥たちや妹のお誕生日をケーキで家族でお祝いすることが嬉しくて楽しみにしていたから。
今年の母のお誕生日にも、ケーキを作って、4人が揃って、皆、本当はおばあちゃんと一緒におばあちゃんのお誕生日お祝いしたかったのだよと、生きている時のように、仏壇の前でお祝いしよう。
私がケーキを作ってお誕生日をお祝いし始めたのは、父が死んでからであり、亡き母と甥2人と妹と私の5人はそのオリジナルメンバーであり、永遠の「お誕生日仲間」だと思うから。

今のところは、そんなことしかできない。






2004年03月02日(火)

二度目の南翔饅頭店 1/2


私が南翔饅頭店に行ってすぐに、V6の番組で、このお店が紹介され、小籠包がやたらに美味しそうに映ったのだそうだ。

それを見た会社の若い友達が、「森さん、この前、行ったのでしょう?美味しかったって言っていたよね?私達も行きたい、行こう」ということになり、2月は二回も南翔饅頭店に行ってしまった。(一人、千円の割引券を持ってきてくれるとのこと)

着いたのは、木曜日の午後6時過ぎ。
行列ができているのではないかと心配したが、10分程度並んだだけで、簡単に中に入れた。

メニューを見ると、結構、種類が少ない。
四人で、それぞれ違う小籠包のセットを食べるかと検討したが、小籠包は一篭に6個だから、四人だと、一人につき、2種類1個ずつ、2種類2個ずつと中途半端になってしまうことが嫌われた。
結果、小籠包を沢山食べたいということになり、3種類の小籠包を2篭ずつ取って、1種類について一人3個ずつ食べようということになった。

ここで、私がしくじった。
六本木ヒルズに行く道々、「あの店はね、熱い料理を次から次に持ってきて、忙しいのだから。高いのだから、もっとゆっくり食べさせてくれればいいのに、セット頼むと、殆ど全部持ってきちゃうの」と話していたのに、私は、取ることに決まった3種類の小籠包全てを、係りの女性に言ってしまったのだ。
言ってから、「しまった!」と思い、慌てて「あの、今頼んだ3種類について、1種類食べたら、次を持ってきてくれるようにしてくれます?」と頼んだけれど、答えは、「それはできません」であった。(優しい言い方だったけれど)

だったら、注文をキャンセルして、1種類だけ注文すると言ったら、「今の時間、混んでいるから、そんなにいっぺんに来ませんから」というので、3種類を注文したのだ。
(一人、鼎泰豐が大好きでしょっちゅう行っている女性が「私はいつも1種類注文して、食べ終わったら次注文している」とのこと。あ〜あ〜、こういう注文は慣れている人がやるもんだねと反省。)

でもね、でもね、係の人は、大丈夫と言っていたのに、やはり、最初に2種類4皿が湯気を立てながら、運ばれ、それを半分も食べ終わらないうちに、もう1種類2篭が運ばれて来たのだ。
だから、言ったじゃないと言っても、もう遅い。

小籠包を「美味しい!」「美味しい!」と言いながら食べ終わった後、まだ、足りないからと点心を取ることにしたのだが、この時から、ちゃんと1種類頼んで、食べ終わったら、次を頼むようにした。
このやり方が良いみたい。
こうすると、本当に落ち着いて、食べ終わった料理の余韻を味わうことができる。

ここのメニューは、昼夜同じ内容であった。
セットは、やはり割安感があるけれど、落ち着かない。
アラカルトで食べると、落ち着いて食べられるけれど、割高。
どちらを取るか難しいところ。
お金のあるときは、アラカルト、ないときは、セットかなと思う。

このお店をファーストフードのお店のようにしてしまうか、余韻を味わえる落ち着いた店にするかは、お金と注文する人のやり方次第のようである。




2004年03月03日(水)

二度目の南翔饅頭店 2/2


それにしても、やはり、ここの小籠包だの点心は本当に美味しい!

今回、小籠包は、豚と上海蟹肉と上海蟹味噌を頼んだ。
残念ながら、私は上海蟹の味は好きなのだが、美味しさを言葉に表せない。
どう表現したら、適切なのか、良くわからないのだ。
地味な美味しさで、美味しいのだけれど、「ふくよか」という言葉は当てはまらないし、あの味はどう表現すれば、良いのだろう、今のところは、「地味な味なのだけれど、美味しいと感じるのだけれど、記憶できないし、表現できない味」かな?

一つ分かったことは、前回、海老と豚を食べたら、豚が圧倒的に美味しかったのだけれど、今回、上海蟹関係を食べながら、豚を食べると、前回食べたときと、豚の小籠包の味の印象が異なるということだ。
この前、海老を食べた後で豚を食べた時より、上海蟹味噌なぞを食べた後の豚の小籠包は、華やかな味がしたような気がした。(美味しい、不味いは、別にして)
一緒に行った若い友人は、「豚の小籠包を食べた後に、上海蟹肉食べたら、やたらに美味しかった」のだそうだ。
食べ物って、やはり、一緒に食べる物によって、また、単独で食べたときと、味が変わるのだなと改めて思った。

小籠包も美味しかったけれど、上海蟹の春巻、これが絶品であった。
出てきた物は、三角形の形をした春巻で、薄いきつね色に揚がっていた。
あれ、この前の時は、白っぽくて、余り揚がっていなくて、湯葉巻きだったような気がした。
時によって、外側の皮を変えたり、揚げ方を変えるのかも知れない、もしかしたら、私の記憶違いかも知れないが。

食べると、濃厚というのではないのだけれど、コクのあるスープが少しと、本当に細かく切ったお豆腐が口に入る。
この具自体も美味しいし、外側の皮が熱々でパリっとしていて、皮そのもの、すなわち小麦粉の味も美味しければ、揚げるのに使った油の味も美味しい。
きっとピーナッツ油とかその手の物だと思うが、油の良い味と香りが素敵!

最後もう一品ということになり、精進饅頭を頼んだ。
これも評判が良かった。(その日食べた中で一番評判が高かったかも知れない。)
簡単に言うと、肉まんのような皮なのだけれど、これがなんとも言えず美味しい。

ここの料理は、皆、小麦粉関係が美味しいので、「中国の小麦粉でも使っているのかしら?もし同じなら、他の店でもこれくらい美味しい点心作れるだろうから」と考えていたが、帰りに、店先の小籠包などを作るガラス張りの作業場を覗いたら、日清製粉の小麦粉の袋が積まれていた。
本当に、修行に行きたくなるような味であった。
私はその内また南翔饅頭店に行ってしまうような気がしている。
(一番行きたいのは、上海の本店だけれど)

南翔饅頭店を出て、どこかでお茶しようということになり、TORAYAカフェが空いていたので、入ってみた。
コーヒーの他、デザートプレートという餡と洋風な物、例えばチョコレートを入れて焼いたパウンドケーキのような物が2,3種類乗っている物を二人で半分ずつ食べたのだ。
そうしたら、思いもかけず、口の中に残っていた南翔饅頭店の美味しさの余韻が全て、餡の味と香りで消されてしまった。
そのことはとても残念。
反面、餡ってすごいのだな〜、全ての味を消してしまうと思った。
デザートプレートに乗ってきたパウンドケーキみたいな物は、洋風を狙って作られた物だと思うが、やはり、食べた印象は「和菓子」であった。
南翔饅頭店の後、TORAYAカフェに行くのなら、メニューの中から、餡が入っていない物を食べた方が良いと思う。




2004年03月04日(木)

救世主は「わかめ」


去年の後半は、母のことで、そのときは夢中だったけれど、考えてみれば、我が家全員が落ち着かない毎日を送った。

その結果、香醋が沢山あまり、兄弟が皆、私にくれると言うのだ。
(流行らせた張本人がどうにかして!という感じ)
もっぱら「香醋みたいなものは、生活が落ち着いていて、安定していないと、飲む気にならない」との評判。
本当にこういう不味いものは、心に余裕のあるときでないと、飲む気にならないものらしく、私もバッタリやめている。(だから、我が家には、開栓していない香醋が沢山ある)
小松菜ジュースくらい続いていそうなものだけれど、これもアウト。

で、この数ヶ月、家にいるときは、自分で夕飯を作って一人で食べているのだが、どうにか慣れて来た。
ついこの前までは、やはり、野菜の取り方が少ないらしく、繊維が足りないのか、便秘気味であった。
だから、お腹の回りがやたらに太くなってしまい、見るからに不健康そうな体型になりつつあった。
そんな状態だったので、とりあえず、今の私の敵は、脂肪ではなく、老廃物であることに気付き、その老廃物を身体の外に出すために、食物繊維を沢山取らなくては、と思っていたのだが、それは、偶然に解決をした。

一人でご飯を作るようになって、一番、変化したのは、お弁当をまめにちゃんと持っていくようになったこと。
実際にやってみてわかったのだが、一人暮らしで夕飯の一食しか作らないというのは、買って来た食材が回らず、無駄にすることが多いのだ。
(お肉は、凍らせてしまうから、無駄にはならないのだけれど、野菜がどうしても残ってしまう)

