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「美味しい!」が好き 特別編 第四回

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2004年06月21日(月)

銚子と犬吠崎 1/3


ずいぶん、HPを更新しなかったが、その間に色々なことがあった。

お祭があって、親戚と楽しく過ごして、次の週には、犬吠崎に行ってきた。
その後、すぐに、甲府の叔父が他界し、突然だったので、今現在無職の私が参列したりして、結構、色々なことがあった。

その中で、まとめやすいところから、まとめる。

お祭の次の週の日曜日に、日帰り温泉に行こうと、おじさんフレンドと約束していた。
「どこがいいか、探しておいて」というから、私は私が行きたい「山中湖の紅富士の湯」という温泉に決めていたのに、おじさんに告げると、どうも気に入らないみたいで、「犬吠崎に行きたい」と言い出したのだ。

おじさんに「犬吠崎には新鮮な生魚がある。山中湖には何があるのだ?」と言われたので、「富士山」と答えたが、富士山は食べられないからだめとのこと。(笑)
紅富士の湯というのは、富士山を見ながら入る露天風呂があるそうで、私はそういう露天風呂に入りたかったのだが、お風呂の富士山は、絵で十分とのこと。(笑)

ま、そう言われれば、確かに、新鮮な魚も私の守備範囲と思い直して、同意した。

で、犬吠崎のホテルに行く前に、銚子に寄って、美味しい魚をお昼に食べようということになった。

雨の中、銚子港に着くと、数軒の魚屋さんと数軒の食事のお店が並んでいた。
銚子に行くのは初めてだったので、こういう魚屋さんで買えばいいのかなと素直に思った。

買ったのは、鬢長マグロを大きく切り出しているものと、はまぐりと、牡蠣、小海老など。
マグロが1500円だよというから、本マグロでもなく、めばちでもないことは明らかであったが、新鮮そうだったので買ったのだ。

で、買い終わったときに、魚屋のおじさんに、「食事のお店は、どのお店が美味しい?お勧め?」と聞いたら、「ここは観光地だから、どこでも同じだよ」と言われてしまった。

何か、この言葉は、ものすごく私の気持ちを冷やした。
ここは観光地だと言われてしまえば、その魚屋さんだって、所謂観光地の魚屋さんなのだ。
ま、見た目、新鮮なものを売っているのは確かだったが、そうか、お値段は観光地価格なのだと理解してしまったのだ。
行く前に、インターネットで、銚子関連を調べていたら、ふらっと入ったお寿司屋さんで、安くて新鮮なスーパーを習った人の話が出ていたっけ。
そうなのだ、きっと、地元の人だって、銚子港で獲ったばかりの魚を食べているのだろうけれど、こんな、港の真ん前の魚屋で買うわけないのだ、ということに急に気付いて、興醒めしてしまった。



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2004年06月22日(火)

銚子と犬吠崎 2/3


さて、銚子の魚料理の店だが、漁港の前に3軒ほどあったかな?

インターネットで下調べした時点で、一番評判が高かったお店は、お寿司をやっていないとのことで、候補から脱落。
ただの魚料理とお寿司両方をやっているお店に入ってみたが、席に座っても、日曜日で人手不足か、店員が中々寄って来ない。
お品書きだけ見たが、何か、セット商品ばかりで、新鮮な魚を美味しく食べさせたいというような工夫が感じられなかったので、寄って来る店員がいないことをいいことに、出てきてしまった。

その隣の下が売店になっているお店に入ったが、こちらの方が活気があったし、店員さんがすぐに寄って来るなど、感じが良かった。
お品書き見ても、こちらの店は、例えば、色々な魚の唐揚げや塩焼きを時価で料理するようなことが表示されていた。
私は、ほうぼうの唐揚げが食べたかったのだが、おじさんは、食べる物に関しては保守的な人で、「取ってもいいけれど、私は食べない」とのこと。
それじゃ、実質取れないのだ、残念。
で、私が鰯の定食、おじさんが握り寿司を食べた。
そういうものに関して言えば、別に取り立てて新鮮で美味しいという程の物ではなかった。
観光地に行って、観光地的食べ物屋に入りたくはないけれど、初めて行った土地で、時間がないまま、何かその土地らしい物を食べようと思ったら、そういうお店に入るしかないのだと思う、行ったことのある人や地元の人から習わない限りは。

ふと、隣のテーブルの人を見ると、店員さんからお土産みたいなものを渡されていた。
何かと聞いたら、「丸蟹の茹でたもの」だとのこと。
丸蟹は、銚子より北の海で取れる、形が丸い感じの蟹だそうだ。
大量に獲れることはないので、産地から外には中々出ない蟹で、味噌が美味しいということ。
それを聞いたら、買って帰りたくなったが、そのお店では、茹でた物しか売らないとのことで、既に食事を終えていたので、茹でるのを待つのが面倒で、諦めた。

お店の外に出て、改めて、観光地的魚屋さんを見ると、生の丸蟹っが売られていたが、既に牡蠣だの蛤を大量に買い込んだ私であったので、またまた諦めた。

外には、シジミを売っているおばさんもいた。
銚子は、海にも近いけれど、利根川の河口だから、川の物を豊富なのだ。
しじみは1000円単位だったが、すごい量であった。

家に帰って色々料理をしてみたが、思いの外、髭長マグロが美味しくなかった。
生で食べると大したことはなく、今、切り身にして、冷凍庫に眠らせてある。
揚げたり、照り焼きにしたりして、食べ尽くそうと考えている。

私の食材図鑑に、髭長マグロが載っていなかったので、インターネットで調べたら、「生食には向かない。シーチキン缶詰の材料に適している」と書いてあった。(涙)

銚子って、もしかして、刺身には余り向かない髭長マグロしか、獲れないのかしら?
食べ物屋さんで、お寿司のうち、何が地元で獲れたものとか教えてくれて、確かその中には、赤身のマグロもあったと思うが、外では売っていないし、本当かな?という気になってしまった。

こと、マグロに関して言えば、神奈川県の三崎は、メバチではあるが、赤身のマグロが水揚げされる。
そういう意味では、新鮮な生魚が食べたかったら、銚子より、三崎の方が、イメージどおりの新鮮な生魚が食べられるかも知れない。
(東京の人は、多分、「お刺身=赤いマグロ」なのだと思う。)
次回、おじさんが「新鮮な生魚を食べたい」と言い出したら、三崎に行くことにしよう。

(でも、私としては、心の中で、新鮮で美味しいお寿司食べたいと思ったら、郊外の漁港ではなく、築地のお寿司屋さんに行った方が、外れないと思っている。<築地の寿司屋も最近は色々あって、一概には言えないけれど>)


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2004年06月27日(日)

銚子と犬吠崎 3/3


昼食を港で終えた後、一路、犬吠崎の犬吠崎観光ホテルに向った。
中々わかりやすくて、迷わず着く。

行く前に調べたとき、そのホテルでは、個室での食事と温泉というプランが売りだとわかっていたが、何となく、「ホテルの食事=余り美味しくないのではないか?」という先入観があったし、平日なら、一人4千円台なのに、土日は5千円台だったので、見送った。(しかし、銚子港での食事が外れたので、今となっては、ホテルの食事でも良かったな〜と思っている)

で、温泉だけの利用は一人1200円。
自販機で支払を済ませて、フロントで、「風呂上りに休む場所はあるのですか?」と聞くと、「マッサージの椅子くらいです」との冷たい言葉。
こういうことは、支払を済ませる前に聞くべきであった。(聞いたところで、引き返すこともできないのだけれど)

おじさんと別れ、いざ、女湯へ
土曜日と言えど、雨模様のせいか、お風呂は空いていた。
中の内風呂は、温泉ではなく、外の海に面した露天風呂のみ温泉とのこと。
内風呂も露天風呂も、5、6人入ると「混んでいる」と感じる程度の大きさ。

露天風呂は、すぐ下が海水浴場で、海が迫っている。
そんなに海が近いのに、海独特の匂いが全然しなかった。(おじさん曰く「そういう匂いは真夏だけ」とのこと)
犬吠崎は、太平洋に突出しているので、見える水平線が長いこと、長いこと。
それが微妙に、直線でなくて、弧を描いているところが、地球が丸いということなのだなと思いながら、温泉に何度か浸かった。

遠くの灯台の方に道路が見え、車が見える。
こちらからそれがわかるということは、向うからも、こちらに露天風呂があって、人が入っていると見えるだろうな、もし、双眼鏡持っていたら、裸の女性が見えるのかしら?なんても思ったが、もう、私はおばさんだから、いいやなんて、ドキドキしなかった。(笑)

さて、温泉から上がると、絶対にだるくなる。
だるくなるのに、休むところがなかったら、嫌だなと思ったが、フロントで教えてくれた電動マッサージ機のお金を入れても動かない物が空いていたので、そこで休むことにした。
お風呂とロビーの間の薄暗い場所に、無料で休める椅子とテーブルも何個か置いてあった。
(おじさんは、ロビーに近いところの長っぽい木の椅子にゴロンとなっていた。従業員さんに聞いたら、「そこで横になってもいいですよ」と言われたとのこと。
そこは、クーラーの近くだったらしく、涼しく快適だったとのこと)

しかし、私の陣取った場所が、結構湿っぽく、薄暗くて、快適でなかったので、すぐにそこを諦め、ロビーの海に面した窓際のソファが空いていたので、そこに座ってみた。
そのすぐ横では、飲み物や食べ物を注文する場所になっていたけれど、どうも、何も注文しなくても良いみたいだなと思っているうちに、海を見ながら、うとうと30分くらい眠ってしまった。
そこは、明るくて、涼しくて、快適であった。
寝ながら、「今日は空いているから、ソファが空いていて、こうやって湯上りにウトウトできるけれど、混んでいたら、最悪だ」と思っていた。

「観光ホテルの日帰り温泉」を初めて利用したが、ホテルで、「個室+食事+温泉」に力を入れているのなら、それに乗るべきであると思う。
今回、温泉だけの利用だったが、幸い、空いていたから良かったけれど、1200円で、快適に休む場所もなく温泉だけだったらと思うと、ぞっとした。

帰りは、行きと同じで、国道356号を通って、東関東自動車道に向うこととした。
行きに、国道356号は、「苺街道」という看板が出ていて、確かに苺の即売所みたいなところが何軒かあったのだ。
帰りには、そこで苺を買い、お世話になった親戚に送ってもらおうと思っていたのだが、どうも、6月の中旬ともなると、苺の時期ではないらしく、どこもかしこも、閉まっていた。

一軒、八百屋さんらしき店が開いていたので、そこに入って聞くと、やはり、今は苺の季節ではないから、どこもやっていないと教えてくれた。
で、その八百屋さんに、苺のパックが200円で売っていたので、ちょっと傷んでいる風情ではあったが、安いし、何せ、郊外で買う苺は中まで赤くて美味しいので、2パック買ってみた。

我が家に着いてから、私は、馬鹿なことにそれを冷蔵庫に仕舞うことを忘れてしまったのだ。
次の日、やたらに苺の匂いがすると思ったら、その苺が常温の状態に長く置かれたものだから、腐って、ふにゃふにゃになって、液体が出ていた。(このままにしていたら、天然の苺酒にでもなるのかしら?という感じ)

この状態を見て、「5月までは苺の季節で、6月が苺の季節ではないというのは、もしかして、6月の天候が、苺の生育に適さないのではなくて、6月は、5月より高温多湿だから、収穫しても常温で保存するのが難しいからかも」と思った。
(でも、8月になると出てくる苺もある。あれは、種類が違うのかしら?)



