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「美味しい!」が好き 特別編 第三回

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2004年04月05日(月)

会社辞めてしまった


もう会社を辞めて、10日近くになる。
毎日結構やることはあるし、だいたいにおいて、一人で家の用を片付けたり、たばこを詰めたり、友人が寄って来たり、ご飯作っていると、時間が経つのが早くて、余り何もできないでいる。
最初の一ヶ月で、母の他界に関する公的手続き等を終らせて、お店を始めようと思っていたが、このペースでは、一ヶ月では無理かも知れない。

何故会社辞めたかというと、辞めたくなったからなのだ。(当たり前なのだけれど)

私の勤務していた会社はこの1月に合併があり、その影響で、1月、2月は結構残業が多くて忙しかった。
おまけに、派遣社員は、今後1年の間に皆退職することになると説明があった。
で、派遣社員は一人ひとり、いつまで勤務したいか考えて答えるように言われた。

1月に残業していて、心の中で、「母が死んだから、残業できるのだ」と思っていた。
母が生きていたら、家にいるにしろ、病院にいるにしろ、どんなに遅くとも5時までに終る仕事でなかったら、とっくに辞めていた筈なのに、辞めもせず、6時7時までの残業をこなしていること自体に違和感があった。
「その職場で残業をこなせるようになる」より、「その職場を辞めることになったとしても母に生きていて欲しかった」なんて、感じてしまった。

そして、今の仕事を、「母の夕食を作りながら勤められる」と思って選んだのではないか? 楽だからと勤め続けていていいの?と自問するようになった。(楽でも一年でなくなるのだけれど)

今の仕事は腰掛けであり、母の夕食作りという前提がなくなったら、もっと他の「やるべきこと」や「やりたいこと」をやるべきではないかと思うようになった。

それが何かというと、やるべきことは「父母の意思を継ぐ」こと、やりたいことは「自分を活かすこと」なんて考えていたら、「店を継いで、最低限酒屋をやりながら、自分の能力を生かすことを考えよう」と思いついた。
どちらも完璧でなくても、自分のできるところまでで十分だと思った。

酒屋なんて、今、時代から取り残されてしまった商売であり、食べて行ける程、儲からない。
でも、事実として、お酒とたばこの自販機に商品を詰めていると、結構、近所の人が寄って来て、我が家の自販機がいつまでもここにあって欲しいと言う人が多かったし、母が言っていたように、確かに「近所で役に立っている商売」なのかと自覚したこともあった。
酒屋を続ける理由は、「近隣の役に立っているし、私が父母を尊敬し、父母の『なるべく長く、先祖が始めた酒屋という商売を存続していて欲しい』という意志を継いだから」というだけ。
でも、またまた、事実として、経理は見ていたけれど、自分で発注したことがなく、どのビールのどの大きさをいくら取寄せたら売れ残らないかもわからない。(笑)

まだ、何をして自分を活かすか、決まっていないし、半年したら、尻尾巻いて、また、派遣の仕事を探しているかも知れない。

私の頼りは、下記のことだけ。

・数年前、占いで、「私は、お墓(家)を守る運命にあり、守っていれば、先祖が私を
 守ってくれて、食べるに苦労しない」と言われたこと

・昨年末、会社の若い友人が、細木数子さんの占いの本で私の今年を占ってくれた
 のだが、「今年は良い年で、一生の仕事に巡り合う」という結果が出たこと

どうか、占いがあたりますように。(笑)

でも、会社を辞めた一番大きい理由は、「もう私は大人になって、今後、私が何か選択して行動しても、自分や周囲が幸せになることしか選ばないし、しない。」みたいな自分に対する信頼とか自信ができたことだと思う。
もう何をやっても、選択しても、「こんな筈ではなかった」なんていう結果にならずに、どこか折り合いみつけて、大成功は無理だとしても、「ま〜めでたし、めでたし」くらいのところに持って行けるようになったような感じがしたからだと思う、うまく言えないけれど。

それに、年を取ったことを自覚したことも大きい。
若いときなら、「まだ自信がないから」と躊躇してられるけれど、私の年だったら、躊躇して楽していたら、きっとすぐに身体がいうことを利かない年になってしまうのだ。(笑)



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2004年04月06日(火)

「日常の塩蔵わかめとごちそうの干しわかめ」かな?


干しわかめは余り見ないから、買ったことがないのだ。

この2,3年、MLの方に教えていただいて、築地場内の東昆という三陸産の塩蔵わかめを主に扱っているお店で、1kg単位で買っている。
家に帰ったら、冷蔵庫の野菜室に放り込んでおいて、使うとき、使う量だけ取り出せばいいので、収納も楽。(冷蔵庫にしまえるというのは、長期保存法としては一番楽だと思う)

戻すときは、まず、パイレックスの200ccのカップに水を入れて、その中に、数分、若布を浸けておいて、取り出し、水で洗い、ざるに上げておく。
で、その後の調理で加熱しないで、サラダなどで使う場合は、パイレックスのカップのお水を新しくして、2分程電子レンジにかけて、お湯を沸騰させ、それを火傷しないように気をつけて取り出し、そのお湯の中に戻したわかめを入れて、箸でかき混ぜ、茹でたと同じ効果を与えている。(わかめに火を通すまでに道具がパイレックスのカップ一つというのは、洗い物が楽)
そして、この若布は、養殖物で柔かいので、筋を取らなくて良く、そのまま、食べ良い大きさに切ればいいことも楽。
(わかめらしい硬さはやはり天然物らしいが、筋を取らなくてはならないと思うのだ)
が、この前、古本屋で乾物の本を買ったら、どうも、味や風味にこだわったら、干しわかめの方が上のようである。
塩蔵わかめは、塩蔵する前に一旦茹でるそうで、その段階で、わかめらしい香りがなくなっているそうなのだ。
その点、干しわかめは、生のまま干すので、戻すと、わかめらしい香りがあり、歯応えがあるとのこと。
え〜ん、そうとわかっていたら、干し若布を買えば良かったと一瞬思ったが、多分、戻しにかかる時間や筋を取らないで済むことまでを考えたら、日常的に食べるのなら、塩蔵の養殖わかめの方が自分に合っているような気がする。

後、調べたのだが、塩蔵わかめは、戻すと2倍の量になり、干しわかめは、14倍に増えるそうなので、一見、干しわかめの方が高価だが、7倍以下なら、干しわかめの方が安価なようだ。

ま、日常使いの「塩蔵養殖わかめ」、ご馳走の「干しわかめ」と言い切りたいところだが、干しわかめは使ったことがないので、良くわからない。 
今度、買ってみて、結論出します。(勿論、干しわかめにも、天然物とか養殖物とかあるのだろうから、研究してみなくては)



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2004年04月07日(水)

弱ったカラス


3月の23日頃だったろうか、近所の銀行に行ったとき、銀行近所の道の真中に、カラスが一羽座り込んでいた。
足を折って、身体の下に入れ、飛べないし、歩けないような状態で、そういうカラスを初めて見た。
カラスは、首を上げて、道路の真中に座り込んでいたのだが、黒いし、動かないし、余程近くに行かないと、それがカラスだとわからないせいで、走ってきた自転車は、皆、カラスの直前で、それが生き物とわかって、急ブレーキをかけていた。

まず、思ったのが、「鳥インフルエンザに感染したカラスだったら、どうしよう!」であった。
カラスは無表情だし、どんな表情なのか全然分からないが、とりあえず、目は開いており、空をじっと見つめているようだった。

カラスもこのままでは可哀想だし、鳥インフルエンザだったら、困るし、他の人がそうするとは思えなかったので、家に帰ってから、インターネットで電話番号を検索して、保健所に電話した。
「座り込んで動けないカラスが公道にいるけれど、鳥インフルエンザの心配はないですか?」と聞いた。
(実は、カラスの近くで、物を落とし、それを拾うときに、カラスの存在に気づいたのだ。そのカラスの近くの地面を触ってしまったことが怖かったのだ。)

保健所の人が言うには、一羽で弱っている場合は、鳥インフルエンザの心配はないそうで、鳥が複数で弱っていたら、鳥インフルエンザの心配が強いとのことであった。
その前の日、急に寒くなったし、今、東京都では、カラスに餌を取られないようにしているから、寒さと食べるものがなくなったので、弱っているのではないかとのことであった。

そして、そのカラスの居場所を教えた。

あのカラスは、野生の鳥として、飛べない、歩けない状態だから、もう元気になることはないだろう。
それにしても、無表情のカラスでも、飢えと寒さで動けない状態であるのを見るのは可哀想であった。




2004年04月08日(木)

柿の木坂のティーガーデン


私は、3年前の半年間、某予約制のレストランの総務みたいなところで、会計のシステム化のバイトをしていた。
な〜んていうと格好がいいが、Accessというソフトで、売上管理をしたいという要望に四苦八苦で応じていたのだ。
先日辞めた会社でも良い友人ができたが、そのレストランでも仲の良くて、今でも繋がっている友人関係がある。

今回、そのレストランの先輩の荒木さんから「柿の木坂の自宅にテラスをオープンしたから、遊びに来ない?」という誘いがあり、もう一人の友人と行ってみた。

柿の木坂は、ご存知のとおり、高級な住宅街で、その一角にある自宅のガレージの上に採光の良い、最高6名で使用可能な、可愛い、居心地の良さそうな部屋ができていた。
部屋の奥の方がちょっとしたキッチンになっている。
冷蔵庫、電子レンジ、お湯をわかす機械、電磁のヒーター、和洋のお茶の道具などが揃っている。

私達は、その明るいサロンで、荒木さんが出してくれるお茶や手作りのお菓子を食べながら、今何している、これから何したいみたいな話で、盛り上がって楽しんで帰って来た。

こう書くと、子供を育て終わった主婦が、趣味で自宅を改造して、サロンを作ったという良くあるパターンだと思うかも知れない。
きっとそのパターンの一つには違いないとは思うのだが、荒木さんと半年間毎日接していた私は、「きっと利用したら、快適は保証されている」と思うから、推薦したい。

その人を紹介するのに、「何々の資格を持ち、どこどこで修業」という経歴が大切かも知れない。
荒木さんも、色々な資格を持ち、色々な職業を経験してきている。
でも、彼女のサロンを私が推薦する理由は、そういう資格や経験よりも、彼女の「持って生まれた、他人に楽しく過ごして欲しいというサービス精神」と「補助としての才能」なのだ。
私は、半年間、一緒に働いていたのだが、近くで見ていて、彼女の補助としての生まれ持った才能は素晴らしかった。
(行ったことないけれど、銀座のバーでチーママやったら、ピッタリだと思っていた。)

大先生がパーティを開こうとする、その中心人物で全てをお膳立てできるというのは大間違い、その人を補佐する、良く気のつく、身体がキビキビ動く秘書的人物がいて、初めて、お客様が満足してくれるパーティができるものなのだ。
荒木さんは、何年も笑顔を絶やさずに、軽やかに、オーナーを補佐する仕事=お客様を大切にする仕事をこなして、沢山の人からの信頼も厚かった。