副菜が少ないある日、お弁当箱の中の空いている場所が余りに広かったので、冷蔵庫に沢山残っている塩蔵わかめを戻して玉ねぎや薩摩揚げと共に、軽く味付けして煮て持っていったら、お弁当箱の場所は塞がるし、冷めた若布の煮物は、わかめ臭さがなく、柔かいし、食感が良いので、結構量が食べられることがわかった。

そして、今まで、わかめは、味噌汁の具、サラダに入れたり、きゅうりと酢の物にしたりするくらいの使い方しかしたことがなかったが、煮たり、炒めたりするようになった。(冷めた方が私の好み)

それで、毎日、わかめをお弁当箱の1/3程度の量を持って行っているのだが、そのおかげで、便秘気味が直ってしまった。

「食べ物さん、ありがとう」にも、確か、若布は青い野菜のピンチヒッターになると出ていたと思った。(書いてあることを確認)
ほうれん草や小松菜を食べたいけれど、やはり売っている1単位の量が多いし、生でも煮ても冷蔵庫に入れておくと、食べるのに追われてしまうしで、気ままで少量しか消費できない一人暮らしでは、段々手が出なくなっていたのだ。
その点、保存食品になっているわかめは扱いや保存が楽で嬉しい。
一人暮らしには、わかめは強い味方のような気がしている。

効果が実感できるので、私のお弁当箱には自然と大量のわかめが入るようになった。
(欠点は、やはり、水っぽいので、お弁当に持っていくと、汁気が出てしまうこと。今、これを防ぐべく、試行錯誤中)




2004年03月05日(金)

甥たちその後


母が死んだら、家族との接触がとても減ってしまった。
母が死んだのは早過ぎたけれど、甥たちも、もうどこを取っても、幼児ぽさが抜けた時期であり、今までみたいにおばあさんやおばさんの愛情を必要としない時期に入ったようで、そういう意味では、甥たちが周囲の人からの沢山の愛情が必要な幼児期に、母や妹と共に甥たちと沢山接触できたことは、良かったと思う。

甥たちは二人とも、元気で学校に通っているし、忙しそうだ。
甥1は、生まれつきの性格が「長男」で優しく生まれついているのか、私がお店の前で、タバコなぞを詰めているところに遭遇すると、「まり、何か、お母さんに持って行くものある?」とか「戸締り、僕がしようか?」とか、必ず、気遣いの言葉を掛けてくれるのだ。
その度に、おばちゃんは「いいよ、いいよ、気を遣ってくれて有難うね」と言ってしまう。
でも、心の中は、その返事以上の大きさで嬉しがっている。

甥2は、反対に、私に会っても何も言わない。
この前聞いたら、「僕、疲れているの」とのこと。
小学校高学年になると、色々忙しいらしい。

おばちゃんが思うに、甥2は、生まれつき、神経の数が甥1に比べて相当多いのだ。
例えば、おばあさんの部屋に集まっている頃、テレビに夢中になっていると、甥1は、自分の背後でおばあさんやおばさんが何を話していても聞こえない。
同じようにテレビを見ている甥2の耳には届いているようで、「今、僕の話、した?」とか「今、○○の話したでしょう?」とか、振り返って聞いたりしていた。
多分、甥2の方が、神経の数が多いから、一つのことのみに神経が集中せず、色々広範囲に余計なことまで感知してしまうから、疲れるのではとおばちゃんは見ている。
(後、太っているから、もしかしたら、見かけ程、体力が無いのかも知れない。)

今、彼らは、おばあさんの家でくつろぐことはなくなったが、土日の夕方、妹の部屋に遊びに行き、そこでくつろいでいる。
そんな時、おばちゃんは、たまに、おやつを持って行ってあげるのだ。
ちょっとすれ違いざまに話すくらいでは中々会話らしい会話ができないが、こういうときに話すと、すぐに昔の仲良しに戻れる。

そう言えば、母が入院中に、「孫たちが病院に来ても、家とは違って、無口になって、何もしゃべらないでつまらない」と私に訴えた。
男の子は大きくなると、口数が減ると聞いていたから、自然なこととは思ったが、母が可哀想だし、できるだけ、病院で楽しいことを見つけてあげたくて、私は、甥たちのお母さんにメールで、「おばあちゃんが甥1や甥2が来てもしゃべらないのがつまらないと言っているから、今度来るときには、おばあちゃんに意識して大きくはっきりした声で話し掛けるように、甥たちに話しておいてくれ」と依頼した。
で、その次に来るときから、甥たちは、意識しておばあちゃんに話し掛けるようになった。

その後だったかに、甥たちのお母さんが「自分達が学校から帰って来て、家に辿り着いたとき、お店におばあちゃんがいるから、『あ〜、疲れた』とか『今日、学校でね』と、話すことができるけれど、病院という慣れない生活感のない場所で、改めて寝ている病気のおばあちゃんに会っても、彼らは何を話していいのかわからないのではないか」と言ったのだ。
さすが、実のお母さん。

その通りのようで、大人はつい「孫とおばあさんは仲が良いから、いつでもどこでも会話が成立する」と思うが、実は、「どんな状況で会うか」によって、口数が決まるものらしい。

母が入院している最後の方に、そんなこともあったと思い出した。
甥1は、その時に、人に話し掛けると、相手の人が嬉しくて喜ぶと理解したのかな?
本当は無口な13才なのに、私が働いていると必ず声を掛けてくれる我が家で一番良い子なのだ。




2004年03月06日(土)

日帰り温泉 大山・伊勢原 1/4


1月のある日、おじさんフレンドが「自分が一番好きな景色を見せてやる」と言い出し、大山方面に行くことになった。
どんな景色が見られるのか、とても楽しみだった。
で、行く前に、伊勢原観光協会のHP見て、日帰り温泉設備があるか、お土産は何がいいかなど、色々学習して出かけたのだ。
こまや旅館というところは、日帰り温泉にお風呂を開放しているようだった。
何でも、名物は「お豆腐」らしい、それにお土産に「麦とろ納豆」がいいかなと考えていた。

東名を飛ばして、ここも結構近かった、2時間弱で到着。
前回の筑波の学習効果があって、迷わず、市営の駐車場に車を入れる。
大山の神社は、阿夫利神社(あふり)というらしい。
それでわかったのだが、神奈川県の真中あたりに「中村屋」という有名なラーメン屋があって、そこの主人のお兄さんが恵比寿に開いたお店が「AFURI」。
「AFURI」はきっと自分達の氏神様の名前から付けたに違いない。(本当はどうだか知らないけれど)

市営の駐車場の人に「どこのお豆腐料理が美味しいですか?」と聞いたら、「小川」と教えてくれた。
それを頭に入れて、ロープウエイに向かった。
ロープウエイに向う石段は、すなわち、阿夫利神社への参道になるのか、両側に、お土産物屋さんと旅館、お豆腐料理のお店でびっしり。
中々面白い物を売っていて、しょっちゅう、立ち止まっては品物を見てしまった。

「白滝の乾燥した物」があり、へ〜、こんな物あるのだ、買おうかなと思ったけれど、美味しかったら、きっともう他のメーカーが真似しているかな?それとも日本国中、生の白滝が容易に手に入るから、全国的には広がらないのかな〜なんて、考え出したら、手が出なかった。
他にも、農産物を乾燥させたものが沢山あり、伊勢原付近は、沢山の農産物が取れる地帯であることが窺われた。

他に、「しもつかれ」という道具を売っていた。
大根を粗くおろす「鬼おろし」という道具を小型にした物で、確か、「しもつかれ」というのは、栃木独特のお料理だったと思う。(ミニモニの県庁所在地の歌に出てきていた。)
でも、神奈川県の大山にも「しもつかれ」という料理があるのかな?(確かめればよかったが、誰にも聞かなかった。)
こういう道具で、野菜を切ることを初めて知った。
鬼おろしと並んで売っていたが、鬼おろしの方は結構良い値段であった。
食べたことも見たこともない料理の道具は買えない。

結局、何も買わないでロープウエイの発着所に着いたけれど、初めのうちは楽だったのだが、石段が延々と続いて、終点に着く頃、私は軽いめまいがしてしまった。

ロープウエイの中で流れる説明を聞くと、大山の頂上から周囲を見ると、相模湾から富士山から360度雄大な景色が見れるらしい。
おじさんは、こういう景色を見せたかったのかなと思った。
が、阿夫利神社駅について、案内図を見ると、見晴台まで30分、頂上まで1時間30分歩かなくてはならないらしい。
相棒のおじさんに「歩く?」と聞くと、ノーとのこと、今はもうそんなことできる程若くないそうだ。
じゃ、その一番好きな景色はいつ見るの?と聞くと、「その内、頂上までロープウエイができるかも知れない。そうしたら、見に行こう」だって。(笑)
参道の石段でめまいを起す私であるから、すぐに同意したけれど、皆様、交通手段のない高いところの景色(=山の景色)は、若いうちにしか見られませんよ〜。