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2004年06月28日(月)

一口ポークソテー


去年のお祭のときに、ポークソテーをおつまみ風にできないか、考えて工夫したのだが、それが大当たりで、誰に出しても評判が良い。

以前は、オーブンでポークソテーを焼いていたが、余熱しなくてはいけないし、面倒なので、オーブントースターで作る方法も考えてみた。

焼き方は、明日書くとして、その盛り付け法が好評なので、それを書く。

まずは、日頃から、生クリームにたまについてくる搾り出し袋と口金のセットを集めておく。(2つは欲しい)

ディジョンのマスタードを買っておく。

トマトソースを作っておき、使う時期との関係で、冷蔵か、冷凍させておく。
冷凍するなら、ビニール袋に入れて、薄く伸ばして凍らせた後、適当に砕いて、冷凍させておく。(勿論、時間煮余裕があれば、その場で作っても良いけれど)

ここまでが、前準備。

で、お肉を焼く前に、冷凍のトマトソースを適量、小鍋に取って、バターを風味付けに入れたりして(省略可)、若干煮詰め、塩・胡椒を少々入れ、味を見る。
塩味は必要だが、余り、塩っぱくても困る。
後、もし、お金に余裕があったり、家に残り物があったら、デミグラスソースなぞを少し入れてもよい。
濃度がついたら、火からおろす。(余熱で少しは固くなるし、冷めると固くなるので、少しボテっとした感じくらいでよい)

生クリームについてきた絞り出し袋の先を切って、口金をセットし、口金のところを洗濯バサミで留める。
そこに、それぞれに、マスタードとトマトソースを入れ、入れ終わったら、洗濯バサミで留めておく。(両側、洗濯バサミで留めることによって、こぼれない)

お肉を焼く。(ここは明日)

お皿に、一口大のポークソテーを並べる。
絞り出し袋の洗濯バサミを外し、ポークソテーの上で、中身の一番上のきゅっと握ると、トマトソースやマスタードが、星型の口から筋が付いて出てくるので、絞り出し袋を上に上げることで切る。
そうすると、一つひとつに、マスタードやトマトソースが乗って、その形が、ケーキに絞り出した生クリームと同じ形で、可愛い。

仕上げに、もしあれば、口の先が尖ったプラスチックの器に、にんにく醤油を入れて、ひゅっひゅっと、お皿の上から、細い直線状に何本かかけるといいのだが、なければ、小皿に、にんにく醤油を入れて、そこに少し付けて食べるとよい。

盛り付けだが、一皿に一列ずつ交互に、マスタードとトマトソースを並べてもいいし、一皿マスタードで、もう一皿トマトソースでも可。

写真があるといいのだけれど、今度の携帯、カメラ付きなので、今度作ったとき、写真を撮ります。



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2004年06月29日(火)

オーブントースターを使った柔らかポークソテー


前提は、厚さ2.5〜3cm程度の豚のロースの切り身。(重さで、150g〜230g程度)

使う道具なのだが、私の場合、鉄のフライパン。
テフロンの場合は、最後に書く。

今の私のやり方は、

 (1) 豚肉を冷蔵庫から出して30分以上置く(省略可だと思う)

 (2) 塩胡椒して、フライパンで背脂から焼いて脂を出し、その脂で、豚肉全体を
    所々キツネ色が付くくらい焼く。
     (この前、塩胡椒忘れて作ったら、やはり、味が落ちた。この塩胡椒は結構
    重要)
 (3) 二枚に重ねたアルミ箔でぴっちり包み、オーブントースターで7分
    (200g以上だったら、10〜12分)

 (4) 取り出して、30分以上、放置する。(オーブントースターの中に入れっぱ
    なしにしたことがあるが、熱過ぎて、硬くなってしまったので、必ず、出し
    てください)

     できれば、常温になるまでそのまま放置しておいた方が良い気がする。
    (肉汁が落ち着くから)

     出来上がりとしては、上から指で押して柔かいこと、切ると切り口が白くて
   柔かい。(少しピンクでも可)

食べる段になったら、アルミ箔から取り出して、サイコロに切って、フライパンで、切り口をちょっと焼く。(と言っても、中火〜強火でサッサカと焦げ目を少し付ける感じで焼く。)
この段階で、肉に火が通っていないと思ったら、ちょっとじっくり焼けばいいし、通っていると思ったら、サッサという感じで焼けばいいと思う。
要は、焼き過ぎて、固くしないことがポイント。
この最後の焼きは、既に火は通っているので、芯まで熱くすることと表面に美味しそうな焼き色を付けることである。

従姉妹の娘が、このポークソテーを気に入って、自宅で真似してみたのだが、うまく行かなかったそうだ。
フライパンがテフロンであることが原因か、オーブントースターの力が違うかで、火が通り過ぎて、固くなってしまうそうである。
で、彼女が考えたのは、テフロンのフライパンで全面を焼いたら、フライパンに蓋をして、火から下ろして、冷めるまでそのままにしておくとのこと。(多分、一旦、フライパンの底を濡れ布巾なぞでじゅっとやるのではないかと思うが、ここは確認していない)
これで、うまく行ったとのことなので、テフロンの方は、こちらを試してください。

豚肉は、良いものを選んでくださいね。

後、今、考えているのは、この料理は、常温に戻すために30分、焼いてから余熱で火を通すのに30分以上かかり、時間がかかるので、冷蔵庫から出したばかりのお肉だったら、オーブントースター何分で、放置何分かを研究したい。



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2004年06月30日(水)

赤いパプリカのマリネ


1月に、知り合いの家で持ち寄りパーティをしてくださったときに、主催者が作ってくれたもの。
とても、美味しかったので、作り方を聞くと、丸元淑生さんの「続新家庭料理」(中央公論社暮らしの設計シリーズ)に載っているとおりとのこと。
(この本では、「赤ピーマンとアンチョビのマリネ」という名前。赤ピーマンというと、皮の薄い小さなピーマンを連想してしまうので、「大きく皮が厚いピーマン」をイメージして、ここでは、「パプリカ」と言う名称を使った。)

私は、運良くその本を持っていたので、二回作った。
その経験を元に、作り方を書く。

この料理は、どちらかというと、酒のつまみとか、箸休めとか、サラダ代わり程度のもので、おかずではない。
また、そういう性質の料理なので、大きな赤パプリカ4つで、10人分程度だと思う。(他のごちそうとの関係もあるけれど)

材料(8〜10人前)

赤ピーマン   3〜4個
アンチョビ   1〜2缶
乾燥オレガノ  少々
ケーパー    大さじ1+1/2程度(余り気にしないで、適当に)
黒胡椒

一度目赤ピーマン4個で、アンチョビ缶の小さな缶1つでちょうどだった、二度目は、赤ピーマン2個で小アンチョビ缶2/3程度を使った。

作り方

 1.赤ピーマンを強火で焼く。
   できれば、皮が真っ黒焦げが理想。
   焦げて火ぶくれができるくらいでも可。
   (ここでしっかり焼くことで、赤パプリカに火が入り、甘さが出る。)

 2.熱く焼けたら、紙袋に入れて10分程度置いてから、皮を剥く
   焦げていないと剥けない。
   その場合は、ナイフで固い皮をこそげ取る。

 3.縦2つに切って、ヘタ、種など、食べない部分を取る。

 4.縦に2〜3センチの幅に切る。

 5.皿または、用に重ならないように並べ、黒胡椒を振る。(ガリガリした方が美味
   しいと思う。)

 6.オレガノをごく少量散らす

 7.ケーパーを散らす

 8.ちぎったアンチョビを乗せる

 9.この上にまたピーマンを並べて同じことを繰り返す。
   数段に積み上げる。

10.最後にオリーブ油をかけて出来上がり。ラップして、冷蔵庫に3〜4時間以上
   置いてから、味見して、出来上がり。<多分、美味しい。美味しくなかったら
   どうするかはまだ不明<笑>)

適当な蓋付き容器で作るように本に書いてあったが、私はお皿の上にラップを敷いて、その上で作って、最後ぐるっと巻いて冷蔵庫に入れておいた。
最初から、食卓に出せるような容器があればいいけれど、ない場合とか、どのように出すか決めていない場合は、ラップで十分。

初回に作ったときは、赤パプリカの皮が中々剥き難くて手間取ったが、二度目は、焼いた後、ボウルに入れて、お皿で蓋をして、触れる程度に冷めてから剥いたら、楽だった。
(その後、やはり、焼き立てを紙袋に入れて粗熱を取るまで置いておくのが一番良いということを聞いた。紙袋がなければ、ボウルにお皿で蓋で良いと思う。)

塩にお酢にオリーブオイルのマリネではなく、塩味はアンチョビからアンチョビ味の付いた塩気、お酢はケイパーからケイパー味の付いた酢を使っているところが味噌。
出来上がったマリネの中のアンチョビを食べると、全く塩気もアンチョビの味も感じない。
アンチョビの塩気と味は、全て、マリネ液に吸収されてしまうみたい。
アンチョビが嫌いとか、なかったら、(やったことないけれど)イカの塩辛でもいいのではと思う。
または、黒胡椒にクレイジーソルト+ケイパーで作っても美味しいと思うのだが。
キュンと冷やして、食べると美味しい。

前日に作っておけるし、赤がきれいだから、パーティ向き。



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2004年07月01日(木)

ナスの揚げ煮


これも、1月に持ち寄りパーティをしたときに、主催者の方が出してくださった料理で、とても美味しかった。
前日に作って、冷蔵庫に入れておけばいいのだし、パーティ料理に向いている。
普段食べるのにもいいと思うけれど、2,3時間は、汁につけて、冷蔵庫に入れておかなくては美味しくなさそうなので、パッと作ってパっと食べられるという料理ではない。

材料:ナス   8本
   揚げ油
   出汁   1+1/2カップ
   醤油   大さじ3
   砂糖   大さじ2
   味醂   大さじ1/2
   油    少々
   赤唐辛子1〜2本

作り方
1.ナスはヘタの回りのひらひらを包丁で切って、縦2つに切って、水に浸ける。
  (すぐに揚げるのなら、省略可)

2.赤唐辛子は、種を取っておく。

3、赤唐辛子を油大さじ1で炒めて香りを出した中に出汁と調味料を入れて煮溶か
  しておく。(火が強いと、出汁を入れた途端、じゃ〜っとはねるから、火から
  外して少し落ち着かせてから、入れた方が良い)

4.ナスの水気を拭いて、油で揚げて、油を良く切る。
  (じっくり揚げる必要はなく、ナスが柔かくなれば良い。)

5.3を煮立たせた中に、ナスを入れ、3〜5分煮る。

6.そのまま置いておいて冷ます。

7.冷蔵庫で冷やす

子供が食べる場合は、赤唐辛子の部分を抜かして作り、食べる段に、好みで唐辛子を振って食べると良いとのこと。

実は、このレシピは、土井勝さんのものとのことで、本屋で、土井善晴さんの本を見たら、ちゃんと載っていた。
で、作り方で、違うのは、出汁を使わないで、調味料と水を合わせた中に、鰹節と昆布を入れて煮立たせることと、ナスを揚げた後、冷水に取ることであった。

野崎さんの本を読んだら、ナスを揚げた場合、氷水に取るのは、色止めで、油を取る場合は、熱湯に取ると書いてあったから、土井さんのは、完全に色止め。

油の取り方は、好みだけれど、私はやはり、一旦、キッチンペーパーなどに取って、油を一定取った方が好み。
忙しかったら、揚げたそばから、出汁に入れても大丈夫と聞いたが、油こくなることは確か。