私がそのレストランを辞めた後半年くらいしてから、彼女も思うところあって退職し、次に、輸入食器を販売する店に勤めたが、お客様への細やかな心遣いや今までのレストランでの経験、お洒落なセンス、主婦としての生活観が相俟って、良い成績だったとのこと。

で、今回、「テラスの経営」に挑戦とのこと。
うってつけだと思う。

荒木さんの希望としては、色々な人に利用していただき、友達を広げて行けたらとのこと。

利用法は、色々だと思う。

 ・余りスペースを必要としない習い事の会場

 ・料理をするのはいいけれど、自宅を片付けるのは面倒な人の持寄りパーティ
  の会場

 ・仕出し弁当などを取って、食べながら、何か話し合いをするのもいい

 ・喫茶店などでは周囲が気になって落ち着けない人たちのおしゃべりの場

かかる費用は、「一時間千円」+人数分のお茶代一人400円

お茶代というのは、最初に「ウェルカムティー」を、部屋を使い終った後、手作りの「お菓子」と「お茶」を出して、利用してくださった皆様にゆったりとしていただきたいためのものとのこと。
その他の食べ物・飲み物の持ち込みは自由だとのこと。

その他、輸入食器に興味のある方は、ご相談くださいとのこと。

テラスの詳細は下記のとおりですので、ご興味のある方は、資料請求・相談してください。
(現状、HPなどはまだできておりません、メールで連絡してくださいね、「合羽橋へ来てね」を見たと言ってくだされば、通じます)

柿の木坂ティーガーデン MA〜ma(まぁ〜まぁ)

 荒木裕子

 住所:目黒区柿の木坂2−19−17

    東急東横線都立大学から徒歩11分

柿の木坂ティーガーデンへのメール先


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2004年04月11日(日)

ビタクラフトが壊れた


2か月前に、20年前に買ったビタクラフトの取っ手が取れてしまった。
高さが6cm、直径14cmなので、以前から、取っ手が火に当たって、いつかだめになると思っていたのだが、とうとう、壊れてしまった。
壊れたら、同じ直径で深めタイプを買おうと思っていたので、合羽橋に見に行ったら、1万8千円。
それから二割引だったら、買える、買おうと思っていたのだが、もらってきたパンフレットを見ると、どうも、二割引して1万8千円のようで、消費税も入れたら、1万8千9百円もする。

今、買っても後20年は使えるお鍋だけれど、若いときに20年先使うことを見込んで高いお鍋を買うことはできるけれど、何か、年を取ると、後20年、お鍋をせっせと使いこなす自分の姿が想像できず、勿体無いような気になってしまった。

話はずれるが、このお鍋が壊れて、色々探したら、昔のビタクラフトのカタログが出てきて、このお鍋を1万2千円で買ったようなのだ。(昔だから、消費税もなかった。)
ビタクラフトは、きっと品質も良くなっているのかも知れないが、相当値段が上がっている。
(直径14cm、高さ8cmの現在の定価は2万3千円、20年前は、13,500円。私の持っている物は、やはり、高さが問題だったのか、今は売られていない。)
私は20年前、今より年収が高かったけれど、1万円のお鍋は勿体無いと買おうか買うまいか悩んだ覚えがある、その年収より低い今、2万円近いお鍋は到底買えないと思った。

しかし、ビタクラフトのミルクパンは、少量の料理を作るときに便利、ゆで卵を3個くらい作るときは、このお鍋で10分くらいでできるし、お味噌汁で、具を柔かくしなくてはいけない大根とか里芋とか、沸騰させて蓋をして、火を止め、放っておけば、柔かくなっていてくれる、他、人参のグラッセを作るときも大きさが丁度良く、もしかして一番使っているお鍋かも知れない。(少なくとも3つ持っているビタクラフトの中で一番使っている。)

鍋本体は傷んでいないし、今のものを修理して使い続けることにして、インターネットで、ビタクラフトのHPを探し、事情を書いたメールを送ったら、部品を送ってくれるとのこと。
もう既に製造中止のものでも部品が取ってあるのが嬉しい。
送ってもらった部品は、ねじ回しで無事装着できた、かかった費用は、735円と振り込み代金70円。

これで、805円の出費で後20年以上、このお鍋を使えると思うと、嬉しい。
ビタクラフトは、本体のお鍋は丈夫で、修理メンテナンスのサービスがしっかりしているから、本当に長持ちするお鍋であることは確か。
使ってくれる人がいるのなら、代々、継いでいけるお鍋である。




2004年04月13日(火)

お誕生日のフルーツタルト


昨年の11月末のお兄ちゃんのお誕生日のショートケーキを見て、甥2が「僕のお誕生日は、こ〜んなに沢山フルーツが乗ったタルトがいい」と手を広げたり上げたりして、大きなタルトの上に山盛りのフルーツという量感を表現しながら、言った。
この子は、申年生まれのせいか、小さいときから果物が大好き。
申年生まれで、体格が良くて、つやつやしている子が「フルーツが好き」というのは、何となく可愛い。

で、それ以来、買物のついでに、スーパーなどの果物売り場を色々見て回り、「どうしたら、安くできるか」情報を仕入れていた。

カップに入った生のフルーツカクテルみたいな物が490円くらいで売られていて、あれにしようかとも思ったが、結局は、オレンジ1個88円、パイナップルを一口大に切ったものが100円、アンデスメロン1切れ160円、それに苺がちょっと高くて400円弱を揃えた。
本当は、りんごとかぶどうがあると格好いいし、黒っぽい色が欲しいからブルーベリーも欲しかったのだが、そこまで揃えることは予算の関係で無理なので、オレンジ色、黄色、黄緑、赤でうまく行くかどうか心配だが、諦めた。

作っていて、お誕生日のケーキは、スポンジケーキに限ると思った。
スポンジなら、スポンジさえ焼いてしまえば、後、デコレーションして終るのに、フルーツタルトは、タルトを焼き、カスタードクリームを作らなくてはならない。
(それでも、タルトの上げ底に使ったスポンジは、ケーキ教室で作った残りが冷凍してあったから、助かった。これがなかったら、迷わず、カステラを入れてしまうであろう)
タルトもカスタードクリームも本当に久し振りに作ったので、結構手間取り、懲りてしまい、来年は、やりたくない。

慣れていないというのは、恐ろしい。

まず、カスタードクリームなのだが、多分私の勘違いで、カスタードクリームができたときに、ゼラチンを少々入れてしまったのだ。
そうしたら、冷えてから生クリームと混ぜたのだが、力を入れて混ぜないと生クリームがカスタードに入って行かず、力任せに無理矢理混ぜ込んだが、相当汚いクリームであった。(でも、外から見えないところに入れてしまうのだから、問題はないけれど)

また、ケーキ用のお皿にタルトを乗せてからか、タルトを簡単に移動できるように何か、平たい丸い板の上に乗せてから、中身を詰めたり、飾り付けをすればいいのに、いい加減に、テーブルの上の大理石の板の上で、この作業を行ってから、お皿に移そうとしたら、二回も移動に失敗し(持ち上げた途端に端がボロっと崩れた)、相当、欠けたタルトになってしまった。
(タルトの生地を伸ばすときに、直径18cm分の量だったのを、21cmにできないかななんて、迷って広く広げたりしたせいもあったのかも知れない。)
しかし、割れたところをくっつけておけば、上のフルーツで隠れて、そんなに目立たないから、ごまかしてそのまま使った。

飾りつけは結構うまく行き、この4つの色だけでも、ケーキ屋さんのフルーツタルト風になった。
オレンジは外も中の薄皮も剥いて、食べ良い大きさに手で房を二等分くらいし、メロンも一口大にカットした。
まずオレンジ・パイナップルを適当に、なるべくカスタードが隠れるように置き、次に、メロンもアットランダムに置いた。
初めは、立体的に飾らないとと思っていたが、「立体的」より「地肌のカスタードが隠れるように」を優先せざるを得なかった。
苺は、最後に丸のまま置いてみたが、どうも他の果物の色に合わなくて、苺の赤の映りが悪いので、縦二つに切って、苺の断面の白っぽいところを見せるようにしたら、全体が落ち着いた。

できたから、良かったと喜ぶしかないけれど、タルトは大変、相当時間がかかった。

でも、甥2も喜んでくれ、タルトにろうそくを立て、ふ〜して、お祝いをした。

どうか、来年は、ショートケーキか、チーズケーキと言ってくれますように。

余談だが、18cmのタルト型で、生クリームと苺が大量に余り、冷凍のスポンジ直径18cm厚さ3cmの半分が残ったので、次の日、半円のショートケーキを作った。
それでも余った生クリームはホイップして冷凍し、苺は、次の日から、牛乳とお砂糖で美味しく食べた。
そう考えると、このタルト作りも中々良いかも。



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2004年04月17日(土)

一人暮らしの保温鍋


一人用の料理を作り始めて直ぐに、持っている鍋が大きいことが気になって来た。
大は小を兼ねるで、大きいお鍋で一人用の料理もできるのはできるけれど、洗うとき、お鍋が大きいと、「あれしか作っていないのに、どうして、こんなに大きなお鍋を洗うのだろう」と思うようになり、結構、それが非効率のように思えてきた。

ちょうどビタクラフトのミルクパンが壊れて使えないのを機会に、少量の保温料理を作る方法を考えてみた。
保温鍋は、「ほっと得ちゃん」というものを持っているが、3.4リットルで、母が居る頃から大き過ぎると思っていた。

ほっと得ちゃんは、外鍋が、発泡スチロール製で、ちょうどおひつのような形になっていて、その中に、付属の3.4リットルのお鍋がすっぽり入るようになっている。
ほっと得ちゃんの外鍋というか、発泡スチロールの入れ物の内径に納まる鍋を買ってくれば、作る量に比例した小さいお鍋で保温料理ができるはずだ。

それで合羽橋にほっと得ちゃんの外鍋を持って、探しに行った。
お鍋というのは、本体が小さくても、取っ手までの外径は結構大きい物が多く、中々、見つからなかったが、川崎商店で、外径16cmの一番小さいアルミの両手鍋を発見。
これをほっと得ちゃんに入れてみたら、ちょっと斜めになるものの、どうにか納まるようだったので、これを買った。
確か「実用鍋」という名前だと思うが、我が母なぞが持っている薄いアルミの黄色いお鍋で、1400円くらいだったと思う。

この外径16cmのお鍋の容量は、1.4リットルで、だいたい真中までで700cc、最高でも1リットルくらいの料理ができそうで、1,2人料理にはちょうど良いと思ったが、大当たりで、とても気に入っている。

で、今、私の台所では、金色というか黄色の昔タイプのアルミのお鍋が他のモダンな鍋を差し置いて大活躍している。




2004年04月19日(月)

保温鍋の本格的煮物 1/2


先日、浅草橋の一回に一客しか取らない和食のお店に行った。
そこのご主人は、浅草橋に生まれ、高校を卒業して、京都に修業に行き、その後、銀座などで働いた後、故郷でお店を開いたとのこと。

そこで、一番美味しかったのが、里芋などの京都風の煮物。
多分、沢山煮て冷蔵庫に入っていたのであろう、冷たくて、出汁が染みていて美味しかった。

どうやったら、これだけ出汁を染みさせることができるのだろうと、そのお店に行って以来、考えていた。
多分、保温で味を染みさせるのだろう。
以前、レストランで働いていたとき、そのレストランは、懐石料理が得意で、煮物なぞ、芯まで出汁の味が染みて美味しかった。
そのバイト中、経理だったから、付きっ切りで、調理場で習ったりすることはできなかったけれど、仕事に慣れて来て、飽きるとたまに調理場を覗いていた。
そのときに、懐石の煮物は、前日に作られ、ぐつぐつ煮ないで、ことこと煮ること、そして、火からおろした後も、ガス台のステンレスの熱いところにずっと置かれることがわかった。
(夜はどうするのかは見れなかった。)

プロのガス台は、一枚板のステンレスで、下はオーブンになっていて、その一枚板のステンレスは、コンロやオーブンで火を使っていると、温かいか、熱い。
だから、柔かく煮終わったものを熱い鍋のまま、そこに置いておけば、自然と保温調理ができるのだと思った。
その点、プロの道具は、無駄がない。
でも、家庭では、そういうガス台はないけれど、保温鍋があるから、保温鍋を使って、いつか、ポイントを真似して、美味しい煮物を作りたいと思っていた。

で、この度、作ってみたら、大成功!