阿夫利神社も大変立派な神社で、こんな高いところに良く作った物だと思った。
この神社も色々な寄付を行った人の名前が石に刻まれていたが、ここも東京築地魚河岸の人の名前が沢山あった。
築地の人は、筑波神社に九十九里の方の魚が大漁でありますようにと祈り、阿夫利神社では相模湾で魚が沢山取れますようにと、昔から北から南まで関東各地の大きな神様に気を遣っているようであった。

神社の中に、「ご神水」を飲ませてくれるところがあって、行列が軽くできていたので、並んでみた。
紛らわしく、ご神水飲み場のところにプラスチックの細長い容器が並べられ、「300円」と書いてあったので、おじさんが、300円払ってくれた。
でも、これは、ご神水をもらっていくときの容器代であり、その場でひしゃくで飲むだけなら、無料だと、その後気付いた。
(その時、ご神水は美味しいとも思わなかったけれど、家で冷やして飲んだら美味しかった。)




2004年03月07日(日)

日帰り温泉 大山・伊勢原 2/4


ロープウエイで下りて、また、同じ石段を下りて行った。
今度は、お昼にお豆腐を食べようと、お店を探すことにした。
市営駐車場の人推薦の小川はきれいで感じの良さそうなお店だったけれど、「懐石」とか書いてあったのだと思う。
東京や京都風の小ぎれいで、新しい食材を使った豆腐料理ではなくて、昔ながらの朴訥なお豆腐料理が食べたくなって、パス。
でも、どこに入っていいかわからず、おじさんフレンドが14,5年前に入ったお店に行ってみる。
そこは、元旅館らしく、靴を脱いで、日当たりの良い廊下を歩いて行、通された部屋は、ふすまを外して4,5室を一室にした部屋であった。
それぞれの部屋に、テレビがあって、押入れがあって、灰皿が置いてあって、いかにも昔の旅館の部屋という感じ。
お店の人に話を聞くと、昔は旅館だったけれど、今、大山に泊りがけでやってくる人が少ないので、お豆腐料理専門店にしたとのことであった。

お豆腐料理の5品のコースを一人前と、その中に湯豆腐がなかったので、湯豆腐を頼んで、後は、足りなかったら取ることにした。
客は私達だけ。
出てくるのが遅かった。
遅いから、さぞ出来立てが出てくるのかと思ったら、全部が出来立てではなかった、残念。
湯豆腐、冷奴、揚げ出し豆腐、珍しかったのは、お豆腐を細かく切った物に何に混ぜたのだろう、多分、マヨネーズかな?油っぽい物と混ぜたものをパンを小さい賽の目に切ってた物を衣にして揚げたものが出てきた。
これは冷めていたけれど、中々美味しく、気に入った。
(南翔饅頭店でも、お豆腐の春巻が出たし、揚げ出し豆腐ではなく、お豆腐を細かく切って、何かと混ぜて、小麦粉の加工品で包んであげるのは結構良いかも)

お豆腐はやはり名物というだけあって美味しい。

店のおばさんに、「インターネットで調べたら、大山の名物に納豆って書いてあったのだけれど、どのお土産物屋さんに聞いてもない」と聞いたら、伊勢原生まれの伊勢原育ち、伊勢原以外に住んだことのないというおばさんが、「ここの名物が納豆なんて初耳だ。私が知らないこともあるんだ。みつかったら、教えてくれ、伊勢原のことで知らないことを作りたくないんだ」と冗談ぽく言った。
おばさん曰く、「ここの豆腐は、お水が良いから美味しいのであって、伊勢原は大豆の名産地ではない。よって、納豆が伊勢原の名物であろうはずがない」とのことであった。

その他、おばさんは、「ここいらへんの料理屋で使っているお豆腐は皆二つのメーカーの物で、地元ではその2つのメーカーのお豆腐だけを「大山豆腐」と言っている。
いくら、大山で作られているとは言え、それ以外のメーカーのお豆腐は大山豆腐ではないのだ。」と教えてくれたが、その二つのメーカーの名前は聞き損なった。
何でも、昔からの「大山豆腐」の2つのメーカーは商標登録をしたかったのだけれど、地名は商標登録はできないということで、どのメーカーも「大山豆腐」という名前を使えるとのこと。

量は少なかったけれど、お豆腐自体はすごく美味しかった。(料理は普通)
(余計なことだけれど、こういう座敷のお店は、サービス料を10%くらい取られるみたいだから、お豆腐だけ味わいたいのなら、普通の靴を脱がないお店がお勧め。)

さて、大山の参道では数箇所で、無人でみかんを売っていた。
我慢していたけれど、市営駐車場の人に聞くと「甘いよ」ということだったので、駐車場の近くで買ってしまった。
300円で小粒だったけれど22個入っていたから、お買い得。




2004年03月08日(月)

日帰り温泉旅行 大山・伊勢原 3/4


また、市営駐車場の人に「日帰り温泉」を聞くと、今は、市営駐車場より下の方にある「こまや旅館」しかやっていないとのこと。(インターネットでもこの旅館が出てきた)
で、素直に、こまや旅館に向った。

入口で一人千円を払うと、タオルを渡され、二階の大広間に案内される。
また、一人に一つロッカーの鍵が渡され、貴重品をしまうことができた。

貴重品をしまって、温泉まで案内されるのだが、ものすごく遠かった。
両側に客室のある暗めの廊下をずっと歩いて行くのだが、ここの旅館は建て増し・建て増しで、賑やかだった時代があったことが偲ばれた。
今は誰も泊まっていないようであった。

ようやく、辿り着いたところは、露天風呂。
岩風呂もあるけれど、今の時期客が少ないから、露天風呂だけとのこと。
お風呂は、新しくてきれい。
脱衣場もお風呂場も、10人入ったら、「混雑」と感じられるくらいの規模。
しかし、シーズンオフだから、お客さんは、私も含めて4人くらいしかいなかったので、のんびりゆっくりお風呂に入ることができた。
ここは、頭の上は露天は露天だけれど、前面に、板が張られていて、その隙間からしか、周囲の景色を見ることはできなかったけれど、それでも、隙間越しの田舎ののんびりした風景で心が癒えた。

お風呂を上がって、脱衣場で身支度もだいたい整った頃、おばあさんが入ってきて、隣で洋服を脱ぎながら、「どこから来たか?」と聞くので「東京」と答え、「何で、ここの旅館を知っているのか?」とも聞かれ、「インターネットで調べたのです」と答えた頃、おばあさんは、脱衣を終わり、風呂場へと消えて行ったのは良かったのだが、お風呂場の中から、大きな声で、「東京」「インターネット」などと言って私の話をしているのが聞こえてきたのだ。
先にお風呂場に行った仲間に私の話をしているようだったのだが、何だか、東京からわざわざインターネットで調べてこの温泉に来た珍し物がり屋のように扱われているような気がして、恥ずかしくて、あたふたと脱衣場を後にした。

ちょっと迷子になりそうだったが、無事、大広間に戻ったが、ここも季節外れのせいか、4,5人しかお客さんがいなくて、広々としていた。
下山してきたと思われる身なりのお客さんが釜飯を食べていた。

この大広間は何十年前に作られたものだろう、昔は客室だったのが、今ではふすまが外され、大広間にされた感じであった。
座敷と窓の間は、板の間になっていて、テーブルを挟んで向かい合って座る一人用のソファ2つが置かれていた。(そこでぼーっと窓の景色を見てリラックスしていた)
その人気の少ない柱の多い大広間は、それこそ、古時計とラジオが似合いそうな雰囲気のただ広い畳の部屋で、2,30年前に戻ったようなゆったりと時間が流れるような空間であった。

この旅館も最盛期は、家族旅行や社員旅行などの温泉客で混んでいたのだろう。(もしかして、今でも、1月だから空いていただけで、シーズンには混むのかも知れないけれど)
大山は、昔は、東京から一泊の温泉地だったけれど、交通の便が良くなって、皆が自動車を持ち出して、昔と距離感が違ってしまい、ここに泊まる人は激減してしまったのかも知れない。
社員旅行も流行らない時代になってしまったし。

でも、この旅館は古いけれど、混んでいなければ、ひなびた風情があって、中々くつろげる場所であり、阿夫利神社の帰りに一風呂としてはお勧めと思った。




2004年03月09日(火)

日帰り温泉旅行 大山・伊勢原 4/4


こまや旅館を出て、東名厚木インターに向ったのだが、その帰り道、いたるところで、無人のみかん販売所があった、伊勢原はみかんの産地のようであった。
行きには全然目に入らなかったのは、午前中みかんを取ってきて、午後に売るのかも知れない。