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2004年07月02日(金)

焼き豆腐の煮〆


お正月に知り合いの家で食べた焼き豆腐の煮物が美味しかったので、ナスの揚げ浸しを作る時に、こんな感じかなと作ってみたら、まずまず美味しくできた。

これだけだと、インパクトは弱いが、ナスの揚げ煮を作るついでに作って、ついでに出すと、地味だけれど、結構美味しくて、売れ行きが良い料理。

浸け汁の分量は、ナスの揚げ煮の分量から油と赤唐辛子を抜かしたものに醤油大さじ1〜2杯追加したもので、焼き豆腐を縦2つに切った後、2〜3cmの幅に切ったものを軽く煮て(コトコトと煮て、沸騰直前の感じで)芯まで火が通った感じがした頃、全てが汁に浸るようにして、保温鍋に入れて、一晩置いておいた。
朝、味見して、味が薄いと感じたら、お醤油を一回りかけて揺すって、そのまま冷まして冷蔵庫に。
お昼過ぎに、食べたが、この頃には、味が染みていて、美味しかった。

保温鍋に入れる必要もないかも知れない。
お豆腐の芯まで火が通ったら、そのまま蓋をして置いておいて冷ませばいいと思う。
(保温鍋に入れると、傷みが早いような気がしないでもないし)

食卓に出すときは、汁気を切って、お皿に盛ると良い。(置いておくと、汁が出てくるし、わざわざ汁に浸した状態で出さなくても大丈夫)

高野豆腐の煮物とか、お豆腐の煮物とか、厚揚げの煮物、油揚げの煮物とかあるけれど、私は、焼き豆腐を醤油・砂糖で味付けした出汁に浸けておいたものが一番好みだなと最近感じている。
中まで味が染みて冷たい焼き豆腐、美味しいです。
厚揚げや油揚げだと油があるし、お豆腐では水気が強いしで、焼き豆腐を煮て冷やしたものがお勧め、地味だけれど。

勿論、焼き豆腐は、良質の物を選んでください。

(実を言うと、焼き豆腐を見直した。焼き豆腐って、今まで、すき焼きにしか使わないものかと思っていた。すき焼き作ったときも、わざと残して、次の日の朝、食べたら美味しいかも。でも、すき焼きの場合は、脂が冷えると白くなるから、美味しくないかも知れません。)



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2004年07月05日(月)

栗原さんのナスの揚げ煮


ナスの揚げ煮の話題が出たときに、栗原はるみさんのナスの揚げ煮が美味しいという話になり、本を持っていたので、作ってみた。

栗原さんのは、ナスを輪切りにして揚げて、「醤油・味醂大さじ4、砂糖大さじ1+1/2、豆板醤小さじ1、酢大さじ2」を煮た中に浸し、長葱・生姜・にんにくのみじん切りを入れ、お皿に盛り付けたら、白髪葱を飾るというもの。

作ってみたら、結構美味しかったけれど、やはり、栗原さんの料理は、私には味が濃いと思った。(それに、出汁や水をまるで入れない煮汁なので、ナスが煮汁を吸い込むのが早いこと、早いこと。冷めるのを待たずに、ナスに味が染みた。)
土井勝さん風のナスの揚げ煮は、煮汁が薄いから数時間浸けておかないとだめだが、栗原さんのは、冷めるのを待たないで、すぐに食べてもナスに味が染みているところが、優れたところ。
でも、この味の濃さは、ご飯のおかずには良いけれど、酒の肴的にちょっとつまむとなるとね..。

また、余談だが、我が母が良く作っていたナスを半分に切って、皮がパリパリになるくらいに揚げたものを、醤油がベースですり胡麻と生姜が入った濃い汁をかける料理を思い出した。
そうか、あのたれには、お酢が入っていたのだと理解できた。(この料理は、今、研究中)

で、2/3を食べ、1/3くらいを残して、冷蔵庫で保管。
翌日、そう言えば、同じ揚げ浸しでも、ベターホームの「マグロの南蛮煮」が美味しいと聞いていたことを思い出し、そのレシピを少し取り入れて、余っためばちまぐろのぶつに片栗粉をつけたものとしし唐を揚げて、栗原さんのナスの揚げ煮の中に入れてみた。
で、やはり、味が濃いことが気になっていたので、持っていた外国産のすり胡麻があったので、結構多めに入れ、最後白髪葱を飾ったら、相当美味しかった。
すり胡麻は、味の濃さを打ち消してくれる。

栗原さんのナス料理、マグロ、鶏肉などの蛋白質や他の野菜を揚げて一緒に入れて、胡麻を入れるのが私の定番になりそう。



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2004年07月06日(火)

山梨風素麺のつけ汁


以前、このエッセイに、「我が家は、山梨風素麺を食べる」と書いた覚えがあり、母が生きていたときに、母から聞いて書いたレシピがあればいいと、過去のインデックスを検索したら、「山梨風素麺の作り方はまた今度」とか書いてあって、そういうレシピはなかった、残念。

で、この作り方なのだけれど、そんな正確な物はなくてもいいような気がしている。

私が山梨風と言っている食べ方は、日本の農村どこにでもある食べ方なのかも知れない。
先日、茨城県の谷和原にある日帰り温泉に行ったのだが、そこの食堂で、田舎風汁というお蕎麦を取ったら、醤油味の熱々の汁の中に、葱・カボチャ・大根が入っていた。
そこに、蕎麦をつけて、野菜と汁とともに食べる食べ方だ。

他にも、名前を忘れたが、1年くらい前に本屋で立ち読みした料理本の中に、飛騨高山だったかの素麺の食べ方という形で、母の作っていた素麺の食べ方が載っていた。

要は、うどん汁の中に、その地方で良く取れる野菜を千切りにして入れて煮た物が「田舎風つけ汁」なのだと思う。

最近は、母がいなくなって自分の分しか作らないので、出汁も取らなくなってしまった。(笑)
鶏肉も面倒だし、干し椎茸も面倒だし、サヤインゲンも買い置きがない場合が多いので、最近は入れない。

出汁を取るなら、濃い目に取って、醤油・味醂・砂糖で味付けしてください。

山梨風素麺のつけ汁の作り方

材料

人参・ナス・インゲン(サヤでもモロッコでも、サヤエンドウでも可、すなわち何か青物でも、なければそれでも可)・油揚げ・卵が必須
あれば、干し椎茸とか、鶏肉のこまぎれ

作り方

1.野菜と油揚げは全て太めの千切り。(ナスは水にさらす)
  (油揚げは、少しで良い。多いと、汁を沢山吸っているので、汁が濃く感じられる)

2.お鍋に、めんつゆ(私の場合は、創味)とお水を適当に入れて、火をつける。
  
3.野菜と油揚げ(あれば鶏肉)を入れて、煮ると、アクが出るので取り、野菜が柔
  かくなるまで煮る。
  味付けは、うどんの汁とつけ汁の間くらいの濃さにするように、塩や醤油を入れ
  たり、お酒を入れたりして、好みの味にする。(私の場合、市販のめん汁は、甘
  過ぎるように感じるので、塩・醤油とお酒を入れることになるが、ここらへんは
  個人の好み)

  味の濃さは、やはり、素麺とともにすすったときに、素麺の水気に負けない濃さ
  なのだけれど、素麺とともに飲んでも塩っぱ過ぎると感じない程度の濃さ。

4.最後、グラグラ煮ている中に、溶き卵を入
  れて、散らす。
  この時、汁の温度が低いと、汁が固まらない卵で濁ってしまうから、あくまで高
  温の汁に少し卵を入れて、細長く流れるように固まって散るように、箸で卵を細
  長く引っ張るを繰り返す。

5.卵に完全に火が通ったら、火からおろして、鍋ごと水に浸けて、粗熱を取った
  後、冷蔵庫で冷やす。

食べ方

お椀なぞ大きな器に、この野菜入りの汁を入れて、ここが重要なのだが、香り高いすり胡麻を沢山入れて、その中に素麺や冷麦を入れて、食べるのだ。

冷たく冷えた汁と、汁の染みた野菜、そして、香り高い胡麻、この3つが素麺に絡んで美味しいのだ。

我が家で使用する胡麻は、山梨の母の姉が自家用に栽培したものを送ってくれたもの。
何でも、おばさんは、村で一番の胡麻作り名人とのことで、その名に相応しい美味しい胡麻なのだ。
私は、山梨風素麺をこの胡麻で食べることが殆どなので、他の胡麻で食べたら、美味しいのかどうかは良くわからない。

また、食べているうちに、絶対、つけ汁が薄くなるので、汁を足すか、醤油を用意して、醤油を足しながら、食べると、美味しい。

先日、友人達に出したが、やはり、この食べ方は、珍しく、そして、美味しいという評価を取った。
でも、やはり、味の決め手は胡麻で、食べながら、「胡麻が美味しい」とのことであった。(この時の胡麻は、山梨の伯母の胡麻)
良い胡麻を入れれば、多少の醤油加減や味が修正されてまろやかに食べられるのだと思う。



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2004年07月07日(水)

賞味期限切れパーティ


3月まで勤めていた職場の女性たちと、飲み物は我が家の賞味期限を切れているもので、食べ物は会費制で私が作るパーティを我が家で開いた。

メニューは、4〜8話と10話の山梨風素麺と、99年3月29日の鯛のサラダ(中華風)、後、デザートに新しいレアチーズを用意した。

一番迷ったのは、最後の品。
我が家独特の料理を味わって欲しく、カレーにしようか、冷やし中華にしようか、素麺にしようか迷った。
お客様は、若い女性ばかりなので、どのくらいの食欲があるのか良くわからなかった。
万が一、最後の食事の前に「もうお腹一杯」と言われた場合、カレーがご飯が残って一番困る、次は、冷やし中華かな?(麺を冷凍してしまえばいいことはいいのだけれど)
で、一番困らない乾麺の素麺に決定。

皆、褒め上手で、全て美味しいと言いながら食べてくれた。

皆、お料理はできないわけではないけれど、お勤めがあるからとか、一人暮らしだからとか、お母さんが作ってくれるからとかいう理由で、日常殆ど包丁を持たない人たちであった。
だから、例えば中華風サラダが出て来た時、「わ〜、こんなにいっぱい自分で切ったの?」とか褒められた、私に取っては結構新鮮な褒められ方。
確かに、刻むのが嫌いな人には、この中華風サラダは無理だけれど、スライサー使えばいいのだよね。

今回、パーティも美味しい、美味しいと食べてくれたので、楽しかったが、買物が勉強になった。 

会費は、だいたい一人千円程度で、メニューを組んでみたが、色々作ろうと思うと、結構お金がかかるので、適量で安い物を探すことになる。
(ケーキ作らなければ、千円で楽勝なのだが)

例えば、ピーナッツ油なんて、全部使うわけではないから、ほんのちょっとで良いのだけれど、近所で売っている小瓶と言えども、105gで400円近い。
ヨーロッパのものは、量も多いけれど、1000円もして、手が出ず、今回買ったのは、ユウキ食品の105gの物で、中国料理用のもの。(だと思う)
どちらかというと、ヨーロッパのピーナッツオイルの方がドレッシング的に使うのに抵抗がなく、慣れているし、好みなのだけれど、ちょっと遠い後楽園の成城石井まで行かないと小瓶が手に入らないので諦めた。

ユウキ食品のは、「あらゆる料理の香り付けにお使いください」と書いてあるので、味が濃くてドレッシングには向かないのかな〜と思ってしまった。
少し取り出して舐めてみたが、良くわからない。
でも、味が濃いのかも知れないから、実際に使うときに、余りジャバジャバかけないように気をつけたら、どうやら、うまく行ったようであった。