味付けを参考にした本がどうも江戸前らしかったので、味は、江戸のお醤油味がする甘辛い味になったが、出汁の味が芯まで染み込んでおり、だからと言って、しつこくない上品で美味しい煮物が出来上がった。
弁松のお弁当の煮物とか、おせち料理の煮物の味ができた。
東京の昔からのお弁当屋さんの牛蒡や里芋はこうやって煮るのか、自分でもできるのかととても納得したし、嬉しかった。

こういう時間のかかるお料理は、料理教室など、時間が限られたところでは教えてくれない。
多分、そういう煮物の作り方を知っているお母さんから習えた娘さんしか、家庭ではできないのではないか。
そういう娘ではない私が自力で、「料亭や高級なお弁当の味」を作れるようになって、「やった〜!」気分である。

作り方は、明日以降。




2004年04月20日(火)

保温鍋の本格的煮物 2/2


自己流であるが、芯まで味を染み込ませる煮物を作るポイントは、

1.下茹で段階で、「ちょっと硬めだけれど芯まで茹で上げておく」こと

2.濃いめの出汁(昆布を浸けておいて、抜いて、沸騰させて、かつおを入れて
  からちょっとしてから火を止め、沈んだら漉した出汁)に、出汁300ccに薄口
  醤油大さじ5、砂糖大さじ3〜4、酒大さじ3の割合で入れて、下茹でした野菜
  を入れる。(煮汁の量はひたひた程度)

3.煮物を沸騰させたら、そこに追いかつおというのか、お茶だしパックの中にかつ
  お節を一握り入れたものを入れて、蓋をして、保温鍋に入れ、一晩置いておくこ
  と。
  保温鍋がない場合は、お鍋を新聞紙で包み、更に毛布で包み込み、蹴飛ばさな
  い場所に置いておく。
  (落とし蓋はした方がいいと思う。もし、根野菜が少し顔を出してしまうようなら、
  ガーゼなどを当てた上で、落とし蓋をする。)
  翌朝には美味しい煮物ができあがっている。
  (もし、起きている間に覗けるのなら、一度見て、揺すって天地を入れ替えておく)
  これを容器に移して、冷蔵庫に入れておく。

私は、インスタントの出汁が苦手なので、本格的な出汁を使うが、苦手でなければ、インスタントのだしでも構わない。
要は、下茹でした根野菜と汁を熱くして、80℃くらいの温度にずっと置いておくと、本当に芯まで味や出汁が染み込むのだ。
それを体感してみることをお勧めする。

昨晩、NHKの料理番組に、田村隆さんが出ていて、「料理屋の煮物は、火を入れては冷まし、火を入れては冷ましを繰り返して、味を染み込ませる」と言っていた。
きっと、本当はこうするのだろうし、そっちの方がいいのかも知れない。
でも、家庭で、手間をかけずに、芯まで出汁が染みた煮物を作ろうと思ったら、保温法の方が良いと思う。

(また、田村隆さんが「追いがつおというのは、煮物を煮るということは、煮汁と野菜の中の水分を交換することだから、それを入れないとどんどん煮汁が水っぽくなる。それを防いで、最初の出汁の濃さを保つために追いがつおをする」と言っていたが、とても納得が行く説明だった。)

一度目が余りに大成功だったので、次の日、再度、同じ物を作ってみた。
好奇心が湧いて、一度煮物に使った出汁を再度使えないか試してみた。
二度目は、煮物の量を増やしたこともあって、一度目の煮汁だけでは足りないので、新しい出汁や醤油を足して使ったが、やはり、二度使うと味が落ちるというか、水っぽくなることがわかった。
もう、二度使うことはやらないと思う。(笑)

今度は、京風の味付けを研究したい。




2004年04月21日(水)

やはり、大切なのはお米かな?


今年の一月くらいから、ちゃんと自炊するようになって、現在も続いている。
おまけに、できあいのお惣菜を買うことも段々減ってきている。

母の入院中から数ヶ月、電子レンジでチンするとご飯ができるものを利用していた。
それはそれで美味しかったし、便利だし、何の不満もなく、とても重宝していたが、やはり、数ヶ月使い続けると飽きるのはどうしてなのだろう?

我が家は、ここ数年、秋になると1年分のお米代を前払いして、知り合いから紹介してもらった山形の農家からお米を取寄せていたのだが、母の病気が長かったので、去年の分が相当余っていた。
お世話になった親戚に配るなりして、妹と二人で残りを5kgずつ確保したのだが、やはり、このお米が美味しいせいか、自炊が自然と続いている。
冷蔵庫に保管して、毎日、一日一合か、一合半を炊いて、2食で食べている。

色々な要素は必要だと思うけれど、食べるご飯が美味しいというのは、一人暮らしの自炊に一番大切な気がしている。

私の取っているお米は、宅急便代・消費税込みで、10kgで今年は5300円。
取寄せるのも面倒かと、高級スーパーなどでお米を探してみたが、ブランドのお米はこれ以上の価格だった。
そりゃ、普通のスーパーのお米に比べると高いかも知れないけれど、中以上では安い方だと思う。

山形の農家では、注文を受けるとそのときに精米して送ってくれるけれど、スーパーの高級なお米は、精米してからどのくらい経っているかわからない。(結構、そんなに日にちが経っていないとは思うが)

だから、お値段手頃で、精米仕立てで、持って来るのに重い思いをしないで済む今までの山形のお米が一番いいと思い、妹と相談の上、来年以降も続けることにした。(今年は、今までのよしみで、単発で分けてくれるそうだ。)

山形のお米農家の方たちは本当に良い人たちで、一昨年の秋に支払った代金より、今年の秋は値段が上がっているにも拘らず、差額不要で、残りのお米も分けてくださったし、お礼にインターネットで宣伝しましょうかと聞いたら、今年の秋にお願いしますとのことであった。(去年収穫した物は、もう完売らしいので)

我が親戚で、七分づき米しか食べないという家があったのだが、その山形の農家に聞いたら、性能の良い精米機を持っているので、何分つきでも、対応可能だとのこと。
(七分つきを送った親戚からも「美味しい」と褒められた。)

ご興味のある方、今度の秋までお待ちください。




2004年04月22日(木)

出汁昆布の煮しめ


丸元淑生さんの本に、「出汁がらになった昆布を冷凍させておき、まとまったら、煮しめにする」と出ていた。
丸元さんは、最高級の羅臼を使っており、これが美味しいと書いてある。
私が常用しているのは、最下級の羅臼(真中の良い部分を切り取った端)であるが、同じ羅臼なので、作ってみた。
(また、知り合いが「出汁に使った昆布はいつも全部食べてしまうの、美味しいわよ」と言ったことも影響した)

冷凍しておいた昆布を適当な大きさに切って、お水で煮て、お酢とお醤油を適宜足していけばよいようであった。

で、出来上がって食べたのだが、「お茶漬けにして食べたら美味しい味」と感じた。
そして、沖縄の老人達がどうして長寿かというと、昆布を良く食べるからと読んだことがあったので、不味くないし、結構むしゃむしゃ食べたのだ。

食べ終わった後すぐは何でもなかった。
でも、30分か1時間するうちに、口の中が昆布くさい感じになり、やたらに喉が乾いて来た。
しょっぱいものを食べると、後で喉が乾くことがあるが、それとは違う感じで、昆布の味が口中一杯に広がったのだ。
確か、昆布の旨みはグルタミン酸で、味の素と一緒だと思うのだが、それを取り過ぎた感じ。
(やはり、味の素が口いっぱいに広がるのとはちょっと味のタイプは違ったけれど、気持ち悪いことは同じ。)
どうも、私の舌の味蕾というのだと思うが、コケのようなものは、化学的だろうが、天然だろうが、グルタミン酸ソーダがくっつきやすいみたい。

丸元淑生さんが「絶品」と書いてあったが、それはやはり「最高級の羅臼」だからであり、それ以外の羅臼では、作らない方がいい料理みたい。
私の知り合いが出汁がらとなった昆布を食べると言ったが、きっとそれはそもそもが日高なり、食べる昆布なのだと思った。

昆布出汁を取るときに、「昆布くさくならないように」と書いてあることがあるが、まさしく「昆布くさい」とはどういう状態か、身を持って体験してしまった。
昆布出汁って、うまく取ると、とても美味しいけれど、昆布自体は、旨みの塊なのだ、だから、沸騰させないで、低温から80℃くらいまでで、さ〜っと旨みを出すのがいいのだと理解した。

次の日、口直しに、ちゃんとした昆布が食べたくなり、早煮昆布を買って来て、昆布巻きを作ってみたけれど、大して美味しくなかった。
昆布のうまく煮えたのは本当に美味しい、昆布料理、上手になりたいな〜。




2004年04月28日(水)

クッキングメジャー


今、家の階段と自分の部屋の大掃除を始めてしまい、中々、PCに向えなくて、ごめんなさい。
先日、DMで、お勧めの調理道具を楽しみにしていますと言われたのだが、そう言えば、最近、全然新しい調理道具を紹介していないような気がする。

で、最近、結構気に入っているものの紹介をば。

どのくらい前からだろうか、メジャーカップに、レシピの分量が表示されているものが増えてきた。
多慶屋でも売っていたが、材質がプラスチックだったので、買わなかったが、東急ハンズに行ったら、耐熱ガラス製があったので、便利そうだと2種類買った。
お値段は結構高くて、1つ735円。

ハリオの「アキコズ クッキング メジャー」というもので、一つは、「二杯酢」「三杯酢」「甘酢」「肉団子の甘酢たれ」、もう一つは、「和風ドレッシング」「ノンオイル青じそドレッシング」「中華ドレッシング」「イタリアンドレッシング」の分量の目盛りがついているいる。