246に出る前に、行きに見つけておいたJAに行かねば、と寄ってみた。
JAの売店で、お豆腐を買った。
一丁170円だったと思う。(土産物屋より2,30円安かった)
他には、大根と人参と昆布の細く切った物を甘酢に漬けた物があり、これを買った。(これはお弁当の彩りに大変役に立った。)

相変わらず、納豆はどこにもなかった。
帰り道、行きとちょっと違った道を走ったら、いきなり、目の前に「大山納豆」の大きな文字が目に入って来た。(その上に、「大山豆腐」という文字も)
それは、246号沿いにある「大山豆腐」の工場に貼り付けられた大きな文字であった。
何か、わかったような気がした。
その会社は、お豆腐メーカーで、新製品として、「大山納豆」という麦とろを入れた納豆を開発して、それが売れるように、伊勢原観光協会のHPに「推奨観光みやげ品」に載せてもらっているのではないかと。
「みやげ物」と聞くと、どの土産物屋でも売っているものかと思い込んでいたのだが、そうではなく、この大山豆腐の工場の売店で買えるものなのかも知れない。(あいにく日曜日だったので、開いていないだろうと売店には行かなかったが)
もしかすると、地元のスーパーには並んでいるのかも知れない。
最後の最後で、買うことはできなかったけれど、幻の大山納豆がちゃんと存在することを確認できた。

次の晩、阿夫利神社のご神水で、大山豆腐(大山綜合食品製)を湯豆腐にしたのだが、美味しかった。
東京のお水で湯豆腐にしたら、せっかくの大山豆腐に含まれているお水が不味くなったところだが、湯豆腐のお水も大山産だもの、不味い筈がない。




2004年03月11日(木)

秩父は楽しい、美味しい 秩父への道


何故か、今度は、秩父に行くことになった。

長瀞は、小学校の遠足で行ったことはあるけれど、秩父は恥ずかしながら、行ったことがなかった。
でも、秩父って、長瀞の先でしょう?
だったら、ろうせきがあるのかな?
小さいとき、ろうせきで地面に絵を書いて遊んだっけ。
小さいときの遊び道具にろうせきは必須アイテムだった。
今は、地面に絵を描いて遊ぶ女の子もろうせきも見なくなった。(ろうせきという漢字も思い出せない)

その程度の叙情的なことと札所巡りと秩父セメントしか、頭に浮かばない私ではあったが、今回は強い味方があって、秩父に詳しくなってから、秩父に出かけたのであった。(高田馬場の古本屋で、2002年版の秩父のガイドブックが300円で買えたのだ。)

秩父に行くには、東京外環道から関越自動車道に入って、花園インターで下りるとのこと。
更にそこから、1時間かかるようで、二時間では着かなかった。

長瀞は、車の中から景色を見ても、美しく、楽しめた。
東京からこんなに近いのに、まだ、全然自然が汚されていない感じであった。
そして、長瀞から秩父までの道の両側も、自然もきれいだし、建造物も昔の建物が古くなったような感じのものが多く、「昔ながらの田舎」という風情で垢抜けていた。
後で、気付いたのだが、パチンコ屋とファミレスとラブホテルとか言うケバケバしい建物が殆どないのだ。
何か規制でもあるのかと地図を見たら、「秩父国立公園」とある。
きっと、国立公園の中だから、ケバケバしい建物を建てることは規制されているのだろう。

秩父に行ったことのある人から、秋の紅葉シーズンに行ったら、人、人、人で、全然楽しくなかったと聞いていたが、2月はオフシーズンだから、混雑はしていなかった。
ただ、2月の緑も花もない時期でも、自然が豊かで、山も平野も川もきれいだから、桜や紅葉の季節に行ったら、さぞかし、素敵な景色なのだろう。

また、ガイドブックの地図を見て、現在では、秩父と甲府が結ばれ、このまま140号を真っ直ぐ行けば、埼玉県と山梨県の境を越え、笛吹川の上流に行けるということがわかっていたのだ。
山梨と埼玉の県境なんて、行ったことのある人が圧倒的に少ないところだろうし、この道路ができていなかったら、一生行けない地域のような気がして、行ってみたかったのだ。

しかし、このまま、山梨までのドライブを続けたら、おじさんフレンドをただの運転手扱いにしてしまうし、きっと私だけが楽しいだろうことに気付き、両方が楽しめる範囲の中で行動することにした。




2004年03月12日(金)

秩父は楽しい、美味しい 秩父祭


で、中心部で観光しようということになり、行ったのが、秩父神社とまつり会館。(笑)
でも、中々、良かった。

秩父神社は、江戸時代からの古い社の木の壁に江戸時代の彫刻と色彩が残っていて、思いの外きれいであった。

また、まつり会館は、入場料が400円なので、入るのを一瞬ためらったが、実際に入ってみたら、400円以上の価値があったと思う。
「秩父の夜祭」というのは、テレビのニュースで見たことがあるし、有名な祭であることも知っていたが、どんなものなのか、全く知識がなかったのだ。

会館に入って最初に目に入るのがのが、「屋台」と「鉾」。
これが大きいのだ、人の背の高さの三倍以上あるし、横幅も奥行きも大きい。
京都の祇園祭の山車と同じくらいの大きさだと思う。
まつり会館に飾られている物は、本物ではなくて、模して作ったものであったが、大きさは実物大とのこと。
こ〜んな大きな物を引っ張って回るなんて、すごいし、さぞ、賑やかなお祭であろうと、ただ、ただ、驚く。

その展示場の隣が映写室になっていて、一時間に一度、秩父の夜祭の映画が上映されるとのこと。
ちょうど時間がうまく合って、その映画を見ることができた。

古い映画で10分か15分程度の物だったけれど、秩父祭の準備から終わりまでを見ることができた。
あの展示されている屋台や鉾は全て解体式の物であり、祭が始まる前に組み立てられるところ、鳴り物や太鼓の練習するところ、祭の最中に、屋台は歌舞伎の屋台になるところ、皆がお祭に興奮して楽しんでいるところなどが写された。
秩父の人たちにとって、この祭が生活の中心であり、年に一回の大切な行事であることがよくわかる映画だった。
年に一回のお祭に行ける人の方が少ないのだから、映画という形で、秩父祭の全容を観光客に見せてくれるのは良いと思う。

だいたい、お祭が、12月の2,3日と決まっているところがすごい。
(三社だって、鳥越だって、お祭は、昔と違って、今は、土日にしているではないか。人が集まらないからだと思う)
平日に、町をあげての祭を盛大に未だに続けていること、そのことだけで、秩父の人がいかにこの祭及び秩父神社を初めとする昔ながらの伝統を大切にしているかがわかるような気がした。

この町に生まれたら、秩父を離れた場所に暮していても、上司に、「夏休みはいいですから、12月の2,3日だけは休ませてください」なんて言って、絶対、その日は故郷に帰るに違いないなんて、想像してしまう。

秩父の夜祭に実際に行けない人に、秩父の夜祭の全容を教えるという点で、この会館は見た方が良いと思った。(映画の時間が、12:00、1:00とかいう一時間置きなので、その少し前に入るといいと思う))




2004年03月14日(日)

カマダ醤油のだし醤油類


去年の夏だったか秋に、高田馬場の古本屋で精進料理の雑誌を買ったのだ。
その中に、精進料理のかつお節を使わないだしの取り方が載っていたのだが、現在ではそんな手間暇をかけなくても、カマダ醤油というところが、精進だし醤油を販売していることが宣伝と共に載っていた。

「カマダ醤油 商品購入」のページ ←ここをクリック

また、その本には、カマダ醤油の跡継ぎの人のところにお嫁に行った「実家がお寺で、日本女子大の家政学部の大学院を出て助手をやっていた女性」が紹介されていた。
適材適所というか、そういう履歴の人がお嫁に行くところの精進だし醤油なら美味しそうな気がして、使ってみる価値があるかなと思ったのだ。

興味はあったのだが、取寄せると、送料が高いので、そのときは諦めていた。

でも興味があったので、インターネットで色々検索していたら、使った経験者の評判は良いようであったし、ただの「だし醤油」なら、西武池袋や東武池袋の地下で手に入ることがわかり、西武池袋の「諸国名産コーナー」で手に入れてみた。
使ってみて、味がものすごくいいという印象もなかったが、悪いということは全然なかった。
大きさが手頃(300ml)で、注ぎ口が細く、料理する手元に置いておいて、ちょっと使うのに中々便利であった。
(例えば、ほうれん草とか茹でて水気を絞ったら、ちょっとこのだし醤油をかけて混ぜて置いておき、馴染んだら、絞って、再度、このだし醤油を好みの濃さに薄めて、おひたしにするみたいな使い方。)