ナスだって、近所のスーパーで5本で300円、これはどう考えても高過ぎると、他のスーパーを巡って、3本100円を探したり、4000円の予算で、色々作ることは、可能ではあるが、探し回る買物が必要なので、その日一日ではできないことだと思った。

後、カシュウナッツ・ピーナッツなども、大きさを考えなければ、簡単に手に入るものだが、使う量程度の少量だけを手に入れたいとなると、小袋で売っている店を探さなくてはならない。
多慶屋・合羽橋は大袋だからだめで、諦めかけていたのだが、御徒町吉池の地下に、両方とも105円の袋があった。

今回のように予算に限りがなくても、パーティ料理の準備しようと思ったら、やはり、相当、どこで何を売っているか、どこの店が安いかなどの情報が頭にインプットされていないと、難しいかなと思った。

また、パーティの前々日、一人、扁桃腺が腫れて行けそうにもないと連絡があり、また、当日の朝、もう一人、来れそうにないとの連絡があった。
この時、ラッキーだったのは、鯛とか豚肉なぞの蛋白質で高い物をまだ買っていなかったことだ。
だから、調整がついて、余分にお金を徴収しなくて済んだ。

魚や肉が遠くから取寄せとか買いに行くのなら、無理だろうけれど、やはり、多人数の集まるパーティは、参加人数に変動が有り得るから、高い物は、最後に、確実な人数分だけ買うように、段取りを取るのが、利口かも知れない。



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2004年07月09日(金)

谷和原(やわら)インターの「きぬの湯」 1/2


日帰り温泉に度々行くようになったら、天気ばかり続いて、暑い、暑いと言いながら、近所ばかりにいる生活が続くと、ドライブして温泉に行きたくなるようになってしまった。

で、おじさんフレンドに頼んだら、近場だったら、連れて行ってくれるとのこと。

(余談であるが、一年前、自分が一年後、こんなに日帰り温泉ばかり行く生活をしているとは全然予想していなかった。
人生って、本当に、一年後はわからないものだと思う。
どうか、来年も、温泉入りながらの生活が続いていますようにと、祈ってしまう。)

我が家の方から一番費用がかからなくて短時間で行けるのは、常磐自動車道方面とのことで、色々探したが、柏の次の谷和原インターから車で10分程度のところに、6月にオープンしたばかりの日帰り温泉施設があるとのこと。
評判も良さそうだし、その近所にJAの直売所が二軒もあることがわかり、行くことになった。

行く前に、近くに何か観光するところはないかと探したが、何もないみたいだった。

谷和原インターを抜けて、温泉に向っている途中に、鬼怒川が見えて、名前の「きぬの湯」の「きぬ」は、絹かと思ったら、鬼怒川の「きぬ」だとわかった。
(でも、きぬの湯の近所が「絹の台」というところがあったから、「絹」かも知れない。)
通りすがりに自動車の窓から見ただけだが、鬼怒川は、細かったけれど、とてもきれいな川であった。
川はきれいでも、確かに「鬼怒の里」では、ちょっと人が寄り付き難いかも。

で、自宅から40分後に温泉センターのある場所を確認後、道路わきに結構色々な施設の看板があったので、それに釣られて、温泉センターを通り過ぎ、ちょっと観光してみた。

きぬの湯から10分くらいのところに、一言主(ひとことぬし)神社があり、車を降りた。
結構、立派な神社で、露店も出ており、霞ヶ浦の海老のボイルと書いてあったので、覗いてみたが、冷凍物を解凍しながら売っていたので、買って帰る事は諦めた。

次に、あすなろの里という看板に釣られて行ってみたら、大きな施設で、キャンプやスポーツが楽しめるところであった。
小さな湖みたいなものがあって、そこを眺望しながらの日帰り温泉もあるみたいで、こちらも良さそうな感じであった。

また、帰り道、「赤もち粉あります」という看板が見えたが、売っているところを見つけ損なった。
それにしても、「赤もち粉」って何だろう?

、 「きぬの湯」という温泉センターは、出来たてで清潔できれいであった。
入場料は、1200円で、何でも私たちが行った日まで、新規開店サービスで、バスタオルとタオルをプレゼントとのことであった。 

男女それぞれに趣向を凝らしたお風呂が14種類あるし、循環式ではなく、掛け流しとのことで、不満はなかったのだ。
露天風呂も5種類くらいあったと思う。
一番気に入ったのが、岩風呂の露天風呂で、水面というか、温泉に太陽の光が当たってキラキラ耀いている中に浸かっているのはとても気持ち良かった。
露天風呂の敷地に、日光浴できるデッキチェアも何台か置いてあって、そこで日光浴をする人もいた。
男女別だし、外とは遮断されているから問題はないけれど、何か、ヌーディストクラブにいるような気分であった。(笑)




2004年07月12日(月)

谷和原(やわら)インターの「きぬの湯」 2/2


きぬの湯は、本当に周囲に何もないところにポツンとできた施設で、道々食事のできるような店は一軒もなく、食事しようと思ったら、施設内の食堂を利用するしかないようであった。

きぬの湯の中の食堂のメニューの良い点は、焼き鳥とか串揚げが1本単位で注文できるところ、この点は気が利いていた。

我々は、写真入りのファミレスのようなメニューを見ながら、何とか定食という、どちらかというと高めのものは取らずに、焼き鳥、枝豆、ナスの南蛮揚げ、げその酢味噌和えなどを取り、最後、ざる蕎麦の田舎汁で、〆た。

その時、私は、ちょうど、ナスの揚げ煮に凝っていたので、他所ではどんな風に作るのか興味あったし、田舎風の汁も、母の山梨風素麺の汁とどう違うか、興味があり、私としては楽しかった。

このきぬの湯のナスの南蛮揚げは、揚げたばかりのナスを醤油風味の汁にさっと浸けただけのようで、ナスに味が染みているということは一切なかったが、それはそれで作りたての熱々の美味しさはあった。
余計なお世話だが、一つしかない食堂なのだから、南蛮揚げなぞ作り置きしておけばいいと思うのだが、まだ開店まもないせいか、注文したら作り始めるメニューのようであった。
思わず、「作り置きして、冷蔵庫に入れておいた方が味が染みて美味しいわよ」と言いたくなったが、きっと、作り置きして売れなかった場合どうするとか、足りなくなったときが忙しかったらどうするとか、そこまで考えている暇がないから、注文に応じて作り始めるのかな?とか余計なことを考えてしまった。
田舎汁は、中に、大根とかぼちゃと長葱が沢山入っている熱々のお醤油味のお汁で、これはこれで、冷たいお蕎麦を浸けて食べると美味しかった。

こういうところで食事をして興味深いのは、その土地の名産というか、沢山取れる物がわかることでもある。
この食堂では、何を取っても、必ず、白髪葱が付いて来た。
我が家の方だったら、キャベツの千切りが付くところに、白髪葱がついてくるのだ。
きっと、この土地は、キャベツより長葱が沢山取れるのだとわかったりして、面白かった。

後で、休憩所で、他所の人が、「ここは食堂はだめね〜」と話している声が聞こえたが、値段の高い「料理」「定食」と言うようなものを取らずに、素材を活かした単純な物を取るだけなら、問題ない水準だと思う。

私が思うには、この温泉センターの問題点は、食堂ではなく、休憩するスペースが極端に小さいことであった。
二階に休憩室と書いてあったので、行ってみたのだが、畳で24畳だったと思う。
そこに、籐の枕が置かれていて、既に大勢の人が横たわっていた。
本当に隙間がなく、二ヶ所、どうにか割り込めそうな隙間を見つけて、横になった。
他に、マッサージ機も10台くらい並んでいたが、そこも満員だった。

日帰りで自動車で温泉に行った場合、お風呂上りに、最低30分から1時間くらい横にならないと、眠くて、自動車を運転するのは、危険だと思う。(私は運転しないが、ナビ係なのだ)

駐車場も広く作る、温泉も広く作る、でも、休憩する和室は狭いでは、絶対設計ミスだ。
(駐車場が広いということは、自動車で来る人が多いということを前提としているのに)
長い目で見れば、広いお風呂に釣り合った広い休憩場所を用意しないと、皆、段々行かなくなってしまうのではと思うのだが。
このきぬの湯は、空いているときに行った方がいいと思う。

我が家から自動車で40分なのに、惜しい。




2004年07月14日(水)

手頃な金胡麻を探す 1/2


山梨の伯母が毎年送ってくれる胡麻がなくなる寸前なのだが、もう80才を越しているし、今年は、ちょっとした病気で入院したこともあり、来ないかも知れない。

母は、毎年残暑厳しい頃に、伯母が自家用の煎ってすれば胡麻の匂いがし、食べれば胡麻の味がする胡麻を送ってくれるのを楽しみにしていた。

ずっと昔、母の日のプレゼントに、胡麻すり用に電動コーヒーミルを一つプレゼントしたことがあり、母はずっとその電動コーヒーミルを胡麻専用に使っていた。
山梨から胡麻が届くと、ウキウキとこの胡麻を煎って、半分はそのままの形で、半分はコーヒーミルで半ずりにして、缶にいれて保存し、「やっぱり、姉さんの胡麻が一番ね〜」と自慢しながら、一年中、色々な料理に使っていた。

以前から、私が市販品の胡麻を買って来ると母は「そういうのはだめ」と言って使ってくれなかったし、市販の練り胡麻も受け付けなかった。
私はそこまでこだわらないけれど、山梨風素麺の汁には、おばさんの胡麻の方が美味しい気がする。
また、この前、賞味期限切れパーティのときに、山梨風素麺を食べた友人達は、食べて一言「胡麻が美味しい」と言っていたっけ。

おばさんの胡麻は、多分「金胡麻」という種類で、色は、金色と言うか、黄色と茶色の中間くらいで、たまに黒胡麻が混ざっている感じ。

そこで、デパートやスーパーを探してみた。
数軒お店を見たが、売っていなかった。
更に、「原材料」が「胡麻」と書かれている場合、外国産の胡麻であることが多いし、国産胡麻ですら、見つからなかったが、「正直村」というところで、国産洗い胡麻という胡麻を売っていた。
(外国産でもいいじゃないかと思われるかも知れないけれど、そもそも野菜は育つ環境の土と水で味が決まるわけで、長年美味しいと思っていたおばさんの胡麻に近いものを探すとしたら、やはり、それは国産が無難なのだ)

それが、その白い「国産胡麻」は、何と、50gで420円もするのだ。(だったと思う)
ひえ〜、100gで840円のわけで、牛肉だって、そんな高い物、滅多に買わない。
その洗い胡麻は、白くて、金胡麻とは違うようであった。

無理して、白胡麻を買ってもしょうがないので、近所で探すのは、諦めた。




2004年07月15日(木)

手頃な金胡麻を探す 2/2


で、その時、今まで行った千葉や茨城、埼玉のJAや道の駅には、無造作にビニール袋に入れられた胡麻がそんなに高価だという印象もなく、並んでいたのを思い出した。

考えるに、今、国産より外国産の胡麻の方が安いから、結局安い胡麻に需要が集まり、、日本で、一般に売るための胡麻を栽培している農家は、本当に少ないのかも知れない。
でも、きっと、農家の人たちは、我が山梨のおばさんのように、自分たちが食べる胡麻は、お店で買わないで、自分の畑の端っこで栽培しているのだろう。
胡麻というのは、一つの実から沢山できるらしいし、自家用を取り分けて余った物が、JAや道の駅で売られている筈だ。
だから、そういう胡麻を東京のスーパーやデパートで探すことが無理なのであって、東京近郊に行けば良いのだ。