でも、実際に買ったのだが、この目盛りどおりにドレッシングや合わせ酢を作ったことが無い。
そのレシピに興味があれば、便利かも知れないけれど、私は、使い始めた途端、忙しく夕飯を作る時に、いつも、慣れているいつものドレッシングが手早くて味的にも十分と頭に浮かんで、クッキングメジャーについているレシピに手が出ず、本来の用途では使っていない。

でも、この便利な計量カップの良いところは、耐熱ガラスの材質が良いみたいで、通常の耐熱ガラスの単純な計量カップより割れにくいし、マグカップのように取っ手がついているし、蓋付きのところ。

取っ手がついているので、時々、忙しいとき、コーヒーカップにすることもあるし、こぼれにくい蓋の構造なので、ドレッシングを作るときに蓋をしてガシャガシャかき混ぜれば、ドレッシングが出来上がって、そのまま保存容器にもなる。
(細めだから、冷蔵庫にしまうときも場所を取らない。)

今まで、計量カップに蓋がついたら、なんて、要望は持っていなかったのだが、実際に使ってみると便利。(ガシャガシャ上下に揺らした後、蓋の羽のようなところが若干汚くなるが)

寸胴の形だから、洗いやすいし、ガラス製だから、油分がすっかり取れるし、気に入っている。
お値段は、東急ハンズで735円と高いが、落として割らなければ、ドレッシングメーカーにもなるし、お勧め。




2004年04月29日(木)

浅草寿 中華膳 野風僧 その後


私は、我が家の方では、現在、野風僧という中華の居酒屋が最高に気に入っている。
初めて行って以来、もう何度行っただろうか、お昼もランチを食べに行ってみたりしている。

先日、土曜日のお昼過ぎに若い友人3人と待ち合わせして、浅草橋から浅草の北の方まで案内した。(最後、食事には、もう1人参加)
そのときの〆は、「野風僧」

他所の土地の人が浅草に来たのなら、本来、観音裏の例えば釜飯が美味しいと言われるお店とか、鳥多古のようなお店に案内したいのだが、私が一時期「野風僧の担々麺が美味しくて、美味しくて」とうわごとのように言っていたらしく、皆、私の家の近所に行くのなら、「絶対、担々麺の美味しいお店」と決めてしまった。(笑)

しかし、野風僧なら、担々麺の他、杏仁豆腐も「今まで食べた中では最高!」と思えるような出来なので、安心して、他所の土地の人たちを案内できる。

取ったものは、お通しが、おから。
海老・ニラ饅頭、海鮮の春巻、空心菜と湯葉の炒めもの、青なまザーサイ、鶏レバーのフォアグラ仕立て、軟骨入り鶏団子、後1つが思い出せないがもう1つ。
どれが特段好評ということなく、全て、好評。
但し、青なまザーサイとレバーについては、食べられない人がいたのが残念。
この青なまザーサイと鶏レバーこそが、このお店独特の料理なのだ。
両方食べられる人たちからは、絶賛であった。

色々なものをお酒とともに食べながら、「最後に、担々麺と杏仁豆腐が入るように調整してね」と言い続ける私であった。

〆の麺を注文しようとしたら、お店の人が「お酒の後、1人前食べるのが辛いようでしたら、丼半分とか、1/4もできますよ」との助言があった。
これは、嬉しい。
確かに、飲み物を飲みながら、色々つまむとおなかが相当いい感じで、一杯はきつい感じであったので、半分サイズの担々麺を注文。
これまた、大好評。
出てきたままの胡麻味で食べたり、黒豆の荳瓣醤を入れたり、にんにく風味の荳瓣醤を入れたりで、楽しんだ。
で、若い女性たちの評価は、私と同じで「最高!」であった。
皆、丼半分しか食べられないのが残念で、次回は絶対一人前食べると言っていた。

中には、舌が敏感な人がいて、「パセリが入った味がする」とのことであった。
ふ〜すごい、私なぞ、「美味しい、美味しい」で終ってしまうのに。

最後、本当の最後で、杏仁豆腐を取ろうとしたら、お店の人が「予約してくださったお客様にはデザートがサービスです」とのこと。
え、え〜、今まで知らなかった。
今まで予約して行ったことがなかったからなのだが、教えてくれればいいのにと、ちょっと不満。(笑)

ここの杏仁豆腐は、国産有機栽培の最高級の大豆の豆乳で作るとのことで、「え〜、豆乳からどうしたら、こんなに美味しい物ができるの?」と思うくらい、食べると感激する。
フルフルで、材料は豆乳なのだが、結構、クリーミーで油分を感じる。
(大豆は、油の原料にもなるのだから、不思議はないはずのだけれど、クリーミーな油分というところが不思議なのだ。)
甘さ控えめで、フニャフニャの柔かめの食感、味は、しつこくない美味しさを活かしきっている。
以前、聞いたら、生クリームは使っていないとのこと。
牛乳分も、私の舌では、入っていないと思うのだが。

で、このデザートのお値段が300円なのだ。
よく売値300円で、こんな美味しい物を作れると思う。

またまた、この最高級の豆乳を使った杏仁豆腐を食べた皆は、口々に、「おいしい〜!他所では食べられない味」と絶賛の声が上がった。

皆、大満足。
皆の感想は、「このお店は有名になって欲しくない、混んでしまうから」「こんなお店が近所にあるなんて、羨ましい!」というものであった。(笑)

明日、書くけれど、実は、浅草巡りは、結構、期待はずれのところが大きかったのだが、最後、野風僧のおかげで、逆転サヨナラ満塁ホームランになった。




2004年05月09日(日)

浅草案内 1/2


家の仕事が忙しく、中々、書けなくてごめんなさい。

知り合いの若い女性たちに、浅草を案内した。
一人、神奈川県の百合丘で育った女性が浅草に行ったことがないというからだ。

彼女たちは、食べることは好きだけれど、お料理よりお洋服の方が好きというタイプだったので、合羽橋案内は、省略することにした。
事前に色々協議したのだけれど、合羽橋より浅草橋・日本橋馬喰町の方が興味が湧くだろうと、浅草橋集合とした。
また、所謂観光の浅草ではなく、ディープなところが見たいとのこと。

浅草橋→自転車を借りる→浅草観音裏の梅むらで豆かんを食べる→浅草の北の方の玉姫神社のこんこん靴市→仲見世等見物→野風僧で中華料理

12時半に待ち合わせして、野風僧に6時に入る予定で、5時間半のコースだったが、色々ハプニングがあって、時間的には丁度良かった。

まず、ハプニングの1は、私は昼食食べてから集合だとばかり思っていたのだが、皆、お昼まだとのことで、浅草橋でお寿司を食べた。

ハプニングその2は、浅草橋で自転車を借りようと思ったら、7時までに返却しなくてはいけないということがわかり、急遽、20分程度歩いて、大江戸線新御徒町の駐輪場まで行かねばならなかった。(これは私の調査不足)
大江戸線新御徒町では、夜中の12時半までに自転車を返せば良いことが判明。
同じ台東区の貸し自転車でも、その駐輪場の都合で、返却時間が異なるとは思ってもみなかった。

また、その日が思ったより寒くて、自転車で走り回ると、体感温度が相当下がるらしく、途中でウィンドブレーカーが欲しいということになり、梅むらのお兄さんに「安く衣料を売っているお店」を教えてもらい、買いに走ったりした。

浅草橋では、浅草橋・柳橋界隈をフラフラ案内、一番皆が喜んだのは、下着や靴下の改装のための閉店セールのお店。
安いとのことで、しばし、買物に走った。
その後、美家古寿司で、ランチ、自転車を借りる新御徒町までの間に、鳥越神社で祭りの写真展をやっているので、見てもらった。

残りはまた明日。




2004年05月09日(月)

浅草案内 2/2


新御徒町で自転車を借りる作業は結構順調に行った。
サドルの高さが合わないのを調整できないでいたら、係のおじさんが直してくれた。
ただ、サドルが合うか合わないかは、おじさんがいる地下で調整した方がいい、地上に出てから調整したのでは、できなかった場合、時間を食う。

で、その後は、合羽橋通りは通ったが、自転車で走りながら、たまに説明するくらいで、通り過ぎてしまった。
言問い通りを右折し、一路、浅草の観音裏に向った。
こういう浅草見物をしたいという友人が一緒のときでないと行けないと思う「梅むら」で豆かんを食べるためだ。

梅むらさんは、本当に小さなお店で、カウンター7席、4人がけが二つくらいのお店。
でも、おじさんとおばさんと息子さんらしき人3人もお店にいて、このお店が繁盛しているのが良くわかった。
私達は、タッチの差で、待たずに、カウンターに座ることができた。

豆かんが名物だが、あんみつ、お汁粉など、それぞれ、取ることにした。
私は勿論名物の豆かん。
あんみつを食べた女性と食べ比べてみたが、このお店は、餡は大したこと無くて、やはり、豆が美味しいという結論に達した。
豆は、いかにもお店で煮たという感じの柔かさであった。

また、このお店の良いところは、目の前で、お土産用の豆かんを詰めていること。
通常の有名な甘い物屋さんの殆どは、お土産用は、外注で作らせたものを売っていることが多いのだが、このお店は、お店で出すものをそのまま容器に詰めて、お土産用を作っていた。

食べている最中、私の前にいたおじさんが、やおら、岡持ちを出してきて、そこに注文の品を入れて、近所に届けに出かけて行った。
出前もやっているのだ、近くにこんな店、あったら、いいのにと思えた。
梅むらは、しょっちゅう、マスコミにも取り上げられるし、有名人が推薦する美味しいお店としても度々本で見たことがあり、どんなお店かと思ったら、全然気取っていなくて、温かい家庭的な町の甘い物屋さんという雰囲気の店であった。
雰囲気二重丸、味は、私としては、丸一つかな?(美味しいけれど、飛びっきりという程ではなかった。)

その後、千束の商店街を抜けて、一路、玉姫神社に向った。
途中、徳太楼のきんつばって、美味しいし、有名と紹介したが、「きんつば」自体を食べたことがないので、買う気がしないとのこと。
そう言えば、浅草橋でも、鮒佐の佃煮を紹介したが、佃煮自体を余り食べたことないから、興味が湧かなかったみたいだ。
きっと、今後、きんつばや佃煮が生活の中にない人が増えて行く一方なのだろう。

玉姫神社は、昔で言う山谷にある。
ディープなところを見たいという希望だったので、自転車の上から、あれが「簡易宿泊所」とか案内した。
小学生のとき、初めて、山谷の方を自動車で通ったとき、真昼間からお酒を飲んだり、酔っ払ってたむろしているおじさんが道路に沢山いる風景にショックを受けたが、今は、静か。

玉姫神社の境内からその両脇の道に沢山のテントが張られ、沢山の靴が売られていたが、思った程、安くもなく、好みもなくで、誰も何も買わずに浅草に戻った。

もう一つディープな馬券売り場の裏の方も案内したのだが、もう夕方で、飲み屋さんなども閑散としていて、期待外れ。
馬券買いに来ながら、露天の飲み屋で飲んでいるおじさんたちの風景は、土曜日の昼までないと見れないようだ。
案内も中々難しい。