そんな時、母が死に、友人たちから、お香典をいただいた。
葬儀全体のお返しは、弟のお嫁さんがデパートを通してまとめてやってくれたのだが、近所の料理が好きな私の友人たちには、このカマタ醤油のだしのお試しセットを送ることに決めた。
差し上げたのは、「五色醤油セット」+精進だし醤油1本+レシピ本なのだが、お醤油は中々評判が良い。(全て200ml)
レシピ本は全く反応が返って来ない。
レシピ本は、私自身、初めて使うものが多かったから、どう使ったら無駄にしないか、わからなかったので、取寄せてみたけれど、このレシピ本どおりに使うより、煮た青菜やわかめやサラダにかけたり、いつもの自分の料理に一味加えてみたりする、みたいな使い方の方が実用的なようである。

自分の分として一セットを取寄せたのだが、私なぞ、サラダ醤油とか刺身醤油とか面倒なので、殆ど使わないのだが、「お豆腐に色々かけて味を試しているのだけれど、違う味が味わえて、楽しい」とか、だし醤油の種類が多いことに好意的な感想を聞くことが多い 。(私はもっぱらだし醤油専門で、「何か煮物をして味が足りないと思うとかけてしまう」的使い方を脱していない)

多めに取寄せていたので、母方の叔母が来てくれたときに、一つ渡そうとしたのだが、「近所の人に勧められて、既に持っていていつも使っている、最後にちょっと使うと味が引き立つのよね」とのことであった。
また、その叔母の近所には、カマダ醤油のお醤油類だけで味付けしたお惣菜屋さんがあるそうなのだ。
そのお惣菜屋さん、お値段は高いらしいが、固定客がいるのか、商売として成り立っているそうだ。

先日、友人に古いエッセを見せてもらったら、グッチ裕三のお勧めの取寄せの一つにも上がっていたから、きっと、もう知る人ぞ知る密かに人気のある商品のようである。

で、私が思うに、カマダ醤油さんのアイディアや味もいいけれど、容器が小さくて、料理している手元に置いて、ちょっちょっとかけることができるところがとても良いと思う。
現在、殆ど一人前の料理しかしていないのだが、一人前の煮物とか、炒め物をしたときに、お醤油とともに、ちょっとかけると、だしを取らなくても美味しくできたりするのだ。
カマダ醤油のお醤油類は試してみる価値あると思うけれど、それより何より、気に入っただしの入ったお醤油を小さな蓋付き容器(注ぎ口が5mm程度)に移して使うことの方がお勧め。

私は、カマダ醤油類が切れたら、西武に買いに行こうかな〜、それとも、もう一つ気に入っている創味のめんつゆを小分けして使おうかな〜と思案中。(送料が1〜8セットで700円なので、8セットくらい買わない限り取り寄せは勿体無いと思ってしまう。)

それにしても、ミツカンの酢差しが当たっていたら、こういうだし醤油の入れ物にうってつけだったのに、惜しいと心から思う。

また、「低塩だし醤油」の存在をもっと昔から知っていたら、減塩をしなくてはいけなかった母に、もっと美味しい物を食べさせてあげられたかと思うと惜しい。




2004年03月16日(火)

秩父は楽しい、美味しい お蕎麦


秩父は、蕎麦打ちに力を入れている地帯のようで、ガイドブックによると、いたるところに、お蕎麦屋さんがあるようだ。
まずは、お土産物探しで、荒川村の売店をまず見たけれど、蕎麦粉や小麦粉の粉がとてもきれいだった。
自分が蕎麦やうどん打つなら、是非買うのだが、きっと、今の慌しい暮らしの状態では、打たないだろうから、諦めた。

で、生のお蕎麦を買って帰ったのだが、2日目くらいまで、おそば屋さんで食べるお蕎麦と遜色がなく、美味しかった。
(何せ、茹で時間が30秒のお蕎麦なのだ。)

で、沢山のおそば屋さんがある秩父のどこでお蕎麦を食べようか考えたのだが、どこそこのお店を目指して行くというのではなく、ちょうどお昼のお腹が空いたときにいる地域で美味しそうなおそば屋さんを探して入ることにした。
で、ちょうど、まつり会館を見終わったとき、お昼頃で、そろそろお腹が空いてきたときだった。

まつり会館の近所に、ちんばたという名前のガイドブックに載っていないごく普通の気取っていないお蕎麦屋さんがあったので、そこに入ってみた。(入口に蕎麦打ちの場所があったからか、看板に手打ちと出ていたから、手打ちとわかったのかな?)
何故、そのお店にしたかというと、実は、離れたところから見たら、行列ができているように見えて、行列ができるくらいなら、美味しいだろうと思ったのだ。
でも、近付いてみたら、行列は隣のお弁当屋の物であった。<笑>

場所も駅前近くだったし、結構、混んでいた。
ざる蕎麦と、「マイタケとエリンギの天ぷら」を頼んだけれど、両方とも美味しかった。
秩父のお蕎麦って、本当に腰が強くて、韓国の冷麺を連想させる程。
今まで東京でも色々なお蕎麦を食べたけれど、ここまで腰が強いのは初めてのような気がする。(が、最近、高いお蕎麦を食べていないから、そう感じたのかも)
揚げ立てのエリンギとマイタケの天ぷらも量も多かったし、美味しかったな〜。
何故かここのお店は、「エリンギとマイタケ」「たらの芽」の天ぷらが盛り合わせでないのが、残念だった。(たらの芽も食べたかったのだが、二人で、お蕎麦食べながら天ぷら二皿は多過ぎる)

お蕎麦を待っている間、「サービスです」と言って、一人に一枚、水に溶いた蕎麦粉に何か混ぜ込んで、直径5cmくらいの薄くて小さな具なしお好み焼き状のものを出してくれた。
これは焼き立てで熱々で美味しかった。
何だろう、蕎麦粉に、お味噌でも入れて混ぜて焼いた物だろうか?

余り有名ではない店なのに、こんなにお蕎麦が美味しいのだったら、他の名だたるお店はどんなに美味しいのか?と思ってしまう。
ガイドブックを見ると、秩父の蕎麦粉を使う店と、他所の蕎麦どころの粉を使う店があるみたいなので、どうせ秩父に行ったら、秩父の蕎麦粉のお蕎麦を食べた方がいいと思う。

家に帰って来て、ガイドブックを見ながら、秩父を復習すると、胡桃を挽いたもので作ったそば汁で、お蕎麦を食べさせる店もあると書いてあり、そういうお蕎麦も食べてみたかったと思う。

秩父のお蕎麦は、水準が高くて、お勧め。
また、蕎麦打ちを体験できる場所も何軒かあった。

いくらお蕎麦好きだと行っても、数箇所でお蕎麦を食べ比べるとしたら、やはり、日帰りや一泊では無理な気がする。




2004年03月18日(金)

秩父は楽しい、美味しい 苺


花園インターを下りて、国道140号をずっと秩父に向うと、やたらに「苺狩り農家」の看板が目に入る。
秩父が苺の産地だとは知らなかったけれど、ハウス栽培なら土地の向き・不向きはないのかな程度に考えていた。
その看板を見て、ハウス物と聞いて、私は、露地物の苺の美味しさを数年前に味わっていたので、心の中で、「ハウスは興味ない」なんて思ったのだ。

が、とあるところで、二粒だけ秩父の苺を食べる機会があったのだが、これを食べたら、甘くて新鮮で美味しい。
ハウス物でもこんなに美味しいの、知らなかった。(当たり前だ、私は、苺狩りに行ったこともなく、東京でしか苺を食べたことがなかったのだから。自慢ではないが、私は苺に詳しくない)

では、苺狩りをするかということになったが、経験者のおじさんフレンド曰く、「ハウスの中は暑くて、腰曲げて自分で苺を摘むのも結構大変だし、その場で食べるだけで、そんなに数は食べられない」とのことであったので、お土産に苺を買って帰ることにしたのだ。

が、色々なところを回ったが、どこにも苺が見当たらなかった。
荒川村がやっている売店をまず見たがなかった。
秩父には、沢山JAの売店があり、荒川村JAで聞いたら、そこはいつも苺を置いていないとのこと。(荒川村の土産物屋は普通は置いてあるそうなのだが、私が行ったときにはなかった。)
近隣の苺農家に電話して聞いてくれたのだが、「今日は日曜日で、苺狩りの方に人手が取られるので、苺をパックに詰めることができないから、お土産用はできない」という返事が帰って来た。

だったらとのことで、JAの人が、「あそこの道沿いならある筈」と教えてくれた道沿いにも苺はなかった。
今日は日曜日で、苺農家の人は総出で、観光客の相手をしているのかしら?