で、谷和原の温泉に行く時に、調べたら、近隣に二軒JAの販売所があったので、地図に書き込み、出かけた。

まず一軒めは、品物も少ないJAであり、黒胡麻しかなかった。
聞くと、「金胡麻は、8月に収穫されるから、当分出て来ない。でも、一週間前だけれど、もう一軒のJAにあったよ」とのこと。

金胡麻が、一年に一度収穫されるものなのか、それとも二度くらい収穫できるものなのかもわからない。
また、新物とひねでは、どちらが美味しいのか、そんなこともわからない。
でも、とにかく、安くて美味しい金胡麻を手に入れたかったので、もう一軒の方に車を走らせてもらったら、運良く金胡麻があったのだ。

JAの販売所というのは、値付けが面白くて、農作物や加工品を持ち込んだ農家の人が値段を決めるのだ。
だから、その時、少し多めの胡麻が500円、少な目が450円であった。(生産者が違っていた)
当然、少し量が多そうな500円の袋は1つ売れ残っているだけで、450円は数袋あった。
お店の人に「どうして値段が違うのか?品質が違うのですか?」と聞くと、「ここでは、持ち込んだ人が値段をつけるから、どちらが品質がいいということとは関係ないです」との答え。
500円と450円、一つずつ買って、家で目方を計ってみたら、500円の方が200g、450円の方が150gであった。

ほら、ほら、100gに直したら、250円と、300円ではないか、東京近郊のJAに行けば、正直村の1/3とか1/4に近い値段で、こんなに良い物が手に入るではないか。(でも、おじさんに「高速道路代を考えろ」と言われてしまったが、でも、温泉の帰りのお土産だと思えばいいのだ。胡麻だけのために高速道路を使ったら、そりゃ、勿体無い。)

プチプチっとはねるくらいまで炒って、ミルサーで半ずりにすって、瓶に入れて、現在使っている。
山梨風素麺のときは、それ程、美味しさが実感されないのだが、にんにく醤油のドレッシングなぞに混ぜ込んで野菜とともに食べると、香りも味も良く、満足。

安かったので、ジャバジャバという感じで使っている。

また、初秋に、東京近郊の温泉に行くときには、今度は、新物を買ってみたい。




2004年07月16日(金)

新盆


7月6日だったか、突然、母の実家から電話があり、「東京じゃ、新盆どうするのだ?行こうか?」と聞かれた。
咄嗟のことだったし、私の頭に、「新盆には何か特別なことをする」ということがインプットされていなかったので、「明日、お寺で聞いて、お返事します」ということにした。

確か、母から「田舎では新盆は大切な行事」だと聞いていたから、だから、叔父から電話があったのかなと思った。

で、早速お寺に聞きに行ったら、東京でも大切な行事らしく、「あ〜ら、知らなかったの?お父様のときは、どうなさったの?新盆には、白い提灯を用意していただいて、それを飾るの。後、水菓子とか、ナスやかぼちゃ、素麺は茹でないでいいから、飾ってね。それから、お経は、どうしますか?以前は、お家でお経を上げることが多かったけれど、今の時代、「お家に伺う」と言うと、嫌がる人も多くなったので、お寺であげてもいいわよ」とのこと。

あ〜、そうなんだ。
父の時は、どうしたっけ?
全然覚えていないので、「母に任せっきりだったものですから」なんて、にこやかに言い切ってしまった。

そう言えば、昔々、時々、母は、仏壇の飾り物を外して、真鍮磨きで磨いていたことや、お坊さんが来て、仏壇の前でお経を上げていた風景を見たことがあったことを思い出した。
そうか、あれが、普通のお盆なのだ。
その後、家を建て直したり、父が亡くなったときに、お寺が代わったりした関係で、いつの間にやら、お盆にお坊さんが来なくなっていたのだ。(新しいお寺は、遠い親戚で、檀家というより、法事だけをお願いしている感じなので)

我が家は、浄土真宗で、余り形式にとらわれない宗派。
送り火も迎え火もないのだ。
でも、ま、お寺さんがそういうのだから、今回は、世間並みには、新盆をしなくてはと思った。

山梨からわざわざ「行こうか」と言ってくれるくらいなのだから、「家族が揃って」ではなく、「親戚も加わって」の方がいいようだ。
しかし、私や兄弟に新盆に対する知識と自覚がなかったせいで、急なことだし、東京の一番近い親戚を父方・母方から一組だけ来てもらうことにし、日時は、弟妹がお休みの土曜日の夕方とした。

お経をあげてもらうのは、最初は、お寺が楽だと気持ちが動いたが、せっかくちゃんとした仏壇があって、仏壇のある部屋は現在日常的には使っていないで、きれいなので、そこであげていただくことにした。




2004年07月17日(土)

新盆のお飾り


仏壇がある母の部屋はいつもきれいにしていたが、仏壇は、全然掃除していないことに気付いた。
飾り付けより何よりも、仏壇の掃除が先だと、生まれて初めて、掃除してみた。
仏壇の中の埃を見て、母の生前は、母に任せっ切りだったけれど、考えてみれば、75を過ぎたおばあさんが掃除できるわけないのだ、お花を切らさないようにすることで、きっと精一杯だったのだと思い、生きている時、さりげなく「私、掃除するよ」とか言って動けば良かったと反省。

で、恐る恐る掃除したが、全然きれいにならない。
我が家の仏壇は、大正15年製の、人が一人入れそうな大きな仏壇で、その中に、買った頃には、キンキンキラキラ耀いていたであろう金色のお寺が入っており、そこに飛んでいる天女などの金色の彫り物がやたらに多い。
その曲線のいたるところにすすや埃が沢山付いているのがわかるのだが、変にこすったら、ボロッと壊れそうだし、化学薬品が入っている洗剤を吹きかけるのも怖く、軽く、埃を払って終わりにした。

結局は、埃を取っただけであった。

お飾りについてだが、近所の菊屋橋の仏具屋さんで、「新盆用の提灯」と言えばわかるということで、買いに行った。
一回だけのことに使うのに、高かったら嫌だなと思ったら、1520円で意外に安く喜んでいたのに、何故か、こちらがお願いしたわけでもないのに、「1200円にしておきました」と言ってくれた。
ラッキー!と思う反面、やはり、汗だくで普段の汚い格好で買いに来た私が貧乏に見えたのかなと、ちらっと心配になった。(笑)
(余談だが、後で多慶屋を見たら、同じような提灯があった、しかし、菊屋橋の方が安かった、ラッキー)

お花屋さんに聞くと、お盆用の蓮の花が入ったお花は、10日からとのこと。
野菜もそうらしい、我が家のお経は、10日の夕方だから、その日にどうにか間に合いそうである。

私には、お盆のお飾りに関する知識がないので、個人商店では「お盆、初めてやるんだけれど」と色々聞いてみた。
一番面白かったのは、和菓子屋さんで、和菓子屋さんも、10日から、店頭に、お盆のお飾りのお菓子を色々並べる予定なのだそうだ。
おじさんが「お盆には、仏壇の前に小さなちゃぶ台を出して、そこにゴザ敷いて、お飾りを色々並べるんだよ。そう、お花、野菜、果物、そして、お菓子もだよ。でも、ま、いいさ、誰かから「おかしい」とか「ちょっと違うんじゃない」と言われたら、「知っていたおじいちゃん、おばあちゃんが、いなくなったから、わからなくなっちゃった」って、言っちゃえばいいよ。それで今の時代は通用するよ」と教えてくれた。

ま、そりゃそうなのだが、余り、恥はかきたくないので、私がだいたい並べて、お坊さんがいらっしゃる前に、お盆飾りに詳しい叔母が早めに来て、チェックしてくれることになった。

本式には、ゴザを台に敷くらしいが、買い忘れて、省略することになった。
叔母たちが、大きな果物の箱を買って来てくれて、台の上が満杯にそして華やかになって、良かった。
大きな果物、野菜、花なぞが並べられ、お父さんの魂が帰って来たら、「おや、こんなに色々飾られているなんて、我が家の仏壇ではないみたいだ、帰るところを間違ったかな?」と思うかな?とか、母の新盆をこんなに盛大にやって、お父さんがひがまないかなと冗談を言って、和やかに、準備が整った。

お坊さんのお経の後、我が家の仏壇のことが話題に上がり、「もうこれだけの仏壇を作ったり、修理する技術は今の日本にはない。だから、この仏壇は、もう修理もしないで、このまま使った方がいい。変に修理に出すと、前よりひどくされて返って来ることも多いから」とのことであった。
(一説によると、我が家の仏壇を修理すると2百万かかると聞いていたので、内心、ほっ)

「すすだと思うのですが、黒ずんでいるところが多くて、きれいにしたいのですが」と聞いたが、「諦めなさい。黒いままで宜しい」と言われ、私の役目は、「壊さないようにすること、埃を取ること」だけになった。(ほっ!)




2004年07月19日(月)

新盆の食事 1/2


お坊さんがいらっしゃるのが午後6時だから、その後、食事を出さなくてはと考え、一瞬、「自分で作ったものを出したいな」とも思ったが、献立をあれこれ考えている時間がないし、一人で何もかもやると失敗しそうなので、止めておいた。
(母が生きていたら、私は、段取りで頑張る母を適当に補助しながら、食事を作ることが可能だったが、今はまだその体制が整っていない。)

兄弟に相談する時間もなく、場所を押さえなくてはいけないので、私が独断で決めることができた。
母の病気から他界、また、その後まで、影になり、日向になり、私たちを気遣ってくれる親戚であり、この夏の暑い盛りにわざわざ来てもらうのだから、心ばかりではあるが、本当に「心から美味しい」と思える食事を出して、感謝を表わしたかった。

今回は、近所で店を選べるので、最近私が気に入っている「野風僧」にした。
(今まで、夕方に二回、昼に三回、人を連れて行ったのだが、一回の外れもなく、皆、美味しいと喜んでくれた実績も大きい。)

母方の叔父・叔母は、70代で、野菜の美味しいのが大好きであり、普段から無農薬の野菜を中心とした食事をしているとのこと、私の甥たちは、今食べ盛りで、「肉、肉」という時期である。
そういう幅の広い嗜好を満たすには、野菜やお豆腐・胡麻の質にこだわり、一方、餃子とかラーメンなどの甥たちが好きそうなメニューのある野風僧が一番良いと思った。
それに、野風僧の美味しさを我が親戚に味わって欲しいと、常々思っていたのだ。

で、予約と同時に、メニューを決めに行ったら、「既存のメニューの中から選ばなくても、何か食べたいものがあったら、作りますよ」と言ってくれたのだ。

その時は、「だったら、シェンタン(塩漬けのあひるの卵)が入った中華風の茶碗蒸しが食べたい」と言ったのだが、イメージが湧かないとのことで、どんな茶碗蒸しか明日までに教えてくれと言われた。

家に帰って、以前行った鴻運のメニューを見ていたら、「あ、そうだ、これ、美味しかった、食べたい!」というものが沢山出てきてしまった。

で、最終的に決めたメニューは下記のとおり。

★焼き餃子

 青葱が沢山乗っている冷奴(胡麻油・塩味)