その後は、浅草寺、仲見世などを案内した。
テレビでしか浅草寺を見たことのない友人が、「え、こんなに大きいの!」と驚いていた。

駆け足で回った元浅草区の南から北までであった。
ちょっと焦点が絞り切れなかったのが残念。




2004年05月11日(火)

高齢の恋


先日、柏の健康センターというところに行った。
連休の最後の日だから、遠出すると、渋滞に巻き込まれそうだったので、近場で、草津の湯があるところということで行ったのだ。

お風呂はまあまあであったが、食堂で隣に座ったカップルが楽しかった。

腰は曲がっていないが、背中が丸くなってしまったおばあさんが隣に座った。
健康センターで貸してくれる派手なムームーを来て、耳には、大きなまん丸の真っ赤なイヤリング。
年には不似合い、でも、本人には結構似合っているイヤリングと感じた。
何がきっかけだったのだろう、話し出したのだ。

何でも、今、77才で、2年前に、一緒に来ている71才の男性と再婚したのだそうだ。
他の温泉センターで偶然出会ったそうなのだが、男性が一目惚れしたそうだ。
「私のどこがいいの?」と聞くと、「ぜ〜んぶ」って言ってくれるのよ、だから、再婚したの、でも、入籍はしていないのだけれどね、子供生まれるわけじゃないから、籍なんてどうでもいいの、なんて、嬉しそうに何度ものろけていた。

77才って、去年他界した私の母の年ではないか。
母みたいに、病気を移されて、死んでしまう人もいれば、恋愛結婚して、二人で一ヶ月に一度、大きなお風呂に仲良く入りに来て、カラオケを10曲も歌う人もいて、年を取れば取る程、人生の個人差が大きくなるものなのだなと感じた。

私の母は、父の死後、誰か男性に気に入られても、まんざらでもないと思うだろうけれど、決して再婚はしないで、残った家を守るタイプだろう。
母もこのおばあさんのように、「ぜ〜んぶ気に入られちゃった」なんて、嬉しそうに語るタイプだったら、長生きしたかも知れない、なんて、おしゃべりしながら、思った。

でも、母は母で、真面目で一生懸命な性格が自分の誇りであったから、母の人生が長かったとしても、やはり、母は自分の性格に沿った生き方しかできなかったのだろう、このおばあさんみたいに楽しく生きていて欲しかったなんて、いうこと自体に無理が大きいと感じた。

どちらにしろ、見ている分には、幸せそうな方がいいに決まっている。
あの大きなまん丸の真っ赤なイヤリングがあのおばあさんを象徴しているような気がした。
私、愛されて、お洒落して、幸せなの!ということの象徴のような感じ。
本当に、見た目、おばあさんなのだけれど、男性に一途に愛されていることにより、やはり、光っているというか、そこはかとなく「幸せ」という雰囲気と表情を持ったおばあさんだった、笑顔が幸せそう。

75才で、背中が曲がったとしても、惚れてくれる男の人がいるという事実は、これから先、「年を取って行くだけの人生」だと思っていたものを、「もしかしたら、楽しいことも起きるかも知れない人生」と考えてもいいような気持ちにさせてくれた。

男の人が女性を好きになるって、たいていは40才くらまでかなと何となく思っていたが、70過ぎても、惚れられる楽しみがあるかも知れない、その頃、私が元気で、そういう人が現われたら、結構、喜んでしまうかもと思った。(笑)




2004年05月12日(水)

甘える


我が父の命日は、5月2日。
今年はちょうど土曜日だったので、命日当日、私達兄弟3人と中学2年生の甥1と4人でお墓参りに出かけることができた。

甥1は、既に身長175cmで、イヤフォーンを耳に突っ込んで出かけた。
背中は、猫背、顔はボ〜、無口で、聞いたことにうんとかう〜んくらいしか答えない。

小さいときは、家を出て道路を歩き出した時に、「危ないから、おばちゃんと手つなごう」なんていうと、可愛く「うん」と言って、手を繋いだものだが、あっという間に、移動の時間ですら、自分の世界に浸りたいのか、音楽に没頭する若者になってしまった。
音楽はいいとしても、猫背はどうにかならないかと思い、「猫背、止めて、ピシッと背中伸ばしたら?」と言ってしまった。
しかし、返事は、「いいの、疲れているから」とのこと。
彼は、現在、生徒会の役員であるので、「生徒会の役員の役をやるときも猫背でやるの?」と聞くと、猫背のまま、首をだるそうに横に振った。

また、お墓に向うとき、皆で、お花とお水が入った桶、ほうき、お線香の入った缶などを分担して持つのだが、「甥1も何か持って」というと、やおら、私の持っていたお線香の入った缶に手を伸ばしてきた。
え〜?と一瞬思ったのだが、きっと、この子はこの子なりに甘えているのだと理解した。

普通だったら、親とか叔母と一緒に墓参りなのだから、一番若い甥1が一番重い水と花が入った桶を持つのが順当なところなのに、一番軽いお線香の缶を、年老いた伯母(私)から取るなんて、と思ったのだ。
でも、良く考えたら、この日の墓参りメンバーは、甥1が一番年下だし、一番遠慮なく、自分がしたくないことをしたくないと言えるメンバーであることに、気づいた。
(甥2がいなかったから、珍しく末っ子になれたようなものだ)

きっと、彼は、学校では、どういうわけか、入学してまもなく、生徒会の役員になってしまい、皆で、何かをしましょうというときは、止むを得ず、皆が嫌なことでも、自分が疲れている時でも、率先してやっているに違いない。
そのときは、「本当は嫌や」とは感じていないかも知れないけれど、そういう役に就いていない子よりは、無理しているところも多々あるのだろう。

家庭においては、手強い弟である甥2に「年上のお兄ちゃん」としての存在を示したく、頑張るときもあるのだろう。

赤ちゃんのときから、甥1をちやほやしていたこの3人だけに囲まれたとき、この時を逃したら、いつ、「俺、今日、疲れているんだ、本当は重いものなんか、持ちたくないんだ」という心を行動に表わすことができよう。

それがわかったので、そのまま、お線香の缶を渡した。

後で、「学校、楽しい?」と聞いたら、即座に「うん」と答えていた。
その会話でしか察することはできないが、学校で無理していることもあるのだろうが、楽しいと言っているのだから、無理をし過ぎているわけではないのだろうと思う。

何か、子供が大きくなるのも、甘えというのが、「可愛い甘え」ではなく「疲れてやりたくないことをやりたくないと言葉と行動で示す甘え」になるのって、あっという間だと思った。




2004年05月13日(木)

洗濯


最近、良く、去年他界した母のことを思い出す。

私の母は、ものすごくしっかりした人で、悪く言えば甘えるのが下手で、何でも自分のことは自分でやることが好きで、誇りだった。

一度目の入院も、二度目の入院も、自分の衣服は、自分で病院で洗濯していた。
しかし、三度目は、主治医の処方ミスで、心臓がおかしくなって、救急車で病院に運び込まれ、集中治療室から始まった入院であったので、勿論、自分で洗濯することは不可能だった。

で、長女の私が洗うことにしたのだが、母は、私に対して、「気の毒なことをさせる」という気持ちを持っているのが良くわかった。

母の洗濯物を家に持って帰って洗うのも手だけれど、私の母のような独立心が強いタイプは、少しでも母に手伝わせた方がいいし、私も、病院にいる母の近くに長くいてあげたいのだけれど、何かやることがないと、早く帰りたくなるタイプだったので、土曜日のお昼近くに、私の一週間の洗濯物を病院に持って行き、母のものと一緒に洗濯することにした。

その病院は、屋上に100円を入れると使える大型の洗濯機と乾燥機があり、物干し場も広かった。
2,3度屋上まで往復しなければならなかったけれど、洗濯という作業のおかげで、昼食の時間を含めて3〜4時間、母の近くに自然にいることができた。
また、母も、乾いた洗濯物を病室も持ち帰り、母の物を母に渡すと、嬉しそうに、きちんと几帳面に畳んで、自分で決めた仕舞い方をしていた。
母と私は、狭いベッドの上で、それぞれの洗濯物を畳んで仕舞う時間を何度も過ごした。
それだけの作業だったが、母にとって、自分が人に助けてもらっている一方の病人ではなくて、一部生活のための仕事もできるくらい元気だと感じられて、良かったのではないかと思う。

母は、段々悪化し、酸素吸入器を常時するようになった後でも、私が洗濯物を取り込んで来ると、布団の上から、パンパンとお腹あたりを叩いた。
「いつものように、自分の物は自分で畳むから、私の洗濯物をここに置いて」と言うのだ。
「働き者だね〜、お母さんは」と言いながら、「酸素吸入器もつけているから、看護婦さんに確認してくるね」と言って、確認したが、やはり、止めておいてくださいとのこと。
「お母さん、良くなって、酸素吸入器が外れたら、また、畳んでね。今日は私がやるから」というと、淋しそうだった。

また、私が、病気の母の洗濯物と自分の洗濯物を一緒に洗うことで、言葉には出さなかったが、母は「真理ちゃんは、病気の自分のことを汚いとか、嫌やだと思っていない」と、心密かに、喜んでいてくれたような気がする。
可哀想だったのは、危篤というか、もう生命が危ない時期に、排泄のコントロールができなくなった時だった。
意識はしっかりしていたので、そのことが自分でもわかって、洗濯をする土曜日に行ったら、母に近寄るなり、母が照れたような言い方で、「真理ちゃん、もう、真理ちゃんのものと一緒に洗濯してもらえなくなっちゃった。今日は持ってこなかったでしょう?」と照れ笑いのような、軽く伝えたいみたいな、恥ずかしそうな笑いを混ぜて、言った。
その言葉で、そのことが母にとってとても恥ずかしいことであるし、困ったことになったと感じていることがわかった。
「うん、一緒に洗えなくなっても、大丈夫だよ、お母さんの物、別々だけれど私が洗うから」「お医者さんに治してもらって、ちゃんとしたら、家に帰ろうね。」と母に明るく告げた。
母は、私に、自分の汚れた下着を洗わせることが、大変悪いことと感じていたみたいだった。

昔、年を取っておねしょをするおばあさんがお嫁さんからぶたれるみたいな話を聞いたとき、何故か、母は、プリプリ怒りながら、「私は、そういうの絶対嫌やだからね。私がそうなっても、打たないで、大切に扱わないといやだからね」と怒りながら言っていたっけ。
その時でも、誰がお母さんを打ったりするものか、何で、この人はそんなこと考えるのかしらと思ったけれど、どういうわけか、母は、ずっとそういう恐怖心を持っていたのかも知れない。

洗濯してきて、「お母さん、ほら、大丈夫だよ。今、洗剤が良くなっているから、元通りにとてもきれいになったよ」と言ったけれど、どう感じていたのだろう。

母が可哀想だと思うとき、この洗濯の話を良く思い出す。
あのしっかり者の、人に世話をしてもらうことが嫌いで、自分の身の回りは自分できちんとすることが自慢だった母、洗濯をすることはできなくなっても、自分の物は自分で畳むことで、娘に世話になっているというより、一緒に「洗濯」という作業をやったという気分だったのではないかと思う。
それもできなくなった時の母の気持ちを思うと、頭が良くて誇り高い人だったから、とても可哀想になる。