苺を探しながら、裏140号という通りを通り過ぎ、橋を渡って、秩父の中心地に入ったら、「地場産センター」という大きな建物が見えてきた。
ガイドブックによると、そこには、秩父中の名産を集めたお土産物センターがあるとのこと。
そこは駅前で、新しい建物で大きくてきれいだった。
(駐車場無料)
入ってみると、野菜から果物から、お酒から、漬物から、何でもあった。
で、無事に苺を発見。
全部で10パックくらいしかなかった。
日曜日で品薄、倉庫にまだ他の苺があるようにも思えなかったので、とりあえず、おじさん4パック、私が2パック、買い占めた。
でも、これは大成功で、その後、回ったところで苺を見かけなかったし、東京に帰ってから食べたら、本当に美味しかった。
今まで、ハウス物の苺が美味しくないと思っていたのだが、そうではなかったのだ。
東京で売るための苺は、ハウスの中で熟成することなく、まだ、白いところが残るうちに出荷されるのだ。
だから、美味しくないのだ。
秩父という苺の産地で食べたり買ったりできる苺は、食べると、中までずっと赤い。
そして、甘くて、新鮮。
何か、東京で暮らすのは損だなと思う瞬間である。

東京で、産地で熟した苺が売られることはないのだろうか?
皆が何故苺狩りに行くのか、気持ちがわかった。
あの産地の真っ赤に熟れた苺を食べたら、東京で苺を買うのが嫌になって、その後、全然買っていない。

(当たり前だけれど、苺は、買って来た次の日まで美味しかったけれど、その後は、「甘さ」はあったが、「新鮮さ」が消えてしまった。余り、大切にして食べるのも何だな〜と思った。)




2004年03月18日(木)

秩父は楽しい、美味しい せかい


秩父や他の温泉に行ったときの話をずっと書いているので、冬に食べた美味しい食べ物や料理の話を書けなくて困っている。(笑)
温泉シリーズは、今日で、最後としよう。

秩父で、最後、せかいというお店に寄ってみた。
ガイドブックで見つけた店で、「豚肉の味噌漬」が名物とのこと。
5枚で1000円程度だったので、きっと薄いだろうけれど、買って損はないと思ったのだ。

ガイドブックを頼りに探したが、わからないで、電話で行き方を習った。
大通りに面していないで、路地に入ったところに店はあった。

きれいなお店で、お土産用の豚肉の味噌漬が沢山詰んであったけれど、基本的には普通のお肉屋さんのようであった。
ショーケースを見ると、手作りベーコンが美味しそう、また、「骨付きフランクフルト」も美味しそう。
ベーコンは本当に手作りのようで、横手にあったリーチインの中に、ビニール袋の中で、燻製液に浸けられた豚のバラ肉が何個も置いてあった。

買ったものは、豚肉の味噌漬、ベーコンは、(家に沢山冷凍してあったので)お試しで100g(確か220円だったかな?)、骨付きフランクフルト(これは確か1本100円)を4本。

帰ってから食べてみたが、美味しい順で、ベーコン・骨付きフランクフルト・豚肉の味噌漬。

ベーコンは、本当に手作りのスモークの香りが良い上質の物で、結局、生でペロペロ殆ど食べてしまった。
家に買い置きがなかったら、沢山買えたのに残念。

骨付きフランクも、手作りなのだと思う、市販のものとは味が全然違って、飽きない味であった。
(骨付きフランクと言うのは、骨を棒代わりにして、フランクフルトのタネを巻いてソーセージにした物であった。)

豚肉の味噌漬は、1050円で、5枚だから、当然薄い。
箱の中に付いて来た「豚肉味噌漬のおいしい食べ方」を見て、キャベツとジャガイモと重ね焼きを作ってみたが、思いの外、にんにくの味と香りが強い。
パンフレット通りに、マスタードをつけて食べたが、この食べ方が勉強になった。
これをお弁当に持って行って、食堂で開けたら、ぷ〜んとニンニクの匂いがした。

豚肉は味噌の中から取り出して、ラップに包んで、冷凍保存して、たまに出して食べることにした。
ビタパンという真中が空洞になっている薄いパンを買って来たので、この豚肉を刻んで、キャベツや若布と一緒に炒めて、そのパンに入れて、食べたりしているが、もうすぐ終りそう。
どの味噌漬も同じなのかも知れないが、豚肉を食べ終わった後の味噌の利用法もパンフレットに書いてあり、そういう点、味噌漬は無駄がないと思う。
まだ、利用していないで、冷蔵庫に眠っているが、豚肉買って来てまた漬けてみようかとか、このパンフレットに書いてあるように、お料理に使ってみようかとか、楽しめそう。

行ったのがまだどちらかと言えば寒い季節だったこともあり、お店の人に、保冷剤の要不要も聞かないで、ベーコンやフランクフルトソーセージを常温で東京まで運んで来たが、気候が良いときなら、やはり、保冷剤が必要かも知れない。(お店に保冷剤があるかどうかは不明)

このお店は、主に保冷剤を必要としない「豚肉の味噌漬」をお土産に宣伝しているけれど、フランクフルトやベーコンも見逃さないことをお勧めする。




2004年03月20日(土)

マイタケの天ぷら


会社の女性に色々本を貸したら、尾瀬のお土産に「マイタケ」をくれた。
15cm四方の立方体の箱で、開けたら、びっくり。
マイタケが、半球状に入っていた。
どうも、マイタケは、半球状になって生育するのを、ちぎって、東京で売られているのだとわかる。
ちぎっていないマイタケは、カリフラワーとか、ブロッコリーのような感じで、盛り上がっており、見様によっては、花束に見えると思った。

で、尾瀬のマイタケは、やはり、東京のスーパーで売られているものより、新鮮な色をしていて、きれいだった。

今まで、東京近郊に行ったとき、よくJAに寄って野菜を見ていたが、マイタケは目に入らなかった。
マイタケは養殖でどこで買っても同じような気がしていたのだが、やはり、鮮度の良いマイタケは良質なのだと思った。
今度から、旅行に行ったとき、マイタケもちゃんとチェックするようにしよう。

使うときに、房単位で、ちぎったのだが、東京で買うマイタケなら、古いから、黒くなっているところがあって、それを取りたくなるのだが、この尾瀬のマイタケは、一番根っ子の部分は土についていたのだろうからと取ったが、それ以外は、汚いところが一切なかった。

一部妹にあげて、残りは、秩父のお蕎麦屋さんで食べたマイタケの天ぷらが美味しかったので、迷わず、天ぷらにして、二晩続けて食べた。(秩父みやげのお蕎麦を茹でて、天ぷらと共に食べた。)
マイタケの天ぷらは、膨れて大きくなるし、作るのが簡単だし、美味しいしで、お金がないときのおかずにいいな〜と思った。(笑)

天ぷら粉なのだけれど、一人分の天ぷらだと、鶏卵1個は使わないので、うずらの卵を買って来て、使ってみた。

一回目は、計量カップに、うずらの卵3個入れてお水を足して、100ccとし、同量の小麦粉で、天ぷらの衣を作ってみた。
が、うずらの卵って、鶏さんに比べると、全体に占める卵黄の割合が異常に大きいように見えたが、味の面でも、相当、黄身くさい感じになってしまった。

黄身くさい衣が嫌やだったので、次の日は、うずらの卵1個に水を足して100ccにしたら、ちょうどいい感じの味になった。

でも、うずらの卵は、10個単位で売られており、やはり、ちゃんと他の使い方を考えてから買わないと、無駄にしてしまいそうだ。
まだ、やったことがないが、少量の天ぷら衣を作るなら、卵の代わりに、マヨネーズを代用できると、何かで読んだような記憶があり、今度試したいと思っている。




2004年03月22日(月)

ニラまんじゅう


秋だったかに、飯田橋の本屋で「いちばんおいしいおかず」(ESSEのレシピから厳選 読者が太鼓判の116レシピ)という本を買った。
ESSEは、若い奥さんに人気のある雑誌だと思う、私も以前は良く買って、掃除の裏技なぞを研究したことはあったと覚えている。
お料理は、良く覚えていないが、何かゴチャゴチャしたお料理が多くて、余り参考にしなかったと思う。

ESSEは、毎号を見る気は全くなかったが、その中の厳選だったら、外れが少ないのでは?面白いかもと思って買ったのだ。
で、今のところの感想は、「買って損はなかった、お料理のヒントが沢山ある」ということ。

何個か作ってみたけれど、「本当にこれが太鼓判?」と、自分の腕を棚に上げて、疑問に思う物もかなりある。
何というか、もっと手や材料をかければ美味しくなるのに、そこをシンプルにして、「手間の割には美味しい、見た目目新しい、美味しそう」というところを狙ったレシピが多いのかも知れない。

その例なのだが、ニラまんじゅうというものを作ってみたときの話を書く。

材料は、皮が餃子の大判、それに、ニラ二束と豚ひき肉250g。
ひき肉に醤油と片栗粉大さじ1、水大さじ3をいれて練り合わせて、餃子の皮に包んで、胡麻油で焼く料理。
包み方はしゃれていて、餃子の皮の真中に具を乗せたら、その外の皮の表面に水をつけて、を少しずつひだを作って行くお饅頭というか、こういう和菓子あったよねという包み方。
(これが結構難しくて、私はまともにできない。)