★韮饅頭←にらと海老の焼き饅頭

△ホタテ青菜炒め

★上海チキン

△トマトとほうれん草のサラダ

○ナスのぴり辛揚げ

○海老と豚挽肉の茶碗蒸し

○冬瓜と金華ハムのスープ蒸し

 麺(1/2)←青葱・豚角煮醤油麺か、胡麻味担々麺からチョイス

 杏仁豆腐

後、サービスで、青生ザーサイを出してくれた。

△は、通常のメニューになくて、お店の人が勧めてくれたもの

○は、通常のメニューがなくて、私が鴻運で食べたものを参考にして、
 お願いしたもの

★は、食べ盛りの子供がいるので、肉関連の料理を所々に入れてみた。
 (全て通常のメニューにあるもの)

最初は、冬瓜の蒸し物ではなく、魚一匹を中華風に大皿に乗せて蒸した物が食べたく、それを入れてみたが、上海チキンがあるので、全体では、冬瓜の方がバランスが取れるし、より季節感が高くなるような気がしたので、変更した。

コースというよりは、色々な料理を並べた感じとなった。
(コースとしては滅茶苦茶っぽいが、野菜で季節感を表わしたメニューと子供たちが好きな食べ物が混ざっていて、中々良いと思った。)




2004年07月20日(火)

新盆の食事−野風僧 2/2


結論から言うと、皆、大いに満足してくれた。
親戚は別れるとき、皆、嬉しそうな顔で、「本当に美味しかった」と言ってくれた。

なんと言うか、映画の「バフェットの晩餐会」みたいな感じで、一皿食べる毎、皆、幸せ感が増してくる感じで、集まった人たちは、とにかく美味しくて、自然と和気藹々になっていき、最後、幸せな気持ちで会食を終らせることができた。

面白かったのは、甥2。
お坊さんのお経まで、前夜暑くて眠れなかっただの、やりたいことがあるとか、不機嫌モードであり、食べに行く前も、「僕、今日、食欲ないんだ、麺だけでいいから」なんて言っていたのに、いざ食べ始めたら、「麺だけでいいから」なんていう言葉は簡単に忘れ去られた感じで、ご機嫌は直り、全て美味しそうに食べていた。

良い料理、良いお酒(このお店の紹興酒が美味しい)は、脳内モルヒネを分泌させるなと感じた。
海亀のスープもなかったし、フカヒレ・ツバメの巣もなく、平凡な食材でも真っ当な吟味した食材の料理は、まさしく食べる人を幸せにする料理であった。

我が甥たちは、野菜を嫌がらずに、冬瓜だろうが、生のほうれん草だろうが、ちゃんと全てに箸を伸ばし、味わっていた。
随分食べ方が大人ぽくになったこと、食べず嫌いではなく、どの食べ物に対してもちゃんと味わおうという姿勢を感じられて、食べ物に関しても素直に育ったと嬉しかった。
(また、甥たちと一緒に食事するのは久々であったが、ずっと別々の食事をする状態でも、いざ同じ食卓についてしまえば、いつでも「家族」みたいな感じで食事ができるのだなと確認できて、嬉しかった。)

量もたっぷりであったが、何しろ「食べ物を生ゴミにしない処理機」のような人間が3人(我が弟・甥二人)がいたので、本当に料理は全然残らず、出てきたお皿は、皆、きれいに空になって、返って行った。

叔母たちは、「中華料理を食べていると言う感じがしなくて、野菜やお豆腐が美味しかった」そうで、「こんなお店、家の方(大田区雪谷方面)にはないわよ」とのことであった。(浅草方面だって、ここしかないが)

初めから、このお店は、素材を選び、調味料を選び、腕が良いから美味しいのだとはわかっていたが、満足な宴会が終ってみて、もう一つ気付いたことがあった。

それは、メニューを決めるときの「お客のニーズに合わせようという姿勢」。
この姿勢は結構重要で、宴会を成功させるには必要不可欠なものであるのだなと感じた。
実は、私が頼んだナスのピリ辛揚げ、海老と豚挽き肉の茶碗蒸しは、鴻運で食べたものとはかけ離れたものが出てきてしまった。(冬瓜と金華ハムの蒸し物は、私のイメージどおり)
でも、それは、私が以前食べたものとは違うものというだけで、美味しいことは美味しかったし、私以外の人は、鴻運のものを食べたことがないのだから、問題はなかった。
私が食べるメンバーの嗜好を考えて野菜料理を増やしたいという要望を出したのだが、それを聞き入れてくれて、お店の得意料理を押し付けることなく、作ったことも食べたこともない私の要望の料理にチャレンジしてくれた姿勢が、宴会の成功の一因だったなと、終ってみて感じた。

ここのお店は、「素材・調味料・腕」の三拍子揃ったお店と思っていたが、それに「お客に合わせる姿勢」を加えて、四拍子揃ったお店なのだ。

その後、山梨の母の実家の叔父と電話で話したときに、東京の叔父から好意的な感想を聞いたのか、「お母さんの新盆、ちゃんとやってくれたんだってね。有難う」と言われて、嬉しかった。
実家は有り難い、もうお嫁に来て50年以上になるし、既に他界しているというのに、他界後も母が嫁ぎ先で丁寧に扱われることを気にかけてくれていたのだ。
生まれ育った実家の家族って、そんなものかも知れない。




2004年07月22日(木)

野風僧 上海チキン


今回のメニューで私が一番気に入ったのは、上海チキン。

通常のメニューに上海チキンは載っているのだが、半羽で2〜3人前書いてあるので、大抵は二人で食べに行く私は注文したことがなかったのだ。

一切れ食べたら、余りに美味しくて、私は、自然と数切れに手が伸びてしまった。
どういう風に美味しいかなんて、分析する暇もなく、ただ、ただ、美味しいと食べてしまった。
覚えているのは、焼き立ての熱々の骨付き肉で、肉が柔かく、ジューシーで味があったこと。

食べてから数日間、「また、食べたい」とずっと心に浮かんだ。
その後、一旦は、心の中で、「上海チキンが食べたい」という気持ちが治まったが、10日くらいして、また食べたくなったので、野風僧で食べて来た。

二回食べて、だいたいどんな料理かがわかった。
外側は、こんがり、パリっと焼けていて、スモークしてあるようで、燻製の良い香りがする。
食欲が沸くような香ばしいスモークの香りを嗅ぎながら、パリっとした熱々の皮にかじりつくと、中は確実にジューシーで、多分、お酒に肉をつけていたのかしら?というような味の柔かいお肉。
とにかく美味しい鶏肉であった。
(でも、二回目は、ちょっとスモークが強かったのか、ケンタッキーの昔のスモークチキンを思い出した、私はあれも好きだったのだ。)

半羽で、鶏の縦半分が5切れに切られて出て来たのだが、私が一人で4切れ食べて、ようやく、「上海チキンをまた食べたい」という欲望が納まった。(笑)
鶏肉を食べると、結構喉が乾くことが多いが、どういうわけか、この上海チキンは喉がそんなに乾かないような気がする。
こういうローストしたチキンに有り勝ちの「塩が強い」ということがないからだと思う。
こんなに鶏肉を美味しいと思ったのは、京橋の伊勢廣の東京軍鶏の焼き鳥以来のこと。

北京ダックの鶏版とメニューに書いてあったような覚えがあるが、北京ダックのように皮を食べるわけではなく、どちらかというと、中国版ローストチキンか、中国版タンドリーチキンという感じの料理である。

野風僧に行ったら、肉好きには、絶対のお勧め。

インターネットで、「上海チキン」で引くと、結構、野風僧以外のものが出てくるし、写真も見られる。




2004年07月23日(金)

甲府のお通夜


6月の中頃に、甲府の叔父が他界し、お通夜と葬儀に参列してきた。

甲府の叔父さんは、母の妹の旦那さんで、子煩悩で家庭を愛する普通のサラリーマンであったが、何か一つのことに長く熱中できる人で、仕事以外の趣味やライフワークに「極めた」ことが多い人であった。

私が小さいときは、サボテン栽培に凝っていて、叔父さんの庭は、サボテンだらけであったことを覚えているし、晩年には、庭の植物を丹精込めて育てていた。

他、これは趣味の域を越しているのだろう、定年退職した後、昔から興味があったのか、山梨の郷土史の研究を初め、古本屋で山のように買い集めた昔の本を座して研究していた。
また、「山梨出身の満州開拓団」や「山梨出身の特攻隊員」というテーマを決め、満州開拓団にいた人や特攻隊員だった人、その家族に話す元気があるうちにと、その人たちの話を聞いて、まとめたとのこと。
私自身も知らなかったけれど、山梨でも、満州開拓団に参加した人や特攻隊になった人がいたことは、案外知られていないことなのだそうだ。
叔父さんが、今まで世間的には埋もれていた「苦労や悲惨な目にあった人たち」に光を当てて、記録したのだ。
そのことから、叔父さんは本当に山梨という土地、そこで暮す人々を全て愛した人なのだと思う。
その研究は山梨でも評価され、山梨の市民講座で、講座を開く程であった。
研究が好きだった叔父であったが、性格が明るいし、話術が上手だったから、その講座は好評を博したと容易に想像できた。

そんな郷土と家庭と植物を愛した叔父のお通夜は、甲府の現代的な斎場で行われたが、家族を大切にした叔父さんに相応しい、心のこもったお通夜であった。

私は、親族の席の末席を汚して座っていたが、びっくりしたのは、お通夜の儀式終了後に、叔父さんの棺は、一旦、家に戻ると、司会の人がアナウンスしたことであった。
実際、そのとおりに、叔父さんの棺は、式が終って、一階の斎場から、何の障害もなく、するするという感じで、自動車に運ばれ、あっという間に、家族とともに家に戻って行った。

東京では考えられない。(大きな家なら別だが)
我が家だったら、母の部屋は6Fでエレベータや階段で運ばなくては、安置する場所はないし、斎場から家までも遠い場合も多いし、とかが頭に浮かび、東京では、誰もそんなことができるとは想像もしないだろうと思った。(甲府の叔母の家は平屋)

親戚の話では、お通夜の後、家族の誰かが斎場に泊まり込むか、家に棺を戻すか、どちらかを選べるとのこと、別に叔父だけの特別のことではないとのことであった。

その晩、私は、母の実家に泊めてもらい、次の日の朝、出棺に間に合うように、叔母の家に連れて行ってもらった。
叔母の家のお嫁さんの話では、「昨晩は、父の棺の回りを家族が集囲んで、父の思い出話を皆で夜遅くまでしていたのですよ、本当に良いお通夜ができた」とのことであった。
今まで、考えたこともなかったけれど、それはとても羨ましい家族だけのお通夜で、おじさんも喜んだろうと思った。
(でも、良く考えると、昔は、自分の家でお通夜・葬儀を行っていたわけだから、昔だったら、東京でもそれが可能というか、当たり前のことであったのだ。)

また、出棺するときに、棺の中に花を入れることは、我が家の方と同じだったけれど、何しろ、家からの出棺だったので、葬儀屋さんが用意した花の他、叔父さんが丹精込めて手入れした庭の花も、棺の中に沢山入れることができたそうだ。
今まで咲きそうで咲かなかった、叔父さんが大好きだった「のうぜんかつら」(という名前だと思ったが)という木の花が、叔父さんの出棺の朝に合わせたかのように咲いたとのこと。
生きて、その花を鑑賞できる方が良いに決まっているが、せめても、叔父の棺に、その花を入れることができて良かったと、叔母が言っていた。

東京のような人口過密地帯で、全てが混雑している環境では望むべくもないが、大都会ではない都会では、現代風に斎場を借りる葬儀という形に移行しながらも、昔の自宅で葬儀をする場合の良いところを多く残せていることを知った。