2004年05月14日(金)

病院の食事の思い出


今日は明るめに。

ある日、平日のいつもの通り、夕方、病院に行った。

母は、病院で主食におかゆを出してもらっていたが、いつもおかずがアンバランスであった。
カレーのようなものがおかずとか、一番、「え?」と思ったのが、お頭つきのまるごとのあじの塩焼きがおかずのときであった。
それだけでも、結構びっくりするのに、そのあじが完全に冷え切っていた。
こんな冷え切って硬くなった焼き魚をおかずに母におかゆを食べさせるなんて、余りだと思い、ナースセンター横に置いてある誰でも利用可能な電子レンジで温めて来て、母に、ほぐして、醤油をかけて、食べてもらった。

鯵だって、熱かったら、箸で簡単に身を骨から剥がすことができるけれど、冷たかったら、硬くて、力のない病気の老人には自力では無理だと思った。
母は「今日は、真理ちゃんがいてくれて、助かった。」と言ってくれた。
母も、で〜んとお皿に横たわった鯵が出て来た時、嫌だったみたいで、私がいなかったら、おかゆだけすすって、食事を終らせたであろうとのこと。
母は、家にいるときは、魚の鮮度にうるさくて、余程新鮮な魚でなくては残す人なのに、温めたとは言え、鮮度も余り良くない鯵を食べさせるのが可哀想だった。
他に食べるものがないのだから、しょうがないけれど。

そのことで、わかったことが2つあった。

最初は、大人数分の調理だから、調理から時間が経って、冷たい鯵が出るのかと思ったが、電子レンジで温めたら、魚臭い匂いがぷ〜んとし出したのだ。
もし、熱々の状態で、焼いた鯵を病院中に配ったら、病院全体どこもかしこの魚臭くなってしまいそう。
あ、だから、冷たい鯵を出すのかなと思った。(定かではないけれど)
病院だものね、患者に美味しくより、病院内を清潔の方が大切だものね。

もう一つは、冷たい鯵に憤慨して、温め直さなくてはと思って、行動に出たのは、母のいた階では、私だけであるということ。
皆、出されたものを大人しく食べるか、無理だと思ったら、残したのかも知れない。
でも、冷たい鯵の焼物に対して、誰も何も声を出さないし、憤慨もせず、黙々と食べているということが不思議であった。
(やはり、私は食にうるさいのかも知れない。)

母の治療の日が決まったが、その日まで結構時間があったので、病院専属の栄養士さんに母の病室に来てもらって、母が家に戻ってからの減塩の仕方について、母と二人で講義を受けたことがあった。

その当時、私は、病院の献立が、母が戻ってきてからの食生活に役立たないかと、ナースセンターの横に張り出されていた一週間の標準的な献立と実際に母に出される献立との違いをチェックしていたりしていた。
ある時、標準の献立では、海老フライなのに、母には、白身の魚の焼いた物が出されていたことがあったので、栄養士さんに、「フライ物は、油分が多いから、母には、白身の魚になったのですか?」と聞いたのだ。
そうしたら、「いえ、フライはおかゆに合わないからです」という答えが返って来て、驚いてしまった。
だったら、カレーも合わないし、焼き魚も合わないのにね、と言いたかったけれど、堪えた。

母の入院に付き合って、病院の食事を体験したし、母の周囲の入院患者の人も沢山見たが、私が病気で入院したら、しょうがないから病院の食事を食べるだろうけれど、願わくば、消化器系の病気とか、足の骨折など動けない怪我や病気では入院したくない。
それ以外の病気で、なるべく都心の周囲に飲食店が多い病院に入院して、時々、外食できるのがいいな〜なんて、思ったりしていた。




2004年05月17日(月)

有名な蕎麦屋


インターネットの情報が役立つかというと、最近、ちょっと「?」と思うようになって来た。

最近、よく遠出をするので、予め、インターネットのレストラン情報なぞで、目的地のお蕎麦屋さんの有名どころを調べて行ってみたりしたのだが、二度も外れてしまった。

一度目は、余りに量が少ない。
1200円のざるで、4口くらいすすれば終わり。
質はいいのかも知れないけれど、私が思うに、「飛びっきり」ではなかった。

二度目は、地元の人が「このお店が美味しいし、評判いいですよ」と教えてくれたのに、予め調べてきたインターネットの情報で調べて来た店が捨て難く、そちらに行ってみたのだ。
何でも、有名な食通の人が「日本で三本の指に入る蕎麦屋だ」と言ったとか、書いてあったのだ。
そこは、700円のざるで、東京の有名な蕎麦屋さんの3〜4倍の量のお蕎麦が出てきた。
で、量は標準以上で、質は悪くないかも知れないけれど、「美味しい」という程ではなかった。
汁も物足りない、工夫が足りない。

この二回の経験で、反省してしまった。
インターネットやマスコミで、「このお店は美味しい」と流れたら、私みたいな一回限りの客は途絶えないのだ。
だから、楽な商売ができるから、質が落ちることが多いのだ。
きっと、「日本で三本の指に入る蕎麦屋だ」と言った某食通さんは、嘘はついていないのだろう、その時はきっと美味しかったのだ。
でも、それが余りに有名になって、ひっきりなしに客が来て、おまけにそれが皆一回限りの客なら、味は落ちるのだろう。

怖い物みたさというのではなく、誰か有名な人が「美味しい」と評価したと聞くと、「一応、チェックしたい」という欲望が湧いてしまうようなのだ。
頭では、「インターネットの情報より、地元民の情報の方が価値がある」と理解できたが、次回、そのとおりに動けるかわからない。
また、どこか遠くに行った時に、インターネットで調べた方のお店に行ってしまいそうな自分が予想される。

これは聞いた話だけれど、結構名前の売れているお店があるけれど、そこは元々一見さん狙いの店なのだそうだ。
雑誌などで紹介されると、一時期、客が増える、そして、時間が経つと段々客足が減る、そうなりそうなとき、また、他の雑誌に取り上げてもらうのだそうだ。
それで、その店は順調と聞いたことがある。

全然有名ではないけれど、最近行ったお店で美味しかったお蕎麦屋さんは、

『更里』(「さらり」と読むのかな?) 

 台東区浅草橋1−11−3

 TEL03−3863−6288

地元民でも地図を見ながら行かないとわからない路地にある。
何でも、布恒更科で修業した人が開いたお店とのこと。
三人で行って、十割とニ八と更科を食べたが、私はニ八と更科が美味しかった。
今まで食べたことのある更科とは違って、透明感があった。
秩父のお蕎麦は、更級粉だったのかと思った。(本当はどうだかは知らない)
汁も、醤油臭さが抜けた醤油味に、かつお臭さをうま〜く押し殺した出汁で、美味しい。
値段は良く覚えていないけれど、私としては、マスコミに取り上げられて行列のできる蕎麦屋より、浅草橋の更里がお勧め。




2004年05月18日(火)

アルカリイオン水


近所の中級スーパーで「アルカリイオン水」の無料サービスが始まった。
まさか、あのスーパーが成城石井並みのことを始めるなんて、信じられない、そんなサービスが近所で始まるなんて、本当に夢のよう。
後楽園の成城石井に行って、いつも、「うちに近かったら、アルカリイオン水がただでもらえるのに」と思っていた。
数年前にそういうサービスをやりだした店は、「調理水」と言って、飲めないで調理のみに使うお水のサービスのところが多いが、最近始めるところは「アルカリイオン水」まで進化しているのだ。
アルカリイオン水のサービスになってからの、水サービスでラッキー。

そのサービスは、容器を1本500円で買うと、「専用容器1本分(3リットル)のアルカリイオン水を無料でお持ち帰りいただけます。(1日1回限り)」というもの。

で、初日に、早速行ったら、機械のメーカーの方がいたので、色々質問したところ、「1日1回限り」と書いてあるが、機械はそれをチェックしていないとのこと。
「水道代も馬鹿にならないでしょうに、何でこんなことするのですかね?」(でも、もしかしたら、大口で安く契約しているのかも)と聞いたら、「お客さんに来て欲しいから」とのことで、本当に出血サービスなのだ。
また、何でも、調理水のサービスはどこのスーパーでもできるが、飲み水にもなるアルカリイオン水のサービスは、喫茶営業の許可を保健所からもらわないとできないと教えてくれた。

何でも、「飲んで美味しく、コーヒーを入れるとポリフェノールが増え、出汁も美味しくなり、ご飯も7%増量する」との謳い文句。

私は一人だから、一日3リットルあれば十分。
で、遠いとわざわざ汲みに行くのが面倒だろうが、今でも、本当に毎日自転車で2,3分、歩いて5分くらいのところのその24時間営業スーパーに大した額ではないが、何がしら買いに行っているから、私は楽勝。
今後、自分でお水をろ過したり、フィルターが古くなって取り替えるべきかと悩まなくて済むことになり、嬉しい。

パンフレットに、「アルカリイオン水ディスペンサーは、鉄サビや最近、トリハロメタンなどの不純物をフィルターと浄水器で排除し、電気分解することで、より安全を追求したおいしいお水「アルカリイオン水」を生成します」に書いてあった。
トリハロメタンというのは、水道水に含まれている発ガン性物質とのこと。
今は、お米にアルカリイオン水を入れて炊いているが、もしかして、とぐ時もアルカリイオン水の方がいいのだろうと思うが、そうなると、3リットルでは足りない。
今まで、何も考えずに、水道水でご飯を作っていた私、急に怖くなったりして。(笑)

冷やして飲んでみたが、特別おいしいとは思わないが、素直で後味すっきりの味。
お米を炊くのに使ってみたが、心持ち、確かにふっくらしたような気がしている。




2004年05月20日(木)



先々週、柏に行き、「道の駅」という手賀沼にあるJRの経営する野菜産直場で、「露地物の苺」を買って来た。
小粒で、新鮮な感じもなく、粒も揃っていない苺だったので、迷ったが、「露地物」は滅多に手に入らないので、買ってみた。
通常の1パックの1.5倍くらいの物で350円。
何か新鮮そうではなかったので、苺ミルクにして食べたが、赤い外皮が結構厚かったがあ、いかにも太陽を沢山浴びましたという感じの食感と味があり、中まで赤くて、味が濃くて美味しかった。

今週は、水上温泉に行って来た。
水上のJAの売り場で苺を探したが、今はまだ水上温泉産ではないとのことであったが、スーパーなら他の地域の苺があるだろうとのことで、スーパーに行ってみたら、大きくて立派な新鮮そうな「群馬のいちご」と書かれた苺が1パック480円で売られていた。
480円は安くはないけれど、東京で480円出しても、これ程、新鮮そうな苺は買えないと思ったので、勿論、即買。
品種は書いていないのだが、苺のとげの部分が立派で、とげが活き活きしていた。
苺の新鮮さを見分けるときの条件で、「苺のとげのような黄色いものがしっかりついていること」というのを読んだことがあるが、まさしく、その見本のような苺であった。
これも、中まで赤くて、美味しかった。