実際に、作ってみたら、美味しくないのだ。
改めてレシピ見たら、ニラと豚ひき肉しか入っていないのだもの、美味しいわけない。
初めから気がつきそうな物だけれど、読者の「子供が一度に10個食べる」なんていう言葉と、ニラを二束も使うことができるなんて、ニラの安売りのときに使えると思い、つい、良く考えずに、「とりあえず、作ってみよう」と思ってしまったみたいだ。
実際作ってみたら、その味は、まさしく、豚とニラの味だけで、単調。
味わいながら、ニラと豚挽肉を応援するような、味を応援するような物が何も入っていないし、調味料も良く見たら、お醤油だけだもの、こんなものだよねと思った。
干し椎茸や筍、後、生姜も汁か刻んで入れた方が美味しいに決まっている。
それに、豚肉の他に海老も入れても、もしくは、海老主体で作っても美味しいだろうとか、思った。

ただ、良かったのは、餃子の皮って、餃子を焼くときにお湯を入れて焼くから、どうしても、お湯を入れないと食べられる柔かさにならないという先入観があったけれど、実際、お湯を入れないで蓋をして蒸し焼きにしてみたら、それはそれで美味しく食べられるようになることがわかったことだ。
この焼き方は、この焼き方で、パリっとしていて、中々美味しかった。
(でも、ちょっと時間を置くと、水っぽくなってしまうことも本当←水が45ccも入っているから当然と言えば、当然のような気もする。)

中身をグレードアップして、調味料を研究して、そのうち、再度挑戦するつもり。




2004年03月24日(水)

石焼キムチチャーハン


先日、高田馬場で残業の後、友人のお勧めで、「小鉄」というお店で、石焼キムチチャーハンを食べた。
中々美味しくて、また食べたいと思う味であった。

石焼キムチチャーハンと言われて、「石焼の容器に、キムチチャーハンが入ったもの」を想像していたが、出てきた物は、石焼の容器に、白いご飯の上に、キムチ、ナムル、豚肉、生卵が乗っているものであった。
それを、テーブルでお客がスプーンでかき混ぜると、キムチチャーハンが出来上がる仕組み。
チャーハンというのは、ごく普通の作り方は、時間との争いというか、強火で中華鍋で煽るように大きな動きで作るものだとばかり思っていたのだが、食卓でスプーンだけでできてしまうところが面白かった。

また食べに行きたいのだが、そのお店は最近お昼は営業していないらしく、二度目が食べられないでいる。

で、家に、キムチが残っていることを思い出し、ナムルだけ買って来て、お昼に真似してみたら、石焼の容器をがなくても、結構、家でも美味しくできることがわかった。

まず、豚肉を適当に切って、塩・胡椒して、お鍋で油で焼いて取り出しておく。
キムチは小さめに切っておく。
インターネットで石焼ビビンバの作り方を見たら、石焼の容器を熱くして、胡麻油をたらして、そこにご飯を入れれば良いようだから、そこを真似した。
私は鋳物の小振りの鍋を持っているので、それを熱して胡麻油を入れ、冷やご飯を入れた。
が、中々温まらない。
そこで、理解したのだ、熱々のご飯を入れた方が早いって。(笑)

だから、熱々のご飯を入れたことにして、話を続ける。
鍋底や側面に当たっている部分が香ばしく焦げてきたら(焦げが足りなかったら、また、胡麻油を側面から少し入れる)、ナムルとキムチと豚肉を入れて、少し置いて温め、真中に穴を開け、そこに生卵を割り入れる。
生卵も室温に戻しておいた方が良かったと思ったが、もう遅い。
(後で、色々検索したら、どうも生卵ではなくて、卵黄を入れるのが正しいようだ)
生卵も少し温めようと少し置いておいた。 私の場合は、石焼の容器には負けるけれど、厚みのある鋳物の鍋なので、この時点で火を消した。
そして、スプーンで、中身全部を混ぜると、あっという間に、卵に火が通り、キムチの汁はご飯全体に回り、アッという間にチャーハンが出来上がる。
味を見て、塩や醤油を足したら、出来上がり。

汚れ物は、豚肉とキムチを切るのに使う包丁とまな板、それと鍋、スプーンくらいで、後片付けも楽で、一人のご飯に向いている。

多分、テフロンのフライパンでも、できると思う。
テフロンや薄い鉄のフライパンの場合、鍋自体が熱を保たないだろうから、かき混ぜる段階で、火を消さないで、弱火にすれば、うまく行くのではないかと思うのだが...。

混ぜるとき、そんなに激しく混ぜるわけではないけれど、できたら、少しは深めのフライパンの方がやりやすいと思う。

石焼と言っても、鍋肌にご飯をくっつけてジュッと焼いて食べる感じではなくて、あくまで「中華鍋で激しくかき混ぜないで作る、焦げたところも混ざるチャーハン」なのかも知れない。
でも、かき混ぜて作るチャーハンより、油の使用量が少ないから、ヘルシーだし、簡単だし、洗い物少ないし、熱々は美味しいしで、価値があると思う。




2004年03月26日(金)

若い子の好きなレアチーズ


実は、昨日で派遣社員の仕事を辞めてしまった。

円満退職だったのだが、「どうして、退職したのか」は、決心したのが1月のことだったので、自分の中で既にはっきりしなくなっていて、今、思い出している最中。
(思い出したら、また、エッセイに「退職した理由」を書きます)

で、最後の日、職場の人たちからのリクエストで、「レアチーズケーキ」を辞める前日会社を休んで作って持って行った。

確か2月の2週目くらいだったか、会社で親しくしてくれる年下の友人のお誕生日に、浅草橋のケーキ教室で習ったレアチーズケーキを作って持って行ったのだが、こちらが驚くような圧倒的な好評で、食べた女性全員から、「レシピ教えて」と言われた。(私の同世代の友人に同じレアチーズをあげても、このような反応は起きなかった。)

食べた人たちは、殆ど20代後半〜30代前半の女性たちだったが、このくらいの世代から下の人たちは、それより年上の世代に比べて、レアチーズに目がなくて、反応が良いと思う。(我が甥たちも然り。)

レアチーズを作る以外に、レシピを書き(ケーキ教室の先生に許可をいただいた)、合羽橋で、そのチーズケーキを作るのに必要なパウンド型を買って、プレゼントすることにした。

友人に話したら、「そんな物あげても、作らない人もいるから、やっぱり、無難なハンカチがいいわよ」と言われたが、10人に食べさせて10人、「レシピ知りたい!」ということだったから、多分、皆作るだろうと思うのだ。
いざ、作ろうと思ったとき、「型がない」では、きっと作らなくなってしまうかも知れない。
合羽橋に買いに行ったら、思いの外安かったし、これをプレゼントする人たちは誰も私が「合羽橋のHP」を作っていることは知らないけれど、何か、自分としては、とても私らしい贈り物のような気がして、これが良いと思ってしまったのだ。

仕上げは、シモジマで、水色の12cmの長さのリボンタイという針金の入ったリボンと「ベビーブルー」というティファニーの箱のような色のワインの瓶を入れる細長い紙袋を買って来て、そのパウンド型をビニール袋に入れて、リボンタイで口を塞ぎ、ワイン用の紙袋にレシピと共に入れて渡すことにした。

結構、きれいな仕上がりで、またまた、自己満足。
しかし、やはり私はおっちょこちょいで、いざあげるときに、数が一個足りないことが判明。
しょうがないので、近々会う約束がある人に訳を話して、後日会う時に渡すから今日はごめんねと謝るはめになってしまった。
やはり、何事も完璧には終らせることはできない、抜けている私であった。(笑)




2004年03月27日(土)

貴重な体験


この前まで勤めていた会社で、滅多に合わない体験をしてしまった。

実は、半年前、私の机に敷いているビニールシートを整理していたら、「森さんて、変わっていて変な人、目障りだから、早く辞めてください」というワープロ文字の紙が見つかったのだ。
で、私の名前の前に付いていた宛先が、私の所属している課の半年前の名称だったから、その半年前に入れられたのを私が気付かなかったみたい。
きっと、差し出した人は、何の効果もなくて、私のこと図太い!と思っていたかも知れない。(笑)

自分が女性としては、性格的にも育ちも一般範囲からはみ出ていることは自覚しているから、そう感じる人もいるのかな〜程度にしか感じなかった。

また、「怯える」でも「不愉快」という感じはなく、「よく職場のいじめみたいな番組で見たことはあったけれど、本当にこんなことがあるんだ。でも、こんなことをするなんて、可哀想な人で自分が可哀想だと知らないでいる人に違いない」と思った。(一説によると私は一般的な女性より「強い」性格らしい<笑>)

だいたい、あの人かな?と頭に浮かぶ人はいるけれど、確たる証拠も無かったので、隣に座っていた上司に、笑いながら「こんなもの、もらってしまいました」と見せて、終わりにした。