その甲府式の風習と家族や参列者の心が相俟って、叔父さんを惜しむ心を形に表わすことのできたお通夜と葬儀であった。




2004年07月25日(日)

かぼちゃの皮の唐揚げ


先日、MLで知り合った方が用賀にキッチンスタジオを持っているとのことで、お料理を習いに行った。

そのスタジオは、料理教室と料理を自分たちで作る場所、それから、雑誌などの料理の写真を写すスタジオとして作られたとのこと。
できて間もなくであり、最新設備とデザイン・設計がまばゆかった。(羨ましい)
料理教室は、まだ、試験的にやっている段階で、月に2,3度しか開いてないらしい。

ここでどんなに文章でそのスタジオの素晴らしさを説明をするよりも、ホームページがあれば、すぐにわかるだろうから、8月のホームページ完成まで、そのスタジオの話は、置いておく。

そして、その時、色々習ったのだが、中でも、かぼちゃの皮の唐揚げが気に入って帰って来た。

かぼちゃの煮物を作るとき、皮がついていると、皮まで柔かくするのに時間がかかるので、剥いた方がいいということであった。
で、剥いた皮は、千切りにして、油で揚げると、他の料理のあしらいにもなるとのことで、揚げてみたのだが、「美味しい」のだ。
どういう美味しさかというと、ほのかにかぼちゃの味がして、甘味があって、美味しいのだ。
どちらかというと、かぼちゃというのは、口に含むと、口の中、かぼちゃの味だらけになりやすいが、皮の千切りは、味がほのかなところが良い。

かぼちゃの皮は、すぐに食べないのなら、ラップに包んで冷蔵庫に入れておき、揚げるとき、千切りにする。
(量の多いものではないので)少量の油で揚げ、余分な油を取ったら、塩を軽く振ると、ビールのおつまみに最適。
(でも、元々かぼちゃの嫌いな人は、この「かぼちゃの味がほのか」なかぼちゃの皮の唐揚げも食べられないようであるが)

皮に農薬があるかもと心配される人もいるだろうが、その疑いは拭い切れないが、従来から食べているものであるからと、割り切れたら、作ってみてください。

家で、二度程揚げた。
一度目は、かりっと揚がらなかったので、二度目、千切りにしたかぼちゃの皮を半日、天日に干してみた。
こうすれば、かりっと揚がる他、保存もきくかもと思ったのだ。

できあがった乾燥したかぼちゃの千切りは、くるっと弧を描く形になった。
そして、味は、美味しさが抜け、苦味が強くなった感じであった。
乾燥はお勧めしない。




2004年07月26日(月)

インド人のスパゲティ


我が家の斜め後ろの家に、もう10年か20年になろうか、インド人の人が住んでいることは、以前にも書いた。

10年程前だったか、最初のお嫁さんがインドから日本に来た。
ほっそりしていて、繊細な感じな人だったが、見かけのとおりの性格だったようで、どうもホームシックになったみたいで、短い期間で、インドに戻り、離婚したようだ。
東京に珍しく雪が積もった日、厚いコートを着て、物干しで、周囲の景色を見ていたのを一度見たことがあるだけの人であった。

その後、体格ががっしりしていて、健康的で丈夫な感じの人が来日、数年前から、その家で暮し始めた。
(この奥さんは異国に来ても、日本語も覚える気もないけれど、ホームシックにならないようだ。
おまけに、毎年、お祭りの前の1か月くらい、夫の両親が同じ家にずっと滞在するのだが、嫌な顔もしないで、三食作って、一緒に仲良く暮す良い奥さん。
現代の日本女性では、私も含めて、中々できそうでできないことではと思ってしまう。)

今では、上が男の子で、下が女の子の二人が生まれて、賑やかに暮している。
家族で話すときは、インドの言葉で、ご主人だけが日本語を話すことができる。

男の子が大分大きくなって、現在では、自宅から遠いインターナショナルスクールに通っている。
この子は、日本語を全然話さないし、インド人以外の近所の日本人に全く興味がないみたいで、近所の人の顔を覚えたりする気もないようなのだが、家の中だけでは退屈なのだろう、、路地をインドの言葉を発しながら、周囲を気にせず、駆け回っていることも多い。
外で発するこの子の何気ない言葉で、大人だけの家族では見えなかったインド人の生活が、見えたりすることもある。

去年だったか、外からその男の子のインドの言葉が聞こえてきたが、インドの言葉で何だらかんだら言った後に、「何でだろう〜、何でだろう〜」という日本語が聞こえてきたのだ。
あ、この子、日本で、インドの言葉で育っているけれど、日本のテレビは見ているのだ、流行語はわかっているのだとわかった。

後、面白かったのは、夕方、お父さんと手をつなぎながら、散歩からの帰りだろうか、この男の子とすれ違ったときのことだ。
男の子は、日本の子供と同じで、お父さんにあれやこれやインドの言葉で、話し掛けながら、歩いていた。
家に入る直前、その男の子の言葉の中に「スパゲティ」という言葉が聞こえた。
きっと、お父さんに「お父さん、今日の夕飯は、スパゲティだよね」とか言っているに違いないと思ったのだ。

で、唯一、日本語ができるお父さんとその後会ったときに、「この前、男の子の話している言葉の中に『スパゲティ』という言葉が聞こえたけれど、インドでもスパゲティ食べるの?で、スパゲティには、カレーをかけるの?日本にいるから、インドの人もスパゲティ食べるの?それとも、インドでもスパゲティ食べるの?」と聞いたのだ。

そうしたら、「勿論、インドでもスパゲティは人気がある。かけるのは、イタリア風のミートソースであり、カレーではない。インドでも、色々な他所の国の食べ物は人気あって、イタリア料理の店も、中華料理の店もあって、皆、食べに行っているよ」とのことであった。

へ〜、そうなんだ。
日本から見ると、インド国民は、頑なまでに、カレーを初めとするインド料理しか食べないし、戒律が色々厳しいから他国の食べ物に手を出しにくいイメージがあるけれど、その実は、日本と同じで、雑食系の家庭料理を食べているようだ。




2004年07月28日(水)

母の梅酢


10年くらい前だろうか、我が母は、前の家のおばあさんに習って「梅酢」を毎年仕込むようになった。

どういう風に使うかというと、お寿司を作る時に、炊き立てのご飯に、この砂糖入りの梅酢を振り、塩を振って、混ぜて、寿司飯を作っていた。
その寿司飯からそこはかとなく梅の香りがすることが母のお気に入りで、「お寿司屋の寿司飯より美味しい」と自慢であった。
我が家では、秋口から冬の間の寿司飯は、この梅酢で作ったものなのだが、切れると普通のお酢の寿司飯になった。)

母は、去年のお祭の前の青梅の出初めの頃、私に青梅を買って来て欲しいと言うので、その頃、既に入院が決まっていたので、私が洗って、拭いて、漬ければいいだけにしてあげたことを覚えている。
その後は、仕事の合間に、自分で梅酢を仕込んだのだが、秋に他界してしまった。

母が他界してまもなく、地下室への階段の端に、母が仕込んだ梅酢の瓶が置いてあるのを発見、ちょうど使い頃であった。(本当に、母は自分が死ぬなんて、全然予想していなかったのだなと感慨深かった。)
梅酢は、長く持たないで、一冬越すと、香りが落ちてしまうと、母と話した覚えがあった。

3リットル近くあっただろうか、家の家族だけでは使い切れないし、母が食べるのを楽しみにしていた梅酢であるので、四十九日の法要のときに、小分けして、親戚に配ったのだ。

そうしたら、母方に受けて、叔母が二人、今年の初夏に「作りたいから、レシピ教えて」というリクエストがあった。
この梅酢の作り方は、幸い、母に聞いて、私が覚えていたのだが、「青梅1kg+米酢1升(1.8リットル)+氷砂糖1kg、覚えやすいでしょう、これを保存瓶に入れておけば、秋口には美味しく使えるわよ」と習っていた。

二人の叔母は、すぐに漬けたようだ。(どうも、二人とも、我が家と違って、青梅を買わなくても、近所の人が持って来てくれる環境のようだ。)

その後、「真理ちゃんも漬けなさいよ」と言われ、賞味期限切れた米酢がお店に沢山あったので、叔母達に遅れること1か月、青梅の最後の時期に私も仕込んだ。

叔母たちは、秋まで待ちきれず、氷砂糖が溶けた頃、既に使い始め、すごく上品な香りと味が美味しく、もっと作れば良かったと後悔したそうだ。
サラダにかけたり、酢の物に使っているらしい。

叔母から質問が来たのだが、私は母がどういう風にしていたかはわかっていたけれど、それが正しいのか確信が持てなかったので、前の奥さんに出会った時に、聞いてみた。

前の奥さんは、そのお母さんの自慢の梅酢が、我が家や遠くに住んでいるその親戚に受けていることを喜んでいた。

で、叔母の質問を告げると、「日が当たらなくて、風の通るところや気温の低いところに置けば、気候が暑くても冷蔵庫に入れる必要はない。そして、梅は、ずっと漬けておいて、取り出さなくて良い」と教えてくれた。(母もそうしていた。)
また、梅酢を使い終わったら、残った梅の実は、細かく刻んで色々なお料理(酢の物とか)に入れると、美味しいわよ〜とも教えてくれた。

また、梅酢は、長く置いておいても、香りは飛ばないわよ〜とのことであるが、私はここのところは、半信半疑。(実は前の奥さんも2月頃までに使い切ってしまい、それ以上長く保存したことはないようである。)

1か月先に漬けこんだ叔母達の梅酢はもう美味しいとのことであるが、私のはまだようやく砂糖が溶けたか溶けないかの状態で、梅の香りもしないで、お酢そのものの味で、美味しくない。

もう暫くしたら、美味しくなってくれることを期待している。




2004年07月29日(木)

自分で作る凍り豆腐


2,3か月前に、お豆腐屋さんのおばさんが、「最近の市販の凍り豆腐は美味しくないと言って、豆腐を買って、自分で冷凍庫で凍り豆腐を作っている人もいる」と言ったのだ。
作り方を聞くと、「煮物に使う大きさに切って、冷凍庫で凍らせるらしいわよ」とのこと。

市販品の凍り豆腐は、最近、製法が一度大きく変わったらしく、「凍り豆腐 戻し方」で検索したり、料理の本を見ても、戻し方が、「昔ながらの凍り豆腐」「新しい製法の凍り豆腐」で大きく違うことは知っていた。
どうも、製法が違うから、今と昔では、凍り豆腐の味も変わってきているのかも知れないが、私は元々凍り豆腐をそんなに食べないで育ったので、良くわからない。
でも、昔からの凍り豆腐が好きな人には、新しい物は美味しいと感じられないものかも知れない。

凍り豆腐は、元々、長野かどこかの寒い地方で、冬場、お豆腐を凍らせて作るから、冷凍庫でも作れることは知っていた。

で、良い機会なので、豆腐が1/3丁程度余ったのときに、言われたとおりにラップに包んだ上で、凍らせてみた。

そして、1,2週間して、他の野菜の煮物に入れてみようと思ったが、解凍のやり方が良くわからなかったので、インターネットで検索して、色々勉強してみた。
本格的な凍り豆腐を作るのなら、凍らせた後、一旦干してカラカラにして、市販品のようにすることが必要なようだ。
でも、そんなに本格的な保存食としての凍り豆腐が欲しいわけではないので、一番簡単と思われる方法で、「解凍してすぐ使える」方法を真似て、解凍した。