本当に、東京から離れると、中まで熟した苺が売られているのに、どうして、東京には、芯が白い苺しかないのだろう。(私の生活範囲では)
東京で苺を買うことは本当に馬鹿らしい。




2004年05月21日(金)

おいしい牛乳


ちょっと前にテレビのスイッチを入れると、明治と森永が「おいしい牛乳」を宣伝していた。
新し物好きの私は、試したくて、スーパーに行ったが、最初の頃、スーパーに明治しかなかったので、まずは、明治を飲んでみた。
素直な感想は、「美味しいけれど、何か、美味しさに人工的な感じ」がして、美味しさが薄っぺらに感じられた。(明治さん、ごめんなさい)

次に森永が売られるようになったので、森永を飲むと、こちらの方が牛乳独特のふくよかなでまろやかな味がしっかりしていて、私の好みに合っていて、素直に美味しいと思ったのだ。
それに飲み終わった後、口の中がさっぱりしている。(コクとキレだそうだ、森永の特徴は)
(私は、牛乳飲み終わった後、口中牛乳臭い感じが実は嫌いであったのだ。)
で、その後、ずっと、森永ばかり買っている。

スーパーに行く度にどちらが売れているか注目していると、明治の方が圧倒的に売れ行きが良いみたいなのだ。
何でだろうという目で見ていたら、いつ見ても、明治のおいしい牛乳の方が、森永より賞味期限が3〜4日長いことを発見。
「この賞味期限の長さで、明治が勝っているのか」とも思うし、一般的には明治の方が美味しいと感じる人が多いのかも知れない。
今のところ、どちらだかわからない。

でも、森永のおいしい牛乳は、低温殺菌牛乳の美味しさと相通ずる味だと思う。
私は、ここ数年、低温殺菌牛乳派であった。
一人で飲むので、低温殺菌牛乳だと賞味期限が短いので、500ccパックが欲しいのだが、最近、500ccパックを売っている所が少なくなってきていた。
1リットルパックだと絶対賞味期限内に使い切れないから、ここ1年くらい、牛乳を買わなくなっていた。
しかし、森永のおいしい牛乳は、低温殺菌牛乳と同じくらいの味で、保存期間が長くなったのだから、嬉しい。
森永のおかげで、1リットルパックが買えるようになった。

それにしても、「おいしい牛乳」と命名された牛乳の多いことも新発見であった。
多慶屋にも別の会社の「おいしい牛乳」があったので、買ってみたが、美味しいけれど、賞味期限がものすごく短い牛乳だった。

私は、森永・明治両方を並べて飲み比べたことはないけれど、今後も森永派であり、森永ばかり買うと思う。

何か、我が家の近所で見る限り、明治が優勢であるが、森永フレーフレーである。(明治に負けてもいいけれど、いつまでもどこでも買える牛乳であって欲しい。)




2004年05月22日(土)

香醋再び


5月16日に、偶然「あるある大事典」にチャンネルを回すと、ラッキーなことに、「お酢を飲むとヤセるか!」の特集をやっていたのだ。

見ていたら、やはり、お酢を飲むと痩せるみたいだし、今回は、お酢の美味しい飲み方が紹介されていたので、真似してみた。

美味しい飲み方には、三種類あって、トマトジュースで割って、黒胡椒やタバスコで風味付けするか、炭酸で割って柑橘汁を少し入れるか、苺と牛乳とミキサーにかけるかであった。
(この3つの飲み方は、まさに夏向きで、冬は辛いな〜との感想を持った)

私の身体はお腹を中心に膨らむ一方で、体重が全然落ちないし、ジーンズが少しきつくなっている感じがしたので、生活も落ち着き、家に私が処分しなければいけない香醋が沢山あるので、あるある大事典を見終わったときから、再び香醋を飲む決心をした。

早速、我が家のお店に、賞味期限が切れたトマトジュース缶があった筈だと、部屋に持って帰り、冷蔵庫に入れて、眠った。

次の晩、食事が終って1時間くらいしてから、香醋をコップに大さじ2杯入れて、トマトジュース缶190gを足して、かき混ぜ、黒胡椒がないので、白胡椒を入れて飲んでみた。
次の日は、タバスコを入れたり、またその次の日は、何も入れないで飲んでみたりした。
確かに、トマトジュースで割ると、お水やリンゴジュースで割ったときより、相当飲みやすい。
トマトの匂いと味で香醋の癖が消されるのか、飲み終わった後、口の中が気持ち悪くなったり、喉がヒリヒリしたりすることがない。
味的には、トマトジュースに、ウスターソースを入れたみたいな味だと思えば間違いないと思う。
ケチャップから甘味を除いた味という風に表現しても間違いではないと思うけれど、ケチャップに比べて味が薄いので、飲める。
飲んだ後に、口の中がサッパリしていて、余り味が残らないのが助かる。
「美味しい」という程ではないけれど、「無理しないで、毎日飲める程度の味」と言える。(でも、個人差はあるから皆そう思うかどうかはわからないけれど)

テレビで見ていたら、何でも2週間で1〜2kg痩せるようなのだ。
2週間で1〜2kg痩せたら、1年で、24〜48kgも痩せそうなものだが、そうは行かないのだろう。

以前、お酢を飲んでいたとき、最初のうち、急激にお腹の周囲がすっきりしたが、段々、「急激」という感じがなくなって、「緩慢」なスピードになり、その効果に釣られて不味い香醋を無理して飲んでいたので、効果が薄くなると、またそれに連動して、段々飲まなくなり、止めてしまったと思うのだ。
前回は、一日2〜3回に分けて、相当量を飲んでいたっけ。

今回は、無理しないで、焦らないで、テレビの言うとおりにやってみようと思う。
一日30cc、毎日、お腹が空いていない時に飲み続ければいいようだ。
そのくらいなら、そして、トマトジュースがあれば、できる気がする。
(詳しい内容は、「あるある大事典」の5/16を見てください)

現在、一日に一回は必ずわかめを食べて、身体の老廃物や塩分を外に出し、この上、毎日香醋を飲んで脂肪を燃焼させて行ったら、理屈上、私は、今後、健康に生きていけそうだが、きっと、そうはうまく行かないだろう。

でも、両方とも続けたい。




2004年05月24日(月)

難しいこと


現在、我が家には、山のような賞味期限切れの飲み物が沢山ある。
母が他界したとき、このような状況になるのは、覚悟していた。
兄弟3人、店と同じ家に住んでいるとはいえ、それぞれ仕事を持っていたし、比較的軽めの仕事についていた私は、タバコ詰めや発注をやっていたので、賞味期限を確認するまとまった時間がなく、弟と「一回安売りしなければね」と言いながら、お店を閉め、商品を放ったらかしにしていたのだ。

3月に会社を辞めた私が、全ての商品の賞味期限を調べたら、ずっと稼動中の自販機の製品以外、99%賞味期限切れ。

でも、ディスカウントしたら、売れるかなと思っていたのだが、どうも甘かったようだ。

世の中、今のオピニオンリーダーは、スーパーやコンビニの大手なのかも知れない。
現在、食品を売る最大小売業は、スーパーやコンビニで、そういうお店は本部の方針が徹底していて、賞味期限が切れた商品を店頭に並べたり、ディスカウントすることないから、世の中一般、賞味期限が切れたものは、無価値と考える人が多いようだ。

でも、難しいのは、色々な商品に賞味期限を表示するようになってまだ2年か経っておらず、それを当然と思うかどうか、人によって様々だということだ。

最初の頃、私が賞味期限切れの商品のディスカウントセールをしたいと言ったら、「興味あり」という人もいたし、私が相談した人たちは、皆好意的であった。
しかし、段々、話す範囲が広くなってきたら、「賞味期限切れ商品アレルギー」の人がいたり、「賞味期限切れ商品でお金を取るなんて」という人も現われた。

で、まず、私は、「こういう世の中の人々の価値観が様々なものについて、不特定多数に売るのは無理だ」と学んでしまった。

私自身は、スーパーで物を買う場合、賞味期限にはうるさいけれど、それは、正価で買う場合、価値が高い(=保存できる期間が長い)物が買いたいからである。
それに、物によっては、安くなっていれば、そして、その日のうちに自分が消費すると思えれば、賞味期限が今日というものも買う。
また、お酒に関しては、ずっと長い間、晩酌をしていたが、そのお酒は全て賞味期限の切れた物の始末であった。
でも、不味いとかおかしな味だと思ったことは一度もなかった。
(だったら、何で、それを売らなかったのかと言えば、大した量ではなかったからだろうと思う。)
だから、ことお酒や飲料水に関し、「賞味期限は切れているけれども十分美味しい物に商品価値がない」とか、「無料で差し上げるもの」という感覚がなかった。(でも、良く考えると、スーパーに賞味期限切れの物がディスカウントされて出ているというのは見たことないと思ってもみたり、でも、野菜なぞ、しなびて、いかにも品質が劣化したものが「見切り品」として売られているななんて、思ったりもする。賞味期限がついているからその期限を切れたら無価値になって、野菜には賞味期限がついていないから、品質が劣化しても商品になるのかな?)

また、今回のように、大量の賞味期限切れを抱えて困るという経験をする人も少ないのだ。
現在、私は大量の賞味期限切れ商品を抱えて困っているから、世の中には、「安く買えるなら賞味期限が切れててもいいわ」という人もいれば、「賞味期限を切れるものでお金を取るなんて」という人もいれば、「賞味期限が切れているなんて、危ない商品」と思う人、色々いると、わかるのだ。

皆、現在の賞味期限に対する人の意識が様々だなんて、知らなくてもいいことであり、「賞味期限が切れた物は無価値」と思っている人は、きっと、世の中に「安かったら、買いたいわ」という人がいるということが想像できないだろう。

一度、偶然、ビールメーカーの人と賞味期限切れの商品の扱いについて、話すことがあった。
その営業マンが言うには、「メーカーとしては、賞味期限切れの商品で商売はしないでくださいとお願いするだけです」という言い方だった。
(すなわち、金銭を受け取るなということ)
メーカーとしてお願いする理由は、相手が納得して買ったとしても、万々が一のことがあったら、メーカーに文句を言ってくるから、それを避けたいとのことであった。
私が「自分で飲んでも、美味しいし、お腹がおかしくなったりしないのですが」と言っても、同じことを繰り返すだけであった。
決して、「賞味期限が切れたビールを飲んだら、身体に悪いとか、不味い」ということが理由でなかった。
だったら、どう始末すればいいのですか?と聞くと、「現在、廃棄するにもお金がかかりますから、納得していただける方に差し上げるのが良いと思います」と言われた。

ある飲料水メーカーに賞味期限の切れている商品について、電話で問い合わせたら、「なるべく飲まないでください」と言われた。
どうして、「『絶対』じゃないの?」と思ったが、追求しなかった。

「賞味期限切れの商品」について、スーパー・コンビニが店から全て撤去すること、メーカーが「売るな」と言う、そして、賞味期限切れに対する厳しいまなざしの消費者が多いことを考えると、やはり、品質が悪化していなくともお金をいただく商品として扱うこと自体、無理が大きい気がしてきた。