人間なんて、完璧な人はいないし、皆、完璧でない自分が可愛いから、偏った自分、すなわち自分の欠点を忘れて、自分のできること・長所を基準として、他人を評価するのが、普通だと思う。
だから、その手紙を入れた人が自分の価値基準で、私を気に入らない、目ざわりと思うことは、ものすごく良く理解できる。

ただ、精神状態が健康だったら、自分が気に入らない人を見ても、その人にはその人の生き方があるとか、そういう人に拘ってもしょうがない、それより自分や周囲が楽しく健康的に働けることを考えようと思うと思うのだ。
それを匿名で、自分がその人を不愉快に思っていることを告げ、排除しようとする人の精神状態が余りに不健康に思えて、攻撃対象である私が婉曲的にでも「そういうことはおかしい」と話しても聞かないだろうと、その人には何も言わなかった。

私だってそうだが、人間が集団で動いていれば、誰でも、気に入らない、目障りな人の一人や二人いるものだ。
しかし、目障りな人にそのことを告げ、自らいなくなるように仕向ける行動を起すことは、ちょっとアブノーマルというか、精神が相当不健康な状態のような気がする。

多分、その人は、自分が異常なことをしていると思っていないと思う。
激しい性格で、自分が特定の人を嫌いだということを強く感じるため、感じる強さ=正しさに勘違いしているのだろう。
(反対に、気に入ると、その気に入り方が強いことで、「余程すごく魅力的なことを好きになっている」と思い込むのだろう、そして、気に入った人には、嫌いな人に激しく意思表示をするのと同じ強さで、好意を示し、ものすごく尽くすから、いつも周囲に仲間がいて、淋しくはないのだろう)
何か、傲慢な感じがしたけれど、「匿名」ということで、ものすごく気持ちが小さい人なのだろうとも思った。

私の人間性がもっとできていれば、穏やかにその人を傷つけずに、そのことを悟らせることもできたかも知れない。
でも、私にはその力はないように感じたのだ。
その女性がそういうことをするには、それなりの理由やそういう性格に到ったその人なりの淋しさがあるのかも知れない。
その人には、直接でも間接でも言えなかったけれど、この場で、一番言いたかったことを書かせてください。(自分のHPだから)

「あなたのやったことは、自分が「現在、不幸で貧しい精神状態である」ことを示しているだけ。ちょっと想像してみてね、幸せな人や上品な人はそういうことをしないでしょう?どうか、そういうことをしてしまうのは、自分が今幸せでないからだということに気付いてね。」

それにしても、今、私は自分が「不幸な精神状態」でなくて良かったと思っている。

昔、このエッセイに書いたかも知れないが、人間には、その人が美しく咲いている花を触ると花が生気を失って鉄になって、錆びてボロボロと崩れさせる魔女タイプと、その人が触ると、黄金のように耀きを増すお姫様タイプがあると思う。(それは環境や考え方でそうなっただけで、生まれつきとか、固定的な性格ではない)
「美しく咲いている花」というのは、その場その場の人々であり、人間関係の例えなのだ。
(「世界に一つだけの花」という歌があるけれど、人間一人ひとり、今、その人なりに精一杯自分の個性や価値観を表して、咲いているのだ。)

自分がいる場所の人間関係をより良くしたくて、嫌いな人にいなくなってねと手紙を出すのは、本人としては、人間関係を良くするための止むを得ずの行動と思い込んでいるのだろうけれど、やはり、嫌いな人に何の配慮もない点、「人間関係を良くする行動」とは言えないと思う。

その人に言いたかった、「あなたが、気に入らない人に匿名の「消えて」という手紙を送る間は、あなたは絶対に幸せになれませんよ〜、早くそのことに気付いてね〜、もっと心を大きく持ってね〜」(負け犬の遠吠えっぽいが。(笑) 私が今回会社を辞めたこととこの事件は無関係です、念のため)




2004年03月29日(月)

若布と卵の炒め物


相変わらず、一日に一回は、若布を食べている。

身体の調子はいいし、お腹が張ることはなくなり、肌が柔かくなった気がして、効果がはっきりわかるので、本当に極力一日に一食のどこかに若布を取り入れて、食べるようにしている。

どうやって食べるかと言えば、暖かくなってきたので、サラダとして、レタス、トマト、海老なぞと一緒に食べたり、最近、習った「若布と卵の炒め物」にして食べることが多い。

MLで教えていただいたのは、「せん切りの生姜・若布を軽く炒めて、出汁醤油と塩・砂糖少々で味付けした溶き卵を加えて炒めています。」というもの。

朝、お昼のお弁当のおかずとして作ったのだが、レシピうら覚えだったもので、「若布を切って、炒めて、出汁醤油を少々かけて、醤油少々入れてみて、卵1個分の溶き卵を入れる」という風で作った。
これでも思いの外、美味しかった。
卵の味が若布に合っていて、全体がまろやかな味の一品。
コツは、余り卵に火を通し過ぎないで、ふんわり仕上げることだと思う。
卵の量により、卵とわかめの炒め物になったり、わかめの玉子とじになったりだと思う。
冷めても美味しいというか、若布のお料理って、別に温かかったり、熱々だったりする必要がなく、常温に冷めた方が味がしみて美味しいと思う。

今まで若布を炒めるという発想はなかったが、炒めても美味しいものだし、炒めたり、煮たりすれば、食事のどこかに入れやすくなることもわかった。

名前は思い出せないのだが、中華料理に、豚肉と卵ときくらげを炒めたものがあるけれど、あのお料理を思い出した。
キクラゲの代わりに、若布を入れても美味しいと思う。




2004年03月31日(水)

幸せだった3月の退職の日


「貴重な体験」で、以前勤めていた会社の暗い話を書いてしまったが、実は、私はとても幸せな気分で退職できたのだ。

3、4か月くらい前から友人ができ始め、彼女たちが、私が辞める日に送別会を開いてくれるとのこと、また、同じ係の人たちもお昼休みに送別会を企画してくれた。

辞めた日は、一日幸せだった。

同じ係の人たちは、ラディネットというフレンチのお店でランチを食べる送別会であった。
そのうち、高田馬場のお店の評価を書こうと思っているが、世間では、ラミティエの方が評判が高いが、私は、ラディネットの方が好き。
このお店は、安価で、そこそこ美味しいお料理を食べさせてくれる。
ここもこれから中々来れなくなると思うと淋しい。
私が選んだメニューは、前菜がレバーペーストで、メインが、ハラミのステーキ。
何か気の利かない組み合わせだと、自分でも思ったけれど、前菜のレバーペーストが美味しいのだ。
冷たくて塩の利いたレバーペーストに一筋ハチミツが掛かっていて、私の好物。
最後、結構はまっている美味しいレバーペーストを食べることができて、嬉しかった。

また、横浜の江田というところに住んでいる女性がいたので、江田のアンプチパケという有名なお店の美味しい焼き菓子のセットと、ピンクのバラとカーネーションの中間くらいの可愛い花の所々に、ピンクと赤いチューリップというとても素敵な花束をくれた。
その花束は本当にきれいで、お花を頼むときに、普通は、贈る相手の世代を言うと、その世代に合った色の花を花屋さんが選んで花束を作ってくれるそうなのだが、彼女たちは、「最近の森さんのイメージは『ピンク』」ということで、ピンクの花束を注文してくれたのだ。
(え、私のイメージがピンクなんて、初めて言われた。色は黒いし、私のどこがピンクなのかわからないけれど、最近の私は、結構ニコニコしていて、幸せそうなんだって)
年には全く似合わない花だったけれど、可愛くて若々しい花束をもらえて、幸せ。

また、個人的に送別会を開いてくれた人たちは、和風の若者向きの居酒屋さん、二次会は、早稲田にあるラグビーファンが集まるお店でお茶を飲んだ。
夕方の会には、既に職場を去った人二人も来てくれて、和風の若者向きのお店も結構美味しかったし、2年間同じ空間を経験した人たちと、色々な話を次々にしながら、ワイワイ笑い声が絶えない雰囲気でお酒飲むのは、心の底から楽しめた。
ちょうど退職した日は、早稲田大学の卒業式の日で、高田馬場は、晩くまで賑やかだったが、その雰囲気の乗りで、皆で楽しく賑やかに過ごした。

彼女たちは、茶色を主体としたカップと平たい方口とお皿のセット、何ていうか、昔の和食器を現代的なセンスで作ってみましたという感じのセットをプレゼントしてくれた。

その日にいただいた3つのプレゼント、全て私の好きなものばかりで、とても幸せな気分であった。
アンプチパケの焼き菓子は、お菓子も美味しかったけれど、ラッピングがとてもオシャレで素敵。

次の日、ピンクの花を見ながら、茶色の焼物のカップでお茶を飲みながら、アンプチパケの焼き菓子をいただいて、本当に幸せ。

2年間の在籍だったが、その職場に勤めた中で、彼女たちと、これっきりではなくて、今後も友達関係続きそうなことが一番の収穫である。
(4月の後半、浅草を案内することになっている)



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