それは、冷凍したお豆腐を熱湯の中で解凍する方法。

たまに、箸や竹串で刺して、中まで解凍されたかどうかチェックしながら、解凍した。
そして、取り出して、触れる程度の熱さになってから、絞って、煮物に加えた。

食べた食感は、市販のものより、モチモチしていて、お豆腐に近い感じ。
味もお豆腐の味がしっかり残っていて、美味しい。
市販品とは、別のタイプの凍り豆腐だと思う。

良く、「お豆腐を凍らせると、スが入るので、変質してしまう」と言うが、思ったより、スは入らなかったので、モチモチした感じがするのだと思う。
2,3人以上の家族のいる人は、お豆腐が余っても、他のお料理や味噌汁に忍び込ませることができて、お豆腐が余ることはないかも知れないが、私は、今までに余ったお豆腐を冷蔵庫でたまに腐らせた経験が多いタイプなので、このやり方は使えると思った。

インターネットで色々見たが、別に、凍らせる前に切る必要もないみたいで、大きいまま凍らせて、解凍後、切っても良いみたいだ。

お豆腐が残ったとき、実験してみると、面白いです。




2004年07月30日(金)

あけの元気館への道−国道294号


またまた、常磐道を通って、茨城の日帰り温泉に行って来た。
日帰り温泉に行くのが、習慣になったが、田舎道のドライブ、草や木の匂いのする空気、田舎らしい日光、田んぼ、時々、草むらとか雑木が雑然としたものが見えだけで、別に観光地や特段風光明媚でなくとも、十分楽しい気分になる。
これまた、名物という名物もない、名もない食堂で食べる夏場の枝豆と冷奴、そして、温泉、その後の午睡、JAか道の駅で新鮮な野菜を買うこと、これらも気分転換になる。
現在、日帰り温泉ブームで、次から次に新しい施設ができているので、行くべきところは沢山ある。

遠路遥々行ってみて、外れる場合もあるが、外れは外れでも、色々なところを巡れるのが楽しいのだから、文句はない。
外れても、全部がひどいわけではないし、それなりに楽しい。
外れて、二度と行かないだろうなと思う施設もあるけれど、今のところ、「また、是非行きたい」と思う程の施設にも余り当たらない。

私は、たまには、伊豆や箱根の昔からの観光地で、知る人ぞ知る美味しいお店が沢山ありそうな方面に行きたいと思わないでもないが、茨城でも、枝豆と冷奴は、どこでも確実に美味しいので、不満はない。

今回、行ったのは、前回の常磐自動車道谷和原インターを出て1時間くらいかかるところにある「あけの元気館」。
前回行ったきぬの湯を通り過ぎて、ひたすら国道294号を1時間くらい北進した。
この国道294号というのは、本当に田んぼの中の一本道であり、関東平野の広さが実感できる道である。
やがて、右手前方遠くにに筑波山の山並みが見えてくるのだが、それ以外は、どこを見ても四方八方田んぼが続いている。
それは、もしかしたら、狭い日本において、「日本離れした田んぼの広さ」かも知れない。<昔むか〜し、その広さに驚いたドイツの麦畑を思い出したくらい。>)
この広い田んぼの所有者が一人である筈がなく、耕す人はどうやって「どこまでが自分の田んぼ」と分かるのだろうかとか心配になる程。

水海道(みつかいどう、私はずっと「すいかいどう」だと思っていた)を通り過ぎて、石下(いしげ)というところに来たら、大きなコンクリート建てと思われるお城が現れるのだ。

その後、ひたすら294号を北進すると、右手に、要塞のような巨大なジャスコが見える。
(このジャスコも入ったら、半日は出て来れないと思う。←でも、日帰り温泉に行き帰りにジャスコには入る時間もなく、残念。一度、こういう郊外型の巨大スーパーとかホームセンターをゆっくり見てみたい)

125号と交差した後1つめの信号近くに、何と「貴族の館」という、ヨーロッパ中世のお城を思わせる塔がいくつもある茶色い建物が現れた。(これは小さいし、堅固な感じがしない建物)
どう見てもレストランだと思ったが、前を通り過ぎると、入口に大きな「茹で上げスパゲティ」の看板が....。
何で、貴族の館で茹で上げスパゲティなのか良くわからないが、面白かった。

ただ広い田んぼの中の道を車で走っていると、コンクリ製の大きな日本のお城や、巨大な要塞のようなジャスコ、貴族の館という何故か茶色に塗られた、形はヨーロッパのお城を模したスパゲティ屋などという予期せぬ建物が次々と突如現れるところが面白い道であった。

家に帰ってから知ったのだが、今上映されている「下妻物語」という映画の舞台が私が通った界隈で、貴族の館やジャスコが出てくるらしい。
294号を走っているときは、「この場所のことを書いても誰も興味持たないかも」と思っていたが、どうして、私が知らないだけで、今や、結構有名な場所のようである。
一度走っただけである場所だが、何か自分が良く知っている場所のような気分になって、あの貴族の館がどういう風に描かれているのか見たくなった。
「四方八方田んぼだらけの田舎町 下妻」と映画のHPに書いてあったが、あの町を見たら、皆、そう思うのかなと思った。

評判が良い映画らしいし、ビデオになったら、借りてこよう。




2004年08月01日(日)

茨城県真壁郡明野町あけの元気館


あけの元気館は、私は気に入った。
結構、最近できた明野町の町営の施設で、日帰り温泉施設の他、水着着用のプールやバーディゾーンなどの設備がある。
しかも、一日いて、700円。(当然、値段相応で、タオルは貸してくれないが)

温泉は、男女それぞれ、内湯と露天風呂一つずつにサウナ(洗い場は、10人分程度)。
私の温泉の楽しみというのは、温泉そのものより、その後の午睡だから、私は、その程度の設備でも良かったが、おじさんフレンドは、温泉の種類が少ないこと、それに男湯はぬるかったようで、評価は厳しかった。
(こういう施設に対する要望というのは人それぞれなのだと思う、私が褒めたからと言って、万人がそのとおりと思わないであろうし、けなしたからと言って、万人が、私の意見に賛成してくれることはないと思う。)
バーディゾーンまで入れたら、きっと大した設備なのだと思うが、水着を持って来なかったので、そちらは見ていない。

このような町営の施設があるのは羨ましい、我が台東区にも、利用料が安いこういう施設があったらいいと思ったが、行ったら、知り合いに沢山会いそうなので、多分行かないだろうということになった。(隣の区で作ってくれたら、嬉しい。)

建物は、まだ新しく、打ちっぱなしの近代的なコンクリートで、窓が大きく、天井が高いタイプで、気持ちが良い。

この施設の一番気に入ったところは、お昼寝ゾーンがたっぷりしていたこと。

まず、個別にテレビがついたリクライニングシートが20台揃っている薄暗い部屋がある他、大食堂は、大きな畳敷きの和室で、ここで寝転ぶことも可能なようであった。
それに、行ったのが日曜日だったせいか、いつもは他のことに使っているらしい部屋に、マットレスと枕が20個くらい並べられて臨時休眠室という看板が出ていた。
これだけのスペースがあったら、温泉の後、絶対にゆっくりできるという安心感があった。
(温泉の後の午睡の重要さを気にかけているところがすごく私好み。)

で、その日は、お風呂に入っても、12,3人しかいなかったくらい空いていたので、テレビ付きリクライニングシートを、おじさんとそれぞれひとつずつ借りることができた。
快適かというと、隣の人のテレビの音量が結構聞こえてくるのだ、余り快適でもないと思っているうちに眠ってしまったが....。

この施設の周囲には、草木しかないので、施設内の食堂に入った。
食堂は、地元の奥さん達がパートで切り盛りしている感じ。
この食堂も、とんかつ定食だの、ラーメン定食が揃っているが、元々、他所からの観光客ではなく、地元民のための施設だから、こんなものだろう。

で、枝豆と冷奴と、ジャンボコロッケを頼んだ。
冷奴は、150円で、木綿豆腐半丁の上に、少量のすり胡麻とすりおろし生姜、沢山の葱の小口切りが乗って来たが、醤油をかけて食べたら、冷たくて、大豆の味が沢山するお豆腐で美味しかった。
(田舎のお豆腐は美味しいよね)
今まで、すり胡麻を冷奴にかけたことはなかったが、すり胡麻とお豆腐は中々マッチして美味しいので、今度やってみようと思った。

ジャンボコロッケは、中々出て来なかったが、出てきたら、本当に大きくて、普通のコロッケの3枚分はあろうか、それが揚げ立てで、ソースをかけて、あふい、あふいと言いながら食べたら、美味しかった。

これだけの設備で、700円は、絶対に安いと思うけれど、東京から高速料金を払って、行く価値があるか、難しいところ。
帰りに、下妻の道の駅は、野菜もお土産も充実していたので、のんびり田舎をフラフラして、お昼寝して、新鮮な野菜を買いたい人にはお勧めできると思う。




2004年08月02日(月)

下妻の道の駅


下妻付近には、JAの販売所がないようなので、道の駅に行ってみたが、中々良かった。
細長い建物で、レストランやファーストフードの食堂、加工品の土産物売り場の他、一番端に野菜売り場があった。(展望台もあるようだ)

加工品の土産物売り場も、所謂土産物以外の、生活のための食品販売も結構充実していて、「帰りにスーパーに寄らなくても、今日の夕飯に使える」というものも多々あった。

どうも、ここらへんは、豚肉が名物らしくて、500g500円で、地元産の肩ロースとももの薄切りのパックがあった。(何故か、ロースはなかった。)
見た目きれいなお肉だったし、100g100円なら、買って帰りたいとも思ったのだが、クーラーボックスを持って来ていなかったので、諦めた。
(他、国道294号沿いには、結構とんかつ屋が目についたから、本当に名産なのだろうと思う。)

お豆腐も種類も豊富で美味しそうであったし、クーラーボックスを持っていたら、豚肉もお豆腐も買いたかった。

しかし、油揚げは、クーラーボックスなしでも持ち帰り可能だし、20枚で200円だったのだ。

この安さ、きっと、外国産の遺伝子組替えの大豆が原材料だし、消泡剤とか色々使っているものに違いないが、何せ、1枚10円は、どう考えても、油揚げの最安値に見えて、「最安値でどのくらいの品質か」経験してみたくなって、買ってしまった。

一枚10円という割には、ふわっとしていて、おいなりさん作るのに向いていそうだし、おいなりさんに半分使ったとして、残りは冷凍できるし、弟妹に土産にあげればいいのだ。
(実際に食べてみて、品質は、それなりだったが、「10円にしては、中々」ということも言える)

野菜売り場も種類豊富で、見応え、買い応えがあった。

トマトに胡瓜、みやこという名前のかぼちゃ、キャベツ、長葱、色々な物を買ってしまった。
かぼちゃは、とあるところで「江戸崎かぼちゃ」が美味しいと聞いていたので探したが、やはり、霞ヶ浦の江戸崎から下妻は遠いのか、「みやこ」という種類のものしかなかった。

既に胡麻は沢山持っていて不要ではあったが、胡麻研究家として研究中なので、胡麻を探してみたが、胡麻は、ちゃんとそれ用にデザインされた、いかにも「商品」というパッケージで包装されていたせいか、高かった。

道の駅に行くと、安くて新鮮な野菜をもっと買いたくなる気持ちを抑えるのが結構大変である。(野菜以外にも、パンとか、結構、購入意欲をそそられるようなものが並んでいる。)
買ったとしても、東京ですぐに食べなかったら、東京のスーパーで買うのと同じ商品になってしまうのだからと、自分に言い聞かせながら、商品を見ている。(笑)



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