2004年05月25日(火)

わかったこと


「賞味期限」なのだが、これは、「この日以降、急激に品質の悪化が始まります」という日付ではなく、メーカーが品質を保証する期限なのだ。
だから、この日までに、食中毒などの事故が起きたら、メーカーが責任を負いますよという期限である。
だったら、「賞味期限」などという名称をつけずに、「メーカー保証期限」にすれば良いのにと思うが、何か、私の想像を超える事情があるのかも知れない。

スーパーやコンビニのルールは、確かに「賞味期限切れの商品は廃棄」なのだろうが、それは、「仕入れ・在庫の管理を強化したり、賞味期限を越しそうな商品はディスカウントして売ってしまうなどの工夫を促すことを目標としたルール」なのだと思う。
賞味期限切れの商品は廃棄というルールなのだから、賞味期限を切れた商品が出れば、それは帳簿上マイナスになり、店の収益を減らすのだ。
そういうルールと運営だから、実際、賞味期限を越す商品は、そんなには出ないのであろう。
だから、「賞味期限を切れた商品=廃棄=ゴミ=価値0」という解釈は正しいのだろうが、実際は、賞味期限を切れた商品は全くないとは言えないけれど、「大量」は有り得ないと思ったのだ。

「こんな賞味期限を切れた商品はスーパーだったら、ゴミだ、価値0だ」という言い方は、正しくもあり、正しくもないと思う。
(理屈上は正しいが、実際は、賞味期限切れで廃棄する商品というのはスーパーには皆無は無理としても、本の少しでないとおかしい。「大量の賞味期限切れ商品」というのは、スーパーでは有り得ないことだと思う。)
シロウトが聞くと、「賞味期限を切れた商品は廃棄」の方が印象強いけれど、実は大切なのは、「(そういうルールだから)賞味期限内に全て売り切れるような仕入と販売をしろ」という運営の方だと思うのだ。

さて、昨日、エッセイを書いて眠ったら、頭の中で整理されたことがあった。
私が無意識に、心にわだかまったのは、母の残した賞味期限切れの商品を、「スーパーで言ったら、ただ同然の物を」と言われたことだったのだ。
そう言った人の頭の中には、「賞味期限を切れた商品=廃棄=ゴミ=無料」という理屈があり、結局、それは、「私の母の残した商品がゴミ」と言っていることに等しいと気づいた。

それがわかって、母の残した商品をどうしたいか、どう扱われたいかを改めて考えたが、無料でも有料でもいいから、最低、「これらの商品を引き渡した人に、喜んで」飲んで欲しいのだ。
それだけは譲れない、ようやくそれに気づいた。
在庫を早く減らしたいのは山々だが、これらの商品を納得した人に引き渡すことにより、心にプラスの動き、すなわち、「感謝、有難う」・「美味しい」・「楽しい」・「安くて(もしくは無料で)嬉しい」という気持ちが湧いて欲しいのだ。
絶対に、「スーパーだったらゴミ扱いの商品」という人に、触って欲しくないのだと自覚した。
そう扱われるくらいなら、自ら廃棄した方がまだマシなのだ。

自分の家の賞味期限切れ商品がスーパーの賞味期限切れ商品と同格と扱われることを経験して、ようやく、自分の気持ちに整理がついて、良かった。

うちの賞味期限切れの商品を試飲して納得し、「有難う、活用するよ」という人に差し上げることにした。
そうなのだ、賞味期限切れ商品でも飲める以上、活かしてあげることが、一番の母への供養だと思う。




2004年05月29日(土)

賞味期限切れの飲み物研究


現在、我が家は、弟一家と私で、手分けして、ビール、発泡酒、コーラ、サイダー、ハイリキレモンなどの賞味期限切れを試飲している。

切れて数ヶ月の物もあれば、2年前に切れたビールなんかも飲んでいる。

結論から言うと、ちゃんと美味しく飲める。
一部、店の外で保管していた瓶ビールはあるものの、それ以外は、皆、陽の当たらない、シャッターの下りたお店で保管していたので、保管状態が良好だったのか、おかしい物は今のところない。
(2,3か月、表で保管した瓶ビールも、比べると味が落ちるけれど、ちゃんと飲める。実は私は、雨に打たれてラベルも取れてしまったビールが沢山あるので、週に数回、冷やして美味しく飲み続けている)

確かに、賞味期限が切れて数ヶ月以上の物は、現在賞味期限が切れていないものと比較して飲むと、アルコールとか炭酸がが少し抜けているかなということは感じる。
でも、新しい物と比較しないで単独で飲んだら、期限切れの飲料だとわからない。

甥たちも、コーラだ、サイダーだと飲んでくれるが、「大丈夫だよ、美味しい」と言って、お腹がおかしくなった様子もない。
私はノンアルコール類では、2年前に賞味期限が切れた紅茶を飲んだけれど、美味しく飲めた。

でも、「賞味期限切れ」で検索したら、2年前の賞味期限切れのビールを飲んだらひどかったという話も出てきた。

で、色々お酒に詳しい人に聞いたら、「お酒やビールは、飲んだときに変質しているかどうかすぐわかる」ものとのことであった。
味も変かどうか舌で見極める必要はあるが、見かけでの判断も必要だそうだ。
泡立つべきものが泡立たない、澄んでいる筈のものが濁っている、オリ(白い結晶のようなもの)ができている、濃度も重要で、サラサラである筈のものがドロっとしていたら、要注意。
(そう言えば、去年8月賞味期限のトマトジュースを飲んだら、ちゃんと美味しく飲めた。
でも、その後、賞味期限内の物を飲もうとコップに開けたら、やはり、去年8月賞味期限のものより、さらっとしているのがわかった。
(古い物を飲んでも、お腹は壊れなかったし、不快感も全くなかったが。)

ちょっとでも不味い物を口に入れるのは嫌やという人は無理だけれど、賞味期限切れても、一口口に入れて「おかしくない」と思えば、飲めるものだから、そういう判断をつける習慣も、人生には必要かも。
もし、手持ちの飲み物で賞味期限が切れたとしても、諦めないで、一口試してみてくださいね。←メーカーの人が聞いたら、怒るだろうけれど。
(余りに保管状態が悪いものは、初めから諦めた方が無難かも。)

因みに、焼酎やウィスキーなどのアルコールの度数の高いお酒には賞味期限がないとのこと。(砂糖と塩も賞味期限はない。お水はあった。)

そう言えば、今日、ロリーナのレモネードを買って来たのだが、オリジナルのフランスのラベルには賞味期限がなかった。
そこに日本で後から貼ったことが歴然の小さな日付のラベルがついていた。
食の先進国フランスでさえも、レモネードに賞味期限がついていないのに、どうして、日本はこんなに何にでも、賞味期限をつけるのだろう、といちゃもんをつけたくなる気分である。
何でも賞味期限をつけるのは、アメリカの影響だろうか?
フランスの食品管理はどういうものだろうか、知りたくなってきた。

それにしても、世の中、賞味期限絶対主義者も多い。
特に、子供を持つお母さんに多いのではないだろうか?
もしかして、他所の子は、「賞味期限の切れた飲み物は飲んではいけません」とお母さんに言われながら育っているケースが多いのかも知れない。
我が甥たちは、「これ、賞味期限切れているのだけれど、飲んでみて」というと、「どれ、どれ」と必ず飲んで感想を教えてくれる。
嬉しいけれど、何かの拍子に、「賞味期限切れるもの、飲んじゃいけないって、お母さんが言っていたよ」なんていう子に、「何て野蛮な子だろう」と思われないか、ちょっと心配。
賞味期限、切れたら気持ち悪いわという方が、上品で、高等で、健康にうるさい感じがしてしまうから、そう感じるのだろうか?
ま、そういう子に出会ったら、軽くいなして、我は我で生きて欲しい。(笑)

結論として、賞味期限を切れたものを飲食するというのは、自己責任なのだ。
自己責任を取れる人は、色々試して、「おかしくなっている味」と「正常な味」の感覚を身につけるべきだと思う今日この頃。

明日、書くが、「賞味期限=万能」ではない、でも、万能ではない場合でも、メーカーの保証はつくけれどね。

でも、メーカーの保証、保証というけれど、私は今まで生きていて、食べ物のことで、メーカーにクレームをつけたり、保証があってよかったなんていう経験はない。
それは偶然で、運が良かったのだろうか?
工場で作っている食品では、品質が悪化しているとか、味がおかしいということより、「この程度の味で、こんな価格をつけて」とか、「この程度の品質で、ちょっと宣伝文句が誇大ではな〜い?」とクレームつけたくなる食品は結構あったけれど。(笑)




2004年06月09日(水)

「賞味期限切れ」まとめ


「明日書く」と言いながら、結構、色々な問題が起き、対処しているうちに、お祭を迎え、今日まで、書けなくてごめんなさい。

で、賞味期限切れについて、色々調べているうちに、「賞味期限は万能ではない」ことについて、すごく良いページがあったのだが、今、検索したら、消えていた。
残念。

何で消えてしまったのかわからない。
個人のページだからこそ書けるという内容だと思うのだが、渡辺弘さんという、食品関係らしい方のページだった。
本も出版されているみたいなので、興味ある方は、本を探してください。(その人が消したページの内容を、ここに覚えているだけ羅列するのも悪いので)

一つだけ書くと、その方の言いたいことの主旨は、賞味期限は万能ではないし、料理をする人の義務は、「賞味期限内の食品で料理することではなく、安全を確認した食品で料理をすることだ」ということであった。

メーカーの保証があるから良いと言ってしまえばそれまでなのだが、人間、毎日何かを食べているのだから、自分の身体を守るため、賞味期限内の物を食べるのではなく、ちゃんと五感で、安全な物を確認できる感覚を養うべきなのだろう。

今は平和だからいい、緊急時、例えば、大震災にあったとき、手元に賞味期限の食品しかないかも知れない。そのときに、賞味期限が切れているから食べないわなんて言ってられないことも考えられる。
そのときに、自分の舌や鼻や目で安全かどうか確認する能力(というか、技術)を普段から身につけるのが、本当のあるべき姿なのだろうと思う。(それができるからこそ、「新鮮」を判断できるとも言える。)

でも、これを忙しい人とか、老人で「賞味期限」にうるさい人に言っても始まらないと思う。
時間と心に余裕のある方たちは、是非、日頃から、食品の安全性を五感で試すことができるよう訓練してみてくださいね。(私も頑張ります)

私は、現在、親戚、友人たちで「賞味期限気にしないわよ」という人たちに、引き取っていただいている最中。
感謝、感謝である。
嫌がられないで、受け取ってもらえるというのは、幸せ。

ついでに、3月までいた会社の女性達を家に招いて、「賞味期限切れパーティ」を開く話が進んでいる。
私が「我が家で賞味期限切れパーティやろう」と言ったら、皆、初めは、「食べ物まで賞味期限切れているもの?」とびびっていたが、飲み物だけ全て賞味期限切れのもので、食べ物は私が新たに仕入れて料理するから大丈夫と言ったら、安心していた。(笑)

何でも、楽しくやらなくちゃ。(笑)



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